淡路島キャンプツーリング 2日目

県道76号洲本灘賀集線「南淡路水仙ライン」を行く

 日が暮れると幾つもの灯台の灯りや、海峡を行き交う船の航海灯、遥かに和歌山のコンビナートの灯り、そして星空と最高のロケーションなのですが、いかんせん関空へ降りる飛行機の騒音やら、虫の声に囲まれ、そしてどこからか猫がやってきてわめくは、朝は暗いうちから漁場へ向う漁船のエンジン音ととにかく騒がしい事この上ない一夜が明けます、と云う訳であまりお勧めできるゲリキャンポイントではありませんがロケーションは最高です。なお水は飲めないと思いますが、清潔に保たれた公衆トイレ(水洗)があります。日の出は0550だったのですが東の空は雲がかかっていて、この写真を撮ったのは0616。
 駐車場のある処は夜中に車がやってきても何なので東側の第四砲台跡にテントを設営しました。そうなんです、ここは由良要塞の跡地なのです。朝になってベンチのある駐車場までテントを持ってきて、乾かしがてらコーヒーと菓子パンの朝食にします。今回はケトルとバーナーだけのお湯を沸かせるだけの装備にしています。
 さて7時過ぎには撤収です。サドルバッグの白いのは?塵です。たとえ自転車でも塵は持ち帰りましょうね。

 

 折角ですので帰りに堡塁(ほうるい)跡とか第一砲台跡とかのある展望台へ寄ってみますが、植生が伸びていて展望は良くありません。こちらはトイレはありませんが、展望台で雨露をしのぐ事が可能です。
 生石岬を後にし一旦海岸近くまで下った後、県道を灘方面に向うには峠を越えなくてはなりません。途中には関西人ならご存知の「パラダイス」の元祖とも云える「立川水仙郷」があります。朝も早いですしおっさんが一人で行っても面白くも何ともないので通過です。
 2つのピークを越えて海岸へ下ります、最後はかなりの激坂だった様な。暫く海岸線を走った処で今回のツーリングの大きな目的だった淡路島南部の道路元標の1基目、旧津名郡の上灘村道路元標へ、元標は民家のコンクリート塀と一体となってしまっていて、陰刻も判読が不可能な程に風化しています。
 まだまだ早い時間ですし平日にも関わらず、数人のローディと出会います、洲本スタートなのでしょうかね、「南淡路水仙ライン」こと県道洲本灘賀集線は淡路島南東岸、中央構造線上に位置する諭鶴羽(ゆづるは)山地の南側の険しい斜面の下の海岸線を15キロ程続いています、道路を行くと平坦故に唐突に洲本市(旧津名郡上灘村)から南あわじ市(旧三原郡灘村)に変わるのかが怪訝に思えたのですが、この道路がなかった頃は背後の山か海側からのアクセスしか出来なかった事を考えると納得できます。途中から今日の目的地の一つ沼島が見えてきます。

 もちろんこの素晴らしいロケーションの中を走る訳ですから「自撮り」の準備は万端、山側から俯瞰できる適当な場所を見つけます。

  種明かしをすると、実は巻頭のシルエットの写真とこの2枚は同じ場所からの撮影なんです。
 沼島へは灘の土生(はぶ)港から一日10往復、沼島汽船が通っています、以前は洲本や福良からの航路もあったのですが、廃止や休航となっています。今回は道路元標を訪れるだけ僅か40分の滞在ですので、自転車は土生港に置いて行きます。それに島内には港の周りを除けば車の走る様な処は皆目ないのですが。飾磨郡の家島同様そんな離島にも道路元標はあるのです。
 旧三原郡の沼島村道路元標は沼島八幡神社の 脇にあります、帰りの船までの僅かな時間、神社の石段に座って港を眺めます。実は沼島に来るのは初めてではなく30数年前に須磨からクルージングで訪れ、防波堤に係留して1泊した事があります。
 灘を後にし次の目的地は福良、幾つかルートがあるのですが、少なくとも2つのピークを越えなくてはなりません。登りに入った処で1台のロードに抜かされます、どうやらカップルの様です、一人だとなかなかモチベーションを維持できずにへたってしまうのですが、さすがに登りでは離されますが、前後しながら福良まで付いて行く事ができました。2サイドで土生港から県道25号阿万福良湊線経由でR28に合流するまでの15キロ1時間2分は上等でしょう。
 丁度お昼時の福良では「ゆる風」つながりで「ジロ・デ・アワジ」へ、お薦めの「ローストビーフ丼」を大盛りで頂きます。
 実はこの先、鳴門海峡を望む海岸沿いに慶野松原を目指す計画をしていたのですが、USBケーブルのコネクタを壊してしまい、スマホが充電できずに使えない事態に。残る志知村道路元標もある事ですし、内陸の県道で西海岸へショートカットし、途中のイオンで買い物を済ませる事にします。
 幸いイオン内のダイソーでUSBケーブルを入手でき、15時過ぎには慶野松原のキャンプ場へ、海水浴場に隣接した松林の中のキャンプ場ですが、シーズンオフは無料になっている様です。早速設営を済ませ近くの国民宿舎の温泉へ、コンビニも近くにあって便利な事この上なしです。

 期せずして淡路島の両岸で朝日と夕日を望む事が、キャンプ場も温泉も夕日も独り占めして、キャンプツーリング2日目を終えました、本日の走行59.6キロ。
 

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淡路島キャンプツーリング 1日目

洲本港にて「深日洲本ライナー」

 桜井を0540に出発、大和川に沿って王寺から大阪柏原へ、王寺からは交通量の多いR25を走る訳ですが、年末の恒例行事「石川ポタ」への往復で多少勝手の判る道です。写真は柏原市役所前にて、天気に恵まれた休日とあって待ち合わせのローディの姿が多いです。ここから南河内サイクルライン、つまり石川のサイクリングロードを南下し、河内長野からはR370旧道を行きますが、案の定河内長野駅界隈でちょっとミスコース。この先特に見るべきものもないのでひたすら走るだけなのですが、天野山とか結構アップダウンがあります。過去にもロードで走っているのですが、今日は重さが違います。ちなみに予定通りフロント2サイドにキャラダイスのサドルバッグの出で立ちですが、4サイドの事を思えば登りは楽です。
 途中で熊取村道路元標に立ち寄ってみますと、ほぼ同じ場所ですが、何やら建て直された様で、以前は「標」の字が埋まりかけていたのですが、嵩上げされて根元がコンクリートが固められていました。大阪府下では貴重な道路元標ですが、存在が認識されていると云う事なんでしょうね。泉佐野へからはR26を極力避けて可能な限りこの界隈では府道64号和歌山貝塚線となっている紀州街道をたどる事にしますが、旧街道の割りには信号が多くて、ことごとく引っ掛かるものですから、キャンピングの身には堪えます。。
 予定より30分余り遅れて淡輪の「ゆる風」に到着、お昼を頂きます。ここから深日港までは海沿いを4キロ程の距離、1500の便に乗りますので暫し時間調整を。
 「深日洲本ライナー」社会実験運航の途中から、前輪さえ外せば自転車をそのまま載せられるサービスが始まったのですが、輪行袋での持ち込みは無料に対し、この場合は運賃の1,500円以外に100円が必要です、事前の予約が必要ですがこの100円は価値があります。ただ今回私はフロント2サイドのキャンピング支度ですので、ロードの様にはすんなりとは行きませんので、予めサイドバッグを外してサイド枠も外して乗船を待ちます。船内への積み込みは係員がやってくれますが、軽量なロードバイクとは勝手が違い思わず「重い」の声が、これは4サイドなら後ろも外さなくてはならないかと。さて休日とは云え午後の洲本行きの便ですので、自転車は私一人でした。この方法で載せられるのは客室内3台、デッキに8台の様ですが、デッキは潮を被る可能性があるかと。「深日洲本ライナー」が継続的に運航がされるかは厳しい状況の様ですが、今日この後の洲本からの2便は満席との事です。「あわいち」へのアクセスとして考えてみても、明石~岩屋のジェノバラインと比べると料金は自転車込みで2倍以上、最終便が早過ぎる等など勝ち目はなさそうですが、一周に拘らなければ私の様に洲本から岩屋まで時計回りに2/3周すれば車の多いR28を端折る事ができるのですが。
 55分の船旅で洲本着、洲本港の桟橋には一般客以外にロードバイクが数台と輪行袋を担いだ数名が乗船を待っています。ところで気になっていた西海岸の明神~江井間の通行止ですが、「あわいち」と思しきローディに尋ねてみると、自転車は通行可能になっているとの事です。
 まずは洲本港を出てすぐのマルナカで買出しを済ませます、食料に関しては明日のお昼頃までは調達か難しいです。 

 

 洲本市街を後にし、県道76号洲本灘賀集線を南へ、時間的な事もあるのですが、サントピアマリーナや由良辺りまでは結構車が多いです。サントピア近くのファミマを過ぎると阿万近くまで約20キロ、コンビニの類はありません。

 由良界隈の海岸も考えてみたのですが、D女史に教えて貰った生石(おいし)岬の展望公園へ、標高は100mに届きませんし激坂と云う程でもありませんが、100キロ超のキャンピングには些か辛いものがありました、ちなみに本日の走行117.1キロ。
 ただ展望は登ってきた価値があると云うもの、紀淡海峡を行き交う船や、遥かに和歌山の街が望めます。それに関空に降りて行く飛行機が、はじめのうちは面白かったのですが、これがなかなか夜になっても騒がしいのです。

