「静岡県」カテゴリーアーカイブ

伊那路ツーリング 2日目

県道1号飯田富山佐久間線 泰阜村明島にて

 今日は長野、愛知、静岡3県に跨がる県道1号飯田富山佐久間線を走ります。長野県飯田市下久堅知久平(R256交点)を起点とし、下伊那郡泰阜村、阿南町、天龍村、愛知県北設楽郡豊根村(旧富山村)を経て静岡県浜松市天竜区佐久間町川上(静岡県道9号天竜東栄線交点)へ至る地方主要道で、飯田富山佐久間線としては1971年に長野県が、1972年に愛知県と静岡県で県道として認定され、1973年に3県での路線番号が「1号」として統一されました。3県に跨がる都府県道は決して珍しくないのですが(4県すら存在)、それが天竜川の険しい谷あいを縫って走る正に「険道」と云う路線が「1号」だと云う点がユニークで、道路マニアなら一度は訪れてみたい路線です。なぜ「1号」になったのかが良く判らないのですが、3県で統一しようとした時に「1」が共通の空番だった、そもそも国道1号が通る都県では混同を避ける為に県道1号を空番にしていたと云う説がある様な無い様な。そのあたりは3県の県告示を遡ってみると判るかも、道路元標と違って戦後の話ですからね。
 さて実際の道路状況ですが、天竜川沿いと云っても天竜峡から温田(阿南町)にかけては川べりの道路はなく東側の泰阜村へ迂回する形で標高で300m程登らなくてはなりません、それもアップダウンが多くて獲得標高だとその倍以上に。愛知県へ入り旧富山村の中心部を過ぎると佐久間ダムまで幅員も小さくなる様で、崩落などにより復旧にまで何年もかかる通行止が度々起きていて、全線を通して走る事のできる機会もそう多くはないかも知れません、なお3県を跨いでの路線延長は約92キロ(重複区間を含む)。

 6時半には飯田市街の宿を出発、この先県道1号沿い処か浜松市までコンビニの類いは皆無ですので、お昼の分程度までは市街で調達しておきます。R256を走り水神橋で天竜川を渡り少し登って県道1号への分岐へ。
 県道1号に入るなり川近くまで下りと、無駄なアップダウンに先が思いやられます。昨日同様朝一の登りはどうも堪える様になりました、やはり歳ですね。しかし奈良を出発した一昨日の予報に反して天気は思わしくありません、長野県南部から静岡県にかけて夕方まで持ってくれるのか、微妙な按配です。

 泰阜大橋、飯田市と泰阜(やすおか)村との境界(写真左)。県道64号天竜公園阿智線への分岐(写真右)。

 泰阜村明島、ここが今日のピークかと思ったら、もう一度登り返しが、諏訪神社のあるここ(写真右 718m)が少し高い様で。

 県道63号下条米川飯田線への分岐、県道1号より泰阜村役場を通る県道63号の方が幅員があります。「お山の停留所」で小休止、でも時刻表とかがありません。
 
 泰阜村明島からの展望(写真左)。一度登り返しがあって泰阜村田本、飯田線の秘境駅田本への道、文字が消えかかった案内板がありますが、たまたま停まらなかったら気が付きません、wikiによると徒歩で20分掛かるとか(写真右)。

 ようやく天竜川近くまで下ってきました、南宮大橋で右岸に渡ると阿南町、再び左岸に渡り天龍村となります。

 平岡ダムでは咲き始めた桜が… 1121 平岡駅へ、天龍村の中心地で遠山郷への玄関口となるなので結構賑わっています、駅そのものは民間委託駅ですが、駅舎が温泉や宿泊施設になっていて食堂が開いていたので、ここでお昼にします。
 1239 愛知県に、北設楽郡豊根村に入りますが、2005年11月まで「離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村」として知られた富山(とみやま)村でした。

 県道426号津具大嵐停車場線への分岐へ、橋で天竜川(佐久間ダム湖)を渡ると静岡県浜松市天竜区です。

 1259 JR飯田線大嵐(おおぞれ)駅へ、立派な駅舎は1997年に東京駅をモデルに改築された豊根村の施設、旧富山村の最寄り駅で列車の時刻に合わせてバスがやってきます、ただ駅のまわりには何もありません。
 さて県道1号を完走するどころか中部天竜駅まで行くにも微妙な時間になってきました。飯田線はここから佐久間ダム建設で付け替えられた区間で天竜川や県道1号と離れトンネルで水窪側に抜けてしまいますので、中部天竜駅までの30キロ近くを否が応でも走らなくてはなりません、桜井まで帰る事のできる最終(18きっぷと近鉄利用)は 1626発、 結構アップダウンのあるコースで輪行支度を考えると微妙と云えば微妙な時間です。休みがもう1日あるので後1泊して伊良湖まで走り伊勢湾フェリーと近鉄で帰るプランを考えてみたのですが、思った以上に距離があるのとお天気と豊橋前後の市街地走行がね。

