昨日の転倒の後遺症でもないのでしょうが、身体の節々が痛いような… さて今日はお供を仰せつかったので奈良まで。
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平福宿から「片鉄ロマン街道」へ
「18きっぷ」消化サイクの最後は「片鉄ロマン街道」に行く事にしました、云わずと知れた片上鉄道廃線跡を利用した自転車道なのですが、いままで訪れる機会に恵まれなかったのです。山陽本線の和気からスタートすると片道30キロ程の行程で、それだけでは面白くないので、姫新線の播磨徳久まで行って、未収の佐用郡中安村道路元標と因幡(智頭)街道の平福宿に寄ってから「ロマン街道」は片道だけ走って帰って来ようと考えてみました。
さて播磨徳久駅まではJR桜井駅から始発で輪行すると接続が悪く、所要時間4時間59分で1051着となってしまい、ぐずぐずしているとスタートがお昼になってしまいます。そこで未明にJR奈良駅までの20キロ余りを自走して0450発に乗車し播磨徳久を目指す事にしました、それなら所要時間は4時間24分、0914には到着できます。大阪鶴橋まで近鉄を利用してもこの時間には辿り着けません。
うちのHPに「懐かしの鉄道写真集」と云うコンテンツがあるのですが、その中の姫新線の一枚の写真(左)、三日月駅としてあるのですが、どうも違う様なのです、どちらかと云うとここ播磨徳久駅の佐用側の様な気もするのです(右)。
さて中安村道路元標ですが、播磨徳久駅の南側の山の上、元々公民館だった場所にある様なのですが、藤原勝永著「兵庫県の道路元標」と国道901号さんの「道路元標が行く」には記載はあるものの、その他の情報がありません。公民館は現在では社会福祉法人「はなさきむら」と云う授産施設となっていて、駐車場まで行ってちょっと見渡した処では見つかりません、とにかく施設の構内なので了解を貰おうと建物への坂を登って行くとありましたネェ、らしきものが斜面の途中の段になった処に草に埋もれて、もう見つけられたのは長年の勘と云うか臭覚と云うか。幸いうつ伏せにはなってはいなかったので間違いなく「中安村道路元標」だと確認できました、でないと足元の悪いこの場所で道路元標を転がすのは至難の業です。これで1,043基目となりました。
現在では同じ佐用町ですが佐用坂と云う小さな峠を越えて平福へ、ここにも平福村道路元標があるのですが、前に訪れた2007年には平福郷土館の中庭に保存されていて、休館のために塀越しに写真を撮ったのですが、今回は開いているだろうと訪れてみると、開館はしていたものの前の場所にありません、尋ねてみると元あった現在の郵便局の前に移設したと教えて頂きました。 さっそく郵便局に向かうと無事に鎮座したました。
せっかくですので標準のセルフタイマーを使ってピンポンダッシュするしかありません、まぁ昔はそれで「自撮り」していたのですからね。Uターンして戻ってくるシーンは無理ですが、近距離の後ろ姿なら数テイク撮れば、どうにかなります。
県道は自動車道のトンネルの上の峠を越えます、出雲街道杉坂峠です。峠の桜が時折吹く風に花びらを散らせます。 ここから「片鉄ロマン街道」の終点吉ヶ原駅までまだ20数キロ走らなくてはならず時間も押していますが、このシチエーションを見過ごす訳には。しかし散る桜を絵にするのはなかなか難しいものです、後から動画で撮れば良かったかなと、G1と違ってG2は動画が使えるのですが、実は今まで一度も使った事がないのです。
途中からR179へ入り、林野の手前から旧道に入ってR374に入る事なく県道を継いで吉野川右岸から吉井川左岸へと入れたので、初めて辿るコースでしたが、車と信号の少ない快適な道を走り、16時過ぎに片上鉄道の旧吉ヶ原駅に着く事ができました。
