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晩秋の笠置キャンプ(2日目)

Photo :マッキーさと丸さん
 
 晩秋の笠置キャンプ2日目の朝、寒くなかった云えば嘘になりますが、湯たんぽとホカロンは大正解でした。 ヤマタンさんは会合があるとの事でで6時半出発の予定で準備を始め、私も今夜予定があるので出来るだけ早く帰っておきたい処、寒いと云いながらキャンプの朝は早いです。 ところで写真左で後ろを走っているのは関西本線、キャンプ場の横を列車が走っていると云うロケーションもちょっと珍しい様な。
 (左上)トリトンさんの4サイド、(右上)日本一周中の清介さんのビアンキ、(左下)なおじさんのアルプス、(右下)はらださんの車の中には何やらお宝が。
 日本一周のサインと寄せ書き。
 さぁ、そろそろ解散です。 私は山越えで奈良市街へ入り、ローディ御用達の「まんま亭」でカレーでも食って帰るつもりでいたのですが、清介さんが平城宮址へブルーインパルスのデモ飛行を見に行くと云う事ですので、トリトンさんと3人で4サイドを連ねて平城宮址に向う事となりました。 
 
 
↑笠置キャンプ場を後にする清介さん。
 R163を西へ、恭仁大橋を渡り木津川左岸を木津へ、歌姫街道に入るために一旦自転車道に入ります。
 
 ←4サイドが行く
 (Photo : トリトンさん) 
 木津川の自転車道ではローディの集団に囲まれる清介さん。 
 平城宮址へ向う車で歌姫峠は大渋滞、どうにかすり抜けて11時半には到着、さて飛んでくれるのか判らない空模様でしたが、どうにかブルーインパルスの飛行を見る事ができました。 お二人とは此処でお別れして帰途に就き、14時までには帰投する事ができました。本日の走行47.5キロ、2日間で100キロを少し切る走行でしたが、7台のキャンプ仕様の自転車が集う事ができました。
 

 集合写真を含む「晩秋の笠置キャンプ」の写真をうちのHPにアップしています。[BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2016]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダーの奥付等でご確認下さい。
 

「彼岸花の乱」こと葛城ポタ

 今日は輪童さん主催の恒例「葛城ポタ」に参加してきました、今年もだいすけさんとNKO48さんが参加されますんで「彼岸花の乱」のタイトルが。 最初は9/18の予定だったのですが、天候不順の今月、一週間順延となりました。 しかし今日も午後は降水確率60%に一時なっていた様な。
 集合場所は近鉄御所駅前9時だったのですが、仕事の都合で少し間に合わないので、先に行って貰いお昼までには合流する事に、しかし決まったコースを走る訳ではなく、写真を撮りながらあっちへウロウロ、こっちへウロウロのポタリングですので、なかなか簡単には捕まえられません。 結局こっちが先回りをしてしまう様な事になったので、スマホアプリの「みんなで位置共有」で補足する事に、無事に六地蔵界隈で合流する事ができました。 しかしGoogleMapでは「六地蔵」はとんでもない位置に、その上「閉業」とかって表示されます、あのぉ年中無休、未来永劫お地蔵さんなんですけど
 
 いつもの事ですが、どこをどう走ったのか判らない、もう一度一人で行けと云われても行けないのが「葛城ポタ」、写真の撮影場所が特定できないと些か不便ですので、今回は近場のポタリングにも拘わらずGARMINを持って行く事に。
 彼岸花がお目当てですので、概ね田圃の中ばかりなのですが、途中にはこんな旧街道も通ります、昔の山麓線と云った処でしょうか。
 今年もお昼はこの先の名柄神社の境内で頂く事に、持参のお弁当とかを思い思いに拡げます。
 
 
 境内のベンチでのんびりとお昼を済ませた後も南へ向いますが、撮影ポイントを求めて山側へ登ったり谷側へ下ったり、故にポタと云いながら「葛城ポタ」は結構疲れます。
 しかし九品寺界隈は休日とあってアマチュアカメラマンがウロウロしていますが、少し離れると静かなものです、観光客やハイカーで混雑していてどアップしか撮らないなら、余所行けばと思いますがね。 そのあたり広範囲に細かくロケハンできる自転車の威力です。
 途中、結構な「自撮り」ポイントがあったので、皆さんに先に行って貰い三脚を立てる事にしましたが、コース撮りが難しくて撮り直す事、数テイク。
 