 佐久間ダムに近づくにつれてトンネルが増えてきます、富山を過ぎてからダムまで12本、最長は600m近くありますし、砕石場を過ぎるとダンプも頻繁にやってきます。写真は滝原トンネル(123m)。

 1447 ようやく佐久間ダムに到着、天端道路を渡ると静岡県です。中部天竜駅までなら数キロ下るだけ、せっかくですので少し見学していても良かったのですが、ここまでハイペースできたので気が急いてしまってさっさと下ってしまいました。
 1502 R473との三叉路へ、桜並木が満開です。この先県道1号はR473と静岡県道294号との重複区間を経て、飯田線で6駅先の東栄駅近くまで12キロ程あるのですが、何やら雲行きが怪しくなってきました、厳密には完走ではありませんが県道1号走破の目的はほぼ果たせたので残りの重複区間は宿題にして中部天竜駅に向かう事にします。


 1507 中部天竜駅に到着、1626発の豊橋行きまで待ち時間1時間20分もあるではないですか、ロードなら1本前の1526発に乗れそうですが、マッドガード付きのヘッド抜き輪行ではそうも行きません。こんな事なら佐久間ダムでゆっくりしておくのだったと思いながら、輪行支度を始めたら案の定ぱらぱら雨が降り出してきました、まぁ時間を気にしながら輪行支度をするより結果良しと云う事で。本日の走行87.8キロ。
 ところで以前中部天竜にあった「佐久間レールパーク」(関連記事)は「リニア鉄道館」への展示車両の移転を機に2009年11月に閉館してしまいました。 
 中部天竜1626→1824豊橋1831→1928名古屋とJRを2,640円分乗車、京都回りすると安く帰れなくもないのですが、日付が変わってしまうので名古屋から近鉄に、近鉄名古屋1949→2108伊勢中川2115→桜井2225、無事に桜井に帰投しました。

 1日目 2日目


四国はやめて信州にします

 暫く連休がとれなかったのですが、27日明けから3連休が取れる事が確実になったので、和歌山港まで紀の川沿いを自走しフェリーで徳島に渡って久しぶりに四国を走ろうかと企んでいたのですが…
 なんと南海フェリー(左の写真は2018年3月)、原油高騰のあおりを食って、自転車を輪行袋に入れずにそのまま載せる場合は燃油調整金1,100円が加算されて、4,000円もかかる事に(さらに4/1からは4,200円だとか)、平常時は合計で3,000円未満だったのが… もちろん輪行袋に入れれば2,200円で乗れるのですが、ロードや小径車ならともかくキャンピングではね。海運業界も大変には違いないのでしょうが、自転車に対して燃油調整金の上乗せは、各社取ったり取らなかったりとまちまち、しかし南海フェリーの設定ははちょっと酷すぎ、暫く徳島は遠いです。しかし四国行きは2019年3月2020年10月2021年2月に続いて4回連続で中止と云う事に。
 キャンプなら往路自走で紀伊半島縦断で南紀も考えてみたのですが、一度ケチが付くと気分的に準備が億劫になってきました。今シーズンの「18きっぷ」の旅は諦めていて、いまからヤフオクで落としている日にちもなかったのですが、たまたま25日に大阪へ出た折に金券ショップで残3回分を8,000円でゲット、キャンプではなく宿利用で往復輪行で信州へ向かう事に。1回分余っても日帰りで使うなり売るなりすれば良い事、ちなみに残2回分って6,900円とかなり割高でした。
 さて走るプランだけは引き出しに一杯あります、今回は松本または塩尻スタートで旧塩尻峠を越えて未収の道路元標を拾いながら伊那路を飯田まで南下(青線)、2日目は伊勢神峠を越えて最近現存が確認された愛知県東加茂郡の阿摺村道路元標を経て名鉄猿投駅まで走る案と(緑線)、飯田から長野愛知静岡三県を跨ぐ県道1号飯田富山佐久間線を飯田線東栄駅まで走る案(茶線)を用意しました。お天気には恵まれそうですがただ何れも100キロ超ルートなのは…
 最近は紙の地形図を持つ事もないのですが、2001年9月に秋葉街道を走った時の五万図「時又」「満島」「佐久間」がすんなり出てきたので持って出掛ける事にしました。


