3ヶ月ぶりに1,000キロ超え、やはり月1,000キロは走らなアカンって事なんか(^_^;) 100キロ超えが4回、昨年10月の「吉野周回ツーリング」に続いて4サイドでの2日連続100キロ超えも。
道路元標は1042基目となる田口町道路元標を愛知県北設楽郡設楽町にて。
帰途はサイドバッグを宅急便で送り、山陽本線側に出て「18きっぷ」輪行で帰ろうと云う以上の事は具体的に決めていなかったのですが。
再びサイドバッグを取り付け「シクロの家」を8時には出発します。
2度ばかり「自撮り」をこなして道の駅「多々羅しまなみ公園」へ、「サイクリストの聖地」とやらで一応記念写真をば。
多々羅大橋を渡り生口島へ、瀬戸田方面へのコースへ入ります。
瀬戸田ではヤマト運輸の営業所へ、ここからサイドバッグとテントを宅急便にして送ります、さすがにこれだけの荷物を担いで輪行は不可能、やった人もいますが。
身軽になった事ですし、乗れるのものなら1615発に乗りたいので先を急ぐ事に、結局は向島の駅前渡船の桟橋までを1時間20分程で走って1520に到着、無事に輪行支度を済ませて1615発の播州赤穂行きに乗車する事ができました。
中央構造線を離れ今治へ、今日は「シクロの家」に連泊していますので、サイドバッグを下ろし身軽になって「しまなみ」を「自撮り」サイクリングに向います。 来島海峡大橋までは車と信号の多い国道沿いを避けて、浜寄りのコースを取ります、但しこちら側は道が判りにくいのと防波堤に沿った道の舗装状態があまり良くないのですが、来島海峡大橋を東側から望みながら走る事ができます。
来島海峡大橋を渡り、大島はいわゆる「外周コース」と呼ばれる西岸から北岸を巡るルートを走ります。 こちら側には田浦峠(78m/写真左)と云う峠があるのですが、標高そのものはメインルートの宮窪峠(79m)と変わらないのです、斜度は多少キツい様ですね。 峠を越えて暫く行くと北岸に出て、対岸に大三島を望む事ができます(写真右)。
大島大橋と伯方橋を渡ります、この橋は一体となっているのですが、途中に見近島と云う島があって歩行者、自転車は下りる事ができ、ここには無料のキャンプ場があります、「しまなみ」周辺には他にも魅力的なキャンプ場が幾つもあるので、一度利用してみたいのですが、「シクロの家」の居心地が良すぎてね。
伯方島を通過し大三島へ、大三島橋(写真左)から大三島南岸へはちょっとした抜け道があるのですが、スロープの途中にあって下って行くとちょっと判りにくくて、見落とすかも。 そちらへ下って鼻栗瀬戸をバックに「自撮り」をば。
大三島南岸を西へ、海岸沿いの快走コースが続きます。 1月にも走っているのですが、その時は岡村島経由で宗方港へ渡り、この先の工事区間を迂回しこの南岸を東へ走りました。 既に工事による通行止は解除されているのですが、舗装工事が続いています。
大三島西岸を北上、北岸に抜ける処にちょっとした無名の峠(68m)が、峠に出ると対岸に見えるのは、最初は大久野島かと思ったのですが、何やら電車の様なものが走っています(写真右)。 それは呉線、もう対岸は広島県三原市なのです。
ムラマサ君には峠で折り返して貰います。 東岸へ回りこむと多々羅大橋が見え、しまなみ外周ルートも完走です。 彼と一緒に走るのは2012年4月の「月うさぎキャンプ」以来です。
今回もお世話になりました「しまなみゲストハウス シクロの家」
富郷ダムから湖畔を少し上流に行った処に適当な野営地を発見、かなり大きな公園になっていて四阿、トイレ、水道と揃っています、敷地内にレストランがあるのですが、火水曜日は定休日で人影は見えません、駐車場は16時に閉鎖されてしまっていますので既に車は入って来ません。 そして眼下の湖岸には野外ステージまでついています、こんな山奥の野外ステージで一体何を行なおうとしたのか、何が行なわれたのか、どう贔屓目に見ても無駄な公共事業の実態を目にしながら、有効に使わせて頂きました。
法皇湖畔を離れ県道は現在では新居浜市となっている別子山村へと入ります。 道路だけは立派なのですが寒々とした風景が続きます、ここに松山市をも凌ぐ鉱山都市があったとはとても信じがたいです。 ところで困った事に、この先「時間帯制限」の看板が、通行できるのは1時間に10分だけ、工事が始まる9時には後1時間もありません、距離は数キロなのですが、殆ど別子ダムまでのぼらなければならない様です、まぁ間に合わなければ道端で店を拡げてお湯でも沸かしてコーヒーでも淹れるかと思いつつ、先を急ぎます。
