2016年7月の実績

 今年の累計6,816.1キロ、まぁ怪我でもしない限り今年も10,000キロは行くと云う事で。
 
 食べる量は相変わらずですので、やはり汗をかくと云う事でしょうか。

野迫川~奥千丈林道サイク

 今日はUG兄さんの音頭で奥千丈林道へ行く事になりました。 奥千丈林道は和歌山県の護摩壇山から奈良県十津川村風屋ダムに抜ける林道で、五條市大塔町の温泉施設「夢の湯」にデポし、野迫川村を横断し奈良和歌山県境の稜線沿いに縦走する高野龍神スカイラインに取り付き、高野山まで輪行してきたメンバーと合流しようと云うプランです。
 
 奥千丈林道は30年程前に護摩壇山までMTBをバス輪行して一人で走った事があります、当時は県道となる十津川村杉清付近まで延々とダートが続いていました。
 
 「夢の湯」を出発し県道<734>高野辻堂線に入りますが、県道と云っても併用区間を除けば99%1.5車線と云う険道です。 その上先年の災害で工事が今なお続いており、数100m写真の様なダート区間を走って行かなければなりません。
 
 爽やかな川沿いの道を走って、川原樋川林道に入る鉄橋のところまでやってきました、この林道が通れなくなってもう何年になるのでしょうかね。 この辺りまでは坂と云う坂もありませんし余裕をかましていたのですが、この後パンクの神様の洗礼をまずT御大が受ける事になります。
 
 約束の時間には間に合わず、先着していた3名様を待たせてしまいましたが、とにかく高野龍神スカイラインの野迫川口に到着しました。 ここでFさんからの差し入れ、良く冷えた水羊羹です。
 
 野迫川口で参加メンバーが揃って総勢9名となり、スカイラインを護摩壇山に向いますが、休日とあって車と単車が多いですね。 若干1名が遅れている様なので箕峠で待ちますが、一向にやってこないのでPROGRESSのM店長が迎えに走り、時間も押してくるので各自持参の弁当を広げる事に。
 その後連絡がついたものの、パンクはパンクでもこのまま今日のコースを走る抜けるのは難しい状態らしくM店長とデポ地に引き返す事に。
 
 奥千丈林道へは護摩壇山の駐車場の数100m手前から分岐しているのですが、「鶴姫」も清水山の家も店じまいしている現在では高野山と龍神温泉との間、スカイライン上には補給できる処は花園物産販売所とスカイタワーしかありません、もちろん奥千丈林道も杉清まで下らなければ自販機すらありません。 薄曇と云う事もあるのですが、標高1,280mの護摩壇山は暑さ知らずです。
 
 いよいよ奥千丈林道です、伯母子岳登山路への分岐あたりまで稜線沿いの展望の良い道が続きます。 ダート時代と比べると植生の成長で荒々しい雰囲気とは変わった様です。 時間がかなり押していますのでゆっくり写真を撮っている時間がありませんが、いつか「自撮り」に訪れたいものです、展望の良い稜線沿いも良いですが、下り基調となる後半は広葉樹が多く、紅葉も良いのではと。
 
 車がやって来ないのを良い事に車座になってコーヒーブレイク、時間が押していても、これは外せません。
 
 3人目の犠牲者はつっちーさん、ひとごとと笑ってられません、この直後には私がパンクです。
 
 
 
 
 奥千丈林道は集落の手間井から県道<733>川津高野線となるのですが、道は却って悪くなる様な、舗装は痛み砂利が撒かれてダート以下、水溜りもあります。 そしてとどめにvivvaさんが前輪パンクして転倒、5人目の犠牲者です、その上少々擦りむいた様です。
 

風屋ダム近くまで下ってきた処で雲行きが怪しくなり、R168に出る手前の川津大橋に着く頃には本降りになってきました。 雨雲レーダーによると無理せず雨宿りした方が良さそうなので暫し木蔭で凌ぎます。

 
 R168に出てからは降られる事なく、谷瀬あたりまで来ると降っていなかった様な感じです。 リタイアして大塔に引き返したお2人は温泉でまったりしていたそうなのですが、一向に帰ってこないので心配になって様子を見に戻ってきてくれました。 残り僅かの距離なのですが、調子の悪かったH氏を回収して貰う事に。 どうにか真っ暗になる直前にデポ地に戻りましたが、愉しみにしていた温泉には間に合わず、帰途に就く事になりましたが、久しぶりにがっつり走らされた一日でした。 橿原までの回送を含めて本日の走行105.9キロ。
 
