「道路元標」タグアーカイブ

西の海へ ~ゆる風サイク~

和歌山市加太にて

 

 31日から2日とせっかく休みにしておいたのに台風襲来で淡路島キャンプツーリングは中止に、部屋に籠もってパソコンいじりをしていたものの、今日1日は良いお天気との事、こんな日に走らずにいたら昼頃になってから後悔する事に決まっているので、意を決して出掛ける事に、特に何処へと予定はなかったので、「WAKAYAM800」モバイルスタンプラリー」で一番面白くなさそうな和歌山市周辺へ向う事にして、明日香村から重阪峠で五條へと、いつもの道を行きます。
 五條のオークワでおにぎりを仕入れてR24を西へ、左岸に渡らずそのまま走ると真土峠の面白くもない坂を登らなければならないのでJR和歌山線沿いの小径へ入ります、線路と川岸に挟まれた小特しか通れない道が隅田(すだ)駅の手前まで続いています、途中ダートと云うか田圃の畦の様な部分もありますので、ロードにはお勧めではありませんが。
 隅田駅は「WAKAYAMA800」のポイントですが既に履修済、ただリピータ賞なるのがありますので、一応チェックはしておきます。この先和歌山街道が少し残っていますのでそのまま橋本の町へ。
 すいぶんご無沙汰ですので橋本町道路元標へ、調べてみると12年ぶり、隣に真新しい案内板が、昨年3月に設置された様ですが、説明もなかなか良くできています。
 橋本橋で左岸に渡り、九度山町の道の駅「柿の郷くどやま」に立ち寄り、三谷橋で右岸に渡ります、5連の曲弦トラスが美しいです、幅員のない道路橋は気が付くと架け替えられて姿を消して行くので気を付けておかないと。ところで紀の川沿いのサイクリングロードは左岸と右岸を交互に2度づつ経由する様になっていて、三谷橋から右岸を走り麻生津橋で再び左岸に戻ります。ただこの間の右岸路は支流が流れ込む部分で3度ばかり上流側へ迂回していて決して走り易いとは云えません、和歌山市方面へ急ぐなら左岸の県道等を走る事をお奨めします。しかし紀の川河畔に出てから些か向かい風が…
 ただ右岸には道の駅「紀の川万葉の里」があって、スタンプラリーのチェックポイントになっています、13個目をゲット。R24をサイクリングロードに挟まれた道の駅、ロケーションは悪くないのですが、西端には四阿もあります(写真は下流側から見ています)。
 あと麻生津橋までの部分でサイクリングロードが非常に判り難くて、毎回道を間違えてしまいます、今日は試しに麻生津橋からサイクリングロードを引き返してみますと、なる程JR西笠田駅からR24に戻った処で信号を渡り新旧の妹背橋で新しい橋に入ってしまうのが間違いの元なんです。正しくは道の駅からのサイクリングロードがR24に合流した処で信号を渡りJR西笠田駅の紀の川側を走り駅西の踏切を渡って道なりに再びR24に下り、そこで信号を渡らずに古い方の妹背橋を渡り堤防沿いの道に入るのが正解なのです。
 麻生津橋で左岸に渡りますが、上流側から来ると判り難いポイントが幾つか、藤崎頭首工の見える旧道区間、竹房橋南詰を過ぎて百合で堤防上へ分岐する部分、下流側からだとそうでもないのですが、上流側からだと判り難いし入り難いのですよね。
 なんだあれは。非常時でもないし訓練なのかな、幅員もなくてどうしようもないので仕方なく県道に出るまでお供をする事に。

 井阪橋南詰、サイクリングロードを紀の川河口へ向うにはここで橋を渡って再度右岸に渡らなければならないのですが、そのまま左岸を真っ直ぐ行くブルーラインが、こちらは紀の川左岸かっら支流の貴志川右岸の堤防路に繋がっている貴志に向う別ルートなのです。今日は貴志駅へ向うのでこのまま直進すれば良いのですが。
貴志川右岸のサイクリングロードを遡ります、路面状況は紀の川沿いに比べて良くはありません。
 ようやくタマ駅長の待つ貴志駅へ到着、今は2代目のニタマ駅長なんですが、初めてお目に掛かります、身体もデカいが態度もデカい。ちょっとグッズも買ってみたり。しかし立派な駅舎ですね、先代のタマ駅長が人気になった時に、何が流行るか判らんなんて揶揄した人も多かったのですが、遊び心がローカル私鉄を救ったと云うか、そう云うニーズがあったのですよね、以前の貴志駅(2007年3月)
 貴志駅を後にし、旧野上町(現紀美野町)へ、沖野ゝから1994年に廃止された野上電鉄跡のサイリングロードもとい遊歩道(健康ロードと呼ばれています)へ、自転車の走行は可能ですが、荒いカラー舗装が快適ではありません。昔駅のあった処にベンチとかがありますが、休憩するなら重根(しこね)駅跡(写真右)が良いでしょう。
 途中途絶えている区間がありますが野上電鉄跡を辿って行くとJR紀勢線の海南駅へ、チェックポイントになっている黒江の「うるわし館」と和歌浦の「和歌浦漁港おっとっと広場」へ、途中「スハネフ14-1」と云うお店に寄って食事でもしたかったのですが、念の為に定休日を確認すると、なんと定休日ではないものの今日は昼から臨時休業との事、坂を登ってからお休みだったなんて事にならずに良かったですが、途端にお腹が空いてきたのでローソンでパン一個を買い食いして虫養い、時間的に少々厳しいですが加太経由で「ゆる風」に向う事にします。
 旧R26の紀の川大橋で紀の川を渡ります。
 15時過ぎに加太港へ到着、「加太海水浴場管理事務所」で17個目ゲット。

 大川トンネルの前まで来て、時間もないのに気が向いたので旧道の大川峠へ、車は入れない様にゲートがしてあり、自動車、自動二輪、原付の進入は不可とありますが、自転車はダメとはありません、走行も殆ど支障はありませんが、今は植生に阻まれて展望も殆どないので、わざわざ踏み込む程の処でもありません。
 16時半に「ゆる風」に到着、海側からの道に自身がないので旧R26側から下ってきました。
 当初は「道の駅 ねごろ歴史の丘」までまわってJR和歌山線で帰途に就きたかったのですが、正直「ゆる風」ではなく結構向かい風がキツくて草臥れました、..閉店時間を過ぎるまでまったりした後、リコさんに南海淡輪駅まで送って頂き、輪行で帰途に就きました、本日の走行141.7キロ。


 と淡輪駅から真っ直ぐ帰れば良いのですが、近鉄は丁度混雑する時間帯、どうせなら上本町から乗りたいので日本橋で乗り換えるならばと、南森町まで乗って「アリオリドス」で食って帰る事に。

道路元標蒐集サイク(石川篇)

 「18きっぷ」はまだ残っているのですが、まとまった休みがないので日帰りの予定で北陸へ、石川県南部の道路元標を巡ります。桜井から「18きっぷ」だけで日帰りしようしても、現地での滞在時間が5時間程しか取れないのです、少しでも早く着こうとJR奈良駅まで20キロ余りを自走する事に、奈良05:46→0647京都07:00→0807近江今津0814→0946 福井10:15→1056加賀温泉のスジで、桜井始発より1時間早く着きます。未明の上街道を走るのですが、そこは走り馴れたる道、その上最近奈良市域に入ると街灯が滅茶苦茶明るいのです。
 加賀温泉駅からスタートする事にしたのは「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリーのポイントが駅前にあると云う理由からなのですが、北陸新幹線延伸で新駅となる加賀温泉駅は現在仮駅舎で、ホームから改札まで結構歩かされます。バスの降車場のベンチがお誂え向きだったので早速輪行支度を解きます、先日の事があるのでペダルの取り付けは慎重に。
 まずは江沼郡の庄村道路元標分校(ぶんぎょう)村道路元標を、それぞれ住吉神社と菅原神社の前にあります、明日はその住吉神社の秋祭り、準備が始まっています。今日は曇りの予報を頼りにして出掛けてきたのですが、なんとカンカン照り、でも季節はもう秋なんですね。
 「いしかわ里山里海~」のポイントの自動車博物館を経て山あいへと入って行くとお天気が曇り模様に、粟津温泉近くのローソンで補給の後、県道163号瀬領粟津線、県道161号大杉長谷線と継いで県道43号丸山加賀線へ、2009年6月20日大杉谷村道路元標まで往復しているのですが記憶に残っていません。大杉谷川に沿って緩やかに登って行く走り易い気持ちの良い道が続きます、連日の猛暑に辟易としていただけに曇り模様が過ごしやすく、蝉時雨の道を快走していたのですが、些か雲行きが怪しくなってきました、時折パラパラと。帰りの輪行に万が一泊まりになった場合に着替えを一式は持って来ているのですが、雨具の用意はしていません。
 ただ雨雲レーダーの予報は心配なさそうなので、二度ばかり雨宿りをしつつ先へ進みます、牛ヶ首峠から国道416号線経由で新丸村道路元標を経て、五百峠を小松市街へ下るつもりでいるのですが。
 道が峠道らしくなってくると雨足も強くなってきて本降りに、幸いバッグ類のレインカバーはあるので、荷物は濡らさずに済んでいるのですが、今回はロード故にお尻はビチョビチョ、替えのない靴を濡らしたくないので足を付けずに頑張って登ったのですがドボドボに、結局は無駄な抵抗だった様です。
 1419 標高420mの牛ヶ首峠に到着、峠は国道416号との三叉路になっていますが、右折しても現在は行き止まりです(福井県側へは長年R416の未開通区間だったのですが、今年9月9日に開通するそうです)。残念ながら雨宿りの出来そうな場所もなく、左折して新丸村道路元標へ下る事に。新丸村は1956年に小松市に合併編入され、現在ではかつての村域は廃村同様の状態に、その道路元標ですが、目標物も何もない道端に建っていて、予備知識が無ければ通りすぎてしまう様な場所なのです、幸い見落とす事はなかったのものの、帰宅後写真を確認すると真っ暗で何も見えません、どうやら撮影モードを選ぶダイアルが間違った位置に動いていた様です、いつもならモニターで確認をしたり、スマホのカメラで1枚位は押さえておくのですが、今回は雨の中で何れもしなかったのが。
 道路元標から更に下ると分岐があり左への国道は五百峠へと登り返し、右は大日川に沿って下ります。牛ヶ首峠へ入った辺りから流石のdocomoも圏外で、五百峠の標高とか情報が得られません、スマホ以外にGARMINがありますので、現在位置や標高は把握していますが、この雨の中幾ら登り返さなくてはならないかが読めません、右へ行けば大日川ダムを経て下り基調のまま北陸鉄道石川線の終点である鶴来駅まで行く事ができます。あと「いしかわ里山里海~」の5つのエリアの内残る「白山手取川ルート」を一つだけでもゲットするには鶴来へ下る方が確実なのです。五百峠を越えて尾小屋鉄道の跡を見てみたかったのですが、この雨と残り時間を考えると右へ下るのが最善の選択かと。
 大日川ダム湖畔、雨も収まりと云うか路面は乾いています、雨は峠前後だけだったのかも。ただ湖畔でもまだ圏外、それな湖岸道路にしては結構アップダウンがあって些か参ります。ダムの堰堤まで来てようやくネットに繋がる様になり、鶴来駅までの正確な距離と帰途に就ける最終時間を調べる事ができます。新西金沢駅でJRに乗り換える為、小松へ下るのに比べると遠回りになるので、鶴来駅1651発が最終、それも桜井線の最終が早いために「18きっぷ」のままで帰れるのは奈良まで、結果的に京都から940円払って近鉄で帰る事になりそうです。
 大日川ダムから約30分旧鳥越村へ、行きがかりとは云え鳥越村道路元標を、ここから2001年10月以来のR157へ、実はこれより南R157沿いに未収の道路元標が2基残っているのが…  鶴来駅までは後12キロ。
 鶴来駅まで後少し、「おはぎ屋」の暖簾が気になり覗いてみたい気持ちを押さえて、鶴来駅へ急ぎます。




 「能登半島ツーリング」の折の分に加えて今日4ヶ所、時間があれば後3つ位は回れたのですが、計20ヶ所、全68ヶ所の1/3にも届きませんが、パーフェクト賞以外の抽選権は手にしました。
 結局、手取川流域に入ると再び雨が、それでも時間的には余裕で鶴来駅に到着、輪行支度を整えて予定の1651発に乗車、→1717新西金沢/西金沢1721→1853福井1859→1949敦賀1952→2044米原2054→2148京都/近鉄京都2201→2300大和八木2304→桜井2311と日付の変わる前には無事に帰投しました。本日の走行、奈良駅までの自走20.3キロを含めて88.6キロ也。

能登半島ツーリング(4日目)


