「京都府」カテゴリーアーカイブ

京奈和自転車道 全線開通って何なんよ

「全線開通」が報道された日、佐保川沿いは通行止

 2014年頃から整備が行われている「京奈和自転車道」、最近新聞等に「全線開通」の文字が躍っている。朝日新聞デジタル日本経済新聞、NHK NEWS WEB、NHKこそ「全線」の文字はないが、日経に至っては「京都・奈良・和歌山、サイクリングコース一直線に、総延長180キロ、未接続区間の整備完了」とある。しかし奈良県下の現状を知っている人間には、開いた口が塞がらないとは正にこの事。マスコミはお役所の広報資料を何ら検証すらせずに鵜呑みにして垂れ流しているとしか思えない。
 京都府下は既存の京都八幡木津自転車道線(京都府道801号)が以前から整備され維持管理も充実、和歌山県下は紀の川自転車道線(県道803号)として2013年から整備が進んで一般道との併用区間や不案内な箇所はあるものの、京都府同様充実したサイクリングロードとなっています。ところがお粗末なのが我が奈良県、京都府と和歌山県がそれぞれ桂川、木津川、紀の川と云う大きな河川沿いと条件に恵まれている事に比べるとルートの策定が一筋縄では行かないのは仕方がないとは云え、そのズタズタさは贔屓目に見てもお粗末過ぎます、まさに「迷路」。あのR369香酔峠をサイクリングルートにする無神経極まりない「ならくる」同様、ロクに現状を見ずにお役所の机の上で作られたルート故に、結局は「作りやすい処だけ作って」後は一般道で繋いだだけ、判りにくい、走りにくい、安全への配慮がないと三拍子揃っている始末。
 さて奈良県下で新たに自転車道として整備されたのは2016年に一部開通した佐保川沿いの大和青垣自転車道、昨年供用された近鉄天理線と橿原線をアンダーパスしたルートは評価できるとしても、他は概ね既存自転車道の整備と一般道に案内標識とブルーライン(正確には青い矢羽根)の整備、それでも「全線開通」と謳うなら途切れる事なく続いていれば文句もないのですが、実際の案内は途切れ途切れ、ルートマップがなければ辿れない様な自転車道では話にならない、そして以前に「奈良県の自転車道に物申す」で書いた様に同じ道に公式の県道名と愛称?と「ならくる」のルートの標識が乱立し、新たに「京奈和自転車道」の標識が加わった。とにかく3月に走った富山湾岸サイクリングルートとは雲泥の差。

 「全線開通」へ駆け込む様に標識が整備された御所市薬水から吉野川に架かる柳瀬橋南詰の間も、標識がない左か?右か?(写真左、正解は左)、首を傾げる標識の地図(写真右、梁瀬橋北詰)と云った有様。
 南側即ち五條から来ると標識に従い梁瀬橋を渡ったものの北詰のR370の信号で右折か左折かが全く判らない。盟友SORA氏が最近のブログ「片雲の風に誘われて」でぼやいてますが(ぜひご覧になって下さい)、何故こんなルートになったのかも疑問、かすめるだけでも大淀町と下市町を通過させたかった?
 そして「全線開通」はい「ルートマップ」もできました、どうぞ利用して下さいと報道された日、奈良県下の肝心の部分、佐保川沿いの「大和青垣自転車道線」の一部は護岸工事で7月30日まで通行止(最初の画像),2016年の一部供用以来、大体どこかで護岸工事が行われて通行止になっている始末(写真左は平成31年)、(写真右は令和元年から2年)。県土木が舗装した自転車道を国交省が掘り返す、無駄が毎年繰り返されています。そんな状況では頼りのマップにも頼れない始末、まぁこのマップだけでコースが把握できたら貴方はエラい。

 

 

齋藤電鉄氏迎撃琵琶湖キャンプ(1日目)

琵琶湖大橋を望む 守山市にて

 何事もなければ4時過ぎまで仮眠をしてられるのですが、好事磨多しとは良く云ったもので、案の定 0245に起こされます。とにかく橿原市の勤務先を 0839 にスタート、飛鳥川べりから下ッ道(中街道)を北上、環濠集落で知られる稗田町を過ぎた辺りで佐保川沿いに入り、平城宮跡の中を突っ切ってJR平城山(ならやま)駅付近で京都府に入ります。京奈和自転車道のルートになっていて最近ようやく案内の標識が整備されつつあります。とにかく一番楽に府県境を越える事ができます。
 木津川左岸に出て 1115 恭仁(くに)大橋で右岸に渡り、府県道5号木津信楽線に入りますが、休日とあってローディの多い事。1155 お馴染み和束のローソンで補給を兼ねて小休止。

 和束と湯舟の間のトンネルを過ぎた辺りで、niwa-chanさんがお出迎えに来てくれました、場所も時間も決めてなかったのですが、コースの見当はついているのでKHSを駆ってここまで下ってきてくれました。いつもは府県道5号を信楽町神山まで越えるのですが、今日はniwa-chanさんの案内で朝宮へ標高323m程の無名の峠越えます。実は裏白峠の西側に越える穀池峠は越えた事はあるのですが、こちらは初めてなのです。R477に入る処でniwa-chanさんとお別れし瀬田に向かって長いダウンヒルです。


 1326 瀬田川と合流する鹿跳(ししとび)橋へ、滋賀県に強風注意報が出ていると聞いたのですが、向かい風でなかなか前に進みません、瀬田の唐橋近くで小休止(写真左)。時間もないので今回は「茶丈藤村」はパスして左岸の「夕照の道」の道を行きます。ところで琵琶湖周辺の湖岸緑地は「コロナ禍」でことごとくキャンプ禁止になっているのですが、帰帆島前後はOKらしく結構な人出です。しかし湖岸道路は最悪の向かい風、後でショコラ氏に教えて貰ったのですが、この風だと内側の「メロン街道」(農免道路)を走った方が楽かもとか。琵琶湖大橋を渡り対岸の湖西側は多少マシな事を願うばかり。16時前に大橋を渡りきり再び大津市に。
 いわゆる「びわいち」ルートを逆打ちするのは初めてなんですが、対向車線路肩のブルーラインを頼りに走ります。時間的にも「びわいち」も終盤とおぼしきサイクリストが次々とやってきます、17時前にはどうにか蓬莱浜を通過、あまり暗くならない内に大型車の多いR161を抜けだしたいものです。白髭神社を過ぎ湖岸道路を避けて県道558号高島大津線を北上し、1840 安曇川町のバローに立ち寄って買出しを済ませた頃にはもう真っ暗、ナイトランは覚悟の上ですのでライト等の装備は完璧ですが「六ッ矢崎浜オートキャンプ場」に着いたのは1939 ですから休憩込みで10時間の道のり、17時頃には着いていた一行と無事に合流する事ができました。

 既に宴の準備はできているので、お二人に手伝ってもらってテントを設営します。一行は最初湖岸よりにテントを設営したものの、あまりに風が強いので木立の中で宴を初めていたとの事、私は木立の中に設営する事にしたので、結局は二人も木立の中へ引っ越しする事に、すぐ横が道路なのですが、夜も更けると意外に静かです。

 酒だけ積んできた私ですが、ショコラシェフと齋藤さんのお陰で満腹満足の夜が更けて行きます、暫くは「月うさぎキャンプ」や「笠置キャンプ場」での大人数でのキャンプは憚られるご時世ですが、それはそれで少人数でのキャンプを暫くは愉しむ事も良いでしょう。
 本日の走行134.4キロ、所要時間8時45分、平均速度15.3km/h。
 明日は4サイドを3台連ねて堅田まで走る予定です。

前日 1日目 2日目前半 2日目後半 おまけ



齋藤電鉄氏迎撃琵琶湖キャンプ(前日)

今年2月にも来られたばかりなのですが、齋藤電鉄氏が今回は京都~舞鶴~敦賀~高島~大津と巡るキャンプツーリング、昨年から滋賀県人となったショコラ氏が小浜付近で合流し敦賀、高島でキャンプをすると云う事に。今月は先々週中止した丹後半島キャンプツーリングを軸にローテーションを組んでいたので、とても休みがとれない中、勤務明けの25日に高島市の「六ッ矢島浜オートキャンプ場」まで走り合流する事にしたのですが… 
 昨年6月に永源寺の「黄和田キャンプ場」へ行った時は桜井0405発で、加茂から信楽経由で途中近江鉄道のサイクルトレインで長谷宮までワープして「黄和田キャンプ場」に1445到着、走行107.2キロ、所要時間10時間40分、実走行時間7時間03分でしたが。コース的には少しは楽なものの、スタート4時間半遅れで130キロを日没までに走り抜けるのはかなり厳しいです。料理はショコラシェフにお任せし荷物を絞ってフロント2サイドと大型サドルバッグで向かう事も考えたのですが、そこは4サイドで走るお二人に倣ってやはり4サイドで行かなくてはね。ただ一昨年4月にはほぼ逆コースを瀬田~宇治経由の141キロを実走7時間50分では走ってはいるので、頑張れば何とかなるかと。とにかく橿原の職場を朝8時半過ぎにスタート、一路下ッ道を北上し、平城宮跡からJR平城山駅へ越え、木津~加茂~和束~湯船~朝宮~瀬田~琵琶湖大橋~湖岸沿いに130キロ余り高島市を目指そうかと考えています。
 しかし先々週の「丹後半島キャンプツーリング」を「まんぼう」発令で中止したものの「コロナ禍」の状況はますます悪くなり明日からは京阪神に「緊急事態宣言」が出るとか、とにかく往復自走で密を避けて奈良から滋賀へ走ると云う事でこ容赦を。

