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梅雨の中休み 信楽へ(前半)

府県道5号木津信楽線 京都滋賀県境にて

 西日本は異例の早い梅雨入りを宣言したものの、その後長い梅雨の中休みに、それはそれで良いのですが連日の猛暑が続いています。それも明日位までとの予報ですので、今日走っておかないと云う訳で、信楽方面を目指す事に。
 5時半過ぎに桜井を出発、上街道(上ッ道)を北上しますが、なんと櫟本で完全に通行止、いわゆる「北の横大路」と呼ばれる県道192号福住横田線と交差する処に架かっている「土橋」の架け替え工事の真っ最中。

 迂回路を探し橋の北側に出ますが、ここは櫟本町道路元標が建っていたとされる場所で「土橋」の親柱の傍に基部と思われるものが埋まっています。上田倖弘著「道路元標」に拠ると櫟本町道路元標は「改訂天理市史」(昭和51年刊)で「土橋北詰に現在倒れている」と記載されがなら保存などの処置がされずに逸失してしまったと嘆いておられます。過去に川ざらいをしたら道路元標がでてきたなんて話も複数あるので、周辺を見渡してはみたのですが…
 奈良市街に入り、いつもなら興福寺辺りから県庁前に出るのですが、漢国(かんこう)神社が「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」のチェックポイントになっていますので「やすらぎの道」まで下る事に。ところで漢国神社の中には林神社なる社があって「饅頭の祖神」なんだそうです。
 奈良少年刑務所(旧奈良監獄)跡から奈良阪を越えて京都府へ、大仏線跡に沿って加茂、恭仁大橋で木津川を渡り井平尾から府道5号に入ります、既に道路脇の温度計が既に25℃を示しています。
 0837 には和束南のローソンへ、いつもなら何人ものローディがウロウロしているのですが、今日は珍しく今日は1人だけです。サンドイッチと飲み物を買って小休止、なんでもM氏が近くを走っていたのだとか。

 このルート4月にも「齋藤電鉄氏迎撃琵琶湖キャンプ」で走っていますが、その折は湯船から朝宮へ越えています。少し向かい気味ですが、涼やかな風が心地良いです。

 奈良交通のバスの終点小杉を過ぎると谷が開けてきます。信楽へ向かう多くの車は朝宮の方へ回りますので、車が少なく快適な道です、一昨年5月30日にF1氏と一緒に走って以来。1012 には滋賀県との県境になる無名の峠(357m)に到着、信楽から先のルートはまだ考えていないのですが、自走で帰るとなるとやはり伊賀上野(現在は伊賀市)経由しかないですよね、とにかく信楽駅を目指します。

 杉山口でR307を跨いで旧道へ、少し現道を走らないとならない部分もありますが、窯元の並ぶ道と旧い街並みを抜けて信楽駅まで行く事ができます。1039 駅前でお馴染みデカい狸が出迎えてくれます、2年ぶりですが昨年から白いマスクをしているのが、このマスクいつ外せる世の中になるのでしょうかね、狸も困り顔。
 暫し休憩しながらこの後のコースを考えます。一般的なのは素直にR138を辿って御斎(おとぎ)峠。勅旨から林道牧杉谷線を越えて岩尾池を回るコースも考えてみましたが、さすがに遅くなってしまいそう、車の多いR422の桜峠はないとしても御葉木峠(槙山新田越)で阿山経由はありかなぁ… やはり一昨年同様に神山経由で御斉峠かな、32Cを履いたasuka号ですし「鶏鳴の滝」にでも寄ってみるのも。(後半へ続く)

 

 

布目ダムから笠置へ

布目湖々畔にて(山添村北野)

 梅雨の中休みが続きますね、先週の大和高原行きは出発が遅すぎて中途半端だったのでリベンジに。例によって長谷寺門前から初瀬ダムに取り付きます。

 桜井市小夫にて、すっかり田植えも終わった様で。一応ゴリラポッド位は持ってきているのですが、今回唯一のセルフ?です。

 大和川源流近く、天神社笛吹奥宮の湧き水の処まできましたが水が出てません、まさか「コロナ」対策と思ったのですが、暫くするとチョロチョロと、あれっセンサーでも付けたのかな、新発見。
 0923 には広域農道との信号を渡り並松池の手前で左折し山辺高校の裏側を越えると、布目川の支流小野味川源流部に出ます、ここから川沿いに殆ど下りのルート。なお布目川そのもの源流は先週通った桜峠の手前あたりなんですが、何れにせよ天理市福住町です。

 名阪国道をくぐり旧R25を跨いで天理市山田地区から布目川本流沿いへ、と云ってもまだまだ用水路程度の流れですが。
 再び奈良市域(旧都祁村)に入りR369と交差し少し下ると県道25号月瀬針線へ、これからの季節はあちこちで紫陽花を見る事のできるルートなんです。

 山添村に入り峰寺で県道80号奈良名張線と交差します、添上郡東山村道路元標の生存確認を。このまま直進しても良いのですが、お昼の用意をして来なかったので右折して大矢商店でパン2個を調達、この付近で食品が買えるのはここ位ですからね。

 右岸を走って布目ダムへ、一応ここも「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」のチェックポイントなんで。暫し休憩の後 1115 には出発。
 県道4号笠置山添線と合流し、沈下橋でお馴染みの興ヶ原を行きます。

 このまま県道を走って柳生から打滝川沿いに笠置へ下るのが常でしょうが、今日は久しぶりに布目川沿いの黒線(地形図で幅員1.5~3mの道路)道へ。柳生への登りの途中を右へ下ります(写真左の黄色矢印)、なお手前を入っても下流側は行き止まりです。

 斜度はそれほどでもないのですが、路面は悪く傷んだ舗装がダートの様になっていたりぬかるんでいる箇所もあるので、ロードバイクでは推しても難渋する事に。ただ木津川が増水して木津川潜没橋が通行できなくなると、布目川発電所や笠置町飛鳥路地区への唯一の車道となるので余程の事でもない限り通行は確保されています。
 橋の架かった三叉路まで下ってきます。真っ直ぐ行くと飛鳥路を経て木津川潜没橋へ、橋を渡り渓流沿いに行くと布目川発電所、車道はその先の関西線の踏切までで、後は東海自然歩道が線路沿いに笠置まで続いています。

 せっかくですので発電所まで往復する事に、鉄橋の向こう側で布目川が木津川に合流しています。少し待てば加茂行きの下りが来るので狙ってみる事に。かつては急行も走っていた関西線ですが、今では亀山~加茂間は通勤通学の時間帯を除けばキハ120の1両編成と寂しい限りです。余談ですが1965年3月から1967年9月と短い間ですが、特急「あすか」が名古屋~東和歌山間(当時)を関西線~阪和貨物線~阪和線経由で走っていました、当時は堺市に住んでいたのですが、特急停車駅となる機会に金岡駅が堺市駅と改名したのです。実の処は特急「くろしお」の間合い運用だったのですが、奈良県下を国鉄~JRの特急列車が走ったのは後にも先にもこの2年半だけです。

 分岐まで戻り飛鳥路集落を抜けて関西線の踏切木津川潜没橋を渡りR163に出ます。一つ上流の大河原の沈下橋は「恋路橋」と云う由緒ある名前が付いていますが、ここのはそのものすばり木津川潜没橋です。
 R163に出た処で折り返しの上り列車を待ちます。R163は大型車が多くてサイクリストには評判の悪いルート、深い谷あいだけにこれを走るしかないのですよね。笠置トンネルを避けて関西屈指の心霊スポット「笠置観光ホテル」跡の下を通る川べりの旧道を行きます。色々云われてますが、トンネルより安全です、落ち葉に隠れた石を踏んで転けかけましたけど。ご興味のある方はググってみて下さい。なお北側に旧街道の笠置峠(車道)もあります。

 笠置橋からキャンプ場を望むとご覧の通り、「コロナ禍」で6月21日までの予定で閉鎖中です、こんなにすっきりきれいな「笠置キャンプ場」を初めてみました、いつもはこんなんですからね。
 再びR163に戻り泉大橋まで突っ走ります。桜井へは奈良阪を越えて奈良市街から上ッ道(上街道)を南下するのが最短なのですが、まだ時間もありますし京都八幡木津自転車道へ入り1キロ程で京奈和自転車道が分岐する公園へ、なお写真は京都側から見たものです。京奈和自転車自転車道を三郷橋まで走り、大和川左岸に帰途に就く事にしました。京奈和自転車道に関しては例によって色々と云いたい処もありますが、それはまた別に機会にがっつりと。今日は奈良市で31℃の最高気温だったとか、ただ湿度がなかったせい快適に走る事ができました。16時丁度には無事に桜井に帰投。計算通りと云いますか、本日の走行102.5キロ、まぁ昨日のロースとんかつ定食の分は走りましたよ。



齋藤電鉄氏迎撃琵琶湖キャンプ(2日目後半)

近江富士を見ながら野洲川左岸を行く

 14時過ぎに琵琶湖大橋を渡った処で齋藤電鉄氏と別れ湖岸道路を野洲川河口まで北上します、湖岸側を走っているので山側に横断できる場所がないのが気になっていたのですが、野洲川を渡る直前にスロープがあって湖岸道路をアンダーパスできる様になっています。それは良いのですが屈強な車止めが、例のサイドバッグ殺しです、前後それぞれ持ち上げて突破するしかありません。
 野洲川沿いのサイクリングロードがR8の野洲川大橋まで整備されているとの広報があったのですが、ブルーラインや標識と云った案内の類いは全くと云って良い程ありません、見当を付けながら堤防上を走ったり河川敷を走ったり。
 16時前には石部大橋の手前で旧東海道に入り、2007年以来の甲賀郡の石部町道路元標の生存確認。

 石部宿から三雲まで旧東海道を辿ります、のんびりと旧街道を辿るのは良いものです。旧東海道は三雲で野洲川を渡り水口宿に向かいますので、以降はJR草津線に沿って行きます。18時甲賀駅に到着、ここまで約80キロ、柘植、伊賀上野、名張、榛原経由として後80キロの道のり、日付の変わらない内に帰宅もできなくはないし、適当な処でゲリキャンを決め込むか時間的に悩ましい処。走るとなると伊賀上野を過ぎる頃には月夜のナイトラン、4サイド初のセンチュリーランなんて考えもよぎりますが…
 1836 滋賀三重県境を越えます、よくよく考えるとここには余野公園があるんだった、それなら甲賀で食料とか調達しておけば良かったな。後は伊賀上野を過ぎて木津川べり位しか思い浮かばない、柘植からいつもの大和街道を走らずにR25を走っていたら服部川を渡る手前で道を間違えてしまい暗い中を迷走する事に、昼間走り慣れている道でも暗いと距離感も変わるし、見えるものが見えなかったりと、とにっく無事に上野(伊賀)市街に入りましたがすっかり意気消沈してしまいました。ライトの電池も桜井までは持ちそうにないしコンビニで割高な電池を買うのもね、R165も赤目から三本松までは安全とは云えないし、そこで思いついたの近鉄大阪線の伊賀神戸駅まで走り、駐輪場に置いて大事なものが入っているフロントバッグとリアサイドだけ提げて桜井まで一旦帰宅する案。
 そう考えがまとまると後はR422をひた走るだけ、21時前には伊賀神戸駅に到着、2107 発の大阪上本町行きに飛び乗る事が。おかげで10時には一旦は桜井まで帰ってくる事ができました。本日の走行120.3キロ、所要時間7時26分、平均速度16.1km/h也。(つづく)

前日 1日目 2日目前半 2日目後半 おまけ



富山湾岸サイクリング(2日目)


富山県射水市海王丸パークにて、後ろは新湊大橋

 明るくなってきた頃からホテルの前で輪行支度を解き、7時半にはスタートしますが、天気予報は「晴れ」なのに鬱陶しい空です。写真は七尾駅前にて。
 R160から県道246号庵鵜浦大田新線と遠回りですが海よりのルートをとります、鵜浦で右折する県道と別れ更に直進、LPG備蓄基地のゲートに突き当たりますと、物々しく警備員が2人立哨しています、海岸沿い左折すれば道が繋がっている事は判っているのですが、不審がられてもなんですので「左行ったら観音崎に抜けられますよね」と声を掛けたら親切に「自転車なら通れるよ」と教えてくれます。小口瀬戸を挟んだ600m程の対岸には昨夏も走った能登島が… 2020年9月能登島から見たこちら側、備蓄基地のタンクが見えています、

