久しぶりの「自撮り」サイク

奈良県磯城郡田原本町八田 大和川河畔にて

 久しぶりの「自撮り」です。一昨日の「遠回り通勤ライド」で眼を付けておいたポイントへ、葛城川沿いの自転車道から大和川河畔の定番コースです。異例ずくめのGWも昨日終わったのですが、例年より自転車道を通う人が多い様な、大阪府下から越境して走りに来る人も少なくない様ですが、奈良県北部なんて大阪のベットタウン化していて多くが通勤通学しているのが現実、千早赤阪村に「クルナ」って云われるより良いんやないですか、所詮は「行政」区分なんですから、私の様に国中に暮らすものが吉野へ行くより。
 さて機材を一新してからは初めてですので結構戸惑います。G3でLVF/LCDを自動で切り換えるセンサーがなくなったのがやはり不便、それにダイアル類のタッチパネルでのメニュー化が。外部タイマーは機能的には全く変わりません。ただ連写速度は多少向上しているので、今日は外部タイマーの1秒インターバルではなく、バルブ設定でカメラ側の連写機能を使いますが、メモリそのものへの書き込み速度が壁になります。
 クリーンセンター広陵の東側の「飛鳥葛城自転車道」、新緑が美しいのですが、やはりここは桜の季節かな、それにもっと初夏らしいウェアにするべきだったと。5テイクばかりを。
 御幸(みゆき)橋まで北上して大和川河畔を遡ります。

 

 東側に望む風景はまさに「大和青垣」です、「やまとは くにのまほろば たたなづく あおかき やまごもれる やまとし うるわし」(古事記)
 R24を跨いで次のポイントへ、左岸の短い区間なのですが、ここは木々の陰になって周りの建物が写り込まないのです。(写真ははめ込み合成です。)


 「自撮り」で行ったり来たりしてますが、本日の走行42.1キロ、「遠回り通勤ライン」のお陰で今月は既に200キロ超。


5月6日の日記

 雲行きが怪しいので本日の「遠回り通勤ライド」は通常のコースで、結局走っている間は降られなかったけど。
 今年も頂きました「例のブツ」食器棚には歴代のが占領しています、なかなか割れないし。おっさんの割りに邪魔臭がらずに結構こう云うのマメに集めるのですよね、ポイントとかきっちり貯めてるしね。


遠回り通勤ライド7日目

 先月末から遠回り通勤を続けています。昨日は明日香村栢森まで往復しましたが、主に国中(大和盆地)の川べりの道や自転車道を走っています。まずは大和高田から葛城川沿いの「飛鳥葛城自転車道」を北上します。
 自粛ムードにも拘わらず連休とあってローディの多い事、時節柄遠くへも行くのも憚られるので近場でお茶を濁しておこうと走りにくるのでしょうね、時間的に大阪方面から越境してきているのでしょうが、100%と云って良い位にソロです。いつもの御幸(みゆき)橋で大和川を渡って、今日は富雄川沿いに入ります。

 富雄川沿いに北上すると法隆寺からの「大和中央自転車道」と合流し大和郡山市街を東側へ越えます。

 佐保川沿いの「大和青垣吉野川自転車道」を南下します、京奈和自転車道の一部となっています。

 大和川べりにでて桜井へ、本日の走行48.4キロ。なかなか良さげな「自撮り」ポイントを見つけたのです、そろそろG3を実戦投入しましょうかね。


メンテナンススタンドを買いました

 今さらですがメンテナンススタンドを買いました。ご覧の様に表に出さないと写真を撮れない程デカいので長い事躊躇っていたのですが、簡易なスタンドでは不安定ですし、かがんでの作業も辛いものです、少々疑心暗鬼ぎみにAMAZONで一番安いものをポチりました、手前に2本足になっているものとの2択になったのですが、こちらは4本足の安い方。GLNGと云う聞いた事のないメーカーですが、明らかに同じと思えるものが複数の処からでているので、実績はある商品なのかと。
 クロネコがデカい箱を届けてくれた時に、そのデカさに退いてしまいましたが、組み立てて行くと値段の割りになかなかしっかりした作りです。足を畳んでしまえば、部屋の隅にでも立て掛けておけます、重量は実測で6.5kgあります。
 心配していたのはクランプ部分でアウターケーブルを挟んでしまわないかと云う事、そこは自転車用のメンテナンススタンド、ある程度かわせる構造になっています、erba号は真上、延陽伯号は右肩、写真のasuka号は左肩部分を走っているのですが、どうにか逃げる事ができました。ただオーバーサイズならともかく異型のカーボンパイプだとちゃんと咥えられるのでしょうかね。
 リアキャリアを付けない状態でも15kgを超えるasuka号ですが、しっかり咥えてくれます。工具台とハンドルが動かない様に支えてくれる伸縮ポールが付属しています。支点がゴムベルトになっていて少しチープなのですが、使ってみるとこれはこれで良いのかな、ただハンドル側のゴムベルトが着脱の作業性がいまいちなのでマジックテープが何かで自分なりに工夫してみようかと。
 とにかくシクロサロンあすかの親爺が倒れてから10何年、苦手なメンテナンスを自分でしなければならなくなって工具は揃えてきたのですが、これで作業も愉しくできそうです。



5月スタート

朝、大和三山を一望に

 GWだからどうのこうのと云う生活はもう20年はやっていないけど、今年はちょっと普通じゃないですよね。さて月10回程の通勤は遠回りして30キロは走ろうと意気込んで、まずは明けで高田まで走って「松のや」の得朝ロースかつ定食(これが税込400円)、まぁここから間違っているのですが。
 葛城川沿いの自転車道を北上します。奈良県の自転車道のけしからんのは県道など交通量の多い交差でも殆ど横断帯であるとか車道側には自転車道との交差を示す標識がない事なんです。弱者優先が道交法の基本なんでわ。
 自転車道を河合町まで北上、自粛ムードどころかローディや散歩のファミリーが多い事。大和川に架かる御幸橋へ、京都の「ごかうばし」と違いここは「みゆきばし」です。上は西名阪道。

 御幸橋を左岸に渡り少し遡って太子橋で右岸に、御幸橋も太子橋も聖徳太子所縁の名前ですね。向こうに見えるのは二上山なのですが、この辺りまで北上すると二上には見えません。