 最終的に高鴨神社や風の森まで南下しますが、結構な登りが待ってます、小径車の方はかなり辛そうです。
 
 高鴨神社でやっとこさ自販機の飲料にありつき、風の森で記念撮影。 風の森峠、R24はただの切り通しの峠なのですが、さらにその上、風の森の標柱の建つこのあたりは金剛山の麓の風景が開けます。 結局お天気が崩れる事なく、ただ蒸し暑かったですね。
 
 風の森峠へと下り旧道を北へ、途中で輪童さん馴染みのカフェへ立ち寄りコーヒーとケーキのセットを頂きます。 なんとここは御蔵神社の女性宮司さんがなさっているとか、神社への道は行き止まりで、かなりの穴場です、食事も可能です。
 
 この後御所市街へと帰途を取るのですが、私は途中でお別れして近鉄沿線へ、最近デビューした近鉄の観光特急「青の交響曲」を撮るために。 市尾駅と葛駅の間位で考えていたのですが、時間があったので薬水駅近くまで南下してしまい、結局は出遭い頭みたいな感じになってしまいました、それに夕方の陽射しと色被りで青と云うより茶色の様な。
 
 本日の走行66.3キロ。
 
 
 
 
 

18きっぷ輪行の旅(2016夏 2日目)

JR飯田線 天竜峡駅にて 

 

 昨夜はぐっすり休む事ができた様で、まだ暗いうちですが自然に目が覚めました、明るくなった頃6時には出発するつもりで準備を整えます。今日は概ね三州街道(R153)に沿って6基の道路元標を巡りながら愛知県豊田市の猿投(さなげ)駅までの120キロ余りを走り抜ける予定です。獲得標高は1,200m近く、ゴールの猿投駅から桜井へ名鉄~近鉄経由で帰るタイムリミットは1945(近鉄特急利用なら2015)、輪行支度を考えると19時には着かなくてはなりません。まぁ明るい内を走ってられると云う事になるのですが、コースと私の脚力を考えると結構厳しいものです。
 
 表は曇り空、天気予報からして朝の内だけかなと思っていると、走っている内に少しパラパラとやってきます。 伊賀良村道路元標山本村道路元標と行き過ぎたりとかでちょっと手こずります、些か勘が鈍ったかな。この先峠に入ってしまうと、コンビニとかはないので携行食の補給にコンビニヘ、イートインコーナーがあったのでちょっとコーヒーブレイク。
 
 下伊那郡3つ目の会地(おうち)村道路元標にて、現在の阿智(あち)村の中心部にあたります。これから冶部坂峠に向って標高差700m程の登りとなりますが、やはり空模様は思わしくありません、念のために雨雲レーダーを検索してみると。 
 
 これはいけません、このまま行くと冶部坂峠の区間で降られる事は眼に見えています。もちろん雨具の準備はありますし、雨雲は東に流れて行く予測ですから、これさえかわせれば後は大丈夫そうなのですが、途中で雨宿りしている時間的余裕はありません。それに冶部坂峠は前後に寒原峠と赤坂峠と云う峠があって、冶部坂峠との標高差にプラスαがある訳です、多少旧道はあるもののトラックの多いR153、飛沫をかけられながら走るのは覚悟の上としても、見通しの悪くなった山中の国道を走るのは如何なものか、それに昨夕どうやらグローブを失くした様です。 撤退するとすれば飯田線沿線から輪行で帰途に就くしかありませんが、調べてみると天竜峡駅1250発豊橋行きがタイムリミットとなります、ここで進んでしまうと後は愛知県側へ走る抜けるしか方法はありません。この先予定している3基の道路元標を取りこぼすのは惜しいですが、そこは転んでもタダでは起きられないと云う事で、今回は予定に入れられなかった天竜川左岸の龍江村道路元標を回ってから天竜峡駅へ向っても良いかと、それに帰途に名鉄~近鉄ではなく「18きっぷ」を使う事になりますが、今の予報では次に「18きっぷ」を使う予定の30日は天気が思わしくないので帳尻は合いそうです。と云う訳で今回は大人の決断でここで撤収する事にしました。考えてみれば昨日「きしめん」を食べたいだけの理由で南木曽へ廻り、大平街道と云う充実したツーリングが出来た事ですし、今回はこれで良しとしましょう。しかし昨日先に天竜峡に行っていたら最低の1泊2日になっていた訳でした。
 
 飯田線沿線に戻るのがアップダウンの多いルートになり閉口させられます、一度天竜峡駅に戻って姑射橋で天竜川を渡るのが最短になるのですが、そちらからでは激坂があるので、少し遠回りにはなりますが時又の天竜橋で天竜川を渡り対岸へ。伊那谷は全体的には穏やかな地形に見えますが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形を成していて細かな起伏が多いのです。地図で飯田線の線形を見ていただけると納得できるかと。さて最近になって現存が確認された龍江村道路元標は龍江小学校の前の元は役場があったという場所の一角にありました。
 

