「廃線跡」タグアーカイブ

ランドナー補完計画 御前崎オフ

静岡県御前崎市 御前崎灯台

 まだ暗い6時前に掛川駅近くのビジホを出発、参加者が宿泊している御前崎の民宿「聖火」に向います、約30キロの道のりです。途中、携行食の補給を兼ねてイートインコーナーのあるコンビニを探してコーヒーブレイク。土地勘がないのに行き当たりばったりのコース選択がまずかったのか、思いの他アップダウンが多いなとか、原発立地で道だけは良いなぁとかぼやきながら8時には海岸線へ。
 今日は9時過ぎに出発と云う事で多少の余裕がありますので先に御前崎灯台を見上げるポイントへ、「自撮り」の準備をしてきていますのでトライしますが、風が強くて怖くて三脚を立てる事ができません、ストーンバッグも持ってきているのですが、あまりに風が強過ぎてガードレールの影に立てるのが精一杯です。しかしなかなかのロケーションです、今回はロケハンと諦めて是非とも再訪したいものです。
 9時少し前に「聖火」到着すると、これから記念撮影と云う処、挨拶もまだですが先に写真に混ぜて貰う事に。(大きな画像はアルバム「ツーリングの記録」へ、要認証)

 唯一本日のみの参加者と云う事でして、皆さんへの挨拶と自己紹介を済ませて、さて出発なんですが先程通った御前崎灯台へ行くとの事、ただ標高40m程の高さに建つ灯台の元まで激坂を登ります。そしてここでも記念撮影を、私も撮らせて頂いたのですが、丁度流れる雲の影になってしまい、出来が悪いのでGAMIさんから写真を拝借しました。
 先程登ってきた激坂なんですが、ここがなかなかの撮影ポイントなんですね。判っていたら登りで待ち構えるんだったのに、でも後ろ姿の下りは爽快感があっていいかも。
 今日は御前崎を後にして駿河湾側を北上してから大井川沿いを集合場所の新金谷駅に戻る40キロ程のコースを走ります。御前崎を出て牧之原市地頭方付近までは、少々車の多い区間も走りますますが、地頭方のセブンイレブンで休憩の後、太平洋自転車道(静岡御前崎自転車道線)に入ります経由。太平洋自転車道は1973年に提唱された、房総から太平洋岸を南紀まで、全長1.200キロに及ぶ自転車道を整備しようと云う計画だったのですが、46年たった今も完成には至っていません。千葉県、静岡県、愛知県、三重県、和歌山県下で断片的に供用されてはいますが、中にはほったらかしになっていて自転車の走行が困難だったり、廃道状態の処もあります。
 この静岡県道375号静岡御前崎自転車道線は1970年に廃止された静岡鉄道駿遠線跡を活用していて、一般の利用者も多く維持管理が行き届いている様です。昨日の参加者が走った浜松御前崎自転車線は砂浜の砂が自転車道に吹き込んでいて難渋した様です。同様の事を加賀海浜自転車道(金沢小松自転車道線)で経験した事がありますが、強引に突っ込んだら思いの外砂が深くて危うく転倒する処でした。
 例によってがっつり走らないランドナー系のサイクリングイベントですから休憩タイムを充分に、遠来の参加者が多いですのでお土産を買うポイントも、写真は立ち寄ったお茶屋さん。

 海岸線にでると駿河湾を挟んで富士山が、日頃見慣れていない関西人にはなかなか感動の光景です。
 お昼は静波海岸でケータリングサービスの豪華なお弁当が準備されています。でも折角のロケーションにもかかわらず、何故かみなさんサポートカーの陰で車座になって弁当を拡げているのです。事情を知らず海岸に陣取った私は風に運ばれてくる砂のふりかけの洗礼を受ける事に、そう云う事なんですね。
 富士見橋で大井川を渡り左岸の河川敷に入ります。これも自転車道かなと思いきや、大井川リバティマラソンコースという延長10数キロのコースで、自転車の走行は禁止こそされていないのですが「競技用自転車の練習走行は禁止」との看板があります、すなわちローディがガチで走っては駄目ですとのお達しが、殆んどがランドナーのサイクリングですので競技用自転車でも練習走行でもないのですが、そこはそれ60台近くの自転車が走る訳ですから、何を言われんとも限りませんので、そこは主催者のくりくりさんの用意周到な処で、島田市の市長印のある使用許可証をとって参加者にコース図と一緒に配付されているのです。
 その大井川リバティですが、車が来ないのは勿論ですが、見通しが良くて市民を対象にしたマラソンコースですので幅員があって、走行中の写真を撮るにはお誂え向き、また新幹線と交差する付近での休憩タイムでは、全ての自転車を並べての品評会?撮影会?何れにせよ、これだけのランドナーが集うのはなかなか壮観です。ただ大井川の流れが真東になるにつれて向かい風が強烈に、なかなか前に進みません、盆地の奈良ではなかなか体験できない強風に一気に消耗してしまいました。
 世界一長い木造歩道橋(全長897.4m、幅2.4m)として有名な蓬莱橋までやってきました、ちなみに木津川流れ橋は356.5mですから2倍以上の長さです。この後、集合場所の新金谷駅まで戻るのですが、輪行で帰途に就く参加者の為にJR東海道線島田駅が近いここで一応の解散と云う事になります、くりくりさん他のご挨拶の後、蓬莱橋をバックに最後の記念写真(GAMIさん提供)を撮ってひとまず解散。私はこのまま新金谷駅までご一緒してから金谷駅へ走り輪行のつもりだったのですが、先からの向かい風にすっかりくたびれて戦意喪失、島田駅から帰途に就く事にしました。島田駅1610発浜松行きに乗車、東海道本線と近鉄を乗り継いで21時半には無事に帰投する事ができました。
 今回1日だけとは云え念願の「御前崎オフ」に参加する事ができました、静岡は些か遠いとは云えなかなかお目にかかる機会のない関東の方々、2000年の「ランドナーギャザリング」以来の御仁とか、GAMIさんとは1999年の野麦峠以来かと、他にもネットでは存じ上げていても初めてお逢いする方も何人か。短い時間でしたか愉しく過ごす事ができました。「御前崎オフ」が10何年毎回60名近い参加者を得て続いているのは、主催者のくりくりさん他の気の利いたプランニングと気配りにあるかと思います、次回も時間が許せば馳せ参じたいと思います、次回は1泊2日で。
 集合写真を含む「第15回 ランドナー補完計画 御前崎オフ(2日目のみ)」の写真をうちのHP にアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2018]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’2018’、パスワードは2018年の卓上版「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の数字です。 なお暫くの間は2017年のパスワードも使用可能です、行事参加者でパスワードをご存じでない方には、くりくりさんのブログの方へ専用のパスワードをお知らせしています。なお行事の性格上、お付き合いのない方が映り込んでいる場合もあります、不都合のある場合は連絡を頂ければ、対応させて頂きます。

北陸線廃線跡と河野しおかぜライン

旧北陸本線杉津~山中信号場間


 「CanCan謹製カレンダー」の常連モデルだったNちゃんと久しぶりに走りに行こうと云う事に、色々とプランも出たのですが、最近とみに鉄分多めのNちゃんからは「片鉄ロマン街道」こと片上鉄道廃線跡の案、ただ「青春18きっぷ」のシーズンでもないのに和気まで往復するのも何だか、ちなみに桜井から和気まで往復7,340円も掛かります。そこで廃線跡繋がりで敦賀まで往復輪行で北陸線山中越の廃線跡に行こうと云う事に、敦賀なら現在発売中のJR西日本「関西1デイパス」を使えば桜井から往復5,180円の処を3,600円で行って帰ってこれます、ただ「18きっぷ」の事を思えば割安感は些か少ないのですが。
 「関西1デイパス」季節ごとにタイトルや特典を変えて発売されているのもので、京阪神エリアの普通列車のみに乗車できるフリーきっぷなのですが、「18きっぷ」とは異なりこども運賃の適用があります。ただ発券時に乗車日の指定が必要で、従って当日朝に買いにくい駅からの乗車では注意が必要です。特典の方は水上バスとかは輪行サイクリストにはあまり縁のないものですが、6月4日分まで発売される「春の関西1デイパス」に関しては別途、新今宮から南海高野山、京都および鶴橋から近鉄長谷寺~室生口大野等の往復チケットを貰う事ができます。
 桜井から敦賀までJRのみ利用での始発では敦賀0950着となってしまいますので、奈良まで20キロ余りを自走して奈良0522に乗車、京都駅ホームでNちゃんと合流し湖西線経由で敦賀へと向います、ただ誤算だったのは近江今津で接続の福井行きは折り返しで反対ホームからの発車だった事。ともあれ0846には敦賀駅に到着、駅前に保存されている9600の動輪の前で輪行支度を解きます。
 北陸本線山中越の杉津(すいづ)線廃線跡については色々なサイトで紹介されていますので、ここで詳しく紹介はしませんが、1962年に北陸トンネルが開通するまで敦賀~今庄間を結んでいた線路跡で、多くは県道として利用され山越え区間に9つのトンネルが現存しています。私自身は2009年6月に3度目の金沢自走の途中に経由しましたが、その折はR8深坂峠を越えた後、敦賀市街には下らずに笙の川に沿って北上し池河内湿原から獺河内(うそごうち)に下り廃線跡ルートに入ったため、敦賀駅から辿るのは今回が初めてです。写真は北陸トンネルに入って行くサンダーバードですが、杉津線は木の芽川に沿った谷あいへと入って行きます。
 今回は下調べをしていなかった為に未踏の取り付き部分でで道を間違ってしまい西側の北陸道の上り線寄りの谷に入ってしまいました。お陰で建設中の新北陸トンネルの坑口を覗く事ができましたが。
 一旦R476まで戻って仕切り直しです、樫曲隧道はR476の歩道トンネルとして利用されていて、レトロな意匠の水銀灯が自動点灯する様になっています。葉原まではR476を辿れば良いのですが、断続的に旧道を取ります。この辺りでは廃線跡は北陸道とR476に再利用された形となっています。
 葉原界隈は田植えの真っ最中、獺河内から北は以前にも走っているのですが、記憶が曖昧と云うか、R476の改良で風景が変わってしまっている様な、少々道を間違えたりとご愛嬌。

 葉原からは廃線跡そのものが道路となり忠実に辿って行く事ができます。北陸道の上下線に挟まれる様な形で山越え区間の最初のトンネル、葉原隧道へ、抜けると一旦日本海側に出て鮒ヶ谷隧道~曽路地谷隧道~第一観音寺隧道~第二観音寺隧道~曲谷隧道~芦谷隧道~伊良谷隧道と続き、その間断続的に日本海の展望があり、最後の山中隧道で再び内陸側へと入ります。なお葉原隧道と8つ目の伊良谷隧道は交互通行の為の信号が設置されています。
 曽路地谷隧道を抜けた辺りにかつての杉津駅があったのですが、現在の北陸道の杉津PAに潰された格好になっています。海側から登ってきた道路と合流し県道207号今庄杉津線となります。
 先の樫曲隧道と後からでてきます湯尾隧道を含めた11のトンネル他が2016年に「旧北陸線トンネル群」として登録有形文化財に指定されています。現在山中隧道が補修工事中で土日祝と観光ツアー実施日以外の日中は2017年8月4日まで通行止との事ですのでご注意下さい。文化財になって観光ツアーもと云う事ですが、好天の日曜日なものそれらしき車や単車は数える程、自転車のペアが反対側から1組走ってきた程のものです。

 最後の山中隧道を抜けるとスイッチバックのあった山中信号所跡、左側は引き上げ線の跡です。ところで写真は誰が撮ったのかって、合成です(^_^)
 今庄に向って快適ダウンヒルですが、途中の大桐駅跡で小休止、ここにはD51の動輪が展示されています。
 今庄の街、宿場町の街道へ入ります、旅籠跡を再生した見学施設でお蕎麦を出しているので、お約束の今庄そばは此処で頂く事にします。

 おろし蕎麦のみのメニューで700円也、見学はともかくお蕎麦の提供はいつもやっている訳ではない様ですが、お蕎麦屋さんは他にも駅前や国道沿いに幾つもありますので。ゆっくりさせて貰った後、丁度13時に今庄を後にします。
 山中越えの杉津線からは離れていて見落としがちですが、同じく「旧北陸線トンネル群」として登録されている湯尾隧道です。