ランドナー補完計画 御前崎オフ

静岡県御前崎市 御前崎灯台

 まだ暗い6時前に掛川駅近くのビジホを出発、参加者が宿泊している御前崎の民宿「聖火」に向います、約30キロの道のりです。途中、携行食の補給を兼ねてイートインコーナーのあるコンビニを探してコーヒーブレイク。土地勘がないのに行き当たりばったりのコース選択がまずかったのか、思いの他アップダウンが多いなとか、原発立地で道だけは良いなぁとかぼやきながら8時には海岸線へ。
 今日は9時過ぎに出発と云う事で多少の余裕がありますので先に御前崎灯台を見上げるポイントへ、「自撮り」の準備をしてきていますのでトライしますが、風が強くて怖くて三脚を立てる事ができません、ストーンバッグも持ってきているのですが、あまりに風が強過ぎてガードレールの影に立てるのが精一杯です。しかしなかなかのロケーションです、今回はロケハンと諦めて是非とも再訪したいものです。
 9時少し前に「聖火」到着すると、これから記念撮影と云う処、挨拶もまだですが先に写真に混ぜて貰う事に。(大きな画像はアルバム「ツーリングの記録」へ、要認証)

 唯一本日のみの参加者と云う事でして、皆さんへの挨拶と自己紹介を済ませて、さて出発なんですが先程通った御前崎灯台へ行くとの事、ただ標高40m程の高さに建つ灯台の元まで激坂を登ります。そしてここでも記念撮影を、私も撮らせて頂いたのですが、丁度流れる雲の影になってしまい、出来が悪いのでGAMIさんから写真を拝借しました。
 先程登ってきた激坂なんですが、ここがなかなかの撮影ポイントなんですね。判っていたら登りで待ち構えるんだったのに、でも後ろ姿の下りは爽快感があっていいかも。
 今日は御前崎を後にして駿河湾側を北上してから大井川沿いを集合場所の新金谷駅に戻る40キロ程のコースを走ります。御前崎を出て牧之原市地頭方付近までは、少々車の多い区間も走りますますが、地頭方のセブンイレブンで休憩の後、太平洋自転車道(静岡御前崎自転車道線)に入ります経由。太平洋自転車道は1973年に提唱された、房総から太平洋岸を南紀まで、全長1.200キロに及ぶ自転車道を整備しようと云う計画だったのですが、46年たった今も完成には至っていません。千葉県、静岡県、愛知県、三重県、和歌山県下で断片的に供用されてはいますが、中にはほったらかしになっていて自転車の走行が困難だったり、廃道状態の処もあります。
 この静岡県道375号静岡御前崎自転車道線は1970年に廃止された静岡鉄道駿遠線跡を活用していて、一般の利用者も多く維持管理が行き届いている様です。昨日の参加者が走った浜松御前崎自転車線は砂浜の砂が自転車道に吹き込んでいて難渋した様です。同様の事を加賀海浜自転車道(金沢小松自転車道線)で経験した事がありますが、強引に突っ込んだら思いの外砂が深くて危うく転倒する処でした。
 例によってがっつり走らないランドナー系のサイクリングイベントですから休憩タイムを充分に、遠来の参加者が多いですのでお土産を買うポイントも、写真は立ち寄ったお茶屋さん。

