「三重県」カテゴリーアーカイブ

「2019 東の海へ (桜井~鳥羽)」

和歌山街道 珍布(めずらし)峠にて

 昨年は行けませんでしたが、海のない奈良県から東西南北4つの海を目指すツーリング、まずは「東の海へ」、高見峠を越えて~櫛田川に沿って東へ進む定番コース、今日は伊勢を経て鳥羽を目指します。今回は明日香村のチネリ怪人VIVVAさんがご一緒してくれる事になりました。
 明るくなったら出発する事にしていたのですが、「朝起きれるかなぁ」なんて云っていたVIVVAさん、5時位に出てれば追い付いて来るだろうとタカをくくってのんびりとR165西峠を登り、榛原から県道31号で菟田野へR166に入ります。いつもの休憩ポイントの松井橋のローソンに着くと既に待ってはるのは、何でも早く目が覚めて20分位前を走っていた様な、高見登山口のバス停までのんびりと行くつもりだったんですがネェ。VIVVAさん今日はUG兄さんから譲り受けたデ・ローサのチーム・ファラッティ・モデルで参戦、高見越でこのギアが踏めるんですからね、恐ろしや。
 佐倉峠を越えて東吉野村へ、苦手な鷲家(わしか)から新木津トンネルへの登り返しをVIVVAさんに追い立てられながら登ります。この週末は5月としては記録的な暑さになると云う話ですが、まだまだこの時間は11℃とか肌寒い位なのですが。鷲家から東のR166はかつて和歌山街道と呼ばれた道、紀州藩が初期に参勤交代に使ったり、支城であった松阪城とを結んでいた街道です。同じ紀伊半島を横断する旧街道でも、山あいの宿場や集落を繋いで行く伊勢本街道とは趣きが違うのが面白いかと。
 無事に高見トンネルを抜け、ループ橋で写真を撮ろうと先に行って貰うと、その速い事と云ったら、こちらはフロントディレーラーの調子が今一つですんなりアウターに入ってくれず、あっと云う間に離されてしまい、ループ橋での写真は撮れず仕舞い。
 私がR166を走るときは極力旧道や櫛田川を挟んだ対岸路を選んで行くのですが、写真は和歌山街道波瀬宿、現在の国道ルートから少し離れている事もあって、静かで昔の風情を残しています。少々判りにくいですが、お勧めです。
 櫛田川沿いのR166を快調に飛ばして、いつもなら経由する旧道を幾つか端折ってしまいましたが、飯南町森からは右岸の県道569号へ。
 櫛田川右岸の県道他を上手く継いで走って行くと、交通量も少なく、木陰の多い道なんで真夏でも快適に走る事ができます。
 右岸に渡ってきたR166と入れ替わる様に左岸へ、櫛田川の蛇行部分をショートカットする様に越える珍布(めずらし)峠への道へ。
 岩盤を切り開いた深い切通が印象的な珍布峠、ここ数年で案内板が設置されたりと少しは知られる様になりました。なお道の駅「飯高駅」は櫛田川を挟んだ対岸に位置しますので、珍布峠を越えると通りすぎてしまいます。
 再び右岸に渡って県道751号を行きます、途中に局ヶ岳をバックに櫛田川に架かる新旧の橋、鉄橋と沈下橋を望むお気に入りのポイントがあります、折角ですのでVIVVAさんにモデルになって貰いました。このまま右岸を走りR166に戻る事なくR368に入り桜峠を越えて多気町へ。
 丹生大師の向かい、小さな道の駅と云った感じの「ふれあいの館」に丁度11時、ここでお昼にします。
 丹生大師の先は非常に道が判りにくいのですが、伊勢自動車道の下をくぐりピークを越えて行くと、熊野街道にでます(写真右)。暫く紀勢本線と並行する様に走って仁田でR42を跨いで県道13号へ。
 結構交通量の多い道路なのですが、お昼時だったのが幸いしてか旧街道を織り混ぜながら東へ、1243には宮川に架かる度会橋を渡って伊勢市街へ、今まででは最速の時間で伊勢へやってきました。
 13時過ぎには内宮前に到着、平日でも「おかげ横町」は観光客で一杯、ご多分に漏れず彼の国の人の多い事と云ったら。「赤福氷」目当てに走ってきたのですが、本店向かいの店舗は催事をやっていて、ネットで調べると「赤福氷」は6月26日から、ただ二見支店は4月20日から提供している由、いずれにせよ二見ヶ浦経由で鳥羽へ向かう予定でしたので、一踏ん張り二見へ。
 JR参宮線二見浦駅から海岸への通り沿いにある二見店、「おかげ横町」の喧騒とはうってかわって落ち着いて頂く事ができます。元より「赤福氷」は二見店が海水浴客向けに販売したのが始まりだとか、心なしか入っている赤福の量が本店より多い様な気がします。ちょっと寂れた観光地の感のある二見浦ですが、なかなか風情があります。ちなみに私の小学校の修学旅行は伊勢、二見浦、鳥羽、まだ三重交通志摩線の名残りの車両が走っていた時代です(1,067mm軌750V電化)。
 「東の海へ」と云う事で夫婦岩の見える海岸までやってきました。なお紀伊半島最東端は一昨年に行った鳥羽市国崎町の鎧崎になるのですが「東の海へ、センチュリーラン」

 二見浦からはやや交通量が多いですが、海岸沿いに新旧のR42を走ります。(Photo : VIVVAさん)

 

 15時少し前に鳥羽駅に到着、時間もありますのでこの先どうしようかと云う事になったのですが、線路沿いに走るならともかく風光明媚な海岸沿いを行くと、志摩磯部駅まででも結構な距離になります。VIVVAさんの心は既に駅近くの店に並ぶ酒の肴に…
 と云う訳で走行140キロ、酒と肴を買い込んで車上の人に、観光特急ならまだしも上本町行き普通電車で「いかそうめん」やら「しめ鯖」を拡げ、輪行ビールは美味い!

