「道路元標」カテゴリーアーカイブ

四国はやめて信州にします

 暫く連休がとれなかったのですが、27日明けから3連休が取れる事が確実になったので、和歌山港まで紀の川沿いを自走しフェリーで徳島に渡って久しぶりに四国を走ろうかと企んでいたのですが…
 なんと南海フェリー(左の写真は2018年3月)、原油高騰のあおりを食って、自転車を輪行袋に入れずにそのまま載せる場合は燃油調整金1,100円が加算されて、4,000円もかかる事に(さらに4/1からは4,200円だとか)、平常時は合計で3,000円未満だったのが… もちろん輪行袋に入れれば2,200円で乗れるのですが、ロードや小径車ならともかくキャンピングではね。海運業界も大変には違いないのでしょうが、自転車に対して燃油調整金の上乗せは、各社取ったり取らなかったりとまちまち、しかし南海フェリーの設定ははちょっと酷すぎ、暫く徳島は遠いです。しかし四国行きは2019年3月2020年10月2021年2月に続いて4回連続で中止と云う事に。
 キャンプなら往路自走で紀伊半島縦断で南紀も考えてみたのですが、一度ケチが付くと気分的に準備が億劫になってきました。今シーズンの「18きっぷ」の旅は諦めていて、いまからヤフオクで落としている日にちもなかったのですが、たまたま25日に大阪へ出た折に金券ショップで残3回分を8,000円でゲット、キャンプではなく宿利用で往復輪行で信州へ向かう事に。1回分余っても日帰りで使うなり売るなりすれば良い事、ちなみに残2回分って6,900円とかなり割高でした。
 さて走るプランだけは引き出しに一杯あります、今回は松本または塩尻スタートで旧塩尻峠を越えて未収の道路元標を拾いながら伊那路を飯田まで南下(青線)、2日目は伊勢神峠を越えて最近現存が確認された愛知県東加茂郡の阿摺村道路元標を経て名鉄猿投駅まで走る案と(緑線)、飯田から長野愛知静岡三県を跨ぐ県道1号飯田富山佐久間線を飯田線東栄駅まで走る案(茶線)を用意しました。お天気には恵まれそうですがただ何れも100キロ超ルートなのは…
 最近は紙の地形図を持つ事もないのですが、2001年9月に秋葉街道を走った時の五万図「時又」「満島」「佐久間」がすんなり出てきたので持って出掛ける事にしました。


11年前の3月11日と…

2011年3月11日14時48分 尾張サイクリングロードにて

 毎年この時期になる思い起こさされる東日本大震災、被災された方には申し訳ないのですが、阪神淡路も東日本も全くと云って良い程に暮らしに影響がなかったのです、奈良県ってほんとに災害がないのですよね「国のまほろば」たる所以なのでしょうか。11年前の3月11日はT御大のBSモールトンをお借りして愛知県下の道路元標を巡っていました。地震のあった14時46分は西春日井郡の庄内村道路元標から中島郡の朝日村道路元標に向かって尾張サイクリングロード、この区間は名古屋上水の上にあるそうなのですが、地震には全く気が付きませんでした。地震が気がついたのは立ち寄ったコンビニでなにか回りの様子が変だなと思ってやっと、そのうち携帯も繋がらなくなり、どうにかメールでの連絡ができ、T御大と合流して奈良へと帰る事はできたのですが。
 被害の大きかった福島県と宮城県にはそれぞれ震災前の2009年1月と2010年4月に行っています、自転車ではなく「青春18きっぷ」を利用した道路元標蒐集の旅だったのですが。その頃は結構数日の休みが取れたんですよね。
 2009年1月15日から18日にかけて「道路元標蒐集の旅(北関東篇)」として千葉県、茨城県、宮城県、福島県、栃木県、埼玉県、 東京都、長野県の24基を巡っていて、その中には今も制限区域となっている福島県の旧双葉郡の新山町と双葉郡の道路元標も含まれています。写真は定期運用末期の「ムーンライトながら」373系。

 双葉郡新山町道路元標(現 双葉町)とその街並み、関西人には馴染みが無いのですが帝国自転車ってあったんですね。

 同じく双葉郡で岩城相馬街道沿いのの木戸村道路元標(現 楢葉町)とその街並み。時期は判りませんがGoogleMapで何れも震災後も道路元標そのものは残っている事が判ります。旧双葉郡には19の町村があって6基の道路元標が現存が確認されていたのですが。
 翌2010年4月2日から6日には「道路元標の旅(東北編)」として福島県、宮城県、秋田県、青森県、山形県、栃木県 、茨城県、千葉県の30基の元標を。写真は豊橋駅にて189系時代の「ムーンライトながら」。1日目はほぼ移動だけで終わり古川(大崎市)泊、2日目に三セクも乗車できるJR東日本の「東北ローカル線パス」を利用し古川→小牛田→気仙沼→盛釜石→宮古→岩泉→茂市→盛岡をほぼ乗り鉄の旅で、道路元標は気仙沼町の1基のみ。

 震災で線路が流され大部分が廃止となった気仙沼線の大谷海岸駅付近(写真左)と当時の気仙沼駅。
 今も気仙沼町道路元標は残っている様です。(写真は2010年当時)
 港町の昔の賑わいを感じさせるレトロな建物が多く残っていた気仙沼ですが、今はどうなってしまったのでしょうかね、道路元標の向かいに建っていた建物(写真左上)は蔦に覆われながらも残っている様です。つくづく失われたものも多いの中、残されたものもあるのだと感じました。関西からだとなかなか東北は遠くて自転車では会津界隈を走った位なので、機会があれば次こそ走ってみたいと思ってはいるのですが…

 

