朝風峠にて

明日香村 朝風峠

 朝風峠は明日香村稲渕の男綱の辺りから案山子コンテストで有名な棚田の中を抜け、軽トラが越えるのが精一杯の様な切り通しを越えて、高松塚古墳や飛鳥駅の方へ抜ける事のできる小さな峠。 以前にも書きましたが、昔は上平田峠とか呼ばれていた峠で、長屋王所縁の名前だとか云われているのですが、いつのまにやら「朝風峠」と云う安直な名前が定着しています。 いつもは峠の少し手前から稲渕の棚田を回廊の様に巡る小径へ向うので越える事はないのですが。

 写真は2010年5月、最近は木々が生長して峠の切り通しを覆う様になってしまっています。
 
 これらは心あるサイクリストには良く知られた「パターソン画集」からの抜粋ですが、この様なイメージの写真を「自撮り」してみたいなと思って、適当なロケーションを探していたのです。 先日朝風峠まで久しぶりに上がってみて、今の季節の午後なら、カーブミラーを隠せる唯一の角度でも、峠の切り通しに上手く陽射しが入ってくれるかもとトライしてみる事にしました。
 
 今日は空気も澄んでいて絶好のチャンスかと、午前中に「スズカ8時間エンデューロ」のアルバムを更新し終え、お昼から所用で大和高田まで往復し、一旦桜井まで戻って着替えて自転車を乗り換えて明日香村へ向います。 朝風峠に着いたのは16時過ぎ、まだやや影になる様です。
 
 何度かコース取りを試しながら陽射しが入るのを待ちます、これがベストショットかな。
 
 影になっていても、木漏れ日のものもなかなか良いかな。
 
 峠を越えてきて見える集落の風景。
 
 結局18時まで間で2時間近く頑張って撤収、しかし蚊に喰われて痒い事、これからは虫除けスプレー要りますね。 夏至近くになったら再挑戦しようかな。 
 
 スケッチ風にアレンジしてみました。

スズカ8時間エンデューロ 2016春

 恒例行事となってしまったRRCB有志での「スズカ8時間エンデューロ」への参加、今回も広報部長として参加させて頂きました。 はいサーキットを走るのはもう結構です、その分桜井から鈴鹿までの100キロ余りを自走してきましたよ。
 
 「スズカ」へはいつからエントリーしているのでしょうかね、私の知る範囲で2010年秋からで今回で6回目です。 最初の頃はお揃いのジャージがなかったので写真を撮るのが大変でした。 クラシックレーサーですので今どきのサイクルジャージに比べると地味と云うかシンプルですが、この色コース上でも結構目立つのです。
 
 QCRつまり(関西クラシックレーサー)ですので一応のチームレギュレーションはあるのですが、代走と女性には不問の様な。
 
 昨年からはなんと3チーム体制に、チームK(狂犬)、チームE(エキスパート)、チームB(別嬪)と云う事なんですが、いずれも男女混合8時間のカテゴリーです。
 
 
 
 
 今回初参加の方々、左から母子参加のマーシー君、小学校の頃から「石川ポタ」とかに来ていた彼も今や立派な社会人。 日本有数のコレクター「デローザのたきちゃん」。 急遽代役のMST48ちゃん。 代役と云ってもチームBのベストラップだったタモさん。
 
 サーキットには8時半頃に着いたのですが、午前中は4時間エンデューロも走っていてコース上も混んでいるので、パドック前で写真を撮ったりしながら過ごします。 (写真右下はUG兄さんから頂きました)
 
 午後からは例年通りシケイン近くに陣取ります、全員の写真をくまなく撮るのもなかなか大変でして、2時間は頑張らないと一巡しませんからね。 最後の最後に少し降られましたが、16時過ぎにはみなさん無事にゴール。
 
 そして例によって「みさきや」での全く以って反省のない反省会と云う名の打ち上げです、帰途は便乗させて貰えますので、「月うさぎキャンプ」以来の焼肉とビールをたらふく頂きました。 ところで結果の方ですが、男女混合135チーム中、チームE 39位 43周回、チームK 51位  42周回、チームB 57位 41周回との事です。
 

