2月27日の日記

 今日はお天気も良い事ですし、献血に郡山まで走って行く事にしました。まずは西に向かって大和高田へ、葛城川に突き当たった処で飛鳥葛城自転車道へ入り進路を北に。

 飛鳥葛城自転車道、並木の桜が愉しみですね。写真を撮ったりしていると、Rさんからメッセージが、少し時間があるので走りませんかとの事。

 御幸橋で大和川を渡り富雄川沿いの奈良自転車道を行き、途中から血液センターのある筒井駅の方へ。

 献血を済ませてR25を西へ、再び富雄川沿いにでてRさんと合流します。奈良自転車道で郡山市街へ入り、京奈和自転車道にもなる佐保川沿いの大和青垣自転車道へ、現時点での南端になる三郷橋まで南下し、下ッ道を八木までご一緒しお別れしました。
 写真だけみていると奈良県って川沿いに自転車道が良く整備されている様に見えるのですが、実際のところはネェ、上手く繋いで走ろうとするとそれなりのノウハウ?が。本日の走行69.2キロ。

 

 

 

Wajinさん一行の吉野サイクへ

 下市町 秋野隧道にて

 今日はWi-Fujiさんのお誘いで奥美濃C.C.のWajinさん主催のサイクリングに1日だけ参加してきました。橿原神宮前駅に集合し黒滝村の「森の交流館」に泊まる1泊2日のサイクなのですが、明日は西吉野へ恒例の「福寿草サイク」の予定がありますので、ご挨拶がてら今日一日お邪魔させて頂く事に。
 ところで機材なんですが、Erbaロードや延陽伯号でと云う訳にも行きませんので、事故後のasuka号を急遽ハンドル廻りだけは修理、変形したマッドガードの方はとりあえず以前使っていた多少マシなのを取り付けて出掛ける事に。
 集合場所は橿原神宮前駅西口に10時。地元の人なら判るでしょうね、悪い予感が。西口にはすぐそばにコンビニがあると云うのが東口でも中央口でもない理由らしいのですが、実は橿原神宮前駅から近鉄南大阪線の隣の駅はなんと橿原神宮西口と云う名前なので、遠来のお客さんでなくとも間違う可能性が。案の定わざわざ西口駅へ向って下車した方が、隣の駅ですから走ってきても知れているのですがね。と云う訳で面子が揃って主催者の挨拶が始まったのは1022、黒滝村までのコースは当初明日香村から芋ヶ峠だったのですが、昨年秋の台風禍以来一応は通行止、計画通りその芋ヶ峠へ向かう人も若干名いるのですが、集団での突破はまずいと云う事で本隊は薬水経由でと云う事に、その本隊をWi-Fujiさんと私がご案内する事に。
 まずはR169の反対側、近鉄吉野線の西側を南下しますが、京都のWi-Fujiさんもなんでこんな道知ってるのよ。
 飛鳥駅前から高取町へ越えて県道120号五條高取線へ入りレトロな吉野口駅前で小休止。
 奉膳(ぶんぜ)の狭い村の中を抜けて薬水拱橋(きょうきょう)、吉野鉄道時代に作られた煉瓦造りの2連アーチ橋で土木遺産にも指定されています。
 続いて薬水の地名の由来となった弘法大師所縁の井戸へ。この後R309と近鉄吉野線に挟まれた旧い道を登って行きます。結果的に車坂峠より高い処まで登らなければならないのですが、車に煩わされる事なく走る事ができます。
 お昼は何処でと云う事になったのですが、これだけの人数が入れる処はそうありませんし、大淀のオークワで弁当でも買って貰って吉野川の河原でもと思っていたのですが、買い物を済ませて出てくると、駐輪場で店を拡げている気の早い人がいます、と云う訳で一同が駐輪場で頂く事に。そして車坂で前輪がバーストして走行不能になった方がいて、車で伴走していたWajinさんの自転車のを拝借してとりあえず走れる様になったのですが、隣のホームセンターでハチサンのタイヤを無事入手する事ができた様です。
 1248オークワを後にしますが、車坂で迷子になった人がいる様です。