今日は曽爾高原へ向かいます

 
「都祁山之道」を行く 奈良市都祁甲岡町にて

 4月29日から開催されている「モバイルグランフォンド in 奈良・吉野」のスタンプラリーですが、24ヶ所のチェックポイント中14ヶ所は先月までに巡り残りは10ヶ所、ただ吉野山を除けば「遠回り通勤らいど」で回れる様な場所ではなく吉野郡の9ヶ所と宇陀郡の1ヶ所、加えて今月は天候不順と休みの巡り合わせが悪くて回れず仕舞いだったのですが、今日は天気にも恵まれおニューのフロントバッグをセットして宇陀郡曽爾村の曽爾高原へ向かう事にしました。
 曽爾村への最短ルートはR165西峠で榛原へ、R369で大内峠、栂坂峠と云ういわゆる伊勢本街道なのですが、だらだらとした登りが延々と続き、交通量も多いのであまり好きなルートではありません。最近では2014年10月と2015年9月に向かっているのですが、いずれも一旦大和高原に取り付いて名張市赤目へ下り椿井峠を越えると云うなんとも遠回りなコースなんです。 
 結局今回もそのコースで向かう事に。初瀬ダムから旧都祁村へ、県道781号都祁名張線へ入ります。都祁名張線は「都祁山之道」と呼ばれ、東大寺二月堂の「お水取り」の松明を、赤目から奉納する道としても知られる歴史のある道です。途中南之庄の「三陵墓古墳群史跡公園」(写真)で小休止。2017年1月25日の写真
 旧室生村域に入り、多田で今月5日にも立ち寄った「満寿寺薬師堂」へ寄り道して行きます、5日にはまだ蕾もなかった百日紅が咲いてくれていました。2016年8月19日の写真
 染田、小原と山間の集落を縫って東へ、上笠間の集落を見下ろす辺り。2015年6月24日 上笠間にて

 県道781号は三重との県境になる笠間峠を越えて赤目へ下りますが、今では深野経由の道が整備されている為にこの県道はかなり荒れてきています。なお古道の笠間峠は500m程南の集落内になります。

 下るにつれ多少マシになるとは云え、ご覧の様にかなり荒れています。
 殆ど林の中を下ってゆきますので視界はありませんが、半分以上下った頃に1ヶ所だけ東側に展望の開ける場所が、眼下には伊賀盆地の南端になる赤目の集落が、背後は青山高原から布引山地になります。
 県道とは云え集落の中の狭い道を縫って国道165号線坂ノ下交差点へ、正に坂の下の交差点です。近鉄赤目口駅へ立ち寄り小休止、あの赤目四十八滝の最寄り駅ですが、観光客の姿もなく閑散としています。

 三重県名張市になる赤目から曽爾村へは県道784号赤目掛線が通じていて、椿井峠(747m)を越えるのですが、手前に鬼や坂(570m)と云う峠があって(写真左)、赤目側からだと鬼や坂までに方が厳しいです、ただずっと林間ですので多少は快適です。鬼や坂を越えて少し下れば「出合茶屋」があって赤目四十八滝の上流側の入り口になります。営業はしていませんし自動販売機などもありません、テーブルとかはきれいですので「コロナ禍」の今はともかく行楽期の休日は営業していたのでしょうかね、昔は三重交通の路線バスもあったのですが。なお携帯はdocomoすら圏外です。
 県道は再び奈良県へ、10キロ程の三重県への越境でした。県境付近から椿井峠への登りが始まります。「椿井峠への道」2015年9月29日撮影

 1324 椿井峠に到着、桜井をスタートしたの7時前、あちこち寄り道したとは云え結構時間を食ってしまいました。
 椿井峠の向こう側は結構な激坂で、約4キロで280m程下ります。下るにつれ左側に兜岳が見えてきます。




 青蓮川沿いの県道81号名張曽爾線まで下ると、稲刈りを始めている処が、南紀古座川あたりではお盆明けには始まるのですが、幾らなんでも早いですよね。


 県道81号を名張方面に少し下りますと今度は鎧岳が正面に見えてきて、太良路まで下ります。ここから曽爾高原へ取り付く道は2つ程ありますが、北側の橋を渡り北側へ回り込む道の方が木陰もあって斜度も多少楽です。  スタンプラリーのチェックポイントは「曽爾高原ファームガーデン直売所」にあり、曽爾高原へは更に標高で200mばかり登らなくてはなりません、2014年は御杖村側に越えて帰途に就いたのですが、既に15時前と時間も押してきたので、曽爾高原は見上げただけで、ここから引き返す事にします。2014年10月24日 曽爾高原での写真
 再び県道81号へ下ります、宇陀郡の曽爾村道路元標は曽爾村役場敷地内にありますので、健在である事の確認に。掛の交差点まで南下し」国道369号に入ります。桜井まで30キロ程の道のり、途中栂坂バイパスの3本のトンネルを抜ければ2時間程で暗くなるまでには帰る事ができます。栂坂(1,827m)、石楠花(430m)、弁財天(旧開路)(922.9m)、3本合わせると3キロを超えますが、旧道の栂坂峠と大内峠を越えているとさすがに陽が暮れそうです。前灯2基、尾灯2基の装備はありますが。
 伊勢本街道はほぼ国道369号に沿っていますが、栂坂バイパス部分では約1~2キロ程北寄の室生黒岩を経由するルートをとっています。現在の曽爾村山粕は昭和29年まで室生村だったのです、その経緯から室生村道路元標は山粕郵便局前に保存されています。山粕への入り口で自販機休憩の後、バイパスの北側に旧道と旧々道が錯綜していて、その郵便局の先に出てしまいました、後から考えれば引き返せば良かったのですが、トンネルに向かって先を急ぐ事に。ただアクシデントで記憶はそこまでなんです… (つづく)

 