前日 1日目 2日目前半 2日目後半 おまけ



S氏と丹波サイクリング

国道429号榎峠にて (Photo : skuram氏)

 久しぶりにskuram氏と丹波篠山方面へサイクリングに。実は9月29日に福知山線石生(いそう)駅から2つの道路元標を巡って舞鶴方面へ走るプランが雨で流れ、その後2つのうち岡田上村は10月18日に丹後半島へ向かった折に履修、残った兵庫県氷上郡の神楽(しぐら)村に今回「関西近郊休日ぶらり旅きっぷ」を使って行こうと云う案、加えて丹波篠山市今田に寄りたいお店があり、そこで篠山方面にめっぽう詳しいskuram氏に声を掛けた次第。
 始めは石生駅から篠山を経て三田まで南下するつもりだったのですが、Ride with GPSで線を引いてみるとそこそこ距離もある上にコースを厳しい、そこで相野駅をスタートしもう一つの目的地「Touya cafe」に先にお邪魔してから神楽村まで北上し、足が残っていたらR429の榎峠を越えて福知山から帰途に就く作戦に変更。
 奈良桜井から福知山線へは大阪駅経由が早いのですが、時間に余裕もありますので奈良経由で木津から学研都市(片町)線~東西線~福知山線直通の快速で向かう事に、輪行袋を担いで混雑するターミナル駅での乗換はないものの遠回りで時間も掛かりますし、丹波路快速と違いトイレのない321系が使用されています。とにかく桜井0552発に乗車、相野駅着が0926着ですから、所要3時間34分。ちなみ近鉄で鶴橋経由すれば1時間54分で行っちゃいます。
 定刻に相野駅着、用を済ませて駅を出ると、S氏も尼崎から同じスジに乗っていた様で既に輪行支度を解いています、こちらはヘッド抜き輪行のasuka号ですから、暫しお待ちを。しかし2人で走るのは何年ぶりでしょうね、龍神村?百間山?(写真左 : skuram氏)

 結局今日のコースはS氏にお任せ、相野駅からなら最短コースで10キロにも満たない「Touya cafe」、開店時間は11時ですので、時間調整を兼ねて近所の里山の中の道を走ります。
 三本峠、盟友「峠おやじ」によると手前のピークが峠らしい、昨年5月1日に篠山市が丹波篠山市と名称を変えてから初めてです(自転車では)。
 少し早いですが10時40分には「Touya cafe」に到着、実はフロントガード周辺から異音がしますので、サイクルラックに掛けて点検しますと、キャリアに固定しているネジが脱落していた次第。

 ところで「Touya cafe」は昨年4月にオープンしたお店ですが、既にS氏はカレンダーでお馴染みの凸凹コンビを連れてきていたとか、私は月替わりのランチ、S氏は前回来た折に香りが堪らなかったと云うカレーを注文。その「Touya cafe」のオーナーとは今は無き大阪阿部野橋のJAZZ喫茶「トップシンバル」の同窓生?であったと云うご縁なんです。至って硬派だった「トップシンバル」の様に大音量でJAZZを流す訳にも行きませんが、LPレコードのリクエストを。壁に飾られたジャケット、ERIC DOLPHYの「OUT TO LUNCHI!」がただ者ではない事を主張しています。
 オーナーと昔話に花を咲かせ、名残惜しいですが12時過ぎには「Touya cafe」を後にします。
 R372「デカンショ街道」の小さな峠を越えて福知山線沿いに戻ります。多可郡の古市村道路元標は交通事故?に遭って破壊され新しく再建されています、残念ながら本来の様式とは異なります(写真左)。暫くは線路に沿って北上し篠山口へ(写真右)。
 篠山口からは福知山線と離れて鐘ヶ坂峠へ、ここには明治、昭和、平成と3世代のトンネルがあるのですが、明治と昭和のトンネルは通常閉鎖されていて抜ける事ができませんが「さくら祭」の時だけ一般公開されるのだとか。
 新鐘ヶ坂トンネルを抜けると丹波市、支流の柏原川から加古川本流へと桜並木の続く川べりの道を縫って走ります、満開の頃は見事でしょうね。
 道の駅「あおがき」での小休止を挟んで、2006年11月に履修済ですが氷上郡の佐治町道路元標芦田村道路元標の生存確認。

 神楽村道路元標、休校になっている小学校の敷地内、植え込みに隠れていて、見つけるのに少々手こずりましたが、無事に1,110基目となりました。
 日没にはまだ余裕があるので予定通り国道ならぬ酷道の429号線の榎峠を越える事に。S氏によると兵庫県側は楽勝だとか、丹波市から福知山へは殆どの車がトンネルが抜けている隣の府県道109号福知山山南線の穴裏峠の方を越えるのでこちらを越える車は僅か。とにかく1.5車線路のカーブの連続、ただ斜度が知れていますのでロードならインナー要らずで峠まで行けてしまいそう。雰囲気の良い峠道に満足して福知山へ下りますが、こちら側は結構アプローチが長くて、やはり北行きコースが正解だった様です。
 16時半には福知山駅に到着、次の大阪方面は1706発の丹波路快速、ヘッド抜き輪行には少々厳しいので、S氏には先に行って貰い一旦お別れしたのですが、すんなり輪行仕度を終えて発車までにホームへ上がる事が叶いました。このまま大阪駅まで乗車し、9番ホームから1番ホームへ6分の乗り換えをこなせば、大和路快速で21時過ぎには桜井にたどり着けるのですが、結局新三田で東西線経由木津行を待ち、朝と同じ経路で帰途に就きました。本日の走行80.1キロ、実走行時間4時間01分、私にしては平均時速19.9km/hは些か早すぎ、輪行時間は往復合わせて8時間17分也。久しぶりにご一緒したS氏には道案内と風避けをして頂き感謝。



謎の古墳群から丹後縦貫林道へ(後半)

宮津市東野「松尾の一本桜」にて

 12時半、R178宇川から丹後縦貫林道に、取り付きがキツいのはこの手の林道のパターン。標高100mを超えたあたりから日本海の展望が、宇川の村が眼下に望む事ができ、稜線近くまでくると緩急もあって多少楽に。
 オフシーズンの平日とあって車は全くと云って良い程やってきません。標高400mの碇高原牧場へ、写真の道は交差する京都府道653号碇網野線、せっかくのロケーションですから「自撮り」にトライしますが、日差しと青空が欲しい。少し行けば放牧している牛さんを見ながら食べられる?「碇高原ステーキハウス」があります。
 丹後縦貫林道の案内板をアレンジしたモニュメント、曲がったパイプは丹後半島を表しているのかな。
 京都府道57号弥栄本庄線との併用区間で標高400m台でのアップダウンがあり、府道と別れスイス村への登りで標高600m台へ。スキー場を過ぎて三叉路を右に入った辺りで丹後縦貫林道のピーク標高633mとなりますが、暫くは今一つ展望の開けない標高600m台のアップダウンが続きます。途中で伊根へ下る林道が分岐していますが、通行止の表示が。この前後で丹後縦貫林道太鼓山線は角突山線と名前を変えます。
 汐霧山(647m)の東側に出た処で「絶景ビューポイント丹後縦貫林道」と案内のある処へ、舟屋で知られる伊根漁港が眼下に望む事ができます。
 更に進むと今度は宮津湾側の展望が開けます。標高で535m位まで下り、世屋家族旅行村の三叉路を右に、ここで丹後縦貫林道と別れ、今日2つ目の目的地の「松尾の一本桜」へ、もちろん桜など咲いてはいないのですが。