 
 今回のプランのキモとなったのは2013年に開通したこのホノケ山トンネル(2,709m)、敦賀スタートで帰途に河野しおかぜラインで南下しようとすると、どこかで内陸部から日本海側に出なければならないのですが、以前は武生近くまで北上して交通量の多いR8で山越えをしなければなりませんでした。R305がホノケ山トンネルで繋がった事で湯尾駅付近からショートカットする事が可能になりました、トンネル口まで登ればトンネル内は日本海側に向って下り、従って逆コースは考えたくはないです。交通量も多くないですが、平日は新北陸トンネルの工事で大型車の通行があるとか。
 「河野しおかぜライン」は以前は「河野海岸道路」と呼ばれた有料道路で現在は一般道路となっています。過去に二度ほど走った事があるのですが、やはり無料化が周知されると交通量は増える様でして。しかしR8を走る事を思えば、ただ敦賀市街まで戻るには杉津から10キロ近くはR8を走らなけらばならないのが、このプランのウィークポイントです。最後に少し遠回りですがR8鞠山トンネルを避けてフェリー乗り場から海岸寄りのルートを選んだのは正解だったかと。15時半に敦賀駅には到着、1623発の網干行新快速に乗り込む事ができました。本日の走行、奈良駅までの自走21キロとミスコースのロスを含めて95.7キロ、コース正味は70キロと云った処です。

平福宿から「片鉄ロマン街道」へ

杉坂峠にて

 「18きっぷ」消化サイクの最後は「片鉄ロマン街道」に行く事にしました、云わずと知れた片上鉄道廃線跡を利用した自転車道なのですが、いままで訪れる機会に恵まれなかったのです。山陽本線の和気からスタートすると片道30キロ程の行程で、それだけでは面白くないので、姫新線の播磨徳久まで行って、未収の佐用郡中安村道路元標と因幡(智頭)街道の平福宿に寄ってから「ロマン街道」は片道だけ走って帰って来ようと考えてみました。

 さて播磨徳久駅まではJR桜井駅から始発で輪行すると接続が悪く、所要時間4時間59分で1051着となってしまい、ぐずぐずしているとスタートがお昼になってしまいます。そこで未明にJR奈良駅までの20キロ余りを自走して0450発に乗車し播磨徳久を目指す事にしました、それなら所要時間は4時間24分、0914には到着できます。大阪鶴橋まで近鉄を利用してもこの時間には辿り着けません。 

 写真左は大阪駅、写真右は姫路駅、姫新線に乗るのは随分久しぶりですが、キハ127と云う見慣れぬ新型車両、ディーゼル車なのですが最近は電車みたいなディーゼル車車が増えましたね。
 
 播磨徳久駅、早速輪行支度を解いて出発準備OKなのですが… 
 
 
 
 
 うちのHPに「懐かしの鉄道写真集」と云うコンテンツがあるのですが、その中の姫新線の一枚の写真(左)、三日月駅としてあるのですが、どうも違う様なのです、どちらかと云うとここ播磨徳久駅の佐用側の様な気もするのです(右)。
 
 さて中安村道路元標ですが、播磨徳久駅の南側の山の上、元々公民館だった場所にある様なのですが、藤原勝永著「兵庫県の道路元標」と国道901号さんの「道路元標が行く」には記載はあるものの、その他の情報がありません。公民館は現在では社会福祉法人「はなさきむら」と云う授産施設となっていて、駐車場まで行ってちょっと見渡した処では見つかりません、とにかく施設の構内なので了解を貰おうと建物への坂を登って行くとありましたネェ、らしきものが斜面の途中の段になった処に草に埋もれて、もう見つけられたのは長年の勘と云うか臭覚と云うか。幸いうつ伏せにはなってはいなかったので間違いなく「中安村道路元標」だと確認できました、でないと足元の悪いこの場所で道路元標を転がすのは至難の業です。これで1,043基目となりました。
 
 駅近くまで戻ると次の下り列車のやって来る時間です、せっかくですので狙ってみる事に、そこは自転車の機動力、到着するのと出発するのを違うポイントが狙えました。
 
 現在では同じ佐用町ですが佐用坂と云う小さな峠を越えて平福へ、ここにも平福村道路元標があるのですが、前に訪れた2007年には平福郷土館の中庭に保存されていて、休館のために塀越しに写真を撮ったのですが、今回は開いているだろうと訪れてみると、開館はしていたものの前の場所にありません、尋ねてみると元あった現在の郵便局の前に移設したと教えて頂きました。 さっそく郵便局に向かうと無事に鎮座したました。
 
 平福の街を少し散策します、なかなか見どころの多い処なんですが、なんと「自撮り」用の外部タイマーを忘れてきたのです、それがなければ長時間のタイマー撮影ができません。
 
 せっかくですので標準のセルフタイマーを使ってピンポンダッシュするしかありません、まぁ昔はそれで「自撮り」していたのですからね。Uターンして戻ってくるシーンは無理ですが、近距離の後ろ姿なら数テイク撮れば、どうにかなります。
 
 平福で長居をしてしまいようやく13時過ぎに出発、佐用駅近くまで南下し中国自動車道に沿って走る県道153号へ、自動車道があるのと、南側のR179がメインルートになるのでこの県道は比較的空いていてなかなか走り良いです。写真は佐用町幕山、大河内の一本桜と案内が立っています。茅葺の立派な家が、まるで絵に描いた様な日本の風景です。
 
 県道は自動車道のトンネルの上の峠を越えます、出雲街道杉坂峠です。峠の桜が時折吹く風に花びらを散らせます。 ここから「片鉄ロマン街道」の終点吉ヶ原駅までまだ20数キロ走らなくてはならず時間も押していますが、このシチエーションを見過ごす訳には。しかし散る桜を絵にするのはなかなか難しいものです、後から動画で撮れば良かったかなと、G1と違ってG2は動画が使えるのですが、実は今まで一度も使った事がないのです。
 
 途中からR179へ入り、林野の手前から旧道に入ってR374に入る事なく県道を継いで吉野川右岸から吉井川左岸へと入れたので、初めて辿るコースでしたが、車と信号の少ない快適な道を走り、16時過ぎに片上鉄道の旧吉ヶ原駅に着く事ができました。
 
 平福に続いて吉ヶ原でものんびりし過ぎて、もう「片鉄ロマン街道」は和気まで走る抜けるのが精一杯の時間になってしまい、その上「片鉄ロマン街道」に関しては自転車道だから行けば判るだろうと何の下調べもしていなかったので、途中で道を間違える始末。一応は桜の花びらが敷き詰められた苦木駅で写真を撮りはしたものの、下り基調の道を突っ走って真っ暗になる直前に和気駅に辿り着くことができました。
 
 さて帰りの電車の時刻を調べると、既に「18きっぷ」のままJRで桜井まで辿り着ける時間は過ぎています。 播州赤穂あたりと同じ感覚でいたのですが、乗換時間や運行本数の違いでかなり違ってくる様です、とは云っても鶴橋から近鉄利用や高田から10キロ程自走するなら十分に余裕のある時間です。いずれにせよ帰宅は遅くなるのでコンビニで補給後、輪行支度を済ませ1947発に乗車、無事に帰途に就く事ができました。「片鉄ロマン街道」は走り抜けるだけになってしまいましたが、幾つか「自撮り」ポイントの目星を付けておきましたし、次の機会への愉しみとしておきます。
奈良までの自走を含めて本日の走行113.5キロ。 「18きっぷ」5,940円分乗車。
 

 

奥三河サイク (2日目)

愛知県新城市 四谷の千枚田にて
 
豊橋駅0600発の飯田線始発天竜峡行きに乗車、昨日と同じく本長篠駅からのスタートです。  
 
 
 本長篠駅0655着、そそくさと輪行支度を解き、まずは昨日と同じ内金トンネルへ急ぎます、今日は土曜日ですので見物客が来ないうちが勝負、また昨日は午後でしたが反対の朝の陽射しを狙ってみる事に。少し風があるので時折満開の河津桜を散らせます。 桜散る風景はskuram氏~santaさんコンビの名作がありますね、なかなか静止画では難しいシチエーションです。 
 やはり8時前には見物客が、エンジン音を轟かせてやってきたのは何とロータスヨーロッパ、40年ものですよね、うちの「延陽伯」号より10年は古い、昔友人が乗ってましたがトラブルが多くて、そんな車を今も走らせてるって凄いと云うか。そろそろ「自撮り」も難しくなってきましたし、それに今日は「自撮り」「廃線跡」「道路元標」と課題が多くてゆっくりもしてられません。 
 園村道路元標まで視野に入れるとあまり余裕もないのですが、せっかくですから廃線跡もチェック。写真右は玖老勢駅跡だとか、廃線跡に関してはこちらのサイトが詳しいです、豊橋鉄道田口線の概要に関してはウィキのパクリ臭いですが、現地調査は参考になります。
 近くに鳳来寺村道路元標が移転保存されています、2010年3月26日に履修済ですが表敬訪問を。
 
 
 
 副川作り道と云う処で廃線跡は県道と別れて対岸へ、市道として供用されています。 断崖に掘られたトンネルと対岸の風景が一幅の絵の様です。ここで「自撮り」とも考えたのですが、明暗差が大きすぎるのと、断崖が高すぎて収まらないのと、普通の高さではガードレールに対岸の風景が遮られてしまうのです、この写真は手を伸ばして精一杯の高さから縦方向のパノラマ撮影をしています。 
 ちょっと良さげな「自撮り」ポイントを見つけたので停止、最近は上から見下ろせて、ガードレールも猪垣もない場所って貴重なんですよ、奈良県に比べると獣害は少ないのでしょうかね。 
 県道32号長篠東栄線と別れて県道389号富栄設楽線となり稲目トンネルへ、立派な2車線のトンネルですが、廃線のトンネルを拡げたとか。 ここで本長篠から豊川の支流海老川を遡ってきた田口線は豊川沿いに入り国道257号となります。 
 廃線跡は清崎で現在の設楽町の中心部である田口へ登って行く国道と別れ豊川沿いの谷間いを遡って行きまする、こちらも町道として供用されているのですが、これより上流には現在設楽ダムの建設が決まっていて、この廃線跡も湖底に沈んでしまう様です、地質調査が行なわれていて、この廃線跡の町道を辿る事ができなくなるのも時間の問題でしょう。 写真右下が田口鉄道の終点三河田口駅跡、何も無い山合いの広場です、旧田口町の中心部との標高差が100m以上もあった事と、鉄道建設の目的であった木材搬出のためにこちらのルートになった様でですが、それが旅客輸送にはマイナスとなって、結果的に廃線に結びついたと云う事らしいのです。 と云う訳でここまでは大した坂もないルートを辿ってきた訳なのですが、お陰でここから一気に九十九折れの道で高度を稼がされる事に。 
 1042基目となる北設楽郡田口町道路元標を履修後、真新しい岩子谷トンネルをくぐります、このトンネルでかつての峠道は片峠となってしまった様です。 設楽町神田(かだ)、時刻は12時半。 ここで園村道路元標に向うか本長篠へ戻るか思案のしどころです。 単純に標高差は200mなのですが、事前にプロファイリングをして来ていないので所要時間が全く読めません、飯田線東栄駅まで下って輪行するとしても、そうなると東栄駅1549発が18きっぷで帰るタイムリミットとなります。 コンビニおにぎりをかじりながら暫し作戦タイム。 園村は田口町とセットで考えていただけにここまで来て取りこぼすのは痛いのですが、どうにも計算ができないのと、ここから峠を越えてFaceBookのお友達がお奨めの四谷の千枚田や梅の里「川売(かおれ)」とやらにも寄ってみたいしと… 
 設楽町田代にて、路傍の石仏と白梅。 
 
 
 
 
 
 結局は安全策を採って仏坂トンネルを越えて新城市側へ戻る事にしました。奥三河の山深い園村へは次回の愉しみと云う事に。 
 仏坂トンネルを抜けると明るい林の中を下る快適なコースです、逆から来るとかなり登り堪えがありそうです。  
 