 千石橋で吉野川を渡って下市町に入りますが、ここで超ベテランakutaさんがパンク、下市口まで輪行してきたメンバーもいた様で、橋の南詰で待機しますが、先の迷子は吉野山へ向ったとか、一体何人で走っているのか全く把握できていません。現地集合の人もいるのですから、とにかく目的地の宿へさえ着けば良いのでしょうが、携帯電話あればこそです。
 下市町の千石橋南詰から黒滝へはR309一本、ただ広橋峠への旧道はともかく新しい道は交通量も多く自転車向きでありませんので、県道48号洞川下市線で地蔵峠を越えるとの事、Wi-Fujiさん曰くそれも下市の街の中を通らずに下市町阿知賀から立石に越える秋野隧道経由で行くとの事。この町道は黒滝からの帰途に利用する定番ルートではあるのですが、南行きに使った事は一度もありません。吉野川左岸の県道39号五條吉野線を少し東へ走るのですが、案の定分岐を見落として少々オーバーランしてしまいました。途中行者の滝と云う名前の割には大した事のない滝の前で一息入れますが、隧道の手前は南側同様結構な坂になります。
 県道48号に下ったのが既に14時前、車の少ない快適な道を地蔵峠(地蔵トンネル)へ向います、これからは一本道ですので後ろへ回って写真を撮る余裕も、だた私は日帰りですのでそろそろ引き返す事を考えなくてはなりません。
 幸い上立石あたりで地元の摩耶さん(写真右)が合流してくれましたので、才谷の分岐でバトンタッチする事に。僅か4時間程でしたがご一緒した皆さんとお別れして県道257号才谷吉野山線経由で帰途に就く事に。
 県道257号の途中から脳天さんへ下れば楽なのですが、先月14日に走ったばかり、吉野山へ少し登り返す事に、「静亭」の見える処にでますが、時間がありませんので蔵王堂へと下ります、桜の時期が嘘の様な静かな吉野山です。
 吉野神宮を過ぎてから県道15号で下るつもりが、通行止でしたので、県道167号吉野神宮停車道線で下ります。再び吉野川左岸の県道39号に入りますが、今度は西向きで向かい風の苦しめられる事に、どうにか1512椿橋到着。
 問題の壷阪峠ですが、南側の拡幅区間の手前、以前にも崩れた部分の少し上で路盤が谷側に崩れています。通行止でなくてもそうなんですが、まったく車がとおらなくなったので、前後もかなり荒れています、通行止の看板の肩に車両と書かれているのは、このルートが大淀古道でハイカーの利用があるからでしょう、そうなると万が一の事故の再に、道路管理者の責任が曖昧になりますね、さて自転車は車両ですから自己責任で。しかし芋ヶ峠もここも過去の例からすると復旧には相当の時間が掛かる(ほったらかし)と思われます、サイクリストにとっての吉野と国中との重要なルートですので、なんたら自転車道の整備よりも早期に復旧して貰いたいものです。
 壷阪峠を下ると高取町、来月1日から恒例の「町家の雛めぐり」が行なわれるのですが、観覚寺なかよし広場のジャンボ雛は既に出来上がっていました。来週3日には乾さんと一緒に伺う予定にしています。
 走行64.7キロ、暗くなる前に無事桜井に帰投しましたが、明日予定していた五條市西吉野町津越への「福寿草サイク」、天気は午後から崩れるとの予報に輪童さんは早々に中止宣言を。
 1日だけのゲスト参加ですが写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2018]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’2018’、パスワードは2018年の卓上版「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の数字です。 なお暫くの間は2017年のパスワードも使用可能です。なお行事の性格上、お付き合いのない方が映り込んでいる場合もあります、不都合のある場合は連絡を頂ければ、対応させて頂きます。

 

 

