「道路元標」カテゴリーアーカイブ

リベンジ能登半島(3日目)

 おはようございます。今日のお天気朝から快晴、珠洲市の日の出は0522、大浴場(露天は男女日替わり)も5時からあいてますが、あわよくば写真も撮りたいので1階ロビーのデッキへ。一昨年でしたか四国は東洋町ではだるまにならず残念でしたが、文句なし感動の朝日です。しかし今日は暑くなりそうです、宇出津、穴水から七尾北湾を巡る様に和倉温泉まで約85キロの行程です。
 ただ昨日はスマホアプリのRide with GPSのナビ機能を試しに使ってみた処、案の定バッテリーの消費が大きく、モバイルバッテリー(13,000mAh)の残用量がピンチ、USB電源を持ってきていないのです。今時はモバイルバッテリーもUSB電源もコンビニで売っている時代ですが、インテリジェントでないシロモノが結構高い、応急なら100均ので十分、しかし奥能登にダイソーは無いだろうと探してみるとあっても七尾、ただこの先の宇出津のスーパー内にCanDoが、慌ててコンビニへ走らずに宇出津で立ち寄る事にします。
 7時過ぎには「のとじ荘」を後にし見附島に少し立ち寄ってから飯田湾沿いの旧R249を南下、現在のR249は山よりをバイパスしていますので、こちらは交通量も少なく快適です。

 途中に宗玄酒造と云うのがあって、能登線の廃トンネルを貯蔵所にしたり、軌道自転車を走らせたりしているそうです。まだ営業時間前ですし、買っても持って帰れないので、今回は通過。

 恋路海岸から能登町へ、松波から宇出津にかけてR249は内陸側を走りますが、海よりを県道35号能都内浦線を走っていますが、この辺りはアップダウンが多くて走り難いしルートも採りづらいのが。九十九湾の奥まった処にこの春できた道の駅ならぬ「イカの駅つくモール」、新たに「いしかわ里山里海サイクリングルート」のポイントに加わった様です。
 県道35号は高倉漁港を過ぎるとアップダウンもなくなり海岸べりの穏やかな道を経て宇出津の街へ。駅があった市街の方へ行くと少々走り難いので海岸沿いに宇出津新港の方へ抜けます。
 少し早く着き過ぎた様ですが、100均の入っているスーパーが開くまでのんびり休憩。無事にUSB電源を330円でゲット。ついでここで遅めの朝になるのか早めのお昼をする事に。
 宇出津からR249に戻り海岸沿いを三波(さんなみ)村道路元標へ。以前(2007年)は中村酒店の前にあった様なのですが、その場所には見つかりません。お店の人と来ていた人に親切に教えて貰い100m程離れた公民館跡に見付ける事ができました。
 鵜川で内陸側を越えるR249と別れ石川県道34号能都穴水線へ、通う車も少なくなり2001年も2018年にも走ったお勧めのルートです。
 お正午近くなり陽射しがきつくなってきたので、時間もある事ですしバス停で休憩したりしながらのんびりと行きます。このR249に戻る手前が少々キツくなるので、前波から内陸側を越えますが、木陰を多い以外はお勧めとは。

 R249に戻り 1343 ぼら待ちやぐらのある「中居ポケットパーク」に到着、大きな四阿やトイレ、自販機があります。穴水まであと一息なんですが、ここで大休止、車の音がうるさいでしょうがゲリキャンプポイント。
 トンネルを3つ抜けて穴水の町へ、穴水は深い入り江の奥まった処にあるので、どちらから来ても小さな峠を越える必要があります。(写真左)明日渡る予定の中能登農道橋が見えてきました。七尾北湾の西側を走り西岸駅と能登鹿島駅の間で峠を越えます、交通量を考えて迂回してみましたが距離と標高を考えると素直に国道を走った方が良かったかと。(写真右)平成橋で湾をショートカット。鹿島郡の赤蔵村道路元標に立ち寄ってから、今夜の宿のある和倉温泉へ、本日の走行91キロ。

【1103】 2020/9/2 石川県鳳至郡三波村(現 能登町)
【1104】 2020/9/2 石川県鹿島郡赤蔵村(現 七尾市)

 1日目 2日目 3日目 4日目

リベンジ能登半島(2日目)


石川県輪島市 白米千枚田にて

 昨夜は七尾駅近くのホテル「ルートイン七尾駅東」泊、輪行袋を担いだままの移動なので駅からたとえ一歩でも近い処が良いのですが、朝食前に矢田郷村道路元標まで散歩がてら往復したいのと、少々割高ですが。
 ホテルから歩いて10分も掛からない県の中能登土木事務所の玄関前に道路元標は保存されています。ただこの場所は元の矢田郷村の村域ではない様です。

 さて奥能登へは今回が3度目ですが、2001年(緑線)と2018年(茶線)はほぼ海沿いに走っていますが、今回は穴水駅をスタート、時計周りに1日目に輪島市~珠洲市、2日目は穴水へ戻り和倉温泉まで南下し、3日目は能登島を半時計周りする約200キロ(赤線)のコースの予定です。

 0630からの朝食バイキングを頂いてから輪行袋を担いで七尾駅へ、0712発の穴水行き始発に乗車します。
 1988年に三セクとして再スタートした「のと鉄道」ですが、2001年に穴水~輪島間が廃止、2005年に穴水~蛸島間が廃止され、現在は七尾~穴水間の33.1キロとなっています。
 輪行支度を解いて、穴水駅を0830にスタート、穴水町道路元標に立ち寄ります。街並みが小奇麗なのは2007年の能登半島地震の復興によるものでしょうか。
 穴水から輪島へは県道1号七尾輪島線がメインルートなのですが、峠を越えるまでは七尾線(のと鉄道輪島線)の廃線跡を縫うように行きます、意外に道路へ転用されている部分は少なく、廃線後20年になろうとする今では橋台や駅跡に面影を残す位です。
 穴水町と輪島市の境界、峠と云っても標高200mに満たない無名の峠なのです。

 輪島駅跡は道の駅とバスターミナルに、2001年に来た折に泊まった輪島ステーションホテルは今もステーションホテルとして健在。
 昨年一昨年と賞品を頂いた「いしかわ里山里海サイクリングルート」ですが、今年も賑やかし程度にポイントをゲットしておきます。
 (写真左) 輪島町道路元標、(写真右) 有名な「輪島の朝市」もコロナ禍の影響か些か寂しいです。
 輪島からは曽々木海岸の手前まで日本海沿いのR249を行きます、朝から曇り空だったのですが、時折陽射しが入る天気に。輪島市街を出ると珠洲市中心部の飯田までコンビニの類はありませんので、食料を調達しておきます。
 なかなか良さげなロケーションですが、今回は「自撮り」の準備をしてきませんでしたので、ロケハンで我慢。
 日本の棚田百選の代表格とも云える「白米千枚田」、三回目ですが、今までで一番空いてます。時間の余裕もあったし「自撮り」の準備はして来るんだったと後悔。
  暫くR249を行きますが、今回は未収の道路元標巡りがメインですので、海岸沿いに禄剛崎方面へは向かわず、県道40号珠洲里線他で内陸部を越えて珠洲市へ向かいます。
 途中の南志見村道路元標、これが1,100基となります、2007年に始めた道路元標フリーク、2014年に1,000基達成したものの、近場に残っていない事もありますが、それからの100基までに6年掛かるとは。
 海岸沿いのR249を走るとなにもない奥能登ですが、内陸に入り輪島市の東の端にあたる町野地区、中学校や銀行の出張所や生鮮類も扱うスーパーもあります、観光客が来る様な処ではありませんが、少し再発見。
 のとの里山風景の中を行き、八太郎峠(220m)で珠洲市へ。
 若山村、飯田町の道路元標を巡り今夜の宿の「珠洲温泉のとじ荘」へ、日暮れまでまだ少し時間もありますので見附島へ、何度か立ち寄ってますが、夕刻の静かな時間も良いものです。隣接する「見附島シーサイドキャンプ場」も利用者はソロが2人だけ、ちょっと羨ましい。
 「珠洲温泉のとじ荘」は国民宿舎なのですが、内部は今風な和モダンにリニューアルされていて、海の見えない部屋ですが「Gotoトラベル」のお陰で3,475円(入湯税別)と格安、自転車も玄関に入れて貰えました。部屋からは海こそ見えませんが大浴場からは海も朝日も見えますし、ただ不便なのは食事のできる店やコンビニから少々離れている事、とにかく宿には大満足ですが、次にここへはキャンピングで来たいのものです。本日の走行85.5キロ。

【1097】 2020/9/1 石川県鹿島郡矢田郷村(現 七尾市)
【1098】 2020/9/1 石川県鳳至郡穴水町
【1099】 2020/9/1 石川県鳳至郡輪島町(現 輪島市)
【1100】 2020/9/1 石川県鳳至郡南志見村(現 輪島市)
【1101】 2020/9/1 石川県珠洲郡若山村(現 珠洲市)
【1102】 2020/9/1 石川県珠洲郡飯田町(現 珠洲市)

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夏はやっぱり信州だよね(2日目)

長野県大町市 木崎湖畔にて

 長野での宿は楽天トラベルの「Gotoトラベルキャンペーン」で2,730円(税込)也の「長野プラザホテル」、名前は立派ですが駅前の小さなビジホ、メトロポリタンホテルの陰でちょっと判りにくいかな、この手のホテルは駐輪スペースがない事が多いので、輪行袋のまま部屋に持ち込んで、翌朝組みたてる事にしたのですが、裏側に結構適当なスペースがあったりして、まぁ移動疲れで暗い中の作業もネ。
 今日の予定は… って今日だけですが上水内郡の2つの道路元標を巡って信濃大町駅までの約40キロですが、少し欲がでて信州新町まで往復して水内村道路元標も回る事に、ただR19を平日6時40分から8時30分と一番車の多い時間帯を走る事に20キロ余り走らなくてはなりません、市街地の自転車レーンは有り難いのですが、犀川沿いの谷あいに入ると自転車には些か辛いコースです。小田切ダム右岸の犬戻トンネル(スノーシェッド?)は反対車線の歩道を走るのが正解(写真右)、対岸路を走る手もあるのかな。
 白馬長野有料道路が分岐すると交通量が幾分少なくなり、道の駅「信州新町」で一息入れ、9時前に信州新町に到着、しかし周りの風景は全然信州らしくないです。
 ところが肝心の水内村道路元標が見つかりません。国道901号さんや穴蔵さんのサイトを確認しますが、農協なのか役場支所なのか大きな建物が見当たりません、いずれも2007年の情報と云うのが。結局近所の人に尋ねて目印の建物は取り壊されて空き地になり風景は一変、民宿「やまびこ」は美容室「やまびこ」になっていました。(写真右は「穴蔵」さん処から無断引用させて貰いました。)
 と云う訳で思わぬ時間を食ってしまいましたが、道路元標は変わらぬ元に位置に。ところで長野県の道路元標は郡名が肩に彫られたものが多くあるのですが、こちらのは省令に従った一般的な様式です。
 次の目的地は長野市中条の榮村道路元標、R19を引き返して県道31号長野大町線に入ると約13キロ、山越えの県道475号信州新中条線なら約7キロ、山越えでも1キロ程戻る必要がありますが、選んだのは山越えルート。
 とっつきから激坂が、ところがデモン太のインナーがうまく入りません、ルート変更で下調べをしてなかったルート、土地勘のない信州でどこまで登らされるやら判りません、押し上げても登り1時間に満たない距離ですが、日陰の度に休憩を繰り返す有様。こんな道でも路線バスが通うのですね「峠」と云う名のバス停に気持ち癒されます。
 峠バス停がピークではなかったのですが、暫く稜線沿いを走って標高665mで山越えし下りへ、北側に見えるのは戸隠なのかな飯綱なのかな、ようやく信州らしい風景に。
 榮村と南小川村道路元標をこなし県道31号を西へ、小川村までの県道31号は未踏区間だったのですが、白馬側は1998年11月に乾さん他と走り、大洞(だいどう)峠を越えて鬼無里へ越えています、ただ記録がないのでデポ地の今はなきヤナバスキー場駅(2019年廃止)をスタートし、何処をどう走ったのか判らない、ダート林道を山越えしていてUG君が転倒して眼鏡を壊したのと、そんなこんなOHCHOさんがデポ地に引き返した様な。とにかく小川村で過去の轍と繋がった訳です。(写真は1998年11月22日、まだ11月だと云うのに気の早い積雪に面食らいます。)
 1224に大町市域に入り1248には道の駅「ぽかぽかランド美麻」へ。ここから信濃大町駅まで最短で14.7キロ、1438の松本行きに乗車すれば、名古屋から近鉄利用になりますが、今日中に帰宅する事ができますが、まだ標高で300mは登らなくてはなりません、輪行支度を考えてここで諦めて名古屋で宿を取る事に、結果的に早い決断が正解になるのですが…
 大町市域に入ってから雲が多くなり標高も高くなって気温が下がり走り易くなったのですが、インナーが使えないのはかなり厳しいです、県道324号青具簗場停車場線で青木湖へ下る手もありますがR148を幾らか走る必要があります、結局は県道31号を標高900m近くまで登り県道393号小島信濃木崎停車場線で木崎湖畔に下る事に、湖畔を信濃木崎駅まで走ればコンビニもあります。
 1444には稲尾駅に到着、真横を国道が走っているのですが、駅にはトイレもなく見える範囲に自販機もありません、ただ木崎湖を望むロケーションは最高。1704までたっぷり時間もあるので「自撮り」にトライする事に、幸い今回はゴリラポッドを持ってきていますし、コンデジですがインターバル撮影が可能なTZ85です。

 やはりコンデジでは限界が、しかしコンパクトになったとは云えG3を積んで来るのも大変だし、それよりもコロナ太りのモデルに問題が…

 せっかくですので鉄な写真を撮ったり、湖畔をポタったりと2時間余りを有効に使い、せっかくの信州も道路元標だけではつまらないなと思っていた処、木崎湖畔に下ったのは正解だった様です、ただ信州だからって涼しいとは云えなかったのわ…
 ところが稲尾1704→1713信濃大町1719→1812松本1825→2050中津川2100→2222名古屋(4,070円分乗車)と順調に行く予定だったのですが、愛知県下での大雨で中央本線が停まっているとの情報が、名古屋泊どころかこの先どうなるか判らない状況、松本駅での乗り換えの間に食料を調達しておきます。塩尻までは順調に進んだものの、特急「しなの」も運休してしまってるとか、そしてついに上松で動かなくなってしまいました。最後まで停まっていた中津川~多治見間も19時半で運転を再開した様ですが、先がつかえて動けない状態になっている様です。
 結果的に中津川での乗り継ぎもできて、10数分遅れで無事に名古屋駅のたどり着く事はできたのですが、本日の走行58.1キロ。

