403.8キロ、500キロは走りたかったなぁ...
仕事も天気も少し落ち着いた処で明日明後日と頑張って走ってきます。
ちなみにアルコール消費量はビール中ジョッキ4杯、350ml缶1本、もちろん1日ではなく1月です。
石垣島の方で停滞しているかと思ったら突然駆け足でやってきた今年上陸8つ目の台風。
尾鷲では観測史上3番目の時間雨量、尾鷲と大台ヶ原では降り始めから数百ミリを越え、宮川村では土石流が発生して民家が押し流され、紀伊半島ては雲出川、櫛田川、熊野川、太田川、古座川、田原川、日置川、広川流域の一部で警戒水位を越えています、紀伊長島では紀勢本線ま鉄橋の橋脚9本のうち1本が流された、復旧するのかなぁ...
桜井は朝の内は降っていたものの、今は嘘の様に静かです。
Cバスのボードが嫌と云う程転がっている。
Cバスとはかって一世を風靡した?NECのPC9801シリーズ用のインターフェース・カード規格、一時は日本のパソコンの半分以上が98だった。
PC9821になってもPCIと併用で暫く頑張っていたけどネ。
8ビットバスの欠点を補う為に16ビットのNESAバスと対応するハイパー98が現れたが、この辺りを知っていれば98通、持っていればお馬鹿m(_ _)m。
もしかしてLカセットも持ってます?
特にうちにはFA用のI/O-IFまでと大量にあって、もう産業廃棄物以外の何ものでもない。
↑写真はカノープスのクラフィックカード、見よこのビデオメモリを!!
小学生高学年から高校にかけて鉄道写真に凝っていた時期があったが、世の中SLブームとやらで騒ぎ出した頃に、持ち前の天の邪鬼な性格からさっさとやめてしまった。
少しは古い写真でも整理してやろうと今年になってフィルムスキャナを買い替えたのだが、デジカメの便利さに慣れてしまった身にはスキャンは大変に邪魔くさい作業である。 と思いつつネガをひっくり返していたら1970年から1971年に掛けて足繁く通った姫新線の写真が何枚か出てきた、姫新線は姫路から岡山県の山中の新見までの150キロ程のローカル線である、当時の新見と云えばSLファンならずとも知れ渡っていた「布原の三重連」には脇目もふらず、一日数本のSL列車を目当てに通ったものである、以来沿線に行く事すらないが、写真に写ったひなびた風景に、今では中央道もできて周辺の風景も様変わりしてしまっただろうと思いつつ、一度自転車で訪れてみようかと思った。
姫新線のSL写真をうちの「CanCanHomePage」の「懐かしの鉄道写真集」に何枚かアップしました。
写真は1971年8月下旬にヘルパーをやっていた青森県深浦のY.H.で撮影したものです、当時は大学生のサイクリスト全盛時代でしたからね。
一度「ラン補」の方で掲載しましたが、ご存じの方がおられますか?、世代的には私より少し上になると思いますが。
うちには今では何の役に立たないガラクタが一杯あります、捨てるのが下手なもんで...
初期のマウス、初期と云うよりNECのPC9801シリーズ用として出た最初のマウスです。
マウスボールは何と鉄の玉、D-Sub9ピンのコネクタでマウスポートに接続、未対応の機種にはインターフェース・ボードもありました。
ドライバが必要ですし、Windows登場以前のCUI時代ですから、専用ソフトでしか役には立ちませんでした。
CANDYなんてCAD?ソフトがありましたネ。
MSBlast対策で苦渋を味わうマイクロソフト
←厳しい表情で説明するマイクロソフトの取締役 経営戦略担当 東貴彦氏
マイクロソフトの取締役 経営戦略担当 東貴彦氏は8月12日以降、流行しているワーム「MSBlast」について、「マイクロソフトはTrustworthy Computingとしてコンピュータの信頼性を高める施策を行ってきた。
それにもかかわらず一般ユーザーの間で多数の感染者を出したことは大変残念に思う」と述べた。
マイクロソフト幹部がMSBlastについてコメントしたのは初めて。
全社を挙げてセキュリティ対策を続けているにもかかわらず、その努力をあざ笑うようなワームが続出する現実に苦渋の表情を見せた... (@IT記事より)
去年のニュースだけど、たまたま見つけて、随分顔が痩せたと云うか...11?12年前同じ会社にいて結構世渡り上手なんだけど、ビル・ゲイツにコキ使われているのかな。
まあ同じ様に歳を食っている訳だから「老けたなぁ」と云うのは失礼だよね。
私は「木こり」にはなれなかったし、お金も無いけど気楽な毎日を過ごしています、お体を大切に頑張ってネ>ton
←10数年前、大阪キタのスナックで「踊るポンポコリン」を歌っていた。
彼との共著に「異機種接続と LAN 絵とき読本」(オーム社)があるけど、今読んでも何?んの役にも立たないよ。
ダウンロードも出来るしショップでも配っているのだが、急ぐこともないし直接申し込んでおいたのが意外と早く届いた。 なにかこちらの方が有り難みがある。 別にMSに有り難がる事もないと思うけど。
SQL Serverを利用する場合は色々とチェックする項目がありそうだが、こう云う作業ばかりが続くのも嫌だなぁ...
