一昨日土曜にゆるゆるCC一行が急遽イベントを立ち上げて向かった西吉野のいわゆる「桃源郷」そう云えば2019年4月以来ご無沙汰、よし行こうと直前にSNSで呼びかけたものの一人も釣れず、まぁ皆さん昨日の日曜に走り回っていた様ですからね、実は私今日から3連休「使えない改悪18きっぷ」3日版を駆使してどこかへと企んではみたもののやはり使えないヤツでした。


やはり約束がないとダメなもんで、少々寝過ごして桜井を出たのが8時前、少々雲が多い様ですがまずまずのお天気。明日香村を抜けて近鉄飛鳥駅前へ(写真左)、ご覧の様に駅の回りの桜は満開間近。県道120号高取五條線へ入り 0907 吉野口駅前。
0927 薬水まで来ました、さて福神から下市に越えて、役場の処から県道20号下市宗桧(むねひ)線で樺の木峠を越えて行くか、五條回りで五新線沿いに行くか… 一息入れながら思案… 云う程の事でもないのですが。
距離的には下市回りの方が近いのですが、光円寺の枝垂桜ももういいかとこのまま県道120号を走り重阪(へいさか)峠を越えて五條へ下り大川橋を渡ります、もう鯉のぼりですかぁ…

吉野ストアを過ぎた処から五新線廃線跡に沿った道に入ります、その辺りの経緯はこちらを。はい、単に天の邪鬼なだけなんです。


廃線跡と別れ丹生川右岸の旧十津川街道と思しき道を行きます、強引に丹生川第1橋梁を左岸側に渡っても生子(おぶす)トンネルが封鎖されているので、激坂を押し上げて国道168号に取り付くしかありませんので、私の定番ルートはこちらです。最初の内は軽トラの轍の残る道で乗車可能ですが、明治時代に建てられた「法華経一字一石塚」「為川筋往来安全也」と記された石碑の建つ辺りから落石と落ち葉に覆われた状態になります。ちなみに石碑の付近が以前の五條市と西吉野村の境界、昭和の大合併以前は宇智郡南宇智村と吉野郡賀名生村との境界でした。
以前より状態は悪くなっている様です、最後は担ぎとなり滝集落へ、梅の花はもう散っていますが、ほっとする風景です 2017年2月28日、今回も一応「自撮り」の準備はしてきているのですが…
賀名生(あのう)バス停跡へ、河瀬直美監督の代表作「萌の朱雀」で「恋尾」とされていた停留所です、尾野真千子が兄役の国村隼のカブの後ろに乗せて貰って学校へ通うシーンがありましたね。

第7丹生川橋梁の手前で廃線跡を離れ、一昨日ゆるゆるCC一行が立ち寄った3月20日にOPENしたばかりの「HaniCafe」へ、平日ですが先客にローディがお二人。一応菓子パン2個他を積んできているのですが、ランチボックスがあったのでそちらを頂く事に。お味もなかなかで食器に紙トレーとシートは好印象なのですが、別メニューでそれなりのお値段のコーヒーまで紙コップとは残念です。
1211「HaniCafe」を後に、ごちそうさまでした。橋を渡って左岸の国道168号へ、国道から青色のお店が目立ちますが、五條側から国道を走ってきて見えたら行き過ぎ、手前の橋を渡らなくてはいけません、右奥に見えているのは五新線の第7丹生川橋梁。


西吉野トンネルを避けて発電所から先年廃校になった賀名生分校側の道を越えます、城戸の三叉路を左折し県道20号へ、1キロ少し走れば目的地です、サンシュユも桜も今が一番見頃、ただ曇り空が残念、昨日同様に国中の方は青空が出ているのに南の方は曇っている様です。平日とあってかわざわざ見物や写真を撮りに来ている人は見かけませんでしたが、通りすがりに車を停めて観て行く人が少なくないです。最近は結構人気だそうですが、ここ川岸と下市町西山界隈を最初にネットで取り上げたのは輪友 SORAさんだった様な気もするのですが、少なくともサイクリストでは彼が最初だったはず。











































「18きっぷ輪行旅」2024年夏のシーズン第2弾は日帰りで京都府の宮津駅から海岸沿いに東舞鶴駅まで走ります、実はこの区間を走ると城崎温泉から富山新潟県境まで轍が繋がるのです。















































































有名な、通称「めがね橋」です。丹後宮津を舞台にした瀬尾まいこ原作に拠る2008年の







1962年の北陸トンネル開通までの北陸本線旧線の敦賀~南今庄間には3か所の駅と3か所の信号場がありましたが、その一つだった大桐駅跡。ところで今庄と敦賀では100m以上の標高差があり、北行きですとピークの山中トンネルまで約250mの登りには夏でも涼しいトンネルが幾つもあり木陰も多いのですが、南行きですと山中トンネルまで県道を淡々と登って行かなければなりません。

トンネル間の幾つかでは敦賀湾越しに敦賀半島を望む事のできるポイントがあります。

旧線の杉津(すいづ)駅の跡地はPAになってしまっています、写真は次の新保駅跡。

そして敦賀市街に入ったのは既にお昼を回ってしまいました、こうなると若狭方面へ足を延ばすのは諦めざる得ません、時間よりもこの暑さが。市内の「北陸3県デジタルスタンプラリー」を3ヶ所程回ってみましたが上手く行きません、諦めてお昼でも食べて敦賀駅1443発の姫路行き新快速で帰途に就こうかと考え、アルプラザのフードコートでカレーを食べながらスタンプラリーのオンラインマニュアルを見ます、どうやら「NIVITIME」の機能にまるっきり依存しなけらばならない様です、これではジオキャッシングライクなスタンプラリーの愉しみがないではないですか、まぁ複数チェックポイントを効率的に回る順列の工夫は必要でしょうが、せっかくですのでもう一度敦賀市街を一回りして再度トライ、今度は上手くゆきました。そうなるとせっかくですので「赤レンガ倉庫」まで足を延ばします。
「赤レンガ倉庫」の影に運転台前面窓がパノラミックウインドウになった後期型のキハ28が保存されています、急行「わかさ」ってありましたね、乗った事はないけど。













標高70m程で鹿屋市郊外の住宅地と云った趣の中の大隅野里駅跡へ、残念ながらこの先は車止めが多くて自転車には走りづらいのですが、一般道が並行しています。今回は鹿屋航空基地の南西端で左折し市街へ向かいます。








ともあれ 1452 無事に志布志港に到着、既に何台かは戻ってきてはいるのですが、佐多岬でキャンプをしていたT君は大丈夫かな。

乗り遅れる人もなく参加者全員が無事に乗船できた様です。帰りは船が変わって「さつま」で3階甲板にサイクルラックが用意されていて、ラックに掛けられないキャンピングやミニベロは柱に固定して貰う事に、フェリーではそれが当たり前の光景だったのですがね。





写真提供 : ヴァンズ凸












































