走行30.3キロ、今年始めて’みんみんぜみ’の声に気が付きました、帰ってきてからシャワーを浴びて客先へ、いよいよ朝練ぽくなってきました。 GPSはバッテリがあがって検証できず、しかしいつも問題が発生している区間でスイッチオンしても、その時点でほぼ正しい位置が表示されると云う事は、移動を予測や類推するロジックがあって、それが悪さをしていると云う事なんでしょうかね。
40年前のネガから (1969/8/7)
最近、SORAさんもブログに書いていますが、フィルムのスキャンは手間のかかる作業で、エエ加減そろそろ嫌気がさしてきました。 第一デジカメでは全く必要のない工程ですもんね。 ネガの劣化とか埃とか触りだすと全く持って捗りませんので、どんどんやって、必要があれば後からやり直す位のつもりで。
この時は久大本線の夜明駅付近で撮影してから、日田彦山線で筑豊へ出ている様です。
きっと夜明駅前後、D60
キハ17系と混成のキハ55系の一次型、国鉄型DCファンならきっと判る光景ですね。
来週のキャンプは
来週に計画しているキャンプツーリング、色々と準備にない頭を悩ませています。 今回はできるだけ身軽にと考えているのですが。 ここ数年テントはモスのアウトランドで、これが最後のテントと決心して買ったモスですが、決して軽くはありませんし、あの美しいテントを美しく張るのもなかなか大変です。 実は一昨年にヨーレイカのスピットファイアーと云うソロテントを買ったのですが、いまだに使う機会がありません、自立せずペグダウンが必須なので、そんな事ならビビィザックを買った方が良かったかもと後悔しています。 まぁ安かったですけど。 やはり長年辛苦をともにしたヨーレイカのライジングサンが一番良かった様な気がします。
サイドバックもあのオーストリッチを引っ提げて行くのも気が進みません、もちろんモンベルのフロント用だけでは、なんぼなんでも容量が足りません、フロントキャリアへのバッグの取り付けも色々と問題があります、ニットーキャンビー3の構造上、がっしりとキャリアでフロントフォークを固定してしまう為に、腕への振動がフォークで緩和されないのが結構辛いのです。 ヘッドランプがなければ、バッグの固定方法も多少工夫できるのですが。
40年前のネガから (1969/8/6)
この時の九州行、さすがに夜行ばかりと云う訳にも行かず、ユースホステルも利用していました、しかし何処に泊まったとか、全くと云って記憶がなかったのですが、こんなものが出てきました(^_^;) 日田とか霧島高原とかに泊まった様です。
ちなみにY.H.会員だったのは1979年度が最後で、写真はその年のものです、念のため。
C57 36 ネガ袋にある記録ではこの日は都城駅、志布志区、宮崎区となっていますが。 当時の所属区と運用線区から類推してみるのですが、いずれも撮影場所ははっきりとしません。
C56 92 5年後の1974年の鹿児島国体とその翌年の宮崎植樹祭でお召列車を牽引したC56です。
C58 427 C58のラストナンバー、4次型と云うのでしょうか、船底型テンダー、門鉄デフが正式採用されるはずだった幻のC63を彷彿とさせます。
HTPCマシン
先日、一応組み上げたHTPCマシンですが、仕上げを。
Core2Duo E6550 (2.33GHz)
MSI P35Neo-F (MS-7360)
2GByte (1GBytex2)
MSI NX-8500GT
Seagate ST380815AS (SATA 80G)
Seagate ST3500320AS (STATA 500G)
以前から使っていたキャプチャカードを乗せ換えました、IOデータのGV-MVP/RX3って古い製品です、もちろん地デジなんかじゃありません。 以前はG450と組み合わせていましたが、8500GTとの組み合わせは??? 無事動きました。 しかしそろそろ地デジにしなくてはネ。
オークションで落としたケースでしたが、気が付くとPOWER LEDが点灯しません。 奮発して白色LEDを付けて見ようと、組み上げてから前面パネルを外すのは結構厄介で、3.5吋ベイを外した上に7本のネジをケース内側から外す必要があります。 昨日買ったHDD増設ステイで3.5吋ベイの下の空間にディスクを押し込もうとしたのですが、どうにもうまくは行きませんでした、やはり寸法的に色々と無理があります。