例によって集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2016]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダーの奥付等でご確認下さい。

 

いざ鈴鹿へ

R25旧道五月橋にて
 今日はRRCB(Restoring & Riding Classic Bicycles)の恒例行事として「スズカ8時間エンューロ」に参加するのですが、今回は昨年の様に代走を命じられる事はなかったので、例年通りに広報部長と云う名の写真係として向う事になったものの、前夜から乗り込むならともかく往路に便乗させて貰う足がなく、始発で輪行しようかと思っていたのですが、今月は走行距離も800キロにも届いていない事もあって、未明に出発して100キロ近くを自走してみようかと企んでみました。ただ輪行袋だけは持って行く事に。 エンデューロは8時スタートですので、できればその頃には到着したいと2時半にスタートとする事に、今夜はお月さんも出ますし、道の駅「針テラス」までは走れ慣れた道ですので真っ暗でも心配はないのですが、その先のR25旧道はそうは頻繁に走ってはいませんので、ただ今の季節ですと針テラスを過ぎる頃には空も少し明るくなってくる頃になるかと。
 旧都祁村域に入る頃、すなわち大和高原に入った頃から霧が酷くなってきて、路肩が判らない様な状況に、その上霧のせいで眼鏡が曇ってきて思うように走れません。 写真は針テラスにて。
 
 経由地となる伊賀上野へは先日走ったルートもあるのですが、今回は最短距離となるR25旧道を走るのですが、三ヶ谷を過ぎた辺りから奈良三重県境の名張川に架かる五月橋までは、上津ダム経由の道をとります、こちらの方が登り返しが多少少ない様に思っているのですが。
 
 五月橋まで下ってきたものの、今度は普通でも霧の発生の多い伊賀盆地へ、中途半端に明るくなってきているので、逆に車からは判りにくい状況が危険です、一応付けられるだけのライトは付けてきてはいるのですが。その上霧で、眼鏡は曇るどころか水滴がたれてくる様な状態です。
 
 現在は伊賀市となっていますが、6時前には上野市街へ、「鍵屋の辻」でトイレ休憩とコンビニで補給です。
 少し遠回りになるのですが、JRの伊賀上野駅前を経て関西本線沿いに東へ、大和街道を織りまぜながら極力R25を使わない様に走ります。
 
 加太越です。 右側に入ると集落の中だけですが、雰囲気のある旧道が残っています。最初の五月橋の写真の様な幻想的な風景もあったりと、なかなかの「自撮り」のチャンスがあったのですが、今日は記念撮影用のゴリラポッドこそあるものの、大きな三脚もタイマーも持ってきていないもので、まぁのんびり「自撮り」している時間の余裕こそないのですが、霧の五月橋は一期一会だったかも。

 R1に合流し関宿西の追分から東海道の宿場町の雰囲気が残る旧街道へ入ります、と云っても生活道路なので車の往来もありますし、休日の日中は観光客が押しかけます。この様に動画が撮れるのは早朝ならではですね。 すみません、関宿以降は鈴鹿サーキットに着くまでは写真はありません。8時までに着くかと思ったのですが、距離100.8キロ、所要時間6時間20分、実走時間5時間28分、ともかく無事に到着してここからが本日の任務です。

 

 

10日ぶりのロード

朝風峠(上平田峠)にて
 
 10日ぶりとは云っても年間でロードに乗るのは距離にして全体の1/4位、計算してみると過去1年間で3,500キロ位、それでも思っていたより多いなと思ったら、asuka号がドッグ入りしていた昨年7月に950キロ程走っていたのが。
 さて今日は朝からasuka号で大和高原にでも行こうかと「自撮り」用の三脚まで積んで準備してあったのですが、何かモチベーションが上がらないと云うか、ぐずぐずしている内に出掛けそびれてしまいました。 水の入った田圃とか緑鮮やかな茶畑とかを狙ってみたかったのですが。
 結局、先週転倒してリムが少し振ってしまったErba号を治して、午後からのんびりと出掛ける事に。 週末の「スズカ8時間エンデューロ」はタモさんが代走を引き受けてくれる事になり、お役御免となって一安心なのですが、昨年のkoga-miyataと云い、私にとって5月のロードは祟られている様です。
 