 備蓄基地の反対側に出ると車両が通れない旨の標識が、軽トラなら通れなくもないのですが、全く離合はできません、

 ここまで遠回りしてきたのは、最近になって崎山村道路元標の現存が確認されたのです、例によって石川様式の道路元標です。

 観音崎は半島の中の半島が売りだそうなんですが、観音島と云う小さな陸けい島があって観音堂が建っています、能登には日本海側の漁港のひなびた風景が残っています、静かで良い処です。

 県道に戻り小さな峠を越えると富山湾側に出ますが、黄砂のせいで海側は真っ白です。2008年5月に走っています、その時も立山連峰こそ見えませんでしたが、気持ちの良いお天気でした。
 道の駅「いおり」に、この辺りから平日にもかかわらずローディの姿が、富山市方面からでしょうか、ただ一向に挨拶を返さないので、こちらも止める事にしました。やはり北陸は関東圏なのかな。自販機の前のベンチで小休止、相変わらず鬱陶しい視界です、陽射しも遮られるかして気温も上がってきません。

 観音崎周りですが、七尾から35キロ程で富山との県境に、R160経由ですと約20キロ。県境の標柱2008年5月以来ですから13年ぶり、黄色時代のasuka号、石川県と富山県の陰刻の書体が違うのが。
 県境を越えると早速路肩よりにブルーラインが、新潟県境まで100キロ余りの「富山湾岸サイクリングコース」が設定されています。港や河口で迂回する区間が幾つかありますが、1/3位は海を見ながら走れますかね、北陸本線で富山県を横断しても海は新潟県境直前まで全く見えませんよね。
 少々買い物があって氷見市街に入って時間を食ってしまったのですが、12時半過ぎには雨晴海岸へ。雨晴海岸にはキャンプ場が幾つかありますが、営業期間外のはずの雨晴キャンプ場に設営しているテントを見かけました。

  



 氷見線雨晴駅にはお天気の良い時の雨晴海岸の写真の大きな看板が、まぁここまでの展望は地元の人でもそうは見られないかと思いますけどね。
 道の駅「雨晴」の前で休んでいると氷見線の下りが来たので… 前回は氷見駅から輪行したのですが、キハ40系の塗色が首都圏色(いわゆるタラコ色)に変わってしまった様ですね。
 射水市に入り新庄川大橋で庄川を渡ります「富山湾岸サイクリングコース」のブルーラインが見えますが、石川県境から途切れる事なく続いていて右左折の案内も的確、ズタズタの奈良県の自転車道は見習って貰いたいものです。左に見える鉄橋は万葉線(前身は富山地鉄)。この辺りの経緯はややこしいのでWikiでも見てください。
 せっかくですので海王丸パークへ立ち寄ります。後ろに見える新湊大橋は富山新港開削で分断された東西を結んでいて「富山湾岸サイクリングコース」も階下の歩行者自転車通行路へ誘導され50m近い高さまではエレベーターが登る事ができます。

 富山新港で先の万葉線の前身富山地方鉄道射水線が分断された後、県営渡船が越の潟と堀岡発着場を結んでいますのでそちらを利用します。分断された射水線は西側が万葉線として残りましたが、東側は1980年に廃止されています。歩行者や自転車にとって不自由な巨大橋が完成すると渡船が廃止される事も多いのですが、2012年に新湊大橋が供用された後も県営渡船は減便こそしたものの残っています。
 堀岡発着場(写真左)に着いた後、サイクリングルートに戻るために新湊大橋へ戻りますが、せっかくですので、エレベータで橋上へ。車道との2階建て構造と云っても道路橋に歩道部分がぶらさがっている感じですね、自転車は480mを押して渡る事になっていて、従って車道部分は原付通行可です。自転車が走れない大鳴門大橋の階下部分に歩行者自転車道を作る話もあるそうなのですが、もしできるとこんな感じになるのかなぁ。なおこの歩道部分も渡船も深夜は利用できません。

 廃線となった富山地鉄射水線の東側は2012年までバス専用道になっていた様ですが、現在は歩行者自転車道となっています。桜並木が見事ですが、この車止めには参ります、間隔はあるので4サイドでも推さずに通れそうですが。
 16時過ぎに神通川を渡りますが、ここまで自転車道をたどっていたつもりがいつの間にかブルーラインが無くなっていて、富山駅方面へ向かう廃線跡と「富山湾岸サイクリングコース」は途中で別れるのを見落としていた様です。気がついて鯰鉱泉付近でブルーラインに復帰します。

 北前船の寄港地だった富山の旧い港町岩瀬へ、JR富山港線の廃止後、富山ライトレールとなり、現在はは富山地鉄富山港線、連接車が走っています、広島のに比べると可愛いです。

 黄砂の空に沈んで行く夕陽をみながら富山駅近くの宿へ、路面電車の走る街って良いですよね。さて明日は少しはマシな空になってくれれば良いのですが、本日の走行98.1キロ。

【1111】 石川県鹿島郡崎山村(現 七尾市)

1日目 2日目 3日目

 

吉備路サイクリング(1日目)

 吉備路自転車道 備中国分寺跡を行く

 勤務明け帰宅後、準備してあった輪行袋を担いで桜井駅へ、JRだと到着があまりに遅くなってしまうので0947発の近鉄で鶴橋まで、JRへの乗り換え口で「18きっぷ」にハンコを押して貰うのにウロウロ、ともあれ予定のスジで大阪から姫路へと。ただ東岡山駅から走り出すか、赤穂線の西大寺駅から走り出すか、つまり6キロ手前から約30分遅れでスタートするかを、悩んだ挙げ句に余裕を見て東岡山へ向かう事に。相生から先岡山までの山陽本線は3両または4両編成となり「18きっぷ」のシーズンには結構混むのですが、やはり「コロナ控え」なのかなぁ、輪行袋を担いでいると多少の後ろめたさも。まぁQOLも大切だしね。

 1327 東岡山着。リアガードのステーがぐずって出遅れ、14時過ぎにスタート。あえて手前の東岡山からスタートしたのは大きな駅でウロウロしたくなかった事にと、古来の山陽道に近いので真西にとれば割りと自然に吉備路へ入る事ができる。ただ真夏なら日陰のない東岡山駅より次の高島駅の方が良いかも。

 1508 吉備路自転車道の入り口に、ここからJR吉備線と同様に総社市へ向かいます。ただ岡山駅からここまでの案内は皆無の様で結構判り難いかと、起点は岡山県総合グラウンドとなっていますが、岡山中央病院の前からと考えるのが判り易い。ここから概ね自転車歩行者専用道として川や用水路べりを繋いで行き「日本の道100選」にも選ばれていますが、はっきり云って岡山市寄りは今一つ、要所要所に標識がありますが、結局総社までには数回道を間違えてしまった。
 こんな跨道橋があったり、これが結構滑って危ない、良い子は降りて押しましょうね。ただ奈良県と違い一般道路との交差には必ずと云って良いほどに横断歩道があり、なにより車がちゃんと停まってくれるのが凄い。
 1536 備前国一宮である吉備津彦神社に。古代の吉備国が後に分割され備前、備中、備後の国になるのですが、備前と備中の境界が判りにくくて、自転車道の次のポイントである吉備津神社は備中国になります。
 せっかくですので御津郡の一宮村道路元標の生存確認に、吉備津彦神社からはJR吉備線を挟んだ反対側の県道沿いにあります、2007年以来ですから14年ぶりになります。岡山県の道路元標は現在までに18基が確認されていますが、英田郡、後月郡、真庭郡を除いた岡山市周辺(旧備前国)のものは独特の書体で正面に「道路元標」とのみ陰刻され、郡名と市町村名が側面に記されています。
 桃太郎やきびだんごで知られる吉備津神社(写真右)から造山古墳(写真右)と史跡巡り。造山古墳は前方後円墳としては4番目の規模で、畿外では最大、入って登れる古墳としても最大らしい。

 吉備路自転車道沿いで一番の見処はやはり備中国分寺でしょうね。吉備津彦神社でのんびりし過ぎてしまい、17時過ぎとすっかり遅くなってしまいました。せっかくですので「自撮り」をしてみましたが記念写真以上のものでもありません。自転車道沿いより南側(写真左)とか西側(写真右)からが良さそうです、花の季節を考えて再訪してみたい処ですが、ただ岡山市街から自転車道を走り抜けるより、総社側から吉備津彦神社辺りまで往復するのが良いかも。
 さて総社の街中に入る頃には陽が落ち、途端に寒くなってきました、朝夕の寒暖差の大きいこの季節ウェアには気をつけておかないと。総社駅へは向かわず清音駅へ走り、今日の行程を終えました。まぁ今日は明日への足慣らしと云う事で、本日の走行35.3キロ。

1日目 2日目前半 2日目後半



大阪府の道路元標

 さて危険を顧みず大阪のど真ん中まで来たのですから、梅新交差点の北西角に建つ「大阪市道路元標」に立ち寄ってきました、ご覧の様に(大正)道路元標の様式とは全く異なる石標と云うよりモニュメント、測量で使われた下げ振り錘を模しているのですね。明らかに(大正)道路法の下で建てられたものではないので和歌山市道路元標とともに私はコレクションにはカウントしていないのです。
 元の道路元標は中之島の現在の大阪市役所前に建っていた様で、明治の里程標は高麗橋に跡碑が残っています、まぁ大阪の道路の起終点が移動してきたと云う事ですね。このモニュメントは昭和57年に地元ライオンズクラブによって再建されました、銘板は先代のものが流用されているとの事です。
 実は先日から道路元標のデータを整理していて、従来から道路元標が建っただろう12,000余りの市町村とネット上に公開されている情報と自身の履修情報をExcelで都道府県別に、現存が確認されている、或いはされていた座標をカシミールにプロットしています。
 道路元標は「道路法施行令」が施行された大正9年(1920年)4月1日に存在した市町村に設置を義務づけられたのですが、えいゃとばかりにその4月1日に一斉に12,000本もの石標が日本の津々浦々に建てられた訳でもなく、昭和にかけてぼちぼちと建てられいた様です。
 設置場所に関しては、設置(された或いはする)場所を県報(都道府県版官報みたいなもの)で告知された様で、これが道路元標探索の大きな拠りどころになっている訳です(左は山口県報第813号 大正9年4月1日 告示第141号)。戦災で逸失したものもあるでしょうが、幾つかの都道府県のものが図書館などで閲覧複写が可能です、ただ日本の公文書管理のエエ加減を知る事になりますけど。
 ただ設置場所が判っても実際に建てられた或いは残っている訳ではないのです。あと話がややこしいのは実際に建てられるまでの間に市町村合併などの変化もあり、大正9年4月1日の時点で存在しなかった市町村や既に無くなってしまった市町村の道路元標も存在している訳です、即ち時系列での重複を考慮に入れる必要もあるのです。
 例えば山口県山口市に現存する吉敷郡の「秋穂町道路元標」ですが、大正9年当時は秋穂村、町制をひいて秋穂町となったのは20年も経った昭和15年、それまでの間に「秋穂村道路元標」と印した元標が存在していたのか、今となっては判りませんが。また京都府舞鶴市には「舞鶴市道路元標」「東舞鶴市道路元標」がともに現存していますが、東舞鶴市は昭和13年から昭和18年にかけて旧舞鶴市と合併するまで存在しただけで、あと昭和17年に東舞鶴市に編入された「東大浦村道路元標」も現存しています。まぁ所属する市町村を失った道路元標をどうするかの条文はない様ですし。
 さて現時点で全国で2,000弱の現存が確認されている(された)道路元標のうち1,110基の道路元標が履修済みなのですが、集計して行くと1つ数が合いません、それが大阪府。先の大阪市を除けば府下には「岸和田市道路元標」「熊取村道路元標」「粉浜村道路元標」の三つしか確認されていません。その大阪府には大正9年当時の設置場所を示す県報などは見つかっておらず、昭和4年から道路元標の設置義務がなくなる昭和27年の(新)道路法施行前の昭和24年にかけての大阪府告示に設置場所が記されています。ほぼ訂正や廃止を含め大方がネット上に転載公開されていますが、大正9年から昭和24年までの開きがありその間の府下での市町村の変遷はかなりの数になります、なにしろ大正14年までに当時の西成郡20町村と東成郡24町村が大阪市に編入されたのが大きいかと。
 さて数が合わなかったの粉浜村がその西成郡に属していた為ですが、自治体がそのまま残る岸和田市や、町制こそひかれたものの合併する事なく残る「熊取村」2006年に何の手ががりもなしにたまたま発見できたのはともかく、大正14年(1925年)に大阪市に編入された「粉浜村」が100年近くも現存しているのは奇跡的かと。
 お陰で非常にややこしい大阪府の市町村、大正9年に301あった府下の市町村、昭和24年には164までに統廃合されたのを、私になりにまとめる事に。四条畷駅はなぜ四条畷市でなく大東市にあるのか、1日しか存在しなかった美陵(みささぎ)市、南大阪市、狭山市とかトリビアもあるのですが、道路元標は今も時折発見される京都府に対して寂しい限り、まだどこかに埋もれていないのでしょうかね。発見を願って整理した一覧を掲げておきます。
続きを読む 大阪府の道路元標