珠洲市木ノ浦にて

 当初の予定の5泊6日が4泊5日になってしまった皺寄せが今日4日目にきていて、珠洲でサイドバッグ4つ分の荷物を宅急便にして身軽になるに予定にせよ、七尾までの約140キロを走らなくてはなりません。普通なら無理な話でもないのですが、この猛暑続きの毎日で日中はマトモに走れない事は、2日目と3日目で身にしみています。七尾での宿は未だ確保していないので、どうせ5日目は七尾駅0500の始発に乗って輪行で帰途に就くだけ、ならば暑い昼間はどこかで休んでおいて、ナイトランで七尾までの突っ走ると云う手もあるかなと考えながら休みについたのですが。
 朝暗いうちに輪島方面が向う車が何台も走って行く音で起こされたのですが、それまでは道路脇にしては静かに過ごす事ができました。まぁこんな場所であまりのんびりともしていられないので、6時までには撤収を済ませ、まずは木ノ浦へ向かう事に。
 木ノ浦へは堂ヶ埼のこの坂を登らなくてなりません、手前には「登坂距離 2000m 標高差 100m」と案内標識が立っていて、ご丁寧に「平均勾配5% 最大勾配11%」とまで記されていますが、実際11%の処は左カーブですから、イン側はそれ以上の激坂、4サイドには些か大変です。
 野営場のある方にはもう用がないのですが、せっかく登ってきたので浜の方へ下る事に、下った坂を再び登らなくてはならないのですが。 実はここは2015年の永作博美主演の映画「さいはてにて」のロケ地なのです。ロケで使われた小屋は残っていませんが、傍に「Cafe Cove」が営業しています。残念ながら開店の10時までは待ってられませんでしたが、写真を撮ったりしながら少しの時間を過ごしました。なお一昨日の皆月も1999年の映画「皆月」(主演 奥田瑛二 吉本多香美)のロケ地だったのですが。
 しかし今回はせっかく重いカメラと三脚を積んで走っていながら「自撮り」は羽咋界隈で2回トライしただけ、なかなか良いポイントもなくはなかったのですが、強烈な陽射しの中、三脚を立ててタイマーをセットして行ったり来たりする気力は起こりませんでした、この場所も立ち止まりはしたものの、ガードレールがもう少し低く見えるか、無ければねネェ…
 海岸沿いに禄剛崎へは回らず、県道52号で小さな峠を越えて珠洲市街へショートカット、蛸島村道路元標の後、旧珠洲駅跡の道の駅「すずなり」へ、日陰で涼みながら今後の計画と荷物の整理を、不要になる荷物と輪行で必要なものや着替えをはっきりさせておきます。なおここには能登線時代のホームと上屋が保存されています。
 さてヤマト運輸の石川珠洲宅急便センターを訪れ、まずは羽咋から送っておいた輪行袋他を受けとりますが、肝心のクロネコボックス14は在庫がないとの事、12相当の箱ならあるのですが2個口になり、当然運送料金も高くなります。こんな事なら羽咋で処分した14の箱を輪行袋と一緒におくべきだったと。14ならすんなり入ったサイドバッグがすんなり入らず汗だくになって格闘する事に。
 とにかく重量で20キロ余り身軽になって近くの見付島を望む公園へ。内浦側もここ見付島とか恋路海岸といった景勝地はあるのですが、やはり外浦海岸に比べるとね。春なら富山湾を挟んだ対岸の立山の冠雪が望める日もあるかとは思うのですが。基本的に海岸寄りを走ってきたのですが、九十九湾前後はパスしてR249で宇出津(うしづ)へ越えます。17時前には宇出津駅跡の観光・地域交流センター「コンセールのと」へ、スタンプラリーのポイントにもなっています。2001年にはここで2泊目の宿を取ったのですが、古い街並みが小綺麗に整備されてしまった様です。
 ここ宇出津からのと鉄道の穴水駅までR249経由で約32キロ、海岸沿いの県道34号経由で約10キロ長くなるのですが、七尾行きの2051発最終乗車する事も可能です、七尾での今夜の宿を確保して穴水駅へ急ぐ事に。
 実際遠回りにはなるのですが、鵜川 から県道34号能登穴水線へ、2001年にも走っているのですが、旅自転車にお勧めのルートです。途中諸橋村道路元標兜村道路元標(写真左)を履修、写真右は当初ゲリキャン用に目を付けておいた「寄り道パーキングかなみ(鹿波)」、間近に能登島が見えます。
 陽もすっかり暮れた頃に県道34号から再びR249に戻りますが、土地勘がない上には暗いと道も判りにくくて、道を間違えたかと錯覚したり、穴水の街中も結構判り難くて焦ったりしましたが。どうにか20時過ぎには穴水駅に到着、早速輪行支度を、最終の七尾行きには余裕で乗れそうです。本日の走行99.1キロ。

プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目(総括)

能登半島ツーリング(3日目)

皆月青少年旅行村キャンプ場

 少し空が白み始めた頃に自然に目が覚めます、風が通って涼しいし、虫も少ないし、静かだし、最高のロケーション、皆月湾に輝く月明かりの美しかった事。ただ夜明け前に釣り客だかダイバーだかが駐車スペースとトイレのあるキャンプ場の入り口まで来てドアを開けたり閉めたりと煩かった事、まぁ此処へやってくるのは釣り客かダイバー位のものでしょうか、山を越えないと来れない帰れない何処へも行けない、しいて云えばサイクリストが一番来ないロケーションに違いないかと。
 さて今日の目的地は能登半島の先端禄剛崎の手前、木ノ浦野営場。輪島経由で60数キロの道のりなのですが、今日も変わらず猛暑の予報、昨日の事を考えると恐らく日中はまともに走れそうにありません。
 6時半には撤収を済ませ皆月を後にします、まずは県道266号で標高250m程の無名の峠を越え県道38号へ入り上大沢へ下ります。ここでは文化庁の重要文化的景観に選定されている「間垣集落」を見る事ができます。
 ここから輪島へと標高100mに満たないのですが海岸沿いにアップダウンの道が続きます。次の大沢漁港でも同じく「間垣集落」を見る事ができ、ここで鳳至郡の西保村道路元標を。ここは2015年のNHKの朝の連ドラ「まれ」のロケ地でもあります。
 大沢集落をでたのは9時半、外浦海岸を走る道の中でも上大沢からゾウゾウ鼻にかけてが絶景の連続、急坂が続く故に展望は素晴らしいのですが、どんどん上がる気温に木蔭の度に一息入れるばかりで前に進みません。皆月経由までは難しいとしても、門前から輪島へはR249を辿るより大沢経由の県道38号がお勧めです。
 17年前には金沢からここまで一気に走ってきているのですが、こんなに厳しかった印象はなかったのは、やはり暑さのせいでしょうか。
 12時半にようやく輪島の袖ヶ浜に到着、ここには無料のキャンプ場もあるのですが、最寄りが海水浴場だけに、この季節は旅人にはお勧めではありません。有名な輪島の朝市の通りもご覧の通り。
 少し暑さが和らいでから出発しようと腹をくくって市内の足湯「湯楽里」でのんびりする事に。輪島市街を離れると、能登半島を回って禄剛崎を回って内浦側の珠洲市街までコンビニはおろか、食料の調達が難しいので市内のスーパーで買い出しを、そんなこんなで輪島市街を離れたのは15時前、それでも西陽を背中に受けながら走るのは大変です。ところでここで大変なミスをした事に気が付きます、足湯でまったりしたり買い出しをしたりしていて輪島町道路元標に寄るのをすっかり忘れてしまっていたのです、「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリーはともかく、道路元標を通り過ぎてしまうとは。
 今や輪島の朝市とともに能登半島有数の観光スポットとなった白米(しろよね)千枚田、道の駅も相当な混雑です、昔はそうでもなかったのですが、確かに日本海をバッグにした棚田の風景は、日本初の「世界農業遺産」に指定されただけのものだとは思いますが。白米千枚田を出たのが16時半、輪島町道路元標を飛ばしたついでに内陸側に少し入らなければならない南志見村道路元標も輪島町と共に再訪する事にしてパス、18時前に曽々木海岸を通過、スタンプラリーのポイントにもなっている道の駅「すず塩田村」へ、反対方向から走ってきたクロスバイクの学生2人と一言二言、これから輪島の宿まで走るとか。もう時間的に木ノ浦野営場は無理として、ここでゲリキャンと云う手もあるのですが、今一つ気が進まないので、先へ進む事に。どうにか明るい内に西海村道路元標を、ここから能登半島の海岸線を巡る国道249号は山越えで内浦側へ越えるのですが、2014年に完成したバイパス大谷道路の巨大なループ橋を見上げる事ができます。
 19時、タイミングが良いと云うか「ゴジラ岩」の落日を拝む事ができました、今では全国各地に同様の「ゴジラ岩」があるのですが、ちょっとここのは可愛いと云うか、でも日本海に沈む夕日は格別です。
 「ゴジラ岩」を過ぎて暫くで山側におあつらえ向きのスペースとベンチが、道路から丸見えですが、今夜はここでゲリキャンと決定。本日の走行66.1キロ、皆月を出発して13時間余り、実際走っていた時間は僅か4時間半程なんです。

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能登半島ツーリング(2日目)

千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ

 5時半には宿を出発、今日は皆月の青少年旅行村キャンプ場を目指します、寄り道せずに走ったとして約70キロの距離、少し金沢側に戻る格好になりますが、車やバスでも走れる砂浜として有名な「千里浜なぎさドライブウェイ」へ寄って行く事にしました。2001年に並行する能登海浜自転車道を走っているのですが、自転車はちょっと無理だろうと思っていたのですが、ロードバイクでも走っている写真があるので、4サイドで挑戦を。なお「せんりはま」ではなくて「ちりはま」です。
  ペダルが重いものの結構走れるものです、タイヤが多少太い分ロードより有利かも。幾ら締まっているからと云ってスタンドの類は役に立ちません、一般道との接続部分で吹き溜まりになっている箇所が多いので要注意。
 自動車専用道の「のと里山海道」昔の能登有料道路に沿って能登海浜自転車道を北上、相変わらず路面状態はよくありません、暫く行くと昨日少し走った羽咋健民自転車道に合流します。

 羽咋健民自転車道となります、集落を縫ってローカル私鉄廃線跡ならではの面影が、ここに踏切があったのでしょうね。
 これだけ海岸に近い廃線跡も珍しいですよね、準備はしてきていますので「自撮り」にも挑戦。ただ重いカメラと三脚を積んできていながら「自撮り」に挑戦したのはこの日の朝だけ、連日の猛暑にせっかくのポイントがあっても戦意喪失。
 能登半島の西海岸、羽咋から門前を経て輪島へはR249(写真は赤神付近)が通じているのですが、ルートは険しい海岸寄りを避けて3ヶ所ばかり山側に入ります。その海よりの区間を県道36号志賀富来線と県道47号深谷中浜線が継いでいます。遠回りですが交通量が少なく志賀原発付近を除けば鄙びた道が続きます、且つ旧道や廃線跡の自転車道を加えて今回もそのルートを選びます。

 道路元標やスタンプラリーのチェックポイントを織り込みながら走っているのですが、猛暑の中10時を過ぎると走れたものではありません、道の駅で大休憩は勿論、自販機や木蔭のある度に休憩しているものですから前に進みません。旧門前町域の道の駅「赤神」に着いた頃には15時を回っていました。
 門前町のコンビニで最後の補給をして皆月に向います。ところでサイドバッグに小型のクーラーボックスを仕込んであります、最近はコンビニとかで凍らせたペット飲料が売られていますので、保冷材がわりにすれば夏の夕刻の数時間なら結構使えます、お陰で何もないキャンプ場とかでも設営後グビっと1本行けます。
 両側を断崖に挟まれた皆月湾へは山越えして行くしかありません、2本の県道が通じているのですが、一昨年「おさよトンネル」(706m)と云うルートが開通してずいぶん楽になっています、2001年は娑婆捨峠経由のルートを越えましたから標高300m近くまで登りましたが、このトンネルなら半分の150mで超える事ができました。
 18時過ぎに皆月に到着、キャンプ場は漁港の外れの30m程の高台にあります、1張テントが見えるのですが人影が見えません、7月の週末だと云うのにほぼ貸切状態、最果て感のあるロケーションは最高、なだらかな草地のサイトです、ちなみに料金は1人1張りで920円でした。
 走行98.7キロ、12時間もかかっていますが実際走っていた時間は6時間20分程、しかし疲れました。

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能登半島ツーリング(プロローグ)

 前回に続いて7/21~22に参加を予定していた「第2回しまなみキャンプライド」、むらまさ君を始め今治「シクロの家」の皆さんと久しぶりにお逢いできる事も愉しみにしていたのですが。先日の西日本豪雨により「しまなみ海道」の道路状況やキャンプ地となる弓削島の断水と、相当の影響がでていて、20日にはどうにか目処がつくと云う事で、予定通り開催はされる事にはなったのですが、帰りに予定していた「とびしま海道」と呉線の不通に加えて、四国側も予讃線の一部が不通になって特急が運休、同じく参加を予定していたskuram氏一行も22日中に帰る目処がたたないと云う事に。私も不通区間のバス代行では輪行には不自由な状況に、まずは別送する荷物が確実に届くかも不安があり、今回は残念ながらキャンセルする事にしました。ただ折角確保した休みと「青春18きっぷ」、さてどうしようかと考えた末、矛先を変えて北陸石川県は能登半島へ宿利用も含めて5泊6日のキャンプツーリングに向かう事にしたのです。
 ところで七尾辺りまでは2008年と2011年に行っているのですが、いわゆる奥能登へは2001年6月以来の17年ぶり、その時はデビューしたばかりのasuka号を駆って金沢スタート、宿利用の2泊3日、時計回りに406キロ(155.5キロ~輪島(泊)~103.0キロ~宇出津(泊)~147.5キロ~金沢駅)を走ったのでした。写真は2001年当時、能登島大橋をバックに黄色塗装時代のasuka号、リア2サイド支度ですが全く野営は想定していない荷物でした。
 今回は4サイドキャンプ装備で宿利用も含め5泊6日の予定、前回同様海岸沿いに時計回り、立ち寄りたいポイントは皆月と木浦、テーマは18基の未踏の道路元標、なにしろ2001年当時はまだ道路元標フリークではなかったので珠洲郡と鳳至郡(現在の鳳珠郡)は全く手付かずなのです。加えて昨年から始まったらしい「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、県下に68ヶ所のポイントが設定されています、ただ今年の開催期間中にクリアするのはとても無理なので、予定コース最寄りのポイントを幾つか回る程度のつもりで、日程は…
7/19(木)移動日 ~七尾線羽咋駅まで「18きっぷ」輪行して、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/20(金) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/21(土) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/22(日) 道路元標の加減で禄剛崎はパスするかも知れませんが、内浦海岸側へ、夜はゲリキャンかも。
7/23/(月)能登島を経て和倉温泉へ、サイドバッグ等の荷物はゆうパックか宅急便にして、宿泊。(2日約で113キロ)
7/24(火) 和倉温泉または七尾から「18きっぷ」輪行で帰途に就く予定です。
 キャンプ機材他を押し込んだサイドバッグ4つを宅急便で別送するのですが、ヤマト運輸の営業所などで販売している段ボール箱(クロネコボックス14)にうちのサイドバッグ4つがすっぽりと収まるのです、実際のところは詰めたサイドバッグ3つに1つを畳んで「自撮り」用の三脚やリア用のサイド枠を詰め込んでいます。なおリアのサイド枠は付けたままにしておけば、エンド保護にもなるのですが、やはり輪行はコンパクトにする事が肝要です。羽咋の営業所止めで17日には発送を済ませ、asuka号を輪行袋に入れ準備は完了、19日朝の出発を待つばかりだったのですが… 