 明日香村石舞台から稲渕の案山子ロードへ。 稲渕の棚田を巡る回廊の様な小径の頂上近くに、朝風峠と云う洒落た名前の峠と云うか切り通しがあるのですが、明日香村村史にも記述はありませんし、古い飛鳥案内図には上平田峠と記してあります。 案山子ロードに朝風を詠み込んだ歌の碑がありますので、この辺りから近年名付けられたものの様ですが、近辺の案内標識にも「朝風峠」と記されていて、しっかり定着と云うか既成事実化しています。 なんたらニュータウンといったネーミングとあまり次元の変わらない、大して有り難くもない名前です。
 いつもはその切り通しを見上げるだけなのですが、ちょっと上がってみると木蔭と通り過ぎる風が心地良いです。 西側からの陽射しと稲渕の集落が霞んでいなかったら、なかなか良さげな「自撮り」ポイントかも、条件の整いそうな時にでも来てみようかと。 ところで集落を見下ろす道ってシチュエーション、パターソンの画集にありましたよね、確か。
 
 祝戸へ下り飛鳥葛城自転車道へ入り、飛鳥川に沿って大和八木へ、今井町道路元標にチェックイン。 
 
 
 
 自転車道を走り三宅町のローソンで一息入れます。 ここまで飛鳥川に沿って北上してきた大和中央自転車道はこの先で東側に回りこんで、非常に判りにくくかつ走りにくくなるのですが、保田橋から新保田橋の間を整備して大和川に出る様にすれば、どれ程走りやすくなるかと思うのですがねぇ、まぁ色々事情があるんでしょうが。 ところで先日の「ならクルT-1大和青垣ルート」の標識の間違いの件ですが、もう何年も放置されたままなので、先週金曜日に県道路環境課にメールを入れておきました、昨日返信があって「ならクルサインの誤記については、現地確認させていただき対応させていただきます。 」との事です。
 さて昨日同様に太子橋に出て大和川左岸を走り、2時間半あまりで早々に桜井に帰ってきました。 本日の走行46.6キロ、今月はまだ700キロに届いていません。
 

午後からポタ

 
 大和高田での所用がお昼に片付いたので、コンビニでサンドイッチと飲み物を買って、葛城川沿いの自転車道を北へ。 汗ばむ陽気ですが、走っていると風が心地良いです。
 
 
 第二浄化センタースポーツ公園の四阿で遅いお昼にして、写真を撮ったりしながら、小一時間まったりと過ごします。
 
 
 
 
 
 大和川に架かる太子橋まで北上し、大和川左岸を走って帰途に就きました、本日の走行40.8キロ。
 
 

自転車道ではないのですが、田原本町と天理市の間の大中橋から快適な道が数キロ余り桜井まで続いています。 御幸橋から飛鳥川沿いの自転車道と横大路を継いで帰ってくるより、距離的には遠回りなのですが、結構快走ルートなので時間的には変わらないかも、R24を跨ぐ庵治町の信号だけが鬱陶しいのですが。

 

Amazon Cloud Drive This dayより

 1年前の今日は、「スズカ8時間エンデューロ」への代走を引き受ける事になったものの、T御大とのトレーニング中にkoga-miyataのディレーラーとエンドを破損させてしまい、急遽9さんからasukaロードを借り受けて、ハンドル回りとサドルを交換して、試運転がてら石舞台まで走って行った日でした。 今年も欠員が出たのですが、タモさんが引き受けてくれる事になって、代走の任は許して貰えました。
 
 9年前の5月22日は、梅田でskuram氏と食事してから買い物に、写真左は弁天町にあった「ビチコルサ・アヴェル」の前身タニムラサイクルさんですね、夜は法善寺横町の馴染みのBARへ、最近は大阪へ出ても飲みに行かなくなったのでご無沙汰ですが。
 