S氏と丹波サイクリング

国道429号榎峠にて (Photo : skuram氏)

 久しぶりにskuram氏と丹波篠山方面へサイクリングに。実は9月29日に福知山線石生(いそう)駅から2つの道路元標を巡って舞鶴方面へ走るプランが雨で流れ、その後2つのうち岡田上村は10月18日に丹後半島へ向かった折に履修、残った兵庫県氷上郡の神楽(しぐら)村に今回「関西近郊休日ぶらり旅きっぷ」を使って行こうと云う案、加えて丹波篠山市今田に寄りたいお店があり、そこで篠山方面にめっぽう詳しいskuram氏に声を掛けた次第。
 始めは石生駅から篠山を経て三田まで南下するつもりだったのですが、Ride with GPSで線を引いてみるとそこそこ距離もある上にコースを厳しい、そこで相野駅をスタートしもう一つの目的地「Touya cafe」に先にお邪魔してから神楽村まで北上し、足が残っていたらR429の榎峠を越えて福知山から帰途に就く作戦に変更。
 奈良桜井から福知山線へは大阪駅経由が早いのですが、時間に余裕もありますので奈良経由で木津から学研都市(片町)線~東西線~福知山線直通の快速で向かう事に、輪行袋を担いで混雑するターミナル駅での乗換はないものの遠回りで時間も掛かりますし、丹波路快速と違いトイレのない321系が使用されています。とにかく桜井0552発に乗車、相野駅着が0926着ですから、所要3時間34分。ちなみ近鉄で鶴橋経由すれば1時間54分で行っちゃいます。
 定刻に相野駅着、用を済ませて駅を出ると、S氏も尼崎から同じスジに乗っていた様で既に輪行支度を解いています、こちらはヘッド抜き輪行のasuka号ですから、暫しお待ちを。しかし2人で走るのは何年ぶりでしょうね、龍神村?百間山?(写真左 : skuram氏)

 結局今日のコースはS氏にお任せ、相野駅からなら最短コースで10キロにも満たない「Touya cafe」、開店時間は11時ですので、時間調整を兼ねて近所の里山の中の道を走ります。
 三本峠、盟友「峠おやじ」によると手前のピークが峠らしい、昨年5月1日に篠山市が丹波篠山市と名称を変えてから初めてです(自転車では)。
 少し早いですが10時40分には「Touya cafe」に到着、実はフロントガード周辺から異音がしますので、サイクルラックに掛けて点検しますと、キャリアに固定しているネジが脱落していた次第。

 ところで「Touya cafe」は昨年4月にオープンしたお店ですが、既にS氏はカレンダーでお馴染みの凸凹コンビを連れてきていたとか、私は月替わりのランチ、S氏は前回来た折に香りが堪らなかったと云うカレーを注文。その「Touya cafe」のオーナーとは今は無き大阪阿部野橋のJAZZ喫茶「トップシンバル」の同窓生?であったと云うご縁なんです。至って硬派だった「トップシンバル」の様に大音量でJAZZを流す訳にも行きませんが、LPレコードのリクエストを。壁に飾られたジャケット、ERIC DOLPHYの「OUT TO LUNCHI!」がただ者ではない事を主張しています。
 オーナーと昔話に花を咲かせ、名残惜しいですが12時過ぎには「Touya cafe」を後にします。
 R372「デカンショ街道」の小さな峠を越えて福知山線沿いに戻ります。多可郡の古市村道路元標は交通事故?に遭って破壊され新しく再建されています、残念ながら本来の様式とは異なります(写真左)。暫くは線路に沿って北上し篠山口へ(写真右)。
 篠山口からは福知山線と離れて鐘ヶ坂峠へ、ここには明治、昭和、平成と3世代のトンネルがあるのですが、明治と昭和のトンネルは通常閉鎖されていて抜ける事ができませんが「さくら祭」の時だけ一般公開されるのだとか。
 新鐘ヶ坂トンネルを抜けると丹波市、支流の柏原川から加古川本流へと桜並木の続く川べりの道を縫って走ります、満開の頃は見事でしょうね。
 道の駅「あおがき」での小休止を挟んで、2006年11月に履修済ですが氷上郡の佐治町道路元標芦田村道路元標の生存確認。

 神楽村道路元標、休校になっている小学校の敷地内、植え込みに隠れていて、見つけるのに少々手こずりましたが、無事に1,110基目となりました。
 日没にはまだ余裕があるので予定通り国道ならぬ酷道の429号線の榎峠を越える事に。S氏によると兵庫県側は楽勝だとか、丹波市から福知山へは殆どの車がトンネルが抜けている隣の府県道109号福知山山南線の穴裏峠の方を越えるのでこちらを越える車は僅か。とにかく1.5車線路のカーブの連続、ただ斜度が知れていますのでロードならインナー要らずで峠まで行けてしまいそう。雰囲気の良い峠道に満足して福知山へ下りますが、こちら側は結構アプローチが長くて、やはり北行きコースが正解だった様です。
 16時半には福知山駅に到着、次の大阪方面は1706発の丹波路快速、ヘッド抜き輪行には少々厳しいので、S氏には先に行って貰い一旦お別れしたのですが、すんなり輪行仕度を終えて発車までにホームへ上がる事が叶いました。このまま大阪駅まで乗車し、9番ホームから1番ホームへ6分の乗り換えをこなせば、大和路快速で21時過ぎには桜井にたどり着けるのですが、結局新三田で東西線経由木津行を待ち、朝と同じ経路で帰途に就きました。本日の走行80.1キロ、実走行時間4時間01分、私にしては平均時速19.9km/hは些か早すぎ、輪行時間は往復合わせて8時間17分也。久しぶりにご一緒したS氏には道案内と風避けをして頂き感謝。



とりあえず北へ


 信州行きは諦めたのですが、各地の予報を見ていると北近畿は日曜から月曜と比較的良さそう、そこで発売中の「関西近郊休日ぶらり旅きっぷ(1日券)」を買って18日(日)は福知山まで行く事にし、少なくとも宮津までは走る計画。1日券は2,600円ですから桜井から福知山まで乗れば片道だけでも元が取れる計算、月曜の天気も良ければ京丹後市の峰山あたりまで走り1泊しても良いかと。
 この切符、ネットと「みどりの券売機」限定、年内12月20日までの土休日に利用できますが、乗車当日には買えないのでj-westのe5489サービスで買って、桜井駅まで受け取りに行ってきました。受け取りは当日でも可能ですが、みどりの窓口またはみどりの券売機の営業時間内ですので、始発でスタートしたい場合には間に合わない場合が、ネットでの購入時にクレジット決済を済ませた場合でも、受け取り時にもカードの提示が必要等、購入には色々と注意点があります。あと「福知山光秀ミュージアム」の割引とレンタサイクル1回無料の特典、これは私には関係ないかな。

 0929 福知山に到着、ただ曇り空にテンションが上がりません。今回サドルバッグはお馴染みキャラダイスのネルソンを付けてきたのですが、一応1泊2日と三脚など「自撮り」の準備をしてきているので余裕がなく少々手こずります。まずは舞鶴市加佐地区に残る加佐郡岡田上村道路元標を目指して由良川沿いに北上する事に、

 福知山城を右に見ながら音無瀬橋を渡り由良川右岸へ、すぐに堤防上の道へ入ります。休日とあってローディの姿もちらほら。
 基本的にブルーラインも引かれている府道55号舞鶴福知山線を行くのですが、3ヶ所ばかり堤防上を走り抜ける事ができました。左岸の国道に比べると車も少なく見通しも良いので走り易いです。
 京都縦貫自動車道をくぐり由良川橋を渡り左岸へ、今回の最初の目的地になる加佐郡の岡田上村道路元標へ、これで1,109基目となります。
 少しR178を由良方面に走り、府道570号西方寺岡田由里線から府道567号地頭四所停車場線へと。今日の予報は曇りのち晴れ、少し陽射しもでてきました。

 舞鶴市西方寺と云う処で大庄屋井上家と云う史跡があったので、休憩がてら立ち寄ります、内部も見学できて資料館も併設されています、近くを通るなら一見の価値が、以前は農家レストランもあった様ですが、現在は移転して営業している様です。

 下漆原で府道75号舞鶴宮津線へ入り板戸峠(190m)へ、漆原側からだとどうってない峠です。峠おやじこと名和さんのHPによると栗田(くんだ)湾が見えるとありますが、展望は標高で100mは下った辺り(写真右)になります。
 宮津市街に下りたのは既に15時、近隣の明日のお天気は曇りのまま、ここから輪行で帰途に就くかが思案のしどころです、「関西近郊 休日ぶらり旅きっぷ」も既に3,080円分乗車で元はとっていますし、なにより三脚に交換レンズと「自撮り」機材を無駄な荷物にしてしまうのが。ただウェザーニュース社の予報だけは午後からちらりと晴れマークが、今夜の宿もGOTOトラベルで峰山で取れるので、晴れマークに望みを託す事にして峰山へ向かう事に。

 峰山へは京都丹後鉄道宮豊線沿いに走ります、途中の与謝野駅は国鉄宮津線の丹後山田駅が北近畿タンゴ鉄道となった時に野田川駅となったのですが、更に2015年に京都丹後鉄道となった際に与謝野駅と改称されています、古くは1985年に廃止となった加悦鉄道との接続駅で、2014年9月にも来ていますが、駅舎内には丹後山田駅資料室があって公開されています、昭和50年台の丹後山田駅を再現したジオラマが。加悦鉄道廃線跡は自転車道となっていて終点の加悦鉄道資料館には客車改造気動車や片ボキー車などの珍品もあって鉄なサイクリストに格好の立ち寄りポイントです。
 京丹後市へは途中に水戸谷峠があるのですが、標高は100mにも届きませんし横をトンネルなしで宮豊線が越えている位ですからどおって事はないのですが、線路の方は与謝野駅から結構高さを稼いできていますから、写真の鉄橋の高さまでは登らなくてはなりません。
 17時過ぎには峰山のビジホに到着、GOTOトラベルで3,705円(税込)也、35%引と云ってもそう安くはありません、元々この界隈はあまり安い宿はないのですが、設備などを考える元々5,000円台とは、ここがそうだとは云いませんが、GOトラベル適用と云っても操作が行われている様な気もしないでもありません、実際GOTOトラベルで潤っているのは高級な処だとか。まぁ別にクーポン1,000円を頂けるのですから、明日までの期限に有効に使えればお得には違いないのですが。
 チェックインを済ませ、食事に出掛けます。丹後半島まできて「餃子の王将」かいと云われそうですが、一人の時はそんなもんですよ、キャンプツーリングの時だって走るのが精一杯でコンビニ弁当だったりパンをかじっていたりしますから。ところで峰山とか網野とか云えばとんでもない田舎みたいですが、コンビニはもちろんそこそこ大きなスーパーなどがあって、ダイソーもセリアも、チェーン展開している外食チェーンもあって不自由しません。本日の走行73.4キロ、10時半からの走り出しなので良しとしましょう。