 実はこの場所、瀬尾まいこ原作に拠る2008年の映画「天国はまだ遠く」のロケ地の一つなのです。以前から来たかった場所ですが、今では猪垣で囲まれてしまっています、鹿や猪による被害が年々酷くなってますからねぇ。
 農作業の軽トラが些か邪魔と云えば邪魔なのですが、それはそれで今の農村風景にマッチしていて、件の映画でも徳井義実演ずる民宿のたむらさんの運転する軽トラがしょっちゅう出てきます。実は少し下ると猪垣のない部分があるのですが、この時間では完全に日陰になっています、やはりこの場所は午前中が良い様です。三脚を片付けていると、農作業をしている人から「邪魔になる?」と声を掛けて貰ったのですが、時間も押してきていますし遠慮して、一本桜の咲く頃にでも再訪しようと自分に約束して松尾を後にします。
 古民家の並ぶ上世屋集落へ登り返す時間もないので、そのまま下りますが、これがとんでもない激坂、薄暗い中を下ハン持ってフルブレーキで下っていると突然目の前を猪が道路を横切るわと、ほうほうの体で府道に。R178に戻り夕暮れの天橋立へ、ここは京都府道607号天の橋立線として自転車(原付も含む)走行可、宮津へは岩滝周りより5キロは短縮できます、但しダートで大天橋まで行くと日中は観光客が多くて推し歩く事に。
 暗くなり始めた頃に宮津市街へ、昨日ホテルで貰った今日まで有効のGOTOトラベル地域共通クーポン1,000円分が残ってます、使わないと勿体ないのでコンビニで弁当など1,074円分ときっちり買って使いきり、18時前には宮津駅に到着、本日の走行72.4キロ。桜井までは京都から近鉄経由が最安になるのですが、普通列車で1830が最後、些か厳しいと云うか慌ただしいのが嫌ですので、のんびりと輪行支度を始めます。
 次の1936発で大阪鶴橋経由で桜井には午前様かなと思ったのですが、1928発に京都行き特急「はしだて」が、特急料金を奮発してする事に、普通で京都回りではもう帰れないので、普通運賃が高くなる大阪鶴橋経由との差額を考えると1,220円UPで1時間半も早く帰れる計算になります、しかしJRの特急乗るに何年ふりやろ。 
 


謎の古墳群から丹後縦貫林道へ(前半)


京丹後市筆石 枡塚古墳にて

 4時過ぎには一旦は目が醒めます、歳のせい。気になるのは今日のお天気ですが… お昼頃には山陰から丹後半島にかけて晴れる予報が、予報通りなら信州から丹後半島に転進して泊まりと決めたのが大正解と。
 今どきそこそこのビジホでは定番の朝食バイキング、6時半からと有り難いのですが、寒々しい曇り空を見ていると急ぐこともないかと。案の定「コロナ禍」でバイキングはワンプレートのランチに。
 8時過ぎにスタート、R482ではなく府道656号間人大宮線と662号溝谷内記線と継いで道の駅「てんきてんき丹後」へ向かいます。見覚えのある道筋だなと思うとどうやら6年前とほぼ同じルート、その折も曇り空だったなぁ… 途中のローソンで補給を、この先は宮津までいわゆるコンビニの類は皆無です。
 道の駅を出てR178を走るとすぐ、竹野海水浴場へと越える坂の上に「大成(おおなり)古墳群」の案内が、入り口のコンクリ舗装の激坂と奈良県民ゆえに「ここまで来て古墳かい」と引いてしまうのですが、実は今回の丹後半島のきっかけとなったのがそのロケーション、古墳はともかく海に向かって続く道、これは行かずには…
 しかし丹後半島のほぼ先端、日本海を望む厳しい土地、吹きさらしの海食台の上にわざわざ暮らしたのでしょうかね。少し調べてみると「まぼろしの丹後王国」は「邪馬台国」よりずっと面白かったりして。
 向かって左側に立岩、右側に竹野海岸と屏風岩を臨むロケーションなのですが、もちろん「自撮り」の準備はしてきています、換算400mmまでのズームまで。
 でもなんか観光地の記念写真みたいになってしまいました。北の方に少し青空も見えてきているので1時間半ばかり粘ってみたのですが、丹後縦貫林道で上世屋までと云うミッションもありますので、これ以上は次の機会にと云う事に。
 結局帰り間際に古墳群の入り口で撮ったのがベストショットだったりして。しかし天気を考えるとウェアの色がやや地味だったかも、実は「ユニクロのアノラックもどき」でサイズがなくほしかったカラーを最近見つけたのですが。
 さてR178に戻ります、丹後半島を巡るのはこれが3度目、経ヶ岬から伊根とR178を行くなら時間的には余裕の行程なのですが、正面に見えるのが犬ヶ岬。
 R178沿いに魅力的なポイントを、六体地蔵の後ろが方墳だそうです、駆け抜けるローディを含め気が付かずに通り過ぎる人が多いでしょうね。時間が押してきますが「自撮り」を3テイクばかり(写真右は嵌め込み合成です)。
 12時半、宇川で丹後縦貫林道へ入ります。ここから大鼓山線、角突山線、成相線と継いで世屋高原まで縦貫林道のほぼ北半分22キロを走ります。ルートラボが無くなり最近はRide with GPSでルートの検討していますが、標高で600m以上まで登らなくてはなりません。なおこの手のスマホアプリはバッテリーの消耗が激しいのでナビ機能は利用していません。(後半に続く)

 

とりあえず北へ


 信州行きは諦めたのですが、各地の予報を見ていると北近畿は日曜から月曜と比較的良さそう、そこで発売中の「関西近郊休日ぶらり旅きっぷ(1日券)」を買って18日(日)は福知山まで行く事にし、少なくとも宮津までは走る計画。1日券は2,600円ですから桜井から福知山まで乗れば片道だけでも元が取れる計算、月曜の天気も良ければ京丹後市の峰山あたりまで走り1泊しても良いかと。
 この切符、ネットと「みどりの券売機」限定、年内12月20日までの土休日に利用できますが、乗車当日には買えないのでj-westのe5489サービスで買って、桜井駅まで受け取りに行ってきました。受け取りは当日でも可能ですが、みどりの窓口またはみどりの券売機の営業時間内ですので、始発でスタートしたい場合には間に合わない場合が、ネットでの購入時にクレジット決済を済ませた場合でも、受け取り時にもカードの提示が必要等、購入には色々と注意点があります。あと「福知山光秀ミュージアム」の割引とレンタサイクル1回無料の特典、これは私には関係ないかな。

 0929 福知山に到着、ただ曇り空にテンションが上がりません。今回サドルバッグはお馴染みキャラダイスのネルソンを付けてきたのですが、一応1泊2日と三脚など「自撮り」の準備をしてきているので余裕がなく少々手こずります。まずは舞鶴市加佐地区に残る加佐郡岡田上村道路元標を目指して由良川沿いに北上する事に、

 福知山城を右に見ながら音無瀬橋を渡り由良川右岸へ、すぐに堤防上の道へ入ります。休日とあってローディの姿もちらほら。
 基本的にブルーラインも引かれている府道55号舞鶴福知山線を行くのですが、3ヶ所ばかり堤防上を走り抜ける事ができました。左岸の国道に比べると車も少なく見通しも良いので走り易いです。
 京都縦貫自動車道をくぐり由良川橋を渡り左岸へ、今回の最初の目的地になる加佐郡の岡田上村道路元標へ、これで1,109基目となります。
 少しR178を由良方面に走り、府道570号西方寺岡田由里線から府道567号地頭四所停車場線へと。今日の予報は曇りのち晴れ、少し陽射しもでてきました。

 舞鶴市西方寺と云う処で大庄屋井上家と云う史跡があったので、休憩がてら立ち寄ります、内部も見学できて資料館も併設されています、近くを通るなら一見の価値が、以前は農家レストランもあった様ですが、現在は移転して営業している様です。

 下漆原で府道75号舞鶴宮津線へ入り板戸峠(190m)へ、漆原側からだとどうってない峠です。峠おやじこと名和さんのHPによると栗田(くんだ)湾が見えるとありますが、展望は標高で100mは下った辺り(写真右)になります。
 宮津市街に下りたのは既に15時、近隣の明日のお天気は曇りのまま、ここから輪行で帰途に就くかが思案のしどころです、「関西近郊 休日ぶらり旅きっぷ」も既に3,080円分乗車で元はとっていますし、なにより三脚に交換レンズと「自撮り」機材を無駄な荷物にしてしまうのが。ただウェザーニュース社の予報だけは午後からちらりと晴れマークが、今夜の宿もGOTOトラベルで峰山で取れるので、晴れマークに望みを託す事にして峰山へ向かう事に。

