今日も天気は良さそうだし、久しぶりに城陽市のクライアントまで走って行く事にしました。 一路上街道を北上し、奈良阪を越えて木津川の自転車道へ、GW前に復旧した流れ橋を目指します。 実は目的地には山城大橋で右岸に渡るのが最短距離なのですが、それでは片道50キロに届かないのです。
そこで往路だけでも流れ橋まで北上すれば少し遠回りになる訳です。 ところが帰ってくると自宅前で99.79キロ、先月の92.4キロの様にキロ単位で足らないなら諦めてしまいますが、後200m余り、自宅の周りを一周して無事100.07キロ。 一年半ぶりの100キロ越えとなりました。
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大阪渡船ポタ
なみはや大橋から望む千歳渡船、この後4番目に乗りました。
今日はH氏のご案内で大阪市のベイエリアに残る大阪市営渡船をを巡るポタリングに参加してきました。 ベイエリアと云っても、舞洲や南港と云った今風の処ではなく、造船所や工場倉庫の並ぶ下町の雰囲気を残した地域です、大阪生まれの私もあまり土地勘ない方角で、かつてはどちらかと云うと映画「泥の川」の世界だったんです。 集合場所は住之江区平林、KHSを近鉄大阪難波駅経由で地下鉄住之江公園駅まで輪行して向います。
集合場所に着くとなんと鉄人児玉さんが、案の定御所市から自走、参加者は9名になりました。 車種はランドナー、ミキストから今風の小径車までまちまち、私が一番気になったのはUG兄氏のシルクの24吋スポルティーフ、タイヤはともかく細身のガードが貴重です。
まずは木津川渡船で大正区に、後ろに見えるのは新木津川大橋ですが、ここの渡船は便数が少ないのでこの時間に乗り遅れるとあそこまで押し上げる必要があります。 (Photo:ofはやまさん)
ところで私は参加していませんが「渡船ポタ」は確か2003年にも行なった事がありますが、最近は結構自転車で巡るグループもいて渡船場毎にすれ違ったします。 ここでも私達以外にもロードが1台、効率よく回るコースや渡船の時間もありますので、足の差があっても午前中は一緒の船に乗り合わせる事に。 なおいずれの渡船も地元の人の生活や通勤通学の足として利用されているもの、定員も40数名程度まで、自転車も定員分乗れる訳でもありませんし、最寄駅からの案内標識など皆無に近いです。
8箇所に残る大阪市営渡船の内、USJや海遊館への足にもなる天保山渡船を除く7つの渡船を継いで住之江区、大正区、港区、西成区を巡ります、と行っても走行距離は20キロ余り、走っている時間より渡船を待ちながらの自転車談義の方が長い真正ポタリングです。
木津川渡船と船町渡船の後、なみはや大橋で港区へ、高度差数十mのヒルクライム? お天気に恵まれ大阪市街の高層ビルから生駒、二上、葛城、金剛、和泉葛城の山並みが見渡せます。
第三突堤の名の残るバス停とか貨物線の廃線跡とか懐かしさの残る港区を抜けて、甚兵衛渡船と千歳渡船で再び大正区に戻る頃にお昼、
大正区は沖縄出身の方を多いところで、沖縄料理を出す店も多く、お昼はソーキラーメンを頂きました。
食後は近くの公園で、早すぎるコーヒータイムというかおやつの時間、チーズケーキにチョコレートフォンデュ。 今月78歳の誕生日を迎えられた鉄人児玉さんの即席ですがお祝いを。 そしてますますお元気、ご自身の走行距離と体重をパソコンでグラフにしたものを見せて頂きましたよ。
長い休憩の後、落合上渡船で少しだけ西成区へ、向こうに見えるアーチ状のものは木津川水門、上流側へ倒れる様に回転し、高潮対策の防潮水門としての役目を果たします。 同型のものが安治川、尻無川にありますが、定期的に試験運転がされる様で、一度見てみたいものです。
7つ目の千本松渡船で住之江区へ戻ります。 風もなく時折日差しも入る恵まれた天気、とても愉しい一日を過ごさせて貰いました。
