「道路元標」カテゴリーアーカイブ

2023年4月のまとめ

   走行711.1キロ、内訳はasuka 220.6キロ、erba 246.5キロ、Silk 244.0キロ。

 赤線が4月の走行区間、青線は3月以前。自宅/職場周辺は割愛しています。

~4月1日 2023年春 18きっぷ輪行旅「高山~富山」
4月19日 2023年春 18きっぷ輪行旅「和田山~播磨新宮」
4月9~11日 2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」
4月22日 齋藤電鉄氏迎撃サイク前乗り「西の海へ」
4月23日 齋藤電鉄氏迎撃サイク

道路元標

【1143】 2023/4/4 兵庫県 宍粟郡 河東村(現 宍粟市)
【1144】 2023/4/4 兵庫県 揖保郡 香島村(現 たつの市)
【1145】 2023/4/10 高知県 香美郡 西川村(現 香南市)
【1146】 2023/4/10 高知県 香美郡 在所村(現 香美市)
【1147】 2023/4/11 香川県 小豆郡 福田村(現 小豆島町)

齋藤電鉄氏迎撃サイク(後半)

県道24号御坊由良線 日高郡由良町神谷


 1022 御坊駅着、輪行支度を解いていると齋藤電鉄氏が到着、無事合流、向かい風の中ご苦労様でした。ここから由良洞隧道~白崎海岸経由で湯浅までご一緒します、鉄道ではたった3駅なのですが。

 紀伊内原まで戻りコンビニで補給後、県道23号御坊湯浅線に入ります。

 煉瓦ポータルの由良洞隧道を愉しみにしていたのですが、昨年行われた改修工事でご覧の様に、味気ないものになってしまいました。なお由良洞隧道は現在の国道42号線の由良トンネルの上を越えているので、旧国道に思えますがこのルートが国道に指定された事はなく国道42号の旧道は東寄りの津木回りルートと考えられています。

 由良洞隧道の北側は以前からコンクリートで補修されていたのですが、今となってはこちらの方が趣があったりして。
 由良洞隧道は残念でしたが1台の車に出合う事なく峠を越え国道の里トンネルの上にでますが、由良の街中へ入らずに由良港へ下ります。海上自衛隊前で御坊から海沿いを走ってきた県道24号御坊由良線に合流します。そろそろお腹がすいてきたのでどこかでお昼と行きたいのですが、休日とあってか「平佐館」は入れない人が並んでいる状態、仕方なく道の駅のある白崎海岸までもうひと頑張り。
 1238 白崎海岸を望む処までやってきました。

 「日本のエーゲ海」とか云われている?白崎海岸を行きます、和歌山県は「日本の…」とかがお好きな様で、お恥ずかしい。
 13時には白崎海洋公園に着いたのですが、紀伊水道に突き出た岬状の処なので、強烈な風がまさに「爆風」、それでも休日とあって結構なお客さんで賑わっています。とても外ではのんびりはできないので道の駅の食堂へ。
 白崎海洋公園を出るなり結構な坂があるのですが、そこが工事で交互通行になっていて、信号が変わらないうちに登り切れたものではありません、待っていた車が降りてくるのでたまったものではありません。小引、戸津井とかつては陸の孤島の様だった小さな漁港も今では新しいトンネルと橋で繋がっています。衣奈からは県道を辿ると衣奈トンネル近くまで登らされるのですが旧道をたどれば比較的楽に湯浅側に越えられます。すみませんこの区間の写真が全くありません。
 最後の峠?の切通を越えると有田郡広川町です。

 広川ビーチ駅で小休止の後 15時過ぎには醤油の町湯浅に到着、何度も来ていますがなかなかゆっくりと見て回る事がなかったので、良い機会ですのであちこちで見て回る事にします。

 湯浅町には道路元標が残っていますが、その湯浅町道路元標は熊野街道の道標の側に半分以上埋まってしまっていて、知る人ぞ知る存在ですが。

 私はここ湯浅から輪行で帰途に就きます。大阪鶴橋経由ですと最終は20時台ですが十分に見物もできましたし、1722 発で帰途に就く事にして駅へ、湯浅駅も橋上化され以前の駅舎の少し北側に「湯浅えき蔵」と云う洒落た建物ができています、中には観光案内所だったり図書館だったり、以前の湯浅駅駅舎(2004年5月当時)は改装されて食事とかのできる施設として5月にオープンするそうです。
 齋藤電鉄氏に見送って頂き 1722 発和歌山行きに乗車、彼は明日有田鉄道公園を見学して岩出まで走るそうです、まだご一緒できる機会を愉しみにしています。

 通勤時間と重なると鶴橋経由の混雑が嫌で時間はかかるものの和歌山から和歌山線経由で帰るつもりでいたのですが、この時間だと天王寺で直通の和歌山線五条行きに乗り継げる事が判り、それならと天王寺経由で帰る事に、よくよく考えると休日ですしね。天王寺で乗換王寺駅に着く直前になって前4両が奈良行、後4両が五条行だと云う事に気が付き、王寺駅での4分間の切り離し時間に慌てて移動する事に、よりによって1号車の先頭に乗っているのですよね。無事 2029 には桜井駅まで帰投しました、本日の走行77.1キロ。

齋藤電鉄氏迎撃サイク前乗り「西の海へ」

紀の川河口大橋にて

 今日は紀伊半島分割一周中の齋藤電鉄氏を明日御坊で迎撃するために「西の海へ」を兼ねて和歌山市まで走る事にしました。時間的に明日は湯浅駅~御坊駅間は輪行になりそうで、やや距離はありますが延陽伯号での出動に。

 勤務明け9時過ぎに橿原の職場を出発、飛鳥駅前を経て県道120号五條高取線に入る定番コース、近鉄吉野線からJR和歌山線と線路に沿って行きます。
 大和街道の古い街並みが残る五條新町と未成線の五新線遺構。

 五條のオークワで補給して、紀の川沿いの公園でお昼にします。

 概ね紀の川沿いの京奈和自転車道を走れば良いのですが、三谷橋から麻生津橋の間で右岸に入らず、岩出橋まで左岸を走り続けたのですが、やはり井阪橋で右岸に渡るのが正解な様ですね。前半は追い風に乗って快調に走っていたのですが、後半は強い横風に煽られて走り難い事に。
 和歌山市域に入っても河口まで10数キロあり、信号のない自転車道が続くとは云え、この区間が結構だるいのです。今日はニッカスタイルでインナーパンツなしだったのですが延陽伯号では100キロ近くなるとちょっと辛いかな、革サドルではなくフレームに色を合わせたデニム調の安サドルって事もあるかも知れませんが。1445 自転車専用道の終点に到着、紀の川河口大橋を望む。紀の川河口大橋と青岸橋を渡りとりあえず「西の海へ」と云う事に。

 さて南海の和歌山市駅近くに宿を取ってあるのですが、まだまだ時間があるので以前から行きたかった雑賀崎の「スハネフ14-1」へ向かう事にしました、鉄な人には興味津々なカフェです。雑賀崎の高台の上にあるので結構上らないといけないのですが、追い風に押されて思いの外楽に上れたのは良いのですが、なんとお店は臨時休業。

 和歌浦へ下り和歌山市街へ戻ります。和歌山市道路元標は国道42号線の県庁前交差点南東角にあって最近では2011年5月に徒歩で来ているのですが、大阪市道路元標と同様にモニュメント様のもので大正道路法の様式に沿ったものではないのでカウントしていません。まだ時間はあるのですが市内で早めの夕食を頂いてから明るい内に今夜の宿へ、雑賀崎から和歌浦と遠回りしたので走行105.3キロ。

2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」3日目


小豆島町吉野にて

 今日は高松港から小豆島土庄港に渡り海岸沿いに南回りで福田港まで走りフェリーで姫路港へ、最寄り駅の山陽電鉄飾磨駅まで走って輪行で奈良桜井へと帰途に就きます。
 小豆島へは高松港から土庄港と池田港(草壁港は休止中)、高松東港から坂手港、兵庫県の姫路港から福田港、神戸港から坂手港(神戸発の夜行便は高松経由)、岡山県の日生港から大部港、岡山新港と宇野港から土庄港と豊富にあるのですが、最寄駅から輪行袋を担いで行けるのは日生、高松、頑張っても宇野港位と限られていて、他は連絡バスに無理無理乗せない限りは港まで走って行かなくてはなりません。今回は土庄港まで輪行袋を担いで、下船後組み立てて走り、そのまま福田港から姫路港へ乗船して最寄りの山陽電鉄飾磨駅まで走る事にましたが、JRだと更に英賀保駅か姫路駅まで走らなくてはなりません。
 その福田~姫路航路ですが、コロナ禍が落ち着いたと思ったら船員不足で4月14日から7往復が3.5往復に減便になるのだとか(GW期間は従来通り)、福田港1930発の最終便では奈良まで帰れないので1715発に乗船する事になるのですが、その便が減便対象になっています。

 高松港0720発の土庄行に乗船、池田港行(料金は同じ)と合わせて日中26便も出ていますので、高松からは格段時間を気にせずとも小豆島に渡る事ができます、約1時間の船旅です。

 土庄港から福田港へは北周りでも南回りでも最短ルートだと30キロ弱しかありません。今日は海岸沿いを南回りに走る予定でざっと50キロ、その前に土庄から南西側に伸びた半島を巡る香川県道254号本町小瀬土庄港線へ、結局土庄の街中へ戻ってくるのですが。小豆島のあちこちにある大阪城石垣石切場跡(写真左)。
 この県道を含め小豆島を最も海岸よりのコースを選んで一周するとほぼ100キロ、獲得標高は2,000m近くになる様な。
 土庄へ一旦戻って少し買い物を、本土と橋で繋がっていない離島としては最大の人口と云うだけあって、小豆島にはホームセンターも百均もあります。ところで小豆島すなわち香川県小豆(しょうず)郡には2基の道路元標の現存が確認されていて土庄町道路元標は2007年10月に履修済、今回は福田村道路元標を拾って帰ります。
 暫く国道436号を走り、池田港を過ぎてから三都半島へ、香川県道250号三都港平木線へ入ります、半島の西側は「日本の夕陽百選」に選ばれているだけあってなる程の展望です、自転車では夕日の時刻にはちょっと来れないと思いますが、このロケーションで「自撮り」を…

