「道路元標」カテゴリーアーカイブ

淡路島へ行ってきます

 24日(日)から2泊3日で淡路島へキャンプツーリングに行ってきます。229基が現存していたと思われる兵庫県の道路元標ですが、淡路島南部に3基を残してしまっています(左図赤色印)、何しろ車に乗らない私にとってアクセスしにくい淡路島、中でも三原郡沼島(ぬしま)村は人口500人程の離島、一気に「あわいち」のついでに回ると云う訳にも行きません。沼島へは対岸の土生港(灘漁港)から1日10往復が運航されています、以前は洲本港から週3往復の航路もあったのですが。と云う訳で淡路島で泊まりでもしない限り履修困難な残り3基だったのですが。
 記憶されている方もおられるかとお思いますが、大阪府泉南郡岬町の深日(ふけ)港から淡路島洲本港への航路が、この夏「深日洲本ライナー」として約3ヶ月社会実験運航として復活しているのです。ただ以前はフェリーもあったのですが、今回の社会実験運航では自転車は輪行袋を入れての持ち込み、深日港は南海多奈川線の深日港駅の目の前ですから、輪行状態で洲本港まで行けば良いのですが、航路の時間を考えると残る3基、津名郡上灘村、三原郡志知村と沼島村を回るのは些か厳しいかと。
 ところが8月になって要望が多いのか、切羽詰った集客策なのか、前輪を外してフォーク固定が可能な自転車なら、台数限定(11台?)で持込が可能になったとの案内が。(写真は「深日洲本ライナー」のHPから借用)
 そうなると今月は台風で丹後半島キャンプツーリングが中止になった事ですし、深日港まで自走して、洲本港から淡路島で2泊しながら約2/3周して岩屋港まで走り、サイドバッグは宅急便にして明石から輪行で帰ってくると云う絵が描けたのであります。
 ただ「深日洲本ライナー」の運航は今月一杯、社会実験運航だけに次があると云う保証も何もありませんし、定期化はかなり厳しい様な話しも。そうなるとこの機会を逃す訳には行きません、急遽24日深日港15時発の便で淡路島に渡る事にして、自転車持込の予約をとりました。
 24日(日)は深日港まで自走、途中で淡輪の「ゆる風」でランチでもして行こうかと。洲本港に渡った後は県道76号洲本灘賀集線を南下して、適当な処でゲリキャン。
 25日(月)は上灘村道路元標を経て土生港へ、asuka号を置いて沼島まで往復します。後は適当に走って志知村道路元標をこなして西海岸の慶野松原のキャンプ場泊。
 26日(火)は夕方には帰っておかなくてはなりませんので、西海岸の県道31号福良江井岩屋線を北上します。岩屋からは「たこフェリー」の後を引き継いだ「淡路ジェノバライン」で明石へ、山陽明石駅まで行けば改札を出る事なく、接続が良ければ乗換えで階段を使う事なく2時間余りで桜井まで帰ってくる事ができます。ただ県道31号線が先日の台風で明神~江井間が全面通行止になっているそうで、快適なシーサイドラインが結構山側に迂回する必要がありそうです。
 なお今回asuka号はフロント2サイドとキャラダイスのサドルバッグだけにして、お湯を沸かす以上の自炊道具は持って行かないスタイルで行きます、サイド枠とバッグを外せばフォーク固定には問題ないでしょう。もちろん「自撮り」の準備は怠りなく。

プロローグ 1日目 2日目 3日目

 

「南の海へ」205.3キロ ②

和歌山県東牟婁郡串本町 橋杭岩にて

 予定通りと云うか12時過ぎには熊野本宮に到着。七色高架橋を下り本宮道路を始めて走りましたが、従来熊野川が蛇行していた部分を3つのトンネルと2つの橋で一気に貫いてしまいますから、楽には楽ですが味も素っ気もありません、一昨年10月同様、北向きに走る時はやはり旧道かな。なお本宮道路を走ると道の駅「奥熊野古道ほんぐう」はパスしてしまいます。本宮の鳥居の前で十津川で買った「めはり寿司」を頂きます。
 最近「穴蔵」氏によって現存が確認された請川村道路元標を訪座、和歌山県下で現存が確認された18基目の道路元標となります。請川村は昭和31年のいわゆる「昭和の大合併」で本宮町となり、その後は「平成の大合併」により田辺市となりました。私にとっては1,053基目の道路元標です。
 道路元標の表通り、R168沿いにあるヤマザキストアにて補給、本宮前よりこちらの方が品揃えが良いです、営業時間は8時から19時。川湯温泉や大塔安川林道への県道241号への分岐に当たります。ここから新宮でR42に入るまでの約30キロが交通量も多くなってきて結構ダルい区間です。

 新宮市、旧熊野川町域に入り、1319にはR169との合流点宮井大橋へ。奥瀞道路の整備とともに架け替えられ、古い橋は撤去されてしまった様です。

 

 宮井大橋を過ぎ北山川と合流すると熊野川の対岸は三重県となり、三和大橋が見えてきます。これより下流はR42の熊野大橋まで対岸に渡る橋はありません。なお左岸には県道740号小船紀宝線が通じています。
 新宮市は熊野川河口右岸に発展した町ですが、南西側から山が迫っていてR168だと越路トンネル、R42側は小さな峠越えになります。自転車は古い方の越路トンネルへ誘導され、トンネルを抜けると新宮市街です。1430にR168を走り終えR42へ入ります。しかしまだまだほっとしてもいられません、潮岬までは後50キロは走らなくてはいけません、とにかく明るい内に潮岬到着が目標です。正直云ってこの先のR42がネックになっていたのですが、前半セーブしたお陰かここまで脚を残して走ってこれました。

