【1032】 2015/04/08 山口県 阿武郡 萩町 (現 萩市)
【1033】 2015/04/08 山口県 美祢郡 大田村(現 美祢市)
【1034】 2015/04/10 石川県 石川郡 額村(現 金沢市)
国道24号線を一気に下り栄山寺口から旧街道へ入り、宇智村道路元標を確認の後、五條新町へ、「餅商一ツ橋」はお休みでしたが。 こんなお店が開いていました、いつも平日にばかり来ているので気が付きませんでしたが、鉄な人にはたまらない空間の様で。
栄山寺橋を少し<39>五條吉野線を走り吉野川を渡らずに右岸の道を行きます。 路面状態は決して良くないのですがツーリング車にはお似合いの道です。 「吉野ストア」で買った弁当を道端で食べながら暫く過ごします。 昨日の津風呂湖畔と同じで、ちょっと「自撮り」は難しいロケーションなんです。 それから阿太高原を越え16時過ぎには桜井へ戻ってきました、本日の走行71.1キロ。
山口から帰ってきた時点で「青春18きっぷ」は後1回分残ってしまったが、有効期限の最終日10日のお天気は思わしくない。 10日に中央線薮原まで輪行して境峠を越えて奈川村道路元標を経て奈川渡ダムを経て松本泊、11日は塩尻市と岡谷市に残る現表を回って飯田泊、12日は三州街道を元標を巡りながら岡崎まで走り抜ける2泊3日280キロのプランを暖めていたのだが、どう考えてもお天気は味方はしてくれそうにない、いよいよ消化試合の「乗り鉄」の旅かと考えた挙句、天気の一番マシそうな金沢方面へとりこぼしている元標目当てに出掛ける事にした。
せっかくの「18きっぷ」だから能登半島まで行ってみたいところだが、さすがに戻ってこれないので金沢駅から歩いて10数分の石川郡は戸板村道路元標に向かう事に、しかし目標の戸板小学校が見つからない、GoogelMapをよくよく見てみると、そこにあるのは全くの更地、この都会のど真ん中で廃校でもあるまいと、丁度昼時なので近くのラーメン屋に入ってネットで情報収集すると、どうやら移転したらしい。 さらに10数分雨の中を歩いて行かなければならない様である。 さらにググっていると戸板公民館のブログに旧の戸板小学校内にあった道路元標の記事が、公民館の方が近いしそちらへ移転している可能性も無きにしも非ずなので、念のために小学校跡地を一回りした後に公民館を訪ねてみる事に。 いままでも現存情報がありながら現地に行くと見当たらない事は何度かあった、昨年も愛知県碧海郡の棚尾村道路元標がそうだったが、その時はその後に知多半島を回る予定だったので深追いできなかったが、案の定あとでネットで調べるとすぐ近くに移設保存されている事がわかり悔しい思いをしてしまった。 とにかく今回は時間の許す範囲で追っかけてみる事に。
結局は新しい小学校を訪れる事になるのだが、女性職員なのか先生なのかは所在については知らないとの事、幸い出てこられた校長先生とお話する機会を得たが、二宮金次郎像はこちらへ移設したが、道路元標に関しては知らないとの事、やはり公民館の館長が詳しいのでそちらへ尋ねてみるのが良いだろうとの返事だった。 公民館へは後日メールで問い合わせみる事にし戸板を後にした。
石川郡にはあと1基、額(ぬか)村道路元標が残っている、JRで西金沢まで行き、北陸鉄道石川線で乙丸駅へ、幸いこちらは歩いて10分程額束神社の境内と云うか道路に面した場所に現存していた。
【1034】 2015/04/10 石川県 石川郡 額村(現 金沢市)
今日はまず萩町道路元標に立ち寄り、美祢郡の大田町道路元標を経て山陽本線の厚東(ことう)駅まで走って1238発に乗車し帰途に就く予定なのですが、走行距離は峠越えの55キロ程、昨夜萩市内に泊まったお陰で時間の余裕もありますしお天気も最高、早朝の観光客のいない時間を狙って萩市内をポタってみる事に、事前に何の情報も集めていなかったので宿にあった観光パンフレットをたよりに散策してみます、まずは萩町道路元標、高札場跡に保存されています。