平福に続いて吉ヶ原でものんびりし過ぎて、もう「片鉄ロマン街道」は和気まで走る抜けるのが精一杯の時間になってしまい、その上「片鉄ロマン街道」に関しては自転車道だから行けば判るだろうと何の下調べもしていなかったので、途中で道を間違える始末。一応は桜の花びらが敷き詰められた苦木駅で写真を撮りはしたものの、下り基調の道を突っ走って真っ暗になる直前に和気駅に辿り着くことができました。
さて帰りの電車の時刻を調べると、既に「18きっぷ」のままJRで桜井まで辿り着ける時間は過ぎています。 播州赤穂あたりと同じ感覚でいたのですが、乗換時間や運行本数の違いでかなり違ってくる様です、とは云っても鶴橋から近鉄利用や高田から10キロ程自走するなら十分に余裕のある時間です。いずれにせよ帰宅は遅くなるのでコンビニで補給後、輪行支度を済ませ1947発に乗車、無事に帰途に就く事ができました。「片鉄ロマン街道」は走り抜けるだけになってしまいましたが、幾つか「自撮り」ポイントの目星を付けておきましたし、次の機会への愉しみとしておきます。9年ぶりのキララときめきロード
さて「18きっぷ」消化サイクは9年ぶりに和歌山の「キララときめきロード」こと県道<24>御坊由良線と<23>御坊湯浅線を走りに行く事にしました。 「キララときめきロード」は有田市から御坊市にかけて内陸部を山越えするR42に対して、海岸線に沿って走る県道の愛称で、風光明媚ではありますが距離は倍程になります。 10年程前に湯浅や広川を起終点として、山越えの旧道で南下し、海岸沿いに北上するルートで何度か走りました。
今回は桜井0552発に乗車、和歌山線経由で向かう事にしますが、問題は和歌山駅での乗り換え時間が1分しかない事、それも通勤時間帯にホーム違いの7番線から5番線へ、間に合わなければ次の列車は湯浅行きとなってしまいます。 間に合えば御坊まで乗車してコースを北行き、間に合わなければ湯浅から南下する事に、ただ湯浅スタートにすると一旦国道側に出なければコンビニ等がなく、コース上で飲料以外の補給は難しいのです。 幸い無事に乗り換える事ができて、0805発紀伊田辺行きに乗車する事ができました。 まぁ近鉄で鶴橋まで出て天王寺経由にすれば、こんな苦労はせずに済むのですが。
通称アメリカ村、三尾を過ぎた処で日の岬灯台まで往復する事にします。 標高で150m近くまで登らなくてはならないのですが何とかなるでしょう、だったのですが「延陽伯」号こと片倉シルク24のフロントがインナーに落ちません、どうにか手で押さえてインナーに落としたのですが、ガイドをこすっています。 何年ぶりかに日の岬灯台を見学、お天気は最高、もちろん「自撮り」の準備もしてきているのですが、海側に植生が多くて、適当なポイントが見つかりませんでした。
美浜町三尾から小さな峠を越えて日高町阿尾へ、実はここは父方の郷里でもあります、今では身寄りは暮らしていませんが、数年前にUG兄氏とこのコースを走った折は、伯母が健在で立ち寄った思い出があります。 反対側の産湯海水浴場と云うのがあって、今ではそちらが有名なのですが、私が小さい頃はこちら側の磯で泳いだものです。
このコ-スのハイライト、白崎海岸の見える処までやってきました。 「自撮り」ポイントを探しながら走っていたのですが、白崎海岸を入れながら撮れなくはないのですが、絵にならないと云うか、それに少し曇ってきてしまいました。
白崎海岸は現在、白崎海洋公園となって道の駅やキャンプ場が整備されています。 元の採石場の跡がキャンプ場になっていて、まわりを白い岩山に囲まれた風景はちょっと日本離れしています、「日本のエーゲ海」とかなんとか。
白崎海岸から北は衣奈(えな)漁港にかけて一つ峠が残っていますが幾つかのトンネルができて随分楽になったのですが、衣奈まで来て県道<23>御坊湯浅線の旧道が工事通行止となっています、そうなると衣奈トンネルまで登る新道を走らなければなりません、湯浅方面へはトンネルの手前で左折して更に、結局旧道の倍の標高150m程まで登る事に、それを強引にアウターで登ってしまったので、すっかり消耗してしまいました。