 

 
 龍江村を終え天竜峡駅へ向いますが一旦おさまっていた雨が、再び降りだしてきます。一度天竜峡駅に行きますが、1250にはまだまだ時間があります、付近は天竜峡の温泉街、着替えもある事ですし日帰り温泉にでも入って帰りたい処なんですが、午前中にやっている処はなさそうですので「りんご足湯」と云う足湯へ行きます。成る程ゆず湯ならぬりんごが浮いています。 足湯ではありますが、協力金として100円を箱に入れる様になっています。天竜川を挟んで駅に停まっている飯田線の車両が見えるロケーションです。
 
 時間の余裕もある事ですし、ゆっくりとしっかりと輪行支度を整えます、キャラダイスの横長のサドルバッグが邪魔をして、本来のヘッド抜き輪行の様にスマートには収まりませんが、充分に顰蹙を買わないサイズに収まります、重たいのは仕方がないですが。天竜峡駅1250発の豊橋行きに乗車、桜井までほぼ9時間の旅程ですが乗車時間の半分はこの飯田線で、偉大なるローカル線の鉄旅を辟易する程堪能します。既に飯田線は完乗していますが、全線を通しで乗った事はさすがにありません。豊橋駅1616着、大垣行き特別快速に乗り換えて名古屋へ、帰りも再びホームできしめんを頂いてから関西本線へ、その後は亀山、加茂、奈良と乗り継いで2149桜井に無事帰投しました。
 本来はタイトルは「道路元標蒐集サイク」となるはずだったのですが、走っている時間より輪行している時間の方が長かった様な、したがって「18きっぷ輪行の旅」と、しかし2日目はともかくとして記憶に残るツーリングとなりました、取りこぼした分は近い内にリベンジを。 本日の走行33.1キロ、どうやら今月1,000キロ超は難しそうです。
 
天竜峡1250→1616豊橋1621→1712名古屋1740→1856亀山1926→2045加茂2049→2106奈良2119→2149桜井 5,940円分乗車
 
【1047】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 伊賀良村(現 飯田市)
【1048】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 山本村(現 飯田市)
【1049】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 会地村(現 阿智村) 【1050】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 龍江村(現 飯田市)
 

 

「十津川~龍神キャンプツーリング」2日目 ②

逢坂隧道
 

 旧中辺路町福定(現 田辺市)でR311に一旦入りますが、幾らも走らない内に旧道へと。 ここから本宮へは2つの峠を越えて行かなければなりませんが、まずは逢坂峠の逢坂隧道へ向かいますが。 やはり昨日と同様、暑くなってくるとまったく持って足が回らなくなります。 写真は福定から逢坂隧道への途中にある宝泉寺の大銀杏(写真 : Vivvaさん)、福定には以前は国道沿いに自販機があった様に記憶していたのですがあてが外れ、お寺の駐車場には山の水を引いた蛇口があって、この炎天下大助かりです。
 この先「通行止」の看板がでていたのですが、先に行った連中もお構いなし、私もさして気にはしていなかったのですが、暫くするとVivvaさんが引き返してきます、トンネルはゲートがしてあって入れないとの事、後1キロとないここまで登ってきて、ちょっと諦められません。 とにかく検分を、左右に人はすり抜けられる隙間があるのですが、サイドバッグを付けたキャンピングはともかくとしても、素の自転車のハンドルを回してもすり抜けられそうにありません。 上から越えられないかとやったみたのですが、高さもあってかなり難しそうです。 トンネルを抜ければもちろん下りですが、熊野古道と合流し近露の村を眼下に見下ろすビューポイントがあったのですが。

 Vivvaさんとエビさんが頑張ってくれたのですが、どうにも突破は叶わない様で、入口を入れても当然に出口も同じ状況である訳でして。 迂回路と云うかせっかく登ってきた道を国道311号まで戻り、現在の逢坂トンネルまで再び登らなくてはなりません。 諦めのついた人から引き返して下って行きます。
 
 道の駅「熊野古道中辺路」にて。 逢坂隧道を敗退してせっかく登って来た旧道を再び福定まで下り、国道311号を逢坂トンネルへ向かいます、トンネルまでの日影のない車の多い登りの辛かった事、逢坂トンネルは自転車の走れる様な歩道のない1,700m余りのトンネルです。 道の駅はトンネルを出てすぐ、何人かは既に食事中。 私は食欲もないのでかき氷を頂いて、めはり寿司を買い求めておきます。
 全員がそろって近露へ下り再び旧道へ入りますが、旧R311と熊野古道とが交錯しながら小広峠へと登って行きます。
 