青色と白色LEDの組み合わせは、なかなかお洒落ですが、ファンレスのNX-8500GTの発熱が大きいのが気になるところですが。
40年前のネガから (1969/8/5)
門司港発の肥薩線経由鹿児島行の夜行で熊本に向かいます。 熊本着は真夜中で、待合室で豊肥本線の始発を待ったのですが。 熊本に着いてから目が覚め慌てて下車していたので、方向感覚を失っていて、乗るべき列車を目の前で見送ってしまいました。 熊本駅ってのは駅の西側に山があるのですが、大阪からやってきた少年達は熊本は東側に山があるって感覚でいたのでしょうね、ホームの端から出て行く豊肥本線の列車を見送り、本州からの夜行が思わぬ方向からホームに入ってくるのを見て、始めて方角を間違っていた事に気がついたのでした。
丁度、電化が熊本まで進んでいた頃ですね。 写真のキハ55は大分行き、真夏に窓を置けているのは、冷房なんか付いていない時代だからです。
立野駅、雄大なスイッチバックは今も健在ですが、風景は…
高森線、現在の南阿蘇鉄道、C12の牽く混合列車です。
終点の高森駅。
今日のお買い物
大阪へ出たついでに日本橋へ回ろうと思っていたのですが、この暑いのにネェ、ヨドバシで済ませました、ジャンキーなパーツはないけど、大概のものは揃うんですよね。
グラボのGF8400GS-LE256H/HSは気に入らないRD7000の代替です、8400でなくとも6200とか7300で十分なんですけど、これが一番安い 3.980円
今年のキャンプは
数年前まで毎年夏休みは自転車にキャンプ道具を括り付けて、紀伊半島の山中をさすらうのが恒例行事だったのですが、最近はトンとその馬力と云うか気力がなくなってしまって、akutaさんが企画してくれるキャンプ企画が唯一の機会の様になってしまいました。 と云っても比較的近場で一泊、キャンピング装備で走ると云うより、キャンプそのものが目的にはなってしまってはいるのですが。 まぁそれはそれで愉しいのですが、やはり何処か物足りなさは残ります。 ところで今年の恒例akuta企画は、関東勢をも交えて富士山麓の精進湖で行う事になった様で、日程やアプローチの関係で参加は難しくなってしまいました。 これで今年はキャンピング装備でのツーリングは無しかと思っていた処、昨年の笠置キャンプでご一緒したlibertyさんが色々とプランを考えて下さっているので、それに乗っかろうかと考えています。 8/13~15を中心にした和歌山県旧龍神村での計画ですが、興味のある方はこちらををどうぞ。
1991年8月、下瀞キャンプ村にて、この時は高見峠~湯谷峠~水呑峠、尾鷲からR311で田辺市朝来まで紀伊半島を横断しました。
2001年8月、今回計画している旧龍神村の「丹生ヤマセミの郷」にて、この時は5泊6日でしたが、単独行とテントでの2泊以上はこの時が最後になっています。
2002年8月、十津川村の二津野ダムで車中泊し、「昴の郷」に車を置き2人で牛廻越で竜神入りして、買い出しをして「ヤマセミの郷」に入り、大阪を朝出た後続の2人が十津川から引牛越を越えてきて合流しました。 翌日は4人でダートの坂泰林道を越えて旧逢坂トンネルと小広峠と旧311を走り「昴の郷」に戻りました。 1日目70.2キロ、2日目68.8キロの行程でした。 2日目の朝から雨に祟られましたが、今も印象に残るキャンプツーリングでした。写真は逢坂峠を下り近露の里を見下ろす辺り。
2003年8月、野迫川村宮の向にて、過去最悪最低のキャンプでした。 結局自転車には乗らなかった様な…(^_^;)
2004年7月、和歌山県旧美山村猪谷にて、輪童さん、九さん、UG兄さん、それにnana魔女と云う豪華メンバーで護摩壇山と龍神温泉に車を置いて、林道白馬線から美山村に下り、猪谷温泉の傍のキャンプ場へ、他の利用者が皆無だったので、炊事場横を占領、翌日は寒川から川合峠を越え龍神温泉へ戻りました。 この時は寝不足で体調が悪いわ、荷物は多すぎるわ、タイヤの選択を間違えるわ、2日とも雨に降られるわと散々な目に遭いましたが、今となっては愉しい思い出です。
2005年5月、五條市阿太のカルディアにて、この時私は病み上がり?だったのですが、頑張って4サイドで走って行きました。 この時は翌日の1day組も含めると14名の大所帯になりました。