 

「伊良湖へ」31.8キロでギブアップ

渥美半島伊勢湾側を行く

 先週「東の海へ」で鳥羽まで走った時の思いつきで、伊勢湾フェリーで伊良湖へ渡り渥美半島を走る事にしたのですが… 2010年に一時存続の危機にあった伊勢湾フェリー、過去2001年と2008年に利用しています。2001年9月は2サイドで鳥羽まで自走し乗船、さらに伊良湖から浜松まで都合208.6キロを走り、翌日から秋葉街道を信州はみどり湖まで走っています、まぁまだ40代でしたからね。2008年12月には伊良湖~豊橋他62.9キロをKHSで走っています。その後「御前崎オフ」に自走しようかと企んだ事がありますが実現せず。あと2012年3月に今は今治「シクロの家」のスタッフの日本縦断中のむらまさ君を鳥羽港でお見送りした事があります。そんなこんなで今回は13年ぶり3回目の利用なんです。
 伊良湖へ渡ってからの予定は未収の渥美郡泉村道路元標以外なんの予定もありません、7月末までの近鉄の優待乗車券が2枚あり、1泊も考えて勤務明けの今日出発にしたので、一旦帰宅後に準備をしておいたデモンタを担いで桜井駅 0937 の松阪行に乗車します。ただ西大寺駅での人身事故の影響とかで4分遅れ、伊勢中川での五十鈴川行への接続は僅か1分、それに乗り継げないと鳥羽FT 1210発への乗船ができなくなってしまいます。
 幸い伊勢中川で五十鈴川行が待っていてくれたので無事に乗り継げ、鳥羽で賢島行普通へ。鳥羽駅からフェリーターミナルまで歩いて行けなくもないのですが、次の中之郷駅からだと乗り場は目の前公称?5分の距離です。志摩線の普通電車は見慣れないクリームと緑のツートン、もしやと思って調べたらやはり三重交通志摩線時代の塗装を50周年記念で復活させている様です。小学校の修学旅行が伊勢志摩だったのでその時代の車両をリアルで見ていて写真もあったはず、ただモノクロですし色も記憶にありませんが。当時はまだ近鉄山田線とも繋がっておらず狭軌1,067mm、750V時代の話です。
 中之郷駅はエレベーターがなく無人化されてエスカレーターが停まっているとの情報で輪行袋を担いで昇り降りしなければならないのかと思っていたのですが、下りホームからそのままスロープを使って道路に出る事ができました。
 伊勢湾フェリーは輪行袋に入れた状態ですと徒歩客として片道1,600円で乗船でき、自転車として車や単車と同様に乗船する場合は2,700円になります。徒歩客の乗船開始は出港15分前から、車両甲板への乗船はそれより先の様です。

 南海フェリーとか利用するのは夜行便ばかりだったので昼間の船旅は久しぶり、伊良湖までの所要時間は55分、答志島と菅島の間を抜けて伊勢湾を横切り、右側に「潮騒」の舞台になった神島を間近に見るともう伊良湖です。概ね両港を同時刻に出港するので洋上で鳥羽行きとすれ違います(写真右)、

 1305 伊良湖着、鳥羽は徒歩客用の乗船デッキがあるのですが、伊良湖側にはないので急で狭い階段を車両甲板まで降りなくてはなりません、輪行状態ですとこれが難儀です、ショルダーベルトを目一杯短くしておいても気を付けないと階段にぶつけてしまいます。下船後日陰を見つけて輪行支度を解きます、そこはデモンタですから早いです。ここは「太平洋岸自転車道」の一部となっている渥美サイクリングロード(愛知県道497号田原豊橋自転車道線)の終点になっているのですが、今回はそちらへは向かいません、標高差は100mに満たないのですがこのクソ暑いのに伊良湖岬まで登るのはね。とにかくR259に沿ってまずは泉村道路元標を目指します。
 すぐにR259に入ってしまうのも面白くないので、暫く海岸沿いを行きます、伊良湖岬の右に見えているのは神島ですが、そこは三重県鳥羽市なんです。

 現在では渥美半島の大部分が田原市となっていますが、旧渥美郡泉村道路元標へ、R259の泉郵便局近くの山側の旧道沿いにすぐ見つかりました、都合1,112基目、愛知県では現存を確認されているのは海部郡大治村との北設楽郡園村の2基を残すのみです。
 さてこの後どうしたものか、福江町のスーパーマーケットで涼みながら作戦を練ります。昨夜はあまり眠れなかったのと走り出したのが13時半、判っていた事ですがこの暑さではテンションが上がりません。豊橋、名古屋経由で帰途に就くなら、伊勢湾フェリーを割引のある往復乗船して鳥羽へ戻った方が楽ちん、輪行状態なら往復2,880円、自転車なら4,860円になりますが事前に往復で買っておかなくてはならないのと、最終便は1740はちょっと今の季節早いですね。伊良湖へ戻るなら太平洋岸に出て自転車道で戻るのが良さそうですが。2001年に来た時は自転車道は不案内なよそ者には通して走れる様な状態ではなくR42に逃げてしまいましたが、最近は整備が進んでいるとか。
 とにかく今回は豊橋鉄道の三河田原駅を目指すしかない様です。R259を走ると海側に松林のある旧道が残されている区間があったりして、車も殆ど入って来ないのでなかなか快適です。

 16時過ぎには三河田原駅に到着、この先豊橋に向かっても車が多くなりますし、豊橋鉄道には乗車した事もないので、ここでお開きにする事にします、僅か31.8キロしか走っていないのですが、やはりこの季節に13時半スタートはあきまへん。しかしお洒落で立派な駅です、駅舎の東側に日陰を見つけて輪行支度を、デモンタですから楽は楽なんですが前後輪を連結するカップリングがなかなか上手くつながらないのですよね。黄色いベルトはオリジナルで、片側をループ状にしてあってサドルとトップチューブを縛ってハンドル側と締め付けます。なおサドルバッグをフロントに付け替えています。

