梅雨入りが発表された日こそ降ったもののその後は全く降らず、とても梅雨とは思えない爽やかなお天気の続く毎日、まぁ陽も長い事ですしロングライドにはうってつけの季節ですね。さて先月15日の「東の海へ」に続いて「西の海」を目指します。出そびれたり挫けたりで3度目の正直と云う事なのですが。
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北陸線廃線跡と河野しおかぜライン
「CanCan謹製カレンダー」の常連モデルだったNちゃんと久しぶりに走りに行こうと云う事に、色々とプランも出たのですが、最近とみに鉄分多めのNちゃんからは「片鉄ロマン街道」こと片上鉄道廃線跡の案、ただ「青春18きっぷ」のシーズンでもないのに和気まで往復するのも何だか、ちなみに桜井から和気まで往復7,340円も掛かります。そこで廃線跡繋がりで敦賀まで往復輪行で北陸線山中越の廃線跡に行こうと云う事に、敦賀なら現在発売中のJR西日本「関西1デイパス」を使えば桜井から往復5,180円の処を3,600円で行って帰ってこれます、ただ「18きっぷ」の事を思えば割安感は些か少ないのですが。
「関西1デイパス」季節ごとにタイトルや特典を変えて発売されているのもので、京阪神エリアの普通列車のみに乗車できるフリーきっぷなのですが、「18きっぷ」とは異なりこども運賃の適用があります。ただ発券時に乗車日の指定が必要で、従って当日朝に買いにくい駅からの乗車では注意が必要です。特典の方は水上バスとかは輪行サイクリストにはあまり縁のないものですが、6月4日分まで発売される「春の関西1デイパス」に関しては別途、新今宮から南海高野山、京都および鶴橋から近鉄長谷寺~室生口大野等の往復チケットを貰う事ができます。

桜井から敦賀までJRのみ利用での始発では敦賀0950着となってしまいますので、奈良まで20キロ余りを自走して奈良0522に乗車、京都駅ホームでNちゃんと合流し湖西線経由で敦賀へと向います、ただ誤算だったのは近江今津で接続の福井行きは折り返しで反対ホームからの発車だった事。ともあれ0846には敦賀駅に到着、駅前に保存されている9600の動輪の前で輪行支度を解きます。
北陸本線山中越の杉津(すいづ)線廃線跡については色々なサイトで紹介されていますので、ここで詳しく紹介はしませんが、1962年に北陸トンネルが開通するまで敦賀~今庄間を結んでいた線路跡で、多くは県道として利用され山越え区間に9つのトンネルが現存しています。私自身は2009年6月に3度目の金沢自走の途中に経由しましたが、その折はR8深坂峠を越えた後、敦賀市街には下らずに笙の川に沿って北上し池河内湿原から獺河内(うそごうち)に下り廃線跡ルートに入ったため、敦賀駅から辿るのは今回が初めてです。写真は北陸トンネルに入って行くサンダーバードですが、杉津線は木の芽川に沿った谷あいへと入って行きます。
今回は下調べをしていなかった為に未踏の取り付き部分でで道を間違ってしまい西側の北陸道の上り線寄りの谷に入ってしまいました。お陰で建設中の新北陸トンネルの坑口を覗く事ができましたが。

一旦R476まで戻って仕切り直しです、樫曲隧道はR476の歩道トンネルとして利用されていて、レトロな意匠の水銀灯が自動点灯する様になっています。葉原まではR476を辿れば良いのですが、断続的に旧道を取ります。この辺りでは廃線跡は北陸道とR476に再利用された形となっています。
葉原界隈は田植えの真っ最中、獺河内から北は以前にも走っているのですが、記憶が曖昧と云うか、R476の改良で風景が変わってしまっている様な、少々道を間違えたりとご愛嬌。
葉原からは廃線跡そのものが道路となり忠実に辿って行く事ができます。北陸道の上下線に挟まれる様な形で山越え区間の最初のトンネル、葉原隧道へ、抜けると一旦日本海側に出て鮒ヶ谷隧道~曽路地谷隧道~第一観音寺隧道~第二観音寺隧道~曲谷隧道~芦谷隧道~伊良谷隧道と続き、その間断続的に日本海の展望があり、最後の山中隧道で再び内陸側へと入ります。なお葉原隧道と8つ目の伊良谷隧道は交互通行の為の信号が設置されています。

