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今年4度目の南紀ツーリング

太地町森浦にて
 
 今年は紀伊半島再認識の年にしようかと考えていたら、期せずして「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーのお陰で既に今年4度目の南紀ツーリングとなってまいました。 3月1日から始まった「青春18きっぷ」の春のシーズン、1日あたり2,370円で普通列車乗り放題の「18きっぷ」ですが、紀伊半島を巡る紀勢本線は乗ったまま一周するのが精一杯で、わが街桜井を始発に乗っても新宮や串本に到着するのはお昼を回ってしまいます、マトモに行くととても自転車で走る余裕などないエリアですが、今日は古座川町の「月の瀬温泉ぼたん荘」と太地町の「くじらの博物館」をまわります。
 
近鉄で大阪鶴橋まで出ても良いのですが、今回も未明の大和川河畔を王寺駅まで走りスタートする事にします。 4時過ぎに桜井を出発、真っ暗な堤防上の道ですからそうは飛ばせません、所要1時間15分。 DST 21.02km、AVS 17.6km/h、MXS 24.4km/h、TM 1:11:34
 
新今宮、和歌山で乗り継いで紀伊田辺で49分待ち、紀伊田辺以南は0755から1044まで3時間近くも列車がありません、車両も17系からロングシートの113系へ。 ここでは新大阪0733発の「くろしお1号」に抜かされます、嫌でも特急に乗れとの計らいですが、その「くろしお1号」ですら串本到着は1102になります、昔は夜行もあって早朝から走り出せたのですがねぇ。
 
2駅手前の串本で25分停車の後、1249にようやく古座駅に到着です、串本から走っていても変わらない様な。



さすがに南紀、暖かいなぁと思っていら、既に桜が。





清流古座川沿いに入るとご覧の風景が、決して時間の余裕がある訳で
はないのですが、写真を撮っていたりしてなかなか前に進みません。 
 
 
気持ちよく走っていたら、この橋は??? 1キロ程「ぼたん荘」を行きすぎてしまい慌てて引き返す事に、とにかく無事26地点目をGET!
 
 
予定では<227>田原古座線を走り地蔵峠を越えショートカットするつもりでいたのですが、あまりに天気が良くて気持が良いのでR42を走り、昔2度ばかり行った荒船海岸へ寄り道する事に、ちょっと頑張って走ればなんとか行けるでしょう。
 荒船海岸、入り口に国民宿舎があったりするのですが、ここはちょっとした穴場です。
 
R42に戻り少し走ってから下里村道路元標へ立ち寄り、太地町への<239>太地港下里線へ入り、27地点目のポイント「くじらの博物館」へ、これでスタンプラリーは残すところ3地点となりました。 ところで太地町には昔どういう経緯か知りませんが奈良交通が運行する路線バスが走っていました、車体横の鹿のエンブレムが鯨だったりして、信じられないでしょう。
 
R42沿いのコンビニに立ち寄り食料を調達して、余裕で太地駅へ、1700発の最終に乗り遅れるとどうしようもなくなるのでパンク修理が出来るだけの余裕は持って走っておかなくてはなりませんし、輪行支度を済ませて駅のホームでまったり過ごすのも良いものです。
 帰りはさすがに「18きっぷ」のままでは桜井へはとてもたどり着けませんので、松阪から近鉄を利用して帰る事になりますが、6時間がかりで桜井に無事帰投、トンボ帰りで走行時間は2時間にもなりませんが、春を感じさせるとても気持ちの良いショートツーリングでした。 王寺駅までの自走を含めて本日の走行59.2キロ。 18きっぷで7,450円分乗車。
 

 

今日は「自撮り」サイクリング

宇陀市菟田野下芳野にて

マイブームと云いながら最近少々ご無沙汰の「自撮り」、雪の写真を狙っていたのですが、一向にチャンスがやって来ないのですよね、と思っているうちに梅が芽吹きだしてきたではないですか。 それに昨年暮れに手に入れた新兵器も出番がないうちに、さすがチャイナクオリティ、液晶がおかしくなってしまいました、斜めから見るとどうにか判別できるので、機能的には満足しているので暫くはこのまま使ってみる事にしますが。 土曜日の疲れがまだ残っている様です、のんびりと明日香村から芋峠を越えて吉野へ、吉野ストアで昼食用のパンとお菓子を買い込んで、吉野川左岸の県道を遡上します。 なんぼも走っていないのですが宮滝を見下ろす休憩ポイントで一息、今日は暖かい陽射しが心地良いです。 南大野のバス停にて。   東吉野村へ入り、高見川と県道を見下ろせるポイントから狙ってみる事に。 大して交通量がある訳でもないのですが、セットしている時に限って車がやってくるのですよ。 それに空振りする事が、この様な場所ですからディレイタイムを1分に設定していたらカメラ側がスリープモードに入ってしまい、リモコンのレリーズ信号では解除されないのです、スリープまでの時間を2分に設定して一件落着、結局テイク4まで行きました。 どうにか使えそうなのが1枚。 予定はしていなかったのですが、木津川(こつがわ)集落の橋にて。 今日一番のお目当てはこのポイント、少し霞んでいますし、先日からの陽気で高見山の雪もだいぶ溶けてしまった様ですね。 お天気が良いとこれ位の眺望があるのですが、昨年12月8日1テイクでOK! 谷尻(たんじり)から一谷峠を越えて宇陀市へ、途中の芳野で最初の写真を撮ったのですが、ちょっと遠すぎますね。 大宇陀松山街道の定番ポイントにて。 このタイマー機能付きレリーズなんですが、インターバルタイムは最小は1秒なのです、この様なケースでは1秒は短すぎますね。 帰り道考えながら思いついた事を帰宅後試してみると、カメラ側を連写モードにしてリモコン側のバルブ時間を設定してやると上手く行きました。 本日の走行93.9キロ、今月1,000キロ超えを果たしました。

