しかし誰がブチ上げたのかは存じ上げませんが「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」(報道資料)に基づく「京都・奈良・和歌山における自転車を活用した広域観光活性化計画」(県PDF資料)によるものらしいのです。 大和青垣吉野川自転車道線とは
しかし誰がブチ上げたのかは存じ上げませんが「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」(報道資料)に基づく「京都・奈良・和歌山における自転車を活用した広域観光活性化計画」(県PDF資料)によるものらしいのです。
しかし誰がブチ上げたのかは存じ上げませんが「全長75キロ、奈良県縦断サイクリングロード整備へ」(報道資料)に基づく「京都・奈良・和歌山における自転車を活用した広域観光活性化計画」(県PDF資料)によるものらしいのです。
幾つか紹介しておきますが、去年と比べると寂しいですね。 ところで彼岸花の方は一気に咲き始めています、写真としてもこちらの方が収穫があった様な。
表は曇り空、天気予報からして朝の内だけかなと思っていると、走っている内に少しパラパラとやってきます。 伊賀良村道路元標、山本村道路元標と行き過ぎたりとかでちょっと手こずります、些か勘が鈍ったかな。この先峠に入ってしまうと、コンビニとかはないので携行食の補給にコンビニヘ、イートインコーナーがあったのでちょっとコーヒーブレイク。
下伊那郡3つ目の会地(おうち)村道路元標にて、現在の阿智(あち)村の中心部にあたります。これから冶部坂峠に向って標高差700m程の登りとなりますが、やはり空模様は思わしくありません、念のために雨雲レーダーを検索してみると。
これはいけません、このまま行くと冶部坂峠の区間で降られる事は眼に見えています。もちろん雨具の準備はありますし、雨雲は東に流れて行く予測ですから、これさえかわせれば後は大丈夫そうなのですが、途中で雨宿りしている時間的余裕はありません。それに冶部坂峠は前後に寒原峠と赤坂峠と云う峠があって、冶部坂峠との標高差にプラスαがある訳です、多少旧道はあるもののトラックの多いR153、飛沫をかけられながら走るのは覚悟の上としても、見通しの悪くなった山中の国道を走るのは如何なものか、それに昨夕どうやらグローブを失くした様です。 撤退するとすれば飯田線沿線から輪行で帰途に就くしかありませんが、調べてみると天竜峡駅1250発豊橋行きがタイムリミットとなります、ここで進んでしまうと後は愛知県側へ走る抜けるしか方法はありません。この先予定している3基の道路元標を取りこぼすのは惜しいですが、そこは転んでもタダでは起きられないと云う事で、今回は予定に入れられなかった天竜川左岸の龍江村道路元標を回ってから天竜峡駅へ向っても良いかと、それに帰途に名鉄~近鉄ではなく「18きっぷ」を使う事になりますが、今の予報では次に「18きっぷ」を使う予定の30日は天気が思わしくないので帳尻は合いそうです。と云う訳で今回は大人の決断でここで撤収する事にしました。考えてみれば昨日「きしめん」を食べたいだけの理由で南木曽へ廻り、大平街道と云う充実したツーリングが出来た事ですし、今回はこれで良しとしましょう。しかし昨日先に天竜峡に行っていたら最低の1泊2日になっていた訳でした。
飯田線沿線に戻るのがアップダウンの多いルートになり閉口させられます、一度天竜峡駅に戻って姑射橋で天竜川を渡るのが最短になるのですが、そちらからでは激坂があるので、少し遠回りにはなりますが時又の天竜橋で天竜川を渡り対岸へ。伊那谷は全体的には穏やかな地形に見えますが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形を成していて細かな起伏が多いのです。地図で飯田線の線形を見ていただけると納得できるかと。さて最近になって現存が確認された龍江村道路元標は龍江小学校の前の元は役場があったという場所の一角にありました。