しかしここ10~20年のアウトドアブームでファミリーキャンパーやオートキャンプが増えて、従来の自転車や単車でのキャンプ場の使用は肩身が狭いというかしづらくなりましたね、設備が良くなる事は結構なのですが、オートキャンプや大型テントやターフでのファミリーキャンプを対象にした料金体系で、ソロでは話にならない様な割高な使用料になってしまいます。 オートキャンプ場とはっきり掲げている処は別として、昔からのキャンプ場は多少は考慮はして貰える様ですが。 それになかなか予定通りに進めない自転車ツーリングでは、予約と云うのもなかなか難しいものがあります。 結局ひっそりと目立たない処でゲリキャンするのが一番良いのかも知れませんが。
40年前のネガから (1969/8/4)
40年前のネガから (1969/8/3)
筑豊本線のどこかの駅だと思いますが、SL撮影旅行でSLの牽く列車で移動するなんて、なんて贅沢な、あたりまえの時代だったのですが。
直方駅近辺ではないかと思うのですが、D60 33、D50ではなくD60なら関西でも紀勢線にいたのですが、集煙装置がついていました。
同じく直方駅では、当時の筑豊は網の目の様に国鉄線があったのですが、今ではその多くが廃線となってしましました。 昨年日田彦山線に乗りましたが、福岡県は道路元標の現存情報が皆無と云って良い位なので通過してばっかりです。
40年前のネガから (1969/8/2)
ネガフィルムのホルダー以外には何の記録も残っていないのだが、この日は夜行で佐世保へ行き、松浦線、現在の松浦鉄道の佐々へ行っている、当時の松浦線には臼ノ浦線、柚木線、せ知原線と云った短い支線があって、元祖レールバスと云えるキハ02が活躍していで佐々区に配置されていた、それが目的だったのだが、この年には既になくなっていた。
佐々駅構内(だと思う)、当時の松浦線ではC11と8620が活躍していた。
早岐機関区、左にDD11、右に「あかつき」のヘッドマークを付けたDD51が見える。
右端に国鉄バスへののりかえ案内が写っていて、どうやら有田駅ではないかと、そう云えば昨年、早岐駅と有田駅は乗り換えで降り立ったが、雰囲気的にも有田駅に違いない様です。 この様に昔写した写真を頼りに訪れる旅も面白いかも。
鳥栖機関区にて 39641
同じく 68649、九州には原型に近い美しい機関車が多かった。
左から D51 924 68649 39641
暢気な時代と云えば暢気だが、北九州には多くの機関区があって、中学生のグループでも簡単に写真撮影の為の見学が許して貰えた。 ただこの頃構内で突放入換中の貨車に轢かれて死亡する事故が発生し、見学が厳しくなったとか聞いた。
「逃亡列車」
森谷司郎監督の「首」以来の’日本映画’カテゴリです、「首」も房総周辺のC58が出てきましたが、どちらかと’鉄ちゃん’ネタですね(^_^;)
昭和41年(1966年)12月公開の日活映画で、「鉄道ファン」誌で紹介されたので、中学生だった私ですがなんとロードショーで見ています。 今年は石原裕次郎23回忌とか、といっても全くの話題にもされない作品です。 で思い出した様に検索すると、ありましたありましたVHSで出ていたのですね、レンタルビデオ落ちをYahooで発見、競ることなく落とせました、少なくともオールド鉄道ファンには感涙ものの隠れた名作です。
小海線沿線でC56を使ってロケされたのは一目瞭然なのですが、シールドビームに架線注意のSLをバックに石原祐次郎が機関銃を構えるパッケージにケチを付けたりとマニアックな野暮は云わずに、舞台となる駅のセットや、実際の走行シーンと見どころたっぷり、フィクション作品とは云え、高林なんとかの作品より、余程にリアリティのある映像が随所にみられます。 共演者には伊藤雄之助、若かりし十朱幸代、と云うより少年にはロボタンのパパの娘さんと云う方が(^_^)
物語の舞台は終戦を迎えた南満州ですが、ロケ地の小海線野辺山高原も、今ではかなり様変わりしてしまっていますよね。
C56 112 や159が登場しますが、ボロボロにウェザリングされたC56 112は廃車体ではなく、当時はまだ現役だったはずなんですよ。 このC56を祐次郎率いる大映の「兵隊やくざ」みたいな連中が、修理して「逃亡」する訳なんです。