 12年前の5月22日は翌日にかけて、五條市のカルディアキャンプ場にて、これが最初の「4サイド」を建前にしたキャンプだったと思います。
 
 ところでAmazon Cloud Driveにデジタルになってからの画像を全てをバックアップとして保存しています。 プライム会員ならデジカメ画像容量無制限(動画は不可)のストレージが利用できます、大量のデータをアップロードするには時間も掛りますし、しくじる事もありますが、万が一のバックアップ用や出先で画像が欲しくなった時にも重宝しています。
 Amazonプライム会員と云えば、お試し期間が来てもほっておくと自動的に課金されると、悪評が高いですが、それはそれで当たり前の話。 ところでそのAmazonも「送料無料」が「2,000円以下送料350円」になるとか、私はもとよりプライム会員だし、今までも「合わせ買い対象商品」なんてのもあった事ですし、これ以上は配送業者さんに申し訳ない様な気もして。 まぁ私は送料無料に「AMAZON fireTV stick」で無料動画、画像無制限ストレージと年会費3,900円の元は充分に取らせて貰っています。 
 と云う訳で、暇人ですの手間は厭いませんが来年の「CanCan謹製カレンダー」の材料費捻出にご協力を。 Amazonでのお買い物の際は下のバナーまたはブログ右上のウィジェットからよろしく。

紙の地図って良いもんです

1991年8月25日
 
 一昨日は紙の地図、すなわち国土地理院の地形図を持って行ったのですが、ガーミンにせよスマホにせよ、GPSにどっぷりはまった身にも良いもんですね。 全体が見渡せると云うか、地形図からは色々な情報が読み取れて愉しくなってきます。
 
 揃えたものは今もちゃんとキャビネットに整理しているのですが、プランニングはPC上でカシミールやGoogleMapで行なうのが便利ですし、不足分をいまさら新たに地形図を準備する手間も費用も大変です、出掛ける時もロングツーリングともなると結構な荷物になります。 GPSの便利さを考えると不便な事には違いないのですが、しかし真夜中にヘッドライトに照らされた部分だけを見ている様な不安感、必要最小限の情報を的確に見せてくれてはいるのですが、頼ってしまうと万が一の時に自分の居場所を見失ってしまう様な、それにGPS頼りで読図力がいらないと云う事は、ある意味で馬鹿になってしまうと云うのが怖いです。 まぁ、いまさら新しく買う事もないかとは思いますが、手持ちの分だけでも携行しても愉しいかなと思った一日でした。
 

25年ぶりの武木小川林道

武木小川林道白屋越
 
 ブログにも書きましたが、一昨日アルバムを整理していて見つけた古い写真、25年前になる1991年8月に東吉野村と川上村の間にある武木小川林道へ行った時のものです。 いわゆる足ノ郷越で、グランフォンド吉野のスーパーロングコースに設定されているので、走られた方も少なくないと思いますが、当時は知る人ぞ知るダート林道。前日に名阪小倉界隈で行なわれたマウンテンバイクのレースを覗いた後、室生から染谷峠を越えて東吉野でキャンプをして翌朝から越えたのです。以来何度も近くを通っているのですが、25年もの間踏み込む事はありませんでした。
 ところで長らく所在不明になっていた川上村道路元標が川上村役場前に保存されている事を先日知ったのですが、最近少々熱が醒めている事もありますが、大滝ダム横の坂とトンネルを越えて往復するのも、いずれ熊野方面に向う時に立ち寄ろうかと思っていた処、武木小川林道で大滝ダムの向こう側へ越えれば、R169は下るだけで帰って来れます。タイミング良く今日の予定が一日繰り延べになった事だし、お天気も良いので、早速「四半世紀の時」を超えて飛び出す事にしたのです。 ちなみに下の地図は当時使っていた1/2.5万図、吉野大峯林道も五番関トンネルもありません。せっかくですので、当時の写真とこの地形図も持って行く事にしました。
 明日香村から芋峠を越えて、河原屋のローソンでお昼を仕入れて、いつもの吉野川~高見川遡上ルートで東吉野村へ向います。 余談ですが相変わらず「ならクルT-1大和青垣ルート」の標識は距離が間違ったままです。 
 月一でやってくる東吉野村ですが、今月は「月うさぎキャンプ」があった事で3回目になります。四季折々の魅力がありますが、新緑が眩しく川面にカジカガエルの声が響くこの季節が一番好きですね。 
 いつもの様に「ニホンオオカミ像」の前で一息入れて、小川から小(おむら)までは左岸を行き、今日は丹生川上神社中社に立ち寄ります。ちなみに川上村にあるのが上社、下市町にあるのが下社です、下市町と云っても広橋峠の南側ですから、殆ど黒滝村なんですが。高原洞川林道が通れたら三社巡りなんて周回コースが組めて愉しそうなんですが、かなり健脚向きではありますが。 
 10時半過ぎに林道へ取り付きます。 R169に入る武光(ぶこう)橋まで約15キロ、ピークまで標高差700m程あります。 取り付きからインナーロー、「天然わらび園」への分岐を過ぎた辺りまで、停まってしまうと再び走り出せなくなる様な坂が続きますので、ひたすら漕ぎ上げるだけです。 
 25年も経っていると記憶は殆どありません、それに植生の成長で風景も変わっています。適当な処で2,3度休憩しながら1時間程でようやく稜線に取り付きます、以前はここから西側の展望が開けていたと思うのですが。 
 丁度12時に白屋越に到着、武木小川林道は稜線に沿って走っているので、途中で東の川(うのかわ)越、白屋越と云った古道の峠と交差しています。白屋越は天誅義士所縁の地でもある様です。 
 白屋越から足ノ郷越にかけて、25年前との比較です。
 