 例によって集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2016]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダーの奥付等でご確認下さい。
 
 

「延陽伯」号(片倉シルク グロワール24)の事

奈良県高市郡高取町 高取町道路元標前にて
 
 「延陽伯」号こと片倉シルクグロワール24が突然やってきて1年になります。 うちに来てからでも走行距離が3,000キロを越え、先日何とこれだけ走って初めてのパンクをした事ですし、24吋と云う事もありますのでこの機会にタイヤ交換をしてあげる事にしました。 

パナのパセラ24×1、24吋のタイヤそのものは幾らでもありますがアメクロばかりで、アメサイド、スキンサイドいずれにしても旧車に似合うタイヤはこれしかありません、どれ程の需要があるのか知れませんが、生産を続けてほしいものです。 
 ところで「延陽伯」号に初めて出逢ったのは2012年2月12日の「大阪渡船ポタ」の時でした、一目惚れですね、日本有数のレストアラーの某氏の、人も羨む膨大なコレクションの中で、天の邪鬼な私がなんと目を付けてほしいと思った唯一の自転車です。 マスプロ車と云ってもちょっと変わり種の限定モデル、故に現存しているものはあるのか無いのかと云うシロモノ。 そんな彼女をお守りしてあげる技量は私にはありませんし、その後ご一緒する機会もありませんでした。 ちなみに当時の片倉シルクについてはGAMIさんのサイトをご参考に。
 
 その彼女に再会したのは昨年7月11日、東吉野へサイクリングへ行って桜井に戻ってくると、八尾から某氏がお願いしていたErba号用のヘッドパーツを持ってサイクリングがてら走ってきてくれていました、なんとその彼女を駆って。 おそらくこの箱入り娘は初めて大阪を出て数十キロを走らされて奈良は桜井までやってきたのです。 なんやかやと世間話を済ませ「じゃ置いていくわ」と、氏は彼女を置いて電車に乗って帰って行かれたのです。 残されあっけにとられていたのは私と彼女。 (写真は桜井駅前にて)
 
 さて、この経緯から「延陽伯」号と云う名前が付くまでさして時間はかかりませんでした、「延陽伯」とは落語ファンならご存知のネタで、江戸落語では「たらちね」と呼ばれているもので、やもめ所帯に突然、分不相応な娘がやってくると云うお噺です。 ただうちに来て貰った限りは床の間の飾りと云う訳にも行きませんし、しっかり走って貰わんとあきません。 まずはポジションを出して、苦手なトゥークリップを交換し、暫くはご近所のポタリングに連れ出します。 今まで気軽に輪行できるのはKHSしかなかったのですが、こやつはヘッド抜き輪行もできて分割式マッドガードも装備しています、何と云っても素晴らしいのはKHSと違い日本の風景にとてもマッチすると云う事です、これであちこちの旧街道の街並みをのんびり散策してみたいと云うのは元のオーナーの希望でもあった訳です。
 
 ところで車に乗らない私にとってはそこそこ走って貰わないと話にならない訳でして、凄まじいよがり声をあげるマファッククリテリムを安物ですがシマノの現行カンチに交換、復刻されたダイヤコンペのセフティレバーを取り付け、長過ぎるステムにブレーキワイヤーを貫通させアウター受けにもなっていたのですが、輪行時に不便でしたのでノーマルなセッティングに変更、私には勿体無かったフロントバッグをお返して、フレームカラーとお揃えのモンベルのバッグを前後にチョイスしてみました、フロントは少し加工してキャリアにEB金具で固定、サドルは元はフロント用のドラム型のものを吊っています。 欲を云えばブルックスの限定版デニムカラーのC-17なんかを付けてあげたかったのですが。
 
 御歳30幾つになろうかと、24吋5速と云う非力な彼女、100キロ越えとか無茶もさせてますが、「しまなみ」~「とびしま」も走りましたし、これからも日本の四季を共に愉しまさせて貰う事にします。
 

IBERA IB-HB2 ハンドルバーパック 【廃番】

(画像は代理店HPより拝借)
 