そして日本の道百選に選ばれていると云う「菊屋横丁」へ、横丁と云うのもちょっと変な感じもしますが、路地と云うには広過ぎますし、せっかくですから「自撮り」を、休日の昼間ではできない芸当でしょうね。 白壁の街並みを撮ったりしながら萩城址へと向かいます。
そろそろ走り出さないといけない時間です、市内のコンビニで補給をしてから萩駅へ、今では街の中心は東萩駅寄りになってしまい、無人駅となったレトロな旧駅舎は重要文化財となり「萩市自然と歴史の展示館」となっています
萩から山口市を経て防府へは「萩往還」と呼ばれる旧街道が通じていて、今日は前半はその道をたどって行く事になります、道の駅「萩往還公園」の手前から旧道へ入ると鹿背(かせ)隧道で小さな峠を越えます、このトンネルは国登録文化財で案内板によると「鹿背隧道は悴坂(かせがさか)峠を貫通する隧道で、長さ約182m、幅約4.2m、高さ約3.9mの規模を有した県内では他に類をみない石造トンネルである。 施工には地元萩・阿武地域だけではなく、周防大島町久賀や大分県安心院出身の石工が工事を請け負っている。 工事は明治16年(1883)に着工、翌明治17年(1884)に開通したという。 明治10年代の石造り道路隧道としては大変稀少であり、総延長も我国最大の長さを誇っている、素朴ではあるが重厚な味わいを持つ切り石積みの坑口、総石張りの内部はまさに壮観で、山口県下最初の洋風石造隧道として貴重である。 」とあります。
峠を下ると現在は萩市の一部となっていますが旧旭村、鄙びた風景が広がります。 やはり日本の風景に似合わないKHSです。 ここで「萩往還」とは別れ雲雀峠への道をとります、こちらも赤間関街道と呼ばれる旧街道で、それらしき峠への案内板があって一車線の舗装路がのびているのですが、ちょっと先々がヤバそうなのでここは県道を行く事にします。
雲雀峠は大きく開かれた切り通しの峠、名前の割には雰囲気も何にもありません。 標高も知れているのですが、一応は陰陽分水嶺の峠です。 路肩に郡界標でしょうか、三角柱の標石が、美祢郡赤郷村、阿武郡明木村とありますから少なくとも昭和29年以前となります、改良された県道脇に再建されていて、現時点で5基の道路元標の現存が確認されている山口県ですが、この事からまだまだ未知の道路元標が残されている可能性があるかも知れません。
分水嶺を越えて既に瀬戸内側に下っているのですが小さな登り返しがあり、何となく峠の風情で記念碑や「奈良の大仏さまのふる里」なんて看板も建っています。 どうやら明治維新の古戦場で「呑水(のみず)峠」と云う由緒ある峠の様です。 「奈良の大仏さま…」云々は近くに奈良の大仏の再建時に銅を産出した銅山跡があるとの事です。
予定の厚東駅まで後20キロ程、予定通りの時間で進んでいますが、小郡まで10キロ余りの標識が出てきます、小郡へは二本木峠と云う峠を越えて行くのですが、回りの風景を眺めてみても大きな峠がある様な雰囲気でもありません。 調べてみると二本木峠は標高126mしかありません、現在の標高を考えると殆ど片峠の様子、厚東駅へはダム湖畔を走って行くルートですが、それより二本木峠を越えて小郡の新山口駅へ走った方が何となく楽そうな雰囲気、予定を変更して二本木峠へ向かう事に。 二本木峠を越える県道はほぼ平行して「山口秋吉台自転車道」が通じている様で、ただあまり利用はされていない様で、路面状況は良くはありません。 あえて下りで使う価値はなさそうですが、反対向きなら車に追われながら県道を登るなら自転車道を利用するのも良いかと。
最初の予定では厚東駅1238発の岩国行きに乗車する予定でしたが、二本木峠を下りきった処で列車の時刻を確認してみると新山口駅1153発、無理すれば2本前のスジに乗れるではありませんか、後の接続はともかく新山口駅へ急ぐことに、駅に着いたのは23分前、ホームは跨線橋を渡った4番のりば、そこはKHSですがサイドバッグ装備、駄目元で輪行支度を、ご覧の通り乗車列車の写真を撮る余裕まで。