 ほぼ大和川右岸を遡ってお昼には桜井へ戻ってきました、正面に見えるのは三輪山、これで約40キロ。殆ど坂のない川べりのコースですが、なまった体には少々きます。

 お昼はヘルシーに蕎麦にしようとオークワに寄ったら、一番搾りの黒があったので、3か月ぶりに酒を買ってしまった、でもそれだけで済むわけはないよね。とりあえずの5キロ減量はできるのでしょうかね。走らなくっても食欲は変わらない、走ったら食欲は増す。

2020年4月のまとめ

 2020年4月の走行距離 365.5キロ(asuka 301.0キロ、Erba 64.5キロ)、輪行が憚られる世情ではせっかくのデモンタも出番がありません。月間走行距離300キロ台も「コロナ禍」による自粛では仕方がありせんが、昨年の5月に1500キロも走っていたとは。


4月29日の日記


 休みですし走りに行こうかと思っていたものの、何やかやと世間が邪魔くさいのでヤメたのものの… 今一番の課題は昨年より5キロは増えた体重をどうするか、昨年、スマホがトラブった時にデータを失った時から記録をやめてしまったけど、記録して自覚するって大切だと思う、1年で体重が83キロ台まで増加していた。ただ過去に90キロ台に迫った体重を15キロ減らした実績があるのが、体重位何時でも減らせるなんて甘い考えがよぎってしまう、月10回往復13キロ程の通勤位では焼け石に水、さりとて「コロナ禍」でモチベーションの高いロングライドやキャンプツーリングもできない、とにかく遠回り通勤で30キロ/日位は頑張らなくてはと思いつつ…
 パソコンのメンテナンスと雑多になったケーブルの整理を、ケーブルとスイッチ類はモニターの上の薄べったい棚の中に入っているのですが、不用になって死んでいるのを片付けたら随分とすっきり。この中にうつむきにスピーカーを仕込むつもりだったのですが、今もって実現していません。
  ハードディスク(320G)を比較的新しいもの(500G)に交換。
 ハードディスクのコピーに1時間程かかるので買い物がてらに走り出す事に。大和川沿いに河合町の御幸橋まで往復すれば30キロ位にはなるし、川べりを辿ればこんなダートも残っているのですよ。公園には家族連れ、ソロとは云えローディもちらほら走ってます、いつもと変わらぬ風景です。
 飛鳥川沿いの自転車道に入り帰途に就きます、スーパーで少し買い物して18時過ぎに帰宅、本日の走行35.9キロ、今月は400キロにも届きません。

 


ちょっと散歩に


 昨日から三連休、キャンツーでも行こうと先月から休みを取ってあったのですがネ、恨めしいお天気です。
 買い物ついでにG3を持って山之辺の道へ、自粛と云ってもこのお天気ですからね、結構歩いている人が、年配の人が多い様な、例年だとハイカーの行列で自転車で走るのが憚られるのですが。
 G2とは使い勝手が結構違います。LVF/LCDの自動切換がなくなったとかスリープモードがあったりとか、慣れるまでちょっと時間が掛かりそうです。
 お昼に一旦帰宅し、午後から明日香村へ、自粛はどこ吹く風、観光バスこそいないもの結構家族連れとかいます。何処へも寄らず誰とも話さず、本日の走行38.3キロ。


人間、勝手なもんです。

 「コロナ禍」で世間はピリピリしていますが、1月頃から続く体調不良、季節柄風邪様の症状はありますが35℃台の平熱、そちらの心配はなさそうなんですが、胸の傷みに倦怠感。先月の熊野行きの折の車中でUG兄さん(即ちY先生)に聞かれて、5年前に寛解と云われた持病の再発もあるなと、そう考え出すと納得する点も少なくない、半年に一度は検査に来いと云われていたのを4年ほったらかし、そちらの先生の処へ行くのも気が引けるので、同じく自転車繋がりで高田のS先生の処でレントゲンと血液検査、レントゲンでは疑わしい点はなく、血液検査の結果待ち。
 その結果がでたので高田まで走ります。自分では覚悟して行ったのですが、何んちゃない、極めて平常値。ただコレステロールや中性脂肪の値が良くないので食生活の改善が必要と、暫く走らん割に同じ様に食らってますからね。

 すっかり気を良くして、いつもなら横大路を真っ直ぐ東に帰るのですが、葛城川沿いの自転車道を北上、「コロナ禍」に逼塞していては体に良くないと「生活改善」の大義名分に有要有急の外出を、幸いにも仕事と買い物以外は三密環境で過ごせる田舎暮らし。しかし平日にも拘わらず自転車道では3台のローディとすれ違いましたよ。何れもソロですが、自宅待機で体をもて余している人が多いのかな。
 県道天理王寺線のパイパス路の工事も終わり、曽我川を渡る新しい橋との交差、自転車道はアンダーパスする様になっていました。御幸橋まで出たら大和川沿いに桜井へ、桜の季節は終わりましたが河川敷や土手の菜の花や蓮華まだまあ色を添えてくれます。本日の走行40.7キロ、とりあえずの不安は払拭できたし暫くはソロで頑張って走ろう。


2台目のLGA1156マザー


 自転車以外の話題が続きます。昨年11月に輪童さんから譲って頂いたLGA1156マザー、インテルのDH55TCなのですが、PS/2コネクタはキーボードとマウスが兼用になっているタイプ(写真左)なのですが、PS/2用のKVMスイッチ(切替器)をかますと正常に切替操作ができません。
 この様なスプリッタケーブルで変換させているのですが、切替ボタンの反応が悪い上にキーボードショートカットは全く使えません。せっかくCPUやメモリ等も付けて貰ったのですが、そんな事で今もメインマシンの座には。
 最近、MSIのP55A-GD55マザーを入手、同じくLGA1156ソケットのP55チップセットですが、これも同様にPS/2コネクタが一つのみ。載せ換えてみると、なんと写真上の下のスプリッタケーブルを使うと正常に切替ができるのです。以前からこの接続方法は機種依存性があるのですが、同じチップセットでもPS/2まわりはマザーボードによって変わるものなんですね。
 とにかくCPU、メモリ、ビデオカードを載せ変えて切替器を介するクライアント用にはP55A-GD55を使って、DH55TCはぼちぼちとパーツを集めて頻繁に切替の必要のないサーバー用として構成するストーリーを。
 ところでP55A-GD55ってオーバークロックに特化した機能を持った結構高いマザーボードだったのですが、特長としてSATA3をサポートしている事、ただLGA1156はチップセットがSATA3には対応していない為に、サードパ-ティ製のチップを経由していて、SATA3のスペックはでないとか。
 毎年パソコンを触るのは冬場だったのですが、このご時勢ですからね… でも部屋の中に籠もってばかりは不健康だよね。

