さすがに昨日の疲れで夜中に一度目が醒めただけで4時過ぎまで爆睡、なにやらキャンプに来ている方がソロの時は睡眠時間が長い様な、今回テントのインナーがメッシュですし、冬用の寝袋を持ってきたのですが、標高が低いだけに少々暑かった位でした。
さて今日の予定は石山寺の「茶丈藤村」でお昼を頂くと云うミッション以外は、走って帰るだけです。明るくなる前に撤収を始め、琵琶湖に朝日が昇るのを期待したのですが、雲が取れそうにもないので日の出時刻を回った5時20分には針江湖岸緑地公園を後にします。目の前が「びわいち」のルートなのですが、少し内陸側に入ります。
目的は昨日Facebookのグループで知ったばかりの「針江 生水の郷」、早朝なので人影も見えず静かすぎる佇まいでした。
安曇川大橋を渡り旧R161の県道558号高島大津線を南下、近江高島駅近くでびわ湖レイクサイド自転車道(県道601号守山大津志賀自転車道線)に戻りますが、R161との区間は時間帯にもよるのでしょうが交通量が多くストレスになりますね、逃げるように小松浜へ。ここにもキャンプ場があるのですが、やはり一人だと2,000円になってしまう計算です。
湖水浴で賑わう季節を除けは釣り客だけの静かな処です。「自撮り」にも挑戦してみたのですが、雲がなかなか取れずに8時には小松浜を後にします。
自転車道のカラー舗装や案内が良く整備されているのですが、素直に従って行くと右へ左へ結構ウロウロさせられます。
9時過ぎには琵琶湖大橋を渡り東岸へ。
昨日からサイドバッグやパニアバッグを付けた旅支度の自転車に出遭ったのは2,3台、日本一周中の1台を発見「三重県伊勢発538日目」と読めますが、2年も走っているの。この後オルトリーブのサイドバッグの外人さんのペアともすれ違いますが、クロスバイクとかばかりでマッドガード付きは1台も見かけませんでした。
11時少し前に「茶丈藤村」に到着、ローディ御用達の甘味処です。お昼に「ふじおこわ」を確実に頂こうとすると、時間を狙い澄ましての到着です。奈良からもローディの皆さんが来れらているのですが、天ヶ瀬ダムは嫌、R307は嫌、犬打峠を南からは嫌と我儘を云っている私はなかなか来れなかったのです。
大粒の丹波黒豆の入ったおこわと地元食材の「ふじおこわ」のお菓子を付けて貰って1,200円、自転車で来るとお菓子のサービスも。
さて目的は果たしたので帰途に就きます、桜井へは宇治川沿いから田原へ抜けてR307を山城大橋に下るのが最短最速なのでしょうが、宇治川沿いに宇治へ下ります。時間的に12時台はトラックとかが比較的少なくなるのでね。
緩やかに下り基調の道を快走し小1時間で天ヶ瀬ダムへ、ところがダムを下り出した辺りで前輪に違和感が、どうやらスローパンクした様です、下りきるまで安全に停まれる処がないのですよね、とにかく運動公園への三叉路でエアーを足し、宇治市街へ入る手前でチューブ交換をする事にしたのですが。5,300キロをパンクは後1回だけと云うパセラジャケットを先日新調したばかりで走ったのは正味2日、それもフロント2サイドの時に前輪とはね。それに前輪のクイックレリーズがサイド枠に当たって起こせません(写真右上)。スローパンクの原因はタイヤ交換した時にチューブに貼ったパッチが剥がれかけていたのかも知れませんね。
とにかくチューブ交換を済ませて再び走り出しますが、宇治市街まで下ってくると奈良へ帰るにはどこかを登るか北西側に迂回するかなのですが。小倉駅前から大久保バイパスへ、信号も車も多くて結構時間を食われます、ここまで来たのですからと、新元号できっと忙しいだろうY氏のお店へ邪魔しに行くと、世間話と自転車談義ですっかり遅くなってしまいました。久津川病院の裏から木津川右岸に取り付き自転車道をぶっ飛ばし、お陰で木津に着いた時にAVSが20km/hを超えていたのは内緒。奈良坂を越えて上街道をひた走り日没直後に無事桜井に帰投しました。本日の走行141.2キロ、3日連続100キロ超とかありますが、140キロ以上連荘は記録にないです、まぁ4サイドで荷物満載でもなかったし、コース的に峠と云う峠はなかったですからね。300キロコースをキャンピングで1泊2日ですから駈け足は仕方がないですが、せめて2泊3日で2日目に余呉湖なんかも絡めて魅力的な湖北を走りたいものです。