認証が必要ですが、うちのHPの[ツーリングの記録]に写真をUPしました。 [BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2012]と辿って下さい。 いつも通り認証が必要で、ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号の下4桁です、カレンダーの奥付等をご覧下さい。 走ったコースはこちら、参加車両はH氏のこの日のブログで紹介されています。
道路元標蒐集の旅(’12冬 3日目)
新八代0633発の鹿児島本線下り始発に乗車、次の八代で肥薩線0646発に乗り換え、球磨川の流れを眺めながら人吉に向かいます。 車両はキハ31の単行、JR四国のロングシートのキハ32、54に比べると快適です、輪行袋を置くスペースもありますし。
人吉駅で下車、球磨郡山江村へ、人吉市と合併する事もなく、今も現役の村です。
山江村道路元標は旧役場建物の横に健在、解説板も建っていますが、ここでも明治里程標との混同がある様です。 旧役場建物は「時代の駅むらやくば」と云う施設になっています。
人吉駅にもどり「いさぶろう・しんぺい」号で吉松へ、「いさぶろう・しんぺい」号は1日2往復の観光列車で、合わせても1日5往復しか走っていない人吉~吉松間ですから一般乗客のために自由席があります。 普通列車ですので「18きっぷ」でも乗車可能です。
観光シーズンは結構混みますが、この季節の平日、それに「18きっぷ」も今日が最終日とあって乗客もまばら、ガイト役の客室添乗員も手持無沙汰の様です。
観光列車ですので、途中の大畑、矢岳、この真幸駅以外にも展望の良いところで停車しますのでのんびりしたもんです。 ちなみに人吉駅は熊本県、真幸駅は宮崎県、吉松駅は鹿児島県にあります。
吉松駅にて特急「はやとの風」、「いさぶろう・しんぺい」と同様のキハ140,147使用ですが、曲りなりにもこちらは特急ですので座席はリクライニング。
最初は都城経由か隼人経由で日豊本線に乗り換え大隅大川原駅から宮崎県北諸県郡の西岳村道路元標を目指す予定でしたが、吉都線の谷頭駅を下車して向う事に、ところが何を勘違いしてか、ひとつ手前の万ヶ塚駅で下車してしまいました。 まぁ走る距離はさして変わらなかったかも知れませんが。 全く土地勘のない地域をウロウロ走りながら西岳村道路元標へ。 帰途は下り基調の県道を都城へ、都城駅まで1.5キロ程、R10の沖水橋北詰へ出た処で後輪がパンク、都城1625乗車の予定ですから、チューブ交換して走って行くには十分な時間だったのですが、チューブ交換して空気を入れ始める段になって、サイドが大きく裂けている事に気が付きます、空気を入れ続けてもチューブが出てくる様な状態ですがら、もう走行には耐えません。 そうなると都城駅まで押してゆくとなると時間はかなり厳しい事に。 とにかく急ぎ足でKHSを推しながら駅へ向います、今夜宮崎泊で明日も少し走って夜の宮崎フェリーで帰阪の予定でしたが、406-35や37のタイヤが宮崎で入手できるアテもないので、明日走れないのならいっそ今夜のフェリーで帰阪するする方が得策です。 都城駅は北側に改札はありませんが、地下通路があるので一旦南側へ、幸い宮崎行きが1番ホームからだったので、どうにか1625発に乗車する事ができました。 宮崎1734着、宮崎港まで走って行く事もできませんので、輪行袋を担いだまま1750発の宮崎港行き宮崎交通バスに乗車。
宮崎フェリーにはマリンカード会員というのがあり、2000円の入会金を払えば20%の割引が受けられますが、誕生月と前後月の3ヶ月は50%割引2回分の割引券が送られてきます。 1等シングルが空いていたのでちょっと贅沢する事に、通常は20000円もしますが、半額ですので2等寝台との差額は3550円です。
バストイレこそありませんが、輪行袋も入れられますし、けっこうゆったりしたスペースです、難を云えば窓がない事です。 1300円のバイキングと暗くて何も見えませんが展望風呂に入って一路大阪南港へ、なお北九州や別府航路と違い高知沖の外洋を行きますので、この季節は揺れる日もあります。
新八代0633~0636八代0646~0815人吉1008~1121吉松1153~1306万ヶ塚/都城1625~1734宮崎 3,640円分乗車