時間の余裕もある事ですし、ゆっくりとしっかりと輪行支度を整えます、キャラダイスの横長のサドルバッグが邪魔をして、本来のヘッド抜き輪行の様にスマートには収まりませんが、充分に顰蹙を買わないサイズに収まります、重たいのは仕方がないですが。天竜峡駅1250発の豊橋行きに乗車、桜井までほぼ9時間の旅程ですが乗車時間の半分はこの飯田線で、偉大なるローカル線の鉄旅を辟易する程堪能します。既に飯田線は完乗していますが、全線を通しで乗った事はさすがにありません。豊橋駅1616着、大垣行き特別快速に乗り換えて名古屋へ、帰りも再びホームできしめんを頂いてから関西本線へ、その後は亀山、加茂、奈良と乗り継いで2149桜井に無事帰投しました。
1泊2日の「18きっぷ輪行ツーリング」に行ってきました。本来は7月下旬に計画していた長野県から愛知県にかけての8基の道路元標を巡る「駒ヶ根~猿投ツーリング」だったのですが、天気が思わしくなかったり夏風邪にやられたりと延び延びになっていたのですが、用意してあった「青春18きっぷ」の有効期限も残り僅か、夏風邪の方は遊び回っているものの、ちゃんと治っているのか治っていないのか良く判らない体調が続いています。先日の「道路元標蒐集サイク(2016夏)」でも何となく体が重いと云うか。
奈良0503発に無事乗車しますが、あと一つ調子が悪ければ軟弱にも飯田線天竜峡駅まで輪行して、最近現存が確認された長野県下伊那郡の龍江村道路元標を巡って飯田に入ると云うもの。ただ関西本線の車中でゆっくり休めたのと、名古屋駅できしめんが食べたかったので、乗り換え時間に余裕のある南木曽行きを選択してしまいました。
名古屋駅0830発、中津川で松本行きに乗り継ぎ、ここで特急「しなの」に追い越されますが、18きっぷではなく5,650円払って近鉄と「しなの」を利用すると楽チンにここまでやって来れるのですがね。(写真右)ヘッド抜き輪行をするとここまでコンパクトになります、今のロードバイクでの輪行しか知らない人には、小径車か何かと映るでしょうね。長さが二人掛け座席の幅に収まり、巧くすると自立もします。
南木曽駅にて、11時前には出発準備完了、久しぶりの木曽谷の風景です。 実は輪行支度を解いていると、分割式マッドガートのネジ1本が無くなっている事に気付きます、輪行袋の中を探ってみてもスプリングワッシャは出てきたものの、肝心のM6のネジがありません、さてどうしたものかと思いましたが、幸いパンク修理などの小物を入れたケースの中からM6ネジが1本出てきて、呼びも丁度で一件落着。 危うくネジが手に入るまで分割式マッドガードの後ろ半分を背たろって走らなければならない処でした。
トラックが多くてサイクリストには悪名高き国道19号線を少し走り妻籠宿へ、平日とあって観光客も左程でもないのですが、さすがに人を映り込まない様に撮るのはなかなか大変です。 今日のこれからの行程が距離はともかく見えていないので、先を急ぐ事にします。妻籠宿に限らず全国至るところで古い宿場町が保存されている訳ですが、作り物感があって私としてはあまり魅力は感じないのですけど。さて国道256号線に入り飯田との案内も出ていますが、国道は清内路峠を越えて南側に迂回する様なルートで飯田へ向いますので、これから向う木曽峠~飯田峠の大平街道とは途中で別れる事にはなりますが、観光バスが行き交ったりとそれなりの交通量があり、その上日影も少なく些か閉口ぎみ。時間的に仕方がないとはいえ、この季節のこの時間から峠を目指すのは辛いものがあります。実は行程が厳しくなってくると、距離や標高差が気になってくるのですが、ここに来て折角作ってプリントアウトしておいた今日明日のプロフィールマップを忘れてきた事に気が付きます、明日の分は「轍ONLINE」にあるので、スマホで見る事はできるのですが。今日の分は記憶に頼るだけ、実際木曽峠と飯田峠の標高を反対に覚えていました。
