台風接近の朝、降ったり止んだりと云うより降ったり晴れたりと云うお天気の下、絵に描いた様に見事な虹が現れた。
実は昨日、久しぶりに虹を見たばかり、夕陽に照らされた雲と月とのコラボ、そして今朝は見事に半円を描くフルバージョンの虹、ほんと何か良い事でも起こらないかな。
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今日は「シマノ鈴鹿ロード」のチームTT(タイムトライアル)に参加するQCR(くゎんさい・くらしっく・れーさー)の写真係兼応援で鈴鹿サーキットへ自走で向う事にします。カメラとか荷物も多いし、ロードでナイトランも勧められた話でもないので、それならいっそasuka号フロント2サイドに差し入れなんかも詰め込んで行く事も考えたのですが、やはり身軽にerba号で行く事にしました。鈴鹿サーキットまでの距離は約100キロ、以前2016年5月はR25下道の加太越で向ったのですが、現在加太~関間が通行止との事ですので、久しぶりに伊賀越で行く事に、距離的には殆ど変わり無いのですが、標高では200m程余計に登らなくてはなりません。
チームTTは1051スタートとの事ですので、コースと距離から所要6時間と見積もって2時半までに桜井をスタートします。針テラスまで真っ暗な山の中でも走り慣れた道なので不安はありません、初瀬ダムへの登りで鹿が出てきた位のものです。山中のナイトランには自転車のヘッドライト以外に自分の頭に付けるヘッドランプが必携、進行方向しか照らしていないヘッドライトでは咄嗟の時に大変ですよ、真っ暗な中でがさごそと音がしたらどうします。それに街灯とか無くてパンクとかトラブルの時にも困る訳ですし。
しかし出るなり東風が意外に強くて、asuka号2サイドにしなくて良かったと、その上標高を上げるにつれて涼し過ぎる事、レッグカバーを用意するべきだったと、夜中とは云え先日までの猛暑はなんだったんでしょ。針テラスのファミマで温かいコーヒーとドーナツで小休止、この先R25下道は自動車専用道を縫うように走り騒がしい位なのですが、アップダウンが多いので途中から上津ダム経由で五月橋へ下りますので、その辺りから少し明るくなってくる様に時間調整。
5時半には五月橋を渡り三重県へ入り、6時過ぎには伊賀上野へ、トイレ休憩も兼ねて「鍵屋の辻」へ。ここからR163を行きますが、伊賀越へ入る県道への分岐まで約22キロ、中瀬インターを過ぎると、日曜の早朝とあってか車も少なく快適です。
今は伊賀市となりましたが旧大山田村域へ入り服部川に沿って長野峠に向かって緩やかに道は登って行きます、加太越のR25は旧街道が残っていますが、こちらは殆んど残っておらず趣がかなり違います。
0725伊賀越への分岐に到着、2008年に新長野トンネル(写真左)が開通し、従来の長野トンネルは通行止に、写真右は以前の県道42号伊賀越への分岐です。
0755 標高507mの伊賀越に到着、2006年3月11日以来12年ぶり、変わらず雰囲気の良い峠です。R163からの分岐以降一台の車にも出遭う事はありませんでした。
錫杖湖畔から下ってからは土地勘がないのですが、県道669、28、648、54、643と継いでロスなく0941鈴鹿サーキット前に到着。いままでなら自転車に乗ってればフリーパスでゲートを通れたのですが、入場ゲートへ回れとか煩い事を云います、念のために入場券を送って貰っていたから良かったものの、説明が良く判らないと云うか横柄なので、いつもならゴネる処なのですが、時間もないのでウロウロさせられたもののどうにかサーキット内へ。話によるとあびさんも揉めたとか。
無事に40番ピットへ、M氏とM姫がサイクルマラソンに出ているとかで皆さん応援に出払っていて、明日香村のチネリ怪人Vさんが留守番をしながら待ってくれていました。4人がチームで走るTTは2チーム8名が出場。写真を撮りにいつものシケインへ向かいます。
結果の方はともかく、昨年より悪かったとか、しかし2周回目は2チームが団子になってやってくるので、写真を撮る方はたまったもんではありません。 8時間エンデューロと違ってあっと云う間に終わってしまい、スーパー銭湯で汗を流し、しゃぶしゃぶ食べ放題でいつもの様に反省のない反省会を。
帰りはVさんの車に便乗して明るい内に桜井へ帰ってきました。本日の走行109キロ、私的には大満足。
集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2018]と辿って下さい、大きなサイズ(1920×1280)の画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’2018’、パスワードは2018年の卓上版「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の数字です。
自転車絡みのイベントと云えば、サイクリングと称しながらレースまがいのイベントばかりで、その様なものには全く興味のない私ですが、ここ最近自転車を対象にしたスタンプラリーも行なわれる様になって、我が意を得たりと嬉しい限りです。サイクリングの愉しみは計画を練る処から、高い参加賞を払って人に決められたコースをなぞって何が面白いのでしょうね、それって結局は速さを競っているだけの様な、自転車趣味も機材と経費にコストをかけて満足する、お金はあるけど時間がない現代人にはマッチする遊び方なのかも知れませんが。それに比べて自治体の主催するスタンプラリーなら、概ね参加は無料、あわよくば記念品が貰えたり、抽選とかで結構な賞品が貰えたりと。自分の技量や体力、嗜好にあわせたプランを練る事を愉しめます。
石川県が主催する「いしかわ里山里海サイクリングコース」のモバイルスタンプラリーは一昨年から行なわれてそうなのですが、今年(2018年)は4/28~11/30の期間で68ヶ所のポイントが設定されています。なお一昨年(2016年)は9/1~10/30の期間でポイントは25ヶ所、昨年(2017年)は7/15~11/30に期間でポイントは55ヶ所だった様です。
実はそのスタンプラリーを知ったのは7月21~22日に予定していた「しまなみキャンプライド」が豪雨禍で色々と障害があり参加を遠慮した代りに能登半島へ向う事にして下調べをしていた時でした。北陸3県在住ならともかく県外からの参加者にとって、68基ものポイントはあまりに多すぎます、そのポイントも道の駅以外は馴染みのないものも多いのも。自治体主導なら経済効果も考慮して、県外からの参加者にも魅力的であってほしいものです。さて能登行きでは私にとって道路元標が生涯をかけたポイントラリーみたいなものですので、負担にならない程度に「いしかわ里山里海」も少し回ってみようかと。 結果的に7/20~7/24の「能登半島ツーリング」と8/10の「道路元標蒐集サイク」で20ヶ所を回る事ができましたが、もう少しマメに回れば後10ヶ所位は回る事ができたかも。ウェルカム看板と称した看板も大きく目立っていて、奥まった場所にあって判り難い場所では表通りに案内看板があって気が利いていました。しかし68基は多すぎです、前年のポイントが繰り越せるならともかく、毎年ポイントが増えているのは如何なものかと、こう云ったイベントを継続させるに多少なりとも経済効果を期待するなら、年ごとの新鮮さが必要かと、限られたエリアに幾つものポイントが集中している場所がある事が。今年はもう無理だとして来年は再度挑戦してみたいと思います。パーフェクト賞(1名)、オールいしかわ賞(全ての地区で1箇所以上/1名)、エリアクリア賞(1つのエリアで全て 各地区1名)、ポイントランキング賞(開催期間中の累積ポイント 1箇所上限 20 回 上位5名)、里山里海賞(2箇所以上 30名)の内、オールいしかわ賞、エリアクリア賞、里山里海賞の抽選資格は得たのですが、数ヶ所回れば何か参加賞みたいなものがあれば良いのにね。
この手のスタンプラリーに参加する様になったのは2014年(最終的に2015/3/26まで延長)に奈良県が中心となって和歌山・三重との三県共催で行なわれた「Tour de 紀伊 2014」からですが、周知不足かしてか参加者も極めて少なかった様です。期間が延長された2015/1からの参加にも係わらず30ポイント全てを達成しました、パーフェェクトは私を含め7名だったとか。この「Tour de 紀伊 2014」では各ポイントに何の案内もなく、GPS座標をスマホアプリで確認させる方法で、記録に何とクッキーを使用した為にデータを失う参加者が続出した様で、また並行して行われたフォトコンテストでは不手際もあって、自治体が行った行事としてはお粗末な結果だった様です。
その「Tour de 紀伊」翌年も新たなポイントでの開催を期待していたのですが、和歌山・三重両県にそっぽを向かれたのかはどうかとして、奈良県だけで「ならサイクルスタンプラリー」として2015/7/18~11/30の期間に奈良県下24ヶ所のポイントで行なわれ、こちらも無事に24ヶ所達成(10名いたとか)とついでのフォトコンテスト最優秀賞を頂く事に。残念ながら翌年以降の開催はありません。
今年3月にはちょっと趣の変わった処で「さんぽdeサイクリングin天理」と云う1日限りでロゲイニング風の行事があり25ヶ所中24ヶ所を回る事ができました、ただ主催者側のNPO法人のテキトーな運営が些か顰蹙ものだったのですが。