 三都半島西海岸、吉野崎漁港から三都漁港へ、後で知ったのですが富士峠(117m)を云う名がついていました。
 三都漁港にて、この後三都半島の先端の釈迦ヶ鼻と地蔵崎燈台まで回るつもりでいたのですが、間違えて東海岸へショートカットする県道を越えてしまいました。結局三都半島の東海岸を北上し再び国道へ、内海町のスーパーで弁当を買い坂手港近くのベンチでお昼にします。なお「二十四の瞳」で知られる岬の分教場へは内海湾に突き出た半島を往復しなくてはなりませんのでパス。

 次は小豆島で南に突き出たもう一つの半島を巡る事に。海水浴場のある瀬戸の浜と県道248号橘大角坂手港線から見下ろします。

 今度は間違えずに灯台のある大角鼻まで南下します、ただ足元が悪いので灯台まではパス(写真右)。
 大角鼻を回り小豆島東岸を北上するのですが、この先福田港までアップダウンが続きます、標高150m位まで上り国道436号の橘トンネルの上を越えて旧道橘峠の東側に下ります。小豆島の海岸線を巡る県道の中ではここが一番鄙びた風景かと、車も全くと云って良い程やってきません、後から考えるとここで「自撮り」をしておくべきだったと、午前中の方が良いとなと躊躇ったのですが、時間もあったのにね。

 三度、国道436号に入りますが、アップダウンにそろそろ嫌気が…

 福田村道路元標、とりあえず現時点で香川県下で現存が確認されている(た)道路元標32基は回りました。

 福田港に到着、「八日目の蝉」のロケ地ですね、永作博美主演の映画版、壇れい主演のテレビドラマ版(NHK)、何れも岡山との航路と云う設定になっていたと記憶していますが。

 1650 姫路からのフェリーが、あちこちから車がやってきて途端に賑やかになります。平日とあって自転車とあって自転車は私一人でしたが、甲板員の方から靴について尋ねられます、クリート付きのシューズは駄目だと。同様の事は春の「ゆめしま」の折に岩城~今治航路でもあったのですが、ここでは履き替える様にサンダルを貸してもらえます。鉄製の甲板で転倒の危険があるからなのか塗装が痛むからなのか、「さんふらわ」とかではその様な話はないのですが、さすがに長時間の船旅の場合は上履きを持って行きます。
 1時間40分の船旅で1855姫路港着、暗い中ちょっと道を間違ったりしながら飾磨駅着、駅の南側の自転車預かり所の前の狭い処で輪行支度をしたのですが、飾磨駅は北側の方が広くて作業がし易かった様な、下調べ不足。さて時間は掛かりますが山陽飾磨から近鉄桜井は阪神なんば線経由で改札を出る事なく、上手くすれば階段を上り下りする事もなく2度の乗り換えで帰る事ができ、時間こそ掛かりますが最安で移動できます。2011 発阪神梅田行特急に乗車、尼崎と鶴橋で乗換て23時前には無事帰投。本日の走行70キロ。

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2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」2日目

「土佐塩の道」文代(ぶんしろ)峠にて

 今日は高知県香美郡の2つの道路元標を巡ります。高知での宿はビジネス街の中の小さなビジホですが、大浴場があって「旅行支援」で3,200円也、それに2,000円のクーポンが付いてくるのですから「旅行支援」様々です。朝、パンに玉子と野菜と飲み物と質素ですが無料の朝食を頂きます、走り出す前にはあまり食べないのでそれ位が丁度良いです、種類豊富なバイキングだとついつい貧乏性な性格が災いしますので。さて輪行支度を解いて宿を後にします、

 幹線道路を避け、予めあたりをつけておいた舟入川べりの道を東へ、通勤通学と思しき自転車と何度かすれ違いましたので、高知市中心部から郊外へ出るコースとしては正解だったかと。見た風景だなぁと思ったら2018年春に南海フェリーで渡った徳島から室戸回りで走ってきたコース、大津村道路元標の傍でした。ところでこの舟入川と云うのは江戸時代に開削された灌漑用水なのです。
 さすが南国土佐、もう田植えが始まっています、中には既に終わっている処も。

 香南市香我美町口西川 「土居の谷」バス停脇に建つ香美郡は西川村道路元標、昭和の大合併で1955年4月に無くなった村ですが、村域は現在の香美市、香南市、安芸市に跨っていました。「塩の道」とはその名の通り江戸時代、製塩が盛んな現在の香南市沿岸部と内陸部との塩を始めとして交易ルートが発達した様で、現在は「土佐塩の道」として整備されています。車道は県道30号線香北赤岡線として古道と交差する跨ぐ様に整備されていますが、西川の集落を過ぎると途端に道が狭くなります、峠の標高は知れていて斜度はあっても6〜7%止まりで、とにかくクネクネと長い「エエ道」が続きます、「文代峠」は盟友峠おやじナワールド氏の足跡もあるのですが、氏の云う急坂とは?随分と印象が違うものです。木々の間からかすかに海岸線が… そう云えば高知に来てここまで海を見てなかったゾ。


 切り通しになっている峠に到着、香美市となりますが字名は西川、西川村が峠を挟んだ地域であった事に納得、今では道の通じていない安芸市轟地区まで西川村だった事から、この山中に「塩の道」と関わった一つの経済圏があったのでしょうね。
 峠を越えると直ぐに民家があり、物部川の支流西ノ川沿いの先とはうって変わった明るい谷が続き国道195号(土佐中街道)まで下ります。
 次の在所村道路元標まで結構交通量のある道を数キロ遡らなければなりません。この195号は四ッ足峠を越えて徳島県阿南市へ続くので、徳島市経由で帰る案も検討してみたのですが100キロ以上の道のり、トンネルがあるにしても目の前の山容を見上げると引いてしまいます。

 在所村道路元標は香美市立吉井勇記念館の敷地内にあります、月曜は休館日と云う事で心配していたのですが、記念館の裏手の国登録有形文化財「渓鬼荘」近くにあり、道路元標の処まで行く事に問題はありませんでした。寡聞にして吉井勇なる人の事は何も知らないのですが、ググってみると近代の歌人で3ヶ月ばかりここ猪野々の地で隠遁生活を送ったのだとか、3ヶ月引き籠っただけで立派なハコモノが建つのでしょうか、ちなみに漫画家のやなせたかしの父方の実家もここ在所村。そんな事より「道路元標」ですが○○村がなくて「道路元標」としかなく、形状も省令に準じたものが破損してこうなったとも思えません、場所的に本来の位置から移設されたものでしょうが、とにかく「道路元標」と主張しているので「在所村道路元標」だと云う事に。在所村は1961年に合併に拠り廃止されています。
 在所村道路元標を後に国道は避けて物部川右岸の県道他を次いで土佐山田駅へと向かいます。先日の神通川程ではありませんが河岸段丘が発達している事と流れ込む支流の為に下り基調とは云え細かなアップダウンが続きます、左岸側には美良布村道路元標がありますが2008年4月に履修済、「アンパンマンミュージアム」とかもありますけど、あのキャラクタが好きでないんで。
 物部川は杉田ダムのダム湖となり、県道はサイクリングコースになっている様でブルーラインが引かれています。
 ところで「旅行支援」のクーポンですが使う機会もなく走ってきたので、土佐山田の街中に入った処でローソンで消費する事に、お陰で高松までの車中は豪勢に。コンビニで使えるのも便利ですがそれもなんだかなぁ…
 1510 土佐山田駅着、セブイレに母屋を取られた土佐山田駅。次の上り普通列車は 1630 と云っても1日5本ですが、のんびりしっかり輪行支度を。
 土佐山田駅2,3番ホーム、左がこれから乗車する 1630発琴平行、右は窪川行き。

 車中よりスイッチバッグの新改駅、左側が駅ホーム、右側が阿波池田方面への本線です。豊永駅を出ると乗客は2人に坪尻駅は通過して 1922 琴平着、15分待ちで高松行きに乗り継ぎます。
 高松 2033着、乗車4時間3分2,790円也。明日は高松港から小豆島に渡りますので、駅から比較的近い宿をとってあって輪行状態のまま移動します。
 本日の走行77.4キロ、高知まで行ってなんだかなぁと云うコース設定でしたが、道路元標2基に歴史ある街道の峠を越える事ができたので良かったかな、高知市街まで戻ると100キロ前後になるでしょうが、高知に住んでいたらなかなか良いコースかと。