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淡路島へ行ってきます

 24日(日)から2泊3日で淡路島へキャンプツーリングに行ってきます。229基が現存していたと思われる兵庫県の道路元標ですが、淡路島南部に3基を残してしまっています(左図赤色印)、何しろ車に乗らない私にとってアクセスしにくい淡路島、中でも三原郡沼島(ぬしま)村は人口500人程の離島、一気に「あわいち」のついでに回ると云う訳にも行きません。沼島へは対岸の土生港(灘漁港)から1日10往復が運航されています、以前は洲本港から週3往復の航路もあったのですが。と云う訳で淡路島で泊まりでもしない限り履修困難な残り3基だったのですが。
 記憶されている方もおられるかとお思いますが、大阪府泉南郡岬町の深日(ふけ)港から淡路島洲本港への航路が、この夏「深日洲本ライナー」として約3ヶ月社会実験運航として復活しているのです。ただ以前はフェリーもあったのですが、今回の社会実験運航では自転車は輪行袋を入れての持ち込み、深日港は南海多奈川線の深日港駅の目の前ですから、輪行状態で洲本港まで行けば良いのですが、航路の時間を考えると残る3基、津名郡上灘村、三原郡志知村と沼島村を回るのは些か厳しいかと。
 ところが8月になって要望が多いのか、切羽詰った集客策なのか、前輪を外してフォーク固定が可能な自転車なら、台数限定(11台?)で持込が可能になったとの案内が。(写真は「深日洲本ライナー」のHPから借用)
 そうなると今月は台風で丹後半島キャンプツーリングが中止になった事ですし、深日港まで自走して、洲本港から淡路島で2泊しながら約2/3周して岩屋港まで走り、サイドバッグは宅急便にして明石から輪行で帰ってくると云う絵が描けたのであります。
 ただ「深日洲本ライナー」の運航は今月一杯、社会実験運航だけに次があると云う保証も何もありませんし、定期化はかなり厳しい様な話しも。そうなるとこの機会を逃す訳には行きません、急遽24日深日港15時発の便で淡路島に渡る事にして、自転車持込の予約をとりました。
 24日(日)は深日港まで自走、途中で淡輪の「ゆる風」でランチでもして行こうかと。洲本港に渡った後は県道76号洲本灘賀集線を南下して、適当な処でゲリキャン。
 25日(月)は上灘村道路元標を経て土生港へ、asuka号を置いて沼島まで往復します。後は適当に走って志知村道路元標をこなして西海岸の慶野松原のキャンプ場泊。
 26日(火)は夕方には帰っておかなくてはなりませんので、西海岸の県道31号福良江井岩屋線を北上します。岩屋からは「たこフェリー」の後を引き継いだ「淡路ジェノバライン」で明石へ、山陽明石駅まで行けば改札を出る事なく、接続が良ければ乗換えで階段を使う事なく2時間余りで桜井まで帰ってくる事ができます。ただ県道31号線が先日の台風で明神~江井間が全面通行止になっているそうで、快適なシーサイドラインが結構山側に迂回する必要がありそうです。
 なお今回asuka号はフロント2サイドとキャラダイスのサドルバッグだけにして、お湯を沸かす以上の自炊道具は持って行かないスタイルで行きます、サイド枠とバッグを外せばフォーク固定には問題ないでしょう。もちろん「自撮り」の準備は怠りなく。

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思いつくままに「自撮りポタ」

 宇陀市大宇陀五津 宇陀川河畔にて

 今日は「自撮り」の準備を整えて目的地も何も決めずにスタート、まずは明日香村へ。平日にも拘わらず、「かかしコンテスト」の会場となっている稲渕界隈は、観光客やアマチュアカメラマンと路上駐車の車で一杯、そろそろ彼岸花も咲き始めているのですが、そんなこんなで今日はパスして栢森へ。芋ヶ峠への入り口にはアスファルトフィニッシャが置いてありましたので、工事中の高取山林道、舗装が行なわれるのでしょうね。先日の台風で柴が散乱しているかと思っていたのですが、早くも撤去作業が行われた様です。
 芋ヶ峠を越え、千股あたりで「はさ掛け」の風景でも狙えないかなと思っていたのですが、よくよく考えると台風直後ですからね。河原屋のローソンで補給の後、吉野川左岸の県道を宮滝へ、R370を窪垣内まで走り三茶屋の「吉野見附茶屋」へ、休日なら色々販売しているのですが、平日は静かなものです。相変わらず行き止まりと記された県道28号吉野室生寺針線を小名方面へ、確かに県道は未開通のままなのですが、宇陀方面へ抜ける事が可能です、遠回りですがR370を関戸峠から大宇陀方面へ向う、車の少ないバイパスルートとして時々走る道です。小名界隈の里山風景、既に稲刈りは終わっていました。
 滑り止めに路面が丸く彫られたコンクリート舗装に変わると宇陀市域への峠になります、案内も標識も何も無い静かな無名の峠です。



 結局、大宇陀の街へ下り松山街道を北へ、宇陀川沿いの田園風景の中を行きます、あちこちで稲刈りが始まっています。水分神社の鳥居を一枚、モチベーションの上がらないまま、以前にも撮った場所なんですが、手ぶらで帰るのも何なので三脚を引っ張り出します。この宇陀川右岸の道は専用道ではないのですが、以前からサイクリングコースと小さな案内が立っています。他所の人にはあまり知られていないのでスポーツバイクを見る事はあまりありませんが、どちらかと云うと朝夕の通学自転車が多かったりして、こんな良いルートがあるのに対岸の国道が「ならくるT-1」に指定されています、お役所仕事ですね。現在では榛原のオークワの前から大宇陀の古い街並み近く、小附(こうつけ)辺りまで整備が進んでいます。
 旧榛原町域に入る手前で橋を渡り左岸を引き返します。ちょっと良さげな稲穂と彼岸花の風景を見つけたので、真横から狙ってみます。引きがないのでかなり厳しい条件なのですが、この辺りのテクニックは「【連載】 Selfy Photo 『自撮りのすゝめ』⑦」の記事をご覧頂ければ。ただ今日入れてきた8Gのメモリーカード、書き込みが遅いかしてちょっと付いていけない様で。
 大宇陀平尾にて、籾殻を焼く燻炭の風景なんですが、殆ど記念写真みたいなショットです。




 野依まで戻りR166を女寄方面へ、陽も傾いてきたのですが久しぶりに男坂へ。桜井から大宇陀への古道、忍坂(おっさか)道の半坂峠、神武東征の男坂として伝承されている処です。近畿自然歩道になっていて桜井へ下って行けるのですが、この季節に膝から露出したスタイルでは危険ですので、引き返して女寄トンネル経由で帰途に就く事にしました。本日の走行68.9キロ、平均速度14.8キロ距離はともかく久しぶりのポタリングペースでした。

 

今年の「鉄道の日記念・JR西日本乗り放題きっぷ」は

 秋には「青春18きっぷ」の発売はないのですが、10月14日の鉄道の日(1993年までは鉄道記念日と云われてました)を挟んだ約2週間利用できる「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」と云うのが2011年まで発売されていました、まあ秋版の「青春18きっぷ」みたいものだったのですが、2012年からは「秋の乗り放題パス」と名前を変え、価格は下がったものの1人で連続する3日間の利用と云う事になり、乗り鉄でもない限り、特に輪行サイクリストには魅力のないものになってしまいました。(写真は「18きっぷ」とほぼ同様に使えた時代のもの)

 但し乗車エリアがJR西日本限定の「鉄道の日記念JR西日本一日乗り放題きっぷ」と云うものが、その後も同時期に発売されていて、こちらは多少割高感(3,080円)はありますが1日分ごとの発売で使いやすいものです。特筆すべき点は2015年の北陸新幹線金沢開業で第三セクターとなり「18きっぷ」が使えなくなった「IRいしかわ鉄道」全線、「あいの風とやま鉄道」全線」、「えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン」市振駅~糸魚川駅間が利用できると云う点で、即ち金沢~糸魚川間に乗車できる訳で、その先の糸魚川から南小谷までの大糸線は元来JR西日本ですから乗車できる訳です。「18きっぷ」の1回(人)分2,380円に比べて割高とは云え、利用価値はある訳です。

 ところが2017年秋も発売されるものだと色々とプランを練っていた処、今年は「JR西日本30周年記念乗り放題きっぷ」と云うのが発売されるために従来の「鉄道の日記念JR西日本一日乗り放題きっぷ」は発売されないとの事。この「30周年」とやら、新幹線や在来線特急の普通車自由席に乗れるとは云うものの、大人10,000円、14日前までに購入、数量限定(3,000枚/日)、10/1~29の土休日のみと、私にとっては箸にも棒にもならない代物と云う事に、休日は土休日、時間は金で買うと云う多忙でリッチな輪行サイクリストの方、如何。

 

タリム侵攻に出撃中止、武装解除の巻

桜井町道路元標前にて

 この連休は気のおけない友人たちとキャンプツーリングに出掛ける計画を愉しみにしたのですが、台風18号「タリム」が本州直撃の予報に、数日前から宮古島付近でクダを巻いていたのですが、昨晩北東に転進したのを確認して、出撃中止命令を。素晴らしいコースと愉しいメンバーに、月初の「弓削島キャンプ」の計画も中止して、予定を繰り合わせて準備に勤しんでいたのですがネェ。
 asuka号に準備した装備、武装解除するだけなのですが、あまりに悔しいと云うか、折角ですので4サイド支度のまま市内巡回に、しかし乗っていると余計に腹がたってきました「タリムめ!」って、自然現象なんですから怒っても仕方がないのですが、しかし連休に日本全国に影響を及ぼすコース、被害がでなくても経済的損失は大きいでしょうね、キャンセルを入れたキャンプ場のおじさんもため息まじり。
 明日から雨が降り続くと云う事ですので、出掛けたついでにスーパーでお買い物。左後ろのサイドバッグにはクーラーバッグを仕込んでいます。
 帰宅後、せっかく準備した荷物を片付けるだけなのですが、いつもも行きも帰ってきてからもバタバタしていますので、この機会にブログネタにと装備紹介の写真を撮りながら武装解除する事にしました。
 4つのサイドバッグは現行製品ではありませんが10数年前に買ったオーストリッチのS-5に、勿体無い話しですがモンベルのサイドバッグに付いていた取り付け具を転用しています→「サイドバッグ改造中」 ジルベルソーでも同様の事が云えるのですがフックとスプリングでの装着はショックで脱落する事がままあります。このS-5ご他聞に洩れず決して使い勝手の良いものでもありません。デザインが今風過ぎるので手が出せないのですが、使い勝手や対候性の点でオルトリーブには敵いません。
 前後左右への荷物の配分は、基本的に出し入れの頻度で決まるのですが。今回は夏装備ですので、右前だけになんとテント、マット(120cm長)、寝袋、タープ(ポール含まず)が収まってしまいます。ただ秋冬春の装備ではテントのMossOutlandが大きいためにバッグには入らずにパニア台に、寝袋とマットだけで右前のサイドバッグをほぼ占領してしまいます。
 写真のテントとタープはNature hikeと云う中華ブランドのものです。まだ何度も使っていませんが、機能的には充分なものです、オールメッシュのインナーは真夏は快適です。写真は弓削島にて。

 マットは長年モンベルの180cmのものを使っていましたが、少しでもコンパクトにしようと、クオルツの120cmのものを最近入手しました。(写真上)