石川県の68ヶ所は今からではとても無理だなぁと思っていた処に和歌山県が「サイクリング王国(WAKAYAMA800)」の一環として8/1からモバイルスタンプラリーを行なうとの案内が…
期間は2018/8/1~2019/3/24で和歌山県下の45ヶ所のポイントが設定されています。リピータ賞とか多分に石川県のそれを意識している感じもあるのですが、山岳賞の5ヶ所は護摩壇山の1,232mを筆頭に高野山(823m)、生石高原(787m)、千葉山(468m)、那智の滝(320m)と、昨今のロードバイクによるヒルクライムを意識している事が伺えます。コースを指定している訳でもないので、これはこれで面白いのかも知れませんが。
と云う訳で半分は和歌山の血を引いている私(本籍地:和歌山県)が参加しない訳には行きませんので、45ヶ所走破に向けて始動です。県下では行き止まりでない殆どの国道県道は過去に走っているのですが、見当の付かないのが千葉山(せんばやま)、狸の出てくるのは熊本の船場山ですが、ここは何やら地元ローディのメッカだとか。
なおマップは「轍ONLINE」で作成していますのでウェイポイイントをGPX出力する事が可能です。ライセンスの関係で公開しかねるのですが、GoogleMyMapにインポートしてスマホ上で利用しています。
少し時間があるしティッシュペーパーが切れそうなので献血に行く事に、炎天下に大和郡山まで20キロ近く走って行くのだから、たかだか200円程のものを貰った処で、割りに合う話でもなんでもないが、がっつり走る時間も気持ちもないし、ポタリングなんて気楽な気候でもない、何か目的が無ければ走りに出られないと云うだけの話なんです。ボランティアの献血だから代償を云々するのも何だし、献血制度は過去には売血による社会問題もあった訳なんですが、最近当たり前みたいな態度の赤十字職員を見かけると、なんかそれなりの代償を貰っても良い様な気もしないでもない、露骨に金品はなんだろうから、健康保険料とかの減免措置とかしてくれないかな、定期的な血液検査で病気の早期発見もあるかも。
帰りにティッシュを積んで走って来なければならないので、空のフロント2サイドで出動です。日影の多そうなコースをと、まずは横大路を西へ走り八木札の辻から中街道(下ッ道)を北上し、二階堂から三郷橋へ。
何やら成分献血の方が空いているのかキャパが大きいのか(実際の所要時間は倍)、どんどん番号が抜かされる、まぁ急ぐ事もないので「ご自由にお使い下さい」とのパソコンを、それがとんでもなくどん臭い、ブログランキングの順位を1つでも上げてやろうとアクセスするのだが、なかなか前に進まない、結局は順番の呼び出しが先にきてしまった。
献血後の水分補給をとのんびりしていたら、午後から雨との予報が、そう云えばなにやら雲行きも怪しくなってきた。
帰りは大和川河畔にでて「はせがわ展望公園」まで来たところで、行く手を雨雲に遮られてしまった、橿原市方面大和三山がまったく見えない。ここには大きな四阿や自販機、トイレがあるので暫し雨宿りを、時折冷蔵庫を開けたときの様な冷たい風が、異常なまでに暑い夏、その上奈良県国中は台風の時以外はまったく雨が降らなかった、ここにきてようやく夏らしい夕立が、ってまだお正午前なんだけど。
雨雲レーダーの予報によると、どうやら雨雲は東に流れていく様だが、夕立の雲だけは突然現れて消えるので、あまり当てにはならないのだが、ともあれ収まった処で再び大和川沿いの道を帰途へ、雨のお陰で一気に涼しくなって走っていても心地良い、中味がテッシュペーパーだから全く以て重くもなんともないのだが、2サイドで走っているとまたキャンプツーリングに行きたくなってきた、この夏は能登で懲りたはずなのに、喉元過ぎれば何とやら。本日の走行20数キロって処かな。
「18きっぷ」はまだ残っているのですが、まとまった休みがないので日帰りの予定で北陸へ、石川県南部の道路元標を巡ります。桜井から「18きっぷ」だけで日帰りしようしても、現地での滞在時間が5時間程しか取れないのです、少しでも早く着こうとJR奈良駅まで20キロ余りを自走する事に、奈良05:46→0647京都07:00→0807近江今津0814→0946 福井10:15→1056加賀温泉のスジで、桜井始発より1時間早く着きます。未明の上街道を走るのですが、そこは走り馴れたる道、その上最近奈良市域に入ると街灯が滅茶苦茶明るいのです。
加賀温泉駅からスタートする事にしたのは「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリーのポイントが駅前にあると云う理由からなのですが、北陸新幹線延伸で新駅となる加賀温泉駅は現在仮駅舎で、ホームから改札まで結構歩かされます。バスの降車場のベンチがお誂え向きだったので早速輪行支度を解きます、先日の事があるのでペダルの取り付けは慎重に。
まずは江沼郡の庄村道路元標と分校(ぶんぎょう)村道路元標を、それぞれ住吉神社と菅原神社の前にあります、明日はその住吉神社の秋祭り、準備が始まっています。今日は曇りの予報を頼りにして出掛けてきたのですが、なんとカンカン照り、でも季節はもう秋なんですね。
「いしかわ里山里海~」のポイントの自動車博物館を経て山あいへと入って行くとお天気が曇り模様に、粟津温泉近くのローソンで補給の後、県道163号瀬領粟津線、県道161号大杉長谷線と継いで県道43号丸山加賀線へ、2009年6月20日に大杉谷村道路元標まで往復しているのですが記憶に残っていません。大杉谷川に沿って緩やかに登って行く走り易い気持ちの良い道が続きます、連日の猛暑に辟易としていただけに曇り模様が過ごしやすく、蝉時雨の道を快走していたのですが、些か雲行きが怪しくなってきました、時折パラパラと。帰りの輪行に万が一泊まりになった場合に着替えを一式は持って来ているのですが、雨具の用意はしていません。
ただ雨雲レーダーの予報は心配なさそうなので、二度ばかり雨宿りをしつつ先へ進みます、牛ヶ首峠から国道416号線経由で新丸村道路元標を経て、五百峠を小松市街へ下るつもりでいるのですが。
道が峠道らしくなってくると雨足も強くなってきて本降りに、幸いバッグ類のレインカバーはあるので、荷物は濡らさずに済んでいるのですが、今回はロード故にお尻はビチョビチョ、替えのない靴を濡らしたくないので足を付けずに頑張って登ったのですがドボドボに、結局は無駄な抵抗だった様です。
1419 標高420mの牛ヶ首峠に到着、峠は国道416号との三叉路になっていますが、右折しても現在は行き止まりです(福井県側へは長年R416の未開通区間だったのですが、今年9月9日に開通するそうです)。残念ながら雨宿りの出来そうな場所もなく、左折して新丸村道路元標へ下る事に。新丸村は1956年に小松市に合併編入され、現在ではかつての村域は廃村同様の状態に、その道路元標ですが、目標物も何もない道端に建っていて、予備知識が無ければ通りすぎてしまう様な場所なのです、幸い見落とす事はなかったのものの、帰宅後写真を確認すると真っ暗で何も見えません、どうやら撮影モードを選ぶダイアルが間違った位置に動いていた様です、いつもならモニターで確認をしたり、スマホのカメラで1枚位は押さえておくのですが、今回は雨の中で何れもしなかったのが。
道路元標から更に下ると分岐があり左への国道は五百峠へと登り返し、右は大日川に沿って下ります。牛ヶ首峠へ入った辺りから流石のdocomoも圏外で、五百峠の標高とか情報が得られません、スマホ以外にGARMINがありますので、現在位置や標高は把握していますが、この雨の中幾ら登り返さなくてはならないかが読めません、右へ行けば大日川ダムを経て下り基調のまま北陸鉄道石川線の終点である鶴来駅まで行く事ができます。あと「いしかわ里山里海~」の5つのエリアの内残る「白山手取川ルート」を一つだけでもゲットするには鶴来へ下る方が確実なのです。五百峠を越えて尾小屋鉄道の跡を見てみたかったのですが、この雨と残り時間を考えると右へ下るのが最善の選択かと。
大日川ダム湖畔、雨も収まりと云うか路面は乾いています、雨は峠前後だけだったのかも。ただ湖畔でもまだ圏外、それな湖岸道路にしては結構アップダウンがあって些か参ります。ダムの堰堤まで来てようやくネットに繋がる様になり、鶴来駅までの正確な距離と帰途に就ける最終時間を調べる事ができます。新西金沢駅でJRに乗り換える為、小松へ下るのに比べると遠回りになるので、鶴来駅1651発が最終、それも桜井線の最終が早いために「18きっぷ」のままで帰れるのは奈良まで、結果的に京都から940円払って近鉄で帰る事になりそうです。
大日川ダムから約30分旧鳥越村へ、行きがかりとは云え鳥越村道路元標を、ここから2001年10月以来のR157へ、実はこれより南R157沿いに未収の道路元標が2基残っているのが… 鶴来駅までは後12キロ。
鶴来駅まで後少し、「おはぎ屋」の暖簾が気になり覗いてみたい気持ちを押さえて、鶴来駅へ急ぎます。
「能登半島ツーリング」の折の分に加えて今日4ヶ所、時間があれば後3つ位は回れたのですが、計20ヶ所、全68ヶ所の1/3にも届きませんが、パーフェクト賞以外の抽選権は手にしました。
結局、手取川流域に入ると再び雨が、それでも時間的には余裕で鶴来駅に到着、輪行支度を整えて予定の1651発に乗車、→1717新西金沢/西金沢1721→1853福井1859→1949敦賀1952→2044米原2054→2148京都/近鉄京都2201→2300大和八木2304→桜井2311と日付の変わる前には無事に帰投しました。本日の走行、奈良駅までの自走20.3キロを含めて88.6キロ也。