曽路地谷隧道を抜けた辺りにかつての杉津駅があったのですが、現在の北陸道の杉津PAに潰された格好になっています。海側から登ってきた道路と合流し県道207号今庄杉津線となります。

先の樫曲隧道と後からでてきます湯尾隧道を含めた11のトンネル他が2016年に「旧北陸線トンネル群」として登録有形文化財に指定されています。現在山中隧道が補修工事中で土日祝と観光ツアー実施日以外の日中は2017年8月4日まで通行止との事ですのでご注意下さい。文化財になって観光ツアーもと云う事ですが、好天の日曜日なものそれらしき車や単車は数える程、自転車のペアが反対側から1組走ってきた程のものです。

最後の山中隧道を抜けるとスイッチバックのあった山中信号所跡、左側は引き上げ線の跡です。ところで写真は誰が撮ったのかって、合成です(^_^)

今庄に向って快適ダウンヒルですが、途中の大桐駅跡で小休止、ここにはD51の動輪が展示されています。
今庄の街、宿場町の街道へ入ります、旅籠跡を再生した見学施設でお蕎麦を出しているので、お約束の今庄そばは此処で頂く事にします。

おろし蕎麦のみのメニューで700円也、見学はともかくお蕎麦の提供はいつもやっている訳ではない様ですが、お蕎麦屋さんは他にも駅前や国道沿いに幾つもありますので。ゆっくりさせて貰った後、丁度13時に今庄を後にします。
山中越えの杉津線からは離れていて見落としがちですが、同じく「旧北陸線トンネル群」として登録されている湯尾隧道です。
今回のプランのキモとなったのは2013年に開通したこのホノケ山トンネル(2,709m)、敦賀スタートで帰途に河野しおかぜラインで南下しようとすると、どこかで内陸部から日本海側に出なければならないのですが、以前は武生近くまで北上して交通量の多いR8で山越えをしなければなりませんでした。R305がホノケ山トンネルで繋がった事で湯尾駅付近からショートカットする事が可能になりました、トンネル口まで登ればトンネル内は日本海側に向って下り、従って逆コースは考えたくはないです。交通量も多くないですが、平日は新北陸トンネルの工事で大型車の通行があるとか。
「河野しおかぜライン」は以前は「河野海岸道路」と呼ばれた有料道路で現在は一般道路となっています。過去に二度ほど走った事があるのですが、やはり無料化が周知されると交通量は増える様でして。しかしR8を走る事を思えば、ただ敦賀市街まで戻るには杉津から10キロ近くはR8を走らなけらばならないのが、このプランのウィークポイントです。最後に少し遠回りですがR8鞠山トンネルを避けてフェリー乗り場から海岸寄りのルートを選んだのは正解だったかと。15時半に敦賀駅には到着、1623発の網干行新快速に乗り込む事ができました。本日の走行、奈良駅までの自走21キロとミスコースのロスを含めて95.7キロ、コース正味は70キロと云った処です。東の海へ、センチュリーラン
海のない奈良県のサイクリストにとって海の見える処まで走るのはなかなか魅力的なものです。鉄人児玉さんも毎年の様に「東西南北の海へ」と云う触れ込みで走っておられたのですが。自身でも過去に鳥羽、和歌山、新宮、敦賀と一日で走った事はあるにはあるのですが…
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御斎峠なのか御斉峠なのか
先日の「NLC4’season 春のサイク」の帰りに一年ぶりに越えた「おとぎ峠」、滋賀三重県境として上野盆地の展望が素晴らしい標高570mの峠、古来伊賀と甲賀と分かつ峠として司馬遼太郎の小説「梟の城」の舞台となったり、本能寺の変の折に徳川家康の遁走ルート「伊賀越」として伝わる、歴史的にも由緒のある峠です。私が始めて越えた頃は滋賀県甲賀郡信楽町と三重県上野市の境界でしたが、現在はそれぞれ甲賀市と伊賀市となっています。写真は現在の車道峠より少し上野側に下った処にある「御齋峠跡」の石碑。