 ところで豊橋鉄道ではサイクルトレインが運行されています、100円払えばそのまま載せて貰えるのですが、新豊橋まで行っても、その先がありますんで。基本的に土日休日は終日、平日日中は利用できます、詳しくはこちら
 豊橋~名古屋は「18きっぷ」の機会にJRを利用する事が多いのですが、名鉄の方が安くて早いので今回は名鉄で、混雑する時間帯ですので頑張って先頭車両まで移動したのですが、怖いぐらいに飛ばしますね快速特急、東岡崎を出ると120km/hとは。ただ勝手の判らない名鉄名古屋駅でウロウロさせられましたが…

 どうにか近鉄名古屋駅へ、やはりJRからの乗換えが楽です。話題の「ひのとり」にはもう2回も乗りましたし、大和八木から引き返すのも何なので、次のアーバンライナーに乗車し名張で急行に乗り継ぐ事に。2135 無事に桜井に帰投。31.8キロ/1時間41分走るのにフェリーを除いても6時間以上輪行していたのはね。
 伊勢湾フェリーは事実上「太平洋岸自転車道」の一部になっていて、今回は平日とあってか他のサイクリストは見かけなかったですが、大阪を朝一に出て鳥羽 0930 出港に乗れば伊良湖で夕刻の最終便まで8時間は走ってられます、渥美半島も豊橋の方に行くだけ車が多くなりますし、伊良湖から渥美半島西半分位を周回するのがお勧めかと、1740の最終便も9月から10月ならサンセットクルーズが愉しめるかも、但し前方デッキは別途320円の要る特別室のみですけど。



梅雨の中休み 信楽へ(前半)

府県道5号木津信楽線 京都滋賀県境にて

 西日本は異例の早い梅雨入りを宣言したものの、その後長い梅雨の中休みに、それはそれで良いのですが連日の猛暑が続いています。それも明日位までとの予報ですので、今日走っておかないと云う訳で、信楽方面を目指す事に。
 5時半過ぎに桜井を出発、上街道(上ッ道)を北上しますが、なんと櫟本で完全に通行止、いわゆる「北の横大路」と呼ばれる県道192号福住横田線と交差する処に架かっている「土橋」の架け替え工事の真っ最中。

 迂回路を探し橋の北側に出ますが、ここは櫟本町道路元標が建っていたとされる場所で「土橋」の親柱の傍に基部と思われるものが埋まっています。上田倖弘著「道路元標」に拠ると櫟本町道路元標は「改訂天理市史」(昭和51年刊)で「土橋北詰に現在倒れている」と記載されがなら保存などの処置がされずに逸失してしまったと嘆いておられます。過去に川ざらいをしたら道路元標がでてきたなんて話も複数あるので、周辺を見渡してはみたのですが…
 奈良市街に入り、いつもなら興福寺辺りから県庁前に出るのですが、漢国(かんこう)神社が「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」のチェックポイントになっていますので「やすらぎの道」まで下る事に。ところで漢国神社の中には林神社なる社があって「饅頭の祖神」なんだそうです。
 奈良少年刑務所(旧奈良監獄)跡から奈良阪を越えて京都府へ、大仏線跡に沿って加茂、恭仁大橋で木津川を渡り井平尾から府道5号に入ります、既に道路脇の温度計が既に25℃を示しています。
 0837 には和束南のローソンへ、いつもなら何人ものローディがウロウロしているのですが、今日は珍しく今日は1人だけです。サンドイッチと飲み物を買って小休止、なんでもM氏が近くを走っていたのだとか。

 このルート4月にも「齋藤電鉄氏迎撃琵琶湖キャンプ」で走っていますが、その折は湯船から朝宮へ越えています。少し向かい気味ですが、涼やかな風が心地良いです。

 奈良交通のバスの終点小杉を過ぎると谷が開けてきます。信楽へ向かう多くの車は朝宮の方へ回りますので、車が少なく快適な道です、一昨年5月30日にF1氏と一緒に走って以来。1012 には滋賀県との県境になる無名の峠(357m)に到着、信楽から先のルートはまだ考えていないのですが、自走で帰るとなるとやはり伊賀上野(現在は伊賀市)経由しかないですよね、とにかく信楽駅を目指します。

 杉山口でR307を跨いで旧道へ、少し現道を走らないとならない部分もありますが、窯元の並ぶ道と旧い街並みを抜けて信楽駅まで行く事ができます。1039 駅前でお馴染みデカい狸が出迎えてくれます、2年ぶりですが昨年から白いマスクをしているのが、このマスクいつ外せる世の中になるのでしょうかね、狸も困り顔。
 暫し休憩しながらこの後のコースを考えます。一般的なのは素直にR138を辿って御斎(おとぎ)峠。勅旨から林道牧杉谷線を越えて岩尾池を回るコースも考えてみましたが、さすがに遅くなってしまいそう、車の多いR422の桜峠はないとしても御葉木峠(槙山新田越)で阿山経由はありかなぁ… やはり一昨年同様に神山経由で御斉峠かな、32Cを履いたasuka号ですし「鶏鳴の滝」にでも寄ってみるのも。(後半へ続く)

 

 

富山湾岸サイクリング(2日目)