残り1回

 残り1回分の「青春18きっぷ」、9日から休みを取ってあったので、信州へ行って松本~諏訪~飯田と回り一昨年も走った三州街道を走って豊田辺りから名鉄近鉄と乗り継いで帰って来ようかと企んでいたのですが、天気も悪いし、飯田線の災害復旧もまだで豊橋側へ逃げられないし、10月には辰野へ行く機会があるかも知れないので、今回は諦める事に。今の予報では10日は北近畿の方は天気が良さそうなんで、日帰り往復輪行で道路元標を拾いがてら福知山あたりから丹後由良あたりまでのんびり走ろうかと思っていたのですが…
 ところが予報は次第に悪くなって、どちらへ向かっても降られる様な按配に。結局は自転車は置いておいて、身一つ乗り鉄の旅で香川県まで往復する事にし、桜井0552発に乗車します。

 兵庫県に入る頃には降りだしてきて相生で岡山行きに乗り継ぐ頃には土砂降りに。
 幸い岡山県に入る頃には青空が、瀬戸大橋を渡って2018年3月以来の四国へ。坂出駅での乗り継ぎ56分の間に坂出市立郷土資料館に保存されている綾歌郡の林田村道路元標まで往復、ここには以前から同じく王越村道路元標が保存されていますが、林田村のそれは地上部で切断されており、再建保存もままならない状態です。
 せっかくの四国香川ですから、と云ってもマニアックな有名店に行く時間はありませんので、駅下のお店で、でも香川は何処へ入っても水準以上なのが嬉しいです、釜玉大と大好きな茄子の天ぷらがあったので…
 次の目的地は観音寺市に残る三豊郡豊浜村道路元標、折り返しの列車までので43分で1キロ程先の観音寺市豊浜支所(元豊浜町役場)まで往復しなくてはなりません。
 支所の隣に「大平記念館」と云うのがありますが、ここはあの「ア~ ウ~」の大平正芳元首相の出身地なんですね。汗だくになって豊浜駅へ戻ります。

 多度津駅にて、もうキハ32やキハ54の姿は見られません、JR四国になってから作られた1000型。

 乗り鉄の旅を愉しみながら帰途へ、輪行袋ないと楽っす。
 神戸三ノ宮で途中下車、DさんとTさんを呼び出してベトナム料理へ。
 「コロナ」後にはまた一緒に走ったりキャンプができる事を願って「18きっぷ」のまま帰れる時間にはお開きにしたのですが、さすがに1時間も余分に掛かるので鶴橋から近鉄のお世話になりました。
桜井0552→0624王寺0627→0705新大阪0710→0825姫路0840→0901相生0932→1038岡山1053→1154坂出1230→1345豊浜 所要7時間54分 5,950円
豊浜1428→1433観音寺1438→1523坂出1524→1603岡山1613→1718相生1719→1738姫路1741→1820三ノ宮2054→2122大阪2130→2146鶴橋  4,740円 計10,690円分乗車

【1107】 2020/9/10 香川県 綾歌郡 林田村(現 坂出市)
【1108】 2020/9/10 香川県 三豊郡 豊浜村(現 観音寺市)

リベンジ能登半島(3日目)

 おはようございます。今日のお天気朝から快晴、珠洲市の日の出は0522、大浴場(露天は男女日替わり)も5時からあいてますが、あわよくば写真も撮りたいので1階ロビーのデッキへ。一昨年でしたか四国は東洋町ではだるまにならず残念でしたが、文句なし感動の朝日です。しかし今日は暑くなりそうです、宇出津、穴水から七尾北湾を巡る様に和倉温泉まで約85キロの行程です。
 ただ昨日はスマホアプリのRide with GPSのナビ機能を試しに使ってみた処、案の定バッテリーの消費が大きく、モバイルバッテリー(13,000mAh)の残用量がピンチ、USB電源を持ってきていないのです。今時はモバイルバッテリーもUSB電源もコンビニで売っている時代ですが、インテリジェントでないシロモノが結構高い、応急なら100均ので十分、しかし奥能登にダイソーは無いだろうと探してみるとあっても七尾、ただこの先の宇出津のスーパー内にCanDoが、慌ててコンビニへ走らずに宇出津で立ち寄る事にします。
 7時過ぎには「のとじ荘」を後にし見附島に少し立ち寄ってから飯田湾沿いの旧R249を南下、現在のR249は山よりをバイパスしていますので、こちらは交通量も少なく快適です。

 途中に宗玄酒造と云うのがあって、能登線の廃トンネルを貯蔵所にしたり、軌道自転車を走らせたりしているそうです。まだ営業時間前ですし、買っても持って帰れないので、今回は通過。

 恋路海岸から能登町へ、松波から宇出津にかけてR249は内陸側を走りますが、海よりを県道35号能都内浦線を走っていますが、この辺りはアップダウンが多くて走り難いしルートも採りづらいのが。九十九湾の奥まった処にこの春できた道の駅ならぬ「イカの駅つくモール」、新たに「いしかわ里山里海サイクリングルート」のポイントに加わった様です。
 県道35号は高倉漁港を過ぎるとアップダウンもなくなり海岸べりの穏やかな道を経て宇出津の街へ。駅があった市街の方へ行くと少々走り難いので海岸沿いに宇出津新港の方へ抜けます。
 少し早く着き過ぎた様ですが、100均の入っているスーパーが開くまでのんびり休憩。無事にUSB電源を330円でゲット。ついでここで遅めの朝になるのか早めのお昼をする事に。
 宇出津からR249に戻り海岸沿いを三波(さんなみ)村道路元標へ。以前(2007年)は中村酒店の前にあった様なのですが、その場所には見つかりません。お店の人と来ていた人に親切に教えて貰い100m程離れた公民館跡に見付ける事ができました。
 鵜川で内陸側を越えるR249と別れ石川県道34号能都穴水線へ、通う車も少なくなり2001年も2018年にも走ったお勧めのルートです。
 お正午近くなり陽射しがきつくなってきたので、時間もある事ですしバス停で休憩したりしながらのんびりと行きます。このR249に戻る手前が少々キツくなるので、前波から内陸側を越えますが、木陰を多い以外はお勧めとは。

 R249に戻り 1343 ぼら待ちやぐらのある「中居ポケットパーク」に到着、大きな四阿やトイレ、自販機があります。穴水まであと一息なんですが、ここで大休止、車の音がうるさいでしょうがゲリキャンプポイント。
 トンネルを3つ抜けて穴水の町へ、穴水は深い入り江の奥まった処にあるので、どちらから来ても小さな峠を越える必要があります。(写真左)明日渡る予定の中能登農道橋が見えてきました。七尾北湾の西側を走り西岸駅と能登鹿島駅の間で峠を越えます、交通量を考えて迂回してみましたが距離と標高を考えると素直に国道を走った方が良かったかと。(写真右)平成橋で湾をショートカット。鹿島郡の赤蔵村道路元標に立ち寄ってから、今夜の宿のある和倉温泉へ、本日の走行91キロ。

【1103】 2020/9/2 石川県鳳至郡三波村(現 能登町)
【1104】 2020/9/2 石川県鹿島郡赤蔵村(現 七尾市)

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リベンジ能登半島(2日目)


石川県輪島市 白米千枚田にて

 昨夜は七尾駅近くのホテル「ルートイン七尾駅東」泊、輪行袋を担いだままの移動なので駅からたとえ一歩でも近い処が良いのですが、朝食前に矢田郷村道路元標まで散歩がてら往復したいのと、少々割高ですが。
 ホテルから歩いて10分も掛からない県の中能登土木事務所の玄関前に道路元標は保存されています。ただこの場所は元の矢田郷村の村域ではない様です。

 さて奥能登へは今回が3度目ですが、2001年(緑線)と2018年(茶線)はほぼ海沿いに走っていますが、今回は穴水駅をスタート、時計周りに1日目に輪島市~珠洲市、2日目は穴水へ戻り和倉温泉まで南下し、3日目は能登島を半時計周りする約200キロ(赤線)のコースの予定です。

 0630からの朝食バイキングを頂いてから輪行袋を担いで七尾駅へ、0712発の穴水行き始発に乗車します。
 1988年に三セクとして再スタートした「のと鉄道」ですが、2001年に穴水~輪島間が廃止、2005年に穴水~蛸島間が廃止され、現在は七尾~穴水間の33.1キロとなっています。
 輪行支度を解いて、穴水駅を0830にスタート、穴水町道路元標に立ち寄ります。街並みが小奇麗なのは2007年の能登半島地震の復興によるものでしょうか。
 穴水から輪島へは県道1号七尾輪島線がメインルートなのですが、峠を越えるまでは七尾線(のと鉄道輪島線)の廃線跡を縫うように行きます、意外に道路へ転用されている部分は少なく、廃線後20年になろうとする今では橋台や駅跡に面影を残す位です。
 穴水町と輪島市の境界、峠と云っても標高200mに満たない無名の峠なのです。

 輪島駅跡は道の駅とバスターミナルに、2001年に来た折に泊まった輪島ステーションホテルは今もステーションホテルとして健在。
 昨年一昨年と賞品を頂いた「いしかわ里山里海サイクリングルート」ですが、今年も賑やかし程度にポイントをゲットしておきます。
 (写真左) 輪島町道路元標、(写真右) 有名な「輪島の朝市」もコロナ禍の影響か些か寂しいです。
 輪島からは曽々木海岸の手前まで日本海沿いのR249を行きます、朝から曇り空だったのですが、時折陽射しが入る天気に。輪島市街を出ると珠洲市中心部の飯田までコンビニの類はありませんので、食料を調達しておきます。
 なかなか良さげなロケーションですが、今回は「自撮り」の準備をしてきませんでしたので、ロケハンで我慢。
 日本の棚田百選の代表格とも云える「白米千枚田」、三回目ですが、今までで一番空いてます。時間の余裕もあったし「自撮り」の準備はして来るんだったと後悔。
  暫くR249を行きますが、今回は未収の道路元標巡りがメインですので、海岸沿いに禄剛崎方面へは向かわず、県道40号珠洲里線他で内陸部を越えて珠洲市へ向かいます。
 途中の南志見村道路元標、これが1,100基となります、2007年に始めた道路元標フリーク、2014年に1,000基達成したものの、近場に残っていない事もありますが、それからの100基までに6年掛かるとは。
 海岸沿いのR249を走るとなにもない奥能登ですが、内陸に入り輪島市の東の端にあたる町野地区、中学校や銀行の出張所や生鮮類も扱うスーパーもあります、観光客が来る様な処ではありませんが、少し再発見。
 のとの里山風景の中を行き、八太郎峠(220m)で珠洲市へ。
 若山村、飯田町の道路元標を巡り今夜の宿の「珠洲温泉のとじ荘」へ、日暮れまでまだ少し時間もありますので見附島へ、何度か立ち寄ってますが、夕刻の静かな時間も良いものです。隣接する「見附島シーサイドキャンプ場」も利用者はソロが2人だけ、ちょっと羨ましい。
 「珠洲温泉のとじ荘」は国民宿舎なのですが、内部は今風な和モダンにリニューアルされていて、海の見えない部屋ですが「Gotoトラベル」のお陰で3,475円(入湯税別)と格安、自転車も玄関に入れて貰えました。部屋からは海こそ見えませんが大浴場からは海も朝日も見えますし、ただ不便なのは食事のできる店やコンビニから少々離れている事、とにかく宿には大満足ですが、次にここへはキャンピングで来たいのものです。本日の走行85.5キロ。

【1097】 2020/9/1 石川県鹿島郡矢田郷村(現 七尾市)
【1098】 2020/9/1 石川県鳳至郡穴水町
【1099】 2020/9/1 石川県鳳至郡輪島町(現 輪島市)
【1100】 2020/9/1 石川県鳳至郡南志見村(現 輪島市)
【1101】 2020/9/1 石川県珠洲郡若山村(現 珠洲市)
【1102】 2020/9/1 石川県珠洲郡飯田町(現 珠洲市)