 
 四谷の千枚田にやってきました、なかなかのロケーションです。 かなり遠いですが「自撮り」にトライ、カメラをセットして3分のタイマーをかけて下ります。 結構な激坂なので自転車は置いてカメラを取りに戻る事にします、一発勝負ですから時間合わせとコース取りは念入りに。
 
 棚田の中を下って行く途中でもう一発、そんなこんなでそろそろ時間も押してきました。
 
 
  
 下の県道から見上げた「四谷の千枚田」です。 棚田全体の標高差は丸山千枚田以上かも知れませんね。
 
 
 
 もうひとつの川売と云う処は見つけられずに下ってしまい帰途に、朝通ったばかりの道なのに、浜松と云う標識に惑わされて本長篠駅へ戻るつもりが大海駅へ、結果的にはこちらの方が楽だった様なのですが、大海1628発で無事に帰途に就く事ができました。
 今回はヘッドパーツを忘れると云うアクシデントのお陰で期せずして1泊2日となりましが、非常に収穫のあった2日目を過ごす事ができました。しかし1月の「せとうちツーリング」では網棚にヒップバッグを忘れるはと、危ないお年頃でしょうか。
 
1日目へ 2日目へ
 

 
 

奥三河サイク (1日目)

愛知県新城市芳ケ入 内金トンネル 

 サイクリストならずともトンネルの中から見る風景は魅力的なものです、こと自転車に限ってでも、かつてだいすけさんが運営していた当時の「ランドナー補完計画」のトップページを飾った信州嶺方峠の白沢隧道から見る冠雪の北アルプスは「ランドナーの聖地」とまで云われたものです、インターネット黎明期における数少ないサイクリスト向けサイトだけに、この写真に魅せられて多くのサイクリストが嶺方峠を目指したはずです。残念ながら今ではスノーシェッドの設置で馬蹄型のボータルのシルエットを見る事はできなくなってしまいましたが。
 当然「自撮り」のロケーションとしてもトンネル越しの風景は魅力的なのですが、先日FaceBookのお友達のKさんの投稿で愛知県は新城市にトンネル越しに河津桜が望めるポイントがある事を知りました、河津桜ですから今が見頃、先日買ったばかりの「青春18きっぷ」も全ての使い道までは決めていません、最寄り駅の飯田線本長篠なら、充分に日帰りで行って帰ってくる事は可能です。 天気予報をみながら見物客の少なそうな平日を狙って急遽行こうと決めたのです。
  前置きが長くなりましが、今回はasuka号がドッグ入りしてる事ですし身軽な「延陽伯」号で向う事にし、件のトンネルも100m程あり、さすがにトンネルの中に三脚は立てられまいと45-200mm(35mm換算90-400mm)の望遠ズームも持って行く事にします。 未明に王寺や奈良まで走って行くと云った無理はせずに桜井線の始発に乗って奈良経由で向う事にします。 奈良経由と云っても京都~米原経由と亀山経由とあるのですが、この時間はどちらでも本長篠着は同じだろうと思い込んでしまい、のんびり行ける亀山経由を選んだのですが、それにしても接続時間にゆとりがあるな思っていたら京都~米原経由の方が1時間も早く着くのでした、まぁ今日は本長篠駅近くで「自撮り」をするだけですので時間は大丈夫でしょう。 お陰で久しぶりに名古屋駅でホームの立ち食いきしめんを戴く事ができました。
 ところで飯田線本長篠駅までは待ち時間を含めて7時間の長旅、今回は事前に下調べをする余裕がなかったのですが、ネットでなんでもできる時代、車中でスマホで色々調べ事を。 件のトンネルの前後の地図を見ていてフト気が付いたのですが、本長篠駅からトンネルへ続く緩やかなカーブ、これはもしや廃線跡では、「本長篠 廃線」でググって見ると案の定、豊橋鉄道田口線の廃線跡でした、昭和4年に田口鉄道として開業し、昭和43年に廃止されています。 廃線跡それはそれで魅力的なのですが、田口の名前を知って気が付いたのは北設楽郡田口町(現設楽町)には未収の道路元標が残っていた事、近くの同郡園村道路元標と一緒にいつかは回りたいと思っていた処だったのです。
 飯田線本長篠1243着、一応ここを1649発に乗車できる様に戻ってくると良い訳なのです、ともかく輪行支度を解き「自撮り」ポイントへ向います。
 桜並木はトンネルの本長篠駅側、郊外の住宅地の外れと云った雰囲気の中にあって、反対側に出て長玉で狙うと見事に桜並木が収まります。 今が丁度満開、見物客もチラホラ、地元の車が時々通りますが、合間を見計らってどうにか「自撮り」はできそうです、まぁ最悪は裏技もありますし。
 長玉の威力でこんなショットも、結局1時間余り数テイクを撮る事ができました。 ただ外部タイマーの挙動がおかしくなって電源が落ちるのです、どうやら電池切れの様です、電池は単四2本、万が一の時は自転車のテールランプの電池と入れ替えるのですが、実はその手を使ったばかりだったのです、近くにはコンビニもありませんし。 とりあえずG2標準のセルフ3連写を使いますが、時間的に追っかけしか撮れません。 ともあれほぼ満足のできる結果も出てそうなので撤収する事にしたのですが。
 ところで気になるのが廃線跡と道路元標、これから20数キロ走って設楽町まで行けば、園村道路元標も含めて明日回れるのでは、泊まりの準備はしてきていないのですが、設楽で安宿でも取れればとあたってみる事に、設楽町に中野屋旅館(萃夢荘)と云う処が税込み3,800円であったので、電話をしてみたのですが、今夜は団体で満員だとか、1人なので体良く断られたのかな、実は後で知ったのですが「萃夢荘」と云うのはアニオタの聖地なんだそうなんです。
 本長篠駅に戻ってきて、最終のスジとなる1649発の1本前の1620発に乗車できる余裕の時間です。 そして豊橋に着く直前にフトある事に気が付きます、もしやヘッドパーツを取り付けていないのではと、輪行袋の中を確認してみると案の定付いていません、輪行支度をした駅舎の窓枠に並べて置いたままなのです。 思い出したのも思い出すタイミングも奇跡的と云わざる得ないのですが、代りが無いだろう部品だけに取りに引き返す以外にありません、こう云う時にジョルダンの乗換案内は役に立ちます、有料アプリですがガラケー時代から愛用しています、ただソフトとしてはちょっとお行儀が悪いのですが。 豊橋に1716着、1719発の本長篠行きで戻る事に。 ヘッドパーツがあってすぐに折り返しても豊橋に再び戻って来るのは1922、名古屋から近鉄経由で帰れなくもないのですが、お得な株主優待券の準備もしてきていませんし、それなら廃線跡と道路元標の事もあるので、豊橋泊と腹を括る事に。
 ところでFacebookを覗いていると件のトンネルを紹介して下さったKさんが桜並木に来られているとの事で、本長篠へ戻る私に会いに来てくれるとの事です。 本長篠1816着で折り返し1823発、ヘッドパーツを無事に確保して、僅かの時間でしたがご挨拶して名刺代わりのカレンダーをお渡しする事ができました、写真右はKさんが撮ってくれました。
 豊橋に戻り宿に着いてから食事と買い物に出掛ける事に、泊まりとなると色々と準備しなくてはならない物が、カメラのバッテリは予備が2個あるのですが、モバイルバッテリーが明日1日分とても持ちそうにありませんし、単四電池も買っておかなくては、幸い駅中のファミマにUSB充電器が売ってましたので、買い求める事に。
 本日のなんと走行3.6キロ、当初は「自撮り」の後は三河大野まで走ろうかとも思っていたのですが、3.6キロはトンネルの中を行ったり来たりしていた距離が大半かも。

 
1日目へ 2日目へ
 

自撮りポタが廃線跡巡りに

天理市丹波市(たんばいち)にて
 
 
 今日は結構なお天気なのですが、月曜までにやっておかなければならない用かあるので、早起きして昨日分のブログの更新とお仕事を。 お昼前には片付いたものの、今更何処へも行けないので、連日の「延陽伯」号を駆ってご近所ポタへ。
 例によって上街道を北にとりますが、巻向でR169がJR桜井線と上街道を跨ぐ陸橋に登ってみました、箸墓古墳をバックに上街道を往くのを「自撮り」できないかと思ったのですが、邪魔ものを避け様とすると長玉が要るのと、逆光なので今日は諦めて出直す事に。 真ん中のガレージは1年前までなかったのですがネェ。
 
 続いて昨日の「下見ポタ」で天理市役所の方に教えて頂いた防空壕跡へ、上街道を北上し柳本で少し西へ。 私の小さい頃にはあちこちに防空壕跡なんちゅうもんが残っていて、爆撃の標的にはならなかった明日香村にもあって、芋の貯蔵庫代わりに使われていたりしました。 ここの防空壕は非常にしっかりしたもので、どうやら海軍柳本飛行場の遺物のようです。 ググってみると建設には’朝鮮人強制労働’なんて根拠の怪しい記述が見られますが、いずれにせよ忌まわしい文化遺産の一つです。
  しかしここには案内の一つたりとありません、道路元標しかり、歴史と云えば古代の夢物語ばかりを追って、どうも明治~大正~昭和の遺産には目もくれない様で、勉強不足の日本人はだから何処やらの国に突っ込まれると弱腰なんですよね、閑話休題。
 
 竜王山をバックに狙ってみたかったので柳本界隈をウロウロ、大和神社の南西で良さげなポイントを発見、ガードレールを隠す為、これが唯一無二のフレーミングです。
 
 
 
 大和神社の境内を抜けていつものルートへ戻ります。 昨日、大和神社で頂いた「天理市観光ガイド」を下敷きに、毎週通っているのに、ここに’芭蕉句碑’があるとは知らなんだ「草臥れて 宿かる此や 藤の花」、ツーリストの歌ですね。
 
 丹波市(たんばいち)で「自撮り」をしていたら、なんと3月のサイクの下見で下ッ道~上ッ道を走って来た、大阪のスミだんなと和歌山のにもさんに捕まってしまいます。 この後は天理軽便鉄道の遺構巡りをすると云う事なんで連れてって貰う事に。
 
 まずは近くの市座神社に丹波市町道路元標と上街道に架かっていたと云う石板がありますので立ち寄ります。 巨大な石板の解説はありますが、道路元標については何も記されていません。 
 
 天理軽便鉄道と云っても天理市域にはその遺構は全く残っていないそうで、昨日走ったばかりの道をひたすら西へ、下ッ道の二階堂へ出て、少し北上して再び西へ。
(左上)川西町の県道沿いにある道標。
(右上)西名阪をくぐった処でスミだんなが女性ローディを愛でています、
(左下)安堵町の古い街並みを行きます。
(右下)一同「すてんしょ」と記された道標に萌え~
 
 ようやく天理軽便鉄道の遺構へ、溜池を分断している築堤が素晴らしいです。 この先で富雄川を渡ってJR法隆寺駅南側まで断続的に遺構が残されています。
 
 法隆寺駅でお二人と別れ帰途に就きます。 太子道(筋違道)で帰ろうかとも思ったのですが、結局は大和川沿いで帰る事に、飛鳥葛城自転車道に一旦入り大和中央自転車道を北へ、ここから起点のファミリー公園前までは盲腸みたいな区間で草ぼうぼうだったのですが最近整備された様です。 相変わらず「大和郡山田原本橿原自転車道」と「大和中央自転車道」おまけに「ならくるC-8物部ルート」の案内標識まで並んでいます、まぁ予算の出てる処が違うからなんでしょうね、縦割り行政は自転車道まで、無駄な上に紛らわしい極みですね。
 本日の走行48.0キロ、後4.9キロで今月ようやく700キロ。
 
 
 

天川~富貴サイク

天川村広瀬にて(Microsoft Image Composite Editorを使用)