春告草「福寿草」サイク

今日はお天気が良さそうなのでT御大に声を掛けて五條経由で西吉野方面へ走りに行く事にしました、賀名生梅林の梅にはまだ早いですが、津越の福寿草が見られるかも。 御大は5月の「鈴鹿」にQCR(くわんさい・くらしっく・れーさー)から半ば強引に参加メンバーにさせらてしまっているのですが、さすがの国体チャンプ(昭和54年宮崎国体成年男子スクラッチ優勝)も去年走ったのは500キロにも満たないとか、顔を合わせる度に「走らなアカンねん、走らなアカンねん」とボヤいておられます。 と云っても私では噛ませ犬にもならないので、あちこち声を掛けたら釣れましたね強力なのが、VIVVA2000さんが来てくれる事になりました。

7時過ぎに桜井を出発、昨夜ミシュラン・ワールド・ツアー700x32cからpanaのTourerPlus700x28cに換装していますから、軽い事軽い事、羽の生えたように走ります。 明日香村いつもの大官大寺跡にて、今朝は霜が下りて寒いですが気持ちの良い朝です、お昼は暖かくなるとか。

吉野口駅に到着、ここで8時半に待ち合わせです。 レトロな駅舎の吉野口駅、JR和歌山線と近鉄南大阪線の乗換駅としてかつては賑わいました。 昔々和歌山線のSLの写真を撮りに良く通った駅です。 

T御大に続いて、嬉々としてVIVVA2000さんが登場。 しかしT御大の片倉はサドルバッグサポーターと何やら年代物のタイヤがやばそう、VIVA2000さんのサンプレも結構?な音してまんがな、今日は大丈夫なんやろか。 輪童さんか鉄人児玉さんのドタ参があるかもと待ってみたのですがお見えになりそうもないので、3人で出発です。

 

<120>五條高取線を走り重阪峠を越えR24を少し我慢しながら走って栄山寺口から旧街道へ入り五條新町へ、五條新町と云えばここですね「餅商一ツ橋」。 そしてT御大旧知の市口薬局(享保元年創業)、せっかくだからと挨拶だけのつもりが、上がりこんでコーヒーまで戴きながら見学させて貰いました。

R168を少し走り五條病院前の吉野ストアでお昼の食料を補給する事に、しかし走ってくるロードの多い事、短い間に20台以上はすれ違った様な、会釈してもスルー、どうやらブルベの様です、走るだけで必死なんですね。 吉野ストアを出て昨年バス運行が廃止となった五新線跡に沿った道を走ります、バス運行はなくなっても専用道は進入禁止です、良い子は走ってはいけません、詳しくはこちら

五新線の遺構を見ながらR168を行きま~す。 城戸(じょうど)から<20>下市宗桧(むねひ)線へ入り、陰地(おんじ)から津越への激坂へ、県道からの標高差が250m程あります。 斜度は笠置山登るよりはマシかなと云う感じです。

ようやく福寿草自生地のある稱名(しょうみょう)寺に到着、蝋梅もなかなか見事です。  

 

おまたせしました福寿草です、標高は450m程あるのですが、もう雪は残っていません。  

 

ここでこっそり抜け駆けしていた輪童さんとkitanoさんと合流できました、門前で店を拡げてお昼にします。  

 

右側のお宅に入って行くT御大、こちらのお宅はあの尾野真千子さんのご実家です。 お母さんがご自身で作られた農作物を売っておられます、VIVVA2000さんが黒豆を買っていましたので、黒豆茶を戴いてしまいました。 ここからもう一ヶ所福寿草のポイントがあるそうなので一行はそちらの方へ向かったのですが、私は靴紐を治しているうちにはぐれてしまい、左へ下る細い道と右へ登る広い道と云う悩ましい三叉路へ出てしまいました、左へ下りたのですがどうやらとんでもない道をショートカットしてしまった様で一行の前へでてしまいました。 まぁこんな山中でも携帯電話が通じる便利な世の中になったものです。
 十日市で輪童さんと別れ、まだまだ走り足らなそうなお二人と<138>赤滝五條線で黒滝村方面へ向かいます。 夏はキャンプ場があったり五條から天川へ抜ける車が入ってくるのですが、この季節は車の少ない鄙びた道です。

