
隣町のつっちーさんから朝6時に行くから一緒に走って行こうと云うお誘い、「そんな1時間半で登って行ける訳あれへんやろ」とお先に出発して、登り坂も落ち着いた荒神さんの水場で休んでいると、チネリSCを駆って案の定追い付いてきました。
予定の7時半より少し早めに着いたのですが、既に大方の面子が揃っています、今日の参加者はドタ参を含めて12名です。

隣町のつっちーさんから朝6時に行くから一緒に走って行こうと云うお誘い、「そんな1時間半で登って行ける訳あれへんやろ」とお先に出発して、登り坂も落ち着いた荒神さんの水場で休んでいると、チネリSCを駆って案の定追い付いてきました。
予定の7時半より少し早めに着いたのですが、既に大方の面子が揃っています、今日の参加者はドタ参を含めて12名です。
5月とは云え標高600mの「月うさぎ」の朝は寒いです、結局持って来た物を全て着込んで3シーズンの寝袋にもぐりこみ、余りもののホカロンまで使って寝ていました。 今日は積んできて貰ったロードを駆って桜井へ下り、asuka号でここへ戻ってこなければなりません。 そろそろ起き出そうかと思っているとエンジン音が、新聞配達も来ないだろうに思っていると、VIVVA2000さんが差し入れを持ってやってきてくれました、昨日鈴鹿市の有名焼肉店「みさきや」へ家族で行って、帰りにお肉を差し入れて下さるつもりが名阪国道が渋滞のため遅くなったので、今朝改めてわざわざ持ってきて下さったとの事、有難く頂戴した後、すぐに帰ると云う事ですので、ロードもろとも桜井まで送って貰う事に、何のために積んできて貰ったのやら、koga-miyataは一歩も走る事なく桜井へ。
早速、近くのファミマへ届いているチェーンカッターを引き取りに、こう云った時にAMAZONのコンビニ受け取りは便利ですね、昨日日中に受け取れない荷物を夜中とか早朝に受け取れるのですから。 PWTと云うブランドのチェーンカッター BT-15R を買いましたが、チェーンフィキサーと云う名の両端を曲げた針金をセットする様になっていて、これがとても重宝します。 針金を加工すれば簡単に作れるものですが、チェーンカッターにセットしておけるのが便利です。 (私の買ったものは10速までの対応ですが割高ですが7~11速対応もある様です。 )
七滝八壺へ向かった一行の様子は… 写真はsyokoraさんからお借りしました。
かつて鉄道敷設法と云う法律がありました、1892年(明治25年)に制定され、あまねく全国に鉄道路線網を張り巡らそうと云う、今の高速自動車国道法の鉄道版みたいなものです。 鉄道建設が国家の基盤施策みたいに考えられていた時代ですから、費用や技術的問題、必要性、採算性などは度外視で、ある意味政治家の集票の道具の様に使われていたかも、ちなみに道路元標の根拠法の旧道路法は1919年(大正8年)。 1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法では全国で150もの路線が設定されていました。 その中に「奈良縣五條ヨリ和歌山縣新宮ニ至ル鐵道」、すなわち五新線が掲げられています。 1939年(昭和14年)に建設に着手されたものの、ルートに関して地元同士の綱引きに、国鉄、近鉄、南海の思惑が絡み、戦時中断を経て1957年(昭和32年)に工事再開、1959年(昭和34年)には五條~城戸までの路盤が完成したものの、地元西吉野村(現五條市西吉野町)が鉄道としての開業に懸念を示したため、路盤を専用道として利用するバス路線として開業する事となります。 その後工事は大塔村(現五條市大塔町)阪本まで進みますが、1982年(昭和57年)の国鉄再建法の施行で工事は凍結、城戸までのバス路線は国鉄~JR西日本と継続されますが、平行する国道168号線の改良や自動車利用の発達、城戸以遠や接続網を持つ奈良交通のバスが国道を走っている事もあって運行本数は逓減し、2002年(平成14年)にはJRバスが撤退、地元自治体が奈良交通に運行を委託していたのですが、トンネル崩落の危険性がある事が判り2014年9月末で廃止となった事は話題に新しいですね。
