2015年1月の実績

今月の走行951.1キロ(asuka 645.1キロ、koga-miyata 59.2キロ、KHS 246.8キロ)、まずますのスタートを切れましたね、風邪をひかなければ1,000キロ行ってたかな。
「南紀ツーリング」「志摩ツーリング」「五新線跡に沿って西吉野サイク」と1月にもかかわらず内容の濃いサイクリングがありました。
急遽始めた「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーも2/3の20地点達成、後1ヶ月半で10地点達成なるかです。

年末年始は飽食の機会が多いとは云え、減量は底を打ってしまいましたね、BMI25を切る目標の72キロ、壁は厚いです。

 

日本一周中の國弘君と飛鳥ポタ

今日は1月24日に「志摩ツーリング」の途中、鳥羽展望台で知り合った日本一周中の国弘君が奈良へ来ているので、飛鳥案内を兼ねて一緒に走る事にしました。 彼はGIANTのGREAT JOURNEY の4サイドで山口県をスタートし時計回りに走っています。  

近鉄飛鳥駅前で待ち合わせします、今日が188日目。 彼は大阪の大学(田尻峠の向こうの)を出ているそうなのですが、大学時代は自転車はやっていなかったそうで、明日香村には来た事がないそうです。 まずは高松塚古墳へ向かいます。
高松塚古墳から亀石を経て稲渕の棚田へ、「日本の棚田百選」に選ばれているとは云え、あの能登の「白米千枚田」を見てきた目には比べるべくもない様な気もするのですが。

棚田の中を走れるよと云うと、走りたいと云うのでご案内を、これだけの荷物の4サイドで半年間10,000キロ以上走ってきたのですからなかなかパワフルです。 
いつもの石舞台を見下ろす丘の上で記念撮影を。

明日香村岡の古い街並みの中を行きます。

お馴染み「めんどや」でお昼にします。

食事の後も酒船石、入鹿の首塚とかを回ります。 明日香村の長閑な風景の中を行きます。

大官大寺跡から藤原宮址を通って、橿原市のローディ御用達のお店「4’season」でコーヒーブレイク。

横大道(初瀬街道)を走ってJR高田駅までお送りしてお別れします。 明日は奈良市から大阪方面、そして岡山から四国に渡るそうです、これからの旅もご無事で頑張って下さい。 ブログ「自転車でお届けする日本1周日記」やfacebookもやっているそうですので応援してやって下さい。
 
うちのHPの「ツーリングの記録」にも写真をアップしています、パスワードをご存知の方はご覧になれます。

五新線跡に沿って西吉野サイク(3)

五條市西吉野町十日市

五新線周辺探訪ですっかり時間をとってしまい、西吉野町城戸(じょうと)を出たのは13時を回ってしまいました。 今日の予定はまだ黒滝村経由で吉野山へ登って「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイント「金峯山寺」と「吉野水分神社」をGETし、「静亭」で裏メニューを頂くつもりだったのですが… とにかく<20>下市宗桧(むねひ)線を走り十日町へ<138>赤滝五條線へ入ります。

<138>赤滝五條線、丹生川に沿った山峡の静かな道を黙々と走りますが、全く車に出合いませんでした。ここから下市町に入ります。

元の下市町立丹生小学校、現在では校庭が下市町コミュニティー体育館のグラウンドとして利用されています、今日は何やらゲートボールの試合だった様で、賑やかな声が山あいにこだましますが、子供の声が聴こえないのが山村の現実です。

R309に入り少し走ると丹生川上神社下社です。 上社は川上村に、中社は東吉野村にありますが、いずれも水の神様です。 

道の駅「吉野路黒滝」へ、黒滝村の道の駅で自転車乗りがと云えばこれですね(^_^)

 

<48>洞川下市線へ入り久しぶりの地蔵 トンネル、さすがに旧峠に上がる余裕はありません。

 

再び下市町に入り才谷へ、ここで15時を回ってますからとても標高600m近い吉野水分神社へ登るどころか「静亭」に立ち寄る余裕もありませんが、とにかく<257>才谷吉野山線へ入り吉野山へ登る事にします。 

勝手神社の角に出てきました吉野山です。 しかし陽が傾いてくると急に冷え込んできました。

 

金峯山寺まで下り、ここで「ツール・ド・紀伊」のポイント「金峯山寺」をGET、これで20個目で残り10個、和歌山県に5個、三重県に4個、それに奈良県には今日行けないかった「吉野水分神社」を残してしまいました。 暮れに買い換える前のスマホが対応できずにスタンプラリー参加を諦めていた12月に登っていたのに、さて後1ヶ月半で達成できるでしょうかね。

さてこれから帰途、 裏芋を越えるか壺阪峠を越えるか、この時期の夕刻の壺阪峠はイノシシと遭遇しないのかがちょっと心配ですが、峠までに日没は確実なので、やはり走りなれている壺阪峠を越える事にしました。 17時過ぎに壺阪峠に到着、峠から少し下って見える奈良盆地には明かりが。

18時半に桜井に帰投、本日の走行距離107.1キロ、今月5回目の100キロ超えとなりましたが、平均速度は驚異の13キロ台、もうポタリングですね。 道路元標は高市郡の船倉村、南葛城郡の葛村、宇智郡の宇智村と野原村の4基の無事を確認しました。
今回は3回に分かれてしまいましたが、最後までお読み頂き有難うございました、お礼に特典映像をプレゼント。
(その1へ) (その2へ)

五新線跡に沿って西吉野サイク(2)

 映画「萌の朱雀」でロケ地として使われた「賀名生(あのう)」バス停です、映画では「恋尾」バス停となっています。

 結局、橋が落ちていては丹生川を渡る事ができませんのでR168にワープする事に、写真は南朝の行宮であったとされる「堀家住宅 賀名生皇居跡」と五新線第6丹生川橋梁。 鉄道が走っていたら格好の撮影ポイントだったんでしょうね。

せっかくですから「賀名生」バス停へ寄ってみます、賀名生は梅林で有名な沿線随一の観光地です。 丁度お昼時ですので五條の吉野ストアで買ったパンと持参のポットの温かいコーヒーでお昼にします。ちなみに五條市街を出るとR168にはコンビニの類はありません。

国鉄バスと書かれた観光案内板があります、もうこのバス停に降り立つ人はいないのですが。

 

賀名生の街並みから丹生川をはさんで五新線跡が望めます。

 

R168の走る丹生川左岸から向賀名生バス停のある対岸へ渡ってみます。

 

向賀名生の集落、丹生川をはさんで山腹にへばりつく様に大日川の家々が点在している。吉野には良く見られる風景です。

 

再び左岸に戻ってR168へ、第7丹生川橋梁で一旦R168と交差します。

 
 

R168旧道から何度か五新線を見下ろせるポイントがありますが、この付近の衣笠トンネルに崩落の危険性があるとの事が、専用道のバス廃止の直接の原因となった様です。

専用道の終点である城戸(じょうと)が見えてきました。

 

終点の城戸バス停跡です、かつて専用道を走ってきたバスはこのスロープを下ってきて一般道に入り西吉野温泉まで行っていました。スロープを上がると鉄道駅舎の様な建物があって反対側はタクシー会社の車庫になっている様です、「市有地につき一般通行を禁止します。この先、通り抜けはできません。五條市」とあります。  五新線に沿ったサイクリングはここまでです。 バス専用道の存在を知っているサイクリストはバス運行の廃止を聞いて口を揃えて自転車道にしてほしいなと云います、実際私もそうだったのですが今は否定的です。鉄道廃線跡を自転車道にしている例は日本全国に多くの実例があります、それは平行した道路が既に整備されていて、幅員がなく一般道への拡張が難しい廃線跡の再利用は自治体の苦肉の策で、まして維持コストのかかるトンネルや橋梁の多いこの路線、大分交通廃線跡のメイブル耶馬サイクリングロードが似通った事例かも知れませんが、賀名生梅林と西吉野温泉くらいしか集客ポイントがない西吉野、サイクリング利用者は限られている事でしょう、廃道寸前の自転車道は各地に少なくないのです、現在の所有者の五條市も頭を抱えている事でしょうね。ぶっちゃけた話この道はバス運行廃止以前から部分的に地元の生活道路になっているのです、それは詳細な地図を見れば歴然としています。現実に崩落の危険性のあるトンネルで分断されてしまっているのですから、地元利用の機会がない橋梁やトンネルは閉鎖し、必要な箇所だけは生活道路として活用すると云うのが現実的だと思います、その折は部分的にでも有効に利用したいと思います。「市有地につき一般通行を禁止…」と云う市の責任回避だけしている現状が一番問題なんだと思いますが、どうでしょう。

(その1へ) (その3へ)

 