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夏はやっぱり信州だよね(1日目)

 先週と同じく畝傍駅0932発でスタート、奈良、加茂、亀山、名古屋経由で信州へ向かいますが、18きっぷ故に中津川での接続が非常に悪く、なんと1時間53分待ちなのです。最寄りに岐阜県郡の苗木町道路元標が未修で残っていて、中津川駅からの距離は5.5キロ程、普通なら走っている時間より輪行支度の方が時間がかかる位なのですが、その苗木町と云うのは木曽川を挟んだ対岸なのです。土地勘のある方ならお判りでしょうが、この辺りは木曽川を挟んで河岸段丘が発達した地形、中津川駅から玉蔵橋を渡り城山大橋で戻ってくる周回コースをRide with GPSで描いたらなんと距離10.8キロに獲得標高282m(この値はRide with GPSの特性で過大になっているかとは思いますが)、このクソ暑い最中に熱中症になりかねないので、今日は移動日と一旦諦めたのですが、長野着が遅くなるものの、1本遅らせて3時間なら十分回れる計算に。
 畝傍0932→1008奈良1016→1033加茂1041→1205亀山1224→1336名古屋1346→と順調に乗り継いで行きます、この時間帯になると関西本線加茂~亀山間は1両での運行なんですね(写真左)、名古屋までは接続が順調過ぎてきしめんを頂く時間が。
 1507 中津川到着、先週でしたか日本の最高気温のタイ記録41.1℃が出ていましたが、お隣の多治見市は2007年8月に当時の最高気温記録40.9℃がでて、マスコットキャラクター「うながっぱ」が登場した土地、中津川も似たり寄ったりの気候。まだまだ暑い時間帯ですが、3時間の余裕で輪行支度を解き、ヒップバッグとか余計な荷物をコインロッカーに、久しぶりにコインロッカーのお世話になりましたが、今は一番小さいものでも300円とるんですね、さて出発。
 駅から木曽川に向かって坂を下ると玉蔵橋、案の定対岸には登り坂が待ち構えています。その玉蔵橋から下流側に望む事ができるのが…
 
 1975年に廃止された北恵那鉄道の木曽川橋梁、前後にガーター橋を従えたダブルワーレントラス橋、なんたら遺産になっている訳でもなく、50何年放置されています。

 玉蔵橋から標高で100mばかり登らされた後にアップダウンがあって苗木の街へ。岐阜県で現存が確認されている道路元標は4基、土岐郡駄知町、可児郡池田町、恵那郡坂下町とここ苗木町のみ。道路元標の根拠法である旧道路法の施行時には360程あった岐阜県の市町村、実際に設置されたのか、根拠のなくなった1952年以後に引っこ抜かれたのか判りませんが、もう少し見つからないかなぁ。
 北恵那鉄道苗木駅跡、特に何かがある訳でもなく、住宅街の中のただの空き地です。
 帰りはR257の城山大橋で木曽川を渡りますが、木曽川を見下ろす様に建っていただろう苗木城跡を望む事ができます、まるでライン川を見下ろすドイツの古城みたい、行った事ないけど。
 結局は2時間少々で中津川駅に戻ってきた訳ですが、走行距離は12キロ、GPSログでの獲得標高は190m前後でした。本日の走行、畝傍駅まで移動を含めて15.3キロ。余裕で今日2度目の輪行支度を済ませ、駅構内の立ち食い蕎麦を食って長野へ移動です。中津川1802→2030松本2105→長野2215、6,930円分乗車。

 

 

 

まずは北陸へ(1日目)

 2週間ぶりの丸1日のお休み、既に18きっぷのシーズンがスタートしていますし、くよくよしていても仕方がないので、まずはロードを担いで北陸へ道路元標蒐集の旅に向かう事に。勤務明けそのまま最寄りの桜井線畝傍(うねび)駅へ直行します。ところで畝傍駅は現在は無人駅ですが、かつては天皇陛下橿原神宮や神武陵行幸の際にお召し列車が発着した駅で、現在も専用通路や貴賓室などの面影が残っています。
 今日は畝傍0932→1008奈良1023→1112京都1145→1315敦賀1340→1432福井1512→1605能美根上と移動日みたいものですが、所要時間6時間33分、4回の乗継待ち時間は1時間53分。写真はJR京都駅、コロナ騒ぎが始まってから大阪や京都のターミナルと云われる処へ行くのは初めてなのですが、さすがにお盆位は多少混んでいるだろうと思っていたのですが、ご覧の通り。
 能美根上駅って鉄な人でも馴染みがない人がいるかも知れませんが2015年までは寺井駅の名称でした、カシミールで使っている地理院地形図もまで寺井駅のまま。駅前の通りが「ホームラン通り」松井秀喜所縁の地なんですね。

 数キロ走って能美郡の吉田村道路元標へ、2010年頃には民家の裏庭にあったのですが、2013年頃から現在の場所に再建されました。説明版の「旧街道の一町村に一箇所」と云う説明が些かなんですが、まぁエエでしょう。これで1,091基目なります。
 3月以来の久しぶりの輪行旅、なにやら忘れ物が多くて、ホームセンターやスーパーを探しながら、今夜の宿の松任へ向かいます。
 いつもは込々4,000円以内で極力安い宿を探すのですが、今は「Gotoトラベル」絡みで幾らでもあります、まだ今月は事後申請で戻ってくるパターンが多いのですが、予約サイトでは色々とキャンペーンをやっている様で、松任で一番の「グランドホテル白山」、別館とは云え楽天トラベルで税込2,925円也、暫くはasuka号でのキャンプツーリングがままなりませんので、ここは政府の政策に協力させて貰わなくては。
 本日の走行、畝傍駅までの回送を含めても22.2キロ也、明日はちゃんと走りますんで。

「風の森」へ

 御所市鴨神 風の森にて

 今日はお昼過ぎまで快晴との予報、asuka号の試運転もかねてのんびりと走る事に。大和高田からR24に沿った旧街道下街道を南下します。南葛城郡忍海(おしみ)村道路元標にて。


 少し寄り道して、最近になって現存が確認された南葛城郡御所町道路元標。解体された前の御所市民会館跡に放置されていますが、フェンスに囲まれていて敷地内に入る事ができません。


 西に水越峠の鞍部を見上げながら南下します。小殿のセブイレの裏からは旧道の雰囲気の残る道が峠まで残っています。
 峠の鞍部でR24と合流、現在「風の森峠」と呼ばれる場所は風の森神社の裏手で、信号を西へ急坂を登ると金剛山を見上げる開けた場所に出ます。(写真は2009年8月23日、南側から)

 近くにある三角点で標高272.4m、大和川水系と紀の川水系の分水嶺になります。葛城古道の南端にあたり、下街道以前の奈良と和歌山を結ぶ主要なルートだったのでしょうね。賀茂氏ルーツの地とか稲作発祥の地とも云われています。
 五條へ下ってオークワでお昼を補給、吉野川沿いに戻るつもりだったのですが、せっかくですので県境を越えてWAKAYAMA800のポイントになっているJR隅田駅経由で一昨日10時に供用されたばかりの恋野橋へ。

 2018年11月に橋台が傾き通行止となり撤去された恋野橋、1年あまりで新しい橋に架け替えが行われましたが、右折レーンに広い歩道とはオーバースペックでは。和歌山県のサイクリングルートにもなっているのでブルーラインも引かれています。
  以前の恋野橋、趣のあるトラス橋がまた一つ姿を消しました、1952年製だったとか。(撮影 2006年11月17日)

 

 恋野橋で紀の川(吉野川)を左岸に渡り県道55号で五條へ。市街をパスして栄山寺橋へ。まもなくここに栄山寺トンネルの坑口がぽっかりと口を開けるのかと。


 県道39号に入って、芝崎河川公園の四阿でお昼にします、予報通り少し曇ってきましたね。ところでクランクアームを170から172.5mmに交換したasuka号、やはり少々違和感が、サドルを少し後ろに動かしてみました。
 千石橋南詰を経て椿橋から壺阪峠の定番ルートで帰ってきました。本日の走行84.5キロ。


西の海へ 2020

浪早ビーチ(和歌山市田野)

 昨年11月からの毎月の走行距離は500キロ前後、パソコンのWindows10への移行とか、恒例のカレンダー作りとか、突然やってきたデモンタを弄ったりと、部屋の中でぬくぬくとしている事が続きましたからね。ただ今日走らんかったら何時走るねんと云った予報、暗い内からスタートして和歌山方面へ向かう予定が、昨夜フォトブックの編集で夜更かししてしまったせいで少し寝るつもり目が醒めたら7時45分、モチベーションも下がってしまったのですが、走らんかったら絶対後悔するととりあえず走り出す事に。
 8時半に桜井をスタート、明日香村を抜けて近鉄吉野線の飛鳥駅前から吉野口駅へ、しかし最高のお天気ですね。
 県道120号五條高取線で重阪(へいざか)峠を越える、五條方面への定番コースです。
 古い街並みの残る五條新町へ、一昨年の暮れに廃業した「餅商一ツ橋」ですが、暖簾が掛かっていて饅頭が並んでいます、再び営業を始めたのかな、それに以前は休日は休みだったし。
 いつもは新町通りを西へ抜けるのですが、お天気も良いので吉野川べりに出ます。五新線の遺構もこちらから見るとこんな感じに見えますよ。
 JR和歌山線の隅田(すだ)駅から架け替え工事中の恋野橋の仮設橋を渡って紀の川左岸の県道へ出ますが、その先の紀の川自転車道線の橋本橋と学文路(かむろ)の間の区間が工事で3月末まで通行止で通れません。九度山で9さんを呼び出してカレンダーをお渡しして、今日の一つ目のミッション完了、既に12時ですがこのまま和歌山市方面へと進む事にします。
 九度山町以西のお紀の川自転車道は三谷橋から麻生津(おうづ)橋の間と井阪橋より紀の川河口までは右岸を走りますが、三谷橋から麻生津橋までは右岸に渡って自転車道を走るよりそのまま左岸の県道とかを継いで走った方が2キロ余り距離が短くなり、和歌山市方面へ急ぐ時はそのまま走った方が早いかと、写真はかつらぎ橋を過ぎた辺りの左岸の堤防路。
 左岸を走ると紀の川に浮かぶ島、船岡山へ吊橋で渡ることができます、島を一周できる遊歩道も整備されています。
 麻生津橋南詰で再びブルーラインの引かれた紀の川自転車道(なおこの区間は専用道ではありません)となり井阪橋へ。上流側から来ると案内が不十分なのですが、紀の川河口へはこの井阪橋を右岸に渡ります、このまま左岸を進むと県道804号貴志川自転車線となり、紀の川左岸から支流の貴志川右岸に回りこむ事になりますので注意。今日は貴志駅へ向かいますのでこのまま真っ直ぐ行きます。
 桃山橋北詰から貴志川右岸に入り6キロ程で自転車道は終わります。なお3月3日まで舗装工事中で迂回する必要があります。
 諸井橋の架替工事も終わり、曲弦プラットトラスの古い鉄橋も姿を消すかと、既に通行止となっています。
 お馴染みタマ駅長の和歌山電鐵貴志駅は休日とあって観光客で賑わってます。
 貴志川線の撮影ポイントと云えば大池、フロントバッグに押し込んできたカレーパンをかじりながら10分程待つ事に、今朝お茶漬けをかきこんでからお昼抜きでここまでやってきましたから。
 既に2007年3月に履修済みですが海草郡西山東村道路元標の生存確認、紀伊国の一宮は三つもあってその一つ伊太祁曽神社の鳥居の前に道路元標はあります。
 今日二つ目のミッションは和歌山県道157号山東停車線のヘキサ、和歌山県で後存在するだろうヘキサはあと二つ。県道はこの三叉路は伊太祈曽駅までの数10m、路線延長の短さでは県道114号九度山停車場線とエエ勝負です。なお山東駅は隣の駅なのですが、前身の山東鉄道開業時の山東駅が延伸時に伊太祈曽駅と改称した名残です。
 伊太祈曽駅には和歌山電鐵本社があり駅長は「ニタマ」が貴志駅長に栄転したので一昨年から「ヨンタマ」が、和歌山電鐵の猫駅長は何れもふてぶてしいのが。初代貴志駅長「たま」(2007年3月)二代目貴志駅長「ニタマ」(2015年10月)
 今日三っ目のミッションは「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」のチェックポイント海南市の「うるわし館」、正直云って昨年度と変わり映えしないポイントを巡るのも面白くないのですがネェ。
 次のポイントは和歌浦ですので土木遺産になっているトンネル「鵬雲洞」(昭和42年に廃止された南海電鉄和歌山軌道線の廃線跡)を抜けて紀三井寺へ。
 以前の場所にチェックポイントがなかったので少々焦りましたが、無事に23ヶ所目をゲット、今年も昨年以上にパーフェクトは無理かな、まぁパーフェクト賞のTREKのロードバイクなんか当たっても要らないんで、再び30ポイント賞を狙います。