奈良市大柳生町にて Photo : まえださん
毎年8月の第1日曜に行なわれるRRCB(Restoring and Riding Classic Bicycles)恒例の「大和高原夏の早朝ラン」、一昨年は参加できず、昨年は途中から合流だったのですが、今年はフル参加する事ができした。約50キロのコースを涼しい午前中に走ろうと朝7時にスタートできる様に針TRSに集合しますので、私は桜井を5時半スタートで初瀬ダム経由で標高450m程の針まで自走します。 今回は女性2名を含む14名が集まりました。(写真右 : kiyaさん)
さぁ出発、まずは旧R24を西へ、一本松を過ぎた辺りで北へ入り天理市山田町へ。(写真左 : kiyaさん)
山田町から無名ですがなかなかキツい峠を越えて田原へ下ります。(写真 : kiyaさん)
田原から県道47号へ入り大柳生へ向います。
大柳生へ下る途中の展望ポイントで休憩&集合写真を。(写真左 : kiyaさん)
須川貯水池を経て県道33号へ。(写真 : kiyaさん)
笠置まで後数キロの手前まで下り県道173号を登り返します、路面は良くないですが渓流沿いの涼やかな道です。この後、阪原、柳生を経て布目ダムへ向います。(写真左 : kiyaさん)
布目ダムでは予めUG兄さんが準備しておいれくれた良く冷えたスイカが待っています。笠置まで後数キロの手前まで下り、県道173号を登り返します。(写真左 : kiyaさん)
デローザのたきちゃんがスイカでナンパ?した今様ロード女子も加わって記念撮影。
布目ダムを後にし、県道127号経由で小倉ICへ。
12時前には針テラスに戻り「王将」で高カロリーなお昼を。
食後は「ミモザガーデン」に移動してスイーツを頂いて、私は桜井へと帰途に就きました。本日の走行、桜井~針への往復を含めて約95キロ。
集合写真含む写真をうちのHP https://canpal.site/hp に順次アップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2018]と辿って下さい、大きなサイズ(1920×1280)の画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’2018’、パスワードは2018年の卓上版「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の数字です。
国道153号冶部坂峠 続きを読む 三州街道 飯田~豊田ツーリング
2018年の累計6,019.3キロ
道路元標
【1060】 2018/7/20 石川県 鹿島郡 高階村(現 七尾市)
【1061】 2018/7/20 石川県 鹿島郡 久江村(現 中能登町)
【1062】 2018/7/21 石川県 羽咋郡 上甘田村(現 羽咋市)
【1063】 2018/7/21 石川県 羽咋郡 中甘田村(現 志賀町)
【1064】 2018/7/21 石川県 羽咋郡 西増穂村(現 志賀町)
【1065】 2018/7/21 石川県 鳳至郡 諸岡村(現 輪島市)
【1066】 2018/7/21 石川県 鳳至郡 櫛比村(現 輪島市)
【1067】 2018/7/21 石川県 鳳至郡 浦上村(現 輪島市)
【1068】 2018/7/22 石川県 鳳至郡 西保村(現 輪島市)
【1069】 2018/7/22 石川県 珠洲郡 西海村(現 珠洲市)
【1070】 2018/7/23 石川県 珠洲郡 蛸島村(現 珠洲市)
【1071】 2018/7/23 石川県 鳳至郡 諸橋村(現 鳳珠郡穴水町)
【1072】 2018/7/23 石川県 鳳至郡 兜村(現 鳳珠郡穴水町)
2018夏の「青春18きっぷ」輪行の旅、第2弾は信州飯田へ、連日の猛暑に参って少しでも涼しそうな処へ行こうと云う訳でもないのですが、一昨年8月に天候が怪しくなって中断したツーリング、飯田市から豊田市へR153三州街道沿いの3基の道路元標を巡るそのツーリングのリベンジをしょうと云う事なんです。
今回も1日目は「青春18きっぷ」での移動のみ。桜井1040→1111奈良1120→1134加茂1142→1305亀山1324→1435名古屋→豊橋1642→2030飯田と云う余裕たっぷり、名古屋駅ホームできしめんを喰らおうと云う行程です。なお今回は「自撮り」もなし身軽にロードで120キロを名鉄の猿投駅まで走り抜ける予定です。
豊橋からは1642発上諏訪行き、究極の乗り鉄路線飯田線を全線通して走る3往復の中の1本です、流石に私も1本で全線を通して乗車した事はありませんが、飯田まででさえ3時間48分かかるのです、ようやく2030飯田駅着。 飯田市は城下町なのですが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形の中にあって、道を誤ると結構をアップダウンさせられる難儀な地形で、飯田線そのものも勾配を避けるために飯田駅前後で大きく西側にΩ型に迂回しているのです。その飯田市街に来るのは一昨年以来の2度目になります。宿までは輪行袋を担いで歩くには距離がありますので、駅前で輪行支度を解きます、走り出して右のペダルに違和感、ヴィンディングが悪いのか、クリートが悪いのか、とにかく下り基調ですし、暗くて良く判らないので、そのまま宿まで走る事に。案の定1本南側の道を下った為に激坂と階段を担ぎ上げる事に、結果的に宿の1階側に下っていた様で、宿の受付は4階にあるのです。
宿は税込2,900円也、民宿を標榜してるのですが、バストイレは共同で労働者向きの宿と云う感じ、気さくな伯母さんと何とローディ御用達かして、ポスターとか色々貼ってあります。そんな訳で自転車も中に入れて貰えます。食料は部屋に持ち込み禁止ですが、飯田市市街の真ん中ですし、遅くまで食事のできる店は空いています。エアコンがコイン式ですが寝るだけなら充分です。7月最終日、本日の走行2.9キロ。
ツーリング5日目と云っても今日は七尾駅0500発の始発に乗って「青春18きっぷ」で帰途に就くだけなんですが。七尾0500→0622金沢0702→0825福井0911→1005敦賀1023→1158京都1203→1248奈良1308→1342桜井と淡々と5回の乗換えをこなして6時間半余り、昼過ぎには桜井へ無事帰投、昨夜穴水駅で輪行支度を済ませ、七尾での宿は駅から2分程、宿で風呂に入ってさっぱりしてですから、鈍行の旅にさえ慣れていればいたって快適なもんです、iPodのバッテリが上がってしまったのは誤算でしたが。
走行距離は1日目から4日目での4日間で計302.9キロ、ちょっと寄り道もありますが羽咋スタートの穴水ゴールでの能登半島でも、300キロは走らないといけません。
しかし今回程、反省材料の多いツーリングはありませんでした、幾ら重さ自慢の4サイドとは云え、使わなかった機材の多かった事、イス、テーブル、タープ、火器類と… 当初の5泊6日の日程だったら多少マシだったのかも知れませんが、連日の猛暑では日中走るに走れず、キャンプ場で連泊するならともかく、毎日朝夕の涼しい時間帯に距離を稼がなければならないだけに、夜はテントを張って寝るのが精一杯、だったら最小限の装備で身軽にするべきだったかと、でも色々と持って行きたいのですよね。しかしできる事ならこの装備で皆月とか木ノ浦に2泊位しながらのんびりと回ってみたいものです。 でも重宝したもの、今回なくてはならなかったもの、ソフトクーラーボックス、グランドシート、団扇、いつものショックコード。ホームセンターで売っている安物ですが、酷暑のツーリングをこなせたのも保冷バッグのお陰、少々お高くてももっと保冷能力の高いものはないのかな。他のテントで使っている汎用のシートですが、店を拡げる時あると便利。団扇はコンパクトに扇子でも良いかも知れませんが、テントの中でUSB扇風機なんかどうだろうかと悪だくみ、もう何十年と使っています、輪行時の固定他、フックの形状とかゴムの耐久性とかエバニューのものを対にして使うのが私にはベストです。
現代のツーリングはバッテリなしでは成り立ちません、アンカーの13,000mAhと10,000mAhを、内蔵バッテリでは瞬断の多いうちのGARMINの外部電源用としても使います。うちのスマホ用のバッテリには中華ブランドの怪しげな品物ですが(コネクタもちゃちい)、充電専用機が売られています、スマホを使用中に充電を繰り返したり、この気候では充電時の温度上昇も劣化の原因ですから、バッテリは予備を持って別途充電がベスト。なお互換バッテリでは「おさいふケータイ」が使えない事が多いので注意。 道路元標の方は30基の予定が4泊5日となって能登島の中乃島村は難しくなったものの、輪島町をミスった事で、無理はせずに次の事も考え幾つか端折って、結果的には13基で累計1,072基。赤色の7ヶ所を残してしまいました、まぁ次の機会へのお愉しみと云う事で。
余興程度のつもりだった「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、68基には遠く及びませんが、意外とポイントを見つけるのに手こずる事もなく16ヶ所を、この大きな青い立て看板が非常に見つけ易かったです。所詮抽選なのですが「里山里海賞」と「エリアクリア賞」の抽選権利が、今期の「18きっぷ」で日帰りですが石川県能美郡と江沼郡の残りの道路元標を回る予定をしているので付近の「白山手取川ルート」と「加賀四湯いでゆルート」のどこかのポイントを回れば「オールいしかわ賞」の抽選権利が。しかし68ヶ所と云うのは県外の人間にはあまりに多すぎるのと、ポイントが幾つも固まっている場所があったりとか、そこそこ回れば参加賞があるとか、もう少し考えてほしいですよね。