山口へは先日の「しまなみ」の時にも使った、JR王寺駅まで20キロ余りを自走し始発に乗るのが一番良いのですが、前夜から雨が時折強く降ってきます、雨雲レーダーの予報を見ると未明3時には止んでくれるはずなのですが。 とにかく3時05分にこれ以上は降らないだろうとの判断で、真っ暗な大和川河畔を王寺へと向かう事に。
前回と同様、新今宮、大阪、西明石で乗換えを済ませ姫路へ先回りして新見行き先頭車に乗車します。 この後、山口県大島郡の蒲浦村道路元標の残る周防大島へは山陽本線大畠駅まで、岡山、糸崎、岩国と乗換えをこなして都合9時間余りの長旅、九州佐賀まで行った事が2度あるとは云うものの、iPodを忘れてきたのは大失態です。 従って退屈しのぎはいわずと知れたSNSで皆さんに遊んで頂くのですが、モバイルバッテリーからスマホへの充電が上手く行かない様なのです、ACアダプターは持ってきていますし、大畠に着いたら駅前のコンビニで電池式の充電器を買うかするまで、暫くこちらも省エネモードに。
広島前後では結構込み合ってきます、糸崎からの車両は115系でも運転席後にスペースがないタイプで、席から離れたトイレ前のスペースに輪行袋を固定してあるのですが、駅での乗り降りの度に気にしていると、何やら視線を感じます!? その先にはどこかで拝見した様なお顔が… facebookのお友達で広島在のS氏がわざわざ乗り合わせてきてくれたのでした、混雑する車内で1駅だけでしが、結構な頂き物まで、もちろんお渡ししましたよ、名刺がわりのカレンダー。 (写真はS氏から頂きました)
大畠駅1343着、降り立つのは2度目ですがホームから大島瀬戸をはさんで周防大島と大島大橋がすぐそこに見えます、瀬戸内海では淡路島、小豆島に続いて大きな島で、一度一周してみたいものですが海岸線が入り組んでいて、道路で一周すると100キロ近くにもなります。
蒲浦村道路元標までは大した距離でもありませんが、大島大橋まで登って行かなければなりません。 海沿いの静かな村のなかなかのロケーションに道路元標はあります、海の見える道路元標は函館市道路元標を初め幾つかありますが、今日の予定はここだけですので時間もありますし、道路元標を入れた「自撮り」をば。
昨日は時間切れで諦めた西条市の多賀村道路元標ですが、せっかくここまで来たのですから5時過ぎに宿を出て壬生川までの往復40キロ余りを走る事にしました。 真冬の陽の短い季節ならともかく明るなった頃に着いて戻っても今治港へ余裕で戻ってくる事ができました。
昨日facebookで仕入れていた情報では「とびしま海道」ではコンビニの類は皆無に等しいとの事、市内で補給を済ませ、今治城へ立ち寄った後、余裕で今治港へ戻ってきました。 話が前後しますが宿は港の目の前、自転車は玄関に入れさせて貰えました、部屋からはライトアップされた今治城天守が、そしてお土産と云う事で「今治タオル」まで頂きました。 そう云えば今治と云えばバリィさん、その縁だったのかムラマサ君がこの4月からNPO法人「シクロツーリズムしまなみ」に勤める事になったそうです、次に「しまなみ」を渡る機会があればお目にかかれるかな。
昨日、尾道で貰っておいた「せとうちサイクルーズPASS」がここで役にたちます、今治~岡村の自転車込みの料金1,020円が930円になります。 しかし3日間有効とか邪魔くさいことをせずにせめて1年間有効とかにしてほしいですね。
今治~岡村航路は1時間の船旅、「しまなみ海道」の来島海峡大橋の下をくぐります。 写真は大橋と昨日登った亀老山の遠望です。
