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道路元標蒐集の旅 (北関東篇 3日目)

再び常磐線を北上していわきから磐越東線へ、磐越西線には何度か乗っていますが、郡山以東の東線は初めてです。 神俣駅で下車し滝根村道路元標へ。 25分で次の列車に乗り郡山へ、再び水郡線に乗り、今日は棚倉町道路元標のある磐城棚倉駅まで往復の予定だったのですが…←磐越東線神俣駅道路元標探索には現存情報をノートPCに入れていますし、予定している場所は地図をプリントアウトして持って行く他、ハンディGPSにもウェイポイントとして登録してあるのですが… 福島県東白川郡の棚倉町道路元標を尋ねて磐城棚倉駅を下車、プリントアウトした地図に従って目的地に向かいますが、何故かハンディGPSの示す位置と違うのです、距離で1キロ余り、駅からの方角だと全く反対になってます。 ひとつは街の中心から少し外れた神社の鳥居の前、もうひとつは街の中心に近いそれっぽい場所、いずれかが間違って登録しているか、オンライン地図の印刷時に中心点をずらせてしまったのか、道路元標が移設されたかして参考にしている複数の現存情報にズレがあったのか。 その場でノートPCを起動して情報を再確認すればよいのですが、次の列車への時間が微妙なので、GPSの示す街の中心に近いポイントに引き返したものの、道路元標やらしき場所も見当たりません、ぐずぐずしている内に列車の時間が迫ってきて、仕方なく1本送らせる事にしてノートPCを開く事に。 どうやら先の神社前が正しかった様で、そちらへ向かう事にしましたが、なんと次の列車は2時間先。 まぁのんびり道路元標を尋ねて、この山あいの盆地の街で昼食でもする事にします。


← 棚倉城址、丹羽長秀の息子が江戸時代初期に築城して、戊辰戦争で板垣退助に攻め落とされたそうです、立派な石垣こそありませんが規模の割りにしっかりした堀が残っています。  城址内には町立図書館があったので時間潰しも兼ねて立ち寄ってみます、県告示の棚倉町道路元標の字番地を調べると、やはり先の神社前になっていて、移動はしていない様で、どうやら間違いはハンディGPSへデータを転送したカシミールへの登録間違いだった様です。  図書館で色々見ているとここ棚倉からは東北本線の白河へJRバスの路線があって、それも1時間に1?2本も出ている様です、これ利用すると水郡線で郡山へ戻らずとも、2時間の遅れを回復できそうです、大急ぎで図書館を後にしバス停へ。

棚倉と白河を結ぶJRバスは白棚(はくほう)線と云って、国鉄の廃線跡の専用道を利用していました、ただJRバスの地方路線にしては本数が多いので五新線の様に一般車が入ってきたり自転車で走ったりなんて事はできそうにありません、間違って走って出くわすと高野山の南海バス専用道の様に怒鳴られる事請け合いです。 それに一般道との交差は専用道優先の様です、踏切こそありませんが。  ところで棚倉町へは時間の掛かる水郡線を利用するよりも東北新幹線の駅もある新白河からこのバスを利用する方が安くて早い様なのです。


ハンディGPSのデータを見ていると白棚線沿線にも道路元標がある様で、調べて見ると福島県西白河郡の金山村道路元標が、それもバス停から適当な距離、次のバスへは1時間ありますが、再び乗る機会があるか判らないバス路線、これは途中下車しない訳には行きません、転んでもタダでは起きません。 ← 雪が積もっていると吹き溜まりの様な処にある道路元標探索には不利ですが、雪をなすりつけてやるとご覧の様に、でも気温が高いとすぐに溶けてしまうので、いつもうまく行くとはいかない様です。
結局、棚倉では食事をする時間はなかったので、次のバスを待つ間に適当な店が無いかと探すと、「手打中華」なる店が、東日本へ来るとそばやうどんの黒いつゆには閉口するのですが、ラーメンならば(^_^;) チャーシュータンメンを戴きます、チャーシューそのものは今一つでしたが、麺もスープもなかなか美味しかったです。


東北本線新白河から東北本線に乗車、栃木県に入り黒田原駅で下車、那須郡の那須村道路元標を尋ねます。

← 古い街並に廃郵便局舎、黒田原郵便局

今も営業しているのか、いないのか判らない様な自転車屋のすすけたショーウィンドの中に PEUGEOT が、私は旧車やオールドパーツの目利きはできないので価値の程は?