 前夜になって、明日は19日、よくよく考えると「18きっぷ」夏のシーズンの利用期間は7/20から9/10、当初の「しまなみ」案では往路は東予港へのフェリーだったの大阪南港19日夜出航、そのつもりで休みを段取りしていたのが災いに、気が付かなかったら今朝駅で大恥をさらす事だったのです。
 6,000円近く払って普通のきっぷで行く手もありますが、だったらもう少し走り易い季節に行きますよね。ただ20日出発なら始発からのスタートで現地には明るい内に到着が可能、ならば鹿島郡の未収の道路元標2基を回る時間もあります、ただ24日の夜には予定がありますのでる4泊5日への短縮は致し方ないかと。

7/20(金)移動日 ~七尾線能登二宮駅まで「18きっぷ」輪行、鹿島郡久江村道路元標他を回り、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/21(土) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/22(日) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/23(月) 禄剛崎はパスして内浦海岸側へ、珠洲市のヤマト運輸営業所でサイドバッグ分の荷物を宅急便にし身軽になって七尾へ、七尾泊。
7/24(火) 七尾駅始発で「18きっぷ」輪行で帰途に。

 しかし心配なのは連日の猛暑、標高の低い海岸線ルート、アップダウンも結構ある、以前は苦労した記憶はないが、6月上旬の梅雨入り前、ざっと300キロ、果たして走れるのだろうか…

プロローグ 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目(総括)

四国の右下ツーリング(4日目)

高知県安芸郡芸西村 琴ヶ浜にて

 4日目の朝、昨日までの3日間で都合300キロ余り走ってきたのですが、まだまだ余力はありますので、右下どころかこのまま左下まで走って行きたい処なのですがそうも行きません。今日中に帰らなければならず、それも「青春18きっぷ」で。高知から土讃線経由で帰ってくるにも徳島香川県境を越える普通列車は1日4往復、高知から1日で奈良桜井へ帰れるスジは高知発0510と1047の2本しかなく、現実には1047が唯一と云って良いのです。今日のミッションは香美郡岸本町と長岡郡大津村の道路元標を回り、キャンピング支度のこのままではとても輪行はできませんので、サイドバッグ他の荷物を送らなければなりません、箱を買う事を考えると今日は日曜日ですから郵便局のゆうパックは使えず、ヤマト運輸の営業所頼り。そして一番遠い大津村道路元標の最寄駅は土佐大津駅、高知駅から4つ手前の駅ですが無人駅ですので、予め手前の御免駅で「青春18きっぷ」を買っておかなけらばなりません。琴が浜~(自転車道)~夜須~岸本村道路元標~ヤマト運輸高知香南センター~御免駅~大津村道路元標~土佐大津駅と旨く回れば25キロの距離ですが、荷物を作る時間や長丁場に向けてしっかり輪行支度を整える時間が必要です。
 琴ヶ浜は土佐湾に面した海岸ですから朝日も夕陽もありません、日曜とあってジョッギングの人の姿がちらほら、7時前には撤収完了です。当然今日もゴミは持ち帰りましょう。

 昨日走ってきた高知安芸自転車道は道の駅「やす」まで続いていますが、夜須川を渡る橋が工事中で通れなくて引き返して迂回する必要がありました(GWを除く5月末まで)。
 香美郡岸本村道路元標。現在の香南市香我美町岸本、岸本小学校南側にあります。高知県で現存が確認されている道路元標は24基。
 計算通り窓口の開く8時前に到着、クロネコボックス14(税込324円)を購入、この箱ならサイドバッグ3つと平たく潰したサイドバッグ1つ、他に三脚とかの荷物も入れる事ができます。一昨年3月はしまなみの瀬戸田の営業所で140サイズの箱の在庫がなく一回り小さな箱で2個口で高くついてしまった事があります。しかし140サイズの箱はデカいです、荷物を詰め込むと何と22kg、これだけの荷物を奈良から積んできたのかと思うと我ながら感心します。
 荷物の箱なんか宅急便やゆうパックを取り次いでいる商店なんかでタダで貰えるだろうと簡単に云う人もいますが、小さな荷物ならまだしも、サイドバッグを入れようなんでサイズの箱って意外にないのですよ、そんな事で気を使ったり時間を食ったりではね、当然ガムテープなんかも必要になります。
 22kg分身軽になって御免駅へ走り「18きっぷ」を、事前に買っておけば済む話なんですがね。昔JR西日本のフリーきっぷを買うために呉線の仁方駅が無人駅とは知らず、広駅まで急いで走った事がありました。今ヤマト運輸の営業所や郵便局やら、色々な情報がネットで得られるので便利なのですが、キャンプツーリング故に電源の心配をしなくてはならない様になりました。
 後免駅から大津村道路元標までは概ねR195を行きます、とさでん交通(元土佐電気鉄道)御免線が並行しているのですが、写真を良くご覧下さい。これは併用軌道なのか専用軌道なのか、この辺りのR195は南国バイパスと高知バイパスが出来て交通量こそ知れているのですが、西に向いて白線の外側を走っていると正面から電車が、なんとこれは軌道内なのです。東行きの下り軌道のレールの外側すなわち道路側が舗装されてあたかも道路側の路側帯に見えます、これにはちょっと驚き。
 ちょっと探しましたが長岡郡大津村道路元標に到着、1059基目の道路元標になります。
 土佐大津駅には0951に到着、本日の走行24.1キロ。マッドガードにヘッド抜きですから少々手間が、1059発の多度津行きですから、ゆっくり落ち着いてできる時間があります。サドルバッグとサブブレーキが付いていますのでちょっと変則的ですが、かなりコンパクトになります、重さだけはどうしょうもありませんが、コンパクトな分担ぎ易いです。
 乗換案内で普通に検索すると土佐大津1059→1446多度津1510→1533児島1540→1603岡山1612→1717相生1719→1738姫路1741→1843大阪1858→1952奈良1959→2030桜井となりますが余計な乗換が多いので、児島で先発する岡山行きには乗り換えずにそのまま乗車すると →1629岡山1644→1809姫路1810→1913大阪1928→2021奈良2036→2105桜井となり、桜井駅帰着が35分遅くなりますが、岡山始発に乗れる事と相生乗換がなくなります。
 8時間近くかけてようやく大阪駅へ、大和路快速に乗り込めば奈良まで1本、21時過ぎには無事に帰宅しました。96.4キロ/128.1キロ/99.5キロ/24.1キロと3泊4日で348.1キロのせわしないキャンプツーリング、見所も多いコースですので、できる事ならのんびりと1週間位かけて走りたかったものです。
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四国の右下ツーリング(3日目)

高知安芸自転車道 赤野休憩所付近にて

 国道だけあって夜遅くまで車が行き交っていましたが、さすがに疲れていたのかぐっすり寝てしまい、目が醒めたのは5時位だったでしょうか。しかし決して良いとは云えないロケーションでのゲリキャン、実は今回おニューのテントを積んできてまして、その件についてはまたの機会にしますが、昔からおニューのテントの初張りはキャンプ場でない処でのゲリキャンが多いのです。古くはヨーレイカのライジングサン2は高野龍神スカイラインの笹の茶屋峠の駐車場、モス/アウトランドは秋葉街道上村の道端だった様な、一昨年のナチュラルハイクの夏用は十津川村の「昴の郷」の駐車場でしたし。
 さて用を足しに表に出てみると、道路を挟んだ東の空がしらみ始めてきていて、雲一つありません、海からの日の出が拝めるかも知れない、撤収どころか急ぎカメラの準備とモデル役のasuka号の準備を整え国道の海側のガードレールまで運んで行きます。最低のロケーションは一転特等席に。
 ここ東洋町は「だるま朝日」の見える町として売り出しているのですが、だるま状にこそはならなかったものの、なかなか荘厳な朝日を拝む事ができました。昨年の淡路島野迫川村と最近素晴らしい朝日夕陽を見る機会が、キャンプツーリングならではでしょうか。

 もちろん自転車を入れたショットも何枚か。
 7時半、今日は高知市の手前香南市辺りまで走る予定ですが、まずは20数キロ先の室戸岬を目指します。昨年の「淡路島キャンプツーリング 2日目」の「南淡路水仙ライン」に似た雰囲気ですが、些か車が多いのが。歩き遍路の姿も、徳島県最後の23番薬王寺から高知県最初の24番最御崎寺の間は交通手段を問わずこのルートしか無いようなものですから。
 室戸岬到着、灯台は背後の崖の上にあるので国道からは少々見えづらいのです、灯台まで上がろうと云う気持ちは更々ありません。
 今回のツーリングの目的の一つでもあるのですが、高知県に残る道路元標の内、県東部の未収の3基を巡る予定です。津呂村は津呂町、室戸岬町と変遷した後、昭和34年に室戸町・吉良川町・佐喜浜町・羽根村と合併して室戸市となっています。道路元標は津呂漁港の南側「岬屯所前」バス停傍に現存しています。。
 室戸市街のスーパーマーケットでお昼用にお弁当を他を調達、少し走って道の駅 「キラメッセ室戸」の裏、海の見えるベンチで早いお昼にします。
 吉良川の町並み。R55の山側に旧街道が残されています、土佐浜(東)街道の宿場と云うより、木材や炭の集積地として栄えたそうで、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
 吉良川の町並み近くに八幡神社があるのですが、さすが南国土佐、境内の桜も満開間近。
 安芸市市街を抜けると高知安芸自転車道に入ります。土佐電気鉄道安芸線の廃線跡を活用したもので、高知市までは行けませんが、香南市の道の駅「夜須」までの約15.5キが整備されています。ただ難儀な事に安芸側の入り口が単車対策でしょうかご覧の様に、サイドバッグがついてますと、そうは簡単には通れません。香南市までの途中幾つか車道との共用区間もありますが、幸い通過困難なものはここ一ヶ所でした。なお古来の遍路道ではないのですが、お遍路の方が歩いている事があるので、注意が必要です。
 廃線跡のトンネルを抜けると見事な桜並木が、今回2度目「自撮り」にトライします。赤野休憩所は並行するR55からも入れますので、土曜日と云う事もあって花見の人も時折入ってきます、間隙を縫って数テイク。

高知安芸自転車道

 さて今夜の夜営地ですが、自転車道をGoogleMapではキャンプ場となっている香南市の住吉海岸まで走ったのですが、四阿や駐車場、トイレ、水道はあるものの、設営できそうな場所は砂浜位しかありません、結局は自転車道の途中にあった芸西村の琴ヶ浜休憩所まで戻る事に。芸西村は安芸市と香南市に挟まれた人口3,700人程の村ですが、海岸沿いの自転車道からは阿佐海岸鉄道を挟んだR55に出れば、コンビニやスーパーマーケット、コインランドリーもあります。琴ヶ浜休憩所、車も入ってこれますし夏場は騒がしいかも知れませんが、海岸の防風林の中に四阿やベンチ、トイレ、水道と整っていて最高のゲリキャンポイントです。本日の走行99.5キロ。
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いざ御前崎オフへ

 毎年2月初旬に静岡県で行なわれているランドナー補完計画「 御前崎オフ」、伝統的な旅自転車の愛好者には良く知られた行事で、今回で15回目を迎えるそうなんですが、主催者のくりくりさんにも名古屋の「新春ラン」等でお声を掛けて頂きながらもなかなか参加する機会がありませんでした。今年は2月3日(土)~4日(日)に行われるので、是非とも参加しようと目論んだのですが、2日夜からの予定が調整できず、せめて2日目の朝からでも参加させて貰おうと3日に掛川まで移動して前泊する事にしました。
 ところで「御前崎オフ」はいつの頃からか「ランドナー補完計画」の名を冠する様になった様で、元祖のいぬいさんに尋ねてみたところ、くりくりさんから使わせてほしいとの申し入れがあったとの事で、最近では「石川ポタ」「あすか鍋サイク」が「ラン補」の名を冠しなくなったのですが、ランドナーを中心とした代表的なサイクリングイベントとして頑張って頂いてます。