 新宮市街では海を見られませんので三輪崎で海岸寄りの旧道へ、南の海です(写真左)。R42に入ってからは河川や線路を跨ぐ度に細かなアップダウンが続きます。基本海岸沿いなのですが、太地町と紀伊浦神~紀伊田原間で内陸側に入ります。紀伊田原で少し荒船海岸へ立ち寄ってみます(写真右)、ガードレールのない海岸の一車線路が続くのでなかなか絵になるのですが、既に日影になってしまっていて写真的には今一つ、次の機会に。
 古座町が串本町と合併したために古座川を渡るまで串本町の標識が現れるので些か奇異な感じが。そう云えば古座川町には海岸がなくて全て古座町でしたね。
 荒船海岸で既に大島が見えていましたが、橋杭岩まで来るとくしもと大橋と陸繋島の潮岬が見えてきました。 串本の街に入り、潮岬の入り口にあるクロネコヤマトで留め置きに荷物を受け取ります、リュックを入れていた空箱は、明朝また送るからと営業所に置いておいて貰う事に。リュックを担いで潮岬へ、キャンプ場のある望楼の芝まで5キロ程なのですが、標高で70m程登らなくてはなりません。ともあれ1745には本州最南端潮岬に到着です。色々と悩みましたがasuka号で来たのが正解だったのかも。重いのは重いのですが、ロードに比べると体にやさしいと云うか、気分的にも楽に乗っていられるのは200キロの長丁場には差がでたのかも。今年になって180キロ台は2度あったものね、何と7年ぶりの200キロ超。後半どうにかモチベーションを維持できたのも良かったかと。


 さて宅急便で送ったキャンプ用品はテントとマットだけ、夏の平地キャンプですので寝袋もなし、食事は元より外食のつもりですが、さすがにそれも寂しいのでお湯を沸かせる準備だけは。もう2年使っているケトルです。日曜の夜ですので先客は数名、自転車も2人程いる様です。
 設営を済ませ風呂と食事に串本の街へ往復、串本は町と云っても24時間営業のスーパ-やホームセンターなどもあって補給などにも便利な処です。街への往復を含めて本日の走行219.0キロとなりました。
 なかなか来れない南紀ですから、明日は瀧の拝~篭~小匠と回る予定です。

5/15 「東の海へ」(鳥羽市鎧崎)

6/13 「西の海へ」(和歌山市加太)

7/29 「北の海へ」(宮津市由良海岸)

8/19 「北の海へ Part.2」(小浜市)

 

北の海へ Part.Ⅱ


福井県小浜市 小浜公園にて

 東の海へ「鳥羽市鎧崎」、西の海へ「和歌山市加太」、北の海へ「宮津市由良海岸」に続いて南の海へとなる処なんですが、5月にNちゃんと行った「北陸本線廃線跡と河野しおかぜライン」の時に話題になった京都市街を車と信号に煩わされずに通過するルート。元より京都市内に土地勘のない私は、自転車道を嵐山まで走り、そこから北上する事はあっても、車の多い京都市街を走り抜けて鞍馬や大原方面に向かう事はありませんでした。Nちゃんの話によると桂川沿いの木津八幡嵐山自転車道の途中から鴨川の川べりを出町柳辺りまで走る事ができるとの事。京都市内に詳しい方なら当たり前の事なのかも知れませんが、自転車道から出町柳までワープできるとしたら今まで敬遠していた左京区方面へも足が延ばせると云うもの。早速Nちゃんに道案内をお願いして、取り残している大原村道路元標をゲットしつつ、鯖街道をまだ自転車では行った事のない小浜に向かおうと云う事になったのです。
 御幸橋さくらであい館前に7時に待ち合わせる事にして、桜井を4時過ぎにスタート、まだ暗い上街道を北上します。西名阪下、奈良市中辻町と木津川市梅美台西3で信号に捕まっただけで、足つき3回、停止時間1分00秒で流れ橋に6時19分に到着、休憩と時間調整をして御幸橋へ向かいます。
 さくらであい館前には既にNちゃんが到着、休日とあってローディの姿も多いです。さて桂川沿いの木津八幡嵐山自転車を北上し、いつもの久我橋を渡らずにそのまま鴨川の左岸を行きます、少々ダートと云うか未舗装部分がありますが良くしまっていて、雨の後でもない限りロードでもさして問題はなさそうで、通勤通学の自転車のルートとして結構利用されている様です。対岸に見えているのは阪神高速8号京都線。この後、近鉄京都線の鉄橋をくぐり、R24勧進橋で右岸に渡ります。
 JR奈良線と東海道線をくぐると暫くで七条大橋が見えてきますが、右岸側(写真左)は行き止まりになりますので、手前の塩小路橋を渡り再び左岸に。
 対岸に京都名物の納涼床が見えてきます。この辺りで時刻が8時になっていますが、時間とともに観光客が増えてくるそうで、自転車での通行は難しくなるとか、このルートは早朝に駆け抜けるのが肝ですね。鴨川と高野川が別れる処が見えてきたら出町柳です。川べりの道はまだ続いている様なのですが、だんだん走りにくくなる様ですので、一般道に上がり高野橋東詰からR367となります。なおここまでサイドバッグ支度でも問題はなさそうです。
 しかしR367に入ると車が多いですね、土曜日ですので、結構ダンプとかも多いです、時間が経つと観光バスなんかも多くなるかも。八瀬を過ぎた辺りからNちゃんのガイドで旧道を縫って走ります、こちらは快適です。
 大原ではコンビニ休憩の後、今回の目的の一つ愛宕(おたぎ)郡の大原村道路元標を訪れます。1,052基目となります。

 

 最初の峠となる途中越へ、滋賀県に入ります。トンネルを避けて集落の中の旧道へ。
 途中越の次は今日のルートの最高点になる花折峠(591m)、トンネルを避けて近畿自然歩道となっている旧道へ。ロープや鎖で車は入れない様になっていますが、比較的新しいアスファルト舗装が続きます。展望のない峠ですが、朽木鯖街道最大の難所だっただけに、峠名を印した立派な石碑が。