今年最初の東吉野サイク

 今日は予定していた「千早赤坂パスタポタ」がコースリーダーのofはやま氏の事情で中止になってしまい、せっかくのお天気に行き場を失ってしまいました。それなら今年まだ行っていない東吉野村へでも行こうかとFacebookで募ってみると、らくさんこと4040のYさんが吊れちゃいました。ただ機材の方がasuka号受傷のままですのでErbaロードでとなるので、多少雪の残り具合とかが心配になるところです。
 らくさんとは明日香村のセブイレで9時に落ち合い一応通行止めの芋ヶ峠へ向います、吉野側の崩落箇所は相変わらず手付かずのままですが、新たに手前で倒木で二輪でないと通れなくなっています。
 清清しい空気の中を快調に飛ばして東吉野村へ、「よしの庵」もまだ冬季休業中ですし「麦笑(むぎわら)」でパンを買ってイートイン座敷で頂きます。縁側が気持ち良さそうです、ってじっとしているとまだ寒いですが。
 「麦笑」を後にし、高見川沿いに県道221号小村木津線を遡って行くと…

 四季を通じて何度も走っている道ですが、まわりに雲一つない高見山はそう観られるものではありません、そこに一筋の飛行機雲が…
 この先一谷峠には雪が残っているそうですが、暖かい陽射しで凍結部分はもうないだろうと、いつも通りに県道251号谷尻木津線へ、木津の集落の中の道を行きます、ちょっと判り難い道ですが、私にはお馴染みの「自撮り」ポイントです、今日はらくさんにモデルになって貰います。

 さすがに日影はロードには厳しいです。
 無事に一谷峠に到着、峠の北側も思った程でもなく、岩端に下ります。ただそこからの向かい風が些か堪えました。女寄峠を下った処でらくさんとお別れし、旧街道を走って「4’season」へ。

 丁度、おださん他が居合わせたのですが、なんでも高見山に登っていたとか。その高見山からの下界の風景、写真は(大月さんブログから拝借しました。
本日の走行88.0キロ。

 

 

 

 

2月15日の日記

 朝から東吉野村を舞台にした映画「東の狼」を観に行ってきました。なら国際映画祭の映画制作プロジェクトとして昨年東吉野村を中心にロケが行なわれていたのですが、今月3日からロードショー上映が、と云っても、関西ですら大阪府2館と奈良県1館のみなのです。監督はC.M.キンテラと云うキューバ人監督、プロデューサーが「萌の朱雀」の河瀬直美、主演は最近では「村の写真集」の藤竜也。
 正直云って「萌の朱雀」以外の河瀬作品ってあまり趣味じゃないんですよね、往年のナイズガイの藤竜也の好演は評価できるけど、その辺も含めて「村の写真集」の二番煎じの感も否めないなと。東吉野村を良く知る者にとってはロケ地探しに興味が、冒頭の空撮、高見ループですねぇ、高見峠の三重県側。その後に小(おむら)が映りますが、「麦笑」になっている古民家の屋根が判ります。なんとコンビニは桜井市飯盛塚のヤマザキショップですね、他村内のあちらこちら、トンネルが判らないのですよね、一瞬吉野町三茶屋の上の小名隧道かなとも思ったのですが、違うな宇陀市のどこかかな。な方向に興味が行って、何が云いたいのかよう判らん映画でした。
 映画の後、丁度お昼どきですので「よろづ」へ、今日はサービスではなくとんかつ定食を、おまけに夜はカツカレーにしようと、1枚余分に揚げて貰います。お替わりもして満腹でご機嫌、いつもなら八木周りで帰るのですが、岡寺駅まで南下して県道155号を走って、明日香村のチネリ怪人VIVVAさんのお家の前を通り「めんどや」の前から奥山へ、珍しく県道15号で桜井へ、山田寺の処の小さな峠を登っていたのですが…
 突然、左側の家から出てきた軽四と体が接触、ふらついて転倒。asuka号は左ブレーキレバー回りの変形が傷が、もちろん警察に来て頂いて事故処理を。その場では体の方が右膝を擦りむい他には問題なさそうで、自力で帰途に就いたのですが、走り出すとマッドガートが変形してしまっているのと、右の手袋の腹側が大きく破れてしまっていて、少し傷が。asuka号の被害も知れていて見た処自分で治せる範囲、修理に持ち込む手間暇、見積もりをとって修理する期間を考えると、納得に行く金額をさっさと出して貰えるのなら、物損事故でも良かったのですが、夜になる痛みが出てきたので、翌朝病院へ行く事に。
 しかし桜井へ来て20数年、5度目の事故ですが、全て相手は女性、内3台は軽四なんです、5回を多いと云う人もいますが、車に乗らない事や走行距離を考え、過失割合から見ても不運としか。