「自撮り」カテゴリーアーカイブ
行き当たりばったり
奈良市都祁南之庄 三陵墓古墳群史跡公園にて
ここ最近、フリーの日とお天気の巡り合わせが良い様で、今日は久しぶりにロングの挑戦してみようとFacebookの方にも「このところ休みと天気の巡り合わせが良いなぁ、誰か火曜日ロング行きませんか、海の見える処まで復路輪行で。」と告知はしてみたのですが、誰も釣れず。一応昨年は行けなかったお伊勢さん経由で「東の海へ」を考えていたのですが… ところが昨夜は何の準備もせずに寝てしまい、情けない事に誰とも約束がないと朝の寒さ(奈良市の最低気温4.6℃)になかなか起きられず、すっかり出遅れてしまいました。とにかく7時過ぎには出発したのですが、平日とあって通勤時間帯の車の多いR165西峠を登る気になれず、土曜日と同じコースを初瀬ダムから都祁への道へ入る事に。
先々週でしたか「にっぽん縦断こころ旅」で紹介されていた桜井市小夫(おぶ)地区、桜井ってどんな田舎やねんと思われたでしょうね、小夫地区は元の上之郷村になります。
都祁から県道781~782号を継ぎ、三陵墓古墳で小休止の後、多田、小原、笠間、毛原と素晴らしい山里風景の中を走ります。
名張川河畔まで下り県道80号奈良名張線へ、奈良三重県境の橋を渡りますが、それぞれの県道標識が同じ方向を向いているのは珍しいかと。
県道80号はこの辺りでは名張川に沿っているのに、下流に向かって無駄に登らされます。最高のお天気ですが、気温がどんどん上がってきて、朝との気温差が18℃だったとか。
行き当たりばったりで走って伊賀上野でも行こうかと思っていたのですが、広瀬まで下った処で、県道785号山添桔梗ヶ丘線の奈良県側のヘキサが未収だったので、名張方面へ向かう事に。
桔梗ヶ丘まで下って県道57号上野名張線へ、蔵持バス停の傍に石碑や古い橋の親柱が保存されている一角が、なかなか参考になります。
初瀬街道(阿保越伊勢街道)を辿りながらレトロな名張の街中を抜けます、村外れの橋と桜の木に石碑、風情がありますね。
初瀬街道はほほ近鉄大阪線と並行しています、宇陀川を渡ります。
道の駅「宇陀路室生」で一息入れて、三本松宿から海老坂峠を越えて大野、室生ダムへ。
室生ダム湖畔は土曜日にも走っていたのですが、時間が違うと印象も変わっています。
「平成榛原子供の森公園」ダムの湛水期と満開の桜でこんな風景に。
榛原町の町から宇陀川沿いの「猟路の桜」を走ります。先週二度も来ていたのですが、一応インターバル撮影のできるDMC-TZ85とゴリラポッドを持ってきていたので、ブログとTwitterのヘッダー画像用にレイアウトを意識した「自撮り」撮影にトライ。結局は行き当たりばったりで走っていたのですが、夕方までうろうろと本日の走行98.6キロ、今月の累計572.6キロ。
桜三昧 芳野川河畔
昨日帰途、芳野川河畔で気になったポイント、明日水曜は雨との予報、夕方から予定があるので丸1日は無理ですが「自撮り」の準備をして向かう事に。ただasuka号が整備中なもんでErbaロードで、ヒップバッグにミラーレスに三脚やら長玉(-200mm換算400mm)押し込んで、重い事。
さて今日も時間がないので最短コースで行きたい処なんですが、交通量の多いR165西峠やR166女寄峠は登りたくないので、大峠ルートで宮奥ダムへ抜ける事にしましたが。
桜井から多武峯までが結構しんどいのですよね、その先八井内トンネル(475m)から大峠トンネル(1,806m)まで日陰がないので真夏は辛いのですが。さて宮奥ダムまで下った処で一息入れます。