妻籠宿を出て国道を走る事約4キロ、あららぎ温泉の前で待望の自販機休憩、それとここから集落の中を縫って走る旧道があります。蘭郵便局の前に商店発見、アイス休憩2個行っちゃいました。 店のおばちゃんが一升瓶ケースを椅子替わりに出してきてくれました、通る風が心地好いです。
アイス休憩してから幾らも走っていないのですが、そろそろ時間もお正午を回り13時近く、一応携行食は持ってきているのですが、一軒の食事が出来そうなお店がありますので覗いてみます、いわゆる民家カフェですね。サンドイッチとサラダのプレートを頂く事にします。
食事の後も旧道を行くと道が錯綜しているのですが、とにかく真っ直ぐに行きますと、国道の下を潜ります、そのまま行ってしまうと林道に入ってしまいますので国道へ登るように道をとります。ループする様に国道に取り付いて暫く行くと、木曽(大平)峠へ向う県道8号線への分岐が。ここでは大平峠と表記されています、5キロとの事ですが峠のトンネルまではもう少しありました。 ちなみに地形図で標高879mとなっていますので、南木曽駅から木曽峠までの標高差の半分もまだ来ていません。
途中に木曽見茶屋と云うのがあります、休業と云うより既に廃屋の様になっていますが、少し展望が開けていて南木曽岳が正面に見えます。県道を離れ徒歩で行ける展望台があるそうで、そこからは御岳山も少し見えるとか。
15時過ぎにようやく今日の最高点、木曽峠(1,358m)に到着、これより飯田市となりますが、峠のトンネルの手前に広場があって四阿と水場があります、一応トイレもありますが、ちょっと覗くのもはばかられる様な状況です。
峠のトンネルはトンネルと云うより切り通しに屋根があると云う感じで、どちらかと云うとスノーシェッド、雪国には時々あるタイプです。扁額は「木曽峠」となっています。荷物になりますが今回も「自撮り」の準備をしてきていますので、時間は押してますが、せっかくのロケーションですのでここで2テイクばかり。
木曽峠から標高で200mばかり下ると大平宿です。 伊那谷と木曽を結ぶ街道として、江戸時代に開かれ、飯田線の前身である伊那電鉄の開業と、現在の国道256号線の清内路峠ルートができた事により衰退し、昭和45年には集団離村で廃村となりましたが、近年保存の機運が高まり「いろりの里 大平宿」として廃屋を改修し、自給による宿泊施設として貸し出しが行われています。夏休みですが週末でもないので人影もないのだろうかと思っていたのですが、丸三荘と書かれたおうちで食事ができる様なので寄ってみる事に、てんぷらそば、五平餅、手作りギョウザとか書かれていますので、天ぷらそばを頂く事に。
時代がかった意匠に保存されている訳でもなく、廃村となった昭和40年代当時の山村にタイムスリップしてきた様な空間、縁側越しに見る風景に癒されます。素朴な味の胡瓜の漬物と南瓜の煮た物が、天ぷらそばと云っても海老天が載っている訳でもなく、またこの山中で期待するのも可笑しな話、野菜たっぷりの天ぷらとかき揚げ、ボリュームがあって大満足です。丁度薪でお風呂を沸かしている処で、このお風呂も500円で入れて貰えるとの事です。私が子供の頃、両親の実家は何れも薪のお風呂でしたね。 奈良0503→0517加茂0530→0653亀山0700→0809名古屋0830→0944中津川1000→1018南木曽 5時間15分 4,000円分乗車
駒ヶ根~猿投ツーリングとかの計画で買った「18きっぷ」他、なんやかやで使えず仕舞い、近鉄の株主優待券は良しとしても、期限は9/10までです。 何となく本調子でもないのですが、「延陽伯」号を担いで、幾つか取りこぼしのある兵庫県の道路元標蒐集に出掛ける事にしました。