本日の走行 45.1キロ
道路元標蒐集の旅(’12冬 2日目)
朝日に輝く唐津湾を望む海岸線のR204を行く
佐賀駅0643発唐津線西唐津行きに乗車、始発ではないのですが、西唐津に7時前についてもこの季節まだまだ暗いもので、それに九州ですから関西より当然日の出が遅いです。
唐津までは最近も来ましたが、西唐津駅は40年ぶりです。 広い駅構内が西唐津機関区のあった往時を偲ばせます。 当時は筑肥線の付け替え前で、もちろん唐津駅も現在の高架の駅ではありませんでした。 西唐津から先は呼子線として建設が始まっていたのですが、国鉄民営化の中で結局工事は中断されてしまいました、今もトンネル等の遺構が残っているそうです。
今日は佐賀県西部に残る未収の道路元標を巡る予定ですが、最北の名護屋から有明海を望む鹿島市の七浦村道路元標まで都合8基を辿りながら南下するのは難しそうなので、最初は唐津から西へ向い切木村道路元標から南下しようかと考えてみたのですが、ここへきて北風も強くないので名護屋村道路元標へ向う事にしました。
唐津から名護屋へ向うには海岸沿いに走るR204と、太閤道と呼ばれるショートカットの県道があり4キロ位距離は短い様ですが、山越えの県道の方が交通量が多く、海岸沿いのR204もアップダウンもそれ程でもなさそうなのでこちらを選んでみました。 屋形石まではなかなか風光明媚な海を望むコ-スで自転車で走るならこちらがお勧めです。
呼子でちょっと寄り道、「日本三大朝市」なんだそうです。 その日本三大朝市は輪島、高山に千葉県の勝浦とここ呼子が争っている様です、確かに輪島、高山と比べるスケールは小さいですが、千葉県の勝浦は行った事がないので。 いかシュウマイのバラ売り100円があったので頂きました。
この手のものは苦手なんですが、ナマコって結構エエ値段するんですねぇ。
名護屋村道路元標の後、文禄の役で有名な名護屋城跡を少し覗いて玄海町へ、話題の原発立地の町だけに道路も橋も立派ですが、私が興味を持ったのはこの橋? どうやら「仮屋湾遊漁センター」と云う海洋釣堀へ行くためのものなんですが、誰か自転車で走って。
切木村道路元標、北波多村道路元標、道の駅「伊万里」へ経て南波多村道路元標へ、北波多村からここまでR202は思っていたより車が多くて、それも休日にも関わらずダンプの多い事。 南波多道路元標は「南波多村役場跡」碑として再利用されている様です。
次の若木村道路元標まで少しだけですが筑肥線と並行するので、列車時刻を調べてみると伊万里行きがやってくる様ですので少々鉄分補給を。 今では福岡市地下鉄に乗り入れている筑肥線ですが、唐津より西側は非電化の典型的ローカル線、レトロと云うより廃屋同然の肥前長野駅。
佐賀在のそーつくさんに教えて頂いた杵島郡の若木村道路元標、頭部だけが残されて公民館向かいに放置されています。 基部はどこにあるんでしょう。
住吉村道路元標に辿り着いたのは16時を回った頃、ユニークな視点で書かれた解説板があります。
この後七浦村までは無理としても、嬉野市に残る吉田村道路元標まで行けるかとは思っていたのですが、まだ20キロ近くもあり日没には間に合いそうにありません、名護屋まで北上して自転車ツーリングとしても満足できるコースを走る事ができた事ですし、残り2つの道路元標は次の機会にして長崎本線の上有田駅へ向う事にします。 今夜宿泊の東横イン新八代駅前は八代市街から遠く離れた田んぼの真ん中、九州新幹線の駅前と云ってもコンビニも何もないのです、前回は熊本駅構内のコンビニで買出しして行ったのですが、今日は買い物する時間の余裕がありません。 上有田駅はもちろん有田駅周辺にもコンビニの類はありません、どうやら少し行くと地方スーパーがある様なのでそちらへ向います。
鳥栖駅で鹿児島本線に乗り換え、ここのホームの立ち食いには「アスパラ天そば(うどん)」なるものがあって以前頂いたのですが、どうやら季節メニューの様です、残念。
佐賀0643~0758西唐津/有田1745~1915鳥栖1935~2014銀水2033~2126熊本2137~2209新八代 4,650円分乗車