五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

 かつて鉄道敷設法と云う法律がありました、1892年(明治25年)に制定され、あまねく全国に鉄道路線網を張り巡らそうと云う、今の高速自動車国道法の鉄道版みたいなものです。 鉄道建設が国家の基盤施策みたいに考えられていた時代ですから、費用や技術的問題、必要性、採算性などは度外視で、ある意味政治家の集票の道具の様に使われていたかも、ちなみに道路元標の根拠法の旧道路法は1919年(大正8年)。 1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法では全国で150もの路線が設定されていました。 その中に「奈良縣五條ヨリ和歌山縣新宮ニ至ル鐵道」、すなわち五新線が掲げられています。 1939年(昭和14年)に建設に着手されたものの、ルートに関して地元同士の綱引きに、国鉄、近鉄、南海の思惑が絡み、戦時中断を経て1957年(昭和32年)に工事再開、1959年(昭和34年)には五條~城戸までの路盤が完成したものの、地元西吉野村(現五條市西吉野町)が鉄道としての開業に懸念を示したため、路盤を専用道として利用するバス路線として開業する事となります。 その後工事は大塔村(現五條市大塔町)阪本まで進みますが、1982年(昭和57年)の国鉄再建法の施行で工事は凍結、城戸までのバス路線は国鉄~JR西日本と継続されますが、平行する国道168号線の改良や自動車利用の発達、城戸以遠や接続網を持つ奈良交通のバスが国道を走っている事もあって運行本数は逓減し、2002年(平成14年)にはJRバスが撤退、地元自治体が奈良交通に運行を委託していたのですが、トンネル崩落の危険性がある事が判り2014年9月末で廃止となった事は話題に新しいですね。
 奈良県出身の映画監督河瀬直美さんの実質的な処女作でカンヌ新人監督賞の最年少受賞作品となった映画「萌の朱雀」(1997年)の舞台に西吉野村がなり、作品中では具体的な事までは明らかになっていませんでしたが、國村隼演じる主人公が五新線に拘わっていた事が物語の重要なテーマになっていました。 ちなみ「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんは西吉野村出身で御所高校卒業。 最近ではロケ地の案内ができたりしていますが、私の聞いている範囲では内容が暗すぎると地元での評判は良くなかったそうです。
 ところで晩年の土日には午前中に1往復だけなってしまったバス専用道、奈良県のサイクリストには知られた存在でした、なにしろ五條~城戸間を車に煩わされる事のない殆んど平坦路と云って良いルートがあるのですから、しかしネットではその利用を明らかにする事はタブーなのです、今もなお。

 朝7時半に桜井を出発し明日香村経由で御所市域へ、船倉村道路元標葛村道路元標の生存確認して吉野口駅で小休止の後重阪(へいさか)峠を越えます。 いつもは三在北あたりでR24に入るのですが、極力トラックの多いR24を走らない様にと宇智川沿いの道を走ってみようとしたのですが、堤防上の道はダート、舗装路を選んで進んでいると遠回りになってしまった様な、それでも宇野町から五條市街にかけてほぼ旧街道の中を走って行く事ができました。 年末に来たばかりなのですが五條市の新町通りに寄ってトイレ休憩の後、大川橋を渡って五条病院前の吉野ストアで買物、いよいよ五新線沿いの道へ入ろうとして、今日のもう一つの目的「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントを五條新町のまちや館でGETするのを忘れていた事に気がつきます、慌てて再び大川橋を渡り新町通りへ。 その後野原町道路元標を確認して五新線のバス専用道の入り口へ。

 中央の急坂が元のバス専用道への入り口です。 「市有地につき一般通行禁止 市有地内での事故について市は一切保証しません。 事故による責任は全て個人の責任となります。 五條市」と書かれた看板が出ています。 もちろんここは左側の一般道へ入ります。

 

バス専用道はご覧の様に切り通し状に真っ直ぐ続いています。 バスの運行終了3ヶ月になろうとしてますが路面は綺麗です、今にもバスがやってきそうな風景、と云うより線路があれば列車がやってきてもおかしくない佇まい。

バス専用道時代の看板「路線バス専用道につき 一般車両の通行を禁止します 五條市・西吉野村」もまだまだ残ってます。 もちろん私のいる右側が一般道です。 

 

一般道との交差する箇所がいくつもあり、かつては踏切があって専用道を行くバスが優先だった時代もあるそうです。 専用道を走る路線バスは他にもあります、福島県のJRバス白棚(はくほう)線などがそうですね、専用道側優先の踏み切りもあってかなり厳格に進入を規制している様です。 しかし走ってみたいですネェ、でも良い子は走ってはいけません。 それより一般道のクネクネ度と緩やかなアップダウンがたまらないやないですか。

 

民家の庭先と柿の木畑の間を専用道は走って行きます。 あの車は狭い急坂を登り下りしてこちらの一般道から出入りしているんでしょうねぇ。 

 

元の上柏原バス停を過ぎて丹生川は東側へ蛇行します、専用道は左岸(向かって右側)へアーチ橋(第1丹生川橋梁)で渡って行きます、橋の向こうには専用道生子(おぶす)バス停跡が見えているのですが、残念ながら丹生川右岸に沿った道を行く事にします。

地形図では黒線(幅員3m未満)で示された道が丹生川右岸に沿って続いています、一応はコンクリートの簡易舗装がされていた様なのですがかなり痛んでいます、でもランドナーのためにある様な道です。 私のasuka号をランドナーに例えると文句を云ううるさがたもいますんで、ここは気分はランドナーと云う事でご容赦を。

 

突然「法華経一字一石塚」「為川筋往来安全也」と記された石碑が、この付近がほぼ元の五條市と西吉野村の境界にあたりますが、明治時代に建てられたものの様です。 と云う事はこの道が十津川街道、あの天誅組も通ったのでしょうかね。 

 

暫く進むとまわりが明るくなって西吉野町滝の集落が見えてきました、うーんニューサイクリングの世界ですねぇ。 

 

滝集落まで来てようやく左岸に渡る橋があります、五新線は対岸の山を生子トンネルで貫いていて、R168は山腹を走っていますので、そこまで登って行かなくてはなりません。

 

R168に取り付くと老野(おいの)トンネルが、ここには旧道が残っていますので左側へ進みます。 

 

 

落ち葉に覆われていますが旧道は健在です、走行に全く支障はありません。 

 

 

眼下には生子トンネルを出てきた五新線の第3丹生川橋梁が、その先が専用道神野(こうの)バス停でしょうか、その向こうに見えるのはフルーツロード(五條吉野広域農道)の賀名生(あのう)大橋。 

R168を渡り先程見下ろしていた専用道神野バス停へ下りてきました。 専用道はバス1台が通れるだけの幅員しかありませんので、何箇所かのバス停はこのように行き違いできるだけの幅員を持っています。 今では使われなくなったバス専用道と高規格農道の巨大橋梁が対照的ですね。

 

専用道は真っ直ぐ進んでいますが、蛇行する川筋に沿った右側の小径へ入ります。 

 

 

どっかの渓谷の遊歩道の雰囲気ですね、無理せず推して行きます。 

 

 

頭上には五新線第4丹生川橋梁、その上には賀名生大橋が、眼下には橋がない(^_^;)

(その2へ) (その3へ) 

断捨離の日だったのですが… 奈良盆地ポタ

天理市丹波市町

実は昨日から色々と片付けものをしていたのですが、なにせ面白そうなものが出てくる度にtwitterやfacebookのネタにしてしまいますので、なかなか前に進みません(^_^;)

1993年当時のソフトバンクの会社案内、開くとおもわず笑ってしまいました。
昭和11年でしょうか阪和電鉄天王寺駅のスタンプ、阪和 とは現在のJR阪和線の前身、天王寺~和歌山間を45分で結んでいたのはなんと今と2分しか変わらないのです。 しかしなぜのこのスタンプが私の手元にあるのかが判らないのです。