今回の収穫
【1093】 2020/8/20 岐阜県 恵那郡 苗木町(現 中津川市)
【1094】 2020/8/21 長野県 上水内郡 水内村(現 長野市)
【1095】 2020/8/21 長野県 上水内郡 榮村(現 長野市)
【1096】 2020/8/21 長野県 上水内郡 南小川村(現 小川村)

夏はやっぱり信州だよね(1日目)

 先週と同じく畝傍駅0932発でスタート、奈良、加茂、亀山、名古屋経由で信州へ向かいますが、18きっぷ故に中津川での接続が非常に悪く、なんと1時間53分待ちなのです。最寄りに岐阜県郡の苗木町道路元標が未修で残っていて、中津川駅からの距離は5.5キロ程、普通なら走っている時間より輪行支度の方が時間がかかる位なのですが、その苗木町と云うのは木曽川を挟んだ対岸なのです。土地勘のある方ならお判りでしょうが、この辺りは木曽川を挟んで河岸段丘が発達した地形、中津川駅から玉蔵橋を渡り城山大橋で戻ってくる周回コースをRide with GPSで描いたらなんと距離10.8キロに獲得標高282m(この値はRide with GPSの特性で過大になっているかとは思いますが)、このクソ暑い最中に熱中症になりかねないので、今日は移動日と一旦諦めたのですが、長野着が遅くなるものの、1本遅らせて3時間なら十分回れる計算に。
 畝傍0932→1008奈良1016→1033加茂1041→1205亀山1224→1336名古屋1346→と順調に乗り継いで行きます、この時間帯になると関西本線加茂~亀山間は1両での運行なんですね(写真左)、名古屋までは接続が順調過ぎてきしめんを頂く時間が。
 1507 中津川到着、先週でしたか日本の最高気温のタイ記録41.1℃が出ていましたが、お隣の多治見市は2007年8月に当時の最高気温記録40.9℃がでて、マスコットキャラクター「うながっぱ」が登場した土地、中津川も似たり寄ったりの気候。まだまだ暑い時間帯ですが、3時間の余裕で輪行支度を解き、ヒップバッグとか余計な荷物をコインロッカーに、久しぶりにコインロッカーのお世話になりましたが、今は一番小さいものでも300円とるんですね、さて出発。
 駅から木曽川に向かって坂を下ると玉蔵橋、案の定対岸には登り坂が待ち構えています。その玉蔵橋から下流側に望む事ができるのが…
 
 1975年に廃止された北恵那鉄道の木曽川橋梁、前後にガーター橋を従えたダブルワーレントラス橋、なんたら遺産になっている訳でもなく、50何年放置されています。

 玉蔵橋から標高で100mばかり登らされた後にアップダウンがあって苗木の街へ。岐阜県で現存が確認されている道路元標は4基、土岐郡駄知町、可児郡池田町、恵那郡坂下町とここ苗木町のみ。道路元標の根拠法である旧道路法の施行時には360程あった岐阜県の市町村、実際に設置されたのか、根拠のなくなった1952年以後に引っこ抜かれたのか判りませんが、もう少し見つからないかなぁ。
 北恵那鉄道苗木駅跡、特に何かがある訳でもなく、住宅街の中のただの空き地です。
 帰りはR257の城山大橋で木曽川を渡りますが、木曽川を見下ろす様に建っていただろう苗木城跡を望む事ができます、まるでライン川を見下ろすドイツの古城みたい、行った事ないけど。
 結局は2時間少々で中津川駅に戻ってきた訳ですが、走行距離は12キロ、GPSログでの獲得標高は190m前後でした。本日の走行、畝傍駅まで移動を含めて15.3キロ。余裕で今日2度目の輪行支度を済ませ、駅構内の立ち食い蕎麦を食って長野へ移動です。中津川1802→2030松本2105→長野2215、6,930円分乗車。

 

 

 

まずは北陸へ(2日目)

自走ではありませんが今年初めての日本海です。

 日本海を見て思い浮かぶ映画は2つ、岸恵子と萩原健一が共演した「約束」(監督斎藤耕一)と、なぜか松本清張「砂の器」、丹波哲郎と演じる今西刑事と森田健作演じる吉村刑事が向かった東北は羽後亀田、今西は「北の旅 海藍色に 夏盛り」と句を詠む、日本海の海の色はどこか違うんですよね。鉄な人にはキハ58系を連ねた急行「しらゆき」や夜行急行に食堂車があった時代の映画です。

 最初は手取川沿いにほぼR157を南下、能美郡尾口村と白峰村の道路元標を拾って、標高700m程にある谷トンネル(1,462.5m、1971年開通の狭くて長いトンネル)を抜けて越前勝山か大野へ下る80キロ弱のプランだったのですが、昨日から体調が今一つなのとインナーパンツを忘れてきて、ロードでその距離は少し辛くなるかもと、矛先を変え河北郡津幡町に残る羽咋郡河合谷村道路元標を目指す事に。写真は犀川沿いのサイクリングロード。
 海沿いの加賀海浜自転車道は走らず、県道25号他を走って犀川沿いを少し走って、懐かしい内灘の街から能登海浜自転車道を走る事に、住宅街の坂道を登りきると正面に日本海が。
 能登海浜自転車道、日本海が見えるものの羽咋まで自動車専用道の「のと里山海道(旧能登有料道路)」脇を走るためにあまり快適とは云えない上に、河北潟放水路防潮水門を渡った処で「白帆台IC整備工事に伴う」通行止とか、平成33年っていつやねん。「のと里山海道」の山側の迂回道まで標高30mまで登らされる事に。
 迂回路までの激坂には閉口しましたが、車の騒音と吹き溜まり砂に気をつけながら走らないといけない自転車道より防風林沿いの道は快適だったかも。
 「いしかわ里山里海サイクリングルートモバイルスタンプラリー」のポイントになっている「道の駅高松」に到着、一昨年はエリアクリア賞インスタ入賞で賞品を頂いているのですが、今年も一応かじっときます。しかし風があるものの9時を回ると尋常ではない陽射しが…
 宝達志水町に入った辺りで日本海沿いから離れ国道471号へ、能登半島の根元を富山県側へ越えるルートの一つですが、聞き覚えのあるR471って南へ辿って行くと八尾(やつお)から古川へ越える酷道楢峠なんですね。
 河北郡津幡町上河合にある河合谷道路元標に到着、なお石川県下の道路元標は3面に○○村/道路元標/石川県と陰刻される独特の様式です。ここで引き返しても良いのですが、少し走れば富山との県境、幾つかルートがありますが何れも標高で300m未満、せっかくですので小矢部市へと越える事にします。
 標高は一番低そうですが車が多くて富山県側に登り返しのあるR471を避けて県道74号小矢部津幡線から県道206号津幡宮島峡公園線へ、大した峠道でもないものの、厳しい陽射しに木陰の度に休憩している様では、先が思いやられます。写真は県道206号の旧道と思しき小径にて、川のせせらぎに木漏れ日、蝉の声に癒されます。
 峠の手前に木窪大滝と云う瀑布があって、滝の手前まで自転車を推して行く事ができます。地元では良く知れられている様で、涼を求めて家族連れが多く来ています。流し素麺が有名らしいのですが、今年は「コロナ禍」でお休みとか、まぁ桜井市民が他所で素麺を頂く事もないのですがね。30分程ベンチでクールダウンして、さて再出発です。
 意外と楽に県境の峠に到着、富山県に踏み込むのは何年ぶりでしょうかねぇ(自転車では2008年5月15日以来)。ところで出発前にRide with GPSでルートを採っておいたのですが、峠の手前がとんでもない激坂になっていたのは、やはり深い谷に架かる橋を地表面の標高を拾っている様です。
 子撫川ダムの横を抜けて再び県道74号に戻り、40分程で小矢部市のあいの風とやま鉄道の石動(いするぎ)駅の到着、桜井へ帰る最終のスジにはまだまだ余裕があるのですが、この炎天下にウロウロする気にもならず、石動駅1352発で帰途に就く事に。走行71.8キロ。
 石動1352→1416金沢1428→1601福井1647→1736敦賀1749→1942京都2006→2110奈良2121→2150桜井、所要時間8時間58分、5回の乗継待ち時間は1時間49分。2日間で自転車に乗っていたのが5時間19分に対して15時間半の乗車ですからね、ツーリングレポートと云うより乗り鉄レポートなんです。

今回の収穫
【1091】 2020/8/13 石川県 能美郡 吉田村(現 能美市)
【1092】 2020/8/14 石川県 羽咋郡 河合谷村(現 河北郡津幡町)

まずは北陸へ(1日目)

 2週間ぶりの丸1日のお休み、既に18きっぷのシーズンがスタートしていますし、くよくよしていても仕方がないので、まずはロードを担いで北陸へ道路元標蒐集の旅に向かう事に。勤務明けそのまま最寄りの桜井線畝傍(うねび)駅へ直行します。ところで畝傍駅は現在は無人駅ですが、かつては天皇陛下橿原神宮や神武陵行幸の際にお召し列車が発着した駅で、現在も専用通路や貴賓室などの面影が残っています。
 今日は畝傍0932→1008奈良1023→1112京都1145→1315敦賀1340→1432福井1512→1605能美根上と移動日みたいものですが、所要時間6時間33分、4回の乗継待ち時間は1時間53分。写真はJR京都駅、コロナ騒ぎが始まってから大阪や京都のターミナルと云われる処へ行くのは初めてなのですが、さすがにお盆位は多少混んでいるだろうと思っていたのですが、ご覧の通り。
 能美根上駅って鉄な人でも馴染みがない人がいるかも知れませんが2015年までは寺井駅の名称でした、カシミールで使っている地理院地形図もまで寺井駅のまま。駅前の通りが「ホームラン通り」松井秀喜所縁の地なんですね。

 数キロ走って能美郡の吉田村道路元標へ、2010年頃には民家の裏庭にあったのですが、2013年頃から現在の場所に再建されました。説明版の「旧街道の一町村に一箇所」と云う説明が些かなんですが、まぁエエでしょう。これで1,091基目なります。
 3月以来の久しぶりの輪行旅、なにやら忘れ物が多くて、ホームセンターやスーパーを探しながら、今夜の宿の松任へ向かいます。
 いつもは込々4,000円以内で極力安い宿を探すのですが、今は「Gotoトラベル」絡みで幾らでもあります、まだ今月は事後申請で戻ってくるパターンが多いのですが、予約サイトでは色々とキャンペーンをやっている様で、松任で一番の「グランドホテル白山」、別館とは云え楽天トラベルで税込2,925円也、暫くはasuka号でのキャンプツーリングがままなりませんので、ここは政府の政策に協力させて貰わなくては。
 本日の走行、畝傍駅までの回送を含めても22.2キロ也、明日はちゃんと走りますんで。

西の海へ 2020

浪早ビーチ(和歌山市田野)

 昨年11月からの毎月の走行距離は500キロ前後、パソコンのWindows10への移行とか、恒例のカレンダー作りとか、突然やってきたデモンタを弄ったりと、部屋の中でぬくぬくとしている事が続きましたからね。ただ今日走らんかったら何時走るねんと云った予報、暗い内からスタートして和歌山方面へ向かう予定が、昨夜フォトブックの編集で夜更かししてしまったせいで少し寝るつもり目が醒めたら7時45分、モチベーションも下がってしまったのですが、走らんかったら絶対後悔するととりあえず走り出す事に。
 8時半に桜井をスタート、明日香村を抜けて近鉄吉野線の飛鳥駅前から吉野口駅へ、しかし最高のお天気ですね。
 県道120号五條高取線で重阪(へいざか)峠を越える、五條方面への定番コースです。
 古い街並みの残る五條新町へ、一昨年の暮れに廃業した「餅商一ツ橋」ですが、暖簾が掛かっていて饅頭が並んでいます、再び営業を始めたのかな、それに以前は休日は休みだったし。
 いつもは新町通りを西へ抜けるのですが、お天気も良いので吉野川べりに出ます。五新線の遺構もこちらから見るとこんな感じに見えますよ。
 JR和歌山線の隅田(すだ)駅から架け替え工事中の恋野橋の仮設橋を渡って紀の川左岸の県道へ出ますが、その先の紀の川自転車道線の橋本橋と学文路(かむろ)の間の区間が工事で3月末まで通行止で通れません。九度山で9さんを呼び出してカレンダーをお渡しして、今日の一つ目のミッション完了、既に12時ですがこのまま和歌山市方面へと進む事にします。
 九度山町以西のお紀の川自転車道は三谷橋から麻生津(おうづ)橋の間と井阪橋より紀の川河口までは右岸を走りますが、三谷橋から麻生津橋までは右岸に渡って自転車道を走るよりそのまま左岸の県道とかを継いで走った方が2キロ余り距離が短くなり、和歌山市方面へ急ぐ時はそのまま走った方が早いかと、写真はかつらぎ橋を過ぎた辺りの左岸の堤防路。
 左岸を走ると紀の川に浮かぶ島、船岡山へ吊橋で渡ることができます、島を一周できる遊歩道も整備されています。
 麻生津橋南詰で再びブルーラインの引かれた紀の川自転車道(なおこの区間は専用道ではありません)となり井阪橋へ。上流側から来ると案内が不十分なのですが、紀の川河口へはこの井阪橋を右岸に渡ります、このまま左岸を進むと県道804号貴志川自転車線となり、紀の川左岸から支流の貴志川右岸に回りこむ事になりますので注意。今日は貴志駅へ向かいますのでこのまま真っ直ぐ行きます。
 桃山橋北詰から貴志川右岸に入り6キロ程で自転車道は終わります。なお3月3日まで舗装工事中で迂回する必要があります。
 諸井橋の架替工事も終わり、曲弦プラットトラスの古い鉄橋も姿を消すかと、既に通行止となっています。
 お馴染みタマ駅長の和歌山電鐵貴志駅は休日とあって観光客で賑わってます。
 貴志川線の撮影ポイントと云えば大池、フロントバッグに押し込んできたカレーパンをかじりながら10分程待つ事に、今朝お茶漬けをかきこんでからお昼抜きでここまでやってきましたから。
 既に2007年3月に履修済みですが海草郡西山東村道路元標の生存確認、紀伊国の一宮は三つもあってその一つ伊太祁曽神社の鳥居の前に道路元標はあります。
 今日二つ目のミッションは和歌山県道157号山東停車線のヘキサ、和歌山県で後存在するだろうヘキサはあと二つ。県道はこの三叉路は伊太祈曽駅までの数10m、路線延長の短さでは県道114号九度山停車場線とエエ勝負です。なお山東駅は隣の駅なのですが、前身の山東鉄道開業時の山東駅が延伸時に伊太祈曽駅と改称した名残です。
 伊太祈曽駅には和歌山電鐵本社があり駅長は「ニタマ」が貴志駅長に栄転したので一昨年から「ヨンタマ」が、和歌山電鐵の猫駅長は何れもふてぶてしいのが。初代貴志駅長「たま」(2007年3月)二代目貴志駅長「ニタマ」(2015年10月)
 今日三っ目のミッションは「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」のチェックポイント海南市の「うるわし館」、正直云って昨年度と変わり映えしないポイントを巡るのも面白くないのですがネェ。
 次のポイントは和歌浦ですので土木遺産になっているトンネル「鵬雲洞」(昭和42年に廃止された南海電鉄和歌山軌道線の廃線跡)を抜けて紀三井寺へ。
 以前の場所にチェックポイントがなかったので少々焦りましたが、無事に23ヶ所目をゲット、今年も昨年以上にパーフェクトは無理かな、まぁパーフェクト賞のTREKのロードバイクなんか当たっても要らないんで、再び30ポイント賞を狙います。