今夜は群馬県の前橋泊まりなので、小山から両毛線へ乗換えるのですが、両毛線は伊勢崎近くで踏切事故があった様で運休や遅れがでている模様、その上高崎線でも人身事故で遅れがでている様です。 とにかく両毛線は30分以内の遅れで運転はされている様で無事に前橋へ、実は両毛線は未踏区間でして、これで沖縄を除く46都道府県の全ての県庁所在地に降り立った事になりました。

← 前橋駅にて、一部の列車には湘南色の115系が健在でした。

道路元標蒐集の旅 (北関東篇 1日目)

 「ムーンライトながら」は名古屋駅を2355に発車するので、24時を回って最初に停車する大府駅までの\320の乗車券を買って乗車し、大府駅から「18きっぷ」を利用するのが常識みたいなものなのですが、関西線の列車が遅れているとかを待っていて発車はとっくに24時をまわってしまってしまった、その事について大して気にも留めなかったのですが、検札の時に、名古屋駅の出発が遅れたので大府までの\320の乗車券は払い戻しを受ける事ができるとの事、これには少し驚いた、この理屈だと「18きっぷ」で乗車していて列車が遅れて24時を過ぎてしまった場合はどうなるのだろう?↑「全ハモヨロ 390Mレチ」のサインの入った切符は記念に払い戻しは受けずに持って帰ってきました。

途中結構遅れて走ってもいたのだが、東京駅には定刻のの0520到着。 よくよく考えると久しぶりの東京です。  東京→上野→北千住→我孫子→北小金→土浦→石岡→岩間→水戸と乗り継ぎながら、千葉県東葛飾郡我孫子町、小金町、茨城県新治郡土浦町、石岡町、西茨城郡岩間町と常磐線沿線の駅から近そうな道路元標を回ります。

関西人にとって茨城県って今一つピンとこない、さしたる観光地も思い浮かばないが、水戸と云えばさすがに駅前には…

JR水郡線上菅谷駅、実は今回このコースを考えてみたのは、この水郡線に乗ってみたかった事、その名の通り茨城県水戸と福島県郡山を結ぶ142.4営業キロの非電化のローカル線。 JR東日本では定番のキハ110でも走っているのかと思っていたら新鋭のキハE130系でした、さすがに2扉のキハ110では水戸寄りの朝夕の通勤通学時間帯には無理があるのでしょうね。

水戸1215→1229中菅谷/上菅谷1333→1403山方宿1506→1533常陸大子1635→1823郡山と北上しながら那珂郡菅谷村、山方村、久慈郡大子町の元標を回ります、そんなに山深い処でもないのですが、さすが県境を越えると福島県は東北、外は雪景色になります。 ←JR水郡線山方宿駅、

道路元標蒐集の旅 (北関東篇 前夜)

週間予報をにらみながら、九州行きを画策している内に「青春18きっぷ」の使用期限が迫ってきたが、天気の目処がたたないので、自転車はあきらめて、南東北から関東にかけての駅から近い元標巡りに計画を変更。

一日かけて東京を経由するしかないかと考えていたが、3月のダイヤ改正で「ムーンライトながら」の定期運用がなくなるらしいので、最後に乗ってみるのもと、ネットで検索すと空席がある様なのでJR桜井駅へ買いに、近鉄で名古屋へ出て乗車する事に。
 実はムーンライトながら」と云う愛称になってから乗るのは初めてです、かつて「大垣夜行」と呼ばれ確か165系だった様な、その頃を思えばリクライニングシートの373系は快適ですが、最近は夜行高速バスが安くて早くて快適ですからネェ、しかし名古屋からだと「18きっぷ」の期間中なら日付の変わる大府駅までの乗車券320円と指定券の510円(閑散期なら310円)を買えば良い訳ですから、かなりお徳です。

道路元標蒐集の旅 (紀州篇)

 昨日から「18きっぷ」のシーズンが始まり、天気と仕事の予定がうまく合わさったので、早速紀伊半島を一周してきました。 最初はKHSを輪行して2日間探索するつもりでいたのですが、ところが金曜の午後に予定が入ってしまったので、自転車抜きで現存情報のある処だけ1日で回る事になってしまいました。