 朽木側で崩落している部分がありましたが、自転車の通行には問題はありません、現R367に合流してからも、断片的に旧道があるのですが、災害で流されたままで通れない区間もあります。
 12時過ぎに朽木宿に到着、道の駅のレストランは1,000円のバイキングだけだそうで、国道から離れ朽木宿の中の「丸八百貨店」へ、もとはその名の通り3階建ての百貨店だった様ですが、現在は観光案内所や無料休憩所の役目を、お茶と大したもんでもありませんか食事もできます。きつねそばとおにぎりを、しめて400円也。

 レトロさも魅力ですが、気さくなおばさんがいてアットホームな空間です。
 さて朽木宿を後にしてR367檜峠(写真左)とR303の旧道水坂(みさか)峠(写真右)を越えR303に合流、寒風トンネルを抜けると福井県です。
 このルートの目玉は熊川宿となるのでしょうが、なにやら時代劇のセットみたいで、ワタシ的には今一でした、道の駅の裏側より小浜よりの一画の方が静かで良いかも。
 一軒のお店で葛饅頭を頂きます。甘さ控え目で葛の風味が良かったです。私たちの次で売り切れになっていました。
 熊川宿を後にし一路小浜へ、R27と合流し上中駅を過ぎた辺りで脇道へ。

 堤防上の良さげな道を道を見つけて突っ込みますが、書いてある通りの「通り抜けできません」の行き止まりでした。その後は県道24号に入ります、田んぼの中の真っ直ぐな道で見通しが良くて走りやすいのですが陽射しと風がね、ただそのまま行けば「鯖街道起点」を売りにしているいずみ町のアーケードへ。
 Nちゃんが指差しているのが「鯖街道起点」のプレート。アーケードを抜けて海岸の小浜公園まで走り「北の海へ Part.2」完了です。R367~R303と些か交通量が多いのが難ですが、花折峠旧道や朽木宿は愉しめました。本当は小浜をゆっくり見て回りたかったのですが「青春18きっぷ」だけで桜井まで帰る目論みですので1729発の敦賀行きがタイムリミットとなります、それでも接続のスジが悪くて桜井帰着は2323着の終電に。別ルートでの再訪を愉しみとします、本日の走行156.6キロ。道案内とお付き合いしてくれたNちゃんに感謝。

 

履修順道路元標一覧 (901~1000)