サイクリングの愉しみの一つにプランを練ること、地図を見ながらまだ見ぬ土地へ思いをはせたり、自分の技量に応じて愉しめるコースファインディングを練ったりと、時としてそれは走る事以上に愉しかったりして。
 先週の「吉野~洞川サイク」で行けなかった阪本へ下り、出屋敷峠を越えて高野町富貴から五條へ下るコース、問題は天川村までどうして行くかなのですが、2本合わせて4キロに及ぶ新笠木と新川合の長大トンネル、まして休日とあって馬鹿な車が飛ばしてくるので、決して気持の良いものではありません。 昔良く通った旧道ですが、いつも通行止情報が断続的にあって、自転車なら通れるのか通れないのか良く判らない状況、ofはやまさんに頂いた情報では3年前2012年7月には川合隧道(切抜峠)は天川村側で全く通れず、旧の笠木トンネルは問題なく通れたとの由。 とにかく最悪は新トンネルを通る事を覚悟して「光もの」を充分に準備した上で出発する事にしました。 写真は既に今月3回目の芋峠への道です。 一昨日の雨で路面はかなりウェット、苔や落ち葉で滑りやすくなっています、それに今日は蒸せる事、かなり湿度が高い様です。
 
上市橋を渡り<39>五條吉野線を走り千石橋南詰からR309を経て、下市温泉の近くから旧道に入ります。 旧道と云っても北側は集落を縫って行くので今も奈良交通の路線バスは今もこちらを走っています。 登って行くに従い北西側に展望が開けるのですが、今日は霞んで二上山までは見えません(写真左上)、梅の頃は梅林で賑わうのですが、今は静かなものです。 広橋峠には昔小学校がありましたが廃校となり、今では下市町全体ですら小学校は1校に集約されてしまったそうです。
 
丹生川上神社下社を過ぎて暫く行くと黒滝村、道の駅「吉野路黒滝」で旧道峠に備えてボトル1本補給、この先には黒滝茶屋と云うのが昔からあって、洞川に行く観光バスは出入りのしやすいそちらへ行くので、道の駅のできた後も賑わっています。 いよいよ新笠木トンネルの入り口に、旧道は右へ登って行きますが、案の定災害復旧工事で平成28年3月25日まで、即ち来年春まで通行止の看板としっかりとゲートが、どうやら旧笠木トンネルの手前で工事が行われている様です。 しかしゲートの様子から工事車両が頻繁に出入りして様子はありません。 車谷建設と洞川の業者が請け負っている処からみて天川村側からアクセスしている様子、ならば3年前に通れなかった川合隧道(切抜峠)より先も通行できる公算が大です、トンネルまでは標高差200m程、行かない理由がありません。
 ところで新笠木トンネルが開通した後も、その先の新川合トンネルができるまでの何年間は路線バスは相変わらずこの道を走っていて、大峯参詣や登山の乗客で満員のバスに抜かされながら、キャンプ装備の自転車でこの道を天川へ越えた事が思い出されます。 昔に比べると木々が成長したのか、ずいぶんと木陰が続く道となって涼しく走れる様なった気がします。 そうこうしている内に上の方から聞こえてきたのは、ショベルの音と削岩機の音、これは駄目かなと思いつつ工事現場へ、トンネルはもうその先に見えています。 ショベルを動かしている工事の人がこっちを見て削岩機のついた方のショベルに乗り換えてこっちを見ています、どうやら通してくれそうな雰囲気です。 自転車を担いで入って行くと「下に通行止て書いたあるやろが」と、「すんません大きいトンネル通るん怖いもんで」と答えるとしゃあないなあと云った顔付きで、削岩機のついたアームをどけて通れる様にしてくれました、感謝。 なお工事の状況次第ではいつでも通れるとは限りませんよ。
 
無事に笠木トンネルを抜けると懐かしい三叉路に突き当たります、右に下ると県道<49>勢井宗川野線、新しい2つのトンネルの間に出て元の西吉野村へ下る事ができます。 問題は左側、ピークの川合隧道まではさらに100m程登って行かなくてはなりませんが、通行止の案内もなにもありません、予想通り工事車両は天川村から川合隧道経由でアクセスしているに違いありません。 写真右上は旧旧笠木峠への入り口です黒滝村側も笠木トンネル横にしっかり道がついていましたから通れるのでしょうかね、昔一度アプローチしましたが、工事で道路が全くなくなっていて、数少ない撤退経験の一つです。 天川村の標識が現れて無事に川合隧道に到着、漏水が溜まっていて中から不気味に鳥か何かの声が響いてきますが、問題ないでしょう。 ここまでくれば安心、持参のおにぎりと大福餅で軽く補給します。
 ちなみに新旧ともに2つのトンネルの間は旧西吉野村域、すなわち現在の五條市です。
 
トンネルを抜け天川村側へ下ります、道端の展望の開けた処に祠がありますが、確かこの辺が映画「天河伝説殺人事件」のロケで使われたと記憶しているのですが。
 ofはやまさんのブログで紹介されていた3年前の崩落現場だと思いますが、きれいに復旧されていました(写真左はofはやまさんのブログからお借りしました)。
 
 旧道を暫く下り現R309に合流しようとすると目の前を女性ローディが走り抜けて行きます、FB友達のS女史が今日こちらを走られる事は判っていたのですが、こちらは旧道巡りなので、まさかここで出逢うとは。 早速追いかけて天川川合の信号の手前の観光案内所横の休憩スペースへ。 朝5時に奈良を出てわざわざ田尻峠まで行って山麓線経由でR309を走ってきたそうです。 これから洞川を経て五番関から吉野大峯林道を走られる予定、暫し歓談してお別れ、彼女は川合の信号を颯爽と左折、虻峠へ向かって行きました。 ちなみに彼女はら~さんと同じ職場。
 その後、スマホをいじりながら休憩しているとバスの切符売りのおばあちゃんにしっかり捕まってしまいました、話だしたら放してくれません、まぁ地元情報も色々仕入れはしましたが。
 
ちょっと寄り道ですが、天川村と云えばモーソン森田商店、今ではモーソンの表記はなくなっていますが、あれだけ話題になれば今なおモーソンで通じます。
 ここにはバイクスタンドがあってアイス買ってかじっていると、先客のローディから「桜井の方ですか?」と声を掛けられます、フォロワーではないのですがFBの方で自転車と後ろに積んでいる「自撮り」用の三脚で判ったそうです。 榛原からお見えで、伯母峰から行者還を走って来られたそうで、これから富貴から五條を目指されるとか、GF吉野のスーパーロングのコースですね。 実はこの頃いぬいさんも小南峠を越えて洞川から行者還へ向かっていた事が後になって判りました、ニアミスしてた様な。
 
モーソンを後にし<53>高野天川線へ、久しぶりに来たらずいぶん拡幅改良工事が進んでいますね、「自撮り」ポイントが探しながら行きます、十津(新宮)川の上流天ノ川の清流を左右に見ながらの下り基調の快適コース、不動滝も先日の雨で水量が豊富で見事な眺めです。 ただ休日とあって路上駐車の釣り客の車と騒がしい単車の多いのがねぇ。
 
広瀬まで下ってきてやっと適当な場所を見付けましたが、大失敗を、最初の右に向かって走っている写真、キャラダイスのサドルバッグからコンビニ袋か何か白いものがぶら下がっているでしょ(*_*)
 

1330五條市阪本まで下ってきました。 ところで今日はsyokoraさんがお仲間と高野山まで輪行で来ていて富貴方面へ来られる様子、その後所在が判らなかったのですが、ここにきてこれから今井峠に向かいますとの事、紀和隧道前後は圏外ですから野川あたりで発信しているはず、だとすればこちらが先に富貴へ着けるのでは、早速出屋敷峠への道を急ぎます。 ところで阪本と云えば五新線、阪本の三叉路からR168を天辻峠方面へ向かうとトンネルの坑口がぽっかり口をあけていて、中は阪大の核物理研究センターの大塔コスモ観測所として利用されているとの事なんですが。 
出屋敷峠に到着、私の好きな峠の一つですが、ずいぶんと久しぶりです。 以前シクロツーリスト誌の「日本の峠200選」の原稿依頼の折に「芋峠」、「染谷峠」とともに推したかったのですが、当時は自転車趣味が低迷していてここまで現状取材に来る元気がなくて外してしまいました。 出屋敷峠は北側も筒香からの道との合流点である出屋敷辻(正式な地名ではありませんがかつてその名のバス停がありました)まで100m程の標高差こそあるのですが、下り一辺倒ではなく結構アップダウンがあります、そして出屋敷辻から先は富貴に向かって緩やかに向かって行く、なんとなく変な峠道です。 
出屋敷辻に出た処で十中八九こちらが先だろうと踏んで暫く待ってみますがなかなか現れません、その内にここは圏外なのに気がつき念のため富貴へ進む事にします。 写真は途中にある「成金」バス停、ここで写真を撮ると「成金」になるそうです。 そこにsyokoraさんから連絡が、既に富貴集落に着いている様です、筒香からのダラダラ登りでプーたれてると思いきや、早い。 
一行は橋本へ下り輪行で帰途に就くそうですので、火打口までご一緒する事にします。 富貴のレトロな街並みと、眼下に谷奥深の村を見下ろすポイントにて。 
火打口でお別れし、私も桜井への帰途に就くのですが、五條の吉野ストアに立ち寄った後五條新町へ、雲行きが少し悪くなってきた事もあって写真は今一つ、餅商一ツ橋も今日はお休みですから、また出直す事にし大和街道を走り今井の交差点から吉野川沿いの道へ入り、阿太経由のいつものルートで帰途に就きました。 本日の走行145.8キロ、今回は阪本への下りや、富貴からの下りと快走コースがあったのでそれなりのアベレージで帰ってきました。
 

 
相変わらずGARMIN eTrex LEGEND HCxのログはあちこちで暴れまくっていますが、笠木峠、出屋敷峠付近でカシミールを用いて加筆修正しています、まぁ全体的にはこんな感じやと云う事で。
 

賀名生(あのう)梅林へ

賀名生皇居跡
 
この週末は奈良県下のあちこちの梅林がピークを迎える様で、皆さん月ヶ瀬、広橋、賀名生とそれぞれ走りに行かれる計画を練っておられる様ですが、土曜は予定があり、日曜はお天気が下り坂との予報がでているので、今日走って行く事にしました。
 
皇居跡に立ち寄った後、賀名生梅林へ、梅の写真はこちらで見ていただくとして、例によって「自撮り」メイキング写真を。 お天気はもっと良い予報だったのですが曇ったまま、梅林の上の方からは五條方面が望めるのですが、どうもそちらは陽射しがあって晴れている様です。
 
なかなか感じの良い梅林の中の小径を見つけたので、早速セットして走って行ったのですが、小径へ入るところにも害獣除けのフェンスが、万事休す。
 
気を取り直して別のポイントでリベンジ。
 
平日だったのですが3台程自転車を見かけました、どこのどちらさんか知りませんお尻拝借。 幟がなければこのポイントで「自撮り」するのになぁと思って諦めましたが、撮っても良かったかも。 
 
梅林の中のあちこちで見物客相手のお店を開いていますので「おでん」をやっているお店で休憩、看板猫もいます。


 
五新線跡まで下りてきて賀名生停留所跡でコーヒータイム、お馴染み「萌の朱雀」のロケ地です。
 
 
 
今日のベストショットはこれかな、真横からの撮影ですから17日と同様に、タイマーはトリガーにだけ使って、カメラ側の連写機能を使ってます。 

 とても暖かいのですが、空模様の方は何かすっきりしません、春のこう云ったお天気は昔から好きではありません、いつもなら城戸まで行って樺ノ木峠か黒滝をまわって帰るのですが、なんとなく体が重いので賀名生で引き返す事にして五條から吉野川沿いの道で帰途に就きました。 写真は<39>五條吉野線の対岸路、お気に入りの道です。 本日の走行85.5キロ。

五新線跡に沿って西吉野サイク(2)

 映画「萌の朱雀」でロケ地として使われた「賀名生(あのう)」バス停です、映画では「恋尾」バス停となっています。

 結局、橋が落ちていては丹生川を渡る事ができませんのでR168にワープする事に、写真は南朝の行宮であったとされる「堀家住宅 賀名生皇居跡」と五新線第6丹生川橋梁。 鉄道が走っていたら格好の撮影ポイントだったんでしょうね。

せっかくですから「賀名生」バス停へ寄ってみます、賀名生は梅林で有名な沿線随一の観光地です。 丁度お昼時ですので五條の吉野ストアで買ったパンと持参のポットの温かいコーヒーでお昼にします。ちなみに五條市街を出るとR168にはコンビニの類はありません。