交通費(JR) 4,740円(「18きっぷ」2回分相当、12,100円分乗車)
交通費(のと鉄道) 830円
宿泊費(宿) 8,220円
宿泊費(キャンプ場) 920円
食料品・菓子・飲料類 8,608円
運送料(梱包資材含) 5,234円
計 28,552円
今回は外食する時間がなかったと云いますか、自販機のお世話になったのがなんと3,000円近いとは。
当初の予定の5泊6日が4泊5日になってしまった皺寄せが今日4日目にきていて、珠洲でサイドバッグ4つ分の荷物を宅急便にして身軽になるに予定にせよ、七尾までの約140キロを走らなくてはなりません。普通なら無理な話でもないのですが、この猛暑続きの毎日で日中はマトモに走れない事は、2日目と3日目で身にしみています。七尾での宿は未だ確保していないので、どうせ5日目は七尾駅0500の始発に乗って輪行で帰途に就くだけ、ならば暑い昼間はどこかで休んでおいて、ナイトランで七尾までの突っ走ると云う手もあるかなと考えながら休みについたのですが。
朝暗いうちに輪島方面が向う車が何台も走って行く音で起こされたのですが、それまでは道路脇にしては静かに過ごす事ができました。まぁこんな場所であまりのんびりともしていられないので、6時までには撤収を済ませ、まずは木ノ浦へ向かう事に。 木ノ浦へは堂ヶ埼のこの坂を登らなくてなりません、手前には「登坂距離 2000m 標高差 100m」と案内標識が立っていて、ご丁寧に「平均勾配5% 最大勾配11%」とまで記されていますが、実際11%の処は左カーブですから、イン側はそれ以上の激坂、4サイドには些か大変です。
野営場のある方にはもう用がないのですが、せっかく登ってきたので浜の方へ下る事に、下った坂を再び登らなくてはならないのですが。 実はここは2015年の永作博美主演の映画「さいはてにて」のロケ地なのです。ロケで使われた小屋は残っていませんが、傍に「Cafe Cove」が営業しています。残念ながら開店の10時までは待ってられませんでしたが、写真を撮ったりしながら少しの時間を過ごしました。なお一昨日の皆月も1999年の映画「皆月」(主演 奥田瑛二 吉本多香美)のロケ地だったのですが。
しかし今回はせっかく重いカメラと三脚を積んで走っていながら「自撮り」は羽咋界隈で2回トライしただけ、なかなか良いポイントもなくはなかったのですが、強烈な陽射しの中、三脚を立ててタイマーをセットして行ったり来たりする気力は起こりませんでした、この場所も立ち止まりはしたものの、ガードレールがもう少し低く見えるか、無ければねネェ…
海岸沿いに禄剛崎へは回らず、県道52号で小さな峠を越えて珠洲市街へショートカット、蛸島村道路元標の後、旧珠洲駅跡の道の駅「すずなり」へ、日陰で涼みながら今後の計画と荷物の整理を、不要になる荷物と輪行で必要なものや着替えをはっきりさせておきます。なおここには能登線時代のホームと上屋が保存されています。
さてヤマト運輸の石川珠洲宅急便センターを訪れ、まずは羽咋から送っておいた輪行袋他を受けとりますが、肝心のクロネコボックス14は在庫がないとの事、12相当の箱ならあるのですが2個口になり、当然運送料金も高くなります。こんな事なら羽咋で処分した14の箱を輪行袋と一緒におくべきだったと。14ならすんなり入ったサイドバッグがすんなり入らず汗だくになって格闘する事に。 とにかく重量で20キロ余り身軽になって近くの見付島を望む公園へ。内浦側もここ見付島とか恋路海岸といった景勝地はあるのですが、やはり外浦海岸に比べるとね。春なら富山湾を挟んだ対岸の立山の冠雪が望める日もあるかとは思うのですが。基本的に海岸寄りを走ってきたのですが、九十九湾前後はパスしてR249で宇出津(うしづ)へ越えます。17時前には宇出津駅跡の観光・地域交流センター「コンセールのと」へ、スタンプラリーのポイントにもなっています。2001年にはここで2泊目の宿を取ったのですが、古い街並みが小綺麗に整備されてしまった様です。
ここ宇出津からのと鉄道の穴水駅までR249経由で約32キロ、海岸沿いの県道34号経由で約10キロ長くなるのですが、七尾行きの2051発最終乗車する事も可能です、七尾での今夜の宿を確保して穴水駅へ急ぐ事に。 実際遠回りにはなるのですが、鵜川 から県道34号能登穴水線へ、2001年にも走っているのですが、旅自転車にお勧めのルートです。途中諸橋村道路元標と兜村道路元標(写真左)を履修、写真右は当初ゲリキャン用に目を付けておいた「寄り道パーキングかなみ(鹿波)」、間近に能登島が見えます。
陽もすっかり暮れた頃に県道34号から再びR249に戻りますが、土地勘がない上には暗いと道も判りにくくて、道を間違えたかと錯覚したり、穴水の街中も結構判り難くて焦ったりしましたが。どうにか20時過ぎには穴水駅に到着、早速輪行支度を、最終の七尾行きには余裕で乗れそうです。本日の走行99.1キロ。
少し空が白み始めた頃に自然に目が覚めます、風が通って涼しいし、虫も少ないし、静かだし、最高のロケーション、皆月湾に輝く月明かりの美しかった事。ただ夜明け前に釣り客だかダイバーだかが駐車スペースとトイレのあるキャンプ場の入り口まで来てドアを開けたり閉めたりと煩かった事、まぁ此処へやってくるのは釣り客かダイバー位のものでしょうか、山を越えないと来れない帰れない何処へも行けない、しいて云えばサイクリストが一番来ないロケーションに違いないかと。
さて今日の目的地は能登半島の先端禄剛崎の手前、木ノ浦野営場。輪島経由で60数キロの道のりなのですが、今日も変わらず猛暑の予報、昨日の事を考えると恐らく日中はまともに走れそうにありません。 6時半には撤収を済ませ皆月を後にします、まずは県道266号で標高250m程の無名の峠を越え県道38号へ入り上大沢へ下ります。ここでは文化庁の重要文化的景観に選定されている「間垣集落」を見る事ができます。
ここから輪島へと標高100mに満たないのですが海岸沿いにアップダウンの道が続きます。次の大沢漁港でも同じく「間垣集落」を見る事ができ、ここで鳳至郡の西保村道路元標を。ここは2015年のNHKの朝の連ドラ「まれ」のロケ地でもあります。
大沢集落をでたのは9時半、外浦海岸を走る道の中でも上大沢からゾウゾウ鼻にかけてが絶景の連続、急坂が続く故に展望は素晴らしいのですが、どんどん上がる気温に木蔭の度に一息入れるばかりで前に進みません。皆月経由までは難しいとしても、門前から輪島へはR249を辿るより大沢経由の県道38号がお勧めです。
17年前には金沢からここまで一気に走ってきているのですが、こんなに厳しかった印象はなかったのは、やはり暑さのせいでしょうか。
12時半にようやく輪島の袖ヶ浜に到着、ここには無料のキャンプ場もあるのですが、最寄りが海水浴場だけに、この季節は旅人にはお勧めではありません。有名な輪島の朝市の通りもご覧の通り。
少し暑さが和らいでから出発しようと腹をくくって市内の足湯「湯楽里」でのんびりする事に。輪島市街を離れると、能登半島を回って禄剛崎を回って内浦側の珠洲市街までコンビニはおろか、食料の調達が難しいので市内のスーパーで買い出しを、そんなこんなで輪島市街を離れたのは15時前、それでも西陽を背中に受けながら走るのは大変です。ところでここで大変なミスをした事に気が付きます、足湯でまったりしたり買い出しをしたりしていて輪島町道路元標に寄るのをすっかり忘れてしまっていたのです、「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリーはともかく、道路元標を通り過ぎてしまうとは。
今や輪島の朝市とともに能登半島有数の観光スポットとなった白米(しろよね)千枚田、道の駅も相当な混雑です、昔はそうでもなかったのですが、確かに日本海をバッグにした棚田の風景は、日本初の「世界農業遺産」に指定されただけのものだとは思いますが。白米千枚田を出たのが16時半、輪島町道路元標を飛ばしたついでに内陸側に少し入らなければならない南志見村道路元標も輪島町と共に再訪する事にしてパス、18時前に曽々木海岸を通過、スタンプラリーのポイントにもなっている道の駅「すず塩田村」へ、反対方向から走ってきたクロスバイクの学生2人と一言二言、これから輪島の宿まで走るとか。もう時間的に木ノ浦野営場は無理として、ここでゲリキャンと云う手もあるのですが、今一つ気が進まないので、先へ進む事に。どうにか明るい内に西海村道路元標を、ここから能登半島の海岸線を巡る国道249号は山越えで内浦側へ越えるのですが、2014年に完成したバイパス大谷道路の巨大なループ橋を見上げる事ができます。
19時、タイミングが良いと云うか「ゴジラ岩」の落日を拝む事ができました、今では全国各地に同様の「ゴジラ岩」があるのですが、ちょっとここのは可愛いと云うか、でも日本海に沈む夕日は格別です。
「ゴジラ岩」を過ぎて暫くで山側におあつらえ向きのスペースとベンチが、道路から丸見えですが、今夜はここでゲリキャンと決定。本日の走行66.1キロ、皆月を出発して13時間余り、実際走っていた時間は僅か4時間半程なんです。