 サイドバッグ左前は衣類と雨具です。今回は雨も覚悟しないといけない状況での強行も考えたのでサイドバッグのカバーを含めて雨具は重要です。両方でほぼ占領してしまいます、寒冷季は衣類だけ一杯になるかと。スタッフバッグに分類して入れておきます。サイドバッグの大きさに応じたスタッフバッグを使うと詰め直したりする無駄がないかと、また枕にもなります。ところ前後左右の重量の配分ですが、私の場合、前が幾分軽めで、前の左右のバランスはできる限りとります、前後のバランスはシミー現象の発生とか微妙な部分があるのですが、少し調整しただけでシミーが収まった事があります。
  サイドバッグ右後です。長尺ものをバッグの上に固定していますが、最近はコンパクトになる良いものがあってイスとテーブルを含めて、火器、コッフェル等一式が入ってしまいます。なおキャンプ用品を自転車ツーリング用として購入する場合は収納寸法が重要です。サイドバッグに収納する場合は大きなサイドバッグでも長辺40cmが限界です。パニア台に縦置きにしたとしても無理無理60cmまででしょう、私の場合テーブルとタープのポールが45cmでした。サイドバッグの上も脚と干渉を考えると50cm位が限界でしょう。ちなみにこのサイドバッグ上のベルト通しはことごとく千切れてしまい、今使えるのは1つだけです。このあたりオーストリッチ品質ですな、輪行袋などファスナーの縫い代がほつれて、輪行支度の度に噛みこませて格闘しています。
 そう考えてアウトドア用品を探してみると、思った以上にないものです。Nature hikeのタープ用のポールを探す時にも適当なものが見当たらず、昔使っていたイスカのものを加工して使っています。火器、コッフェルの類はどうしても円筒形のものが多くパッキングには無駄ができますね、この辺りを考えたのか四角いコッフェルもありますが、洗いにくくて私は好きではありません。
 サイドバッグ左後、一番アクセスがし易く、後ろの左右バランスはある程度許容できるので、食料類がメインとなります。今回は食料は現地調達ですので、小型のクーラーバッグとカトラリーや調味料の類を入れたケース、今回は前左が一杯ですので洗面具などを入れたポーチがこちらに入っています。クーラーバッグに入れる保冷剤はぬるくなってしまえば余分な荷物ですので、コンビニのある地域ですと凍らせたパウチ飲料やペットボトル飲料を活用するのが良いかと、まぁこれからの季節そうも入用ではないかも知れませんが、野営地到着後まずは冷たいビールをと云う方やぬるいワインはいやだと云う方は。なお今回は一番底に輪行袋を入れています。
 さてこの4つのサイドバッグでどれ程の重量になるかと云いますと、前右4.9kg、前左4.1kg、後右(バッグ上長尺もの込)6.4kg、後左(食料品など含まず)4.3kgとなります。まぁ食料などを積み込んだら優に20kgは超える計算です。
 あとフロントバッグとサドルバッグがある訳ですが。サドルバッグにはモンベルからかつてフロント用としてでていたものを使っていて、主にメンテナンス用品が、パンク修理キット、ネジ類、ゴム板、ニップル回し、チェーンカッター、ナイフなどが組み込まれた十徳ペンチ? スペアチューブ×2本、軍手、使い捨てのニトリロ手袋、サドルカバー(革サドルなもので)。青い2つのランプはクランプ式になっていて、ナイトランや長大トンネルを通過する時に右側の前後のサイドバッグに取り付けます、追い越そうとする車からの視認性大です、本当は黄色がほしかったのですが、赤、青、緑しかありませんでした。あと写真右下の方は人間用のヘッドライト、キャンプ用としてだけでもなく、ナイトランでパンクやトラブルになった時の事を考えてみて下さい。これで1.8kgとなります。
 フロントバッグの方は殆どカメラとモバイル機器に占領されてしまっていて約3kg。これで都合25kg近くになっています、実はこれに重量1.3kgの三脚をパニア台の上に括り付けて出掛けるつもりでもいたのですが。ただ身体につけるのは財布とスマホを入れコンデジをぶら提げたウェストバッグだけ、決してリュックを担いで走るなんて真似だけはしたくはありません。但し食料品とか短時間短距離、軽量な荷物を運べる様に簡易なナップザックを畳んでフロントバッグの底に忍ばせてあります。
 さてそれだけの荷物を括りつけるasuka号そのものの重量は幾らあるかと云いますと、サイド枠を付けたキャリア装備の上の写真からサドルバッグがない状態で計ったところ16kg,、軽量化にうつつを抜かすローディなんかお構いなし、乗員込み軽く0.1トンを超える世界でした。
 なお秋冬春支度の場合はテントをパニア台の上に載せてご覧のスタイルになっています、写真は2016年3月の「四国ツーリング」の時のものです。

「Selfy Photo」を更新しました。

 久しぶりに「Selfy Photo」(自撮り)写真集を更新しました。今年の夏はロードで走る機会が多くてなかなか三脚を持ち出す機会もなかったのですが、実際のところ真夏の炎天下に行ったり来たりするのは大変ですし、虫も多いですからねぇ。と云う訳で5月以来の更新と云う事で8月、9月の新作5枚を追加しました。
 潮岬「望楼の芝」にて。
 和歌山県伊都郡高野町下筒香にて、左の写真はお盆の「野迫川キャンプ」の帰途に撮影したもので、その時は三脚を忘れていてガートレールに括り付けて撮影したのですが、今回撮り直しを。


 西吉野大滝でちょっと「動画自撮り」にトライしてみましたが、これは難しい。

 

二つの丹生川を遡る ②


 
奈良県吉野郡下市町谷(旧丹生村) 丹生川河畔 県道赤滝五條線

 県境の無名の峠を下ると元の西吉野村永谷、ここでは道路沿いに何段にも組まれた「はぜ場」に「はせ掛け」が行なわれています、狭い谷あいの田圃ゆえの風景です。始まったばかりですが、全てに掛かると壮観でしょうね。
 R168に出て少し五條側に下り、西野トンネルの手前で旧道へ入り、先月も立ち寄った西吉野大滝へ。いつも往路ですが、今日は時間の余裕もあるので「自撮り」に挑戦。
 五新線の遺構の鉄橋が残る宗川野へ下り、再びR168を少し走り城戸へ。
 丹生川沿いに県道20号線下市宗桧線から県道138号赤滝五條線へ。車が少なく緩やかな勾配の続く川沿いの快適な道、今年走るのはもう何回目でしょうかね。


 旧丹生村域となる下市町へ入り、丹生小学校跡で小休止。
 丹生川上神社下社。川上村にあるのが上社、東吉野村にあるのが中社、長い間通行できなかった高原洞川林道も復旧したそうですし、3つの丹生川上神社を巡るサイクも面白いかも知れませんね。

 少しR309を走ると黒滝村、丹生川は黒滝川と名前を変えます。道の駅「吉野路黒滝」今日は走ってきたコースで一番騒がしかった様な。
 予定では地蔵トンネルから才谷、吉野山経由で帰途に就こうかと考えていたのですが、丹生川の名前もなくなった事ですし、粟飯谷(ほしいだに)から法者トンネルを経て広橋峠へ向う事に。法者トンネルのある場所は柿峠、法者峠(伏拝峠)と称される由緒ある大峯参詣道の峠ですが、平成6年になって車道が開通しました。
 旧々道を広橋峠へ。民家のない笠木峠とは異なり、広橋トンネルが開通した今も路線バスはここの激坂を登っています。



 広橋峠を下り千石橋南詰まで出たものの、結局は吉野川左岸の県道39号五條吉野線を上市橋まで遡って裏芋へ入ったので、吉野山経由の方が楽で早かったかも。千股で一息入れているとロードが2台、少々お疲れのご様子「大台」の帰りかな。少し間隔をおいて着いて行きますが、さすがに早いとてもasuka号では着いては行けません、半分位までで見えなくなってしまいました。千股から芋ヶ峠まで30分切り、私には上等です。夕暮れの飛鳥を走って無事に帰投、本日の走行150.0キロ。桜井からの周回コースですから、結構な距離になりましたが、大阪の方なら輪行で来て、南海高野線九度山駅から近鉄吉野山駅まで走るのも良いかも。

 

二つの丹生川を遡る ①


 
和歌山県橋本市北宿 丹生川河畔 国道371号線

 今日は奈良県と和歌山県それぞれにある丹生(にゅう)川沿いの道を遡るサイクリングに出掛けました。「丹生川」と云う名の河川は全国に十以上もあって、「丹生」と云う地名も数多く存在しています。近畿では奈良、和歌山、滋賀、三重県に丹生川が流れていて和歌山県と滋賀県には二つの丹生川があります(厳密には和歌山県の日高川水系の丹生川(丹生ノ川)は上流域が奈良県に入っている)。今日巡るのは何れも紀の川水系で、和歌山県高野町富貴を源に九度山付近で紀の川に流れ込む丹生川と、奈良県吉野郡黒滝村から下市町(旧丹生村)を経て旧西吉野村から五條市で紀の川(吉野川)に至る丹生川です。処で丹生の「丹(に)」とは主に水銀の原料となる硫化水銀を含む「辰砂(しんしゃ)」を意味し、丹生とはそれらを産出する地域や、生産を生業とする人を意味します。水銀は古代から顔料や金鍍金、実は毒なのですが薬としても重用された重要な鉱物資源であった訳です。
 サイクリングのコースは九度山をスタートし丹生川沿いに橋本市宿(やどり)、高野町筒香(つつが)を経て富貴(ふき)へ、奈良との県境になる峠を越えて五條市西吉野町永谷へ、少しR168を五條側へ走り西野トンネルの手前から旧道へ入り、先日も立ち寄った西吉野大滝を経て、城戸(じょうと)から奈良県の丹生川沿いに黒滝村まで遡るプランです。
 暗い内0410に桜井を出発、しかし随分と陽も短くなったものです、勝手知ったる道とは云え、重阪(へいさか)峠はまだ真っ暗です。五條新町のローソンで補給後、紀の川左岸の県道55号橋本五條線を、橋本橋南詰からはR370となります。
 今日は九度山の道の駅に寄らずにそのままR370を高野山方面へ、丹生川沿いに2キロ程走ります。(写真左)は近代化産業遺産に指定されている南海高野線の丹生川橋梁。赤瀬橋の交差点で県道102号宿九度山線へ入ります、この県道は長らく通行止になっていたり、奈良県側からは狼頭(ろうとう)峠でショートカットできるのでずいぶんと久しぶりです、調べてみると2009年6月の「峠おやじ弐千峠達成記念サイク」以来かと。玉川峡と呼ばれる渓谷沿いの道は爽やかです、ただこの時間では陽射しが入らないので写真的には、「自撮り」のポイントを物色しながら先を急ぎます。かなり山深いところですが南朝所縁の土地でもあり、kimotoshiさん御用達のキャンプ場「どーむびれっじ」へ渡る吊り橋は「御陵橋」だったりします。
 再び橋本市域に入りR371へ、「やどり温泉いやしの湯」のある北宿を経て、河合橋で高野町となり町道筒香線へ入ります。
 下筒香、中筒香の風景。現在は高野町ですが、昭和33年までは富貴村でした。標高500m前後の土地で既に稲刈りが始まっています、この辺りは小規模な兼業農家ばかりなので、稲刈りのできる休日は賑やかで、大変な手間なんでしょうが「はさ掛け」で天日干しが行われています、籾で乾燥させるより美味しいのだとか。