先月も来たのですが、丹生小学校跡へ立ち寄ります。 実は私のリアから異音が、マッドガードが割れてしまったのです、補修してあったのですが、やはり駄目だった様です、T御大にガムテープを戴いて応急処置を、これで3人とも爆弾を抱えて走る事に、後30キロ以上はありますが持ってくれるでしょうかね。

R309に入り道の駅「吉野路黒滝」で小休止、この冬初めて自販機で飲料を補給しまして、<48>洞川下市線へ入って地蔵トンネルへ、ほっとくと峠へ行ってしまいそうなお2人です。 この後椿橋で吉野川を渡り壺阪峠で帰途に就く予定です、下市経由でと話をして、よくよく考えると立石から秋野隧道で阿知賀へ越えれば下市の街中を通らなくて済むと、気が付いたのは既に遅し、お二人はぶっ飛んで行ってしまいました。 

いつもの椿橋で小休止。 薄暗い壺阪峠を越え、高取町でT御大と別れ、明日香村でVIVVA2000さんと別れ無事17時半には桜井に帰ってきました、本日の走行105.6キロ、同行者が同行者だけにくたびれましたが、お天気に恵まれ最高の1日を過ごす事ができました。
 例によってうちのHPのアルバムに写真をUPしています、大きなサイズの画像もダウンロードできます。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2015]と辿って下さい。 なお認証が必要です、ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダー等でご確認下さい。

尾鷲ツーリング

尾鷲市 三重県立熊野古道センター

今日は予定通り「ツール・ド・紀伊」スタンプラリ-のポイント獲得に高見越で尾鷲市に向かいます。 尾鷲へは過去に何度か自走で行っていますし、コース的にも不安はないのですが、この季節に脚力の無い私が150キロ近く走るのですから、いつもの様にのんびりとは走ってられないのですが、結局スタートしたのは少し明るくなってきた6時10分でした。

西峠を通過、菟田野松井橋のローソンで補給の後、佐倉峠を越え新木津トンネルを抜けていつもの定点観測ポイント、まずまずのお天気なので高見山を頂上まで見上げる事ができました。 しかし休日とあって霧氷目当ての登山客を乗せた奈良交通の臨時バスが何台も通り過ぎて行きます、バスだけではないのでそれだけの人が登ったら上は大変な事になっているでしょうね。

9時半過ぎに高見トンネルの入り口に到着、3時間半程かかってますがこれでも結構目一杯です。 雪は4日の「伊勢ツーリング」で来た時と変わりません、前回は歩道に凍結した漏水の氷の破片が散乱していて往生したので、今回は車道を行きます、それでも処々濡れている箇所があるので慎重に走ります、万が一車が接近している時に滑りでもしたら笑い事ではありませんから。

高見トンネルを抜けてループ橋を下ります、今回はのんびりと旧道巡りをしている訳にも行きませんので波瀬地区は新道でショートカット、<569>蓮峡線を経てR422に入り湯谷トンネルを越えます。 トンネルを出て数100m程下った処にある湯谷不動尊、湧き水とベンチがあって夏は最高の休憩ポイントです、ここで小休止、ポットのコーヒーを頂きます。 残念ながらdocomoも届きません、結構な山の中ですんで。

大台町へ下り<31>大台宮川線へ、旧宮川村役場付近で宮川右岸へ渡り<424>大宮宮川線に入り、紀勢道の大宮大台IC付近でそのまま<731>川合大宮線へ入ります、こちらは大内山川をはさんでR42の対岸路になります、紀勢本線にほぼ沿っていて車も少ないのですが結構アップダウンがあります。 しかし高速道路の完成であちこちで風景が一変しています。

時間の余裕がないと云いながら紀勢本線のキハ40系もそろそろ終焉なので、列車の時刻を睨みながら線路沿いを走ります、阿曽駅と伊勢柏崎駅の間で適当な場所を見つけたので、ここで昼食&鉄な時間にします。 facebookにアップした画像を見て鉄な某S先生は場所を特定したので、結構知られた撮影ポイントなのかも。 一応「自撮り」用に三脚も積んできたのですが、そんな余裕もなく、お荷物になってしまいました。

3枚目は電線が被っていますが、まぁ3度美味しい場所でした、やってきたのは東海色、この後に大内山駅と梅ヶ谷駅との間で下り列車を狙えたのですが、そちらも東海色でした。 個人的には旧国鉄色が趣味なんですが、旧国鉄色の2連と云うのは難しそうですね。 ちなみにキハ40系のオリジナルは首都圏色だと記憶しています。 もう少し温かくなったらこれを目的に走りに来ても良いかな、陽が長くなったら2往復狙えるかも。

梅ヶ谷を過ぎるとR42を走るしかありませんが、まぁ荷坂峠は片峠みたいなものですから、熊野古道ブ-ムのお陰で旧峠も行ける様ですがダートです。 しかし高速の開通でR42も交通量が減って随分走り易くなりました、鉄な用事がなければ素直をアップダウンの少ないR42を走った方が良いかも。

霞んでいますが、荷坂峠から見る熊野灘です、ここから紀伊長島まで200m程のダウンヒルです。 

 