Microsoft LAN Manager とユーミンのアルバムのトランプ、LAN Manager はMS-DOSからWindowsまでの間に存在したネットワークOS、この画像をTwitterにUPしたらWindows Newsにシェアされてしまった。 自転車関係とは違うところから出てきたシクロサロンあすかの刻印入りのステム、今度バーテープを巻きかえるときにでも交換してみようかな、しかし何故余っているんだろうか判らない。   相当量の雑誌類が幅をきかせていますので処分します。     とりあえずオリコン1個分を燃えないゴミに、しかしまだまだあるなぁ、古いDOS-Vパーツも処分して行かなくては…   と云う訳で今日も「断捨離」Dayのつもりでいたのですが、表を見ると少し陽射しもあって気持ち良さそう、ひっくりかえったままの部屋をほったらかしにしたまま、走りに出かける事に(^_^;) 上街道を北上し天理市丹波市町で丹波市町道路元標の生存確認、道路元標は道路沿いではなく市座神社の境内に青石橋と一緒に保存されていますが、案内には道路元標に関しては何も書かれていません。 市座神社で猫とだるまさんは転んだをしたりして…   再び上街道を北上します。 遅めの朝食を採ってきたのですが、「まんま亭」でも行こうかなとふと思ったので念のためにHPを確認すると今日は休み、昔から行こうと思うと休み、どうも縁が無い様です。   奈良町、さすがに冬の平日は観光客の姿も少ないですね。 「こたろう」で鯛焼きでも買おうかと向かいますと、今日は鯛焼きはないそうです。 雪も降って来た事だし帰ろうかと考えながら西へ向かうとまた天気が良くなってきたので、奈良自転車道へ入り西ノ京から大和郡山へ、「菊屋」でも寄ろうかなと思いつつ行き過ぎてしまいます。 そうだ「とんまさ」も良いなと店の前に行くと平日の1430~1700はお昼休み、こんな事なら奈良で「銀座デリー」でも行っておくんだったと思うとますますお腹が減ってきます。 結局御幸橋経由の定番コースをひた走り帰ってきました、本日の走行59.8キロ。 

月例 東吉野サイク+宇陀ポタ

昨日志摩へ行ったばかりですが。 KHSは輪行は気軽にできるし、小径車にもかかわらずそれなりの走りもできる事は先日の「南紀ツーリング」を始め北は会津から南は宮崎まで数々の遠征で実証済み、機動力のある良き相棒なのですが何か物足りないんですよね。 ツーリング車で走った時の様な満足感がないと云うか、今日はasuka号で写真でも撮りながらのんびり走ろうかと、三脚も積んでとりあえず明日香村から芋峠を向かう事にして、後の事は考えていません。 まずは初瀬街道(横大路)を西へ向かっていると、ひょこっと脇道から女性ローディが現れます、時代と云うかいるんですね、ついて行きたいのは山々なんですが左折して明日香村方面へ、石舞台で定点観測の後、栢森から芋峠へ、1台のロードが颯爽と抜かして行きます、こちらは時にはジョガーに負けるペースですからね。 芋峠へ着くと数台の車が、オレンジ色のベストとかを着ているので一目でハンターと判ります、軽トラの荷台にはゲージに犬も、イノシシ狩りの様です。 峠の両側へ別れて行くのをみるとこれから追い込んで行くのでしょうかね。 ちなみに隣の壺阪峠を走っている時にイノシシと出遭った事があります、幸い「ブヒッ」と鳴いて向こう側へ走って行ったので事なきを得ましたが。 ところでフロントバッグを開けるとカメラが、交換レンズも三脚も持ってきているのにG2本体を忘れてきた様です。 メモリーカードを入れ忘れたとか、バッテリーが上がってたりとか笑い話がありますが、カメラ本体とは、まぁ情けない話です。 コンデジも持ってきていませんので、従って今日の写真は全てスマホです。 芋峠を下り吉野町上市まで下ってきましたが、さてここから定番の東吉野へ向かうか、吉野山へ登るか、あるいは五條方面へ向かうか。 結局はカメラを忘れてきた事もあって、新しいネタも無さそうな東吉野へ向かう事にし、週末ですが「よしの庵」も1月中は改装とかでお休み(2/7から営業だそうです)宇陀へ越えるまでは食事のできる処もないので、吉野川沿いのローソンでパンとおにぎりを仕入れて行く事にします。 「中荘村道路元標」「国樔村道路元標」の生存確認をして吉野川沿いの道を走っていますと、またこんなものを見つけてしまいました、吉野町菜摘と矢治にある「ならクル」(T-1)大和青垣ルートの案内、4キロ程離れているのですが柳生までの距離がいずれも48kmになっています。 暫く走ってますと、前方に2台のロードがのんびりと愉しそうに走ってます。 追い越すのも気が悪いので暫くはそっと後ろを走ります。 途中で何か気になるものを見つけたのか停まりかけたので、遠慮なく先へ行かさせて貰う事に。 東吉野村へ入りお馴染み「オオカミ像」前で休憩、温かいポットのコーヒーとローソンで買ったカレーパンを頂きます。 キリッとした冬の空気と陽射しが心地良いです。 暫しの休憩の後は「小川村道路元標」を確認して、丹生川上神社経由で木津(こつ)へ、高見山の見えるポイントで定点観測、facebookを見ると自転車仲間のsyokoraさんが今まさに高見山に登っているそうで霧氷が綺麗だとか。 東吉野村谷尻(たんじり)にて、「月うさぎ」も冬眠中なのでそのまま一谷峠へ。 菟田野から芳野川沿いに一旦榛原まで行ったのですが、再び宇陀川沿いに南下して大宇陀へ、松山街道の古い街並みをポタります。 峠道、里山の風景、旧街道、日本の風景に似合うのはやはりマッドガード付きの自転車ですね、それもホリゾンタルフレームの、残念ながらKHSでは絵になりません。 大宇陀を後にし宮奥ダムから大峠トンネルを越えれば丁度100キロ超えで桜井に帰ってきました。 本日の走行102.7キロ。

志摩ツーリング

鳥羽展望台

今日は「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントをGETしにKHSを担いで伊勢志摩方面へ輪行で向かいます。

今回は予め橿原市の金券ショップで買っておいた近鉄の株主優待乗車券を利用します。 近畿日本鉄道の路線のド真ん中に住んでいると名古屋または志摩方面まで行かないとメリットはないのですが、往路の桜井~鳥羽、復路の賢島~桜井で650円ばかしお得になる勘定です。 鳥羽駅まで輪行してスタートです、最初の目的地は鳥羽展望台、三重県道<128>磯部鳥羽線いわゆるパールロードを走らないと行けない処なのですが、いつも志摩方面へ行く時は平行している昔からの県道<750>阿児磯部鳥羽線を走っているので、麻生の浦大橋を除いて一度も走った事がありません、もちろん一般県道で自転車も走って構わない訳ですが、いわゆる観光ドライブウェイ、ロードならまだしも小径車に相応しい道ではありません、今回もできる限り走りたくないので極力<750>を走って行く事にします。

麻生の浦大橋を渡りパールロードと別れると漁港を縫って走る鄙びた道が続きます、石鏡(いじか)では伊良湖岬が遠望できます、しかし最高のお天気、この季節の晴天ならではの澄み切った空気です。 石鏡を過ぎた辺りでパールロードへ入りますが、鳥羽展望台までは標高差で100m以上登らなくてはいけません、展望台だから仕方がないと云えば仕方がないのですが。 なお地図上ではパールロードと<750>は何ヶ所かで交差していますが立体交差になっているので、接続している箇所は限られています。

パールロードは毎年秋に「サイクルマラソン鳥羽志摩線(とばしません)」と云うイベントが行われている位ですから結構ロードで走っている人を見かけますが、鳥羽展望台ではGIANTのGREAT JOURNEY の4サイドで日本一周中の若者に出会いました、山口県を出発し時計回りで北海道を回って今日が181日目、これから紀伊半島一周ですね。 大学は大阪で高取町に知人がおられるとの事で奈良にも来られるとの事、再会が愉しみです。 ブログもされているので応援よろしく。

パールロードを少し走り再び<750>へ、国崎、2つめのポイント「相差海女文化資料館」のある相差(おおさつ)と走り的矢へ、ここで<750>は的矢湾に分断されていて、県道船と云う無料の渡船が結んでいます、対岸までの距離は数百mですが、対岸の三ヶ所(さんがしょ)と渡鹿野島の3ヶ所を結んでいます。 船がこちら側にいない時は写真の腕木を水平にしてやると、それが目印になって迎えにやってきてくれますが、今回は20分程待ちました。 なお一応自転車はそのまま載せて貰えますが、持ち上げられない様なキャンピング仕様の自転車は無理かと、それに写真の様な小型船ですので載せられる台数に限界があります、それと周辺道路から乗り場への案内の類は皆無ですので注意して下さい。

対岸へ渡り少し<750>を走ってから<129>磯部大王自転車道線へ入ります、暫くは殺風景な山の中を走りますが、写真の国府白浜海岸に出て少し海岸線を走ります。 この後自転車道のートに従うと再び山側へ入りR260を走らされるので、時間に余裕があれば波切(なきり)方面へ回るのも良いかも知れません。

R260は深谷水道を渡った処からバイパスが出来ているので旧道は車が少なくなって自転車にとってはすいぶん走りやすくなっていました。 今日3つ目のポイント「海女小屋体験施設・海女資料館」のある越賀まで行ってから和具港へ戻ります。 写真は越賀海岸。