 上筒香で県道733号高野川津線へ、ここの三叉路にあるバス停は「野迫川口」となっています、和歌山県でありながらかつては奈良交通のバスが通っていた地域です。(写真は縦方向にデフォルメしてます)
上の写真を撮った上筒香のお堂にて。今朝五條で仕入れておいたコンビニ弁当で、稲刈りの風景を眺めながらちょっと早いお昼にします。



 出屋敷辻で県道732号阪本五條線へ入り、東富貴から奈良県側へ越えるのですが、少し富貴の村へ寄り道、「ふきのやきもちカフェ」が開いていましたので「やきもち」を、どちらかと云うと薄っぺらな今川焼きなんですが。オムライスが美味しそうだったのですが、筒香で弁当をたいらげたばかりなもんで。次の営業日は9月24日だそうです。
 玉川峡を経て高原の盆地へ筒香、富貴と素晴らしい日本の里山風景が続く中を走ってきましたが、富貴からは現在は五條市となっている西吉野村永谷を越える峠道へ、自転車で走るのは初めてです。北側に金剛山や五條の街を見下ろす標高668mの峠ですが峠の名や標識の類はありません。峠を下ると奈良の丹生川の支流宗川流域に入ります。(②へ)

 

「かかしコンテスト 2017」其の弐

 昨日に続いて、今日は朝から覗いてきました。


 


 歴代の巨大案山子、昨年は真田幸村でしたね。ところで「案山子コンテスト」の季節と云えば彼岸花ですが、何処もまだまだこれから、例年ですと来週以降になりますね、稲渕の棚田では黄色いのが一足先に。桜井への帰途、親子のローディが、しっかりハンドサインも出してくれます、大福を過ぎるまで前後を走っていましたが、これから何処へ行くのでしょうね。


 過去の「かかしコンテスト」は
2016年 2015年 2014年 2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年
 

今年の明日香村かかしコンテスト

 毎年恒例、明日香村稲渕の棚田で行われる「かかしコンテスト」既に展示が始まっていますので、午後から少し覗いてきました。今年で22回目を迎えるそうですが、今年のテーマは「案山子」、「かかしコンテスト」のテーマが「案山子」とは妙な話ですが、原点に立ち返ってと云う事なんでしょうか。昨年辺りから豪華と云うか手間暇を掛けた組作品が少なくなった様な気がするのですが、何かあったんでしょうかね。

 と云う訳でテーマに沿った作品が並びます。

 やはり案山子と云えば「へのへのもへじ」ですよね。

 シンボルの巨大案山子、今年は「忍者」。

 アニメのキャラクタは定番。

 私の一押しは、カールおじさんなのかな。

 何やかやと云われても、センス、テクニックが光りますね。

 コンテスト投票は9/23~24ですが、展示は11月中旬まで行われています。

 なお棚田の方角的に午後には逆光、日影となる案山子が多いので、午前中がお薦めです。

 

東西南北の海へ(まとめ)

 鉄人児玉さんの向こうは張って今年挑戦した、海の無い奈良県から東西南北の海を目指すライド、まとめです。
 5月15日「東の海へ」、高見越で伊勢志摩へは毎年何度か走ってはいるのですが、今年は紀伊半島最東端となる鳥羽市国崎町の鎧崎灯台を目指しました。走行183.7キロ。

 

 6月13日「西の海へ」、距離的には一番近い西の海ですが、紀の川沿いに西進し淡輪のローディ御用達のカフェ「ゆる風」経由で和歌山市加太の田倉崎を目指しました。走行133.7キロ。

 

 7月29日「北の海へ」、帰途はJRでの輪行となるので「北の海」と「南の海」は青春18きっぷの発売を待ってのスタートです。嵐山まで自転車道を走り、六丁峠~越畑~日吉ダム~綾部と走り、天橋立を目指したのですが、普甲峠を敬遠して由良川沿いに由良海岸に出て終えました。走行185.8キロ。
 8月19日「北の海へ Part.2」、京都市街を抜けなければならないので長年敬遠したいた途中越鯖街道ですが、Nちゃんの案内で小浜まで走る事に。走行156.6キロ。

 

 8月27日「南の海へ」、ホームベースの紀伊半島ですので新宮までは何度も走っているのですが、一日で本州最南端の潮岬まで走った事がなかったのです。ここまでErbaロードで走ってきたのですが、悩んだ結果asuka700Cツーリングで出掛ける事に。久しぶりの200キロ超えとなりました。

 ファストラン的な走りはあまり趣味ではないのですが、まぁそれなりに愉しめたので良しとしましょう。実は「北の海は」は近畿最北端の経ヶ岬を視野に入れてみたのですが、最寄駅や宿まで戻る事を考えると私の脚力では難しいですね。西の端は兵庫県を別にすれば、田倉崎よりも経度では僅かに日の岬になる様で、来年への課題ができてしまいました。

 

南紀 滝の拝から小匠ダム

和歌山県東牟婁郡串本町潮岬「望楼の芝」

 少々蒸せたのものの風があったので快適に過ごせました。インナーがオールメッシュのこのテント、夏期平地限定の快適ギアです、まだ風雨に曝されていないので、その辺りの性能はまだ判りませんが。
 クロネコヤマトの荷受開始が8時からなので、日頃早くから走り出しているので、しまったなと思ったのですが、コーヒーを沸かしテントを撤収し、せっかくですので「望楼の芝」で「自撮り」とかしているとエエ加減な時間になってしまいました。
 8時前には潮岬を後にしますが、串本の街を見下ろせる場所にて。植生が成長して随分と見通しが悪くなりましたが、陸繋砂州に発展した串本の街が見渡せます。ただ津波の事を思うとちょっと恐ろしいです。
 クロネコヤマトに立ち寄り、預けておいた空箱を貰い、テントとマット他の入ったリュックを箱へ。、
 昨日走ってきたR42を少し戻り古座川河口へ、清流古座川に沿った県道38号すさみ古座線へ、も明神橋からは古座川の支流小川に沿った県道43号那智勝浦古座川線に入ります。
 明神橋から9キロ程で名勝と云うか奇勝「滝の拝」へ、しかしずいぶん道が良くなったと云いますか、新しくできた滝の拝トンネルを抜けて真っ直ぐ行くと左岸に渡ってしまうので、昔を知っている人は却って戸惑うかも。最近道の駅「滝の拝太郎」ができたのですが、駐車スペースにトイレと四阿、自販機が1台、そして展示室?があるだけで人の姿はありません。日曜日は何か販売されている様ですが、実際ここまで来る観光客は少ないでしょうね。
 道の駅ではトマジーニに乗ったローディが、ロードでこの先へ進むのかと怪訝に思ったら、ここで引き返して「一枚岩」へ行くそうです。奇勝「滝の拝」は道の駅の奥、狭くなった道の先にあります。河原を埋め尽くす甌穴は壮観です。ただ滝の拝で見た人影はトマジーニの彼だけ、道は良くなって、でも人は少なくなったのが紀伊半島の山中の現実かと。
 滝の拝を後にして更に県道を進みますが、滝の拝から先は昔のままの1.5車線路が健在でうれしくなってきます。県道那智勝浦古座川線と云ってもこの道で那智勝浦方面へ行く車はまず無いかと、稀にすれ違う車も地元の軽トラ位のものです。しかし横を流れる小川の水の美しさは格別、本流の古座川、清流と云っても今では上流に七川ダムがあります。
 西赤木、田川と小さな集落を抜けて小森川へ、ここから林道小匠小森川線と云う立派に基幹林道があって、トンネルを抜けると小匠ダム上流の高野へでるのですが、現在は崩土で通行止め、一昨日向かったvivvaさんは担いでも突破叶わずと撤退したそうです。もとより私は篭へ寄ってみたい事もあったので、このまま県道を行きます。
 小森川から県道はやや広くなって標高差300m余りの登りと、何度か登ってはいますがなかなか大変です、那智勝浦町の標識が現れるものの、そこがピークではなく2/3と云った処でしょうか。開通記念碑のある場所でようやく稜線に取り付きます。
 開通記念碑の前にへたりこんで、串本で仕入れておいたコンビニ弁当を。ここから県道は幅員1.7m制限、路面状態もかなり悪くなります、まさしく険道。

 那智勝浦町の最も奥まった集落となる坂足にて。
 篭へ到着、田村商店は閉まったままです、近所の人に聞いてみるとおばあさんはルピナス(那智勝浦町の老健施設)に入ったとの事です。篭は県道や林道が集まる処で、おばあさんに世話になったり、道を教えて貰ったサイクリストやライダーは少なくないはず。向かいの物置小屋もなくなり自販機1台だけが動いています。紀伊半島の山の中から、こんなお店がまた一つ消えました。
 さて小匠ダムへむかうのですが、右の高野林道を走っても通行止めですから、左の虹中野川林道へ入ります、現在は舗装されて県道45号那智勝浦本宮線に入ります。篭から県道を辿るより多少距離は短いかと。那智勝浦本宮線の出合橋から県道234号長井古座線へ入りますが、未だに古座へは繋がっていない道です。県道が途切れますが小匠ダムへは1~1.5車線の道が繋がっています。
 小匠ダムは正式には「小匠防災堰堤」、1959年に作られた古いダムだが、何よりダム筐体そのものに車を通行させるためのトンネルがぽっかり開いている知る人ぞ知る珍ダム。ところで何やら工事が行われて通行止めとなっています「仮設道路撤去工事」すわ何が行われているのかと、自転車を置いて歩いて見聞に。
 どうダム堰堤の高さまでのスロープ、道路が付けられているのです。下流側だけなら判るのですが、上流側もスロープで元の高さまで下りているのです。従って相変わらず水を貯めるつもりはなさそうですが、トンネルは塞いでしまうのでしょうか。工事の人に下の道(従来の道)が無くなるのかと聞いてみると、無くならないと云う、ただトンネルで大きな車が通れないからだと、だったらトンネルの開口を拡げればと思うのは素人考えだろうか。
 ダムより上流、高野側は通れなくなったと云う話だが(先の小匠小森川線の崩土とは別に)、古座川町の樫山(廃村)へはまだ行けるはず、ただ今日はそこまでの時間はないので、ダムから引き返す事に。帰路小匠集落に立ち寄ってみますが、ここにあった商店も閉ざされていました。カチンカチンに凍ったあずきバーに差し歯をおったり、乾さんだっけヤマタンさんだっけ、バーストしたタイヤに充てるガムテープを貰ったり、記憶だけが残ってしまいました。
 滝の拝~篭~小匠ダムと今日のミッションを終え、ゆったりと流れる太田川沿いの県道を下里駅へ向かいます。
 急げば下里1619に乗れたので「18きっぷ」だけで桜井まで帰る事もできたのですが、輪行袋を担いで混雑する天王寺での乗り換えを敬遠して、1718発の新宮行きに乗車、松阪から近鉄経由で帰途に就く事にしてのんびりと輪行支度を整える事にしました。本日の走行89.9キロ、都合2日間で300キロ走った事に。