5時半には宿を出発、今日は皆月の青少年旅行村キャンプ場を目指します、寄り道せずに走ったとして約70キロの距離、少し金沢側に戻る格好になりますが、車やバスでも走れる砂浜として有名な「千里浜なぎさドライブウェイ」へ寄って行く事にしました。2001年に並行する能登海浜自転車道を走っているのですが、自転車はちょっと無理だろうと思っていたのですが、ロードバイクでも走っている写真があるので、4サイドで挑戦を。なお「せんりはま」ではなくて「ちりはま」です。
ペダルが重いものの結構走れるものです、タイヤが多少太い分ロードより有利かも。幾ら締まっているからと云ってスタンドの類は役に立ちません、一般道との接続部分で吹き溜まりになっている箇所が多いので要注意。
自動車専用道の「のと里山海道」昔の能登有料道路に沿って能登海浜自転車道を北上、相変わらず路面状態はよくありません、暫く行くと昨日少し走った羽咋健民自転車道に合流します。
羽咋健民自転車道となります、集落を縫ってローカル私鉄廃線跡ならではの面影が、ここに踏切があったのでしょうね。
これだけ海岸に近い廃線跡も珍しいですよね、準備はしてきていますので「自撮り」にも挑戦。ただ重いカメラと三脚を積んできていながら「自撮り」に挑戦したのはこの日の朝だけ、連日の猛暑にせっかくのポイントがあっても戦意喪失。
能登半島の西海岸、羽咋から門前を経て輪島へはR249(写真は赤神付近)が通じているのですが、ルートは険しい海岸寄りを避けて3ヶ所ばかり山側に入ります。その海よりの区間を県道36号志賀富来線と県道47号深谷中浜線が継いでいます。遠回りですが交通量が少なく志賀原発付近を除けば鄙びた道が続きます、且つ旧道や廃線跡の自転車道を加えて今回もそのルートを選びます。
道路元標やスタンプラリーのチェックポイントを織り込みながら走っているのですが、猛暑の中10時を過ぎると走れたものではありません、道の駅で大休憩は勿論、自販機や木蔭のある度に休憩しているものですから前に進みません。旧門前町域の道の駅「赤神」に着いた頃には15時を回っていました。 門前町のコンビニで最後の補給をして皆月に向います。ところでサイドバッグに小型のクーラーボックスを仕込んであります、最近はコンビニとかで凍らせたペット飲料が売られていますので、保冷材がわりにすれば夏の夕刻の数時間なら結構使えます、お陰で何もないキャンプ場とかでも設営後グビっと1本行けます。
両側を断崖に挟まれた皆月湾へは山越えして行くしかありません、2本の県道が通じているのですが、一昨年「おさよトンネル」(706m)と云うルートが開通してずいぶん楽になっています、2001年は娑婆捨峠経由のルートを越えましたから標高300m近くまで登りましたが、このトンネルなら半分の150mで超える事ができました。
18時過ぎに皆月に到着、キャンプ場は漁港の外れの30m程の高台にあります、1張テントが見えるのですが人影が見えません、7月の週末だと云うのにほぼ貸切状態、最果て感のあるロケーションは最高、なだらかな草地のサイトです、ちなみに料金は1人1張りで920円でした。
走行98.7キロ、12時間もかかっていますが実際走っていた時間は6時間20分程、しかし疲れました。
桜井駅0543発の奈良行き始発に乗車。列車時刻の検索はもっぱらスマホアプリの「乗換案内NEXT」を利用しているのですが、桜井→能登二宮間の始発(「青春18きっぷ」利用)で検索すると第一候補は桜井0552→0625王寺0629→0742京都0818→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮となるのですが、能登二宮1448到着の条件で検索すると桜井0607→0640奈良0646→0742京都0818→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮が第一候補となります、始発の場合は鵜呑みする余計に早く出発させられる事がありますので注意。ただ私の場合は確実に座れると云うか輪行袋の置き場所を確保できるとか、乗換の余裕とか階段の少ない経路とか優先させて考えますので、実際は次の様な時間で移動しています、桜井0543→0616奈良0622→0724京都0754→0820堅田0842→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮、京都駅始発の近江舞子行きに乗り堅田で後から来る敦賀行きに乗り込んでいます、舞子まで行くとホームが変わってしまう場合あり。
敦賀で北陸本線へ、北陸新幹線の金沢開業で3セク区間を含めてすっかり521系に置き換わっています。輪行袋を担いでいるとデッキが狭くて乗り降りが大変だった寝台電車の名残り「食パン電車419系」も今となっては懐かしいです。
福井駅25分待ち、金沢駅47分待ちでようやく七尾行きへ乗車、金沢から七尾線の分岐する津幡まで3セクのIRいしかわ鉄道となったのですが「青春18きっぷ」でそのまま乗車可能です、但し東金沢、森本で途中下車をすると別料金を取られます。七尾線では411系451系の末裔が健在、半自動ドアなので不自由この上ないのです、昔の交直流急行色なら許してあげるんだけど。しかし2022年には北陸新幹線敦賀延伸ですかぁ「18きっぷ」で北陸へ向えるのも残り僅か。
今日の予定は鹿島郡で未収の2つの道路元標他を巡ってから羽咋市街へ向います。徳田駅で降りるか良川駅で降りるかここ能登二宮駅降りるか悩んだのですが、一応無人駅ですが広いスペースに自販機、清潔なトイレと大正解だった様です、お陰で手間のかかるヘッド抜き輪行作業もスムーズに。ただ線路の北側へ出るには地下通路を推さなくてならなかっただけが。
最初はリアのサイド枠を付けたまま輪行するつもりだったのですが、やはり大きくなるので外して括りつけてきました、ならば最初から別送しておくべきだったと。
なお本来のヘッド抜き輪行の場合はもっとフレームの中央近くにホイールがこなけらばならないのですが、今回はエンドどパニア台の後ろと両輪で支える様にしています、それとうちasuka号はサブブレーキ(エイドレバー)が付いているために抜いたハンドルが思うようにならないので、この様な形になっています、それでも最近のロードやクロスの人達のなんちゃって輪行よりはかなりコンパクトになっています、但し重さだけはどうにもなりません。 ところで私が到着してから一向に列車がこないので怪訝に思っていたのですが、どうもIRいしかわ鉄道で架線故障とかで停まってしまっている様です、1本後ならエラい目に遭っていた処です。しかし15時を回ったと云うのに何という暑さ。
県道18号を北へ7キロ程走って高階小学校裏に残る鹿島郡高階村道路元標、ここで1,060基目となるのですが、2014年8月に淡路島で1,000基を超えたもののその後はなかなか捗りません、今回のツーリングでは20基を予定しているのですが。
今回のツーリングのもう一つのテーマ「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、今年は4月から始まっていたそうなのですが、いまから11月までに68基をクリアするのは難しいのですが、オールクリア賞以外のプレゼント抽選資格位は押さえ様かと。68基の中には一般には馴染みの薄い様な施設もあるので心配していたのですが、道路に面した箇所に大きな案内看板が設置してあって、ポイントを見つけるのは難しくなさそうです。「ツールド紀伊」や「なるくる」のスタンプラリーの時はスマホのGPSでの座標を利用していたのですが、「いしかわ~」では看板に貼り付けられているQRコードを読み込ませる様になっています。結局この日は「ふるさと創修館」「道の駅織姫の里なかのと」「コスモアイル羽咋」と3ヶ所回る事に。
羽咋市街へ向う途中で鹿島郡久江村道路元標へ。ところで道路元標は大正11年の内務省令で様式が定められているのですが、都道府県や地域によって内務省令と異なるものがあります、石川県のものは天頂部の4辺が丸く、正面?に「道路元標」、側面に「○○村」と陰刻されているのが特長ですが、個人的にはあまり好きな様式ではありません。
1802羽咋駅の裏側(東側)まで戻ってきました。別送の荷物をヤマト運輸の石川羽咋宅急便センターまで引き取りに行かないといけないのですが、近くまで羽咋健民自転車道が続いているので、信号もない事ですので利用する事に、この自転車道は昭和47年に廃止された北陸鉄道能登線の廃線跡なのです。
荷物を受け取りサイドバッグを取り付けます、これが結構な作業、当初の予定で19日に来ていれば、早くても羽咋駅着が1807、それから輪行支度を解いてスタートですから少々大変だったかも。輪行袋は帰りまで余計な荷物ですので、運賃が勿体無いと云えば勿体無いですが、帰りに利用する珠洲市のクロネコヤマトに送っておく事にします。
楽天トラベルで予約しておいた市内の安ビジホへ、3,900円也。ただ羽咋市は駅前や中心部にコンビニやファーストフードの店がないのが不便。本日の走行39.0キロ、さて明日からが本番です。