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走れるうちに… 伊賀上野の手前まで

道の駅「宇陀路室生」

 相変わらずなかなか走る時間の取れない日が続いていますが、今週にも梅雨入りとか。キャンプ装備を解いて身軽になったasuka号、今日は早駆けで距離を稼ごうと朝4時過ぎに桜井を出発し上街道を北へ、5時半には奈良市街へ。

 少年刑務所跡の前を通って奈良阪を越え京都府へ、大仏線跡に沿って鹿背山を越えて加茂へ。しかし清々しい空気の気持ちの良い朝です。



 恭仁(くに)大橋で木津川を渡ります。最初は昨年春の「NLC4’season 春のサイクリング+」の時の様に信楽まで走り御斉(おとぎ)峠で伊賀上野へ下ろうかとも考えていたのですが、今一つ乗らないと云うか調子が出ないので、日曜だから大型車も少ないだろうとR163を東へ向う事に。大型車は少ないのですが、行楽地に向うだろう車が結構飛ばすのですよね。
 先週も来たのですが笠置へ、対岸に見えるキャンプ場、賑わってますね。
 木津川に架かる2つの沈下橋、笠置町有市と飛鳥路の間に架かるその名も「潜没橋」(写真左)、南山城村南大河原の「恋路橋」(写真右)、対岸に恋志谷神社があるのが名前の由来とか。「恋志橋」前後は自転車通行不可のバイパスが供用されていて車が少なく快適です。「潜没橋」の方は以前に「自撮り」もしているのですが、「恋路橋」は鮎つりや川遊びの人がいない草も伸びていない季節に狙ってみようかと。
 R163と離れ関西本線月ヶ瀬口駅の下をくぐります。今は奈良市となった山辺郡月ヶ瀬村ですが、ここは京都府相楽郡南山城村になります。数キロ離れた隣県の名前を取ったのも、月ヶ瀬梅林の知名度なんでしょうかね。
 関西本線と並行するR163の旧道と思しき道を行きます。ここには「従是東伊賀国」と記されて石柱があります、たださらに南側に並行して本来の大和街道があり、この石標はそちらから移設されたもので、現在そちらには「従是西山城国」の石標と並んで「従是東伊賀国」のレプリカが建っています。この道を訪れたのは何年ぶりでしょうか、かなり舗装が痛んでいて県境から東は車両通行止となっています。
 島ヶ原駅、関西鉄道時代のレトロな駅舎が残っています。付近は正月堂とか見処も幾つかあります、案内所でスタンプ帳を買って巡ってみるのも良いかも。
 伊賀盆地に入り上野城の見える処までやってきました。まだ9時半なのですが、夕方から予定があり午後には帰りたいので、市街には入らずに木津川左岸を南へ向います。対岸をR422が走っているのですが、こちらは車のいない田園風景の中で快適です。
 伊賀神戸から名張市街へ、赤目から名張川に沿って。
 12時丁度には道の駅「宇陀路室生」へ、モニュメントの前で写真を撮ったり。
 室生ダム湖畔で濡れ地蔵に寄り道。湛水期には沈んでしまう磨崖仏を今の時期は拝む事ができます。
 榛原からはお馴染みの笠間辻を通る県道を、後は女寄峠を下れば桜井ですが、ちょっと確かめたい事があって旧道の女寄峠へ。奈良交通の路線バスは今もこの旧道を往きます。
 信楽を端折ったので一府三県となりませんでしたが、奈良~京都~三重と巡って本日の走行135.9キロ。

東の海へ、センチュリーラン

鎧崎(三重県鳥羽市)

 海のない奈良県のサイクリストにとって海の見える処まで走るのはなかなか魅力的なものです。鉄人児玉さんも毎年の様に「東西南北の海へ」と云う触れ込みで走っておられたのですが。自身でも過去に鳥羽、和歌山、新宮、敦賀と一日で走った事はあるにはあるのですが…
続きを読む 東の海へ、センチュリーラン

御斎峠なのか御斉峠なのか

 先日の「NLC4’season 春のサイク」の帰りに一年ぶりに越えた「おとぎ峠」、滋賀三重県境として上野盆地の展望が素晴らしい標高570mの峠、古来伊賀と甲賀と分かつ峠として司馬遼太郎の小説「梟の城」の舞台となったり、本能寺の変の折に徳川家康の遁走ルート「伊賀越」として伝わる、歴史的にも由緒のある峠です。私が始めて越えた頃は滋賀県甲賀郡信楽町と三重県上野市の境界でしたが、現在はそれぞれ甲賀市と伊賀市となっています。写真は現在の車道峠より少し上野側に下った処にある「御齋峠跡」の石碑。
 その「おとぎ峠」を行くと峠名を記したものが2つ、切り通しになっている車道峠の案内板「御斉峠」と記され由緒が書かれている、もう一つは少し上野側に下った処にある三重県知事の書になる「御齋峠跡」の石碑、さてこの違いは。まず大前提として「斉(セイ)」と「齋(サイ)」はルーツの異なる別の字でして、なかんずく「齊」は「斉」の旧字体、「齋」は「斎」の旧字体となります。「斉」は整えるとか、揃える、並べると云った意味を持ち、中国周時代の国「斉」との意味があります。対して「斎」は「ものいみ」「神仏を祭るときなどに飲食や行為を謹んで、身の汚れを去る事」と云った他、同様の意味に多く用いられます、「斎王」「斎宮」「斎場」と云った風に。いわゆるさい藤さんの「さい」は概ね「斎」または旧字体の「齋」であり、「斉」を用いるのは意味の違いを無視して誤用して略したものと考えるべきでしょう、なかには私は「斉藤」だと主張する人もいる様ですが、斎藤氏のルーツを考えると「斉藤」はなく、登記時の誤字であってもひとたび登記されてしまえば、それを正しいとする原則が準用されているものだと思われます。
 さて話しを戻して「おとぎ峠」に当てはめる字はどちらかと云う事になりますが、案内板にあります鎌倉時代の夢窓国師の逸話からすると「斎」を当てはめるべきかと思いますが、辞書によっては「斉」にも「斎」の字と同様に「ものいみ」の意味を含む熟語「斉衰」「斉宿」等などを例としてあげているものがあります、どうやら「斎」と「斉」の誤用は「さいとう」さんだけではなく、結構根の深いものがあるのかも知れません。ただ家康の「伊賀越」関連でこの峠を「音聞(おとき)峠」としているものがあり、夢窓国師どころか後年になって音を当てはめた可能性もあります、しかし「斉」を「とき」或いは「とぎ」とするには問題が残ります。言葉や文字の意味成り立ちに無知ゆえ無頓着ゆえの誤用濫用、なにか自転車の事を「チャリ」と云う人に通ずる処がありますね。
 私としては「御斎峠」または旧字体を用いた「御齋峠」に軍配を上げる事にしますが、この事を調べて行くとんでもない事に気付かされます。
 そうなんです、それぞれの旧字体には「Y」のものと「了」のものがあって、どうもadobe-japanでは両方が採用されている様なのです。この辺りJISの考え方とadobeのスタンスの違いが成せる事なのでしょうが。さて似ていて非なる「Y」と「了」、象形文字まで遡るとこの部分は「齋」と「齊」では異なっているのです、その辺りを調べて行くと「誤用」なのか「混在」なのか判らなくなってしまい、それ以上突き詰める事は諦めました。