LUMIX G VARIO F3.5-5.6 14-140mm


 先日買い換えたLUMIXですが、レンズの方も無事入手、以前のLUMIX G VARIO 1:4-5.8/14-140の後継モデルでF3.5と少し明るくなっているものの、重量は約460gから約265gへ、全長が約84mmから約75mm一回り小さくなっています。G3との組み合わせで230g軽く、G1時代こ組み合わせから比べると重量が71%に。ボディ同様ブラックモデルより安くかえるかなと思っていたのですが、ヤフオクで18,000円スタート(即決38,000円)、意外にぎりぎりまで競り合って28,000円(ヤフオクが5%引いてくれるキャンペーン中だったので実質26,600円、送料無料)、元箱にフィルターが付いて、ボディ同様かなり状態の良いものが手に入りました。とにかく保険のおかげと云うか範囲内で、G2→G3のリプレイスが実現できました、合焦速度も速くなっているとか、まさに災い転じて何とかです。
 見た目の大きさはそうは変わらないのですが、実際以前のソフトケースではぶかぶか、フィルター径が62mmから58mmになったとか、予備バッテリーも必要なので、まだ出費が続きますけど。
 難儀な世情ですが一人で人のいない山の中へ「自撮り」に出掛ける位ならよしとしましょうね。

ユニクロのアノラックもどき

 ライドレポートが憚られる様な昨今ですので、たまにはファッションネタを。さてツーリング派、ラ系サイクリストの定番スタイルと云えばアノラック(ヤッケ)にニッカスタイル、元は登山者(山屋)のスタイルから来ているのでしょうけど、最近は山屋もそんな格好はしないですよね。アノラックに関しては以前からモンベルがODアノラック(写真上)と云う名称で細々と続けてくれていますが、最近は普通のアパレルメーカーが時折り出したりする事もあり、以前からベージュ色を探しているのですが、なかなか見つかりません。
 ところがユニクロがオーバーサイズアノラックパーカーと云う名称で昨年秋から出している事に今頃気付いた次第、ベージュのツートンがあったのですが、ユニクロオンラインでも既に欲しいサイズが残っていません、ただ価格は3,990円から1,990円に値下がりしていますが。実店舗でこの色のLを見つけて買ったのですが(写真上)、オーバーサイズと云うだけにモンベルのXLより身幅が広いです。モンベルのオレンジ色と同じ様な色に見えますが、実際は下の色に近いカーキ色、ユニクロのHPではイエローとなっていますが。
 アノラックと云えばプルオーバーで胸にドラえもんポケットの様な上から出し入れする大きなポケットと、左右のポケットが繋がっていて中でいけいけになっているものだと思っていたのですが、なんとユニクロのこのアノラックには胸のポケットがありません、ポケットの天蓋ですよとばかりに立派なフラップが付いているのですがそれはただの飾り、そして左右のポケットは真ん中で仕切られています、これってアノラックやないでしょ。なおポケットの口はモンベル製の様なファスナーではなくスナップボタンになっています。ただ素材や裏側のメッシュ地や縫製も悪くないので欲しいサイズと色があれば1,990円はお買い得です。

 ドラえもんポケットのないアノラックなんて許せないと云う方にはこちら、UNITED ATHLEのアノラックパーカー、ちゃんとアノラックの要件を満たしていて、ネットで4K前後で買えます。胸ポケットはファスナーですが、左右はあいたまま、生地はモンベルやユニクロより少しごついですが、裏地がありません、残念なのは明るい色がない事。

LUMIX DMC-G3

 LUMIX DMC-G3を手に入れました、もう8年も前に発売されたGシリーズの3世代目、発売当初の実売価格が7万円前後ですから、その何分の一かの価格でメルカリにて。
 実はあまりにお恥ずかしい話で今まで話題にしてなかったのですが、先月17日の「熊野ツーリング 尾鷲市~熊野市」の折りにDMC-G2で「自撮り」中、風に煽られたかして、戻ってきたら三脚ごと倒れていたのです。レンズフィルターが割れて、カメラ本体の電源も入りません。
 不幸中の幸いで倒れる前までの撮影は記録されていて、左が最後のショットです。「自撮り」の際はカメラから離れるので、日頃から注意していたのですが、この日は荷物を減らすために持って行った三脚がSILKのスプリント MINI II 、転倒防止の重しにするストーンバッグも用意していなくて、なんとも自重が780gしかない三脚ですからね。
 DIMAGE A2の後10何年ぶりにレンズ交換式カメラを手にしたのが2009年3月、当時話題となったマイクロフォーサイズ規格を最初に採用したパナソニックのLUMIX DMC-G1を購入、以来G1、G2と何台か潰してきたのです。最近ではDC-G9PROとDC-G99と云った少し趣の変わった後継とフルサイズ機を発表しましたが、カメラマニアでもないし新しいモデルが欲しい訳でもなく、使い勝手の良いものが中古でも安く手に入れば良い訳でして。
 実は先の一件がなくとも後継としてDMC-G3辺りをヤフオクとかで物色していた処だったのです。CCDの劣化でいずれ発色がおかしくなってくるでしょうし、アイピースも剥がれたままです。
 幸いにもヤフーちょこっと保険で携行品の破損や盗難を補償して貰える事を思い出して、早速手続きを進めました。DMC-G2はとっくの昔に製造は終わって保守部品の保持期間が過ぎて修理不能、レンズの方もショック品としてレンズユニット交換で高額な修理見積もりがでてきました。免責額は引かれますが相応の補償が受けられたのは幸い、なにより書類を整えて送ったのが先週木曜、1週間も経たずに振り込まれるとは。

