今回は雪が積もる前に丹波丹後の道路元標をやっつけておこうと、往復輪行の予定で丹波方面へ向かう事に、桜井5:38発のJR桜井線で奈良へ、木津で学研都市線に、同志社前では始発の篠山口行きの直通快速に乗換て、これで混雑する大阪市内を座ったまま通過する事ができる。
篠山市域の元標は先月にほぼ履修済なのだが古市駅で下車し国道176号線を北上、遠回りだが先月から通行止の標識が出ていた<77>篠山山南線を使ってJR福知山線沿いに交通量の少なさそうな道で柏原方面に抜けようと企てたのだが... 「通行止」といっても自転車も通れない様なケースは稀なのでタカを括っていたのだが、2キロ程入った処でしっかりしたゲートとフェンスがあって路肩を擦り抜ける事すらできない。
すごすごと国道176号線まで引き返す事に...
今日の予定の氷上郡と朝来郡へ篠山から国道176号線で向かうには鐘ヶ坂峠を越えなければならないので敬遠したのだが、篠山側の標高差は知れていて旧道もほぼ繋がっているので意外な程快適に
鐘ヶ坂トンネルにたどり着く事ができた。
その上新鐘ヶ坂トンネルが開通していて旧トンネルの交通量は皆無、こんな事ならわざわざ工事中と書いてある篠山山南線に突っ込まずに素直に国道を走れば良かったと少し後悔、日頃から交通量の少ない道や旧道を縫って走っているもので(^_^;)
また新鐘ヶ坂トンネルの開通を期に明治期の鐘ヶ坂隧道が整備され通行できる様になっている様である、アプローチが数100mのダートなので今回は遠慮する事に。
なお全長は200m余りだが隧道内には排水路が横切っていて照明もないそうなので、ヘッドライトは必携の様である、煉瓦積みのボータルは篠山側が綺麗に残っているそうである。

氷上郡で幸世村、芦田村、佐治町、遠坂村の道路元標をGET、国道427号線で
遠坂峠を越え朝来郡へ入り粟鹿村、簗瀬村、枚田村、東河村と廻り無名の峠を越え上夜久野駅へ下った時には既に15時、あわよくばと考えていた舞鶴へはとても明るいうちにたどり着くのは無理である、随分陽も短くなった事もあるが篠山を朝10時前にスタートしているのだから、まぁ仕方がないだろう。
↑上夜久野、日頃奈良や紀伊半島と風景を見慣れている目には、山の形や瓦の色とかも違っていて新鮮です。

とにかく天田郡金谷村の道路元標をGETするために夜久野から国道9号線を福知山方面に走ります、ツーリングマップルには「交通量の少ない区間」なんて書いてありますが、大型車がバンバン走る自転車にとっては最悪の道、極力旧道や走れそうな歩道をよって走りますが、正直云って二度と走りたくないです。