 小広峠への途中にある野中の清水、さすがのギンタロウさんもドボンは遠慮されてますが、たっぷり浴びていた様な。
 
 野中の清水を出て小広峠へ向いますが、少しパラパラと降ってきたので、新高尾トンネルの前の四阿に入ります、何やら1人足らないのです。 ヤマタンさんがいないのです、そう云えば野中の清水でもいなかった様な、14年前とは云え私とヤマタンさんがこのルートを走っているので安心していたのですが。 ようやく携帯fが繋がったのですが、野中の清水の手前で間違って下ってしまい新道へ、仕方なく小広トンネルを抜けてしまったそうです。 ともあれ本宮側の何処かで合流できるでしょう。
 しかし逢坂峠と小広峠、何度かこえてますが、良く降られてます。 雨雲レーダーによると少し待てばかわせそうなんですが。
 
 小広峠からの下りは旧道を縫って走るつもりでいたのですかま、雨はおさまりそうにありませんし、時間もおしているので、新道を突っ走ります。 案の定湯峯温泉界隈まで下ってくると、雨はおさまり路面も濡れていません。 国道168号に入り熊野本宮へ、無事ヤマタンさんを補足。
 
 国道168号の奈良和歌山県境は川沿いとは云えちょっとした峠道になります。 果無山脈の東の端が新宮川(十津川)へ落ち込む場所で、深い峡谷になっています。 二津野ダムと云うダムがあるのですが道路から殆んど見えません。 県境はこの峠道の南側の取り付きにあるのでしすが、十津川村南端の七色集落から国道は山腹に張り付くように標高を上げて行きますが、現在ではピークのやや南側まで1,700mに及ぶ七色高架橋が共用されていて、旧道をのんびり走って行く事ができます。 十二滝の手前で七色高架橋と合流し、2つ目のトンネルでようやく登りが終わります。
 
 デポ地の「昴の郷」まで後僅かと云う処でエビさんがパンク。 18時20分、皆さんの足を引っ張ったにも拘わらず、私が最初に「昴の郷」に戻ってきました。
 本日の走行76.1キロ、キャンピングが2日で150キロ、獲得標高2,000m以上と云う過酷なツーリングでしたが、最高の仲間と思い出に残るツーリングとなりました。
 
 
 

集合写真を含む「十津川~龍神キャンプツーリング」の写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2016]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダーの奥付等でご確認下さい。

 
 

都祁~室生 真夏の早朝サイク

奈良県宇陀市榛原山辺三


  今日はお嬢様2人から「ぬれ地蔵」につれてけと云うご下命なので、それでは季節柄涼しい朝の内に行こうと云う事で「早朝ラン」に出掛ける事に。桜井町道路元標前に5時に落ち合い、初瀬ダム~三陵墓古墳~満寿寺~室生ダムと定番コースを巡ります、藺生(いう)町の紫陽花も終り、満寿寺のさるすべりも早かったですが、高原の爽やかな空気を感じながら走ります。
 
 「ぬれ地蔵」は室生ダム湖から少し入った処にある地蔵像なのですが、ダムの湛水時には沈んでしまい、一年のうち半分位しか姿が見えません。湛水時には桟橋の様になる遥拝所が作られています。 実は「ぬれ地蔵」より、隣の巨木がお目当てです。いつもならダム湖畔に戻って榛原に向う処なんですが、9月まで工事通行止なので少しR165を走る事になります。実はダム湖北岸にも道があるのですが、ロードで少々厳しい路面状態なのです。
 
 榛原からは宇陀川河畔のサイクリングロードを走って、お馴染み「おごぽご」に立ち寄り、氷を頂き11時には暑い下界に戻ってきました。早起きは大変ですが、爽やかな空気等々お愉しみ頂けたかと。本日の走行59.4キロ。
 
 

野迫川~奥千丈林道サイク

 今日はUG兄さんの音頭で奥千丈林道へ行く事になりました。 奥千丈林道は和歌山県の護摩壇山から奈良県十津川村風屋ダムに抜ける林道で、五條市大塔町の温泉施設「夢の湯」にデポし、野迫川村を横断し奈良和歌山県境の稜線沿いに縦走する高野龍神スカイラインに取り付き、高野山まで輪行してきたメンバーと合流しようと云うプランです。
 
 奥千丈林道は30年程前に護摩壇山までMTBをバス輪行して一人で走った事があります、当時は県道となる十津川村杉清付近まで延々とダートが続いていました。
 
 「夢の湯」を出発し県道<734>高野辻堂線に入りますが、県道と云っても併用区間を除けば99%1.5車線と云う険道です。 その上先年の災害で工事が今なお続いており、数100m写真の様なダート区間を走って行かなければなりません。
 