 四つ目のミッション「東西南北の海へ」の内「西の海」到着、和歌浦と雑賀崎の間の「浪早ビーチ」にて。
 和歌山市の臨海部を和歌山港駅まで北上し、青岸橋と紀の川河口大橋(写真:現在は無料)を渡り紀の川右岸へ、新しくできた土入(どにゅう)川大橋(写真右上)を渡ると紀の川自転車道の起点に出ます。南海フェリーで四国へ渡る時に使えるかと思ったのですが、このルートを取ると桁高のある橋を三つも渡らなければならないのと、乗船前に補給をするにもコンビニ等がないので、やはり紀の川大橋から和歌山市街を経由した方が良さそうです。
 紀の川自転車道起点付近から見た紀の川河口大橋(写真左)と自転車道から見た南海本線の鉄橋(写真右)。人口35万人の県庁所在地にあるとは思えない素晴らしい自転車道です、京奈和自転車道の一角を成すのですが、京都府や和歌山県と比べると奈良県下の整備状況のお粗末さにはね。
 元より自走で帰るつもりはないのですが、とにかく陽が暮れるまで走ろうと自転車道をひた走りますが、風向きが変わって帰りも向かい風に。井阪橋で左岸に入りますが、竜門橋で右岸に戻り、粉河のオークワで補給と一息入れて、一駅進んでJR和歌山線の名手駅から輪行で帰途に就く事にしました。盛り沢山の本日の走行143.1キロ。高田乗換でJRのまま桜井まで帰れるのですが、近鉄の吉野口、橿原神宮前、大和八木乗換の方が安くて早いのでそちらで(発駅の関係で一概には云えないかも)、乗り換え3回は大変ですがasuka号に比べると軽いロードなんもんで。

 

今シーズン最後の「18きっぷ」輪行旅

石川県道161号大杉長谷線 小松市赤瀬町

 今シーズンの「18きっぷ」も残り1回分、4,5,6日と連休を取っていて往路自走、復路輪行で南紀へキャンプツーリングも考えていたのですが、天気も今一つはっきりしない上に、疲れと雑事が溜まっていてモチベーションがあがりません、結局は日帰りで北陸へ昨年取りこぼした道路元標を拾いに行く事に。
 桜井始発を待っていては現地へはお午になってしまいますので、未明に奈良駅まで20キロ余りを自走、奈良0522発京都行きに乗車します。輪行袋はオーストリッチのL-100、昨年10月復路輪行予定の紀伊半島ツーリングで輪行袋を忘れると云う失態で田辺で急遽調達したものですが、中仕切りなし巾着タイプのシンプルでコンパクトな輪行袋、なかなか重宝していて、ファスナーの縫い付け部分が次々と解れてくるE-10(emu)の出番はもうありませんね、なお肩掛けベルトは重量級のasuka号を担ぐために別途50mm幅のものを用意しています。
 京都、近江今津、福井と乗り継ぎますが、近江今津までは117系、福井までは512系2両編成、このスジは敦賀駅を跨いで運行されている唯一の普通列車なんです、18きっぷのシーズンとあってか満員、福井からは512系4両編成の金沢行きに、粟津駅1104着。

 駅をでるなり、熱気と強い陽射しに面食らいます、涼しい未明に走って冷房の効いた車中にずっといたものですからね、駅舎の裏に日陰をみつけて輪行支度を解きますが、それでも汗だくに。

 暑さに些かめげながら石川県道161号大杉長谷線と石川県道43号丸山加賀線を継いで牛ヶ首峠(420m)を目指します、大杉谷川に沿ったこのルートを走るのは2009年6月、昨年(2018月8月)に続いて3度目、交通量が少なく緑の中を緩やかな勾配が続く走っていて気持ちの良い道です、粟津駅を出た時の暑さも木陰の多い渓流沿いとなれば心持ち涼やかに。昨年雨宿りした四阿で暫し休憩、ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声が夏の終わりを感じさせてくれます。

 赤瀬ダム湖畔を行きます、梯(かけはし)川の上流大杉谷川に作られた防災ダム、自由の広場とかゲリキャンできそうなポイントがあるなぁと思っていたら無料のキャンプ適地とされている様です。
 建家もまばらとなり、ゲートのある処から牛ヶ首峠への本格的な登りとなります。
 大杉谷川の狭い谷を詰めるだけ詰めて右岸の斜面に取りついてつづら折れで峠へ、石川県には歴史的に有名な富山県境の倶利伽羅峠はあるものの大した峠はないのですが、牛ヶ首峠へのこの道筋はサイクリストにとって魅力的なコースかと。
 展望が開けてくると峠まであと僅か。
 牛ヶ首峠到着、切通を抜けると稜線近くを走るR416との三叉路になっていて些か峠らしくないのですが。R416は県道小松勝山福井線が1982年に昇格したもので、県境の大日峠部分が未開通の分断国道でしたが昨年9月に開通しています。最初福井県側へ越えて帰途に就く事も考えたのですが、お隣のR157谷峠の様にトンネルで抜けているのではなくて峠まで更に500m程登らされるので今回は諦めました。
 新丸村道路元標、昨年に続いて再訪する事になったのは、雨の中ちゃんと撮影できていない事を確認せず、不覚にもスマホでも押さえてなかったのです。元標は何の目印もない道端に半ば放置された様に建っています。新丸村は小松市新丸町となっていますが、現在は冬季無住地区となっているそうです。
 元標から大日川の渓流に沿って少し下ると三叉路に、右へ下ると大日川ダムを経て白山市へ、直進すると五百峠(540m)へ緩やかに登り返します。

 

 どこが峠なのか良く判らない五百峠を越えると尾小屋までダウンヒル、時折加賀平野を望む事ができます。
 今回、元標とともに立ち寄りたかったのは1977年に廃止された尾小屋鉄道の保存施設「小松市立ポッポ汽車展示館」。R416から少し脇道を登り返さなくてはなりませんか、762mm軌間の軽便鉄道の小さなSLと客車が保存されています。
 尾小屋を後にして白江村道路元標を回って本日のミッションは終了、小松駅から帰途に就く事にします。
 小松1722発の敦賀行きに乗車、車窓には2022年度開業の北陸新幹線敦賀延伸工事を至るところで見る事ができます、3年先とは云え「18きっぷ」フリークには在来線の3セク化で「18きっぷ」が使えなくなる事が気がかりです。敦賀、京都、奈良と乗り継ぎ、奈良では桜井線の最終まで50分待ち、さすがにお腹もすいてきているので輪行袋を担いで改札をでて駅近くの「松の家」まで、asuka号なら乗り換えるのが精一杯ですが、軽いロードなら楽なもんです。桜井2323着、乗車時間11時間44分(乗換時間含む)、現地滞在時間6時間17分、実走行時間4時間35分、走行距離74.1キロ(桜井→奈良20.1キロ含む)、「18きっぷ」にて8,430円分乗車。

【1089】 石川県 能美郡 新丸村(現 小松市)
【1090】 石川県 能美郡 白江村(現 小松市)

信州キャンプツーリング(3日目)

「あずみ野やまびこ自転車道」

 さて当初の予定では昨日の内に安曇野市の「かじかの里キャンプ場」まで足を進め、今日早いうちに木崎湖キャンプ場まで移動、設営後身軽になって2008年に走った小熊黒沢林道に11年ぶりに行ってみようかと考えていたのですが、この天気では展望も期待できないだろうし。予報では今日も一日降ったり止んだり、秋雨前線に沿って次々と西から雨雲が流れ込んで来る按配。松本市街にいる事ですし、早朝からコインランドリーとスーパー銭湯へ行って、その後「あずみ野やまびこ自転車道」を経由して木崎湖まで北上する事にしました。
 ネットカフェのナイトパックの料金設定もあるので5時にはチェックアウト、シニア割引のお陰で1,160円と安上がりに、年寄りには冷房の効きすぎが堪えるのですが、寝袋を持ち込んで大正解、思ったより快適に休む事ができました、松本駅前の「すき屋」で朝飯を食って、北松本駅近くのコインランドリーに移動、この頃から本降りの雨が、開店時刻の6時になっても自動扉が開かない、電話をしても留守電には閉口しましたが、15分後には開錠、2日間の汚れ物を片付ける事ができました。スーパー銭湯の「湯の華銭湯 瑞祥 松本館」までは10分とかからないので、雨雲レーダーを睨みながら開店までに移動します。入泉料680円で必要充分な施設、土日祝日は朝6時から営業している様です。
 1045には「瑞祥」を後にし「あずみ野やまびこ自転車道」へ向かいます、幸い雨は暫く収まってくれそうです、自転車道へのアプローチが少々判り難いのですがR19を奈良井川に架かる新橋まで北上し左岸へ渡り堤防上を再び北上してR147を跨いだ辺りが自転車道の入り口(終点)になります。
 自転車道は概ね拾ヶ堰(じっかせき)と呼ばれる疎水沿いを穂高川沿いまでの約15キロが整備されていて、県道441号穂高松本塩尻自転車道線の一部となっていますが、奈良井宿から松本までの区間は殆ど未整備の様です。アルプスを背景に安曇野の田園風景の中を行きます、交通量の多い道路との交差部分はアンダーパスが整備されていますが、千曲川沿いの自転車道同様、どうも長野県の自転車道は舗装の継ぎ目が酷くて、ロード向きとは云えない様です。
 生憎の天気で雨雲に覆われたアルプスですが、春に走ると素晴らしい風景でしょうね、自転車道は大糸線をくぐってR147の穂高橋で終わり(起点)となりますが、ここで雨が降り出しきて、有明駅近くのコンビニまで急ぐ事になります。
 コンビニの店頭で40分程雨宿り、社村道路元標に立ち寄るために高瀬川左岸の県道51号大町明科線を北上します、多少アップダウンはありますが、大町までR147を走るよりも快適かも知れません。そのまま北上すると北大町を過ぎた辺りでR148に入る事ができます。
 途中で2度の雨宿りとコンビニでの買い物がありましたが16時には木崎湖キャンプ場に無事到着です、ここまで走行50.4キロ。 設営後、対岸のYショップニシまで園原さんの自転車柄手拭いを取り置きして貰っているのを引き取りに向かいます、ついでに木崎湖を反時計回りに一周、10キロ弱でしょうかね、東岸はR148でなく湖岸を走ればほぼ平坦ですが、西岸は多少の登りがあります。
 こちらへ来れば色を見て選べるかなと思っていたのですが、これが最後の1枚になってしまっていました、「かじかの里」で再会できずに木曽へ戻ったあびさんは園原さんご本人から直接頒けて頂けた様で、残念、ともあれ今回のミッションの1つは完了、本日の走行61.3キロ。 

 1日目 2日目 3日目 4日目

【1086】 長野県 北安曇郡 社村(現 大町市)

信州キャンプツーリング(2日目)