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2023年春 18きっぷ輪行旅「四国へ」1日目

極め付きの秘境駅 土讃線 坪尻駅

 「青春18きっぷ」の有効期限が迫ってきているのに、一昨日の雨で予定が狂ってしまった訳ですが… そこで往路だけ利用して泊りで高知へ向かう案が浮上、高知県は貧乏人には厄介な処でして2018年3月に「四国の右下ツーリング」で自走して以来暫く行けていません。
 未収の道路元標がまだ7基(左図赤色)残っていて四万十川とか足摺方面は無理としても高知市周辺の2 基はやっつけておきたい処。その高知市すら「18きっぷ」で行くには土讃線の琴平~土佐山田間がボトルネックになっていて、その日の内に辿り着けるのは桜井0759→高知1904(所要11時間5分)と桜井1013→高知2027(所要10時間14分)しかなく、移動だけで一日終わってしまうのです、そして勤務明けからのスタートでは桜井1013発と云う事になります。
 桜井1013→1041奈良1045→1137大阪11:45→1248姫路13:05→124相生13:32→1438岡山1442→1520坂出15:30→1543多度津15:59→1706阿波池田1748→2027高知
 ところがこのスケジュールにはリスクがあります、岡山での乗換時間が4分、2番ホームから8番ホーム、この時間帯ならそうは混んでいないのですが輪行袋を抱えての移動です、万が一東海道山陽本線が遅れると先がないのですが、岡山から1本後のマリンライナーに乗れば、坂出、多度津と乗継、琴平から阿波池田まで特急「南風17号」に1,200円(乗車券と50キロ未満の特定特急料金)払って乗れば、阿波池田で1748発の高知行きに追いつく事ができるのです、と云う事で9日夜の高知の宿を確保する事に、もちろん「旅行支援」の対象になる様に。機材はerbaロード、コース的に延陽伯号やデモン太では辛いしロードは輪行楽ですからね。
 さて1日目は先日の高山同様、自転車担いでの移動だけで終わってしまいます、本日の走行は通勤の6.5キロのみ。桜井1013発奈良行きに乗車、順調に駒を進めて岡山1442発「快速マリンライナー39号」に乗車、津山線のホームに停まっていた国鉄色のキハ40の写真を撮る余裕も、臨時の「夜桜号」とか、1両はラッピング車両で1両は国鉄色とはJRも抜け目がない様で。
 瀬戸大橋を渡り、昨年9月以来の四国、坂出、多度津と乗り換えます。
 土讃線に入りスイッチバックの秘境駅「坪尻」、飯田線の田本駅同様徒歩で山道を行かないと外へは出られません、それでも下車する鉄な人が何人か、10分後に来る上りで折り返すのですよね。
 普通列車の車両はJR四国になってから作られた1000系に置き換わっている様です、ホーム高さの関係もあるので西の方に行くとまだステップのあるキハ32とかキハ54が頑張っているのかな。JR四国ってホームが低いので輪行袋を担いで乗り降りする時には要注意です、気を付けないと降りるときにエンドやリアディレーラーをぶつけたりします。トイレなしロングシートのキハ32に何時間も乗せられていた頃を思えば、1000系なら輪行袋を置く場所も今はトイレもあるので助かりますが。
 予定通り来たので阿波池田で42分待ち、未明に職場で早い朝食を摂ってからまともに食べていませんので、数分歩いてスーパーマーケットまで往復、駅横にセブイレがあるのですが、品数が知れていますし(それにセブイレ嫌い)、阿波池田ってスーパーも2軒あってコーナンもダイソーもあるのです。
 大歩危、小歩危と停まりながらもう一つのスイッチバック駅「新改」を過ぎる頃にはすっかり陽が落ちてしまいました。2027 高知着、輪行支度を解くのは明朝にして輪行袋を担いで宿まで、遅々に車内で食べた弁当が効いているので外食するのは止めて、早々に休む事に、10時間14分 7,410円分乗車、王寺~佐賀の17時間59分には及びませんが充分くたびれました、明日は走るぞ。

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2023年春 18きっぷ輪行旅「和田山~播磨新宮」

兵庫県朝来市和田山町にて

 今回は兵庫県で残している道路元標2基と酷道と呼ばれた国道429号線の未踏区間の内、朝来市と宍粟市の間の山越え部分を走る事にします、走行距離が100キロ近いのと山越えがあるので 機材は erbaロードで。
 奈良0522発京都行に乗車するために20キロ余りを自走、近畿北部や西部に向かう時は大阪駅や京都駅といったターミナルを経由する事になり、平日ですとどうしても桜井始発では通勤時間帯に重なってしまうのです、京都駅などは混んでいると奈良線から山陰本線への乗り換えは大変です。
 さて暗い中、上街道を奈良に向かって走ってますと、スマホを忘れてきている事に気が付きます、引き返して桜井からの始発に乗る事もできますが、財布やGPS代わりに使っている前のスマホ Galaxy S5 Active とモバイルルーターがありますのでインターネットへのアクセスも可能、できない事は電話と電子決済位、と云う事でこのまま先へと進む事にします。
 奈良駅から輪行、京都、園部と乗り継ぎます、平日ですので鍼灸大学前までは混みますね。0927 和田山着、ポカポカ陽気の駅前で輪行支度を解きます。


 和田山から円山川と播但線に沿って新井駅の先まで南下しますが、今日も向かい風なんですよ。円山川べりの桜は満開、今年の気の早い桜、例年なら「18きっぷ」のシーズンが済んでからも、奈良で標高の高い処なら撮る機会はあるのですが、今年はネェ、せっかくの機会ですのでここで「自撮り」を。

 播但線もタイミング良く上り下りとやってきます。上と左の写真、バッグの桜の咲いている山頂は雲海で有名な竹田城です。結局そんなこんな国道429号に入るまでに時間を食ってしまいましたが、道の駅「あさご」でお昼にして向かいのコンビニで補給を。
 さて国道429号に入ります、倉敷から津山を経て福知山に至る国道、元々は倉敷と津山を結ぶ国道だったのが平成5年になって幾つかの府県道を昇格させて429号としたもの、山越え区間は結構「酷道」でした。国道422 号や425 号もそうですが、私はこの手の国道をあみたくじの「あみだ国道」と呼んでますけど。

 ほぼ二車線化された道が続き神子畑選鉱場跡へと続きます、神子畑選鉱場は昭和62年に閉山した明延鉱山の選鉱場で、東洋一の規模だったとか、「一円電車」として知られた明神電車の車両の他に「鉱石の道神子畑交流館」とか外国人技師の旧居とか見学もできるみたいで、平日ですが春休みかして車で立ち寄る家族連れも見られますが、先も長いので少し休憩しただけで出発する事に。
 案の定、選鉱場跡を出ると登りが始まります、標高580m近くまで上り笠杉トンネル(516m)を抜けて宍粟市へ、標高差300m程の長いダウンヒルの後、一宮町三方まで下った処でR429と別れ県道6号養父宍粟線へ、この先揖保川に沿って更に10キロ程下ってR29となりますが、下り基調と云え向かい風に苦しめられる事に。

 揖保川に沿って下り、宍粟郡の河東村道路元標(現 宍粟市)と揖保郡香島村(たつの市を回ります。藤原勝永著「兵庫県の道路元標」には掲載されていたものの 2007年4月に大黒屋さんと回った際に見つけられなかった揖保郡の香島村道路元標(たつの市)を回り本日の予定終了。この先川沿いに山陽本線竜野駅か網干駅まで走れば楽に帰れるのですがもう向かい風は結構、姫新線播磨新宮駅へ向かいます。
 国道を避けて走っていたので、最後はこんな吊り橋「東山公園橋」を渡ることに。あとからSNSで教えて貰ったのですが揖保川沿いには「与位の洞門」と云うのがあるそうなんです、残念、下調べ不足でした。

 播磨新宮駅に到着、10何年来ですが立派な橋上駅になっています、ベンチ、トイレ、エレベーターと輪行支度をするには持ってこいの駅に。多くの列車がこの駅で乗り継ぐ運用で左は佐用行きの単行、右は姫路行きの2両編成。

奈良0522→0622京都0637→0721園部0725→0927和田山
播磨新宮1811→1842姫路1856→1958 大阪2012→2110奈良2117→2148桜井 

本日の走行99.1キロ(奈良駅までの自走20キロを含む)

本日の収穫
【1143】 2023/4/4 兵庫県 宍粟郡 河東村(現 宍粟市)
【1144】 2023/4/4 兵庫県 揖保郡 香島村(現 たつの市)

2023年春 18きっぷ輪行旅「高山~富山」2日目前半

高山本線 飛騨細川~角川間 国道360号旧道

 リタイア後現職に就いてからは習慣で用があろうとあるまいと疲れていようと、とにかく4時には目が覚めます、用のない時に二度寝ができる時は至福の幸せです。
 さて明るくなってきた頃に下りて延陽伯号の組み立てを済ませておきます。宿泊プランに朝食は入ってませんでしたが、バイキングでほぼクーポンの残りで間に合うのでここで朝食を頂く事に、先月の熊谷の時の様に朝飯前に道路元標へと云うのにはちょっと遠いです。

 チェックインを済ませて市街を一回りして一旦高山駅へ。
 2016年秋にリニューアルした高山駅、ずいぶんとモダンな建物になったものです。外観とかモニュメントがあったりとか工夫をしている様ですが、全国どこへ行っても同じ様な駅が増えましたね。
 まずは大野郡の上枝(ほずえ)村道路元標へ、高山駅の富山側の隣駅上枝駅とはかなり離れていて、かつての役場跡の公園に保存されています。しかし「ほずえ」って超難読地名ですね。

 高山市街には戻らず、宮川の支流川上川と高山本線に沿って飛騨古川へ向かいます、遠くに冠雪のアルプスが見えて、明日への期待も膨らみます。ところで富山~高山のメインルートは国道41号線(いわゆる越中東街道)ですが、旧古川町と旧神岡町の間で数河(すごう)峠(896m)を越えなければなりません、猪谷まで国道360号(越中西街道)を経由すると宮川沿いの下り基調の道、今後改良が進めば走りやすくなって交通量が増えるかも知れませんが、神岡に用がなければわざわざ41号を通る事もないですよね。
 飛騨古川の街に立ち寄ります。この先富山平野に下るまでコンビニの類はありません。

 造り酒屋の白壁、良い香りがしてきます。

 国道41号と別れ国道360号へ入ります、再び合流する猪谷まで高山本線と宮川を縫う様に走り「鉄」な人間には魅力的なコースです、高山本線の時刻を見てみると上りの「ひだ8号」がやってくるので待ってみます。
 野口トンネルの手前、スノーシェッドの間から旧道区間が残っているので迷わずそちらへ、なかなかの「自撮り」ポイント、車に邪魔される心配もなく下りの「ひだ7号」もまもなくやってきます、横長のヘッダー用に合成を前提に準備します。この場所ですが新緑や紅葉の季節にも来てみたいですね。

 この後も撮影ポイントには事欠きません、現道との合流手前にはアンダートラス橋もあります、写真は(左)角川~坂上間、(右)坂上~打保間。
 坂上~打保間にある旧道区間、新道は対岸(左岸)に渡り2つのトンネルを抜け正面に見える宮川新大橋でこちら側に戻ります。冬季通行止で結構荒れています。
 種蔵打保バイパスの開通でこんな立派な道が車は入って来れない旧道区間になってしまっています(写真左)。打保(うつぼ)駅近くで小休止の後 1343 には岐阜富山県境を越えます(写真右)。