 爽やかな川沿いの道を走って、川原樋川林道に入る鉄橋のところまでやってきました、この林道が通れなくなってもう何年になるのでしょうかね。 この辺りまでは坂と云う坂もありませんし余裕をかましていたのですが、この後パンクの神様の洗礼をまずT御大が受ける事になります。
 
 約束の時間には間に合わず、先着していた3名様を待たせてしまいましたが、とにかく高野龍神スカイラインの野迫川口に到着しました。 ここでFさんからの差し入れ、良く冷えた水羊羹です。
 
 野迫川口で参加メンバーが揃って総勢9名となり、スカイラインを護摩壇山に向いますが、休日とあって車と単車が多いですね。 若干1名が遅れている様なので箕峠で待ちますが、一向にやってこないのでPROGRESSのM店長が迎えに走り、時間も押してくるので各自持参の弁当を広げる事に。
 その後連絡がついたものの、パンクはパンクでもこのまま今日のコースを走る抜けるのは難しい状態らしくM店長とデポ地に引き返す事に。
 
 奥千丈林道へは護摩壇山の駐車場の数100m手前から分岐しているのですが、「鶴姫」も清水山の家も店じまいしている現在では高野山と龍神温泉との間、スカイライン上には補給できる処は花園物産販売所とスカイタワーしかありません、もちろん奥千丈林道も杉清まで下らなければ自販機すらありません。 薄曇と云う事もあるのですが、標高1,280mの護摩壇山は暑さ知らずです。
 
 いよいよ奥千丈林道です、伯母子岳登山路への分岐あたりまで稜線沿いの展望の良い道が続きます。 ダート時代と比べると植生の成長で荒々しい雰囲気とは変わった様です。 時間がかなり押していますのでゆっくり写真を撮っている時間がありませんが、いつか「自撮り」に訪れたいものです、展望の良い稜線沿いも良いですが、下り基調となる後半は広葉樹が多く、紅葉も良いのではと。
 
 車がやって来ないのを良い事に車座になってコーヒーブレイク、時間が押していても、これは外せません。
 
 3人目の犠牲者はつっちーさん、ひとごとと笑ってられません、この直後には私がパンクです。
 
 
 
 
 奥千丈林道は集落の手間井から県道<733>川津高野線となるのですが、道は却って悪くなる様な、舗装は痛み砂利が撒かれてダート以下、水溜りもあります。 そしてとどめにvivvaさんが前輪パンクして転倒、5人目の犠牲者です、その上少々擦りむいた様です。
 

風屋ダム近くまで下ってきた処で雲行きが怪しくなり、R168に出る手前の川津大橋に着く頃には本降りになってきました。 雨雲レーダーによると無理せず雨宿りした方が良さそうなので暫し木蔭で凌ぎます。

 
 R168に出てからは降られる事なく、谷瀬あたりまで来ると降っていなかった様な感じです。 リタイアして大塔に引き返したお2人は温泉でまったりしていたそうなのですが、一向に帰ってこないので心配になって様子を見に戻ってきてくれました。 残り僅かの距離なのですが、調子の悪かったH氏を回収して貰う事に。 どうにか真っ暗になる直前にデポ地に戻りましたが、愉しみにしていた温泉には間に合わず、帰途に就く事になりましたが、久しぶりにがっつり走らされた一日でした。 橿原までの回送を含めて本日の走行105.9キロ。
 
 例によって集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2016]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダーの奥付等でご確認下さい。
 
 

鈴鹿のあびさん迎撃サイク

 今日は鈴鹿のあびさんが昨夜から笠置キャンプ場に来ているので午前中だけでもご一緒しようかと、大和高原経由で向う事にしたのですが、昨夜から冷たいものの取り過ぎが祟ったのか下痢気味、とにかく朝には治まった様なので、朝食は採らずに4時過ぎに初瀬ダム経由で大和高原へ向って出発します。
 長谷寺からの道で今年初めてのヒグラシの鳴き声を聞きました、高原への道は清清しいです。写真は山辺高校近くの並松池。
 
 いつもなら小倉IC付近から<127>北野吐山線を経て布目ダム右岸を走るのですが、今日は久しぶりに<25>月瀬針線から布意目ダム左岸を走る事にします。 一応「自撮り」の用意もしてきているのですが、あまり時間もないのでロケハンだけはしながら先を急いでいたのですが、布目ダム湖畔で面白そうなポイントが、結果的にはなんだか良く判らない写真ですね。
 