 明日から1泊2日で信州飯田から愛知県下まで走ろうと計画していて、天気も悪くなさそうなので今日にも「青春18きっぷ」を買って宿を押さえようとしていた矢先に、仕事がらみの不幸があって動けなくなってしまった。 概ね以前から温めていたプランで、1日目は飯田線の駒ヶ根まで「18きっぷ」での移動で終わってしまいますが、2日目早朝から三州街道と矢作川にほぼ沿ったルートを8基の道路元標を巡りながら160キロ余りを名鉄猿投(さなげ)駅まで走り抜け、名鉄と近鉄で輪行してその日の内に帰って来ようと云う計画でした。 獲得標高が2,000mもあるのに、可能な限り旧道を走り、あの旧伊勢神トンネルでは「自撮り」もしてやろうと云うのは些か無理があったのですが、ひとまず延期と。
 
 さて本題のフロントバッグ、IBERAと云うブランドのハンドルバーバック、ヤフオクを見ていると新同品が1,500円で出ています。 このIBERAと云うブランドのバッグ、個人的にはオレンジ色のアクセントが気になる処なんですが、今まで実物を店頭でとか、実際に使用しているのを一度もみた事がないのです。 ラインナップのサドルバッグなども見ているとTOPEAKのパクリと云う感じなのですが、販売価格からすると取り立てて安いものでもありません。 このIB-HB2と云うバッグ、既に生産終了品の様で、それは良しとしても、寸法的に些か小さいかなとも思ったのですが、送料込みでこのお値段と云う事なので、まぁハズれでも良いだろうと云う事でとりあえず入札する事に、結果的に1,700円で落とす事ができたのですが、それが今日夕方届いたのです。
 
 届いた梱包を見てウ~ン、案の定小さいと云うか、一辺で一回り小さいですから、縦横幅三辺では三回り小さかったかなと云う感じですね、asuka号で使っているTOPEAK(左)と「延陽伯」号で使っているmont-bell(右)と並べると違いは歴然です。 その可愛さに工夫して「延陽伯」号のサドルバッグにしても良いかなと思った位なのです。
 
 ただ不自由していたのはロード用ですのでサイズ的にはこれ位が限界と云えるのかも知れません、今まで仕方なしに使っていたリクセンカールのものと比較して見た目は同じ位ですが、ポケットとかもあって使い勝手は良さそうです。 実際Lumix G2に14-140ズームを取り付けて、なんとすっぽり収まってしまいました。
 
 商品としてはマップケースの付いた後ろ開きの蓋、前面と左右のポケット、内部は蓋の裏にポケットがあります。 ポケット内も色々と気の利いた工夫がしてあって、この辺りもTOPEAKのパクリ臭ムンムンなんですが。 気の利かない商品ばかり作っている何処かのA産業もちゃんとした意味で見習ってほしいものです。 私がA産業製品をコケにする理由。 写真の様にオリジナルのハンドルマウント一式と肩掛けベルトが付属します。
 
 おまけに底にもポケットがあってレインカバーが収納されていて、そのまま引き出してカバーする事ができます、個人的にはレインカバーもオレンジ色にしてほしかった。 機能的には充分ですし、ちょっと歪んでいるかなって感じはありますが全体的にしっかりした作りで好感が持てます、唯一パンチングメタルの様な意匠が気になりますが、これは反射材として機能しているのでしょうか。 既に廃番ですので入手は困難でしょうが、もしどこかで見つけたられたら価格次第でお勧めかも。 後継で一回り大きなIB-HB3と云うのが出ている様ですが、台形をさかさまにしたシルエットがちょっとね。
 
 IBERAオリジナルのハンドルマウントが付いていますが、例によってBASILのリクセン互換マウントに付け替えます、これで複数の自転車、バッグを相互利用ができます。 ただTOPEAKの時の様に芯材を簡単に取り出す事ができなかったので多少てこずりましたが、布の外張りと内張りと一緒に芯材に取り付け穴を開けてしまおうなんて安直な考えは失敗の元ですからご注意を。
 
 早速erba号に取り付けてみましたが、コンパクトな分ブレーキレバー周辺に余裕があって良さそうです。 恒例の「大和高原早朝ラン 8/7」はこれで出撃する事にします。