その「おとぎ峠」を行くと峠名を記したものが2つ、切り通しになっている車道峠の案内板「御斉峠」と記され由緒が書かれている、もう一つは少し上野側に下った処にある三重県知事の書になる「御齋峠跡」の石碑、さてこの違いは。まず大前提として「斉(セイ)」と「齋(サイ)」はルーツの異なる別の字でして、なかんずく「齊」は「斉」の旧字体、「齋」は「斎」の旧字体となります。「斉」は整えるとか、揃える、並べると云った意味を持ち、中国周時代の国「斉」との意味があります。対して「斎」は「ものいみ」「神仏を祭るときなどに飲食や行為を謹んで、身の汚れを去る事」と云った他、同様の意味に多く用いられます、「斎王」「斎宮」「斎場」と云った風に。いわゆるさい藤さんの「さい」は概ね「斎」または旧字体の「齋」であり、「斉」を用いるのは意味の違いを無視して誤用して略したものと考えるべきでしょう、なかには私は「斉藤」だと主張する人もいる様ですが、斎藤氏のルーツを考えると「斉藤」はなく、登記時の誤字であってもひとたび登記されてしまえば、それを正しいとする原則が準用されているものだと思われます。
さて話しを戻して「おとぎ峠」に当てはめる字はどちらかと云う事になりますが、案内板にあります鎌倉時代の夢窓国師の逸話からすると「斎」を当てはめるべきかと思いますが、辞書によっては「斉」にも「斎」の字と同様に「ものいみ」の意味を含む熟語「斉衰」「斉宿」等などを例としてあげているものがあります、どうやら「斎」と「斉」の誤用は「さいとう」さんだけではなく、結構根の深いものがあるのかも知れません。ただ家康の「伊賀越」関連でこの峠を「音聞(おとき)峠」としているものがあり、夢窓国師どころか後年になって音を当てはめた可能性もあります、しかし「斉」を「とき」或いは「とぎ」とするには問題が残ります。言葉や文字の意味成り立ちに無知ゆえ無頓着ゆえの誤用濫用、なにか自転車の事を「チャリ」と云う人に通ずる処がありますね。
私としては「御斎峠」または旧字体を用いた「御齋峠」に軍配を上げる事にしますが、この事を調べて行くとんでもない事に気付かされます。
そうなんです、それぞれの旧字体には「Y」のものと「了」のものがあって、どうもadobe-japanでは両方が採用されている様なのです。この辺りJISの考え方とadobeのスタンスの違いが成せる事なのでしょうが。さて似ていて非なる「Y」と「了」、象形文字まで遡るとこの部分は「齋」と「齊」では異なっているのです、その辺りを調べて行くと「誤用」なのか「混在」なのか判らなくなってしまい、それ以上突き詰める事は諦めました。
余談ですが御斎峠の北にはかつて多羅尾代官所の仕置場(処刑場)があり、また月ヶ瀬村女子中学生殺人事件の死体遺棄現場だったりと、何かと曰くの多い峠でもあります。
赤福~剣峠ツーリング
先日、財布から出てきた近鉄の「株主優待乗車券」、8月の大平街道ツーリングに行く際に、帰りが遅くなって「18きっぷ」のままでは桜井まで帰ってこれなくなった場合に、名古屋から近鉄利用で帰ってこられる様にと金券ショップで買って用意してあったものを、すっかり忘れていたのでした。 有効期限は年内一杯、1日有効のいわゆるフリー乗車券の類なら、大阪往復でもすれば足りるのですが、乗車1回限りでは元をとろうとすれば、名古屋や伊勢志摩辺りまで行かなければなりません。 そう云えば伊勢志摩方面は昨年は2,7,10月と3度ばかり行ったのに「伊勢志摩サミット」のせいではないですが今年は皆目。 そこで伊勢まで走り、内宮前の「おかげ横丁」で「赤福ぜんざい」でも戴いて、剣峠への道で「自撮り」をして輪行で帰って来ようかと。
ただ気掛かりなのは、ロングライドと輪行に備えてキャンプ続きで夏から履きっぱなしのタイヤ、32Cから28Cから換装していたのですが、どうも後輪のハブフリーの音が些か気になります、まぁ最悪輪行袋を持って行く事ですし。 ちなみにうちのASUKA号は分割式のマッドガードを付けると32Cは入りません。
さて電車の時刻も急ぐ事はないので、ゆっくりと輪行支度をしようとしたのですが、可変式にしたエンド保護金具を120mmで持ってきてしまい使えず、ヘッド抜きはしたもののサドル~エンドを下に立てる事ができず、倒立状態で運ぶ事となってしまいました。 同じ近鉄沿線、改札をでる事なく宇治山田で急行に乗り換えただけで、空いた電車での2時間44分の輪行でしたので、さして苦にもなりませんでしたが。