 無人駅にワンマンカーが続いて入挟できないまま多気まで、そのまま近鉄に乗ってしまうとややこしいので、松阪行きの運転士さんにハンコを押して貰う事に「青春18きっぷ」3,020円分乗車。ただ近鉄大阪線が人身事故で遅れていて、最終間近の時間帯で足止めを食らったりすると大変なので、伊勢中川からは早く出発する特急に乗車する事に。昔々雨の影響で紀勢本線が遅れて松阪で泊まらざる得なくなった事がありました、18きっぶだけで帰る計画が余分な出費が、ともあれ日の変わらない内に桜井へ帰りつき事はできました。

 

「南の海へ」205.3キロ ②

和歌山県東牟婁郡串本町 橋杭岩にて

 予定通りと云うか12時過ぎには熊野本宮に到着。七色高架橋を下り本宮道路を始めて走りましたが、従来熊野川が蛇行していた部分を3つのトンネルと2つの橋で一気に貫いてしまいますから、楽には楽ですが味も素っ気もありません、一昨年10月同様、北向きに走る時はやはり旧道かな。なお本宮道路を走ると道の駅「奥熊野古道ほんぐう」はパスしてしまいます。本宮の鳥居の前で十津川で買った「めはり寿司」を頂きます。
 最近「穴蔵」氏によって現存が確認された請川村道路元標を訪座、和歌山県下で現存が確認された18基目の道路元標となります。請川村は昭和31年のいわゆる「昭和の大合併」で本宮町となり、その後は「平成の大合併」により田辺市となりました。私にとっては1,053基目の道路元標です。
 道路元標の表通り、R168沿いにあるヤマザキストアにて補給、本宮前よりこちらの方が品揃えが良いです、営業時間は8時から19時。川湯温泉や大塔安川林道への県道241号への分岐に当たります。ここから新宮でR42に入るまでの約30キロが交通量も多くなってきて結構ダルい区間です。

 新宮市、旧熊野川町域に入り、1319にはR169との合流点宮井大橋へ。奥瀞道路の整備とともに架け替えられ、古い橋は撤去されてしまった様です。

 

 宮井大橋を過ぎ北山川と合流すると熊野川の対岸は三重県となり、三和大橋が見えてきます。これより下流はR42の熊野大橋まで対岸に渡る橋はありません。なお左岸には県道740号小船紀宝線が通じています。
 新宮市は熊野川河口右岸に発展した町ですが、南西側から山が迫っていてR168だと越路トンネル、R42側は小さな峠越えになります。自転車は古い方の越路トンネルへ誘導され、トンネルを抜けると新宮市街です。1430にR168を走り終えR42へ入ります。しかしまだまだほっとしてもいられません、潮岬までは後50キロは走らなくてはいけません、とにかく明るい内に潮岬到着が目標です。正直云ってこの先のR42がネックになっていたのですが、前半セーブしたお陰かここまで脚を残して走ってこれました。

 新宮市街では海を見られませんので三輪崎で海岸寄りの旧道へ、南の海です(写真左)。R42に入ってからは河川や線路を跨ぐ度に細かなアップダウンが続きます。基本海岸沿いなのですが、太地町と紀伊浦神~紀伊田原間で内陸側に入ります。紀伊田原で少し荒船海岸へ立ち寄ってみます(写真右)、ガードレールのない海岸の一車線路が続くのでなかなか絵になるのですが、既に日影になってしまっていて写真的には今一つ、次の機会に。
 古座町が串本町と合併したために古座川を渡るまで串本町の標識が現れるので些か奇異な感じが。そう云えば古座川町には海岸がなくて全て古座町でしたね。
 荒船海岸で既に大島が見えていましたが、橋杭岩まで来るとくしもと大橋と陸繋島の潮岬が見えてきました。 串本の街に入り、潮岬の入り口にあるクロネコヤマトで留め置きに荷物を受け取ります、リュックを入れていた空箱は、明朝また送るからと営業所に置いておいて貰う事に。リュックを担いで潮岬へ、キャンプ場のある望楼の芝まで5キロ程なのですが、標高で70m程登らなくてはなりません。ともあれ1745には本州最南端潮岬に到着です。色々と悩みましたがasuka号で来たのが正解だったのかも。重いのは重いのですが、ロードに比べると体にやさしいと云うか、気分的にも楽に乗っていられるのは200キロの長丁場には差がでたのかも。今年になって180キロ台は2度あったものね、何と7年ぶりの200キロ超。後半どうにかモチベーションを維持できたのも良かったかと。


 さて宅急便で送ったキャンプ用品はテントとマットだけ、夏の平地キャンプですので寝袋もなし、食事は元より外食のつもりですが、さすがにそれも寂しいのでお湯を沸かせる準備だけは。もう2年使っているケトルです。日曜の夜ですので先客は数名、自転車も2人程いる様です。
 設営を済ませ風呂と食事に串本の街へ往復、串本は町と云っても24時間営業のスーパ-やホームセンターなどもあって補給などにも便利な処です。街への往復を含めて本日の走行219.0キロとなりました。
 なかなか来れない南紀ですから、明日は瀧の拝~篭~小匠と回る予定です。

5/15 「東の海へ」(鳥羽市鎧崎)

6/13 「西の海へ」(和歌山市加太)

7/29 「北の海へ」(宮津市由良海岸)

8/19 「北の海へ Part.2」(小浜市)

 

「南の海へ」205.3キロ ①

和歌山県東牟婁郡串本町 潮岬

 東西南北の海を目指すツーリング、asuka号にするか、東西北と走ったErbaロードにするか二転三転、悩んだ挙句に結局はasuka号で行く事にしたのですが、フロントサイドはやめて、テントにマットと最小限のキャンプ道具だけをリュックに詰めて、串本のクロネコヤマトに営業所留めで送っておきました。帰りの時間を気にしながら走り、トンボ帰りの輪行をしなくても良いとは云え、200キロ余りを走り営業所の営業時間内に串本に辿り着く必要がります。なおキャリアはフロントだけにして、キャラダイスのサドルバッグ用にバッグサポーターだけ装着します。輪行袋と着替えの一部をサドルバッグに押し込みますので、身に着けるのはウェストポーチのみです。ロードの人が大きなバッグを背負って走っているのを時々見掛けますが、肩への負担や背中からの放熱を妨げるので、私はツーリングではやりません、ヒップバッグの類が精一杯ですね。ただ今回はヤマト運輸の営業所から潮岬までリュックを背負って数キロ往復するのですが。あと「自撮り」用の三脚をサドルバッグのフラップ部分に挟み込んでいます。
 さて、五條辺りで明るくなりだす様にと、0324桜井を出発します。真っ暗とは云え明日香村から吉野口駅前、重阪(へいざか)峠と走り馴れた道を走ります。予定通り東の空が白み始めた頃には五條市街へ入りR168へ。五條病院前のコンビニで補給を、このファミマは吉野川左岸側唯一のコンビニ、この先R168には新宮までいわゆるコンビニの類いは皆無、十津川温泉に商店、旧本宮町だった田辺市域にヤマザキストアが2軒ありますが24時間営業ではありません。もとより紀伊半島内陸部は何もないと思って貰った方が良いです。
 暫くは素直にR168は走らずに五新線バス専用道跡に沿った道を行きます。専用道跡、よいこは走ってはいけません。せめて生子(おぶす)トンネルだけでも通れる様にして貰いたいものです。
 宗川野で再びR168と別れ立川渡経由の旧道を、ここには西吉野大滝と呼ばれる立派な滝が、真横を通るので迫力満点、たっぷり冷気とマイナスイオンを浴びながら小休止。
 昨年、R168側の崩落で急遽仮設橋が架けられた区間も復旧がすんでいました。旧道は西野トンネル口で現R168に合流し、0743今日のピークとなる新天辻隧道(646m)に到着。まだ早い時間だとは思うのですが、休日とあってバイクが多いのには閉口します。な訳で騒がしそうな道の駅はパスして阪本へ下ります。
 旧大塔村には狭い区間も残っていますが、R168の高規格化がどんどん進んでいます。いつもなら旧道を縫って走るのですが、通れるか通れないかの案内が曖昧ですし、今日は先を急ぎますので、谷瀬の吊橋(写真右)を望む上野地以外は全てバイパス区間を行く事に。各所で行われているバイパス工事や災害復旧工事が落ち着いたら、旧道を縫って走って行くのも面白いかも。
 一応、果無を午前中に越えると云う目標を立てていたのですが、どうやら目処がついたので風屋ダムで休憩とし、五條で仕入れておいたコンビニ弁当を頂きます。ここには清潔に整備された四阿やトイレがあって、のんびり休憩するにはうってつけです。
 風屋花園バス停、30年程前でしょうか、初めて新宮を目指した時、とても明るい内にはたどり着けないと早々に諦めて、ここから奈良交通の路線バスに輪行させて貰い引き返した事がありました。確かその時はミヤタのロードでしたね。
 1035、道の駅「十津川郷」に到着。日曜日とかは足湯の横で市が、丁度めはり寿司があったので頂きます、350円也。
 十津川温泉、温泉位立ち寄って行きたいところではありますが、まぁ昨夏も浸かった事ですし、次の機会にと。
 天辻峠を越えると熊野川(新宮川)沿いに下り基調のR168ですが、十津川村の南端、果無山脈が熊野川に落ち込む処で標高差100m余りの登り返しがあります。短いトンネルを幾つか抜け、眼下に二津野ダムを見下ろす辺りから下りとなり七色高架橋へ、下りきった辺りで十津川村と別れ和歌山県となります。距離こそ折り返したものの、潮岬まではまだまだ100キロ近くあります。(つづく)

 

 

 