やる気無いのネ 奈良県道路環境課

 今日は一日時間があるので何処かへ走りに行こうかと、ここ最近大和高原づいているし、そう云えば6月に続いて今月もまだ東吉野へ行ってないのでは、と云う事で芋峠を越え川沿いに遡上するいつもの定番コースを走る事にしました。
 一応は重いカメラと三脚を積み「自撮り」の準備を整えて出掛けたのですが、もとより月一で走っていたこのコース、正直「自撮り」のネタは尽きているのですが…
 芋峠~高見川河畔~オオカミ像~丹生川上神社~高見山定点観測ポイント~投石の滝~染谷峠~室生ダム~と走り、女寄峠をバヒュンと下ってお昼過ぎにクソ暑い下界に、案の定三脚の出番はなかったですが、がっつり108.5キロを走って帰ってきました。
 
 ところで吉野川沿いの道と云えば「ならクル T-1 大和青垣ルート」の誤表記、設置以来5年になるかと思うのですが、知ってか知らずかそのまま放置されています。 R370吉野町菜摘と矢冶の2ヶ所、4キロの隔たりがあるのですが、柳生までの距離はいずれも48キロになっています、走れども距離が縮まらないミステリーゾーン、柳生への道は遠いのであります。 どれだけの人がこの標識を頼りにしているかは疑わしい処ではありますが、判ってて県の恥を晒しておくのも忍びないので、5月に「ならくる」宛てにその旨をメールしておいた処。
 
奈良県道路環境課 自転車・交通企画係■■と申します。
 「ならクル」をご利用しただきありがとうございます。
 報告ありがとうございます。
「ならクル」サインの誤記については、現地確認させていただき対応させていただきます。 よろしくお願いします。 (原文のまま)
 
 との回答、これで一件落着と思いきや足掛け3ヶ月、一向に直っていないやおまへんか。 恐らく菜摘の方が52キロ位になる計算なのですが、当面は訂正シールでも作って貼れば済む話ではないかと、無視無策、やる気ないんでしょうかね。 それに世間の礼儀なら、現地調査の後、報告位してくるのが常識だと思いますがね。 ところでメールの発信元が「奈良県道路環境課(外部)」となっていた処をみると、おいおいこれも外部業者に丸投げかい。 以前に「なるクル」のフォトコンテストの不手際でお詫びの電話を入れてきた方も、実は業務を嘱託されていたとか。 頭下げる時位は自分で下げろよお役人!
 
 さすがお役所、こう云った形のものは対応が早かったです、助命下萩線は正しくは県道245号、明日香村祝戸の標識左折方向は多武峰見瀬線で県道155号が正解、供用前日の写真でカバーがかかっています、今や近隣の坂馬鹿のメッカに。
 しかし「ならくる」の距離誤記で迷惑する人がいても、県道番号間違って困る人はそうはいないでしょ、しかしこれに気が付いた私が普通ではないのか。 
 本名、別名、愛称、乱立する奈良県の自転車道の標識、そして知らないうちになんだこれは「上北山ルート 北部一周コース」「行者還コース」、なにやら水面下で次なる企みが。 
 
 結局「ならくる」なんて「奈良県自転車利用促進計画」とやらで結構な口上を唱えて、サイクリストをダシにして、自分たちと業者の仕事を作って、利用活用されていようといまいお構いなし、後はほったらかし。 にも拘わらず性懲りもなく「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備」とやらで27年度補正予算に3,100万円を計上したとか。 
 ちょっと待てよ、私の指摘を受けて県の担当氏は「現地確認」に出たのかも、さすがに県庁にスポーツバイクなどなかろうし、公用自転車で県庁を出発しR369を登り円成寺と阪原の坂を越え、そして柳生から「ならくる」の中でも悪名高き「T-1 大和青垣ルート」を「現地確認」しつつ香酔峠の激坂をトラックに迫られながら効かないブレーキで恐々下り、吉野への旅を続けているのかも知れない、まさか入野峠の旧道に踏み込んでのたれ死んでいるのではなかろうか、そう思うと何やら不憫に。 「52キロ」の訂正シールを作って私宛に送ってくれれば両日中には貼りに行ってあげるのに。
 

「自撮り写真集」を更新しました。

 昨日近畿地方も梅雨明けしたとか、最近「自撮り」ネタが続いていますが、旬を逃さないようにと主に今月撮った新作9枚を「自撮り写真集」に追加しました、よろしければご笑覧を。 「自撮り写真集」を更新しました。
 