例によって未明にJR奈良駅まで自走です。 桜井を3時25分に出て奈良駅4時28分着。 ここまで20.65km 19.8km/h 37.9km/h 1h02m38s って停まったのは天理市丹波市のR25の信号だけだったりして。 余裕で奈良0522発の京都行きに乗車します。 京都、福知山と乗り継いで山陰本線の八鹿駅0946着。 奈良まで未明に20キロ余りを自走するのは大変ですが、たとえ大阪鶴橋まで近鉄を利用したところで八鹿着は11時を回ってしまいます。京都駅での奈良線ホームから山陰本線ホームへの乗換えは大変なのですが、休日の朝6時台と云う事で比較的スムーズに動けました。山陰本線の園部以遠行きは後ろより何両かが園部で切り離しとなりますので、要注意です。
さて出発準備ができた処で十数キロ先の建屋村道路元標を目指しますが、まずは道の駅「但馬楽座」で補給です、ここの道の駅内にローソンがありイートインコーナーもありました。道の駅からは川沿いを行きます、川面を渡ってくる風が心地良いのですが、とにかく陽射しが暑い、そして夏の雲。
兵庫県養父郡の建屋(たてのや)村道路元標
京口駅1555着、そそくさと輪行支度を解き、市川を渡って花田村道路元標へ。藤原勝永著「兵庫県の道路元標」で不明となっていて、最近所在が確認されたものです。住宅街の中の小さな公園の植え込みに再建されています。花田村は昭和32年10月に姫路市に編入、かつてここに一つの村があったとは思えない静かな住宅地の一角になっています。
姫路モノレールの大将軍駅跡の高尾アパートが年内にも解体されると云う事で、最後に見ておこうかとも思ったのですが、この後加古川まで移動したかったので諦める事に。加古川までは勘だけを頼りに旧街道をたどって行きます。
加古川駅前にて、晩御飯を食べ珍しくビールなんぞを頂いて、ここから輪行で帰途に就きました。走行距離は奈良駅への自走を含めても70キロばかり、コース的に大した坂があった訳でもありませんが結構疲れました、実は三脚も積んで「自撮り」の準備もしてきているのですが、出番はありませんでした。遠くへ出掛けるのは「18きっぷ」のシーズンだけですが、夏のシーズンは走るのも輪行するのもちょっと大変ですね、さて後4回分どうしよう。
旧中辺路町福定(現 田辺市)でR311に一旦入りますが、幾らも走らない内に旧道へと。 ここから本宮へは2つの峠を越えて行かなければなりませんが、まずは逢坂峠の逢坂隧道へ向かいますが。 やはり昨日と同様、暑くなってくるとまったく持って足が回らなくなります。 写真は福定から逢坂隧道への途中にある宝泉寺の大銀杏(写真 : Vivvaさん)、福定には以前は国道沿いに自販機があった様に記憶していたのですがあてが外れ、お寺の駐車場には山の水を引いた蛇口があって、この炎天下大助かりです。
この先「通行止」の看板がでていたのですが、先に行った連中もお構いなし、私もさして気にはしていなかったのですが、暫くするとVivvaさんが引き返してきます、トンネルはゲートがしてあって入れないとの事、後1キロとないここまで登ってきて、ちょっと諦められません。 とにかく検分を、左右に人はすり抜けられる隙間があるのですが、サイドバッグを付けたキャンピングはともかくとしても、素の自転車のハンドルを回してもすり抜けられそうにありません。 上から越えられないかとやったみたのですが、高さもあってかなり難しそうです。 トンネルを抜ければもちろん下りですが、熊野古道と合流し近露の村を眼下に見下ろすビューポイントがあったのですが。
道の駅「熊野古道中辺路」にて。 逢坂隧道を敗退してせっかく登って来た旧道を再び福定まで下り、国道311号を逢坂トンネルへ向かいます、トンネルまでの日影のない車の多い登りの辛かった事、逢坂トンネルは自転車の走れる様な歩道のない1,700m余りのトンネルです。 道の駅はトンネルを出てすぐ、何人かは既に食事中。 私は食欲もないのでかき氷を頂いて、めはり寿司を買い求めておきます。