富山県射水市海王丸パークにて、後ろは新湊大橋

 明るくなってきた頃からホテルの前で輪行支度を解き、7時半にはスタートしますが、天気予報は「晴れ」なのに鬱陶しい空です。写真は七尾駅前にて。
 R160から県道246号庵鵜浦大田新線と遠回りですが海よりのルートをとります、鵜浦で右折する県道と別れ更に直進、LPG備蓄基地のゲートに突き当たりますと、物々しく警備員が2人立哨しています、海岸沿い左折すれば道が繋がっている事は判っているのですが、不審がられてもなんですので「左行ったら観音崎に抜けられますよね」と声を掛けたら親切に「自転車なら通れるよ」と教えてくれます。小口瀬戸を挟んだ600m程の対岸には昨夏も走った能登島が… 2020年9月能登島から見たこちら側、備蓄基地のタンクが見えています、

 備蓄基地の反対側に出ると車両が通れない旨の標識が、軽トラなら通れなくもないのですが、全く離合はできません、

 ここまで遠回りしてきたのは、最近になって崎山村道路元標の現存が確認されたのです、例によって石川様式の道路元標です。

 観音崎は半島の中の半島が売りだそうなんですが、観音島と云う小さな陸けい島があって観音堂が建っています、能登には日本海側の漁港のひなびた風景が残っています、静かで良い処です。

 県道に戻り小さな峠を越えると富山湾側に出ますが、黄砂のせいで海側は真っ白です。2008年5月に走っています、その時も立山連峰こそ見えませんでしたが、気持ちの良いお天気でした。
 道の駅「いおり」に、この辺りから平日にもかかわらずローディの姿が、富山市方面からでしょうか、ただ一向に挨拶を返さないので、こちらも止める事にしました。やはり北陸は関東圏なのかな。自販機の前のベンチで小休止、相変わらず鬱陶しい視界です、陽射しも遮られるかして気温も上がってきません。

 観音崎周りですが、七尾から35キロ程で富山との県境に、R160経由ですと約20キロ。県境の標柱2008年5月以来ですから13年ぶり、黄色時代のasuka号、石川県と富山県の陰刻の書体が違うのが。
 県境を越えると早速路肩よりにブルーラインが、新潟県境まで100キロ余りの「富山湾岸サイクリングコース」が設定されています。港や河口で迂回する区間が幾つかありますが、1/3位は海を見ながら走れますかね、北陸本線で富山県を横断しても海は新潟県境直前まで全く見えませんよね。
 少々買い物があって氷見市街に入って時間を食ってしまったのですが、12時半過ぎには雨晴海岸へ。雨晴海岸にはキャンプ場が幾つかありますが、営業期間外のはずの雨晴キャンプ場に設営しているテントを見かけました。

  



 氷見線雨晴駅にはお天気の良い時の雨晴海岸の写真の大きな看板が、まぁここまでの展望は地元の人でもそうは見られないかと思いますけどね。
 道の駅「雨晴」の前で休んでいると氷見線の下りが来たので… 前回は氷見駅から輪行したのですが、キハ40系の塗色が首都圏色(いわゆるタラコ色)に変わってしまった様ですね。
 射水市に入り新庄川大橋で庄川を渡ります「富山湾岸サイクリングコース」のブルーラインが見えますが、石川県境から途切れる事なく続いていて右左折の案内も的確、ズタズタの奈良県の自転車道は見習って貰いたいものです。左に見える鉄橋は万葉線(前身は富山地鉄)。この辺りの経緯はややこしいのでWikiでも見てください。
 せっかくですので海王丸パークへ立ち寄ります。後ろに見える新湊大橋は富山新港開削で分断された東西を結んでいて「富山湾岸サイクリングコース」も階下の歩行者自転車通行路へ誘導され50m近い高さまではエレベーターが登る事ができます。

 富山新港で先の万葉線の前身富山地方鉄道射水線が分断された後、県営渡船が越の潟と堀岡発着場を結んでいますのでそちらを利用します。分断された射水線は西側が万葉線として残りましたが、東側は1980年に廃止されています。歩行者や自転車にとって不自由な巨大橋が完成すると渡船が廃止される事も多いのですが、2012年に新湊大橋が供用された後も県営渡船は減便こそしたものの残っています。
 堀岡発着場(写真左)に着いた後、サイクリングルートに戻るために新湊大橋へ戻りますが、せっかくですので、エレベータで橋上へ。車道との2階建て構造と云っても道路橋に歩道部分がぶらさがっている感じですね、自転車は480mを押して渡る事になっていて、従って車道部分は原付通行可です。自転車が走れない大鳴門大橋の階下部分に歩行者自転車道を作る話もあるそうなのですが、もしできるとこんな感じになるのかなぁ。なおこの歩道部分も渡船も深夜は利用できません。

 廃線となった富山地鉄射水線の東側は2012年までバス専用道になっていた様ですが、現在は歩行者自転車道となっています。桜並木が見事ですが、この車止めには参ります、間隔はあるので4サイドでも推さずに通れそうですが。
 16時過ぎに神通川を渡りますが、ここまで自転車道をたどっていたつもりがいつの間にかブルーラインが無くなっていて、富山駅方面へ向かう廃線跡と「富山湾岸サイクリングコース」は途中で別れるのを見落としていた様です。気がついて鯰鉱泉付近でブルーラインに復帰します。

 北前船の寄港地だった富山の旧い港町岩瀬へ、JR富山港線の廃止後、富山ライトレールとなり、現在はは富山地鉄富山港線、連接車が走っています、広島のに比べると可愛いです。

 黄砂の空に沈んで行く夕陽をみながら富山駅近くの宿へ、路面電車の走る街って良いですよね。さて明日は少しはマシな空になってくれれば良いのですが、本日の走行98.1キロ。

【1111】 石川県鹿島郡崎山村(現 七尾市)

1日目 2日目 3日目

 

吉備路サイクリング(1日目)