ヘキサ・コレクション(奈良県)
奈良県では100番までの地方主要道はともかく、以降の3桁県道は正式の路線番号案内標識がなく、補助標識があるのみと云う路線が結構あります。 和歌山県なんぞはさすが徳川御三家の末裔、ケチ臭い事はせずにしっかり正規の標識が建っています。 対して「三重乞食」と云われるだけあって、三重県では無駄ものは建てないと云う訳か、ガードレールにシールを貼っただけと云うのが多くて、われわれコレクターには残念なのであります。
しょせん県道番号なんてお役所が適当に付けている様ですが、一応「道路法」に従って県告示が行なわれる訳でして、県によってはなんらかの分類も行なわれている様な。特に地方主要道を除く県道では都府県を跨ぐ場合、最近では700番台を両県が示し合わせて使用する様になっている様です。昔は同じ路線名なのに県境を跨ぐと路線番号が変わるなんて事があったのです。奈良県の場合では大阪府とは700番台、和歌山県とは730番台、京都府とは750番台、三重県とは780番台が使用されています。これはこれで道路元標ほどではありませんが、なかなか奥が深いのです。 大和青垣吉野川自転車道線とは
しかし誰がブチ上げたのかは存じ上げませんが「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」(報道資料)に基づく「京都・奈良・和歌山における自転車を活用した広域観光活性化計画」(県PDF資料)によるものらしいのです。 「案山子コンテスト 2016」
幾つか紹介しておきますが、去年と比べると寂しいですね。 ところで彼岸花の方は一気に咲き始めています、写真としてもこちらの方が収穫があった様な。 18きっぷ輪行の旅(2016夏 2日目)
表は曇り空、天気予報からして朝の内だけかなと思っていると、走っている内に少しパラパラとやってきます。 伊賀良村道路元標、山本村道路元標と行き過ぎたりとかでちょっと手こずります、些か勘が鈍ったかな。この先峠に入ってしまうと、コンビニとかはないので携行食の補給にコンビニヘ、イートインコーナーがあったのでちょっとコーヒーブレイク。
下伊那郡3つ目の会地(おうち)村道路元標にて、現在の阿智(あち)村の中心部にあたります。これから冶部坂峠に向って標高差700m程の登りとなりますが、やはり空模様は思わしくありません、念のために雨雲レーダーを検索してみると。
これはいけません、このまま行くと冶部坂峠の区間で降られる事は眼に見えています。もちろん雨具の準備はありますし、雨雲は東に流れて行く予測ですから、これさえかわせれば後は大丈夫そうなのですが、途中で雨宿りしている時間的余裕はありません。それに冶部坂峠は前後に寒原峠と赤坂峠と云う峠があって、冶部坂峠との標高差にプラスαがある訳です、多少旧道はあるもののトラックの多いR153、飛沫をかけられながら走るのは覚悟の上としても、見通しの悪くなった山中の国道を走るのは如何なものか、それに昨夕どうやらグローブを失くした様です。 撤退するとすれば飯田線沿線から輪行で帰途に就くしかありませんが、調べてみると天竜峡駅1250発豊橋行きがタイムリミットとなります、ここで進んでしまうと後は愛知県側へ走る抜けるしか方法はありません。この先予定している3基の道路元標を取りこぼすのは惜しいですが、そこは転んでもタダでは起きられないと云う事で、今回は予定に入れられなかった天竜川左岸の龍江村道路元標を回ってから天竜峡駅へ向っても良いかと、それに帰途に名鉄~近鉄ではなく「18きっぷ」を使う事になりますが、今の予報では次に「18きっぷ」を使う予定の30日は天気が思わしくないので帳尻は合いそうです。と云う訳で今回は大人の決断でここで撤収する事にしました。考えてみれば昨日「きしめん」を食べたいだけの理由で南木曽へ廻り、大平街道と云う充実したツーリングが出来た事ですし、今回はこれで良しとしましょう。しかし昨日先に天竜峡に行っていたら最低の1泊2日になっていた訳でした。