今回は事後にプロフィールマップを作ってみたのだが、どうも萱森前後のアップダウンが腑に落ちない。
この区間はMapFun?Wでルート検索が出来ないので、2.5万図(ほぼ15年前の本図に相当)から該当する実線路をプロットしてルートデータを作ったのだが...
「自分の走った処も判らないのか」と云われそうだが、同じような風景のブラインドカーブとアップダウンの連続、正直何度走っても良く判らない道なのである。
数年前に地図左側からの川沿いの道を登ったのだが、その時のあやふやな記憶と一昨日の記憶を重ね合わせてみると、現在は川をより上流で跨ぐ右側の点線道が現在の車道ではないかと思えてきた、そうなると標高で50m程違う。
今度はGPSを持って少し探索をしてみようと思う。
幾つかのBBS等にレポートしたルートで「壬立」は「玉立」(とうだち)の間違い、確かに一部の道路地図に「壬立」との記載がある。
「向渕」は戒場でおばさんが云っていた様に(むこうぢ)と読むのが正しい様である、難読地名でもなさそうだったので、長い事調べずに(むかいぶち)と読んでいたが、奈良県の地名はやはり難しい。
「琴引峠」について、旧初瀬街道を「やまなみロード」が跨ぐ陸橋付近は「海老坂峠」である。
で「琴引峠」は通っていないのかと云うと、三本松を出て小学校の辺りがそうなのである。
いつもの様にうちのCanCanHomePageの「輪」→「ツーリングの記録」にアップしました。
写真を撮る余裕も無かった上に出来も悪いのでWindyさんから何枚か写真をお借りしました。
今回はご一緒したメンバーすら何処を如何走ったのか非常に判りにくいコースだったので、頑張ってコメントに撮影時刻、コース・マップ、ブロフィール・マップ、バードビューを付けてみました。
いつもとは逆コースを走ったりすると勾配等の印象は随分変わるものです、特にアップダウンの多いこのコースは、プロフィール・マップを作ると意外な事に気が付いたりして面白いものです。
中止になった「矢の川峠キャンプ」の代わりに急遽行ったサイク、室生村三本松~(旧初瀬街道)海老坂峠~向渕~榛原町戒長寺~山辺赤人墓~玉立橋~鳥見山~桜井市小夫嵩方~藺生峠~都祁村南の庄~三陵墓古墳(食事)~白石~室生村多田~小原~上笠間~地蔵峠~三本松、自身でコース設定しておいてアップダウンの連続に参りました。
往路自走を含めて走行81.6キロ。
↑Photo:Windyさん、榛原から鳥見山への激坂で
コロコロ変わる降水確率に決行するのかまだハッキリしない。
しかし今年はほとほと天気予報に翻弄された、されている、これからもされそうだなぁ...
しかし天気予報の精度がもっと上がれば経済効果って大きいと思うなぁ。
今日は夕方から結婚式披露宴の二次会に呼ばれてきたのですが、あの奈良ホテルから新大宮の二次会会場まで新郎新婦は人力車だったのですが、突然の雹混じりの雷雨にかわいそうだと、私が思ったのは新郎新婦より車夫の方でした。
でその後その人力車のデカいタイヤ、リム、ハブに見入ってました。
午前中だけ参加してきました、桜井?御所の往復を含めて走行40.9キロ。
←新庄町「ラッテたかまつ」でアイスクリームを食べるためだけに、この激坂を登っています。
明後日の降水確率は70%、それもR169?R425と日本有数の降雨地帯を縫って尾鷲まで120キロ余りを回航するのは、とてもとても。
とにかく25日に松阪近辺で他のメンバーの車に拾って貰う算段を、しかし天気次第では「矢の川峠」そのものが中止になるかも..