これって大門沢の鉄橋? まさか鉄橋まではセットやないのと思うので、爆破シーンは実際の鉄橋に煙幕だとは思うのですが。
貴重な35mmフィルム映像ですから、是非DVD化してほしいものです。
40年前のネガから (1969/8/1)
折につけて古いネガフィルムの整理をしたいのですが、デジカメに慣れたきった身にはフィルムスキャナを操作するなんて非常に邪魔くさい作業なんで、すぐに挫折してしまいます。
1969年の夏休みは九州周遊券を利用して友人たちと九州へ、宿泊はYHと九州内の夜行を利用、8月1日は一日かけて門司まで移動、当時は門司港発で大村線経由佐世保長崎行き、肥薩線経由鹿児島行、日豊本線経由鹿児島行きと3本の鈍行夜行があったので、門司港駅は拠点になっていました。
写真は門司駅でしょうか、門司港駅でしょうか、客車を牽くC11 299、日田彦山線の列車でしょうかね。
これは門司駅です、ナハネフ22が写っていますので、上りのブルートレインが関門トンネルをくぐるため、塩害対策のステンレス車体の交直両用機EF30に付け替えているところです、左はED76の様です。
今月の実績
走行423.2キロ、天候不順でしたからね、と云う理天気予報に牽制されまくったと云う様で、皆さんとご一緒する機会もなく、正味「会津」だけみたいなものです。
福島~新潟~石川で道路元標33基、累計750基となりました。
SINCE 1997
docomo 定額データプラン
昨年からノートPC用で使っているdocomoN2502HighSpeedデータ通信カードの契約、殆ど毎月15万パケットに満たないので従量制にした方が少しだけでも安くなるので、契約を見直そうかとdocomoのホームページを見ていると、新しい契約プランが出た様なのだが、どうも腑に落ちない。 歩いて3分とかからないdocomoショップへ行っても、そこのおネェちゃんたちではラチがあかないので、直接「151」に聞いてみる事にした。
従来プランは50万パケットまで固定で、100万まで累進して定額となっている。 (但し2年縛りの契約をすると70万から定額となる。 )
新しいプランではバリュープランの場合2000円、2年の縛りを付ければ1000円からスタートする様に変わったのだが。 上限額こそ変わらないものの、下限額から累進に切り替わる転換点が大きく変わっている。 今まで50万パケットだったのが、たった23825パケットなのである。 最初は1パケットのバイト数が変わったのかとさえ思いましたよ。
恩恵を受けるのは僅か約58700パケット/月未満の人だけで、上限額が変わっていないので100万パケット越えの人も何も変わらない。 私の様に月々50万パケット以内で使っている人は、下手をすると月額6000円も高くなってしまう。 基本的にはパケット通信料が0.0126円/パケットから0.042円に上がっているのですが、危うく大損する処、すでに従来ダイプの契約は先月で打ち切られていて、私も従量制にしたりすると元には戻せない、今の契約のままを維持するのが一番お得らしいが、こんなプラン改訂をして、後から説明不足だとクレームを付けられないのかネェ…
Silverstone LC13
以前からHTPCケースが一つ欲しかったので、オークションあたりをウォッチしていたのですが、いつも競り負けるとと云うか、節度ある金額しか入れていなかったのですが。 会津から帰ってきたら繰り上げ落札の通知が、最高落札者が金額を吊り上げてしまっていたので、格安と云う訳でもなかったのですが、送料を入れて納得できる金額を入れていたので、遠慮せずに応じる事にしました。
SilverstoneのLC13の黒、ディスプレーもリモコンも付かないシンプルなモデルで、3.5と5吋のオープンベイと2つずつ、3.5吋シャドーベイが2つ。 最近マイナーチェンジしたLC13-Eが出ている様で、3.5吋オープンベイが中央ではなく左に寄った様です。 本体は普通のスチールケースですが、フロントパネルは肉厚のアルミ材でHTPらしい高級感があります。 Silverstoneだけに作りや仕上げはしっかりしています。 元箱に入って、付属品もネジまで揃っていて、目立つキズもなく、見た目は新品同様の買い物でした。