ここまで来てやっと今日最初のスタンプポイント道の駅「紀伊長島マンボウ」です、マンボウ串焼とかクジラ串焼とかありますが、あまり好みやないんでパス。 紀伊長島ではR42東長島トンネルを避けて旧市街の駅前へ、踏切の横のその名も「ふみきりや」は健在でした、一応お花屋さんなんで用はありませんが。

紀伊長島から尾鷲にかけては幾つかの旧トンネルが歩行者や自転車用に供用されている処があり、中には県指定文化財となっているトンネルもあります。
 (左上)長島歩道トンネル、これは例外でR42長島トンネルより新しくて、最初から歩道トンネルとして作られています。 (右上)旧長島隧道、R42江ノ浦トンネルの海側にあります。 (左下)古里歩道トンネル(旧海野隧道)、R42古里トンネルの海側にあります。 (右下)道瀬隧道、やはりR42道瀬トンネルの海側にあります。 この後R42には三船トンネルがあり山側に三浦隧道と云うのがあったのですが、残念ながら廃道となっています。

銚子川を渡り、道の駅「海山」を過ぎると今日最後の峠となる尾鷲トンネルへ、熊野古道の馬越峠に相当します。 トンネルまでは標高差100m程、斜度も知れていますが、ここまで走ってきていると結構辛いものがあります。 ここも旧トンネルがあって海側にポッカリと口を開けているのですが、尾鷲側で橋が落ちてしまったとかで通行不能となっています、紀北町と尾鷲市の境界ですので、行き交う人もいないとは思いますが。 熊野古道の方の峠はブームのお陰で階段が整備されているのものの、自転車では返って越え難くなってしまいました、盟友峠おやじナワールド氏は押し担ぎで越えた様ですが。
 606mのトンネルを抜けると尾鷲市です、残念ながらこのルートでは海を見下ろす云った展望はありません。 1999年に尾鷲から見て対岸の須賀利へ越えて、定期船に乗って尾鷲入りした事ありましたが、背後に大台の山々を背負った尾鷲の風景は感動ものでした、今はその定期船もありません。

尾鷲市街を抜けて少し行った処の丘の上にある「熊野古道センター」へ、思っていた以上に立派な施設にちょっと面食らいます。 17時26分余裕で25地点目のスタンプGET、伊勢路エリア完了、三重県制覇、残るは和歌山県の5地点のみです。 ところで「熊野古道センター」の最寄り駅は一つ先の大曽根浦駅なのですが、付近にコンビニも何もない無人駅ですので尾鷲駅まで戻り1905発の最終のスジに乗る事にします。

帰途、桜井までの輪行は4時間6分、コンビニで食料を仕入れて尾鷲駅へ、今回はマッドガード無しで来ていますので楽勝で輪行支度を済ませ1905発多気行きに無事乗車しました。 本日の走行充実の148.8キロでした。  

 

吉野山サイク

吉野川椿橋

今日は何処へ行こうかと決まらないまま明日香村から芋峠へ、千股のせせらぎ公園で持参のポットのコーヒーでまったりしながら、土曜日だし定番の東吉野村へ向かって「よしの庵」でお蕎麦でも戴こうかなとも考えながら、先々週に取りこぼした「ツール・ド・紀伊」のポイントである吉野水分(みくまり)神社へ行く事に。
近鉄吉野駅にて、この駅名標は製材組合が世界遺産登録を記念して樹齢200年の吉野杉から作って寄贈したもの、他に駅のホームの柱などに付いている縦長の駅名標も吉野杉のものが使われていたりします。

県道を参陵トンネルまで登ります、後1月半もするとこの狭いトンネルを中心に花見客の車で大渋滞するのですが、今は静かなものです。 12月にも来ているのですが、その時は水分神社までの最短ルートの首塚経由の道へ入ったのですが、判っていながら推し上げる結果となってしまいました。

今日は西よりの吉野大峯林道へ入る道をとる事にします、少し余分に登る事にはなりますが、こちらは常識の範囲内の坂ですので充分乗って行けます。 さすがに標高600mになりますので昨日降った雪が。

吉野水分神社でポイントGET、これで23地点目奈良県制覇、後は三重県の2地点と和歌山県の5地点の計7地点を残すのみです。 一応「自撮り」用に三脚を積んできましたので証拠写真をば。

首塚側の激坂も凍結の心配はなさそうですので、帰りはそちらを下る事に、とは云っても恐る恐るでしか下れませんが。 桜のシーズンにはここから見事な風景が見渡せます、一目千本ってやつです。

せっかく登ってきたのですから「静亭」でお昼にする事にします、若女将に撮って頂いた写真を拝借しました。 この後才谷へ下り秋野村道路元標下市町道路元標の生存確認をして、椿橋から壺阪峠経由で帰ってきましたが、自宅まで後1キロも無いと云う処で後輪がパンク、寒くなってきた夕刻の外でチューブ交換も何なのでトボトボ推して帰ってきましたが、本日の走行75.2キロ。
 昨日の雪で心配していたのですが標高600mの吉野水分神社でも積雪は大丈夫そうなので、明日は高見越で尾鷲を目指す事にします。