ここから英虞湾をはさんだ賢島まで伊勢マリンレジャーの運行する定期船がありますのでそれに乗船する事に、桟橋の向こうに見えているのはR260のバイパスの志摩大橋です。 昔御座~浜島間の航路へはロードをそのまま載せて貰ったのですが、賢島の船着場と近鉄賢島駅は距離が100mとありませんし、自転車をそのまま載せて貰えるかが判りませんでしたので、和具港で輪行支度を済ませてしまいました。 なお手荷物品扱いですので運賃の610円以外に360円が必要です。
 今回は「ツール・ド・紀伊」のポイント巡りと云う事で鳥羽駅から和具港まで走りましたが、風光明媚な志摩半島、鳥羽からのパールロードや鄙びた<750>と県道船、近鉄志摩磯部からスタートする自転車道、旧R260で志摩半島の先端御座白浜とコースを工夫してみると面白いかと思います。 本日の走行70.8キロ。

アルバム「カレンダーに使った写真から… 」を更新しました。

 

  もう15年以上も毎年、サイクリングなどでご一緒して頂いた皆さんにお配りしている「CanCan謹製卓上カレンダー」 そこで使用した写真の中から、私の撮ったものと私を撮って戴いたものを集めてみました。 うちのHPから[Gallery]→[カレンダーに使った写真から…]とたどって下さい。

奈良県の自転車道に物申す

Photo by SORAさん

 

奈良県下、特に国中と呼ばれる奈良盆地をスポーツサイクルで走っている人なら多かれ少なかれ自転車道のお世話になっていると思います。 まぁ中には障害物の多い自転車道を避けて一般道を自動車とせめぎあいながら走る人もいるかとは思うのですが、あえて云えばそんなに使い勝手の良いものでもありません。 ところで県下には現在3つの自転車道が設定されている訳ですが…

 

 

 

その奈良県の自転車道ですが、奈良県における広域的な自転車利用ネットワーク「ならクル」をはじめ県の案内によりますと「奈良自転車道」「大和中央自転車道」「飛鳥葛城自転車道」の3つが挙げられています、ところが実際に走ってみると「奈良西の京斑鳩自転車道」「大和郡山田原本橿原自転車道」「明日香大和郡山自転車道」と云った聞きなれない名称の自転車道の標識が現れます。

 

 

これには本名と云って良いのか「奈良自転車道」は奈良県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線(添付図赤線)、「大和中央自転車道」は奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線(添付図青線)、「飛鳥葛城自転車道」には奈良県道274号明日香大和高田広陵自転車道線(添付図緑線)と云う道路法に従って認定された正式名称がある事に起因しているためなのですが、他所から走りに来た人が案内標識を頼りに走っていると戸惑う事でしょうし、不親切以上にかえって混乱させる案内標識なのです。

 

 

その上場所によってはこんな事も、なければ全くない自転車道の標識、ある処には異なる表記で並んでいる、無駄と云うか違う名称で予算の二重取りでもしているのかと疑われても仕方ありません。
 ところでその自転車道、実際のルート設定はどうなんでしょう、奈良公園から平城宮跡を経て法隆寺を結ぶ奈良自転車道(奈良西の京斑鳩自転車道線)はまぁ良しとして、大和中央自転車道(大和郡山田原本橿原自転車道線)や飛鳥葛城自転車道(明日香大和高田広陵自転車道線)は意図が理解できません。 自転車道ですから目的を決めずのんびりポタリングを愉しむ人もおれば、トレーニングにと行ったり来たりする人もいるでしょう、しかしあくまでも道なのですから、目的地を結んで行くのが本来の形でしょう。 私が見聞きする範囲では奈良県北部や大阪方面から見所の多い橿原市や明日香村、また吉野方面へのアプローチとして自転車道を利用する人の多くは、御幸橋から曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ一旦入るものの保橋で県道<36>天理王寺線を少し走り保田橋で飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ入り、橿原市今井町界隈(厳密には四条町)で再び飛鳥葛城自転車道に戻っています。 大和中央自転車道の起点の県浄化センターから保田橋にかけては盲腸の様なもので私の知る限り利用者も皆無で、また田んぼのあぜ道を舗装しただけの様な処もあります、また飛鳥葛城自転車道の大和高田市域と先の橿原市四条町付近までは高田バイパスの高架下の側道で決して走りやすいコースとは云えません。 と云う状況から利用者は自然と最良のルートを選択している訳です。 自転車道策定の段階で何故無駄のないルート設定ができなかったのでしょうか、無駄があると云う事は税金が有効に使われていないと云う事に他ならないのです、どう見ても格好さえ整えておけば良いと云ったお役所仕事が見え隠れしてきます。

予算あっての事ですから未整備区間がある事や、長期的な周辺の整備計画や開発計画もある事でしょうが、橿原市今井町付近の様にルートが判りにくいにも拘わらず案内標識が途切れてしまう箇所があると思えば(写真左)の様に無駄に標識が並んでいる箇所も少なくありません。

 

 

当然道路なんですから維持管理も必要です。 最近高度成長期に造られたトンネルや橋梁の多くが老朽化してきていて問題になっていますが、自転車道も造ってやったぞみたいな感じで後はほったらかし、維持管理する予算もないのか草ぼうぼうでほったらかしと云うケースも時々見られます。 別にこれは奈良県だけに限った事ではなく、和歌山県道<801>白浜日置川自転車道線の様に廃道寸前みたいな処もありますが、大阪府の南河内サイクルライン(いわゆる石川サイクリングロード)や京都府の嵐山八幡木津自転車道の様にちゃんと整備維持管理されている処もあります(羽束師橋以北の案内は不十分だとは思いますが)。

決して何もかもほったらかしとまでは云いません。 写真は飛鳥葛城自転車道の「おやなぎ橋」です、以前はご覧の様にクランクカーブに急坂で大きな段差、まるでこけてくれと云わんばかり、案内標識に気をとられでもしたら見事なトラップです。 もちろん現在では補修されていますが、僕の様な天の邪鬼から見れば誰か転倒して怪我でもしたから改修したのかなと想像してしまいます。 本来は自転車道として設定された時点で整備されていなければならないはずです、利用者すなわち自転車に乗る人の視点に立っていないと云う事はこう云った事でもあきらかです。

 

 

【余談】(写真左)奈良県道助命下萩線の正しい路線番号は245号である、山添村助命(ぜみょう)と都祁村(現奈良市)下深川の2ヶ所で間違いを見つけ県に報告、後日再訪した折には直されていた。 (写真右)は2009年12月14日に県道155号多武峰見瀬線が供用される前日の写真、従って多武峰方面への案内がマスキングされているが、Y字路の左方面は15号ではなく155号である。 安全や利害に関係する道路標識に対して案内標識に対して興味や注意を払うのは一部のマニアだけなのかも知れないが、故なのかこの様に自転車道の名称然りやっている事がエエ加減なのである、当然これらの訂正にはそれなりの費用がかかっただろうし、間違えた部署なり業者が費用を捻出したのだろうが、場合によっては税金が無駄に使われていたかも知れない。

奈良盆地ポタ

実は先週火曜から風邪気味でダウンしていました。 いつもならひき始めに市販薬を飲んで1日大人しくしていると治るのですが一向に良くなりません、土曜に覚悟を決めてお医者さんへ行ってきたのですが、インフルエンザの検査ではかすかに陽性反応が、まあ軽症なのか治りかけなのか、土日と大人しくして、月曜日いつもは自転車で走って行く京都行きは電車にして養生していました。 そろそろ良くなってきたので今日もちょっと走りに、と云ってもまだまだ本調子じゃないので、大和川河畔の平坦路を汗をかかない様にのんびり行きます。 馬場尻橋~太子橋~御幸橋と走り富雄川河畔へ入り法隆寺近くまで走って折り返します。 御幸橋まで戻ってきていつもなら飛鳥葛城自転車道から大和中央自転車道を走って帰るのですが、今日はライフワークの道路元標の生存確認をしながら走ろうと、河合村道路元標から三宅村道路元標と走って行きます。 三宅村道路元標から次の都村道路元標へ繋がる道は太子道(筋違道)と云って、奈良盆地を南北に走る古代の官道、上ッ道、中ッ道、下ッ道とは異なり、法隆寺から藤原京への最短コースとして斜めに走っています、これが筋違道の名前のゆわれなのです。 この旧街道に沿って街が発達した訳ですから、近代の道路元標もこの街道に沿って建っている訳です。 「ならクル」でもC-21として設定されていますが、太子道は完全な形では残ってなく、ルートが判りにくい上に大和中央自転車道が平行しているので利用者は少ない様ですね。 太子道から田原本の古い街並みに入ります。 古い商家が狭い道を挟んで並んでいます。   現在の田原本町域に残る3基の道路元標(都村、田原本町多村)は喜ばしい事に他の道標等とともに再建されたりして案内板が設置され保存されています。 田原本からは下ッ道(中街道)に入り南下し橿原市へ、八木札の辻では旧旅籠が交流館として展示公開されています。 ここから東西に走る旧街道である横大路へ入り桜井への帰途に就きました。 本日の走行47.8キロ、のんびりと旧街道巡りの午後を過ごしました。    