道路元標一覧 (1~100)
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道路元標一覧 (701~800)
道路元標一覧(801~900)
【901】 2010/08/02 島根県 能義郡 飯梨村 (現 安来市)
【902】 2010/08/02 島根県 能義郡 広瀬町 (現 安来市)
【903】 2010/08/03 岡山県 真庭郡 八束村 (現 真庭市)
【904】 2010/09/05 長野県 南安曇郡 小倉村 (現 安曇野市)
【905】 2010/09/06 長野県 東筑摩郡 入山辺村 (現 松本市)
【906】 2010/09/06 長野県 小県郡 和田村 (現 長和町)
【907】 2010/09/06 長野県 小県郡 大門村 (現 長和町)
【908】 2010/09/06 長野県 小県郡 長久保新町 (現 長和町)
【909】 2010/09/06 長野県 小県郡 長窪古町 (現 長和町)
【910】 2010/09/06 長野県 北佐久郡 三岡村 (現 小諸市)
【911】 2010/09/07 長野県 北佐久郡 西長倉村 (現 軽井沢町)
【912】 2010/09/07 長野県 北佐久郡 軽井沢町 (現 軽井沢町)
【913】 2010/09/07 群馬県 碓氷郡 坂本町 (現 安中市)
【914】 2010/09/10 京都府 天田郡 中夜久野村 (現 福知山市)
【915】 2010/9/10 京都府 天田郡 福知山町 福知山市
【916】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 東山代村 伊万里市
【917】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 牧島村 伊万里市
【918】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 大山村 有田町
【919】  2011/1/9 熊本県 玉名郡 伊倉町 玉名市
【920】 2011/1/9 熊本県 玉名郡 豊水村 玉名市
【921】 2011/1/9 熊本県 玉名郡 弥富村 玉名市
【922】 2011/1/10 熊本県 八代郡 八代町 八代市
【923】  2011/1/10 熊本県 阿蘇郡 宮地町 阿蘇市
【924】  2011/1/11 宮崎県 南那珂郡 市木村 串間市
【925】  2011/1/11 宮崎県 児湯郡 上江村 高鍋町
【926】 2011/02/26 京都府 宇治郡 醍醐村 (現 京都府伏見区)
【927】 2011/03/11 愛知県 海部郡 蟹江町
【928】 2011/03/11 愛知県 海部郡 南陽村 (現 名古屋市)
【929】 2011/03/11 愛知県 西春日井郡 庄内町 (現 名古屋市)
【930】 2011/03/11 愛知県 中島郡 朝日村 (現 一宮市)
【931】 2011/03/23 大阪府 西成郡 粉浜村 (現 大阪市住之江区)
【932】 2011/03/31 奈良県 宇陀郡 室生村 (現 曽爾村)
【933】 2011/04/06 兵庫県 揖保郡 龍田村 (現 太子町)
【934】 2011/04/06 兵庫県 飾磨郡 菅野村 (現 姫路市)
【935】 2011/04/06 兵庫県 加西郡 富田村 (現 加西市)
【936】 2011/04/06 兵庫県 加古郡 尾上村 (現 加古川市)
【937】 2011/05/08 兵庫県 武庫郡 大庄村 (現 尼崎市)
【938】 2011/05/18 京都府 北桑田郡 細野村 (現 京都市右京区)
【939】 2011/05/21 兵庫県 多紀郡 篠山町 (現 篠山市)
【940】 2011/05/21 兵庫県 有馬郡 長尾村 (現 三田市)
【941】 2011/05/21 兵庫県 有馬郡 大沢村 (現 三田市)
【942】 2011/05/21 兵庫県 美濃郡 淡河村 (現 神戸市北区)
【943】 2011/06/30 三重県 度会郡 田丸町 (現 玉城町)
【944】 2011/07/31 佐賀県 東松浦郡 七山村 (現 唐津市)
【945】 2011/07/31 佐賀県 小城郡 北山村 (現 佐賀市)
【946】 2011/07/31 佐賀県 小城郡 南山村 (現 佐賀市)
【947】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 北茂安村 (現 みやき町)
【948】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 中原村 (現 みやき町)
【949】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 田代村 (現 鳥栖市)
【950】 2011/08/01 熊本県 鹿本郡 山鹿町 (現 山鹿市)
【951】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 中島村 (現 七尾市)
【952】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 熊木村 (現 七尾市)
【953】 2011/08/28 石川県 羽咋郡 釶打村 (現 七尾市)
【954】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 田鶴浜村 (現 七尾市)
【955】 2011/08/29 新潟県 西頚城郡 名立町 (現 上越市)
【956】 2011/08/29 新潟県 三島郡 桐島村 (現 長岡市)
【957】 2011/08/29 新潟県 三島郡 大河津村 (現 長岡市)
【958】 2011/08/29 新潟県 三島郡 与板町 (現 長岡市)
【959】 2011/08/29 新潟県 古志郡 下川西村 (現 長岡市)
【960】 2011/08/29 新潟県 三島郡 大津村 (現 長岡市)
【961】 2011/08/29 新潟県 三島郡 脇野町村 (現 長岡市)
【962】 2011/08/29 新潟県 古志郡 福戸村 (現 長岡市)
【963】 2011/08/29 新潟県 三島郡 王寺川村 (現 長岡市)
【964】 2011/08/29 新潟県 三島郡 日吉村 (現 長岡市)
【965】 2011/08/29 新潟県 三島郡 関原村 (現 長岡市)
【966】 2011/08/29 新潟県 三島郡 日越村 (現 長岡市)
【967】 2011/08/29 新潟県 三島郡 来迎寺村 (現 長岡市)
【968】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 関山村 (現 妙高市)
【969】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 中郷村 (現 上越市)
【970】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 三郷村 (現 上越市)
【971】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 津有村 (現 上越市)
【972】 2012/01/08 岡山県 邑久郡 大宮村 (現 岡山市)
【973】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 名護屋村 (現 唐津市)
【974】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 切木村 (現 唐津市)
【975】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 北波多村 (現 唐津市)
【976】 2012/01/09 佐賀県 西松浦郡 南波多村 (現 伊万里市)
【977】 2012/01/09 佐賀県 杵島郡 若木村 (現 武雄市)
【978】 2012/01/09 佐賀県 杵島郡 住吉村 (現 武雄市)
【979】 2012/01/10 熊本県 球磨郡 山江村
【980】 2012/01/10 宮崎県 北諸県郡 西岳村 (現 都城市)
【981】 2012/03/13 三重県 度会郡 神社町 (現 伊勢市)
【982】 2012/03/13 三重県 度会郡 大湊町 (現 伊勢市)
【983】 2012/03/13 三重県 度会郡 豊浜村 (現 伊勢市)
【984】 2012/03/13 三重県 度会郡 北浜村 (現 伊勢市)
【985】 2013/09/05 新潟県 西頚城郡 市振村 (現 糸魚川市)
【986】 2013/09/06 新潟県 岩船郡 大川谷村 (現 村上市)
【987】 2013/09/07 北海道 亀田郡 湯ノ川村 (現 函館市)
【988】 2013/09/07 北海道 函館市
【989】 2013/09/07 北海道 上磯郡 茂別村 (現 北斗市)
【990】 2013/09/07 北海道 檜山郡 江差町
【991】 2013/09/08 岩手県 盛岡市
【992】 2014/07/21 島根県 大原郡 賀茂村 (現 雲南市)
【993】 2014/07/22 島根県 邇摩郡 静間村 (現 大田市)
【994】 2014/07/22 島根県 簸川郡 田岐村 (現 出雲市)
【995】 2014/07/22 島根県 簸川郡 知井宮村 (現 出雲市)
【996】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 垂水村  (現 丸亀市)
【997】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 飯野村  (現 丸亀市)
【998】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 南村  (現 丸亀市)
【999】 2014/08/06 兵庫県 川辺郡 東谷村 (現 川西市)
【1000】 2014/08/17 兵庫県 津名郡 多賀村 (現 淡路市) 2014


18きっぷ輪行の旅(2016夏 2日目)

JR飯田線 天竜峡駅にて 

 

 昨夜はぐっすり休む事ができた様で、まだ暗いうちですが自然に目が覚めました、明るくなった頃6時には出発するつもりで準備を整えます。今日は概ね三州街道(R153)に沿って6基の道路元標を巡りながら愛知県豊田市の猿投(さなげ)駅までの120キロ余りを走り抜ける予定です。獲得標高は1,200m近く、ゴールの猿投駅から桜井へ名鉄~近鉄経由で帰るタイムリミットは1945(近鉄特急利用なら2015)、輪行支度を考えると19時には着かなくてはなりません。まぁ明るい内を走ってられると云う事になるのですが、コースと私の脚力を考えると結構厳しいものです。
 
 表は曇り空、天気予報からして朝の内だけかなと思っていると、走っている内に少しパラパラとやってきます。 伊賀良村道路元標山本村道路元標と行き過ぎたりとかでちょっと手こずります、些か勘が鈍ったかな。この先峠に入ってしまうと、コンビニとかはないので携行食の補給にコンビニヘ、イートインコーナーがあったのでちょっとコーヒーブレイク。
 