 

 

 

 

 

 

3日連続100キロ超えは伊勢ツーリング

 

今日は復調以来の当面の目標だった「3日連続100キロ超え」を果たそうと一昨日、昨日に続いて、お伊勢さんまで片道のツーリングに出掛ける事にしました。 それに「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーのポイント2ヶ所をGETすると云う目的もあります。 基本道路元標であったりとか県道ヘキサ蒐集とか何か目標やテーマが無いと走らない人でして「走るのに理由はいらない」なんて格好の良い事をのたまう御仁でもありません。 今日は復路伊勢市から輪行の予定ですので、昨年暮に新調していたオーストリッチのMTB用の大型の輪行袋をサドルバッグに押し込んで行きます、しかしデカいキャラダイスのネルソンがそれだけで一杯です。

桜井から伊勢へはいわゆる伊勢本街道とよばれるR165~R368が最短コースになるのですが、R368の大内峠までのだらだらと続く登りとその後のアップダウンが嫌なので、昔からR166高見越を走っています。 R165西峠を越えて宇陀市へ、さすがに標高300m台の宇陀は寒いです。

菟田野松井橋のローソンで補給、これよりR166は60キロ程は松阪市飯南町付近までコンビニの類はないのです。 桜峠を越えて昨日も来たばかりの東吉野村へ、最近佐倉峠を越えたところにこんな看板ができました「ニホンオオカミ最後の地…」、まだお目にかかってませんがオオカミのゆるキャラもいるそうです。

佐倉峠を下り鷲家(わしか)で高見村道路元標の生存確認をした後、新木津(こつ)トンネルまで登り返しトンネルを抜けるといつもの定点観測ポイント、昨日と違ってなかなかのお天気です。 高見トンネルまでできる限り旧道を走って行きます。 ところで高見峠への旧道ですが、奈良県側通行止になったままと思っていたのですが、通行止の案内はでていませんでしたね。

路肩には雪が残っていますが問題なく高見トンネルに到着(最初の写真)、今日は向かって右側の歩道を行く事にしましたが、所々で漏水が凍って散乱しています、ちょっとこれには難儀しましたが、そのまま歩道を走って行く事に。 無事に2,470mの高見トンネルを抜け、ループ橋を見下ろせる処で一息入れます。

ここからは松阪市飯南町粥見(かゆみ)まではR166を櫛田川沿いに約40キロ標高差500m程の下り基調の道を走って行けば良いのですが、そんな事は決して致しません可能な限りの旧道、脇道、裏道を縫って走って行きます。 まずは高見峠を越えて最初の宿場波瀬(はぜ)集落へ、昭和31年まで飯高郡波瀬村で里程標が残っています。 ここだけは時間が止まってしまった様な旧街道の街並みです。

松阪市飯高町森のR166旧道区間、遠回りになりますのでわざわざ通る車はありません。 なお先の波瀬集落に入る処から次の珍布(めずらし)峠まで、天神橋五丁目さんが2007年10月に撮った動画「R166旧道脇道裏道ツーリング「和歌山街道 珍布峠へ編」がYouTubeに残っていますので、興味のある方はどうぞ。

道の駅「飯高駅」の手前から旧道に入り和歌山街道珍布峠へ、櫛田川の蛇行部分をショートカットしているだけの標高差50m程の小さな峠ですが、岩盤を穿った深い切り通しが独特です、最近は訪れるハイカーも増えている様で案内板などが整備されています。 和歌山街道は伊勢南街道とも云われますが、江戸時代初期に紀州徳川家が参勤交代に利用していた時期があり、またこれから走る和歌山別街道の途中にある田丸は同じく紀州徳川家の所領でもあり、三重県の櫛田川沿いのこの道は和歌山とは縁が深いのです。 珍布峠を東へ下るとR166沿いにある道の駅より先に出てしまいますので、道の駅に立ち寄りたい向きは少し引き返す必要があります、ご注意を。

一旦R166に出ますが<745>片野飯高線に入り櫛田川右岸に入ります。 そのまま右岸を走りR368に出ますので、もうR166に戻る事はありません。 写真は<745>から見る櫛田川、背後の山は局ヶ岳(1,029m)伊勢三山と呼ばれているそうです。 写真の沈下橋は渡れましたが今はどうでしょうね。 (2007年4月)

R368に入り桜峠を越えます、飯高町側から大した標高差でもありませんが、ここまでに走ってきている事もあって谷あいのダラダラとした登りがあまり好きではありません。 私の知る限り三重県には桜峠は三つありますねR422信楽と青山高原に。 桜峠を越えたのは14時12分、もう登りはありませんがまだ30キロ以上は走らなくてはなりませんので、少々時間が押してきました。 それでもなお極力旧街道を走ります、何やら未知の道路元標がひょこっと現れそうな雰囲気の道筋ですねぇ。

予定の一つであった3日連続100キロ超えは達成、別に早く走りたいとは思いませんが、ツーリストとして連日走れる持久力と気力は持っておきたいですね。 16時丁度に伊勢市域に入りました。