湯浅駅まで走ろうかと思っていたのですが、大概くたびれてしまったのと、湯浅駅前は狭くて輪行支度がしづらいので、一つ手前の広川ビーチ駅で本日は終了と云う事に、本日の走行56.3キロ、些か物足りない気もしないでもないのですが、「延陽伯」号には日の岬と迂回路はちょっと荷が重たい様でした。 ちょっと飛鳥まで
四国ツーリング(6日目)
帰途はサイドバッグを宅急便で送り、山陽本線側に出て「18きっぷ」輪行で帰ろうと云う以上の事は具体的に決めていなかったのですが。さて最終日です「しまなみ」で帰るか、海路岡村島に渡って「とびしま」で帰るか、そして松山まで走りフェりーで周防大島に渡り、柳井まで走って帰るのも面白いなと考えてみたものの、明日の天気が思わしくない事と三津浜港からのフェリーの夜行便が日曜運休だと判り、それに荷物を送るヤマト運輸の営業所が「とびしま」沿いにはないので、素直に「しまなみ」ルートで帰途に就く事にしました。
再びサイドバッグを取り付け「シクロの家」を8時には出発します。昨日と同様に来島海峡大橋までは浜沿いの道を行きます。
「しまなみ」のメインルートに入ると土曜日とあって様々なスタイルのサイクリストが、家族づれや親子が多いですね。
来島海峡を渡り終え大島は南半分は外周ルートを取ります、距離は少し伸びますが、私にはこちらの方が楽ですね、来島海峡大橋を下り切った処で追い越した2台のロードを、吉海支所の前のローソンで休憩しようとしていたら抜かされましたら、坂のない分有利な様ですね。
4サイドで亀老山に登ってやろうかと云う考えもよぎったのですが、さすがにね、気温や風向きを考えるとチャンスだったのですが。
写真は伯方大島大橋に向って大島東岸を北上中。
2度ばかり「自撮り」をこなして道の駅「多々羅しまなみ公園」へ、「サイクリストの聖地」とやらで一応記念写真をば。小学生位の子供に「こんにちわ、どこから来てるんですか」と声を掛けられます、家族で「しまなみ」へサイクリングへ来ている様な雰囲気なのですが、荷物を一杯積んで走る旅自転車の姿は子供にも興味を感じさせるのでしょうね、何処から何処を通ってどうのこうのと云ってもちょっと伝わらなかった様ですが。
多々羅大橋を渡り生口島へ、瀬戸田方面へのコースへ入ります。丁度お昼時ですので、1月にも寄った自転車カフェ「汐待亭」へ、角煮丼はなかったのでカレーライスを注文。
瀬戸田ではヤマト運輸の営業所へ、ここからサイドバッグとテントを宅急便にして送ります、さすがにこれだけの荷物を担いで輪行は不可能、やった人もいますが。もちろん今治から送っても良いのですが、四国の愛媛県と中国の広島県では奈良県への運賃が違いますんで。
ヤマト運輸の営業所ではクロネコボックスと云う名前で梱包資材も売っています(郵便局でもゆうぱっくの箱は売っていますが)、ただ一番大きい140サイズのものが置いてなくて、小さな箱の2個口になってしまい、その分送料が割高になってしまったのが大きな誤算でしたが。
その上梱包作業とかに1時間程かかってしまい、営業所を出たのは14時、「18きっぷ」のままJRで奈良桜井まで帰ろうとすると尾道1615発がタイムリミットです、まあ乗り遅れても大阪鶴橋から近鉄を利用すれば充分帰る事はできるのですが。
身軽になった事ですし、乗れるのものなら1615発に乗りたいので先を急ぐ事に、結局は向島の駅前渡船の桟橋までを1時間20分程で走って1520に到着、無事に輪行支度を済ませて1615発の播州赤穂行きに乗車する事ができました。本日の走行82.3キロ、平均速度19.3キロ。
四国ツーリング(5日目)
中央構造線を離れ今治へ、今日は「シクロの家」に連泊していますので、サイドバッグを下ろし身軽になって「しまなみ」を「自撮り」サイクリングに向います。 来島海峡大橋までは車と信号の多い国道沿いを避けて、浜寄りのコースを取ります、但しこちら側は道が判りにくいのと防波堤に沿った道の舗装状態があまり良くないのですが、来島海峡大橋を東側から望みながら走る事ができます。
