【2005年1月】 新年おめでとうございます

自転車の方は別にオフシーズンと云うつもりはさらさら無いのですが、今の処は参加する予定の行事や企画は何にもありません。 昨年度の走行実績は約5,400キロ、まあ今年もそれ位走られれば良いなぁと思っています。
 毎年、その年自転車でご一緒した皆さんに手作りの卓上カレンダーをお配りしているのですが、今回は仕事の客先用と自転車仲間用の2つのパターンを作りました。 今年は2ヶ月1枚ものでしたので、奇数月と偶数月に交互にご紹介します。
↑撮影:skurma翁、六甲山にて



今月の実績

走行距離はどうにか帳尻を合わせて305.3キロ。 タバコ44箱(880本)、思ったより少なかったなぁ。 アルコールは0、おとそすら戴いていません。

帳尻合わせ

前年並みの走行距離を稼ごうと思ったら、1,2,12月と300キロ、3?11月で500キロを確保してどうにか5400キロ、しかしまず1月で300キロに少し届かない、自転車通勤でもしない限り、なかなかこの季節に距離を稼ぐのは根性がいる、K氏は論外としてく?氏、ら?氏にもダブルスコアで差をつけられている始末。 とにかく帳尻だけは合わせておこうと女寄峠へ向かった。


車に追い立てられながら延々と直線の急坂が続く国道166号を走る気持ちなど毛頭ない。 男坂道から粟原川に沿った農道をのんびりとたどる。 最後は砂防ダムに突き当たるが、国道へ取り付くと笠間辻まであと1キロと僅かの距離、桜井から一番気楽に榛原、大宇陀方面に越えられるコースである。


女寄峠には入らず笠間辻から県道で榛原方面へ下る。 室生ダムまで往復しようかとも考えたが、日差しはあるもののさすがに標高が高いだけあって時々雪がちらつく、「あすか鍋」サイクで走った宇陀川沿いの道を南下し、「おごぽご」でお昼をする事にした。


このまま女寄峠経由で戻ると距離が足りなさそうなので、再び来た道を戻るが西峠の南側にある未踏の黒線道に色気を出して向かうが既に拡幅されていた。 斜度はきついが車は殆ど通らないので西峠のバイパス路としてなかなか良いかも。
←近鉄大阪線をはさんで国道165号線の反対側を越える。


このまま下ってはやはり距離が足りなさそうなので、桜井浄水場から口ノ倉トンネルへと登りかえし初瀬ダムを経由し、長谷寺門前馴染みの「宝園堂」でくさ餅を買って帰途についた。
走行34キロ、どうにか300キロ台には届いて帳尻だけは…


VAIO PCG-C1VR/BP

私にとって4代目のノートPC、あまりノートPCは好きではないし、元を取る程使いこなした覚えもない。
 さすがに買ったばかりの頃には面白くて自転車に積んで信州とか能登半島にも連れていったのだが、C1と云えども自転車の装備としてはデカくて重い、Uシリーズが出た頃に食指が動いたのだが、用途を考えればC1以上に使い道は限られている。 落としたりして少々ガタが来ているるし、トランスメタのCPUも力不足だし、WindowsMeも使いづらい。 VAIOのHPを覗いているとWInddow2000用のドライバもある様だし、少し触ってやろうかな。 しかし標準のバッテリは死んでしまって、LLLのとてつもなく重いバッテリしかないのが...