 実はせっかく静岡まで行くのならばと、当初は伊勢湾フェリーを利用して木曜日から自走を画策していたのです。このルートは2001年と2008年に走っているのですが、2001年は浜松まで208.6キロを1日でリア2サイドのasuka号で走り、翌日から秋葉街道を信州へ向って北上しています。ただこの季節で早朝の高見越えは危険なので木金の2日で豊橋まで移動し自転車を預けて、金曜夕方に一旦帰ると云うとんでもない計画を練っていたのですが、木曜の朝の雪で自走は断念し、土曜の朝から輪行で現地へ向う事にしたのです。ただ往路での輪行はうっかりするとトラブルの原因になりかねないので気は進まないのですが。なお鳥羽と伊良湖を結ぶ伊勢湾フェリーですが2010年9月末での廃止が一旦決定したのですが、三重愛知の両県自治体が株式を取得する形で現在まで存続しています。
 さて昨夜から準備しておいた輪行袋を担いで近鉄桜井駅へ、ヘッド抜き輪行ですからかなりコンパクトになりますが、やはりasuka号は重いです。0955発の五十鈴川行き急行に乗車、伊勢中川で名古屋行き急行に乗り継いで1224名古屋着、JRで豊橋で乗り継いで浜松まで予定でしたが、都会の大きな駅って輪行支度をする適当な場所を見つけるのに手間取る事が多いので、一駅手前の高塚駅で下車する事に。

 駅前広場には店を拡げるには適当なベンチが、少し風がありますが暖かな冬の陽射しの下で輪行袋を解きます。荷物を詰め込んだりと小一時間は掛かっていた様な。
 浜松へ自転車で来るのは2001年以来17年ぶりかとfacebookに書き込んだりしていたのですが、よくよく考えると2008年12月に浜松駅から中ノ町道路元標のある天竜川べりまでの数キロをKHSで往復していました。

 その中ノ町道路元標は旧東海道(姫街道)だった静岡県道314号の起点に残っていて、静岡県で現存が確認されている2つの道路元標の一つです。今回再訪すると2008年にはなかった案内版が設置されていましたが、榛原郡の下川根村道路元標の現存が確認される以前だったかして「静岡県内ではおそらく唯一」と記載されています。ただ「1万2244基が設置」の記述は些か疑問です。
 今夜の宿は明朝の御前崎への移動も考慮して掛川駅前のビジポを確保しているので、旧東海道をなぞって走って行くつもりでいたのですが、高塚でのんびりしていたのが響いて磐田市を過ぎる頃には日没、土地勘がないだけに旧街道をたどるのも難しくなってきたので、交通量の多い国道1号をもくもくと走り、18時半過ぎに掛川着、本日の走行距離は僅か38.8キロですが、些か疲れました。

 

 

淡路島キャンプツーリング 2日目

県道76号洲本灘賀集線「南淡路水仙ライン」を行く

 日が暮れると幾つもの灯台の灯りや、海峡を行き交う船の航海灯、遥かに和歌山のコンビナートの灯り、そして星空と最高のロケーションなのですが、いかんせん関空へ降りる飛行機の騒音やら、虫の声に囲まれ、そしてどこからか猫がやってきてわめくは、朝は暗いうちから漁場へ向う漁船のエンジン音ととにかく騒がしい事この上ない一夜が明けます、と云う訳であまりお勧めできるゲリキャンポイントではありませんがロケーションは最高です。なお水は飲めないと思いますが、清潔に保たれた公衆トイレ(水洗)があります。日の出は0550だったのですが東の空は雲がかかっていて、この写真を撮ったのは0616。
 駐車場のある処は夜中に車がやってきても何なので東側の第四砲台跡にテントを設営しました。そうなんです、ここは由良要塞の跡地なのです。朝になってベンチのある駐車場までテントを持ってきて、乾かしがてらコーヒーと菓子パンの朝食にします。今回はケトルとバーナーだけのお湯を沸かせるだけの装備にしています。
 さて7時過ぎには撤収です。サドルバッグの白いのは?塵です。たとえ自転車でも塵は持ち帰りましょうね。

 

 折角ですので帰りに堡塁(ほうるい)跡とか第一砲台跡とかのある展望台へ寄ってみますが、植生が伸びていて展望は良くありません。こちらはトイレはありませんが、展望台で雨露をしのぐ事が可能です。
 生石岬を後にし一旦海岸近くまで下った後、県道を灘方面に向うには峠を越えなくてはなりません。途中には関西人ならご存知の「パラダイス」の元祖とも云える「立川水仙郷」があります。朝も早いですしおっさんが一人で行っても面白くも何ともないので通過です。
 2つのピークを越えて海岸へ下ります、最後はかなりの激坂だった様な。暫く海岸線を走った処で今回のツーリングの大きな目的だった淡路島南部の道路元標の1基目、旧津名郡の上灘村道路元標へ、元標は民家のコンクリート塀と一体となってしまっていて、陰刻も判読が不可能な程に風化しています。
 まだまだ早い時間ですし平日にも関わらず、数人のローディと出会います、洲本スタートなのでしょうかね、「南淡路水仙ライン」こと県道洲本灘賀集線は淡路島南東岸、中央構造線上に位置する諭鶴羽(ゆづるは)山地の南側の険しい斜面の下の海岸線を15キロ程続いています、道路を行くと平坦故に唐突に洲本市(旧津名郡上灘村)から南あわじ市(旧三原郡灘村)に変わるのかが怪訝に思えたのですが、この道路がなかった頃は背後の山か海側からのアクセスしか出来なかった事を考えると納得できます。途中から今日の目的地の一つ沼島が見えてきます。

 もちろんこの素晴らしいロケーションの中を走る訳ですから「自撮り」の準備は万端、山側から俯瞰できる適当な場所を見つけます。

  種明かしをすると、実は巻頭のシルエットの写真とこの2枚は同じ場所からの撮影なんです。
 沼島へは灘の土生(はぶ)港から一日10往復、沼島汽船が通っています、以前は洲本や福良からの航路もあったのですが、廃止や休航となっています。今回は道路元標を訪れるだけ僅か40分の滞在ですので、自転車は土生港に置いて行きます。それに島内には港の周りを除けば車の走る様な処は皆目ないのですが。飾磨郡の家島同様そんな離島にも道路元標はあるのです。
 旧三原郡の沼島村道路元標は沼島八幡神社の 脇にあります、帰りの船までの僅かな時間、神社の石段に座って港を眺めます。実は沼島に来るのは初めてではなく30数年前に須磨からクルージングで訪れ、防波堤に係留して1泊した事があります。
 灘を後にし次の目的地は福良、幾つかルートがあるのですが、少なくとも2つのピークを越えなくてはなりません。登りに入った処で1台のロードに抜かされます、どうやらカップルの様です、一人だとなかなかモチベーションを維持できずにへたってしまうのですが、さすがに登りでは離されますが、前後しながら福良まで付いて行く事ができました。2サイドで土生港から県道25号阿万福良湊線経由でR28に合流するまでの15キロ1時間2分は上等でしょう。
 丁度お昼時の福良では「ゆる風」つながりで「ジロ・デ・アワジ」へ、お薦めの「ローストビーフ丼」を大盛りで頂きます。
 実はこの先、鳴門海峡を望む海岸沿いに慶野松原を目指す計画をしていたのですが、USBケーブルのコネクタを壊してしまい、スマホが充電できずに使えない事態に。残る志知村道路元標もある事ですし、内陸の県道で西海岸へショートカットし、途中のイオンで買い物を済ませる事にします。
 幸いイオン内のダイソーでUSBケーブルを入手でき、15時過ぎには慶野松原のキャンプ場へ、海水浴場に隣接した松林の中のキャンプ場ですが、シーズンオフは無料になっている様です。早速設営を済ませ近くの国民宿舎の温泉へ、コンビニも近くにあって便利な事この上なしです。

 期せずして淡路島の両岸で朝日と夕日を望む事が、キャンプ場も温泉も夕日も独り占めして、キャンプツーリング2日目を終えました、本日の走行59.6キロ。
 

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「南の海へ」205.3キロ ②

和歌山県東牟婁郡串本町 橋杭岩にて

 予定通りと云うか12時過ぎには熊野本宮に到着。七色高架橋を下り本宮道路を始めて走りましたが、従来熊野川が蛇行していた部分を3つのトンネルと2つの橋で一気に貫いてしまいますから、楽には楽ですが味も素っ気もありません、一昨年10月同様、北向きに走る時はやはり旧道かな。なお本宮道路を走ると道の駅「奥熊野古道ほんぐう」はパスしてしまいます。本宮の鳥居の前で十津川で買った「めはり寿司」を頂きます。
 最近「穴蔵」氏によって現存が確認された請川村道路元標を訪座、和歌山県下で現存が確認された18基目の道路元標となります。請川村は昭和31年のいわゆる「昭和の大合併」で本宮町となり、その後は「平成の大合併」により田辺市となりました。私にとっては1,053基目の道路元標です。
 道路元標の表通り、R168沿いにあるヤマザキストアにて補給、本宮前よりこちらの方が品揃えが良いです、営業時間は8時から19時。川湯温泉や大塔安川林道への県道241号への分岐に当たります。ここから新宮でR42に入るまでの約30キロが交通量も多くなってきて結構ダルい区間です。

 新宮市、旧熊野川町域に入り、1319にはR169との合流点宮井大橋へ。奥瀞道路の整備とともに架け替えられ、古い橋は撤去されてしまった様です。

 

 宮井大橋を過ぎ北山川と合流すると熊野川の対岸は三重県となり、三和大橋が見えてきます。これより下流はR42の熊野大橋まで対岸に渡る橋はありません。なお左岸には県道740号小船紀宝線が通じています。
 新宮市は熊野川河口右岸に発展した町ですが、南西側から山が迫っていてR168だと越路トンネル、R42側は小さな峠越えになります。自転車は古い方の越路トンネルへ誘導され、トンネルを抜けると新宮市街です。1430にR168を走り終えR42へ入ります。しかしまだまだほっとしてもいられません、潮岬までは後50キロは走らなくてはいけません、とにかく明るい内に潮岬到着が目標です。正直云ってこの先のR42がネックになっていたのですが、前半セーブしたお陰かここまで脚を残して走ってこれました。

 新宮市街では海を見られませんので三輪崎で海岸寄りの旧道へ、南の海です(写真左)。R42に入ってからは河川や線路を跨ぐ度に細かなアップダウンが続きます。基本海岸沿いなのですが、太地町と紀伊浦神~紀伊田原間で内陸側に入ります。紀伊田原で少し荒船海岸へ立ち寄ってみます(写真右)、ガードレールのない海岸の一車線路が続くのでなかなか絵になるのですが、既に日影になってしまっていて写真的には今一つ、次の機会に。
 古座町が串本町と合併したために古座川を渡るまで串本町の標識が現れるので些か奇異な感じが。そう云えば古座川町には海岸がなくて全て古座町でしたね。
 荒船海岸で既に大島が見えていましたが、橋杭岩まで来るとくしもと大橋と陸繋島の潮岬が見えてきました。 串本の街に入り、潮岬の入り口にあるクロネコヤマトで留め置きに荷物を受け取ります、リュックを入れていた空箱は、明朝また送るからと営業所に置いておいて貰う事に。リュックを担いで潮岬へ、キャンプ場のある望楼の芝まで5キロ程なのですが、標高で70m程登らなくてはなりません。ともあれ1745には本州最南端潮岬に到着です。色々と悩みましたがasuka号で来たのが正解だったのかも。重いのは重いのですが、ロードに比べると体にやさしいと云うか、気分的にも楽に乗っていられるのは200キロの長丁場には差がでたのかも。今年になって180キロ台は2度あったものね、何と7年ぶりの200キロ超。後半どうにかモチベーションを維持できたのも良かったかと。


 さて宅急便で送ったキャンプ用品はテントとマットだけ、夏の平地キャンプですので寝袋もなし、食事は元より外食のつもりですが、さすがにそれも寂しいのでお湯を沸かせる準備だけは。もう2年使っているケトルです。日曜の夜ですので先客は数名、自転車も2人程いる様です。
 設営を済ませ風呂と食事に串本の街へ往復、串本は町と云っても24時間営業のスーパ-やホームセンターなどもあって補給などにも便利な処です。街への往復を含めて本日の走行219.0キロとなりました。
 なかなか来れない南紀ですから、明日は瀧の拝~篭~小匠と回る予定です。

5/15 「東の海へ」(鳥羽市鎧崎)

6/13 「西の海へ」(和歌山市加太)

7/29 「北の海へ」(宮津市由良海岸)

8/19 「北の海へ Part.2」(小浜市)

 