 メイキングショット集
 
奈良市藺生(いう)町にて
 
奈良市春日野町 柳生街道滝坂道にて
 
奈良県高市郡明日香村稲渕にて
 
奈良県高市郡明日香村飛鳥にて
 
奈良県天理市にて
 
兵庫県佐用郡佐用町平福にて
 
奈良県高市郡明日香村稲渕にて
 

鈴鹿のあびさん迎撃サイク

 今日は鈴鹿のあびさんが昨夜から笠置キャンプ場に来ているので午前中だけでもご一緒しようかと、大和高原経由で向う事にしたのですが、昨夜から冷たいものの取り過ぎが祟ったのか下痢気味、とにかく朝には治まった様なので、朝食は採らずに4時過ぎに初瀬ダム経由で大和高原へ向って出発します。
 長谷寺からの道で今年初めてのヒグラシの鳴き声を聞きました、高原への道は清清しいです。写真は山辺高校近くの並松池。
 
 いつもなら小倉IC付近から<127>北野吐山線を経て布目ダム右岸を走るのですが、今日は久しぶりに<25>月瀬針線から布意目ダム左岸を走る事にします。 一応「自撮り」の用意もしてきているのですが、あまり時間もないのでロケハンだけはしながら先を急いでいたのですが、布目ダム湖畔で面白そうなポイントが、結果的にはなんだか良く判らない写真ですね。
 
 布目ダムから笠置へ向かうには柳生経由が普通なのですが、今日は布目川に沿って木津川河畔に出る黒線道に久しぶりに踏み込みます、相変わらずの悪路で軽自動車でさえ離合困難な道が続きます。 幅員がない分壷阪峠の南側より酷いと思って貰った方が、写真は布目川発電所(布目ダム発電所とは異なります)と笠置へ抜けるハイキングコースに架かる橋。
 
 飛鳥路集落の中の小さな峠を越えると関西本線の踏切が。 飛鳥路集落は既に京都府相楽郡笠置町なのですが、木津川に架かる沈下橋が通行止になると京都府側から孤立していまい、奈良県側から今来た険路を迂回して来なくてはなりません。
 
 木津川に架かる潜没橋と云うそのまんまの名前の沈下橋。 この橋を渡ると大型トラックの行きかうR163の喧騒が。
 
 予定より少々遅くなりましたが7時半には笠置キャンプ場に到着、なんとあびさんは既にテント等を撤収、この暑さですからね。 暫く木蔭のベンチで来月のキャンプの話とかを。
 
 今日は山添村の「カントリーパーク大川(おおこ)」まで行くと云う事なんで、途中までご一緒する事に。
 
 阪原町でR369に出た処で柳生へ向うあびさんとお別れです。私はお昼位には桜井に戻っておきたいので、このまま多少なりとも涼しい大和高原の中を南下すれば良いのですが、少し用もあって奈良市街へ出たいのでR369を反対に大柳生から円成寺方面へ走る事にします。
 
 さすがに下界は暑いです、それに昨夜から何も食っていないくて既に80キロ近く走っています、さすがに持たないのでJR奈良駅前の「松乃家」で「得朝ロースとんかつ定食」を、なんと400円也。
 炎天下の上街道を走りお昼過ぎには桜井に帰着、メーターでは本日の走行99.4キロ、実は大和神社界隈で回っていない区間があって、実際は100キロは越えているのですがね。  
 

 
 

不発の2日

 奈良と桜井を結んでいる旧街道、いわゆる上街道の途中に櫟本(いちのもと)と云う古い街並みがあるのですが、昨日から祇園祭りをやっているので、午後から延陽伯号こと片倉シルクグロワール24に「自撮り」の準備まで整えて出掛ける事に。 実は昨日の夕方に行っておきたかったのでが、あいにく雨で出られず、さりとて今日も夕方から所用があるので時間がなく、駄目だろうなと思いつつよりによって一番暑い時間帯に走り出す事に。 屋台が出て子供神輿などもあっていつになく賑やかなのですが。
 