 四つ目のミッション「東西南北の海へ」の内「西の海」到着、和歌浦と雑賀崎の間の「浪早ビーチ」にて。
 和歌山市の臨海部を和歌山港駅まで北上し、青岸橋と紀の川河口大橋(写真:現在は無料)を渡り紀の川右岸へ、新しくできた土入(どにゅう)川大橋(写真右上)を渡ると紀の川自転車道の起点に出ます。南海フェリーで四国へ渡る時に使えるかと思ったのですが、このルートを取ると桁高のある橋を三つも渡らなければならないのと、乗船前に補給をするにもコンビニ等がないので、やはり紀の川大橋から和歌山市街を経由した方が良さそうです。
 紀の川自転車道起点付近から見た紀の川河口大橋(写真左)と自転車道から見た南海本線の鉄橋(写真右)。人口35万人の県庁所在地にあるとは思えない素晴らしい自転車道です、京奈和自転車道の一角を成すのですが、京都府や和歌山県と比べると奈良県下の整備状況のお粗末さにはね。
 元より自走で帰るつもりはないのですが、とにかく陽が暮れるまで走ろうと自転車道をひた走りますが、風向きが変わって帰りも向かい風に。井阪橋で左岸に入りますが、竜門橋で右岸に戻り、粉河のオークワで補給と一息入れて、一駅進んでJR和歌山線の名手駅から輪行で帰途に就く事にしました。盛り沢山の本日の走行143.1キロ。高田乗換でJRのまま桜井まで帰れるのですが、近鉄の吉野口、橿原神宮前、大和八木乗換の方が安くて早いのでそちらで(発駅の関係で一概には云えないかも)、乗り換え3回は大変ですがasuka号に比べると軽いロードなんもんで。

今シーズン最後の「18きっぷ」輪行旅

石川県道161号大杉長谷線 小松市赤瀬町

 今シーズンの「18きっぷ」も残り1回分、4,5,6日と連休を取っていて往路自走、復路輪行で南紀へキャンプツーリングも考えていたのですが、天気も今一つはっきりしない上に、疲れと雑事が溜まっていてモチベーションがあがりません、結局は日帰りで北陸へ昨年取りこぼした道路元標を拾いに行く事に。
 桜井始発を待っていては現地へはお午になってしまいますので、未明に奈良駅まで20キロ余りを自走、奈良0522発京都行きに乗車します。輪行袋はオーストリッチのL-100、昨年10月復路輪行予定の紀伊半島ツーリングで輪行袋を忘れると云う失態で田辺で急遽調達したものですが、中仕切りなし巾着タイプのシンプルでコンパクトな輪行袋、なかなか重宝していて、ファスナーの縫い付け部分が次々と解れてくるE-10(emu)の出番はもうありませんね、なお肩掛けベルトは重量級のasuka号を担ぐために別途50mm幅のものを用意しています。
 京都、近江今津、福井と乗り継ぎますが、近江今津までは117系、福井までは512系2両編成、このスジは敦賀駅を跨いで運行されている唯一の普通列車なんです、18きっぷのシーズンとあってか満員、福井からは512系4両編成の金沢行きに、粟津駅1104着。

 駅をでるなり、熱気と強い陽射しに面食らいます、涼しい未明に走って冷房の効いた車中にずっといたものですからね、駅舎の裏に日陰をみつけて輪行支度を解きますが、それでも汗だくに。

 暑さに些かめげながら石川県道161号大杉長谷線と石川県道43号丸山加賀線を継いで牛ヶ首峠(420m)を目指します、大杉谷川に沿ったこのルートを走るのは2009年6月、昨年(2018月8月)に続いて3度目、交通量が少なく緑の中を緩やかな勾配が続く走っていて気持ちの良い道です、粟津駅を出た時の暑さも木陰の多い渓流沿いとなれば心持ち涼やかに。昨年雨宿りした四阿で暫し休憩、ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声が夏の終わりを感じさせてくれます。

 赤瀬ダム湖畔を行きます、梯(かけはし)川の上流大杉谷川に作られた防災ダム、自由の広場とかゲリキャンできそうなポイントがあるなぁと思っていたら無料のキャンプ適地とされている様です。
 建家もまばらとなり、ゲートのある処から牛ヶ首峠への本格的な登りとなります。
 大杉谷川の狭い谷を詰めるだけ詰めて右岸の斜面に取りついてつづら折れで峠へ、石川県には歴史的に有名な富山県境の倶利伽羅峠はあるものの大した峠はないのですが、牛ヶ首峠へのこの道筋はサイクリストにとって魅力的なコースかと。
 展望が開けてくると峠まであと僅か。
 牛ヶ首峠到着、切通を抜けると稜線近くを走るR416との三叉路になっていて些か峠らしくないのですが。R416は県道小松勝山福井線が1982年に昇格したもので、県境の大日峠部分が未開通の分断国道でしたが昨年9月に開通しています。最初福井県側へ越えて帰途に就く事も考えたのですが、お隣のR157谷峠の様にトンネルで抜けているのではなくて峠まで更に500m程登らされるので今回は諦めました。
 新丸村道路元標、昨年に続いて再訪する事になったのは、雨の中ちゃんと撮影できていない事を確認せず、不覚にもスマホでも押さえてなかったのです。元標は何の目印もない道端に半ば放置された様に建っています。新丸村は小松市新丸町となっていますが、現在は冬季無住地区となっているそうです。
 元標から大日川の渓流に沿って少し下ると三叉路に、右へ下ると大日川ダムを経て白山市へ、直進すると五百峠(540m)へ緩やかに登り返します。

 

 どこが峠なのか良く判らない五百峠を越えると尾小屋までダウンヒル、時折加賀平野を望む事ができます。
 今回、元標とともに立ち寄りたかったのは1977年に廃止された尾小屋鉄道の保存施設「小松市立ポッポ汽車展示館」。R416から少し脇道を登り返さなくてはなりませんか、762mm軌間の軽便鉄道の小さなSLと客車が保存されています。
 尾小屋を後にして白江村道路元標を回って本日のミッションは終了、小松駅から帰途に就く事にします。
 小松1722発の敦賀行きに乗車、車窓には2022年度開業の北陸新幹線敦賀延伸工事を至るところで見る事ができます、3年先とは云え「18きっぷ」フリークには在来線の3セク化で「18きっぷ」が使えなくなる事が気がかりです。敦賀、京都、奈良と乗り継ぎ、奈良では桜井線の最終まで50分待ち、さすがにお腹もすいてきているので輪行袋を担いで改札をでて駅近くの「松の家」まで、asuka号なら乗り換えるのが精一杯ですが、軽いロードなら楽なもんです。桜井2323着、乗車時間11時間44分(乗換時間含む)、現地滞在時間6時間17分、実走行時間4時間35分、走行距離74.1キロ(桜井→奈良20.1キロ含む)、「18きっぷ」にて8,430円分乗車。

【1089】 石川県 能美郡 新丸村(現 小松市)
【1090】 石川県 能美郡 白江村(現 小松市)

2019年8月のまとめ

 台風襲来のお盆と気の早い秋雨前線に走れなかった今月は走行683.2キロ/月(asuka 381.8キロ,erba 301.48キロ)。

【1083】 2019/8/20 長野県 西筑摩郡 福島町(現 木曽町)
【1084】 2019/8/20 長野県 西筑摩郡 開田村(現 木曽町)
【1085】 2019/8/21 長野県 西筑摩郡 奈川村(現 松本市)
【1086】 2019/8/22 長野県 北安曇郡 社村(現 大町市)
【1087】 2019/8/23 長野県 北安曇郡 神城村(現 白馬村)
【1088】 2019/8/23 長野県 北安曇郡 南小谷村(現 小谷村)

信州キャンプツーリング(3日目)

「あずみ野やまびこ自転車道」

 さて当初の予定では昨日の内に安曇野市の「かじかの里キャンプ場」まで足を進め、今日早いうちに木崎湖キャンプ場まで移動、設営後身軽になって2008年に走った小熊黒沢林道に11年ぶりに行ってみようかと考えていたのですが、この天気では展望も期待できないだろうし。予報では今日も一日降ったり止んだり、秋雨前線に沿って次々と西から雨雲が流れ込んで来る按配。松本市街にいる事ですし、早朝からコインランドリーとスーパー銭湯へ行って、その後「あずみ野やまびこ自転車道」を経由して木崎湖まで北上する事にしました。
 ネットカフェのナイトパックの料金設定もあるので5時にはチェックアウト、シニア割引のお陰で1,160円と安上がりに、年寄りには冷房の効きすぎが堪えるのですが、寝袋を持ち込んで大正解、思ったより快適に休む事ができました、松本駅前の「すき屋」で朝飯を食って、北松本駅近くのコインランドリーに移動、この頃から本降りの雨が、開店時刻の6時になっても自動扉が開かない、電話をしても留守電には閉口しましたが、15分後には開錠、2日間の汚れ物を片付ける事ができました。スーパー銭湯の「湯の華銭湯 瑞祥 松本館」までは10分とかからないので、雨雲レーダーを睨みながら開店までに移動します。入泉料680円で必要充分な施設、土日祝日は朝6時から営業している様です。
 1045には「瑞祥」を後にし「あずみ野やまびこ自転車道」へ向かいます、幸い雨は暫く収まってくれそうです、自転車道へのアプローチが少々判り難いのですがR19を奈良井川に架かる新橋まで北上し左岸へ渡り堤防上を再び北上してR147を跨いだ辺りが自転車道の入り口(終点)になります。
 自転車道は概ね拾ヶ堰(じっかせき)と呼ばれる疎水沿いを穂高川沿いまでの約15キロが整備されていて、県道441号穂高松本塩尻自転車道線の一部となっていますが、奈良井宿から松本までの区間は殆ど未整備の様です。アルプスを背景に安曇野の田園風景の中を行きます、交通量の多い道路との交差部分はアンダーパスが整備されていますが、千曲川沿いの自転車道同様、どうも長野県の自転車道は舗装の継ぎ目が酷くて、ロード向きとは云えない様です。
 生憎の天気で雨雲に覆われたアルプスですが、春に走ると素晴らしい風景でしょうね、自転車道は大糸線をくぐってR147の穂高橋で終わり(起点)となりますが、ここで雨が降り出しきて、有明駅近くのコンビニまで急ぐ事になります。
 コンビニの店頭で40分程雨宿り、社村道路元標に立ち寄るために高瀬川左岸の県道51号大町明科線を北上します、多少アップダウンはありますが、大町までR147を走るよりも快適かも知れません。そのまま北上すると北大町を過ぎた辺りでR148に入る事ができます。
 途中で2度の雨宿りとコンビニでの買い物がありましたが16時には木崎湖キャンプ場に無事到着です、ここまで走行50.4キロ。 設営後、対岸のYショップニシまで園原さんの自転車柄手拭いを取り置きして貰っているのを引き取りに向かいます、ついでに木崎湖を反時計回りに一周、10キロ弱でしょうかね、東岸はR148でなく湖岸を走ればほぼ平坦ですが、西岸は多少の登りがあります。
 こちらへ来れば色を見て選べるかなと思っていたのですが、これが最後の1枚になってしまっていました、「かじかの里」で再会できずに木曽へ戻ったあびさんは園原さんご本人から直接頒けて頂けた様で、残念、ともあれ今回のミッションの1つは完了、本日の走行61.3キロ。 

 1日目 2日目 3日目 4日目

【1086】 長野県 北安曇郡 社村(現 大町市)

信州キャンプツーリング(2日目)

岐阜長野県境 野麦街道 野麦峠(1,672m)にて

 今日の予定は再びR361に戻り、岐阜県との県境長峰峠(1,503m)を越えて高根乗鞍湖畔まで下り、高嶺大橋から県道39号奈川野麦高根線いわゆる野麦街道で野麦峠を越えて再び長野県へ戻り、奈川ダムから安曇野市の「かじかの里キャンプ場」を目指すつもりなのですが、長峰峠、寺坂峠(1400m)、野麦峠を含む約98kmの道のり、4サイドだけにかなり無理がある上にこのお天気ですからね。高嶺大橋までは2002年7月に走っていますが、野麦峠へは1999年10月以来、乾さん、ナワールドさん、GAMIさん、せいのさんと5人で走って以来の20年ぶり、この時のレポートがナワさんのHPの「野麦峠の館ツァー」とGAMIさんのHPの「野麦峠・月夜沢峠越え」として残っています。レポートをたどって行くと九蔵峠でお逢いした若かりしnana魔女のお姿が…