 峰山へは京都丹後鉄道宮豊線沿いに走ります、途中の与謝野駅は国鉄宮津線の丹後山田駅が北近畿タンゴ鉄道となった時に野田川駅となったのですが、更に2015年に京都丹後鉄道となった際に与謝野駅と改称されています、古くは1985年に廃止となった加悦鉄道との接続駅で、2014年9月にも来ていますが、駅舎内には丹後山田駅資料室があって公開されています、昭和50年台の丹後山田駅を再現したジオラマが。加悦鉄道廃線跡は自転車道となっていて終点の加悦鉄道資料館には客車改造気動車や片ボキー車などの珍品もあって鉄なサイクリストに格好の立ち寄りポイントです。
 京丹後市へは途中に水戸谷峠があるのですが、標高は100mにも届きませんし横をトンネルなしで宮豊線が越えている位ですからどおって事はないのですが、線路の方は与謝野駅から結構高さを稼いできていますから、写真の鉄橋の高さまでは登らなくてはなりません。
 17時過ぎには峰山のビジホに到着、GOTOトラベルで3,705円(税込)也、35%引と云ってもそう安くはありません、元々この界隈はあまり安い宿はないのですが、設備などを考える元々5,000円台とは、ここがそうだとは云いませんが、GOトラベル適用と云っても操作が行われている様な気もしないでもありません、実際GOTOトラベルで潤っているのは高級な処だとか。まぁ別にクーポン1,000円を頂けるのですから、明日までの期限に有効に使えればお得には違いないのですが。
 チェックインを済ませ、食事に出掛けます。丹後半島まできて「餃子の王将」かいと云われそうですが、一人の時はそんなもんですよ、キャンプツーリングの時だって走るのが精一杯でコンビニ弁当だったりパンをかじっていたりしますから。ところで峰山とか網野とか云えばとんでもない田舎みたいですが、コンビニはもちろんそこそこ大きなスーパーなどがあって、ダイソーもセリアも、チェーン展開している外食チェーンもあって不自由しません。本日の走行73.4キロ、10時半からの走り出しなので良しとしましょう。



「酒池肉輪会」黄和田キャンプ(1日目)

府県道5号木津信楽線、京都滋賀県境にて

 越境自粛解除を受けてキャンプしようと云う話になったのですが、なかなか場所が決まりません、なんでも週末はキャンプ場は何処も一杯だとか、結局は4年前の2016年6月に行った事のある滋賀県東近江市の黄和田キャンプ場と云う事に、永源寺ダムの上流ですから、奈良桜井からだと片道120キロ近い道のりです。コースは前回同様、往路は加茂から信楽、水口経由、復路は伊賀上野経由、これは帰りに信楽経由だとR307小野峠を登らなければならないからです、距離的には殆ど変わりません。
 4時05分に桜井を出発、上街道を北上し、0520 猿沢池、0510 奈良阪を登って奈良少年刑務所跡の前を通ります。
 0550 には京都府へ、4ヶ月ぶりに自転車で越境します。なお昨今はマスクをしてないとアヤシイ人物な世情、走っている時は顎マスクです、でないと死にます。

 時間もあるので大仏線跡に沿って加茂へ越えずに旧木津町まで回りこんで木津川左岸を走り、恭仁大橋を渡り県道5号木津信楽線へ、信楽すなわち滋賀県甲賀市へ行くには一番快適なルートです。7時前には和束のローソンに立ち寄りますがご他聞にもれずイートインコーナーは使えません、しかし県道は土曜の朝とあってローディと単車の多い事。
 湯船では少しですが村の中の旧道へ、朝の里山風景に癒されます。  0825 標高350m程の県境に到着、和束のローソンを出たのが 0714 ですから湯船で一息入れていても1時間強、サイドバッグ4つで25キロある4サイドでは上等です。
 4年前に撮っていますが、ここで「自撮り」にトライしますが、陽射しがないので、今一つ、左の写真は例によって「Microsoft Image Composite Editer」による合成ですが、これも今一ですね。
 県境で30分ばかりいて信楽へ下ります、杉山でR307を跨いで旧道へ、0922 信楽駅前着、時節柄狸もマスクを、でも今までのコスプレの中で一番安上がりですね。30分ばかり休憩。この先は車の多いR307を避けて線路沿いの道を行きますと牧東の交差点までパスできますが些か判りにくいですし、玉桂寺前後は道も悪いです。
 牧東から小野峠への入り口までの交通量の多いR307の約3キロがこのルートで一番我慢のしどころ。踏切を渡って旧R307へ、庚申山広徳寺への分岐から先は通行止になっていて廃道寸前かと思えますが、地元の軽トラとかが通っていて、自転車なら問題ないです、但し木っ端が散乱していて水も出ていますのでロードでは厳しいかと、今日はハイカーとすれ違いましたね。
 4年前は日野町役場でabiさん達と合流してから黄和田キャンプ場へ向かったのですが、日野町へのアップダウンが鬱陶しいので、水口のスーパーで買出しをしてから、近江鉄道サイクルトレインで水口城南駅から長谷野(ながたにの)駅までワープします、但しコース的には西側へ迂回しているので実走距離は変わりませんし、水口城南駅から長谷野駅まで33分乗車で運賃700円は高いです、昨年4月には貴生川から米原の手前の鳥居本までフリーキップ(1日880円)を買って乗車しましたが、それなら価値があります。
 水口には西友もあるのですが駅近くの「バロー」へ、中小スーパーの方が自転車を置ける処から売り場までが手っ取り早いし、最近はどこでも保冷用の氷とかのサービスをやっているので利用価値大です。
 そのまま載せられるサイクルトレインに水口城南駅 1132 から乗車、キャンピングでも問題なし、ワンマン運行で2両目の扉が開かない無人駅から無人駅への乗車ですから1両目に乗車、整理券と取るのをお忘れなく。なお自転車での乗降ができる時間帯や路線や駅の制限以外にも、推してホームへ行けるスロープのある駅とかを事前に調べておいた方が、貴生川駅のエレベータはサイドバッグが着いているとちょっと大変です。
 車内でスーパーで買った弁当でも食べようかと思っていたのです部活帰りかの高校生と重なった様で、お弁当を拡げたのは長谷野駅に着いてからに。
 長谷野駅から県道170号高木八日市線(布引街道)と県道508号中里山上日野線を継いで旧永源寺町域へ、GoogleMapでは県道508号の山上界隈を「案山子街道」と案内しています、ご覧の様な案山子があちこちに。
 八風街道(現R421)に入り永源寺門前へ、ここから永源寺ダムの上の黄和田キャンプ場まで標高差は100m程なのですが、コースによっては結構アップダウンがあります。とにかく車の多いR421を避けて右岸のルートを取ります。
 右岸路はダム前後で通行止になっていて、永源寺ダムの天端道路はチェーンが掛かっています、しかしダム下より湖畔の方が坂がきつかったりして。1445 無事に黄和田キャンプ場到着、走行107.2キロ、所要時間10時間40分、実走行時間7時間03分でした。
 大津からのショコラさん以外は既に到着していて、「酒池肉輪会」お約束の持参の酒を並べます。しかし自粛モードから放たれ、来週には梅雨入りが予想され、今日明日と天気に恵まれるとの予報とは云え、キャンプ場のこの混み様は、4年前はがらがらだったんですけど。なお自転車での1泊料金は以前の600円から500円に値下がりしていました、なんでも以前は300円/日の計算だったとか、ここは車でのディキャンプが多いんですよね。
 なおじさんと明日香村のチネリ怪人VIVVAさんが不参加との事、残念ですが、今年から滋賀県人となったショコラさんも無事に到着。ときかくしっかり冷しながら走ってきたマイブームの「一番搾り<黒生>」を2本空けちゃいました、クーラーボックス様さま。
 ここ2日程皆目寝ていなかった割には遅くまで飲んでいた様ですが、以降記憶が曖昧です。

前日 1日目 2日目

 

 

 

行き当たりばったりで122キロ

 今日はがっつり走ろうかと企んでいたら夜半から雨が、明るくなる頃には止む予報にも裏切られて、ようやく出掛けたのは8時過ぎ、のんびり大和川べりを北上しています。
 先日NHKの「こころ旅」で出ていた大和川の沈下橋(大城橋)。

 

 富雄川沿いの自転車道へ。

 

 郡山市街を抜け朱雀高校の前から平城宮跡へ「みやと通り」を北上して歌姫峠を越えます、お昼時のせいか車が少ないです。

 

 木津川沿いの自転車道へ、いつもの公園で一息入れていたら先週「信楽から伊賀上野」をご一緒したばかりのF1氏にばったり。

 

 まだ余力があるので少し頑張って和束から木屋峠へ、犬打峠同様南側はとんでもない激坂ですが北側はどおって事はないです。

 

 少しR163を走らなければなりませんが笠置へ、来々週には某グループのディキャンプに便乗して1泊の予定。

 

 府県道33号奈良笠置線と県道184号須山西狭川線を継いで柳生の里へ。

 

 R369を南下、田植えの済んだ大和高原の田園風景の中を。
 そのまま針から初瀬ダムを下っても良かったのですが、気分を変えてR24旧道を天理ダムへ下ります。

 

 上街道に入る頃にはすっかり陽が暮れてしまいました。本日の走行122キロ。行き当たりばったりですが、勝手知ったる道、ストレスのない道をマイペースで走っていたので、心地良い疲れだけが。

 大和郡山市街から歌姫峠を越えるまでの間が交通量や信号が多いのが鬱陶しいのですが、秋篠川沿いの自転車道も狭くて走りくいですしね。それでも奈良はサイクリストにとってはとても恵まれた環境です。