PS:翌日のレントゲンの結果、一応骨には異常は見られず打撲と云う事で、昔から知っている近所の整形外科ですが「しっかりした骨です」と褒められて、レントゲンで骨の良し悪しが判るのかな。自分の保険で通院1,500円/日もでるのですが、ここの整形外科診察の待ち時間が強烈に長いんです、正直云って通いたくなんですが。

懲りずに雪上サイク


奈良県宇陀市室生深野にて

 この連休お天気が良ければ一日は走りに行こうかと思っていたのですが、昨日は風が強くて挫け、今日は雪の後晴れてくれそうもないので諦めていたのですが、UG兄さんから何処かへ行こうとのお誘い、例によってコースは一任され迎えに来て貰って適当なデポ地まで運んで貰うと云う段取りです。朝起きると予報通り雪が、どうやら大阪でも積もっているそうです。さて吉野方面へ向おうか東へ向おうかと考えた末に、近畿中部では晴れ間が出てくれそうなる案配、その晴れ間も東西に流れる様ですので室生方面へ向う事に。桜井はそれ程でもなかったのですが、流石に西峠を越えると雪の量が違います。
R165を走り三本松の道の駅「宇陀路室生」へデポする事にしたのですが、向かい側にあったローソンが廃業していたので、コンビニを求めて赤目まで往復する事に。榛原を出ると貴重なコンビニだっただけに残念です。ただここの道の駅、昔は故門岡さんの「ツーリング再生計画」のオフ会とかでデポ地として利用していたのですが、最近は長時間駐車と見ると追い出されるとか、まぁ訪れる人も少ないこの季節は大丈夫でしょう。(写真右:UG兄)
 まずは阿保越伊勢街道に入ります。海老坂峠を越えて大野を過ぎる辺りまで宿場町の風情を残す旧街道が続いています。
 海老坂峠からは先月21日にも走った上出から向渕への道に入りますが、車の轍のないバージンスノーが、この道は谷あいを走るR165から車に煩わされる事なく一番楽に大和高原側に取り付く事のできるルートなんです。(写真右:UG兄)
 先月もsetoさんと訪れたばかりお馴染みの私設展望台、火器の準備もあるのですが、流石に吹き晒しですし少々お昼には早いのでここで店開きは止めておきます。
 三本松から標高で180m程登って向渕(むこうち)へ、眼下に奈良県道28号吉野室生寺針線が見えます。(写真:UG兄)