来島海峡大橋を渡り、大島はいわゆる「外周コース」と呼ばれる西岸から北岸を巡るルートを走ります。 こちら側には田浦峠(78m/写真左)と云う峠があるのですが、標高そのものはメインルートの宮窪峠(79m)と変わらないのです、斜度は多少キツい様ですね。 峠を越えて暫く行くと北岸に出て、対岸に大三島を望む事ができます(写真右)。
大島大橋と伯方橋を渡ります、この橋は一体となっているのですが、途中に見近島と云う島があって歩行者、自転車は下りる事ができ、ここには無料のキャンプ場があります、「しまなみ」周辺には他にも魅力的なキャンプ場が幾つもあるので、一度利用してみたいのですが、「シクロの家」の居心地が良すぎてね。
伯方島を通過し大三島へ、大三島橋(写真左)から大三島南岸へはちょっとした抜け道があるのですが、スロープの途中にあって下って行くとちょっと判りにくくて、見落とすかも。 そちらへ下って鼻栗瀬戸をバックに「自撮り」をば。
大三島南岸を西へ、海岸沿いの快走コースが続きます。 1月にも走っているのですが、その時は岡村島経由で宗方港へ渡り、この先の工事区間を迂回しこの南岸を東へ走りました。 既に工事による通行止は解除されているのですが、舗装工事が続いています。
大三島西岸を北上、北岸に抜ける処にちょっとした無名の峠(68m)が、峠に出ると対岸に見えるのは、最初は大久野島かと思ったのですが、何やら電車の様なものが走っています(写真右)。 それは呉線、もう対岸は広島県三原市なのです。
ムラマサ君には峠で折り返して貰います。 東岸へ回りこむと多々羅大橋が見え、しまなみ外周ルートも完走です。 彼と一緒に走るのは2012年4月の「月うさぎキャンプ」以来です。
今回もお世話になりました「しまなみゲストハウス シクロの家」輪音RUN「奈良 古道サイク」乱入
明日から「四国ツーリング」が控えていると云うのですが、今日はスミだんなさんの主宰する「輪音(わおん)」の「奈良 古道サイクリング」に少し顔を出させて貰ってきました。
集合場所は大阪の柏原市役所前なのですが、さすがにそこまで行って戻っても来れないので、大和川御幸橋で合流させて貰う事に。 向かい風にもめげず少し早く着いたので、河合村道路元標へご挨拶。 その後北詰で待ち合わせと云う事だったので大和川右岸を遡ってきて富雄川合流点を回って来られると思ってカメラを構えて待ち構えていたら、なんと南側からやってきました、しまった。
下見のときはお昼は「4’season」の予定だったのですが、あまりに人数が増えたので藤原京跡でお弁当を拡げると云う事に、コンビニよりもスーパーの方が良いだろうと醍醐のオークワにご案内して、各自弁当を仕入れます、安くて種類も多くて大正解。 すみません「4’season」の前をゾロゾロと通過します。
食事の後は桜井経由で上街道を北上し、天理から軽便鉄道跡を法隆寺方面へ向うのですが、私は柳本の黒塚古墳までご一緒させて貰い、残念ながら明日の準備も少し残っているので引き帰させて貰いました。 本日の走行55.5キロ。 奥三河サイク (2日目)
本長篠駅0655着、そそくさと輪行支度を解き、まずは昨日と同じ内金トンネルへ急ぎます、今日は土曜日ですので見物客が来ないうちが勝負、また昨日は午後でしたが反対の朝の陽射しを狙ってみる事に。少し風があるので時折満開の河津桜を散らせます。 桜散る風景はskuram氏~santaさんコンビの名作がありますね、なかなか静止画では難しいシチエーションです。
やはり8時前には見物客が、エンジン音を轟かせてやってきたのは何とロータスヨーロッパ、40年ものですよね、うちの「延陽伯」号より10年は古い、昔友人が乗ってましたがトラブルが多くて、そんな車を今も走らせてるって凄いと云うか。そろそろ「自撮り」も難しくなってきましたし、それに今日は「自撮り」「廃線跡」「道路元標」と課題が多くてゆっくりもしてられません。