飯田線沿線に戻るのがアップダウンの多いルートになり閉口させられます、一度天竜峡駅に戻って姑射橋で天竜川を渡るのが最短になるのですが、そちらからでは激坂があるので、少し遠回りにはなりますが時又の天竜橋で天竜川を渡り対岸へ。伊那谷は全体的には穏やかな地形に見えますが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形を成していて細かな起伏が多いのです。地図で飯田線の線形を見ていただけると納得できるかと。さて最近になって現存が確認された龍江村道路元標は龍江小学校の前の元は役場があったという場所の一角にありました。
時間の余裕もある事ですし、ゆっくりとしっかりと輪行支度を整えます、キャラダイスの横長のサドルバッグが邪魔をして、本来のヘッド抜き輪行の様にスマートには収まりませんが、充分に顰蹙を買わないサイズに収まります、重たいのは仕方がないですが。天竜峡駅1250発の豊橋行きに乗車、桜井までほぼ9時間の旅程ですが乗車時間の半分はこの飯田線で、偉大なるローカル線の鉄旅を辟易する程堪能します。既に飯田線は完乗していますが、全線を通しで乗った事はさすがにありません。豊橋駅1616着、大垣行き特別快速に乗り換えて名古屋へ、帰りも再びホームできしめんを頂いてから関西本線へ、その後は亀山、加茂、奈良と乗り継いで2149桜井に無事帰投しました。 【1050】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 龍江村(現 飯田市)
18きっぷ輪行の旅(2016夏 1日目)
1泊2日の「18きっぷ輪行ツーリング」に行ってきました。本来は7月下旬に計画していた長野県から愛知県にかけての8基の道路元標を巡る「駒ヶ根~猿投ツーリング」だったのですが、天気が思わしくなかったり夏風邪にやられたりと延び延びになっていたのですが、用意してあった「青春18きっぷ」の有効期限も残り僅か、夏風邪の方は遊び回っているものの、ちゃんと治っているのか治っていないのか良く判らない体調が続いています。先日の「道路元標蒐集サイク(2016夏)」でも何となく体が重いと云うか。
奈良0503発に無事乗車しますが、あと一つ調子が悪ければ軟弱にも飯田線天竜峡駅まで輪行して、最近現存が確認された長野県下伊那郡の龍江村道路元標を巡って飯田に入ると云うもの。ただ関西本線の車中でゆっくり休めたのと、名古屋駅できしめんが食べたかったので、乗り換え時間に余裕のある南木曽行きを選択してしまいました。
名古屋駅0830発、中津川で松本行きに乗り継ぎ、ここで特急「しなの」に追い越されますが、18きっぷではなく5,650円払って近鉄と「しなの」を利用すると楽チンにここまでやって来れるのですがね。(写真右)ヘッド抜き輪行をするとここまでコンパクトになります、今のロードバイクでの輪行しか知らない人には、小径車か何かと映るでしょうね。長さが二人掛け座席の幅に収まり、巧くすると自立もします。
南木曽駅にて、11時前には出発準備完了、久しぶりの木曽谷の風景です。 実は輪行支度を解いていると、分割式マッドガートのネジ1本が無くなっている事に気付きます、輪行袋の中を探ってみてもスプリングワッシャは出てきたものの、肝心のM6のネジがありません、さてどうしたものかと思いましたが、幸いパンク修理などの小物を入れたケースの中からM6ネジが1本出てきて、呼びも丁度で一件落着。 危うくネジが手に入るまで分割式マッドガードの後ろ半分を背たろって走らなければならない処でした。