  降られる事もなく朝を迎える事ができました、静かでなかなか良いキャンプ場ですが、自転車で来るのはちょっと辛いかな。あびさんも車で今夜の「かじかの里…」へ向かうとの事ですが、再会はちょっと無理かと。とにかく明るい内に野麦峠を越えられたらどうにかなるやろうと、8時前には開田高原キャンプ場を後にします。(写真右 : あびさん)
 普通なら昨夜登って来た道を標高で170m程下るのですが、少し登って川の北側に出た方が登り返しが少なくなりそうなので、そちらへ進みますが、間違えて入った道がなんとダートに、300m程下ってキャンプ場へ戻る別の道だと気がついて引き返す事に、今日1回目のロス。
 その後は順調に下ってR361の手前まで、野菜畑の中を右下にR361を見下ろしながら長峰峠へ向かいます。
 R361に合流する手前辺りからパラパラと降り出します、慌ててサイドバッグ、フロントバッグにカバーをかけポンチョを被って走りますが、雨の中追い越してて行く女性ランナーが… 雨は暫くで止んで峠に着くまでに晴れ間が、雨に濡れて登りで汗をかいて、これなら木陰で雨宿りをしていた方が良かったかな。0945 長峰峠到着、岐阜県高山市になります。峠の茶屋は既に営業はしておらず、もちろん客寄せ馬もおらず廃屋寸前。
 少し下ると日和田高原、リゾートぽい雰囲気、この先野麦峠までを考えるとどこかで飲料を補給しておきたい処です、幸い飛騨おんたけ山荘に自販機を発見、一安心。ところで日和田高原は陸上競技場があったりとランナーの合宿地になっているらしく、車へ安全走行を促す看板があちこちに立っています、長嶺峠で抜かされた女性ランナーもそうだったのかな。その割に工事のダンプが多い事。
 長峰峠から高嶺大橋まで400mのダウンヒル、野麦峠まで登らなければならないのに勿体無い話です。2002年はここで野麦峠へ向かうUG兄さんやまえださんと別れ、高山、白川郷経由で金沢へ向かいました。
 県道39号へ入り暫くで旧道への分岐(1,185.5m)が、1990年代まで野麦峠への車道はゲートに閉ざされた飛騨川に沿ったこの林道でしたが、崩落か何かで通れなくなり、現在の阿多野郷から寺坂峠を越えるルートが県道となりました、手持ちの昭和62年(1987年)修正の五万図では寺坂峠ルートは半分しか開通していません。お陰で標高差100m足らずの区間を300m登らされて200m下らされる事になってしまいました。
 寺坂峠そのものより阿多野郷の集落の中を真っ直ぐ登って行く区間が辛い様な、村外れの分岐から峠らしい道に、ただ「熊の目撃情報」の看板が。
  寺坂峠の手前まで来て、道路前方に動くものが「熊?」、コンデジで撮影して拡大してみるとデカい猿です、Facebookで教えて貰った話ではここで猿の軍団に囲まれたとか、集団だと怖いですね。
 1215 寺坂峠到着、気温は19℃を示しています、猿かと安心してられませんので、熊鈴に加えてスピーカーで音楽を流しながら走る事に。

 

 再び野麦峠へ登り返しが始まります、工事の作業所みたいな処に自販機、100円のペット飲料とかもあって結構リーズナブルなんです、ところが先に休憩した場所にヒップバッグを忘れた事に気が付きます。距離で700m程、標高差40m程を引き返す事に、今日2度目のロスタイム。
 13時過ぎに野麦集落に到着、今は営業している処も自販機も人影も見えません。軒先のベンチを借りて、持参の菓子パンと先ほど買った飲料でお昼にします。
 1,345m、旧野麦街道への分岐へ、山道だと峠まで4.2キロとありますが、県道だとまで8キロ以上走らなくてはなりません。長峰峠からここまで降られずにやってきたのですが、西から雨雲が接近してきている様です。
 案の定、本降りになってきました。幅員も狭くなるし、時々車もやってくるし、濡れた路面を4サイドで蛇行しながら登るのもそろそろ限界です、時々木陰で雨宿りしながら開き直って押して行く事にします。
 1544 ようやく野麦峠に到着、残念ながら20年ぶりの野麦峠は雨でした。この先下り基調とは云え安曇野まではとてもたどり着けませんので、SNSに書き込みますが、どうやら下界も降ったり止んだりの状況らしいです。もちろん乗鞍岳は見えませんし「お助け小屋」も「峠博物館」を覗く余裕もなく、四阿で体制を整えて1609出発、齢65、再び自転車で訪れる事は叶わないかと。

 標高が下がってきた処で雨も収まり、1653 寄合渡で県道26号奈川木祖線と合流、奈川村道路元標の残る黒川渡まで来たものの、元標をなかなか見つけられず、余計な坂を登ったりして30分近いロスタイム、湖畔に出てからのアップダウンで奈川渡ダムに出る頃にはすっかり暗くなってしまいました。その上車が多く、トンネルの連続、雨と最悪の条件のR158を松本市役所安曇支所のある島々に下りてきたのが19時前。新島々駅前のゲストハウスも取れず、市街地近くまで降りてきてこの雨でゲリキャンもままならないので、松本インター近くのネットカフェに向かう事に。
 松本インター近く「自遊空間」、街中のネットカフェだと自転車を置く場所に困るのですが、少し郊外のここなら充分なスペースがあります、建物の影にしっかり鍵をかけておけば安心できそうです。R158を無事に走り抜けたのも派手なバッグカバーと3つのテールランプのお陰かと、しかし雨の中1,000m以上も下ってきたお陰でブレーキシューもかなりチビってしまいました、梅雨明けにシューをM50TからR50T2に交換していたのですが、やはりウェットな条件では持たない様です。本日の走行92.0キロ。

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【1085】 長野県 西筑摩郡 奈川村(現 松本市)

信州キャンプツーリング(1日目)

飛騨街道 地蔵峠(1,355m)にて

 遠征ツーリングは「18きっぷ」の使える季節にしているのですが、昨年夏は7月に能登半島へ4泊で向かったものの、連日の猛暑の下、日中キャンピングで走るのは自殺行為に近いものが、今年は標高が高くて少しでも涼しい処へと信州へ向かう事にしたのです。コースは木曽福島から未収の道路元標をなぞって大糸線の南小谷まで、開田高原から長峰峠、野麦峠と一旦は岐阜県に入るものの、松本から白馬経由で北上する約200キロを3泊で走るプラン。混雑するお盆を外して、8月第4週に休みをセットする事に、但丸々1日休みの取れるのは3日間、いつもの様に「18きっぷ」を使って始発から移動する余裕がなく、初日は近鉄特急と「しなの」を利用して木曽福島まで輪行する事にします。
 そこで静養中(^_^)の鈴鹿のあびさんから、自転車は無理だけど車でキャンプだけご一緒したいとのお話、元より1日目はいつ開田高原キャンプ場に辿り着けるかのタイトな行程、先乗りして頂けると安心、喜んでご一緒して頂く事に。
 さて世間のお盆休みは台風襲来、第4週はまずまずと陰でほくそ笑んでいたのです。18日には4つのサイドバッグをクロネコヤマトの木曽福島営業所留めで発送、20日にさっさと出発できる輪行準備を済ませたら、なにやら気の早い秋雨前線が現れてお天気が怪しくなっているではありませんか、既に荷物を送っているのでお天気だけで止める訳にも行かず、降られる覚悟で多少雨支度や着替えを追加する事に。

 予定より1本早く桜井0937に乗車する事ができて伊勢中川乗り継ぎになりますが、榛原から近鉄特急に乗車、名古屋駅では余裕の22分接続で自由席の列に並ぶ事ができました。しかしJRの特急に乗るなんて何年ぶりでしょうね。
 心配なお天気、中津川辺りまでは良かったのですが、1323 案の定木曽福島駅に降り立つ頃には雨に、16時位まで降り続く予報、とにかく輪行支度を解きますが、なんと作業をしている内に雨が止んで晴れ間も、これ幸いと1420 出発。
 まずは福島町道路元標のある郷土館へ、季節によって変則的な開館日ですが、道路元標は前庭にあって休館日でも近くには行けそうです、積雪期はともかくとして。
 クロネコヤマトの営業所は木曽福島の街中から開田方面へ数キロ入った処、それは良いのですが、明日の行程に備えて携行食とかを街中で準備しておきたい処、ところがサイドバッグをセットするまで荷物を入れる余裕がないのです、ろくに買い出しもできずに営業所へ。荷物を受け取り4サイドの出来上がり、一挙に20キロ重くなります。
 地蔵峠への分岐までR361を行きますが、所々に旧道が残っているのでそちらを選びます。さすが信州、道祖神が出迎えてくれます。
 地蔵峠への道へ入ると殆ど車はやってきません、記憶も曖昧ですがここを走るのは17年ぶり、自転車向きの雰囲気の良い適度な坂が続きます。
 「唐沢の滝」を見上げるコーナーで小休止、案内板には「寝覚の床」「王滝の水ヶ瀬」と並んで「木曽三勝」、現在の落差100mと記されています。道は滝の右側を巻いて滝の上へと続きます。
 どうにか17時過ぎに地蔵峠に到着、以前はもっと楽だった気もしますが、4サイドですから仕方ないですね。
 開田側へ少し下ると「地蔵峠展望台」、九蔵峠とともに天気が良ければ御嶽を望むビューポイントなのですが、今は雲の中。17年前はここでゲリキャンしたのですが、あびさんがキャンプ場で待ってなければ、今回もここでゲリキャンしたでしょうね、なにしろキャンプ場までは開田村まで一旦下って地蔵峠とほぼ同じ高さまで登り返さなくてはならないのです。
 R361に戻り、木曽町開田支所に立ち寄って西筑摩郡開田村道路元標を。後8.4キロ、単純に標高差よりアップダウンが辛いのです。

 

九蔵峠の手前で県道20号開田三岳福島線へ、幸いにも管沢の高宮商店がまだ開いていたので、明日の携行食にパンやら御菓子などを調達、自販機の温かい缶コーヒーとドーナツで虫養いをしていると、キャンピングを見つけて声を掛けて頂いた方、大阪出身で開田高原が気に入って定住されていて、片倉シルクのオーナーとか。さてキャンプ場までは後3キロを切っているのですが、真っ暗な山道です、最後の数100mの坂では押しが入る事に。
 幸い降られる事なく1944 やっとの事で標高1,304mの開田高原キャンプ場に到着、真っ暗ですがあびさんの居場所はすぐに判りました。
 炊事場近くの屋根のある一画を確保してくれていました、お盆な明けの平日とあって他の利用者も2組だけとか。駆け付け1本の後、設営を済ませて、2人ぼっちで宴の始まり。(Photo : あびさん)
 本日の走行31.4キロ、道路元標や荷物の引取りがあったにせよ、5時間も掛かってしまいました。

 1日目 2日目 3日目 4日目

【1083】 長野県 西筑摩郡 福島町(現 木曽町)
【1084】 長野県 西筑摩郡 開田村(現 木曽町)

愛知県の道路元標へ

 有効期限残り僅かの「近鉄優待乗車券」を賜ったので、愛知県下で残している道路元標(上図赤印)を巡るか、自走で辿り着けてもなかなかゆっくりと回れない先志摩を往復輪行で巡るか、悩んだ挙げ句に自転車抜きで愛知へ向かう事にしました。愛知県下には後5ヶ所をのこしているのですが、今まで回った残りと云うか比較的最近になって現存が確認されたとかで、場所がてんでバラバラ、2ヶ所は比較的駅から近く、1ヶ所はどうにか路線バスが使えるので3ヶ所を公共交通機関利用で巡る次第に。(なお黒印は現存が確認されていたものの、その後行方不明となったもの)

 「優待乗車券」と云っても特急まではタダで乗せてはくれません、桜井0642発の急行を乗り継いで名古屋へ、名鉄に乗り換えて美和村道路元標の最寄り駅になる木田駅へ、しかし色々な方向へ様々な編成で入ってくる名鉄電車には戸惑います、津島線へ入るのは2両編成かい。
 海部郡美和村は美和町を経て2010年にみわ市に、道路元標は美和民族資料館の玄関脇の庭先に案内板付きで保存されています。なお同館は水木曜休みですが元標の前までは何時でも行けるかと。
 お次も名鉄に乗り継いで三河線の碧南駅へ。2014年10月にも訪れていますが、その時は目的の棚尾村道路元標が移設されていて見つける事ができませんでした。
 碧海郡(昭和45年に消滅)の棚尾村道路元標、以前は棚尾小学校内に保存されていたのですが、町おこしの一環で元の場所とされる処に再建されています。
 歴史のある町かして、歩道や案内が整備されています。
 お次は東春日井郡(昭和45年に消滅)の坂下村、JR中央本線の高蔵寺駅が最寄りですが直線距離でも4キロは離れています、ただ今やニュータウンのど真ん中で路線バスが日中でも1時間1本程度走っています、駅前のバスターミナルから最寄りのバス停まで片道330円は些かお高いですが、丘陵地帯のアップダウンを自転車では行きたくない様な。
 坂下村道路元標は坂下公会所(公民館とは異なります)の玄関先に。これで愛知県下110基目、現存が確認されているものは後2基、渥美郡泉村は良しとしても北設楽郡の園村が難関です。

 東海道線で遅延とかが発生していたのですがほぼ順調に予定の3基を巡り終え、少し時間の余裕があったので、せっかくですので毎年新春ランでお世話になっているカトーサイクルさんへ、今どきのお店には置いていない小物部品が必要だったので、グッドタイミング。ただ眼に毒なものが一杯あるのが困り物です。
 帰りは特急料金を奮発しましたが、名張から普通電車に乗り換えるので行きと30分程しか変わらないのが。

【1080】 愛知県 海部郡 美和村(現 あま市)
【1081】 愛知県 壁海郡 棚尾村(現 碧南市)
【1082】 愛知県 東春日井郡 坂下村(現 春日井市)

WAKAYAMA800 日高郡へ

 昨年8月から挑戦中の「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」、台風禍で閉鎖されたままの道の駅「白崎海岸」が正式にポイントから除外されて計44ヶ所、残りは12ヶ所なのですが、パーフェクト達成はかなり厳しいです、やはり昨年9月の「十津川~南紀ツーリング」の2日目、雨で切り上げたのが堪えます。今日は青春18きっぷのシーズンが始まりましたので、日高郡の2ヶ所を回る事に。
 ただ普通列車より優等列車の方がはるかに多い紀勢本線、JRだけで桜井から御坊まで行こうとすると始発に乗っても10時をまわってしまいます。王寺駅までの約20キロを未明に自走したので、3月とは云え温度計は0℃、この冬一番の寒い思いをさせられる事に。とにかく王寺駅0436発の関西本線で天王寺へ。
 天王寺、和歌山で乗り継いで御坊到着が0756、輪行準備とトイレを済ませて0816、R425の分岐する塩屋まで南下するのですが、県道186号日高港線のヘキサや食料調達に時間を取られてしまいます。
 結局R425に入るのは085に、尾鷲から紀伊半島を横断してきたR425、日本三大酷道と云われたこの道も御坊側は幾つものトンネルや橋が供用されて車には走り易い道となっています。実は旧龍神村の小家谷から西を走るのは10数年ぶり、改良のお陰で里山の中を緩やかなアップダウンが続き、自転車にも走っていて気持ちの良い道です。そのせいかWAKAYAMA800でもおすすめルート「切目~塩屋ルート」として紹介され、ブルーラインも引かれています。
 ただ昔ながらの道への拘りもあって、旧道トレースモードに。印南町田ノ垣内、ここには日高郡の真妻村道路元標があったはずなのですが、JAも幼稚園も今は閉ざされ、人影すら見えません。
 2014年に竣工した切目川ダム、もちろん以前通った時は建設中でした。付近の旧道部分も幅員こそあまり変わりませんが整備されています。
 上洞(かぼら)にある「奥真妻活々倶楽部」が今日1っ目のポイント、元は商店だったのでしょうか、集会所の様になっていますが、食料品とかも売られている様です。
 規模は小さいですが棚田が、この辺りでは「けさがけ」の事を「なるがけ」と云う様です。
 標高440mまで登り詰めて唐尾隧道、今は田辺市となりましたが、旧龍神村域に入ります。