←  紀勢本線御坊駅にて紀州鉄道の車両、いわゆるバス窓のディーゼル車両は絶滅危惧種です。 この車両は今は無き大分交通耶馬渓線のお古です。

和歌山県日高郡は南部町道路元標、少しは移動しているか少なくともかさ上げされている様ですが、告示どおりの南部町南道一番地先、旧熊野街道沿いの金物屋さんの前に建っています。 和歌山県下で幾つかの現存情報を戴いている方から教えて貰いました。  

次の目的地への列車の接続に時間があるので、南部から一駅戻って岩代村道路元標を探索してみましたが不発、新宮へ向かいます。 紀伊田辺駅で乗り継ぎの間に「めはり寿司」を探しに出てみると、小径車を輪行支度している方が、同じ様に新宮行きに乗られたので声を掛けてみると、今日東京から白浜空港まで来られたそうで、これから古座へ向かい今夜は串本泊まりとか。

← 海に面した熊野古道の岩代王子に立ち寄ってきました。

紀伊田辺1301発で新宮1600着、陽の短いこの時期ではぎりぎりの時間です。 ちなみにこの区間は車窓から太平洋を望める風光明媚なところなのですが、車両は桜井線と同じロングシートの105系、ワンマン運行で全ての扉が全開にはならないものの、温暖な南紀とは云えどうにかしてほしいものです。 ちなみに紀伊田辺以北はセミクロスシートの115系になっています。  東牟婁郡は新宮町道路元標、国道42号線沿いに建っていますと云うか、「新宮町道」以下は埋まっています、和歌山県では珍しく裏面にも彫られているようで、どうやら和歌山県の「和」の様に見えます。

新宮まで来ると、桜井へ帰るには松阪から近鉄経由が断然楽になります、「18きっぷ」だけで帰ろうとすると亀山経由となり、新宮を15時台の列車に乗らなければなりませんし、既に元は充分にとっています。 新宮から東はJR東海で非電化区間、最近まで旧国鉄色のキハ58系が頑張っていて、狭いデッキと適当なスペースがないので輪行の時には苦労しましたが、現在はキハ48が入ってきています。 新宮1746発多気行き、多気、松阪、伊勢中川、名張と乗り換えて5時間がかりで桜井へ戻ります。 ところで今日も「18きっぷ」で何度か改札を通りましたが、今までになく日付印をしっかり確認している様です、何か不正使用が目立っているのでしょうかね。

本日の収穫
【591】 和歌山県 日高郡 南部町
【592】 和歌山県 東牟婁郡 新宮町 (現 新宮市)

信州まで行ってきます

 今回は「きたぐに」で直江津まで行って信越、篠ノ井、中央線経由で小海線信濃川上まで切符を買いました、予定ははっきりしているので、途中で乗車しない区間があってもこの方が1000円近く安くなります。




今回は連休中なので「きたぐに」には始発の大阪駅から乗車する事にしましたが、思った程に混んでいる訳でもなく、京都で自由席のボックスが一人ずつ埋まってしまう程度です、地震で運休になった以降、乗客はまして減ったようですね。 「きたぐに」にははるか30数年前の客車時代からお世話になっていますが、お盆やスキーシズンには乗車には列ができて、通路まで満席だった事が今となっては懐かしいです。

道路元標蒐集18切符の旅(新潟篇 2日目)

米沢0603の始発で坂町へ向かいますが、始発前の米沢駅には3本分の編成が待っていています、どうやら米沢方キハ52+キハ47が基本の様です、右の国鉄色のキハ52は回送で先に出ていってしまいました。

今泉駅にて、試運転と掲げたキハ110系が、既に磐越西線や飯山線で置き変わっている車です。





越後金丸駅で行き違いになったのはキハ58、最近まで紀勢線であたりまえに走っていたのですがネェ…





< 保内村道路元標は坂町駅前の公園に保存されています。







中条町道路元標へ向かう途中で羽越本線から米坂線に入る快速「べにばな」を、こちらは予想に反して坂町方にキハ52が付いてました。




新津駅にて、キハ110系が幅を効かせています。






時刻表とにらめっこしながら悩んだのですが、上越線沿線の道路元標を回る余裕はないので飯山線に入り、中魚沼郡の中条村道路元標と十日町道路元標を回ります。 中条から十日町へは越後交通のバスを利用。