前回に続いて7/21~22に参加を予定していた「第2回しまなみキャンプライド」、むらまさ君を始め今治「シクロの家」の皆さんと久しぶりにお逢いできる事も愉しみにしていたのですが。先日の西日本豪雨により「しまなみ海道」の道路状況やキャンプ地となる弓削島の断水と、相当の影響がでていて、20日にはどうにか目処がつくと云う事で、予定通り開催はされる事にはなったのですが、帰りに予定していた「とびしま海道」と呉線の不通に加えて、四国側も予讃線の一部が不通になって特急が運休、同じく参加を予定していたskuram氏一行も22日中に帰る目処がたたないと云う事に。私も不通区間のバス代行では輪行には不自由な状況に、まずは別送する荷物が確実に届くかも不安があり、今回は残念ながらキャンセルする事にしました。ただ折角確保した休みと「青春18きっぷ」、さてどうしようかと考えた末、矛先を変えて北陸石川県は能登半島へ宿利用も含めて5泊6日のキャンプツーリングに向かう事にしたのです。 ところで七尾辺りまでは2008年と2011年に行っているのですが、いわゆる奥能登へは2001年6月以来の17年ぶり、その時はデビューしたばかりのasuka号を駆って金沢スタート、宿利用の2泊3日、時計回りに406キロ(155.5キロ~輪島(泊)~103.0キロ~宇出津(泊)~147.5キロ~金沢駅)を走ったのでした。写真は2001年当時、能登島大橋をバックに黄色塗装時代のasuka号、リア2サイド支度ですが全く野営は想定していない荷物でした。
今回は4サイドキャンプ装備で宿利用も含め5泊6日の予定、前回同様海岸沿いに時計回り、立ち寄りたいポイントは皆月と木浦、テーマは18基の未踏の道路元標、なにしろ2001年当時はまだ道路元標フリークではなかったので珠洲郡と鳳至郡(現在の鳳珠郡)は全く手付かずなのです。加えて昨年から始まったらしい「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、県下に68ヶ所のポイントが設定されています、ただ今年の開催期間中にクリアするのはとても無理なので、予定コース最寄りのポイントを幾つか回る程度のつもりで、日程は…
7/19(木)移動日 ~七尾線羽咋駅まで「18きっぷ」輪行して、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/20(金) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/21(土) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/22(日) 道路元標の加減で禄剛崎はパスするかも知れませんが、内浦海岸側へ、夜はゲリキャンかも。
7/23/(月)能登島を経て和倉温泉へ、サイドバッグ等の荷物はゆうパックか宅急便にして、宿泊。(2日約で113キロ)
7/24(火) 和倉温泉または七尾から「18きっぷ」輪行で帰途に就く予定です。 キャンプ機材他を押し込んだサイドバッグ4つを宅急便で別送するのですが、ヤマト運輸の営業所などで販売している段ボール箱(クロネコボックス14)にうちのサイドバッグ4つがすっぽりと収まるのです、実際のところは詰めたサイドバッグ3つに1つを畳んで「自撮り」用の三脚やリア用のサイド枠を詰め込んでいます。なおリアのサイド枠は付けたままにしておけば、エンド保護にもなるのですが、やはり輪行はコンパクトにする事が肝要です。羽咋の営業所止めで17日には発送を済ませ、asuka号を輪行袋に入れ準備は完了、19日朝の出発を待つばかりだったのですが…
前夜になって、明日は19日、よくよく考えると「18きっぷ」夏のシーズンの利用期間は7/20から9/10、当初の「しまなみ」案では往路は東予港へのフェリーだったの大阪南港19日夜出航、そのつもりで休みを段取りしていたのが災いに、気が付かなかったら今朝駅で大恥をさらす事だったのです。
6,000円近く払って普通のきっぷで行く手もありますが、だったらもう少し走り易い季節に行きますよね。ただ20日出発なら始発からのスタートで現地には明るい内に到着が可能、ならば鹿島郡の未収の道路元標2基を回る時間もあります、ただ24日の夜には予定がありますのでる4泊5日への短縮は致し方ないかと。
7/20(金)移動日 ~七尾線能登二宮駅まで「18きっぷ」輪行、鹿島郡久江村道路元標他を回り、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/21(土) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/22(日) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/23(月) 禄剛崎はパスして内浦海岸側へ、珠洲市のヤマト運輸営業所でサイドバッグ分の荷物を宅急便にし身軽になって七尾へ、七尾泊。
7/24(火) 七尾駅始発で「18きっぷ」輪行で帰途に。
しかし心配なのは連日の猛暑、標高の低い海岸線ルート、アップダウンも結構ある、以前は苦労した記憶はないが、6月上旬の梅雨入り前、ざっと300キロ、果たして走れるのだろうか…
暗くなってから降りだした小雨は未明まで降っていた様な、3時半頃には雲海ハントのカメラマン組がバタバタと出掛けて行き、「昭和食堂」オーナーのかあこさんが雲海が出そうなら乗せてってあげるよとの事で4時過ぎに外へでたのですが、どうも今朝は出そうにないとの事なので、再びテントにもぐり込んで二度寝を。結局起きたのは7時を回っていた様な、朝食のモーニングを頂いて、「山岳グランフォンドin吉野」の一行を待ちます、すぐ近くに公認のエイドがあるのです。 3つのコースの内、ロング(157.2キロ)とスーパーロング(210.6キロ)が野迫川村を経由するのですが、スタートの吉野神宮を出て50キロ余り、五條市火打からの登りの長い事、富貴から筒香まで一息入れられるものの、野迫川村へ昨日私が越えた紀和トンネルへの激坂が待ってます。
0808 先頭はグループかなと思いきや1人であがってきました、2時間余りで、しかも余裕の笑顔。 「昭和食堂」は非公認ですが、近くの野川弁財天にちなんだ応援が光ってます。ランドナーを駆る強者も、今年はスーパーロングを完走されたとか。
他にも見知った顔ぶれが何人も走っています。 いつもなら野迫川村からの帰途には紀和トンネルを越えて富貴経由で五條市街へ下るのですが、今日は旧大塔~天川~黒滝~吉野町経由で帰途に就く事にします。既に野迫川のエイドでリタイアした何人かが引き返してきていますので、頃合いを見計らって帰途に就いたのですが、どうもロングに参加している人達に挟まれてしまった様です、何を勘違いしてか声を掛けてくれた御仁もおられたのですが、それはないでしょ、メットなしの4サイドが「山岳グランフォンド」に参加しているなんてね。天川川合に向かって県道53号は天の川に沿って比較的なだらかなコースが続きます、回りのペースに引っ張られて、天川川合の案内所まで休みなしで走りきってしまいました。
阪本からはロングの一行に挟まれる様な格好で、ノンストップで天川川合まで帰ってきました、約30キロ、1時間35分也。天川村唯一の信号を左折してR309へ、休憩に観光案内所へ入りますが、何故か自販機が無くなっています。暫く道路を眺めていると、ここでもリタイア組が何台も黒滝方面へ登って行きます、リタイアと云っても二山越えないと吉野山へ戻れないのですから過酷です、それもこの先新川合(2751m)と新笠木(1693m)の長大トンネルを抜けて行くのでしょうね。
私は長大トンネルを避けて旧道の川合隧道と笠木隧道へ、すこし余計に登らなくてはなりませんが今では殆ど車の入ってこないルートです。
黒滝村の道の駅「吉野路黒滝」へ、川合隧道からだと450m程のダウンヒル、昔は天川村へ行くとなれば、これを登っていたのだと思うと感慨深いものがあります、道の駅は休日とあってなかなかの賑わいです。
黒滝村から地蔵トンネルを抜けて下市町へ、才谷から県道257号で吉野山へ、途中通行止区間があるのですが、自転車なら問題なし。結果的にグランフォンドのスタートゴールの吉野神宮へ上から降りてきたのですが、吉野神宮駅からゴールまでの県道167号、全コース最後に標高差100m程を登らされる訳です。推している人もちらほら、朝「昭和食堂」で見送った榛原のS氏が元気で上がってきました、まさかこの時間で上がってくるとは、無事に余裕を持ってスーパーロング完走ですね、もう下り始めていたので写真が撮れずに残念。
椿橋で吉野川を渡り壺阪峠を越えて帰途に、なお壺阪峠の通行止区間では重機が入っていましたので、工事が始まると暫く自転車も通れないかも知れません。本日の走行89.5キロ。
今回は1泊2日のキャンプツーリングで160キロばかり走っているのですが、このコースの内の特に九度山~吉野山間は車も少ない魅力的なコースです、大阪からですと南海高野線で輪行して九度山、吉野山では県道を吉野神宮駅には下らず、下千本の七曲りを近鉄吉野線の終点の吉野駅に下り帰途に就けば良いかと。九度山駅~吉野駅間で約95キロ、厳しいのは紀和トンネルへの登り位で後は川沿いの穏かなルートです、「昭和食堂」のある野迫川村野川で九度山から約35キロ、天川川合で約65キロ、道の駅「吉野路黒滝」で約75キロの位置になります。