野中の清水を出て小広峠へ向いますが、少しパラパラと降ってきたので、新高尾トンネルの前の四阿に入ります、何やら1人足らないのです。 ヤマタンさんがいないのです、そう云えば野中の清水でもいなかった様な、14年前とは云え私とヤマタンさんがこのルートを走っているので安心していたのですが。 ようやく携帯fが繋がったのですが、野中の清水の手前で間違って下ってしまい新道へ、仕方なく小広トンネルを抜けてしまったそうです。 ともあれ本宮側の何処かで合流できるでしょう。
小広峠からの下りは旧道を縫って走るつもりでいたのですかま、雨はおさまりそうにありませんし、時間もおしているので、新道を突っ走ります。 案の定湯峯温泉界隈まで下ってくると、雨はおさまり路面も濡れていません。 国道168号に入り熊野本宮へ、無事ヤマタンさんを補足。
国道168号の奈良和歌山県境は川沿いとは云えちょっとした峠道になります。 果無山脈の東の端が新宮川(十津川)へ落ち込む場所で、深い峡谷になっています。 二津野ダムと云うダムがあるのですが道路から殆んど見えません。 県境はこの峠道の南側の取り付きにあるのでしすが、十津川村南端の七色集落から国道は山腹に張り付くように標高を上げて行きますが、現在ではピークのやや南側まで1,700mに及ぶ七色高架橋が共用されていて、旧道をのんびり走って行く事ができます。 十二滝の手前で七色高架橋と合流し、2つ目のトンネルでようやく登りが終わります。 集合写真を含む「十津川~龍神キャンプツーリング」の写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2016]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、CanCan謹製カレンダーの奥付等でご確認下さい。
別動隊の九度山人さんはここでお別れ、デポ地の道の駅「龍神」へ戻られます、色々と有難うございました。 九度山人さんのブログ「仙人日記」はこちら。
旧中辺路町福定(現 田辺市)、ようやく人家のある処へおりてきました。 ここから国道311号に沿った旧道を縫って本宮まで、そして国道168号をデポ地の「昴の郷」まで戻るのですが、ここまででも走行距離は20キロに達していません、距離はもちろん少なくともあと峠を3つ越えてゆかなければなりません。 (つづく)
夜中のうちに神奈川からのエビさん、枚方からヤマタンさんが到着していた様で、村内の宿に前泊していたタモさんが到着して8名が揃い、「十津川~龍神キャンプツーリング」まずは標高815mの牛廻越に向けて出発です。 今回は私にタモさん、ギンタロウさんが4サイド、あびさん、なおじさん、ヤマタンさん、エビさん、Vivvaさんフロント2サイドに概ね大型サドルバッグと云った組み合わせです。
私が初めて牛廻越を越えたのは30何年か前だと記憶しているですが、最近は2010年に川津今西林道に入るために玉垣内まで通ったのが最後で、峠を越えるのは14年ぶりになります。 暫くは十津川(新宮川)の支流西川に沿った集落の中をアップダウンを繰り返しながら進みます。
交通量はたまに地元の軽自動車が行きかう程、ただお盆休みとあって行楽や帰省の車が少し入ってきます。 集落を継いで走る道を、村の人達と朝の挨拶を交わしながらのんびりと往きます。 こんな風景にはやはり日本の旅自転車が似合います、コスプレまがいのジャージをまとったレーサーで駆け抜けて行くのはどうなんでしょうね。 しかしアップダウンを繰り返すだけで一向に標高が稼げません。
最後の集落となる迫西川(せいにしかわ)前後ではかなり斜度がキツくなってくる上に、木陰が少なくなります。 昨日100キロ以上走っているとか、病み上がりとか関係なく、自分では調子が悪いと思ってはいないのですが、急坂では思うように足が回らず、前を行く一行からどんどん離されてしまい、道端の木蔭を見付けては転がって休む始末。 しかし皆さん元気な事と云ったら。 上の写真はあびさんから頂きました、実は峠に着くまでの何時間か全く写真を撮っていないのですよ。