副川作り道と云う処で廃線跡は県道と別れて対岸へ、市道として供用されています。 断崖に掘られたトンネルと対岸の風景が一幅の絵の様です。ここで「自撮り」とも考えたのですが、明暗差が大きすぎるのと、断崖が高すぎて収まらないのと、普通の高さではガードレールに対岸の風景が遮られてしまうのです、この写真は手を伸ばして精一杯の高さから縦方向のパノラマ撮影をしています。
県道32号長篠東栄線と別れて県道389号富栄設楽線となり稲目トンネルへ、立派な2車線のトンネルですが、廃線のトンネルを拡げたとか。 ここで本長篠から豊川の支流海老川を遡ってきた田口線は豊川沿いに入り国道257号となります。
廃線跡は清崎で現在の設楽町の中心部である田口へ登って行く国道と別れ豊川沿いの谷間いを遡って行きまする、こちらも町道として供用されているのですが、これより上流には現在設楽ダムの建設が決まっていて、この廃線跡も湖底に沈んでしまう様です、地質調査が行なわれていて、この廃線跡の町道を辿る事ができなくなるのも時間の問題でしょう。 写真右下が田口鉄道の終点三河田口駅跡、何も無い山合いの広場です、旧田口町の中心部との標高差が100m以上もあった事と、鉄道建設の目的であった木材搬出のためにこちらのルートになった様でですが、それが旅客輸送にはマイナスとなって、結果的に廃線に結びついたと云う事らしいのです。 と云う訳でここまでは大した坂もないルートを辿ってきた訳なのですが、お陰でここから一気に九十九折れの道で高度を稼がされる事に。
1042基目となる北設楽郡田口町道路元標を履修後、真新しい岩子谷トンネルをくぐります、このトンネルでかつての峠道は片峠となってしまった様です。 設楽町神田(かだ)、時刻は12時半。 ここで園村道路元標に向うか本長篠へ戻るか思案のしどころです。 単純に標高差は200mなのですが、事前にプロファイリングをして来ていないので所要時間が全く読めません、飯田線東栄駅まで下って輪行するとしても、そうなると東栄駅1549発が18きっぷで帰るタイムリミットとなります。 コンビニおにぎりをかじりながら暫し作戦タイム。 園村は田口町とセットで考えていただけにここまで来て取りこぼすのは痛いのですが、どうにも計算ができないのと、ここから峠を越えてFaceBookのお友達がお奨めの四谷の千枚田や梅の里「川売(かおれ)」とやらにも寄ってみたいしと…
四谷の千枚田にやってきました、なかなかのロケーションです。 かなり遠いですが「自撮り」にトライ、カメラをセットして3分のタイマーをかけて下ります。 結構な激坂なので自転車は置いてカメラを取りに戻る事にします、一発勝負ですから時間合わせとコース取りは念入りに。
もうひとつの川売と云う処は見つけられずに下ってしまい帰途に、朝通ったばかりの道なのに、浜松と云う標識に惑わされて本長篠駅へ戻るつもりが大海駅へ、結果的にはこちらの方が楽だった様なのですが、大海1628発で無事に帰途に就く事ができました。 奥三河サイク (1日目)
サイクリストならずともトンネルの中から見る風景は魅力的なものです、こと自転車に限ってでも、かつてだいすけさんが運営していた当時の「ランドナー補完計画」のトップページを飾った信州嶺方峠の白沢隧道から見る冠雪の北アルプスは「ランドナーの聖地」とまで云われたものです、インターネット黎明期における数少ないサイクリスト向けサイトだけに、この写真に魅せられて多くのサイクリストが嶺方峠を目指したはずです。残念ながら今ではスノーシェッドの設置で馬蹄型のボータルのシルエットを見る事はできなくなってしまいましたが。