野迫川村野川で一年でも限られた日だけオープンする「昭和食堂」(チェーンの昭和食堂とは関係ありません)、食堂と云うよりガレージを利用したカフェ?、最近では「のせがわ村雲海の里の宿」と云うゲストハウスもやっておられますが、6月30日の夜に「蛍鑑賞会とナイトパーティー&BBQ、Bar」を開催するとの知らせが、オープンする日が他のイベントと重なる事が多くて、なかなかお伺いできない「昭和食堂」なのですが(ちなみに2016年4月30日以来になります)、今回はキャンプ場ではないのですが空き地を利用してテント泊も可能との事、梅雨時とあってなかなか厳しいものがありますが「蛍鑑賞会」とあればそれも致し方ない事、それに翌日の7月1日は奈良県サイクリング協会主催の「山岳グランフォンド吉野」の当日、今年は「昭和食堂」の前がスーパーロングとロングのコースに入ってますので、知った顔が何人か参加するので応援も兼ねて、天気が酷くならない事を願って準備を進めておく事にします。
今回はキャンプと云っても食事は「昭和食堂」が準備してくれるのとテントサイトで火を使わないと云う事ですので正味寝るだけの準備があれば良いので無理をすれば2サイドで行けなくもないのですが、飲料類は各自持ち込みと云う事ですし、テントをサイドバッグに押し込み、雨具一式を準備すると重さはともかく結局4サイド支度になってしまいました。
野迫川村野川へ向う時に一番悩ましいのがコース、桜井からだと最短は下市町から県道20号で樺の木峠を越えてR168天辻峠で旧大塔村へ下り中原橋を渡り県道53号で野迫川村へ入る約57キロのコース、ただ芦原トンネルを経由する前提の距離ですし、中原橋を渡ってからの登りがなかなか辛いのです。あと吉野川沿いに下って五條市火打口から県道732号で高野町富貴を経て筒香から紀和トンネルで野迫川村へ、距離は約58キロ、ただ火打口から延々と続く登りが。そこで昨年夏の野迫川キャンプでは九度山まで下り、R370を9キロ程走り南海高野線の紀伊細川駅と極楽橋駅近くを抜けて北側から高野山へ入るルート、九度山まで南下する訳ですから距離は70キロを越えてしまいます、それに同じ野迫川村でも川原樋川沿いのキャンプ場へ向う訳でもないので標高1,000m超の天狗木峠と高野辻をわざわざ経由するのは無駄が多い様な、ただ高野山内を経由するので補給が最後にできると云うメリットは。 今回は仕事の都合で0853に橿原市スタートになります、飛鳥駅前から県道120号で重阪(へいさか)峠を越えて五條市に向う定番コース、R24に合流するまでは車も少なく自転車にはベストなルートです。
途中吉野口駅前の「柳屋」に立ち寄ってお昼用にと柿の葉寿司を仕入れて行きます。田舎のローカル駅で今なおここ「柳屋」の駅弁が売られているのですが、実は大阪の百貨店や駅でも売られてる銘店なのです、
10時過ぎには重阪(へいさか)の集落(写真)を抜け峠を越えてR24を下ります。五條市今井で業務スーパーへ立ち寄ったのですが、お目当ての黒ビールはなく、PETボトル入りの安物ワイン他を調達。
R24を走っているとリアサイドにリュックを背負ったサイクリストが。ロードバイクにサンダル履き、荷物の量からして長期のツーリングの様です。このスタイルで走る若さが羨ましいと云えば羨ましいですが、ロードバイクを選択する今の時代が残念です。ところでサイドバッグ左右まちまちなのですが、なんと片方は私が4つ使っているオーストリッチのS-5なんです。追い越し様に「頑張って」と声を掛けると、突然で驚いた様ですが、後ろから「有難うございます」の声、片手を揚げてこの先の無事を願いました。
1112には県境を越えて和歌山県へ、橋本橋南詰を経て紀ノ川沿いのサイクリングロードに入ります。途中四阿やトイレが整備された一画がありますので、ここでお昼にする事にします。サイドバッグにクーラーボックスを押し込んできていますので、飲み物を冷たいまま運べるのが有り難いです。
九度山のローソンで小休止、高野山へ向わないのならここが最後のコンビニになります。氷結PET飲料を2本調達、お陰で「昭和食堂」到着後に自前で冷たいビールを飲む事ができました。
赤瀬橋に到着、ここままR370を高野山方面に向うか、このまま丹生川に沿って進むか。
悩んだ挙句に丹生川沿いに和歌山県道102号へ進む事に、最後に紀和トンネルへの激坂が待っているのですが、木蔭が多く玉川峡と呼ばれる渓谷沿いの涼やかなルートは最高、週末ですが川遊びの行楽客の車もまだまだ少ない様ですし。
彦谷で橋本から狼頭峠を越えてきたR371と合流します。この先河合橋から先高野山方面へは通行止になっている様です。
宿(やどり)温泉で小休止の後、河合橋で筒香へ向う町道へ入ります、渓谷沿いの道から里山風景へと。
少々雲行きが怪しくなってきたので雨雲レーダーを確認すると夕立の雨雲ですね、幸い少しパラパラっと来たもののかすめた様で中筒香の三叉路に到着、この先は雨宿りできる処がありませんので、暫く様子を見て1552に紀和トンネルへ向います、ここから4キロで300m登らなくてはなりません、北側からアタックするのは何と30年ぶりかと、以来北行き専用コースになってます。
一度停まると発進できないので頑張ったのですが、幅員はないし路面は悪いはと蛇行も思うにまかせず約1.5キロでついに足付き、緩斜面になるコーナーまで推すハメに。最後の右コーナー(写真右)を回るとトンネルまでは随分楽になります。
1648に標高780mの紀和トンネルに到着、どうにか17時過ぎには「昭和食堂」に到着できそうです。後年阪本経由になるまで奈良交通の野迫川村行きバスはここを越えていたのです。
予定通り17時過ぎには「昭和食堂」に到着、参加者は16名との事。怪しげな天候に自転車組が二の足を踏んでしまった事もありますが、オーナーの泉本さん以外は面識のない人ばかりなんです。まずはテントを設営、県道脇ですが綺麗に草が刈ってくれてあって立派なテントサイトです、県道と云っても夜には通る車もありません。
料理をしなくて良いと云うのも少し寂しい気もしましたが、美味しくボリューム満点の料理を頂けるのが有り難いです。そして「スウェディッシュトーチ」、話には聞いていたのですが実物は初体験、なかなか良いものですね。少々雨も降ってきたのですがもちろん「蛍観賞」も、回りが少し明るくて見えにくかったのですが、しかし蛍を見るのは何年ぶりかな。
本日の走行71.3キロ、2018年上半期を5,224キロで折り返しました。
今回で4回目となるRRCBの恒例行事「ヴィンテージレーサー鑑賞会」、例によって三重県伊賀市の「サンピア伊賀」で行なわれます、関西と中京の中間で名阪のインターからも近くて集まりやすく、会場を借りるのもリーズナブルとか。第1回のイタ車に始まり、日本、フランスと来て、今回のテーマはイギリスだったのですが、流石に盛り上がりに欠けるとか玉が揃わないとか、結局はテーマ不問と云う事になった様です。さて私と云えばヴィンテージとかには格段の造詣や見識がある訳もなく、専ら集合写真係として顔を出させて貰う様な次第。ただ今回はT御大と一緒に走って行こうと云う話に。
仕事の都合で出発は9時半と云う事に、ぐずついていたお天気もどうにか出発する頃には回復してきました。
伊賀上野へは名阪国道の針テラス付近まで登った後、上津ダムを経由するか県道781号と782号を継いで行くルートを取る事が多いのですが、山添村のあちこちで通行止め箇所があって、岩屋の手前までは781号と782号を走り263号で旧R25へ入って五月橋へ下ります。 12時過ぎに五月橋に到着、先日も島ヶ原の帰りに通ったのですが、耐震上の問題があるとかで架け替え工事が始まっておりこの五月橋は2,3年後には撤去されるとか。小休止の後やらせ写真をば(写真左 ; 辰巳御大)。「サンピア伊賀」は名阪国道より南側に位置するので旧R25をそのまま走らず三重県道687~686~687~688号を継いで猪田道へ出る事に。
R422を跨いでから少し道を迷いましたが、13時過ぎには「サンピア伊賀」に到着、そのまま自転車を推して2階の会場へ。(写真 : まえださん)
会場風景。
忍者の街とあって、何とまいちゃんがくの一のコスプレを。
参加車両たち、私は解説できませんので乾さんやまえだサンノブログでよろしく。 最後に皆さん揃って記念写真を、私はこの任務の為だけに走ってきた様な…
大きな画像はこちら(要認証「ツーリングの記録」と同じログインとパスワード) まともにお昼を取っていないので帰途R422沿いのコンビニで虫養いを、陽が暮れる前に帰るにはぎりぎりの時間ですが、猪田道駅の踏み切りを渡る処でT御大がパンク、典型的なリム打ちパンクでした。
伊賀盆地の田園風景の中を伊賀神戸まで南下して近鉄大阪線に沿って初瀬街道をひたすら西へ、1815に西峠を越え1840には無事桜井に帰投しました。本日の走行120.9キロ。
乾さんのブログ「伊賀上野ビンテージロードの合戦」
まえださんのブログ「自転車趣味+α2」
先週3日に行ったばかりなのですが大河原へ向う事に、今回は「自撮り」の準備を整えて大和高原経由で向う事にしたのですが、昨夜無駄に夜更かしをしてしまって出発したのはすっかり明るくなった6時前、その上前回同様夕方から予定があって午後には帰途に就かなくてはなりません。 ところできっかけが判らないのですが、右足の足首あたりが少し痛みます、普通にペダルを踏むには支障はないのですが、ビンディングを外すのが少し辛いので、右側はあまり使わない様に心掛けます、ちなみに片面のPD-M324です。なんやかと挫ける材料を並べながらもR165から県道38号に入り天神社笛吹奥宮の水場まで足付きなしのノンストップで。
布目ダム方面に向う時には基本的に県道38号で針まで行くのですが、最近良く使っているルートが山辺高校の先、つまりミモザガーデンとの間を並松池を右に見ながら左折、工務店の角を曲がって春日台カントリークラブの間に入ると、そこは天理市山田町即ち布目川の最上流部なんです、後は布目川の流れに沿って下れば良いのです。
