頼んでおいた本が届いた、表題の通りの兵庫県下の道路元標を著者が10年の歳月をかけて探索した資料である。 道路元標が設置されたであろう400余りの行政区を巡り217基の現存を確認し写真に収めている。 奈良版とも云える「道路元標を尋ねて -奈良県ふるさとめぐり-」(上田倖弘著 弘道社)に比べると読ませる部分や周辺の写真や地図がなく、単に情報の羅列と云う感じもなくはないが、元標の存否を知る事ができるだけでも貴重な資料である。 A5版160頁、頒価\2,200_
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道路元標探索サイク(その2 続き)
日野商人街道と呼ばれる旧街道を旧西大路村域を探索しながら東へ、車も少なく自転車には走りやすい道なので国道477号線を平子峠へ向かうにはお勧めのルートです。 音羽から県道<182>西明寺水口線で鎌掛(かいがけ)峠を越えて旧鎌掛村域へ、ここでも公民館で訊ねたりしみましたが、新たな道路元標は見つける事はできませんでした。
↑裏側に昭和12年と記された新しい道標が...
鎌掛から県道<41>土山蒲生近江八幡線を南へ、笹尾峠の西側を越える無名の峠ですが、古い溜池の傍を通ったりして雰囲気の良い道で、私の好きな道のひとつです。
←鎌掛から峠に向かって
土山から大原ダム経由で油日へ出る計画でしたが雲行きも怪しいし時間も押しているので県道<24>甲賀土山線と県道<4>草津伊賀線で柘植へ向かう事に、未収の倉歴(くらぶ)越をゲットする為に旧道へ入ろうとしますが、現在の県道が高架でJR草津線を越えているのに対して旧道は線路で分断されていててこずってしまいます。 とにかく倉歴越まで少し登り返す事に。
加太越え大和街道沿いに復元された里程標とともに建つ東柘植村道路元標をゲットして、旧街道を西へ...
←西柘植村道路元標が建っていただろう場所はこうなっていますが、元標は見当たりません。
府中村道路元標が建つ佐那具に着いた頃にはすっかり真っ暗に。
伊賀上野?御斉峠「牛タンとろろ」ツーリングの最後の休憩ポイントでお馴染みの佐那具駅に立ち寄った処で雨が本降りに、上野市街へ走って後数キロウロウロすればセンチュリーランになる距離なのが残念ですが、雨の中暗い道を走るのもとここから輪行で帰途に就く事に。
しかし未知の道路元標を見つけ出す事は今回もできませんでした。
本日の実績、道路元標×6、峠×3、丸ポスト×6、走行距離151.1キロ。
食べ過ぎサイク
今日もR氏と走りに行く事となりましたが、コースは旨いもんやと道路元標を繋いで走っていた様な... まずは待ち合わせ場所の長谷寺門前「宝園堂」で「山菜おこわ饅頭」を買います、今の時期には季節限定「松茸」バージョン」があるのですが、値段が山菜や栗と同じ\150なので、松茸そのものが入っている確率が... 今日はハズレでした、季節限定だし高くても良いから「松茸」をもっと入れてほしいとお願いしましたよ。 草餅も2個買って初瀬ダムまで登ってから戴く事にします。
小夫から白木街道に取り付き鳥見山山腹を走り榛原へと下ります、しかしこの時期は紅葉にはまだまだ写真の題材が乏しいです。 榛原町と内牧村の道路元標をGETし八沢隧道で菟田野へ越えます。 少し南側に県道<218>内牧菟田野線があるのでここを経由するのは始めてです。 菟田野側の斜度はややありますが下るとなかなか雰囲気の良い風景の中を走ります。
伊那佐村、宇太村と道路元標をGETしてから、佐倉峠を越えて東吉野村へ入り、高見村、小川村、国栖村、中荘村、上市町の道路元標をGETする計画も考えていたのですが、ショートカットして松山町、神戸村をGETしてから多武峯村へ向かう事に、宮奥ダムへ登ってコンビニ弁当とR氏が道すがら買った宇陀の銘菓「きみごろも」と「宇陀川」を戴きます。
↑某トンネル、取り付け路が未完成のために未供用なのですが地元の車はもう使ってます、従って照明は点いていませんし全長1800m余りでカーブしていてライトがないと全く走れません。 距離的にショートカットにはなりますがトンネルまでかなり登る事になるので自転車にとってあまりメリットはありません、車の多いR166女寄峠を通らなくても良いと云うだけです。
未収の多武峯村道路元標は談山神社前にあります、従って「灯篭亭」の前。 宮奥ダムでお昼にしたばかりなのでお腹は空いているはずもないのですが、素通りす訳にも行かず店内に、R氏は串こんにゃく私はおでん盛り合わせ頂きますが、とどめに新製品の「古代米餅」を試食させて貰いました、古代米で作った皮に黒ゴマ餡が入った焼き餅でこれはなかなかイケます。
多武峯と明日香を結ぶ<155>多武峰見瀬線はいまだに開通しません、工事は東西から徐々に進んでいるみたいなので試しに突っ込んでみると工事は意外に進んでいて、どんどん下って行けます、一瞬このまま走り抜けられるのではと思ったのですが... 案の定「橋がない(*_*;」 結局はハイキングコースと交差する処まで登り返して山道を押し担ぎで下る事に(^_^;)
結局はR氏を私の道路元標蒐集に付き合わせてしまった様なサイクでしたが、いつもとは一味違うルートを設定する事になるので未踏区間もあったりして少し新鮮だったと...