 写真は昨年に撮ったもの、この時はロードでしたし、スマホのカメラしかなかったので、今回リベンジを狙ってみたのですが、また来年かな。
 
 ところで櫟本には「櫟本分署跡参考館」と云うのがあって、今日は祭りのせいか入り口が開いてましたので、少し覗いてみる事に。 ここは「大阪府奈良警察署櫟本分署」を修理復元したものを展示施設としているものなんです。 この大阪府奈良警察と云う妙な名称は、明治9年から20年にかけて奈良県は廃止されていて堺県になったり大阪府となっていたりした時期があったためでなのです。 そんな時代の警察分署跡がなぜ保存されているかと云うと、ここは天理教の教祖が拘留されていたと云う忌まわしい歴史があるからなのです。 天理教云々と云う事は別にしても、明治初期の警察の施設がこの様に保存されているのは貴重なのでは、それに今でこそ国のまほろばとか云ってますが、明治維新後には奈良の存在価値は低かったんだなぁ、と感じさせられたりします。 少し勉強はさせて貰ったものの、写真の方は何の成果もなく上街道を折り返します。
 
 夜のうちに降った雨も収まり、昨日の準備のままで明日香村甘堅丘へ向います、実は先に目をつけておいた紫陽花がお目当てだったのですが、先日からの強い日差しに枯れて汚くなってしまっています。 手ぶらで引き返すのもなんなので、ちょっと頑張って栢森まで足を伸ばします。 雨上がりの緑が何とも云えない風情です。
 
 しかし「自撮り」の背景になる様なシチュエーションはなく、なんとなく紫陽花の写真だけ撮って引き返す事に。
 
 飛鳥川沿いの自転車道にて。 もうそろそろ梅雨も終りだろうし、紫陽花もこれが最後かな、しかし何となくものに出来ていないままなので、明日は再び大和高原へ上がってみるかな。 2日の走行距離64.6キロ、今月は524キロで折り返します。
 

大和高原早朝サイク

奈良市藺生(いう)町にて 撮影:T御大
 
 今日も「自撮り&避暑」モードで大和高原へ上がろうかと思っていたら、T御大から連絡があり三脚は降ろして午前中2人で走る事に、7時に初瀬ダムで待ち合わせます。 いつもの様に笛吹奥宮の水場で一息入れてから旧都祁村へ、藺生町へちょっと寄り道。
 
 県道から外れているので他所の人が入ってこない静かな高原の里です。 ここには用水沿いに桜並木があるのですが、この時期はあじさいロードになります、暫し撮影タイム。 
 
 R369沿いのコンビニで弁当を仕入れて小倉から県道<127>北野吐山線に入ります。 布目川の支流深川に沿った道で、途中渓流沿いの涼やかな道が快適です。 
 
 昨日までの雨で水量が豊富です、しかし濁っていないのが素晴らしいです、植生に恵まれた山なんですね。
 
 結局布目ダムに出てきました。 まだ9時なんですが、ここで弁当を広げる事に。 
 
 
 
 
 梅雨の合間の貴重なお天気の休日とあって、あちこちでサイクリストを見かけます。 と云っても私達以外はロードばかりです、なかには馴染みのあるジャージだったり見知った顔だったり。
 この後、柳生まで下りR369で帰途に就く事にしましたが、布目ダム以降は暑くなってきて走るのが精一杯で写真が一枚もありません。 走行83.8km、平均19.5km/h、獲得標高1,000m少々と頑張って、12時過ぎにくそ暑い下界に戻ってきました。
 

大和高原から柳生街道

柳生街道滝坂道(奈良市春日野町)
 
一昨昨日に続いて午前中だけ大和高原に行く事にしました。 この季節は少しでも涼しそうな処へ行くに限ります。 初瀬ダムの対岸を回り、小夫からいつも笛吹明神奥宮まで。
 
 山辺高校の裏から天理市山田へ抜けて、RRCBの恒例行事「真夏の早朝ラン」でお馴染みの無名の小さな峠を越えますと、目の前に南田原の田園風景が広がります。 
 
 県道奈良名張線を跨ぎそのまま北へ進みますが、大柳生から笠置まで行っても良いかなと思いつつ、ちょっと午前中には戻れないなと思い誓多林(せたりん)へ下る事にします、この辺りには「誓多林」をはじめあ「忍辱山(にんにくせん)」「大慈仙」「菩提山」と変わった地名がおおいのですが、元はインドの地名がきているとか。 余所の車が入ってくる事のない静かな山あいの村です。
 
 誓多林を西に抜けると東海自然歩道となっている柳生街道に出て峠の茶屋のある石切峠へ出ます。 着いたのは丁度9時でお店は開いていたのですが、暫く「自撮り」をしていると、店の親爺がでてきて店じまいしてしまいました。
 