 下伊那郡3つ目の会地(おうち)村道路元標にて、現在の阿智(あち)村の中心部にあたります。これから冶部坂峠に向って標高差700m程の登りとなりますが、やはり空模様は思わしくありません、念のために雨雲レーダーを検索してみると。 
 
 これはいけません、このまま行くと冶部坂峠の区間で降られる事は眼に見えています。もちろん雨具の準備はありますし、雨雲は東に流れて行く予測ですから、これさえかわせれば後は大丈夫そうなのですが、途中で雨宿りしている時間的余裕はありません。それに冶部坂峠は前後に寒原峠と赤坂峠と云う峠があって、冶部坂峠との標高差にプラスαがある訳です、多少旧道はあるもののトラックの多いR153、飛沫をかけられながら走るのは覚悟の上としても、見通しの悪くなった山中の国道を走るのは如何なものか、それに昨夕どうやらグローブを失くした様です。 撤退するとすれば飯田線沿線から輪行で帰途に就くしかありませんが、調べてみると天竜峡駅1250発豊橋行きがタイムリミットとなります、ここで進んでしまうと後は愛知県側へ走る抜けるしか方法はありません。この先予定している3基の道路元標を取りこぼすのは惜しいですが、そこは転んでもタダでは起きられないと云う事で、今回は予定に入れられなかった天竜川左岸の龍江村道路元標を回ってから天竜峡駅へ向っても良いかと、それに帰途に名鉄~近鉄ではなく「18きっぷ」を使う事になりますが、今の予報では次に「18きっぷ」を使う予定の30日は天気が思わしくないので帳尻は合いそうです。と云う訳で今回は大人の決断でここで撤収する事にしました。考えてみれば昨日「きしめん」を食べたいだけの理由で南木曽へ廻り、大平街道と云う充実したツーリングが出来た事ですし、今回はこれで良しとしましょう。しかし昨日先に天竜峡に行っていたら最低の1泊2日になっていた訳でした。
 
 飯田線沿線に戻るのがアップダウンの多いルートになり閉口させられます、一度天竜峡駅に戻って姑射橋で天竜川を渡るのが最短になるのですが、そちらからでは激坂があるので、少し遠回りにはなりますが時又の天竜橋で天竜川を渡り対岸へ。伊那谷は全体的には穏やかな地形に見えますが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形を成していて細かな起伏が多いのです。地図で飯田線の線形を見ていただけると納得できるかと。さて最近になって現存が確認された龍江村道路元標は龍江小学校の前の元は役場があったという場所の一角にありました。
 

 

 
 龍江村を終え天竜峡駅へ向いますが一旦おさまっていた雨が、再び降りだしてきます。一度天竜峡駅に行きますが、1250にはまだまだ時間があります、付近は天竜峡の温泉街、着替えもある事ですし日帰り温泉にでも入って帰りたい処なんですが、午前中にやっている処はなさそうですので「りんご足湯」と云う足湯へ行きます。成る程ゆず湯ならぬりんごが浮いています。 足湯ではありますが、協力金として100円を箱に入れる様になっています。天竜川を挟んで駅に停まっている飯田線の車両が見えるロケーションです。
 
 時間の余裕もある事ですし、ゆっくりとしっかりと輪行支度を整えます、キャラダイスの横長のサドルバッグが邪魔をして、本来のヘッド抜き輪行の様にスマートには収まりませんが、充分に顰蹙を買わないサイズに収まります、重たいのは仕方がないですが。天竜峡駅1250発の豊橋行きに乗車、桜井までほぼ9時間の旅程ですが乗車時間の半分はこの飯田線で、偉大なるローカル線の鉄旅を辟易する程堪能します。既に飯田線は完乗していますが、全線を通しで乗った事はさすがにありません。豊橋駅1616着、大垣行き特別快速に乗り換えて名古屋へ、帰りも再びホームできしめんを頂いてから関西本線へ、その後は亀山、加茂、奈良と乗り継いで2149桜井に無事帰投しました。
 本来はタイトルは「道路元標蒐集サイク」となるはずだったのですが、走っている時間より輪行している時間の方が長かった様な、したがって「18きっぷ輪行の旅」と、しかし2日目はともかくとして記憶に残るツーリングとなりました、取りこぼした分は近い内にリベンジを。 本日の走行33.1キロ、どうやら今月1,000キロ超は難しそうです。
 
天竜峡1250→1616豊橋1621→1712名古屋1740→1856亀山1926→2045加茂2049→2106奈良2119→2149桜井 5,940円分乗車
 
【1047】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 伊賀良村(現 飯田市)
【1048】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 山本村(現 飯田市)
【1049】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 会地村(現 阿智村) 【1050】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 龍江村(現 飯田市)
 

 

道路元標蒐集サイク(2016夏)

播但線新井(にい)駅にて
 駒ヶ根~猿投ツーリングとかの計画で買った「18きっぷ」他、なんやかやで使えず仕舞い、近鉄の株主優待券は良しとしても、期限は9/10までです。 何となく本調子でもないのですが、「延陽伯」号を担いで、幾つか取りこぼしのある兵庫県の道路元標蒐集に出掛ける事にしました。
 
 例によって未明にJR奈良駅まで自走です。 桜井を3時25分に出て奈良駅4時28分着。 ここまで20.65km 19.8km/h 37.9km/h 1h02m38s って停まったのは天理市丹波市のR25の信号だけだったりして。 余裕で奈良0522発の京都行きに乗車します。 京都、福知山と乗り継いで山陰本線の八鹿駅0946着。 奈良まで未明に20キロ余りを自走するのは大変ですが、たとえ大阪鶴橋まで近鉄を利用したところで八鹿着は11時を回ってしまいます。京都駅での奈良線ホームから山陰本線ホームへの乗換えは大変なのですが、休日の朝6時台と云う事で比較的スムーズに動けました。山陰本線の園部以遠行きは後ろより何両かが園部で切り離しとなりますので、要注意です。
 