サイク・フライデー

最近忙しくて自転車に乗れなかったD氏、久しぶりに休みがとれたので走りに行こうと云う事になり、私も仕事の段取りをつけて参加、具体的にコースが決まっている訳でもなく「笠そば」に行きたいと云う事で。 結局は私がコースリーダーなって笠山荒神から龍王山へのダートをMTBで走る事になった。 話がまとまると平日と云うのに3人が参集し桜井駅前を出発、暖かったら追撃すると云う冬眠中のW氏に加えて、嵐山まで走ると云っていたK氏までロードで現れ、初瀬ダムからは5人で走る事となった。
↑笠山荒神への超激坂を登るD氏


「笠山荒神」は三輪山の背後、標高500m程の桜井市の山間部小夫地区にある、日本三大荒神のひとつとか。 今日は何故か車が多いなと思っていたら、年に三度の大祭の日でいつもは閑散としているのに今日は屋台まで出て賑わっている。


昔はプレハブ小屋だった「笠そば」も昨年立派な建物に改装されている。 店内は満員、1月とは思えない陽気だし、裏のベンチでお蕎麦を戴く事に。
 私はいつもの「荒神そば」大盛り(\800)、冬でもこの薬味の一杯載ったぶっかけ蕎麦を戴いています。


「笠そば」から龍王山へは稜線沿いのダートを行きます、以前F氏の案内で行ったきりでルートに不安がありましたが、幾つかの分岐で記憶を辿りつつ無事に龍王山に辿り着きました。
←時々眼下に大和平野を見下ろす事のできる気持ちの良いダートを走ります(写真:D氏)


標高585mの龍王山山頂にて、ロードで来られて藤井町経由のオンロードを迂回されたK氏とも無事合流、山頂へは少し担ぎも強いられますが、眼下に大和平野、大和三山を見下ろす事ができます。

本日の走行39.9キロ、今月はせめて300キロ台には載せておこうと思ったのだが、ちょっと届かないかなぁ...


少しだけ雪中サイク

正月ほどには雪は残っていませんでしたが、明日香村石舞台から談山神社のある多武峰へと走ってきました。
←明日香村栢森(かやのもり)にて、この辺りでは路面に雪は殆ど残っていません。


←標高600mを越える明日香村冬野辺りまで登ってくると路面はご覧の様に、凍結こそしていないもののさすがにロードでは厳しい様です。


←明日香村冬野から多武峰へは比較的走りやすいダートの下り。 風もなくて思ったほどに寒くもなく、清々しい冬のサイクでした。

至ってご近所なので、走行距離は僅か30.9キロでした。


180°の展望

 件のマシンは無事起動、とりあえず写真中央のサーバー用のモニターに繋いで、98の起動ディスクでSCANDISKかけてみるですよ。
 ちなみにご覧の様にマシンに囲まれている状態です、今はさすがに背後にはありません(一時はあったのですが(^^;)、右のモニターは普段はBGMマシンと化しています。

 埃まむしのでかい三脚を引っ張りだして(30年前に4×5ビューカメラ用として買ったもの)でパノラマ撮影をしてみたのですが、狭い室内で広画角で撮ってしまうと繋ぐのが大変ですね、確かパノラマ撮影合成用のフリーウェアってありましたよね。


ASUS CUSL2-C

 先日、修理依頼されたDOS/Vマシン、マニュアルもないし、CPUが何なのかも判らない、やっとこさ重い腰をあげピンアサイン等をメモしながらてパラしてみた。
 拡張スロットについているビデオカード冷却用のファン(付いている場所とスペックから無意味な様な気がするけど)を外してみると、基盤のシルク印刷が見えて、なんだASUSはCUSL2-Cだった。 CPUファンは純正のくせに始めて見る固定方法、悩んだ末にT御大に電話したが判らない、よくよく眺めてファンそのものを外したらレバーを起こせる様になっていて一件落着。 CPUはFSB133のPentium?Vの1GHzだった。

 CPUを外すと、シリコンの代わりのシールのクズを取り除くのは難儀しますよね。 写真左上のリムーバーを使うと楽です、グラフィックデザイン等でリムセメントを取り除くのに使うものでデザイン用品店に売っていますが、この為にわざわざ買う程ものでもありませんが、まあ消しゴムでも結構用を成します。


バグ?