 

 小家谷口でR424と合流、上洞からは1台の車にも遭わずにやってきましたが、R424との併用区間に入ると交通量が増えます。御坊から龍神へは県道とR424を継いだ日高川沿いのルートがメインになっています。

 

 1150 道の駅「水の郷 日高川 龍游」にて2っ目のポイント。
 今度はR424を使って海側に戻る格好になります、切目辻トンネルを抜けて南部川沿いに下ります、こちらのルートを走るのも10数年ぶりです。
 みなべ町にて、南部町道路元標(写真左)、県道201号南部停車場線、熊野街道沿いにあるのですが、後ろの商店は店仕舞いしてしまった様です。
 南部駅に到着したのが1352、この先紀伊田辺以遠へ行ける接続は1558までなく、帰途に鶴橋から近鉄を利用するなら、紀伊日置駅もよりのポイント「道の駅 志原海岸海来館」まで往復する事もできなくないのですが、輪行支度や待ち時間を考えるとあまりにロスが大きいので、今日はここでお開きにして帰途に就く事に、時間的には少々物足りないですが恵まれた天気の下、久しぶりの道を走る事ができて満足です。本日の走行96.1キロ。
 通勤時間帯の天王寺を経由するのを避けて、余分に時間が掛かりますが和歌山線経由で、乗り心地最悪の105系に乗れるのも後僅か。南部1432→1508御坊1533→1636和歌山1651→1824五条1901→1940高田1944→1957桜井と所要5時間25分の旅、往復で5,620円分乗車。五条駅ではへこちらも3月16日のダイヤ改正で姿を消す117系と交換(写真右)。

 WAKAYAMA800は2ヶ所回って都合34ヶ所、残りは紀北に4ヶ所、南紀に6ヶ所はどう考えても厳しいです、と云いますが千葉山と生石山ってあまり気がすすまないのですよね。

 

WAKAYAMA800再開 和歌山へ(2日目)

 和歌山県有田市 有田みかん海道

 今日は有田市周辺の「WAKAYAM800モバイルスタンプラリー」のポイントを巡ります。
 和歌山県道135号和歌山海南線を南下、紀三井寺村道路元標も健在です。いつもはそのまま黒江経由で海南へ向かうのですが、今は紀三井寺駅の南側で踏み切りを渡って紀三井寺緑道なる自転車歩行者専用道へ。
 ここは昭和42年に廃止された南海電鉄和歌山軌道線の廃線跡で、海南市との市界になるトンネルは鵬雲洞と呼ばれ土木遺産にもなっています。自転車道となっている廃線跡のトンネルとしては断面が広いのですが、軌道線が複線だった所以ですね。
 加茂郷にかけては難所なのですが、海南IC付近で工事が行われていて自転車にとっては難儀な状況になっています。冷水浦駅南側、昔から紀勢本線の撮影ポイントになのですが、散乱している空き缶とかは「バカ鉄」の仕業? せっかくですので狙ってみます。
 少し旧道少し残っていますのでR42を避けて辿る事に。海南港を見下ろす風景はお勧めです。結局有田市街に入ってのは11時前、買い物とお昼を済ませる事に。
 和歌山県道171号宮崎古江見線からポイントのある有田みかん海道へ、友が島を望む事ができ、稜線を南側に回ると白崎海岸が遠望できます。結構登らされましたが、湯浅側からの方が斜度はキツいかな。
 湯浅の古い街並みへ、かなり埋もれていますが、湯浅町道路元標が道標の脇に残っています。
 「テスティモーネ アリダ」「湯浅うまいもん蔵」「稲むらの火の館」と回り今日4つ目のポイント「有田川町鉄道交流館」へ、到着したのは15時を回っているのですが、そこは根が鉄ちゃんなので、ここでも時間を食ってしまう事に。
 結局「千葉山」(468m)も「山の家 おいし」(787m)も時間的に狙う事ができずにR424で帰途に就く事に。標高407mの峠に着いたのが1718、県道10号を継いで貴志川の自転車道の入口に辿り着いたのはすっかり暗くなった1820、真っ暗な自転車道は結構危険なのですが、ライト3灯を駆使して走る事に、ところが工事が行われていて、一般道に下りざる得ない状況に。
 紀ノ川べりに出て井阪橋で自転車道に戻りますが、竜門橋南詰で辿りついたのは1920、自走も考えたのですが既に100キロ超、最終の時間を考えて、JR和歌山線の粉河駅から輪行する事に。やってきたのは乗り心地最悪の105系、しかしその105系も117系とともに3月16日のダイヤ改正から淘汰されるとか。

 とにかく2日間でWAKAYAMA800のポイントを6ヶ所回って都合32ヶ所、生石山と千葉山両方を含めた残り12ヶ所はかなり厳しいです。本日の走行109.7キロ。

国中ポタ~大和盆地縦断~

奈良県生駒市高山町 北倭村道路元標

 今日はお天気も良い事ですので、最近になって現存が確認された北倭(きたやまと)村道路元標を履修に生駒市へ向かう事にします。相変わらず歩くと左脚の調子は良くないのですが、現金なもので自転車は大丈夫なんですよね。
 さて飛鳥川沿いの「大和中央自転車道」(大和郡山田原本橿原自転車道線)を北上します。「大和中央自転車道」は浄化センター公園が起点、実質的には行き止まりになっているので、生駒市や王寺町方面に抜けるには保田橋西詰から県道36号天理王寺線を少し西へ走って曽我川沿いに北上してきた「飛鳥葛城自転車道」(明日香大和高田広陵自転車道線)に入る事になりますが、この辺り案内等は全くなくて大阪方面から走りに来た人にとっては日非常に判り難い事になっています。→「奈良県の自転車道に物申す」

 曽我川を渡った処でその「飛鳥葛城自転車道」に入るのですが、昨年からなにやら工事をしているなと思っていたら、どうやら県道36号天理王寺線の付け替えで新しい橋が架かるので、左岸を走っていた自転車道はアンダークロスする様です。これはこれで良いのですが、奈良の自転車道を走っていて気になるのは交通量の多い道路の交差点で信号や横断歩道の類、車道側に自転車道との交差である事を示す標識が非常に少ない事です、「ならくる」や「京奈和自転車道」も結構ですが、こう云った基本的な安全面に気配りと予算を使って貰いたいものです。
 大和川に出て御幸大橋で右岸に、竜田川べりに入って北上しR168へ。桜井に暮らしているとわざわざ車の多いこちら方面に走りに来る事は滅多にないので、せっかくですのでヘキサコレクションで空白になっている幾つかの県道を巡る事に。因みに新宮市が起点のR168は昭和57年までは大和高田が終点で、昭和57年に2つの県道の昇格で枚方市までとなりました。
 お天気に恵まれた土曜日とあってすれ違うロードバイクが結構います、淀川べりから奈良へ走りに来る人は、今日走るR168や県道7号がルートになるのでしょうね。

 時間を取られましたが未収だった5件をGET、ただ県道250号平群信貴山線は見つける事はできませんでした、どうやらフラワーロードまで登るとある様なのですが、標高差200mを登る余裕はありません。
 近鉄の生駒駅に立ち寄った後再びR168に戻って北へ、奈良盆地の南東端から北東端へ、北倭村は結構遠いです、もうポタとは云えないですね。出店交差点(写真右)を少し西へ入り橋を渡ると大阪府四条畷市、ここは淀川の支流天野川の上流になるのです。
 ここまでヘキサコレクションのためにR168を北上してきたのですが、白庭台ニュータウンの中を越えて富雄川の沿って北上してきた県道7号枚方大和郡山線へ入り、くろんど池への登りに。くろんど池と云えば大阪府のイメージが強いのですが、くろんど池そのものは奈良県生駒市、れっきとした富雄川源流域なのです。
 さて北倭村道路元標の建つだろうポイントまでやってきたのですが、なんと道路元標と思しき石柱は頑丈なゲートに阻まれた橋の向こう、南向きに建っていて正面を確認する事はできませんが、形状から奈良県の様式の道路元標に間違いありません、万事休すかと思いきや、地図を見ると向こうに見える北倭土地改良区の建物までは高山溜池を大きく迂回すれば「金鵄の杜倭苑」と云うコミニュニティセンター経由で行けそうです。
 十数m向こうの道路元標まで2キロ近く迂回する事になりましたが、さしたる?障害もなく無事に北倭村道路元標の正面に辿り着く事ができました、都合1,079基目となります。
 北倭村は明治22年町村制の施行に拠り、添下郡5ヶ村により北倭村として成立、明治30年に平群郡とともに生駒郡となり、昭和32年に当時の生駒町に編入されています。上田倖弘著「道路元標」を尋ねてによると、現在の出店橋西詰にあったとされ、戦前には失われていたかとありますが、土地改良区ができた折にでも保管されていたものがここに再建されたのでしょうね、北倭村の村域は概ね生駒市高山町となったため、北倭の名を残しているのは保育園位になってしまいましたが、北倭村成立以前の旧村名(鹿畑)が鹿ノ台ニュータウンに引き継がれている様です。
 13時半、今日の目的は達成、京都府側へ越える県道65号か72号で木津川側へ越える事も考えたのですが、最富雄川沿いに最短コースの県道7号を南下する事に。


 近鉄富雄駅手前までは信号や車が多くて閉口していたのですが、三松橋からは富雄川左岸の道が自転車道みたいなもの、大和郡山市の外川橋からは「奈良自転車道」と「飛鳥葛城自転車道」を継いで大和川に架かる御幸橋まで戻ってきました。
 大和川べりでは御幸橋から馬場尻橋まで右岸、中街道(下ッ道)の天神橋までは左岸を行きます。R24を跨ぐために県道36号を少し走らされますが大中橋から再び大和川左岸へ、桜井まで快適なルートを走る事ができます。交通量は少ないですが、生活道路になっているので時間帯によっては地元の車が広くもない堤防上の道を行き交います、断続的にある対岸(右岸)の道を自転車道として整備してくれないものですかね。
 さてくろんど池への登りを除けばインナー要らずの川沿いのコースでしたが、走行89.9キロはもうポタやないですね。

 なお2019/2/3の時点で道路元標のコンテンツに埋め込まれているGoogleMapは正常に表示する事ができません。

 

国中ポタ~旧街道とお粗末自転車道~

 寒い日が続きましたが、今日は1日晴マークで暖かいと云う事ですので、郡山まで献血にポタリングも兼ねてのんびりと走る事に。八木から中街道(下ツ道)を北へ、橿原市から田原本町にかけて少々車が多い処もありますが、旧街道とあって概ねのんびりと走る事ができます。
 中街道は近鉄橿原線と国道24号線の間、古くからの集落を継ぐ様に北へ、ほぼ東西に流れる大和川を渡ります。

 

 天理市二階堂、この三っ辻を右(東)へとると丹波市から石上神社へと辿る事ができます。この辺りから県道192号線筒井二階堂線となっています。
 近鉄天理線を跨ぎます、正面に見えているのは京奈和自動車道の高架、ただ下ッ道ジャンクションの進入路が邪魔していて、少し迂回しなければなりません。
 中街道(下ッ道)はさらに北上するのですが、この先環濠集落のある稗田あたりからルートが曖昧になってしまいます。県道も左折して菅田神社の鳥居をくぐって郡山へ向かうので、この先では近世以降国中(くんなか)を南北に結ぶルートとしての機能は失われていたのかも知れません、佐保川の流路の変化が影響しているのかも。少し寄り道して菅田神社の境内へ(写真右)。
 菅田神社の北側を巻いて三郷橋で佐保川を渡りますが、一昨年(2017年)10月に京奈和自転車道の一部として県道280号大和青垣自転車道が4.4キロ供用されここ三郷橋西詰が現時点での南端なのですが、その後の進展はない様で、まるで佐保川河岸の造りやすい処だけ造った様な按配です。ブルーラインには「京奈和自転車道 和歌山港まで118キロ」と記されていますが、確か2020年完成とかただ奈良県下の他の区間は手付かず、和歌山県に入ってJR和歌山線隅田駅近くまで直線距離でも30キロ以上、ブルーラインはおろか案内の類は見られません。今日はその自転車道には入らずに県道筒井二階堂線を辿ります。なお京奈和自転車道を辿った時の記事はこちら→「走り納め ~京奈和自転車道~」
 県道から少し離れて、筒井の集落の中にある五輪塔覆堂(重文)、「洞ヶ峠」で日和見の代名詞の様になった筒井順慶の墓所です。
 西名阪の高架をくぐって少し北へ、三つ辻の南角になる道標、大正13年と古いものではありませんが「右 長安寺 平端村役場所在地 電車停留所近道 左 二階堂田原本八木」とあります、左は正に今私が辿ってきた道なのですが右の停車場とは、初めて見た時に天理軽便鉄道の事かと思ったのですが「大正13年」と「電車」の文言から大正11年に平端まで延伸した大阪電気軌道畝傍線(現在の近鉄橿原線)の平端駅の事なんでしょうね。
 再び北上して国道25号線との交差点が県道筒井二階堂線の起点となっていますが、筒井村道路元標が歩道の真ん中に建っています、このまはま北へ行くと「城之口餅」の「菊屋」の前まで行くのですが。
 今日の目的地は筒井駅西側のこちら、意外に混んでいて成分献血は待ち時間が、現役時代はなかなか献血なんて余裕はなかったのですが。粗品とか豪華にすると「売血」の悪いイメージがついてくるのですが、あの何の役にも立たない記念の「盃」どうにかしてくれないかな。
 郡山まで来た事ですからお昼は「とんまさ」「菊屋」と回りたい処なのですが、結構時間をくったのと、予報に反してお天気は曇り模様に、陽射しがないとテンションも上がりません、今日はここから帰途に就く事に、国道25号線を少し東に走って筒井橋西詰で京奈和自転車道に入ります、国道25号と西名阪にはご覧の様に立派なアンダーパスが整備されています、こんな事に金をかけずに佐保川の河川敷に下りて既存の橋の下をくぐれば良い様なものです、自転車道故に増水時に利用する状況もないでしょうに。ほんと金の使い方間違ってますよ。
 現状来しなに通った三郷橋西詰までしか供用されていないのですが、せめて近鉄天理線と橿原線をくぐって大和川の対岸の大和中央自転車道(奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線)に繋がる処位まではなんとか整備して貰いたいものです。
「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」
 はっきり云って奈良県の自転車道施策のお粗末さには辟易しているのですが。→「奈良県の自転車道に物申す」
 おっと新三郷橋から三郷橋まで護岸工事で通行止、自転車道整備の時に一緒にできなかったのでしょうかね、まさにお役所仕事の典型。