信楽~伊賀上野ツーリング

御斎(おとぎ)峠にて

 今月はお天気と休みの巡り合わせが良くて既に走行1,300キロ/月超、さて今日30日はお天気も良さそうで何処へ行こうかと考え、Facebookで募ってみた処、F1氏が釣れましたね。ただ「ここ数ヶ月、ほとんど自転車に乗れておりませんし、乗ったとしても、坂道をパスしたユルユルなコースばかり… 手柔らかなコースでしたら、ご一緒させていただきたく思います(^^)」とか何とか、ブルベ400ライダーにそう云われてましてもね、和束のローソン合流で信楽から御斉(おとぎ)峠を越えて伊賀上野なんて如何と提案しましたら、「承知しました! では、8時半までに到着できるよう頑張ります!? 加茂あたりまで輪行も視野に入れて…よろしくお願いします」と約束成立、私も和束まで自走してぐるっと回って帰ってくれば約140キロ、なかなか良い距離になります。

 和束から信楽は先月にもキャンピングで走ったばかり、40キロ程の距離、余裕をみて5時台にスタートします。先週からの季節外れの猛暑と云っても早朝は結構寒くて、さりとて昼間の温度を考えると厚着もできず、ロードでは余計な荷物も持ちたくありません、ほんとこの季節はウェアの選択が難しいです。いつもの様に上街道を北上しますが、温まるまでと天理~奈良と頑張りますと、えらく早く奈良に着いてしまいました、暫し奈良公園で時間調整をば。既にご出勤している鹿どもは、餌をくれる輩かどうかちゃんと見極めができるかして、ちゃんとシカトされてます、なおヴィンディングシューズで踏まぬ様、地雷にはくれぐれもご注意をば。
 のんびりと奈良阪を越え、大仏線跡から木津川河畔へ出て恭仁大橋を渡ります。井平尾から府道5号木津信楽線に入りますが、さすがに平日のこの時間帯は車が多い様で、8時前には約束のローソン和束南店に到着しますが、既にF1氏は到着済、始発を乗り継いで輪行で来たのかと思いきや、大阪から約60キロ自走との由、おいおい。
 「アリオリ組」にも声をかけておいたので、約束の時間までイートインコーナーでマチカフェしますが、平日ですし他に付き合って頂ける物好きは居ない様です。ところで期せずして今日はF1氏のバースディなんですね、もう10数年のお付き合いになるそうですが、Facebookからのお知らせの画像がこれ、2007年7月ですからなんと懐かしい事(写真中央はtantanさん、ご無沙汰してますが、お元気にされてるのでしょうかね)。
 さて8時半ぴったりにスタートし、まずは信楽へ、加茂から信楽への府県道は近隣に限らずサイクリストに人気のコース、R307に比べて車が少なく、特に湯舟の清水橋以東は神山口までは更に車は少なくなります。清水橋の少し先の小杉までは奈良交通の路線バスがやってきますが、最盛期は奈良から水口まで結んでいた国鉄バス近城線の名残ですね。さて今日は「車の少ない道を縫ってのんびり走ります」がコンセプトですので、府県境まで茶畑が続く中の緩やかな登りを20km/h前後のペースでゆったりと行きます、信楽和束~信楽 (スライドショー5枚)。
 ちょっとちぎれたり、2,3台のローディに抜かされたりしながら、無名の京滋県境の峠を跨いで信楽へ、コースから少し外れますがせっかくですので信楽駅へ。
 先月21日にも立ち寄ったばかりですが、お馴染み巨大狸が出迎えてくれます。しかし50年近く思い出の多い駅です「古いネガから(1971年2月7日)」
 信楽~御斉(おとぎ)峠 (スライドショー5枚)、信楽から伊賀上野へは県道138号信楽上野線が一般的ですが、小峠の手前のだらだら登りが鬱陶しいので県道334号神山多羅尾線を行きます。信楽からは信楽高校の前を越えて大戸川沿いに殆ど国道を走る事なく神山へ抜ける事ができ、県道に入ると離合困難な1車線路もあるため殆ど車はやってきません、但し通行止になる事が多いので、道路情報要確認。
 「徳川家康伊賀越の道」御斉峠は本能寺の変の折に徳川家康が遁走したルートとして知られる道、司馬遼太郎の「梟の城」の舞台にもなった伊賀甲賀を分ける峠でもあります。「信楽代官所 仕置場跡」(刑場跡)の案内も、実は「月ヶ瀬村女子高生殺人事件」の死体遺棄現場だったりもします。 滋賀三重県境の御斎峠(570m)に到着、県道の峠は眺望は悪いですが、少し伊賀市側に下ると上野盆地を見渡せるポイントがあります。余談「御斎峠なのか御斉峠なのか」。

 標高差400m超の峠を下り伊賀(上野)市街へ、そろそろお昼前ですのでJR駅前近くの「伊賀路」へ、私の仲間では色々と伝説の多いお店、久しぶりに「牛タンとろろ」を頂きます。

 国道を避けて伊賀(上野)市街の旧街道を縫って走ります、写真は名阪国道と伊賀鉄道、猪田道駅近くから木津川を渡ります。

 

 長閑な上野盆地の田園風景の中を、近鉄大阪線伊賀神戸駅付近からは県道57号上野名張線に入ります。名張までは初瀬街道(阿保越伊勢街道)をなぞったルートで、そのまま赤目、三本松、大野と旧街道を継いで走り、室生ダム湖畔から榛原へ抜けます。伊賀市~室生ダム湖畔 (スライドショー10枚)。
 F1氏とは女寄(みより)峠を下って桜井でお別れしますが、大阪市東住吉区から走って既に2府3県を走っている訳で、橋本経由で2府4県走破になるよと炊きつけてみたのですが、さすがに柏原経由で帰途に就いた様です(写真参照)、200キロに後一息だったのですね、40云歳のバースデー・サイク、無事に有意義に過ごされてなにより。さて私のほうは本日の走行149.9キロ、1,500キロ/月まで後9.6キロです。

 

「美山川酒池肉輪会」キャンプツーリング(2日目)

大阪、奈良、滋賀から自走の3人 Photo : 鈴鹿のあびさん

  キャンプの朝
 すっかり明るくなった6時過ぎにようやくテントから這い出してきて、皆さんの朝食をつまみ食いしながら撤収を始めます、お天気は予報に反して良い様で朝の陽射しが眩しいです。一応は今日帰途に就く予定ですが、明夕までに帰れば良いので、昨日niwa-chanさんが走ってきたルートが魅力的なので、佐々里峠~久多(能見)峠と逆に走り滋賀県に出てもう1泊、それも明日からは工事通行止になるとか、なんてプランも考えてみたのですが、明日も天気が持つかどうか、やはり帰路はR162周山街道しかなさそうです。
 syokoraさんとniwa-chanさんはせっかくだからと「かやぶきの里」へ寄ってから帰途に就くと云う事ですので、道の駅「美山ふれあい広場」までご一緒する事に。
 0842 自走組は出発です。(写真左 : shokoraさん)
 道の駅「美山ふれあい広場」にて。
 美山を出ると分水嶺の深見峠、2001年9月に供用された深見トンネル(1,034m)を通るのは初めて、旧道トンネルは閉鎖されているとの事ですが、しっかりしたゲートがあって旧道へすら入れなくなっています。
 北上してくる車や単車に混じってロードバイクの多い事には驚かされます。こちらは時間的に南下する車は少ないのが多少の救いですが、美山はともかくとして車の排気ガスと単車の爆音の中、走りにくる様なルートなのでしょうか、向かい風の中、10時半には道の駅「ウッディ京北」に到着。
 栗尾峠の下に開通した京北トンネル(2,313m)、こちらも初めて通りますが広い歩道があるとは云え延々と登らされます、トンネルと云うより斜坑と云った方が良い様な。京見峠への分岐を過ぎた処で中川トンネルを避けて清滝川に沿った旧道へ、今の周山街道で唯一ほっとできる区間かも(すみません写真がありません)。
 高雄からの登り返しをこなして12時過ぎには御経坂峠に到着、周山街道最後の峠です。鳴滝本町でR162と別れ南下、太秦駅映画村の前を通って桂川に架かる上野橋北詰に出ます。
 上野橋では京都八幡木津自転車道は対岸(右岸)を走っていますので、暫く左岸の一般道を走って桂大橋で自転車道に入りますが、ここから再び風に苦しめられる事に、1358に御幸橋の「さくらであい館」に到着、土曜とあってローディの多い事、4サイドは怪訝そうな視線を浴びます、海外からのサイクリストには日本の今風ローディは■■■■ーだそうなんですがね。
 流れ橋で「四季彩館」に寄り道したものの、木津についたの1638、30分は余計に掛かった計算です。奈良阪を越え上ッ道をひた走り桜井に辿り着く頃には暗くなってしまいました、走行118.9キロ、周山街道を走ってもストレスになるだけで距離は殆ど変わらない様な、それに向かい風のせいかAVSは15km/hを切ってしまいました。しかし今回も弾丸キャンツーになってしまった様な、のんびりキャンプを愉しむツーリングを愉しみたい今日この頃であります。

 1日目 2日目

syokoraさんのレポートはこちら

「美山川酒池肉輪会」キャンプツーリング(1日目)