度会(わたらい)橋を渡り外宮前の「ツール・ド・紀伊」のポイントをGETし内宮前のポイントへ、伊勢志摩エリアをクリアし都合22地点達成し後8地点です。 近々にも今日と同じ高見越えで尾鷲を目指す予定にしています。
せっかく内宮まで来たのですから「おかげ横丁」へ、しかしどのお店も5時で店仕舞い、折角の伊勢ですが「伊勢うどん」も「赤福」もなし。 なにやらうら寂しい赤福前、三脚を持ってきていたら人影のない貴重な風景で「自撮り」が出来たのに、残念。

最寄の近鉄五十鈴川駅まで走り、コンビニで豚まんと唐揚げで虫養いをして帰途に就きました。 本日の走行124.9キロ。

 

月例 東吉野サイク+室生ダム

 

室生ダム湖畔にて

 

昨日も京都府城陽市まで往復していて100キロ超えしていたのですが、最近では100キロ超えだけではブログネタになりません。 今日も連続で100キロ超えのつもりで東吉野へ向かいますが、定番コースでは90キロ程ですので染谷峠を越えて室生経由の予定です。 例によって芋峠を越えて吉野へ向かいます、行者辻あたりから週末に降った分でしょうか路肩に雪が残っていますね、下の方から人の声が、どうやらジョギングの人達の様です、どうにか峠までに追い着かれない様に頑張って登ってきました。 しかし今日は身体が重いです、朝からトースト3枚に卵2個のベーコンエッグはいくらなんでも食べ過ぎですよね。

吉野川沿いのローソンでパン2個他を仕入れて東吉野へ、天気予報では晴れ間もでてきそうな感じだったのですが、ずっと曇り空のままです。


お昼前には高見山を見上げる定点観測ポイントまでやってきました、肉眼ではどうにか山頂付近まで見えるのですが、写真では判りにくいですね。 風がないのは良いのですが気温はかなり低い様で登り基調の道もずっとネックウォーマーをしたままです。

染谷峠へ向かいますので、いつもの谷尻(たんじり)への道ではなく、「たかすみ温泉」の前を通る<28>吉野室生寺針線へ入りますが、なにやら雪が降ってきました、丁度お昼時ですし平野口の屋根あるバス停にもぐり込み、持参のポットのコーヒーとローソンで買ったパンでお昼にします。 滝野から染谷峠への道へ入って行くと標高が高い事もあって路面はご覧の通りで慎重に上がって行きますが、峠を越えて北側の激坂部分では見事に凍っていてスリップ、幸い立て直して転倒せずにすみましたが、さすがに後は国道まで推して行く事にしました。

室生寺門前にて、橋本屋は開いていますがこの季節の平日とあって閑散としています。 室生ダムへ登り返しダム湖畔を走ります。 三脚も交換レンズも積んで「自撮り」の用意もしてきているのですが、天気も今一つですし、良さげなポイントも見つけられずにそのまま榛原へ、宇陀川沿いに篠楽まで走り女寄辻経由で16時半には桜井へ帰ってきました。 本日の走行105.9キロ、2日連続の100キロ超えですが、復調後の目標に「3日連続100キロ超」ってのを考えてまして、明日も100キロ目指して走る予定にしていますので、今日は簡単にこの辺で失礼します。  

 

日本一周中の國弘君と飛鳥ポタ

今日は1月24日に「志摩ツーリング」の途中、鳥羽展望台で知り合った日本一周中の国弘君が奈良へ来ているので、飛鳥案内を兼ねて一緒に走る事にしました。 彼はGIANTのGREAT JOURNEY の4サイドで山口県をスタートし時計回りに走っています。  

近鉄飛鳥駅前で待ち合わせします、今日が188日目。 彼は大阪の大学(田尻峠の向こうの)を出ているそうなのですが、大学時代は自転車はやっていなかったそうで、明日香村には来た事がないそうです。 まずは高松塚古墳へ向かいます。
高松塚古墳から亀石を経て稲渕の棚田へ、「日本の棚田百選」に選ばれているとは云え、あの能登の「白米千枚田」を見てきた目には比べるべくもない様な気もするのですが。

棚田の中を走れるよと云うと、走りたいと云うのでご案内を、これだけの荷物の4サイドで半年間10,000キロ以上走ってきたのですからなかなかパワフルです。 
いつもの石舞台を見下ろす丘の上で記念撮影を。

明日香村岡の古い街並みの中を行きます。

お馴染み「めんどや」でお昼にします。

食事の後も酒船石、入鹿の首塚とかを回ります。 明日香村の長閑な風景の中を行きます。

大官大寺跡から藤原宮址を通って、橿原市のローディ御用達のお店「4’season」でコーヒーブレイク。

横大道(初瀬街道)を走ってJR高田駅までお送りしてお別れします。 明日は奈良市から大阪方面、そして岡山から四国に渡るそうです、これからの旅もご無事で頑張って下さい。 ブログ「自転車でお届けする日本1周日記」やfacebookもやっているそうですので応援してやって下さい。
 
うちのHPの「ツーリングの記録」にも写真をアップしています、パスワードをご存知の方はご覧になれます。

五新線跡に沿って西吉野サイク(3)