 余談ですが御斎峠の北にはかつて多羅尾代官所の仕置場(処刑場)があり、また月ヶ瀬村女子中学生殺人事件の死体遺棄現場だったりと、何かと曰くの多い峠でもあります。

赤福~剣峠ツーリング

剣峠から五ヶ所湾の展望

 先日、財布から出てきた近鉄の「株主優待乗車券」、8月の大平街道ツーリングに行く際に、帰りが遅くなって「18きっぷ」のままでは桜井まで帰ってこれなくなった場合に、名古屋から近鉄利用で帰ってこられる様にと金券ショップで買って用意してあったものを、すっかり忘れていたのでした。 有効期限は年内一杯、1日有効のいわゆるフリー乗車券の類なら、大阪往復でもすれば足りるのですが、乗車1回限りでは元をとろうとすれば、名古屋や伊勢志摩辺りまで行かなければなりません。 そう云えば伊勢志摩方面は昨年は2,7,10月と3度ばかり行ったのに「伊勢志摩サミット」のせいではないですが今年は皆目。 そこで伊勢まで走り、内宮前の「おかげ横丁」で「赤福ぜんざい」でも戴いて、剣峠への道で「自撮り」をして輪行で帰って来ようかと。
 ただ気掛かりなのは、ロングライドと輪行に備えてキャンプ続きで夏から履きっぱなしのタイヤ、32Cから28Cから換装していたのですが、どうも後輪のハブフリーの音が些か気になります、まぁ最悪輪行袋を持って行く事ですし。 ちなみにうちのASUKA号は分割式のマッドガードを付けると32Cは入りません。

 しかしこの季節に伊勢まで走り剣峠を越えて行こうとすれば、ASUKA号に私の脚力では暗いうちから走り出さなければ「自撮り」どころではありません。 4時40分には桜井を出発したのですが、まだ暗い中を大型車も少なくないR165を西峠へ向かうのは気分の良いものではありません、極力旧道や歩道を利用しながら行きます。 霊感とかの持ち合わせのない私には、余程真っ暗な芋ヶ峠を登るほうが安心です。 猪に突進されても車に突っ込まれる方が、例え熊でも暴走する車より勝ち目はあるかと。 ともかく小一時間で西峠へ、あとは風邪をひかぬ様に汗をかかない程度に頑張って走るだけです、菟田野松井橋のローソンで小休止、菓子類を仕入れてコーヒーで暖まります、この先暫くコンビニはありません。 
 0640 佐倉峠に到着、手前の温度表示は1℃を示しています。 凍結の心配はなさそうですが、ここから東吉野村鷲家(わしか)への下りが寒いのが。 ところで今日の出で立ちですが、この季節は相も変わらずアノラックにニッカ、寒暖の差が厳しい中を走る訳ですからベストで調節します、ニッカホースはハリソンの厚手の方、暗い時間帯は靴はMTB用のもの、ベストではなくフリースで調整する様にすれば良かったかなと後悔したのですが、日中の事を考えるとね、この時期は難しいです。 結局一番寒かったのは帰りの近鉄電車だったりして。
 
 新木津(こつ)トンネルを抜け丁度7時に高見山を見上げるいつもポイントに到着、高見山は雲の上、東吉野の紅葉も盛りを過ぎた様です。
 
 
 
 0754 高見登山口のバス停でトイレ休憩、一息入れただけで快調に走り高見トンネルに到着、1983年に開通した延長2,470mのトンネルです。 県境のトンネルで平日のこの時間、時折車がきますので、それなりの幅があるので歩道を行く事にしたのですが、これが曲者で、漏水凍結注意でしょうか、看板が歩道上に固定されていて、通るのに難渋します。 またここの歩道は待避所の部分が直角になっていて、無灯火だと非常に危険です。 (写真左)は高見トンネルを三重県側に抜けた処のループ橋、櫛田川上流の谷あいへと一気に高度を下げます。 
 高見トンネルを抜けると今では松阪市となっていますが、10年程前まで飯南郡飯高町と呼ばれた土地、箱庭の様な風景が拡がります。
 
 
 