実はHTPCケースと云うか、自作機で横置きのデスクトップケースは初めてです。 ATXミドルタワーを横にしたと思えば良いのですが。 日頃メーカー製のデスクトップの中味を良く見ているだけに、もう少し小さくならないものなんかなぁと、レイアウトをしげしげ眺めて見ます、やはりATXマザーに2基の5吋ベイを収めるとこの大きさになってしまうのは仕方ないのでしょうね。
HTPCケースが欲しかった理由は机の左にある7台のミドルダワーのうち1台をテレビやオーディオに近い机の右側に持って行く事で、とりあえずはケースの入れ替えだけなので、早速ブチ込んで見ました。 電源はいわゆるケーブルプラグインと云うタイプなので必要ななケーブルしか付けていないのですが、それでも5吋オープンベイの後ろはかなり厳しいです。 2つの3.5吋シャドウベイは3.5と5吋のオープンベイの下に入り、3.5吋オープンベイを1つ殺せばハードディスクを2段重ねで入れる事も可能ですが。 日頃タワー型になれている身には結構組み付けにくい感じは あります。 まぁこれから色々といじくってみる事にします。
ちなみにLC13-Eは内部レイアウトもかなり変わっている様です。
モンベル フロントサイドバック
今回はこの様ないでたちで出掛けましたが、フロントバッグは先日モンベルのツーリングフロントバッグの代用としてチョイスしたTOPEAK Tour Guide HandleBar Bag DX 、リアはキャリア上に乗せるダンロップのバッグに変えて、モンベルのフロントサイドバッグを付けてみました。 本来はフロント用ですし、片側で8リットル(メーカー値)の容量しかありませんが、キャンプでも無い限り充分なサイズです、私としてはLet’sNoteRシリーズやA4サイズ資料が入れば充分な訳ですから。 欠点は内側に飛び出しているナットの頭がどうにも。
最初からKHS用として入手した訳ですが、KHSの純正リアキャリアはパイプ径が大きく付けられないと一目見て思い込んでしまっていて、asukaのリア用として荷物の少ない時に使っていました。 実はアタッチメント内側のスペース調整パーツ(写真左)を外してやると、充分太いパイプにも取り付けられる事を知ったのです、やはり取説は横着せずにちゃんと読むべきもんですね(^_^;)
ところが今回、その取り付けアタッチメントのラッチ部分が破損してしまいました。 モンベルのツーリングフロントバッグの件でジャパタカさんから戴いたコメントにあったのはこの事だったのでしょうか…
このサイドバックは取り付け取り外しが楽なのでなかなか良いと思っていたのですが。
道路元標蒐集の旅(会津編)
今日は「青春18きっぷ」を利用して帰途につきます、新潟~桜井599.7キロの行程ですが、途中石川県下で道路元標4基を回る予定です。
← 萬代橋
新潟0518発の信越本線の始発に乗車、115系です。
長岡0641発、直江津行きに乗り換え、柏崎を過ぎると日本海が… しかし行き帰りだけは天気は良いようで。
直江津0813発、富山行き、こちらは食パン電車419系、寝台電車581系改造のマニアアックな車両です、固定さえできれば置き場所はたっぷりありますが、ここは2つのトイレ(使用できるのは1つ)の向かい、元は洗面所のあった場所です。 しかし幅700mmの折り戸で輪行袋を担いで乗り降りするのが大変です。
遠足か社会見学でしょうか、狭くて段差のあるデッキを一列にならんで降りて行きました、お陰で少し発車が遅れましたが、これはこれで和む光景です、市振駅にて。
倶利伽羅駅1057着、石川県河北郡の倶利伽羅村道路元標を回り、余分な荷物を「ゆうパック」にして身軽になろうと、5万図に載っている郵便局を探しますが見つかりません、結局は道の駅の向かいに移転していたのですが、1本乗り遅れて、再び次の津幡駅から加賀笠間駅に移動します。
能美郡の安宅町道路元標は勧進帳の安宅の関の対岸にあります、今では殺風景な川岸ですが架け替えられる前の橋の北詰にあたる場所です。
小松1541発の敦賀行きに乗車、こちらは455系ですが、この車両は輪行袋の置き場に苦労します。 距離が短かければ運転台の後ろが丁度良いのですが。
敦賀から米原経由の新快速播州赤穂行きに乗り継ぎますが、敦賀直流化で随分楽になりました。 やはり京都からは近鉄利用が早いのですが、奈良線~桜井線経由でフルに「18きっぷ」を利用させて戴きました。 しかし一番接続の悪かったのは奈良駅の29分だとは…