奈良県出身の映画監督河瀬直美さんの実質的な処女作でカンヌ新人監督賞の最年少受賞作品となった映画「萌の朱雀」(1997年)の舞台に西吉野村がなり、作品中では具体的な事までは明らかになっていませんでしたが、國村隼演じる主人公が五新線に拘わっていた事が物語の重要なテーマになっていました。 ちなみ「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子さんは西吉野村出身で御所高校卒業。 最近ではロケ地の案内ができたりしていますが、私の聞いている範囲では内容が暗すぎると地元での評判は良くなかったそうです。
ところで晩年の土日には午前中に1往復だけなってしまったバス専用道、奈良県のサイクリストには知られた存在でした、なにしろ五條~城戸間を車に煩わされる事のない殆んど平坦路と云って良いルートがあるのですから、しかしネットではその利用を明らかにする事はタブーなのです、今もなお。
朝7時半に桜井を出発し明日香村経由で御所市域へ、船倉村道路元標と葛村道路元標の生存確認して吉野口駅で小休止の後重阪(へいさか)峠を越えます。 いつもは三在北あたりでR24に入るのですが、極力トラックの多いR24を走らない様にと宇智川沿いの道を走ってみようとしたのですが、堤防上の道はダート、舗装路を選んで進んでいると遠回りになってしまった様な、それでも宇野町から五條市街にかけてほぼ旧街道の中を走って行く事ができました。 年末に来たばかりなのですが五條市の新町通りに寄ってトイレ休憩の後、大川橋を渡って五条病院前の吉野ストアで買物、いよいよ五新線沿いの道へ入ろうとして、今日のもう一つの目的「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントを五條新町のまちや館でGETするのを忘れていた事に気がつきます、慌てて再び大川橋を渡り新町通りへ。 その後野原町道路元標を確認して五新線のバス専用道の入り口へ。
中央の急坂が元のバス専用道への入り口です。 「市有地につき一般通行禁止 市有地内での事故について市は一切保証しません。 事故による責任は全て個人の責任となります。 五條市」と書かれた看板が出ています。 もちろんここは左側の一般道へ入ります。
バス専用道はご覧の様に切り通し状に真っ直ぐ続いています。 バスの運行終了3ヶ月になろうとしてますが路面は綺麗です、今にもバスがやってきそうな風景、と云うより線路があれば列車がやってきてもおかしくない佇まい。
バス専用道時代の看板「路線バス専用道につき 一般車両の通行を禁止します 五條市・西吉野村」もまだまだ残ってます。 もちろん私のいる右側が一般道です。
一般道との交差する箇所がいくつもあり、かつては踏切があって専用道を行くバスが優先だった時代もあるそうです。 専用道を走る路線バスは他にもあります、福島県のJRバス白棚(はくほう)線などがそうですね、専用道側優先の踏み切りもあってかなり厳格に進入を規制している様です。 しかし走ってみたいですネェ、でも良い子は走ってはいけません。 それより一般道のクネクネ度と緩やかなアップダウンがたまらないやないですか。
民家の庭先と柿の木畑の間を専用道は走って行きます。 あの車は狭い急坂を登り下りしてこちらの一般道から出入りしているんでしょうねぇ。
元の上柏原バス停を過ぎて丹生川は東側へ蛇行します、専用道は左岸(向かって右側)へアーチ橋(第1丹生川橋梁)で渡って行きます、橋の向こうには専用道生子(おぶす)バス停跡が見えているのですが、残念ながら丹生川右岸に沿った道を行く事にします。
地形図では黒線(幅員3m未満)で示された道が丹生川右岸に沿って続いています、一応はコンクリートの簡易舗装がされていた様なのですがかなり痛んでいます、でもランドナーのためにある様な道です。 私のasuka号をランドナーに例えると文句を云ううるさがたもいますんで、ここは気分はランドナーと云う事でご容赦を。