岐阜長野県境 野麦街道 野麦峠(1,672m)にて

 今日の予定は再びR361に戻り、岐阜県との県境長峰峠(1,503m)を越えて高根乗鞍湖畔まで下り、高嶺大橋から県道39号奈川野麦高根線いわゆる野麦街道で野麦峠を越えて再び長野県へ戻り、奈川ダムから安曇野市の「かじかの里キャンプ場」を目指すつもりなのですが、長峰峠、寺坂峠(1400m)、野麦峠を含む約98kmの道のり、4サイドだけにかなり無理がある上にこのお天気ですからね。高嶺大橋までは2002年7月に走っていますが、野麦峠へは1999年10月以来、乾さん、ナワールドさん、GAMIさん、せいのさんと5人で走って以来の20年ぶり、この時のレポートがナワさんのHPの「野麦峠の館ツァー」とGAMIさんのHPの「野麦峠・月夜沢峠越え」として残っています。レポートをたどって行くと九蔵峠でお逢いした若かりしnana魔女のお姿が…

  降られる事もなく朝を迎える事ができました、静かでなかなか良いキャンプ場ですが、自転車で来るのはちょっと辛いかな。あびさんも車で今夜の「かじかの里…」へ向かうとの事ですが、再会はちょっと無理かと。とにかく明るい内に野麦峠を越えられたらどうにかなるやろうと、8時前には開田高原キャンプ場を後にします。(写真右 : あびさん)
 普通なら昨夜登って来た道を標高で170m程下るのですが、少し登って川の北側に出た方が登り返しが少なくなりそうなので、そちらへ進みますが、間違えて入った道がなんとダートに、300m程下ってキャンプ場へ戻る別の道だと気がついて引き返す事に、今日1回目のロス。
 その後は順調に下ってR361の手前まで、野菜畑の中を右下にR361を見下ろしながら長峰峠へ向かいます。
 R361に合流する手前辺りからパラパラと降り出します、慌ててサイドバッグ、フロントバッグにカバーをかけポンチョを被って走りますが、雨の中追い越してて行く女性ランナーが… 雨は暫くで止んで峠に着くまでに晴れ間が、雨に濡れて登りで汗をかいて、これなら木陰で雨宿りをしていた方が良かったかな。0945 長峰峠到着、岐阜県高山市になります。峠の茶屋は既に営業はしておらず、もちろん客寄せ馬もおらず廃屋寸前。
 少し下ると日和田高原、リゾートぽい雰囲気、この先野麦峠までを考えるとどこかで飲料を補給しておきたい処です、幸い飛騨おんたけ山荘に自販機を発見、一安心。ところで日和田高原は陸上競技場があったりとランナーの合宿地になっているらしく、車へ安全走行を促す看板があちこちに立っています、長嶺峠で抜かされた女性ランナーもそうだったのかな。その割に工事のダンプが多い事。
 長峰峠から高嶺大橋まで400mのダウンヒル、野麦峠まで登らなければならないのに勿体無い話です。2002年はここで野麦峠へ向かうUG兄さんやまえださんと別れ、高山、白川郷経由で金沢へ向かいました。
 県道39号へ入り暫くで旧道への分岐(1,185.5m)が、1990年代まで野麦峠への車道はゲートに閉ざされた飛騨川に沿ったこの林道でしたが、崩落か何かで通れなくなり、現在の阿多野郷から寺坂峠を越えるルートが県道となりました、手持ちの昭和62年(1987年)修正の五万図では寺坂峠ルートは半分しか開通していません。お陰で標高差100m足らずの区間を300m登らされて200m下らされる事になってしまいました。
 寺坂峠そのものより阿多野郷の集落の中を真っ直ぐ登って行く区間が辛い様な、村外れの分岐から峠らしい道に、ただ「熊の目撃情報」の看板が。
  寺坂峠の手前まで来て、道路前方に動くものが「熊?」、コンデジで撮影して拡大してみるとデカい猿です、Facebookで教えて貰った話ではここで猿の軍団に囲まれたとか、集団だと怖いですね。
 1215 寺坂峠到着、気温は19℃を示しています、猿かと安心してられませんので、熊鈴に加えてスピーカーで音楽を流しながら走る事に。

 

 再び野麦峠へ登り返しが始まります、工事の作業所みたいな処に自販機、100円のペット飲料とかもあって結構リーズナブルなんです、ところが先に休憩した場所にヒップバッグを忘れた事に気が付きます。距離で700m程、標高差40m程を引き返す事に、今日2度目のロスタイム。
 13時過ぎに野麦集落に到着、今は営業している処も自販機も人影も見えません。軒先のベンチを借りて、持参の菓子パンと先ほど買った飲料でお昼にします。
 1,345m、旧野麦街道への分岐へ、山道だと峠まで4.2キロとありますが、県道だとまで8キロ以上走らなくてはなりません。長峰峠からここまで降られずにやってきたのですが、西から雨雲が接近してきている様です。
 案の定、本降りになってきました。幅員も狭くなるし、時々車もやってくるし、濡れた路面を4サイドで蛇行しながら登るのもそろそろ限界です、時々木陰で雨宿りしながら開き直って押して行く事にします。
 1544 ようやく野麦峠に到着、残念ながら20年ぶりの野麦峠は雨でした。この先下り基調とは云え安曇野まではとてもたどり着けませんので、SNSに書き込みますが、どうやら下界も降ったり止んだりの状況らしいです。もちろん乗鞍岳は見えませんし「お助け小屋」も「峠博物館」を覗く余裕もなく、四阿で体制を整えて1609出発、齢65、再び自転車で訪れる事は叶わないかと。

 標高が下がってきた処で雨も収まり、1653 寄合渡で県道26号奈川木祖線と合流、奈川村道路元標の残る黒川渡まで来たものの、元標をなかなか見つけられず、余計な坂を登ったりして30分近いロスタイム、湖畔に出てからのアップダウンで奈川渡ダムに出る頃にはすっかり暗くなってしまいました。その上車が多く、トンネルの連続、雨と最悪の条件のR158を松本市役所安曇支所のある島々に下りてきたのが19時前。新島々駅前のゲストハウスも取れず、市街地近くまで降りてきてこの雨でゲリキャンもままならないので、松本インター近くのネットカフェに向かう事に。
 松本インター近く「自遊空間」、街中のネットカフェだと自転車を置く場所に困るのですが、少し郊外のここなら充分なスペースがあります、建物の影にしっかり鍵をかけておけば安心できそうです。R158を無事に走り抜けたのも派手なバッグカバーと3つのテールランプのお陰かと、しかし雨の中1,000m以上も下ってきたお陰でブレーキシューもかなりチビってしまいました、梅雨明けにシューをM50TからR50T2に交換していたのですが、やはりウェットな条件では持たない様です。本日の走行92.0キロ。

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【1085】 長野県 西筑摩郡 奈川村(現 松本市)

信州キャンプツーリング(1日目)

飛騨街道 地蔵峠(1,355m)にて

 遠征ツーリングは「18きっぷ」の使える季節にしているのですが、昨年夏は7月に能登半島へ4泊で向かったものの、連日の猛暑の下、日中キャンピングで走るのは自殺行為に近いものが、今年は標高が高くて少しでも涼しい処へと信州へ向かう事にしたのです。コースは木曽福島から未収の道路元標をなぞって大糸線の南小谷まで、開田高原から長峰峠、野麦峠と一旦は岐阜県に入るものの、松本から白馬経由で北上する約200キロを3泊で走るプラン。混雑するお盆を外して、8月第4週に休みをセットする事に、但丸々1日休みの取れるのは3日間、いつもの様に「18きっぷ」を使って始発から移動する余裕がなく、初日は近鉄特急と「しなの」を利用して木曽福島まで輪行する事にします。
 そこで静養中(^_^)の鈴鹿のあびさんから、自転車は無理だけど車でキャンプだけご一緒したいとのお話、元より1日目はいつ開田高原キャンプ場に辿り着けるかのタイトな行程、先乗りして頂けると安心、喜んでご一緒して頂く事に。
 さて世間のお盆休みは台風襲来、第4週はまずまずと陰でほくそ笑んでいたのです。18日には4つのサイドバッグをクロネコヤマトの木曽福島営業所留めで発送、20日にさっさと出発できる輪行準備を済ませたら、なにやら気の早い秋雨前線が現れてお天気が怪しくなっているではありませんか、既に荷物を送っているのでお天気だけで止める訳にも行かず、降られる覚悟で多少雨支度や着替えを追加する事に。

 予定より1本早く桜井0937に乗車する事ができて伊勢中川乗り継ぎになりますが、榛原から近鉄特急に乗車、名古屋駅では余裕の22分接続で自由席の列に並ぶ事ができました。しかしJRの特急に乗るなんて何年ぶりでしょうね。
 心配なお天気、中津川辺りまでは良かったのですが、1323 案の定木曽福島駅に降り立つ頃には雨に、16時位まで降り続く予報、とにかく輪行支度を解きますが、なんと作業をしている内に雨が止んで晴れ間も、これ幸いと1420 出発。
 まずは福島町道路元標のある郷土館へ、季節によって変則的な開館日ですが、道路元標は前庭にあって休館日でも近くには行けそうです、積雪期はともかくとして。
 クロネコヤマトの営業所は木曽福島の街中から開田方面へ数キロ入った処、それは良いのですが、明日の行程に備えて携行食とかを街中で準備しておきたい処、ところがサイドバッグをセットするまで荷物を入れる余裕がないのです、ろくに買い出しもできずに営業所へ。荷物を受け取り4サイドの出来上がり、一挙に20キロ重くなります。
 地蔵峠への分岐までR361を行きますが、所々に旧道が残っているのでそちらを選びます。さすが信州、道祖神が出迎えてくれます。
 地蔵峠への道へ入ると殆ど車はやってきません、記憶も曖昧ですがここを走るのは17年ぶり、自転車向きの雰囲気の良い適度な坂が続きます。
 「唐沢の滝」を見上げるコーナーで小休止、案内板には「寝覚の床」「王滝の水ヶ瀬」と並んで「木曽三勝」、現在の落差100mと記されています。道は滝の右側を巻いて滝の上へと続きます。
 どうにか17時過ぎに地蔵峠に到着、以前はもっと楽だった気もしますが、4サイドですから仕方ないですね。
 開田側へ少し下ると「地蔵峠展望台」、九蔵峠とともに天気が良ければ御嶽を望むビューポイントなのですが、今は雲の中。17年前はここでゲリキャンしたのですが、あびさんがキャンプ場で待ってなければ、今回もここでゲリキャンしたでしょうね、なにしろキャンプ場までは開田村まで一旦下って地蔵峠とほぼ同じ高さまで登り返さなくてはならないのです。
 R361に戻り、木曽町開田支所に立ち寄って西筑摩郡開田村道路元標を。後8.4キロ、単純に標高差よりアップダウンが辛いのです。

 

九蔵峠の手前で県道20号開田三岳福島線へ、幸いにも管沢の高宮商店がまだ開いていたので、明日の携行食にパンやら御菓子などを調達、自販機の温かい缶コーヒーとドーナツで虫養いをしていると、キャンピングを見つけて声を掛けて頂いた方、大阪出身で開田高原が気に入って定住されていて、片倉シルクのオーナーとか。さてキャンプ場までは後3キロを切っているのですが、真っ暗な山道です、最後の数100mの坂では押しが入る事に。
 幸い降られる事なく1944 やっとの事で標高1,304mの開田高原キャンプ場に到着、真っ暗ですがあびさんの居場所はすぐに判りました。
 炊事場近くの屋根のある一画を確保してくれていました、お盆な明けの平日とあって他の利用者も2組だけとか。駆け付け1本の後、設営を済ませて、2人ぼっちで宴の始まり。(Photo : あびさん)
 本日の走行31.4キロ、道路元標や荷物の引取りがあったにせよ、5時間も掛かってしまいました。

 1日目 2日目 3日目 4日目

【1083】 長野県 西筑摩郡 福島町(現 木曽町)
【1084】 長野県 西筑摩郡 開田村(現 木曽町)

愛知県の道路元標へ

 有効期限残り僅かの「近鉄優待乗車券」を賜ったので、愛知県下で残している道路元標(上図赤印)を巡るか、自走で辿り着けてもなかなかゆっくりと回れない先志摩を往復輪行で巡るか、悩んだ挙げ句に自転車抜きで愛知へ向かう事にしました。愛知県下には後5ヶ所をのこしているのですが、今まで回った残りと云うか比較的最近になって現存が確認されたとかで、場所がてんでバラバラ、2ヶ所は比較的駅から近く、1ヶ所はどうにか路線バスが使えるので3ヶ所を公共交通機関利用で巡る次第に。(なお黒印は現存が確認されていたものの、その後行方不明となったもの)