 布目ダムから笠置へ向かうには柳生経由が普通なのですが、今日は布目川に沿って木津川河畔に出る黒線道に久しぶりに踏み込みます、相変わらずの悪路で軽自動車でさえ離合困難な道が続きます。 幅員がない分壷阪峠の南側より酷いと思って貰った方が、写真は布目川発電所(布目ダム発電所とは異なります)と笠置へ抜けるハイキングコースに架かる橋。
 
 飛鳥路集落の中の小さな峠を越えると関西本線の踏切が。 飛鳥路集落は既に京都府相楽郡笠置町なのですが、木津川に架かる沈下橋が通行止になると京都府側から孤立していまい、奈良県側から今来た険路を迂回して来なくてはなりません。
 
 木津川に架かる潜没橋と云うそのまんまの名前の沈下橋。 この橋を渡ると大型トラックの行きかうR163の喧騒が。
 
 予定より少々遅くなりましたが7時半には笠置キャンプ場に到着、なんとあびさんは既にテント等を撤収、この暑さですからね。 暫く木蔭のベンチで来月のキャンプの話とかを。
 
 今日は山添村の「カントリーパーク大川(おおこ)」まで行くと云う事なんで、途中までご一緒する事に。
 
 阪原町でR369に出た処で柳生へ向うあびさんとお別れです。私はお昼位には桜井に戻っておきたいので、このまま多少なりとも涼しい大和高原の中を南下すれば良いのですが、少し用もあって奈良市街へ出たいのでR369を反対に大柳生から円成寺方面へ走る事にします。
 
 さすがに下界は暑いです、それに昨夜から何も食っていないくて既に80キロ近く走っています、さすがに持たないのでJR奈良駅前の「松乃家」で「得朝ロースとんかつ定食」を、なんと400円也。
 炎天下の上街道を走りお昼過ぎには桜井に帰着、メーターでは本日の走行99.4キロ、実は大和神社界隈で回っていない区間があって、実際は100キロは越えているのですがね。  
 

 
 

「黄和田キャンプ場」へ(2日目)

黄和田キャンプ場 滋賀県東近江市黄和田(旧永源寺町)
 
  お昼頃にはお天気が悪くなりそうだと云う事もありますが、キャンプの朝は早いです、8時過ぎには撤収開始。 あびさんのTOEIキャンピングとは前々オーナーからの付き合いですね(左下) 、なおじさんのカトーサイクルオリジナル、TOEIのサイドバッグとは(右下)。
 
 Tさんが帰ってしまったので3人なんですが、記念写真を撮って、9時には撤収です。
 
 日野町役場まで20キロ程を戻るのですが、写真を撮ったりしているので、なかなか前に進みません(^_^)
 
 昨日と同様に愛知川右岸、国道421号の対岸路を行きます(写真右:あびさん)
 
国道421号から離れて日野町へは主に県道508号とかを走るのですが、距離こそ短いものの結構アップダウンとかがあってキャンピングには大変なんです。
 
 
 
 
 11時前には日野町役場に到着、なおじさん、あびさんとはお別れして、ここから再び一人旅で桜井を目指します(写真左:なおじさん)。 近くの日野町道路元標に立ち寄った後、県道41号すなわち御代参街道と呼ばれる旧街道で東海道の土山宿へ越え、JR草津線甲賀は駅、道の駅「あやま」を経て伊賀上野へ向います、問題はどのあたりで降ってくるかなんですが。
 
 伊賀上野で「鍵屋の辻」に立ち寄ります、いつもなら山越えの鄙びた道を選ぶのですが、足回りに爆弾を抱えている以上、線路に沿ったコースを選択するつもりでR422寄りを南下するつもりだったのですがR368を走ってしまう事に、距離的には短いのですが、登りになるのと車が多いのが難点。 名張市へ入る頃にはいよいよ降ってきそうです。
 途中から旧道の名張街道へ入り近鉄大阪線の桔梗ヶ丘駅へ、フロントバッグとサイドバッグ4つにカバーを取り付けます、この季節の帰り道ですから身体が濡れるのは良いのですが、路面がかなり濡れてきて慎重にならざる得ません。
 
 名張市街の手前から旧街道に入り、室生口大野あたりまでは概ね車に追われる事なく走る事ができました、さすがに室生ダム湖畔は遠慮してR165を榛原へ出て西峠を越えます。 写真は阿保越伊勢街道三本松宿。
 
 1835、無事に桜井に帰投、走行115.0キロ、昨日の115.3キロに加えて1泊2日230キロ、トラブルを抱え承知の上とは云え久しぶりの雨中ランのキャンプツーリングでした、さすがに疲れがどっと。
 