 峠を越えて奥山ドライブウェイに出ます、こちらへ下れるのはツーリング車ならではですね、ロードじゃちょっと厳しいですから。 いつもなら若草山の方へ向うのですが、滝坂道の北側の位車道の方を下ります。 車道と云ってもダートで一般車は入ってきません。 一ヶ所木漏れ日の綺麗な場所があったので、頑張ってみますが雲の流れが早くて刻々と明るさが変わります、もう少し陽射しが和らぐタイミングを狙った方が良かったかな。
 
 滝坂道を下ると高畑ですから「まんま亭」の近くに出るのですが、まだ10時過ぎですのでお店は開いていません。 帯解から上街道に出て帰途に就きますが、下界の暑い事と云ったら尋常やないです。 奈良市街へ下るとその後結構走る事になるので、失敗だったかな、途中の大和(おおやまと)神社で一息入れさせて貰って、お昼には桜井に帰ってきました、本日の走行66.7キロ。

都祁から「ぬれ地蔵」へ

 
 昨日の今日ですがasuka号に「自撮り」支度をして出掛ける事に、午後から天気が不安定になって山沿いでは雷雨になるかもとの予報ですが、お昼頃まででも近場を走れればをと云うつもりで6時に出発、初瀬ダムから小夫(おぶ)を目指します、朝の空気が爽やかです。
 笛吹大明神の水場までやってきましたが、大した距離でもなかったのですが、昨日の疲れが残っています、ロードで頑張りすぎたのか暑さが堪えたのか、長めの休憩でまったりします。
 
 再び走り出して旧都祁村域(奈良市)に入っても行き先が決まりません、上山田から南田原へ越え様か、室生へ向おうか。 藺生で思いつきで右折して都祁山の道へ。 R369沿いのサークルKで補給して再び都祁山の道へ。 写真は室生多田。
 
 多田の集落の中にある満寿寺の下のさるすべり、愉しみにしているのですが、まだ蕾も付けていません。 薬師堂で再びまったりと休憩。 向渕(むこうじ)から室生ダムへ下る事に、R165まで気持ちの良いダウンヒルです。
 
 

室生ダムを渡って右岸(南岸)へ、赤人橋から榛原側の下戸橋までは通行止になっている事は織り込み済みなんですが、手前の下山橋も渡れなくなっています。 「橋梁の腐食・劣化が進んでいて通行に危険をを伴う…」とあり、6月1日から通行止となっています。

 赤人橋を渡り「ぬれ地蔵」へ、室生ダムの渇水期にだけ姿を現す地蔵立像があります。 写真右は昨年12月。
 
対岸のお地蔵さんは影になるので、曇るのを待って「自撮り」に挑戦しますが、今日はウェアの選択を間違ったかな。
 
 
 何か妙な光景ですねぇ、水に浸かっている方が自然な様な気がしますが、水に浸かっているとこの位置からは撮れない訳でして。
 
 
 地蔵橋から見下ろすとこんな感じになりますが、やはり何か変、私が「自撮り」写真に求めているものとは違う気がします、誰かと一緒に来た折にではヤラセ写真を撮る事にしましょう。
 結局は「ぬれ地蔵」抜きの巻頭の大きな木の下の写真が一番良かった様な、それでも木に比べて自転車が小さ過ぎます、同じ場所で昨年秋に撮った写真と比べて悩ましい処です… しかしいずれの写真も不満だらけなのですが、この暑さにテイク2に挑戦する気力が失せてしまいます。
 
 
お昼には帰途に就くつもりだったのですが、天気も持ちそうなんですっかり長居をしてしまいました。 ところで赤人橋から下戸橋の通行止区間ですが、削岩機の音が響いて復旧工事たけなわの模様。 左岸(北岸)にも車道があるのですが、入り口となる地蔵橋には「落石の為 車両通行不可」となっています、一応軽トラの走れる幅員と轍がありますが、薄暗く路肩も不安です。 28Cの私は完乗しましたが、ロードバイクではかなり厳しい路面状況です。 実は20数年前、当時の同僚が夫婦で車でダム湖に転落して亡くなっているのです。
 結局は午前中だけ遊ぶつもりだったのですが、榛原から篠楽経由で女寄を下り2時過ぎに帰投、しかし下界の暑い事と云ったら尋常やないですね、シャワーを浴びてざるそば食って気持ちすっきり、本日の走行62.8キロでした。
 