20ウン年ソフトウェアの開発をやってきて、原因の所在はともかくとして星の数ほどのバグにブチ当たってきたけど、今日もまた暫く頭を悩ましそうである。
 ソフト開発者がOSからハードまで追求し理解できた時代とは違い、バグを追求するものではなく回避するものになってしまった。 暫く自身のケアレスミスの有無を確認して、間違いなければ別の手段を探さなければならないなぁ...
 「...にはパラメータ’@SubTotal’を指定して下さい」なんて当たり前の事云われてもネェ、ちゃんと渡してるゾ(▼、▼メ) 1度目はちゃんと実行するのになんで2度目はこけるんや(-_-;) 「おでん」でも食って冷静に考えよっと。


修理屋じゃないのだけど...

またまたやってきた修理依頼は自作DOS/V。 AOpenの銘板のついたケースにASUSのマザー、Socket370のTualatinになる直前の1G前後のマシンの様、Windows2000がインストールされていて起動後ブルースクリーンになってメモリダンプと再起動の繰り返し、ハードにダメージのある可能性も、とにかくバラさなければ何も判らないなぁ...


VAIO PCV-LX31/BP

昔の勤務先の元同僚から久しぶりに連絡があって、壊れたVAIO(デスクトップ)があって直るなら直して欲しいとの事。 VAIO PCV-LX31/BP、液晶とのセットモデルでキーボードとマウス、ビデオケーブルがまとめられていて、つい先日も別件で液晶が正しく表示できないと修理見積をとったらなんと\66,150なんて回答がきたシリーズであった、さすがにその時は別のモニターとキーボードとマウスをあてがったのだが、今回は直らないと余った液晶、視野角も広く応答速度も悪くないし勿論スピーカー内蔵だが、専用ケーブルゆえ他には使えない、デザインやホームユースを意識したVAIO、日頃ミドルタワーのケースにパーツをとっかえひっかえとことん使う自分には少し腹立たしい。



今回はハードディスクとDVDドライブの不良という事で、調べてみると確かにどちらも見事にいかれてしまっている、手持ちのハードディスクとCD-ROMを繋いで見ようと、まずはケースを開ける処から大格闘、さすがSONY、さすがVAIOと関心する事しきり。
 どうにかケースを開けてハードディスクとCD-ROMを繋いでリカバリCDを走らせるとちゃんと動作してくれた。


問題はここから、DVD-ROMドライブのトレーまでオリジナルデザインのVAIOの事、自作DOS/Vの様に入れ変えたら終わりと云う訳には行かない、ホリュームダイアルはフロントパネルに当たるわ、イジェクトスイッチが聞かないわ、どうにかダイアルをちぎり、スペーサを作って、トレイカバーが付かないので不細工だが、ちゃんと使える様になった。

↑ベゼルもこのままではフロントパネルに干渉するのでちぎらなければならない。
 ゴソゴソさわるのは嫌いではないが、さてなんぼ請求しようかしら...


「常夜鍋」食ってます

いやぁ今日は寒かったです、客先までは駅を降りて住宅地と田んぼの中を20分程歩いて行かなければならないのですが、風がきつくってさすがに震え上がりましたよ。
 今夜は「常夜鍋」を作って食ってます、母親が仙台出身の友人から教わったそちらの方の郷土料理だそうで「じょうやなべ」と呼んでいるのですが、ネットで検索すると「とこやなべ」としている処もあるし、作り方や入れる材料にも差異がある様です。 基本的にはほうれん草の入った豚しゃぶの様なものです、だしに酒を入れたりとか、白菜や春菊、大根を入れる例もある様ですが、私の場合は基本的に、豚バラ肉スライス、ほうれん草、しいたけ、えのき、豆腐だけでボン酢で頂きます、実は写真にはしいたけが写っていないのは買い忘れたのです(^_^;) 白ねぎとか他の野菜も試した事もあるのですが「常夜鍋」はシンプルなのがベストな様です。
 それからほうれん草は鍋に入れる前に固茹でしてくださいネ、私はダイナミックにそのまま入れたりするのですが、色こそ鮮やかなものの何と云ってもアクがあるのでお腹の弱い方にはキツいかも知れませんから。


木津川ボタ?