ついでと云うか物欲に負けてコッフェルを1個買ってしまった(^_^;)
一応どうにかレトルトが戻せそうな深いタイプ、ご飯を炊いたりするのが難しいのでチタン製ではなく、アルミ+テフロンのものにした。
中に手持ちの一回り小さいチタン製のものを組み合わせ使うそもり。
10年以上使っている馬鹿でかくボコボコになったコッフェルを引退させる事ができるだろうか...
大阪へ出たついでに懸案のマットを新調してきました。
(写真右)
最初、昔あったエアーだけのものを物色したのですが、最近は見当たらない様ですね、確かに納得もできるけど。
で半身用ですが最もコンパクトなものにしました。
MAGIC MOUTAIN トレッキングマット 90×51×2 好日山荘にて税込み\4,452_ で膨らましてみるとダンロップ程の弾力性はありませんね。
しかしマットで1万5千円近いものがあるのですね、手も足も舌もでません。
写真左は圧縮されないタイプ、ほぼ銀マットと同じかより太いです、クララ姫が担いでいたもののと同じですね。
写真中は今迄常用しているダンロップのもの、一応自分で広がります、目が回る程エアーを吹き込んでやるとなかなか快適です。
24日自走となると天気が少し怪しくなってきたなぁ...
野球中継のあとダラダラとテレビを見ていたらタモリの「世にも奇妙な物語り/秋の特別編」、内容はともかくとしてその中の一作「過去からの日記」のタイトルに惹かれてしまった。
はてDoBlogはどれ位過去に遡って書きこみができるのだろうか? で試してみた。
1953年12月3日、私の生まれた日であるがちゃんと書き込む事はできる。
ただ左側のペインのカレンダー欄には2002年以前は表示されません。
2003年をクリックすると2003年以前の全てが表示されてしまう様です、←お試しあれ。
OSやDBがサポートする日付範囲を越えてまで試してみようと云う気はないが。
しかしなかなか面白いので折を見て、私の自慢にもならない50年余りの人生を埋めてみるのも面白いかも知れない。
デ・キリコの絵画をサーチしてきて壁紙にしてみた。
日頃リアルなカラーばかり目にしていると絵画の落ち着いた色合いが新鮮である。
30年程前に鎌倉の近代美術館で「デ・キリコ展」を見る機会があったが、そう云えば美術館なんて長い事行っていない、サーチしている途中で4年程前に関西では京都であった事を知った、生きているうちにもう一度見てみたいなぁ。
宮滝万葉の道から吉野山へ登る「お気楽ポタラーズ」他の一行と芋ヶ峠を越え宮滝までお見送りし、その後吉野川左岸を椿橋まで下り大淀古道から壺阪峠を越え帰ってきました。
一行は吉野山に上がって食事と温泉の予定ですが、帰宅後土砂降りの雨が続いてますが、大丈夫かな... 輪行組はともかく帰りも自走のつもりの人は?