山田町では以前から気になっていた「奈良安全索道跡」へ立ち寄ってみます、「奈良安全索道」とは現在のJR桜井線の京終(きょうばて)駅から田原~山田~針を経て小倉を結んでいた延長16.9キロの貨物用のロープウェイで、大正11年に全通し大和高原からの物資輸送に供されていたのですが、道路網の整備等で自動車輸送へのシフトが進み、昭和27年には廃止されています。ただ「跡」と云っても何かが残っている訳でもなく、少し歩いた高塚明神に鉄塔が建っていたとか、「跡地」以外のなにものでもありません。しかし「安全索道」と云うネーミング、安全でない索道も多かったと云う事なのでしょうか。冗談はさておきその「安全索道」の名前ですが、「安全索道商会」が大正4年に大阪で創業し、現在では滋賀県に本社を置く「安全索道株式会社」となり、国内に多くのロープウェイやゴンドラ、リフトを建設しています。なおこの「奈良安全索道」の後には昭和2年に紀伊自動車の発注により、紀勢本線全通以前の矢の川峠に2人乗りゴンドラによる旅客用の「矢の川索道」を建設しています。
「奈良安全索道跡」を後にして布目川沿いの田園風景の中を走り県道25号月瀬針線を北上します。先に立ち寄った藺生町の紫陽花はまだまだでしたが、的野界隈では見事に咲いていました。
山添村峯寺から布目ダム右岸の道へ入りますが、堰堤までの区間の崩落箇所の通行止は相変わらず手付かずの状態です、自転車を推してならどうにか山側を迂回する事ができますが、左岸の県道があるのですから、わざわざ踏み込む必要もないと云えばないのですが。
布目ダムを下り、少し判り難いですが大和高原CCの入り口を過ぎて直ぐの三叉路を右に入ります、RRCBの恒例「大和高原クラシックレーサー走行会」のお昼にレイクフォレストリゾートを使っていた頃の定番ルートだったのですが、お昼のバイキングが割高になってからはご無沙汰です、当然内容は良くなっているでしょうが4,000円(税別)ではね。途中集落と茶畑の中に結構激坂があるのですが、レイクフォレストリゾートへ真正面から行くよりはマシかと。
入り口の前を真っ直ぐ通り過ぎ、暫くリゾートを右に見ながら走り、大河原へと激下りが、正直云ってこれだけキツいと愉しくも何もありません、なお東海自然歩道のルートも重なっています。
しかし9時頃には晴れるとの予報だったのですが、一向に良くならないどころが、時折雨粒が、雨雲レーダーに不気味な雨雲が行く手に見えます、ただこれ以上は悪くはならない様です。
ようやく木津川べりまで下ってきましたが、この時点で10時を回っています、所要時間はあまり変わらないのですが、先週は7時半には恋路橋には着いていたので先が思いやられます。距離は短いものの、未明から早掛けしてきたのと寄り道しながらとではね。ただ大型車の多いR163を通らずに大河原まで来れたのが。
今日第一の目的地「恋路橋」の名前の由来となった恋志谷神社は天満宮の奥にあります。
恋路橋、あまり時間の余裕もないのですが、「自撮り」の為に重いカメラと三脚を積んできたのですから、両岸から数テイクを。平日とあって釣り人の姿もありませんが、下流にある笠置の潜没橋と違って結構車が通るのですよ。
少しR163を走らなけらばなりませんが先週同様に島ヶ原へ向います。前回は旧R163と思しき道を行ったのですが、今回は並行して南側にある旧大和街道を行く事にします、稜線に沿って民家の並ぶ旧道は、廃道寸前の殺伐とした道に比べると街道の趣があります、但し斜度はそれなりに。こちらには「二本杭」(写真左)と呼ばれる「従是西山城国」「従是東伊賀国」2本の石標が建っています。ただ「従是東伊賀国」の方は明治時代に先の道へ移設され、レプリカが平成15年になってここに再建されました。「二本杭」で三重県に入ったものの500m程更に登った「藤堂藩関所跡」(写真右)で旧大和街道は峠を越えます。
島ヶ原に下る頃には12時を回っれしまいました、もう帰途に就かなければならない時刻ですので、最短コースと思える県道305号島ヶ原停車場観菩提寺線と県道686号上野島ヶ原線を継いでR25五月橋へ向います。
旧R25五月橋へ、前後のボニートラスを従え立派な親柱を持つトラス橋なのですが、何やら下流側で工事をやっている様で覗いてみると「架け替え工事」と云う事です、ネットで調べてみると現在の五月橋は耐震上の問題があるとの事で架け替えられるそうです。道路用はトンネルに比べると鉄橋はどんどん姿を消して行きますね、土木遺産に認定されていないのが残念です。
ところで橋の上を走る自転車の撮るのもやっかいなもので、今日の恋路橋の様な欄干のない沈下橋や上から見下ろすようなロケーションでないとなかなか難しいものです、五月橋があるうちに狙っておきたいとは思うのですが、写真は2016年5月29日、真夜中の大和高原を越えて鈴鹿に向う途中、濃霧の中の五月橋です。
五月橋から旧R25を針まで辿る訳ですが、西行きに使った事は過去殆どないのですが、私とした事が勝原で道を間違えてしまいます、このまま岩屋まで走って県道782号上笠間八幡名張線で帰るルートも考えてみたのですが、登り返しが結構あって旧R25を登ってきた甲斐がありません、少し引き返して県道263号岩屋三ケ谷線に抜ける道を取ります。三ヶ谷で旧R25に戻ったのが1417、15時過ぎに帰宅のつもりにしていたのですが。
名阪国道に沿って神野口、小倉と急ぎ針へ戻ったのが1451、後は初瀬まで下るだけですが、R165に入って以降、信号や踏切にことごとく引っ掛かり、1550どうにか帰宅する事ができました。ここまで走行約119キロ。
相変わらずなかなか走る時間の取れない日が続いていますが、今週にも梅雨入りとか。キャンプ装備を解いて身軽になったasuka号、今日は早駆けで距離を稼ごうと朝4時過ぎに桜井を出発し上街道を北へ、5時半には奈良市街へ。
少年刑務所跡の前を通って奈良阪を越え京都府へ、大仏線跡に沿って鹿背山を越えて加茂へ。しかし清々しい空気の気持ちの良い朝です。
恭仁(くに)大橋で木津川を渡ります。最初は昨年春の「NLC4’season 春のサイクリング+」の時の様に信楽まで走り御斉(おとぎ)峠で伊賀上野へ下ろうかとも考えていたのですが、今一つ乗らないと云うか調子が出ないので、日曜だから大型車も少ないだろうとR163を東へ向う事に。大型車は少ないのですが、行楽地に向うだろう車が結構飛ばすのですよね。
先週も来たのですが笠置へ、対岸に見えるキャンプ場、賑わってますね。
木津川に架かる2つの沈下橋、笠置町有市と飛鳥路の間に架かるその名も「潜没橋」(写真左)、南山城村南大河原の「恋路橋」(写真右)、対岸に恋志谷神社があるのが名前の由来とか。「恋志橋」前後は自転車通行不可のバイパスが供用されていて車が少なく快適です。「潜没橋」の方は以前に「自撮り」もしているのですが、「恋路橋」は鮎つりや川遊びの人がいない草も伸びていない季節に狙ってみようかと。
R163と離れ関西本線月ヶ瀬口駅の下をくぐります。今は奈良市となった山辺郡月ヶ瀬村ですが、ここは京都府相楽郡南山城村になります。数キロ離れた隣県の名前を取ったのも、月ヶ瀬梅林の知名度なんでしょうかね。
関西本線と並行するR163の旧道と思しき道を行きます。ここには「従是東伊賀国」と記されて石柱があります、たださらに南側に並行して本来の大和街道があり、この石標はそちらから移設されたもので、現在そちらには「従是西山城国」の石標と並んで「従是東伊賀国」のレプリカが建っています。この道を訪れたのは何年ぶりでしょうか、かなり舗装が痛んでいて県境から東は車両通行止となっています。
島ヶ原駅、関西鉄道時代のレトロな駅舎が残っています。付近は正月堂とか見処も幾つかあります、案内所でスタンプ帳を買って巡ってみるのも良いかも。
伊賀盆地に入り上野城の見える処までやってきました。まだ9時半なのですが、夕方から予定があり午後には帰りたいので、市街には入らずに木津川左岸を南へ向います。対岸をR422が走っているのですが、こちらは車のいない田園風景の中で快適です。
伊賀神戸から名張市街へ、赤目から名張川に沿って。
12時丁度には道の駅「宇陀路室生」へ、モニュメントの前で写真を撮ったり。
室生ダム湖畔で濡れ地蔵に寄り道。湛水期には沈んでしまう磨崖仏を今の時期は拝む事ができます。
榛原からはお馴染みの笠間辻を通る県道を、後は女寄峠を下れば桜井ですが、ちょっと確かめたい事があって旧道の女寄峠へ。奈良交通の路線バスは今もこの旧道を往きます。
信楽を端折ったので一府三県となりませんでしたが、奈良~京都~三重と巡って本日の走行135.9キロ。
Photo : CycloTourisme Shimanami
昨年参加した「しまなみキャンプライド」、今年は7/21~22に行われる事になり、受付が今日6/1の12時から始まり申し込みを済ませました。昨年は倉敷まで輪行し旧山陽道を尾道まで自走したのですが、幸い今年は「青春18きっぷ」の利用期間(7/20~)にかかってますし、まずは前後に時間がとれるかが問題ですが、往復のプランを練るのも愉しみです。今の処は木曜の夜に南港からオレンジフェリーで東予港へ、前日の金曜に今治経由で「しまなみ」を北上し適当な処でテン泊して、土曜の集合時刻までに尾道へ。復路は日曜の夜に「シクロの家」に泊まって荷物を宅急便にして、月曜に「とびしま」経由で呉線安芸川尻から18きっぷ輪行で帰って来ようかと。「第2回しまなみキャンプライド」