「南の海へ」さて、どうしたものか

 海のない奈良から東西南北の海を目指すライド、残るは「南の海」行き先は和歌山県串本町の潮岬、本州最南端でもある訳です。さて今週末の27日(日)に行く事に決めたのですが、潮岬へは過去何度も行っているものの、一日で潮岬まで走った事はありません。新宮までは同様に何度も行っているのですが、その先潮岬までの約50キロは、海岸沿いに交通量の多いR42を走らなけらばならない事、桜井まで日帰りとなると串本駅が1843発のくろしお34号が最終、まして「青春18きっぷ」で帰って来ようとすれば1649発が最終となってしまうのです。桜井から五條経由で200キロ余りの道のりを走り、この時間はかなり厳しいと云えます。
 まぁ何処かに泊まれば済む話なんですが、余計なお金は使いたくありませんし、ならば過去に何度も使っている潮岬の無料のキャンプ場(現在は有料となる期間があります)に泊まれば、串本町には食事のできる処は幾らでもありますし、スーパーマーケットもあります。泊まるだけの最小限のテント、マット、寝袋(この季節の潮岬ならまず不要)さえあれば、基本リュックなどを担いで走る事は良しとしませんので、とりあえずリュックに押し込んで宅急便にして、潮岬の入り口にあるヤマト運輸の営業所から少しだけ担げば良いかと。ならば輪行袋や帰りの着替えも送っておけば、ERBAロードを駆って殆ど身一つで走って行けるではないかと。
潮岬望楼の芝キャンプ場のご利用について(PDF)
 とその様に決まりかけていたのですが、翌々日の29日の夕方まで時間がとれる事になり、そうなるとただ泊まって帰ってくるだけでは勿体無い様な気がしてきて、周辺には行きたい処は幾らでもありますし、最近ちょっとご無沙汰の「自撮り」もしたいし、そうなると三脚も必要、ロードでは不安な場所もあるし。asuka号を28Cに、リアのガードを分割式に換装して走って行けないかと、良からぬ考えが首をもたげできたのです。asuka号で200キロ以上走った事は何度もありますが、28Cとは云えパセラで辛いかも、2010年7月にツアラーの28Cで周山まで往復222キロを走ったのが。

 

北の海へ Part.Ⅱ


福井県小浜市 小浜公園にて

 東の海へ「鳥羽市鎧崎」、西の海へ「和歌山市加太」、北の海へ「宮津市由良海岸」に続いて南の海へとなる処なんですが、5月にNちゃんと行った「北陸本線廃線跡と河野しおかぜライン」の時に話題になった京都市街を車と信号に煩わされずに通過するルート。元より京都市内に土地勘のない私は、自転車道を嵐山まで走り、そこから北上する事はあっても、車の多い京都市街を走り抜けて鞍馬や大原方面に向かう事はありませんでした。Nちゃんの話によると桂川沿いの木津八幡嵐山自転車道の途中から鴨川の川べりを出町柳辺りまで走る事ができるとの事。京都市内に詳しい方なら当たり前の事なのかも知れませんが、自転車道から出町柳までワープできるとしたら今まで敬遠していた左京区方面へも足が延ばせると云うもの。早速Nちゃんに道案内をお願いして、取り残している大原村道路元標をゲットしつつ、鯖街道をまだ自転車では行った事のない小浜に向かおうと云う事になったのです。
 御幸橋さくらであい館前に7時に待ち合わせる事にして、桜井を4時過ぎにスタート、まだ暗い上街道を北上します。西名阪下、奈良市中辻町と木津川市梅美台西3で信号に捕まっただけで、足つき3回、停止時間1分00秒で流れ橋に6時19分に到着、休憩と時間調整をして御幸橋へ向かいます。
 さくらであい館前には既にNちゃんが到着、休日とあってローディの姿も多いです。さて桂川沿いの木津八幡嵐山自転車を北上し、いつもの久我橋を渡らずにそのまま鴨川の左岸を行きます、少々ダートと云うか未舗装部分がありますが良くしまっていて、雨の後でもない限りロードでもさして問題はなさそうで、通勤通学の自転車のルートとして結構利用されている様です。対岸に見えているのは阪神高速8号京都線。この後、近鉄京都線の鉄橋をくぐり、R24勧進橋で右岸に渡ります。
 JR奈良線と東海道線をくぐると暫くで七条大橋が見えてきますが、右岸側(写真左)は行き止まりになりますので、手前の塩小路橋を渡り再び左岸に。
 対岸に京都名物の納涼床が見えてきます。この辺りで時刻が8時になっていますが、時間とともに観光客が増えてくるそうで、自転車での通行は難しくなるとか、このルートは早朝に駆け抜けるのが肝ですね。鴨川と高野川が別れる処が見えてきたら出町柳です。川べりの道はまだ続いている様なのですが、だんだん走りにくくなる様ですので、一般道に上がり高野橋東詰からR367となります。なおここまでサイドバッグ支度でも問題はなさそうです。
 しかしR367に入ると車が多いですね、土曜日ですので、結構ダンプとかも多いです、時間が経つと観光バスなんかも多くなるかも。八瀬を過ぎた辺りからNちゃんのガイドで旧道を縫って走ります、こちらは快適です。
 大原ではコンビニ休憩の後、今回の目的の一つ愛宕(おたぎ)郡の大原村道路元標を訪れます。1,052基目となります。

 

 最初の峠となる途中越へ、滋賀県に入ります。トンネルを避けて集落の中の旧道へ。
 途中越の次は今日のルートの最高点になる花折峠(591m)、トンネルを避けて近畿自然歩道となっている旧道へ。ロープや鎖で車は入れない様になっていますが、比較的新しいアスファルト舗装が続きます。展望のない峠ですが、朽木鯖街道最大の難所だっただけに、峠名を印した立派な石碑が。

 朽木側で崩落している部分がありましたが、自転車の通行には問題はありません、現R367に合流してからも、断片的に旧道があるのですが、災害で流されたままで通れない区間もあります。
 12時過ぎに朽木宿に到着、道の駅のレストランは1,000円のバイキングだけだそうで、国道から離れ朽木宿の中の「丸八百貨店」へ、もとはその名の通り3階建ての百貨店だった様ですが、現在は観光案内所や無料休憩所の役目を、お茶と大したもんでもありませんか食事もできます。きつねそばとおにぎりを、しめて400円也。

 レトロさも魅力ですが、気さくなおばさんがいてアットホームな空間です。
 さて朽木宿を後にしてR367檜峠(写真左)とR303の旧道水坂(みさか)峠(写真右)を越えR303に合流、寒風トンネルを抜けると福井県です。
 このルートの目玉は熊川宿となるのでしょうが、なにやら時代劇のセットみたいで、ワタシ的には今一でした、道の駅の裏側より小浜よりの一画の方が静かで良いかも。
 一軒のお店で葛饅頭を頂きます。甘さ控え目で葛の風味が良かったです。私たちの次で売り切れになっていました。
 熊川宿を後にし一路小浜へ、R27と合流し上中駅を過ぎた辺りで脇道へ。

 堤防上の良さげな道を道を見つけて突っ込みますが、書いてある通りの「通り抜けできません」の行き止まりでした。その後は県道24号に入ります、田んぼの中の真っ直ぐな道で見通しが良くて走りやすいのですが陽射しと風がね、ただそのまま行けば「鯖街道起点」を売りにしているいずみ町のアーケードへ。
 Nちゃんが指差しているのが「鯖街道起点」のプレート。アーケードを抜けて海岸の小浜公園まで走り「北の海へ Part.2」完了です。R367~R303と些か交通量が多いのが難ですが、花折峠旧道や朽木宿は愉しめました。本当は小浜をゆっくり見て回りたかったのですが「青春18きっぷ」だけで桜井まで帰る目論みですので1729発の敦賀行きがタイムリミットとなります、それでも接続のスジが悪くて桜井帰着は2323着の終電に。別ルートでの再訪を愉しみとします、本日の走行156.6キロ。道案内とお付き合いしてくれたNちゃんに感謝。

 

履修順道路元標一覧 (901~1000)