国鉄バスと書かれた観光案内板があります、もうこのバス停に降り立つ人はいないのですが。

 

賀名生の街並みから丹生川をはさんで五新線跡が望めます。

 

R168の走る丹生川左岸から向賀名生バス停のある対岸へ渡ってみます。

 

向賀名生の集落、丹生川をはさんで山腹にへばりつく様に大日川の家々が点在している。吉野には良く見られる風景です。

 

再び左岸に戻ってR168へ、第7丹生川橋梁で一旦R168と交差します。

 
 

R168旧道から何度か五新線を見下ろせるポイントがありますが、この付近の衣笠トンネルに崩落の危険性があるとの事が、専用道のバス廃止の直接の原因となった様です。

専用道の終点である城戸(じょうと)が見えてきました。

 

終点の城戸バス停跡です、かつて専用道を走ってきたバスはこのスロープを下ってきて一般道に入り西吉野温泉まで行っていました。スロープを上がると鉄道駅舎の様な建物があって反対側はタクシー会社の車庫になっている様です、「市有地につき一般通行を禁止します。この先、通り抜けはできません。五條市」とあります。  五新線に沿ったサイクリングはここまでです。 バス専用道の存在を知っているサイクリストはバス運行の廃止を聞いて口を揃えて自転車道にしてほしいなと云います、実際私もそうだったのですが今は否定的です。鉄道廃線跡を自転車道にしている例は日本全国に多くの実例があります、それは平行した道路が既に整備されていて、幅員がなく一般道への拡張が難しい廃線跡の再利用は自治体の苦肉の策で、まして維持コストのかかるトンネルや橋梁の多いこの路線、大分交通廃線跡のメイブル耶馬サイクリングロードが似通った事例かも知れませんが、賀名生梅林と西吉野温泉くらいしか集客ポイントがない西吉野、サイクリング利用者は限られている事でしょう、廃道寸前の自転車道は各地に少なくないのです、現在の所有者の五條市も頭を抱えている事でしょうね。ぶっちゃけた話この道はバス運行廃止以前から部分的に地元の生活道路になっているのです、それは詳細な地図を見れば歴然としています。現実に崩落の危険性のあるトンネルで分断されてしまっているのですから、地元利用の機会がない橋梁やトンネルは閉鎖し、必要な箇所だけは生活道路として活用すると云うのが現実的だと思います、その折は部分的にでも有効に利用したいと思います。「市有地につき一般通行を禁止…」と云う市の責任回避だけしている現状が一番問題なんだと思いますが、どうでしょう。

(その1へ) (その3へ)

 

五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

 かつて鉄道敷設法と云う法律がありました、1892年(明治25年)に制定され、あまねく全国に鉄道路線網を張り巡らそうと云う、今の高速自動車国道法の鉄道版みたいなものです。 鉄道建設が国家の基盤施策みたいに考えられていた時代ですから、費用や技術的問題、必要性、採算性などは度外視で、ある意味政治家の集票の道具の様に使われていたかも、ちなみに道路元標の根拠法の旧道路法は1919年(大正8年)。 1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法では全国で150もの路線が設定されていました。 その中に「奈良縣五條ヨリ和歌山縣新宮ニ至ル鐵道」、すなわち五新線が掲げられています。 1939年(昭和14年)に建設に着手されたものの、ルートに関して地元同士の綱引きに、国鉄、近鉄、南海の思惑が絡み、戦時中断を経て1957年(昭和32年)に工事再開、1959年(昭和34年)には五條~城戸までの路盤が完成したものの、地元西吉野村(現五條市西吉野町)が鉄道としての開業に懸念を示したため、路盤を専用道として利用するバス路線として開業する事となります。 その後工事は大塔村(現五條市大塔町)阪本まで進みますが、1982年(昭和57年)の国鉄再建法の施行で工事は凍結、城戸までのバス路線は国鉄~JR西日本と継続されますが、平行する国道168号線の改良や自動車利用の発達、城戸以遠や接続網を持つ奈良交通のバスが国道を走っている事もあって運行本数は逓減し、2002年(平成14年)にはJRバスが撤退、地元自治体が奈良交通に運行を委託していたのですが、トンネル崩落の危険性がある事が判り2014年9月末で廃止となった事は話題に新しいですね。
 奈良県出身の映画監督河瀬直美さんの実質的な処女作でカンヌ新人監督賞の最年少受賞作品となった映画「萌の朱雀」(1997年)の舞台に西吉野村がなり、作品中では具体的な事までは明らかになっていませんでしたが、國村隼演じる主人公が五新線に拘わっていた事が物語の重要なテーマになっていました。 ちなみ「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんは西吉野村出身で御所高校卒業。 最近ではロケ地の案内ができたりしていますが、私の聞いている範囲では内容が暗すぎると地元での評判は良くなかったそうです。
 ところで晩年の土日には午前中に1往復だけなってしまったバス専用道、奈良県のサイクリストには知られた存在でした、なにしろ五條~城戸間を車に煩わされる事のない殆んど平坦路と云って良いルートがあるのですから、しかしネットではその利用を明らかにする事はタブーなのです、今もなお。

 朝7時半に桜井を出発し明日香村経由で御所市域へ、船倉村道路元標葛村道路元標の生存確認して吉野口駅で小休止の後重阪(へいさか)峠を越えます。 いつもは三在北あたりでR24に入るのですが、極力トラックの多いR24を走らない様にと宇智川沿いの道を走ってみようとしたのですが、堤防上の道はダート、舗装路を選んで進んでいると遠回りになってしまった様な、それでも宇野町から五條市街にかけてほぼ旧街道の中を走って行く事ができました。 年末に来たばかりなのですが五條市の新町通りに寄ってトイレ休憩の後、大川橋を渡って五条病院前の吉野ストアで買物、いよいよ五新線沿いの道へ入ろうとして、今日のもう一つの目的「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントを五條新町のまちや館でGETするのを忘れていた事に気がつきます、慌てて再び大川橋を渡り新町通りへ。 その後野原町道路元標を確認して五新線のバス専用道の入り口へ。

 中央の急坂が元のバス専用道への入り口です。 「市有地につき一般通行禁止 市有地内での事故について市は一切保証しません。 事故による責任は全て個人の責任となります。 五條市」と書かれた看板が出ています。 もちろんここは左側の一般道へ入ります。

 

バス専用道はご覧の様に切り通し状に真っ直ぐ続いています。 バスの運行終了3ヶ月になろうとしてますが路面は綺麗です、今にもバスがやってきそうな風景、と云うより線路があれば列車がやってきてもおかしくない佇まい。

バス専用道時代の看板「路線バス専用道につき 一般車両の通行を禁止します 五條市・西吉野村」もまだまだ残ってます。 もちろん私のいる右側が一般道です。 

 

一般道との交差する箇所がいくつもあり、かつては踏切があって専用道を行くバスが優先だった時代もあるそうです。 専用道を走る路線バスは他にもあります、福島県のJRバス白棚(はくほう)線などがそうですね、専用道側優先の踏み切りもあってかなり厳格に進入を規制している様です。 しかし走ってみたいですネェ、でも良い子は走ってはいけません。 それより一般道のクネクネ度と緩やかなアップダウンがたまらないやないですか。

 

民家の庭先と柿の木畑の間を専用道は走って行きます。 あの車は狭い急坂を登り下りしてこちらの一般道から出入りしているんでしょうねぇ。 

 

元の上柏原バス停を過ぎて丹生川は東側へ蛇行します、専用道は左岸(向かって右側)へアーチ橋(第1丹生川橋梁)で渡って行きます、橋の向こうには専用道生子(おぶす)バス停跡が見えているのですが、残念ながら丹生川右岸に沿った道を行く事にします。

地形図では黒線(幅員3m未満)で示された道が丹生川右岸に沿って続いています、一応はコンクリートの簡易舗装がされていた様なのですがかなり痛んでいます、でもランドナーのためにある様な道です。 私のasuka号をランドナーに例えると文句を云ううるさがたもいますんで、ここは気分はランドナーと云う事でご容赦を。

 

突然「法華経一字一石塚」「為川筋往来安全也」と記された石碑が、この付近がほぼ元の五條市と西吉野村の境界にあたりますが、明治時代に建てられたものの様です。 と云う事はこの道が十津川街道、あの天誅組も通ったのでしょうかね。 

 

暫く進むとまわりが明るくなって西吉野町滝の集落が見えてきました、うーんニューサイクリングの世界ですねぇ。 

 

滝集落まで来てようやく左岸に渡る橋があります、五新線は対岸の山を生子トンネルで貫いていて、R168は山腹を走っていますので、そこまで登って行かなくてはなりません。

 

R168に取り付くと老野(おいの)トンネルが、ここには旧道が残っていますので左側へ進みます。 

 

 

落ち葉に覆われていますが旧道は健在です、走行に全く支障はありません。 

 

 

眼下には生子トンネルを出てきた五新線の第3丹生川橋梁が、その先が専用道神野(こうの)バス停でしょうか、その向こうに見えるのはフルーツロード(五條吉野広域農道)の賀名生(あのう)大橋。 

R168を渡り先程見下ろしていた専用道神野バス停へ下りてきました。 専用道はバス1台が通れるだけの幅員しかありませんので、何箇所かのバス停はこのように行き違いできるだけの幅員を持っています。 今では使われなくなったバス専用道と高規格農道の巨大橋梁が対照的ですね。

 

専用道は真っ直ぐ進んでいますが、蛇行する川筋に沿った右側の小径へ入ります。 

 

 

どっかの渓谷の遊歩道の雰囲気ですね、無理せず推して行きます。 

 

 

頭上には五新線第4丹生川橋梁、その上には賀名生大橋が、眼下には橋がない(^_^;)

(その2へ) (その3へ) 

道路元標蒐集サイク(京都編)

今日は京都市右京区梅ヶ畑に残る葛野郡梅ヶ畑村道路元標を目指します。 それと4年ぶりのセンチュリーランを果たす予定です。 念のためにお守りと重しに輪行袋を押し込んで行きます。 5時15分桜井を出発、いつもの上街道を北上します。 上街道は桜井から天理を経て奈良まで、現在の国道169号線に平行して南北に走る20キロ程の旧街道です。 古い集落の中を縫って走りますのでスピードは出せませんが、なにより信号が殆どないのが有難いです。 猿沢池から興福寺境内を抜け、奈良から京都への県境となる奈良阪を越えます。 写真は奈良少年刑務所、このレトロな建物はジャズピアニスト山下洋輔の祖父の設計になるものです。 見学はできませんが毎年秋に行われる矯正展の時には中に入れます。 (今年はもう終わりましたが) 井関川沿いに下って木津川沿いの自転車道、嵐山八幡木津自転車道に入ります。 約45キロの良く整備された関西有数の自転車道です。 8月に増水で流された木津川流れ橋は相変わらず流されたまま手付かずの状態です、修復には今回も5~6千万円かかるとか。   松尾神社前のコンビニで補給した後、自転車道の起点嵐山へ、以前の起点から少し遡ったところまで延長された様です。 ここで折り返すと楽勝なんですが、桜井から往復150キロでは、センチュリーランには届きません。 久しぶりの嵐山です、さすがに京都の観光拠点、平日の午前中ですが観光客が絶えません、暫し休憩の後出発。 嵯峨野の中を府道50号京都日吉美山線を辿って化野(あだしの)へ。 この三叉路を左へ行くと六丁峠を越えて保津峡へのコース、今日は初めて右の試(こころみ)峠への道を行きます。   試峠のトンネルまでどうって事はありません、元は戦争中に廃止された愛宕山鉄道の廃線跡ですから。問題は旧道の峠道、相当の激坂です、幸いと云うか自転車も含めて南行き一方通行に規制されていて入れません、従って交互通行のトンネルへ、なにやら心霊スポットと云う事らしいのですが、私は一向にそういうのは気になりません、交互通行でなければ中で写真を撮っておきたかった位、トンネルの長さは500m程、それも清滝に向かって下り基調なので、慌ててダッシュする必要もありません、ただライトは必携です。 清滝を過ぎて暫く車道が続いていますが、高雄へはいわゆる点線道の東海自然歩道を行かなくてはなりません。 事前に自転車仲間のM氏から情報を得ていたのですが「いつも通っているよ」なんて軽く云われるので、押しだけで突破できるものだとタカをくくっていたのですが… 最初はこんな調子で河原へ下って行きます、乗って行けなくもないのですが、一人ですし無理はしません。しかしあの小匠ダムを彷彿とさせる道筋は最高、まして紅葉の季節なら素晴らしい眺めでしょうね、でもその頃はハイカーで一杯でしょうから、自転車で来るのは顰蹙ものです。 河原に下ると道は相当険しくなります、間違ってもSPDシューズでは。写真を撮っている余裕もなくなり、写真のあるのはマシなところだけです、担ぎでの登り下りが何度も繰り返されます。 これが高雄まで3キロも続くのかと嫌になり始めます。 結局2つ目の橋を渡り再び左岸に出た頃から道も良くなり、28Cなら十分乗って行ける様になります。 平日の午前中とあってすれ違った人は8人だけ、なぜか7人は外人さんのグループ、さすが京都。 無事、高雄に出てきました、ダート区間の所要時間は約45分でした。 周山街道に出て御経坂峠を越え今日の本来の目的、梅ヶ畑村道路元標へ、道路元標は高雄小学校の門の内側に保存されていました。 1013基目達成です。   嵐山へは戻らず国道162号線を五条天神川まで南下し、そのまま天神川に沿って走って行くといつのまにか自転車道へ入ってしまいます。 途中、宇治市の友人の店に寄り道した後、城陽市から木津川右岸を走り山城大橋の手前で少し休憩した後、再び自転車道へ、朝来た道を黙々と走り、17時半無事に桜井に帰投しました。 本日の走行168.8キロ也、押し担ぎ付きのセンチュリーランを終えました。