 DMC-G1DMC-G2DMC-G3DMC-G5
カメラ有効画素数1210万画素1600万画素1605万画素
連写撮影高速(H)約3コマ/秒
低速(L)約2コマ/秒
高速(H)約3.2コマ/秒
中速(M)約2.6コマ/秒
低速(L)約2コマ/秒(M, Lはライブビュー表示対応)
(SH)約20コマ/秒(電子シャッター)
(H)約4コマ/秒
(M)約3コマ/秒
(L)約2コマ/秒
(M, Lはライブビュー表示対応)
バッテリーDMW-BLB13(1250mAh)DMW-BLD10
(1010mAh)
DMW-BLC12
(1200mAh)
外形寸法(突起部を除く)幅 約124×高さ 約83.6×奥行 約45.2mm幅 約124×高さ 約83.6×奥行 約74mm幅 115.2×高さ 83.6×奥行 46.7mm幅 119.9×高さ 83.2×奥行 70.8mm
本体重量約385g約371g約336g約346g
販売開始2008年10月2010年4月2011年7月2012年9月

 気になる処を比較したのですが、画素数や連写速度の進化も魅力ですが、私がG3に目を付けていたのはコンパクトさと、純正品ではありませんが、USB充電のできるバッテリチャージャーが存在する事なんです。カメラ本体へのUSB充電は無理としてもモバイルバッテリーから充電できればメリットは大きいです。後継のG5では再び大きくなっています、コンパクトさは傍系のGFやGXに譲ると云う事なんでしょうね。
 後ろがG2で手前の白いのがG3ですが、Gシリーズに関してはやはりブラックモデル以外は人気がない様で、状態の良いものが格安で手に入りました。高さ以外の寸法と重量がG2より小さくなって一回りコンパクトに、グリップ部が無くなってホールド性が少し悪くなった様に思えます、確かに男性の手には微妙に小さく、それよりシャッターボタンの位置がボディ上にあるので些か使い難いです。G1,G2では左側にあったフォーカスモードダイヤルや、モードダイヤルからドライブモードの選択がなくなり、タッチパネルのメニューから選ばなければなりません。これは慣れるしかありませんね、ドライブモードのダイヤルはG7で復活した様ですが。
 さてレンズはどうしたものか、保険金額を睨みながら物色中です。

自粛と云うか停滞中…

 自粛ムードが続いてテンションが下がりっぱなし、気が滅入って体調まで今一つ。外出は月10回程の通勤と買い物だけになっています、もちろん自転車ですが、幸い往復10数キロ、少し遠回りして名残の桜を見ながら走っています、次の雨で終わりでしょうね。

 時間もあるので部屋の中でしたい事やせなアカン事は一杯あるのすが、捗らないどころか手につきません、何時まで続くのでしょうかね…

ストレス溜まりますよね

  日ごと状況が悪くなる「コロナ禍」、予定していた「月うさぎ」でのお花見宴会も中止になり、桜並木と良いお天気が恨めしい限り。しかし病は気からって云いますからね、こんな状況が長く続くと健康な人だっておかしくなります。幸い田舎暮らしですので、適度に運動して、滋養のあるものを程々に戴いて、良い音楽でも聴いて、ツーリングのプランでも練りながら、ストレスのない様に過ごします。こんな状況でも仕事や通勤、家庭や家族と、ストレスを避けられない人が多い中、望ましい事が出来るだけでも恵まれているかと。

 せめて桜の季節の「自撮り」写真を…
 久しぶりにサイスポ買って見ました、50年600号の記念誌だそうなんですが、2月2日に伊賀上野で行われた「黎明期の国産ツーリング車観賞会」、内輪で小冊子を作ったのですが、オオマエジムショの大前さんによる記事が載るとかでAMAZONでポチったのです。相変わらず広告が多いですが、一時の事を思えばツーリング関連記事が増えた様な、まぁ好ましい事です。
 しかし何処に載っているのと探したら、特集「スポーツサイクルの半世紀を彩る名車」の中程(44~45頁)にありましたよ。
 買い物に行くついでに大和川べりを少し走ってきました。先日ポチったアノラックを着て、ウェアは赤以外の暖色系が多いのですが、ベージュを探していて、なかなか見つからずにこんな色を、アンチークグリーンと云ってますが、青銅色なのかな。七分丈のレーパンと組み合わせたクラシックなスタイルです、走行12.9キロ。

再び熊野シーサイドツーリング

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 先々週17日に行ったばかりなのですが、尾鷲市と熊野市を海岸沿いに結ぶR311を再び走る事に。素晴らしいロケーションと紀伊半島を巡る交通網が最後に繋がった難所に魅力を感じた何人かが集う事になり、ガイド役を仰せつかり、先日16年ぶりに走った私は期せずして1週間余りで再訪する事になってしまいました。ただ天気予報は二転三転、コロナ騒ぎでモチベーションの上がらない中も、前々日夜になって当日は午後から晴れとの予報にGOサインが。
 先日は往路6時間以上もかけて「青春18きっぷ」輪行でしたが、今回は助手席に乗って楽チン、桜井からR169~R309~R42経由で尾鷲市の九鬼駅まで2時間20分足らず、道中の下北山村では満開間近の見事な桜並木に、思いがけなく車中からお花見を満喫。
 当初は尾鷲から一駅熊野市寄りの大曽根浦駅前に集合だったのですが、雨雲のきれるの待っていると遅くなるのと駐車スペースが微妙なので、最初の山越えを端折って更に一駅熊野市寄りの九鬼駅前に集合する事にし、6名が集まりました、全員がマッドガード付き。九鬼から紀勢本線なら三木里、賀田、二木島、新鹿、波田須、大泊、熊野市と7駅、営業キロで23.2キロをほぼ海岸沿いをなぞるR311では50キロ程の行程になります、なお帰途は短時間ですが輪行でデポ地の九鬼駅に戻るプランです。
 幸い8時半には雨もほぼ落ち着き熊野市に向かってスタートします。この先熊野市まで集落毎にアップダウンが繰り返される行程、ただ当初の予定の大曽根浦~九鬼間を除けば最大標高150mにも届かないのですが。
 雨雲がとれないので少し雨宿りしたりしながら、三木浦~三木里~古江~賀田~曽根と賀田湾を巡ります。先日の晴れた眺めを見て貰えなくてちょっと残念。
 曽根では立派な破風を持った建物が、今は郷土資料館となっていますが、元は小学校の建物の様です。開放されていませんが外側を見学していると少し晴れ間が出てきました。
 曽根を出るとR311が最後に開通(2001年11月)した区間になる訳で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂の区間に相当しますが、3キロ程東側に迂回して位置になっています。現在では曽根(1,106m)、梶賀(1,370m)、須野(197.5m)の3つのトンネルで結ばれていますが、私が始めて訪れた1995年8月は現在の曽根トンネルの岬寄りの梶賀第1トンネルを抜けて梶賀漁港でR311は終わっていました。当初は梶賀漁港を橋で跨ぎ2つのトンネル(梶賀第2、第3?)で須野トンネル側に繋がる計画の様でしたが、結果的には梶賀漁港の背後を通る形で曽根梶賀バイパスが作られ現在のR311となっています、図は手元にある最も古い昭和62年の1/25000地形図ですが、須野トンネル(1981年)の建設がもっと遅ければ、R311のルートは更に西寄りになっていたのかも知れません。
 旧道トンネルとなってしまった梶賀第1トンネルですが、地図では更に岬よりに道が見えます、今回皆で走れば怖くないとばかりにゲートをくぐって突っ込んでみます。(写真 : UG兄さん)