 「優待乗車券」と云っても特急まではタダで乗せてはくれません、桜井0642発の急行を乗り継いで名古屋へ、名鉄に乗り換えて美和村道路元標の最寄り駅になる木田駅へ、しかし色々な方向へ様々な編成で入ってくる名鉄電車には戸惑います、津島線へ入るのは2両編成かい。
 海部郡美和村は美和町を経て2010年にみわ市に、道路元標は美和民族資料館の玄関脇の庭先に案内板付きで保存されています。なお同館は水木曜休みですが元標の前までは何時でも行けるかと。
 お次も名鉄に乗り継いで三河線の碧南駅へ。2014年10月にも訪れていますが、その時は目的の棚尾村道路元標が移設されていて見つける事ができませんでした。
 碧海郡(昭和45年に消滅)の棚尾村道路元標、以前は棚尾小学校内に保存されていたのですが、町おこしの一環で元の場所とされる処に再建されています。
 歴史のある町かして、歩道や案内が整備されています。
 お次は東春日井郡(昭和45年に消滅)の坂下村、JR中央本線の高蔵寺駅が最寄りですが直線距離でも4キロは離れています、ただ今やニュータウンのど真ん中で路線バスが日中でも1時間1本程度走っています、駅前のバスターミナルから最寄りのバス停まで片道330円は些かお高いですが、丘陵地帯のアップダウンを自転車では行きたくない様な。
 坂下村道路元標は坂下公会所(公民館とは異なります)の玄関先に。これで愛知県下110基目、現存が確認されているものは後2基、渥美郡泉村は良しとしても北設楽郡の園村が難関です。

 東海道線で遅延とかが発生していたのですがほぼ順調に予定の3基を巡り終え、少し時間の余裕があったので、せっかくですので毎年新春ランでお世話になっているカトーサイクルさんへ、今どきのお店には置いていない小物部品が必要だったので、グッドタイミング。ただ眼に毒なものが一杯あるのが困り物です。
 帰りは特急料金を奮発しましたが、名張から普通電車に乗り換えるので行きと30分程しか変わらないのが。

【1080】 愛知県 海部郡 美和村(現 あま市)
【1081】 愛知県 壁海郡 棚尾村(現 碧南市)
【1082】 愛知県 東春日井郡 坂下村(現 春日井市)

WAKAYAMA800 日高郡へ

 昨年8月から挑戦中の「WAKAYAMA800モバイルスタンプラリー」、台風禍で閉鎖されたままの道の駅「白崎海岸」が正式にポイントから除外されて計44ヶ所、残りは12ヶ所なのですが、パーフェクト達成はかなり厳しいです、やはり昨年9月の「十津川~南紀ツーリング」の2日目、雨で切り上げたのが堪えます。今日は青春18きっぷのシーズンが始まりましたので、日高郡の2ヶ所を回る事に。
 ただ普通列車より優等列車の方がはるかに多い紀勢本線、JRだけで桜井から御坊まで行こうとすると始発に乗っても10時をまわってしまいます。王寺駅までの約20キロを未明に自走したので、3月とは云え温度計は0℃、この冬一番の寒い思いをさせられる事に。とにかく王寺駅0436発の関西本線で天王寺へ。
 天王寺、和歌山で乗り継いで御坊到着が0756、輪行準備とトイレを済ませて0816、R425の分岐する塩屋まで南下するのですが、県道186号日高港線のヘキサや食料調達に時間を取られてしまいます。
 結局R425に入るのは085に、尾鷲から紀伊半島を横断してきたR425、日本三大酷道と云われたこの道も御坊側は幾つものトンネルや橋が供用されて車には走り易い道となっています。実は旧龍神村の小家谷から西を走るのは10数年ぶり、改良のお陰で里山の中を緩やかなアップダウンが続き、自転車にも走っていて気持ちの良い道です。そのせいかWAKAYAMA800でもおすすめルート「切目~塩屋ルート」として紹介され、ブルーラインも引かれています。
 ただ昔ながらの道への拘りもあって、旧道トレースモードに。印南町田ノ垣内、ここには日高郡の真妻村道路元標があったはずなのですが、JAも幼稚園も今は閉ざされ、人影すら見えません。
 2014年に竣工した切目川ダム、もちろん以前通った時は建設中でした。付近の旧道部分も幅員こそあまり変わりませんが整備されています。
 上洞(かぼら)にある「奥真妻活々倶楽部」が今日1っ目のポイント、元は商店だったのでしょうか、集会所の様になっていますが、食料品とかも売られている様です。
 規模は小さいですが棚田が、この辺りでは「けさがけ」の事を「なるがけ」と云う様です。
 標高440mまで登り詰めて唐尾隧道、今は田辺市となりましたが、旧龍神村域に入ります。

 

 小家谷口でR424と合流、上洞からは1台の車にも遭わずにやってきましたが、R424との併用区間に入ると交通量が増えます。御坊から龍神へは県道とR424を継いだ日高川沿いのルートがメインになっています。

 

 1150 道の駅「水の郷 日高川 龍游」にて2っ目のポイント。
 今度はR424を使って海側に戻る格好になります、切目辻トンネルを抜けて南部川沿いに下ります、こちらのルートを走るのも10数年ぶりです。
 みなべ町にて、南部町道路元標(写真左)、県道201号南部停車場線、熊野街道沿いにあるのですが、後ろの商店は店仕舞いしてしまった様です。
 南部駅に到着したのが1352、この先紀伊田辺以遠へ行ける接続は1558までなく、帰途に鶴橋から近鉄を利用するなら、紀伊日置駅もよりのポイント「道の駅 志原海岸海来館」まで往復する事もできなくないのですが、輪行支度や待ち時間を考えるとあまりにロスが大きいので、今日はここでお開きにして帰途に就く事に、時間的には少々物足りないですが恵まれた天気の下、久しぶりの道を走る事ができて満足です。本日の走行96.1キロ。
 通勤時間帯の天王寺を経由するのを避けて、余分に時間が掛かりますが和歌山線経由で、乗り心地最悪の105系に乗れるのも後僅か。南部1432→1508御坊1533→1636和歌山1651→1824五条1901→1940高田1944→1957桜井と所要5時間25分の旅、往復で5,620円分乗車。五条駅ではへこちらも3月16日のダイヤ改正で姿を消す117系と交換(写真右)。

 WAKAYAMA800は2ヶ所回って都合34ヶ所、残りは紀北に4ヶ所、南紀に6ヶ所はどう考えても厳しいです、と云いますが千葉山と生石山ってあまり気がすすまないのですよね。

 

国中ポタ~大和盆地縦断~

奈良県生駒市高山町 北倭村道路元標

 今日はお天気も良い事ですので、最近になって現存が確認された北倭(きたやまと)村道路元標を履修に生駒市へ向かう事にします。相変わらず歩くと左脚の調子は良くないのですが、現金なもので自転車は大丈夫なんですよね。
 さて飛鳥川沿いの「大和中央自転車道」(大和郡山田原本橿原自転車道線)を北上します。「大和中央自転車道」は浄化センター公園が起点、実質的には行き止まりになっているので、生駒市や王寺町方面に抜けるには保田橋西詰から県道36号天理王寺線を少し西へ走って曽我川沿いに北上してきた「飛鳥葛城自転車道」(明日香大和高田広陵自転車道線)に入る事になりますが、この辺り案内等は全くなくて大阪方面から走りに来た人にとっては日非常に判り難い事になっています。→「奈良県の自転車道に物申す」

 曽我川を渡った処でその「飛鳥葛城自転車道」に入るのですが、昨年からなにやら工事をしているなと思っていたら、どうやら県道36号天理王寺線の付け替えで新しい橋が架かるので、左岸を走っていた自転車道はアンダークロスする様です。これはこれで良いのですが、奈良の自転車道を走っていて気になるのは交通量の多い道路の交差点で信号や横断歩道の類、車道側に自転車道との交差である事を示す標識が非常に少ない事です、「ならくる」や「京奈和自転車道」も結構ですが、こう云った基本的な安全面に気配りと予算を使って貰いたいものです。
 大和川に出て御幸大橋で右岸に、竜田川べりに入って北上しR168へ。桜井に暮らしているとわざわざ車の多いこちら方面に走りに来る事は滅多にないので、せっかくですのでヘキサコレクションで空白になっている幾つかの県道を巡る事に。因みに新宮市が起点のR168は昭和57年までは大和高田が終点で、昭和57年に2つの県道の昇格で枚方市までとなりました。
 お天気に恵まれた土曜日とあってすれ違うロードバイクが結構います、淀川べりから奈良へ走りに来る人は、今日走るR168や県道7号がルートになるのでしょうね。

 時間を取られましたが未収だった5件をGET、ただ県道250号平群信貴山線は見つける事はできませんでした、どうやらフラワーロードまで登るとある様なのですが、標高差200mを登る余裕はありません。
 近鉄の生駒駅に立ち寄った後再びR168に戻って北へ、奈良盆地の南東端から北東端へ、北倭村は結構遠いです、もうポタとは云えないですね。出店交差点(写真右)を少し西へ入り橋を渡ると大阪府四条畷市、ここは淀川の支流天野川の上流になるのです。
 ここまでヘキサコレクションのためにR168を北上してきたのですが、白庭台ニュータウンの中を越えて富雄川の沿って北上してきた県道7号枚方大和郡山線へ入り、くろんど池への登りに。くろんど池と云えば大阪府のイメージが強いのですが、くろんど池そのものは奈良県生駒市、れっきとした富雄川源流域なのです。
 さて北倭村道路元標の建つだろうポイントまでやってきたのですが、なんと道路元標と思しき石柱は頑丈なゲートに阻まれた橋の向こう、南向きに建っていて正面を確認する事はできませんが、形状から奈良県の様式の道路元標に間違いありません、万事休すかと思いきや、地図を見ると向こうに見える北倭土地改良区の建物までは高山溜池を大きく迂回すれば「金鵄の杜倭苑」と云うコミニュニティセンター経由で行けそうです。
 十数m向こうの道路元標まで2キロ近く迂回する事になりましたが、さしたる?障害もなく無事に北倭村道路元標の正面に辿り着く事ができました、都合1,079基目となります。
 北倭村は明治22年町村制の施行に拠り、添下郡5ヶ村により北倭村として成立、明治30年に平群郡とともに生駒郡となり、昭和32年に当時の生駒町に編入されています。上田倖弘著「道路元標」を尋ねてによると、現在の出店橋西詰にあったとされ、戦前には失われていたかとありますが、土地改良区ができた折にでも保管されていたものがここに再建されたのでしょうね、北倭村の村域は概ね生駒市高山町となったため、北倭の名を残しているのは保育園位になってしまいましたが、北倭村成立以前の旧村名(鹿畑)が鹿ノ台ニュータウンに引き継がれている様です。
 13時半、今日の目的は達成、京都府側へ越える県道65号か72号で木津川側へ越える事も考えたのですが、最富雄川沿いに最短コースの県道7号を南下する事に。


 近鉄富雄駅手前までは信号や車が多くて閉口していたのですが、三松橋からは富雄川左岸の道が自転車道みたいなもの、大和郡山市の外川橋からは「奈良自転車道」と「飛鳥葛城自転車道」を継いで大和川に架かる御幸橋まで戻ってきました。
 大和川べりでは御幸橋から馬場尻橋まで右岸、中街道(下ッ道)の天神橋までは左岸を行きます。R24を跨ぐために県道36号を少し走らされますが大中橋から再び大和川左岸へ、桜井まで快適なルートを走る事ができます。交通量は少ないですが、生活道路になっているので時間帯によっては地元の車が広くもない堤防上の道を行き交います、断続的にある対岸(右岸)の道を自転車道として整備してくれないものですかね。
 さてくろんど池への登りを除けばインナー要らずの川沿いのコースでしたが、走行89.9キロはもうポタやないですね。

 なお2019/2/3の時点で道路元標のコンテンツに埋め込まれているGoogleMapは正常に表示する事ができません。