「鉄」カテゴリーアーカイブ

自撮りポタが廃線跡巡りに

天理市丹波市(たんばいち)にて
 
 
 今日は結構なお天気なのですが、月曜までにやっておかなければならない用かあるので、早起きして昨日分のブログの更新とお仕事を。 お昼前には片付いたものの、今更何処へも行けないので、連日の「延陽伯」号を駆ってご近所ポタへ。
 例によって上街道を北にとりますが、巻向でR169がJR桜井線と上街道を跨ぐ陸橋に登ってみました、箸墓古墳をバックに上街道を往くのを「自撮り」できないかと思ったのですが、邪魔ものを避け様とすると長玉が要るのと、逆光なので今日は諦めて出直す事に。 真ん中のガレージは1年前までなかったのですがネェ。
 
 続いて昨日の「下見ポタ」で天理市役所の方に教えて頂いた防空壕跡へ、上街道を北上し柳本で少し西へ。 私の小さい頃にはあちこちに防空壕跡なんちゅうもんが残っていて、爆撃の標的にはならなかった明日香村にもあって、芋の貯蔵庫代わりに使われていたりしました。 ここの防空壕は非常にしっかりしたもので、どうやら海軍柳本飛行場の遺物のようです。 ググってみると建設には’朝鮮人強制労働’なんて根拠の怪しい記述が見られますが、いずれにせよ忌まわしい文化遺産の一つです。
  しかしここには案内の一つたりとありません、道路元標しかり、歴史と云えば古代の夢物語ばかりを追って、どうも明治~大正~昭和の遺産には目もくれない様で、勉強不足の日本人はだから何処やらの国に突っ込まれると弱腰なんですよね、閑話休題。
 
 竜王山をバックに狙ってみたかったので柳本界隈をウロウロ、大和神社の南西で良さげなポイントを発見、ガードレールを隠す為、これが唯一無二のフレーミングです。
 
 
 
 大和神社の境内を抜けていつものルートへ戻ります。 昨日、大和神社で頂いた「天理市観光ガイド」を下敷きに、毎週通っているのに、ここに’芭蕉句碑’があるとは知らなんだ「草臥れて 宿かる此や 藤の花」、ツーリストの歌ですね。
 
 丹波市(たんばいち)で「自撮り」をしていたら、なんと3月のサイクの下見で下ッ道~上ッ道を走って来た、大阪のスミだんなと和歌山のにもさんに捕まってしまいます。 この後は天理軽便鉄道の遺構巡りをすると云う事なんで連れてって貰う事に。
 
 まずは近くの市座神社に丹波市町道路元標と上街道に架かっていたと云う石板がありますので立ち寄ります。 巨大な石板の解説はありますが、道路元標については何も記されていません。 
 
 天理軽便鉄道と云っても天理市域にはその遺構は全く残っていないそうで、昨日走ったばかりの道をひたすら西へ、下ッ道の二階堂へ出て、少し北上して再び西へ。
(左上)川西町の県道沿いにある道標。
(右上)西名阪をくぐった処でスミだんなが女性ローディを愛でています、
(左下)安堵町の古い街並みを行きます。
(右下)一同「すてんしょ」と記された道標に萌え~
 
 ようやく天理軽便鉄道の遺構へ、溜池を分断している築堤が素晴らしいです。 この先で富雄川を渡ってJR法隆寺駅南側まで断続的に遺構が残されています。
 
 法隆寺駅でお二人と別れ帰途に就きます。 太子道(筋違道)で帰ろうかとも思ったのですが、結局は大和川沿いで帰る事に、飛鳥葛城自転車道に一旦入り大和中央自転車道を北へ、ここから起点のファミリー公園前までは盲腸みたいな区間で草ぼうぼうだったのですが最近整備された様です。 相変わらず「大和郡山田原本橿原自転車道」と「大和中央自転車道」おまけに「ならくるC-8物部ルート」の案内標識まで並んでいます、まぁ予算の出てる処が違うからなんでしょうね、縦割り行政は自転車道まで、無駄な上に紛らわしい極みですね。
 本日の走行48.0キロ、後4.9キロで今月ようやく700キロ。
 
 
 

道路元標蒐集サイクへ(静岡~愛知編1日目)

大井川鉄道にて元南海21000系 

 

 金曜に続いての道路元標蒐集の旅です。 今シーズンは18きっぷを買ってしまったので、1月10日まで使い切ってしまわないといけないので、どうしてもこの期間に集中してしまうのです。 新春に終わりの2回分使う予定をしているので、今回は1泊2日で静岡~愛知方面に向う事にしました。 静岡県は道路元標の現存が殆ど確認されていない都道府県なのですが、大正14年の県の告示があったのかなかったのか、県報への記載が見つかっていない以上は偶然の発見に頼らざる得ないのです。 榛原郡の下川根村道路元標は大井川鉄道の家山駅から徒歩圏内に残っているので、わざわざ自転車を持って行くまでもないのですが、大井川鉄道で往復するにしても、18きっぷで奈良桜井から日帰りは不可能、さすがに1基だけに1泊するのは勿体無いので、JR金谷駅から往復走って、翌日は愛知県東部に取り残している幾つかの道路元標を回ってみようとプランを練ってみました。
 桜井駅出発でも12時過ぎには金屋駅に到着するのですが、陽の短い時期ですしあわ良くば大井川鉄道の写真も撮ってみたいなと思い、未明に奈良駅まで20キロ余りを自走し奈良0503発の関西本線始発に乗車し亀山経由で向う事にしました。 これなら1049に金屋に着く事ができます。
 
 ヘッド抜き輪行と分割式マッドガードの「延陽伯」号、かなりコンパクトにはなるのですが、KHSと違ってそれなりに時間が掛かりますので、余裕を見て3時過ぎに飛び出します、しかし強烈に寒いです。
 ところが2キロ程走った三輪を過ぎた処でヘッドスパナとペダルレンチがセットになったレンチを忘れた事に気が付きます。 ペダルはアーレンキーで代用できますが、「延陽伯」号のヘッドはスパナでないと回りません、これは仕方なく取りに戻るしかありません。 さて15分余り遅れて再スタート、ところが天理辺りまで来て後輪の挙動がおかしいのです、実は10月の「しまなみ~とびしま」の折にもあったのですが、後輪のスポークが緩んできているのです、以来500キロ近く走っていて心配はしていなかったのですが、やはり金曜の四国の様にそれなりの距離を結構なペースで走ると駄目な様です。 ニップル回しは携行してますが、真っ暗な夜道でそうは上手く振れ取りもできないので適当に締めて後ろのカンチを開放にして奈良駅まで残り10キロ程走ります。 そうなると0503発には厳しい時間になってしまいますが、まぁ1本遅れた処でと落ち着いて作業すると間に合うものです、無事に加茂行きに乗り込む事ができました。
 