本日の走行96.7キロ
道路元標蒐集の旅(’12冬 1日目)
九州へは昨年1月に自転車なしで3泊3日、7月末から8月にかけての4泊5日、asuka700cで行っていますが、今回はKHSを担いで行く事に、破れかけていた輪行袋、オーストリッチのちび輪を年末に年末に新調したばかり、目だった不具合はないのですが走行距離的にタイヤがちょっと不安なのが。 今回のメインは佐賀県西部の未収の道路元標数基を順番に6基か7基はGETしたいところ、唐津駅からスタートしたいので、8日泊は御馴染み東横インの博多か佐賀、大阪0650発の新快速のないあ休日ダイヤですが、佐賀まででも問題なく移動できますが、せっかく山陽路を西へ向うのですかた昨年新たに確認された岡山県邑久郡の大宮村道路元標(現 岡山市)へ立ち寄って行く事にして、未明にJR王寺駅まで20キロ余りを自走して行く事にします、真っ暗な川沿いの道ですが日頃から走り慣れている道ですし月夜で明るい事、寒いのは仕方がないと云う事で。 真夜中3時過ぎに桜井を出発し王寺0430発の始発に無事乗車、ここまでしてこのスジを利用するメリットなんですが、昨年夏にも利用してますのでこちらを。
姫路駅0732発の新見行き乗車、発車までに野洲始発の快速が追いついてきてきっちり満員になります。 重くてデカい輪行袋を担いでいると、乗換時間や階段、車内での置き場所とか色々と考えておかなくてはならない事が多いです。
山陽本線姫路以西は主に115系か117系です、115系の時はトイレ付き夏は弱冷車となる先頭車のこの場所に陣取ります、先頭車なので時々’鉄ちゃん’がウザいのですが、余程混んで来ないと隣に座る人が来ない席なんです。 今回は東岡山で下車して赤穂線で少し引き返して大富駅へ、大宮村道路元標まで往復20キロ程の行程なのですが、その道路元標が非常に判りにくくて、予定より遅れて西大寺1142発に乗車、佐賀までは行けなくはないのですが、門司駅乗換え1分はタイトです。
糸崎駅にて、どうしてもここで乗り換える事が多いです「18きっぷ」で長時間普通列車を乗り継いで行くと、食事や食料の補給も考えておかないといけません。 糸崎は私の世代の’鉄’な人には色々と思い入れのある地ですが今は売店もなにもありません、ただ駅を出て東へ少し歩けば地元スーパーがあります。
岩国、下関4分、門司1分での乗り換えを無事にこなし鳥栖へ、肥前山口行きを待ちます。 今日の様に柔軟に予定を変更すたりするのには一覧性の高い時刻表が一番良いのですが、そうも行きません、最近はジョルダン「乗換案内NEXT」に頼る事が多いものの、スマホ版は行儀が悪くて一日何度リブートさせる事やら。
鳥栖から長崎本線は817系、水戸岡デザインの815系のクロスシート版、カラフルな内装の815系に対して木と本革のデザインは、座り心地はともかく今なお新鮮ですが、使い込まれてくると、座席の強度、扉内側の塗装に問題がある様ですね、佐賀2229着。
王寺0430~0503新今宮0512~0529大阪0540~0645西明石0646~姫路~東岡山~大富/西大寺1142~1337糸崎1358~1620岩国1643~1955下関1959~2007門司2008~2152鳥栖2204~佐賀2229 11,760円分乗車
本日の走行20.7キロ
三たび石舞台、「霧立つASUKA・・・」
伊勢本街道ツーリング
昨日は一旦は晴れマークが少し出ていた三重県の天気予報、今朝になると再び悪くなってます。 相棒は既に現地で待機していますので、たとえ雪が降ろうともとにかく集合場所の榊原温泉口駅までは行かなくてはなりません。 雨仕度を少し強化して0754発の宇治山田行き快速急行に乗車します。
榊原温泉口0853着、既に鈴鹿のあびさん他3名の方が駅前に待っておられ、東京から始発の新幹線と近鉄特急を乗り継いで来られる田村氏の到着を待ちます。 輪行袋から出てきたのはシクロツーリスト誌でお馴染みのスポルティーフですね。