 同じく向渕にて、後ろには高見山を始め台高の山々がかすかに望めます。
 県道を少し走って多田へ。さてお昼に適当な場所ですが、2キロ程西に三陵墓古墳群史跡公園があるのですが、小さな峠を越えなくてはならないので満寿寺の下の薬師堂へ向う事にします。(写真右:夏には百日紅の花が)
  薬師堂の縁側を拝借して店を拡げます、風がしのげて時折差す陽射しが温かいです。しかし瞬速ジェットボイル恐るべし。
 多田から県道781号都祁名張線を東へ、上笠間を経て笠間峠(485m)のある峠集落へ向います。この道は東大寺二月堂のお水取りの松明を奉納する道として知られています。
  現在の県道の笠間峠は少し手前(やや東)で越えているのですが、旧街道の笠間峠は集落の外れにあり、笠間峠の石碑が建っている。峠集落にはかつて2軒の旅籠があったそうです。
 笠間峠の後は今日最後の目的地、にほんの里100選に選ばれた深野へ下るのですが、ここまで無事に走ってきたのですが、見事に揃って転倒する事に。
 南側に開けた深野の集落と棚田を見下ろします、ただ棚田は区画整理がされたものなのであまり風情はありません。このまま集落へ下ってしまうと三本松へ帰るにはR165を走らなければならないので、ここで折り返します。
 殆ど下りなのですが地蔵峠へ。
 地蔵峠からさらに下ると三本松へ。
 14時過ぎには無事に道の駅へ、気温が高かったのか朝の雪は大方溶けてしまっています。道の駅に駐車させて頂いたのですからせめて温かいものでも食べて帰ろうかと思ったのですが、なんと店舗は営業していませんでした。
 本日の走行26.8km、平均時速10.4km/h、数字だけみるとポタリングですが、がっつり雪上サイク、転倒3回は疲れました。

ランドナー補完計画 御前崎オフ

静岡県御前崎市 御前崎灯台

 まだ暗い6時前に掛川駅近くのビジホを出発、参加者が宿泊している御前崎の民宿「聖火」に向います、約30キロの道のりです。途中、携行食の補給を兼ねてイートインコーナーのあるコンビニを探してコーヒーブレイク。土地勘がないのに行き当たりばったりのコース選択がまずかったのか、思いの他アップダウンが多いなとか、原発立地で道だけは良いなぁとかぼやきながら8時には海岸線へ。
 今日は9時過ぎに出発と云う事で多少の余裕がありますので先に御前崎灯台を見上げるポイントへ、「自撮り」の準備をしてきていますのでトライしますが、風が強くて怖くて三脚を立てる事ができません、ストーンバッグも持ってきているのですが、あまりに風が強過ぎてガードレールの影に立てるのが精一杯です。しかしなかなかのロケーションです、今回はロケハンと諦めて是非とも再訪したいものです。
 9時少し前に「聖火」到着すると、これから記念撮影と云う処、挨拶もまだですが先に写真に混ぜて貰う事に。(大きな画像はアルバム「ツーリングの記録」へ、要認証)

 唯一本日のみの参加者と云う事でして、皆さんへの挨拶と自己紹介を済ませて、さて出発なんですが先程通った御前崎灯台へ行くとの事、ただ標高40m程の高さに建つ灯台の元まで激坂を登ります。そしてここでも記念撮影を、私も撮らせて頂いたのですが、丁度流れる雲の影になってしまい、出来が悪いのでGAMIさんから写真を拝借しました。
 先程登ってきた激坂なんですが、ここがなかなかの撮影ポイントなんですね。判っていたら登りで待ち構えるんだったのに、でも後ろ姿の下りは爽快感があっていいかも。
 今日は御前崎を後にして駿河湾側を北上してから大井川沿いを集合場所の新金谷駅に戻る40キロ程のコースを走ります。御前崎を出て牧之原市地頭方付近までは、少々車の多い区間も走りますますが、地頭方のセブンイレブンで休憩の後、太平洋自転車道(静岡御前崎自転車道線)に入ります経由。太平洋自転車道は1973年に提唱された、房総から太平洋岸を南紀まで、全長1.200キロに及ぶ自転車道を整備しようと云う計画だったのですが、46年たった今も完成には至っていません。千葉県、静岡県、愛知県、三重県、和歌山県下で断片的に供用されてはいますが、中にはほったらかしになっていて自転車の走行が困難だったり、廃道状態の処もあります。
 この静岡県道375号静岡御前崎自転車道線は1970年に廃止された静岡鉄道駿遠線跡を活用していて、一般の利用者も多く維持管理が行き届いている様です。昨日の参加者が走った浜松御前崎自転車線は砂浜の砂が自転車道に吹き込んでいて難渋した様です。同様の事を加賀海浜自転車道(金沢小松自転車道線)で経験した事がありますが、強引に突っ込んだら思いの外砂が深くて危うく転倒する処でした。
 例によってがっつり走らないランドナー系のサイクリングイベントですから休憩タイムを充分に、遠来の参加者が多いですのでお土産を買うポイントも、写真は立ち寄ったお茶屋さん。