 加茂で亀山行に乗り継ぎますが、関西線の車中の寒かった事。 名古屋では浜松行きに乗り換えますが、先行の列車が小動物との接触事故があったとかで遅れ始め蒲郡辺りでは25分遅れ、浜松では乗り継ぐ予定の興津行きはなく金谷の2つ手前の掛川行きが、2つ手前と云ってもこの間は牧の原の峠越えなんですよね、間違っても手前から走って行こうなんて。 次の興津行きを待って金谷到着は50分遅れ、それから輪行支度を解いて振れ取りをやりなおしますから、結局スタートできたのは12時を回ってしまいました。
 
 時間は押してますが折角ですから大井川鉄道の新金谷駅に立ち寄ってみます。 1983年頃と思われる「延陽伯」号と旧客がマッチしますね。 レトロな駅舎の前では、なにやら職員の方がバイクラックが組み立てていました、自転車で来られる方も多いのでしょうね。
 
 静岡在住のFBのお友達のAさんから往路は左岸路、復路は右岸路が楽そうとのアドバイスを受けていたのですが、あわよくば大井川鉄道の列車を撮れればと思い線路に沿って右岸を走る事にしました。 その時に撮った写真が最初の踏切での「自撮り」、やってきたのは10~20代を堺で暮らした私には馴染みの深かった元南海高野線の21000系でした。
 
 川沿いとは云うもののそこそこ登り下りのある国道を走って下川根道路元標の保存されている島田市役所支所前へ、目の前はもう家山駅構内です。 頭部が削られたり割れたりかなり埋まっていた様子が伺えますが、静岡県では貴重な道路元標です。
 さて本日の予定はこれで終了と云う事なのですが既に15時、今夜は三河安城駅前の東横インを予約してあるのですが、最近は賑やかになっていたのですが、三河安城駅前は以前には回りに何も無くれ不便なので、FBのお友達で安城市で洋食「国亭」をなさっているUさんのお店へ夕食に伺おうと画策していたのですが。 家山駅発は通常ダイヤでは1515と1731、1515には輪行支度が間に合いませんし、さすがに1731ではお店の営業時間内に間に合いません。 ところが今日はSL列車が運転されていて、その時刻が1542と輪行支度にもぴったりの時間です。 出札口で尋ねてみると輪行袋を担いでいても乗車可能との事、冬休みとは云え歳も押し詰まった平日ですので空いている様です。 但し自転車は有料、SL急行券と併せて1,880円はお安くないです。
 
 火の入っているSLそのものは最近では磐越西線や高崎線で見ていますが、SL列車で輪行なんで何十年ぶりでしょうね、幅が狭くてステップのある旧型客車のデッキは大変です、最後は紀勢本線でしたね牽いているのはDF50でしたが。 260円払った手回り品切符も懐かしいですし、旧客の窓越しに見える近鉄特急は往年の吉野口駅を彷彿とさせます。 乗務員のなっぱ服もSLらしくて。
 
 ところで「国亭」最寄の西岡崎まで3時間弱の輪行をするのですが、今回は後輪を外さない変則的な形に初めてトライしてみました、ヘッド抜きはしていますし24吋ですのでコンパクトで普通のロード用輪行袋に楽々収まってしまいますが、縦に自立はできませんので座れない事が前提になりますね、そのかわり作業はスピーディです。
 
 東海道本線からは安城がやや近いそうですが、夜でも道が判り易そうな西岡崎が向う事にしました、予定の19時半ぴったりに到着。 「国亭」の売りはこのオムライス、上にオムレツが載った状態で出てきます、それをナイフで表面だけ切り裂くと拡がってかぶさり、そこにデミグラスソースがかけます。 なお写真は大盛りです、私の夕食にはオムライスだけでは足らなさそうですので、野菜たっぷりスープを併せてお願いしました。
 
本日の走行奈良までの25.4キロ+34.4キロの都合58.8キロ、18きっぷで5,080円分乗車。
 

【1037】 2015/12/28 静岡県 榛原郡 下川根村(現 島田市)

ちょっと五條まで

  御所市風の森にて
 
日頃一人でマイペースで走っているので、昨日の疲れがでたのでしょうか、朝早く起きる事ができずにゆっくりしてしまいました。
 それでも8時頃には飛び出して、とにかく五條へ向かう事にしました。 写真は吉野口駅手前の葛村道路元標「自撮り」も考えたのですが、陽射しが強すぎるので今日はお預け。 ふと風の森へ行こうと思いついて、薬水を過ぎた辺りから西へ向きを変えます。 
薬水から船宿寺へ越えるこの道、東行きで走った事はあるのですが西行きは初めて、結構な勾配ですがピークに達すると正面に金剛山が見えます。 
 
もちろん国道24号線の東側の旧道を走りますが、峠の手前で案山子たちが出迎えてくれます、登り詰めると御所市鴨神、風の森峠です。 
 
 
鴨神の信号を西へ渡り登って行くと金剛山の裾野が広がります。 
 
 
 
 
「風の森」と書かれた石碑を入れて「自撮り」を、なかなかコース取りが難しくて3テイク。 
 
 
 

 

国道24号線を一気に下り栄山寺口から旧街道へ入り、宇智村道路元標を確認の後、五條新町へ、「餅商一ツ橋」はお休みでしたが。 こんなお店が開いていました、いつも平日にばかり来ているので気が付きませんでしたが、鉄な人にはたまらない空間の様で。

 

五新線の遺構を覗いた後、大川橋を渡り野原村道路元標を経て吉野ストアで買物をすませて帰途に就きます。
 

栄山寺橋を少し<39>五條吉野線を走り吉野川を渡らずに右岸の道を行きます。 路面状態は決して良くないのですがツーリング車にはお似合いの道です。 「吉野ストア」で買った弁当を道端で食べながら暫く過ごします。 昨日の津風呂湖畔と同じで、ちょっと「自撮り」は難しいロケーションなんです。 それから阿太高原を越え16時過ぎには桜井へ戻ってきました、本日の走行71.1キロ。