 現在は林道と云う事で、海側に路肩が崩れていたりと車では危険な状態ですが、幅員もそれなりにありガードレールや白線も残っていて、暫く進むと熊野灘の展望が開けます。
 驚いたのはR311の国道標識が、このルートはR311旧々道だったのです。R311が国道認定されたのが1970年、梶賀第1トンネルが完成したのが1985年ですから、15年間、梶賀漁港への唯一の陸路は国道だったのです。
 かつて国道だった事が信じられないような漁港の中の通路を抜けて登って行くと曽根トンネルと梶賀トンネルの間の橋をくぐり現在のR311に戻ります。なおここまでの経緯はヨッキれんさんの「道路レポート 国道311号旧道 梶賀の計画変更ルート」に詳しくあります。
 曽根トンネルを行きます、1台の車もやってきませんでした。(写真 : UG兄さん)
 須野トンネルを抜けると熊野市域、12時前には楯ヶ崎の展望台に到着。ただ楯ヶ崎そのものは反対側にあって死角になるので見る事はできません、往復1時間半の遊歩道か遊覧船を利用する必要があります。
 甫母漁港を望む処まで下りてきました、お天気も良くなり近くの防波堤で持参のお弁当とかでお昼にする事にします。沿線は海水浴シーズンでもなければ外食できる処はあてにできません。
 甫母漁港からまえださんが撮ってくれた写真(左)、対岸の山腹には山桜が。
 二木島湾を巡り荒阪、二木島と2つのトンネルを抜けます。
 新鹿の美しい砂浜が見えてきました。
  新鹿にて、先日は時間切れでここから帰途に就いたのですが、今日は余裕、新鹿の海水浴場を望む四阿にて、ofはやまさんが持ってきたジェットボイルでお湯を沸かしてコーヒータイム。

 新鹿を過ぎるとR311はやや内陸側に入りますが、波田須では素晴らしい展望が、眼下を紀勢本線が走っています、ここは徐福伝説の地でもあります。
 大吹峠を下ると大泊、対岸は名勝鬼ヶ城です。なおR311はここからR42との併用区間となります。

 鬼ヶ城見物の後、R42の旧トンネルになる鬼ヶ城歩道トンネル(旧木本隧道、歩道トンネルと云いながら実は東行一方通行で車も通ります。)を抜けて熊野市街へ、1525に熊野市駅前に到着、九鬼へ戻る普通列車は1605、1652、1827、1605に乗ろうとそそくさと輪行支度を始めますが、今日はヘッド抜き輪行のasuka号、リアは分割式に交換して出てきましたが、2台のデモンタには適いません、ちょっと段取りを間違えてまえださんに負けてしまいました。熊野市駅は上り普通列車は跨線橋を渡って2番ホーム、特急も停まる駅にしてはエレベーターもありません。僅か37分間の鉄旅で九鬼駅1642着、エンジン音を響かせて出て行くディーゼルカーを一同で見送り、今日のツーリングを終えました(写真右 : UG兄さん)。本日の走行52.3キロ。


ひさしぶりにロードで

明日香村石舞台古墳にて

 先日、タイヤ、スプロケット、チェーン、プーリー、ワイヤー一式を交換したerbaで試運転がてら明日香村へ、1ヶ月半ぶりのロードです。タイヤはコスパが良いとのIRC JETTY PLUS 700X25Cを履いてみました。

 花の季節ですね。

 

 そうそうボロボロになったサドルバッグを新調しました。今風の防水性を考えた製品ですが、ファスナーと違いオルトリーブのサイドバッグの様に巻き込んで両側をバックルで固定するスタイルって結構邪魔くさいですよね。まぁAMAZONのタイムセールで格安(1,799円)だったのです。

 スプロケットを11-28に戻したのですが、今一つしっくりきていません、もう少し調整が必要です。今月の走行距離は400キロを超えたところ、週末の天気が悩ましいのが。