 海岸線にでると駿河湾を挟んで富士山が、日頃見慣れていない関西人にはなかなか感動の光景です。
 お昼は静波海岸でケータリングサービスの豪華なお弁当が準備されています。でも折角のロケーションにもかかわらず、何故かみなさんサポートカーの陰で車座になって弁当を拡げているのです。事情を知らず海岸に陣取った私は風に運ばれてくる砂のふりかけの洗礼を受ける事に、そう云う事なんですね。
 富士見橋で大井川を渡り左岸の河川敷に入ります。これも自転車道かなと思いきや、大井川リバティマラソンコースという延長10数キロのコースで、自転車の走行は禁止こそされていないのですが「競技用自転車の練習走行は禁止」との看板があります、すなわちローディがガチで走っては駄目ですとのお達しが、殆んどがランドナーのサイクリングですので競技用自転車でも練習走行でもないのですが、そこはそれ60台近くの自転車が走る訳ですから、何を言われんとも限りませんので、そこは主催者のくりくりさんの用意周到な処で、島田市の市長印のある使用許可証をとって参加者にコース図と一緒に配付されているのです。
 その大井川リバティですが、車が来ないのは勿論ですが、見通しが良くて市民を対象にしたマラソンコースですので幅員があって、走行中の写真を撮るにはお誂え向き、また新幹線と交差する付近での休憩タイムでは、全ての自転車を並べての品評会?撮影会?何れにせよ、これだけのランドナーが集うのはなかなか壮観です。ただ大井川の流れが真東になるにつれて向かい風が強烈に、なかなか前に進みません、盆地の奈良ではなかなか体験できない強風に一気に消耗してしまいました。
 世界一長い木造歩道橋(全長897.4m、幅2.4m)として有名な蓬莱橋までやってきました、ちなみに木津川流れ橋は356.5mですから2倍以上の長さです。この後、集合場所の新金谷駅まで戻るのですが、輪行で帰途に就く参加者の為にJR東海道線島田駅が近いここで一応の解散と云う事になります、くりくりさん他のご挨拶の後、蓬莱橋をバックに最後の記念写真(GAMIさん提供)を撮ってひとまず解散。私はこのまま新金谷駅までご一緒してから金谷駅へ走り輪行のつもりだったのですが、先からの向かい風にすっかりくたびれて戦意喪失、島田駅から帰途に就く事にしました。島田駅1610発浜松行きに乗車、東海道本線と近鉄を乗り継いで21時半には無事に帰投する事ができました。
 今回1日だけとは云え念願の「御前崎オフ」に参加する事ができました、静岡は些か遠いとは云えなかなかお目にかかる機会のない関東の方々、2000年の「ランドナーギャザリング」以来の御仁とか、GAMIさんとは1999年の野麦峠以来かと、他にもネットでは存じ上げていても初めてお逢いする方も何人か。短い時間でしたか愉しく過ごす事ができました。「御前崎オフ」が10何年毎回60名近い参加者を得て続いているのは、主催者のくりくりさん他の気の利いたプランニングと気配りにあるかと思います、次回も時間が許せば馳せ参じたいと思います、次回は1泊2日で。
 集合写真を含む「第15回 ランドナー補完計画 御前崎オフ(2日目のみ)」の写真をうちのHP にアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2018]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’2018’、パスワードは2018年の卓上版「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の数字です。 なお暫くの間は2017年のパスワードも使用可能です、行事参加者でパスワードをご存じでない方には、くりくりさんのブログの方へ専用のパスワードをお知らせしています。なお行事の性格上、お付き合いのない方が映り込んでいる場合もあります、不都合のある場合は連絡を頂ければ、対応させて頂きます。

道路元標蒐集サイクへ(静岡~愛知編1日目)

大井川鉄道にて元南海21000系 

 

 金曜に続いての道路元標蒐集の旅です。 今シーズンは18きっぷを買ってしまったので、1月10日まで使い切ってしまわないといけないので、どうしてもこの期間に集中してしまうのです。 新春に終わりの2回分使う予定をしているので、今回は1泊2日で静岡~愛知方面に向う事にしました。 静岡県は道路元標の現存が殆ど確認されていない都道府県なのですが、大正14年の県の告示があったのかなかったのか、県報への記載が見つかっていない以上は偶然の発見に頼らざる得ないのです。 榛原郡の下川根村道路元標は大井川鉄道の家山駅から徒歩圏内に残っているので、わざわざ自転車を持って行くまでもないのですが、大井川鉄道で往復するにしても、18きっぷで奈良桜井から日帰りは不可能、さすがに1基だけに1泊するのは勿体無いので、JR金谷駅から往復走って、翌日は愛知県東部に取り残している幾つかの道路元標を回ってみようとプランを練ってみました。
 桜井駅出発でも12時過ぎには金屋駅に到着するのですが、陽の短い時期ですしあわ良くば大井川鉄道の写真も撮ってみたいなと思い、未明に奈良駅まで20キロ余りを自走し奈良0503発の関西本線始発に乗車し亀山経由で向う事にしました。 これなら1049に金屋に着く事ができます。
 
 ヘッド抜き輪行と分割式マッドガードの「延陽伯」号、かなりコンパクトにはなるのですが、KHSと違ってそれなりに時間が掛かりますので、余裕を見て3時過ぎに飛び出します、しかし強烈に寒いです。
 ところが2キロ程走った三輪を過ぎた処でヘッドスパナとペダルレンチがセットになったレンチを忘れた事に気が付きます。 ペダルはアーレンキーで代用できますが、「延陽伯」号のヘッドはスパナでないと回りません、これは仕方なく取りに戻るしかありません。 さて15分余り遅れて再スタート、ところが天理辺りまで来て後輪の挙動がおかしいのです、実は10月の「しまなみ~とびしま」の折にもあったのですが、後輪のスポークが緩んできているのです、以来500キロ近く走っていて心配はしていなかったのですが、やはり金曜の四国の様にそれなりの距離を結構なペースで走ると駄目な様です。 ニップル回しは携行してますが、真っ暗な夜道でそうは上手く振れ取りもできないので適当に締めて後ろのカンチを開放にして奈良駅まで残り10キロ程走ります。 そうなると0503発には厳しい時間になってしまいますが、まぁ1本遅れた処でと落ち着いて作業すると間に合うものです、無事に加茂行きに乗り込む事ができました。
 