岡村港を出るなり早速「自撮り」です。 ところで「とびしま海道」ですが「7つの島、7つの橋を…」が触れ込みになっていますが、実際には内2つの島は無人島で道路だけが通じていて、岡村島が愛媛県今治市、他は広島県呉市に属しています。 西側から→(安芸灘大橋)→下蒲刈島→(蒲刈大橋)→上蒲刈島→(豊島大橋)→豊島→(豊浜大橋)→大崎下島→(平羅橋)→平羅島→(中の瀬戸大橋)→中ノ島→(岡村大橋)→岡村島となっていて、無人島の平羅島と中ノ島を除いて、それぞれ北岸と南岸に沿って道路が通じていて、サイクリングロードは下蒲刈島を除いては南岸を走るコースが基本になっている様です。
3つの橋を一気に渡ってしまうと大崎下島、ここには重要伝統的建造物群保存地区とされている「御手洗」地区があります。 あえて云えば「とびしま海道」の中で唯一観光地らしき処です。 時間もありますのでのんびりこんな写真を撮りながら過ごします。
ところで御手洗地区の天満神社境内には「中村春吉碑」と云うのがありまして、この地の出身である中村春吉はなんと「日本初の自転車による世界一周旅行者」との事で、昨日のなんやら訳の判らない「サイクリストの聖地」より余程に聖地であります。
大崎下島南岸を行きます。 瀬戸内海らしい景観を望みながら快適なシーサイドコースに見えますが、実は強烈な向かい風に苦しめられています。 この後、豊浜大橋を渡り豊島は北岸を走る事にします、こちら側にはヤマザキYショップがありますが、品揃えは田舎のJAの売店って感じです。
上蒲刈島も北岸を走りまして蒲刈大橋の見えるあたりまでやってきました。 蒲刈大橋を渡ると仁方駅まで8キロ余りの距離ですが、まだ時間がありますし100キロに少し足らない距離ですので、最後の下蒲刈島は南回りする事にしました。
下蒲刈島の南回りはかなり遠回りですが、車も少なくなかなかお勧めです。 そしてばっちりの「自撮り」ポイントを発見、セットをして走り出しますとうまい具合に左側から船が接近してきましたので、戻らずに2往復目に、タイマーの上限値である399枚にセットしていますので撮影はできるはずです。 船が正面に入った時には「やった」と思いましたが、戻ってみるとなんとカメラが動作していません、なんとバッテリが上がってしまっているのです、予備の電池はあるのですが、船は既にあっちへ行ってしまっているので意気消沈、取り直す気も萎えて撤収する事に、結局撮れていたのは、1回目の行きだけでした。
安芸灘大橋を渡ると本土です。 仁方駅へ行くか安芸川尻駅へ行くか迷ったのですが、「ゆめマート」と云う地元スーパーのある安芸川尻駅へ向かう事にしました。 なかなか弁当類も充実したスーパーでしたが、安芸川尻駅は島式ホームで上りも下りも跨線橋を渡る必要があります。 後で仕入れた情報ですが、仁方駅は両側に改札口があるそうです。 仁方駅へ向かってもコンビニがありますので、次があれば仁方駅に向かおうかと。 本日の走行104.5キロ、期せずして今年2度目の3日連続100キロ超を果たしました。 ゆっくりと輪行支度を済ませ安芸川尻1701発で帰途に就きました。
元来の天の邪鬼な性格で「びわいち」「あわいち」「しまなみ」ってのはご遠慮申し上げているのですが、今回なぜか「しまなみ海道」おまけに「とびしま海道」も回ってきました。 基本的に遠征ツーリングはまず初めに「道路元標」ありきなんですが、島根県、広島県、愛媛県に一つずつ残ってしまった道路元標を回ろうと云うかねてよりのプラン、出雲市まで輪行して島根県飯石郡飯南町の赤名村道路元標から三次市を経て、広島県神石高原町の神石郡油木村道路元標、尾道から「しまなみ海道」を経由して愛媛県西条市の周桑郡多賀村村道路元標を巡ってこようと云うもの。 ただ出雲市まで1日がかりで行き一泊するのも勿体無い話なので、今回は後の2基を回る2泊3日のコースに帰途「とびしま海道」を経由して本土に戻り、呉線のどこかの駅から輪行で帰途に就くプランを考えてみたのです。