【1142】岐阜県 大野郡 上枝村(現 高山市)

1日目 2日目前半 2日目後半 3日目

自転車抜きで金沢へ


浅野川べりから白山を望む

 「18きっぷの旅」今日は自転車抜きで金沢市内に残る道路元標蒐集に向かいます。桜井0622→0650奈良0654→0753京都0819→0950敦賀0953→1050福井1113→1242金沢、乗継時間を含めて6時間20分の旅、特急だと9時過ぎには着くのですがね。
 金沢で北陸鉄道浅野川線へ、昔雪掻きに通ったりした懐かしい路線です。かつては元京王300系だった8000系一色だったのですが、元東京メトロ03系への置き換えが始まっている様です。

 浅野川線蚊爪駅で下車し「石川郡潟津村」、「河北郡川北村」と回り、三ツ屋駅から七ツ屋駅まで移動して「石川郡戸板村」、歩いて金沢駅まで戻ります、浅野川ってかつての石川郡と河北郡の境界になっていたのですね。
 「石川郡戸板村」は2015年4月に探しに向かったのですが戸板公民館の移転準備で行方知れずになっていたのですが、安倍晋三元首相の書になる「戸板の碑」の傍に再建されています。桜井まで18きっぷだけで戻るには1641が最終になり滞在可能な時間は3時間59分、金沢市域には後「石川郡富樫村」が残っているのですが、今日は時間的に間に合わないので次の機会に。金沢駅は平日にも関わらず観光客で大変な人です、金沢発祥のB級グルメ「ゴーゴーカレー」を食って帰途に。今日の歩数は20,207歩、自転車よりくたびれました。

【1139】 石川県 石川郡 潟津村(現 金沢市)
【1140】 石川県 河北郡 川北村(現 金沢市)
【1141】 石川県 石川郡 戸板村(現 金沢市)

10年ぶりの関東遠征 4日目

 4日目は長野駅近くで宿を取って、天気が良ければ午前中だけでも近くで残っている未収の道路元標をと考えていたのですが、予報通りに朝から雨と云う事で、ちょっと勿体無い気もしますが早々に長野を後にし帰途に就く事に。

 乗り鉄の人にはお馴染みの姨捨駅から「日本三大車窓」の展望、後2つは北海道の「狩勝峠」と九州の「矢岳越」、後者は何度か通ってますが、前者は未体験。
 塩尻で中津川行に、予報通り降ってます、この先名古屋からも近鉄は使わず「18きっぷ」のまま亀山経由で帰ります。行きに贅沢しましたからね。

 帰りも名古屋駅で「きしめん」、お昼とあって待たなければならない位混んでいますが、最初から行程に織り込み済みですので。
 長野0631→0811塩尻0816→1028中津川1049→1213名古屋1307→1409亀山1414→1535加茂1539→1554奈良1558→1627桜井 9時間56分(待ち1時間33分)の旅 6,930円分乗車
 結局の処、10年ぶりの関東遠征は「轍」さんと「合田佐和子展」は別にしても、道路元標に関しては準備不足が響いて19基止まり、上手くすれば30基近くは回れた様な。埼玉県には兵庫県、福島県、新潟県に続いて多い約173基の道路元標が現存するとされるのですが、今回を含めて27基(図中赤丸)とはまだまだ先が長いです。夏に熊谷なんて行きたくないし今シーズンにでもリベンジしたい処なんですけどね。

1日目 2日目 3日目 4日目

10年ぶりの関東遠征 3日目

熊谷の旧中仙道の石碑(国道17号鎌倉町交差点北西角)

 熊谷では駅前の朝食サービスのビジホだったので朝飯前に熊谷市道路元標まで往復、チェックアウト後に改めてスタート。今日は午前中に熊谷周辺の道路元標を回ってから北上、利根川を渡って伊勢崎から前橋方面へと群馬県下の道路元標を拾いながら新前橋駅まで走り、越後川口経由で長野まで輪行の予定なんです。

 チェックアウト後、早速熊谷近辺の道路元標を、荒川左岸側で太井村、 久下村を巡り久下橋で右岸へ、荒川堤はなかなかのロケーションなのですが、残念ながら今回は「自撮り」の準備はしてきていません。

 右岸側で市田村、吉見村、吉岡村、御正村と4基、熊谷市域には違いないのですが、ちょっと深追いしすぎたかな、しかし埋まったままのが多いです。熊谷大橋で再び右岸側へ戻り玉井村、別府村(写真右)を回った処で気になっていたリアのマッドガード付近からの異音を点検、緩んでいるだけなのですが、キャリアが邪魔をして頭がボールポイントでないアーレンキーで上手く回りらず、タイヤを外したりと結構手こずります。この時点で時間が押してきていて、やはり午前中の深追いが響いたかな。

 そして昨夜の宿では埼玉県内で使える旅行支援のクーポン2,000円にデジタルクーポン1,000円、都合3,000円分を貰っているので、使わないと勿体無い話、どこか適当に食事でも取れればと考えていたのですが。結局ここで群馬県入りは諦めて籠原駅へ戻る事に。

 なにやら使い方の良く判らないデジタルクーポンは諦めて駅近くのスーパーで弁当やらお菓子を買って2,000円分消化。ところで籠原駅って関西人にはあまり馴染みがありませんよね、高崎線にある駅で車両基地があり湘南新宿ライン等の列車の起点になっていて、熱海や小田原辺りでは籠原行きを見かけます、関西では日根野って感じかな、違うかな。
 籠原1446→1518高崎1528→1538新前橋1542→1636水上1642→1817越後川口1829→十日町→戸狩野沢温泉→豊野→2129長野、新前橋が籠原乗車になって乗換2回に1時間余分な6時間44分の鉄旅。清水トンネルを抜けると雪国、写真は越後川口駅にて、ここから飯山線に乗車するのは2008年以来かな、久しぶりのディーゼルカーの音と振動が心地よいです。なお豊野〜長野間はしなの鉄道北しなの線(旧信越本線)になったので別途260円が必要です、七尾線金沢〜津幡間の様な特例はないのです。
 さて長野駅近くのビジホにチェックインしたのは良いのですが、昨夜の宿にUSBコンセントを忘れて来た様なんです、ダイソーなら200円か300円で買えるものがコンビニだと千数百円、昨日なら埼玉県のクーポンが使えたのに、無駄な出費が。本日の走行46.9キロ。

【1128】 埼玉県 熊谷市
【1129】 埼玉県 北埼玉郡 太井村(現 熊谷市)
【1130】 埼玉県 大里郡 久下村(現 熊谷市)
【1131】 埼玉県 大里郡 市田村(現 熊谷市)
【1132】 埼玉県 大里郡 吉見村(現 熊谷市)
【1133】 埼玉県 大里郡 吉岡村(現 熊谷市)
【1134】 埼玉県 大里郡 御正村(現 熊谷市)
【1135】 埼玉県 大里郡 大麻生村(現 熊谷市)
【1136】 埼玉県 大里郡 三尻村(現 熊谷市)
【1137】 埼玉県 大里郡 玉井村(現 熊谷市)
【1138】 埼玉県 大里郡 別府村((現 熊谷市)

1日目 2日目 3日目 4日目

10年ぶりの関東遠征 2日目


  2日目の今日は新宿まで輪行、淀橋町道路元標を経て三鷹へ走り「合田佐和子展」を観たあと、埼玉県下に残る道路元標を巡りながら熊谷まで走る予定です。昨夜から齋藤家が営む成城の「一宮庵」一宿一飯のお世話になりました。最初は新宿駅で近くのビジホにでも泊まるつもりだったのですが、昨夜「轍」でご一緒し、今朝は早朝から輪行で正丸峠へ向かうと云う事ですので気兼ねなくお世話になる事にしました。

 始発ではないものの暗いうちからのスタート、成城学園駅にて。齋藤さん、ヘッド抜き輪行も手慣れたものです。
 池袋から西武で正丸峠へ向かう齋藤さんと新宿までご一緒します、ニッカホースがお揃なんです。ニッカホースは実質的にハリソン愛用者が多いので、珍しくもないのですが。再会を約束して新宿駅でお別れし西口へ。

 新宿駅西口、早朝とは云え騒がしい事、週末ですもんね。できる事なら輪行仕舞はしたくないロケーションです。

 新宿駅西口からなら自転車ですぐの処に残る東京府豊多摩郡淀橋町道路元標、頭部が欠損していて「淀橋町道」の部分が読み取れませんが、否定すべき理由もありません。裏面には「東京府」とあり、昭和18年に東京府と東京市が再編成され東京都となっています。日本橋の日本国道路元標や東京市道路元標を除けば現在の東京23区内に残る唯一のもので、この場所に残ったのは奇跡的だと云えます。

 青梅街道を西へ、荻窪からは中央線沿いに行けば良いのですが、線路沿いに道が繋がっていなくて結構手こずります。それでも9時過ぎには三鷹駅前、開場まで2時間もありますが時間を潰しながら早めのお昼をどこかで頂いてから向かう事にします。
 11時前に三鷹駅前の商業施設の5階にあるギャラリーに行ったのですが、なんと10時から開場していた様で、1時間も時間を無駄にしてしまいました。2016年に亡くなられた合田佐和子さん、50年近く前に東京写真大学(現東京工芸大学)のワークショップでご一緒したのですが、私が好きな初期の作品の中でも世田谷のご自宅で拝見した「探偵」(1972)に再会するのが目的でした、現在は合田さんの出身地である高知県の県立美術館が所蔵しているとの事ですが、今回の展覧会を偶然に知ったのは虫の知らせだった様な。