道路元標蒐集サイク(山口編2日目)

日本の道百選 萩市「菊屋横丁」
 

 

今日はまず萩町道路元標に立ち寄り、美祢郡の大田町道路元標を経て山陽本線の厚東(ことう)駅まで走って1238発に乗車し帰途に就く予定なのですが、走行距離は峠越えの55キロ程、昨夜萩市内に泊まったお陰で時間の余裕もありますしお天気も最高、早朝の観光客のいない時間を狙って萩市内をポタってみる事に、事前に何の情報も集めていなかったので宿にあった観光パンフレットをたよりに散策してみます、まずは萩町道路元標、高札場跡に保存されています。
 
そして日本の道百選に選ばれていると云う「菊屋横丁」へ、横丁と云うのもちょっと変な感じもしますが、路地と云うには広過ぎますし、せっかくですから「自撮り」を、休日の昼間ではできない芸当でしょうね。 白壁の街並みを撮ったりしながら萩城址へと向かいます。
 
こちらも地元の方が散歩したりジョッキングをしたりと云う感じでです。 しかしKHS、輪行には手軽で良いのですがどうにも日本の風景には馴染まないヤツです(^_^;)
 
そろそろ走り出さないといけない時間です、市内のコンビニで補給をしてから萩駅へ、今では街の中心は東萩駅寄りになってしまい、無人駅となったレトロな旧駅舎は重要文化財となり「萩市自然と歴史の展示館」となっています
 
萩から山口市を経て防府へは「萩往還」と呼ばれる旧街道が通じていて、今日は前半はその道をたどって行く事になります、道の駅「萩往還公園」の手前から旧道へ入ると鹿背(かせ)隧道で小さな峠を越えます、このトンネルは国登録文化財で案内板によると「鹿背隧道は悴坂(かせがさか)峠を貫通する隧道で、長さ約182m、幅約4.2m、高さ約3.9mの規模を有した県内では他に類をみない石造トンネルである。 施工には地元萩・阿武地域だけではなく、周防大島町久賀や大分県安心院出身の石工が工事を請け負っている。 工事は明治16年(1883)に着工、翌明治17年(1884)に開通したという。 明治10年代の石造り道路隧道としては大変稀少であり、総延長も我国最大の長さを誇っている、素朴ではあるが重厚な味わいを持つ切り石積みの坑口、総石張りの内部はまさに壮観で、山口県下最初の洋風石造隧道として貴重である。 」とあります。 
峠を下ると現在は萩市の一部となっていますが旧旭村、鄙びた風景が広がります。 やはり日本の風景に似合わないKHSです。 ここで「萩往還」とは別れ雲雀峠への道をとります、こちらも赤間関街道と呼ばれる旧街道で、それらしき峠への案内板があって一車線の舗装路がのびているのですが、ちょっと先々がヤバそうなのでここは県道を行く事にします。 
雲雀峠は大きく開かれた切り通しの峠、名前の割には雰囲気も何にもありません。 標高も知れているのですが、一応は陰陽分水嶺の峠です。 路肩に郡界標でしょうか、三角柱の標石が、美祢郡赤郷村、阿武郡明木村とありますから少なくとも昭和29年以前となります、改良された県道脇に再建されていて、現時点で5基の道路元標の現存が確認されている山口県ですが、この事からまだまだ未知の道路元標が残されている可能性があるかも知れません。 
分水嶺を越えて既に瀬戸内側に下っているのですが小さな登り返しがあり、何となく峠の風情で記念碑や「奈良の大仏さまのふる里」なんて看板も建っています。 どうやら明治維新の古戦場で「呑水(のみず)峠」と云う由緒ある峠の様です。 「奈良の大仏さま…」云々は近くに奈良の大仏の再建時に銅を産出した銅山跡があるとの事です。 
今日最後の目的地、美祢郡は大田町道路元標です。 裏面には「昭和二十七年六月」とあります、と云う事は道路元標が法的裏づけを失った現行の「道路法」が施行された年月と符合してしまいます、不可解ですね。 
予定の厚東駅まで後20キロ程、予定通りの時間で進んでいますが、小郡まで10キロ余りの標識が出てきます、小郡へは二本木峠と云う峠を越えて行くのですが、回りの風景を眺めてみても大きな峠がある様な雰囲気でもありません。 調べてみると二本木峠は標高126mしかありません、現在の標高を考えると殆ど片峠の様子、厚東駅へはダム湖畔を走って行くルートですが、それより二本木峠を越えて小郡の新山口駅へ走った方が何となく楽そうな雰囲気、予定を変更して二本木峠へ向かう事に。 二本木峠を越える県道はほぼ平行して「山口秋吉台自転車道」が通じている様で、ただあまり利用はされていない様で、路面状況は良くはありません。 あえて下りで使う価値はなさそうですが、反対向きなら車に追われながら県道を登るなら自転車道を利用するのも良いかと。
 
最初の予定では厚東駅1238発の岩国行きに乗車する予定でしたが、二本木峠を下りきった処で列車の時刻を確認してみると新山口駅1153発、無理すれば2本前のスジに乗れるではありませんか、後の接続はともかく新山口駅へ急ぐことに、駅に着いたのは23分前、ホームは跨線橋を渡った4番のりば、そこはKHSですがサイドバッグ装備、駄目元で輪行支度を、ご覧の通り乗車列車の写真を撮る余裕まで。
 順当に行くと岩国、糸崎、岡山、姫路、大阪、王寺での乗り継ぎで「18きっぷ」のままで桜井に2218にたどり着けるのですが、時間帯から云っても岡山5分、姫路2分の接続はタイトです。 そこで遅くはなりますが糸崎で赤穂線経由の播州赤穂行きに乗車し、野洲行き新快速に乗り継ぐと云う技、お陰で全行程を座って2323桜井駅に無事帰投しました。
 本日の走行57.7キロ、昨日の王寺駅までの自走を含めても100キロにも満たなかったですが。 道路元標以外の事は特に考えてなかったものの、萩の街を巡ったり、「萩往還」をたどったり、幾つか峠をGETしたりと有意義なツーリングになりました、機会があれば再びゆっくり訪れてみたいものです。
 