 三郷橋東詰から南へほぼ真っ直ぐ大和川に突き当たるまで(写真左)、後は桜井までほぼ大和川左岸を走って行く事ができます、ただ中街道から国道24号を跨いで大中橋まで大和川左岸を整備してくれれば申し分のないコースになるのですがねぇ。本日の走行34.1キロ。

2018年のまとめ


 2018年の走行9,199.3キロ(asuka 5,748.5キロ、erba 3,017.4キロ、Silk24 433.4キロ) 12月の走行距離が308.0キロで52ヵ月続いた月間500キロ以上走行が途切れ、年間10,000キロ以上走行も3年で途切れてしまいました。

 例年に比べると夏場の走行距離が少ない様で、猛暑の影響。5月GW明けから1ヶ月は丸一日の休みが1日も取れず、11~12月にかけて休みと天気の巡り合わせが悪かった上にしたたか風邪をひいてしまったのが。
 ちなみに100キロ以上走行が18回、
1月7日 「新春100キロ 御幸橋まで往復」115.2キロ
1月28日 「吉例!大阪市内七福神めぐりポタ」(大阪市内往復)107.5キロ
3月4日 「今年の福寿草サイク」106.0キロ
3月23日 「四国の右下ツーリング(2日目)」128.1キロ
3月29日 「今年も東西南北の海へ、まずは北へ」151.8キロ
4月4日 「今日は和歌山へ、高野山から蘭島」163.8キロ
4月22日 「月例 東吉野サイク」100.9キロ
5月16日 「走れる時に走らんとね」102.0キロ
6月3日 「走れるうちに… 伊賀上野の手前まで」135.9キロ
6月13日 「再び大河原から島ヶ原へ」124.9キロ
6月24日 「ヴィンテージレーサー鑑賞会」(伊賀上野往復)120.9キロ
8月1日 「三州街道 飯田~豊田ツーリング」125.1キロ
8月19日 「いざ鈴鹿へ」111.5キロ
8月27日 「高野山~有田川~日高川~御坊ツーリング(1日目)」172.8キロ
8月31日 「十津川~南紀ツーリング(1日目)」180.2キロ
9月24日 「2つの丹生川を遡るランドナーサイク」151.0キロ
10月2日 「西の海へ ~ゆる風サイク~」141.7キロ
10月16日 「紀伊半島ツーリング 2018秋(1日目)」117.5キロ
 センチュリーランこそ3回ありますが、200キロ以上の走行は昨年8月27日の「南の海へ~潮岬~」以来ありません。ただ特筆すべきは4サイドキャンピングで概ね1,850キロ走った事が。
 そのキャンプツーリングですが、3月の「四国の右下」に始まってほぼ毎月、先月の「笠置キャンプ」までテント泊は18泊、他にダムの休憩所で寝袋だけでってのもありますが、内訳はソロが8泊、グループが10泊。
3月22~25日「四国の右下ツーリング」
4月28~30日「第12回月うさぎキャンプ」
5月26~27日「笠置キャンプ」
6月30日~7月1日「野迫川キャンプツーリング」
7月20~24日「能登半島ツーリング」
9月15~17日「酒池肉輪キャンプツーリング」
10月16~19日「紀伊半島ツーリング 2018秋」
10月27~28日「酒池肉輪会 笠置キャンプ」
11月6~9日「野迫川~奥千丈キャンプツーリング」
11月22~25日「笠置キャンプ 2018秋」

 図は2018年に走った軌跡、ご近所は端折ってますがね。東西南北、今年は東の海へ行けなかったのが。
 道路元標は2014年8月に1,000基を越えてからは近場に残っていない事もあってなかなか捗らないのですが、今年は奥能登へ行った事もあって22基、累計1,078基となりましたが、まだまだ先は長いです。(画像は新たな石川県の16基)
【1057】 2018/3/24 高知県 安芸郡 津呂村
【1058】 2018/3/25 高知県 香美郡 岸本町
【1059】 2018/3/25 高知県 長岡郡 大津村
【1060】 2018/7/20 石川県 鹿島郡 高階村(現 七尾市)
【1061】 2018/7/20 石川県 鹿島郡 久江村(現 中能登町)
【1062】 2018/7/21 石川県 羽咋郡 上甘田村(現 羽咋市)
【1063】 2018/7/21 石川県 羽咋郡 中甘田村(現 志賀町)
【1064】 2018/7/21 石川県 羽咋郡 西増穂村(現 志賀町)
【1065】 2018/7/21 石川県 鳳至郡 諸岡村(現 輪島市)
【1066】 2018/7/21 石川県 鳳至郡 櫛比村(現 輪島市)
【1067】 2018/7/21 石川県 鳳至郡 浦上村(現 輪島市)
【1068】 2018/7/22 石川県 鳳至郡 西保村(現 輪島市)
【1069】 2018/7/22 石川県 珠洲郡 西海村(現 珠洲市)
【1070】 2018/7/23 石川県 珠洲郡 蛸島村(現 珠洲市)
【1071】 2018/7/23 石川県 鳳至郡 諸橋村(現 鳳珠郡穴水町)
【1072】 2018/7/23 石川県 鳳至郡 兜村(現 鳳珠郡穴水町)
【1073】 2018/8/1 長野県 下伊那郡 根羽村
【1074】 2018/8/1 愛知県 北設楽郡 武節村(現 豊田市)
【1075】 2018/8/1 愛知県 東加茂郡 旭村(現 豊田市)
【1076】 2018/8/10 石川県 江沼郡 庄村(現 加賀市)
【1077】 2018/8/10 石川県 江沼郡 分校村(現 加賀市)
【1078】 2018/8/10 石川県 能美郡 鳥越村(現 白山市)
 もう一つのライフワーク「SefyPhoto」の方ですが、相変わらずのスランプ状態から脱け出せません、何ででしょうねぇ。
 さて2019年はとにかく継続中の「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」の45基コンプリートが当面の目標ですが、南紀方面が予定通りに行かず、今の処26基に留まっています。しかし昨年の台風21号被害で閉鎖になっている「道の駅白崎海洋公園」はどうなるのでしょうね、タモさんは既にそこを残して44基に達しているそうです。(画像のグレー色マークは履修済)
 最後にこのブログへアクセス数、昨年はリセットし忘れたので2年間の値になっています、ちなみに2016年は68,664、2015年は82,004、毎年減っているのかな。実際のところ記事数も2015年(248)、2016年(185)、2017年(151)、2018年(117)と減っているのですが。

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2018年8月の実績

2018年の累計6,851.6キロ

道路元標
【1073】 2018/8/1 長野県 下伊那郡 根羽村
【1074】 2018/8/1 愛知県 北設楽郡 武節村(現 豊田市)
【1075】 2018/8/1 愛知県 東加茂郡 旭村(現 豊田市)
【1076】 2018/8/10 石川県 江沼郡 庄村(現 加賀市)【1077】 2018/8/10 石川県 江沼郡 分校村(現 加賀市)
【1078】 2018/8/10 石川県 能美郡 鳥越村(現 白山市)

道路元標蒐集サイク(石川篇)

 「18きっぷ」はまだ残っているのですが、まとまった休みがないので日帰りの予定で北陸へ、石川県南部の道路元標を巡ります。桜井から「18きっぷ」だけで日帰りしようしても、現地での滞在時間が5時間程しか取れないのです、少しでも早く着こうとJR奈良駅まで20キロ余りを自走する事に、奈良05:46→0647京都07:00→0807近江今津0814→0946 福井10:15→1056加賀温泉のスジで、桜井始発より1時間早く着きます。未明の上街道を走るのですが、そこは走り馴れたる道、その上最近奈良市域に入ると街灯が滅茶苦茶明るいのです。
 加賀温泉駅からスタートする事にしたのは「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリーのポイントが駅前にあると云う理由からなのですが、北陸新幹線延伸で新駅となる加賀温泉駅は現在仮駅舎で、ホームから改札まで結構歩かされます。バスの降車場のベンチがお誂え向きだったので早速輪行支度を解きます、先日の事があるのでペダルの取り付けは慎重に。
 まずは江沼郡の庄村道路元標分校(ぶんぎょう)村道路元標を、それぞれ住吉神社と菅原神社の前にあります、明日はその住吉神社の秋祭り、準備が始まっています。今日は曇りの予報を頼りにして出掛けてきたのですが、なんとカンカン照り、でも季節はもう秋なんですね。
 「いしかわ里山里海~」のポイントの自動車博物館を経て山あいへと入って行くとお天気が曇り模様に、粟津温泉近くのローソンで補給の後、県道163号瀬領粟津線、県道161号大杉長谷線と継いで県道43号丸山加賀線へ、2009年6月20日大杉谷村道路元標まで往復しているのですが記憶に残っていません。大杉谷川に沿って緩やかに登って行く走り易い気持ちの良い道が続きます、連日の猛暑に辟易としていただけに曇り模様が過ごしやすく、蝉時雨の道を快走していたのですが、些か雲行きが怪しくなってきました、時折パラパラと。帰りの輪行に万が一泊まりになった場合に着替えを一式は持って来ているのですが、雨具の用意はしていません。
 ただ雨雲レーダーの予報は心配なさそうなので、二度ばかり雨宿りをしつつ先へ進みます、牛ヶ首峠から国道416号線経由で新丸村道路元標を経て、五百峠を小松市街へ下るつもりでいるのですが。
 道が峠道らしくなってくると雨足も強くなってきて本降りに、幸いバッグ類のレインカバーはあるので、荷物は濡らさずに済んでいるのですが、今回はロード故にお尻はビチョビチョ、替えのない靴を濡らしたくないので足を付けずに頑張って登ったのですがドボドボに、結局は無駄な抵抗だった様です。
 1419 標高420mの牛ヶ首峠に到着、峠は国道416号との三叉路になっていますが、右折しても現在は行き止まりです(福井県側へは長年R416の未開通区間だったのですが、今年9月9日に開通するそうです)。残念ながら雨宿りの出来そうな場所もなく、左折して新丸村道路元標へ下る事に。新丸村は1956年に小松市に合併編入され、現在ではかつての村域は廃村同様の状態に、その道路元標ですが、目標物も何もない道端に建っていて、予備知識が無ければ通りすぎてしまう様な場所なのです、幸い見落とす事はなかったのものの、帰宅後写真を確認すると真っ暗で何も見えません、どうやら撮影モードを選ぶダイアルが間違った位置に動いていた様です、いつもならモニターで確認をしたり、スマホのカメラで1枚位は押さえておくのですが、今回は雨の中で何れもしなかったのが。
 道路元標から更に下ると分岐があり左への国道は五百峠へと登り返し、右は大日川に沿って下ります。牛ヶ首峠へ入った辺りから流石のdocomoも圏外で、五百峠の標高とか情報が得られません、スマホ以外にGARMINがありますので、現在位置や標高は把握していますが、この雨の中幾ら登り返さなくてはならないかが読めません、右へ行けば大日川ダムを経て下り基調のまま北陸鉄道石川線の終点である鶴来駅まで行く事ができます。あと「いしかわ里山里海~」の5つのエリアの内残る「白山手取川ルート」を一つだけでもゲットするには鶴来へ下る方が確実なのです。五百峠を越えて尾小屋鉄道の跡を見てみたかったのですが、この雨と残り時間を考えると右へ下るのが最善の選択かと。
 大日川ダム湖畔、雨も収まりと云うか路面は乾いています、雨は峠前後だけだったのかも。ただ湖畔でもまだ圏外、それな湖岸道路にしては結構アップダウンがあって些か参ります。ダムの堰堤まで来てようやくネットに繋がる様になり、鶴来駅までの正確な距離と帰途に就ける最終時間を調べる事ができます。新西金沢駅でJRに乗り換える為、小松へ下るのに比べると遠回りになるので、鶴来駅1651発が最終、それも桜井線の最終が早いために「18きっぷ」のままで帰れるのは奈良まで、結果的に京都から940円払って近鉄で帰る事になりそうです。
 大日川ダムから約30分旧鳥越村へ、行きがかりとは云え鳥越村道路元標を、ここから2001年10月以来のR157へ、実はこれより南R157沿いに未収の道路元標が2基残っているのが…  鶴来駅までは後12キロ。
 鶴来駅まで後少し、「おはぎ屋」の暖簾が気になり覗いてみたい気持ちを押さえて、鶴来駅へ急ぎます。




 「能登半島ツーリング」の折の分に加えて今日4ヶ所、時間があれば後3つ位は回れたのですが、計20ヶ所、全68ヶ所の1/3にも届きませんが、パーフェクト賞以外の抽選権は手にしました。
 結局、手取川流域に入ると再び雨が、それでも時間的には余裕で鶴来駅に到着、輪行支度を整えて予定の1651発に乗車、→1717新西金沢/西金沢1721→1853福井1859→1949敦賀1952→2044米原2054→2148京都/近鉄京都2201→2300大和八木2304→桜井2311と日付の変わる前には無事に帰投しました。本日の走行、奈良駅までの自走20.3キロを含めて88.6キロ也。

飯田~豊田ツーリング(前日)

 2018夏の「青春18きっぷ」輪行の旅、第2弾は信州飯田へ、連日の猛暑に参って少しでも涼しそうな処へ行こうと云う訳でもないのですが、一昨年8月に天候が怪しくなって中断したツーリング、飯田市から豊田市へR153三州街道沿いの3基の道路元標を巡るそのツーリングのリベンジをしょうと云う事なんです。
 今回も1日目は「青春18きっぷ」での移動のみ。桜井1040→1111奈良1120→1134加茂1142→1305亀山1324→1435名古屋→豊橋1642→2030飯田と云う余裕たっぷり、名古屋駅ホームできしめんを喰らおうと云う行程です。なお今回は「自撮り」もなし身軽にロードで120キロを名鉄の猿投駅まで走り抜ける予定です。
 豊橋からは1642発上諏訪行き、究極の乗り鉄路線飯田線を全線通して走る3往復の中の1本です、流石に私も1本で全線を通して乗車した事はありませんが、飯田まででさえ3時間48分かかるのです、ようやく2030飯田駅着。
 飯田市は城下町なのですが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形の中にあって、道を誤ると結構をアップダウンさせられる難儀な地形で、飯田線そのものも勾配を避けるために飯田駅前後で大きく西側にΩ型に迂回しているのです。その飯田市街に来るのは一昨年以来の2度目になります。宿までは輪行袋を担いで歩くには距離がありますので、駅前で輪行支度を解きます、走り出して右のペダルに違和感、ヴィンディングが悪いのか、クリートが悪いのか、とにかく下り基調ですし、暗くて良く判らないので、そのまま宿まで走る事に。案の定1本南側の道を下った為に激坂と階段を担ぎ上げる事に、結果的に宿の1階側に下っていた様で、宿の受付は4階にあるのです。
 宿は税込2,900円也、民宿を標榜してるのですが、バストイレは共同で労働者向きの宿と云う感じ、気さくな伯母さんと何とローディ御用達かして、ポスターとか色々貼ってあります。そんな訳で自転車も中に入れて貰えます。食料は部屋に持ち込み禁止ですが、飯田市市街の真ん中ですし、遅くまで食事のできる店は空いています。エアコンがコイン式ですが寝るだけなら充分です。7月最終日、本日の走行2.9キロ。