せっかくですので才ヶ辻三兄弟と呼ばれる枝垂桜へ立ち寄りましたが、少し遅かった様な。右端の立派なおうちは簡易郵便局なのです。
芳野川支流母里(もり)川河畔の桜並木。
お昼前に目的地の芳野川河畔に到着「芳野川さくら広場」として四阿やトイレが整備されているのですが、地元の人以外にはあまり知られていません、元の郵便局を改装したカフェ「伊那佐郵人」の対岸に当たります。丁度お昼の時間なので地元の人がお昼がてらに花見に来ていましたが、車が入ってきにくいので静かなものです。持参のコンビニ弁当を食べながら、のんびり「自撮り」にトライ。
まだ少し時間があるのでs県道217号高塚野依線で宇陀川側へ越えます。大和富士をバッグに宇陀川河畔の桜並木。
宇陀川に架かる橋の前後で再び「自撮り」にトライ。
桃源郷へ
風邪のせいで棒にふった半月、ようやく体調も回復してきたので、昨年タイミングを逃した下市町西山のいわゆる桃源郷へ向かう事に、毎年の様に出掛けているK氏の情報では今週を逃す訳には。昨年からスランプ続きの「自撮り」、重い三脚を積み満を持して出発。
さてキャラダイスの大型サドルバッグ、ネルソンのロングフラップモデルに取り付けられる様にした三脚ですが、脱着が楽でこれはなかなか重宝しているのですが…
昨年同様、下市から県道20号下市宗桧(むねひ)線で樺の木峠を目指しますが、峠手前の光円寺の枝垂桜が盛りです、せっかくですので「自撮り」に挑戦しようと三脚を準備したのですが、しょっちゅう車がやってきます、その上地元では知られた枝垂桜だけに、車を停めて写真を撮ったりする人が、お陰で「自撮り」をする間合いがありません、その上外部タイマーが上手く動作しません、間違って調子の悪い方のタイマーを持って出てきた様です、仕方がないので内蔵タイマーでピンポンダッシュするか、コンデジのタイムプラス機能を使うしかなく、先が思いやられます。
とにかく撮るには撮ったのですが、道が広いせいか何やら雰囲気のない写真になってしまいました。そんなこんなで40分余りを浪費してしまいました。
普通なら昨年同様に十日市から丹生川沿いの県道138号赤滝五條線に入るのですが、昨年「自撮り」向きのポイントが見つけられなかったので手前の尼ヶ生から山に取り付き町界を越えて西山に向かう事にしたのですが、とんでもない激坂の連続を推す羽目に。ただ植林された針葉樹の合間に点在する農家の回りには桜、梅などに混じってサンシュユを見る事ができます。しかし標高400mを超えるこの斜面に暮らされているのには驚きです。
サンシュユこそありませんが良さげなポイントでトライ。
山腹を縫ってゆく道の途中でピンクとサンシュユの黄色が織り成す彩りが良いポイントがあったのですが、金属製の猪垣と電柱が目障りでパスしたのですが、結局今日一日この様なロケーションに出遭う事はありませんでした、後になってここで撮っておくべきだったと後悔先に立たず、ましてこの画像を見ると灰色の猪垣や電柱は殆ど目立たないのでは、ただ再びここまで登る気持ちは。
下市町に入ったと思われる辺りからはやや緩やかな下りとなり、昨年反対側から登ってきた辺りまでやってきました。眼下には素晴らしい風景が拡がるのですが、別にネイチャーな写真を撮りに来た訳でもないので程々に。
丹生川沿いの谷あいには箱庭の様な風景が、ただ下西山では目ぼしいポイントを見つけられずに県道まで下り上西山へ。
上西山では貝原の枝垂桜を見下ろす反対側の山腹へ、写真では平坦にも見えるのですが、実は激下り、お陰で真っ直ぐ下る事ができずコース取りが不自然になってしまったのが気に入りません(写真左)。