今日のコースのテーマは伊勢本街道なのですが、途中の多気宿から走りだすために、近鉄の榊原温泉口駅からのスタートとなっていて30キロ近く南下しなくてはなりません、一昨年の台風禍で不通になったままの、JR名松線が運休中でなければ終点の伊勢奥津駅からのスタートも考えられるのですが。 <28>亀山白山線を南下し、名松線沿いの<15>久居美杉線を走り、伊勢竹原駅付近から<29>松阪青山線に入り君ヶ野ダムへの登りへ、しかし日頃ご一緒していないメンバーですし、結構ええペースなんで大変です。
君ヶ野ダムの天端道路から暫く対岸路を走った以外は、いずれも走った事のある道で、ずいぶん久しぶりですが、八手俣川沿いの道はあまり変っていません。 お天気は小雨程度がが降ったり止んだりと云う感じで雨具を出す程でもない程度です、下之川の清水峠への分岐にある大清館の前で一服。
途中で少し雨が酷くなってきたので北畠神社前で少し雨宿りしたあといよいよ伊勢本街道へ、古い宿場の趣きを残す多気宿で写真を。 この後丁度良い時間ですので道の駅「美杉」でお昼にします。 食事の後も雨は止むこともなさそうなので、いよいよポンチョをかぶって雨仕度です。
伊勢本街道のこの辺りを走るのも随分久しぶりですが、仁柿峠まで道路改良がすすんでいて峠も大きく切り下げられる工事が始まっています。 ただ松阪市側は昔と変わらず延々と林間の下りが続きます。 おかげでブレーキシューがかなりちびってしまいました。
峠を下りたら少しは雨も収まっているかと淡い期待を持っていたのですが、そうは思い通りには。 R166に入り昨日走った立梅用水沿いの道のこちら側を黙々と走り、小片野から櫛田川寄りの道をとります。 今回はあびさんがコースリーダーで私はゲストなので、すべてはお任せして安心して後をついて行って楽させて貰っていたのですが、津留の渡しのところでコースミスをしかけたので、ついつい口をはさむ事に。 津田村道路元標の横を通り、四疋田の常夜灯から相可の道標広場へと伊勢本街道をなぞって行きます。
今日のあびさんはTOEIのパスハンターでの出撃だったのですが、道の駅でトップチューブに傷をつけた上に、フロントディレーラーとチェーンのトラブルに見舞われる事に。
途中からダートに入ります、伏拝坂と云う処で、私はまったく始めての道です。 濡れたダートにちびって効きの悪くなったブレーキとかなり厳しかったですが、お天気の良い日に再び走ってみたいルートです。
この後、田丸を過ぎてから信号でちぎれてしまった私が、予定のコースを忠実になぞってしまったために、どこかで待ってくれていた皆さんを抜かして先に度会橋に着いてしまうと云うアクシデントがありましたが、16時40分目的地の伊勢神宮外宮に無事到着しました。
伊勢市駅に到着、ここからそれぞれ輪行で帰途に就きますが、皆さん名古屋線方面なのでここでお別れに、今日は有難うございました。 本日の走行86.1キロ、昨日と合わせて227キロと久しぶりに連荘で良く走りました。
輪行で桜井駅に降り立つと土砂降り、いまさらドロドロの自転車を組み立てる気力もないので、10分とは掛かりませんが雨の中を輪行袋を担いで帰宅、今日一番の「濡れ場」でした。
R166旧道脇道裏道回送ツーリング
明日30日は鈴鹿のあびさんから「伊勢本街道ツーリング」のお誘いを受けているのですが、集合場所は近鉄大阪線の榊原温泉口駅に午前9時との事、自走では桜井からR165を走れば約60キロ、一本道なのですが、交通量が多い上に青山峠の白山トンネルが控えていると云う、自転車にとっては何も愉しくないコース、それを日も短くなってきたこの季節に走って、本番のツーリング80キロは些か大変過ぎます。 輪行なら急行乗り換えなしで1時間と楽勝なのですが、あまりに芸がないのと輪行仕度も邪魔臭いので、前日の今日かなり遠回りですがR166で高見峠を越えて松阪の手前から北上し榊原温泉口駅を目指す段取りです。
西峠を上り榛原から芳野川沿いの道へ、ご覧の様に最高のお天気です。 ただ昨日の時点で明日の予報が思わしくなかったので、今朝の天気予報をみて改めて明日のツーリングを決定すると云う事ですので、中止ならば中止で回送はやめて旧道の高見峠まで往復してみようかと。