本日の走行71.1キロ、しかし摂取カロリーは考えたくもないです(^_^;)
大黒屋さん主催「鴨池キャンプ」 (2日目)
翌朝キャンプ場に奈良競輪場のバンク走行会での落車事故で骨折、暫く自転車に乗れなかったU兄氏が現れ今日は復活サイクです。 この後当日参加のTETUさん、お久しぶりのT.Tanabe氏が到着、今日は8名で走る事になりました。
TETUさんはトライクスで参加
鴨池キャンプ場から権現湖畔?平荘湖畔と走り加古川河畔にでます。
加古川では「穴子めし丼」を戴きます。
鴨池キャンプ場への帰途は加古川河畔を走りますが、向かい風がキツくって大変。 私は9氏と合流するためにここでお別れし三木市志染へ向かい15日のサイクを終えました、走行48キロ。
←後ろはJR加古川線の鉄橋、実はこの地を訪れるのは30数年ぶりです、うちのHP中の俯瞰写真には下流側から見たこの鉄橋が右上に写っています。 この時代には走っていた河畔の防災道路はありませんネ。 既にうちのHPの「ツーリングの記録」に写真をアップしていますが、どうしても大黒屋さんとトライクスのTETUさんばかりが目立って写ってますm(_ _)m
大黒屋さん主催「鴨池キャンプ」 (1日目)
丹波篠山~加古川河畔サイク
大黒屋さんの主催で14?15日に小野市鴨池でのキャンプに参加がてら、往路は篠山市古市から道路元標蒐集を兼ねて100キロ近くを走る事にしたのですが... 桜井線~関西線~学研都市線と乗り継ぎ長尾駅でNちゃんと合流、JR福知山線篠山口駅の2つ手前の古市駅まで輪行します。
旧街道の街並みが残る古市ですが、JRの駅は雰囲気も愛想もない無人駅です。
古市村、城南村、八上村、畑村と順調に道路元標をGETして、一昨年のS翁の「篠山ミステリー?峠ツアー」で入れなかった某そば屋へ開店前の10時40分には到着、11時に順番待ちの番号札6番を貰って注文してようやく中に入れたのは11時半(^_^;)
席は囲炉裏のそばの一番良さそうな席でしたが...