能登半島ツーリング(4日目)


珠洲市木ノ浦にて

 当初の予定の5泊6日が4泊5日になってしまった皺寄せが今日4日目にきていて、珠洲でサイドバッグ4つ分の荷物を宅急便にして身軽になるに予定にせよ、七尾までの約140キロを走らなくてはなりません。普通なら無理な話でもないのですが、この猛暑続きの毎日で日中はマトモに走れない事は、2日目と3日目で身にしみています。七尾での宿は未だ確保していないので、どうせ5日目は七尾駅0500の始発に乗って輪行で帰途に就くだけ、ならば暑い昼間はどこかで休んでおいて、ナイトランで七尾までの突っ走ると云う手もあるかなと考えながら休みについたのですが。
 朝暗いうちに輪島方面が向う車が何台も走って行く音で起こされたのですが、それまでは道路脇にしては静かに過ごす事ができました。まぁこんな場所であまりのんびりともしていられないので、6時までには撤収を済ませ、まずは木ノ浦へ向かう事に。
 木ノ浦へは堂ヶ埼のこの坂を登らなくてなりません、手前には「登坂距離 2000m 標高差 100m」と案内標識が立っていて、ご丁寧に「平均勾配5% 最大勾配11%」とまで記されていますが、実際11%の処は左カーブですから、イン側はそれ以上の激坂、4サイドには些か大変です。
 野営場のある方にはもう用がないのですが、せっかく登ってきたので浜の方へ下る事に、下った坂を再び登らなくてはならないのですが。 実はここは2015年の永作博美主演の映画「さいはてにて」のロケ地なのです。ロケで使われた小屋は残っていませんが、傍に「Cafe Cove」が営業しています。残念ながら開店の10時までは待ってられませんでしたが、写真を撮ったりしながら少しの時間を過ごしました。なお一昨日の皆月も1999年の映画「皆月」(主演 奥田瑛二 吉本多香美)のロケ地だったのですが。
 しかし今回はせっかく重いカメラと三脚を積んで走っていながら「自撮り」は羽咋界隈で2回トライしただけ、なかなか良いポイントもなくはなかったのですが、強烈な陽射しの中、三脚を立ててタイマーをセットして行ったり来たりする気力は起こりませんでした、この場所も立ち止まりはしたものの、ガードレールがもう少し低く見えるか、無ければねネェ…
 海岸沿いに禄剛崎へは回らず、県道52号で小さな峠を越えて珠洲市街へショートカット、蛸島村道路元標の後、旧珠洲駅跡の道の駅「すずなり」へ、日陰で涼みながら今後の計画と荷物の整理を、不要になる荷物と輪行で必要なものや着替えをはっきりさせておきます。なおここには能登線時代のホームと上屋が保存されています。
 さてヤマト運輸の石川珠洲宅急便センターを訪れ、まずは羽咋から送っておいた輪行袋他を受けとりますが、肝心のクロネコボックス14は在庫がないとの事、12相当の箱ならあるのですが2個口になり、当然運送料金も高くなります。こんな事なら羽咋で処分した14の箱を輪行袋と一緒におくべきだったと。14ならすんなり入ったサイドバッグがすんなり入らず汗だくになって格闘する事に。
 とにかく重量で20キロ余り身軽になって近くの見付島を望む公園へ。内浦側もここ見付島とか恋路海岸といった景勝地はあるのですが、やはり外浦海岸に比べるとね。春なら富山湾を挟んだ対岸の立山の冠雪が望める日もあるかとは思うのですが。基本的に海岸寄りを走ってきたのですが、九十九湾前後はパスしてR249で宇出津(うしづ)へ越えます。17時前には宇出津駅跡の観光・地域交流センター「コンセールのと」へ、スタンプラリーのポイントにもなっています。2001年にはここで2泊目の宿を取ったのですが、古い街並みが小綺麗に整備されてしまった様です。
 ここ宇出津からのと鉄道の穴水駅までR249経由で約32キロ、海岸沿いの県道34号経由で約10キロ長くなるのですが、七尾行きの2051発最終乗車する事も可能です、七尾での今夜の宿を確保して穴水駅へ急ぐ事に。
 実際遠回りにはなるのですが、鵜川 から県道34号能登穴水線へ、2001年にも走っているのですが、旅自転車にお勧めのルートです。途中諸橋村道路元標兜村道路元標(写真左)を履修、写真右は当初ゲリキャン用に目を付けておいた「寄り道パーキングかなみ(鹿波)」、間近に能登島が見えます。
 陽もすっかり暮れた頃に県道34号から再びR249に戻りますが、土地勘がない上には暗いと道も判りにくくて、道を間違えたかと錯覚したり、穴水の街中も結構判り難くて焦ったりしましたが。どうにか20時過ぎには穴水駅に到着、早速輪行支度を、最終の七尾行きには余裕で乗れそうです。本日の走行99.1キロ。

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能登半島ツーリング(3日目)

皆月青少年旅行村キャンプ場

 少し空が白み始めた頃に自然に目が覚めます、風が通って涼しいし、虫も少ないし、静かだし、最高のロケーション、皆月湾に輝く月明かりの美しかった事。ただ夜明け前に釣り客だかダイバーだかが駐車スペースとトイレのあるキャンプ場の入り口まで来てドアを開けたり閉めたりと煩かった事、まぁ此処へやってくるのは釣り客かダイバー位のものでしょうか、山を越えないと来れない帰れない何処へも行けない、しいて云えばサイクリストが一番来ないロケーションに違いないかと。
 さて今日の目的地は能登半島の先端禄剛崎の手前、木ノ浦野営場。輪島経由で60数キロの道のりなのですが、今日も変わらず猛暑の予報、昨日の事を考えると恐らく日中はまともに走れそうにありません。
 6時半には撤収を済ませ皆月を後にします、まずは県道266号で標高250m程の無名の峠を越え県道38号へ入り上大沢へ下ります。ここでは文化庁の重要文化的景観に選定されている「間垣集落」を見る事ができます。
 ここから輪島へと標高100mに満たないのですが海岸沿いにアップダウンの道が続きます。次の大沢漁港でも同じく「間垣集落」を見る事ができ、ここで鳳至郡の西保村道路元標を。ここは2015年のNHKの朝の連ドラ「まれ」のロケ地でもあります。
 大沢集落をでたのは9時半、外浦海岸を走る道の中でも上大沢からゾウゾウ鼻にかけてが絶景の連続、急坂が続く故に展望は素晴らしいのですが、どんどん上がる気温に木蔭の度に一息入れるばかりで前に進みません。皆月経由までは難しいとしても、門前から輪島へはR249を辿るより大沢経由の県道38号がお勧めです。
 17年前には金沢からここまで一気に走ってきているのですが、こんなに厳しかった印象はなかったのは、やはり暑さのせいでしょうか。
 12時半にようやく輪島の袖ヶ浜に到着、ここには無料のキャンプ場もあるのですが、最寄りが海水浴場だけに、この季節は旅人にはお勧めではありません。有名な輪島の朝市の通りもご覧の通り。
 少し暑さが和らいでから出発しようと腹をくくって市内の足湯「湯楽里」でのんびりする事に。輪島市街を離れると、能登半島を回って禄剛崎を回って内浦側の珠洲市街までコンビニはおろか、食料の調達が難しいので市内のスーパーで買い出しを、そんなこんなで輪島市街を離れたのは15時前、それでも西陽を背中に受けながら走るのは大変です。ところでここで大変なミスをした事に気が付きます、足湯でまったりしたり買い出しをしたりしていて輪島町道路元標に寄るのをすっかり忘れてしまっていたのです、「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリーはともかく、道路元標を通り過ぎてしまうとは。
 今や輪島の朝市とともに能登半島有数の観光スポットとなった白米(しろよね)千枚田、道の駅も相当な混雑です、昔はそうでもなかったのですが、確かに日本海をバッグにした棚田の風景は、日本初の「世界農業遺産」に指定されただけのものだとは思いますが。白米千枚田を出たのが16時半、輪島町道路元標を飛ばしたついでに内陸側に少し入らなければならない南志見村道路元標も輪島町と共に再訪する事にしてパス、18時前に曽々木海岸を通過、スタンプラリーのポイントにもなっている道の駅「すず塩田村」へ、反対方向から走ってきたクロスバイクの学生2人と一言二言、これから輪島の宿まで走るとか。もう時間的に木ノ浦野営場は無理として、ここでゲリキャンと云う手もあるのですが、今一つ気が進まないので、先へ進む事に。どうにか明るい内に西海村道路元標を、ここから能登半島の海岸線を巡る国道249号は山越えで内浦側へ越えるのですが、2014年に完成したバイパス大谷道路の巨大なループ橋を見上げる事ができます。
 19時、タイミングが良いと云うか「ゴジラ岩」の落日を拝む事ができました、今では全国各地に同様の「ゴジラ岩」があるのですが、ちょっとここのは可愛いと云うか、でも日本海に沈む夕日は格別です。
 「ゴジラ岩」を過ぎて暫くで山側におあつらえ向きのスペースとベンチが、道路から丸見えですが、今夜はここでゲリキャンと決定。本日の走行66.1キロ、皆月を出発して13時間余り、実際走っていた時間は僅か4時間半程なんです。

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能登半島ツーリング(1日目)

 桜井駅0543発の奈良行き始発に乗車。列車時刻の検索はもっぱらスマホアプリの「乗換案内NEXT」を利用しているのですが、桜井→能登二宮間の始発(「青春18きっぷ」利用)で検索すると第一候補は桜井0552→0625王寺0629→0742京都0818→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮となるのですが、能登二宮1448到着の条件で検索すると桜井0607→0640奈良0646→0742京都0818→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮が第一候補となります、始発の場合は鵜呑みする余計に早く出発させられる事がありますので注意。ただ私の場合は確実に座れると云うか輪行袋の置き場所を確保できるとか、乗換の余裕とか階段の少ない経路とか優先させて考えますので、実際は次の様な時間で移動しています、桜井0543→0616奈良0622→0724京都0754→0820堅田0842→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮、京都駅始発の近江舞子行きに乗り堅田で後から来る敦賀行きに乗り込んでいます、舞子まで行くとホームが変わってしまう場合あり。
 敦賀で北陸本線へ、北陸新幹線の金沢開業で3セク区間を含めてすっかり521系に置き換わっています。輪行袋を担いでいるとデッキが狭くて乗り降りが大変だった寝台電車の名残り「食パン電車419系」も今となっては懐かしいです。
 福井駅25分待ち、金沢駅47分待ちでようやく七尾行きへ乗車、金沢から七尾線の分岐する津幡まで3セクのIRいしかわ鉄道となったのですが「青春18きっぷ」でそのまま乗車可能です、但し東金沢、森本で途中下車をすると別料金を取られます。七尾線では411系451系の末裔が健在、半自動ドアなので不自由この上ないのです、昔の交直流急行色なら許してあげるんだけど。しかし2022年には北陸新幹線敦賀延伸ですかぁ「18きっぷ」で北陸へ向えるのも残り僅か。
 今日の予定は鹿島郡で未収の2つの道路元標他を巡ってから羽咋市街へ向います。徳田駅で降りるか良川駅で降りるかここ能登二宮駅降りるか悩んだのですが、一応無人駅ですが広いスペースに自販機、清潔なトイレと大正解だった様です、お陰で手間のかかるヘッド抜き輪行作業もスムーズに。ただ線路の北側へ出るには地下通路を推さなくてならなかっただけが。
 最初はリアのサイド枠を付けたまま輪行するつもりだったのですが、やはり大きくなるので外して括りつけてきました、ならば最初から別送しておくべきだったと。
 なお本来のヘッド抜き輪行の場合はもっとフレームの中央近くにホイールがこなけらばならないのですが、今回はエンドどパニア台の後ろと両輪で支える様にしています、それとうちasuka号はサブブレーキ(エイドレバー)が付いているために抜いたハンドルが思うようにならないので、この様な形になっています、それでも最近のロードやクロスの人達のなんちゃって輪行よりはかなりコンパクトになっています、但し重さだけはどうにもなりません。
 ところで私が到着してから一向に列車がこないので怪訝に思っていたのですが、どうもIRいしかわ鉄道で架線故障とかで停まってしまっている様です、1本後ならエラい目に遭っていた処です。しかし15時を回ったと云うのに何という暑さ。
 県道18号を北へ7キロ程走って高階小学校裏に残る鹿島郡高階村道路元標、ここで1,060基目となるのですが、2014年8月に淡路島で1,000基を超えたもののその後はなかなか捗りません、今回のツーリングでは20基を予定しているのですが。
 今回のツーリングのもう一つのテーマ「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、今年は4月から始まっていたそうなのですが、いまから11月までに68基をクリアするのは難しいのですが、オールクリア賞以外のプレゼント抽選資格位は押さえ様かと。68基の中には一般には馴染みの薄い様な施設もあるので心配していたのですが、道路に面した箇所に大きな案内看板が設置してあって、ポイントを見つけるのは難しくなさそうです。「ツールド紀伊」や「なるくる」のスタンプラリーの時はスマホのGPSでの座標を利用していたのですが、「いしかわ~」では看板に貼り付けられているQRコードを読み込ませる様になっています。結局この日は「ふるさと創修館」「道の駅織姫の里なかのと」「コスモアイル羽咋」と3ヶ所回る事に。
 羽咋市街へ向う途中で鹿島郡久江村道路元標へ。ところで道路元標は大正11年の内務省令で様式が定められているのですが、都道府県や地域によって内務省令と異なるものがあります、石川県のものは天頂部の4辺が丸く、正面?に「道路元標」、側面に「○○村」と陰刻されているのが特長ですが、個人的にはあまり好きな様式ではありません。
 1802羽咋駅の裏側(東側)まで戻ってきました。別送の荷物をヤマト運輸の石川羽咋宅急便センターまで引き取りに行かないといけないのですが、近くまで羽咋健民自転車道が続いているので、信号もない事ですので利用する事に、この自転車道は昭和47年に廃止された北陸鉄道能登線の廃線跡なのです。
 荷物を受け取りサイドバッグを取り付けます、これが結構な作業、当初の予定で19日に来ていれば、早くても羽咋駅着が1807、それから輪行支度を解いてスタートですから少々大変だったかも。輪行袋は帰りまで余計な荷物ですので、運賃が勿体無いと云えば勿体無いですが、帰りに利用する珠洲市のクロネコヤマトに送っておく事にします。
 楽天トラベルで予約しておいた市内の安ビジホへ、3,900円也。ただ羽咋市は駅前や中心部にコンビニやファーストフードの店がないのが不便。本日の走行39.0キロ、さて明日からが本番です。