【1031】 2015/04/07 山口県 大島郡 蒲浦村 (現 周防大島町
【1032】 2015/04/08 山口県 阿武郡 萩町 (現 萩市)
【1033】 2015/04/08 山口県 美祢郡 大田村(現 美祢市)
 
新山口1153→1354岩国1355→1613糸崎1645→1927播州赤穂1931→2113大阪2143→2238奈良2254→2323桜井 8,750円分乗車

 

 

道路元標蒐集サイク(山口編1日目)

山口県周防大島町 蒲浦村道路元標にて
 
 
 後3回分残っている「青春18きっぷ」、週間予報を模様眺めている内に有効期限の4月10日が迫ってきました。 最悪は自転車抜きでのんびり「乗り鉄」の旅になってしまうかも知れませんが、とにかく未修の道路元標の残っている処で天気の良さそうな方角へ向かえる様に幾つかプランを練っておいたのですが、この様子から金沢方面か広島方面かと云う事で、3基残している山口県に1泊2日で向かう事に。
山口へは先日の「しまなみ」の時にも使った、JR王寺駅まで20キロ余りを自走し始発に乗るのが一番良いのですが、前夜から雨が時折強く降ってきます、雨雲レーダーの予報を見ると未明3時には止んでくれるはずなのですが。 とにかく3時05分にこれ以上は降らないだろうとの判断で、真っ暗な大和川河畔を王寺へと向かう事に。
 今回は3度の輪行での移動を考えているためにKHSで、三脚を持って行きたいがためにリアのバッグを2サイドにしたためキャリア上がからっぽで、泥除けがないため迂闊にもお尻を濡らしてしまう事に、
なのに闇夜の21キロを1時時間2分で平均20.3キロとは。
 
 
前回と同様、新今宮、大阪、西明石で乗換えを済ませ姫路へ先回りして新見行き先頭車に乗車します。 この後、山口県大島郡の蒲浦村道路元標の残る周防大島へは山陽本線大畠駅まで、岡山、糸崎、岩国と乗換えをこなして都合9時間余りの長旅、九州佐賀まで行った事が2度あるとは云うものの、iPodを忘れてきたのは大失態です。 従って退屈しのぎはいわずと知れたSNSで皆さんに遊んで頂くのですが、モバイルバッテリーからスマホへの充電が上手く行かない様なのです、ACアダプターは持ってきていますし、大畠に着いたら駅前のコンビニで電池式の充電器を買うかするまで、暫くこちらも省エネモードに。
 
広島前後では結構込み合ってきます、糸崎からの車両は115系でも運転席後にスペースがないタイプで、席から離れたトイレ前のスペースに輪行袋を固定してあるのですが、駅での乗り降りの度に気にしていると、何やら視線を感じます!? その先にはどこかで拝見した様なお顔が… facebookのお友達で広島在のS氏がわざわざ乗り合わせてきてくれたのでした、混雑する車内で1駅だけでしが、結構な頂き物まで、もちろんお渡ししましたよ、名刺がわりのカレンダー。 (写真はS氏から頂きました)
 
色々考えてみると、原因はリール式のUSBケーブル(左)かも、ミニならGARMIN用がありますが、マイクロはこれ1本です。 大畠駅で下車後、早速コンビニへ、さすがにケーブルだけは売ってませんが、ケーブルが一体でなくて一番安いものをGET、1,008円也。 案の定ケーブルを替えてみるとモバイルバッテリーからの充電はばっちり。 しかしうちにはこの手の充電器がまた増える事に。
 
大畠駅1343着、降り立つのは2度目ですがホームから大島瀬戸をはさんで周防大島と大島大橋がすぐそこに見えます、瀬戸内海では淡路島、小豆島に続いて大きな島で、一度一周してみたいものですが海岸線が入り組んでいて、道路で一周すると100キロ近くにもなります。
 今回のKHSのいでたちは小径車には珍しい2サイド装備、モンベルのフロント用とされている小型のもの、それでも2サイドですからそれなりの収納力はありますが、輪行袋の中に押し込んでしまうので、かなり重くはなります。
 
蒲浦村道路元標までは大した距離でもありませんが、大島大橋まで登って行かなければなりません。 海沿いの静かな村のなかなかのロケーションに道路元標はあります、海の見える道路元標は函館市道路元標を初め幾つかありますが、今日の予定はここだけですので時間もありますし、道路元標を入れた「自撮り」をば。
 
明日は萩市の萩町道路元標からスタートです、島根県に入ってしまいますが1FでJAZZ屋をやっている益田駅前のビジホ「とらや」に泊まって、始発で萩に移動しようかと思ったのですが「とらや」は満室、東萩駅前で宿をとります。 厚狭から美祢線経由で長門市駅へ、キハ120のエンジン音が旅情を誘います。 本日の走行、王寺駅までの自走を含めても38.2キロ也。 「18きっぷ」で10,430円分乗車。
 

天の邪鬼「しまなみ」へ往く(1日目)

元来の天の邪鬼な性格で「びわいち」「あわいち」「しまなみ」ってのはご遠慮申し上げているのですが、今回なぜか「しまなみ海道」おまけに「とびしま海道」も回ってきました。 基本的に遠征ツーリングはまず初めに「道路元標」ありきなんですが、島根県、広島県、愛媛県に一つずつ残ってしまった道路元標を回ろうと云うかねてよりのプラン、出雲市まで輪行して島根県飯石郡飯南町の赤名村道路元標から三次市を経て、広島県神石高原町の神石郡油木村道路元標、尾道から「しまなみ海道」を経由して愛媛県西条市の周桑郡多賀村村道路元標を巡ってこようと云うもの。 ただ出雲市まで1日がかりで行き一泊するのも勿体無い話なので、今回は後の2基を回る2泊3日のコースに帰途「とびしま海道」を経由して本土に戻り、呉線のどこかの駅から輪行で帰途に就くプランを考えてみたのです。
 
平日ですので大阪を通勤時間帯に輪行支度で通らないで済む様にと、そして少しでも早く走り出したいのでJR王寺駅まで20キロ余りを未明の大和川河畔を自走します、既に今年3回目ですが、やはり闇夜は暗いです、ただ土地勘のない福山でナイトランになりそうなのでヘッドライトを2灯に強化してきたので安心感が違います。 ガード付きのasuka号、出きる事なら往路輪行はしたくはないのですが、慎重に輪行支度を済ませます、何か手落ちがあると走れずにスゴスゴ引き返してくる事になりかねませんからね。
 