何やら消化不良のまま遠目にも満開の貝原の枝垂桜へ向かう気にもなれず、丹生小学校跡で一息入れて、黒滝から地蔵トンネル経由で帰途に就く事に、本日の走行90.8キロ。ここ2~3週間はまともに走っていなかったのと、結構風のきつい一日だったので、最後の裏芋には些か参りましたが、樺の木峠を越えてからの道筋に沿って里山を彩る桜や木蓮や色とりどりの花木が、国中の川筋の桜並木に些か食傷気味な身には新鮮だったかと。
2019年CanCan謹製カレンダーができるまで
20年近く続いている「CanCan謹製カレンダー」、卓上版は2001年からフロッピーディスクケースのサイズで続けてきたのですが、S氏からA4/3サイズのケースを400個程頂く事になり仕様が変わる事になりました。
従来は6ヶ月分をA4サイズで印刷していたのですが、今回のケースサイズは内寸206×105とA4サイズに3ヶ月分がぎりぎりで収まらないと云う微妙なサイズ、それどころが2ヶ月分すら横向きにしても余白が取れないサイズなのです。実際のところ表紙裏表紙を含めてA4が2枚と1/3で間に合っていた用紙がなんと6倍以上の14枚も必要になる計算なのです、B4なら3ヶ月分、B5なら1ヶ月分入る訳ですが、プリンタをA3機に買い換えるのもなんですし、B5用紙はA4に比べて種類が少ないですし非常に割高になります。
そこで最近普及しているネット印刷に依頼する事を考えてみました、丸投げすれば楽なのですが、表紙裏表紙を含めて両面印刷の7枚もの(コート紙135kg)にしたとして100部印刷すると3万円近くかかる計算になります。基本手作りするスタンスですので、そこで表紙裏表紙をB5両面、1月から12月を3ヶ月づつ、B4片面で4台印刷だけして貰う事にしました、それでも2万以上の印刷代はかかってくるのですが。従来から用紙、ラミネート、インクに1万以上はかかっていた訳でして。 まず表紙裏表紙を依頼、PDF入稿で何故か自動縮小がかかって少し小さくなって刷り上ってきたのですが、こちらの責任と云えないので原寸になる様に無償で再印刷をして貰う事ができました。本文の4台も両面印刷にすれば2台で済むのでコストダウンできるのですが、オンデマンド印刷では表裏の見当がちゃんと合うのか不安があるので今回は片面にしたのですが、このデザインでも裏面の地色を工夫すればどうにかなりそうな按配です。
手間のかかるカット作業、写真の様な裁断機が仕事先にあったり、もう少し枚数の切れるロータリーカッターを検討してみたのですが、やはりカッターナイフでちまちまやるのが一番安全確実な様です。
カットして丁合をします。
ところで今年からカレンダー表面右下にQRコードを入れてあるのですが、スマホなどで読み込ませると、写真の撮影場所をグーグルマップで表示する様になっています。
ケースに入れてOPP袋に入れれば出来上がり、とにかく12月24日の「石川ポタ」までの分は用意できました。なお2019年版は7月に山川さん、9月にskuramさん、10月におつねさんの写真を使わせて頂きました。
A5版のプレミアムバージョンは図らずもモデルになって頂いた方に進呈します。
なお余っていた材料で従来型の中味だけ(リフィル)を少し作りました、数に限りがありますので「石川ポタ」参加者に早い者勝ちで進呈します。
最後にお願い、カレンダーの材料費、昔は仕事の経費で賄っていたのですが、リタイヤ後はそうも行きません、20年も続けてきてなかなか止める訳にも行きません。ケース裏面にAMAZONヘリンクしたQRコードを貼っています、よろしければAMAZONでお買い物の切は、こちらのリンクからお願いします。
野迫川~奥千丈キャンプツーリング(3日目)
奥千丈林道 十津川村杉清
続きを読む 野迫川~奥千丈キャンプツーリング(3日目)
野迫川~奥千丈キャンプツーリング(2日目)
野迫川村平 川原樋川河畔
続きを読む 野迫川~奥千丈キャンプツーリング(2日目)
能登半島ツーリング(2日目)