伊賀上野へ「ヴィンテージレーサー鑑賞会」

 今日は昨年に続いて伊賀上野でRRCB(Restoration and Riding of Classic Bicycles)の「ヴィンテージレーサー鑑賞会」が行なわれるのですが、朝8時半まで所用があって。 時間的に昨年の様に自走と云う訳に行きませんので、近鉄大阪線が三重県に入って最初の赤目口駅まで輪行する事に。 なんとも中途半端な処なんですが、西峠をパスしここまで輪行すれば殆ど国道を走る事無く、快適なコースを縫って会場の「サンピア伊賀」まで行く事ができます。 写真右下は名張市街を往く初瀬街道、七夕祭りの準備中でした。 ところでなぜ伊賀上野なのかと云う事ですが、ここなら名古屋方面からの参加者も参加し易いと云う事なんです、まぁ会場の料金や確保のメリットもあるかも知れませんね。
 伊賀神戸付近からは田圃の中の長閑な道を北上します、風が田圃を渡って行きます。 
 「サンピア伊賀」にはお昼過ぎに着くつもりで来たのですが、久しぶりのロードバイクに追い風、ついつい飛ばしてしまいます。 時間調整も兼ねて木津川べりの木蔭のベンチで名張のイオンで買ってきたお弁当を広げる事に。 
 会場は3階なのですが、ロビーの前を大手を振って通りエレベーターへ、もちろん推してですよ。 
 扉を開けるとご覧の様な世界。
 
 
 
 
 
 差し支えのない範囲で… 今年のエロイカで何やら賞を頂いたなかおさんのエクタープロトン(左上) 
 異彩を放っていたのは乾さんのタンデム、長い付き合いですが初めて見ました。
 
  
 
 

 ちゃんとしたサイズの集合写真や自転車の他の画像は「ツーリングの記録 2016」(要認証)の方でご覧頂けます。 

 
 たっぷり目の保養をさせて貰った後、15時半にはお開きに。 なかなか撤収も大変、少しお手伝いをさせて貰って、タンデムは立ててどうにかエレベーターに。 帰途は木津までヤマタンさんの車に載っけて貰い、本日の走行69.2キロ、しかしこの暑さに些か疲れました。

自撮りポタ & 吉野サイク

明日香村稲渕にて
 
 さて今日は「自撮り」にするか、先月分までしっかり距離を走るかと昨夜悩んでいた割りには、朝からゆっくり過ごしてしまう事に。 とりあえず先日目を付けておいたポイントへ。
 
 朝風峠へ、先日の夕方とは趣が違いますね。 他に目を付けているポイントもあるのですが、夕方の方が良いので一旦吉野へ越えて夕方に戻ってくる事にし、芋峠へ向います。
 
 芋峠への道、今日は気温が上がるとの予報なのですが、木々に囲まれたこの道は涼しくて快適です。 一旦吉野川河畔まで下り、ローソンでお昼を調達して東吉野方面へ。
 
 
 ローソンから窪垣内まではがっつり走ってみる事に、ところで柳生までの距離がおかしい「ならくる」の標識ですが、先々月に県に報告しているのですが、直ってませんね、やる気ないのでしょうか。 結局「ならくる」なんて利用活用されているかって事より、県は何かしらやっていると云う形と、業者に仕事を作っているだけのものと、思われても仕方ないよね。
 
 入野(しおの)峠にて、以前もこの場所で撮っているのですが、前の方が良かったようで。 R370を北上し、宇陀を回って宮奥ダムから多武峰を越えて明日香村へ戻るコースも考えていたのですが、津風呂湖北岸を走って、壷阪峠で戻る事に。
 
 昨年5月以来だと思うのですが、案内板や標識類の整備がずいぶん進んでいます。
 
 
 
 
 
 津風呂湖畔を行く、香束までは行かず木の子広場の四阿でお昼にして、吊り橋を渡り津風呂ダムから再び吉野川河畔へ下ります。
 
 壷阪峠にて、進行方向とは逆向きですが。 
 
 
 
 
 
 高取町の土佐街道を抜け再び明日香村稲渕へ、先日ロケハンした時とはイメージが変わってしまった様な、稲が伸びたのかな。
 
 明日香村飛鳥にて、後ろが甘樫丘になるのですが。
 
 という訳で「自撮り」しっかり、走行距離も89.8キロと充実した一日でした。