五條市西吉野町十日市

五新線周辺探訪ですっかり時間をとってしまい、西吉野町城戸(じょうと)を出たのは13時を回ってしまいました。 今日の予定はまだ黒滝村経由で吉野山へ登って「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイント「金峯山寺」と「吉野水分神社」をGETし、「静亭」で裏メニューを頂くつもりだったのですが… とにかく<20>下市宗桧(むねひ)線を走り十日町へ<138>赤滝五條線へ入ります。

<138>赤滝五條線、丹生川に沿った山峡の静かな道を黙々と走りますが、全く車に出合いませんでした。ここから下市町に入ります。

元の下市町立丹生小学校、現在では校庭が下市町コミュニティー体育館のグラウンドとして利用されています、今日は何やらゲートボールの試合だった様で、賑やかな声が山あいにこだましますが、子供の声が聴こえないのが山村の現実です。

R309に入り少し走ると丹生川上神社下社です。 上社は川上村に、中社は東吉野村にありますが、いずれも水の神様です。 

道の駅「吉野路黒滝」へ、黒滝村の道の駅で自転車乗りがと云えばこれですね(^_^)

 

<48>洞川下市線へ入り久しぶりの地蔵 トンネル、さすがに旧峠に上がる余裕はありません。

 

再び下市町に入り才谷へ、ここで15時を回ってますからとても標高600m近い吉野水分神社へ登るどころか「静亭」に立ち寄る余裕もありませんが、とにかく<257>才谷吉野山線へ入り吉野山へ登る事にします。 

勝手神社の角に出てきました吉野山です。 しかし陽が傾いてくると急に冷え込んできました。

 

金峯山寺まで下り、ここで「ツール・ド・紀伊」のポイント「金峯山寺」をGET、これで20個目で残り10個、和歌山県に5個、三重県に4個、それに奈良県には今日行けないかった「吉野水分神社」を残してしまいました。 暮れに買い換える前のスマホが対応できずにスタンプラリー参加を諦めていた12月に登っていたのに、さて後1ヶ月半で達成できるでしょうかね。

さてこれから帰途、 裏芋を越えるか壺阪峠を越えるか、この時期の夕刻の壺阪峠はイノシシと遭遇しないのかがちょっと心配ですが、峠までに日没は確実なので、やはり走りなれている壺阪峠を越える事にしました。 17時過ぎに壺阪峠に到着、峠から少し下って見える奈良盆地には明かりが。

18時半に桜井に帰投、本日の走行距離107.1キロ、今月5回目の100キロ超えとなりましたが、平均速度は驚異の13キロ台、もうポタリングですね。 道路元標は高市郡の船倉村、南葛城郡の葛村、宇智郡の宇智村と野原村の4基の無事を確認しました。
今回は3回に分かれてしまいましたが、最後までお読み頂き有難うございました、お礼に特典映像をプレゼント。
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五新線跡に沿って西吉野サイク(1)

 かつて鉄道敷設法と云う法律がありました、1892年(明治25年)に制定され、あまねく全国に鉄道路線網を張り巡らそうと云う、今の高速自動車国道法の鉄道版みたいなものです。 鉄道建設が国家の基盤施策みたいに考えられていた時代ですから、費用や技術的問題、必要性、採算性などは度外視で、ある意味政治家の集票の道具の様に使われていたかも、ちなみに道路元標の根拠法の旧道路法は1919年(大正8年)。 1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法では全国で150もの路線が設定されていました。 その中に「奈良縣五條ヨリ和歌山縣新宮ニ至ル鐵道」、すなわち五新線が掲げられています。 1939年(昭和14年)に建設に着手されたものの、ルートに関して地元同士の綱引きに、国鉄、近鉄、南海の思惑が絡み、戦時中断を経て1957年(昭和32年)に工事再開、1959年(昭和34年)には五條~城戸までの路盤が完成したものの、地元西吉野村(現五條市西吉野町)が鉄道としての開業に懸念を示したため、路盤を専用道として利用するバス路線として開業する事となります。 その後工事は大塔村(現五條市大塔町)阪本まで進みますが、1982年(昭和57年)の国鉄再建法の施行で工事は凍結、城戸までのバス路線は国鉄~JR西日本と継続されますが、平行する国道168号線の改良や自動車利用の発達、城戸以遠や接続網を持つ奈良交通のバスが国道を走っている事もあって運行本数は逓減し、2002年(平成14年)にはJRバスが撤退、地元自治体が奈良交通に運行を委託していたのですが、トンネル崩落の危険性がある事が判り2014年9月末で廃止となった事は話題に新しいですね。
 奈良県出身の映画監督河瀬直美さんの実質的な処女作でカンヌ新人監督賞の最年少受賞作品となった映画「萌の朱雀」(1997年)の舞台に西吉野村がなり、作品中では具体的な事までは明らかになっていませんでしたが、國村隼演じる主人公が五新線に拘わっていた事が物語の重要なテーマになっていました。 ちなみ「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんは西吉野村出身で御所高校卒業。 最近ではロケ地の案内ができたりしていますが、私の聞いている範囲では内容が暗すぎると地元での評判は良くなかったそうです。
 ところで晩年の土日には午前中に1往復だけなってしまったバス専用道、奈良県のサイクリストには知られた存在でした、なにしろ五條~城戸間を車に煩わされる事のない殆んど平坦路と云って良いルートがあるのですから、しかしネットではその利用を明らかにする事はタブーなのです、今もなお。