暖かグッズ「フィンガー・カバー」

このなんとも奇妙な形をしたものが「フィンガー・カバー」なんです。 実はネットのお知り合いのきんちゃんさんが試験的に作られたもので、お願いして分けて頂きました。 「フィンガー・カバー」の名前から想像が付くかと思いますが、「シューズ・カバー」の手指版なのです。

寒い冬の朝夕やダウンヒルでは、ブレーキレバーを握る4本の指にはもろに冷たい風が当たって、感覚がなくなるまで冷たくなるのは非常に辛いものであります。 最近ではヒーター付きのグローブも出ているそうですが、毎朝夕に淀川べりを通勤ライドで走っているNちゃんのフラットバーロードにはご覧のフードが、しかしドロップハンドルには使えません。

ご覧の通り「フィンガー・カバー」はグローブの上から被せて使います、マジックテープをくるっと手首に巻きつけて止めるシンプルな方法ですから、片手をはめた後から残りの手にはめるのも簡単です。 使用前に気掛りだったのは私の様にセフティレバーやエイドレバーの類を使って上ハンを握り、フロントバッグとの隙間が狭い、そしてシフトはダブル・レバーと云う人も使えるのだろうかと云う事でした。

結果的にはマジックテープが多少邪魔になるシーンがありましたが、問題なく使用できます。 そしてなによりも実際に使用して暖かい、指の隙間に冷気が入らないだけでこれだけ違うのかと云う感覚です。 日中の暖かい時間ならグローブの中で汗ばむ位の保温性がありますから、必要がなければ外してコンパクトにしまっておけます。
 まだ試作品の段階ですが、寸法的にちょっと大きいかなと云う感じ、手の甲側はもう少し長さがあった方が良いのでは、それとあとデザイン的にもうすこしお洒落になってくれないかな、と云ったところでしょうか。 まだまだ寒さの続く季節、少しは快適に自転車を愉しむ事ができそうです。

LUMIX DMC-G2

 デジカメを買い換えました、と云ってもヤフオクで中古をポチッたのですが。 2009年3月に購入し6年近く愛用と云うか酷使してきたPanasonicのLUMIX DMC-G1ですが、アイキャップが剥がれボディはもうボロボロ。 

ところでカメラとして良い悪いを云うよりも、正直云ってPanasonicのカメラは好きではありません、と云いながら同じくGシリーズのGF1にコンデジまで持っているのですが。 ボディの表面処理が悪いし、ショルダ-ストラップ取付部が外れたりと、カメラ本来の機能や性能はともかく、一生使い続け様なんてカメラではありません、まあデジカメ自体がその様なものかも知れませんが、伝統のあるカメラメーカーとはモノ作りの姿勢が違うと云うか、家電製品の感覚なんですね。 それでも自分のニーズにはマッチしている事もあって使っている訳なんですが、昨年暮れくらいから調子が思わしくありません、調子が悪いと云うか色がおかしいのです。 暮れにskuram氏と話をしていた時も氏のGH1も紫色が出ないなんて事を云っていました。 LUMIXのGシリーズは今では6代目のG6ですが、別に最新機種がほしいなんて気持ちもありませんし、第一余裕もありませんし、フロントバッグの中で揺すられ、いつ自転車で転倒して壊してしまうかも知れません。 G1は2008年12月の発売ですが、バッテリの互換性のある2010年5月発売の後継のG2位が安く出ていたらと、暮れからヤフオクを物色していたのですが、G1はともかくG2は高いかなと眺めていたら年が変わると10,000円以下で出てきました、結果的に取説が欠品ですが状態の良さそうなものを送料込みで8,950円で落札しました。 アイカップの交換だけでも数千円とられるなんて話ですから、ちゃんと動けば安い買物です。 

お天気はも一つなんですが、今日はG1と両方提げて明日香村まで少し走ってきました。 一通りの動作には全く問題はありませんが。 いずれも左側がG2の画像、右側がG1の画像です、もちろん同一条件での撮影です。 原因がCCDの経年によるものだとしたらG2もいずれこうなるのかも知れませんが。 あまり出番のないGF1も一度並べて撮っておこうかな。 

ここで5年も前のカメラのレビューをしても仕方ないのですが、自分にとって操作性は何より重要、基本的なスペックは同等、G2の大きな売りは兄弟機のGH1と同様の動画が撮れる様になったのと、タッチパネル操作に対応した事なんですが、両方とも私にはあまり関係なさそうです。 フォーカスモードの選択がメニューから左肩のダイヤルになった事、これは嬉しいです。 シャッタースピードや絞りの選択他に多用するダイヤルが右肩前から後へ変わった事、理屈では便利そうですが、こちらに慣れるまで時間がかかりそうです。 後こまごまと違いがある様で、マニュアルを確認しながら学習中です。

今様ヤジロベエ

 

正月明けにこんなものポチッてました。 ライトホルダーブラケット(左)とライトアダプター(中)と右は以前から使っているLEDライトGENTOS NEXERA 903Dです。 この組み合わせで前輪ハブ軸にライトを付けようという算段です。 先日の「南紀ツーリング」の往路、真夜中に王寺駅まで20キロ回送した折に、もう少し明るいライティングがほしいなと思ったのと、「スマートフォンフォルダー」の件でKHSのハンドル回りにはスペースの余裕がない事もあっての事なんですが。

組み合わせてKHSに取り付けてみましたが、こんな感じです。 同じメーカーの製品の推奨された組み合わせではないので仕方はないのですが、LEDライトが上下方向にガタつきます、ゴムをかませて径を調整してやると多少はマシになるのですが。 このライトホルダーブラケット、本来はハンドル回りに付けるものなのでしょうが、弾力のあるプラスチックでできていて、片側はボルトナットで締め付ける様に(写真ではハブ軸側)なっているのですが、ライト側ははめ込むだけなのです、今日日中ですが20キロ程走ってきましたが、脱落する心配はなさそうです。 なお固定側とライト側の軸は90度の角度になっているのですが、これは自由に回転させる事ができます、従って径が合えばステムに取り付ける事は可能ですが、アヘッドの太いステムにはどうみても無理そうです。

ハブ軸にライトを付けると云えば昔はこれでした「ヤジロベエ」、見たまんまのネーミングです。 これにナショナル製の探検ライトを取り付ける訳です。

こんな感じになります、今も探検ライトの方はお飾りでasuka号に付けていますが。 昔はこんなほの暗い明かりで走ってたんですよね、今の強力なLEDライトの事を思うと信じられません、自転車用LEDライトが出たのはいつ頃だったんでしょうね、金沢まで22時間がかりで走った2000年は当時としては最も明るいCATEYEのハロゲン球のものを何度も電池を入れ替えながら走っていましたからね。

以前から使っているのですが、ライトホルダーには(右)の様なものもあります、こちらはゴム製でハンドル側とライト側をマジックテープで締め付けて固定する様になっています、こちらはハンドル側がどうしても緩くて回ってしまいます。 この両方を足して2で割ったような商品があれば良いと思うのですが。
 ここまで書いておいて何なのですが、ハブ軸にライトを付けるのはあまり好きではありません、光軸が低すぎて、路面の凹凸や小石などの影が長く誇張されて見えるのに違和感があるのです、20吋のKHSはなおさらです。 やはり自転車のライトは可能ならばマッドガードやフロントキャリアに取り付けるのが一番ですね。

余談ですが、一緒にこんなものもポチッてます、GARMINのeTrex用のハンドルバーマウントです、(右)の様に割れてしまいました、ああまた「いいよねっと」に頼まなあかんのかと思っていたのですが、AMAZONにもあるのですね、送料分得しました。 届いた商品には「いいよねっと」のホログラムシールが貼ってあるのを見ると、さすがのAMAZONも「いいよねっと」経由なんですね、売る以上のサポートができない代理店なのにね。