 山陰本線八鹿駅、「延陽伯」号はヘッド抜きと分割式マッドガードでコンパクトに輪行できるのは良いのですが、しかし夏の輪行は大変、走るよりこの作業で汗だくになってしまいます。 
 
 さて出発準備ができた処で十数キロ先の建屋村道路元標を目指しますが、まずは道の駅「但馬楽座」で補給です、ここの道の駅内にローソンがありイートインコーナーもありました。道の駅からは川沿いを行きます、川面を渡ってくる風が心地良いのですが、とにかく陽射しが暑い、そして夏の雲。
 
 
 建屋からは県道70号で八代峠を朝来市へ越えます。 旧道も残っている様ですが八代坂トンネルが開通しています。 トンネルの中は最高に涼しいのですが。
 
 下る途中に天然記念物「八代の大ケヤキ」と云うのがありましたので立ち寄ってみます。案内によりますと、高さ30m、幹廻り9.8m、樹齢千数百年とあります。
 
 
 播但線で見かけた「天空の城 竹田城跡」のラッピング車両。
 
 
 
 
 
 播但線新井駅から姫路市の京口駅まで輪行する事にします。 何度も輪行支度するのは大変ですが、さすがにこの炎天下、生野峠を越えて姫路まで走って行く様なマネはできません。
 
 京口駅1555着、そそくさと輪行支度を解き、市川を渡って花田村道路元標へ。藤原勝永著「兵庫県の道路元標」で不明となっていて、最近所在が確認されたものです。住宅街の中の小さな公園の植え込みに再建されています。花田村は昭和32年10月に姫路市に編入、かつてここに一つの村があったとは思えない静かな住宅地の一角になっています。
 
 姫路モノレールの大将軍駅跡の高尾アパートが年内にも解体されると云う事で、最後に見ておこうかとも思ったのですが、この後加古川まで移動したかったので諦める事に。加古川までは勘だけを頼りに旧街道をたどって行きます。
 
 加古川へ来たかったのは、今なお「シルク号」の看板を掲げているレトロな自転車屋さん。もう事実上は営業できてない様な感じなんですが、店の前の国道2号線に「延陽伯」号を置いて記念写真を。
 
 加古川駅前にて、晩御飯を食べ珍しくビールなんぞを頂いて、ここから輪行で帰途に就きました。走行距離は奈良駅への自走を含めても70キロばかり、コース的に大した坂があった訳でもありませんが結構疲れました、実は三脚も積んで「自撮り」の準備もしてきているのですが、出番はありませんでした。遠くへ出掛けるのは「18きっぷ」のシーズンだけですが、夏のシーズンは走るのも輪行するのもちょっと大変ですね、さて後4回分どうしよう。
 
奈良→京都→福知山→八鹿 3,670円
新井→京口 970円
加古川→大阪→王寺→桜井 2,270円 計6,910円分乗車
 
【1045】 2016/8/21 兵庫県 養父郡 建屋村(現 養父市)
【1046】 2016/8/21 兵庫県 飾磨郡 花田村(現 姫路市)

「黄和田キャンプ場」へ(2日目)

黄和田キャンプ場 滋賀県東近江市黄和田(旧永源寺町)
 
  お昼頃にはお天気が悪くなりそうだと云う事もありますが、キャンプの朝は早いです、8時過ぎには撤収開始。 あびさんのTOEIキャンピングとは前々オーナーからの付き合いですね(左下) 、なおじさんのカトーサイクルオリジナル、TOEIのサイドバッグとは(右下)。
 
 Tさんが帰ってしまったので3人なんですが、記念写真を撮って、9時には撤収です。
 
 日野町役場まで20キロ程を戻るのですが、写真を撮ったりしているので、なかなか前に進みません(^_^)
 
 昨日と同様に愛知川右岸、国道421号の対岸路を行きます(写真右:あびさん)
 
国道421号から離れて日野町へは主に県道508号とかを走るのですが、距離こそ短いものの結構アップダウンとかがあってキャンピングには大変なんです。
 
 
 
 
 11時前には日野町役場に到着、なおじさん、あびさんとはお別れして、ここから再び一人旅で桜井を目指します(写真左:なおじさん)。 近くの日野町道路元標に立ち寄った後、県道41号すなわち御代参街道と呼ばれる旧街道で東海道の土山宿へ越え、JR草津線甲賀は駅、道の駅「あやま」を経て伊賀上野へ向います、問題はどのあたりで降ってくるかなんですが。
 
 伊賀上野で「鍵屋の辻」に立ち寄ります、いつもなら山越えの鄙びた道を選ぶのですが、足回りに爆弾を抱えている以上、線路に沿ったコースを選択するつもりでR422寄りを南下するつもりだったのですがR368を走ってしまう事に、距離的には短いのですが、登りになるのと車が多いのが難点。 名張市へ入る頃にはいよいよ降ってきそうです。
 途中から旧道の名張街道へ入り近鉄大阪線の桔梗ヶ丘駅へ、フロントバッグとサイドバッグ4つにカバーを取り付けます、この季節の帰り道ですから身体が濡れるのは良いのですが、路面がかなり濡れてきて慎重にならざる得ません。
 
 名張市街の手前から旧街道に入り、室生口大野あたりまでは概ね車に追われる事なく走る事ができました、さすがに室生ダム湖畔は遠慮してR165を榛原へ出て西峠を越えます。 写真は阿保越伊勢街道三本松宿。
 
 1835、無事に桜井に帰投、走行115.0キロ、昨日の115.3キロに加えて1泊2日230キロ、トラブルを抱え承知の上とは云え久しぶりの雨中ランのキャンプツーリングでした、さすがに疲れがどっと。
 