 12時半過ぎにようやく標高980mの足ノ郷越に到着。「足ノ郷峠 川上街道」と由緒を紹介した立派な案内板が建っています、もちろん25年前にはありませんでした、街道として紹介されていますが、ここまで出遭ったのは野生の鹿と山仕事の軽トラ2台だけです。 
 峠を越えると武光橋まで延々と下りが続きます。 新旧比較、断崖が木々に覆われていますが。雰囲気はあまり変わらないです。斜度は東吉野側よりこちらの方が遊びがなくキツい様な、今年のグランフォンドは逆周りでこちら側から登るとか、ご苦労な事です。 
 この場所で「自撮り」をしようかと準備をしてきたのですが、見つけられなかったと云うか、それらしき場所はあったのですが、谷側の木が成長していて風景が一変していた様な。 山岳林道らしい風景が良かったのですが、残念。 

 武木の集落を抜けて1時過ぎに武光橋まで下りてきました。 武光橋はダム建設で架け替えられていて、昔の武光橋(写真右)を黄色い丸で示した位置から撮ったものです。ところで湖面を回廊の様に巡っているのはダム湖に沈んだ旧R169なのです。 現在の武光橋から見下ろすとこんな感じです、R169を走る事はあっても新しい武光橋や対岸から見る事がなかったので、今まで気が付かなかったのですが、走れるものなら走ってみたいロケーションですね、当然「自撮り」も。しかし前後で冠水していますし、今では進入路もない様です。既に道路としては破棄されている訳ですから、年数を考えると仮に下に降りる事ができても、かなり危険な状態になっているでしょうね、しかし残念。
 少しR169を走って道の駅「吉野路杉の湯川上」へ、武木小川林道では何やら虫が多くて、落ち着ける場所がなかったので、用意してきたお昼をやっと頂く事が、既に2時を回っているのですが、今日の本来の目的だった川上村道路元標、所在の見当ほぼついているので慌てる必要もないのです。ここの道路元標の経緯については、9年前の2007年6月25日付けのブログ「川上村道路元標は何処へ」に記してあるのですが、丹生川上神社上社にないと云う事は、移設されないまま湖底に沈んでしまったのか、神社以外の移転場所を考えれば村役場か資料館の類となるので、気を付けてはいたのですが。元標の周りの土が新しい事から、どうやら最近になって再建された様です。無事に現存を確認し1,044基目の道路元標となりました。
 本日の予定をこなし、R169から<39>五條吉野線と走り、いつもなら椿橋から壷阪峠で帰るのですが、時間もありますし少々マンネリ気味ですので、千石橋を渡り近鉄下市口駅の裏を通って車坂峠から吉野口駅経由で帰途に就きました。 本日の走行117.5キロ。