熊野ツーリング 尾鷲市~熊野市

熊野市甫母(ほぼ)町にて

 予定通り桜井0543発の奈良行きに乗車、奈良、加茂、亀山と乗換、6時間半の行程、松阪まで近鉄で行けば2時間10分短縮できますが、紀勢本線の列車が限られていて尾鷲に着ける時間は変わりません。
 多気駅で4回目の乗換、新宮行に乗車します(写真)。ところで今回もデモンタでの往復輪行なのですが、尾鷲までの車中でとんでもない事に気が付きます、なんとデモンタを組み立てるのに必須のアーレンキーを忘れてきたのです、前回の和歌山の帰りに横着してフレームバッグではなく輪行袋を入れる袋に入れてしまい、今回そのバッグを忘れてきたのです、スペアチューブはフレームバッグに2本入っているものの他の工具とともタイヤレバーもそちらの中です。尾鷲は結構大きな街なのでホームセンターや大型スーパーもあります、ググってみると尾鷲駅から450m程で百均のダイソーがあり、最悪1キロ歩けばホームセンターのコメリもあります。予定の九鬼や三木里まで行ってしまうと食料すら覚束無い処、車中で気が付いただけでも不幸中の幸いかと。
 1158 尾鷲駅で下車、ハンドルもひねっていますので6mmと5mmのアーレンキーが無ければ自転車の形になりませんので、駅前で組み立てどころか担いで行くしかありません、一応転がす事もできるのですがね。幸いダイソーで必要なものは揃いましたので、店の横の駐車場で組み立てて出発の準備完了です。
 尾鷲市街R42を西へ、現在は三重県ですがツヅラト峠より南は廃藩置県までは紀伊国でしたのでこの地域を東紀州と呼ぶのですが、紀北と云う呼び方もあって、紀北信用金庫とかあります。ところが和歌山県の紀の川流域も紀北と呼ぶので紛らわしい事に。
 最初スタートを予定していた九鬼までは現在のR311の八鬼山トンネルまで登るか、旧R311の県道778号中井浦九鬼線を経由しなくてはなりません。前者は延長2364mのトンネル、後者はかなり遠回りな上標高350mまで登らなくてはなりません。八鬼山トンネルの入り口までは別ルートもあるのですが、通れる保証がなく今回はこれ以上時間をロスしたくないので素直にR311を辿る事にしました。
 標高180m程、R42と別れてからは交通量も少なくなり、思ったより楽に辿り着く事ができました。なおトンネルの情報は私と同じく道路元標フリークの穴蔵(あなぞう)さんがデータベース化していて、路線名と名前が判るならほぼ全国のトンネルの坑口の写真を見る事ができます。GoogleStreetViewと云う手もありますがね。
 2400mの半分位でしょうか、ただトンネル内も九鬼側に向かってずっと登りです。ご覧の通り歩道は自転車で通れる様な幅ではありません、と云って通過するまでに追い越して云った車は数台、時間帯にもよるでしょうが。
 少し下った処で熊野灘を遠望する事が、写真右は県道778号からの合流点。
 九鬼に下ったのが1330、予定では九鬼駅到着が1212ですから少なくとも1時間のロスです、熊野市駅から桜井への最終が1827ですから、後5時間で約45キロ、輪行支度と買い物を含めてもまんざら無理な時間でもないのですが。
 三木浦漁港とリアス式海岸の深い入り江の風景に思わず足が止まります。
 賀田を過ぎて曽根トンネル(1,106m)と梶賀トンネル(1,370m)を抜けます、R311で最後に繋がった区間で、熊野古道の曽根次郎坂太郎坂にあたります。30数年前には車道はなくR42の矢の川(やのこ)越まで迂回しなければならないので、賀田駅から二木島駅へ1駅だけキャンプ装備を引きずって輪行した苦い想い出が。1511に尾鷲市と熊野市の境界を越えます。
 須野あたりでは植生に阻まれますが、神須ノ鼻の険しい海岸風景を時折望む事ができます(写真左)、1528には周辺では最も知られた観光スポットになる楯ヶ崎に到着(写真右)。
  今日一番の目的だった熊野市甫母に到着、R311に残る狭隘区間は相変わらずです、恐らくこの区間での拡幅はせずに、背後をトンネルで抜けるか湾に橋を架けて甫母を集落を迂回するかと。「自撮り」の準備をしてきているのですが、誤算はこの時間になると港を挟んだ漁村の家並みが陰になってしまっています。2004年は尾鷲泊で早朝に走り出していましたから。
 三脚とタイマー、せっかく準備してきていますので周辺の何ヵ所で「自撮り」にトライします。
 今回はヒップバッグにどうにか入るSLIKの三脚を持ってきましたが、風が強いと些か心許ないです。
 二木島湾を巡り、楯ヶ崎を反対側から望む処まできました。夕刻が迫ってきますが、とにかく二木島駅までは走らなくてはいけません。
 二木島駅への分岐を見落として二木島トンネルへの登りに入ってしまったのですが、まだ時間に余裕があるので、次の新鹿駅まで進む事に、2014年に供用された遊木(ゆき)トンネル(717m)を抜け、海水浴場のある新鹿の砂浜の見える処までやってきました。なおこの区間の紀勢本線の駅はいずれもR311から離れていたり、駅への道が判り難いので輪行する場合は注意が必要です。
 1725 新鹿駅に到着、まだ1時間の余裕がありますが、陽が落ちると途端に肌寒くなってきてこれから一山越えて次の駅まで行く気も、それに次の波田須駅は確か自販機もなかった停留場の様な駅なんです。新鹿駅で温かい缶コーヒーでも飲みながらのんびりと輪行支度を整える事にします。
 1838発多気行きに乗車、「18きっぷ」だけでは伊賀上野までしか帰れませんので、1,160円払って松阪から近鉄で桜井に帰ります、所要時間は4時間29分。しかし12日の「WAKAYAMA800 有田から日高へ」に続いてのとんだ忘れ物に些か慌てました、16年ぶりと云っても南紀の帰りに車窓から見ていたのですが次走るのは何時でしょうかね。本日の走行48.3キロ、往復の輪行に11時間、滞在時間6時間半、実際走っていた時間は約3時間とは。

 不便な処ですが車も少なく風光明媚な土地、サイクリングには最高のフィールドですが、尾鷲市街を出ると熊野市街まで55キロ程の行程、古道歩きの人を見かける様になったとは云え、コンビニの類は皆無、商店も見かけますがあまり当てにはできません、食堂も海水浴シーズンを除けば期待できないかと、行かれる際は準備を怠りなく、って人の事は云えませんね。


デモンタ輪行 熊野へ行ってきます。

尾鷲市梶賀町~熊野市甫母町にて(2004年5月12日)