京都府道443号佐々木京北線

 先週も2泊3日で滋賀までキャンプツーリングに行ったばかりなのですが、この週末は3月のカルディアに続いて美山で「酒池肉輪会」のキャンプです。ただ家族の事情でなかなか参加表明ができなかったのですが、ようやく前々日になって参加を決め、急ぎ準備を始めます。ここ2度ばかりフロント2サイドが続いていたのですが、実は4つのサイドバッグの内2つの巾着部分が解れてきて、さすがオーストリッチ品質、ただこいつは20年使っているので致し方ないかと(解れてきた2つは裏地が異なりロット違いの様ですが)、既にこのS-5は廃番で入手は不可能、間尺に合う適当なモデルもないし4つ揃える予算もなし、下手な針仕事で応急処置をしてとにかく使えるようにした次第。
 さて美山へのルートですが、一般的なのがR162周山街道、坂は仕方がないとしても、交通量は多いは長大トンネルがあるはと、自転車ツーリングには決して向いているとは云えないルートです、そこで過去何度か走っている嵐山から六丁峠と神明峠を越える府道50号京都日吉美山線とR477他を経由して向かう事にします。嵐山までは京都八幡木津自転車、その先は車の少ない道を選んで行く事ができます、最近では2007年7月に丹後由良まで走った折に利用しています。なお京都日吉美山線としては旧日吉町~旧美山町間の鏡峠部分が未開通のままです。

 まだ暗い3時過ぎに桜井を出発します。従来からナイトランや長大トンネル通過が想定される時にはサイドバッグにジョガーなどが夜間のランニング等に使っているいわゆるクリップライトを取り付けています、なかなか効果的で車が追い越し等で充分な間隔を取ってくれる事請け合います。赤、緑、青、白がラインナップされていますが、残念ながら黄色が無いようです。ただバッグによってどのように固定するかが課題になりますが。
 0443少し明るくなってきた県庁前を通過、鹿たちはまだご出勤前の様です。
 奈良阪を越えて0524には木津川沿いの京都八幡木津自転車道に入ります。
 東風が強くて殆どが堤防上の自転車道は少々難渋します。山城大橋で合流してきたロード、適当なペースなので引っ張って貰おうかと企んでいたら、風にあおられてハンチングを飛ばされてしまいます、結構速度も出ていますし、キャンピングでは咄嗟に目で追う事ができないものです。とにかくasuka号を土手に寝かせて飛んでいった辺りの斜面を探してみますが、これは見つかりそうにありません、汗をかく夏用にとAMAZONでポチった廉価品ですので早々に諦める事にします。流れ橋0638、御幸橋の「さくらであい館」0732と休憩をしながら自転車道は桂川河畔へ入ります。
 ただ雲行きが怪しくで雨雲レーダーを確認しながら前に進んでいる様な状況です、時々パラっと来ますが本降りになる事もなく、天気そのものは快方に向かっている様です。0901 嵐山着、観光客がうろうろしだす前に渡月橋を渡って嵯峨野を抜けたかったのですがね。ここまで73.5キロ、距離的だけは既に2/3を走っている事になるのですが、俄然道のりは険しくなります。この先いわゆるコンビニの類はありませんので、ローソンで軽くお昼になるものを調達しておきます。
 鳥居本から六丁峠へ、嵐山側は短いものの相当の激坂です、車さえ来なければと蛇行しながら頑張ってみますが、有難い事に来るんですよね、さっさと諦めて降ります、一旦降りると峠まではもう推すしかありません、六丁峠 1010着(正しくは下六丁峠だそうですが)。
 六丁峠は一旦清滝川に架かる橋の高さまで下ります、途中では嵯峨野観光鉄道(旧山陰本線)を見下ろす事ができるのですが、タイミング良くトロッコ列車がやってきてくれました、運転日でも1時間1往復ですから峠越えのご褒美ですね。
 保津峡駅への三叉路から再び登りが始まります、停まっていると肌寒い位の気温ですし、前回のロードの時の様に嵐山まで無理してない事もあってか、結構楽に水尾まで登ってきました。実は結構追い風に助けられていた様な神明峠(400m)の手前で南向きに回り込む辺りでしっぺ返しを食らう事に。
 1145 神明峠に到着、峠と云っても亀岡に下る愛宕谷林道での峠であって、府道50号は更に標高で100m少しだらだらと登らなくてはなりません。
 ここで終わりかなと云うのに何度もだまされてやっと標高513m程のピークとも云えない様な区間を通過します。
 R477と合流してすぐに南丹市域に入ります、古い石標には「丹波国桑田郡 山城国葛野郡」とあります。葛野郡は昭和23年に消滅してしまったので馴染みがありませんが、現在の京都市右京区の大部分と北区、中京区、下京区、南区、西京区の一部を含んでいました。
 神吉小学校跡前の北桑田郡神吉村道路元標も健在です。
 R477は神吉から府道50号と別れて北上するのですが、なにやら通行止の案内が、途中で分岐する府道363号宮ノ辻神吉線が崩土のため通行止と云うのははっきりしているのですが良く判りません、ゲートもないので入ってみると少し下って府道363号との分岐で両方にしっかりゲートが、R477側へ下りたいのですが、強行突破しても最悪登り返さなければならないのは辛いものがあります、ここで1303。
 結局諦めて日吉周りするしかありません、府道50号に入って日吉方面に向かいますが、ここにも通行止の案内が「日吉方面へは通り抜けできません」「京北町宇津方面通り抜け出来ます」、あまり土地勘がないだけにこの辺りの位置関係が今一つピンときません。結局は日吉ダムに殆ど沈んでしまった世木ダムの上流側まで下って理解できたのですが、日吉ダム方面へは行けないが、桂川上流の弓削川沿いに京都市道大向線をR477方面に抜ける事ができる訳です。
 結果的には数キロ遠回りしただけで府道365号中地熊田線~市道~府道443号佐々江京北線(写真上)と継いで 1435 には再び南丹市域(巻頭写真)に入る事ができました。無名の峠ですが鄙びた山道が心地良かったです。
 1505 府道19号園部平屋線の神楽坂トンネルへ、抜けると同じ南丹市でも由良川水系の旧美山町になります。

 

 嵐山を出てからお店とかのない処を縫ってきたのですが、貴重なヤマザキショップ、今夜の食料とか充分に準備してこれなかったのでここで調達しておきます。
 川西デポ、園部、日吉ダム経由でこちらに向かっているsyokoraさんも神楽坂トンネルの向こうまで来ているとの事ですので、ここで待ち構える事にします。1533 無事に合流、揃って今日の野営地に向かう事に。
 途中でH団長がお出迎えに、なおじ嬢のお出迎えをリクエストしてあったのですが、お昼から飲んで既に出来上がっているとか。
 1553 通称「たつやんランド」に到着です、本日の走行128.6キロ。滋賀県湖南市から自走のniwa-chanさんも花折峠~久多(能見)峠~佐々里経由で既に到着。
 「酒池肉輪会」恒例の…
 川西から60キロ余りを明石焼き用のたこ焼プレートと「燗銅壺(かんどうこ)」(野点でお酒を燗する道具)を積んで走ってきたsyokoraさんには脱帽、暗くなってからの事は良く覚えていませんです、ハイ(^_^;)。

 1日目 2日目

syokoraさんのレポートはこちら

今年も東西南北の海へ、まずは北へ

滋賀県大津市 花折峠旧道にて

 今年も鉄人児玉さんを見習って「東西南北の海へ」走ろうとは思っていたのですが… 先週の「四国の右下キャンプツーリング」で買った「青春18きっぷ」の残り4回分、4月初めまでに2回使って残り2回分をヤフオクで売ってしまおうと企んでいたのですが、D女史が4月8日に滋賀県で行なわれるアイズバイシクル主催の「タンデム学会」へ往復するために1回分ほしいとの事、そうなると1回分余ってしまう、そこで誰か1人誘って走りに行こうと募ってみると、F1さんが釣れましたネェ。昨年8月にNちゃんと走った朽木経由の鯖街道で小浜へ走る事にしました。
 大阪市内から走ってくるF1さんとは御幸(ごこう)橋の「さくらであい館」で落ち合う事にし、桜井を未明0416にスタートしますが、上街道を北上して奈良阪を越えて木津川沿いの京都八幡木津自転車道に入ったのが0606、ここから御幸橋まで25キロ、ちょっとのんびり走り過ぎたかと。
 平日の早朝とは云え満開の背割桜で賑わう御幸橋に到着したのが0703、F1さんは既に到着、3分遅刻とは云えノンストップで1時間を切る事に。さんい

 

 自転車道を京川橋まで北上し鴨川左岸に入ります。鴨川べりの桜も今が盛りです、R24勧進橋で右岸に入り、塩小路橋で再び左岸に入ります。
 信号以外はノンストップで大原へ、御幸橋から1時間半程で走ってきました。ファミマで最初の休憩です。
 