道路元標一覧 (1~100)
道路元標一覧 (101~200)
道路元標一覧 (201~300)
道路元標一覧 (301~400)
道路元標一覧 (401~500)
道路元標一覧 (501~600)
道路元標一覧 (601~700)
道路元標一覧 (701~800)
道路元標一覧(801~900)
【901】 2010/08/02 島根県 能義郡 飯梨村 (現 安来市)
【902】 2010/08/02 島根県 能義郡 広瀬町 (現 安来市)
【903】 2010/08/03 岡山県 真庭郡 八束村 (現 真庭市)
【904】 2010/09/05 長野県 南安曇郡 小倉村 (現 安曇野市)
【905】 2010/09/06 長野県 東筑摩郡 入山辺村 (現 松本市)
【906】 2010/09/06 長野県 小県郡 和田村 (現 長和町)
【907】 2010/09/06 長野県 小県郡 大門村 (現 長和町)
【908】 2010/09/06 長野県 小県郡 長久保新町 (現 長和町)
【909】 2010/09/06 長野県 小県郡 長窪古町 (現 長和町)
【910】 2010/09/06 長野県 北佐久郡 三岡村 (現 小諸市)
【911】 2010/09/07 長野県 北佐久郡 西長倉村 (現 軽井沢町)
【912】 2010/09/07 長野県 北佐久郡 軽井沢町 (現 軽井沢町)
【913】 2010/09/07 群馬県 碓氷郡 坂本町 (現 安中市)
【914】 2010/09/10 京都府 天田郡 中夜久野村 (現 福知山市)
【915】 2010/9/10 京都府 天田郡 福知山町 福知山市
【916】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 東山代村 伊万里市
【917】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 牧島村 伊万里市
【918】 2011/1/9 佐賀県 西松浦郡 大山村 有田町
【919】  2011/1/9 熊本県 玉名郡 伊倉町 玉名市
【920】 2011/1/9 熊本県 玉名郡 豊水村 玉名市
【921】 2011/1/9 熊本県 玉名郡 弥富村 玉名市
【922】 2011/1/10 熊本県 八代郡 八代町 八代市
【923】  2011/1/10 熊本県 阿蘇郡 宮地町 阿蘇市
【924】  2011/1/11 宮崎県 南那珂郡 市木村 串間市
【925】  2011/1/11 宮崎県 児湯郡 上江村 高鍋町
【926】 2011/02/26 京都府 宇治郡 醍醐村 (現 京都府伏見区)
【927】 2011/03/11 愛知県 海部郡 蟹江町
【928】 2011/03/11 愛知県 海部郡 南陽村 (現 名古屋市)
【929】 2011/03/11 愛知県 西春日井郡 庄内町 (現 名古屋市)
【930】 2011/03/11 愛知県 中島郡 朝日村 (現 一宮市)
【931】 2011/03/23 大阪府 西成郡 粉浜村 (現 大阪市住之江区)
【932】 2011/03/31 奈良県 宇陀郡 室生村 (現 曽爾村)
【933】 2011/04/06 兵庫県 揖保郡 龍田村 (現 太子町)
【934】 2011/04/06 兵庫県 飾磨郡 菅野村 (現 姫路市)
【935】 2011/04/06 兵庫県 加西郡 富田村 (現 加西市)
【936】 2011/04/06 兵庫県 加古郡 尾上村 (現 加古川市)
【937】 2011/05/08 兵庫県 武庫郡 大庄村 (現 尼崎市)
【938】 2011/05/18 京都府 北桑田郡 細野村 (現 京都市右京区)
【939】 2011/05/21 兵庫県 多紀郡 篠山町 (現 篠山市)
【940】 2011/05/21 兵庫県 有馬郡 長尾村 (現 三田市)
【941】 2011/05/21 兵庫県 有馬郡 大沢村 (現 三田市)
【942】 2011/05/21 兵庫県 美濃郡 淡河村 (現 神戸市北区)
【943】 2011/06/30 三重県 度会郡 田丸町 (現 玉城町)
【944】 2011/07/31 佐賀県 東松浦郡 七山村 (現 唐津市)
【945】 2011/07/31 佐賀県 小城郡 北山村 (現 佐賀市)
【946】 2011/07/31 佐賀県 小城郡 南山村 (現 佐賀市)
【947】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 北茂安村 (現 みやき町)
【948】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 中原村 (現 みやき町)
【949】 2011/07/31 佐賀県 三養基郡 田代村 (現 鳥栖市)
【950】 2011/08/01 熊本県 鹿本郡 山鹿町 (現 山鹿市)
【951】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 中島村 (現 七尾市)
【952】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 熊木村 (現 七尾市)
【953】 2011/08/28 石川県 羽咋郡 釶打村 (現 七尾市)
【954】 2011/08/28 石川県 鹿島郡 田鶴浜村 (現 七尾市)
【955】 2011/08/29 新潟県 西頚城郡 名立町 (現 上越市)
【956】 2011/08/29 新潟県 三島郡 桐島村 (現 長岡市)
【957】 2011/08/29 新潟県 三島郡 大河津村 (現 長岡市)
【958】 2011/08/29 新潟県 三島郡 与板町 (現 長岡市)
【959】 2011/08/29 新潟県 古志郡 下川西村 (現 長岡市)
【960】 2011/08/29 新潟県 三島郡 大津村 (現 長岡市)
【961】 2011/08/29 新潟県 三島郡 脇野町村 (現 長岡市)
【962】 2011/08/29 新潟県 古志郡 福戸村 (現 長岡市)
【963】 2011/08/29 新潟県 三島郡 王寺川村 (現 長岡市)
【964】 2011/08/29 新潟県 三島郡 日吉村 (現 長岡市)
【965】 2011/08/29 新潟県 三島郡 関原村 (現 長岡市)
【966】 2011/08/29 新潟県 三島郡 日越村 (現 長岡市)
【967】 2011/08/29 新潟県 三島郡 来迎寺村 (現 長岡市)
【968】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 関山村 (現 妙高市)
【969】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 中郷村 (現 上越市)
【970】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 三郷村 (現 上越市)
【971】 2011/08/30 新潟県 中頚城郡 津有村 (現 上越市)
【972】 2012/01/08 岡山県 邑久郡 大宮村 (現 岡山市)
【973】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 名護屋村 (現 唐津市)
【974】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 切木村 (現 唐津市)
【975】 2012/01/09 佐賀県 東松浦郡 北波多村 (現 唐津市)
【976】 2012/01/09 佐賀県 西松浦郡 南波多村 (現 伊万里市)
【977】 2012/01/09 佐賀県 杵島郡 若木村 (現 武雄市)
【978】 2012/01/09 佐賀県 杵島郡 住吉村 (現 武雄市)
【979】 2012/01/10 熊本県 球磨郡 山江村
【980】 2012/01/10 宮崎県 北諸県郡 西岳村 (現 都城市)
【981】 2012/03/13 三重県 度会郡 神社町 (現 伊勢市)
【982】 2012/03/13 三重県 度会郡 大湊町 (現 伊勢市)
【983】 2012/03/13 三重県 度会郡 豊浜村 (現 伊勢市)
【984】 2012/03/13 三重県 度会郡 北浜村 (現 伊勢市)
【985】 2013/09/05 新潟県 西頚城郡 市振村 (現 糸魚川市)
【986】 2013/09/06 新潟県 岩船郡 大川谷村 (現 村上市)
【987】 2013/09/07 北海道 亀田郡 湯ノ川村 (現 函館市)
【988】 2013/09/07 北海道 函館市
【989】 2013/09/07 北海道 上磯郡 茂別村 (現 北斗市)
【990】 2013/09/07 北海道 檜山郡 江差町
【991】 2013/09/08 岩手県 盛岡市
【992】 2014/07/21 島根県 大原郡 賀茂村 (現 雲南市)
【993】 2014/07/22 島根県 邇摩郡 静間村 (現 大田市)
【994】 2014/07/22 島根県 簸川郡 田岐村 (現 出雲市)
【995】 2014/07/22 島根県 簸川郡 知井宮村 (現 出雲市)
【996】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 垂水村  (現 丸亀市)
【997】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 飯野村  (現 丸亀市)
【998】 2014/07/30 香川県 綾歌郡 南村  (現 丸亀市)
【999】 2014/08/06 兵庫県 川辺郡 東谷村 (現 川西市)
【1000】 2014/08/17 兵庫県 津名郡 多賀村 (現 淡路市) 2014


野迫川キャンプ(2日目)

和歌山県伊都郡高野町下筒香にて

 キャンプの朝は早いです、昨夜は寝不足とあって早々にダウンしてしまったのですが。Dさん達は結構遅くまで盛り上がってた様でして、何やら肴にされてた様な、テント越しに聴こえてきた会話の断片が記憶に….

 野迫川村は人が暮らしている処はすべて標高600m以上ありますし、この「アドベンチャーランド」も647mの標高点が記されています。昨夏手に入れたインナーがオールメッシュのこのテントでは夜中に多少肌寒く感じて敷いてただけの寝袋を被りなおす事に。まだ風雨には遭ってませんが、夏の平地なら快適に過ごせます、設営も簡単でコスパも最高ですし。
 さて、のんびり過ごしたい処なのですが、今夜は仕事の都合で遅くとも16時頃には桜井に戻らなくてはなりません。山深い野迫川村から一番楽に出られるのは野川から紀和隧道で高野町富貴方面に越えるルートなのですが、村でも南部のここから野川へ行くには1,000m前後まで登らなくてなりません、どう考えても私の脚力では後が持たないので、予定通りG氏に天狗木峠まで送って貰う事にします。
  0940、H氏に見送られて天狗木峠を出発します、野川に下るのもありきたりですので、昨日来た桜峠へ向い、高野山内には入らず摩尼隧道でR371を下ります。
 河合橋まで下った処で、久しぶりに丹生川沿いの筒香への道へ入ります、若干登り返しがありますが、紀和隧道を越えるのと大差はないでしょう。

 

 下筒香までやってきた処で、目の前に集落を見上げる素晴らしい風景が、今回は三脚を忘れてきたので「自撮り」は諦めるしかなかったのですが、ガードレールにカメラを括り付けて、どうにか撮る事ができました。
 中筒香の風景、丹生川に沿った山深い谷あいの風景が、筒香から富貴にかけては穏かな里山の風景に。 

 

 上筒香で紀和隧道から下ってきた川津高野線に合流します。

 

 出屋敷辻から県道<732>阪本五條線となり、お馴染み成金バス停を過ぎると富貴、先の筒香と富貴は昭和33年に高野町に編入されるまでは富貴村でした。野迫川村とは反対に奈良県側の五條市との関わりが強く、最近まで奈良交通のバスが通っていました。(写真右)昔はここに県界と云う名のバス停が、再び奈良県に入ります。
 紀の川へ向って豪快なダウンヒルが続き13時過ぎには五條市街へ、吉野ストアで小休止、まだ30数キロ残っていますが、筒香経由したとは云えなかなか微妙な時間です。天狗木峠まで送って貰っていて大正解、阿太から福神へいつものルートを越え、脚を残したまま吉野口から1時間以内で走り抜いて、1510無事に桜井に帰投しました。本日の走行74.5キロ。
 2日間で167.4キロ、些か強行軍の1泊2日のキャンプツーリングでしたが、ナイトランと涼しい内に高野山にアタックすると云う計画が功を奏して、8月としてはなかなか快適なツーリングを愉しむ事ができました。

 当日の写真をうちのHPの「ツーリングの記録」にアップしています。[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2017]とたどって下さい。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログインは’2017’、パスワードは「CanCan謹製卓上カレンダー 2017年版」奥付右下の数字です。以前のログイン、パスワードも現時点では使用できます。私の撮影分に関しては参加者の方は再利用して頂いて結構です。

 

野迫川キャンプ(1日目)

奈良県吉野郡野迫川村 高野辻にて

 昨年は「十津川~龍神キャンプツーリング」で盛り上がったお盆のキャンプですが、今年は話しがまとまらないまま8月に、一人で出掛けても構わないのですが、格段のお盆休みがある訳でもなし人出が多くクソ暑いだけの何もこの時期にね、とか考えていた処にH夫妻が13~14日に1泊2日で野迫川に行くとの事、そこへD女史が高野山と野迫川へ宿坊や立里荒神の参籠所を利用して行くとの事で、13~14日だけでも集まろうと云う事に、ただ私は14日の夕方には帰ってこなくてはならないのがネックになったのですが、14日の朝にH氏が車で天狗木峠まで自転車ごと運んで貰うと云う事になり、あと明日香村のチネリ怪人Vivva氏が九度山デポで参加する事になり「野迫川キャンプ」の乗り合いが決まったのであります。
 11日の午後から時間が取れたので12日から走り出して一昨年の「野迫川紅葉サイク」の折に使った高野辻の四阿でゲリキャンしようかとも考えたのですが。asuka号の足回りに手を入れたり「しまなみキャンプライド」で痛めたマッドガードを直したりと準備に手を取られ結局は13日未明に出発する1泊2日となってしまいました。ただ今回はH夫妻は自転車抜きのオートキャンプですので、椅子やテーブルとかは持って行かず、見かけこそ4サイドですがテントも寝袋も夏支度で重量的にはかなり軽量化したかと。
 野迫川へのルートですが、重阪峠経由で九度山から7月2日の「高野山避暑サイク」で利用した細川から極楽橋への道を利用する事にし、明るくなり出すまでに九度山まで走り、涼しいうちに高野山に登ろうと画策してみました。
 結局何やかやで出発したのは0317、これでは五條辺りで明るくなってきそうですが、別に約束している訳でもありませんのでボチボチ行きましょう。今回は右側のサイドバッグに青色のLEDライトを着けています、追い越す車を威嚇するには充分でしょう。今夜は何とか流星群の日なのですが、いつのまにか曇ってきていて流星どころか月明かりもありません。0424吉野口駅、0449重阪峠、勝手知ったる道を快調に。
 明るくなってきた5時過ぎには五條市街へ、五條新町のローソンで最初の休憩を入れます。
 目的地は奈良県吉野郡野迫川村なのですが、高野山経由ですので一旦和歌山県へ入ります。0552県境を越え0610には橋本橋南詰を通過します。
 橋本橋南詰を過ぎ暫く紀の川沿いの自転車道を行きます、ここまで来て忘れ物に気が付きます、なんと「自撮り」用の三脚を持ってくるの忘れたのです、何のために早駆けしてきたのか意味がなくなってしまいました。

