今月の実績
アルコールは ‘0’ じゃなかった ‘ちゃんこ鍋’ 食べながら缶ビール1本だけ。
走行距離834.2キロ、1000キロ/月ってなかなか走れないものです。
毎年恒例の「cancan謹製豪華絢爛小型卓上カレンダー」、一昨日からぼちぼちと制作に入ってます、来年は2年ぶりに12枚ものにしようかと考えてはいるのですが...
例年通り、今年1年の間に自転車でご一緒して頂いた方にお配りさせて頂きます。
2006年版
昨夜急遽U兄と走りに行く話がまとまり、かねてから紅葉の頃に訪れたかった伊勢の剣峠へ行ってきました。
度会(わたらい)町の宮リバーパークに車をデポし、伊勢市横輪から床木峠へ越え五ヶ所浦へ下り、剣峠を越えて内宮へ戻り、宮川河岸を走って度会町に戻る周回コース。
←剣峠にて、立派な峠のモニュメントがあります。
「剣峠」は伊勢市と五ヶ所浦(現南伊勢町)を結ぶ三重県道<12>伊勢南勢線にある峠で、「藤阪峠」とともに峠から海が見えるのと雰囲気の良い道が続くので昔からサイクリストには人気のある峠です。
天気の方はもう少し晴れ間があるかと期待したのですが、降られこそしなかったものの一日どんよりと曇ったまま、まぁ幸にも剣峠から海を望む事はできましたが。
「剣峠」そのものは標高400mに満たない峠なのですが、峠を越えた辺りでは紅葉にはまだ早かったのか、まだ色付いていないモミジも残っています、でも車の少ない雰囲気の良い道が続きます。 五ヶ所浦へはサニーロードや磯部からの県道とか他のルートが今では随分良くなったので、今ではこの道を通う車は本当に少ないです。
旧道?
僅かの距離ですが切り通しでショートカットされた県道の外側に旧道が取り残されていて路面も落葉に埋もれています。
←こう云った風景にはお尻丸出しのロードよりガード付きが似合います(^_^) でも輪行が大変なのでなかなかガード付きでの出番が...
県道は伊勢神宮内宮そばの駐車場に抜けます、そのまま真っ直ぐ行くと国道23号線となるのですが、観光客で混雑する「おかげ横町」を押して「赤福本店」を横目に角を曲がって五十鈴川を渡り、四郷村道路元標、二軒茶屋餅、小俣町道路元標、へんば餅と廻り、かなり迷走しましたが宮川左岸を走ってデポ地の度会町に戻ってきました。
桜井から高見越の国道166号線経由で往復それぞれ2時間程で移動できました。
道路元標は後2基で100基達成、本日の走行88.4キロ、後160キロ少し走れば今月1000キロ達成なのですが...
四郷村は昭和30年に伊勢市の前身の宇治山田市に近隣3村とともに編入され、同日宇治山田市は伊勢市と改称しほぼ現在の姿となった。
元標は三重県道<37>松阪鳥羽線沿いの伊勢市立四郷小学校前に建っている。
小俣町は昭和3年に町制、平成17年に二見町、御薗村とともに伊勢市と合併しました。
元標は旧参宮街道沿いの小俣小学校西側に建っています。
頼んでおいた本が届いた、表題の通りの兵庫県下の道路元標を著者が10年の歳月をかけて探索した資料である。 道路元標が設置されたであろう400余りの行政区を巡り217基の現存を確認し写真に収めている。 奈良版とも云える「道路元標を尋ねて -奈良県ふるさとめぐり-」(上田倖弘著 弘道社)に比べると読ませる部分や周辺の写真や地図がなく、単に情報の羅列と云う感じもなくはないが、元標の存否を知る事ができるだけでも貴重な資料である。 A5版160頁、頒価\2,200_
今日は和歌山市にある’県立文書館’へ和歌山県の道路元標に関する資料(県報)を閲覧複写しに行く事を目標に、竹内峠を越え石川サイクリングロードを南下、国道170号線の旧道を縫いながら和歌山へ向かおうと画策してみたのですが... 日頃走り馴れていない道なので河内長野で道に迷ったり、アップダウンを繰り返す国道170号線になかなか距離が稼げない。