 朝7時半に桜井を出発し明日香村経由で御所市域へ、船倉村道路元標葛村道路元標の生存確認して吉野口駅で小休止の後重阪(へいさか)峠を越えます。 いつもは三在北あたりでR24に入るのですが、極力トラックの多いR24を走らない様にと宇智川沿いの道を走ってみようとしたのですが、堤防上の道はダート、舗装路を選んで進んでいると遠回りになってしまった様な、それでも宇野町から五條市街にかけてほぼ旧街道の中を走って行く事ができました。 年末に来たばかりなのですが五條市の新町通りに寄ってトイレ休憩の後、大川橋を渡って五条病院前の吉野ストアで買物、いよいよ五新線沿いの道へ入ろうとして、今日のもう一つの目的「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントを五條新町のまちや館でGETするのを忘れていた事に気がつきます、慌てて再び大川橋を渡り新町通りへ。 その後野原町道路元標を確認して五新線のバス専用道の入り口へ。

 中央の急坂が元のバス専用道への入り口です。 「市有地につき一般通行禁止 市有地内での事故について市は一切保証しません。 事故による責任は全て個人の責任となります。 五條市」と書かれた看板が出ています。 もちろんここは左側の一般道へ入ります。

 

バス専用道はご覧の様に切り通し状に真っ直ぐ続いています。 バスの運行終了3ヶ月になろうとしてますが路面は綺麗です、今にもバスがやってきそうな風景、と云うより線路があれば列車がやってきてもおかしくない佇まい。

バス専用道時代の看板「路線バス専用道につき 一般車両の通行を禁止します 五條市・西吉野村」もまだまだ残ってます。 もちろん私のいる右側が一般道です。 

 

一般道との交差する箇所がいくつもあり、かつては踏切があって専用道を行くバスが優先だった時代もあるそうです。 専用道を走る路線バスは他にもあります、福島県のJRバス白棚(はくほう)線などがそうですね、専用道側優先の踏み切りもあってかなり厳格に進入を規制している様です。 しかし走ってみたいですネェ、でも良い子は走ってはいけません。 それより一般道のクネクネ度と緩やかなアップダウンがたまらないやないですか。

 

民家の庭先と柿の木畑の間を専用道は走って行きます。 あの車は狭い急坂を登り下りしてこちらの一般道から出入りしているんでしょうねぇ。 

 

元の上柏原バス停を過ぎて丹生川は東側へ蛇行します、専用道は左岸(向かって右側)へアーチ橋(第1丹生川橋梁)で渡って行きます、橋の向こうには専用道生子(おぶす)バス停跡が見えているのですが、残念ながら丹生川右岸に沿った道を行く事にします。

地形図では黒線(幅員3m未満)で示された道が丹生川右岸に沿って続いています、一応はコンクリートの簡易舗装がされていた様なのですがかなり痛んでいます、でもランドナーのためにある様な道です。 私のasuka号をランドナーに例えると文句を云ううるさがたもいますんで、ここは気分はランドナーと云う事でご容赦を。

 

突然「法華経一字一石塚」「為川筋往来安全也」と記された石碑が、この付近がほぼ元の五條市と西吉野村の境界にあたりますが、明治時代に建てられたものの様です。 と云う事はこの道が十津川街道、あの天誅組も通ったのでしょうかね。 

 

暫く進むとまわりが明るくなって西吉野町滝の集落が見えてきました、うーんニューサイクリングの世界ですねぇ。 

 

滝集落まで来てようやく左岸に渡る橋があります、五新線は対岸の山を生子トンネルで貫いていて、R168は山腹を走っていますので、そこまで登って行かなくてはなりません。

 

R168に取り付くと老野(おいの)トンネルが、ここには旧道が残っていますので左側へ進みます。 

 

 

落ち葉に覆われていますが旧道は健在です、走行に全く支障はありません。 

 

 

眼下には生子トンネルを出てきた五新線の第3丹生川橋梁が、その先が専用道神野(こうの)バス停でしょうか、その向こうに見えるのはフルーツロード(五條吉野広域農道)の賀名生(あのう)大橋。 

R168を渡り先程見下ろしていた専用道神野バス停へ下りてきました。 専用道はバス1台が通れるだけの幅員しかありませんので、何箇所かのバス停はこのように行き違いできるだけの幅員を持っています。 今では使われなくなったバス専用道と高規格農道の巨大橋梁が対照的ですね。

 

専用道は真っ直ぐ進んでいますが、蛇行する川筋に沿った右側の小径へ入ります。 

 

 

どっかの渓谷の遊歩道の雰囲気ですね、無理せず推して行きます。 

 

 

頭上には五新線第4丹生川橋梁、その上には賀名生大橋が、眼下には橋がない(^_^;)

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