 加茂で亀山行に乗り継ぎますが、関西線の車中の寒かった事。 名古屋では浜松行きに乗り換えますが、先行の列車が小動物との接触事故があったとかで遅れ始め蒲郡辺りでは25分遅れ、浜松では乗り継ぐ予定の興津行きはなく金谷の2つ手前の掛川行きが、2つ手前と云ってもこの間は牧の原の峠越えなんですよね、間違っても手前から走って行こうなんて。 次の興津行きを待って金谷到着は50分遅れ、それから輪行支度を解いて振れ取りをやりなおしますから、結局スタートできたのは12時を回ってしまいました。
 
 時間は押してますが折角ですから大井川鉄道の新金谷駅に立ち寄ってみます。 1983年頃と思われる「延陽伯」号と旧客がマッチしますね。 レトロな駅舎の前では、なにやら職員の方がバイクラックが組み立てていました、自転車で来られる方も多いのでしょうね。
 
 静岡在住のFBのお友達のAさんから往路は左岸路、復路は右岸路が楽そうとのアドバイスを受けていたのですが、あわよくば大井川鉄道の列車を撮れればと思い線路に沿って右岸を走る事にしました。 その時に撮った写真が最初の踏切での「自撮り」、やってきたのは10~20代を堺で暮らした私には馴染みの深かった元南海高野線の21000系でした。
 
 川沿いとは云うもののそこそこ登り下りのある国道を走って下川根道路元標の保存されている島田市役所支所前へ、目の前はもう家山駅構内です。 頭部が削られたり割れたりかなり埋まっていた様子が伺えますが、静岡県では貴重な道路元標です。
 さて本日の予定はこれで終了と云う事なのですが既に15時、今夜は三河安城駅前の東横インを予約してあるのですが、最近は賑やかになっていたのですが、三河安城駅前は以前には回りに何も無くれ不便なので、FBのお友達で安城市で洋食「国亭」をなさっているUさんのお店へ夕食に伺おうと画策していたのですが。 家山駅発は通常ダイヤでは1515と1731、1515には輪行支度が間に合いませんし、さすがに1731ではお店の営業時間内に間に合いません。 ところが今日はSL列車が運転されていて、その時刻が1542と輪行支度にもぴったりの時間です。 出札口で尋ねてみると輪行袋を担いでいても乗車可能との事、冬休みとは云え歳も押し詰まった平日ですので空いている様です。 但し自転車は有料、SL急行券と併せて1,880円はお安くないです。
 
 火の入っているSLそのものは最近では磐越西線や高崎線で見ていますが、SL列車で輪行なんで何十年ぶりでしょうね、幅が狭くてステップのある旧型客車のデッキは大変です、最後は紀勢本線でしたね牽いているのはDF50でしたが。 260円払った手回り品切符も懐かしいですし、旧客の窓越しに見える近鉄特急は往年の吉野口駅を彷彿とさせます。 乗務員のなっぱ服もSLらしくて。
 
 ところで「国亭」最寄の西岡崎まで3時間弱の輪行をするのですが、今回は後輪を外さない変則的な形に初めてトライしてみました、ヘッド抜きはしていますし24吋ですのでコンパクトで普通のロード用輪行袋に楽々収まってしまいますが、縦に自立はできませんので座れない事が前提になりますね、そのかわり作業はスピーディです。
 
 東海道本線からは安城がやや近いそうですが、夜でも道が判り易そうな西岡崎が向う事にしました、予定の19時半ぴったりに到着。 「国亭」の売りはこのオムライス、上にオムレツが載った状態で出てきます、それをナイフで表面だけ切り裂くと拡がってかぶさり、そこにデミグラスソースがかけます。 なお写真は大盛りです、私の夕食にはオムライスだけでは足らなさそうですので、野菜たっぷりスープを併せてお願いしました。
 
本日の走行奈良までの25.4キロ+34.4キロの都合58.8キロ、18きっぷで5,080円分乗車。
 

【1037】 2015/12/28 静岡県 榛原郡 下川根村(現 島田市)