 当時のアサヒカメラ誌に細江英公先生が撮影した合田さんが作品「祖父母たち」の前に立つ写真があったのですが、よろしく「探偵」の前でセルフポートレートを撮りたかったのですが、残念ながら叶いませんでした。
 今回の関東遠征の3つ目のミッションは道路元標、今日は三鷹から熊谷まで走りながら埼玉県の道路元標を少しでもと回ろうと云う魂胆でまずは志木市に残る白子村道路元標へ向かいますが、不案内な上に信号と車の多い中では前に進みません。それでもせっかくですから荒サイを少し走ります。


 どうにか日没まで新規7基と移転した桶川町道路元標、いわゆる大正道路元標とは様式の異なる石戸村道路元標(写真右側)まで走った頃で日没ダイムアウト、熊谷まで真っすぐ走っても後4基は回ることができたのですがネェ。慣れない Ride with GPS にウェイポイントを落としておいたのですが、これが手間取る結果に、準備不足でした。
暗くなったR17をひた走り、予定の20時には熊谷の宿に無事到着、走行92キロ。

【1120】 東京府 豊多摩郡 淀橋町(現 東京都)
【1121】 埼玉県 北足立郡 白子村(現 和光市)
【1122】 埼玉県 入間郡 宗岡村(現 志木市)
【1123】 埼玉県 北足立郡 志木町(現 志木市)
【1124】 埼玉県 入間郡 南畑村(現 富士見市)
【1125】 埼玉県 入間郡 古谷村(現 川越市)
【1126】 埼玉県 北足立郡 平方村(現 上尾市)
【1127】 埼玉県 北足立郡 川田谷村(現 桶川市)
【番外】埼玉県 石戸村道路元標

1日目 2日目 3日目 4日目

「石川ポタ」と「第九」のダブルヘッダー (前半)

 今日は年末恒例、21回目を迎える「石川ポタ」が1週繰上げとなったため勤務明けに加えて「やまとたかだの第九」と重なってしまいました。一旦「石川ポタ」は諦めたのですが、何事もなく仮眠ができれば、集合場所の柏原市役所前には向かわずに通称「OHCHOの森」へ直行し、皆さんの作るお昼をつまみ食いして、速攻で帰れば15時開場16時開演の「やまとたかだの第九」に間に合うと踏んで準備をする事に、お配りするカレンダーだけで結構な嵩になりますので久しぶりのフロント2サイドです。

 結局の処あまり仮眠もできなかったのですが… 橿原市内の勤務先を9時前にスタート、大和高田から当麻寺門前へ。本当は尺土駅前を経由するつもりだったのですが、高田市街で道を勘違いしてまして… せっかくですので当麻寺門前に残る當麻村道路元標の現存確認を。以前は前が駐車スペースの様になっていて車にぶつけられたのか「道」から上が折れて傾いていたのですが、傾きは直されているのですが、頭部が見当たらず「路元標」しか読む事ができません「當麻村」と読めた頭部はどこへ行ったのでしょうか。

 当麻寺門前まで登って来たので竹内へハイキングコースにもなっている道を南下し竹内街道へ出ます。数100m車の多いR166を登らなくてはなりませんが、左側に見える池を過ぎた処から旧道が残っています。なお池の手前の分岐は平石峠への道ですから注意。1020には竹内峠へ、切り下げ前の道(奈良側は階段に)と県界標他が残っています。以前にも書きましたが自転車で峠らしい峠を初めて越えたのがここ、当時は堺市に暮らしていて明日香村の母方の実家へ向かう途中だったかと。

 太子町役場の前を抜けて石川に架かる河南橋で石川右岸に渡ったのが1047、河川敷の石川サイクリングロードを見下ろす事ができますが、ここ通過するのは早くても11時前、今日のメンバーと台数からするとそれより早くなる事はないのでここで待ち構える事にします。
 ところで今回は富田林市のマラソン大会とバッティングしたので日程を繰り上げたのですが、予行演習なのでしょうか何やらスタッフと思しき人や救護車と書かれた車まで出ています、自転車道はいつも通りにロードバイクとかが行きかっています。後で聞いた話では羽曳野市のマラソン大会が実際に行われていたのだとか。写真左 : タックさん。
 1102 UG兄さんと先頭に一行がやってきました。橋の上から撮影した後、追いかけて「OHCHOの森」まで1.5キロ程ですが皆さんと一緒に走る事ができました。初参加のきんなん君(右)と大怪我から復帰して、平坦路を軽くなら走れるまで回復したもりやすさん(左)。

 「OHCHOの森」に着くまでには先頭にでる事ができました。
(後半に続く)

 集合写真を含む大きなサイズの画像を順次うちのHP「サイクリングの記録」にUPしています、一部バクローさん他の写真を拝借しています。なお私の写真に関して参加された方は再利用して頂いて結構です、なお認証が必要です、ログインは’2023’、パスワードは2023年版「CanCan謹製卓上カレンダー」の裏表紙右下の黄枠内の4桁の数字です、来年3月頃までは2022年のログインとパスワードの組み合わせも使用可能です。なおスマホのSNSアプリ等からリンクをたどると401エラーが出る事があります、Crome等ブラウザで開いて下さい。

2022年9月のまとめ

 9月の走行は455.4キロ、内訳はasuka 172.8キロ、démonta 237.9キロ、erba 44.7キロ、2022年累計は4831.0キロ。

 赤線は9月に走行した区間、青線は8月以前。

道路元標

【1117】 2022/9/9 広島県 御調郡 中庄村(現 尾道市)
【1118】 2022/9/10 愛媛県 越智郡 桜井町(現 今治市)
【1119】 2022/9/10 香川県 綾歌郡 岡田村(現 丸亀市)

「ゆめしま海道」へ (おまけの2日目)

  予讃線 伊予桜井駅にて

 今日の予定はタイトルの「ゆめしま」とは全く関係なしで、愛媛県と香川県の未修の道路元標を巡って帰途に就く予定なのですが、案の定降ったり止んだりの雨模様に、香川の分は諦めて「シクロの家」の隣の食堂「二葉」(本来は駅弁屋さん)で朝定食を頂いて、のんびりYさんにコーヒーを淹れて貰って8時過ぎにスタート。

 伊予桜井駅までの数キロ、雨雲レーダーを見て、雨雲の間隙を縫って走り出したつもりが、やっぱり降られてしまった。

 愛媛県越智郡の桜井町道路元標があるのは今治市立桜井小学校、敷地内と云っても道路から見える位置に保存?されています。この場所2016年3月に通りすぎているのですよ、2009年まで愛媛県は道路元標が全く現存しない県の一つだったのですが、現在は此処を含めて5基の現存が確認されています。この様に学校敷地内に逃げ込まれてしまう?例は多いのですが、そうなると一般人の目に触れにくくなってしまいます。道路元標が設置された時代の地方自治体としての町村は少なくとも小学校の一学級が構成できる人口規模(交通手段をも考慮)であったとする考えがあり、郵便局や駐在所も同様ではと類推できます、つまり村長さんと校長先生と局長さんと駐在さんの世界、そして昭和や平成の大合併を経た後も、旧町村名を冠した小学校、郵便局、駐在所が多く残っています。また昭和27年施行の新道路法で法的根拠がなくなり行き場を失なった道路元標が旧町村名を同じくしていた事で、それらの敷地に移された例が多いのです。大正道路元標が測距の基準であった事には違いないのですが、マイルストーンであった明治里程標とは異なり、シンボルになり得たと云うのが持論です。

 現在は無人駅となった伊予桜井駅、大正から昭和へと国鉄予讃本線が西へ向かって延伸する中で、1923年(大正12年)12月21日から翌1924年(大正13年)2月11日までの僅かの間、予讃線の終点でした。

 降ったり止んだりのお天気、10キロにも届かない僅かな距離を走っただけで伊予桜井駅から帰途に就くしかなく、のんびりと輪行支度を始め1115発の高松行きに。2両編成と思いきや、後ろの車両は回送車両、前の1両は立っている人がいてほぼ満員、おまけにトイレなし車両を延々何時間も走らせると云うアコモ化に逆行するJR四国の普通列車、特急列車の方が本数が多いので結果的に抜かされる毎に長い停車時間となっている訳ですが、お腹の弛い人に四国は「18きっぷ」輪行旅はお勧めできません。幸い新居浜辺りから座る事ができウトウトしていて暑さに眼を醒ますと、青い空に青い海!ここは何処?箕浦駅! 当初下車予定の観音寺の手前やないですか、今からでも下車して岡田村道路元標を回って桜井まで帰れるかどうかと今後の天気を調べます、鶴橋から近鉄経由ですが帰る事ができますし、お天気は16時過ぎまで大丈夫そうなので、観音寺駅下車決定。

 輪行支度を解いて13時半には再び走り出します、この辺りデモンタブルの機動力、ロードバイクでも輪行は楽ですが、ホイールを掴む事なくできますから雨天走行の後でも手を汚しません。コースは丸亀琴平観音寺自転車道いわゆる土器川自転車道をなぞるのですが、観音寺側からだと財田川沿いに遡上しR377で丸亀側に越えて土器川左岸を下る約36キロ、せっかくですので自転車道の起点(終点)を目指しましたが、何の案内もありません。とにかく地図を見ながら自転車道らしき処を走って行きます。

 金比羅五街道の一つである伊予土佐街道、現在のR377で三豊市と仲多度郡の境界伊予見峠(162m)を越えますが、自転車道として整備されてはいませんし、ただ車の多い国道をだらだらと登らされます。

 土器川近くまで下った処で、自転車道のルートから離れて岡田村道路元標へ、1119基目今回のミッションを果たす事ができました。

 飯野山(讃岐富士を見上げながら土器川べりの自転車道へ戻ります、こちら側は財田川沿いに比べると利用者はある様です。丸亀駅まで走る予定でしたが、もう少し頑張って坂出駅まで走れば乗換を1回パスできます、幸い雨雲に追い付かれる事もなく坂出駅へ。

 坂出駅では「CYCLE PIT」なる案内がありました、改札口のあるコンコースを挟んで反対側(高松側)でサイクルラックがあるだけで、おまけに空調の排気ダクトの真ん前、これは配慮されていると云う感じではありませんね。