 高見峠を下ると必らずの様に立ち寄るのが波瀬(はぜ)宿です。 和歌山街道が高見峠を越えて最初の宿場で、本陣も置かれ4軒の旅籠があったそうです。 現在の国道166号線からは離れているため、静かな佇まいの山峡の集落です。 明治以降は波瀬村となりますが、ここには「里程標」の様式の石柱があります(50秒前後)、各面に「距津市元標七拾五粁四九壹」「距松阪元標五拾六粁八〇〇」「奈良県界六粁壹〇九」「距川俣村大字七日市拾三粁〇九〇」「昭和三年三月 三重県」とあります。 いわゆる大正道路法による「道路元標」とは異なる様式ですが、明治時代の「里程標」としては「昭和三年三月 三重県」は腑に落ちず、「里程標」の様式に準じた道路元標と云う考えも成り立ちます。
 波瀬の集落を後にし国道へ戻りますが、折々に旧道へ入ります。 櫛田川の流れを愛でるには旧道を辿る事をお薦めします。
 
 
 
 飯高町森を過ぎた辺りで県道569号へ入ります、県道と云っても途中まで改良が進み、国道のバイパスの様になっていて、宮本橋南詰からは国道422号となります。 その角に「つるや」と云うスーパーマーケットがあって、外に自販機が並んでいたりトイレもあり、こちらへ走ってきた時には毎回立ち寄る休憩ポイントとなっています。
 過去3回の伊勢行きは、このまま櫛田川沿いに走り珍布(めずらし)峠に立ち寄ってから、伊勢別街道桜峠を越えて丹生大師、玉城経由で向かっていたのですが、今回はここから国道422号の湯谷峠をこえて宮川の中流域、大台町へ入り、宮川に沿って伊勢へ向かう事にしました。
 ところでこの国道422号、滋賀県大津市から三重県北牟婁郡紀北町に至る路線なのですが、未開通区間が2ヶ所、他の国道との重複区間が7ヶ所、地図をみるとまるであみだくじの様な国道なのです。
 湯谷トンネルと少し大台町側へ下った処にある湯谷不動、水場もあって夏は最高の休憩ポイントです。
 下る途中に、陽射しに輝く紅葉が眼に停まったので、暫し撮影タイム。 先の事を考えるとあんまりのんびりともしてられないのですがね。
 下りきった処で宮川ダム方面へ向かう国道と別れ宮川左岸の県道を東へ、左岸と云っても宮川はまったくと云って良い程見えません。 国道42号線に出る前に「もみじ館」と云う地元の名産品や食事のできる、道の駅を小さくした様な店があるので、少し大台町へ早めのお昼にします。 お目当ては「伊勢うどん」、以前とはメニューが変わっていて何やら定食中心に、肝心の「伊勢うどん」は隅の方に、それも700円也。 以前はもう少し当たり前の値段だった様な気がするのですが、800円のサービスランチを注文した方が賢い様な気もするのですが、それを目当てに走ってきて入った様なものなんで、やはり「伊勢うどん」を注文する事に。 確かに美味しいのですが、やはりどう考えても高い、おかげ横丁で単品頼んでもそないには。
 
 この先、宮川の右岸に渡って県道747~38号と走るつもりだったのですが、曲がり損ねて引き返す気にもならずに左岸の県道770号、国道42号、県道709~119号と走る事にしたのですが。 巨大な紀勢道の橋梁をくぐります。
 途中、国道42号は走りたくないですし、熊野古道伊勢路が平行してあるので、そちらを選んだのですが。 由緒のありそうな無名峠があったり「バカ曲り」と名付けられた道があったりと、雰囲気だけは良いのですが、結構時間を取られてしまいました。
 
 ところでこの宮川沿いのルートですが、蛇行している宮川に沿っている上に、伊那谷の田切地形とまではいかなくても、宮川に流れ込む支流により浸食されていて、結果的に川に沿った道はアップダウンが多いのです。 紀伊半島の県道走破で以前にも一通り走っているので判ってはいたのですが。
 
 ようやく宮川を左岸に渡り県道22号に、伊勢市街に入る手前で、自転車のくせに工事渋滞でなかなか前に進めず、それでも14時過ぎにおかげ横丁の「赤福」に無事到着。
 流石にお伊勢さん、11月の平日であっても参詣の人や観光客で一杯です。 いつもなら赤福2個270円、夏なら赤福氷も良いのですが、季節柄お目当てのぜんざいは520円也、「赤福ぜんざい」の名前からもあっさり目の、どちらかと云うとおしるこの様な、日頃「まんま亭」の濃厚なのを戴いている身には些か物足りない。 「伊勢うどん」に続いてコスパでは外れの日だった様でして。
 
 時刻はまだ15時前、ここまで既に100キロ以上走って来てフリーの方は心配はなさそうですし、と云うよりディレーラーのプーリーの方が嫌な感じなんですが。 さて食いもんの事は気を取り直して剣峠への県道12号へ入る事に、ここの入口が判りにくくて、国道23号の終点が県道12号の起点なのですが、内宮前の駐車場になっていて、両側に観光バスが並んでいるものですから、ちょっと知らないと駐車場の奥としか思えないのです、そして入り口には「大型車通行困難」の案内が。 番号から想像できる様に伊勢市と現在の南伊勢町、五ヶ所浦を結ぶ由緒あるルートなのですが、峠越えの1.5車線路で車にとっては迂回するルートの方がずっと早くて楽に行けるので、通う車は限られています。 五十鈴川に沿った鬱蒼とした森の中を緩やかなアップダウンが続き、谷を詰めた辺りからつづら折れとなり高さを稼いで剣峠へと、なんと伊勢市側は川縁にも拘わらずガードレールが皆無なのです。 その雰囲気の良さは自転車で走るには最高のコースですね、自転車版「日本の道百選」でもあれば間違いなく入るかと。 ただ高麗広の村を外れる辺りから峠を越えるまで、道が暗い上に小石が散乱していて、決してロードバイク向きとは、と云うかこの道の良さを感じられる人はツーリング車に乗る人でしょうね。
 ところで剣峠の道、過去になんども走っていて多少なりとも紅葉を期待していたのですが、そちらの方は些か、色付きが悪いのか色付いていないのか、標高は低いですし温暖な土地ですが、ただもう11月も終わりですしまだこれからと云う事では。 ところで「自撮り」の方、この時間では道筋は殆ど日影になってしまっていて、準備はしてきたものの、やはりここは午前中でないと駄目な樣です、ある程度想像はついていたのですが。
 