幸い通行止め箇所には10分前には到着、無事に通過する事ができました、しかしこの銅山川沿いのルートは工事が非常に多い様ですね。 工事区間が終わった処には銅山への登山口があります、この登山道の先に小学校や病院、劇場があったのです。
標高400m位まで下ってきた処に、「東洋のマチュピチュ」を謳い文句にしている別子銅山の遺構のある東平(とうなる)への分岐があります。 ただ東平へは5.5キロで標高800m近くまで登らなけらばなりません、とてもそんな余力も気力も残っていません。
鹿森ダムとループ橋を過ぎて標高150m程にある道の駅「マイントピア別子」まで下ってきました、陽射しもあってようやく生きた心地が。 ここには別子銅山のテーマパークが併設されていて、鉱山のトロッコとかもあるのですが、見学は適当にして、レストランで「鍋やきうどん定食」を頂く事にしました。
12時過ぎには「マイントピア別子」を後にします、「シクロの家」まで後45キロ程、殆ど平坦路の行程ですが、できるだけR11は避けて、通学路になっている自転車道や、旧い讃岐街道や遍路道を辿って行きます。 後で「シクロの家」のスタッフに教えて頂いたのですが、この自転車道(写真左上)、元は別子銅山の鉱山鉄道や排水路だったそうなんです。 西条からはメインルートは今治に向うR192となるのですが、ここでも田んぼの中や漁村の路地を縫って行きます。 実は昨年、今治から西条市に残る多賀村道路元標へ往復しているので、結構土地勘があったのです。
1645、今治駅前の「シクロの家」に到着、4日間で380キロ、「自走今治」の一応の目的は達成です。 途中で今は「シクロの家」を運営する「シクロツーリストしまなみ」のスタッフとなっているムラマサ君からメッセージがあって、Yさんと一緒に迎撃に出られた様なのですが、どうやら浜よりを走った私の迎撃には失敗した様です。
今治のB級グルメと云えば「焼豚玉子飯」、以前に「白楽天」と云うお店へ行ったのですが、あまりに甘すぎてちょっと敬遠していました。 今回は迎撃に失敗して戻ってきたお二人と、お薦めの「重松飯店」へ、ボリューム満点でリーズナブル、お味も満足。 写真左は「満腹セット」でなんと950円(税別)、メニューには焼豚玉子飯(小)+焼飯(小)+ラーメン+サラダとなっていますが、どこが(小)なんでしょう。 ちなみにここで焼豚玉子飯(中)を頼むと玉子が3つ載っているとか。 ただ営業時間がテキトーな様で、ネット等では夜の営業は21時までとなっていますが、私達が帰る20時半頃にはのれんをおろして、店のみなさんが賄い飯を食ってはりました。
美濃田大橋を渡って右岸のR192へ、陽射しも入ってきて身体も温もってきたので、佃駅の見えるポイントで着込んでいたものの脱ぎながら、時刻を調べてみると徳島線と土讃線の列車がまもなくやってきますので待つ事に。 佃駅は物理的に両線が分岐する駅なのです。
現在の三好市の中心にあたる阿波池田の町中へ入りますが、国道を避けて山側の道を辿って行きますと、阿波池田の街を見下ろす高さまで登ってしまいましたが、穏かかに登って行く道でしたのでさして苦にはなりませんでした、ただ逆向きは激坂があります。
ここから先は確実に食料が調達できそうな処がないので、明朝の分まで含めて買出しをしておく事にしますが、まずはスーパーマーケットが開く9時までコンビニでコーヒーでもとローソンを探して向う事に、なぜローソンなのかと云うとPontaのポイントに加えて、docomoのおサイフケータイで決済すると、月締めで3%の歩引きをして貰えるのです、従ってちょっと遠回りしてもローソンなのです。 しかし国道のバイパスに面していて旧道側から来ると判りにくくて参りました。 ここはイートインコーナーがないなぁと思っていると、なんと外側にお洒落な休憩スペースが… とfacebookに書き込んだら、食いついたのはブルベライダー、仮眠なんかしゃちゃ駄目よ。
R319に入るなり急坂になりますが、そこを越えると穏かな斜度の道が続きます。 信正と云う集落まで来て旧道と思しき道が別れているのでGoogleMapで確認してみると、ここには「モモンガビレッジ」と云うゲストハウスがある事に気付きます。 まだ走り出して25キロ程、もう少し先にあれば昨日は風呂に入れなった事だし、ここへ泊まる手もあったかと。 しかしここならキャンプ装備でなければ徳島港から充分に走ってこれる範囲ではありませんか、早速次のプランに想いを巡らす事に。