ら氏がリーダーの「木津川ポタ」、当初は万灯呂山とか和束井手線とか山背古道とか大仏線廃線跡とかの話だったし、早朝は凍結の心配もあったのでクロスタイヤを履いた超ワイドレシオのクロスで出動したものの、結局は嵐山まで往復、自走した分はともかくとしても集合地点から嵐山往復だけでも90キロ、時々舞う雪に往路は強烈な向かい風、どこがポタやねん。

↑時代劇のロケ等に使われて有名な「木津川流れ橋」は通行止


写真だけですがうちのHPの「ツーリングの記録」にアップしてあります。



帰途、奈良市街に入った頃には日没、よりによって「若草山山焼き」の日で人出に渋滞、狭い上街道にまで車が入ってくる始末、そう云う車に限って乱暴な運転をする。
 折角と云われそうだが見物しようなんて気持ちの余裕など毛頭なく一路南へ、背後で花火の音がするので振り返ったら、どうやら始まったらしい。
 お昼は嵐山で「鍋焼きうどん定食」と「ぜんざい」食ったのだが、天理まで帰ってきたらお腹もすいてきたし、ヘッドライトの電池も交換したかったので、駅前のミスドに入って小休止。
 とにかく19時過ぎには帰り着いた、走行153.7キロ。


そろそろ寿命かなぁ

スイッチング・ハブ(下段アライドテレシスFS716XJ)のファンから異音がしだした、ハブだけに回りっぱなしだもんネ。
上段の8ポートギガビット対応スイッチを買った直後にPCIから手頃な価格で16ポートでジャンボー・フレームにも対応したFXG-16TXJがでたので、もう少し待っていれば良かったのだが...
 ギガビットと云っても今の処対応するマシンは3台だけど、チップの処理能力が向上しているのか100BASETXで使ってもも古いより早いみたいだし、せっかくのスイッチング・ハブなのにスイッチ間がボトルネックになっているはずである。 まあこの季節ファンが止まっても少々は心配はないとは思うけど、カリカリチリチリと音が精神衛生上良くない、後は先立つモノはもとよりだが、正味19吋ラック幅なので置き場所にも...
 あとコネクタが前面側と云うのも気に入らない、後ろ側からのアクセスが簡単なうちではコネクタは後ろ側の方がケーブルが綺麗に始末できるのだが、最近は多ポートのものでは少ない様で。


「おでん」食ってます

すみません、きたない盛りつけで。
大根が今一つだなぁ... 九度山産のこんにゃくは「おでん」には向いていない様です。
大好物は「餅入り巾着」です、でも中の餅がドロドロにならない内に皮に味をしみさせるのは難しいです。
牛スジは市販の串に刺したに冷凍ものを使いましたが、ボリュームがなくって。 スジ肉から1本1本作るのは邪魔くさくてねぁ。 とことん煮詰まり過ぎた処でロールキャベツ入れておしまいとします。

dendenさん、玉子は写真を撮る前に食ってしまいました。


仕事始めの風景

正月もダラダラと仕事をしていたから、別に自分は「仕事始め」と云う訳でもないが。
 朝暗いうちから出掛けて客先のサーバーを起動させて、休みの内に少しさわったDBを入れ替えて、10数台のクライアントのプログラムの入れ替え作業。 パーテーションの向こうでは新年の朝礼中、会社勤めの頃を思い出して何か少し懐かしいです。
 
 そう云えば昔々、年号が進まないPC98の日付を修正しに新春一番は会社中を走り回っていたなぁ。
 今朝の寒さで室内とはいえ冷えきった会社の中、サーバーの起動が少し心配だったが、2台のサーバーの切替器がちゃんと動かない、リセットしたら直ったのだが。 1台サーバーのCPUファンから異音、暫くするとマシにはなったけど、ヤバいなぁ...