王寺0436→0511新今宮0512→0529大阪0534→0640西明石0641→0715姫路0731→1049新見と絶妙の乗り継ぎで新見駅着、実はこの接続「乗換案内NEXT」では大阪0558→0728姫路となってしまい選択されません、大阪0534発の緩行線の普通に乗る事で加古川仕立ての播州赤穂行きに接続していて、特に18きっぷのシーズンに混雑する岡山方面行きへ姫路へ先回りできるのです、お陰で輪行袋の置き場所も確保できて新見まで座って行く事ができました。 1049新見着、早速準備を始めます、しかし最高のお天気ですね。
新見スタートにしたのはこれより先の接続が悪い事と、中国地方山間部の鄙びた道を走ってみたかった事と、小さな峠を越えて久しぶりに布原の元信号所を見下ろす道を走ってみたかった事なのですが、かつて谷あいの信号所を見渡せた道も植生に覆われて、通過する列車をどうにか垣間見る事ができる程度になってしまいました。
備中神代駅にやってきました、列車で通る事は何度かありましたが、駅前は40年以上ぶりです。 ここは映画「八つ墓村」あの「祟りじゃ~」が流行語になった1977年版のロケ地でもあります、萩原健一演ずる主人公が八つ墓村へ向かうシーンですね。 残念ながら当時の木造駅舎は取り壊されてしまいましたが車寄せの屋根だけが残されています。
備中神代駅で伯備線と別れた芸備線沿いのR182を走ります、R182は改良が済んでいますし中国自動車道が並行して走っていますので山深い雰囲気は無くなってしまいましたが、芸備線の方は1日6往復と云う超ローカル、その貴重な列車を市岡駅で待ち構えてみました。
東城からは油木村道路元標の残る神石高原町まで登らなければならないのですが、暫くは川沿いの下り基調の道を快適に走り、その後このループ橋で高度を稼ぎます、ループ橋と云っても島根県境のおろちループ程の規模のものでもありません。
少し探しましたが油木村道路元標を確認、一列に「神石郡油木村道路元標」と記されています、どうも広島県は様式がまちまちな様です、とにかく現時点で現存が確認されている広島県下の6基の道路元標は全て履修できました。 今日の予定はこれで終了、今夜の宿は少しでも尾道に近づいておこうと福山と尾道の中間の松永駅近くのビジホを確保しました。
この後R182には福山に向かって下り基調だと思いきや神石高原町内では結構なアップダウンが繰り返されます、これには結構堪えました、結局福山市内に入り小さなピークを一つ越えてから一気に獲得標高を吐き出してしまいます、遥かに瀬戸内海を見える様になってからの下りの長い事、交通量も市街に近づくに従って多くなり、福山市街に入る頃にはすっかり暗くなってしまいました。 土地勘もない事もあって松永へ向かっては少し遠回りをしてしまった様ですし、旧街道の山陽道を走ったりしたので、これなら無理せず福山で宿をとるべきだったかと。 とにかく予定の20時には松永駅前に到着、本日の走行、王寺駅までの自走を含めて124.5キロ。
播州赤穂駅1000集合、大阪0800発の新快速に乗るお約束なのですが、このスジは敦賀始発で相生で岡山行きに接続していて、18きっぷのシーズンは混みますので、未明から王寺まで自走して先乗りする事にしました。 赤穂周辺の道路元標は既に履修済なのですが、生存確認に一巡します、尾崎村道路元標には写真のような案内板が設置されていました、こう云った形で道路元標が認知されるのは喜ばしい事です。
播州赤穂駅に着くと車でお見えのnoricさんが既に到着、電車が到着すると輪行を担いだおじさん達が続々と降りてきます。 今日は東叡とナショナルのデモンタがそれぞれ2台にグランテックと云う、みなさん往復輪行を意識した選択です。 すみません僕は場違いのKHSです、実はasuka号今度はフロントのガードを壊してしまいました。
11時過ぎにはかきおこの店「福来(ふくろう)」に到着、人気店らしいので入れるかどうか心配していたのですが、時間も少し早めだったのが幸いしてか全員すぐに座れました。