当然「自撮り」のロケーションとしてもトンネル越しの風景は魅力的なのですが、先日FaceBookのお友達のKさんの投稿で愛知県は新城市にトンネル越しに河津桜が望めるポイントがある事を知りました、河津桜ですから今が見頃、先日買ったばかりの「青春18きっぷ」も全ての使い道までは決めていません、最寄り駅の飯田線本長篠なら、充分に日帰りで行って帰ってくる事は可能です。 天気予報をみながら見物客の少なそうな平日を狙って急遽行こうと決めたのです。
前置きが長くなりましが、今回はasuka号がドッグ入りしてる事ですし身軽な「延陽伯」号で向う事にし、件のトンネルも100m程あり、さすがにトンネルの中に三脚は立てられまいと45-200mm(35mm換算90-400mm)の望遠ズームも持って行く事にします。 未明に王寺や奈良まで走って行くと云った無理はせずに桜井線の始発に乗って奈良経由で向う事にします。 奈良経由と云っても京都~米原経由と亀山経由とあるのですが、この時間はどちらでも本長篠着は同じだろうと思い込んでしまい、のんびり行ける亀山経由を選んだのですが、それにしても接続時間にゆとりがあるな思っていたら京都~米原経由の方が1時間も早く着くのでした、まぁ今日は本長篠駅近くで「自撮り」をするだけですので時間は大丈夫でしょう。 お陰で久しぶりに名古屋駅でホームの立ち食いきしめんを戴く事ができました。
ところで飯田線本長篠駅までは待ち時間を含めて7時間の長旅、今回は事前に下調べをする余裕がなかったのですが、ネットでなんでもできる時代、車中でスマホで色々調べ事を。 件のトンネルの前後の地図を見ていてフト気が付いたのですが、本長篠駅からトンネルへ続く緩やかなカーブ、これはもしや廃線跡では、「本長篠 廃線」でググって見ると案の定、豊橋鉄道田口線の廃線跡でした、昭和4年に田口鉄道として開業し、昭和43年に廃止されています。 廃線跡それはそれで魅力的なのですが、田口の名前を知って気が付いたのは北設楽郡田口町(現設楽町)には未収の道路元標が残っていた事、近くの同郡園村道路元標と一緒にいつかは回りたいと思っていた処だったのです。
飯田線本長篠1243着、一応ここを1649発に乗車できる様に戻ってくると良い訳なのです、ともかく輪行支度を解き「自撮り」ポイントへ向います。
桜並木はトンネルの本長篠駅側、郊外の住宅地の外れと云った雰囲気の中にあって、反対側に出て長玉で狙うと見事に桜並木が収まります。 今が丁度満開、見物客もチラホラ、地元の車が時々通りますが、合間を見計らってどうにか「自撮り」はできそうです、まぁ最悪は裏技もありますし。
長玉の威力でこんなショットも、結局1時間余り数テイクを撮る事ができました。 ただ外部タイマーの挙動がおかしくなって電源が落ちるのです、どうやら電池切れの様です、電池は単四2本、万が一の時は自転車のテールランプの電池と入れ替えるのですが、実はその手を使ったばかりだったのです、近くにはコンビニもありませんし。 とりあえずG2標準のセルフ3連写を使いますが、時間的に追っかけしか撮れません。 ともあれほぼ満足のできる結果も出てそうなので撤収する事にしたのですが。
ところで気になるのが廃線跡と道路元標、これから20数キロ走って設楽町まで行けば、園村道路元標も含めて明日回れるのでは、泊まりの準備はしてきていないのですが、設楽で安宿でも取れればとあたってみる事に、設楽町に中野屋旅館(萃夢荘)と云う処が税込み3,800円であったので、電話をしてみたのですが、今夜は団体で満員だとか、1人なので体良く断られたのかな、実は後で知ったのですが「萃夢荘」と云うのはアニオタの聖地なんだそうなんです。