道路元標蒐集サイク(丹後半島編1日目)

今日が有効期限最終日の青春18きっぷの最後の1回、桜井駅を0543発奈良行きに乗車、木津からは学研都市線(片町線)~東西線~福知山線経由の新三田行きに、大阪市内を通勤時間帯の混雑の中での乗換を避けてワープできるのですが、新三田で反対の上りホームに入ってしまうので、階段の昇り降りをさせられるのが難点。 先月の豪雨禍からの復旧工事とかで徐行運転でダイヤの乱れていた区間も解消し、福知山1024定刻着、忘れ物もなく11時には無事、出発準備完了。 コンビニ補給の後、R9を避けて一旦由良川対岸へ出て北上しR175からR176へ入ります。 京都府下の道路元標は京都府公報第783号(大正9年3月30日発行)として設置当時の住所地番が記録されていますので、未発見の道路元標を求めて金山村、雲原村と探索してみましたが不発。 まあそんなものよと与謝峠への旧道をのんびりと登って行きます。 標高320m程の与謝トンネルの入り口まできました、斜度そのものはずっと下の坂浦トンネルの手前の方がキツかった様な。 旧道峠は標高差で40m程、たとえ通れなくて引き返してもたかが知れていますので、時間もありますし突っ込む事に。 例によって国道の旧道峠とは思えない狭さに、大量の水と泥が出ていますが、ツーリング車の強み、なんなく突破、しかし与謝野町側は相当の急坂の連続です。 以前、与謝野町側からKHSで登ろうとした事が、天気が悪くなりそうでやめたのは大正解でした。 与謝村道路元標があっただろう場所を通過して加悦SL広場へ、今は無き加悦鉄道の車両をメインに直接関係はありませんが国鉄のSLや京都市電が保存されています、2度目ですが元鉄としてはここは外せません、入場料400円を払って入ります。 あいにく水曜でパン屋とカフェは休業日ですが、食事はできますので遅めのお昼にうどんを頂きます。 このレトロな建物は旧加悦町役場、平成14年まで使用されていました。 現在は観光案内所とかになっています。 信号をはさんで向かい側には加悦町道路元標も現存しています、かなり埋ってしまっているのが残念ですが。 観光案内所で貰ったパンフレットをもとに古い街並みを少しポタってみます、「ちりめん街道」として売り出している様ですが、こじんまりしたものです、ただあちこちから今も機織の機械の音が聞こえてきます。 おっさんには縁がなさそうですが、ちょっとした小物を扱っているお店もある様です。 加悦鉄道の廃線跡は岩滝加悦自転車道として整備されていて、北近畿タンゴ鉄道の野田川駅近くを通り岩滝まで行ってますが、そちらの方は判りにくかった様な。 また路面が良くないのと、交差する道路が多いのでロードにはわずらわしいかも。 北近畿タンゴ鉄道野田川駅、元の国鉄宮津線丹後山田駅ですが、ここも鉄な人には外せません。 駅舎内には丹後山田駅資料室と云うのがあります。 加悦鉄道が接続していた時代のジオラマは必見です。   R312に入り今夜の宿のある京丹後市大宮町を目指します。 水戸谷峠と云う小さな峠がありますが、標高も100mに届きませんし、横を北近畿タンゴ鉄道がトンネルなしで越えている位ですから大した事はありません。 17時丁度に一度も降られる様な事もなく、丹後大宮駅前の旅館「なかむらや」に到着。 日頃はビジネスホテルを利用する事が多いですし、次の峰山まで行くと2軒程ビジホがあるのですが、ネットで探すと素泊まり4,100円とリーズナブルなここを見つけたので、加悦SL広場まで来た処で電話を入れました。 部屋こそ広くはないですが、大きな湯船にゆったり浸かれて、洋室だけの生活をしているので久しぶりの畳にゆっくりできました、自転車は鍵のかかるガレージに入れさせて貰えました。 冷房がコイン式なので夏はちょっとネ。 お風呂で気持ち良くなって缶ビール解禁、11ヶ月ぶりのアルコールです。 桜井0543→0616奈良0622→0630木津0640~0849新三田0854~1024福知山 青春18きっぷ3,350円分乗車。 本日の走行 56.8キロ

「石仏巡り&廃線跡ポタ」迎撃

今日はまえださん企画の「石仏巡り&廃線跡ポタ」だったのですが、午前中に所用があったのと泥遊びの様相もあったので遠慮させて頂きました。 ただカレンダーをお渡しするメンバーが一堂に会しておられるので、下山後に休憩予定の植村牧場へ午後から向う事にしました。 Twitterを覗いていると、BLKさんが川に落ちたとか、まぁわんぱくおじさん達は色々と愉しまれている様です。 さて13時前にようやく桜井を出発する事ができ、上街道を一路奈良へ向います。 右奥に見えているのが三輪山です、北西の風が強いものの、冬の日差しが心地良いです。 ならまちまでやってきました、平日ですので観光客はちらほら静かなもんです。 一行は岩船寺辺り、植村牧場は15時位との連絡が、時間調整に東大寺近くまで走ってみます、奈良県民ですがあまり知らないのですよ、しかしさすがに観光地、この季節でも結構な人出ですね。 般若寺前にて、やってきました元気なおっさん達。 植村牧場はオープンカフェの売店が冬季休業でして向いのレストラン「いちづ」へ、コーヒーとアップルパイを頂きます。 カレンダーをお配りして1時間余り歓談、ほっといたらいつまで続くかわかりません。 鉄人児玉さんと上街道を少しご一緒して桜井へ。 本日の走行50.6キロ。

4泊5日18切符輪行ツーリングの旅(総括)

 遊び明けすぐの仕事から戻ってくると、中津から送った宅急便が。 この荷物を自転車に積んで走っていた訳、帰りの輪行を考えると箱代込で1,720円は決して高くはない。 昔チッキ(手荷物輸送)と云うのがあって、乗車券があると小荷物より安く荷物を送る事ができたが、北海道の国鉄バス長沼営業所から阪和線鳳駅まで送り、到着の連絡まで数日かかった記憶がある。
 さて九州「4泊5日18切符輪行ツーリングの旅」総括。 走行324.3キロ、道路元標7基(累計950基)、交通費7,280円(2日目も18切符を使えば6,900円だった)、宿泊費18.091円4泊(内牧温泉五岳ホテル5,900円夕食含)、外食費、食費、飲料費12,048円、雑費(運送料等)2,380円、計39,799円
 今回は複数のプランを天気予報を睨みながら、直前まで行き先を決めあぐねていたので、準備不足だったのは否めない。 ツーリングマップル九州もあるのに持って行かなかったし、GPSやスマホでグーグルマップが見られるとは云え、どこまで登るか詳しく判らないのは結構つらくて、かなり調子を乱してしまった。 しかし針金を持っていたのだけはガードの補修に役立った。

4泊5日18切符輪行ツーリングの旅(4日目)

 今日は阿蘇内牧温泉を出発しR212で阿蘇外輪山を越え、日田から中津へ抜ける計画です。 阿蘇から大分方面へ抜けるなら、湯布院から別府と云う「やまなみ」ルートが定番でしょうが、今回は大分交通廃線跡の「メイプル耶馬サイクリングロード」を走ってみたいので、こちらのルートを選びました、約120キロの行程です。

 R212の外輪山を越える鞍部との標高差は約400m、車が増えて来る前に登りきってしまおうと、6時には出発する旨を伝えておいたのですが、ロビーに下りてみても玄関は施錠されたまま、電話で呼び出して開けて貰ってコンビニへ立ち寄って大観峰への登りへ取り付いたのは7時近くになってしまいました。 平日とあって通勤や仕事の車が時間とともに増えてきます。 結局は観光バスこそ来ないものの結構混む時間帯を走っていた様も気がしないでもないです。

 R212は日田市街に向かって南小国町、小国町と下りが続き9時過ぎには杖突温泉に。 対岸に観音岩温泉とやらが見えて24時間営業とありますが、この時間から温泉に浸かるのもと思っていたら、無料の足湯があるそうなので、少し休憩に寄ってみる事にします。

 足湯の奥には色々と趣向を凝らした個室浴槽が26もあって平日なら800円から2000円程度で入れる様です、でも一人じゃ勿体無いですので、タダの足湯でゆっくりさせて貰います。

 松原ダムの手前で少し登り返しがありますが、下り基調の道が続きます、ただ交通量は徐々に増えてきます。 途中から旧道とおぼしき<9>日田鹿本線に逃げ込み11時には日田駅前に到着。 駅前の観光案内所で案内を貰って、古い街並みが整備された豆田町を少し行き、食事でもしようかと思いつつ、自転車を押してでは、適当な処を見つけられずに、結局は街外れのコンビニで食料を補給して、日田を離れる事に。

 日田から中津にかけてもR212ですが、大型車を含めて交通量は少なくなく、奥耶馬トンネルで峠を越えています、旧道はマニアには有名な大石トンネルが南側に残っていますが、限りなく廃に近いトンネルに向かうより、北側を迂回する<720>日田山国線で伏木(ふしぎ)峠を越える事にします。 石畳の峠道も残っている様ですが、車道は高原状の伏木集落で400m程のピークで九州の分水を越えます。 伏木はキャンプ場があるものの、公民館の横に自販機が1台あるだけの何もない処ですが、このルートをとったおかげでのんびりとツーリング気分を満喫する事ができました。

 日田市と中津市の境は中津側に少し下った処にあり、さらに行くと右手にR212が見えてきて暫く平行に集落の中を走り合流しますが、すぐに反対側に旧道が繋がっており、日田から車に煩わされる事なく旧山国町へ入り、そのまま自転車道で中津まで行く事ができる、なかなかのお勧めルートです。

 山国からは「メイプル耶馬サイクリングロード」へ入ります。 1975年に廃止された大分交通耶馬溪線の廃線跡を利用したもので、私自身は乗った事はありませんが、廃止前の中津駅と思われる写真を撮っていたり、車両が和歌山の紀州鉄道に譲渡され最近まで現役で活躍していて、何度か乗る機会もありました。

 おすすめサイクリングロードの1位にもなったことがあるそうですが、耶馬溪の風景や、幾つものトンネル、近代土木遺産に選ばれている第二山国川橋梁と、見所も少なくないですが、全体の1/3は幹線道路の歩道部分だったりと、期待する程ものでは。 路面状態はロードでは少し辛いかも知れません、山国寄りには暗い上に落ち葉や枝が散乱し、濡れている区間もあります、ツーリング車には心地良い位の感触かも知れませんが。