 
 前日 1日目 2日目
 

「黄和田キャンプ場」へ(1日目)

 
 結局は寝たのか寝てないのか良く判らないまま未明3時に桜井を出発します。 奈良まではいつもの上街道、暗い中を何度も走っている道で、この季節なら奈良市街を過ぎる頃には明るくなってきますので丁度良い按配かと。 写真の「ならまち」を抜け猿沢池から興福寺と…
 
 京都府へ入り大仏線跡に沿った道から木津川河畔に出て恭仁大橋を渡ります。
 府道5号線に入ると、まだ5時台だと云うのにローディの姿がチラホラと、お馴染み和束南のローソンで小休止、今夜のおでん用に忘れてきた「だしの素」を仕入れておきます。
 
 湯舟を過ぎた辺りで、4月の「一府三県サイクリング」の折に目を付けておいたポイントで「自撮り」をば、しかし何やらごちゃごちゃしていていまいちですね。
 ところで心配なタイヤの方、折々にチェックしているのですが、問題はなさそうでこのまま今日明日の200キロ余りは持ってくれそうな感じです。
 
 7時半には滋賀との県境までやってきました。 待ち合わせ場所の日野町役場までは後30キロ程の距離ですから余裕です。 時間もある事ですし、ローディの多いコースでもありますし、通行人Aがやってくるのを待ってみたのですが、余計な邪魔者が(>_<)
 
 しかし待っているとなかなかやってこないものでして、気が着くと信楽側からやってきたりして、キリがないので「Microsoft Image Composite Editor」のお世話になる事にして撤収、50分ばかり遊んでいましたが。 どこのどちらさんか知りませんが、有難うございます。 
 神山からは旧道を縫って走り信楽駅前へ、駅前の巨大狸、セーラー服は脱いじゃった様です。 その後も国道は避けて大戸川沿いの道を雲井まで行きます、少々アップダウンはありますが、信号はなく車も全くと云って良いほどやってきません。
 
 信楽高原鉄道の踏み切りまでは交通量の多い国道を我慢しなければなりませんが、旧R307の小野峠への道へ入ります。 庚申山広徳寺への入り口から先はずいぶん昔から通行止になっているのですがどうにか通れるかと、今日も山仕事と思しき軽トラが入ってきていました、落石や木っ端に水も出ているのでロードバイクではかなり厳しい状況ですが。
 
 貴生川まで下った処で、なんと地元のniwa-chanさんが、地元とは云えまさかここで待っているとは、信楽駅前での時刻から小野峠を越えているに違いないと踏んだ様です。 日野町役場までエスコートして頂く事にして、近江鉄道沿いの道を走り、水口町道路元標に立ち寄って貰います。
 
 待ち合わせ場所の日野町役場には11時過ぎには到着、近くのコンビニでお昼を仕入れて戻ってくると、なおじさんとあびさんだけがいます、結局は主催の「へろへろ輪」は全滅で、これではなにやら「月うさぎ」メンバーではありませんか。
 
 日野町役場からも日帰りのniwa-chanさんが加わった4人で、現在の東近江市旧永源寺村へ向うのですが、結構アップダウンがあってここまで走ってきた身には堪えます。 途中何やら案山子と云うか、普通の農家の様なんですが、関西で云う処のパラダイスが。
 
 ひろみワイナリーに立ち寄った後、八風街道ことR421を永源寺ダムへ。 ダムから先は対岸路を行く事にしたのですが。
 
 対岸路、ダムの天端道路はは車が通れない様に鎖が張ってあるので、車は入ってきませんが、落石片と何やら猿の糞が多い事、ダム湖畔の道にしてはアップダウンが多いもののラ系サイクリストにはなかなか快適なコースではあります、その上に先月の大黒屋さんに続いてなおじさんがキャンピング女子に。 (写真左上:なおじさん)
 
 ところが調子こいていたら落石片に乗り上げてしまいます。 前輪は避けたものの後輪はまとも乗り上げてしまい、明らかにスポークが切れたと云う音が。 ニップルが突いてパンクもした様で、エアーも漏れる音が。 サイドバッグを着けているとパンク修理だけでも大変なのですが、ここまで丁度100キロ程走ってきてキャンプ場まで後数キロだったのに、どうやらスポークが1本ニップル側で折れていて振れ取りが必要な状況です。 なおじさんとあびさんにはまだ買出しとかもある様なので先に行って貰い、niwa-chanさんに手伝って貰う事に。 元々ガードクリアランスのないasuka号ですが、折れたスポークはフリー側なので抜けませんので、ケーブルタイ2本で隣のスポークに縛りつけ、前後2本づつを調整するだけで問題なく走れそうです。 (写真左:なおじさん)
 
 2,30分程の作業で再スタートして後を追います、niwa-chanさんは「くさ餅」を買って帰ると云うミッションを済ませ「黄和田キャンプ場」へ、どうやら買出しをしているお2人を追い越してしまった様で、こちらがキャンプ場入り口で待つ事に。 キャンプ場まで数キロ走った感触では、無茶さえしなければ明日もこのまま走って帰れそうな感じです。 最悪は荷物を宅急便にして軽量化し、念のために持ってきた28Cに履き替えれば、なんとか自走で帰る事ができるかと。
 
 設営完了、あびさん持参のタープいいなぁ。 心配なお天気も明日のお昼頃までは持ってくれそうな感じ、帰り道に降られる事は覚悟の上ですが、雨の中の撤収だけは堪忍して貰いたいものです。 なお「黄和田キャンプ場」、自転車は一泊600円です。
 