阿波川口でR319に入って約10キロで愛媛との県境となります。 地理に詳しくないと四国4県がどのように接しているかは判りませんよね、徳島県と愛媛県はここで背中合わせになっているのです、両県を直接結ぶ道路は林道を除けは、ここR319と新旧のR192境目峠と高速の徳島道だけなのです。 ここの県境ではお互いの標識が向かい合わせに建てられていて、パノラマ撮影してみるとご覧の様に1枚の写真に収める事ができました。 周りを見渡してみると「宇摩」と彫られた石標が、県界標ではなく郡界標でしょうか、少し疑問が湧いてきました。
銅山川沿いに遡ってはいるのですが、県境は小さな峠状になっていて、林の中を少し下ると明るくなって谷あいの集落に出ます、「あじさい茶屋」と書かれたお店があって水車が回っているので、食事でもできるのかと覗いてみたのですがお休みでした。 やはりこの季節の平日にこのルートで食事を期待するのは難しそうです。 と云うか時計が停まったままなんです。
銅山川には4つのダムがあるのですが、最も下流の新宮ダムの下に出てきました、現在は四国中央市となっていますが、元の宇摩郡新宮村の中心となる辺りです。 ここで直進する県道と右折するR319に別れています。 今夜は野営覚悟なのでスマホのバッテリを節約するために折々に電源を切っていたので、GoogleMapを確認せずに、思い込みで真っ直ぐ入ってしまったのです。 高速道の下をくぐった辺りから何かおかしいなと思いつつ、距離で2キロ程、標高で50m程登ってから道を間違っている事に気が付きます、これは高知県へ向う県道5号だったのです。 先の三叉路へ戻りR319へ入りますが、そこでも道路工事の誘導に惑わされて行き止まりの道に入ってしまい、数10mですが再び戻る事に。
とにかく新宮ダムへの登りへ入ったのですが、プランニングの段階でR319をそのまま登るとかなり余計に登らされるので、通れるか通れないかはともかく、新宮ダムの天端道路を経由する道を考えていたのですが、その道はダムを左に見つつも右に下りR319の下をくぐってダムへ下っているのです、その分岐を見落として高速道をはるか下に見下ろす処(写真左上)まで登ってきてしまっているのです、ここまで来て通れるか通れないかが判らない道の分岐まで戻る気力はありません、このままR319を辿るのが得策でしょう、結局150m程登って川之江へ抜ける堀切トンネルの入り口へ、R319は更に旧道の堀切峠へ向って登っています(写真右下)。 幸い「解除中」ではありましたがR319は時間帯通行止の案内が。
金砂町平野と云う処で再び直進する県道と右折するR319に、要するにここでR319と別れ真っ直ぐ県道を旧別子山村へ向う訳なのです、新宮で道を誤った原因がこれでお判りでしょう。 過去にコースミスをした多くはこんな思い込みなんですね。
銅山川沿いの道は県道6号となりますが、ここまで走ってきたR319と比べると、整備された立派な道です、おまけにブルーラインが引かれていて伊予三島からサイクリングロードとして設定されている様で、「しまなみ」や「とびしま」よろしく、ここでは富郷ダムまでの距離が示されています。
どうにか17時には富郷ダム堰堤に到着、富郷ダムは銅山川にある4つのダムの中では最も新しく大きなダムで、ダム湖は法皇湖と呼ばれており、周辺も公園があったりと今風に整備されています、さてそろそろ今夜の野営地を探さなければならない時間です。
寝たのか寝てないのか良く判らないまま0455徳島港に到着です。 まだまだ外は真っ暗、フェリーターミナルから徳島市の中心部までは4~5キロ離れていますし、土地勘がないとちょっと大変かも知れません。 いつも橋を渡ると左に川岸を見ながら、通称「ケンチョピア」と呼ばれるマリーナの脇を抜けて行く事にしています。 30年以上も昔ですが「徳島阿波踊りヨットレース」で停泊した事のある懐かしい場所です、対岸の県庁は新しくなりましたが。
今日は吉野川沿いに、ほぼR192を東みよし町の「美濃田の渕キャンプ場」までの約70キロ、以前にも走っていますし、途中で’うだつ’で有名に脇町に立ち寄る位のもので,、今一つ芸のないコースなので、思いついたのが神山町と云う処に古い自転車仲間のK夫妻がおられて、約束もなにもしていないのですが、お勤めではなく奥さんの家業を継がれているので、もしかすると久しぶりにお目にかかれるかも知れないと考えてみます。 ただ距離はともかくとして、そちらへ行くと徳島へ戻りでもしない限り、標高700m台の峠を越えなければ吉野川側へ入れないのです。 さて分岐点まで来て、いささか寝不足なもののお天気も良い事ですし、そちらへ向ってみる事にしました。