 耶馬溪で有名な青の洞門、国道や自転車道の対岸にあたりますので、うっかりしていると通り過ぎてしまいます。
 後半、歩道と併用の自転車道と西日に少々参ってきますが、明るい内に大分中津駅前の東横インに到着、明朝18切符で帰途に就きますので、先に輪行準備と不要になる荷物を宅急便にする作業を済ませてしまう事にします。 東横イン大分中津駅前は訳ありシングルプランで3,480円の格安、訳ありと云ってもエレベ-タシャフトの隣で室数限定と云うだけ、私には全く気になりません。 ただ決済が現金のみと云うのに、フロントが一旦カード決済を受け付けてから、後から現金で精算し直してほしいと云う事に。 まぁ格安だったり宅急便の箱が幾つか常備してあったり、熊本駅前の事を思えば応対も良かったので良しと。

本日の走行121.5キロ

出発前夜へ 1日目へ 2日目へ 3日目へ 4日目へ 5日目へ 総括へ

4泊5日18切符輪行ツーリングの旅(3日目)

 今日の予定はゆうかファミリーロード(熊本山鹿自転車道)を走り、山鹿町道路元標を回って菊池渓谷から阿蘇外輪山へ登り、話題の通称「ラピュタの道」を下る約100キロの行程です。

 東横イン熊本駅前から見下ろす、新しくなった熊本駅と駅前ターミナル。

 

 

 熊本駅前から「ゆうかファミリーロード」の入り口へは2キロ程離れているので、あらかじめ市内の道順を頭に入れておかねばなりません、よそ者には決して判りやすいところではありませんが、段山橋東詰と云えば教えて貰えるような処だとは思います。  

 自転車道は井芹川と鹿児島本線を縫うように北上し、崇城大学の前辺りを除けばほぼ専用道ですが、時間的な事もあったのでしょうが、近所の人のジョギングコースや犬の散歩コースと云った雰囲気で、路面状態も決して良くない上に階段区間、鹿児島本線を見下ろすので鉄な方はよろしいかも。

 自転車道はJR植木駅の手前でスイッチバックするように、昭和40年に廃止された山鹿温泉鉄道の廃線跡に入りますので、これまでとは雰囲気が一変します。

 県道330号熊本山鹿自転車道線のヘキサもあったり、かつては踏み切りだっただろう一般道路との交差があったりと、廃線跡の雰囲気満点、そして元は駅のあった場所の幾つかが休憩所として整備されています。

 目的地の山鹿町道路元標へは行き過ぎですが、せっかくですので自転車道の終点まで行って見ます。 山鹿町道路元標の後、菊池市へ向かいますが、平野部とは云え50キロ余りを走って、まだ10時前とかなりハイペースで走ってしまいましたが、菊池市街で標高は100mにも届きませんから、この先阿蘇外輪山のミルクロードまで標高差で900m近く登らなくてはなりません。

 菊池市街を東に進むと一気に勾配がきつくなり、日田往還R387の交通量も結構あります。 前半調子に乗って飛ばしすぎたのが災いしたのか、昨日に続いて調子が崩れ始めてきた上に、リアガートのステーを取り付ける孔が開いて外れてしまいました、とにかう応急処置もかねて大休止です。 菊池市重見の廃校跡の公園、自販機やトイレがあり貴重な休憩ポイントです。

 菊池渓谷、R387から県道48号阿蘇公園菊池線へ入り、菊池渓谷を過ぎると徐々に車は少なくなります、菊池阿蘇スカイラインと名前がついているものの、阿蘇外輪山に登りつくまで展望はありません。 どうにも具合の良くないガードは、結局は手持ちの針金で固定してどうにかまともに走れる様に。

 結局は菊池渓谷からの標高差450m程を2時間以上かけてミルクロードにたどり着きますく、今にも降り出しそうな時もあっただけに展望は期待してなかったのですが、どうにか阿蘇山を確認できる位の視界が。

 ミルクロードを少し南下し、「ラピュタの道」の入り口に、ところが非情にも「全面通行止」の看板が、全面通行止で自転車すら通れなかった経験はそうはありませんが、標高500m近くを下って戻らなければならないなんて事になっては、この時間からでは笑い話にもなりませんが、とりあえず覗くだけは覗いてみようと少し下ってみる事にします。

 はるばるやってきました「ラピュタの道」、視界が今一つなのは残念ですが、目を見張る風景です。 ところで「全面通行止」にもかかわらず、軽自動車からトラックまで地元車とおぼしき車が何台も下りて行きます。 それらの車が一向に戻ってきませんので、「全面通行止」の看板は観光の車への牽制?

 撮影ポイントには事欠きませんし、時間をかけてのんびり下ります、いわゆる「ラップサイロ」と云うやつを乗せたトラックまでユッサユッサと下って行きます。

 下から見上げると… 結局は通行止となっていた箇所も判らず下りきってしまいました。 なお上2/3は日影も水場もないコースですので、炎天下に登られる時はそのつもりで。 

 

 

 今夜の宿は阿蘇内牧温泉の五岳ホテル、ライダー向けの宿泊コースも用意してホームページで案内している処なので、自転車の一人旅でも気軽に泊まれそうなので、ネットで予約しておきました、まぁ地方都市のちょっと古いビジネスホテルと云う感じでしょうか、2食付き入湯税混み5,900円、24時間入れる源泉かけ流しが売りの温泉もあります。

本日の走行101.5キロ

【950】 熊本県 鹿本郡 山鹿町 (現 山鹿市)

出発前夜へ 1日目へ 2日目へ 3日目へ 4日目へ 5日目へ 総括へ

信州ツーリング(3日目)

 予定では今日は軽井沢から碓氷峠を越えて群馬県へ、高崎でもう一泊すれば群馬県下の道路元標を結構回れるのですが、ちょっと天気も仕事も気がかりな事で。 とにかく佐久平からは浅間山を見ながら中仙道を行きます。
  中仙道の宿場を辿って行くつもりだったのですが、途中御代田駅近くでレタス畑と別荘地に迷い込んでしまいましたが、どうにか軽井沢へ。 浅間山をこれだけ綺麗に見たのは始めてです。

 旧軽井沢駅舎、既にJRとしての在来線はないのですが、裏側にEF63が保存されています。

 軽井沢駅から碓氷峠までは僅かの距離、新幹線の駅から最も近い峠では、碓氷バイパスの開通でR18もこの区間は非常に車が少ないです。

 旧道と云っても、今もちゃんと整備が行われていて、最近アスファルトを引き直した区間もありました。 ただ台風の影響で風が強くて、木の枝が散乱しているのには参りましたが、木陰が多くてなかなか魅力的なコースです。
 碓氷峠に来た目的の一つにこのめがね橋こと旧信越線の第三橋梁、他にも幾つかの橋梁が保存され案内板も設置されています。

  第三橋梁へは「アプトの道」として遊歩道が整備されていて登ってくる事ができます。

 自転車を置いて階段を上まで登ってきましたが、旧線上を遊歩道が横川まで続いています、自転車はダメとは書いてありませんでしたが、どうなのかな。

 横川では「碓氷峠鉄道文化むら」へ寄って帰ろうと思っていたのですが、火曜は定休日(>_<)。 夏休みはやっていたので先週なら開いていたそうです、とにかく周わりを一周して外側から展示車両を遠目に見てきました。
 関門で活躍したEF30とお馴染みEF58。
  他にEF53かなEF59かなも見えました。

 横川駅、ここから碓氷峠を目指すのでしょうか、輪行でやってくる人が結構多い様です。




 有名な「峠の釜めし」は健在、駅前には「資料館」まであります。

 幸運な事にSLイベント列車の試運転に遭遇しました、なぜか後藤デフにされたD51が。







 SLや古い駅名標と、昔の佇まいが。

 横川からは「18きっぷ」で高崎、籠原、二宮、熱海、浜松、豊橋と乗り継ぎ、JRのままでは桜井には辿り着けませんから、名古屋から奮発して近鉄特急に。

 横川駅で買った「峠の釜めし」、高崎線~東海道線とローカルの乗り継ぎでは店を」拡げるのははばかられ、ようやく近鉄特急の中で晩飯がわりに頂きました。

本日の走行45.8キロ

【904】 長野県 南安曇郡 小倉村 (現 安曇野市)
【905】 長野県 東筑摩郡 入山辺村 (現 松本市)
【906】 長野県 小県郡 和田村 (現 長和町)
【907】 長野県 小県郡 大門村 (現 長和町)
【908】 長野県 小県郡 長久保新町 (現 長和町)
【909】 長野県 小県郡 長窪古町 (現 長和町)
【910】 長野県 北佐久郡 三岡村 (現 小諸市)
【911】 長野県 北佐久郡 西長倉村 (現 軽井沢町)
【912】 長野県 北佐久郡 軽井沢町 (現 軽井沢町)
【913】 群馬県 碓氷郡 坂本町 (現 安中市)

道路元標蒐集サイク

2dayチケットを使って阪神三宮駅2400着、0055出航のジャンボフェリーで高松へ渡り、香川県と岡山県の道路元標を回ります。 香川と岡山は今月2日にも行ったばかりなのですが、その折は駅から徒歩圏内で輪行するとかえって足手まといになる様な処を回り、徒歩では回りにくい処を残してしまっていて、宇高航路廃止のニュースで急遽今回のプランを考えた訳なのですが、 土曜の夜だがらでしょうか、トレーラーの積み下ろしは少ないのですが。それでも自転車やバイクの乗船は最後で出航10分位前です。気候も良くなり単車も多くなってきましたが、ロードも2台ばかり。 明るくなるまで24時間営業のマグドナルドで朝食休憩し、香川郡の香西町道路元標まで往復、高松港に戻り国道フェリーで宇野へ、たった2時間40分の四国滞在でした。関西から宇高ルートは使う機会は少ないでしょうが、今月26日で航路を廃止すると届けを出した宇野~高松間を結ぶ国道フェリーと四国フェリーの両社、それぞれ廃止届を取り下げ、廃止はひとまず先送りになったものの、先行きはまだまだ不透明で存続しても減便は免れないかも。ちなみにそれぞれ22便づつ運行、自転車は乗員込みで片道720円です、なお両社の便が一緒に書かれた時刻表もありますが、それぞれ乗り場が違いますからご注意を。 しかしあちこちで起こる高速道路1,000円のフェリーへの影響、海運業界ってそんなに政治力がないのでしょうか、このままだと海上交通は衰退するばかり、阪神大震災級の災害が起こってから、海運が使えればなんて云っても遅いのよ、と云うより瀬戸大橋線は橋上風速25mで運行停止、車も速度制限、二輪は通行止。 それ以上吹けばフェリーも休航するだろうけど、現実に一昨年はフェリーは頑張って代替輸送を行っていたのですよ。 近代的になった高松市街をバックに。フェリー利用はどうしても夜行便が多いですが、日中1時間の船旅もなかなか良いものです。宇野港では「宇高航路を惜しむ」のでしょうか「四国うどん巡り」でしょうか、入れ替わりにモールトンやBD-1の小径車のグループが乗り込んで行きました。 宇野からは岡山県児島郡の日比村道路元標まで往復、宇野駅近くから三井造船玉野造船所近くまで廃線跡の歩行者自転車道が続いています。 宇野駅へ戻り今度は胸上村道路元標を目差します。 かつての宇高連絡船への乗り換え駅だけに今でも規模だけは立派です、かつて頻繁に急行「鷲羽」が発着し、ブルートレインの「瀬戸」から貨物列車に至るまで賑わった構内も、今では昼間は1時間に1往復の普通列車がやってくるだけです。  宇野から海岸沿いに出て、少し向かい風ですが快適なコースです。 この近辺、結構小さな峠が幾つかあります、ここは鳥打峠、標高30m程ですが。 胸上村道路元標の後、宇野線で赤穂へ向かう予定ですが、元来た道を戻るのも何なので戸立峠を越えて八浜駅を目指します。 標高は110m、内陸の八浜側の方がエグそうでした。 先の鳥打峠とともに峠おやじ履修済み、どうやらここいらは絨毯爆撃して荒稼ぎして行った様です。 姫路周辺にしようかと思ったりもしたのですが、カウントにはならないものの、宿題のある播州赤穂で途中下車。 赤穂市民俗資料館中庭に保存されている赤穂町道路元標を再訪します、前回は2007年10月に訪れたのですが、その時は運悪く休館日で、元標は遠目にどうにか撮影できたので、既にカウント済み。 赤穂市民俗資料館はさすが赤穂だけあって、元の塩務局と云う役所の建物だと云う事で、中にはT御大が興味を示す様な秤などの展示品もありました。 赤穂浪士所縁で有名な「花岳寺」前には「加里屋道路元標跡」碑が、赤穂町道路元標は元はここにあったとの事ですが、「加里屋」とは行政区分としての町村名ではなく、この付近の地名です。 私は跡碑はカウントしていないので、前回はパスしていました。 問題は「塩屋町道路元標」、昨年穴蔵さんのHPに紹介されたのですが、歴史的に「赤穂郡塩屋町」としては存在した事はなく、「赤穂郡塩屋村」が町制をしく事なく昭和12年に「赤穂郡赤穂町」に編入されています。 最初は地元自治会か何かの手により、最近になって復元されたものかと思っていたのですが、裏面には「兵庫縣」とあり状態も近年復元された様には見えません、私の想像では明らかに「赤穂郡塩屋村」だった頃に建てられたものではではなく、赤穂町となった昭和12年から戦後にかけた辺りで再建されたものではないかと思うのです、いかがでしょう、でこれをカウントするかしないか思案中です。 播州赤穂駅1709発で帰途に、本日の走行62.2キロ。