5時半には宿を出発、今日は皆月の青少年旅行村キャンプ場を目指します、寄り道せずに走ったとして約70キロの距離、少し金沢側に戻る格好になりますが、車やバスでも走れる砂浜として有名な「千里浜なぎさドライブウェイ」へ寄って行く事にしました。2001年に並行する能登海浜自転車道を走っているのですが、自転車はちょっと無理だろうと思っていたのですが、ロードバイクでも走っている写真があるので、4サイドで挑戦を。なお「せんりはま」ではなくて「ちりはま」です。
ペダルが重いものの結構走れるものです、タイヤが多少太い分ロードより有利かも。幾ら締まっているからと云ってスタンドの類は役に立ちません、一般道との接続部分で吹き溜まりになっている箇所が多いので要注意。
自動車専用道の「のと里山海道」昔の能登有料道路に沿って能登海浜自転車道を北上、相変わらず路面状態はよくありません、暫く行くと昨日少し走った羽咋健民自転車道に合流します。
羽咋健民自転車道となります、集落を縫ってローカル私鉄廃線跡ならではの面影が、ここに踏切があったのでしょうね。
これだけ海岸に近い廃線跡も珍しいですよね、準備はしてきていますので「自撮り」にも挑戦。ただ重いカメラと三脚を積んできていながら「自撮り」に挑戦したのはこの日の朝だけ、連日の猛暑にせっかくのポイントがあっても戦意喪失。
能登半島の西海岸、羽咋から門前を経て輪島へはR249(写真は赤神付近)が通じているのですが、ルートは険しい海岸寄りを避けて3ヶ所ばかり山側に入ります。その海よりの区間を県道36号志賀富来線と県道47号深谷中浜線が継いでいます。遠回りですが交通量が少なく志賀原発付近を除けば鄙びた道が続きます、且つ旧道や廃線跡の自転車道を加えて今回もそのルートを選びます。
道路元標やスタンプラリーのチェックポイントを織り込みながら走っているのですが、猛暑の中10時を過ぎると走れたものではありません、道の駅で大休憩は勿論、自販機や木蔭のある度に休憩しているものですから前に進みません。旧門前町域の道の駅「赤神」に着いた頃には15時を回っていました。 門前町のコンビニで最後の補給をして皆月に向います。ところでサイドバッグに小型のクーラーボックスを仕込んであります、最近はコンビニとかで凍らせたペット飲料が売られていますので、保冷材がわりにすれば夏の夕刻の数時間なら結構使えます、お陰で何もないキャンプ場とかでも設営後グビっと1本行けます。
両側を断崖に挟まれた皆月湾へは山越えして行くしかありません、2本の県道が通じているのですが、一昨年「おさよトンネル」(706m)と云うルートが開通してずいぶん楽になっています、2001年は娑婆捨峠経由のルートを越えましたから標高300m近くまで登りましたが、このトンネルなら半分の150mで超える事ができました。
18時過ぎに皆月に到着、キャンプ場は漁港の外れの30m程の高台にあります、1張テントが見えるのですが人影が見えません、7月の週末だと云うのにほぼ貸切状態、最果て感のあるロケーションは最高、なだらかな草地のサイトです、ちなみに料金は1人1張りで920円でした。
走行98.7キロ、12時間もかかっていますが実際走っていた時間は6時間20分程、しかし疲れました。
再び大河原から島ヶ原へ
先週3日に行ったばかりなのですが大河原へ向う事に、今回は「自撮り」の準備を整えて大和高原経由で向う事にしたのですが、昨夜無駄に夜更かしをしてしまって出発したのはすっかり明るくなった6時前、その上前回同様夕方から予定があって午後には帰途に就かなくてはなりません。 ところできっかけが判らないのですが、右足の足首あたりが少し痛みます、普通にペダルを踏むには支障はないのですが、ビンディングを外すのが少し辛いので、右側はあまり使わない様に心掛けます、ちなみに片面のPD-M324です。なんやかと挫ける材料を並べながらもR165から県道38号に入り天神社笛吹奥宮の水場まで足付きなしのノンストップで。