突然「法華経一字一石塚」「為川筋往来安全也」と記された石碑が、この付近がほぼ元の五條市と西吉野村の境界にあたりますが、明治時代に建てられたものの様です。 と云う事はこの道が十津川街道、あの天誅組も通ったのでしょうかね。
暫く進むとまわりが明るくなって西吉野町滝の集落が見えてきました、うーんニューサイクリングの世界ですねぇ。
滝集落まで来てようやく左岸に渡る橋があります、五新線は対岸の山を生子トンネルで貫いていて、R168は山腹を走っていますので、そこまで登って行かなくてはなりません。
R168に取り付くと老野(おいの)トンネルが、ここには旧道が残っていますので左側へ進みます。
落ち葉に覆われていますが旧道は健在です、走行に全く支障はありません。
眼下には生子トンネルを出てきた五新線の第3丹生川橋梁が、その先が専用道神野(こうの)バス停でしょうか、その向こうに見えるのはフルーツロード(五條吉野広域農道)の賀名生(あのう)大橋。
R168を渡り先程見下ろしていた専用道神野バス停へ下りてきました。 専用道はバス1台が通れるだけの幅員しかありませんので、何箇所かのバス停はこのように行き違いできるだけの幅員を持っています。 今では使われなくなったバス専用道と高規格農道の巨大橋梁が対照的ですね。
専用道は真っ直ぐ進んでいますが、蛇行する川筋に沿った右側の小径へ入ります。
どっかの渓谷の遊歩道の雰囲気ですね、無理せず推して行きます。
奈良県下、特に国中と呼ばれる奈良盆地をスポーツサイクルで走っている人なら多かれ少なかれ自転車道のお世話になっていると思います。 まぁ中には障害物の多い自転車道を避けて一般道を自動車とせめぎあいながら走る人もいるかとは思うのですが、あえて云えばそんなに使い勝手の良いものでもありません。 ところで県下には現在3つの自転車道が設定されている訳ですが…
その奈良県の自転車道ですが、奈良県における広域的な自転車利用ネットワーク「ならクル」をはじめ県の案内によりますと「奈良自転車道」「大和中央自転車道」「飛鳥葛城自転車道」の3つが挙げられています、ところが実際に走ってみると「奈良西の京斑鳩自転車道」「大和郡山田原本橿原自転車道」「明日香大和郡山自転車道」と云った聞きなれない名称の自転車道の標識が現れます。
これには本名と云って良いのか「奈良自転車道」は奈良県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線(添付図赤線)、「大和中央自転車道」は奈良県道273号大和郡山田原本橿原自転車道線(添付図青線)、「飛鳥葛城自転車道」には奈良県道274号明日香大和高田広陵自転車道線(添付図緑線)と云う道路法に従って認定された正式名称がある事に起因しているためなのですが、他所から走りに来た人が案内標識を頼りに走っていると戸惑う事でしょうし、不親切以上にかえって混乱させる案内標識なのです。
その上場所によってはこんな事も、なければ全くない自転車道の標識、ある処には異なる表記で並んでいる、無駄と云うか違う名称で予算の二重取りでもしているのかと疑われても仕方ありません。
ところでその自転車道、実際のルート設定はどうなんでしょう、奈良公園から平城宮跡を経て法隆寺を結ぶ奈良自転車道(奈良西の京斑鳩自転車道線)はまぁ良しとして、大和中央自転車道(大和郡山田原本橿原自転車道線)や飛鳥葛城自転車道(明日香大和高田広陵自転車道線)は意図が理解できません。 自転車道ですから目的を決めずのんびりポタリングを愉しむ人もおれば、トレーニングにと行ったり来たりする人もいるでしょう、しかしあくまでも道なのですから、目的地を結んで行くのが本来の形でしょう。 