新春サイクルミーティング in 名古屋

今年もT御大と連れ立って参加させて貰いました。 朝7時半にT御大宅に向かいUG兄さんの車に便乗させて貰います。 5人5台がそのまま乗せられる車ですから楽チン楽チン、ワイワイガヤガヤと喋りながら名阪国道~東名阪~伊勢湾岸~愛知環状と継いで2時間少々で豊田市の「昭和の森」へ到着。 いつもの駐車場に到着すると、今年はいつもにまして車が多い様な、参加者は60数名とかガード付き自転車がこれだけあつまると壮観です。 名古屋を中心としたイベントですので、日頃なかなかご一緒できない面々とお目にかかれる機会になります。 このイベントはランの前に記念写真、トン汁の振るまいとあみだくじによるプレゼントの抽選があります。 ↑ これからいつもの記念写真です (Photo : Tatsumi御大) プレゼントの景品で目だっていたのはミシュランのパニアバッグ、以前KHS用に買おうかなと思案していたものですが、なんとT御大が引き当ててしまいました、で私が当てたボトルケ-ジと有り難く交換して戴く事になりました、新春早々天五さんのBlogで「大凶」を引いた私ですが、身近な処に福がありました。 ランのコースは30キロに満たないほぼ例年通りのコースですが、里山、矢作川河畔、廃線跡があったりと、車の少ない気持ちの良いコースです。 (Photo : akutaさん) この「新春ラン」はいわゆるランドナーやスポルティーフと云ったガード付き自転車である事が唯一のレーティングなんですが、ここは踏み絵コース? ガード付きとは云え700x28cでは結構キツいです。 (Photo : m-kojimaさん) 途中、1キロ程コースアウトさせて戴いてT御大を介添えに800基目の道路元標を回ってきました。 愛知県西加茂郡の石野村道路元標です。 (Photo : Tatsumi御大) ラン終了後は今年も「カフェまえだ」がOPENします。 (Photo : mz_orthoさん) 今回は曇天の下、暗い長玉を振り回したせいで打率が悪くて枚数が少ないですが、いつもの様にうちのHomePageの「ツーリングの記録」に写真をUPしています、なおログインには認証が必要です、ログイン名は’pal’ パスワードはFAX番号の下4桁です、カレンダーや年賀状等をご覧ください。

道路元標蒐集の旅(西日本編)

倉敷から笠岡まで輪行、ここから井笠鉄道廃線跡を辿りながら木之子村道路元標へ向かいます。     資料を持ってきていなかったので、ちゃんとトレ-スできてはいないのですが、井笠鉄道廃線跡は通勤通学に生活道路として有効に利用されている様です。 山陽道をくぐるあたりから少しダートになり県道に吸収されてしまいます。 井笠鉄道記念館、朝早いので開いてませんでした。 井原鉄道矢掛駅、井原鉄道には初めて乗車します。 清音で伯備線に乗り換えて次の目的地邑久郡美和村道路元標の最寄り駅、赤穂線の長船へ向かいます。 所在のはっきりしていなかった美和村道路元標もi意外と簡単に見つかってしまったので、お昼過ぎには長船駅に戻ってきてしまいました。 一応履修済みですが赤穂市民俗資料館中庭に保存されている赤穂町道路元標の撮り直しとか加里屋元標跡へも寄ってみたかったのですが、さすがに船中泊とかで疲れもたまってきているので、素直へ帰途に就く事にしました。 本日の走行41.8キロ、1日抜けていますが5日で284キロ。 【756】 香川県 香川郡 仏生山町  (現 高松市) 【757】 香川県 木田郡 川島町  (現 高松市) 【758】 愛媛県 宇摩郡 妻鳥村  (現 四国中央市) 【759】 愛媛県 北宇和郡 泉村  (現 鬼北町) 【760】 愛媛県 北宇和郡 三島村 (現 鬼北町) 【761】 高知県 幡多郡 大川筋村  (現 四万十市) 【762】 高知県 高岡郡 興津村  (現 四万十町) 【763】 佐賀県 佐賀郡 新北村  (現 佐賀市) 【764】 佐賀県 杵島郡 山口村  (現 江北町) 【765】 佐賀県 杵島郡 錦江村  (現 白石町) 【766】 佐賀県 杵島郡 須古村 (現 白石町) 【767】 佐賀県 杵島郡 福富村 (現 白石町) 【768】 広島県 豊田郡 幸崎町 (現 三原市) 【769】 岡山県 後月郡 木之子村 (現 井原市) 【770】 岡山県 邑久郡 美和村 (現 瀬戸内市)

道路元標蒐集サイク (北陸篇1日目)

 先週には梅雨入りしていたものの、幸い「弐千峠サイク」も好天で迎える事ができました。それでもどうやら来週には 本格的に梅雨入りしそうな予報なので、週末までに少し走っておこうと考えたプランがこれ。 最近現存が確認された滋賀県伊香郡の「塩津村道路元標」を履修して、R8深坂峠から旧北陸本線廃線跡(杉津線)を経て今庄へ越え、うまく行けば福井泊で翌日に石川県の道路元標を巡ってみようと云う計画。 北陸本線廃線跡は北陸自動車道と同様な経路でほぼ県道として現在も利用されています。廃線となった区間は敦賀をはさんで柳ヶ瀬線と杉津線と呼ばれていて、柳ヶ瀬線跡も県道となっていて、これを使うと深坂峠を越えずに、楽に滋賀福井県境を越えられるのですが、残念ながら柳ヶ瀬隧道は自転車通行禁止の様です。山中越えとなる杉津線区間にはかつて12のトンネルがあって、北陸道杉津PAで潰されてしまったトンネルを除き残りのトンネルは今も健在、峠区間でかつての難所と云っても鉄道の事ですから、斜度はたかが知れています。 滋賀県側から北陸へ自転車で向かうのは今度が3度目、最初は2000年10月に信楽~水口~八日市経由で高時川に沿って椿坂峠と栃の木峠の間に出て今庄へ、2度目は2001年10月に深坂峠~敦賀~河野海岸道路を走り越前海岸で一泊するコース。今回は走り慣れている信楽ルートで貴生川駅から近江鉄道サイクルトレインで米原までワープして、再び走り出そうと云う魂胆。ただ近江鉄道サイクルトレインの利用は平日は9時からなので、米原へ向かうには日野駅0910または貴生川駅1004発に乗車する事になってしまいます。 少し明るくなりだした0410に桜井を出発、和束のローソンと信楽駅で休憩の後、雲井駅を過ぎるあたりまでは裏道を走ったあとR307に入りますが、新名神のICができたりして交通量も多く路肩も狭いので、あまり走りたくはない区間です、信楽高原鉄道もサイクルトレインを実施してくれれば良いのですがね。ダラダラと登りきった処で、小野峠旧道に入ります。信楽側は庚申山への登り口で通行止めになっていますが、充分走る事のできる路面状況です。 貴生川駅はJRを挟んで信楽高原鉄道と近江鉄道のホームがあるので、サイクルトレインを利用するにはR307で草津線をまたいで駅の東側にまわりこんだ方が便利です、東側にはコンビニもありますし、ただエレベーターの入り口付近に自転車侵入禁止と書いてあって、階段を自転車担いで登り降りせよと云う事なんでしょうか、自転車をそのまま持ち込むサイクルトレインと矛盾しているのが… 有り難くエレベーターは利用させていただきましたが。米原までの運賃は970円、自転車の持ち込みは無料です。土日休日ならフリーきっぷが使えるのでなんと550円で一日乗り放題です。やってきたの流行りのゆるキャラ「ひこにゃん」にあやかった、「いしだみつにゃん」「しまさこにゃん」のキャラクタ電車です。米原1035着、直通なので所要時間は1時間半程ですが、乗り継ぎで八日市で待たされると走った方が早いと云う声もあるかも、しかし湖岸道路に出るにせよ、結構交通量や信号の多い処を走って行くので、この区間をパスできるの有り難いです、しっかり昼食も車内で済ませました。ただしこの季節走っている格好で冷房の効いた車内に乗り込んでいると体を冷やしてしまうかも、しっかりパーカーを着込んでいました。 途中からサイクルトレインにDAHOINの小径車で乗り込んできた方に、米原駅の西側にでる道を教えて貰って湖岸道路へ、長浜までご一緒して頂きました。R8の賤ヶ岳トンネルの上の旧道、琵琶湖の展望が素晴らしい飯浦大音線に入り、塩津村道路元標を経てR8深坂峠に入ります。 ようやく深坂峠にたどり着いたのが3時前、「とろろそば」の看板に、時間があればとよそ見していたら、石をはねてしまい深坂峠を下りはじめたらパンクしていました。 夏至まじかの一年で一番陽の長い時期とは云え、これからまだ二山越えなくてならないのに… 先が思いやられます。  R8から北陸本線杉津廃線跡ルートへ入るには普通は敦賀市街でR476に入るのですが、それではかなり下ってしまう上に信号や交通量も多いので、麻生口から県道140号に入り笙ノ川沿いの道を池河内へ向かい、標高320m位の池河内湿原まで登ることにはなりますが、緩やかな登りで車の来ない快適な道です。無名の峠を越えると反対側は激下りでR476の獺河内にでます。 北陸自動車道の上り線と下り線に挟まれた格好で廃線跡道路は最初の葉原隧道へ、ここから鮒ヶ谷隧道~曽路地谷隧道~第一観音寺隧道~第二観音寺隧道~曲谷隧道~芦谷隧道~伊良谷隧道と最後の山中隧道まで9つのトンネルが続きます。葉原隧道と伊良谷隧道は交互通行の信号がついていますが、いずれも元単線用トンネルだけに自動車の離合は困難です。 自転車にとっては曽路地谷隧道は500m近いものの照明がなくカーブしているので、ランプなしで突っ込むのは危険です。 いずれも漏水で路面は夕立の後の様な状態で、ガードなしではつらいと思います、今は閉鎖されてしまいましたがツーリングマップルに「西日本一の不気味隧道」と書かれた旧中辺路町の高尾隧道の様にカッパを着込まないと通れないと云う程ではないでしょうが。曽路地谷隧道を出ると北陸道杉津PAの下をくぐり海側に出て敦賀湾の展望が開けます。  山中隧道を抜けて振り返った処、左奥にスイッチバックの引き上げ線用の抗口が見えています。 この後、山中信号場や大桐駅跡の案内板があったりして今庄へ向かって下って行きます。 この後はひたすら福井駅前の今夜の宿を目指すだけです、武生を過ぎたあたりですっかり暗くなってしまいましたが、21時前にはたどり着く事ができました。走行197.2キロ、後3キロ走り回る余力はさすがに残ってませんでした。実は朝桜井を出て三輪近くまでメーターが回ってなかったのですが、それでも200キロには届かなかったですね。