金谷村元標も無事にGET、福知山市街まであと少しですがお腹もすいてきたしとコンビニで買い食いしていたら、すっかり遅くなって次のポイントへ明るい内に辿り着くのは不可能だと、福知山駅まで走っても乗れる列車に変わりは無いようなので最寄りの山陰本線上川口駅から輪行で帰途に就く事に。
本日の実績
走行ルート往復輪行所要7時間、実走行5時間、走行距離101.7キロ、
峠×2、道路元標×9で計86基、奈良県下にはまだ16基程残っているので100基達成も射程に入ったのだが、遥か下北山村とか現存が怪しそうな処も幾つかあるので...
明治22年に油良村として発足、明治24年に幸世(さちよ)村となり、昭和30年に近隣5町村が合併し氷上町となったが、平成16年に丹波市となり氷上郡は消滅した。
元標は現在県道<7>青垣柏原線沿いの北小学校正門脇に建っている。
「幸世」の名は郵便局に残っている。
芦田村は昭和30年に近隣4町村と合併し青垣町となり、平成16年に丹波市となった。
元標は県道からは川をはさんで離れた芦田小学校正門脇にある、旧道脇にも思えないし保存のつもりで移設した様にも思えないが。 また他の氷上郡の道路元標5基は省令に従った形状だが、ここ芦田村と船城村道路元標は形状が異なり、材質も異なる様に思える。
遠坂村は昭和30年に近隣4町村と合併し青垣町となり、平成16年に丹波市となった。
国道427号線沿い、遠坂小学校向かいの八幡神社前に元標はある。
粟鹿(あわが)村は昭和29年に梁瀬町、与布土村と合併し山東町となり、平成17年に朝来市となった。
道路元標は国道427号線沿いに建つ。
‘粟鹿’の名は小学校に残る。
簗瀬村は大正15年に町制をしき、昭和29年に粟鹿村他と合併し山東町となり、平成17年に朝来市となった。
元標は旧街道に沿った大きな屋敷脇に建っている。
なお地名は’山東町矢名瀬’と表記されているが周辺の駅や郵便局は’梁瀬’のままである。
枚田(ひらた)村は旧和田山町の前身、昭和5年に町制をしき和田山町となり、平成17年に朝来市となった。
元標はJR播但線、県道<104>物部養父線に面した枚田小学校正門脇に保存?されている。
工事中だからなのかも知れないが、正門には門扉は無く撮影する事には支障はなかったが一応は学校敷地内である(^_^;)
東河村は昭和29年に和田川町と合併し、平成17年に朝来市となった。
元標は現在の県道<273>金浦和田山線の北側の旧道沿いにある。
‘東河’の名は小学校と簡易郵便局に残っている。
金谷村は昭和30年に福知山市に編入されている。
元標は国道9号線の北側に並行する旧道沿いの空き地の前に建っている、近くにあった金谷郵便局はなくなってしまった様で’金谷’の名前は小学校に残っている位の様である。
今日は絶好のサイクリング日和、
天五さんやMikeさんやらと色々と企画がある様なのですが、仕事の都合で奈良市近辺から離れられないので、京都府南部から奈良県北部にかけてに未収の’道路元標’と’県道ヘキサ’を漁りに行く事に...
上街道を北上、天理から筒井まで西進してから奈良から木津へ、木津川自転車道や旧街道をぬって宇治から淀、八幡と走り、本日の収穫14基(^o^)/
これで計77基になりましたが、往路自走でたどり着けそうな処だけでは100基達成には届かない様です。
京都府南部では旧国道24号線、現在の府道70号上狛城陽線沿いに未知の道路元標を探索しますが今回も見つける事はできませんでした。
←山城町域では上狛村、高麗村、棚倉村の役場跡であった事を示す標柱がありました。
これらは昭和50年頃に山城町によって建てられたものの様です。
未収の奈良県道ヘキサは4基、実は京都府道も幾つか撮っているのですが京都、滋賀とやりだすとキリがないので...(^_^;)
八幡村道路元標をGETした後、木津川自転車道へ入り流れ橋を渡り城陽市で用事を済ませてから木津川右岸を南下、8月には工事中だった区間も通れる様になっていて山城大橋まで南下し再び左岸へ渡り玉水橋へ...
これから所用で’あやめ池’近辺まで行かなくてはならないので玉水橋を渡った処で地図を確認していたら、信楽?上野ツーリングから帰りの
天五さんとばったり遭遇します、これから御幸橋をまわって大阪まで帰るそうで170キロ越えにはなる様で、しかしタフですわ(^o^)
木津川自転車道を離れ祝園?山田川?登美丘と走りあやめ池へ、用事を済ませ’ちゃんこ鍋’を頂いてから帰途に、輪行袋も携行していたのですが月も明るい事ですし夜道を走って桜井へ帰り着いたのは23時前でした(^_^;) 本日の走行152.1キロ。