私が見聞きする範囲では奈良県北部や大阪方面から見所の多い橿原市や明日香村、また吉野方面へのアプローチとして自転車道を利用する人の多くは、御幸橋から曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ一旦入るものの保橋で県道<36>天理王寺線を少し走り保田橋で飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ入り、橿原市今井町界隈(厳密には四条町)で再び飛鳥葛城自転車道に戻っています。 大和中央自転車道の起点の県浄化センターから保田橋にかけては盲腸の様なもので私の知る限り利用者も皆無で、また田んぼのあぜ道を舗装しただけの様な処もあります、また飛鳥葛城自転車道の大和高田市域と先の橿原市四条町付近までは高田バイパスの高架下の側道で決して走りやすいコースとは云えません。 と云う状況から利用者は自然と最良のルートを選択している訳です。 自転車道策定の段階で何故無駄のないルート設定ができなかったのでしょうか、無駄があると云う事は税金が有効に使われていないと云う事に他ならないのです、どう見ても格好さえ整えておけば良いと云ったお役所仕事が見え隠れしてきます。
予算あっての事ですから未整備区間がある事や、長期的な周辺の整備計画や開発計画もある事でしょうが、橿原市今井町付近の様にルートが判りにくいにも拘わらず案内標識が途切れてしまう箇所があると思えば(写真左)の様に無駄に標識が並んでいる箇所も少なくありません。
当然道路なんですから維持管理も必要です。 最近高度成長期に造られたトンネルや橋梁の多くが老朽化してきていて問題になっていますが、自転車道も造ってやったぞみたいな感じで後はほったらかし、維持管理する予算もないのか草ぼうぼうでほったらかしと云うケースも時々見られます。 別にこれは奈良県だけに限った事ではなく、和歌山県道<801>白浜日置川自転車道線の様に廃道寸前みたいな処もありますが、大阪府の南河内サイクルライン(いわゆる石川サイクリングロード)や京都府の嵐山八幡木津自転車道の様にちゃんと整備維持管理されている処もあります(羽束師橋以北の案内は不十分だとは思いますが)。
決して何もかもほったらかしとまでは云いません。 写真は飛鳥葛城自転車道の「おやなぎ橋」です、以前はご覧の様にクランクカーブに急坂で大きな段差、まるでこけてくれと云わんばかり、案内標識に気をとられでもしたら見事なトラップです。 もちろん現在では補修されていますが、僕の様な天の邪鬼から見れば誰か転倒して怪我でもしたから改修したのかなと想像してしまいます。 本来は自転車道として設定された時点で整備されていなければならないはずです、利用者すなわち自転車に乗る人の視点に立っていないと云う事はこう云った事でもあきらかです。
【余談】(写真左)奈良県道助命下萩線の正しい路線番号は245号である、山添村助命(ぜみょう)と都祁村(現奈良市)下深川の2ヶ所で間違いを見つけ県に報告、後日再訪した折には直されていた。 (写真右)は2009年12月14日に県道155号多武峰見瀬線が供用される前日の写真、従って多武峰方面への案内がマスキングされているが、Y字路の左方面は15号ではなく155号である。 安全や利害に関係する道路標識に対して案内標識に対して興味や注意を払うのは一部のマニアだけなのかも知れないが、故なのかこの様に自転車道の名称然りやっている事がエエ加減なのである、当然これらの訂正にはそれなりの費用がかかっただろうし、間違えた部署なり業者が費用を捻出したのだろうが、場合によっては税金が無駄に使われていたかも知れない。
今日は大阪の柏原市で行われる「石川ポタ」に参加してきました。 「石川ポタ」は10年以上前から続いている、毎年12月に行われる忘年サイクリングの集まりで、最初は「ランドナー補完計画」の行事だったのですが、現在は「RRCB(Restoring & Riding Classic Bicycles)」が引き継いで行っています。