本日の走行34.5キロ。 ずいぶんと天気には悩ませられましたが、道路元標32基、走行256.3キロと充実した4日間でした。
【747】 石川県 河北郡 倶梨伽羅村 (現 津幡町)
【748】 石川県 石川郡 比楽島村 (現 白山市)
【749】 石川県 能美郡 寺井野村 (現 能美市)
【750】 石川県 能美郡 安宅町 (現 小松市)
道路元標蒐集の旅(会津編)
本当にあてにならない天気予報では、昨日よりはマシな天気らしいのですが… 昨日行けなかった山都を含めて午前中は会津を回り、磐越西線で新潟に移動する事にしました。
最初は河沼郡の八幡村道路元標、走って行っても15キロ余りですしきっとその方が早いのですが、0559発の只見線に9駅(26キロ)乗って塔寺駅まで輪行します。 只見線は直通列車は1日3本の超ローカル線、10数年前に一度通しで乗りました。← 右側は旧会津線の会津鉄道
塔寺駅、片面ホームでかなり秘境駅の雰囲気なんですが、近くの国道49号をひっきりなしに車が走っているので結構騒がしいです。
今回唯一とも云える峠、鐘撞堂(かねつきどう)峠、もちろん峠おやじナワールドさんの足跡はここにもあります。
山都駅近くの一ノ戸川鉄橋、磐越西線では有名な撮影ポイントの様です。 山都町は現在では喜多方市となっていますが、こちらの名物は「そば」、11時前ではどこも開いていませんでしたが。
山都駅1128発の快速「あがの」で新潟へ向かいます。
← 今回はサイドバック装備なので、こんな感じで輪行状態に。 バックの右は付けたまま、左は外して写真の様に。 オーストリッチの輪行袋「ちび輪」にもどうにか入ります。
山都駅で輪行支度をしていると、丁度話題の日食に、雲の合間に見え隠れしている状況で結構暗いので、ND4とND8の2枚重ねでトライしてみました。 40何年か前は小学校でしたが、2009年の日食を東北の山峡の駅前で、駅を委託されているおばちゃんや客待ちをしているタクシーの運転手さんと一緒に見上げているとは、26年後は生きているのでしょうかね。
新潟県の天気の具合も怪しげで、あまり南部や山沿いに行くと降られそうなので、越後線に乗り換えて越後赤塚駅から西蒲原郡の道路元標を回る事にします。 結果的にはこれが正解で一度も降られる事もなく、7月の暑い時期に新潟平野のど真ん中を結構涼しげに走り回る事ができました。← ようやく信濃川の信濃川水門(本川大橋)まで走ってきました。
今夜は東横イン新潟古町ですが、新潟市道路元標はすぐ近くです。 本日の走行86.5キロ
【731】 福島県 河沼郡 八幡村 (現 会津坂下町)
【732】 福島県 河沼郡 高寺村 (現 会津坂下町)
【733】 福島県 耶麻郡 相川村 (現 喜多方市)
【734】 福島県 耶麻郡 木幡村 (現 喜多方市)
【735】 福島県 耶麻郡 山都村 (現 喜多方市)
【736】 新潟県 西蒲原郡 赤塚村 (現 新潟市)
【737】 新潟県 西蒲原郡 松野尾村 (現 新潟市)
【738】 新潟県 西蒲原郡 角田村 (現 新潟市)
【739】 新潟県 西蒲原郡 鎧郷村 (現 新潟市)
【740】 新潟県 西蒲原郡 曽根村 (現 新潟市)
【741】 新潟県 西蒲原郡 大原村 (現 新潟市)
【742】 新潟県 西蒲原郡 四ッ合村 (現 新潟市)
【743】 新潟県 西蒲原郡 升潟村 (現 新潟市)
【744】 新潟県 西蒲原郡 中野小屋村 (現 新潟市)
【745】 新潟県 西蒲原郡 黒崎村 (現 新潟市)
【746】 新潟県 新潟市
道路元標蒐集の旅(会津編)
東横インには無料の朝食サービス(7~9時半)があるのですが、あまりその恩恵に与かる事はありません、今日は朝飯前に南西部を一回りしようと明るくなったら出発、ところが走り出した途端パラパラと、結局ポンチョを被って走る事に。
大沼郡の本郷町道路元標まで南下して雨が酷くなってきたので雨宿り、本郷も大内宿に続く旧街道の宿場町なので、この様な休憩所が整備されています。
今回もポンチョが大活躍なのですが、後ろバックをキャリヤ上からサイドに変更したため後輪のハネをモロに受ける事に、小さな泥よけを装備するのが良さそうです。 新鶴村まで足を伸ばして朝飯前に5基ゲット、雨は治まったものの、こんどは風が、おかげでポンチョはきれいに乾きましたが、宿に戻ったのは9時半を回って朝食タイムには間に合わず、まぁギリギリに戻ったのでは残っているかどうか判りませんがね。