 一昨日から立里荒神の参籠所に泊まっているD女史から野迫川村の雲海の知らせが、しまったなこの季節見られる確率は低いのですが、頑張って高野辻でゲリキャンすべきだったかと。(Photo : Takako.D)
 0632九度山へ到着、このまま高野山道路(昭和62年まで有料道路でした)ことR370へ入るつもりでいたのですが、三脚なしでは「自撮り」もおぼつかないので一旦道の駅「柿の郷くどやま」へ入る事に。
 案の定道の駅では九度山デポのvivvaさんがお休み中、準備を始めだしたのですが、何やら二日酔いと寝不足でしんどそう、まぁそれでも彼なら追いついてくるだろうと細川の分岐まで先に行かせて貰う事に。
 朝の清清しい空気の中をまずまず快調に0740には細川の分岐まで登ってきました。標高的には大門までの1/3は登ってきた計算になるのですが、ここからは車に追われずに走れると思うとほっとします、お盆とあってか時間とともに車の量も増えてきている様な気もします。五條新町のローソンで調達しておいておにぎりを頬張っているとVivvaさんが到着、ここは影が少ないので八坂神社まで移動する事にします。
 八坂神社で小休止、まだ8時ですので高野山での昼食の時間を考えてものんびりと過ごせそうです。
 健脚のVivvaさんに少々離されてしまいましたが9時前には極楽橋駅への分岐に到着、このまま真っ直ぐ行くとケーブルカー横の激坂、不動坂ですので、高野七口の一つ「不動坂道」を引き返す形で北へ、森林鉄道の遺構だと云われる切り通しを抜けて高野森脇林道へ。目を付けていた「自撮り」ポイントでは代わりにVivvaさんに走って貰いますが、この時間では陽射しが回らないので想像していたのはちょっと違った様な。
 標高800m台の高野山内に到着、やはり高野山は涼しいです。このルートで入ると町役場のある処に出るので、大門に向って少し走ってコンビニで補給です。
 山内を走り抜けて奥の院へ。
 キャンピングで高野山へ上がったのは20数年ぶりです。
 お昼は奥の院と摩尼隧道の間にある「とんかつ定」へ、地元の人気店で以前から前を何度も通っているのですが、なかなか入る機会がなかったのです。店名からしていわゆる「とんかつ屋」と想像していたのですが、どちらかと云う洋食屋さんのランチと云う感じで、とんかつ以外のメニューもあります。なかなか美味しいのですが、私的にはちょっと外れでした。
 摩尼隧道の手前で右折して県道733号川津高野線へ、日頃は高野山駅まで輪行して来る事が多いせいか、キャンピング支度で下から登ってきた今回はかなりキツかったです、いつもなら峠から先のアップダウンも大した事はないのですがネェ。
 天狗木峠を経て標高1,000m台の稜線を走り高野辻でD女史と合流です。彼女はテント装備をH夫妻に託してあるので、フロントとサドルバッグのみのいでたちです。高野辻の四阿でゆっくりした後は標高差400m超のダウンヒルです。

 北俣川の深い谷に沿ったダウンヒルを堪能した後は川原樋川沿いに、引き続き川津高野線ですが、平集落を経由する林道の方が距離が短くて道路状態も良いのでこちら通う車は少ないです。秋の紅葉は格別です。
 平経由の林道と合流すると目的地のキャンプ場「アドベンチャーランド」に到着です。確か昔は4WDランドとか呼ばれていた処だと思うのですが、成り行きでキャンプ場となった様な感じですね。色々な4駆や救急車に至るまでマニアックな車が並んいるのですが、何と云っても目に付くのは名鉄7300系が1台、しかしこの山の中まで良くも運んできたものです。土建屋の資材置き場な感もありますが、関西で云うパラダイス的な場所です。ただ昔からあるのですが村との関わりは少ない様です。でも利用者は「野迫川温泉」の割引があります。
 既にH夫妻が到着していて準備万端、早速サイトにテントを張らせさて貰います。オートキャンプ用の区画がなされているのですが、上手くすればソロテントを4つ位は張れそうです。一応最低限の食事のできる準備はしてきているのですが、今夜はH夫妻にお世話になる事にして、野迫川温泉まで往復した後、夜の宴が始まりました。本日の走行92.9キロ。

 

ちょっと芋まで

奈良県道15号桜井明日香吉野線

 週末の野迫川キャンプに備えてasuka号のチェーンとスプロケットを交換、試運転がてら芋ヶ峠まで往復してきました。実はasuka号にはCS-HG400 9S 11-28T(11,12,13,14,16,18,21,24,28)のスプロケットを付けてあったのですが、先月の「猪名川キャンプツーリング」の折りに最後の登りに恐れをなしてお蔵入りしていた11~34Tに換装したのですが、調子が悪くロー側2枚が使えず仕舞い、11-28Tに戻したもののチェーンを痛めてしまったのか以来あまり調子がよくありません。実際タイヤのグリップ力とかを考えると34Tまでは使えないので、試しにCS-HG50-9S(11,12,14,16,18,20,23,26,30)を新調してみたのです。
 別にサイドバッグは必要はないのですが、ご愛嬌。後ろのマッドガードを「しまなみキャンプライド」の折に痛めたので修復作業中。写真はお馴染み明日香村石舞台古墳をロハで見下ろせる高台にて。

 石舞台を出て少し行くと木蔭でBJ嬢が休憩中、どうやら同じく芋へ向うらしいのですが、私では噛ませ犬にもならないので。案の定祝戸で抜かされ栢森に着くまでに戻ってきました、あんた早過ぎやろ。先日の大雨で芋ヶ峠への道は所々で水が流れています、そんな路面でパセラにリア30Tではスリップしてしまいます。確かに28Tの事を思えば楽なのですが、30Tの下が26Tと云うのは辛いものがあります。しかし飛鳥川のせせらぎとひぐらしの声が心地良いです。

 やはりこの季節、陽が傾いてきた頃から走り出すのが正解な様です、帰り道見知った顔とか2,3名の走る姿を見かけました、本日の走行32.6キロ。

 

RRCB 大和高原早朝ラン

 RRCB(Restoring and Riding Classic Bicycles)の夏の恒例行事「大和高原早朝ラン」に参加してきました。と云っても仕事の都合で針テラス(名阪国道針I.C.)7時の集合にはとても間に合わないのですが、先々週の「ヴィンテージレーサー観賞会」、先週の「奥千丈林道」とRRCBの行事に参加できなかったので、頑張ってコースを逆回りして迎撃、合流する事にしました。ところで「大和高原早朝ラン」いつごろから始まったのでしょうね、真夏の一日朝の涼しいうちに標高のある大和高原の50キロ余りのコースを駆け抜けよう云うものです。昨年は不参加でしたが最近では一昨年に参加させて貰っています。
 自宅の桜井市ではなく橿原市内の出先を出発したのが0840、初瀬街道(横大路)を東へ走り長谷寺から<38>桜井都祁線へ、一番の難関が初瀬ダムです。一行は針テラスをスタート、山田から田原と須川ダムの下流、京都府との県境近くまで北上した後、柳生経由で布目ダムまで戻って来るのですが、既に柳生だとか、これはちょっと早すぎ、エイドポイントになっている布目ダムでの冷たいスイカにはありつけそうにありません。
 10時半頃には針を通過し小倉から<127>北野吐山線へ、一行はとっくに布目ダムに到着して冷たいスイカを頬張っている様です。このままダムに向かっても途中でトンボ返りになりそうなので、コース上で一番嫌な坂である<80>奈良名張線と合流する北野口で待ち構える事にしました。ところでここからは日本の原風景とも云える素晴らしい山村風景を見下ろす事ができます。
 計算通り一行が坂を上がってきました、先頭は明日香村のチネリ怪人vivvaさんです。参加者はドタもあって私を含めると16名との事です、プログレスの三島さんの姿も。(写真右:kiyaさん)
 北野口から<127>北野吐山線を折り返します。起点の北野から下深川まで未改良区間が続きます、渓流沿いの木陰が続き真夏でも快適、<25>月瀬針線と広域農道に挟まれて通う車も殆んどありません。


 針テラスには丁度お昼前に戻ってきて「王将」へ直行です。「王将」の前にサンジェ、チネリ、デローザ、ロッシンetc.の名車が並びます。

 今日は16時から有志が再来週の鈴鹿でのチームTTの練習との事で、昼食後はそれまでの間に山辺高校の近くにある「ミモザガーデン」にスイーツに行く事になりました。並松(なんまつ)池を見下ろすデッキのある素敵なカフェです、私は「なつみかんのかきごおり」を頂きました。(写真左:ショコラさん)
 午後2時に「ミモザガーデン」を後にし集合場所の針テラスへ戻りますが、自走の私はここでお別れし帰途に就かさせて頂きましたが、来年はフル参加で。本日の走行59.8キロ。

 

 当日の写真をうちのHPの「ツーリングの記録」にアップしています。[BICYCLE]→[ツーリングの記録]→[2017]とたどって下さい。なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧頂けません。ログインは’2017’、パスワードは「CanCan謹製卓上カレンダー 2017年版」奥付右下の数字です。以前のログイン、パスワードも現時点では使用できます。私の撮影分に関しては参加者の方は再利用して頂いて結構です。

 ショコラさんのレポートはこちら

 

古稀に至ってもなお「走」「工」「趣」三拍子揃って三流のサイクリスト。ライフワークは「道路元標」と「自撮り」。なお「■ャリ」等の自転車に対する卑しい言葉をコメント等ではお使いにならないで下さい。