本長篠駅に戻ってきて、最終のスジとなる1649発の1本前の1620発に乗車できる余裕の時間です。 そして豊橋に着く直前にフトある事に気が付きます、もしやヘッドパーツを取り付けていないのではと、輪行袋の中を確認してみると案の定付いていません、輪行支度をした駅舎の窓枠に並べて置いたままなのです。 思い出したのも思い出すタイミングも奇跡的と云わざる得ないのですが、代りが無いだろう部品だけに取りに引き返す以外にありません、こう云う時にジョルダンの乗換案内は役に立ちます、有料アプリですがガラケー時代から愛用しています、ただソフトとしてはちょっとお行儀が悪いのですが。 豊橋に1716着、1719発の本長篠行きで戻る事に。 ヘッドパーツがあってすぐに折り返しても豊橋に再び戻って来るのは1922、名古屋から近鉄経由で帰れなくもないのですが、お得な株主優待券の準備もしてきていませんし、それなら廃線跡と道路元標の事もあるので、豊橋泊と腹を括る事に。
ところでFacebookを覗いていると件のトンネルを紹介して下さったKさんが桜並木に来られているとの事で、本長篠へ戻る私に会いに来てくれるとの事です。 本長篠1816着で折り返し1823発、ヘッドパーツを無事に確保して、僅かの時間でしたがご挨拶して名刺代わりのカレンダーをお渡しする事ができました、写真右はKさんが撮ってくれました。
豊橋に戻り宿に着いてから食事と買い物に出掛ける事に、泊まりとなると色々と準備しなくてはならない物が、カメラのバッテリは予備が2個あるのですが、モバイルバッテリーが明日1日分とても持ちそうにありませんし、単四電池も買っておかなくては、幸い駅中のファミマにUSB充電器が売ってましたので、買い求める事に。
本日のなんと走行3.6キロ、当初は「自撮り」の後は三河大野まで走ろうかとも思っていたのですが、3.6キロはトンネルの中を行ったり来たりしていた距離が大半かも。
自撮りポタが廃線跡巡りに
例によって上街道を北にとりますが、巻向でR169がJR桜井線と上街道を跨ぐ陸橋に登ってみました、箸墓古墳をバックに上街道を往くのを「自撮り」できないかと思ったのですが、邪魔ものを避け様とすると長玉が要るのと、逆光なので今日は諦めて出直す事に。 真ん中のガレージは1年前までなかったのですがネェ。
続いて昨日の「下見ポタ」で天理市役所の方に教えて頂いた防空壕跡へ、上街道を北上し柳本で少し西へ。 私の小さい頃にはあちこちに防空壕跡なんちゅうもんが残っていて、爆撃の標的にはならなかった明日香村にもあって、芋の貯蔵庫代わりに使われていたりしました。 ここの防空壕は非常にしっかりしたもので、どうやら海軍柳本飛行場の遺物のようです。 ググってみると建設には’朝鮮人強制労働’なんて根拠の怪しい記述が見られますが、いずれにせよ忌まわしい文化遺産の一つです。
大和神社の境内を抜けていつものルートへ戻ります。 昨日、大和神社で頂いた「天理市観光ガイド」を下敷きに、毎週通っているのに、ここに’芭蕉句碑’があるとは知らなんだ「草臥れて 宿かる此や 藤の花」、ツーリストの歌ですね。
丹波市(たんばいち)で「自撮り」をしていたら、なんと3月のサイクの下見で下ッ道~上ッ道を走って来た、大阪のスミだんなと和歌山のにもさんに捕まってしまいます。 この後は天理軽便鉄道の遺構巡りをすると云う事なんで連れてって貰う事に。
まずは近くの市座神社に丹波市町道路元標と上街道に架かっていたと云う石板がありますので立ち寄ります。 巨大な石板の解説はありますが、道路元標については何も記されていません。
法隆寺駅でお二人と別れ帰途に就きます。 太子道(筋違道)で帰ろうかとも思ったのですが、結局は大和川沿いで帰る事に、飛鳥葛城自転車道に一旦入り大和中央自転車道を北へ、ここから起点のファミリー公園前までは盲腸みたいな区間で草ぼうぼうだったのですが最近整備された様です。 相変わらず「大和郡山田原本橿原自転車道」と「大和中央自転車道」おまけに「ならくるC-8物部ルート」の案内標識まで並んでいます、まぁ予算の出てる処が違うからなんでしょうね、縦割り行政は自転車道まで、無駄な上に紛らわしい極みですね。


