分岐から25キロ程走って、お店へ到着したのですが、残念ながらお二人とも東京、大阪へ出掛けられているとの事でした。 私達自転車仲間の間ではいまや伝説となったご夫妻なので、久しぶりにお目にかかりたかったのですが。
R193との併用区間を過ぎ再び別れる処から、経の坂(倉羅)峠への登りが始まります(写真左上)、ここから峠まで標高差500m以上、途中一度ばかり休憩を入れましたが、どうにか漕ぎ上げて予定の正午前には峠に到着。 途中16%なんて勾配(写真右下)があって、失速して立ちコケ寸前でした。
吉野川河畔まで下り、ようやく本来のコースのR192へ戻ります、旧道を織り交ぜながら西へ、有名な「脇町潜水橋」を渡り脇町へ。 この橋なんですが想像以上に交通量が多く、車同士は交互通行しているのですが、こちらが自転車だと突っ込んでくるので、こう云った場所が苦手な人は要注意です、時々はトラックもやってきます。 交通量が多いのと、沈下橋と云って結構大きいので自転車の「自撮り」はなかなか難しいです。
予定の17時前には「美濃田の渕キャンプ場」に到着、ここを選んだのは無料だと云う事と、温泉のある道の駅が隣接していると云う事だったのですが、テントを設営し終えて夕食も兼ねて温泉へ向うと、なんと温泉は火曜が定休日との事、ちょっとリサーチ不足でした。 バンガローのある区画は大きいのですが、テントサイトは想像していたより狭く、シーズン週末だと到着が遅くなるとちょっと厳しいかも知れませんね。 それと提灯が吊ってある処をみるとお花見の頃は大変な事になっているかも。 平日にも拘わらず先客が3組、いずれも単車でのソロの様でした。 本日の走行112.3キロ、平均速度15.1キロ。 写真はいつもの「自撮り」ではなく9さんに撮って貰いました。 九度山以西は久しぶりに走りましたが、専用道ではないもののブルーラインも引かれてずいぶんと整備がすすんでいます。

明日香村を抜け奈良県道120号へ入る五條方面への定番コースです、先日も和歌山へ向かわれたS氏を送ったりと2度ばかり走ったばかりです。 近鉄吉野線とJR和歌山線に沿って行きますので勾配もゆるく、道が狭いので車も少ない自転車向きのルートです。 重阪峠を越えて少し我慢してR24を走り五條市街は旧街道へ、古い街並みの残る五條新町を抜けます、写真左下は五新線の遺構です。 紀ノ川左岸に渡り県道55号線で和歌山県へ。
1155南海高野線の九度山駅下に着いた処で9さんに電話を入れてみると、迎撃しようとして五條近くまで行ってしまった様です、走るコースは暗黙のうちに決まっているのですが、何処ですれ違ったのでしょうか。 ともかく九度山の道の駅で待つことにします、しかし「真田丸」効果は凄いですね、大変な人出です。 他に食事のできる処を求めてウロウロする事に。 食後に9さんの秘密基地に出向いて、とある部品を物色します。
その後も紀ノ川左岸を和歌山に向ってエスコートして頂く事に、ブルーラインが引かれていると云っても断続的で案内標識もありませんので、その辺は原住民の案内は心強いです、お陰で車と信号の少ない快適なコースを辿る事ができました。
久しぶりに現在の紀の川市に残る麻生津村道路元標へ立ち寄ります、私が道路元標を巡りだした10年程前には和歌山県には橋本町道路元標しか現存が確認されていなかったのですが、ここは地元のウォーキングコースとして紹介されていて見つける事ができました。
9さんには貴志川の合流点まで送って貰い、JR和歌山線の船戸駅で少々休憩した後、和歌山市街へ。 夕食は和歌山ラーメンにしようとFaceBookのお友達のY氏に2,3軒のお薦めを挙げて貰いました。 和歌山ラーメンは基本的にいわゆる「中華そば」の類なのですが、お薦めの中からルートからあまり離れない処に、私好みの豚骨系のお店「丸花」があったのでそこへ向う事に。 1人だったのですんなり入れたのですが、私が出る頃には行列が。 ちょっとエグ味が感じられなくもないですが、人気店だけの結構なお味、ほうれん草とうずらの玉子が特徴です。
関西から海路で四国へ渡るのは幾つかの航路があるのですが、南海フェリーが今月一杯まで自転車の航送料金が無料なのが、今回選んだ理由の一つなのですが、神戸~高松のジャンボフェリーに比べると所要時間が短く、それがかえって夜行便で休んで行こうと云う向きには辛いかも知れません、その上最寄駅の南海の和歌山港駅はなんと21時29着が最終なので、輪行で来ても和歌山市駅から走らざる得ないので、何度か使っているもののここの夜行便はあまり使い勝手の良いものではありません。 なお自転車の車両甲板への乗降は車より先に乗船し下船は後からでした。 本日の走行101.2キロ、平均速度16.4キロ。