本日の走行14.2キロ

R丸氏からTEL。 正月からMちゃんと2人で2泊3日で奈良へ走りに来ていて、元薬師寺辺りで彼女がギブアップしてしまったらしい。 最寄りのT御大の家に自転車を預けてさせて貰う事になり、スクランブル発進 \(^o^)//(^_^)\\(^o^)/

←R丸氏とT御大は納屋の中で自転車談義中。


雲の博物館

こういった事には詳しくないので、左上の「ひこうき雲」しか判りません、短く直ぐ消えてしまうのは上空の気温が低い時なんですね。


今年の走り初め

外は寒いし、ぬくぬくと部屋の中で仕事しながら正月を過ごそうと思っていたら、D氏からメールが入って、「実家に帰ってきていて夜まで暇やから走りに行こう」との悪魔の誘い。 折角だからR氏とT御大に電話は入れると、何かきっかけが無いと出かけるのが億劫な人はいるもので、あっと云う間に面子が揃ってしまった。
←今朝の葛城山、手前は畝傍山。


1時間後には明日香村石舞台に集合、とりあえず栢森から冬野コースへ入り、ロードもいる事だと多武峰へのダートは避けて畑から下る事に。
←さすがに谷間や標高の高いところには雪がかなり残っている


一旦、石舞台に戻り、再び朝風峠へ


秋は彼岸花やら「案山子コンテスト」やらと賑わう稲渕の棚田もむこの季節は静かなものである。
本日の走行32.5キロ、D氏のお陰で軟弱に正月を過ごさずにスタートできました。


A Haapy New Year

あけましておめでとうございます

(左上) 奈良県宇陀郡室生村 Photo:レオナルホドさん
(右上) 京都府北桑田郡美山町 Photo:レオナルホドさん
(左下) 滋賀県甲賀郡信楽町 Photo:skuram翁
 写真使わせて頂きました、今年も宜しく。 写っているのはもちろんcancan本人です。
過去の年賀状/暑中見舞コレクション

PS:甲賀郡信楽町は2004年10月9日付けで「甲賀市」となっていますが、写真を撮ったときは「信楽町」です。 しかし写真の場所はいずれ全て名前だけは市になってしまいます。



悪行「平成の大合併」

少なくとも巷では悪名高き「平成の大合併」により今日1月1日付けで79市町村が21市町になり、その後も来年にかけて施行が目白押しである。 村や郡の消滅する都道府県も幾つかある。 私にも身近な処では三重県飯南郡飯高町他3町が松阪市と合併、信州では長野県で鬼無里村、戸隠村他が長野市に編入される。 今日から高見峠を越えるとそこは松阪市なのである。
 行財政改革や地方自治云々はその筋の方に任せておくとして、どう考えても過疎化を助長し、地名と云う文化遺産と、地理学上での符号としての地名をないがしろするのが私には気に入らない。 生まれてから「市」と名の付く処で育ってきた私には判らないのかも知れないが、住んでいる人達はそんなに「町」や「村」が嫌なのだろうか (村会議員さんは市会議員さんになれるかも知れないので嬉しいのかもネ)、確かにかつては被差別部落の地域を明確にしてしまう弊害も無くは無かったが、仮に「村」である事に劣等感を持っている人が多いのだとしたら、「都会指向」「田舎蔑視」と云う幻想と、日本中を都会にしたかった某首相の亡霊から逃れられないでいる日本人が情けない。
 明治22年の市町村制施行で15,859あった市町村は2,900を切った、交通機関の進歩と過疎化により減少する事は当然だし自然な事だが、反旗を翻して隣の明日香村の様に秀でた観光基盤を持っていない処を除けば、とにかく日本中が名前だけは「市」になる日も近い。 しかし市町村の区別は原則的に人口を基準としているのだが、一次産業と二次三次産業別人口を基準にするべきである、「村」が幾つも集まって「市」になった処で構造は「村」以外の何物でもない、都市に対する行政を行っても上手く行くとはとても思えない。
 参考→市町村合併、市町村の廃置分合 予定・目標