布目ダム方面に向う時には基本的に県道38号で針まで行くのですが、最近良く使っているルートが山辺高校の先、つまりミモザガーデンとの間を並松池を右に見ながら左折、工務店の角を曲がって春日台カントリークラブの間に入ると、そこは天理市山田町即ち布目川の最上流部なんです、後は布目川の流れに沿って下れば良いのです。
山田町では以前から気になっていた「奈良安全索道跡」へ立ち寄ってみます、「奈良安全索道」とは現在のJR桜井線の京終(きょうばて)駅から田原~山田~針を経て小倉を結んでいた延長16.9キロの貨物用のロープウェイで、大正11年に全通し大和高原からの物資輸送に供されていたのですが、道路網の整備等で自動車輸送へのシフトが進み、昭和27年には廃止されています。ただ「跡」と云っても何かが残っている訳でもなく、少し歩いた高塚明神に鉄塔が建っていたとか、「跡地」以外のなにものでもありません。しかし「安全索道」と云うネーミング、安全でない索道も多かったと云う事なのでしょうか。冗談はさておきその「安全索道」の名前ですが、「安全索道商会」が大正4年に大阪で創業し、現在では滋賀県に本社を置く「安全索道株式会社」となり、国内に多くのロープウェイやゴンドラ、リフトを建設しています。なおこの「奈良安全索道」の後には昭和2年に紀伊自動車の発注により、紀勢本線全通以前の矢の川峠に2人乗りゴンドラによる旅客用の「矢の川索道」を建設しています。
「奈良安全索道跡」を後にして布目川沿いの田園風景の中を走り県道25号月瀬針線を北上します。先に立ち寄った藺生町の紫陽花はまだまだでしたが、的野界隈では見事に咲いていました。
山添村峯寺から布目ダム右岸の道へ入りますが、堰堤までの区間の崩落箇所の通行止は相変わらず手付かずの状態です、自転車を推してならどうにか山側を迂回する事ができますが、左岸の県道があるのですから、わざわざ踏み込む必要もないと云えばないのですが。
布目ダムを下り、少し判り難いですが大和高原CCの入り口を過ぎて直ぐの三叉路を右に入ります、RRCBの恒例「大和高原クラシックレーサー走行会」のお昼にレイクフォレストリゾートを使っていた頃の定番ルートだったのですが、お昼のバイキングが割高になってからはご無沙汰です、当然内容は良くなっているでしょうが4,000円(税別)ではね。途中集落と茶畑の中に結構激坂があるのですが、レイクフォレストリゾートへ真正面から行くよりはマシかと。
入り口の前を真っ直ぐ通り過ぎ、暫くリゾートを右に見ながら走り、大河原へと激下りが、正直云ってこれだけキツいと愉しくも何もありません、なお東海自然歩道のルートも重なっています。
しかし9時頃には晴れるとの予報だったのですが、一向に良くならないどころが、時折雨粒が、雨雲レーダーに不気味な雨雲が行く手に見えます、ただこれ以上は悪くはならない様です。
ようやく木津川べりまで下ってきましたが、この時点で10時を回っています、所要時間はあまり変わらないのですが、先週は7時半には恋路橋には着いていたので先が思いやられます。距離は短いものの、未明から早掛けしてきたのと寄り道しながらとではね。ただ大型車の多いR163を通らずに大河原まで来れたのが。
今日第一の目的地「恋路橋」の名前の由来となった恋志谷神社は天満宮の奥にあります。
恋路橋、あまり時間の余裕もないのですが、「自撮り」の為に重いカメラと三脚を積んできたのですから、両岸から数テイクを。平日とあって釣り人の姿もありませんが、下流にある笠置の潜没橋と違って結構車が通るのですよ。