靴を乾かしたりして、体制を立て直して再び出かけますが、せっかくやんでいた雨が再び降り出して来る始末、どうやら今回はとことん降られそうな雰囲気です。 ネットでみるとSORAさんもふて腐れているようです。← 会津盆地を北へ、磐梯山は雲の中です。 やはり日本の風景に全く似合わないKHSですが、その機動力は魅力です。
耶麻郡の上三宮道路元標、ここに倒置されていたと云う情報は2005年8月まであるのですが、行方不明に。 向かいの商店のおばさんも放置されていた頃の記憶もない様です。
晴れていれば喜多方から山都に抜けて、輪行で若松へ戻る事も考えていたのですが、山越えするのも川沿いに迂回するのも、この天気では大変なので、喜多方でラーメンを喰って戻る事にします。
当然ですがラーメン屋だらけなので、何処に入ってよいものやら、結局「らーめん館」と云う道の駅みたいな処の横の「たんぽぽ亭」と云う安直な名前のお店に、麺もチャーシューもなかなかでしたよ。 でもここでも無意識に焼き飯の付いたセットメニューを頼んでしまう処が痩せない原因なのでしょうネ(^_^;)
喜多方を後にし耶麻郡の慶徳村道路元標に向かいます、磐越西線の踏切を跨いだのが15時24分、この天気ではバックに磐梯山を望むべくもありませんが、休日の昨日なら「SLばんえつ物語」号が後30分程でやってくるのです、残念。
この後、雨と風に苦しめられながら走りに走ってなんと111.9キロ。 タイヤ周長が間違っているのかと思いましたが、GPSも120キロ近い値がでていました、朝飯前に40キロ近く走っていますし、結構迷走しましたからねぇ…
【720】 福島県 大沼郡 本郷町 (現 会津美里町)
【721】 福島県 北会津郡 川南村 (現 会津若松市)
【722】 福島県 北会津郡 舘之内村 (現 会津若松市)
【723】 福島県 北会津郡 荒井村 (現 会津若松市)
【724】 福島県 大沼郡 新鶴村 (現 会津美里町)
【725】 福島県 河沼郡 堂島村 (現 会津若松市)
【726】 福島県 耶麻郡 駒形村 (現 喜多方市)
【727】 福島県 耶麻郡 北山村 (現 北塩原村)
【728】 福島県 耶麻郡 岩月村 (現 喜多方市)
【729】 福島県 耶麻郡 喜多方町 (現 喜多方市)
【730】 福島県 耶麻郡 慶徳村 (現 喜多方市)
道路元標蒐集の旅(会津編)
SORAさんが車で会津に行くと云うので、無理やり便乗させて貰う事に、しかし今週の天気はあまり思わしくありません、まぁ梅雨なんですから仕方もないのですが、天気予報が全くアテにならないのは…
天理で5時半に落ち合う事にしたのですが、桜井を出る頃には雨もあがり路面も乾き初めていたものの、佐味田あたりから再び降り出し早速ポンチョを被って走る事に、待ち合わせ場所も屋根等ないので、お馴染み上街道の丹波市で落ち合う事に、ここなら全く濡れません。
途中では雨に降られる事もなく、米山PAからは佐渡も見えるお天気です、 何ヶ所かのPAで休憩したり食事したりしながらでも700キロ余りを走り、16時前には会津若松ICに到着、SORAさんとは目的も宿も違うので此所でお別れ。 10時間余りの長旅とはいえ乗っているだけなので楽チンです、有難うございました。
思っていたより早く会津若松に着いたので市街の道路元標を早速巡る事に、会津には20基あまりの道路元標が残ってますが、21日22日と回って23日に「18切符」で帰る予定ですが、天気がネェ…
← 若松市道路元標、昭和30年にのちに北九州市となった福岡県若松市との混同を避けるために改称、先に市制をひいていた福島県若松市が改称するのは稀な例。
今回も宿は東横インです。 味気ないと云えば味気ないですが、携帯とかネットで予約やキャンセル(~16時)ができて、コインランドリーとか何処でも均一の設備とサービスが受けられるのは安心です、会員なら休日30%引き、今は月曜20%引きと連泊300円引きとかキャンペーンも。 ここで連泊して2度目の10ポイント達成、1泊タダになる得点獲得。 SORAさんに利くと最近YHも安くない様ですね、東横インは都市部の便利の良い処にしかありませんが、コンビニも絶対と云って良いほど近所にありますし、輪行や道路元標蒐集にはぴったりです。