正直云ってエエ加減な私の味覚ですが、それ程のものとは... 甘党なので時間があれば「そばがきぜんざい」なんぞを戴いて見たかったのですが。 店を出たのは12時15分、ここで1時間半の時間のロスは大きいです。
キャンプへは何か一品と云う事なので、城北村道路元標をGETとしてから篠山市街へ入り「黒豆パン」を買います、なんとここのお店は「黒豆パン」だけしか売ってません。
篠山市街を離れ’岡野村’なる怪しげな名に’南河内村’、’大山村’の道路元標をGETして<97>丹南三和線を走り栗柄峠へ、谷中分水界としては標高が100mに満たない’水分れ’の方が有名ですが、絵に描いたような片峠の栗柄峠の方がずっと面白いです。
<97>丹南三和線から栗柄峠に向かって<69>春日栗柄線にはいると黒豆枝豆を選果している作業場で直売していたのでGET、枝のついたものは1kg\650、鞘のものは1kg\700でした。
夜キャンプでゆがいて戴きましたが実も大きく味も良くて好評で、バックの中で押しつぶされかけていた折角の「黒豆パン」は影が薄くなってしまいました。
栗柄峠を下る(登りはありません)と日本海側の由良川水系に一度入って氷上郡の’黒井村’と’船城村’の元標をGETして日本一低い中央分水界の’水分れ’へ、
←雫が左右に別れるってモニュメントですネ。
この後標高の一番低い地点を探していたら道を誤ってR175ではなくR176を柏原方面へ走ってしまい<290>稲畑柏原線の小さな峠を越えてショートカットする事に...
加古川河畔は基本的にR175ですが、交通量の少ない対岸の県道や旧道区間を選んで走ります。 旧氷上町の錦橋から佐野橋と僅かな距離ですがこんな道もあります、このまま続いていれば最高なんですがネ。
‘黒田庄村’の元標をGETして’日本へそ公園’へ、時間が押しているので北緯35度東経135度の標柱へは行きませんでしたが、今日の予定は一応これで全て消化、しかしもう少しのんびりと走りたかったです。
←今年春に電化されたJR加古川線の’日本へそ公園’駅、比延駅と黒田庄駅の間にできた新駅です。
西脇市域を南下し5時過ぎにはいよいよ日没です。 旧社町域(加東市)でNちゃんが今日12個目の道路元標を発見、今日予定していた11個以外の収穫です。 だいたいが事前に判っていなかった場所で元標を見つけた事は私もありません。 たった1日で彼女は立派な道路元標ハンターになってしまいました(^_^;)
キャンプ場近くまで辿り着いたのは6時過ぎ、キャンプ参加の大黒屋さんとA氏にNちゃんを輪行で帰途に就く加古川駅まで送って貰う事になり、私は何故か自転車で117国をまわって世界一周をしたM氏の車の先導で真っ暗な山道をキャンプ場まで登って今日のサイクを終えました(^_^;) 走行112.1キロ、AVS21.1キロ也。
「大和高原早朝ラン」
北山のマドンナD女史がS翁の肝いりで作ったスポルティーフのお披露目ランをしようとUG兄氏の呼びかけで行われた大和高原早朝ラン、誰が来るのか把握していなかったのだがフタを開ければ枚方から自走で途中合流のN嬢を含めて15名が集まって走る事となった。
名阪国道道の駅「針テラス」には集合時刻の7時にはまだまだと云うのに続々と集合、やはりスポルティーフのお披露目ランとあってガード付きでの参加が...
自転車も乗り手も今日の主賓です。
今日のコースは50キロ程の距離ですが、ちょっとした峠道や、渓谷沿いの道や、田園風景と変化に富んだコースです。
奈良県道47号線、ここから大柳生へは展望の良いダウンヒルが...
沈下橋?みたいのもあったり...