 吉備路自転車道 備中国分寺跡を行く

 勤務明け帰宅後、準備してあった輪行袋を担いで桜井駅へ、JRだと到着があまりに遅くなってしまうので0947発の近鉄で鶴橋まで、JRへの乗り換え口で「18きっぷ」にハンコを押して貰うのにウロウロ、ともあれ予定のスジで大阪から姫路へと。ただ東岡山駅から走り出すか、赤穂線の西大寺駅から走り出すか、つまり6キロ手前から約30分遅れでスタートするかを、悩んだ挙げ句に余裕を見て東岡山へ向かう事に。相生から先岡山までの山陽本線は3両または4両編成となり「18きっぷ」のシーズンには結構混むのですが、やはり「コロナ控え」なのかなぁ、輪行袋を担いでいると多少の後ろめたさも。まぁQOLも大切だしね。

 1327 東岡山着。リアガードのステーがぐずって出遅れ、14時過ぎにスタート。あえて手前の東岡山からスタートしたのは大きな駅でウロウロしたくなかった事にと、古来の山陽道に近いので真西にとれば割りと自然に吉備路へ入る事ができる。ただ真夏なら日陰のない東岡山駅より次の高島駅の方が良いかも。

 1508 吉備路自転車道の入り口に、ここからJR吉備線と同様に総社市へ向かいます。ただ岡山駅からここまでの案内は皆無の様で結構判り難いかと、起点は岡山県総合グラウンドとなっていますが、岡山中央病院の前からと考えるのが判り易い。ここから概ね自転車歩行者専用道として川や用水路べりを繋いで行き「日本の道100選」にも選ばれていますが、はっきり云って岡山市寄りは今一つ、要所要所に標識がありますが、結局総社までには数回道を間違えてしまった。
 こんな跨道橋があったり、これが結構滑って危ない、良い子は降りて押しましょうね。ただ奈良県と違い一般道路との交差には必ずと云って良いほどに横断歩道があり、なにより車がちゃんと停まってくれるのが凄い。
 1536 備前国一宮である吉備津彦神社に。古代の吉備国が後に分割され備前、備中、備後の国になるのですが、備前と備中の境界が判りにくくて、自転車道の次のポイントである吉備津神社は備中国になります。
 せっかくですので御津郡の一宮村道路元標の生存確認に、吉備津彦神社からはJR吉備線を挟んだ反対側の県道沿いにあります、2007年以来ですから14年ぶりになります。岡山県の道路元標は現在までに18基が確認されていますが、英田郡、後月郡、真庭郡を除いた岡山市周辺(旧備前国)のものは独特の書体で正面に「道路元標」とのみ陰刻され、郡名と市町村名が側面に記されています。
 桃太郎やきびだんごで知られる吉備津神社(写真右)から造山古墳(写真右)と史跡巡り。造山古墳は前方後円墳としては4番目の規模で、畿外では最大、入って登れる古墳としても最大らしい。

 吉備路自転車道沿いで一番の見処はやはり備中国分寺でしょうね。吉備津彦神社でのんびりし過ぎてしまい、17時過ぎとすっかり遅くなってしまいました。せっかくですので「自撮り」をしてみましたが記念写真以上のものでもありません。自転車道沿いより南側(写真左)とか西側(写真右)からが良さそうです、花の季節を考えて再訪してみたい処ですが、ただ岡山市街から自転車道を走り抜けるより、総社側から吉備津彦神社辺りまで往復するのが良いかも。
 さて総社の街中に入る頃には陽が落ち、途端に寒くなってきました、朝夕の寒暖差の大きいこの季節ウェアには気をつけておかないと。総社駅へは向かわず清音駅へ走り、今日の行程を終えました。まぁ今日は明日への足慣らしと云う事で、本日の走行35.3キロ。