北の海へ Part.Ⅱ


福井県小浜市 小浜公園にて

 東の海へ「鳥羽市鎧崎」、西の海へ「和歌山市加太」、北の海へ「宮津市由良海岸」に続いて南の海へとなる処なんですが、5月にNちゃんと行った「北陸本線廃線跡と河野しおかぜライン」の時に話題になった京都市街を車と信号に煩わされずに通過するルート。元より京都市内に土地勘のない私は、自転車道を嵐山まで走り、そこから北上する事はあっても、車の多い京都市街を走り抜けて鞍馬や大原方面に向かう事はありませんでした。Nちゃんの話によると桂川沿いの木津八幡嵐山自転車道の途中から鴨川の川べりを出町柳辺りまで走る事ができるとの事。京都市内に詳しい方なら当たり前の事なのかも知れませんが、自転車道から出町柳までワープできるとしたら今まで敬遠していた左京区方面へも足が延ばせると云うもの。早速Nちゃんに道案内をお願いして、取り残している大原村道路元標をゲットしつつ、鯖街道をまだ自転車では行った事のない小浜に向かおうと云う事になったのです。
 御幸橋さくらであい館前に7時に待ち合わせる事にして、桜井を4時過ぎにスタート、まだ暗い上街道を北上します。西名阪下、奈良市中辻町と木津川市梅美台西3で信号に捕まっただけで、足つき3回、停止時間1分00秒で流れ橋に6時19分に到着、休憩と時間調整をして御幸橋へ向かいます。
 さくらであい館前には既にNちゃんが到着、休日とあってローディの姿も多いです。さて桂川沿いの木津八幡嵐山自転車を北上し、いつもの久我橋を渡らずにそのまま鴨川の左岸を行きます、少々ダートと云うか未舗装部分がありますが良くしまっていて、雨の後でもない限りロードでもさして問題はなさそうで、通勤通学の自転車のルートとして結構利用されている様です。対岸に見えているのは阪神高速8号京都線。この後、近鉄京都線の鉄橋をくぐり、R24勧進橋で右岸に渡ります。
 JR奈良線と東海道線をくぐると暫くで七条大橋が見えてきますが、右岸側(写真左)は行き止まりになりますので、手前の塩小路橋を渡り再び左岸に。
 対岸に京都名物の納涼床が見えてきます。この辺りで時刻が8時になっていますが、時間とともに観光客が増えてくるそうで、自転車での通行は難しくなるとか、このルートは早朝に駆け抜けるのが肝ですね。鴨川と高野川が別れる処が見えてきたら出町柳です。川べりの道はまだ続いている様なのですが、だんだん走りにくくなる様ですので、一般道に上がり高野橋東詰からR367となります。なおここまでサイドバッグ支度でも問題はなさそうです。
 しかしR367に入ると車が多いですね、土曜日ですので、結構ダンプとかも多いです、時間が経つと観光バスなんかも多くなるかも。八瀬を過ぎた辺りからNちゃんのガイドで旧道を縫って走ります、こちらは快適です。
 大原ではコンビニ休憩の後、今回の目的の一つ愛宕(おたぎ)郡の大原村道路元標を訪れます。1,052基目となります。

 

 最初の峠となる途中越へ、滋賀県に入ります。トンネルを避けて集落の中の旧道へ。
 途中越の次は今日のルートの最高点になる花折峠(591m)、トンネルを避けて近畿自然歩道となっている旧道へ。ロープや鎖で車は入れない様になっていますが、比較的新しいアスファルト舗装が続きます。展望のない峠ですが、朽木鯖街道最大の難所だっただけに、峠名を印した立派な石碑が。

 朽木側で崩落している部分がありましたが、自転車の通行には問題はありません、現R367に合流してからも、断片的に旧道があるのですが、災害で流されたままで通れない区間もあります。
 12時過ぎに朽木宿に到着、道の駅のレストランは1,000円のバイキングだけだそうで、国道から離れ朽木宿の中の「丸八百貨店」へ、もとはその名の通り3階建ての百貨店だった様ですが、現在は観光案内所や無料休憩所の役目を、お茶と大したもんでもありませんか食事もできます。きつねそばとおにぎりを、しめて400円也。

 レトロさも魅力ですが、気さくなおばさんがいてアットホームな空間です。
 さて朽木宿を後にしてR367檜峠(写真左)とR303の旧道水坂(みさか)峠(写真右)を越えR303に合流、寒風トンネルを抜けると福井県です。
 このルートの目玉は熊川宿となるのでしょうが、なにやら時代劇のセットみたいで、ワタシ的には今一でした、道の駅の裏側より小浜よりの一画の方が静かで良いかも。
 一軒のお店で葛饅頭を頂きます。甘さ控え目で葛の風味が良かったです。私たちの次で売り切れになっていました。
 熊川宿を後にし一路小浜へ、R27と合流し上中駅を過ぎた辺りで脇道へ。

 堤防上の良さげな道を道を見つけて突っ込みますが、書いてある通りの「通り抜けできません」の行き止まりでした。その後は県道24号に入ります、田んぼの中の真っ直ぐな道で見通しが良くて走りやすいのですが陽射しと風がね、ただそのまま行けば「鯖街道起点」を売りにしているいずみ町のアーケードへ。
 Nちゃんが指差しているのが「鯖街道起点」のプレート。アーケードを抜けて海岸の小浜公園まで走り「北の海へ Part.2」完了です。R367~R303と些か交通量が多いのが難ですが、花折峠旧道や朽木宿は愉しめました。本当は小浜をゆっくり見て回りたかったのですが「青春18きっぷ」だけで桜井まで帰る目論みですので1729発の敦賀行きがタイムリミットとなります、それでも接続のスジが悪くて桜井帰着は2323着の終電に。別ルートでの再訪を愉しみとします、本日の走行156.6キロ。道案内とお付き合いしてくれたNちゃんに感謝。

 

履修順道路元標一覧 (901~1000)

道路元標一覧 (1~100)
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道路元標一覧 (501~600)
道路元標一覧 (601~700)
道路元標一覧 (701~800)
道路元標一覧(801~900)
【901】 2010/08/02 島根県 能義郡 飯梨村 (現 安来市)
【902】 2010/08/02 島根県 能義郡 広瀬町 (現 安来市)
【903】 2010/08/03 岡山県 真庭郡 八束村 (現 真庭市)
【904】 2010/09/05 長野県 南安曇郡 小倉村 (現 安曇野市)
【905】 2010/09/06 長野県 東筑摩郡 入山辺村 (現 松本市)
【906】 2010/09/06 長野県 小県郡 和田村 (現 長和町)
【907】 2010/09/06 長野県 小県郡 大門村 (現 長和町)
【908】 2010/09/06 長野県 小県郡 長久保新町 (現 長和町)
【909】 2010/09/06 長野県 小県郡 長窪古町 (現 長和町)
【910】 2010/09/06 長野県 北佐久郡 三岡村 (現 小諸市)
【911】 2010/09/07 長野県 北佐久郡 西長倉村 (現 軽井沢町)
【912】 2010/09/07 長野県 北佐久郡 軽井沢町 (現 軽井沢町)
【913】 2010/09/07 群馬県 碓氷郡 坂本町 (現 安中市)
【914】 2010/09/10 京都府 天田郡 中夜久野村 (現 福知山市)
【915】 2010/9/10 京都府 天田郡 福知山町 福知山市
【916】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 東山代村 伊万里市
【917】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 牧島村 伊万里市
【918】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 大山村 有田町
【919】  2011/1/9 熊本県 玉名郡 伊倉町 玉名市
【920】 2011/1/9 熊本県 玉名郡 豊水村 玉名市
【921】 2011/1/9 熊本県 玉名郡 弥富村 玉名市
【922】 2011/1/10 熊本県 八代郡 八代町 八代市
【923】  2011/1/10 熊本県 阿蘇郡 宮地町 阿蘇市
【924】  2011/1/11 宮崎県 南那珂郡 市木村 串間市
【925】  2011/1/11 宮崎県 児湯郡 上江村 高鍋町
【926】 2011/02/26 京都府 宇治郡 醍醐村 (現 京都府伏見区)
【927】 2011/03/11 愛知県 海部郡 蟹江町
【928】 2011/03/11 愛知県 海部郡 南陽村 (現 名古屋市)
【929】 2011/03/11 愛知県 西春日井郡 庄内町 (現 名古屋市)
【930】 2011/03/11 愛知県 中島郡 朝日村 (現 一宮市)
【931】 2011/03/23 大阪府 西成郡 粉浜村 (現 大阪市住之江区)
【932】 2011/03/31 奈良県 宇陀郡 室生村 (現 曽爾村)
【933】 2011/04/06 兵庫県 揖保郡 龍田村 (現 太子町)
【934】 2011/04/06 兵庫県 飾磨郡 菅野村 (現 姫路市)
【935】 2011/04/06 兵庫県 加西郡 富田村 (現 加西市)
【936】 2011/04/06 兵庫県 加古郡 尾上村 (現 加古川市)
【937】 2011/05/08 兵庫県 武庫郡 大庄村 (現 尼崎市)
【938】 2011/05/18 京都府 北桑田郡 細野村 (現 京都市右京区)
【939】 2011/05/21 兵庫県 多紀郡 篠山町 (現 篠山市)
【940】 2011/05/21 兵庫県 有馬郡 長尾村 (現 三田市)
【941】 2011/05/21 兵庫県 有馬郡 大沢村 (現 三田市)
【942】 2011/05/21 兵庫県 美濃郡 淡河村 (現 神戸市北区)
【943】 2011/06/30 三重県 度会郡 田丸町 (現 玉城町)
【944】 2011/07/31 佐賀県 東松浦郡 七山村 (現 唐津市)
【945】 2011/07/31 佐賀県 小城郡 北山村 (現 佐賀市)
【946】 2011/07/31 佐賀県 小城郡 南山村 (現 佐賀市)
【947】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 北茂安村 (現 みやき町)
【948】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 中原村 (現 みやき町)
【949】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 田代村 (現 鳥栖市)
【950】 2011/08/01 熊本県 鹿本郡 山鹿町 (現 山鹿市)
【951】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 中島村 (現 七尾市)
【952】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 熊木村 (現 七尾市)
【953】 2011/08/28 石川県 羽咋郡 釶打村 (現 七尾市)
【954】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 田鶴浜村 (現 七尾市)
【955】 2011/08/29 新潟県 西頚城郡 名立町 (現 上越市)
【956】 2011/08/29 新潟県 三島郡 桐島村 (現 長岡市)
【957】 2011/08/29 新潟県 三島郡 大河津村 (現 長岡市)
【958】 2011/08/29 新潟県 三島郡 与板町 (現 長岡市)
【959】 2011/08/29 新潟県 古志郡 下川西村 (現 長岡市)
【960】 2011/08/29 新潟県 三島郡 大津村 (現 長岡市)
【961】 2011/08/29 新潟県 三島郡 脇野町村 (現 長岡市)
【962】 2011/08/29 新潟県 古志郡 福戸村 (現 長岡市)
【963】 2011/08/29 新潟県 三島郡 王寺川村 (現 長岡市)
【964】 2011/08/29 新潟県 三島郡 日吉村 (現 長岡市)
【965】 2011/08/29 新潟県 三島郡 関原村 (現 長岡市)
【966】 2011/08/29 新潟県 三島郡 日越村 (現 長岡市)
【967】 2011/08/29 新潟県 三島郡 来迎寺村 (現 長岡市)
【968】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 関山村 (現 妙高市)
【969】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 中郷村 (現 上越市)
【970】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 三郷村 (現 上越市)
【971】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 津有村 (現 上越市)
【972】 2012/01/08 岡山県 邑久郡 大宮村 (現 岡山市)
【973】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 名護屋村 (現 唐津市)
【974】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 切木村 (現 唐津市)
【975】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 北波多村 (現 唐津市)
【976】 2012/01/09 佐賀県 西松浦郡 南波多村 (現 伊万里市)
【977】 2012/01/09 佐賀県 杵島郡 若木村 (現 武雄市)
【978】 2012/01/09 佐賀県 杵島郡 住吉村 (現 武雄市)
【979】 2012/01/10 熊本県 球磨郡 山江村
【980】 2012/01/10 宮崎県 北諸県郡 西岳村 (現 都城市)
【981】 2012/03/13 三重県 度会郡 神社町 (現 伊勢市)
【982】 2012/03/13 三重県 度会郡 大湊町 (現 伊勢市)
【983】 2012/03/13 三重県 度会郡 豊浜村 (現 伊勢市)
【984】 2012/03/13 三重県 度会郡 北浜村 (現 伊勢市)
【985】 2013/09/05 新潟県 西頚城郡 市振村 (現 糸魚川市)
【986】 2013/09/06 新潟県 岩船郡 大川谷村 (現 村上市)
【987】 2013/09/07 北海道 亀田郡 湯ノ川村 (現 函館市)
【988】 2013/09/07 北海道 函館市
【989】 2013/09/07 北海道 上磯郡 茂別村 (現 北斗市)
【990】 2013/09/07 北海道 檜山郡 江差町
【991】 2013/09/08 岩手県 盛岡市
【992】 2014/07/21 島根県 大原郡 賀茂村 (現 雲南市)
【993】 2014/07/22 島根県 邇摩郡 静間村 (現 大田市)
【994】 2014/07/22 島根県 簸川郡 田岐村 (現 出雲市)
【995】 2014/07/22 島根県 簸川郡 知井宮村 (現 出雲市)
【996】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 垂水村  (現 丸亀市)
【997】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 飯野村  (現 丸亀市)
【998】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 南村  (現 丸亀市)
【999】 2014/08/06 兵庫県 川辺郡 東谷村 (現 川西市)
【1000】 2014/08/17 兵庫県 津名郡 多賀村 (現 淡路市) 2014


18きっぷ輪行の旅(2016夏 2日目)

JR飯田線 天竜峡駅にて 

 

 昨夜はぐっすり休む事ができた様で、まだ暗いうちですが自然に目が覚めました、明るくなった頃6時には出発するつもりで準備を整えます。今日は概ね三州街道(R153)に沿って6基の道路元標を巡りながら愛知県豊田市の猿投(さなげ)駅までの120キロ余りを走り抜ける予定です。獲得標高は1,200m近く、ゴールの猿投駅から桜井へ名鉄~近鉄経由で帰るタイムリミットは1945(近鉄特急利用なら2015)、輪行支度を考えると19時には着かなくてはなりません。まぁ明るい内を走ってられると云う事になるのですが、コースと私の脚力を考えると結構厳しいものです。
 
 表は曇り空、天気予報からして朝の内だけかなと思っていると、走っている内に少しパラパラとやってきます。 伊賀良村道路元標山本村道路元標と行き過ぎたりとかでちょっと手こずります、些か勘が鈍ったかな。この先峠に入ってしまうと、コンビニとかはないので携行食の補給にコンビニヘ、イートインコーナーがあったのでちょっとコーヒーブレイク。
 