トラックが多くてサイクリストには悪名高き国道19号線を少し走り妻籠宿へ、平日とあって観光客も左程でもないのですが、さすがに人を映り込まない様に撮るのはなかなか大変です。 今日のこれからの行程が距離はともかく見えていないので、先を急ぐ事にします。妻籠宿に限らず全国至るところで古い宿場町が保存されている訳ですが、作り物感があって私としてはあまり魅力は感じないのですけど。さて国道256号線に入り飯田との案内も出ていますが、国道は清内路峠を越えて南側に迂回する様なルートで飯田へ向いますので、これから向う木曽峠~飯田峠の大平街道とは途中で別れる事にはなりますが、観光バスが行き交ったりとそれなりの交通量があり、その上日影も少なく些か閉口ぎみ。時間的に仕方がないとはいえ、この季節のこの時間から峠を目指すのは辛いものがあります。実は行程が厳しくなってくると、距離や標高差が気になってくるのですが、ここに来て折角作ってプリントアウトしておいた今日明日のプロフィールマップを忘れてきた事に気が付きます、明日の分は「轍ONLINE」にあるので、スマホで見る事はできるのですが。今日の分は記憶に頼るだけ、実際木曽峠と飯田峠の標高を反対に覚えていました。
妻籠宿を出て国道を走る事約4キロ、あららぎ温泉の前で待望の自販機休憩、それとここから集落の中を縫って走る旧道があります。蘭郵便局の前に商店発見、アイス休憩2個行っちゃいました。 店のおばちゃんが一升瓶ケースを椅子替わりに出してきてくれました、通る風が心地好いです。
アイス休憩してから幾らも走っていないのですが、そろそろ時間もお正午を回り13時近く、一応携行食は持ってきているのですが、一軒の食事が出来そうなお店がありますので覗いてみます、いわゆる民家カフェですね。サンドイッチとサラダのプレートを頂く事にします。
食事の後も旧道を行くと道が錯綜しているのですが、とにかく真っ直ぐに行きますと、国道の下を潜ります、そのまま行ってしまうと林道に入ってしまいますので国道へ登るように道をとります。ループする様に国道に取り付いて暫く行くと、木曽(大平)峠へ向う県道8号線への分岐が。ここでは大平峠と表記されています、5キロとの事ですが峠のトンネルまではもう少しありました。 ちなみに地形図で標高879mとなっていますので、南木曽駅から木曽峠までの標高差の半分もまだ来ていません。
途中に木曽見茶屋と云うのがあります、休業と云うより既に廃屋の様になっていますが、少し展望が開けていて南木曽岳が正面に見えます。県道を離れ徒歩で行ける展望台があるそうで、そこからは御岳山も少し見えるとか。
15時過ぎにようやく今日の最高点、木曽峠(1,358m)に到着、これより飯田市となりますが、峠のトンネルの手前に広場があって四阿と水場があります、一応トイレもありますが、ちょっと覗くのもはばかられる様な状況です。
峠のトンネルはトンネルと云うより切り通しに屋根があると云う感じで、どちらかと云うとスノーシェッド、雪国には時々あるタイプです。扁額は「木曽峠」となっています。荷物になりますが今回も「自撮り」の準備をしてきていますので、時間は押してますが、せっかくのロケーションですのでここで2テイクばかり。
木曽峠から標高で200mばかり下ると大平宿です。 伊那谷と木曽を結ぶ街道として、江戸時代に開かれ、飯田線の前身である伊那電鉄の開業と、現在の国道256号線の清内路峠ルートができた事により衰退し、昭和45年には集団離村で廃村となりましたが、近年保存の機運が高まり「いろりの里 大平宿」として廃屋を改修し、自給による宿泊施設として貸し出しが行われています。夏休みですが週末でもないので人影もないのだろうかと思っていたのですが、丸三荘と書かれたおうちで食事ができる様なので寄ってみる事に、てんぷらそば、五平餅、手作りギョウザとか書かれていますので、天ぷらそばを頂く事に。
時代がかった意匠に保存されている訳でもなく、廃村となった昭和40年代当時の山村にタイムスリップしてきた様な空間、縁側越しに見る風景に癒されます。素朴な味の胡瓜の漬物と南瓜の煮た物が、天ぷらそばと云っても海老天が載っている訳でもなく、またこの山中で期待するのも可笑しな話、野菜たっぷりの天ぷらとかき揚げ、ボリュームがあって大満足です。丁度薪でお風呂を沸かしている処で、このお風呂も500円で入れて貰えるとの事です。私が子供の頃、両親の実家は何れも薪のお風呂でしたね。 奈良0503→0517加茂0530→0653亀山0700→0809名古屋0830→0944中津川1000→1018南木曽 5時間15分 4,000円分乗車







