 1548 暗い切通を抜けて剣峠に到着です。 ここまで140キロあまり「自撮り」も不発で外れの多い今日のツーリング、標高こそ400mに届かない峠ですが、今迄で一番の五ヶ所湾の展望が待っていました。
 
 剣峠で長居をしていたら、陽が傾き寒くなってきました。 昨年夏は勢いだけで賢島まで走って行きましたが、今日は志摩磯部駅でお開きにする事として、五ヶ所へと下ります。 相変わらず小石の散乱した路面、日没前この期に及んでパンクなどしては堪りませんので、慎重に下る事にします。
 写真は五ヶ所湾の夕景、すっかり暗くなった国道260号と県道16号を走り、17時半過ぎに近鉄志摩磯部駅に到着、本日の走行は163キロとなり、久しぶりのセンチュリーランとなりました。 昨年位から100キロ前後のコースを走る事が多く、ついついそのペースで走ってしまい、今日位の距離になると前半のオーバーペースが祟る事がままあったのですが、今日は最後まで調子良く走る事ができました。 ただこの距離だとやはりパットのついたインナーを履いて来た方が良かったかなと、ちと反省。
 

さて電車の時刻も急ぐ事はないので、ゆっくりと輪行支度をしようとしたのですが、可変式にしたエンド保護金具を120mmで持ってきてしまい使えず、ヘッド抜きはしたもののサドル~エンドを下に立てる事ができず、倒立状態で運ぶ事となってしまいました。 同じ近鉄沿線、改札をでる事なく宇治山田で急行に乗り換えただけで、空いた電車での2時間44分の輪行でしたので、さして苦にもなりませんでしたが。

伊賀上野へ「ヴィンテージレーサー鑑賞会」

 今日は昨年に続いて伊賀上野でRRCB(Restoration and Riding of Classic Bicycles)の「ヴィンテージレーサー鑑賞会」が行なわれるのですが、朝8時半まで所用があって。 時間的に昨年の様に自走と云う訳に行きませんので、近鉄大阪線が三重県に入って最初の赤目口駅まで輪行する事に。 なんとも中途半端な処なんですが、西峠をパスしここまで輪行すれば殆ど国道を走る事無く、快適なコースを縫って会場の「サンピア伊賀」まで行く事ができます。 写真右下は名張市街を往く初瀬街道、七夕祭りの準備中でした。 ところでなぜ伊賀上野なのかと云う事ですが、ここなら名古屋方面からの参加者も参加し易いと云う事なんです、まぁ会場の料金や確保のメリットもあるかも知れませんね。
 伊賀神戸付近からは田圃の中の長閑な道を北上します、風が田圃を渡って行きます。 
 「サンピア伊賀」にはお昼過ぎに着くつもりで来たのですが、久しぶりのロードバイクに追い風、ついつい飛ばしてしまいます。 時間調整も兼ねて木津川べりの木蔭のベンチで名張のイオンで買ってきたお弁当を広げる事に。 
 会場は3階なのですが、ロビーの前を大手を振って通りエレベーターへ、もちろん推してですよ。 
 扉を開けるとご覧の様な世界。
 
 
 
 
 
 差し支えのない範囲で… 今年のエロイカで何やら賞を頂いたなかおさんのエクタープロトン(左上) 
 異彩を放っていたのは乾さんのタンデム、長い付き合いですが初めて見ました。
 
  
 
 

 ちゃんとしたサイズの集合写真や自転車の他の画像は「ツーリングの記録 2016」(要認証)の方でご覧頂けます。 

 
 たっぷり目の保養をさせて貰った後、15時半にはお開きに。 なかなか撤収も大変、少しお手伝いをさせて貰って、タンデムは立ててどうにかエレベーターに。 帰途は木津までヤマタンさんの車に載っけて貰い、本日の走行69.2キロ、しかしこの暑さに些か疲れました。

いざ鈴鹿へ

R25旧道五月橋にて
 今日はRRCB(Restoring & Riding Classic Bicycles)の恒例行事として「スズカ8時間エンューロ」に参加するのですが、今回は昨年の様に代走を命じられる事はなかったので、例年通りに広報部長と云う名の写真係として向う事になったものの、前夜から乗り込むならともかく往路に便乗させて貰う足がなく、始発で輪行しようかと思っていたのですが、今月は走行距離も800キロにも届いていない事もあって、未明に出発して100キロ近くを自走してみようかと企んでみました。ただ輪行袋だけは持って行く事に。 エンデューロは8時スタートですので、できればその頃には到着したいと2時半にスタートとする事に、今夜はお月さんも出ますし、道の駅「針テラス」までは走れ慣れた道ですので真っ暗でも心配はないのですが、その先のR25旧道はそうは頻繁に走ってはいませんので、ただ今の季節ですと針テラスを過ぎる頃には空も少し明るくなってくる頃になるかと。
 旧都祁村域に入る頃、すなわち大和高原に入った頃から霧が酷くなってきて、路肩が判らない様な状況に、その上霧のせいで眼鏡が曇ってきて思うように走れません。 写真は針テラスにて。
 