地名は文化

 20年目を迎える阪神淡路大震災関連で「地震で崩壊する土地は地名でわかる!!」と云う記事がネットで流れていました、なる程ねと半分納得したり。 地震からは話がそれますが、いつもお世話になっている古民家カフェ「月うさぎ」、奈良県吉野郡は東吉野村谷尻にあるのですが、谷尻は(たんじり)と読ませます。 2007年3月の事、吉野側から走って行く途中の県道<221>小村木津線と<251>谷尻木津線には新しくそれまで無かった路線番号標識(いわゆるヘキサ)が設置されていました、谷尻集落内にも設置されていた訳ですが、表記が’Tanijiri'(たにじり)となっているではありませんか、帰宅後メールで東吉野村役場に問い合わせてみたら、正しくは「たにじり」であると一蹴されてしまいました。 地名辞典や索引の類を調べてみても東吉野村谷尻は「たんじり」、地名は文化であり歴史、然るべき検証もなしに役所がそれらを勝手に変えてしまっては困るので、それをするなら同村の小(おむら)や木津(こつ)は何故そのままなのでしょう、まして難読地名だらけの奈良県。 大阪市内では旧東区(現中央区)に対して地元意識の希薄な住民の多かった旧南区(同じく現中央区)から多くの由緒のある地名が消えてしまいました。 過疎化から多くの地名、特に字名が消えようとしています、中には忌まわしい歴史的経緯から住民自らが古い地名を捨ててしまった処もなくはないですが。 また開発によってこじゃれた地名に改変された処も少なくありません(馬見村→真美ヶ丘など)。 名は体を表すで先の記事の様に地名が地盤の弱い土地を表している場合もあるかも知れませんが、含めて地名は守るべき大切な文化遺産や歴史遺産に他ならないと思うのですがどうでしょう。

大和川CC御一行様迎撃

今日は昨年10月に続いて「大和川CC」の皆さんが初詣を兼ね「春日大社・初詣サイク!和食&和スィーツの旅」と銘打って奈良へお見えになるので迎撃に出かけたのですが… 跨って行くのは昨年11月の「笠置山紅葉狩りサイクリング」以来のKoga-Miyataロード、昨夜のうちにエアーを規定圧目一杯にまで入れておいたのですが、天理辺りで後輪に違和感が、停まって確かめてみると後輪がちゃんと回りません、よくよく見るとビートが数センチ外れているではありませんか、これはまたもや後輪に「パンク大魔王降臨」かと(あの一応シャレになってますんで)、その時は走行距離の短さからケチって後輪だけ交換したのですが、その時前後ローテーションしたんだっけ???やはりもう1本も経年劣化か悪うなっとんたんやなと、よく見ると後輪は買ったばかりなんぼも走っていないTourerPlusの方ではありませんか(帰宅後調べると走行距離は1,200キロ)、圧を下げてビートを押し込みエアーを入れるとどうにか走れるまでは上げられます、さてどうしたものか、桜井に一旦引き上げるかとも思ったのですが、奈良までは桜井線沿いなので、最悪は最寄り駅に置いて、輪行袋と入るか入らないかはともかく28CのTourerならあるので取りに帰る手もあるしと、ぼちぼちと上街道を北上したのであります。 「大和川CC」のメンバーがいったいいつ到着するのかちょっと読めないのですが、先にお参りを済ませ春日大社の二の鳥居で待つ事にします、ここには手水があるので表参道を来ても、駐車場側から来ても通るはずです。 そのうちfacebookに法隆寺あたり?なんて書きこみがあります、自販機の暖かいココアで暖をとったり鹿をなぶったりしながら待ちますが一向にやってきません。 ちょっと遅すぎるなぁと思いだした頃に「●●さんですか」 と女性に声を掛けられます、どうやら一行は宝物館の裏から入って行った様なんです、そこで合流した参加者の女性が二の鳥居で僕を見かけたと呼びに来てくれた次第なのです。 ハンチングとニッカやなくて良かったです、ヘルメットかぶって多少はローディぽい格好でしたから。 とにかく「大和川CC」御一行様とは無事合流できて、お昼を予定している国立博物館前の釜めし屋「志津香」へ向かったのですが、奈良公園は車が渋滞、お店は行列。 一旦は並んでみたのですが1時間待ちとの事、協議の結果、他所へ行こうかとなったのですが奈良公園は大変な人出それにお昼どき、12名が入れようなんて店がある訳もありません、そこで冗談混じりに少し走って自転車乗り御用達のお店「銀座カリー」と云ったら、そこへ行こうと云う事になったのであります、 ここで「和食」は消えました。 ところで僕、昨夜カレーだったんですけど。 オーナーのYさんはどっか走りに行って不在でしたが、少し待って全員が店内に入る事ができました。 シェフの案内で自転車は少し担がなあきませんがビル横のスペースへ入れさせて貰えました、でも重いツーリング車はちょっと辛いかも。 美味しいカレーで暖まりお腹が一杯になった処で次の目的地は郡山の「慈光院」、紅一点の女性がはぐれても良い様にと場所を確認中、ほって行くなんて少なくとも僕はしませんよとか云って、後輪に爆弾を抱えてこのまま付いて行っていいの、僕。 まぁ山の中へ行く訳やあるまいし、どっち向いて押し歩いて行っても線路にブチ当たる大和盆地の中、居なくなったら遠慮せずほって行ってねと断って付いて行く事にします、まずはJR奈良駅前に出て<745>を南下。   岩井川沿いの道を走って、京奈和道の下を走り、なんやら走ってはならない橋を渡って、近鉄郡山駅横の踏切渡って。 富雄川沿いの自転車道に入ります、しかし向かい風のキツいのには往生します。 14時半には「慈光院」に到着、近くには片桐村道路元標が現存している事もあって、片桐氏所縁の寺院がある事を知っている位で初めて境内へと、茅葺の山門が出迎えてくれます、 ここでおうすとお菓子を頂きます、スィーツと云うか餡入り落雁ですが、拝観料込みで1,000円です。 格段の心得がある訳でもないのですが母が長年やっていた事もあって多少の作法は聞きかじっているものの、何十年も畳のない暮らしをしていて正座など1分とできないたちなので足を崩して頂く無頼です。 そんな中へ住職が見えられて、どうぞ作法にとらわれず気楽にやって下さいとの気遣いのお言葉なのですが、亭主と云え「ようこそお参りを…」云々の挨拶もなく、こちらのやり取りに割って入るのは些か失礼な話です、その後、茶、庭、堺~大阪~奈良~京都の文化についてなかなか興味深いお話を聞かせて頂いたのですが、たたみかける話法はいわゆる宗教家のまぁそれでして、今度は京都の仲間と来たらどんな展開になるのだろうと、いつもの天の邪鬼な想像を。 「慈光院」についてはググって頂ければ幾らでもでてきますが、見事な書院と刈り込みの庭園、大和盆地の遠望と一見の価値はあります、他の観光スポットから離れている事もあり、私達の様な団体と鉢合わせしなければ静かで落ち着ける場所です。 15時をまわってしまいましたので 「慈光院」を後にする事に、一行は柏原から大阪方面へ帰られるのですが、私はここで失礼して富雄川から大和川沿いのルートで帰途に就かせて貰う事にします、しかし相変わらずの風、時折のみぞれと横風にあおられながら堤防沿いの道を行きますが、大阪組はもろに風を受けながら走られているのでは。 ところで爆弾を抱えた後輪の事をすっかり忘れていました、どうにか無事に桜井へ帰り着きましたが、さてパナの Tourer どうしたものか。 本日の走行59.2キロ。

南紀ツーリング その2

一昨日に続いて「青春18きっぷ」を使って南紀へ輪行、ただ今日は亀山経由の東回りです。 桜井からですと近鉄で松阪へ出るのが距離的にも近いのですが、多気まで行けてもその先の普通列車がありません、結果的に奈良~亀山と回っても一緒なのです、2時間以上早く出る必要がありますが、そこが「18きっぷ」の「18きっぷ」たるところなんです。

奈良、加茂、亀山、多気と乗り換え紀伊長島ではなんと28分停車。 駅のトイレへ行ったり、自販機でコーヒー買ったり、ミラー相手に「自撮り」 したり、さすがに「元鉄」も時間をもてあまします。 外は最高のお天気、早く走り出したいのですが。

桜井を出て約7時間、1238ようやく目的地の大泊へ到着。 真横を紀勢道が開通していて風景が一変しています。 高速道路と1日10往復しか停まらない駅。

 

「ツール・ド・紀伊」のポイントである鬼ヶ城へ立ち寄ってから熊野市へ、R42の鬼ヶ城トンネルは自転車通行禁止ですので、北側の鬼ヶ城歩道トンネルへ回ります。 こちらは旧R42の木本隧道で、現在は車両は東行き一方通行で歩道が設置されています。 土木遺産に指定されていて大正期最長の道路用煉瓦トンネル(509m)なんだそうです。 ちなみに三重県南部のR42には旧トンネルを歩行者、自転車用に供用している処が何ヶ所かあります。

R42の熊野市から新宮の間は七里御浜の海岸に沿った平坦路なんですが、向かい風がきつくって前に進みません。 道の駅「七里御浜」の手前から次の道の駅「紀宝町ウミガメ公園」を過ぎるまで山側に旧道があるので、そちらを走った方が楽です。