 途中越えと経て花折峠は今回も旧道を行きますが、すっかりF1さんに置いて行かれました。

 朽木宿には1143着、前回Nちゃんとは「丸八百貨店」で簡単に済ませたのですが、今回はオヤジ2人でがっつり行こうと道の駅「くつき新本陣」でバイキング、と云うかここのレストラン、お昼時は1,080円(税込)也の「田舎仕立てのバイキング」しかないのですが、田舎仕立てと云うだけに「竹の子」とか「揚げ出し豆腐」とか、フライもんの類はありません、でも結構元は取ったと云うか満足できましたよ。
 13時過ぎに朽木宿を後にして水坂峠経由でR303へ、ただ強烈な西よりの風が、熊川宿で一息入れて小浜へ向いますが、最後まで向かい風に苦しめられました。

 15時過ぎに海の見える小浜公園に到着。少々忙しないですが1621発で帰途に就く事にして小浜駅へ、本日の走行151.8キロ、昨夏と比べると実走行時間で1時間、平均速度で1.8キロ少ないだけですが、結構くたびれました。

 

 

 

笠置キャンプ(2日目)

参加者8名と陣中見舞い1名で記念撮影、大きな画像は「ツーリングの記録」(要認証)からご覧下さい。

 今回は12日(日)がI’sBICYCLEの例会+タンデム学会とバッティングしたためか、マッドガード付き4サイドでの参加者は私を含めてトリトンさん(写真左)とkitamakiさん(写真右打)の3台と少々寂しかったですが。
 変わった処では、滋賀県から走ってきたniwa-chanさんのKHS、実は延陽伯号の参入で埃をかぶっていたウチのKHSをお譲りしたものなんです。
 あちこちで自転車談義、ただ今回はカヌー談義の方が盛り上がっていた様な。(Photo : トリトンさん))
 昨年秋同様haradaさんが差し入れを持って遠征してきてくれました。
 名残惜しいですが、夕刻から所用があるので、10時過ぎ一足先に笠置キャンプ場を後にします、いつもは山越えで帰るのですが、今回は往路と同じくR163から奈良市街経由で。1144に府県境を越え、1220観光客で賑わう猿沢池で一息入れ、1342には無事桜井に帰投しました。本日の走行43.0キロ。

 例に拠って集合写真を含む両日の写真をうちのHPのアルバムに順次アップしています、[BYCICLE]→[ツーリングの記録]→[2017]と辿って下さい。1920×1280の大きなサイズもダウンロード可能です、参加者の方には再利用して頂いて結構です。なお認証が必要です、ログインは’2017’、パスワードは2017年の「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下黄色枠内の4桁の数字です。

 これで今年14泊目のキャンプ納めになるかと。

5月3~5日「第11回月うさぎキャンプ」
6月22~24日「猪名川キャンプツーリング」
7月13~16日「しまなみキャンプライド」
8月13~14日「野迫川キャンプ」
8月27~28日「南の海へ」
9月24~26日「淡路島キャンプツーリング」
10月8~9日「月うさぎキャンプ番外編」
10月31日~11月2日「野迫川キャンプツーリング」
11月「笠置キャンプ」

 

笠置キャンプ(1日目)

 この週末は恒例の「笠置キャンプ」、昨年秋と同じくFacebookのグループ「自転車キャンプツーリングを愉しむ会」のイベントをも兼ねています。気になっていたお天気の方ですが、未明にはあがる予報でしたので明るくなったら出掛けるつもりでいたのですが、グズグズと降ったり止んだりの状態が続いて出るに出られません。いつもの様に大和高原経由のルート(針~布目ダム)は諦めてギリギリの時間まで様子を見ていたのですが、雨雲レーダーを見ると何やらうちの回りだけがピンポイントで降っているではありませんか。1024 雨の止み間に4つのサイドバッグにカバーをかけて、ポンチョを準備して走り出す事に。「笠置キャンプ」にはイスやテーブルも積んで行くので荷物は目一杯、そこへ雨具は余計な荷物になるんですが。
 天理の手前で少し時雨た位でポンチョを出す事もなく一路上街道を北へ、奈良市に入る頃には青空も見えてきました。ただ晴れるに従って北西の風が強くなってきました。

 途中で調味料などを入れたケースを積み忘れてきた事に気がついて「ビッグナラ」へ寄り道、もとの遊郭街の中にあるスーパー、奈良市街では木辻町のこのお店が結構安いんですよね、ついでに昼食のおにぎりも調達。
 「ビッグナラ」の後、いつもの様にならまちへ入ってしまうと観光客がゾロゾロと、よくよく考えると休日のお正午、すんなりと通り抜けられる訳がありません。県庁前から奈良阪へ、少年刑務所跡前を経てようやく京都府へ入ります。鹿背山から観音寺と大仏線跡に沿った道を経て木津川河畔へ、しかし鹿背山界隈も宅地開発が進んでずいぶんと変わってしまいました。ここまで街や村の中を縫う様に走ってきたので風はさほど抵抗にならなかったのですが、木津川べりでは横風に煽られ、恭仁大橋ではまともに向かい風で前に進みません。
 ようやく渡りきり井平尾の交差点への抜け道を、ここから信楽への府道はローディも結構多いルートです。1台のローディが怪訝そうな眼差しでこちらを覗きこみながら無言で抜かして行きます、「こんちわ!」と挨拶したものの無視、すれ違い様とかで無視されても、気がつかないとかタイミングとかもありますので一々気にはかけないのですが、キャンピングが珍しいかも知れませんが、本当に失礼な輩もいるもんです。
 井平尾からあまり走りたくないR163へ、しかし加茂から笠置へはこの道を通るしかないので。トンネルを抜けると前方にキャンピングが、どうやら枚方から走ってきているKさんの様です、気が付くまで写真を撮ったりしながら黙って付いて行きます。実は木屋から峠を下ってきた滋賀のNさんが私の後ろに付いたそうなんですが、砂にタイヤをとられて転倒していたとか。

平尾

 笠置大橋の手前でようやく気づかれました。橋から見下ろすキャンプ場は盛況です、この季節にこれだけ埋まっているキャンプ場はそうはないでしょう、1日300円と安い事もありますが。
キャンプ場へは13時過ぎに到着、既に鈴鹿のあびさんが到着しています、今回はリハビリ中とかで自転車は積んでいるものの車で来ていますが、あれだけカヌーに乗っていて何がリハビリやねんとの声。「転けた、転けた」とNさんも到着、しかし後続車がいなくて無事でなにより。早速設営開始です。

 さて設営が済んだところで遅めのお昼に、寒いシーズンの私の定番、なべ焼きうどん也。
 神戸からタモさんも到着して今回の参加者8名が揃いました。うち自走での参加が4名、4サイドが3台と云う内訳です。あびさんが大型テントとストーブを持ち込んでくれたので夜もみんな揃って暖かく過ごせます。
 日頃は飲まない私もグループでのキャンプの時は別、従って9月の「月うさぎ」以来のアルコールです。さすがにここも直火禁止ですので、タモさんは焚き火台を持ってきて、0時過ぎまで宴は続きました。

 

なおちゃんTOEIお披露目ツーリング

 今日はなおちゃんことH氏夫人の新車、東叡26HEランドナーのお披露目走行会、題して「なおちゃんTOEIお披露目ツーリング」です。コースプランはまえださん、先月の台風で不通箇所が出たりとコースが二転三転しましたが、京都府南丹市の道の駅「スプリングひよし」デポで大野ダムから美山へ時計回り、神楽坂トンネルで戻ってくる60キロ程のコースとなりました。
 馳せ参じる参加者はH夫妻を含めて17名にもなり、お昼は外でと云う事になりましたので、そうなると火器や水の準備が必要になり、タイヤは28Cに換装したものの、フロント2サイドにキャラダイスの大型サドルバッグと云う出で立ちのasuka号、流石に容量過多で、まずは使わないだろう防寒具で無理くり膨らませます。
 当初の亀岡スタート案では自走も考えていたのですが、日吉となると輪行も大変なので隣町のT氏の車に便乗させて頂く事になりました。「スプリングひよし」へは7月に「北の海へセンチュリーラン」で立ち寄っていますが、車で行くのは2001年7月15日の「古典ロード走行会」以来、その折りはT御大のデリカで行ったのですが随分と道が良くなったものです、大山崎ジャンクションと京都縦貫道のお陰で2時間足らずで着いてしまいました。
  お陰で少々早く着きすぎましたが、暫時予定の17名が到着します。今回はなおちゃん以外にもご近所明日香村のチネリ怪人vivvaさんのレストアなったエルス(写真右)以外にも目新しい車が幾つか並びます。
 朴念仁な私にはよう判りませんが、タイニーな彼女にチョイスされたニューマシン。
 さて9時過ぎには「スプリングひよし」をスタートし山陰本線に沿った府道他を行きます、出るなりF氏率いるWindyの面々とすれ違ったり、しんがりを勤めていたはずの私が組し易しと見たローディにアタック、付いて行くのは良いのですが、サイドバッグが付いている事も忘れて前に出てはいけません。(写真右:まえださん)