 経由地となる伊賀上野へは先日走ったルートもあるのですが、今回は最短距離となるR25旧道を走るのですが、三ヶ谷を過ぎた辺りから奈良三重県境の名張川に架かる五月橋までは、上津ダム経由の道をとります、こちらの方が登り返しが多少少ない様に思っているのですが。
 
 五月橋まで下ってきたものの、今度は普通でも霧の発生の多い伊賀盆地へ、中途半端に明るくなってきているので、逆に車からは判りにくい状況が危険です、一応付けられるだけのライトは付けてきてはいるのですが。その上霧で、眼鏡は曇るどころか水滴がたれてくる様な状態です。
 
 現在は伊賀市となっていますが、6時前には上野市街へ、「鍵屋の辻」でトイレ休憩とコンビニで補給です。
 少し遠回りになるのですが、JRの伊賀上野駅前を経て関西本線沿いに東へ、大和街道を織りまぜながら極力R25を使わない様に走ります。
 
 加太越です。 右側に入ると集落の中だけですが、雰囲気のある旧道が残っています。最初の五月橋の写真の様な幻想的な風景もあったりと、なかなかの「自撮り」のチャンスがあったのですが、今日は記念撮影用のゴリラポッドこそあるものの、大きな三脚もタイマーも持ってきていないもので、まぁのんびり「自撮り」している時間の余裕こそないのですが、霧の五月橋は一期一会だったかも。

 R1に合流し関宿西の追分から東海道の宿場町の雰囲気が残る旧街道へ入ります、と云っても生活道路なので車の往来もありますし、休日の日中は観光客が押しかけます。この様に動画が撮れるのは早朝ならではですね。 すみません、関宿以降は鈴鹿サーキットに着くまでは写真はありません。8時までに着くかと思ったのですが、距離100.8キロ、所要時間6時間20分、実走時間5時間28分、ともかく無事に到着してここからが本日の任務です。

 

 

青山~美杉~御杖 避暑サイク

高座峠にて(Microsoft Image Composite Editorを使用)
 
昨日、近鉄賢島駅まであと僅かの処を走っていたらスマホに着信が、UG兄氏が明日どこかへ走りに行こうとのお達し、既に走行距離は170キロを越え、明日は休足日だよと終盤のアップダウンを飛ばしまくって、本日売りつくしでお疲れ気味、なのに断れない浅はかさ。 どこか適当なところまで積んで行って貰って適当な距離を周回ならばと、では涼しいところをと云う事でコースを一任され、とりあえず名張市の比奈知ダムへデポして青山高原方面へ走りに行こうと云う事にして、T御大にも声を掛けて3人で走る事になったのですが。
 普通電車の乗り継ぎで桜井へたどり着いたのは23時前、輪行支度をほどいて風呂に入って速攻で寝て、3時過ぎには起き出してコースファインディング、ところが三重県の道路情報を見ているとあちこちで通行止の情報が、それを避けながらコースを練っていると周回75キロ程になってしまいました。
 
隣町のT御大宅へ7時集合と云う事なのですが、せっかくですので早めにでて蓮が見ごろの藤原京へ寄って行きます。 早朝とは云え休日とあって結構な人です。 
 
早速トランポのハイエースに自転車を積み込みます。 私は9さんのasukaロード、T御大はセンチュリオン、UG兄氏はHRモーリスです。 
 
 
デポ地の比奈知ダムを出発し少し下って三重県道<691>名張青山線に入ります。 今では伊賀コリドールロードと云う広域農道ができていて、この道を通う車は少なくなり、ずいぶんと道も荒れていますが、涼しげな木蔭の続く雰囲気の良い道です、取り付きはきついのですが、高座峠と云う名の峠を緩やかに越えて行きます。 峠を越えると昔は青山町だったのですが、今では伊賀市となっているので妙な感じです。 <29>松阪青山線に出て少し下り再び<691>となって種生集落へ、ここは吉田兼好所縁の地で兼好塚と云うのがあって、少し入ってみたのですが結構登らさせられそうなので引き返してしまい、涼しげな神社の境内で一休みする事に。
 
今度は<39>美杉青山線に入ります、結局は木津川の源流部にあたる名張川、前深瀬川、川上川の谷を跨いで走っている事になるのですが、<39>はメナード青山と云うリゾート地に向かうメインルートなのでやや車が多いです。
 
一応おにぎりとかの携行食は持ってきたのですが、メナード青山の案内所の隣にある「霧生そば」と云う蕎麦屋に入る事に、開田高原産の蕎麦が売りな様で、お蕎麦そのものは悪くはなかったのですが、冷たい山菜おろしを頼んだものの、結構なお値段の割には具がしょぼかった様な。 後で聞いた情報では案内所をはさんだ隣の「熊笹ラーメン」がいけるとか、標高500m超えとは云えこの炎天下でラーメンはちょっとね。 なお道路沿いに自動販売機の類はありません、ホテルの中と美杉側に少し下った処のテニスコートで見かけました。 で布引峠でお決まりの記念写真をば。
 当初ここから<755>老ヶ野古田青山線で桜峠を経由して伊勢奥津方面へ向かいたかったのですが、通行止とされているだけで状況が判りません、昔何度か通った事があるのですが、かなりデンジャラスなロケーション、県道と云うより林道。 今日は避けて<39>を家城へ下ります、標高差400m程のダウンヒルは快適なのですが、家城まで下ってくると標高が無いだけに暑い事と云ったら。
 
家城からは雲出川とJR名松線に沿って<15>久居美杉線を走ります、斜度は知れているのですが、昨日からの疲れかだんだんお2人さんには付いて行くのが辛くなってきます。 ところで名松線は2009年の台風禍で家城以南が不通となり、紆余曲折を経て来春運行再開と云う事であちこちで復旧工事が続いています。
 