王寺0436→0511新今宮0512→0529大阪0534→0640西明石0641→0715姫路0731→1049新見と絶妙の乗り継ぎで新見駅着、実はこの接続「乗換案内NEXT」では大阪0558→0728姫路となってしまい選択されません、大阪0534発の緩行線の普通に乗る事で加古川仕立ての播州赤穂行きに接続していて、特に18きっぷのシーズンに混雑する岡山方面行きへ姫路へ先回りできるのです、お陰で輪行袋の置き場所も確保できて新見まで座って行く事ができました。 1049新見着、早速準備を始めます、しかし最高のお天気ですね。
 
新見スタートにしたのはこれより先の接続が悪い事と、中国地方山間部の鄙びた道を走ってみたかった事と、小さな峠を越えて久しぶりに布原の元信号所を見下ろす道を走ってみたかった事なのですが、かつて谷あいの信号所を見渡せた道も植生に覆われて、通過する列車をどうにか垣間見る事ができる程度になってしまいました。
 
備中神代駅にやってきました、列車で通る事は何度かありましたが、駅前は40年以上ぶりです。 ここは映画「八つ墓村」あの「祟りじゃ~」が流行語になった1977年版のロケ地でもあります、萩原健一演ずる主人公が八つ墓村へ向かうシーンですね。 残念ながら当時の木造駅舎は取り壊されてしまいましたが車寄せの屋根だけが残されています。
 
備中神代駅で伯備線と別れた芸備線沿いのR182を走ります、R182は改良が済んでいますし中国自動車道が並行して走っていますので山深い雰囲気は無くなってしまいましたが、芸備線の方は1日6往復と云う超ローカル、その貴重な列車を市岡駅で待ち構えてみました。
 
東城の手前の野馳(のち)駅、開業当時の駅舎が現存しています。 この後道の駅「遊YOUさろん東城」で遅めのお昼の休憩をして、再びR182を福山に向かって南下します。
 
東城からは油木村道路元標の残る神石高原町まで登らなければならないのですが、暫くは川沿いの下り基調の道を快適に走り、その後このループ橋で高度を稼ぎます、ループ橋と云っても島根県境のおろちループ程の規模のものでもありません。
 
 
少し探しましたが油木村道路元標を確認、一列に「神石郡油木村道路元標」と記されています、どうも広島県は様式がまちまちな様です、とにかく現時点で現存が確認されている広島県下の6基の道路元標は全て履修できました。 今日の予定はこれで終了、今夜の宿は少しでも尾道に近づいておこうと福山と尾道の中間の松永駅近くのビジホを確保しました。
 
この後R182には福山に向かって下り基調だと思いきや神石高原町内では結構なアップダウンが繰り返されます、これには結構堪えました、結局福山市内に入り小さなピークを一つ越えてから一気に獲得標高を吐き出してしまいます、遥かに瀬戸内海を見える様になってからの下りの長い事、交通量も市街に近づくに従って多くなり、福山市街に入る頃にはすっかり暗くなってしまいました。 土地勘もない事もあって松永へ向かっては少し遠回りをしてしまった様ですし、旧街道の山陽道を走ったりしたので、これなら無理せず福山で宿をとるべきだったかと。 とにかく予定の20時には松永駅前に到着、本日の走行、王寺駅までの自走を含めて124.5キロ。
 

道路元標蒐集サイク(新潟編2日目)

いつもの事ですが暗いうちに目を醒ますと外は雨の気配、今日は午前中に中頚城郡の8つの道路元標を巡る予定にしているのですが、このまま雨がやまなければ単なる乗り鉄の旅で終わってしまいます、雨雲レーダーの予測を見ながら暫く様子を見る事にします。
 
どうやらお天気は快方に向かう様で、少し雨もおさまってきたので6時過ぎに宿を出発し、既に2008年に履修済ですが直江津町道路元標へ立ち寄ります。

 
春日村道路元標です、道路元標は追分地蔵の建つ三叉路に並んで建っています、ここは加賀、奥州、北国街道と旧街道の集まる由緒ある場所です。

 
履修済みの津有村道路元標を経て高士村道路元標へ向かう道すがらレトロ風の建物が、「前島記念館」とあります、あの1円切手の前島密かな。 やはり前島密、出生地だそうで郵政博物館別館となっています、今は開館時間中ではないのですが、こうやってサイクリング中に偶然見つけた史跡とかに気軽に立ち寄って見学して行ける時間のゆとりがほしいです、目的地をこなして行く様なサイクリングをやっている様ではまだまだあきまへん。 何枚か写真を撮って、先を急ぎます。
 
高士村道路元標を経て櫛池村道路元標へ、今日は基本的に頚城平野の中をの平坦路を巡る予定なのですが、昨日の上早川村の様に少し谷あいに入った場所もあり、ここでは標高189mまで登る事に。 ここの道路元標は有形文化財に指定されている様で、「旧櫛池村役場前に設置されていた。 測量技術の開発されなかった時代の市町村を代表する『元標』で貴重なものである。 」と記した案内が並んで建っています。 記載の内容はともかく、こう云った形で「道路元標」が認知されているのは嬉しいものです。
 
次の牧村道路元標までは直線距離では2キロ程の位置なのですが、一つ北側の谷筋になり、山越えの道は積雪期通行止となっています、即ち除雪してませんよとの事です、つまりこれだけの雪が積もっている訳です。 登ってきた道を下る事に、しかし下りの寒い事と云ったら。
 
一度平野部に戻って再び登りへ、道路元標は元の牧村役場、現在の上越市牧区総合事務所前に保存されているとの事なのですが。 懸念していた事が、念のために穴蔵さん国道901号さんのサイトで確認してみますが、どうやらのこの雪の中に間違いなさどうです、さすがにこれでは手の出しようがありません。
 
意気消沈してすごすご再び登ってきた道を下る事に、ところでお天気の方ですが雨こそ止んだものの、ときおり霙の様なものが襲ってきます。 写真は北国の冬の光景ですね、なかなかの「自撮り」ポイントなのですが三脚は小型のスタンド程度のものを持ってきているだけなので、どこか高さの稼げるところがあればと思っていたのですが、チャンスはありませんでした。
 