かつて日本で一番面積の小さく一番人口密度の高い村であった現在は紀宝町になっているが鵜殿村へ、熊野川(新宮川)が見えてきました、これを渡ると和歌山県です。

今日4つ目のポイント、新宮市の「熊野速玉神社」へ到着、あわよくば太地まで輪行し5つ目をGETできるかなと思ったのですが、ここで紀伊田辺行きの発車時刻へ15分、さすがに間に合いませんので、ゆっくりお参りをする事にします。

速玉神社の境内では「もうで餅」を売っています、なかなか美味しいのですが箱入りでフロントバッグに入れにくいので、試食だけさせて貰って「長寿いも」を購入、芋餡を皮でくるんだお菓子です。 顔見知りなんかしてバスガイドとおばちゃんの会話が面白い。

余裕かまして新宮町道路元標の生存確認へ、以前は半分程まで埋没していたのですが、最近再建された様です。 新宮駅付近にはコンビニがないのでオークワへ行って帰りの車内での食料にと「めはり寿司」を調達、後で気が付いたのですが、製造者は橋本市だったりして。

新宮駅へ着いてれ列車のの時刻を確認すると、予定の1700発の1本前の1556発多気行発車11分前、駄目元で輪行支度を済ませ地下道を通って2番乗り場へ、さすがKHS余裕で乗車できました。 乗った車両は今朝と同じキハ11の2連、同じ乗るなら旧国鉄色に塗られたキハ40系の方が良かったな、写真は紀伊長島駅で交換の下り列車。
 1本前に乗ったところで「18きっぷ」のままで桜井へ辿り着く事はできません、亀山経由では奈良が限界で、今日は走り足りないからって奈良から走って帰るのはね。 素直に松阪から1,140円払って近鉄に乗車、2150桜井駅に帰着しました。 往復輪行に13時間掛けて本日の走行1時間50分で30.4キロ、18きっぷで7,020円分乗車。  

 

南紀ツーリング

R42 道の駅「イノブータンランドすさみ」前にて

 

云う訳で「18きっぷ」を使って天王寺廻りで南紀を目指します。 王寺駅0436発の関西本線始発に乗車するために真夜中3時過ぎに桜井を出発します。 距離的には最短ではありませんが、車が少なくて走りなれた大和川沿いのコースをとります、堤防沿いの道で路肩の白線が途切れていたりするので夜走るのは人にはお勧めできませんが、コースは熟知していますし、過去にも何度か夜中に走っています。 今夜は月明かりが明るく路面を照らしてくれています。 21.4キロ、予定通り1時間少しで王寺駅に到着。

天王寺、和歌山と乗り換えて紀伊田辺0839着。 こう云った18きっぷと輪行を駆使してポイントを巡るのは1000基を越す道路元標巡りでノウハウがあります、ジョルダンの乗換案内NEXTとウェイポイントを登録したGARMINは欠かせません。 乗換案内NEXTも決してお行儀が良くないのでガラケー時代と能力不足の先代スマホでは多少苦労させられましたが。

 

最初の目的地は熊野古道中辺路の稲葉根王子、付近は過去何度も通っていますが、ここ訪れるのは初めてです。 スマホのナビ機能とGARMINを併用しながらやってきました、古いGARMINに較べて格段の進歩がありますね、音声ガイドも素晴らしい。

富田川に架かる幾つかの沈下橋のひとつ畑山橋、富田川沿いのこの辺りを走る時は左岸の<220>岩田保呂線を走る事が多かったのですが、最近はR311もバイパスができて自転車も走りやすくなりましたが、右岸の堤防道路を行きます。 ただ岩田橋を過ぎた処からとんでもない行き止まりの道へ入り込んでしまって、撤退を余儀なくされました。

朝来(あっそ)駅へ、ここは中辺路への出入口にあたるので今まで何度も輪行で利用しています、近くのローソンで補給してから駅へ。

何度もブログで紹介していますが、KHSの輪行支度はあっと云う間です、できるだけコンパクトにしたいので、ハンドルを抜いてシートポストも下げていますが。 輪行袋はオーストリッチのちび輪を使っています、ちょっとキツくて、2本のベルトの1つが締められません、キャリアが付いていないのならいけるのかな、基本バッグ等は極力身に付けたくないのでこの手のキャリアとバッグは必需品なんです。

後から考えると走っても良かった様な気もするのですが、紀伊日置駅までの3駅輪行しました。 椿から日置川まで<801>白浜日置川自転車道線と云う道があるにはあるのですが、これがとんでもない道でして。 今回のテーマ「ツール・ド・紀伊」稲葉根王寺に続いて道の駅「志原海岸」で今日2ヶ所目のポイントGETです。

観光地の多い南紀の中では知名度は低いのですが、道の駅「志原海岸」から日置川河口にかけて美しい砂浜が続きます、先に挙げた<801>白浜日置川自転車道線もこの区間だけはお奨めできます、2006年9月

現在は白浜町の一部となってしまった日置川町、日置川の街並みは南紀には珍しい佇まいです、漁港のそれとは違う。 調べてみると古くは日置川上流からの木材集積の地として栄えたらしいのです、紀勢本線の駅からも離れ、国道はバイパスが出きて通る車も人少ない、全く観光化されていない静かな街並みです。

日置川から次のすさみ町へは平成9年にバイパスとなる日置川道路の開通で従来の岬廻りのルートは県道<243>日置川すさみ線となりました、少し登って行かなければなりませんが、先の日置川の街を見下ろす事ができます、豊かな日置川の河口にできた砂州の上に発展した街だと云う事が良く判ります。

 

その県道は通う車もなく、国道の喧騒をよそに釣り人の路上駐車だけが目立つ静かな岬まわりの道です、2006年9月。 この後3つ目のポイント道の駅「イノブータンランドすさみ」へ、次のポイントである道の駅「くしもと橋杭岩」へは後30キロ程の行程です、帰りの輪行の時間を考えると微妙な時間、初めてではありませんが海岸沿いのアップダウンの繰り返されるルート、工事で交互通行とかも幾つかあって所要時間が読めません。

午後からは晴れてきて、さすがに暖かいとは云えませんが明るい陽射しが心地良く、追い風に押されている事もあって快調に走ります。 近畿道の工事でダンプこそ多いのですが、この季節は観光のバスや車が少ないので快適です。 串本町に入る頃には海の向こうに本州最南端潮岬が見えてきました、自転車で紀伊半島を巡った人には感動の風景ですよね。

15時半には余裕で串本の街に入りコンビニで補給を済ませ橋杭岩へ、本日の予定終了です。

 

 

串本駅へは戻らず、距離的にも近い次の紀伊姫駅へ向かいます。 トイレも付近に自販機すらない殺風景な無人駅ですが、階段のない待合とホーム、輪行には好都合です。 1644発紀伊田辺行きで帰途に就きました。 ここまでの走行距離98.9キロ、真っ直ぐ家に帰れませんねぇ。

 

 

紀伊田辺、御坊、和歌山、天王寺、王寺とタイトな乗換をこなし帰ってきましたが、桜井までは行かず一駅手前の香久山駅で下車、ここから走って帰る事にします。 と云っても距離は知れていますし、紀伊姫駅同様に階段が無いに等しい駅なのでかえって楽かも知れません。 と云う訳で本日の走行101.7キロ、微妙な帳尻合わせですが松の内に2度目の100キロ超え、昨年9月以来のKHSでの100キロ超えとなりました。 「18きっぷ」は8,090円分乗車、後1回分ありますので1日おいて再び南紀へ向かいます。

 

「ツール・ド・紀伊」今から参戦します

ご存知の方も多いと思いますが、奈良県が中心になって和歌山、三重の3県で開催している「ツール・ド・紀伊」、名前は大層なんですがスマホを使ったスタンプラリーやフォトコンテストなんです。 スタンプラリーなんか面白そうなんですが、いかんせん昨年暮まで使っていたスマホ REGZA Phone T01-C のタコなGPS機能ではチェックポイントの取得がうまくできませんので諦め、フォトコンへの応募でお茶をにごしていました(フェイスブックをお使いでしたら応援よろしく)。 ところが暮れにスマホを最新機種に買い換えたのと「ツール・ド・紀伊」の実施期間が3月16日まで延長されたので、にわかにやる気が湧いてきました。 ロングライド志向のツーリング派としては自力で走って行きたいところなのですが、さりとてこの季節に走って行くのもね、そこで多少開催の趣旨には外れるかも知れませんが、南紀は輪行で行ってみようかと。 それに内陸部の幾つかのポイントが、かねてから計画している色川村道路元標履修ツーリングのコースと微妙に重なっています。