 坂出駅1754発に乗車、もう1時間早ければ「18きっぷ」だけで桜井まで帰る事ができたのですが、スタートが遅かったので仕方ありませんね。

 岡山駅で姫路行普通まで45分待ち、山陽本線、伯備線、津山線、吉備線と旧国鉄時代の車両がまだまだ活躍しています、復活した国鉄色「やくも」ですが2024年春には381系引退と云う事で鉄ちゃんの姿が…
 22時前には大阪へと戻ってきましたが、JR、阪急、近鉄でダイヤが乱れていた影響が、ともあれ日付が変わる直前に桜井に辿りつく事が、さすがもう輪行支度を解く事はせず転がしたり担いだりしながら帰ってきました。本日の走行55.8キロ。

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

「ゆめしま海道」へ (1日目 後半)

岩城島を後に

 小漕港を後に岩城島を反時計回りに走ります、上島町では防波堤アートなるものが行われているのですが、生名島では気付かずに通りすぎてしまい、岩城島では見つけたもの10mあるかないかのものでちょっと物足りなくて残念。

 岩城港から今治港への芸予汽船は7往復/日運航されているのですが、自転車を載せられない便があって、次に利用できるのは1620発、充分過ぎる時間があって「自撮り」の準備もあるのですが、良さげなポイントも見つけられずに14時前には岩城港に着いてしまい、こんな事なら午前中に弓削島を一周しておけば良かったなと考えつつ岩城島を一周して岩城橋まで戻ってきました。

 GoogelMapによると何やら「ゆめしま海道開通記念モニュメント」なるものがあるとの事ですので、岩城橋の下をくぐって海岸線に。

 新しく開通した岩城橋をバッグにモニュメントがありますが、上の2枚の写真の反対側から見ると草むらの中でなんとも殺風景な事になっています。ここには島を巡る県道とは別に岩城港への道が続いていますが何の案内もありません、「しまなみ」や「とびしま」の向こうをはって「ゆめしま海道」と謳っているのですから、この僅かな区間だけでも海岸に沿って自転車道と四阿くらい整備してもバチは当たらないと思いますけどね。将来的にも生口島と橋で繋がり「しまなみ」側からのアクセスが良くなったとしても、今のままでは橋と橋の間の通過されるだけの島になってしまいますよ。

 再び岩城港へ戻ってきました。岩城港務所(岩城観光センター)内には乗船券売り場に待合室、土産物売場、軽食喫茶があり、出発まで過ごす事にし「レモンポーク丼」を頂きます、青いレモンの島がキャッチフレーズに、今治の「焼豚玉子飯」をアレンジしたのでしょうか、しかしキャベツの食感がいけません。

 さて1620発今治行きがやって来ました、ベンチにカメラを置いて安直に「自撮り」を。この芸予汽船は因島土生港から生名島、弓削島、佐島、岩城島、伯方島木浦港、大島友浦港に立ち寄りながら今治港までを1時間10~20分程で結んでいます。運賃は今回の乗船した岩城港~今治港間で1.360円、自転車は区間にかかわらず一律580円ですが、現在上島町への航路へは小さな用紙に必要事項を記入して乗船券と一緒に渡すと自転車の料金が免除されます。自転車は後部デッキに載せられますが、潮を被ったりする事もありますし結構荒っぽいです、フェリーの車両甲板の様にロープで固定してくれるのかと思いきや、たまたまでしょうが倒れない様にペール缶で押さえつけられてました、なお航行中はデッキへは行けません。その割りに乗り場にはクリート付きのシューズで乗船するななんて厳しい事も書いてあります。
 港をでると凄い加速で「ゆめしま海道」を後に、2度目の「ゆめしま」辛口の内容になってしまいましたが、因島が対岸近くだけに造船所のクレーンばかりが目立って、ひなびた感では「とびしま」に及びませんし、御手洗地区の様な見処にも欠けます。今のままではリピーターが来ないでしょうね…
 と云いながら次の機会には因島東岸を走って今回取りこぼした弓削島外回りを走り、佐島の「汐見の家」にでも泊まるのも良いかなと、来春まで「かみじま応援割」をやっているそうですし。緑色は過去に赤色は今回走行コース。

2016年1月に走った大島東岸の険しい道や亀老山を見上げ来島海峡を渡るともう今治港です。港から市街を抜けて今治駅前のゲストハウス「シクロの家」へ。


 「シクロの家」に泊まるのは2016年3月以来、ムラマサ君とは2017年7月の「しまなみキャンプライド」で会っているのですが、その折は今治入りしなかったので。もちろんシャワーがあるのですが、5分程歩けば昔ながらの銭湯「宝来温泉」がありますのでそちらへ。お昼が遅かったのでコンビニでおかずやつまみを買ってきて3人で愉しいプチ宴会。

 他のお客さんもいるのですがミックスドミトリーは私1人の貸しきりでした。本日の走行62.3キロ、気になるのは明日のお天気、愛媛県越智郡の桜井町道路元標と、予讃線で観音寺まで輪行し丸亀琴平観音寺自転車道を走って香川県綾歌郡の岡田村道路元標を経て丸亀駅から帰途に就くだけなのですが…

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

「ゆめしま海道」へ (1日目 前半)


弓削島 法王ヶ原

 今日の予定は因島に残る中庄村道路元標へ立ち寄る以外は、尾道から今治まで適当に「しまなみ海道」を走ればと行き当たりばったり、三原に着くまで何にも考えていませんでした、まぁ何度も走っている「しまなみ」ですからね。
 当初単純にR2を尾道へ戻るつもりでいたのですが、よくよく考えると目の前の三原港から因島へは航路があります。因島重井港まで自転車込みで1,290円は決して安いとは思えませんが、0620発の1便に乗れば因島西岸の重井港まで20分ほど、しかし自転車込みで20分で1,290円は高い、なんと因島土生港まで乗れば1,800円にもなります、またせとうちサイクルーズPASSの割引対象航路にもなっていない様です。

 とにかく一度は乗っておくのもと良いかと… 途中佐木島の鷺港に寄港しますが、あっという間に重井港へ。
 向島を飛ばした処で大して見処がある訳でもありませんし、時間に余裕ができたので今年3月に開通した岩城橋を含めて「ゆめしま海道」4島を走り小漕港から生口島の州江港へ渡る事を考えてみました。

 「しまなみ海道」のブルーラインの引かれた広島県道366号西浦三庄田熊線を少し尾道側へ戻り県道367号中庄重井線へ入り内陸部を走るR317へ。御調郡の中庄村道路元標はこざっぱりとした住宅地の中に残っています、通算1117基目。広島県下の道路元標は現在までに7基が確認されているのですが、今まで2007年、2009年、2015年と足を運んでいます、そうは一気に見つからないだけに大変です。
 R317を因島南岸に出ても朝の通勤時間帯で混んでいるだけですので県道120号中庄土生線の大山トンネルを抜けます、下った処の三差路を右に折れると自転車神社として有名な大山神社、そこを左折して少し登ると弓削島へ渡る家老渡(かろうと)フェリーのりばへ行く事が、結局因島は重井港から家老渡港まで内陸部を横断してしまいました。


 出港直前の家老渡港0820発に滑り込み、自転車込みで180円也、せとうちサイクルーズPASSを持っていれば160円で乗船できます、僅か数分の船の旅ですが「ゆましま海道」の佐島と生名(いきな)島の間に架かる生名橋を望む事ができます。
 弓削島の上弓削港に到着、ここはもう愛媛県です、休憩所とかがあるので小休止。弓削島の東岸を回る事も考えてみたのですが、少々険しそうなのでパス。

 2017年7月の「しまなみキャンプライド」の際にキャンプした法王ヶ原へ立ち寄ります。当時は無料のキャンプ場でしたが、現在は一部が決して安くはない有料のキャンプ場となっている以外はキャンプ禁止だとか。
 弓削大橋を渡り佐島へ。いま「ゆめしま海道」と呼ばれているのは愛媛県越智郡上島町の弓削島、佐島、生名島、岩城島の4島を弓削大橋、生名橋と今年3月に開通した岩城橋によって結ばれたルートですが、本土側とは架橋によっては繋がっていない離島です。

 
 佐島には南端までの道にブルーラインが引かれていて終点が「Uターンブルーライン」として知られる様になったのですが。
 佐島の周回コースから別れて片道3キロほど、幾つかアップダウンがありますが、思っていたより楽に着きましたが、思っていたよりしょうもなかったと云うのが正直な処です、「長磯の浜」と云う静かなビーチがあります。
 佐島西岸から見た生名橋。

 今年3月に開通した岩城橋、歩道がない上に桁上も5%の勾配が、GPSの値で56mまで登らされてます。岩城島は周囲30キロ程の島で北岸の小漕港から生口島の州江港へ、南岸の岩城港から今治港までの航路があります。
 岩城橋を渡り北岸の小漕港へ向かいます、1時間に2~3本の便が出ているのですが、1230発が出た後、この間だけ1時間待ちの1330発、お昼休みなんですねぇ。所要5分対岸の生名島が目の前、州江港に渡れば「しまなみ海道」のルート上で今治まで約40キロ、1時間待って今日はやや向かい風、それに左膝の調子がいまいちと意気消沈。初めての岩城島にせっかく来た事ですし、岩城港まで走って1620発の今治港行きで横着するのも良いかな… (後半につづく)

プロローグ 1日目前半 1日目後半 2日目

芋から壷阪 真夏の遠回り通勤サイク

「高取町道路元標」高取町土佐街道にて

 朝9時にもなると既にかなり暑いのですが、頑張って「遠回り通勤サイク」へ、芋ヶ峠を越えて壷阪峠で帰ってくる、どちらかと云うと冬の定番コースなのですが、登り区間で木陰が多くて、少しは涼しいかと。家庭の事情で交通不便な処へ出かけられないのですが、このコースですと最悪でも最寄り駅まで1時間以内で行けるのですよ。
 写真は明日香村稲渕にて、撮った時には気が付かなかったのですが「案山子ロード」の毎年恒例のジャンボ案山子が既に出来上がっている様です、アップしてみると今年はお地蔵さんの様ですね。
 女綱から行者辻と走り慣れた芋ヶ峠への道を辿ります。
 1021 芋ヶ峠(497m)へ、やはり標高がある分、下界より涼しいです。