 下伊那郡3つ目の会地(おうち)村道路元標にて、現在の阿智(あち)村の中心部にあたります。これから冶部坂峠に向って標高差700m程の登りとなりますが、やはり空模様は思わしくありません、念のために雨雲レーダーを検索してみると。 
 
 これはいけません、このまま行くと冶部坂峠の区間で降られる事は眼に見えています。もちろん雨具の準備はありますし、雨雲は東に流れて行く予測ですから、これさえかわせれば後は大丈夫そうなのですが、途中で雨宿りしている時間的余裕はありません。それに冶部坂峠は前後に寒原峠と赤坂峠と云う峠があって、冶部坂峠との標高差にプラスαがある訳です、多少旧道はあるもののトラックの多いR153、飛沫をかけられながら走るのは覚悟の上としても、見通しの悪くなった山中の国道を走るのは如何なものか、それに昨夕どうやらグローブを失くした様です。 撤退するとすれば飯田線沿線から輪行で帰途に就くしかありませんが、調べてみると天竜峡駅1250発豊橋行きがタイムリミットとなります、ここで進んでしまうと後は愛知県側へ走る抜けるしか方法はありません。この先予定している3基の道路元標を取りこぼすのは惜しいですが、そこは転んでもタダでは起きられないと云う事で、今回は予定に入れられなかった天竜川左岸の龍江村道路元標を回ってから天竜峡駅へ向っても良いかと、それに帰途に名鉄~近鉄ではなく「18きっぷ」を使う事になりますが、今の予報では次に「18きっぷ」を使う予定の30日は天気が思わしくないので帳尻は合いそうです。と云う訳で今回は大人の決断でここで撤収する事にしました。考えてみれば昨日「きしめん」を食べたいだけの理由で南木曽へ廻り、大平街道と云う充実したツーリングが出来た事ですし、今回はこれで良しとしましょう。しかし昨日先に天竜峡に行っていたら最低の1泊2日になっていた訳でした。
 
 飯田線沿線に戻るのがアップダウンの多いルートになり閉口させられます、一度天竜峡駅に戻って姑射橋で天竜川を渡るのが最短になるのですが、そちらからでは激坂があるので、少し遠回りにはなりますが時又の天竜橋で天竜川を渡り対岸へ。伊那谷は全体的には穏やかな地形に見えますが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形を成していて細かな起伏が多いのです。地図で飯田線の線形を見ていただけると納得できるかと。さて最近になって現存が確認された龍江村道路元標は龍江小学校の前の元は役場があったという場所の一角にありました。
 

 

 
 龍江村を終え天竜峡駅へ向いますが一旦おさまっていた雨が、再び降りだしてきます。一度天竜峡駅に行きますが、1250にはまだまだ時間があります、付近は天竜峡の温泉街、着替えもある事ですし日帰り温泉にでも入って帰りたい処なんですが、午前中にやっている処はなさそうですので「りんご足湯」と云う足湯へ行きます。成る程ゆず湯ならぬりんごが浮いています。 足湯ではありますが、協力金として100円を箱に入れる様になっています。天竜川を挟んで駅に停まっている飯田線の車両が見えるロケーションです。
 
 時間の余裕もある事ですし、ゆっくりとしっかりと輪行支度を整えます、キャラダイスの横長のサドルバッグが邪魔をして、本来のヘッド抜き輪行の様にスマートには収まりませんが、充分に顰蹙を買わないサイズに収まります、重たいのは仕方がないですが。天竜峡駅1250発の豊橋行きに乗車、桜井までほぼ9時間の旅程ですが乗車時間の半分はこの飯田線で、偉大なるローカル線の鉄旅を辟易する程堪能します。既に飯田線は完乗していますが、全線を通しで乗った事はさすがにありません。豊橋駅1616着、大垣行き特別快速に乗り換えて名古屋へ、帰りも再びホームできしめんを頂いてから関西本線へ、その後は亀山、加茂、奈良と乗り継いで2149桜井に無事帰投しました。
 本来はタイトルは「道路元標蒐集サイク」となるはずだったのですが、走っている時間より輪行している時間の方が長かった様な、したがって「18きっぷ輪行の旅」と、しかし2日目はともかくとして記憶に残るツーリングとなりました、取りこぼした分は近い内にリベンジを。 本日の走行33.1キロ、どうやら今月1,000キロ超は難しそうです。
 
天竜峡1250→1616豊橋1621→1712名古屋1740→1856亀山1926→2045加茂2049→2106奈良2119→2149桜井 5,940円分乗車
 
【1047】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 伊賀良村(現 飯田市)
【1048】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 山本村(現 飯田市)
【1049】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 会地村(現 阿智村) 【1050】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 龍江村(現 飯田市)
 

 

道路元標蒐集サイク(2016夏)

播但線新井(にい)駅にて
 駒ヶ根~猿投ツーリングとかの計画で買った「18きっぷ」他、なんやかやで使えず仕舞い、近鉄の株主優待券は良しとしても、期限は9/10までです。 何となく本調子でもないのですが、「延陽伯」号を担いで、幾つか取りこぼしのある兵庫県の道路元標蒐集に出掛ける事にしました。
 
 例によって未明にJR奈良駅まで自走です。 桜井を3時25分に出て奈良駅4時28分着。 ここまで20.65km 19.8km/h 37.9km/h 1h02m38s って停まったのは天理市丹波市のR25の信号だけだったりして。 余裕で奈良0522発の京都行きに乗車します。 京都、福知山と乗り継いで山陰本線の八鹿駅0946着。 奈良まで未明に20キロ余りを自走するのは大変ですが、たとえ大阪鶴橋まで近鉄を利用したところで八鹿着は11時を回ってしまいます。京都駅での奈良線ホームから山陰本線ホームへの乗換えは大変なのですが、休日の朝6時台と云う事で比較的スムーズに動けました。山陰本線の園部以遠行きは後ろより何両かが園部で切り離しとなりますので、要注意です。
 
 山陰本線八鹿駅、「延陽伯」号はヘッド抜きと分割式マッドガードでコンパクトに輪行できるのは良いのですが、しかし夏の輪行は大変、走るよりこの作業で汗だくになってしまいます。 
 
 さて出発準備ができた処で十数キロ先の建屋村道路元標を目指しますが、まずは道の駅「但馬楽座」で補給です、ここの道の駅内にローソンがありイートインコーナーもありました。道の駅からは川沿いを行きます、川面を渡ってくる風が心地良いのですが、とにかく陽射しが暑い、そして夏の雲。
 
 
 建屋からは県道70号で八代峠を朝来市へ越えます。 旧道も残っている様ですが八代坂トンネルが開通しています。 トンネルの中は最高に涼しいのですが。
 
 下る途中に天然記念物「八代の大ケヤキ」と云うのがありましたので立ち寄ってみます。案内によりますと、高さ30m、幹廻り9.8m、樹齢千数百年とあります。
 
 
 播但線で見かけた「天空の城 竹田城跡」のラッピング車両。
 
 
 
 
 
 播但線新井駅から姫路市の京口駅まで輪行する事にします。 何度も輪行支度するのは大変ですが、さすがにこの炎天下、生野峠を越えて姫路まで走って行く様なマネはできません。
 
 京口駅1555着、そそくさと輪行支度を解き、市川を渡って花田村道路元標へ。藤原勝永著「兵庫県の道路元標」で不明となっていて、最近所在が確認されたものです。住宅街の中の小さな公園の植え込みに再建されています。花田村は昭和32年10月に姫路市に編入、かつてここに一つの村があったとは思えない静かな住宅地の一角になっています。
 
 姫路モノレールの大将軍駅跡の高尾アパートが年内にも解体されると云う事で、最後に見ておこうかとも思ったのですが、この後加古川まで移動したかったので諦める事に。加古川までは勘だけを頼りに旧街道をたどって行きます。
 
 加古川へ来たかったのは、今なお「シルク号」の看板を掲げているレトロな自転車屋さん。もう事実上は営業できてない様な感じなんですが、店の前の国道2号線に「延陽伯」号を置いて記念写真を。
 
 加古川駅前にて、晩御飯を食べ珍しくビールなんぞを頂いて、ここから輪行で帰途に就きました。走行距離は奈良駅への自走を含めても70キロばかり、コース的に大した坂があった訳でもありませんが結構疲れました、実は三脚も積んで「自撮り」の準備もしてきているのですが、出番はありませんでした。遠くへ出掛けるのは「18きっぷ」のシーズンだけですが、夏のシーズンは走るのも輪行するのもちょっと大変ですね、さて後4回分どうしよう。
 
奈良→京都→福知山→八鹿 3,670円
新井→京口 970円
加古川→大阪→王寺→桜井 2,270円 計6,910円分乗車
 
【1045】 2016/8/21 兵庫県 養父郡 建屋村(現 養父市)
【1046】 2016/8/21 兵庫県 飾磨郡 花田村(現 姫路市)

25年ぶりの武木小川林道

武木小川林道白屋越
 
 ブログにも書きましたが、一昨日アルバムを整理していて見つけた古い写真、25年前になる1991年8月に東吉野村と川上村の間にある武木小川林道へ行った時のものです。 いわゆる足ノ郷越で、グランフォンド吉野のスーパーロングコースに設定されているので、走られた方も少なくないと思いますが、当時は知る人ぞ知るダート林道。前日に名阪小倉界隈で行なわれたマウンテンバイクのレースを覗いた後、室生から染谷峠を越えて東吉野でキャンプをして翌朝から越えたのです。以来何度も近くを通っているのですが、25年もの間踏み込む事はありませんでした。
 ところで長らく所在不明になっていた川上村道路元標が川上村役場前に保存されている事を先日知ったのですが、最近少々熱が醒めている事もありますが、大滝ダム横の坂とトンネルを越えて往復するのも、いずれ熊野方面に向う時に立ち寄ろうかと思っていた処、武木小川林道で大滝ダムの向こう側へ越えれば、R169は下るだけで帰って来れます。タイミング良く今日の予定が一日繰り延べになった事だし、お天気も良いので、早速「四半世紀の時」を超えて飛び出す事にしたのです。 ちなみに下の地図は当時使っていた1/2.5万図、吉野大峯林道も五番関トンネルもありません。せっかくですので、当時の写真とこの地形図も持って行く事にしました。
 明日香村から芋峠を越えて、河原屋のローソンでお昼を仕入れて、いつもの吉野川~高見川遡上ルートで東吉野村へ向います。 余談ですが相変わらず「ならクルT-1大和青垣ルート」の標識は距離が間違ったままです。 
 月一でやってくる東吉野村ですが、今月は「月うさぎキャンプ」があった事で3回目になります。四季折々の魅力がありますが、新緑が眩しく川面にカジカガエルの声が響くこの季節が一番好きですね。 
 いつもの様に「ニホンオオカミ像」の前で一息入れて、小川から小(おむら)までは左岸を行き、今日は丹生川上神社中社に立ち寄ります。ちなみに川上村にあるのが上社、下市町にあるのが下社です、下市町と云っても広橋峠の南側ですから、殆ど黒滝村なんですが。高原洞川林道が通れたら三社巡りなんて周回コースが組めて愉しそうなんですが、かなり健脚向きではありますが。 
 10時半過ぎに林道へ取り付きます。 R169に入る武光(ぶこう)橋まで約15キロ、ピークまで標高差700m程あります。 取り付きからインナーロー、「天然わらび園」への分岐を過ぎた辺りまで、停まってしまうと再び走り出せなくなる様な坂が続きますので、ひたすら漕ぎ上げるだけです。 
 25年も経っていると記憶は殆どありません、それに植生の成長で風景も変わっています。適当な処で2,3度休憩しながら1時間程でようやく稜線に取り付きます、以前はここから西側の展望が開けていたと思うのですが。 
 丁度12時に白屋越に到着、武木小川林道は稜線に沿って走っているので、途中で東の川(うのかわ)越、白屋越と云った古道の峠と交差しています。白屋越は天誅義士所縁の地でもある様です。 
 白屋越から足ノ郷越にかけて、25年前との比較です。
 
 12時半過ぎにようやく標高980mの足ノ郷越に到着。「足ノ郷峠 川上街道」と由緒を紹介した立派な案内板が建っています、もちろん25年前にはありませんでした、街道として紹介されていますが、ここまで出遭ったのは野生の鹿と山仕事の軽トラ2台だけです。 
 峠を越えると武光橋まで延々と下りが続きます。 新旧比較、断崖が木々に覆われていますが。雰囲気はあまり変わらないです。斜度は東吉野側よりこちらの方が遊びがなくキツい様な、今年のグランフォンドは逆周りでこちら側から登るとか、ご苦労な事です。 
 この場所で「自撮り」をしようかと準備をしてきたのですが、見つけられなかったと云うか、それらしき場所はあったのですが、谷側の木が成長していて風景が一変していた様な。 山岳林道らしい風景が良かったのですが、残念。 