ようやくR368との交差点にたどり着いて伊勢本街道に入ります、奥津宿の中の風情のある道を辿って、名松線の終着駅伊勢奥津駅へ、綺麗な駅舎は開放されていますが、ホームや蔦のからまるSL時代の給水塔の方へはは入れません。 しかしここまで登って来るとやはり涼しいです。
 
駅から少し西に行くと奥津宿休み処「かわせみ庵」と云う古民家を利用したミニ道の駅みたいなのがあります、冷たいお茶をサービスして頂いたのですが、お菓子やパックに入れたかやくご飯とかもあって、縁側のある和室で食べて行けるようです。 「みょうが餅」と云うのがあったので買って帰ったのですが、中は普通のかしわ餅なのですが、つつんでいるミョウガの葉の香りがなんとも、アホになりそう。
 ここからデポ地の比奈知ダムへ戻るには県境を跨いでさらに鎌広峠(465m)を越えて行かなければなりません、極力涼しげな旧道を縫って行くのですが、最後は置いて行かれましたよ。
 
道の駅「伊勢本街道御杖」に着くと何やらおふたりはピナレロに乗ったローディと歓談中、名張の方だそうです。 ところで道の駅「伊勢本街道御杖」は「ならサイクルスタンプラリー」のポイントですから1個GET、いずれ曽爾高原と一緒に回るつもりだったのですが。
 ここまで来れば後はR368を下るだけ、途中からダムサイトの対岸路が通る事ができてトンネルを通らずに天端道路を走ってパーキングへ。
 T御大宅までの自走を含めて本日の走行86.1キロ、健脚のおふたりと一緒で疲れましたが、明日は「大和高原早朝ラン」です。 最後の写真は道の駅から比奈知ダムまでご一緒して頂いたロードの方に撮って頂きました。
 
 
 集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2015]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます。 今回はG2を持っていったのですが、正直云ってロクな写真がありませんので、おふたりの写真にお世話になりました。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダー等でご確認下さい。

無駄にしないゾ「伊勢志摩ツーリング」

剣峠からの展望(Microsoft Image Composite Editorを使用)
 先日、有効期限が残り僅かだと云う事に気がついた近鉄の「株主優待乗車券」、春に名古屋方面からの帰途に利用しようと金券ショップで1,400円で買ったものなんですが、計画が変更になって使わず仕舞いになっていたのです。 貧乏性な性格なものでどうにも使わず仕舞いで無駄にしてしまうと云う事ができません、1,400円の元を取ろうとすると桜井からだと伊勢若松か五十鈴川より先に行かなくてはなりません、伊勢市でも1,380円ですから20円損する計算なのです。 そこで取り敢えず伊勢までは走る事にして、調子が良ければその先へ行ってみようと云う事にしました。
 伊勢志摩へは2月4日に「ツールド紀伊」のスタンプラリーで走っていったのですが、「ツールド紀伊」も今年は奈良県だけのスタンプラリーになってしまったので、特にそちらへ行く目的もないのですがとにかく伊勢南街道と云われる和歌山街道と和歌山別街道をできる限りなぞってみようと。 前回は冬場と云う事もあって6時に出発して伊勢の「おかげ横丁」にたどり着いたのは17時過ぎ、「伊勢うどん」も「赤福」もお店は仕舞いかけで、名物にはありつけずにコンビニのおにぎりで虫養いをして帰ってきたので、今度こそは15時までには着きたいと4時過ぎにに桜井を出発しました。
 
R165西峠を越えて宇陀市へ、いつもの芳野川沿いのルートをとってR166で佐倉峠を越えて東吉野村へ、新木津トンネルを抜けるといつもの定点観測地点です。 時刻は6時半、いつもとは赴きの違う高見山の姿です。 
2,470mの高見トンネルを抜けて高見ループを見下ろすいつものポイントで休憩を入れます。 600m近い標高の朝は日向でも涼しい位です。 
 
今日はできるだけ早く伊勢に着きたいのですが、やはり旧道と脇道巡りは外せません。 まずは波瀬の集落(左上)、極端に遠回りになる区間は端折っりましたが現R166を縫うように走る旧道を選んで行きます、そして忘れてはならない和歌山街道の名所珍布(めずらし)峠へ(左下)。 
珍布峠、今日は朝もやと岩盤をひたたり落ちる水が印象的です。 
 
 
 
櫛田川の対岸の県道を走ったりしながらR368桜峠に入ります、ここから和歌山別街道となります、旧街道をトレースして行くのがなかなか厄介なのと、標高も下がりそろそろ陽が高くなってきて暑くなってきます。
 丹生大師の向かいの「ふれあいの館」と云う道の駅の様な処でアイスでも買おうかなと入ったのですが、食事のできる店が開いていたので、少し早いですがお昼にする事に、日替わりで賄いが変わるお店で今日は洋食、パスタがメインのランチメニュー(800円)を戴く事にします。
 丹生から先は小さな山越えがあったりして玉城へ、田丸町道路元標に立ち寄ったりしながらも、暫くは我慢の走行が続きます。
 
13時20分、伊勢内宮「おかげ横丁」は「赤福本店」に到着、さすがにお伊勢さん、平日でも満員です、当然「赤福氷」(520円)、観光地の有名店としてはなかなかリーズナブルな価格だと思いますよ。
 ここまで約120キロ、時刻もまだ14時、「赤福氷」ですっかり元気を取り戻して、剣峠を越えて賢島は充分に射程範囲です、幸いお天気も少し曇ってきてくれた様ですので、とにかく剣峠へ向かう事にします。 
内宮へお参り、自転車連れですので、ここで失礼します。 宇治橋の前で礼をされている方は関係ありませんので、あしからず。 
 