 そうこうしていると、食材と七輪を積んでTさんが車で到着、明るいうちから宴の始まりです。
 
 前日 1日目 2日目
 

25年ぶりの武木小川林道

武木小川林道白屋越
 
 ブログにも書きましたが、一昨日アルバムを整理していて見つけた古い写真、25年前になる1991年8月に東吉野村と川上村の間にある武木小川林道へ行った時のものです。 いわゆる足ノ郷越で、グランフォンド吉野のスーパーロングコースに設定されているので、走られた方も少なくないと思いますが、当時は知る人ぞ知るダート林道。前日に名阪小倉界隈で行なわれたマウンテンバイクのレースを覗いた後、室生から染谷峠を越えて東吉野でキャンプをして翌朝から越えたのです。以来何度も近くを通っているのですが、25年もの間踏み込む事はありませんでした。
 ところで長らく所在不明になっていた川上村道路元標が川上村役場前に保存されている事を先日知ったのですが、最近少々熱が醒めている事もありますが、大滝ダム横の坂とトンネルを越えて往復するのも、いずれ熊野方面に向う時に立ち寄ろうかと思っていた処、武木小川林道で大滝ダムの向こう側へ越えれば、R169は下るだけで帰って来れます。タイミング良く今日の予定が一日繰り延べになった事だし、お天気も良いので、早速「四半世紀の時」を超えて飛び出す事にしたのです。 ちなみに下の地図は当時使っていた1/2.5万図、吉野大峯林道も五番関トンネルもありません。せっかくですので、当時の写真とこの地形図も持って行く事にしました。
 明日香村から芋峠を越えて、河原屋のローソンでお昼を仕入れて、いつもの吉野川~高見川遡上ルートで東吉野村へ向います。 余談ですが相変わらず「ならクルT-1大和青垣ルート」の標識は距離が間違ったままです。 
 月一でやってくる東吉野村ですが、今月は「月うさぎキャンプ」があった事で3回目になります。四季折々の魅力がありますが、新緑が眩しく川面にカジカガエルの声が響くこの季節が一番好きですね。 
 いつもの様に「ニホンオオカミ像」の前で一息入れて、小川から小(おむら)までは左岸を行き、今日は丹生川上神社中社に立ち寄ります。ちなみに川上村にあるのが上社、下市町にあるのが下社です、下市町と云っても広橋峠の南側ですから、殆ど黒滝村なんですが。高原洞川林道が通れたら三社巡りなんて周回コースが組めて愉しそうなんですが、かなり健脚向きではありますが。 
 10時半過ぎに林道へ取り付きます。 R169に入る武光(ぶこう)橋まで約15キロ、ピークまで標高差700m程あります。 取り付きからインナーロー、「天然わらび園」への分岐を過ぎた辺りまで、停まってしまうと再び走り出せなくなる様な坂が続きますので、ひたすら漕ぎ上げるだけです。 
 25年も経っていると記憶は殆どありません、それに植生の成長で風景も変わっています。適当な処で2,3度休憩しながら1時間程でようやく稜線に取り付きます、以前はここから西側の展望が開けていたと思うのですが。 
 丁度12時に白屋越に到着、武木小川林道は稜線に沿って走っているので、途中で東の川(うのかわ)越、白屋越と云った古道の峠と交差しています。白屋越は天誅義士所縁の地でもある様です。 
 白屋越から足ノ郷越にかけて、25年前との比較です。
 
 12時半過ぎにようやく標高980mの足ノ郷越に到着。「足ノ郷峠 川上街道」と由緒を紹介した立派な案内板が建っています、もちろん25年前にはありませんでした、街道として紹介されていますが、ここまで出遭ったのは野生の鹿と山仕事の軽トラ2台だけです。 
 峠を越えると武光橋まで延々と下りが続きます。 新旧比較、断崖が木々に覆われていますが。雰囲気はあまり変わらないです。斜度は東吉野側よりこちらの方が遊びがなくキツい様な、今年のグランフォンドは逆周りでこちら側から登るとか、ご苦労な事です。 
 この場所で「自撮り」をしようかと準備をしてきたのですが、見つけられなかったと云うか、それらしき場所はあったのですが、谷側の木が成長していて風景が一変していた様な。 山岳林道らしい風景が良かったのですが、残念。 

 武木の集落を抜けて1時過ぎに武光橋まで下りてきました。 武光橋はダム建設で架け替えられていて、昔の武光橋(写真右)を黄色い丸で示した位置から撮ったものです。ところで湖面を回廊の様に巡っているのはダム湖に沈んだ旧R169なのです。 現在の武光橋から見下ろすとこんな感じです、R169を走る事はあっても新しい武光橋や対岸から見る事がなかったので、今まで気が付かなかったのですが、走れるものなら走ってみたいロケーションですね、当然「自撮り」も。しかし前後で冠水していますし、今では進入路もない様です。既に道路としては破棄されている訳ですから、年数を考えると仮に下に降りる事ができても、かなり危険な状態になっているでしょうね、しかし残念。
 少しR169を走って道の駅「吉野路杉の湯川上」へ、武木小川林道では何やら虫が多くて、落ち着ける場所がなかったので、用意してきたお昼をやっと頂く事が、既に2時を回っているのですが、今日の本来の目的だった川上村道路元標、所在の見当ほぼついているので慌てる必要もないのです。ここの道路元標の経緯については、9年前の2007年6月25日付けのブログ「川上村道路元標は何処へ」に記してあるのですが、丹生川上神社上社にないと云う事は、移設されないまま湖底に沈んでしまったのか、神社以外の移転場所を考えれば村役場か資料館の類となるので、気を付けてはいたのですが。元標の周りの土が新しい事から、どうやら最近になって再建された様です。無事に現存を確認し1,044基目の道路元標となりました。
 本日の予定をこなし、R169から<39>五條吉野線と走り、いつもなら椿橋から壷阪峠で帰るのですが、時間もありますし少々マンネリ気味ですので、千石橋を渡り近鉄下市口駅の裏を通って車坂峠から吉野口駅経由で帰途に就きました。 本日の走行117.5キロ。