 武木の集落を抜けて1時過ぎに武光橋まで下りてきました。 武光橋はダム建設で架け替えられていて、昔の武光橋(写真右)を黄色い丸で示した位置から撮ったものです。ところで湖面を回廊の様に巡っているのはダム湖に沈んだ旧R169なのです。 現在の武光橋から見下ろすとこんな感じです、R169を走る事はあっても新しい武光橋や対岸から見る事がなかったので、今まで気が付かなかったのですが、走れるものなら走ってみたいロケーションですね、当然「自撮り」も。しかし前後で冠水していますし、今では進入路もない様です。既に道路としては破棄されている訳ですから、年数を考えると仮に下に降りる事ができても、かなり危険な状態になっているでしょうね、しかし残念。
 少しR169を走って道の駅「吉野路杉の湯川上」へ、武木小川林道では何やら虫が多くて、落ち着ける場所がなかったので、用意してきたお昼をやっと頂く事が、既に2時を回っているのですが、今日の本来の目的だった川上村道路元標、所在の見当ほぼついているので慌てる必要もないのです。ここの道路元標の経緯については、9年前の2007年6月25日付けのブログ「川上村道路元標は何処へ」に記してあるのですが、丹生川上神社上社にないと云う事は、移設されないまま湖底に沈んでしまったのか、神社以外の移転場所を考えれば村役場か資料館の類となるので、気を付けてはいたのですが。元標の周りの土が新しい事から、どうやら最近になって再建された様です。無事に現存を確認し1,044基目の道路元標となりました。
 本日の予定をこなし、R169から<39>五條吉野線と走り、いつもなら椿橋から壷阪峠で帰るのですが、時間もありますし少々マンネリ気味ですので、千石橋を渡り近鉄下市口駅の裏を通って車坂峠から吉野口駅経由で帰途に就きました。 本日の走行117.5キロ。

 

平福宿から「片鉄ロマン街道」へ

杉坂峠にて

 「18きっぷ」消化サイクの最後は「片鉄ロマン街道」に行く事にしました、云わずと知れた片上鉄道廃線跡を利用した自転車道なのですが、いままで訪れる機会に恵まれなかったのです。山陽本線の和気からスタートすると片道30キロ程の行程で、それだけでは面白くないので、姫新線の播磨徳久まで行って、未収の佐用郡中安村道路元標と因幡(智頭)街道の平福宿に寄ってから「ロマン街道」は片道だけ走って帰って来ようと考えてみました。

 さて播磨徳久駅まではJR桜井駅から始発で輪行すると接続が悪く、所要時間4時間59分で1051着となってしまい、ぐずぐずしているとスタートがお昼になってしまいます。そこで未明にJR奈良駅までの20キロ余りを自走して0450発に乗車し播磨徳久を目指す事にしました、それなら所要時間は4時間24分、0914には到着できます。大阪鶴橋まで近鉄を利用してもこの時間には辿り着けません。 

 写真左は大阪駅、写真右は姫路駅、姫新線に乗るのは随分久しぶりですが、キハ127と云う見慣れぬ新型車両、ディーゼル車なのですが最近は電車みたいなディーゼル車車が増えましたね。
 
 播磨徳久駅、早速輪行支度を解いて出発準備OKなのですが… 
 
 
 
 
 うちのHPに「懐かしの鉄道写真集」と云うコンテンツがあるのですが、その中の姫新線の一枚の写真(左)、三日月駅としてあるのですが、どうも違う様なのです、どちらかと云うとここ播磨徳久駅の佐用側の様な気もするのです(右)。
 
 さて中安村道路元標ですが、播磨徳久駅の南側の山の上、元々公民館だった場所にある様なのですが、藤原勝永著「兵庫県の道路元標」と国道901号さんの「道路元標が行く」には記載はあるものの、その他の情報がありません。公民館は現在では社会福祉法人「はなさきむら」と云う授産施設となっていて、駐車場まで行ってちょっと見渡した処では見つかりません、とにかく施設の構内なので了解を貰おうと建物への坂を登って行くとありましたネェ、らしきものが斜面の途中の段になった処に草に埋もれて、もう見つけられたのは長年の勘と云うか臭覚と云うか。幸いうつ伏せにはなってはいなかったので間違いなく「中安村道路元標」だと確認できました、でないと足元の悪いこの場所で道路元標を転がすのは至難の業です。これで1,043基目となりました。
 
 駅近くまで戻ると次の下り列車のやって来る時間です、せっかくですので狙ってみる事に、そこは自転車の機動力、到着するのと出発するのを違うポイントが狙えました。
 
 現在では同じ佐用町ですが佐用坂と云う小さな峠を越えて平福へ、ここにも平福村道路元標があるのですが、前に訪れた2007年には平福郷土館の中庭に保存されていて、休館のために塀越しに写真を撮ったのですが、今回は開いているだろうと訪れてみると、開館はしていたものの前の場所にありません、尋ねてみると元あった現在の郵便局の前に移設したと教えて頂きました。 さっそく郵便局に向かうと無事に鎮座したました。
 
 平福の街を少し散策します、なかなか見どころの多い処なんですが、なんと「自撮り」用の外部タイマーを忘れてきたのです、それがなければ長時間のタイマー撮影ができません。
 
 せっかくですので標準のセルフタイマーを使ってピンポンダッシュするしかありません、まぁ昔はそれで「自撮り」していたのですからね。Uターンして戻ってくるシーンは無理ですが、近距離の後ろ姿なら数テイク撮れば、どうにかなります。
 
 平福で長居をしてしまいようやく13時過ぎに出発、佐用駅近くまで南下し中国自動車道に沿って走る県道153号へ、自動車道があるのと、南側のR179がメインルートになるのでこの県道は比較的空いていてなかなか走り良いです。写真は佐用町幕山、大河内の一本桜と案内が立っています。茅葺の立派な家が、まるで絵に描いた様な日本の風景です。
 
 県道は自動車道のトンネルの上の峠を越えます、出雲街道杉坂峠です。峠の桜が時折吹く風に花びらを散らせます。 ここから「片鉄ロマン街道」の終点吉ヶ原駅までまだ20数キロ走らなくてはならず時間も押していますが、このシチエーションを見過ごす訳には。しかし散る桜を絵にするのはなかなか難しいものです、後から動画で撮れば良かったかなと、G1と違ってG2は動画が使えるのですが、実は今まで一度も使った事がないのです。
 
 途中からR179へ入り、林野の手前から旧道に入ってR374に入る事なく県道を継いで吉野川右岸から吉井川左岸へと入れたので、初めて辿るコースでしたが、車と信号の少ない快適な道を走り、16時過ぎに片上鉄道の旧吉ヶ原駅に着く事ができました。
 
 平福に続いて吉ヶ原でものんびりし過ぎて、もう「片鉄ロマン街道」は和気まで走る抜けるのが精一杯の時間になってしまい、その上「片鉄ロマン街道」に関しては自転車道だから行けば判るだろうと何の下調べもしていなかったので、途中で道を間違える始末。一応は桜の花びらが敷き詰められた苦木駅で写真を撮りはしたものの、下り基調の道を突っ走って真っ暗になる直前に和気駅に辿り着くことができました。
 
 さて帰りの電車の時刻を調べると、既に「18きっぷ」のままJRで桜井まで辿り着ける時間は過ぎています。 播州赤穂あたりと同じ感覚でいたのですが、乗換時間や運行本数の違いでかなり違ってくる様です、とは云っても鶴橋から近鉄利用や高田から10キロ程自走するなら十分に余裕のある時間です。いずれにせよ帰宅は遅くなるのでコンビニで補給後、輪行支度を済ませ1947発に乗車、無事に帰途に就く事ができました。「片鉄ロマン街道」は走り抜けるだけになってしまいましたが、幾つか「自撮り」ポイントの目星を付けておきましたし、次の機会への愉しみとしておきます。
奈良までの自走を含めて本日の走行113.5キロ。 「18きっぷ」5,940円分乗車。
 

 

奥三河サイク (2日目)

愛知県新城市 四谷の千枚田にて
 
豊橋駅0600発の飯田線始発天竜峡行きに乗車、昨日と同じく本長篠駅からのスタートです。  
 
 
 本長篠駅0655着、そそくさと輪行支度を解き、まずは昨日と同じ内金トンネルへ急ぎます、今日は土曜日ですので見物客が来ないうちが勝負、また昨日は午後でしたが反対の朝の陽射しを狙ってみる事に。少し風があるので時折満開の河津桜を散らせます。 桜散る風景はskuram氏~santaさんコンビの名作がありますね、なかなか静止画では難しいシチエーションです。 
 やはり8時前には見物客が、エンジン音を轟かせてやってきたのは何とロータスヨーロッパ、40年ものですよね、うちの「延陽伯」号より10年は古い、昔友人が乗ってましたがトラブルが多くて、そんな車を今も走らせてるって凄いと云うか。そろそろ「自撮り」も難しくなってきましたし、それに今日は「自撮り」「廃線跡」「道路元標」と課題が多くてゆっくりもしてられません。 
 園村道路元標まで視野に入れるとあまり余裕もないのですが、せっかくですから廃線跡もチェック。写真右は玖老勢駅跡だとか、廃線跡に関してはこちらのサイトが詳しいです、豊橋鉄道田口線の概要に関してはウィキのパクリ臭いですが、現地調査は参考になります。
 近くに鳳来寺村道路元標が移転保存されています、2010年3月26日に履修済ですが表敬訪問を。
 
 
 
 副川作り道と云う処で廃線跡は県道と別れて対岸へ、市道として供用されています。 断崖に掘られたトンネルと対岸の風景が一幅の絵の様です。ここで「自撮り」とも考えたのですが、明暗差が大きすぎるのと、断崖が高すぎて収まらないのと、普通の高さではガードレールに対岸の風景が遮られてしまうのです、この写真は手を伸ばして精一杯の高さから縦方向のパノラマ撮影をしています。 
 ちょっと良さげな「自撮り」ポイントを見つけたので停止、最近は上から見下ろせて、ガードレールも猪垣もない場所って貴重なんですよ、奈良県に比べると獣害は少ないのでしょうかね。 
 県道32号長篠東栄線と別れて県道389号富栄設楽線となり稲目トンネルへ、立派な2車線のトンネルですが、廃線のトンネルを拡げたとか。 ここで本長篠から豊川の支流海老川を遡ってきた田口線は豊川沿いに入り国道257号となります。 
 廃線跡は清崎で現在の設楽町の中心部である田口へ登って行く国道と別れ豊川沿いの谷間いを遡って行きまする、こちらも町道として供用されているのですが、これより上流には現在設楽ダムの建設が決まっていて、この廃線跡も湖底に沈んでしまう様です、地質調査が行なわれていて、この廃線跡の町道を辿る事ができなくなるのも時間の問題でしょう。 写真右下が田口鉄道の終点三河田口駅跡、何も無い山合いの広場です、旧田口町の中心部との標高差が100m以上もあった事と、鉄道建設の目的であった木材搬出のためにこちらのルートになった様でですが、それが旅客輸送にはマイナスとなって、結果的に廃線に結びついたと云う事らしいのです。 と云う訳でここまでは大した坂もないルートを辿ってきた訳なのですが、お陰でここから一気に九十九折れの道で高度を稼がされる事に。 
 1042基目となる北設楽郡田口町道路元標を履修後、真新しい岩子谷トンネルをくぐります、このトンネルでかつての峠道は片峠となってしまった様です。 設楽町神田(かだ)、時刻は12時半。 ここで園村道路元標に向うか本長篠へ戻るか思案のしどころです。 単純に標高差は200mなのですが、事前にプロファイリングをして来ていないので所要時間が全く読めません、飯田線東栄駅まで下って輪行するとしても、そうなると東栄駅1549発が18きっぷで帰るタイムリミットとなります。 コンビニおにぎりをかじりながら暫し作戦タイム。 園村は田口町とセットで考えていただけにここまで来て取りこぼすのは痛いのですが、どうにも計算ができないのと、ここから峠を越えてFaceBookのお友達がお奨めの四谷の千枚田や梅の里「川売(かおれ)」とやらにも寄ってみたいしと… 
 設楽町田代にて、路傍の石仏と白梅。 
 
 
 
 
 
 結局は安全策を採って仏坂トンネルを越えて新城市側へ戻る事にしました。奥三河の山深い園村へは次回の愉しみと云う事に。 
 仏坂トンネルを抜けると明るい林の中を下る快適なコースです、逆から来るとかなり登り堪えがありそうです。  
 
 
 四谷の千枚田にやってきました、なかなかのロケーションです。 かなり遠いですが「自撮り」にトライ、カメラをセットして3分のタイマーをかけて下ります。 結構な激坂なので自転車は置いてカメラを取りに戻る事にします、一発勝負ですから時間合わせとコース取りは念入りに。
 
 棚田の中を下って行く途中でもう一発、そんなこんなでそろそろ時間も押してきました。
 
 
  
 下の県道から見上げた「四谷の千枚田」です。 棚田全体の標高差は丸山千枚田以上かも知れませんね。
 
 
 
 もうひとつの川売と云う処は見つけられずに下ってしまい帰途に、朝通ったばかりの道なのに、浜松と云う標識に惑わされて本長篠駅へ戻るつもりが大海駅へ、結果的にはこちらの方が楽だった様なのですが、大海1628発で無事に帰途に就く事ができました。
 今回はヘッドパーツを忘れると云うアクシデントのお陰で期せずして1泊2日となりましが、非常に収穫のあった2日目を過ごす事ができました。しかし1月の「せとうちツーリング」では網棚にヒップバッグを忘れるはと、危ないお年頃でしょうか。
 
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「自撮り」ポタへ

 「山の辺の道」にて
 
 今日は11時近くなってから、昨日目を付けておいた「自撮り」ポイントへ向う事にしました。 「山の辺の道」はルートによっては担がなければならない処があるので、重いasuka号ではなく延陽伯号で出掛ける事にしたのですが、サドルバッグを交換するのが邪魔臭かったので、今日はNorthTAKEのキャメルバッグ用と思われるバッグに三脚を入れて担いで行く事にしました。
 