ところで現状大阪府下で大正の道路法に拠る内務省令に従った道路元標の現存が確認できたのは’岸和田市’の1基だけで、確かに本にまでなっている奈良県や兵庫県を除けばネット上で好事家と云うかマニアによる情報に頼るしかないのですが、現時点で私の知る限り大阪府×1、和歌山県×3、岐阜県×4、滋賀県×7、三重県×11、福井県に至ってはゼロとはあまりにも差が大きすぎます、これは単に探した人がいないだけなのか、大正道路法が有名無実化してしまった以降は府県単位で積極的に撤去されてしまったのかと思ってしまいます。 国道170号線沿いにも多くの町村が存在したので一応は目星をつけて走っていたのですが。
現在の岸和田市の郊外にあった’東葛城村’はなかなか残ってそうなロケーションなので旧役場跡と思われる付近を探索してみたのだが見つからず、やはり大阪府には無いのかなぁと国道170号線旧道を流していてフト左側を見たら、ありました‘熊取村道路元標’、中央小学校の南向かい’町立勤労青少年ホーム’の北東側、文具店の駐車場に隠れてしまう位置で、写真を撮っていたら暫くして車が入ってきて、通るのが10分遅かったら見逃していたかも。 しかし目星をつけたものが見つからずに殆ど偶然に見つかるのですから’道路元標発掘’も大変ですわ(^_^;)
時間が押してきたので国道26号線も走りましたが、昔の事を思うとバイパスや阪和道の開通で自転車にも随分走り易くなった処もある様です、少々退屈してきたので旧街道にまわったら早速’丸ポスト’を見つけました。
←泉南市信達牧野にて
流石にロンさんは履修済みでした。
淡輪付近まできて、念のために開館時間を確認しようと「和歌山県立文書館」に電話したらなんと月曜は休みでした。 で<751>木之本岬線を走破がてら猿坂峠を越えてから紀の川北岸を岩出市へ突っ走り、所在地を示す資料が曖昧でてこずってしまいすっかり暗くなってしまいましたが‘岩出町道路元標’をゲット、岩出駅から輪行で帰途に就きました。 本日の走行123.2キロ
↑猿坂峠から和歌山市街を見下ろす、なかなかの展望ですが改良された南側の斜度はは相当なものです。
今日は恒例?の東海3県持ち回り胃袋破壊ツアー「うなぎの新玉亭」オフに参加してきました。 参加11名が集合場所の名阪関ドライブインに集合しますが、予報に反して天気は...回復を待って出発します。 関から津まで雨上がりの旧街道を行きます、残念ながら青空は続いてくれませんでした。
今日はakuta氏の主催と云う事でT御大と相談してガード付きで出掛ける事に、お陰で野良仕事用の軽トラで名阪国道を突っ走る事に、でも案の定11台中6台がガード付き、予想外の濡れた路面にも快適に走る事ができました。 これが津にある「うなぎの新玉亭」の特上大盛り鰻丼です。 4人が果敢に挑戦しますが、完食は1名だけでした。 なお注文時に「残す場合は’折り’を用意しますので、お持ち帰り頂きますと」と念を押されます、もちろん’折り’は別料金です。
ちなみに私はきっとT御大の援護射撃をせなアカンやろと’特上並盛り’を頼みましたが、案の定’大盛り’完食を諦めたT御大のを横取りしたので’中盛り’程度は頂きましたよ(^_^) 地元では知られた昔からのお店なので’うなぎ’の方のお味はなかなかのものです、肝吸いも美味しかったし、ただ’ご飯’が今一つなんですネ。 今回始めてご一緒する京都の女性サイクリストのTOEIランドナー、ブルホーンバーに換装されていますが、個人的には犬印のバッグとダイナモレバーに注目。
帰路に少々向かい風の吹き降りと悲惨な状況もありましたが、びしょぬれまでにはなる事もなく、無事に関に帰りつきました。 走行約45キロ。
折角ここまできたのできっちり’関町道路元標’をゲットしに往復してきましたよ(^_^;)
既にうちのHPの「輪」→「ツーリングの記録」に写真をアップしています。
明日は「胃袋破壊ツアーうなぎの新玉亭オフ」だけど、帰ってから少し摘まめる様に練りモンを少し仕込んでおこうかな...
dendenさん処に負けずにウチも「おでん」するべ? まずはスジから。
去年は10月30日だった(^_^)
芦田村は昭和30年に近隣4町村と合併し青垣町となり、平成16年に丹波市となった。
元標は県道からは川をはさんで離れた芦田小学校正門脇にある、旧道脇にも思えないし保存のつもりで移設した様にも思えないが。 また他の氷上郡の道路元標5基は省令に従った形状だが、ここ芦田村と船城村道路元標は形状が異なり、材質も異なる様に思える。