十日町道路元標のある十日町市本町、最近は何処へ行っても寂れた地方都市ばかりですが、意外と十日町は活気のある街でした。



戸狩野沢温泉駅にて、今夜は松本まで。

本日の収穫 【526】 新潟県 岩船郡 保内村 (現 荒川町)
【527】 新潟県 北蒲原郡 中条町 (現 胎内市)
【528】 新潟県 北蒲原郡 葛塚町 (現 新潟市)
【529】 新潟県 中蒲原郡 川東村 (現 五泉市)
【530】 新潟県 中魚沼郡 中条村 (現 十日町市) 【531】 新潟県 中魚沼郡 十日町 (現 十日町市)

道路元標蒐集18切符の旅(新潟篇 1日目)

 今回は\7,350を払って糸魚川まで「きたぐに」でワープします。
いつものように最後尾の1号車クハネに陣取ったのですが、コンプレッサーがうるさくて参りました、もう30年以上酷使され続けている車両ですからね。


糸魚川にて








各駅停車で途中下車しながら道路元標を… 信越本線青海川付近






柏崎から越後線を乗り継いで新潟へ、関西から陸路で来るとさすがに遠いですわ






ようやく米坂線までやってきました、越後下関で途中下車し岩船郡は関谷村道路元標を、

← 国鉄色のキハ58系も今や貴重な存在とか




まだ明るいのですが乗車するのは米沢行き最終になります、お目当てのキハ52は3両編成の中間に挟まっていたりして撮れませんでしたが、そのキハ52に2時間揺られて今夜は米沢泊まり、こうやって”乗り鉄”を愉しめるのも「18きっぷ」のお陰です、明日の始発で再び坂町へ戻ります。


本日の収穫
【520】 新潟県 中頚城郡 直江津町 (現 上越市)
【521】 新潟県 中頚城郡 八千浦村 (現 上越市)
【522】 新潟県 刈羽郡 鯨波村 (現 柏崎市)
【523】 新潟県 中頚城郡 潟町村 (現 上越市)
【524】 新潟県 西蒲原郡 和納村 (現 新潟市)
【525】 新潟県 岩船郡 関谷村 (現 関川村)

丹後山田駅資料室

 北近畿タンゴ鉄道宮津線野田川駅(旧 国鉄宮津線丹後山田駅)の駅舎内には、ここから分岐していて昭和60年に廃止された加悦鉄道関連の資料等が「丹後山田駅資料室」として展示保存されています。



元鉄ちゃんの私が見ても結構愉しめる展示品が充実しています。






加悦鉄道時代の旧丹後山田駅をなかなか良く再現した9mmゲージのレイアウトセクションがあります。





右側は加悦鉄道が国鉄から払い下げを受けたキハ40(今のキハ40ではなく改番されキハ08となった方)、既製品などあろうはずのない珍車まで再現しているのがマニアックな驚きです。 実は私はHOゲージで小高模型のオハ61系キットを改造して作った事もある思い入れのある車です、

加悦SL広場

 旧加悦駅駅舎や転車台(張った水に鯉が泳いでいたりして)を中心に主に加悦鉄道所縁の車両が保存されています。

C57やC58は加悦鉄道と所縁はないのですがネ、京都市電とかもあったりしますから。

事前に情報を持っていなかったので、元芸備鉄道(のちの国鉄芸備線)のガソリンカーがあるのには驚きました、国鉄時代はキハユニ40900。

車内には郵便の仕分け棚も残っています。

これも珍品、片ボギー車です。

軌道自転車が2台ありますが、残念ながら動かす事はできません、かつて本線上走っているのを見た事があるだけでも貴重ですが、一度乗って漕いでみたいです。

丹後山田駅資料室にあった9mmゲージのキハ08の本物は食堂になっています。 板張りの床板が懐かしいです。

< キハ08の車内、反対側にはカラオケセットが置いてあったりしますが…

道路元標蒐集 18切符の旅 (九州編 3日目)

朝から佐賀県神埼郡の境野村道路元標をGET!! 鳥栖駅にて、「アスパラ天うどん」食って これから熊本県三角に向かいます




風光明媚な三角西港








史跡として整備されていますが、かえって道路元標探しには邪魔になった様な。 結局三角町道路元標は諦めかけた頃に何度も通り過ぎていた三角西港バス停前で発見、電柱とブロックに挟まれて死角になっていました。

阿蘇 宮地駅にて、今夜、別府から八幡浜へフェリーで渡ります