 吉野町千股から真っ直ぐ吉野川近くまで下り「和歌山街道(伊勢街道)へ。

 吉野上市郵便局の前で「上市町道路元標」の生存確認。近鉄吉野線の吉野川橋梁を望むローソンで補給の後(写真は2016年4月12日)、上市橋を渡って吉野川左岸の県道39号五條吉野線へ。
 1124 椿橋まで下り右岸に戻ります。

 奥越部から大淀古道へ「安産の滝」でたっぷりマイナスイオンを。
 壷阪峠への道。

 1216 壷阪峠(359m)、高取城址への道が分岐していますが、ずいぶん行ってませんネェ。少し下って壷坂寺と葛城山の展望。
 高取町の古い街並みは土佐街道と呼ばれます「町家の雛祭り」の時を除けば静かなものです。

 飛鳥駅まで来た処でTwitterの通知で今日の「よろづ」のサービスは「ロースとんかつ定食」だと知って、久しぶりに橿原神宮前駅西側の「よろづ」へ、millionさんも初孫ができておじいさんになりました。帰途買い物を済ませて15時過ぎに帰宅、走行49キロ、暑さと峠越えが2つあるだけに距離の割にくたびれました。

結局は GoogleMap か…


明日香村奥山 大官大寺跡にて

 昨日今日と少し暑さが和らいだのか風があったせいかクーラーを使わずに過ごせました、休みだったので早朝から少しでも走ろうかと思いはしたのですが、先日からの「道路元標DB」の改修作業でついつい夜更かしをしてしまい早起きができず、蝉がなきだす時間になるともう出掛ける気が失せてしまいます。いざ走り出すと気持ちが良いのですがネェ… 

 ところで「道路元標DB」の方ですが、「文字」「数値」「日付」と云ったデータは2/3以上整形がすんでインポートができる状況に、なにしろもともとキーのないデータベースと云える代物ではなかったのでユニークなキーがなかっただけに生成するのに結構手間が、市名はともかく町村名って結構同じものがあるのですよね、自治体コードなんてなかった時代のデータですし。その中で新たな発見があったり間違いがあったりしていて、正しい読みを調べてひらがなで打ち込んで「ヘボン式ローマ字変換ツール」で置き換えてWordpress のスラッグにする次第。

 メニューに悩んだ末、今後増える事のないだろう「地方」ー「都道府県」ー「郡」まではカテゴリーにして、必要に応じて固定ページに、「市町村」は投稿ページと云う構成に。ただメニューが… なにしろ兵庫県などは道路元標が発見がされている郡が25もあるので冗長なものになってしまいます。色々なWordpress テーマを試してみたのですが、いずれも画面からはみ出したりスクロールすらできない始末、行き詰まっていたら「MegaMenu」なんて代物のプラグインがあるのですね、今後デザインを合わせる手間はかかりますか、とにかく一件落着。
 「文字」「数値」「日付」を済ませて「画像」はWordpressのディレクトリにFTPで上げてリンクを張り直す訳ですが、ファイル名にある程度規則性があるので大方は勝手に張れると思っているのですが、問題は道路元標の位置を示していた地図。2018年頃でしょうかGoogleMapがAPIの利用に従量課金を発表時した時に逃げ出したので、以来「道路元標」では地図の表示はできなくなっています。SORAさんちの「轍」ならまだしも「道路元標」みたいなコンテンツを覗きにくる人は限られているので28,500回/月以上なんて従量課金のレベルにはとても及ばないのですが、世間は徐々にOSMに流れるでしょうし、なによりゼンリンと縁を切ったGoogleMapの質の低下を見て、もうGoogleMapはないな思っていたのです。ただOSMではWordpressで使えるプラグインがまだまだ充実しているとは云えません、表示までは問題はできるのですが編集まで考えるとなかなか、OSMも地図そのものの内容はまだまだ、マイクロソフトのBingMapsやYahoo地図もゼンリンが絡んでいるだけに魅力的ですがまだまだ環境が整っていません。結局はWordpressでカスタムフィールドを作るプラグイン「Advanced Custom Fields」がGoogleMap用に定義できるフィールドを持っていたのでGoogleMapに舞い戻ってしまう事に。ただ従来のHTMLに埋め込んであった緯度経度を折角抜き出したのに、GoogleMapに読み込ますのには難解極まりない仕様に頭を抱えています。

 そんなこんなで走れない毎日、夕方出勤前に少しだけ遠回りして明日香村経由、畝傍山の夕景を見ながら明朝こそもう少し遠回りして帰ろうかと考えていたら、朝一から4回目のワクチン接種だって、ありゃ。

久しぶりの遠回り通勤ポタ

 異例の早さの梅雨明け宣言の後、台風やら戻り梅雨やらと鬱陶しい天気が続きますね、晴れたら晴れたで「激暑」ですし。「早朝ラン」を考えた日も2度程あったのですが、起きても走り出す気力が… 従って数字が上がるのは距離ではなくて体重の方。
 明日からまた雨が続くと云う事で勤務明けの今日は貴重なお天気「今日走らんでいつ走る」、まずは腹ごしらえと云う事で西へ走り「松のや」へ、11時までの得朝限定メニューとは云えこれで490円ですからね、とんかつフリークには…

 R24を北上して高田のS先生の処に立ち寄ってから葛城川沿いの京奈和自転車道へ、ある程度はと思っていましたがここまで酷いとは、そう何度も草刈りもできないとは思いますが…
 蒸し暑さは昨日よりましな様ですが時間とともに気温が上がってきます。これ以上足を伸ばす気力もなくなってきて、川西町まで北上した処で寺川べりに出て東へ「面塚」から結崎駅の南側で近鉄と京奈和道をくぐって、庵治町でR24を跨いで大和(迫瀬)川べりにでて帰途に就きます。
 薄曇りの天気ですが大和高原や龍門山地の方には雲が沸き立ってきました、12時過ぎはに桜井へ。走行36.7キロ、摂取カロリー>消費カロリーですなぁ、やはりこの季節は「遠回り通勤ポタ」より「早朝ラン」を考えなくては。

遠回り通勤ポタ「サイクルトレインと筋違道」

 ここ暫く左膝と腰の調子が良くありません、軽い痺れと云う感じで我慢できない程でもないのですが… 自転車通勤をやめる訳には行かず、左膝は踏み込むと痛むので、踏み出しは意識して右で、坂道は控えています。先月末の「伊那路ツーリング」は2日で206キロ、今月2日の「いわっし村」は96キロと走ったので、疲れかなと最初は思っていたのですが、もう2週間になります、自分的には「伊那路」の時からサドルが低い様なと思いつつ邪魔臭くてそのまま走っていたのが原因の様な気がするのですが。腰もどちらかと云うと左だしうちのPT(理学療法士)に訊いたら神経系を疑ってみるのも、と云われると左つま先まで痺れてきた様な。来週には松阪~賢島のサイクルトレイン絡みで走りたいのと、来月GW明けに琵琶湖キャンプツーリングを計画しているのですがネェ。しかし体重が80キロを切ると事故に遭ったり故障している様な、お陰で減量プログラムが捗りません。
 さて前置きが長くなりましたが、お天気も良いので勤務明けから軽く平地を流して帰る事にします。先週乗った田原本線の期間限定サイクルトレインが今日最終日ですので、前回とは逆に西田原本から新王寺まで乗車し、いわゆる筋違道で帰ってる事にしました、まず飛鳥川沿いから下ッ道(中街道)へ。

 道路元標は旧街道沿いに残っている事が多いので、下ッ道沿いに走るとも幾つかの道路元標を見る事ができます、気が付けばの話ですが、磯城郡の多村道路元標(写真左)、田原本町道路元標(写真右、かさ上げされているのが判りますね)。

 他所者には迷路の様な田原本の街中を抜けて西田原本駅へ、1014発に乗車します。
 ところで一見他の路線と繋がっていない様に見える近鉄田原本線って、どこから車両の出し入れをしているのか。橿原線の田原本駅と田原本線の西田原本駅の北側、住宅に囲まれる様に渡り線があるんですね、朝夕に通勤通学時間帯のダイヤで田原本線内を走っている編成が増減する折に通過するみたいです。

 今日は私1人(台)かなと思っていたら3両目に御夫婦と思しき2人が、自転車利用は中間の2両目と云う事になっていたと思うのですが、あまり周知されていない様で、ただあまり徹底されると困る事もあるかも。なお新王寺駅は西田原本駅と同様に頭端式(櫛形)ホームなのですが、1線2面で昇降扉が別になるので自転車の昇降がし易いです。
 休日で賑わう駅前を避けて線路沿いを東へ。新王寺駅のある王寺駅からはJR関西本線と和歌山線と近鉄田原本線が東側へ出ているのですが、田原本線は関西本線を跨いで和歌山線との間に出ます、手前の踏切が和歌山線です。
 少し寄り道して菜の花が水面に映える大和川べりに出て昭和橋まで戻り対岸の右岸を走る事にします。北側になる右岸の道は竜田川と富雄川が合流する処で迂回するので少し遠回りになるのですがね。
 右岸を遡り馬場尻橋を渡り寺川左岸に入ります。聖徳太子が法隆寺建立の為に通ったされる筋違道(太子道とも法隆寺街道とも)は多くが失われているのですが、寺川以南三宅町から田原本町にかけてその道筋を辿る事ができます、地図を見ると東西南北に整備された道に対してこの道が斜行している事が良く判ります、それが「筋違」の謂れなのですが。