菟田野町の大きな旧家の前にて。 この後松井橋のローソンで食料を買い込み一谷峠への道へ、本来R166は佐倉峠~木津峠を経て高見峠へ向うのですが、せっかく東吉野村を通るのですから「月うさぎ」へできたての「猫カレンダー」を少しでも届けようと持ってきているので、今日はこちらのコースをとります。 最高のお天気の下、ご機嫌で走っていると追い越しざま幅寄せする車が、….と運転手を睨み付けると「月うさぎ」のオーナーでした(^_^) 「載って行きますか」とのお言葉は遠慮させて貰ってもちろん走ります。 一谷峠への途中であびさんからメールが、明日は予報も多少良くなっているので決行との事、確かに三重県だけ晴れマークが少し。
「月うさぎ」にカレンダーを届けて先を急ぐ事にします。 高見峠への旧道ですが3週間前は通れないとの情報でしたが、現在は「通行止」などの案内はありませんでした、まぁ旧道峠を越える余裕はなく紅葉にも少し早いので今日は素直にトンネルを抜けてループ橋を下る事に。 しかしR166の交通量が増えた様な気がします、台風禍以降長島、尾鷲方面への車がR169を避けてこちらへ流れる様になったのでしょうか。 今では高見峠を越えると三重県松阪市になってますが、まだまだ市街へは60キロ以上あります。
R166は東吉野村鷲家で紀ノ川筋を遡ってきた和歌山街道となります、紀州徳川公が江戸初期に参勤交代に利用した街道で、松阪で参宮街道に繋がります。 ここ数年でずいぶん道が整備されましたが、雰囲気の良い旧道も残っていますので、自転車向きのマニアックな旧道脇道裏道を縫って行きます、このコースは2007年に2度ばかり、皆さんを案内して走っているのでご存知の方も多いのです。 「R166旧道脇道裏道ツーリング」でググると天五さんの動画とか一杯でてきますし、SORAさんのブログもお勧めです。
まずは車が渡れない様に規制された橋を渡り波瀬の集落へ、現在の国道から離れているために、ここだけ時間が止まってしまった様な佇まいの家並みが、和歌山街道波瀬宿、本陣や旅籠跡に建つ旧家が並び、そして里程標や丸ポストなんかも立っています。
R166は高見峠を越えてから小片野まで櫛田川に沿っていますが、新しく整備された道はバイパスとなっている処が多く、この様に川沿いに雰囲気の良い旧道が昔のまま残されています、車も地元の人が行き交うだけです。 写真は乙栗子を過ぎた辺り。
和歌山街道で外せないのはやはり珍布(めずらし)峠、最近はウォーキングコ-スとして案内板が整備されたりしていますが、 やはり判りにくいです。 旧R166(今は一応R422に)の赤桶橋の下をくぐって行きます。
見事な切通しの珍布峠、前後には色々と曰くありげな案内もあります。 なおこの峠を東に下ると宮前集落に出ますが、R166沿いの道の駅「飯高駅」を通り過ぎた処ですので、あてにしている方は注意が必要です。
一度国道に出ますがすぐに櫛田川に架かる黄色い橋で対岸(右岸)へ渡り、県道<745>片野飯高線に入ります。 高見山から東に延びる山塊の東端にあたる局ヶ岳をバックに櫛田川に架かる新旧の橋、なかなかのビュ-ポイントなのです。 ちなみに櫛田川の北岸には中央構造線が知っているために、それに関係する案内も見られます。
片野飯高線はR166の対岸を走るのですが、R368を越えて立梅辺りから先は、地形図で点線道になっていますが、最近グーグルマップを見ていると、幅員はないものの舗装はされている立梅用水沿いの区間より、しっかり書かれていますのでどうやら整備されたのかと、いままで踏み込んでいない貴重な道だけに、これは行くしかありません。 しかし行く手には「通行困難」の案内板と未舗装路が。
意外とダート区間は短く、その先は道路と云うか堰堤というかコンクリートの回廊が、小匠ダムを彷彿とさせ、その上洞門まで。 危険なので殆ど押してましたが、MTBなら99%乗車可能です。
一キロ足らずでガードレールが見えてまともな道に、振り返るとこんな感じです。
どうやら文政年間に開削された立梅用水は昭和に入ってトンネルでショートカットされるまでは、このルートに沿っていて、洞門はその時の名残の様です。