私は2002年から2012年まで11年連続で参加していながら、昨年はついに途切れてしまいました。 集合場所は柏原市役所前、過去には輪行で参加した年もありましたが、今年は2サイド装備で自走します。 桜井を7時半に出発、往路は二上山を見上げながらR165に沿った旧道や間道を縫って走ります、以前は関屋から柏原ICの間も県界標の建つ旧道が使えたのですが、現在は橋が落ちているとかで通れないそうで、R165を我慢して走る事になりました。
集合時刻は10時ですが30分前には柏原市役所前に到着、既に何人かが、毎度の顔、久しぶりの顔、年に一度「石川ポタ」だけやってくる顔。 今日は午後の降水確率が50%とかですが、今のところ良いお天気であまり寒くもありません、過去には風がビュービュー吹いて寒かった日や冷たい雨に祟られた事もありましたが、今だに中止になった事はありません。 (写真右:山口さん)
今日の参加者はデフォルトのドタ参組?も加わって20名超、なんと云ってもガード付ツーリング車が殆んどです。
さてそろそろ出発です、左の写真は最も重い人(私と同じく0.1t組)と最も軽い人、右の写真は乾さん処から拝借しました。
片道10キロ程の距離ですが通称「OHCHOの森」を目指して石川沿いのサイクリングロード(南河内サイクルライン)を走ります。
なんと云ってもサイドバック装備のツーリング車が主役です。 (写真右:乾さん)
この距離でも途中一度の休憩をはさんで「OHCHOの森」に到着、皆さん思い思いに店を広げます、何人かは振る舞いメニューで大忙しです、たこやき、ミネストローネにガーリックパン、、ふろふき大根、カレーうどん、煮込みラーメン、私は山口さんの餅とコラボでせんざい、残せませんので皆さん食べるのが大変です。
食事の後は恒例のビンゴゲームによるプレゼント交換です、私はネックウォーマーが当たりました。
お腹も一杯になった事ですし、自転車談義も尽きませんが、予報にたがわず天気が少し危うくなってきました、雨雲が近づいているそうですので、少し早めに帰途に就きます。 とんでもない集団がドカドカとサイクリングロードを行きます、ぶっ飛ばしにやってきたローディの皆さんすみませんねぇ。
14時半には柏原市役所前に帰ってきましたが、途中から雨がパラパラと降りだしてきましたので、簡単なご挨拶だけで帰途に就かさせて貰いました。 (写真:乾さん)
帰途はR25を爆走、亀の瀬を過ぎ御幸橋から走り慣れたる大和川沿いの道を行きます、小雨が降り続いていますが、本降りにはならないので準備してきたポンチョもバックカバーも使う事もなく桜井へ帰ってきました。 三輪山の見える処まで来て小休止、ポットのコーヒーで暖まります。
16時半には無事に帰宅、本日の走行78.2キロでした。
五條市に寄りたいところがあったので、今日は吉野山から黒滝村、旧西吉野村、五條市と回ろうと考えてみました、距離も100キロ超になる計算なので朝7時半に出発、今月4度目の芋峠を越え上市橋を渡ります。 いつもは七曲坂をのんびり押し上げるのですが、今日は<37>桜井吉野線で登る事に。
<37>桜井吉野線は上千本で唐突に<15>桜井明日香吉野線となります、両線の終点が何故こんな山の中にあるのか良く判りませんねぇ。 桜のシーズンには大渋滞の原因となる参陵トンネルを抜けると吉野山内です。 ここで地蔵峠で黒滝村へ入るなら、金峯神社から林道吉野槙尾線で行っても良いかなと身の程知らずの考えが。
ところが吉野水分(みくまり)神社経由の道はとんでもない激坂、たまらず押しが入ります。 西寄りの道はもっと楽だったと記憶していたのですが、水分神社まで登ってきたところで、後250mは登らないといけない計算、まだお昼前ですがこの季節ではちょと厳しいかな、それに夕方から天気は下り坂とか、結局ここで引き返す事に。
この季節のそれも平日の吉野山は閑散としています。 吉野大峯林道の方から下りてくると最初に目に入るのはこのお店「静亭」、「月うさぎ」繋がりでもあるのですが、昔何度か立ち寄った事があります、懐かしい写真を。 吉野山のお店はどこも自転車を置く場所が無くて不自由するのですが、ここは向いがバス停と巨大な案内板がある石垣なのが。 暖かい「葛うどん」と「葛湯」を頂きながら作戦を練り直します。