道路元標の位置情報はGPSに登録してあるのですが、上杉村道路元標、ちかくまで来ているのですが回りをウロウロしている様で、なかなか見つけられません。 もしやあそこに見える二宮金次郎像の前にあるのは!? 資料を確認すると間違いなさそうです、小学校の中庭の様なのですが、柵とかはありませんしどちらから回っても雪の中を行くしかなさそうですので、強行突破です。 さすがにスパッツまでは用意していませんでしたが、替えのニッカホースもありますし、案の定50cm位は埋まってしまいました。
 
10時55分、今日6つ目の美守村道路元標までやってきました。 次の大瀁村道路元標まで6キロ程の距離なのですが、帰りの時間が迫ってきました、直江津駅1312発の北陸本線経由にするか、名古屋から近鉄利用になりますが1311発で長野~松本経由にするか、いずれにしてもパンクとかアクシデントを考えるとこれ以上足を伸ばすのは難しいので直江津方面へ向かう事にします。 それに大瀁村道路元標近くには今は無き頚城鉄道の車両などが保存されている処もあるとか、次の機会の愉しみとします。
市街のイトーヨーカドーで食料を調達して直江津駅へ、昨日と同じルートも何なので、長野経由をとる事にします。 しかし駅構内は鉄どもでごった返しています、高級デジイチを首からぶら提げ、手には三脚、中には脚立まで用意しているつわものも、ホームや車内を走り回り、視線がおかしい、概ね格好がダサい、一目瞭然です。 それにつけ込んでJRも商売上手で「ありがとう信越線」なる全席指定の臨時列車まで運転する始末。
 
長野までは座れましたが長野~松本間は座れず、写真は姨捨駅から望む善光寺平、上越と比べると雪は少ない様です。 ところで日本三大車窓って後2つはどこだっけ? 疑問があればすぐにググれる便利な世の中になったものです、「狩勝峠」と「矢岳越え」だそうです、納得。
 
中津川駅でのホーム違い4分の乗換えをこなしな名古屋駅へ、ここで下りる階段を間違えるととんでもない遠回りになりますので、広小路口側へ下りて近鉄との連絡口へ、14分と時間の余裕はあったのですが、3分台で伊勢中川行き急行へ、座れはしませんでしたが輪行袋の置き場所も確保、まだ2回乗り換え2時40分もありますが、近鉄電車に乗り込んだら帰ってきたも同然。
 23時11分桜井駅到着、1泊2日で輪行23時間、走行105キロ、道路元標蒐集の旅から無事帰宅しました。 支出13,843円、翌日に所用があって無理でしたが1泊2日はちょっと勿体無いなかったかと、でも最後の金沢~直江津~長野間に乗る事ができて良い思い出になりました。
 

 
本日の走行60.8キロ。 18きっぷで5,620円分乗車。
 
【1023】 新潟県 中頚城郡 春日村 (現 上越市)
【1024】 新潟県 中頚城郡 高士村 (現 上越市) 
【1025】 新潟県 中頚城郡 櫛池村 (現 上越市) 
【1026】 新潟県 中頚城郡 上杉村 (現 上越市) 
【1027】 新潟県 中頚城郡 美守村 (現 上越市)

道路元標蒐集サイク(新潟編1日目)

新潟県道<270>湯之河内梶屋敷停車場線
 
昨年11月以来の「道路元標蒐集サイク」です。 一昨日南紀からの帰り際、JR太地駅で春のダイヤ改正のあらましを見ていて、ふと北陸新幹線の開通で金沢~直江津~長野間の第三セクター化をいまさらながら知り「18きっぷ」で金沢以遠へ行けなくなる事に気が付きます。 新潟県にはまだまだ未修の道路元標が残っていて、この機会を逃すとますます行きづらくなります、今の予定では「18きっぷ」は後2回分残る計算ですから丁度良いのですが、3月16日までには「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーの最後の仕上げに1泊2日で紀伊半島縦断ツーリングの予定が、15日にはS氏主催の「カキオコポタ」で赤穂~日生へ、9~10日は所用があって、そうなるとダイヤ改正の14日までにはとても日程が組めません、それに週間予報では来週は日本海側は降雪の予報、こりゃ駄目なと思いかけていたところ、明日明後日ならありかもと、とんでもない考えが首をもたげます。 北陸新幹線の開通により在来線の優等列車の廃止や3セク化で消える車両もあるはず、ウザい鉄どもが押しかけるはずに違いない、まして週末ときた。 それともう一つ懸念材料が、と云うのは雪国の道路元標はこの時期は往々にして雪に埋もれてしまっている事が多いのです。 しかし一度思いつたらやめられない性格と動きの早さ、KHSは輪行から帰ってきたばかりで準備万端、道路元標の資料を整えて準備OKとなったのであります。
 
未明にJR奈良駅まで20キロあまりを自走し0448発京都行きに乗車します、もう1本後でも北陸本線の同じスジになってしまうのですが、輪行袋を担いでいるとかと不自由なもので、乗り換えに余計な時間がかかったり、普通なら座れる列車に座れなかったりするので、福井行きの始発駅の近江今津まで先回りする事にして、ついでに途中下車して滋賀県高島郡の今津町道路元標の生存確認へ向かう事に。 生存確認と云うより、現存する道路元標を先日からfacebookへのスポット登録を企んでいるのですが、すでに履修済みの1,000基余りを再び回るのはとても。 ちなみに道路元標の位置に関しては既に自分なりにデータベース化していますが、加えてGoogleMapでもマイマップ化を進めています。
 
福井行きは輪行袋の置き場所も確保でき座る事もできたのですが、これが帰って仇になって下りるのが最後になってしまい、その上福井駅での金沢行きへの乗換えがホーム違いで4分しかありません、混雑する駅のホームで無理はいけません、1本見送る事に。
 
 