ようやく立梅用水の快適な疎水沿いの道へ、対岸のR166は深野の街並みの中で路肩が狭く走りにくいのですが、こちら走ると格段に快適です。
小片野で櫛田川と離れR166で瀬戸峠を越えて、辻原から北上し、近鉄大阪線川合高岡駅を目指します、ただ「旧道脇道裏道」を縫って走っていたのですっかり遅くなってしまい、五輪峠を越える頃には16時をまわってしまいました。
それでも川合高岡駅辺りまで良かったのですが、そろそろ暗くなってくるので、雲出川北岸の道を避け様と考えているうちに名松線の伊勢川口駅方面に入ってしまい、計画より5~6キロ程遠回りして、19時前にようやく榊原温泉口駅に到着しました。 予定では駅の自転車置き場に相棒をしっかり括り付けて、明朝まで置き去りにするつもりでしたが、その適当な自転車置場がこの榊原温泉口駅にはありません、これは一つ東の大三駅まで戻るしかないかと少し引き返すと、単車自転車預かり所の看板が、ここなら100%安心とその上おばあちゃんは一泊200円にまけてくれて、フロントバッグだけ担いで再び駅へ戻ったのです。 本日の走行141.6キロ。
東吉野へ
紀伊半島を襲った台風12号、その被害の全貌はまだまだ明らかになってもいないのですが、来月に予定している「月うさぎキャンプ」へのアクセス路や「月うさぎ」そのものの被害も心配なので、久しぶりに芋峠を越え吉野川に沿って東吉野へ向かいました。 まずその前に明日香村稲渕で行われている「かかしコンテスト」へを立ち寄ります。
芋峠への道は行者辻の手前で柴が散乱しているのと、吉野側で倒木の枝が道を半分塞いでいる程度で、通行にさして支障はありませんが、ロードバイクとかで下りを飛ばしすぎていると危ないかも。 定番の津風呂湖畔は<256>入野河原屋線が危なそうなので、吉野川沿いにR169まで下り、R370から<16>吉野東吉野線へ入り、一気に小のみたらしだんご屋さんまで走り抜けます。 ロードの先客が、すみません物覚えの悪い私は記憶がなく失礼しました「よろづ」で一度二度お目にかかっている方で、大峠を越えて回ってこられた様で、暫くみたらしだんごを頂きながら情報交換、どうやら<221>小村木津線の一部が通行止めで対岸路に迂回している様ですが、蟻通から先R166までは問題なく抜けられる様です。
熊野の事を思えば東吉野村の被害は少ないようですが、麦谷の方で土砂崩れがあって、高見川の水の流れは濁ったまま、流された橋もあります。 また対岸路の低い処では、高見川の増水で冠水していた様で、乾いて土埃が酷いところが一部あります。
蟻通橋から東吉野キャンプ場の方を見下ろします、ご覧の様に濁っていますが、左から流れ込む高見川の流れはかなり澄んできています。
R166まで出てきました、御馴染み関西のマッターホルン高見山の全貌が。 風が爽やかで気持ちの良い天気ですが、空気が澄んでいる分日差しがキツいです。
<251>谷尻木津線は通行止の看板が出ていましたが、どうやら大丈夫そうなので進む事に、道路上の土砂等はかなり撤去されていますが、かなり崩れたいた場所もある様で、一部電柱が曲がったままの場所もあり、谷尻集落内で復旧工事が行われていましたが、まもなく通行止は解除されそうな感じです。
谷尻集落の三叉路から<31>榛原菟田野御杖線に入りますが、脇の林道が川の様になってあふれ出してきているので路面はご覧の通り、まぁガード付きですからどうって事はありませんが。
肝心の「月うさぎ」ですが、さすがに台風の当日は停電でポンプが動かず大変だった様ですが、後片付けされた後とは思いますがご覧の様に建屋等などには被害はなく、来月のキャンプには影響はなさそうです。 ただ大銀杏が葉も実も落としてしまったので、今年の黄葉は残念かも。
谷尻集落まで戻り、一谷峠を越えて菟田野経由で「おごぽご」に立ち寄って帰ってきましたが、こちら側からのアクセスは全く問題なしです。 ただ室生から染谷峠を越えて東吉野村滝野へ出るルートは、6月に崩れた箇所が交互通行まで回復していたのが、再び通行止になっていて、こちらは厳しそうです。 本日の走行93.0キロ。