 紀伊半島の道はほぼ走り尽くしていると云っても、長い間走っていない道が幾つもあります。例えば海岸沿いに紀伊半島を巡るR42では三重県の尾鷲市~熊野市間や和歌山県の旧日置川町(現白浜町)~上富田町間はもう10年以上走っていません。尾鷲市と熊野市の間は熊野古道の時代からの難所で、R42は内陸側のいわゆる矢の川(やのこ)越えを、R311が海岸沿いを繋いでいるのですが、全通したのは平成になっての2000年(平成12年)、紀勢本線ですら繋がったのは1959年(昭和34年)7月でした、小学校2年から阪和線沿線で育った私は天王寺駅のコンコースに紀勢本線全通10周年の横断幕が掲げてあったのを子供心に記憶しています。
 最近では紀勢本線の大曽根浦駅(尾鷲市)以東は2015年1月に、大泊駅(熊野市)以西は2015年2月に走っていますが、この間の部分は2004年4月まで遡る事になります。なお2009年5月に旧道の矢の川峠を越えた事があります。(写真 : R311の狭隘区間 熊野市甫母町にて)
 前置きが長くなりましたが、今回はそのR311の尾鷲市と熊野市を跨ぐ区間を走る事にします、ただ奈良からでもアクセスの悪い地域で「18きっぷ」では始発に乗っても尾鷲に着くのはお昼前になります。仮に松阪まで近鉄を利用しても変わらず、紀勢本線の特急「ワイドビュー南紀」を利用しても尾鷲1045着が精一杯です。残念ながら日帰りでは走れる距離は限られてしまいます、特急料金まで出すなら1泊2日で行きたいですよね。
 帰りは「18きっぷ」だけで帰ろうとすると熊野市1605発になってしまいますので、松阪から近鉄を利用する事にします。
【往路】桜井0543→0616奈良0638→0653加茂0655→0816亀山0823→0935多気0943→1212九鬼 4,070円分乗車
【復路】熊野市1827→2054多気2104→2114松阪2142→2151伊勢中川2156→2238名張2240→2307桜井 2,310円分乗車+近鉄1,160円

 あと尾鷲から走り出すと標高差300m以上の旧R311県道778号中井浦九鬼線または八鬼山トンネル(2,364m/歩道なし)を経由しなくてはならないので今回は九鬼駅か三木里駅から走り出す事にします。九鬼スタートで45キロと云う処でしょうか。


忘れ物


 まぁブログネタにする様な事でもないのですが…
 一昨日の和歌山行きの帰途、和歌山で五条行き快速に乗り換えますが、粉河を過ぎた辺りで先の紀勢本線の車内にカメラを忘れてきた事に気が付きます、カメラケースをウェストポーチのベルトに通してあったのですが、どうも外した際に抜け落ちていた様です。和歌山へ引き返す事も考えてみましたが、届いているかどうかも判りませんし、どうこうしていると桜井へ帰れなくなってしまいます。一昨年11月にヤフオクで落とし安価なコンデジ(Lumix DMC-TZ85)ですが、折角撮った写真が惜しいのが。
 とにかく桜井駅を下車した際に問い合わせる事にしますが、スマホで「JR西日本 忘れもの」でググると電話以外にチャットでの問い合わせサービスがある事を知ります、それなら車中での問い合わせができると、早速繋いでみます。忘れ物をした列車や駅、忘れ物の内容や特徴を入力して行きます。結果その時点での届け出はなかったのですが、見つかれば連絡をして貰えるように手続きをしておきます。
 お恥ずかしい話ですがJRの車内に忘れ物をするのはこれが3度目。2013年9月に東北は奥羽本線の車内にモバイルルーターとバッテリーを置き忘れて、この時は大館駅に届いていて宅急便の着払いで送って貰い、2016年1月には山陽本線の東福山で下車した際にマウンテンスミスのランバーバッグ(ヒップバッグ)を網棚に置き忘れてしまいました、この時は輪行支度を解いていた時に気がついて、駅から車掌さんに連絡して貰い、糸崎駅預かりとなり、尾道泊だったので夕方に糸崎まで取りに行きました。
 翌朝にも連絡はなかったので、これはダメかもと思っていたのですが、お昼になって和歌山駅から連絡があり無事に届いているとの事。和歌山駅に取りに行くか着払いで送って貰うかと云う事なのですが、ダメ元で桜井駅へ回送して貰えるか尋ねてみたのですが、さすがにこれは無理な様で。実は糸崎駅の時は尾道駅(隣駅)へは回送は可能だったので。
 と云う事で翌朝無事に件のコンデジは馴染みのクロネコさんで私の元に戻ってきました、送料930円也。しかし歳のせいかうっかりが多くなりました。


WAKAYAMA800 有田から日高へ

和歌山県日高郡日高町比井にて 阿尾冨士を望む

 今シーズンは早々に50ポイントパーフェクトは諦めた「WAKAYAMA800 モバイルスタンプラリー」ですが、30ポイント賞とリピーターポイントだけは押さえておこうと、「青春18きっぷ」で和歌山県は有田へ向かう事にしました。機材は先日から手を入れていたデモンタで、箕島駅から海岸沿いに通称「キララときめきロード」を御坊まで南下するプランです。
 桜井0552発、高田、五条、和歌山乗換えの和歌山線~紀勢本線経由で箕島着0838ですが、和歌山駅での乗換時間が2分、階段または地下道がある上にホームに乗換の自動改札機があって、勝手が判らないとかなり厳しいです、天王寺から阪和線経由でも到着時間は変わらなくて乗り換えに余裕があるのですが、時節柄混雑するターミナルや路線は避けたいものでして。無事に紀伊田辺行きに、輪行袋を置くスペースのある車両へ乗り込みますが、なんと平日にも拘わらず4台もの先客が、学生さんの様ですね。まあ箕島まではすぐですので立って行く事にします。
 箕島駅をスタート、まずはお昼の弁当を調達しに近くのスーパーオークワに立ち寄ります。有田川を渡り「有田みかん海道」に入ります。昨年も2月に走ったのですが、有田川河口に突き出た半島をぐるっと回ります、北西側から南側へと紀伊水道の眺望が素晴らしいのですが、標高で150m程登らなければなりません。
 北西側の展望、紀淡海峡から淡路島が望めます(写真左)。標高を稼ぎながら南側に回りこむと湯浅湾を挟んでこれから向かう白崎海岸の先端やうっすらと四国を望む事ができます(写真右)。
 みかん畑の中の急坂を下り県道20号有田湯浅線に入ります。ただ向かい風が些か強くなってきました、このコースを湯浅から南向きに走るのはほぼ初めて、やはり御坊スタートが楽だったかなと少々後悔、線路沿いに県道をショートカットする手もなくはないのですが、せっかくですので海を見ながら頑張る事にします。湯浅の街中を過ぎると「キララときめきロード」は県道23号御坊湯浅線となり、湯浅湾を巡る様に「テスティモーネ アリダ」「湯浅うまいもん蔵」「広川町立ふれあい館」とボイントをこなして由良町へ向かいます。
 広川町「稲むらの火の館」から変わって今シーズンからポイントになった「広川町立ふれあい館」、広川ビーチ駅に隣接しています。
 由良町域に入ると白崎海岸までリアス式海岸の地形が続き、県道はアップダウンを繰り返します。以前は衣奈(えな)漁港で県道23号から県道24号御坊由良線が分かれていたのですが、現在は衣奈(えな)トンネル近くまで登るルートに変わっています。通行止とかが続いていたのですが、以前のルートが通れましたので、山越えで衣奈へ越えます(写真)。この区間も現在トンネル工事が行われていました。
 衣奈から県道23号に入り海沿いの4つのトンネルと橋を経て道の駅「白崎海洋公園」へ下る手前、白崎海岸の案内板を傍に休憩場所が、地元の方の手作りのものの様です、湯浅湾に浮かぶ島々の眺めが素晴らしいのでお借りしてお昼にする事に。眺めが良いとオークワで買った198円也の弁当も価値があると云うものです。
 道の駅「白崎海洋公園」は2018年9月の台風被害で1年程閉鎖されていたのですが、現在はほぼ復旧しています、ただキャンプ施設はまだの様ですね。