福浦海岸の遊歩道を行きます。 幸いここまでお天気は持ってくれたのですが少し雨が降ってきました、この後は坂越(さこし)を回って帰途に就く予定だったのですが、福浦海岸でのコーヒータイムを最後に赤穂市街へ戻る事に、赤穂城で記念撮影した後、播州赤穂駅前で解散と云う事になり、輪行組6名は1706発の新快速まで駅構内のパン屋さんでお茶の後帰途に就きました。 「かきおこポタ」の写真をアルバムにアップしました。 うちのHPから[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2015]と辿って下さい。 なおご覧になるには認証が必要です。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号の下4桁です、「CanCan謹製カレンダー」の奥付に記載があります(一昨年とは変わってます)。 なおオリジナルではありませんが1920×1280サイズの画像もダウンロードできます。
「まつや」で朝風呂に入り6時前に出発です、どうやら「千人風呂」は増水のために利用できなかった様です。
R168を新宮に向かって暫く南下し、<44>那智勝浦熊野川線に入ります。 幸い小口の南方商店が開いていましたので菓子パンとチョコレートを補給。 小口にはキャンプ場がありソロやグループで何度か訪れた事があり、ここのお店でそこそこのものは調達できます。 自動販売機もここが最後で那智勝浦町籠まで25キロあまり何もありません。
籠集落に到着、1日3回町営バスもやってきますが、標高400m那智勝浦町でも奥まった処にある集落です。 ここには田村商店と云うお店があって、ここのおばちゃんには昔色々とお世話になりましたが、お世話になったサイクリストやライダーも少なくないはずです。 籠からは<43>那智勝浦古座川線に入ります、明るい南側斜面に開けた色川の集落の中を下って行きます。
次の目的地は那智の滝のある熊野那智大社、普通なら那智駅側から登って行くのですが、観光バスとかが多いのであまり好きではありません、そこで余分に登る事にはなりますが、那智高原公園を経て元の妙法スカイラインを通り裏側から下って行く事にしました。 写真は<43>那智勝浦古座川線からの分岐、ここから10%勾配が2キロ続きます。 標高546mの那智高原公園、(写真右)今走ってきた色川の集落が眼下に見えます。
元の妙法スカイラインは熊野交通の運営していた有料道路でしたが、現在は県道となり<46>那智山勝浦線の一部となっています。 スカイラインと標榜していただけになかなかの展望です。 下って行くと見晴台と云う展望スポットがありますが、写真はさらにその上からでわざわざ那智高原公園まで登って下って来た甲斐のある眺望です。
那智駅まで下ってきましたが、最悪もう一泊泊まってでもと腹を括っていた割にはまだ2時間余りの余裕があります。 せっかくの那智勝浦ですから、「ツール・ド・紀伊」全30地点達成、自分へのご褒美として「マグロ」でもと勝浦方面へ、何も下調べもしていなかったので、国道沿いで見つけたお店へ、奮発して「マグロ贅沢丼」1,600円也、なかなかのものでした。
どうやらお天気は快方に向かう様で、少し雨もおさまってきたので6時過ぎに宿を出発し、既に2008年に履修済ですが直江津町道路元標へ立ち寄ります。
履修済みの津有村道路元標を経て高士村道路元標へ向かう道すがらレトロ風の建物が、「前島記念館」とあります、あの1円切手の前島密かな。 やはり前島密、出生地だそうで郵政博物館別館となっています、今は開館時間中ではないのですが、こうやってサイクリング中に偶然見つけた史跡とかに気軽に立ち寄って見学して行ける時間のゆとりがほしいです、目的地をこなして行く様なサイクリングをやっている様ではまだまだあきまへん。 何枚か写真を撮って、先を急ぎます。