結局、黒滝方面には向かわずに吉野山を下りる事に、写真は吉野村道路元標、現在1,019基を数える僕の道路元標フリークのスタートは此処なんです、もう8年になります。
黒滝、西吉野へ向かわなかったのですが、吉野川左岸の<39>五條吉野線を走り五條へ、ちょっとヨシスト(地元スーパーの吉野ストアの事ね)五條店に立ち寄って大川橋を渡り新町へ、知る人ぞ知る有名店の「餅商一ツ橋」へ、今日は「揚げまん」があったので「焼き餅」と2個づつ買い込みます。 「揚げまん」は揚げたてじゃないともひとつかな、ところで今は100円です。
R24を避けて旧街道を走り栄山寺口から再び<39>五條吉野線へ、少し走って左岸には渡らず右岸をそのまま走って行ける道へ、ここはちょっとした穴場コースなんですよ。 そのまま行くと阿田橋西詰に出ますので吉野方面へも戻れますが、真っ直ぐ<259>吉野川公園線を走り大阿太高原を越えて花吉野ニュータウンから吉野口駅へ下るのが、僕の五條から帰途の定番コースです。 今年最後の100キロ超は果たせませんでしたが、本日の走行94.7キロ、計算通り日没直後に桜井に帰ってきました。
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今日は曇り時々晴れの予報、東吉野へ向かおうか五条方面へ向かおうかと考えながら、明日香村から芋峠への道へ、ジョガーに抜かされつつものんびり登ります。 さすがに先週とは違い今日はウェットですが雪のない路面ですよ、峠に着いたところでポットのコーヒーで暖まります。 続きを読む 今年最後の東吉野サイク
奈良県下を自転車で巡った事のある方なら目にした事があるはずの「ならクル」。 走るところ位自分で考えて決めます、大きなお世話と個人的にはどうでもエエと思っているのですが、先日「4’season」さんに立ち寄った折に写真コンテストをやっていると云う事でチラシを頂きました、コンテストと云っても大したものでもなく「ならクルコレクション2014」と云うスタンプラリーの写真版みたいなイベントのおまけみたいなもので、賞金や豪華な賞品のつくものでもありません、まぁ運良く粗品の一つでも頂ければラッキー、な位のつもりで応募してみる事にしてみました。 条件は「ならクル」コース内の写真で、「ならクル」の案内標識と自転車を入れた写真を添付する事です。 いざ手持ち写真を調べてみると意外と少ないのですよねこれが、でもありきたりの風景写真や観光写真、まして記念写真を出すつもりは毛頭ありません。 しかし案内標識と自転車の写真などあろう訳がありません、締め切りは12月14日と云う事なので今日はその証拠写真を撮りに寒い中一回りしてきました。
左が証拠写真、右が応募写真です。 応募はWeb上からお決まりのアンケートに記入して写真を添付するのですが、カチンときたのは次の項目。
別にランドナーを入れろとかスポルティーフを入れろとは云いませんが、せめてMTBや’その他’の選択肢があっても良いのでは、まして必須項目です。 シティバイクってのはいわゆるママ●●●の事ですかね、クロスバイクって曖昧な分類、最近は高級パーツを身に付けたロードバイクを差別化させ高級品(高価品)大好きローディに満足心を与えるために、コストパフォーマンスの高い製品をそう呼ばせている様ですが、本来はそんな意味ではなかったはずでは。 まぁうちの十徳ナイフみたいなasuka号ですから、遠慮なくクロスバイクにチェックを入れさせて貰いましたが。 まぁ「ならナビ」への憤懣はいずれ述べさせて頂く事として、折角写真を選んで証拠写真を撮りに走ってきたのですから、応募させて頂く事にしました。
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