 
 前日 1日目 2日目
 

いざ鈴鹿へ

R25旧道五月橋にて
 今日はRRCB(Restoring & Riding Classic Bicycles)の恒例行事として「スズカ8時間エンューロ」に参加するのですが、今回は昨年の様に代走を命じられる事はなかったので、例年通りに広報部長と云う名の写真係として向う事になったものの、前夜から乗り込むならともかく往路に便乗させて貰う足がなく、始発で輪行しようかと思っていたのですが、今月は走行距離も800キロにも届いていない事もあって、未明に出発して100キロ近くを自走してみようかと企んでみました。ただ輪行袋だけは持って行く事に。 エンデューロは8時スタートですので、できればその頃には到着したいと2時半にスタートとする事に、今夜はお月さんも出ますし、道の駅「針テラス」までは走れ慣れた道ですので真っ暗でも心配はないのですが、その先のR25旧道はそうは頻繁に走ってはいませんので、ただ今の季節ですと針テラスを過ぎる頃には空も少し明るくなってくる頃になるかと。
 旧都祁村域に入る頃、すなわち大和高原に入った頃から霧が酷くなってきて、路肩が判らない様な状況に、その上霧のせいで眼鏡が曇ってきて思うように走れません。 写真は針テラスにて。
 
 経由地となる伊賀上野へは先日走ったルートもあるのですが、今回は最短距離となるR25旧道を走るのですが、三ヶ谷を過ぎた辺りから奈良三重県境の名張川に架かる五月橋までは、上津ダム経由の道をとります、こちらの方が登り返しが多少少ない様に思っているのですが。
 
 五月橋まで下ってきたものの、今度は普通でも霧の発生の多い伊賀盆地へ、中途半端に明るくなってきているので、逆に車からは判りにくい状況が危険です、一応付けられるだけのライトは付けてきてはいるのですが。その上霧で、眼鏡は曇るどころか水滴がたれてくる様な状態です。
 
 現在は伊賀市となっていますが、6時前には上野市街へ、「鍵屋の辻」でトイレ休憩とコンビニで補給です。
 少し遠回りになるのですが、JRの伊賀上野駅前を経て関西本線沿いに東へ、大和街道を織りまぜながら極力R25を使わない様に走ります。
 
 加太越です。 右側に入ると集落の中だけですが、雰囲気のある旧道が残っています。最初の五月橋の写真の様な幻想的な風景もあったりと、なかなかの「自撮り」のチャンスがあったのですが、今日は記念撮影用のゴリラポッドこそあるものの、大きな三脚もタイマーも持ってきていないもので、まぁのんびり「自撮り」している時間の余裕こそないのですが、霧の五月橋は一期一会だったかも。

 R1に合流し関宿西の追分から東海道の宿場町の雰囲気が残る旧街道へ入ります、と云っても生活道路なので車の往来もありますし、休日の日中は観光客が押しかけます。この様に動画が撮れるのは早朝ならではですね。 すみません、関宿以降は鈴鹿サーキットに着くまでは写真はありません。8時までに着くかと思ったのですが、距離100.8キロ、所要時間6時間20分、実走時間5時間28分、ともかく無事に到着してここからが本日の任務です。

 

 