 かつて軍港であった由良港を巡ります、現在は海上自衛隊由良基地があります、運が良ければ潜水艦が見られるかも。柏漁港の手前から日高町となり、小浦峠の手前まで未改良の鄙びた道が続きます。写真は方杭(かたくい)にて。
 由良町の「平佐館」日高町の「温泉館’海の里’みちしおの湯」で30ポイント達成です。
 小浦峠を越えると通称阿尾冨士を望む事ができます。かつて原発誘致に揺れた土地です。
 小浦、比井、産湯、阿尾と緩やかな海岸沿いを行きます。今回は南行きで走ってみましたが、このコースやはり北行きが正解かと、写真も何枚か自転車を海側に置いて反対向きに撮ってます。但し「有田みかん海道」は逆向きは厳しいかと。
 緩やかな峠を越えると美浜町、1523には三尾へ、移民が多かったのでアメリカ村と呼ばれているのですが、アメリカではなくカナダへの移民なのですがね。ポイントにもなっている「日の岬」まで往復する時間もあるのですが予定の30ポイントは達成したのと、距離の割には少々疲れ気味なのでここで帰途に就く事に、ここからは御坊駅が最寄りなのですが、一駅和歌山駅よりの紀伊内原駅まで走る事にします、御坊駅では普通列車は階段を渡ったホームになり、紀伊内原駅は下り列車は確実に手前のホームになります、駅前にコンビニもありますしね。ちなみ紀伊半島を巡る紀勢本線は三重県の亀山駅が起点で和歌山市駅が終点となります。
 次の下り列車まで約30分、現場でのデモンタの輪行仕度はまだ二度目なんで、落ち着いてぼちぼちやります。正直云ってロードの方が楽です、軽いしね。ただ拘りのマッドガード付きであると云う点ではヘッド抜きに分割式マッドガード仕様と比べるとはるかに楽で早いです。
 1635 和歌山行きに乗車、いつになく帰途に就いたのが早かったので普通列車の乗り継ぎでも21時過ぎには帰宅できます。走行72.3キロ、先月も伊賀上野まで71.8キロ走っていますが、このデモンタで100キロ超はちょっと厳しいかな。asuka号なんかに比べると650A×38の低圧のタイヤって事もあるし、あと気になるのはQファクターの違い、以前フロントダブルの9さんのasukaロードを借りて、午後から走れなくなった事があったっけ、次回は延陽伯号にしているSPDシューズを履いて見ようかと。そんな事を考えながら和歌山で乗り換え、実はこの時、とんでもない忘れ物をしてしまったのです。


デモンタあれやこれや②

藤原宮跡にて

 今年の春の「18きっぷ」のシーズンはデモンタ転がして輪行三昧のつもりだったのですが、コロナウィルス騒ぎで「18きっぷ」の旅も憚られる有様。
 先月2日に伊賀上野の帰りにデモンタでの初輪行もしたのですが、デモンタならではの前後輪の連結とか慣れるまではなかなか大変です。ご覧の様にサドルバッグはハンドルと干渉する為に取り外しは簡単なものの方がと色々と物色していたのですが、よくよく考えるといわゆるフレームバッグを付けてサドルには輪行袋をぶら下げれば良いのではとの結論に。
 これは30年は前でしょうか、CYCLESMITHのフレームバッグ、殆ど使わずに死蔵していました、樹脂製のバックルとかが劣化して使えなくなっています。CYCLESMITHはヒップバッグの元祖として知られるMOUNTAINSUMITHの別ブランドで、当時はリュックにもなるサイドバッグなどユニークな製品を出していました。今で云う処のバイクパッキングのルーツだったのかも知れません。
 実はフレームバッグって前三角部分を塞いでしまう様な大きなものも結構ある様ですが、ボトルケージ等が使えなくなってしまいますし、実際に使っている人を見た事がありません、それにシルエットがどうもね。ここでは工具類とスペアチューブに鍵が入れば充分ですので。たまたまみつけたのがこれ、なんと399円、ものは試しで買ってみました。チューブが3本入る程度の容量、脚への干渉はあまり気にならならないのですが、マジックテープの端が鬱陶しいです、オーバーサイズのフレームを考慮した長さなんでしょうが、そこは少しカットしてやれば良いかと。
 ボロボロになってもう使わなくなったポンチョの収納袋、少々うす汚れてますが、お誂えむきにベルトが2本で、これならサドルループにぶら下げられます、おまけに反射テープまで。

 元々はチャンネル材を加工した様な連結金具が付いてきたのですが、かなり歪んできています、シャフト側が穴になっていないのが、ナニ銀リンカーでも買うかと思っていたら、K氏から作った残りがあるからと頂ける事に。
 なんと届いたのは立派な接続金具、工場などでエアーホースなどを繋ぐカプラを加工したものです。
 オスメスをそれぞれ前後輪の右側になる様にクイックシャフトのネジと入れ替えて取り付け写真の様に連結します。バックはできないものの転がし輪行が可能になります。またこのタイプだとクイックレリーズを緩めずに連結する事ができます。しかしデモンタ乗りの皆さんはこの他にも色々と工夫されている様でして、そこがまた愉しいのですが。