1日目 2日目前半 2日目後半



大阪府の道路元標

 さて危険を顧みず大阪のど真ん中まで来たのですから、梅新交差点の北西角に建つ「大阪市道路元標」に立ち寄ってきました、ご覧の様に(大正)道路元標の様式とは全く異なる石標と云うよりモニュメント、測量で使われた下げ振り錘を模しているのですね。明らかに(大正)道路法の下で建てられたものではないので和歌山市道路元標とともに私はコレクションにはカウントしていないのです。
 元の道路元標は中之島の現在の大阪市役所前に建っていた様で、明治の里程標は高麗橋に跡碑が残っています、まぁ大阪の道路の起終点が移動してきたと云う事ですね。このモニュメントは昭和57年に地元ライオンズクラブによって再建されました、銘板は先代のものが流用されているとの事です。
 実は先日から道路元標のデータを整理していて、従来から道路元標が建っただろう12,000余りの市町村とネット上に公開されている情報と自身の履修情報をExcelで都道府県別に、現存が確認されている、或いはされていた座標をカシミールにプロットしています。
 道路元標は「道路法施行令」が施行された大正9年(1920年)4月1日に存在した市町村に設置を義務づけられたのですが、えいゃとばかりにその4月1日に一斉に12,000本もの石標が日本の津々浦々に建てられた訳でもなく、昭和にかけてぼちぼちと建てられていた様です。
 設置場所に関しては、設置(された或いはする)場所を県報(都道府県版官報みたいなもの)で告知された様で、これが道路元標探索の大きな拠りどころになっている訳です(左は山口県報第813号 大正9年4月1日 告示第141号)。戦災で逸失したものもあるでしょうが、幾つかの都道府県のものが図書館などで閲覧複写が可能です、ただ日本の公文書管理のエエ加減を知る事になりますけど。
 ただ設置場所が判っても実際に建てられた或いは残っている訳ではないのです。あと話がややこしいのは実際に建てられるまでの間に市町村合併などの変化もあり、大正9年4月1日の時点で存在しなかった市町村や既に無くなってしまった市町村の道路元標も存在している訳です、即ち時系列での重複を考慮に入れる必要もあるのです。
 例えば山口県山口市に現存する吉敷郡の「秋穂町道路元標」ですが、大正9年当時は秋穂村、町制をひいて秋穂町となったのは20年も経った昭和15年、それまでの間に「秋穂村道路元標」と印した元標が存在していたのか、今となっては判りませんが。また京都府舞鶴市には「舞鶴市道路元標」「東舞鶴市道路元標」がともに現存していますが、東舞鶴市は昭和13年から昭和18年にかけて旧舞鶴市と合併するまで存在しただけで、あと昭和17年に東舞鶴市に編入された「東大浦村道路元標」も現存しています。まぁ所属する市町村を失った道路元標をどうするかの条文はない様ですし。
 さて現時点で全国で2,000弱の現存が確認されている(された)道路元標のうち1,110基の道路元標が履修済みなのですが、集計して行くと1つ数が合いません、それが大阪府。先の大阪市を除けば府下には「岸和田市道路元標」「熊取村道路元標」「粉浜村道路元標」の三つしか確認されていません。その大阪府には大正9年当時の設置場所を示す県報などは見つかっておらず、昭和4年から道路元標の設置義務がなくなる昭和27年の(新)道路法施行前の昭和24年にかけての大阪府告示に設置場所が記されています。ほぼ訂正や廃止を含め大方がネット上に転載公開されていますが、大正9年から昭和24年までの開きがありその間の府下での市町村の変遷はかなりの数になります、なにしろ大正14年までに当時の西成郡20町村と東成郡24町村が大阪市に編入されたのが大きいかと。
 さて数が合わなかったの粉浜村がその西成郡に属していた為ですが、自治体がそのまま残る岸和田市や、町制こそひかれたものの合併する事なく残る「熊取村」2006年に何の手ががりもなしにたまたま発見できたのはともかく、大正14年(1925年)に大阪市に編入された「粉浜村」が100年近くも現存しているのは奇跡的かと。
 お陰で非常にややこしい大阪府の市町村、大正9年に301あった府下の市町村、昭和24年には164までに統廃合されたのを、私になりにまとめる事に。四条畷駅はなぜ四条畷市でなく大東市にあるのか、1日しか存在しなかった美陵(みささぎ)市、南大阪市、狭山市とかトリビアもあるのですが、道路元標は今も時折発見される京都府に対して寂しい限り、まだどこかに埋もれていないのでしょうかね。発見を願って整理した一覧を掲げておきます。
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道路元標コンテンツを更新

 2006年以来14年も飽きずにやっているHPのコンテンツ「道路元標」、溜まっていた2020年の新規履修分をようやく更新しました。実の処名古屋の「新春ラン」にも参加できず、連日の寒波で通勤と買い物以外では自転車を走らせてない始末、部屋の中でぬくぬくと過ごしている次第では「コロナ太り」を助長するばかりです。

【1091】 2020/8/13 石川県 能美郡 吉田村(現 能美市)
【1092】 2020/8/14 石川県 羽咋郡 河合谷村(現 河北郡津幡町)
【1093】 2020/8/20 岐阜県 恵那郡 苗木町(現 中津川市)
【1094】 2020/8/21 長野県 上水内郡 水内村(現 長野市)
【1095】 2020/8/21 長野県 上水内郡 榮村(現 長野市)
【1096】 2020/8/21 長野県 上水内郡 南小川村(現 小川村)
【1097】 2020/9/1 石川県鹿島郡矢田郷村(現 七尾市)
【1098】 2020/9/1 石川県鳳至郡穴水町
【1099】 2020/9/1 石川県鳳至郡輪島町(現 輪島市)
【1100】 2020/9/1 石川県鳳至郡南志見村(現 輪島市)
【1101】 2020/9/1 石川県珠洲郡若山村(現 珠洲市)
【1102】 2020/9/1 石川県珠洲郡飯田町(現 珠洲市)
【1103】 2020/9/2 石川県鳳至郡三波村(現 能登町)
【1104】 2020/9/2 石川県鹿島郡赤蔵村(現 七尾市)
【1105】 2020/9/3 石川県鹿島郡東島村(現 七尾市)
【1106】 2020/9/3 石川県鹿島郡中乃島村(現 七尾市)
【1107】 2020/9/10 香川県 綾歌郡 林田村(現 坂出市)
【1108】 2020/9/10 香川県 三豊郡 豊浜村(現 観音寺市)
【1109】 2020/10/18 京都府 加佐郡 岡田上村(現 舞鶴市)
【1110】 2020/10/24 兵庫県 氷上郡 神楽村(現 丹波市)

 2020年は石川、長野、岐阜、京都、兵庫、香川で20基、都合1,110基となりますが、現存(していた)する2,000基近い道路元標、余生でどこまで行けるのでしょうかね。
 左のサムネイル画像(クリックすれば大きな画像が表示されます)では判り難いですが、緑色が履修済、赤色が現存が確認された道路元標をプロットしたものですが、ここ最近は長い休みが取れない事もあって九州も行きにくくなってしまい、関東地方はともかく隠岐の島なんてちょっと行けないですよね。
 道路元標に関するデータはExcelで管理しているので、グラフ化してみました。左は年度毎の履修数、2006年からスタートして最初の5年で900を超えています、もう近場にまとまって残っていませんし。右は地域別に現存(していた)数に履修数を重ねたもの、関東に1週間ほど滞在すれば結構網羅できそうなんですね。
 ところで埋め込んでいるGoogleMapが、先年の有償化とAPIの変更に対応していないので正常に表示されないままです、「轍」同様にOSMへの乗換えを考えているのですが、ここまでちまちまとコードを書いてやってきただけに、データが1,100件ともなると些かお荷物になっています。