 海岸線にでると駿河湾を挟んで富士山が、日頃見慣れていない関西人にはなかなか感動の光景です。
 お昼は静波海岸でケータリングサービスの豪華なお弁当が準備されています。でも折角のロケーションにもかかわらず、何故かみなさんサポートカーの陰で車座になって弁当を拡げているのです。事情を知らず海岸に陣取った私は風に運ばれてくる砂のふりかけの洗礼を受ける事に、そう云う事なんですね。
 富士見橋で大井川を渡り左岸の河川敷に入ります。これも自転車道かなと思いきや、大井川リバティマラソンコースという延長10数キロのコースで、自転車の走行は禁止こそされていないのですが「競技用自転車の練習走行は禁止」との看板があります、すなわちローディがガチで走っては駄目ですとのお達しが、殆んどがランドナーのサイクリングですので競技用自転車でも練習走行でもないのですが、そこはそれ60台近くの自転車が走る訳ですから、何を言われんとも限りませんので、そこは主催者のくりくりさんの用意周到な処で、島田市の市長印のある使用許可証をとって参加者にコース図と一緒に配付されているのです。
 その大井川リバティですが、車が来ないのは勿論ですが、見通しが良くて市民を対象にしたマラソンコースですので幅員があって、走行中の写真を撮るにはお誂え向き、また新幹線と交差する付近での休憩タイムでは、全ての自転車を並べての品評会?撮影会?何れにせよ、これだけのランドナーが集うのはなかなか壮観です。ただ大井川の流れが真東になるにつれて向かい風が強烈に、なかなか前に進みません、盆地の奈良ではなかなか体験できない強風に一気に消耗してしまいました。
 世界一長い木造歩道橋(全長897.4m、幅2.4m)として有名な蓬莱橋までやってきました、ちなみに木津川流れ橋は356.5mですから2倍以上の長さです。この後、集合場所の新金谷駅まで戻るのですが、輪行で帰途に就く参加者の為にJR東海道線島田駅が近いここで一応の解散と云う事になります、くりくりさん他のご挨拶の後、蓬莱橋をバックに最後の記念写真(GAMIさん提供)を撮ってひとまず解散。私はこのまま新金谷駅までご一緒してから金谷駅へ走り輪行のつもりだったのですが、先からの向かい風にすっかりくたびれて戦意喪失、島田駅から帰途に就く事にしました。島田駅1610発浜松行きに乗車、東海道本線と近鉄を乗り継いで21時半には無事に帰投する事ができました。
 今回1日だけとは云え念願の「御前崎オフ」に参加する事ができました、静岡は些か遠いとは云えなかなかお目にかかる機会のない関東の方々、2000年の「ランドナーギャザリング」以来の御仁とか、GAMIさんとは1999年の野麦峠以来かと、他にもネットでは存じ上げていても初めてお逢いする方も何人か。短い時間でしたか愉しく過ごす事ができました。「御前崎オフ」が10何年毎回60名近い参加者を得て続いているのは、主催者のくりくりさん他の気の利いたプランニングと気配りにあるかと思います、次回も時間が許せば馳せ参じたいと思います、次回は1泊2日で。
 集合写真を含む「第15回 ランドナー補完計画 御前崎オフ(2日目のみ)」の写真をうちのHP にアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2018]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’2018’、パスワードは2018年の卓上版「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の数字です。 なお暫くの間は2017年のパスワードも使用可能です、行事参加者でパスワードをご存じでない方には、くりくりさんのブログの方へ専用のパスワードをお知らせしています。なお行事の性格上、お付き合いのない方が映り込んでいる場合もあります、不都合のある場合は連絡を頂ければ、対応させて頂きます。