 三宅町では数少ない観光資源?なのであちこちに案内が整備されています。
 三宅町屏風の杵築神社、門前に磯城郡の三宅村道路元標が。

 田原本町域に入り筋違道は黒田駅の西側で田原本線と交差します。地形図を見ると条里制の名残りを残す奈良盆地の中で斜行する田原本線と寺川水運と筋違道には妙な共通点が見えてきます。
 京奈和自動車道と交差すると都村道路元標(田原本町宮古)が残っています、実はこの十字路の北東角から南東角に最近移転してかさ上げされています、このロケーションまですのでいつまで建っていられるのか心配しているのですが、少なくとも田原本町は道路元標の歴史的価値を認識してくれている様です。最近では住宅の一角にあった高市郡の真菅村道路元標(橿原市)が失われてしまいました。
 残念ながらこの先で筋違道はぷっつりと途切れてしまいます、適当に走ると飛鳥川沿いの自転車道に出てしまいましたので、八木札の辻を経て横大路で帰途に就きました。本日の走行38.9キロ。

伊那路ツーリング 1日目

旧塩尻峠 塩嶺御野立公園展望台より諏訪湖を望む

 今日は4つの長野県下の4つの道路元標を巡りながら飯田市まで南下します。0548 塩尻駅前をスタート、まずは県道63号松本塩尻線を北へ、もろに向い風を受けてその冷たい事、まだまだ信州は寒いです。
 片丘村(現塩尻市)の道路元標へ、これで東筑摩郡で現存が確認されている18基を完了。塩尻市街まで戻るのも何ですのでアルプス展望しののめの道」(東山山麓広域農道)に取り付いて長野自動車道沿いまで南下する事にします。確かに展望は良いのですが、長野道沿いに出てからが大変、高速に沿った一般道は時間的に車が多いわアップダウンはあるわで、これなら塩尻宿から辿った方が楽だった様な。

 0738 みどり湖PAの南側でようやく旧中仙道に(写真左上)、旧中仙道へ入ると歴史ある街道だけに、一里塚やら旧跡が点在していてついつい足が停まります。

 0825 旧塩尻峠(塩嶺峠 1,060m)に到着、峠は旧中仙道と林道塩嶺高ボッチ山線とが交差していて四つ辻になっています、岡谷市側は災害復旧工事のため「終日全面通行止」とありますが、歩行者は通行できますとのですから自転車は通れそうです。

 予定からは時間が推してしまっていますが、少し北側に行けば展望台がありますので寄り道します、展望台に登るまでもなく岡谷側の展望が開けて諏訪湖を望む事ができます、さらに展望台からは塩尻側も、ただ西側は雲がかかっていて展望はいまいち。(写真右)
 9時過ぎには旧塩尻峠を後に、しかし片丘村道路元標に立ち寄っていたとは云え、旧塩尻峠までで3時間も使ってしまったとは。写真は岡谷市街に入る直前の旧中仙道の案内。

 諏訪郡平野村道路元標は旧岡谷市役所庁舎前にあります、村と云う事で周辺町村のものを移設保存したものかと思っていたのですが、平野村は岡谷市の前身そのもので、昭和11年に平野村が市制を施行しています。大正9年の平野村の人口は松本市に次いで県で2番目で長野市、上田市を人口が上回っていたとの事。
 岡谷市川岸の大白橋へ、この先天竜川右岸は行き止まりになっていて左岸側の県道14号下諏訪辰野線を行かなければなりません。

 辰野市に入り相合橋で左岸に、東西橋で再び右岸へ。蛇行する天竜川堤の道を行きます、遠回りになっているかも知れませんが信号もなく国道や県道を走るより快適です、その上追い風に押して貰えて、箕輪町を経て伊那市へ。
 12時過ぎには伊那市街へ、コンビニでお昼を調達して沢渡駅の待合室でお昼にします。

 今日3つ目の赤穂(あかほ)村道路元標はなんと天竜川べりより標高で250m程高い駒ヶ根高原に移設保存されています。

 旧駒ヶ根市役所庁舎が駒ヶ根市郷土館として保存されています、大正時代に赤穂村役場として建てられた建物で、道路元標も一緒に麓から移設された様です。隣接する古民家(重文竹村家)と共に見学が可能ですが月曜は休館日、ただ庭先の道路元標は確認する事が可能です。

 天竜川べりまで適当に下ります、たまたま見つけた疎水沿いの道、夏なら気持ち良さそうな道です。1534 飯島町田切交差点(写真右)、あの「田切地形」の語源となった「田切」ですね。ここでは飯田線もR153も山側へ大きく迂回しています。

 最後の下伊那郡河野村道路元標は天竜川左岸に位置していますので、天王橋を渡り県道18号伊那生田飯田線へ、この県道長野県が推している「Japan Alps Cycling」に指定されている様で、天竜川べりの険しい地形の中を行きます。このルートを取る時は事前に道路状況の確認をしておいた方が良さそうです。
 17時丁度に河野村道路元標に到着、長野県の道路元標の多くは郡名が併記されているのですが、河野村は標準的な様式です。これで本日のミッションは終了、2016年8月に吉野村道路元標からスタートして1,116基目、最近では近場になくなったのでなかなか捗りませんが。近くの道の駅まで移動して今夜の宿を探します、飯田市で前回も停まった民宿?が取れたのですが、飯田市って扇状地の中に発達した町で、場所によって結構登らされます。
 市内で夕食を済ませてから宿に向かう事にしますが、無性に’とんかつ’が食べたくなったので探してみると「かつ禅」が地元で知られた店とか。

 店構えから高野山の「定(てい)」の様な洋食屋さん風なんかと思ったのですが… ロースとんかつ定食1,550円は日頃「松のや」の得朝とんかつ定食を食っている身に安くはないですが100キロ超のご褒美、さすがに地元有名店だけに結構なお味でした。本日の走行118.2キロ。

【1113】 長野府 東筑摩郡 片丘村(現 塩尻市)
【1114】 長野県 諏訪郡 平野村(現 岡谷市)
【1115】 長野県 上伊那郡 赤穂村(現 駒ヶ根市)
【1116】 長野県 下伊那郡 河野村(現 豊丘村)

 1日目 2日目


伊那路ツーリング 前日

中津川駅にて

 明日から信州伊那路を走ります、今日は「青春18きっぷ」を利用して移動の1日です。勤務明けで一旦帰宅し桜井1045発のJR桜井線に乗車し奈良、加茂、亀山、名古屋、中津川と5回の乗換えをこなして塩尻駅まで8時間5分の「18きっぷ」の旅です、ちなみに「18きっぷ」での輪行旅、最長は王寺~佐賀の15時間28分(乗換10回)です。外は最高のお天気で土曜日とあってFacebookにはあちこち走っている様子が上がってきて、移動するだけなのが勿体無いお天気の1日です。
 ところでVIVVAさんは親子で乗り鉄の旅、ただ飯田線が停まっていて豊橋駅で足止めを喰らい塩尻廻りで駒ヶ根へ向かっている様です。浦川~天竜峡間が停まっているとか、ただ明後日の私の予定には影響なさそうです。

 名古屋駅では10分待ちで1445発の中津川行きに乗り継げるのですが、中津川から先がないので、きしめんを食って次の1524発に乗車する事にします。タラの芽と姫竹のてんぷらの入った季節限定「春きしめん」530円也。
 名古屋1524発に乗車、中津川で16分待ちで松本行きに乗り継ぎます、VIVVAさん親子は1本前のスジに乗っているとか、実は昨日は殆ど仮眠できずで車内では殆ど寝ていた様な。明日は朝一に塩尻駅より北よりの東筑摩郡片丘村道路元標に立ち寄る予定ですので、松本泊でも良かったのですが、塩尻駅前の安ホテルが取れたので塩尻泊に、楽天ポイントが貯まっていたので実質無料に。塩尻駅1850着、明朝はさっさと走り出したいので駅前で輪行支度を解いて目の前のビジホへ、本日の走行なんと0.2キロ。幸い自転車はロビーの中へ入れて貰えました。


四国はやめて信州にします

 暫く連休がとれなかったのですが、27日明けから3連休が取れる事が確実になったので、和歌山港まで紀の川沿いを自走しフェリーで徳島に渡って久しぶりに四国を走ろうかと企んでいたのですが…
 なんと南海フェリー(左の写真は2018年3月)、原油高騰のあおりを食って、自転車を輪行袋に入れずにそのまま載せる場合は燃油調整金1,100円が加算されて、4,000円もかかる事に(さらに4/1からは4,200円だとか)、平常時は合計で3,000円未満だったのが… もちろん輪行袋に入れれば2,200円で乗れるのですが、ロードや小径車ならともかくキャンピングではね。海運業界も大変には違いないのでしょうが、自転車に対して燃油調整金の上乗せは、各社取ったり取らなかったりとまちまち、しかし南海フェリーの設定ははちょっと酷すぎ、暫く徳島は遠いです。しかし四国行きは2019年3月2020年10月2021年2月に続いて4回連続で中止と云う事に。
 キャンプなら往路自走で紀伊半島縦断で南紀も考えてみたのですが、一度ケチが付くと気分的に準備が億劫になってきました。今シーズンの「18きっぷ」の旅は諦めていて、いまからヤフオクで落としている日にちもなかったのですが、たまたま25日に大阪へ出た折に金券ショップで残3回分を8,000円でゲット、キャンプではなく宿利用で往復輪行で信州へ向かう事に。1回分余っても日帰りで使うなり売るなりすれば良い事、ちなみに残2回分って6,900円とかなり割高でした。
 さて走るプランだけは引き出しに一杯あります、今回は松本または塩尻スタートで旧塩尻峠を越えて未収の道路元標を拾いながら伊那路を飯田まで南下(青線)、2日目は伊勢神峠を越えて最近現存が確認された愛知県東加茂郡の阿摺村道路元標を経て名鉄猿投駅まで走る案と(緑線)、飯田から長野愛知静岡三県を跨ぐ県道1号飯田富山佐久間線を飯田線東栄駅まで走る案(茶線)を用意しました。お天気には恵まれそうですがただ何れも100キロ超ルートなのは…
 最近は紙の地形図を持つ事もないのですが、2001年9月に秋葉街道を走った時の五万図「時又」「満島」「佐久間」がすんなり出てきたので持って出掛ける事にしました。