高士村道路元標を経て櫛池村道路元標へ、今日は基本的に頚城平野の中をの平坦路を巡る予定なのですが、昨日の上早川村の様に少し谷あいに入った場所もあり、ここでは標高189mまで登る事に。 ここの道路元標は有形文化財に指定されている様で、「旧櫛池村役場前に設置されていた。 測量技術の開発されなかった時代の市町村を代表する『元標』で貴重なものである。 」と記した案内が並んで建っています。 記載の内容はともかく、こう云った形で「道路元標」が認知されているのは嬉しいものです。
次の牧村道路元標までは直線距離では2キロ程の位置なのですが、一つ北側の谷筋になり、山越えの道は積雪期通行止となっています、即ち除雪してませんよとの事です、つまりこれだけの雪が積もっている訳です。 登ってきた道を下る事に、しかし下りの寒い事と云ったら。
一度平野部に戻って再び登りへ、道路元標は元の牧村役場、現在の上越市牧区総合事務所前に保存されているとの事なのですが。 懸念していた事が、念のために穴蔵さんと国道901号さんのサイトで確認してみますが、どうやらのこの雪の中に間違いなさどうです、さすがにこれでは手の出しようがありません。
意気消沈してすごすご再び登ってきた道を下る事に、ところでお天気の方ですが雨こそ止んだものの、ときおり霙の様なものが襲ってきます。 写真は北国の冬の光景ですね、なかなかの「自撮り」ポイントなのですが三脚は小型のスタンド程度のものを持ってきているだけなので、どこか高さの稼げるところがあればと思っていたのですが、チャンスはありませんでした。
道路元標の位置情報はGPSに登録してあるのですが、上杉村道路元標、ちかくまで来ているのですが回りをウロウロしている様で、なかなか見つけられません。 もしやあそこに見える二宮金次郎像の前にあるのは!? 資料を確認すると間違いなさそうです、小学校の中庭の様なのですが、柵とかはありませんしどちらから回っても雪の中を行くしかなさそうですので、強行突破です。 さすがにスパッツまでは用意していませんでしたが、替えのニッカホースもありますし、案の定50cm位は埋まってしまいました。
10時55分、今日6つ目の美守村道路元標までやってきました。 次の大瀁村道路元標まで6キロ程の距離なのですが、帰りの時間が迫ってきました、直江津駅1312発の北陸本線経由にするか、名古屋から近鉄利用になりますが1311発で長野~松本経由にするか、いずれにしてもパンクとかアクシデントを考えるとこれ以上足を伸ばすのは難しいので直江津方面へ向かう事にします。 それに大瀁村道路元標近くには今は無き頚城鉄道の車両などが保存されている処もあるとか、次の機会の愉しみとします。
市街のイトーヨーカドーで食料を調達して直江津駅へ、昨日と同じルートも何なので、長野経由をとる事にします。 しかし駅構内は鉄どもでごった返しています、高級デジイチを首からぶら提げ、手には三脚、中には脚立まで用意しているつわものも、ホームや車内を走り回り、視線がおかしい、概ね格好がダサい、一目瞭然です。 それにつけ込んでJRも商売上手で「ありがとう信越線」なる全席指定の臨時列車まで運転する始末。
長野までは座れましたが長野~松本間は座れず、写真は姨捨駅から望む善光寺平、上越と比べると雪は少ない様です。 ところで日本三大車窓って後2つはどこだっけ? 疑問があればすぐにググれる便利な世の中になったものです、「狩勝峠」と「矢岳越え」だそうです、納得。
中津川駅でのホーム違い4分の乗換えをこなしな名古屋駅へ、ここで下りる階段を間違えるととんでもない遠回りになりますので、広小路口側へ下りて近鉄との連絡口へ、14分と時間の余裕はあったのですが、3分台で伊勢中川行き急行へ、座れはしませんでしたが輪行袋の置き場所も確保、まだ2回乗り換え2時40分もありますが、近鉄電車に乗り込んだら帰ってきたも同然。