25年ぶりの武木小川林道

武木小川林道白屋越
 
 ブログにも書きましたが、一昨日アルバムを整理していて見つけた古い写真、25年前になる1991年8月に東吉野村と川上村の間にある武木小川林道へ行った時のものです。 いわゆる足ノ郷越で、グランフォンド吉野のスーパーロングコースに設定されているので、走られた方も少なくないと思いますが、当時は知る人ぞ知るダート林道。前日に名阪小倉界隈で行なわれたマウンテンバイクのレースを覗いた後、室生から染谷峠を越えて東吉野でキャンプをして翌朝から越えたのです。以来何度も近くを通っているのですが、25年もの間踏み込む事はありませんでした。
 ところで長らく所在不明になっていた川上村道路元標が川上村役場前に保存されている事を先日知ったのですが、最近少々熱が醒めている事もありますが、大滝ダム横の坂とトンネルを越えて往復するのも、いずれ熊野方面に向う時に立ち寄ろうかと思っていた処、武木小川林道で大滝ダムの向こう側へ越えれば、R169は下るだけで帰って来れます。タイミング良く今日の予定が一日繰り延べになった事だし、お天気も良いので、早速「四半世紀の時」を超えて飛び出す事にしたのです。 ちなみに下の地図は当時使っていた1/2.5万図、吉野大峯林道も五番関トンネルもありません。せっかくですので、当時の写真とこの地形図も持って行く事にしました。
 明日香村から芋峠を越えて、河原屋のローソンでお昼を仕入れて、いつもの吉野川~高見川遡上ルートで東吉野村へ向います。 余談ですが相変わらず「ならクルT-1大和青垣ルート」の標識は距離が間違ったままです。 
 月一でやってくる東吉野村ですが、今月は「月うさぎキャンプ」があった事で3回目になります。四季折々の魅力がありますが、新緑が眩しく川面にカジカガエルの声が響くこの季節が一番好きですね。 
 いつもの様に「ニホンオオカミ像」の前で一息入れて、小川から小(おむら)までは左岸を行き、今日は丹生川上神社中社に立ち寄ります。ちなみに川上村にあるのが上社、下市町にあるのが下社です、下市町と云っても広橋峠の南側ですから、殆ど黒滝村なんですが。高原洞川林道が通れたら三社巡りなんて周回コースが組めて愉しそうなんですが、かなり健脚向きではありますが。 
 10時半過ぎに林道へ取り付きます。 R169に入る武光(ぶこう)橋まで約15キロ、ピークまで標高差700m程あります。 取り付きからインナーロー、「天然わらび園」への分岐を過ぎた辺りまで、停まってしまうと再び走り出せなくなる様な坂が続きますので、ひたすら漕ぎ上げるだけです。 
 25年も経っていると記憶は殆どありません、それに植生の成長で風景も変わっています。適当な処で2,3度休憩しながら1時間程でようやく稜線に取り付きます、以前はここから西側の展望が開けていたと思うのですが。 
 丁度12時に白屋越に到着、武木小川林道は稜線に沿って走っているので、途中で東の川(うのかわ)越、白屋越と云った古道の峠と交差しています。白屋越は天誅義士所縁の地でもある様です。 
 白屋越から足ノ郷越にかけて、25年前との比較です。
 
 12時半過ぎにようやく標高980mの足ノ郷越に到着。「足ノ郷峠 川上街道」と由緒を紹介した立派な案内板が建っています、もちろん25年前にはありませんでした、街道として紹介されていますが、ここまで出遭ったのは野生の鹿と山仕事の軽トラ2台だけです。 
 峠を越えると武光橋まで延々と下りが続きます。 新旧比較、断崖が木々に覆われていますが。雰囲気はあまり変わらないです。斜度は東吉野側よりこちらの方が遊びがなくキツい様な、今年のグランフォンドは逆周りでこちら側から登るとか、ご苦労な事です。 
 この場所で「自撮り」をしようかと準備をしてきたのですが、見つけられなかったと云うか、それらしき場所はあったのですが、谷側の木が成長していて風景が一変していた様な。 山岳林道らしい風景が良かったのですが、残念。 

 武木の集落を抜けて1時過ぎに武光橋まで下りてきました。 武光橋はダム建設で架け替えられていて、昔の武光橋(写真右)を黄色い丸で示した位置から撮ったものです。ところで湖面を回廊の様に巡っているのはダム湖に沈んだ旧R169なのです。 現在の武光橋から見下ろすとこんな感じです、R169を走る事はあっても新しい武光橋や対岸から見る事がなかったので、今まで気が付かなかったのですが、走れるものなら走ってみたいロケーションですね、当然「自撮り」も。しかし前後で冠水していますし、今では進入路もない様です。既に道路としては破棄されている訳ですから、年数を考えると仮に下に降りる事ができても、かなり危険な状態になっているでしょうね、しかし残念。
 少しR169を走って道の駅「吉野路杉の湯川上」へ、武木小川林道では何やら虫が多くて、落ち着ける場所がなかったので、用意してきたお昼をやっと頂く事が、既に2時を回っているのですが、今日の本来の目的だった川上村道路元標、所在の見当ほぼついているので慌てる必要もないのです。ここの道路元標の経緯については、9年前の2007年6月25日付けのブログ「川上村道路元標は何処へ」に記してあるのですが、丹生川上神社上社にないと云う事は、移設されないまま湖底に沈んでしまったのか、神社以外の移転場所を考えれば村役場か資料館の類となるので、気を付けてはいたのですが。元標の周りの土が新しい事から、どうやら最近になって再建された様です。無事に現存を確認し1,044基目の道路元標となりました。
 本日の予定をこなし、R169から<39>五條吉野線と走り、いつもなら椿橋から壷阪峠で帰るのですが、時間もありますし少々マンネリ気味ですので、千石橋を渡り近鉄下市口駅の裏を通って車坂峠から吉野口駅経由で帰途に就きました。 本日の走行117.5キロ。