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2018年3月の実績

 「四国の右下キャンプツーリング」他、今月は良く走りました。昨夏以来の1,000キロ超えで1,244.7キロ。

 昨年は3月がピークだったけど、今年は… 

道路元標
【1057】2018/3/24 高知県安芸郡津呂村
【1058】2018/3/25 高知県香美郡岸本町
【1059】2018/3/25 高知県長岡郡大津村 

 

 

 

四国の右下ツーリング(3日目)

高知安芸自転車道 赤野休憩所付近にて

 国道だけあって夜遅くまで車が行き交っていましたが、さすがに疲れていたのかぐっすり寝てしまい、目が醒めたのは5時位だったでしょうか。しかし決して良いとは云えないロケーションでのゲリキャン、実は今回おニューのテントを積んできてまして、その件についてはまたの機会にしますが、昔からおニューのテントの初張りはキャンプ場でない処でのゲリキャンが多いのです。古くはヨーレイカのライジングサン2は高野龍神スカイラインの笹の茶屋峠の駐車場、モス/アウトランドは秋葉街道上村の道端だった様な、一昨年のナチュラルハイクの夏用は十津川村の「昴の郷」の駐車場でしたし。
 さて用を足しに表に出てみると、道路を挟んだ東の空がしらみ始めてきていて、雲一つありません、海からの日の出が拝めるかも知れない、撤収どころか急ぎカメラの準備とモデル役のasuka号の準備を整え国道の海側のガードレールまで運んで行きます。最低のロケーションは一転特等席に。
 ここ東洋町は「だるま朝日」の見える町として売り出しているのですが、だるま状にこそはならなかったものの、なかなか荘厳な朝日を拝む事ができました。昨年の淡路島野迫川村と最近素晴らしい朝日夕陽を見る機会が、キャンプツーリングならではでしょうか。

 もちろん自転車を入れたショットも何枚か。
 7時半、今日は高知市の手前香南市辺りまで走る予定ですが、まずは20数キロ先の室戸岬を目指します。昨年の「淡路島キャンプツーリング 2日目」の「南淡路水仙ライン」に似た雰囲気ですが、些か車が多いのが。歩き遍路の姿も、徳島県最後の23番薬王寺から高知県最初の24番最御崎寺の間は交通手段を問わずこのルートしか無いようなものですから。
 室戸岬到着、灯台は背後の崖の上にあるので国道からは少々見えづらいのです、灯台まで上がろうと云う気持ちは更々ありません。
 今回のツーリングの目的の一つでもあるのですが、高知県に残る道路元標の内、県東部の未収の3基を巡る予定です。津呂村は津呂町、室戸岬町と変遷した後、昭和34年に室戸町・吉良川町・佐喜浜町・羽根村と合併して室戸市となっています。道路元標は津呂漁港の南側「岬屯所前」バス停傍に現存しています。。
 室戸市街のスーパーマーケットでお昼用にお弁当を他を調達、少し走って道の駅 「キラメッセ室戸」の裏、海の見えるベンチで早いお昼にします。
 吉良川の町並み。R55の山側に旧街道が残されています、土佐浜(東)街道の宿場と云うより、木材や炭の集積地として栄えたそうで、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
 吉良川の町並み近くに八幡神社があるのですが、さすが南国土佐、境内の桜も満開間近。
 安芸市市街を抜けると高知安芸自転車道に入ります。土佐電気鉄道安芸線の廃線跡を活用したもので、高知市までは行けませんが、香南市の道の駅「夜須」までの約15.5キが整備されています。ただ難儀な事に安芸側の入り口が単車対策でしょうかご覧の様に、サイドバッグがついてますと、そうは簡単には通れません。香南市までの途中幾つか車道との共用区間もありますが、幸い通過困難なものはここ一ヶ所でした。なお古来の遍路道ではないのですが、お遍路の方が歩いている事があるので、注意が必要です。
 廃線跡のトンネルを抜けると見事な桜並木が、今回2度目「自撮り」にトライします。赤野休憩所は並行するR55からも入れますので、土曜日と云う事もあって花見の人も時折入ってきます、間隙を縫って数テイク。

高知安芸自転車道

 さて今夜の夜営地ですが、自転車道をGoogleMapではキャンプ場となっている香南市の住吉海岸まで走ったのですが、四阿や駐車場、トイレ、水道はあるものの、設営できそうな場所は砂浜位しかありません、結局は自転車道の途中にあった芸西村の琴ヶ浜休憩所まで戻る事に。芸西村は安芸市と香南市に挟まれた人口3,700人程の村ですが、海岸沿いの自転車道からは阿佐海岸鉄道を挟んだR55に出れば、コンビニやスーパーマーケット、コインランドリーもあります。琴ヶ浜休憩所、車も入ってこれますし夏場は騒がしいかも知れませんが、海岸の防風林の中に四阿やベンチ、トイレ、水道と整っていて最高のゲリキャンポイントです。本日の走行99.5キロ。
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いざ御前崎オフへ

 毎年2月初旬に静岡県で行なわれているランドナー補完計画「 御前崎オフ」、伝統的な旅自転車の愛好者には良く知られた行事で、今回で15回目を迎えるそうなんですが、主催者のくりくりさんにも名古屋の「新春ラン」等でお声を掛けて頂きながらもなかなか参加する機会がありませんでした。今年は2月3日(土)~4日(日)に行われるので、是非とも参加しようと目論んだのですが、2日夜からの予定が調整できず、せめて2日目の朝からでも参加させて貰おうと3日に掛川まで移動して前泊する事にしました。
 ところで「御前崎オフ」はいつの頃からか「ランドナー補完計画」の名を冠する様になった様で、元祖のいぬいさんに尋ねてみたところ、くりくりさんから使わせてほしいとの申し入れがあったとの事で、最近では「石川ポタ」「あすか鍋サイク」が「ラン補」の名を冠しなくなったのですが、ランドナーを中心とした代表的なサイクリングイベントとして頑張って頂いてます。

 実はせっかく静岡まで行くのならばと、当初は伊勢湾フェリーを利用して木曜日から自走を画策していたのです。このルートは2001年と2008年に走っているのですが、2001年は浜松まで208.6キロを1日でリア2サイドのasuka号で走り、翌日から秋葉街道を信州へ向って北上しています。ただこの季節で早朝の高見越えは危険なので木金の2日で豊橋まで移動し自転車を預けて、金曜夕方に一旦帰ると云うとんでもない計画を練っていたのですが、木曜の朝の雪で自走は断念し、土曜の朝から輪行で現地へ向う事にしたのです。ただ往路での輪行はうっかりするとトラブルの原因になりかねないので気は進まないのですが。なお鳥羽と伊良湖を結ぶ伊勢湾フェリーですが2010年9月末での廃止が一旦決定したのですが、三重愛知の両県自治体が株式を取得する形で現在まで存続しています。
 さて昨夜から準備しておいた輪行袋を担いで近鉄桜井駅へ、ヘッド抜き輪行ですからかなりコンパクトになりますが、やはりasuka号は重いです。0955発の五十鈴川行き急行に乗車、伊勢中川で名古屋行き急行に乗り継いで1224名古屋着、JRで豊橋で乗り継いで浜松まで予定でしたが、都会の大きな駅って輪行支度をする適当な場所を見つけるのに手間取る事が多いので、一駅手前の高塚駅で下車する事に。

 駅前広場には店を拡げるには適当なベンチが、少し風がありますが暖かな冬の陽射しの下で輪行袋を解きます。荷物を詰め込んだりと小一時間は掛かっていた様な。
 浜松へ自転車で来るのは2001年以来17年ぶりかとfacebookに書き込んだりしていたのですが、よくよく考えると2008年12月に浜松駅から中ノ町道路元標のある天竜川べりまでの数キロをKHSで往復していました。

 その中ノ町道路元標は旧東海道(姫街道)だった静岡県道314号の起点に残っていて、静岡県で現存が確認されている2つの道路元標の一つです。今回再訪すると2008年にはなかった案内版が設置されていましたが、榛原郡の下川根村道路元標の現存が確認される以前だったかして「静岡県内ではおそらく唯一」と記載されています。ただ「1万2244基が設置」の記述は些か疑問です。
 今夜の宿は明朝の御前崎への移動も考慮して掛川駅前のビジポを確保しているので、旧東海道をなぞって走って行くつもりでいたのですが、高塚でのんびりしていたのが響いて磐田市を過ぎる頃には日没、土地勘がないだけに旧街道をたどるのも難しくなってきたので、交通量の多い国道1号をもくもくと走り、18時半過ぎに掛川着、本日の走行距離は僅か38.8キロですが、些か疲れました。

 

 

淡路島キャンプツーリング 2日目

県道76号洲本灘賀集線「南淡路水仙ライン」を行く

 日が暮れると幾つもの灯台の灯りや、海峡を行き交う船の航海灯、遥かに和歌山のコンビナートの灯り、そして星空と最高のロケーションなのですが、いかんせん関空へ降りる飛行機の騒音やら、虫の声に囲まれ、そしてどこからか猫がやってきてわめくは、朝は暗いうちから漁場へ向う漁船のエンジン音ととにかく騒がしい事この上ない一夜が明けます、と云う訳であまりお勧めできるゲリキャンポイントではありませんがロケーションは最高です。なお水は飲めないと思いますが、清潔に保たれた公衆トイレ(水洗)があります。日の出は0550だったのですが東の空は雲がかかっていて、この写真を撮ったのは0616。
 駐車場のある処は夜中に車がやってきても何なので東側の第四砲台跡にテントを設営しました。そうなんです、ここは由良要塞の跡地なのです。朝になってベンチのある駐車場までテントを持ってきて、乾かしがてらコーヒーと菓子パンの朝食にします。今回はケトルとバーナーだけのお湯を沸かせるだけの装備にしています。
 さて7時過ぎには撤収です。サドルバッグの白いのは?塵です。たとえ自転車でも塵は持ち帰りましょうね。

 

 折角ですので帰りに堡塁(ほうるい)跡とか第一砲台跡とかのある展望台へ寄ってみますが、植生が伸びていて展望は良くありません。こちらはトイレはありませんが、展望台で雨露をしのぐ事が可能です。
 生石岬を後にし一旦海岸近くまで下った後、県道を灘方面に向うには峠を越えなくてはなりません。途中には関西人ならご存知の「パラダイス」の元祖とも云える「立川水仙郷」があります。朝も早いですしおっさんが一人で行っても面白くも何ともないので通過です。
 2つのピークを越えて海岸へ下ります、最後はかなりの激坂だった様な。暫く海岸線を走った処で今回のツーリングの大きな目的だった淡路島南部の道路元標の1基目、旧津名郡の上灘村道路元標へ、元標は民家のコンクリート塀と一体となってしまっていて、陰刻も判読が不可能な程に風化しています。
 まだまだ早い時間ですし平日にも関わらず、数人のローディと出会います、洲本スタートなのでしょうかね、「南淡路水仙ライン」こと県道洲本灘賀集線は淡路島南東岸、中央構造線上に位置する諭鶴羽(ゆづるは)山地の南側の険しい斜面の下の海岸線を15キロ程続いています、道路を行くと平坦故に唐突に洲本市(旧津名郡上灘村)から南あわじ市(旧三原郡灘村)に変わるのかが怪訝に思えたのですが、この道路がなかった頃は背後の山か海側からのアクセスしか出来なかった事を考えると納得できます。途中から今日の目的地の一つ沼島が見えてきます。

 もちろんこの素晴らしいロケーションの中を走る訳ですから「自撮り」の準備は万端、山側から俯瞰できる適当な場所を見つけます。

  種明かしをすると、実は巻頭のシルエットの写真とこの2枚は同じ場所からの撮影なんです。
 沼島へは灘の土生(はぶ)港から一日10往復、沼島汽船が通っています、以前は洲本や福良からの航路もあったのですが、廃止や休航となっています。今回は道路元標を訪れるだけ僅か40分の滞在ですので、自転車は土生港に置いて行きます。それに島内には港の周りを除けば車の走る様な処は皆目ないのですが。飾磨郡の家島同様そんな離島にも道路元標はあるのです。
 旧三原郡の沼島村道路元標は沼島八幡神社の 脇にあります、帰りの船までの僅かな時間、神社の石段に座って港を眺めます。実は沼島に来るのは初めてではなく30数年前に須磨からクルージングで訪れ、防波堤に係留して1泊した事があります。
 灘を後にし次の目的地は福良、幾つかルートがあるのですが、少なくとも2つのピークを越えなくてはなりません。登りに入った処で1台のロードに抜かされます、どうやらカップルの様です、一人だとなかなかモチベーションを維持できずにへたってしまうのですが、さすがに登りでは離されますが、前後しながら福良まで付いて行く事ができました。2サイドで土生港から県道25号阿万福良湊線経由でR28に合流するまでの15キロ1時間2分は上等でしょう。
 丁度お昼時の福良では「ゆる風」つながりで「ジロ・デ・アワジ」へ、お薦めの「ローストビーフ丼」を大盛りで頂きます。
 実はこの先、鳴門海峡を望む海岸沿いに慶野松原を目指す計画をしていたのですが、USBケーブルのコネクタを壊してしまい、スマホが充電できずに使えない事態に。残る志知村道路元標もある事ですし、内陸の県道で西海岸へショートカットし、途中のイオンで買い物を済ませる事にします。
 幸いイオン内のダイソーでUSBケーブルを入手でき、15時過ぎには慶野松原のキャンプ場へ、海水浴場に隣接した松林の中のキャンプ場ですが、シーズンオフは無料になっている様です。早速設営を済ませ近くの国民宿舎の温泉へ、コンビニも近くにあって便利な事この上なしです。

 期せずして淡路島の両岸で朝日と夕日を望む事が、キャンプ場も温泉も夕日も独り占めして、キャンプツーリング2日目を終えました、本日の走行59.6キロ。
 

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