ところで福井駅のホームのベンチに遠目に妙な人が座っているではありませんか、よくよく見ると恐竜のモニュメント、どうやら福井県立恐竜博物館の宣伝用らしいのです、輪行袋を置きフロントバッグを持たせて写真を撮り、facebookにポストすると早速反応が、福井駅前には巨大なモニュメントまで出来ているそうなんです、どうやら北陸新幹線の開業に合わせて福井まで観光客を呼び込もうと云う話とか。
 当初の予定でも新潟県に入るのは14時を回ってしまいますので、今日は道路元標はたとえ1つでも回れればと思っていて、糸魚川で大糸線に乗り換えて長野県北安曇郡の南小谷村道路元標まで往復しようかと考えていたのですが、南小谷までの往復は時間的にきびしくなったので、糸魚川の次の梶屋敷まで行き、新潟県西頚城郡の下早川村と上早川村の道路元標を回る事に変更する事に。 しかし1本遅らせたにも関わらず、金沢行では座れず仕舞いで富山まで行く事に。
 

 

富山駅にて、懐かしい451系と411系の混成による3両編成、153系東海型の流れを汲むデッキ付き電車もこれが最後なのかな、夜行の急行「立山」とかでお世話になりました、まぁ輪行袋を担いで乗り降りするには不自由な車両でしたが。
 
1622梶屋敷駅着、暗くなるまでそう時間もありませんので、さっさと準備を済ませて下早川村道路元標へ急ぎます、道路は完全に除雪されていて走行には全く問題はありませんでしたが、目的地に着いてみると懸念していた通り道路元標のある場所は雪捨て場に、幸い20cm程顔を出してくれていたので、まわりの雪をのけて撮影を済ませる事はできました。 次の上早川村は公民館の軒先の保存されていて問題なし。
 

ところで今夜の宿なのですが、富山駅で接続待ちの間に上越市内のいくつかのビジホをあたってみたのですがいずれも満室。 「じゃらん」で安いところ検索していて税込み3,980円で「働く人の宿 あいかわ」と云う所を見つけます、おっさん一人の自転車旅ですから泊まれれば十分、直江津港の近くで不便そうな処ですが、駅から自転車でなんぼもかからない距離です。 近くにコンビニと食堂がありますので不自由はなさそうです、エラく愛想の良いおばちゃんが出迎えてくれました、大きなお風呂は8時半までとの事ですので、近くの食堂で夕食を済ませてコンビニで少し買い物して戻り入浴して、ここ数日の寝不足を回復しようとさっさとベッドへ。 部屋も決して狭くなく清潔ですし、自転車も玄関に入れさせて貰いました。 佐渡へ渡る事があればまた使う機会があるかも知れません。

 奈良駅までの自走を含めて本日の走行44.6キロ。 18きっぷで7,340分乗車。

【1021】 新潟県 西頚城郡 下早川村 (現 糸魚川市)
【1022】 新潟県 西頚城郡 上早川村 (現 糸魚川市)
 

今年4度目の南紀ツーリング

太地町森浦にて
 
 今年は紀伊半島再認識の年にしようかと考えていたら、期せずして「ツール・ド・紀伊」のスタンプラリーのお陰で既に今年4度目の南紀ツーリングとなってまいました。 3月1日から始まった「青春18きっぷ」の春のシーズン、1日あたり2,370円で普通列車乗り放題の「18きっぷ」ですが、紀伊半島を巡る紀勢本線は乗ったまま一周するのが精一杯で、わが街桜井を始発に乗っても新宮や串本に到着するのはお昼を回ってしまいます、マトモに行くととても自転車で走る余裕などないエリアですが、今日は古座川町の「月の瀬温泉ぼたん荘」と太地町の「くじらの博物館」をまわります。
 
近鉄で大阪鶴橋まで出ても良いのですが、今回も未明の大和川河畔を王寺駅まで走りスタートする事にします。 4時過ぎに桜井を出発、真っ暗な堤防上の道ですからそうは飛ばせません、所要1時間15分。 DST 21.02km、AVS 17.6km/h、MXS 24.4km/h、TM 1:11:34
 
新今宮、和歌山で乗り継いで紀伊田辺で49分待ち、紀伊田辺以南は0755から1044まで3時間近くも列車がありません、車両も17系からロングシートの113系へ。 ここでは新大阪0733発の「くろしお1号」に抜かされます、嫌でも特急に乗れとの計らいですが、その「くろしお1号」ですら串本到着は1102になります、昔は夜行もあって早朝から走り出せたのですがねぇ。
 
2駅手前の串本で25分停車の後、1249にようやく古座駅に到着です、串本から走っていても変わらない様な。



さすがに南紀、暖かいなぁと思っていら、既に桜が。





清流古座川沿いに入るとご覧の風景が、決して時間の余裕がある訳で
はないのですが、写真を撮っていたりしてなかなか前に進みません。 
 
 
気持ちよく走っていたら、この橋は??? 1キロ程「ぼたん荘」を行きすぎてしまい慌てて引き返す事に、とにかく無事26地点目をGET!
 
 
予定では<227>田原古座線を走り地蔵峠を越えショートカットするつもりでいたのですが、あまりに天気が良くて気持が良いのでR42を走り、昔2度ばかり行った荒船海岸へ寄り道する事に、ちょっと頑張って走ればなんとか行けるでしょう。
 荒船海岸、入り口に国民宿舎があったりするのですが、ここはちょっとした穴場です。
 
R42に戻り少し走ってから下里村道路元標へ立ち寄り、太地町への<239>太地港下里線へ入り、27地点目のポイント「くじらの博物館」へ、これでスタンプラリーは残すところ3地点となりました。 ところで太地町には昔どういう経緯か知りませんが奈良交通が運行する路線バスが走っていました、車体横の鹿のエンブレムが鯨だったりして、信じられないでしょう。
 
R42沿いのコンビニに立ち寄り食料を調達して、余裕で太地駅へ、1700発の最終に乗り遅れるとどうしようもなくなるのでパンク修理が出来るだけの余裕は持って走っておかなくてはなりませんし、輪行支度を済ませて駅のホームでまったり過ごすのも良いものです。
 帰りはさすがに「18きっぷ」のままでは桜井へはとてもたどり着けませんので、松阪から近鉄を利用して帰る事になりますが、6時間がかりで桜井に無事帰投、トンボ帰りで走行時間は2時間にもなりませんが、春を感じさせるとても気持ちの良いショートツーリングでした。 王寺駅までの自走を含めて本日の走行59.2キロ。 18きっぷで7,450円分乗車。
 

 