12時42分、ほうほうの体で牛廻越に到着、30分は待たせてしまった様な。 出発前の予習ができなかった事、過去に何度か走っていると云う曖昧な記憶、良く似たロケーションの引牛越と記憶がごっちゃになっている様で、すいぶんイメージと違う行程でした。 本来は11時までには峠にたどり着ける心づもりでいたのですがね。 なおじさんが色々と食べ物を準備してくれているのですが、飲み物も底を付いている事もあって喉を通りません。
峠を越えれば龍神温泉まで16キロ、登り返しこそありますが標高差400mのダウンヒルです、但しガードレールの整備されていない狭溢区間で、自動車にとってはR425で最も大変な区間でしょう。 (写真 : Vivvaさん)
遠来のゲスト、エビさんもおられますので、折角ですから写真だけでもと龍神温泉に立ち寄ります。 龍神温泉から旧龍神村役場のあった西までは14キロ、国道371号線は改良され交通量も多くひたすら走るだけ、下り基調なのが救いです。
旧龍神村役場だった田辺市龍神行政局の手前にある地元スーパーで買出しです、都会のスーパーの様に洒落たものこそありませんが、生鮮を含めそこそこのものが手に入ります。 買い食いする人やら、アイスクリームをほおばる人やら。
今日の目的地「丹生ヤマセミの郷」まで後13キロ、県道735号引牛越に少し戻る形になります。 日高川の支流丹生ノ川に沿った道、多少アップダウンによるロスはありますが標高差は150m程。 途中にはB29墜落慰霊碑とか清明神社とかがあるので、ご案内したい処なのですが、既に16時近くになって時間の余裕もありませんので、またの機会に。 ともあれ16時半にはエビさん、なおじさん、何故か私の順番で到着。 しかし最後2キロのなおじさんの速い事と云ったら、「ヤマセミの郷」へ下る分岐での写真(右)を撮ろうと付いて行くのが精一杯でした。 なんでも「ビール」「温泉」と唱えながら走っていたとか。
道の駅「龍神」にデポして「丹生ヤマセミの郷」に向った、別動隊の九度山人さんが、既に到着してキャンプ場とかの手続きとか済ませてくれていますので、とにかく荷物を下ろしてテントの設営を済ませて温泉へ。 到着するなり服のまま川へ飛び込んだ方々も若干3名。 車で来ている賢ちゃんを加えて、今夜は総勢10名の宴、例によって持ち寄り宴会の始まりです。
デポ地までヤマタンさんの車で3人3台は積めなくもないのですが、輪行並みにバラさなくてはならないので、帰りはお世話になるとして往路自走を企てみて、R169~R425と大回りして十津川へ入るのも面白いかなとも思ったのですが、先日からの夏風邪のせいでまだまだ本調子でもないので、無茶せずに基本最短のR168を南下する事にしました。
「夢の湯」の駐車場に下りて行くと、皆さん出発準備に余念がありません。 今日は走らずにサポート係に徹するUG兄さんから、サポートカーに乗って美味しい処だけ走ったらと云う有り難いお誘い。 前泊組のあびさん、なおじさん、vivvaさんと平瀬キャンプ場で落ち合う夕刻まで、たっぷりある時間は十津川で温泉めぐりでもしようと思っていたのをやめて便乗させて貰う事に。
先週は野迫川村役場のある上垣内から高野龍神スカイラインに取り付いたのですが、今回は大股~北今西~弓手原と走りスカイラインの箕峠へ登るコース、距離も標高も大きくなるのですが、車も少なくストレスがない処か川原樋川沿いのコース、秋の紅葉も素晴らしいですが、清流と眩い緑が最高です(写真左上)。 その部分を車から下ろして貰って走らせて貰いました。 箕峠から護摩壇山までは再びサポートカーに載せて貰い、まさに美味しい処どり。 護摩壇山で全員揃って休憩(写真右上)の後、メインの奥千丈林道、幾つかの登り返しがあるものの標高差1,000m近い下りなのですが、風屋ダム湖畔まで下っても平瀬キャンプ場までは約15キロあり今日の100キロ超えは確定、明日以降に余力を残して起きたかったので、そのまま便乗させて貰う事に。 先回りして展望の良い処でカフェ「ハイエース」の開店準備をば(写真左下)。 前回は5台がパンクの憂き目に遭うと云う状況だったのですが、今回の犠牲者はまえださん1人。 しかし私と同様に明日から「十津川~龍神キャンプツーリング」に参加するギンタロウさんが、脚が吊って動けないとか、大丈夫なの。