少しR163を走らなけらばなりませんが先週同様に島ヶ原へ向います。前回は旧R163と思しき道を行ったのですが、今回は並行して南側にある旧大和街道を行く事にします、稜線に沿って民家の並ぶ旧道は、廃道寸前の殺伐とした道に比べると街道の趣があります、但し斜度はそれなりに。こちらには「二本杭」(写真左)と呼ばれる「従是西山城国」「従是東伊賀国」2本の石標が建っています。ただ「従是東伊賀国」の方は明治時代に先の道へ移設され、レプリカが平成15年になってここに再建されました。「二本杭」で三重県に入ったものの500m程更に登った「藤堂藩関所跡」(写真右)で旧大和街道は峠を越えます。
島ヶ原に下る頃には12時を回っれしまいました、もう帰途に就かなければならない時刻ですので、最短コースと思える県道305号島ヶ原停車場観菩提寺線と県道686号上野島ヶ原線を継いでR25五月橋へ向います。
旧R25五月橋へ、前後のボニートラスを従え立派な親柱を持つトラス橋なのですが、何やら下流側で工事をやっている様で覗いてみると「架け替え工事」と云う事です、ネットで調べてみると現在の五月橋は耐震上の問題があるとの事で架け替えられるそうです。道路用はトンネルに比べると鉄橋はどんどん姿を消して行きますね、土木遺産に認定されていないのが残念です。
ところで橋の上を走る自転車の撮るのもやっかいなもので、今日の恋路橋の様な欄干のない沈下橋や上から見下ろすようなロケーションでないとなかなか難しいものです、五月橋があるうちに狙っておきたいとは思うのですが、写真は2016年5月29日、真夜中の大和高原を越えて鈴鹿に向う途中、濃霧の中の五月橋です。
五月橋から旧R25を針まで辿る訳ですが、西行きに使った事は過去殆どないのですが、私とした事が勝原で道を間違えてしまいます、このまま岩屋まで走って県道782号上笠間八幡名張線で帰るルートも考えてみたのですが、登り返しが結構あって旧R25を登ってきた甲斐がありません、少し引き返して県道263号岩屋三ケ谷線に抜ける道を取ります。三ヶ谷で旧R25に戻ったのが1417、15時過ぎに帰宅のつもりにしていたのですが。
名阪国道に沿って神野口、小倉と急ぎ針へ戻ったのが1451、後は初瀬まで下るだけですが、R165に入って以降、信号や踏切にことごとく引っ掛かり、1550どうにか帰宅する事ができました。ここまで走行約119キロ。
月例 東吉野サイク
週末に「月うさぎキャンプ」で同様のコースで東吉野村へ向うのですが、昨日に続き「自撮り」の準備を整え下見も兼ねて出発です。 ところで昨日動作不良で上手く使えなかったタイマーですが、新型なのに使い勝手が悪くて出番のないモデル(写真左)を代わりに持って行く事に、ジョグダイアル風のスイッチが使い難いのと、動作中表示がLEDから液晶になっているのです。
芋ヶ峠で「自撮り」にトライ、しょっちゅう越えている峠ですが、季節や陽射しが変わると、新しい発見も。
吉野川河畔に下ると妹背大橋から柴橋までは対岸の県道39号五條吉野線を走り、後は遠回りにはなりますが五社トンネルを避け、吉野川から高見川に沿ってR370と県道16号吉野東吉野線を行きます。鮮やかな緑と高見川のせせらぎ、カジカガエルの鳴き声が川面を渡る、このルートで一番好きな季節です。
例によって自然酵母のパン屋さん「麦笑」に立ち寄り、週末の取り置きもお願いしておきます。
手打ち蕎麦「よしの庵」案の定と云うか売り切れ、やはり予約しておかなあきません、週末には一同揃って寄りますので、それまでお預けと云う事で。
高見川に沿って緩やかに高度を上げて行きます。
現在、東吉野村木津(こつ)で旧R166が普通になっています、自転車なら谷尻(たんじり)方面なら通れますが、車では現在のR166を次の信号まで迂回しなければなりません。
今日はいつもの様に谷尻から一谷峠へ向わずに、県道28号吉野室生寺針線で染谷峠(標高713m)を越える事にします。
峠近くで3回ばかり「自撮り」にトライ。
染谷峠を越えR369旧道の大内峠に下ったのが16時前、コース的には室生寺から室生ダムと走りたい処ですが、時間も推して来たので車が多いのですがR369で帰途に就きました。本日の走行100.9キロ。