尾鷲ツーリング

尾鷲市 三重県立熊野古道センター

今日は予定通り「ツール・ド・紀伊」スタンプラリ-のポイント獲得に高見越で尾鷲市に向かいます。 尾鷲へは過去に何度か自走で行っていますし、コース的にも不安はないのですが、この季節に脚力の無い私が150キロ近く走るのですから、いつもの様にのんびりとは走ってられないのですが、結局スタートしたのは少し明るくなってきた6時10分でした。

西峠を通過、菟田野松井橋のローソンで補給の後、佐倉峠を越え新木津トンネルを抜けていつもの定点観測ポイント、まずまずのお天気なので高見山を頂上まで見上げる事ができました。 しかし休日とあって霧氷目当ての登山客を乗せた奈良交通の臨時バスが何台も通り過ぎて行きます、バスだけではないのでそれだけの人が登ったら上は大変な事になっているでしょうね。

9時半過ぎに高見トンネルの入り口に到着、3時間半程かかってますがこれでも結構目一杯です。 雪は4日の「伊勢ツーリング」で来た時と変わりません、前回は歩道に凍結した漏水の氷の破片が散乱していて往生したので、今回は車道を行きます、それでも処々濡れている箇所があるので慎重に走ります、万が一車が接近している時に滑りでもしたら笑い事ではありませんから。

高見トンネルを抜けてループ橋を下ります、今回はのんびりと旧道巡りをしている訳にも行きませんので波瀬地区は新道でショートカット、<569>蓮峡線を経てR422に入り湯谷トンネルを越えます。 トンネルを出て数100m程下った処にある湯谷不動尊、湧き水とベンチがあって夏は最高の休憩ポイントです、ここで小休止、ポットのコーヒーを頂きます。 残念ながらdocomoも届きません、結構な山の中ですんで。

大台町へ下り<31>大台宮川線へ、旧宮川村役場付近で宮川右岸へ渡り<424>大宮宮川線に入り、紀勢道の大宮大台IC付近でそのまま<731>川合大宮線へ入ります、こちらは大内山川をはさんでR42の対岸路になります、紀勢本線にほぼ沿っていて車も少ないのですが結構アップダウンがあります。 しかし高速道路の完成であちこちで風景が一変しています。

時間の余裕がないと云いながら紀勢本線のキハ40系もそろそろ終焉なので、列車の時刻を睨みながら線路沿いを走ります、阿曽駅と伊勢柏崎駅の間で適当な場所を見つけたので、ここで昼食&鉄な時間にします。 facebookにアップした画像を見て鉄な某S先生は場所を特定したので、結構知られた撮影ポイントなのかも。 一応「自撮り」用に三脚も積んできたのですが、そんな余裕もなく、お荷物になってしまいました。

3枚目は電線が被っていますが、まぁ3度美味しい場所でした、やってきたのは東海色、この後に大内山駅と梅ヶ谷駅との間で下り列車を狙えたのですが、そちらも東海色でした。 個人的には旧国鉄色が趣味なんですが、旧国鉄色の2連と云うのは難しそうですね。 ちなみにキハ40系のオリジナルは首都圏色だと記憶しています。 もう少し温かくなったらこれを目的に走りに来ても良いかな、陽が長くなったら2往復狙えるかも。

梅ヶ谷を過ぎるとR42を走るしかありませんが、まぁ荷坂峠は片峠みたいなものですから、熊野古道ブ-ムのお陰で旧峠も行ける様ですがダートです。 しかし高速の開通でR42も交通量が減って随分走り易くなりました、鉄な用事がなければ素直をアップダウンの少ないR42を走った方が良いかも。

霞んでいますが、荷坂峠から見る熊野灘です、ここから紀伊長島まで200m程のダウンヒルです。 

 

ここまで来てやっと今日最初のスタンプポイント道の駅「紀伊長島マンボウ」です、マンボウ串焼とかクジラ串焼とかありますが、あまり好みやないんでパス。 紀伊長島ではR42東長島トンネルを避けて旧市街の駅前へ、踏切の横のその名も「ふみきりや」は健在でした、一応お花屋さんなんで用はありませんが。

紀伊長島から尾鷲にかけては幾つかの旧トンネルが歩行者や自転車用に供用されている処があり、中には県指定文化財となっているトンネルもあります。
 (左上)長島歩道トンネル、これは例外でR42長島トンネルより新しくて、最初から歩道トンネルとして作られています。 (右上)旧長島隧道、R42江ノ浦トンネルの海側にあります。 (左下)古里歩道トンネル(旧海野隧道)、R42古里トンネルの海側にあります。 (右下)道瀬隧道、やはりR42道瀬トンネルの海側にあります。 この後R42には三船トンネルがあり山側に三浦隧道と云うのがあったのですが、残念ながら廃道となっています。

銚子川を渡り、道の駅「海山」を過ぎると今日最後の峠となる尾鷲トンネルへ、熊野古道の馬越峠に相当します。 トンネルまでは標高差100m程、斜度も知れていますが、ここまで走ってきていると結構辛いものがあります。 ここも旧トンネルがあって海側にポッカリと口を開けているのですが、尾鷲側で橋が落ちてしまったとかで通行不能となっています、紀北町と尾鷲市の境界ですので、行き交う人もいないとは思いますが。 熊野古道の方の峠はブームのお陰で階段が整備されているのものの、自転車では返って越え難くなってしまいました、盟友峠おやじナワールド氏は押し担ぎで越えた様ですが。
 606mのトンネルを抜けると尾鷲市です、残念ながらこのルートでは海を見下ろす云った展望はありません。 1999年に尾鷲から見て対岸の須賀利へ越えて、定期船に乗って尾鷲入りした事ありましたが、背後に大台の山々を背負った尾鷲の風景は感動ものでした、今はその定期船もありません。

尾鷲市街を抜けて少し行った処の丘の上にある「熊野古道センター」へ、思っていた以上に立派な施設にちょっと面食らいます。 17時26分余裕で25地点目のスタンプGET、伊勢路エリア完了、三重県制覇、残るは和歌山県の5地点のみです。 ところで「熊野古道センター」の最寄り駅は一つ先の大曽根浦駅なのですが、付近にコンビニも何もない無人駅ですので尾鷲駅まで戻り1905発の最終のスジに乗る事にします。

帰途、桜井までの輪行は4時間6分、コンビニで食料を仕入れて尾鷲駅へ、今回はマッドガード無しで来ていますので楽勝で輪行支度を済ませ1905発多気行きに無事乗車しました。 本日の走行充実の148.8キロでした。