いざ御前崎オフへ

 毎年2月初旬に静岡県で行なわれているランドナー補完計画「 御前崎オフ」、伝統的な旅自転車の愛好者には良く知られた行事で、今回で15回目を迎えるそうなんですが、主催者のくりくりさんにも名古屋の「新春ラン」等でお声を掛けて頂きながらもなかなか参加する機会がありませんでした。今年は2月3日(土)~4日(日)に行われるので、是非とも参加しようと目論んだのですが、2日夜からの予定が調整できず、せめて2日目の朝からでも参加させて貰おうと3日に掛川まで移動して前泊する事にしました。
 ところで「御前崎オフ」はいつの頃からか「ランドナー補完計画」の名を冠する様になった様で、元祖のいぬいさんに尋ねてみたところ、くりくりさんから使わせてほしいとの申し入れがあったとの事で、最近では「石川ポタ」「あすか鍋サイク」が「ラン補」の名を冠しなくなったのですが、ランドナーを中心とした代表的なサイクリングイベントとして頑張って頂いてます。

 実はせっかく静岡まで行くのならばと、当初は伊勢湾フェリーを利用して木曜日から自走を画策していたのです。このルートは2001年と2008年に走っているのですが、2001年は浜松まで208.6キロを1日でリア2サイドのasuka号で走り、翌日から秋葉街道を信州へ向って北上しています。ただこの季節で早朝の高見越えは危険なので木金の2日で豊橋まで移動し自転車を預けて、金曜夕方に一旦帰ると云うとんでもない計画を練っていたのですが、木曜の朝の雪で自走は断念し、土曜の朝から輪行で現地へ向う事にしたのです。ただ往路での輪行はうっかりするとトラブルの原因になりかねないので気は進まないのですが。なお鳥羽と伊良湖を結ぶ伊勢湾フェリーですが2010年9月末での廃止が一旦決定したのですが、三重愛知の両県自治体が株式を取得する形で現在まで存続しています。
 さて昨夜から準備しておいた輪行袋を担いで近鉄桜井駅へ、ヘッド抜き輪行ですからかなりコンパクトになりますが、やはりasuka号は重いです。0955発の五十鈴川行き急行に乗車、伊勢中川で名古屋行き急行に乗り継いで1224名古屋着、JRで豊橋で乗り継いで浜松まで予定でしたが、都会の大きな駅って輪行支度をする適当な場所を見つけるのに手間取る事が多いので、一駅手前の高塚駅で下車する事に。

 駅前広場には店を拡げるには適当なベンチが、少し風がありますが暖かな冬の陽射しの下で輪行袋を解きます。荷物を詰め込んだりと小一時間は掛かっていた様な。
 浜松へ自転車で来るのは2001年以来17年ぶりかとfacebookに書き込んだりしていたのですが、よくよく考えると2008年12月に浜松駅から中ノ町道路元標のある天竜川べりまでの数キロをKHSで往復していました。

 その中ノ町道路元標は旧東海道(姫街道)だった静岡県道314号の起点に残っていて、静岡県で現存が確認されている2つの道路元標の一つです。今回再訪すると2008年にはなかった案内版が設置されていましたが、榛原郡の下川根村道路元標の現存が確認される以前だったかして「静岡県内ではおそらく唯一」と記載されています。ただ「1万2244基が設置」の記述は些か疑問です。
 今夜の宿は明朝の御前崎への移動も考慮して掛川駅前のビジポを確保しているので、旧東海道をなぞって走って行くつもりでいたのですが、高塚でのんびりしていたのが響いて磐田市を過ぎる頃には日没、土地勘がないだけに旧街道をたどるのも難しくなってきたので、交通量の多い国道1号をもくもくと走り、18時半過ぎに掛川着、本日の走行距離は僅か38.8キロですが、些か疲れました。