風屋ダム湖畔の川津まで下ってきました。 ここで荷物一式とasuka号を下ろして出発準備を整え、本日の紅一点まいちゃんとツーショット。 ここまでは段取り通りだったのですが、先に行っているvivvaさんと連絡が取れると、平瀬キャンプ場は使えないとの事、今年GWに利用したと云うレポートがネット上にあったのですが、その上第二候補の池穴キャンプ場は5年前になくなっているとか、十津川村のHPにはしっかり掲載されているのに、どういう事。 とにかく27キロ先の明朝の集合場所「昴の郷」へ急ぎます、しかし今や十津川街道R168は長大トンネルの連続です。
「夢の湯」を出発し県道<734>高野辻堂線に入りますが、県道と云っても併用区間を除けば99%1.5車線と云う険道です。 その上先年の災害で工事が今なお続いており、数100m写真の様なダート区間を走って行かなければなりません。
爽やかな川沿いの道を走って、川原樋川林道に入る鉄橋のところまでやってきました、この林道が通れなくなってもう何年になるのでしょうかね。 この辺りまでは坂と云う坂もありませんし余裕をかましていたのですが、この後パンクの神様の洗礼をまずT御大が受ける事になります。
野迫川口で参加メンバーが揃って総勢9名となり、スカイラインを護摩壇山に向いますが、休日とあって車と単車が多いですね。 若干1名が遅れている様なので箕峠で待ちますが、一向にやってこないのでPROGRESSのM店長が迎えに走り、時間も押してくるので各自持参の弁当を広げる事に。
奥千丈林道へは護摩壇山の駐車場の数100m手前から分岐しているのですが、「鶴姫」も清水山の家も店じまいしている現在では高野山と龍神温泉との間、スカイライン上には補給できる処は花園物産販売所とスカイタワーしかありません、もちろん奥千丈林道も杉清まで下らなければ自販機すらありません。 薄曇と云う事もあるのですが、標高1,280mの護摩壇山は暑さ知らずです。
いよいよ奥千丈林道です、伯母子岳登山路への分岐あたりまで稜線沿いの展望の良い道が続きます。 ダート時代と比べると植生の成長で荒々しい雰囲気とは変わった様です。 時間がかなり押していますのでゆっくり写真を撮っている時間がありませんが、いつか「自撮り」に訪れたいものです、展望の良い稜線沿いも良いですが、下り基調となる後半は広葉樹が多く、紅葉も良いのではと。
奥千丈林道は集落の手間井から県道<733>川津高野線となるのですが、道は却って悪くなる様な、舗装は痛み砂利が撒かれてダート以下、水溜りもあります。 そしてとどめにvivvaさんが前輪パンクして転倒、5人目の犠牲者です、その上少々擦りむいた様です。 風屋ダム近くまで下ってきた処で雲行きが怪しくなり、R168に出る手前の川津大橋に着く頃には本降りになってきました。 雨雲レーダーによると無理せず雨宿りした方が良さそうなので暫し木蔭で凌ぎます。
R168に出てからは降られる事なく、谷瀬あたりまで来ると降っていなかった様な感じです。 リタイアして大塔に引き返したお2人は温泉でまったりしていたそうなのですが、一向に帰ってこないので心配になって様子を見に戻ってきてくれました。 残り僅かの距離なのですが、調子の悪かったH氏を回収して貰う事に。 どうにか真っ暗になる直前にデポ地に戻りましたが、愉しみにしていた温泉には間に合わず、帰途に就く事になりましたが、久しぶりにがっつり走らされた一日でした。 橿原までの回送を含めて本日の走行105.9キロ。