既にうちのHPの「輪」→「ツーリングの記録」に写真をアップしていますので、そちらもご覧下さい。
往復自走を含めて本日の走行101.0キロ也、いつも登るばかりの<38>桜井都祁線を下って帰りましたが、向きが変わると風景が新鮮でした。
朝の大和高原
今日の「大黒屋さんスポルティーフお披露目ラン」の集合場所の名阪針I.C.へ向かうために暗い内から走り出したのですが、旧都祁村に入った辺りでちょうど日の出となり、集合時刻には少し余裕があるので「三陵墓古墳群」付近へと寄り道してみた。
この辺りは田圃や集落、里山が点在しています。
あまり知られていないのですが旧都祁村南の庄にある「三陵墓古墳群」は史跡公園として整備されていて、こんな弥生人?のモニュメントまであります。
湯浅~御坊ルートの謎
昨日のツーリングで父親の郷里に立ち寄った事の報告がてら実家に電話したついでに長年の疑問を聞いてみた。
戦後暫くしてから船場で商売をしていた父親が始めて買った自動車、と云ってもマツダの3輪トラックK360だが、それに乗って父親の郷里へ帰ったのは昭和30年代後半の事で煉瓦造りの対向困難な小さなトンネルを通った事だけを幼心にも鮮明に記憶している。 ただ当時も湯浅町から郷里のある日高町には幾つかのルートがあってどのルートをとってどのトンネルが記憶に残っているのか良く判らない。
昭和41年に現在の水越峠が開通するまでR42は津木廻りの<21>広川川辺線?<176>井関御坊線のルートで原坂峠鹿ヶ瀬隧道を越えていた、昨日越えた切貫峠由良洞隧道はもちろんあったが由良以北はあの狭い離合困難な<177>南金屋由良線で水越峠を越えていたのかと思ってしまうのだが、よくよく地図を眺めて見ると水越峠の北側へは現在のR42を挟んで<177>南金屋由良線の反対側(南側)に黒線道があり、これで谷を詰めるだけ詰めて水越峠へ取り付くコースも存在している。
しかし電話で話しをしていると津木廻りルートは知っていたが、衣奈を経由する海沿いの話がしきりにでてくる、しかし白崎海岸の記憶がない様で、その上当時はそのルートは存在しなかったと思われる、そうなると湯浅から海沿いに南下し衣奈から衣奈隧道で山越えし由良へ入ったのだろうか... 逆に謎は深まってしまった。 由良、日高町史か古い地形図をあたって見なければ...
←原坂峠鹿ヶ瀬隧道、但し熊野古道の鹿ヶ瀬峠の位置とはかけ離れている、現在は新しい新鹿ヶ瀬トンネルが開通している。 私の記憶では由良洞隧道の方がそれらしく思えるのだが...
←現在のR42水越隧道の真上にある水越峠、しかし前後の<177>南金屋由良線には全くと云って云い程離合できる場所がなく、車の少なかった時代とは云え湯浅?由良を結ぶ主要ルートだったとはとても考えにくい。
おまけに今日も一っ走り(^o^)
昨日はU兄氏はお仕事で日曜なら走ろうと云う事に、当初は和歌山県湯浅付近を起点に御坊にかけての山越え旧道と海沿いの道(きららときめきロード)周回を考えたのですが、2人では勿体ないので北山村デポで熊野の一の水峠と大峪峠へ行こうかと考えてみたのですが熊野方面の天候が思わしくないので、結局は当初案の湯浅?御坊周回コースへ行ってきました。
湯浅から水越峠へみかん畑の中を走る、これでも県道<177>南金屋由良線、斜度はそれ程でもなく私でさえインナーへ落とす事なく登りきれます、路面状態は峠に近ずくにつれて落葉や小石が多くなり水溜まりもありますが、崩れた路肩や法面もマメに補修されています。 ランドナーにはぴったりの道です、でロードの私はきっちりパンクさせられてきました(^_^;)
水越峠に続いて、由良と御坊の間の)<23>御坊湯浅線切貫峠(157m)を越えます。
由良洞隧道、由良町側はモルタルで補修されてしまいましたが日高町側は時代を感じさせる立派な煉瓦のポータルが残っています。 先の<177>南金屋由良線と同様にR42の上を縫う様に通じているので、まるで旧R42の様に思えますが、R42が指定された当時は東よりの<21>広川川辺線?<176>井関御坊線のルートだったそうで、このコースがR42に指定された期間は無い様です。
今では野上電鉄も有田鉄道も無くなってしまいましたが、御坊市内では紀州鉄道(旧御坊臨港鉄道)の踏切を渡ります。 さすがにもうかつてのキハ41000系統の車両ではなく、キハ17系統の車両です、江若鉄道の残党かなぁ...
煙樹ヶ浜海岸で昼食にしてから、さすがに日の岬は遠慮しましたが通称「キララときめきロード」<24>御坊由良線?<23>御坊湯浅線と継いで海岸沿いの道を北上します。
白崎海岸を目指します。
由良町小引にて、執拗にアップダウンが繰り返される海岸沿いの道。
本日のDST80.2キロ、AVS18.0キロ、昨日の今日ましてパートナーがパートナーだけにキツいかなと思いましたが、曇り気味の天気だった事もあって暑さに苦しめられる事も左程無く意外と楽に走り抜けました。 JR湯浅駅前発着でのんびりと休憩したりしていたので所要時間は8時間弱、実走時間は4時間半程です。