 昨日は落日の写真を撮っていて遅くなって上街道で帰ってきたので、今日は大神神社から狭井神社への山道を走ってから茅原へ下る事に、昔マウンテンバイクで良く行ったり来たりした道です。 「山の辺の道」のメインルートから離れますが、大神神社の鳥居や畝傍山、耳成山が見える良く知られたポイントです。
 
 茅原の吉野川分水沿いの梅が綺麗だったので寄り道。
 
 天理市域へ入り、ようやく目的のポイントへやってきました。 少しずつ場所を変えながら数テイクを撮っていて、気が付いたら2時を回っていました。
 
 お昼の用意もなにもせずに出てきたので、国道沿いのサークルKまで下って買出しをして再び戻ってきました。 景行天皇陵を見下ろす高台、見晴らしは良いのですが、陽射しこそ暖かいのものの、風が強くて冷たいのでじっとしていると結構冷えてきます。
 
 距離にすると幾らも走っていないのですが、これ以上は北上せず帰途に就く事に。
 
 帰りは桧原神社を回って帰ってきましたが、本日の走行距離19.2キロ、24×1の「延陽伯」では無理もできないので、山道や石畳は押していたので平均時速はなんと10.3キロ、真性ポタの一日でした。
 
 
 

道路元標蒐集サイクへ(静岡~愛知編2日目)

 国道301号線から新城市街を望む。

 

 今日は三河安城をスタートし愛知県額田郡岩津村、東加茂郡松平村、下山村、南設楽郡作手村と4基の道路元標を巡る85キロ程のルートを走る事にします。道路元標蒐集の旅では昔から東横インを良く使っているのですが、最近は特に安いとも思えないのですが、メンバーになっていると割引とか10泊で1泊無料とかの特典もありますし、昔からLANとかランドリーとかサービスが均質で整っているので重宝しています。無料の朝食サービスは早駈けの私には時間が勿体無いので、あまり利用しないのですが、三河安城は6時半からになっていて、今の時期明るくなるのは7時頃なので、珍しく頂く事にしました。ここは企業それも工場関係が多く、観光客も少ない土地なので客層に応じた計らいなのでしょうね。朝からちょっと食べ過ぎたかな。
 
 三河安城から最初の目的地の岩津村まではコースが悩ましいところだったのですが、豊橋市在住のFBの友達Sさんから自転車道がある事を教えて貰い、途中まで利用する事にしました。自転車道は明治用水に沿って走り、途中には三連水車と云うのがあり公園が整備されています。お天気は最高、三連水車が朝日に輝いています。 ところでそのSさんから途中で迎撃下さるとの事、いずれにせよ矢作川を渡るには天神橋しかなさそうですので、その辺りになるでしょうが、FBのメッセージで現在位置を知らせながら自転車道を行きます。
 
 案の定Sさんは天神橋西詰で待ってくれはりましたが、5時に豊橋を出られたそうです、有難うございます。寄寓にも今日の愛車はKHS F-20R、うちのF-20Sは最近出番がありませんが。雑談をしながら岩津村道路元標へ、右の写真はSさんから頂きました。
 
 Sさんとお別れした後、2つ目の目的地松平村へ向いますが、どうも場所が特定できません、怪訝に思って穴蔵さんと国道901号さんのサイトを確認しますが、風景がまるで変わっています、隣にあった公衆電話ボックスは勿論、建っていた酒屋さんもありません。近くにおられたご近所と思しき方に尋ねてみると道路拡幅のために酒屋さんは移転されたとの由、しかし道路元標についてはご存知ではなかった様です、先が長いので深追いせずに次の目的地に向う事にしたのですが。
 
 岩津村から松平村と走ってきた県道39号岡崎足助線を何の疑いもなくそのまま走り足助の街中へ入ってしまいます、次の目的地は下山村道路元標なのですが、足助のど真ん中なのになぜ下山村なのかと怪訝に思いながら、GPSマップに登録されている場所にたどり着くとそこにあったのは下山村ではなく足助町道路元標だったのですが、写真を撮りながらそれでも気が付きません。
 
 後は作手村だけ、逆算すろと距離的にも時間的にも余裕があるので、足助の街並みを歩き。お参りすると一生食いっぱぐれしないと云われる「お釜稲荷」を覗いたり、適当な店があればここでお昼にしようかと考えていて、ふと先の道路元標が下山村ではない事にやっと気が就きます。松平村でGPS上の未収の赤いマーカーだけを見ていて、東の下山村に向わずに10キロ以上も北へ行った足助町に来てしまったのです。足助町も未収には違いないのですが、いつか飯田から三州街道を走り抜けてその折に立ち寄ろうと考えていて、今回は予定に入れてなかったのです。もとより「延陽伯」号で標高500mまで上がる85キロ程のコースを9時間で走らなければならないので無理はあります、そこに10数キロは遠回りをしてしまった訳です、開き直ってレトロなカフェで白玉ぜんざいを戴きながら、さて善後策は…
 
 結局はR420から県道362号大沼足助線を取り下山村へ向う事にしました、長年の感で自転車にとっては一番良いルートに思えたからです。巴川に沿って穏やかに登って行く道筋で、県道に入ってから出遭った車は数台、ツーリング車向きの鄙びた道を満喫する事ができました、松平から下山へ真っ直ぐR301を走る事を思うと交通量、斜度を考えると、時間的な事を除けば川沿いに遡上するこのルートはまんざらでもなかった様です。下山村道路元標を経て本来のルートのR301に入って最後の作手村道路元標へ着いたのが1420、18きっぷのまま桜井へ帰ろうとすると飯田線の新城駅が1707発、となると16時過ぎには新城市街へ越えなければなりません。距離は18キロですがピークの本宮山スカイラインの入り口までどれ程登らなければならないのか情報不足なのが。
 
 結局は大した登りもなくアウターのままで15時にはスカイライン入り口に着いてしまったのです。さすがに「自撮り」の余裕こそありませんが、写真を撮ったりしながら標高差400mの激坂を下って15時半には新城駅に着いてしまいました。
 

 結局は1707発までは余裕たっぷり、さすがに1542発、1612発はともかく、1本早い1639発で帰途に就く事にしました。 新城駅にはおあつらえ向きのスペースがありましたので、のんびりとしっかり輪行支度を整えます。

 新城1707発のスジでは名古屋7分、亀山2分、いずれも階段がと輪行袋を担いでではかなりタイトな乗換えだったのですが、亀山で追い付かれるので桜井への到着は同じになりますが、全線ゆっくり座って帰ってくる事ができました。写真は亀山駅構内と関西本線キハ120車内。昨日今日とアクシデント続きの1泊2日、行方知れずの松平村道路元標は残念ですが、足助町道路元標と飯田街道の街並みも巡る事ができて満足の一日でした。 本日の走行96.6キロ、今月も無事11ヶ月連続となる1,000キロを超えました。18きっぷで4,430円分乗車。
 

【1038】 2015/12/29 愛知県 額田郡 岩津村(現 豊田市)
【1039】 2015/12/29 愛知県 東加茂郡 足助町(現 豊田市)
【1040】 2015/12/29 愛知県 東加茂郡 下山村(現 豊田市)
【1041】 2015/12/29 愛知県 南設楽郡 作手村(現 新城市)

道路元標蒐集サイクへ(静岡~愛知編1日目)

大井川鉄道にて元南海21000系 

 

 金曜に続いての道路元標蒐集の旅です。 今シーズンは18きっぷを買ってしまったので、1月10日まで使い切ってしまわないといけないので、どうしてもこの期間に集中してしまうのです。 新春に終わりの2回分使う予定をしているので、今回は1泊2日で静岡~愛知方面に向う事にしました。 静岡県は道路元標の現存が殆ど確認されていない都道府県なのですが、大正14年の県の告示があったのかなかったのか、県報への記載が見つかっていない以上は偶然の発見に頼らざる得ないのです。 榛原郡の下川根村道路元標は大井川鉄道の家山駅から徒歩圏内に残っているので、わざわざ自転車を持って行くまでもないのですが、大井川鉄道で往復するにしても、18きっぷで奈良桜井から日帰りは不可能、さすがに1基だけに1泊するのは勿体無いので、JR金谷駅から往復走って、翌日は愛知県東部に取り残している幾つかの道路元標を回ってみようとプランを練ってみました。
 桜井駅出発でも12時過ぎには金屋駅に到着するのですが、陽の短い時期ですしあわ良くば大井川鉄道の写真も撮ってみたいなと思い、未明に奈良駅まで20キロ余りを自走し奈良0503発の関西本線始発に乗車し亀山経由で向う事にしました。 これなら1049に金屋に着く事ができます。
 
 ヘッド抜き輪行と分割式マッドガードの「延陽伯」号、かなりコンパクトにはなるのですが、KHSと違ってそれなりに時間が掛かりますので、余裕を見て3時過ぎに飛び出します、しかし強烈に寒いです。
 ところが2キロ程走った三輪を過ぎた処でヘッドスパナとペダルレンチがセットになったレンチを忘れた事に気が付きます。 ペダルはアーレンキーで代用できますが、「延陽伯」号のヘッドはスパナでないと回りません、これは仕方なく取りに戻るしかありません。 さて15分余り遅れて再スタート、ところが天理辺りまで来て後輪の挙動がおかしいのです、実は10月の「しまなみ~とびしま」の折にもあったのですが、後輪のスポークが緩んできているのです、以来500キロ近く走っていて心配はしていなかったのですが、やはり金曜の四国の様にそれなりの距離を結構なペースで走ると駄目な様です。 ニップル回しは携行してますが、真っ暗な夜道でそうは上手く振れ取りもできないので適当に締めて後ろのカンチを開放にして奈良駅まで残り10キロ程走ります。 そうなると0503発には厳しい時間になってしまいますが、まぁ1本遅れた処でと落ち着いて作業すると間に合うものです、無事に加茂行きに乗り込む事ができました。
 

 加茂で亀山行に乗り継ぎますが、関西線の車中の寒かった事。 名古屋では浜松行きに乗り換えますが、先行の列車が小動物との接触事故があったとかで遅れ始め蒲郡辺りでは25分遅れ、浜松では乗り継ぐ予定の興津行きはなく金谷の2つ手前の掛川行きが、2つ手前と云ってもこの間は牧の原の峠越えなんですよね、間違っても手前から走って行こうなんて。 次の興津行きを待って金谷到着は50分遅れ、それから輪行支度を解いて振れ取りをやりなおしますから、結局スタートできたのは12時を回ってしまいました。
 
 時間は押してますが折角ですから大井川鉄道の新金谷駅に立ち寄ってみます。 1983年頃と思われる「延陽伯」号と旧客がマッチしますね。 レトロな駅舎の前では、なにやら職員の方がバイクラックが組み立てていました、自転車で来られる方も多いのでしょうね。
 
 静岡在住のFBのお友達のAさんから往路は左岸路、復路は右岸路が楽そうとのアドバイスを受けていたのですが、あわよくば大井川鉄道の列車を撮れればと思い線路に沿って右岸を走る事にしました。 その時に撮った写真が最初の踏切での「自撮り」、やってきたのは10~20代を堺で暮らした私には馴染みの深かった元南海高野線の21000系でした。
 
 川沿いとは云うもののそこそこ登り下りのある国道を走って下川根道路元標の保存されている島田市役所支所前へ、目の前はもう家山駅構内です。 頭部が削られたり割れたりかなり埋まっていた様子が伺えますが、静岡県では貴重な道路元標です。
 さて本日の予定はこれで終了と云う事なのですが既に15時、今夜は三河安城駅前の東横インを予約してあるのですが、最近は賑やかになっていたのですが、三河安城駅前は以前には回りに何も無くれ不便なので、FBのお友達で安城市で洋食「国亭」をなさっているUさんのお店へ夕食に伺おうと画策していたのですが。 家山駅発は通常ダイヤでは1515と1731、1515には輪行支度が間に合いませんし、さすがに1731ではお店の営業時間内に間に合いません。 ところが今日はSL列車が運転されていて、その時刻が1542と輪行支度にもぴったりの時間です。 出札口で尋ねてみると輪行袋を担いでいても乗車可能との事、冬休みとは云え歳も押し詰まった平日ですので空いている様です。 但し自転車は有料、SL急行券と併せて1,880円はお安くないです。
 
 火の入っているSLそのものは最近では磐越西線や高崎線で見ていますが、SL列車で輪行なんで何十年ぶりでしょうね、幅が狭くてステップのある旧型客車のデッキは大変です、最後は紀勢本線でしたね牽いているのはDF50でしたが。 260円払った手回り品切符も懐かしいですし、旧客の窓越しに見える近鉄特急は往年の吉野口駅を彷彿とさせます。 乗務員のなっぱ服もSLらしくて。
 
 ところで「国亭」最寄の西岡崎まで3時間弱の輪行をするのですが、今回は後輪を外さない変則的な形に初めてトライしてみました、ヘッド抜きはしていますし24吋ですのでコンパクトで普通のロード用輪行袋に楽々収まってしまいますが、縦に自立はできませんので座れない事が前提になりますね、そのかわり作業はスピーディです。
 
 東海道本線からは安城がやや近いそうですが、夜でも道が判り易そうな西岡崎が向う事にしました、予定の19時半ぴったりに到着。 「国亭」の売りはこのオムライス、上にオムレツが載った状態で出てきます、それをナイフで表面だけ切り裂くと拡がってかぶさり、そこにデミグラスソースがかけます。 なお写真は大盛りです、私の夕食にはオムライスだけでは足らなさそうですので、野菜たっぷりスープを併せてお願いしました。
 
本日の走行奈良までの25.4キロ+34.4キロの都合58.8キロ、18きっぷで5,080円分乗車。
 

【1037】 2015/12/28 静岡県 榛原郡 下川根村(現 島田市)