S氏と丹波サイクリング

国道429号榎峠にて (Photo : skuram氏)

 久しぶりにskuram氏と丹波篠山方面へサイクリングに。実は9月29日に福知山線石生(いそう)駅から2つの道路元標を巡って舞鶴方面へ走るプランが雨で流れ、その後2つのうち岡田上村は10月18日に丹後半島へ向かった折に履修、残った兵庫県氷上郡の神楽(しぐら)村に今回「関西近郊休日ぶらり旅きっぷ」を使って行こうと云う案、加えて丹波篠山市今田に寄りたいお店があり、そこで篠山方面にめっぽう詳しいskuram氏に声を掛けた次第。
 始めは石生駅から篠山を経て三田まで南下するつもりだったのですが、Ride with GPSで線を引いてみるとそこそこ距離もある上にコースを厳しい、そこで相野駅をスタートしもう一つの目的地「Touya cafe」に先にお邪魔してから神楽村まで北上し、足が残っていたらR429の榎峠を越えて福知山から帰途に就く作戦に変更。
 奈良桜井から福知山線へは大阪駅経由が早いのですが、時間に余裕もありますので奈良経由で木津から学研都市(片町)線~東西線~福知山線直通の快速で向かう事に、輪行袋を担いで混雑するターミナル駅での乗換はないものの遠回りで時間も掛かりますし、丹波路快速と違いトイレのない321系が使用されています。とにかく桜井0552発に乗車、相野駅着が0926着ですから、所要3時間34分。ちなみ近鉄で鶴橋経由すれば1時間54分で行っちゃいます。
 定刻に相野駅着、用を済ませて駅を出ると、S氏も尼崎から同じスジに乗っていた様で既に輪行支度を解いています、こちらはヘッド抜き輪行のasuka号ですから、暫しお待ちを。しかし2人で走るのは何年ぶりでしょうね、龍神村?百間山?(写真左 : skuram氏)

 結局今日のコースはS氏にお任せ、相野駅からなら最短コースで10キロにも満たない「Touya cafe」、開店時間は11時ですので、時間調整を兼ねて近所の里山の中の道を走ります。
 三本峠、盟友「峠おやじ」によると手前のピークが峠らしい、昨年5月1日に篠山市が丹波篠山市と名称を変えてから初めてです(自転車では)。
 少し早いですが10時40分には「Touya cafe」に到着、実はフロントガード周辺から異音がしますので、サイクルラックに掛けて点検しますと、キャリアに固定しているネジが脱落していた次第。

 ところで「Touya cafe」は昨年4月にオープンしたお店ですが、既にS氏はカレンダーでお馴染みの凸凹コンビを連れてきていたとか、私は月替わりのランチ、S氏は前回来た折に香りが堪らなかったと云うカレーを注文。その「Touya cafe」のオーナーとは今は無き大阪阿部野橋のJAZZ喫茶「トップシンバル」の同窓生?であったと云うご縁なんです。至って硬派だった「トップシンバル」の様に大音量でJAZZを流す訳にも行きませんが、LPレコードのリクエストを。壁に飾られたジャケット、ERIC DOLPHYの「OUT TO LUNCHI!」がただ者ではない事を主張しています。
 オーナーと昔話に花を咲かせ、名残惜しいですが12時過ぎには「Touya cafe」を後にします。
 R372「デカンショ街道」の小さな峠を越えて福知山線沿いに戻ります。多可郡の古市村道路元標は交通事故?に遭って破壊され新しく再建されています、残念ながら本来の様式とは異なります(写真左)。暫くは線路に沿って北上し篠山口へ(写真右)。
 篠山口からは福知山線と離れて鐘ヶ坂峠へ、ここには明治、昭和、平成と3世代のトンネルがあるのですが、明治と昭和のトンネルは通常閉鎖されていて抜ける事ができませんが「さくら祭」の時だけ一般公開されるのだとか。
 新鐘ヶ坂トンネルを抜けると丹波市、支流の柏原川から加古川本流へと桜並木の続く川べりの道を縫って走ります、満開の頃は見事でしょうね。
 道の駅「あおがき」での小休止を挟んで、2006年11月に履修済ですが氷上郡の佐治町道路元標芦田村道路元標の生存確認。

 神楽村道路元標、休校になっている小学校の敷地内、植え込みに隠れていて、見つけるのに少々手こずりましたが、無事に1,110基目となりました。
 日没にはまだ余裕があるので予定通り国道ならぬ酷道の429号線の榎峠を越える事に。S氏によると兵庫県側は楽勝だとか、丹波市から福知山へは殆どの車がトンネルが抜けている隣の府県道109号福知山山南線の穴裏峠の方を越えるのでこちらを越える車は僅か。とにかく1.5車線路のカーブの連続、ただ斜度が知れていますのでロードならインナー要らずで峠まで行けてしまいそう。雰囲気の良い峠道に満足して福知山へ下りますが、こちら側は結構アプローチが長くて、やはり北行きコースが正解だった様です。
 16時半には福知山駅に到着、次の大阪方面は1706発の丹波路快速、ヘッド抜き輪行には少々厳しいので、S氏には先に行って貰い一旦お別れしたのですが、すんなり輪行仕度を終えて発車までにホームへ上がる事が叶いました。このまま大阪駅まで乗車し、9番ホームから1番ホームへ6分の乗り換えをこなせば、大和路快速で21時過ぎには桜井にたどり着けるのですが、結局新三田で東西線経由木津行を待ち、朝と同じ経路で帰途に就きました。本日の走行80.1キロ、実走行時間4時間01分、私にしては平均時速19.9km/hは些か早すぎ、輪行時間は往復合わせて8時間17分也。久しぶりにご一緒したS氏には道案内と風避けをして頂き感謝。