矢の川峠はクロスに前後キャリアサイドなしでガードなしで行こうと、今日はその組み合わせで走りましたがロードと違ってやはり重いわ、尾鷲まで自走できるかなぁ... 1年近く使い続けているロールスのサドルがいまだにしっくりこないし... タイヤを写真のミシュランシクロクロススピリット700×30Cのままで行くか、24日の尾鷲回航だけTservを履いて走り宿でタイヤ交換しようかなぁ。
今年は本当に例年より早いです。
この畔は昔、祖父の牽く肥え桶満載のリヤカーを押した思い出のある道です。
ロードで長い事愛用していたIRCのタイヤがトレッドが減ってきた上に先日サイドを切ったので前後交換しました。 IRCの同製品は既にないので、クロスで一時使った事のあるパナレーサーのストラディウスプロ700C×26Cにしました。 以前はクロスに履かせて桜井?金沢336.4キロを走り、その後とある事からクララ姫にお譲りしました。 現在は黒一色しかないのですが、サイドまで真っ黒なのでご覧の様にエラく印象が変わってしまいました。 26と云っても実幅24mmを切るのですが。
矢の川(やのこ)峠は三重県尾鷲市と熊野市の境をなす海抜807mの峠で、現在の国道42号線の矢の川トンネルのほぼ真上に位置していて、矢の川トンネルと大又トンネル開通までは国道として、また昭和34年7月15日の国鉄紀勢本線全通までは国鉄バスの通うルートであった。
紀伊半島の殆どの道(さすがに市街地は除いて)と峠を自転車で走ってきた私にも「矢の川峠」だけは長年の懸案であった。 奈良に住んでいるとは云え尾鷲と云うアプローチの遠さと、かつての国道とは云え熊野市側で橋が落ち廃道化してしまっている情報に躊躇せざる得なかった。 近年入手した尾鷲市の有志の方々の編纂による写真随筆集「思い出の尾鷲」に掲載された1枚の写真に、いつかは「矢の川峠」へとの想いだけはつのっていた。 世界遺産登録で脚光を浴びている熊野だが、尾鷲から熊野市にかけて海寄りの幾つかの峠を越えている熊野古道より、私にとってはこの近代の峠道の方が興味深い。
ところが自転車ツーリング仲間の情報では、旧道となった後も何組が峠を越えていると云う話もあり、最近時々ご一緒する機会のある三重県在のakuta氏も1971年に越えているとの事であった。 話の折に「ぜひ矢の川峠に行きましょう、できれば峠でキャンプを…」、この物好き極まりないプランが急遽実現する運びとなった、それも来週9月24?25日である。 水の補給もできるかどうか判らない峠でのキャンプ、熊野市側へ越えるとすれば担ぎも考慮しなければならない、しかしまるで私のために用意してくれた様なこのプラン、この機会を逃すと二度とは巡って来ないだろう話を断る訳には行かない。
←昭和30年当時、国鉄バスの停まる矢の川峠、当時は茶屋もあり尾鷲湾から熊野灘を望む展望に10分程停車したそうである。 写真は平成9年に「思い出の尾鷲」出版委員会により出版された写真随想集「思い出の尾鷲」から転載、、尾鷲市役所へ問い合わせれば現在でも入手可能かも知れない。 かつて陸の孤島とよばれた尾鷲の戦前戦後を知る興味深い資料である。
峠の北側にはNHKのテレビ中継施設があるために尾鷲側の道路状態は左程の事はないだろうが、熊野市側に至ってはかなりの難路となる事は見えている、とにかく最小限のキャンプ装備と担げる様な支度で出掛けなければならない。 まして往復輪行はあまりに勿体ないので往路は前日に桜井から尾鷲まで自走し尾鷲泊を企んでいる。
しかし峠は現在も広場状にはなっているそうであるが、果たして展望はあるのだろうか。 植林され展望は効かなくなってしまっているかも知れないが、先の写真の撮影方向も気になってカシミールでシュミレーションしてみた。 矢の川峠からほぼ北北東に28mmの画角で描画しているが、確かに写真と合致し尾鷲湾から須賀利の日和山、その向こうに志摩半島へと続く熊野灘に面した海岸線が望めるし、八鬼山の向こうにも熊野灘が-ほぼ真南側まで望める様である。
こうなってくると色々と欲が出てくる、富士山はもとより折角の峠のキャンプであるから日の出や熊野灘に映える月明かりなど拝めないかと… 調べてみると24日15時33分に月の出方位128゜、正中が20時34分で高度が32゜、月の入は25日1時40分方位243゜、月齢は10.5だから満月とは云えないが真っ暗な山中では結構明るいはずである。 ちなみに日の出は25日5時40分である。 なお月の出等データは「こよみのページ」によった。
後は天気になる事を望むだけである。
橿原市、桜井市他の奈良県中和地域の合併の枠組みに反旗を翻した明日香村が行革の一環として、と云うよりマジに中央の言いなりにはならないぞとばかりに、村議会で助役職他の廃止を議決したそうである。
この様な例は明日香村に始まった事でもなく3例目との事であるが。
「飴と鞭の平成の大合併」色々な処で筋書き通りに行かなくなってきている様である。
明日香村の場合は知名度や地元意識、なによりも観光資源に恵まれていると云う事もあるのだが...