9/12の「丹波篠山ミステリー?峠ツアー」。 例によって例の如く写真だけですがうちのHPにアップしました。 いつもの様に、うちのHPの「輪」(自転車の頁)→「ツーリングの記録」です。
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←15名の集団走行で私を除く参加者全員が写っている走行写真は珍しいなぁと思ったけど1人足りないのかな? と思ったらTETUさんの後ろにnanaさんの足が... いつも写真を撮っているskuram翁がコースリーダー役、輪童さんが初盤のアクシデントで心身車共々に傷ついて大人しかったお陰かな。
往路は千丈寺湖青野ダムからほぼ<49>三田篠山線に沿った3つの峠を越えるルート、帰路はR176、福知山線、武庫川を何度も跨ぎながら、車の少ない道を継いで走る自転車には快適なコース。 三田市に篠山市と私には全く土地勘すら無い未踏のコースだったが、あちこちで稲刈りの行われている田園風景や里山を巡る魅力的なコースだった。
しかし走りながら適当な撮影ボイントに目星をを見つけてはダッシュしてカメラを構えるのはなかなか大変でした。
月別アーカイブ: 2004年9月
丹波篠山ミステリー?峠ツアー
兵庫県三田市の青野ダムから往路3つの峠を巡って、丹波篠山のそば処「一会庵」で蕎麦を食べると云うskuram翁の企画に参加してきました。
思わぬアクシデントで篠山到着が12時をまわってしまい蕎麦は売り切れでしたが...
帰路は福知山線に沿ったたんぼ道を巡って青野ダムへ戻り、篠山市の「薬師温泉ぬくもりの郷」へ立ち寄り帰途に着きました。 走行77.5キロ(新三田駅→青野ダムを含む)
↑写真の茅葺屋根が「一会庵」
丹波篠山ミステリー?峠ツアー
奈良、木津で乗り継ぎ0629発の片町線東西線福知山線経由新三田駅まで輪行でむかいます。
直通があるものの時間も運賃も余計に掛かるので通して乗る人は少ないだろうナ。
気楽じゃない一日
?
何だか?
WindowsXP SP1
WindowsXP/2000兼用のインストーラーを用意して安心していたら、客先のマシンではレジストリの更新時に「プロシージャエントリポイントGetIUMSがダイナミックリンクライブラリMSDART.DLLから見つかりませんでした。 」のエラーが、色々と調べて最初はMDACが正しく更新されていないのかと格闘していたが、どうやらプリインストールのマシンの場合のWindowsXP SP1での問題らしい。 どうせSP2でも一悶着ありそうだし時間もないし、ひとまずドライバを探してきてWindows2000にダウングレードしてインストールする事にした。
「弊社では、この問題をこの資料の冒頭に記載した弊社製品の問題として認識しています。 」 どうにかしてほしいねぇ、捨てぜりふにも聞こえる。
今月初めて走ってきました。
途中で石を踏んでパンク、サイドも少し切れてしまい裏からゴム板を充てて補修。
↑県道上笠間三本松停車場線の地蔵峠を下った辺りから見下ろす。
WindowsXP SP2
ショップや郵便局でも配るそうだが、とりあえずタダだから郵送を申し込んでおいた、お届けまで4?6週間だって。
あまり関わりたくもないのだがSQL Server 2000には色々と影響があるので、自動更新とかで入ってしまってからではどうにもならない(リカバリなんて信用していない)ので、とりあえず検証と対策はしておかなくては...