そうなると動きは早いです、1月10日までが有効期限の今冬の「青春18きっぷ」を早速ヤフオクで探します、残り日数が少ないのですが期限が週末にあたるせいなのか、やや高めな落札相場にとまどい幾つか競り負けながらも、振込費用がかからない出品者の送料込残2回分を3,881円で落札し、今日後3日の有効期限を残して無事に手元に届きました。 と云う訳で明日から南紀」へ行きます。

スマートフォンホルダー

ミノウラのスマートフォンホルダーiH-200-Mである。 実は昨年10月にAMAZONで少し安くなったのでロクに吟味もせずにポチったのですが、先代のスマホ REGZA Phone T-01Cが使えなかった(側面のボタンがホルダー部分に干渉する)のでほったらかしになっていました、使える人にでも使って貰えればと、暮れの「石川ポタ」の時にプレゼント交換の景品にでも入れておこうかと思っていたのですが、「石川ポタ」直前に買い換えた GALAXY S5 Active は取り付け可能だったので、とっておく事にしました。
 よくよく考えると何もスマホをハンドルマウントする事もないよねと考えつつ、その「石川ポタ」への道すがら、香芝市界隈を迷走してしまった折、日頃はGARMIN eTrexのナビと騙しあい、裏のかき合いを展開しているのですが、試しにGALAXY S5のナビ機能を使ってみるとGPSの応答性とGoogleMapのナビと音声案内に感嘆した次第、これは使えるなと云う事になったのです。

さて年も改まり落ち着いた処で試しに取り付けてみようかと。 確かに GALAXY S5 Active は取り付けて操作も可能なのですが、肝心の自転車のハンドル周りのスペースが問題でして、ヘッドライトをフロントキャリアに取り付けているasuka号以外は日東の便利ホルダーやライトホルダー等で増築済みなのですが、それでもご覧の様に既に満席状態。 とりあえずKoga-Miyata(写真中央)のGARMIN用のスペースに取り付けてみる事にしました。

まぁこんな感じに取り付ける事ができる訳です。 前後左右に固定するアームがありまして、前後は予めスマホのサイズに合わせて裏側からネジで固定しておき、左右をスプリングとラッチの付いたアームでパチンと挟み込む訳です。 ハンドル部分への取り付けはアルミ製のしっかりしたものですが、ホルダー本体はプラスチック製の、正直云ってチャチな感じです。

KHSにも試しに取り付けてみました。 GALAXY S5 はかなりでデカいのでホルダーにセットするとこんな感じです。 横位置に取り付ける事も可能です。

写真でお判りでしょうか、ホルダー本体とハンドルブラケット部分を繋ぐジョイントはフラットなものと90度アングル状のものの2種類用意されています(写真右)。 2,4段目の写真ではアングル型、3段目の写真ではフラットなものを使用しています、この使い分けで柔軟にセットする位置を調整できる仕掛けです。
 と云う訳で付くには付いたのですが、これで走りに出かけるかは別物でして、正直云って段差等の衝撃で落っこちないかが心配です、いくらMIL規格対応のヘビーデューティさが売りの S5 Activeでも走行中の自転車から落ちる事を想像すると… それと最近のスマホはそうなんでしょうか S5 Active にはいわゆるストラップや根付を付ける穴の類がありませんので、命綱を付ける事もできません。 AMAZONのレビューでは落としたと云う例も報告されています、さてどうしたものか。
 現時点でミノウラはこのiH-200以外にiH-100、iH-400、iH-500と4種類にクランプ径の大小で計8種類がラインナップされています、対応サイズ以外にスマホの側面の操作ボタンが干渉する場合もありますので、現物を見て慎重に考えられた方が良い商品ですね。

今年最初の100キロ超

 

今日は例によって京都府城陽市まで往復です、予報では暖かくなると云う事で風もなさそう、7時前に桜井を出発します。 上街道を北上、猿沢池から興福寺境内、県庁前から奈良阪、少年刑務所の前を通って、青山から梅美台、井関川沿いに走って三角公園で嵐山八幡木津自転車道に入ります。 いつもは山城大橋を渡って木津川右岸に入るのですが、このコースでは往復100キロに少し届かないので、気が向いたら数字合わせに帰途に寄り道したりするのですが、今日はそのまま左岸の自転車道を走って国道1号線の木津川大橋まで北上する事にしました。 流された流れ橋の復旧が決まったそうですが、いつになるのでしょうね。 往路54.3キロ。

15時過ぎに城陽市を出発し帰途に就きます。 朝と同じウェアだと走り出すと暑い位の陽気です、着込んでいるフリースを脱ごうかと考えながらそのまま奈良阪へ、しかし最近すぐお腹が空いて仕方がありません、県道沿いのサークルKであんぱんと缶コーヒーを補給し猿沢池で小休止。 「冬至十日経てば●●でも判る」と云いますが、少しは日没が遅くなってきた様な、私の様に脚力のない人間は距離を稼ごうと思うと陽が短いといけません、暗いうちから走り出すのは抵抗がないのですが、日没を迎えてナイトランになってしまうのってあまり好きやないのです、未明と違って車が多いって事もありますが。 ところで日没の時刻が最も早いのは実は12月上旬だって知ってます。 桜井まで帰って来たところでイオンに寄って買物をを済ませて帰宅、本日の走行103.4キロ、流れ橋が渡れる様になるまでは暫くこのコースで行きましょう。 3日の新春ランは新年会みたいなもんですから、今日から本格始動、今年も城陽往復で距離を稼がせて貰います、まぁ通勤ライドみたいなもんですわ。

第20回新春サイクルミーティング

 毎年新春3日は愛知県豊田市の「昭和の森」で行われる「新春サイクルミーティング」にUG兄さんの車に便乗させて貰い参加しているのですが…
 朝6時過ぎに桜井を出発し待ち合わせ場所の橿原市のT御大宅まで自走しますが、前日からの寒波で名阪国道が通行止との事、他の大阪組も断念との報が入ってきます。 とにかく京奈和道から大久保バイパス、京滋バイパス、新名神と迂回し名古屋を目指す事にします、京都府から滋賀県にかけてご覧の様な積雪で、一体いつ着くのやらと云った状況だったのですが、三重県に入ってからは積雪も少なく、懸念していた渋滞も大した事はなく、集合時刻に少し遅れる事10時15分には「昭和の森」に到着する事ができました。

「新春サイクルミーティング」は名古屋の「サイクリストクラブはづき」さんとカトーサイクルさんが行っている毎年正月の恒例行事で、私は2008年からお邪魔させて貰っています、レーティングはマッドガード付き自転車である事。 今年は節目の第20回だったのですが「はづき」の代表であった鈴木昭一さんが昨年亡くなられ寂しい20回目を迎える事となりました。 昨年は100名を超える参加者だったのですが、今年は寒波の影響を懸念された方が多かったのか70数名の参加となった様です、それでも70数台のランドナーやスポルティーフが集まるのですから壮観です。

「新春ラン」は挨拶と自己紹介の後、景品の抽選会があります、今年はアイズバイシクルの土屋ご夫妻も来られていて、豪華な景品が追加されています。 この後は各自食事を済ませて、記念撮影後にスタートと云う段取りです。 うちのグループはUG兄さんの鍋にT御大ちの自家製野菜が追加されています。

毎年、故鈴木昭一さんやNBさんが記念写真を撮っておられるのですが、今年はNBさんも雪で参加を断念、誰も三脚を持ってきていません、さすがに私も「自撮り」の予定はありませんので三脚は持って来ず、どうにか柵の支柱にカメラを乗っけてセルフ撮影、私の写真がオフィシャルなものになってしまいました、これはこれで光栄な事でして。

さて出発です、コースは「昭和の森」をスタートして北コースと南コースが毎年交互に設定されると思っていたのですが、今年も激坂のある北コースとの事。 写真右は今日の目玉、おニューのイリベ号に跨るまえださんです。

70台ものガード付き自転車が走るのは壮観です。 自転車談義のための?休憩時間もたっぷり、25キロに満たない行程に所要時間が3時間。

北コース最大の難所、通称「けいぞう峠」

「けいぞう峠」は下りもご覧の通り、なおじさんを3連写。

ここが最後の休憩ポイントです、最近ロードばっかり乗ってるTABOOさん決まってまんなぁ。

15時前には全員無事に「昭和の森」に帰ってきました、凍結路面で転倒があったとか、大事はない様で。 写真左のBSMは私のじゃありませんよT御大の。 東日本大震災の時、実は私はこのBSMを借りて名古屋上水の上の自転車道を走っていました。
 と云う訳で恒例の「新春ラン」を終え、通行止の解除された名阪経由で無事に帰って参りました、本日の走行は朝の回送分を加えて31.2キロ也、ちょっと控えめな走り初めでした。  

 
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