本日の走行 23.4キロ。
↑ 東横イン会津若松は雨に濡れずに自転車を固定できる場所が此処しかないのが… ちょっと目立ち過ぎ。
【718】 福島県 若松市 (現 会津若松市)
【719】 福島県 北会津郡 門田村 (現 会津若松市)
またまた芋峠
ファームウェアの更新ですが、高度0m以下への急潜航はしなくなりましたが、更新前とほぼ同じ辺りから下りはじめます、コースは明らかにずれています、改善されたと云うより、挙動が少し変わったと云うか、逆に異常に気づきにくくなった、と云う事でしょうか…
芋峠到着時、コースはほぼ戻っていますが、高度は300mは違います、結局はリセットしないと戻りません。
結果としては良くなっている様にも見えますが、一昨日とは衛星の位置も当然違うでしょうから、ファーム更新が反映しているのかは、判断できませんね。
さっそくTOPEAKのフロントバックをつけてきました、あまり荷物を入れていませんが、心配していた左右の振れは問題ないようです。
休日のせいか4台が芋を越えて行きました。 本日の走行31.3キロ。
TOPEAK Tour Guide HandleBar Bag DX
モンベルのツーリングフロントバッグ、可能ならば修理をお願いしようと思っているのですが、マップケースの材質に疑問があるのに、代わりに同じものを用意するのも何んなので、他社で適当なものを探していたのですが...
TOPEAK Tour Guide HandleBar Bag DX が格安(4,880円)ででていたのでポチっと。 旧モデルになって在庫処分だったのでしょう、もう売り切れになっていました。 幅と奥行きこそモンベルとほぼ同サイズですが高さが高く、スペック上はモンベルの容量9リットル、重量360gに対して容量7.7リットル、重量1.1kgとかなり重くなっていますが、単純に数値では比較するのとは違う感じです。 絶対条件は後開きだったので、良しとします。
付属しているハンドルマウントは使うつもりがないので、さっそくバラしてみます、と云っても内張りがファスナー式になっているので、簡単に芯材が外せます。 フロントキャリアがなくハンドルマウントだけで保持するために、かなり頑丈な金属プレートが付いています、これだけで435gもありました。 モンベルの様にコの字型のフレームだけで吊り下げようとするのとは全く違います。
ハンドルマウントを固定している4つの穴のうち2つが寸法的に使えたので、手持ちのリクセンカール用のフラケットを試しに付けてみました、これでKHSにも使用可能です。
asukaに付けるとこんな感じです、モンベルより数字以上に背が高く感じられます。 マップケースはモンベルの様に蓋部分が袋状になっているではなく、二つ折りにしてマジックテープで固定する様になっています 、手提げベルトが付いているので、これをはさみこむ様に考えているのでしょうか、実際に使ってみないと使い勝手の良し悪しは判断できません。 前面と左右にポケットがついていますが、ランドナーバーだと狭いので左右のポケットは使いにくいかも知れませんが、輪行時にバックとして使っていると重宝するかも知れません。
あまりにがっしりしていて融通のきかなそうな形で、荷物を押し込みにくそうなので、芯材の重い金属プレートを外し、コの字型の樹脂板の前面を切り落とし、後面にプレートを固定しました。 それでもプロテクションは充分です、ただ前面を切り落とした事で、多少前が左右に振れる様です。 実際に走って酷い様ならば、針金でも入れてやれば良いでしょう。 軽量化したにもかかわらずブラケットの重さか加わったせいか重量は960gになりました。
ついでに内装はこんな感じで、前面側と蓋の内側にポケットがついています。
まぁハンドルマウントのフロントバックとしては大きい方なので、タイヤとかSTIワイヤーとの干渉を考えると、なかなか難しいアイテムでしょうね、ステム等への取り付けが可能なら、小径車には良いかも知れませんね。 底はゴム質の外張りが貼ってあります。 なお肩掛けベルトとレインカバーが付属しています。
PS : 付いていたTOPERKのハンドルマウントは不要ですので、ほしい人がおられれば。 但し誰でもって訳でもなく、面識のある方に限ります。