剣峠は両方向から何度か越えていますが、標高こそ知れているものの素晴らしい雰囲気の道です、峠直下のつづら折れが始まるまで五十鈴川沿いにアップダウンのある1.5車線路が続きます、地方主要道ながら伊勢市側はガードレールが殆どないと云うのが。 峠の切り通しを抜けると駐車スペースと剣峠のモニュメントが、そして五ヶ所湾の展望。
 五ヶ所へ下り、遠回りですが海岸沿いに浜島経由で賢島まで行くのが机上でのプラン、海岸沿いに結構なアップダウンがありますが、いくらでもショートカットするコースが考えられますので、気楽に行きます。
曇り気味とあって展望は今一つですが、五ヶ所湾やあご湾を望みながら、磯笛峠展望台を回って、浜島の旅館街を抜けひたすら走ります。 真っ直ぐ行けば鵜方駅が目の前なのですが、帰りは優待券ですしここまで来たのですから終点の賢島駅まで行っても変わりません、大橋と云う程でもない賢島大橋を渡って18時40分賢島駅へ到着、走行176.6キロ。
 失敗したのは輪行支度を済ませてから駅構内の「駅ファミ」で何か買おうと思っていたのですが、何とここの「駅ファミ」は19時で閉店、結局は携行食にしていた大福餅の残り1個だけで桜井まで帰ってきました。 ちなみに宇治山田、伊勢中川のホームの「駅ファミ」は20時までした。 たまには缶ビールにつまみも良いかなと思ったのに、残念。


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志摩ツーリング

鳥羽展望台

今日は「ツール・ド・紀伊」のスタンプポイントをGETしにKHSを担いで伊勢志摩方面へ輪行で向かいます。

今回は予め橿原市の金券ショップで買っておいた近鉄の株主優待乗車券を利用します。 近畿日本鉄道の路線のド真ん中に住んでいると名古屋または志摩方面まで行かないとメリットはないのですが、往路の桜井~鳥羽、復路の賢島~桜井で650円ばかしお得になる勘定です。 鳥羽駅まで輪行してスタートです、最初の目的地は鳥羽展望台、三重県道<128>磯部鳥羽線いわゆるパールロードを走らないと行けない処なのですが、いつも志摩方面へ行く時は平行している昔からの県道<750>阿児磯部鳥羽線を走っているので、麻生の浦大橋を除いて一度も走った事がありません、もちろん一般県道で自転車も走って構わない訳ですが、いわゆる観光ドライブウェイ、ロードならまだしも小径車に相応しい道ではありません、今回もできる限り走りたくないので極力<750>を走って行く事にします。

麻生の浦大橋を渡りパールロードと別れると漁港を縫って走る鄙びた道が続きます、石鏡(いじか)では伊良湖岬が遠望できます、しかし最高のお天気、この季節の晴天ならではの澄み切った空気です。 石鏡を過ぎた辺りでパールロードへ入りますが、鳥羽展望台までは標高差で100m以上登らなくてはいけません、展望台だから仕方がないと云えば仕方がないのですが。 なお地図上ではパールロードと<750>は何ヶ所かで交差していますが立体交差になっているので、接続している箇所は限られています。

パールロードは毎年秋に「サイクルマラソン鳥羽志摩線(とばしません)」と云うイベントが行われている位ですから結構ロードで走っている人を見かけますが、鳥羽展望台ではGIANTのGREAT JOURNEY の4サイドで日本一周中の若者に出会いました、山口県を出発し時計回りで北海道を回って今日が181日目、これから紀伊半島一周ですね。 大学は大阪で高取町に知人がおられるとの事で奈良にも来られるとの事、再会が愉しみです。 ブログもされているので応援よろしく。

パールロードを少し走り再び<750>へ、国崎、2つめのポイント「相差海女文化資料館」のある相差(おおさつ)と走り的矢へ、ここで<750>は的矢湾に分断されていて、県道船と云う無料の渡船が結んでいます、対岸までの距離は数百mですが、対岸の三ヶ所(さんがしょ)と渡鹿野島の3ヶ所を結んでいます。 船がこちら側にいない時は写真の腕木を水平にしてやると、それが目印になって迎えにやってきてくれますが、今回は20分程待ちました。 なお一応自転車はそのまま載せて貰えますが、持ち上げられない様なキャンピング仕様の自転車は無理かと、それに写真の様な小型船ですので載せられる台数に限界があります、それと周辺道路から乗り場への案内の類は皆無ですので注意して下さい。

対岸へ渡り少し<750>を走ってから<129>磯部大王自転車道線へ入ります、暫くは殺風景な山の中を走りますが、写真の国府白浜海岸に出て少し海岸線を走ります。 この後自転車道のートに従うと再び山側へ入りR260を走らされるので、時間に余裕があれば波切(なきり)方面へ回るのも良いかも知れません。

R260は深谷水道を渡った処からバイパスが出来ているので旧道は車が少なくなって自転車にとってはすいぶん走りやすくなっていました。 今日3つ目のポイント「海女小屋体験施設・海女資料館」のある越賀まで行ってから和具港へ戻ります。 写真は越賀海岸。

ここから英虞湾をはさんだ賢島まで伊勢マリンレジャーの運行する定期船がありますのでそれに乗船する事に、桟橋の向こうに見えているのはR260のバイパスの志摩大橋です。 昔御座~浜島間の航路へはロードをそのまま載せて貰ったのですが、賢島の船着場と近鉄賢島駅は距離が100mとありませんし、自転車をそのまま載せて貰えるかが判りませんでしたので、和具港で輪行支度を済ませてしまいました。 なお手荷物品扱いですので運賃の610円以外に360円が必要です。
 今回は「ツール・ド・紀伊」のポイント巡りと云う事で鳥羽駅から和具港まで走りましたが、風光明媚な志摩半島、鳥羽からのパールロードや鄙びた<750>と県道船、近鉄志摩磯部からスタートする自転車道、旧R260で志摩半島の先端御座白浜とコースを工夫してみると面白いかと思います。 本日の走行70.8キロ。