最近買ったCDから
「武満徹/レクイエム」(ボリグラム/PHCP-1493)、1996年に亡くなった武満徹の追悼盤としてその年に発売されたもので、1989から1996年にかけて小沢征爾とサイトウ・キネン・オーケストラが録音したノヴェンバー・ステップス他の管弦楽作品を集めたもの。 しかし亡くなってもう8年も経つのかぁ。
「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶・尺八とオーケストラのための)、1967年ニューヨークPOの125周年記念に委嘱され同年、小沢征爾によって初演された日本を代表する管弦楽作品(他に若杉、ハイティンク、デュトワ盤がある)、手元に岩城宏之/NHKSO盤があったが、弦のふくよかさに相まって初期の一連の録音に比べて角の取れた聞きやすい演奏に仕上がっている。
「系図?若い人たちのための音楽詩」(語りとオーケストラのための)は初めて聞く、谷川俊太郎の詩集をアレンジした少女の語りと管弦楽との作品、日本初演の録音。 語りの入った音楽作品には少し抵抗があったが、武満徹ならではの美しいメロディを奏でるアンサンブルが魅力。 他に「エアー」「エクリプス」「弦楽のためのレクイエム」を収録。
武満徹なんて知らないよって人に、映画音楽では「狂った果実」に始まり「切腹」「砂の女」等の90作品、同じく映画音楽でハイファイ・セットの歌う「燃える秋」も武満徹作品です。
地震第2波
棚の上からソフトの箱(殆ど空箱ですが)や本が落ちてきました、落ちてくるのは目に見えているので逃げてましたけど。 液晶モニタのの台を外そうかなぁと思っていたけどやめておこうっと。 稼働中の2台のマシンは一応大丈夫みたいだけど...
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震度5-(奈良)
懐かしい話題
>cancan様
> 突然のメールで申し訳ございません。
> ナショナルパ?ソナルコンピュ?タ マイブレーン3000を使用されていたそうですが、
> マイブレーン3000を現在も所有されていて、もしご不要でしたら、適価で譲って
いただけませんでしょうか。
> (八方手を尽くして探しているのですが、見つかりません)
嗚呼なんと懐かしい話題、マイブレーン3000とは松下幸之助の鶴の一声でコンピュータから撤退した松下が、その後関連会社の松下通信工業で1980年台初期に細々と作っていたパソコンで、なんと日本初のMS-DOS搭載マシンであったハズである、FEPなんぞと云う意識がなかった時代MS-DOS1.25にカナ漢字変換をインプリメントしたのが、その後VJE-β(今もVer4.0を使ってます)を発売するVACSだった様に記憶している。 VACSはMS-DOS上で動くコンカレントユーティリティも出していて、同僚がバッグラウンドでNC工作機械を動かしながら、表でエディタを使って誤動作させとんでもない処に穴が開けてしまったとか、そんな話題をMSに行った東貴彦とVACSの渡辺専務?と飲みながら話をした記憶がある。
確かにマイブレーン3000を当時の勤務先で少し使っていたのは事実だが、当時NECのPC8001や8801、富士通のFM-8しか知らなかった私にとってOSと云う訳の判らないもの閉口した事を覚えている。 MS-DOSだから当然MS-BASICが載っていて、ファンクションキーに割り当てられたSYSTEMコマンドで何度か折角作ったプログラムを消してしまった事を覚えている。
いまさら業務に使う訳でもあるまいし、コレクターなのかねぇ、オークションで高値がついていたりして... マイブレーン3000の画像がないのが残念だが、返信に「懐かしい話題ありがとうございます、もし手に入ったら画像でも送って下さい、あの黒い筐体に渋い緑色のアクセントが懐かしいです。 」と書いて送っておいた。
仕事風景
「月天」富雄店にて
たばこの量
2004/1 \11,400_ / 2004/2 \9,300_ / 2004/3 \12,000_ / 2004/4 \10,500_ / 2004/5 \14.100_ / 2004/6 \15,600_ / 2004/7 \10,500_ / 2004/8 \17,100_
買い置きの誤差はあるものの仕事の忙しさにほぼ比例しているのが...しかし8ヶ月で335箱6,700本も吸っているのか、アルコールは今年はいつ呑んだのか覚えてられる位呑まないが、最近の様に世間で肩身が狭くなっても辞められないなぁ...
彼岸花 !
九度山人さんのBlogで「彼岸花」の写真を見た、つくつくぼうしの声も頼りなくなってきてもう9月なんだなぁと思いながらも、早いなぁ。 相変わらず業爆状態が続いているが9月は少し頑張って走らないと、仕事のスケジュールを見て、朝駆けでもしようと思いながらも、結局は朝寝になっていまう、トホホ。