 胡麻駅の先で踏み切りを渡り府道と別れます。この辺り高原状のなだらかな道が続くのですが、実は太平洋側と日本海側の分水嶺に当たります。胡麻駅近くまで桂川水系と由良川水系の支流が迫り河川争奪の末の谷中分水界を形成、京都府レッドデータブック(河川地形)にも登録されています。途中で山陰本線旧高屋川橋梁の遺構に寄り道したりして一息入れます。
 暫くR27を我慢した後、府道12号綾部宮原線へ入り大野ダム方面へ。樫原の大原神社への入り口にある大けやきの前で本日の集合写真を。なお大きなサイズの画像は「ツーリングの記録」(要認証)からご覧下さい。
 今回私には来年の「CanCan謹製カレンダー」になおちゃんをデビューさせようと、写真撮影のミッションがあるのですが、土地勘のないこの地域、交通量からして大野ダム前後のこの区間しかないのですが、由良川沿いに東進するこの道は美山までずっと右岸を進む様でして、開けた風景と陽射しが逆になってどうにもなりません。まぁ結果はカレンダーを見てのお愉しみと云う事に。
 この後、某所で某誌の取材撮影があって時間も押してきているのですが長谷運動広場でお昼のランチと云う事に。逆回りしてきたWindy一行とも再開、皆さん思い思いに店を広げます。

  午後の暖かな陽射しにもっとのんびりしていたいのですが、運動広場を後にします。
 美山までは由良川左岸の長閑な道を行きます。vivvaさん良いですね、蹴り入れちゃいましょか。

  私は慌てて行く事もないので遅れて到着、UG兄さんのTOEIとT氏のアルプスが撮影中。編集者に目ざとく見付けられたasuka号も俎上に上げられたのですが、どうかボツにして下さいね。
 15時前には陽が傾いてきた道をデポ地へと急ぎます、神楽坂トンネルまでは旧道を縫って。
 BLKさんやniwaちゃんさんがガンガン行くので1時間程で「スプリングひよし」に無事戻って、本日の「なおちゃんTOEIお披露目ツーリング」はめでたくお開きとなりました。


 一部、まえださんの写真を拝借しています。
 例に拠って集合写真を含む当日の写真をうちのHPのアルバムに順次アップしています、[BYCICLE]→[ツーリングの記録]→[2017]と辿って下さい。1920×1280の大きなサイズもダウンロード可能です、参加者の方には再利用して頂いて結構です。なお認証が必要です、ログインは’2017’、パスワードは2017年の「CanCan謹製カレンダー」の裏表紙右下黄色枠内の4桁の数字です。

まえださんの「自転車趣味+α」
ショコラさんの「四半世紀の時の流れ 自転車・ランドナー」

 

北の海へ Part.Ⅱ


福井県小浜市 小浜公園にて

 東の海へ「鳥羽市鎧崎」、西の海へ「和歌山市加太」、北の海へ「宮津市由良海岸」に続いて南の海へとなる処なんですが、5月にNちゃんと行った「北陸本線廃線跡と河野しおかぜライン」の時に話題になった京都市街を車と信号に煩わされずに通過するルート。元より京都市内に土地勘のない私は、自転車道を嵐山まで走り、そこから北上する事はあっても、車の多い京都市街を走り抜けて鞍馬や大原方面に向かう事はありませんでした。Nちゃんの話によると桂川沿いの木津八幡嵐山自転車道の途中から鴨川の川べりを出町柳辺りまで走る事ができるとの事。京都市内に詳しい方なら当たり前の事なのかも知れませんが、自転車道から出町柳までワープできるとしたら今まで敬遠していた左京区方面へも足が延ばせると云うもの。早速Nちゃんに道案内をお願いして、取り残している大原村道路元標をゲットしつつ、鯖街道をまだ自転車では行った事のない小浜に向かおうと云う事になったのです。
 御幸橋さくらであい館前に7時に待ち合わせる事にして、桜井を4時過ぎにスタート、まだ暗い上街道を北上します。西名阪下、奈良市中辻町と木津川市梅美台西3で信号に捕まっただけで、足つき3回、停止時間1分00秒で流れ橋に6時19分に到着、休憩と時間調整をして御幸橋へ向かいます。
 さくらであい館前には既にNちゃんが到着、休日とあってローディの姿も多いです。さて桂川沿いの木津八幡嵐山自転車を北上し、いつもの久我橋を渡らずにそのまま鴨川の左岸を行きます、少々ダートと云うか未舗装部分がありますが良くしまっていて、雨の後でもない限りロードでもさして問題はなさそうで、通勤通学の自転車のルートとして結構利用されている様です。対岸に見えているのは阪神高速8号京都線。この後、近鉄京都線の鉄橋をくぐり、R24勧進橋で右岸に渡ります。
 JR奈良線と東海道線をくぐると暫くで七条大橋が見えてきますが、右岸側(写真左)は行き止まりになりますので、手前の塩小路橋を渡り再び左岸に。
 対岸に京都名物の納涼床が見えてきます。この辺りで時刻が8時になっていますが、時間とともに観光客が増えてくるそうで、自転車での通行は難しくなるとか、このルートは早朝に駆け抜けるのが肝ですね。鴨川と高野川が別れる処が見えてきたら出町柳です。川べりの道はまだ続いている様なのですが、だんだん走りにくくなる様ですので、一般道に上がり高野橋東詰からR367となります。なおここまでサイドバッグ支度でも問題はなさそうです。
 しかしR367に入ると車が多いですね、土曜日ですので、結構ダンプとかも多いです、時間が経つと観光バスなんかも多くなるかも。八瀬を過ぎた辺りからNちゃんのガイドで旧道を縫って走ります、こちらは快適です。
 大原ではコンビニ休憩の後、今回の目的の一つ愛宕(おたぎ)郡の大原村道路元標を訪れます。1,052基目となります。

 

 最初の峠となる途中越へ、滋賀県に入ります。トンネルを避けて集落の中の旧道へ。
 途中越の次は今日のルートの最高点になる花折峠(591m)、トンネルを避けて近畿自然歩道となっている旧道へ。ロープや鎖で車は入れない様になっていますが、比較的新しいアスファルト舗装が続きます。展望のない峠ですが、朽木鯖街道最大の難所だっただけに、峠名を印した立派な石碑が。

 朽木側で崩落している部分がありましたが、自転車の通行には問題はありません、現R367に合流してからも、断片的に旧道があるのですが、災害で流されたままで通れない区間もあります。
 12時過ぎに朽木宿に到着、道の駅のレストランは1,000円のバイキングだけだそうで、国道から離れ朽木宿の中の「丸八百貨店」へ、もとはその名の通り3階建ての百貨店だった様ですが、現在は観光案内所や無料休憩所の役目を、お茶と大したもんでもありませんか食事もできます。きつねそばとおにぎりを、しめて400円也。

 レトロさも魅力ですが、気さくなおばさんがいてアットホームな空間です。
 さて朽木宿を後にしてR367檜峠(写真左)とR303の旧道水坂(みさか)峠(写真右)を越えR303に合流、寒風トンネルを抜けると福井県です。
 このルートの目玉は熊川宿となるのでしょうが、なにやら時代劇のセットみたいで、ワタシ的には今一でした、道の駅の裏側より小浜よりの一画の方が静かで良いかも。
 一軒のお店で葛饅頭を頂きます。甘さ控え目で葛の風味が良かったです。私たちの次で売り切れになっていました。
 熊川宿を後にし一路小浜へ、R27と合流し上中駅を過ぎた辺りで脇道へ。

 堤防上の良さげな道を道を見つけて突っ込みますが、書いてある通りの「通り抜けできません」の行き止まりでした。その後は県道24号に入ります、田んぼの中の真っ直ぐな道で見通しが良くて走りやすいのですが陽射しと風がね、ただそのまま行けば「鯖街道起点」を売りにしているいずみ町のアーケードへ。
 Nちゃんが指差しているのが「鯖街道起点」のプレート。アーケードを抜けて海岸の小浜公園まで走り「北の海へ Part.2」完了です。R367~R303と些か交通量が多いのが難ですが、花折峠旧道や朽木宿は愉しめました。本当は小浜をゆっくり見て回りたかったのですが「青春18きっぷ」だけで桜井まで帰る目論みですので1729発の敦賀行きがタイムリミットとなります、それでも接続のスジが悪くて桜井帰着は2323着の終電に。別ルートでの再訪を愉しみとします、本日の走行156.6キロ。道案内とお付き合いしてくれたNちゃんに感謝。

 

北の海へセンチュリーラン

京都府宮津市 丹後由良海水浴場

 6月の東の海(鳥羽市鎧崎)、西の海(和歌山市加太)に続いて北の海を目指します。関西から北の海へのライドと云うとコースは様々ですが若狭小浜辺りを目指す人が多い中、そこはその天の邪鬼な私の事ですから、狙ったのは天橋立、あわよくば近畿最北端の経ヶ岬も狙えるのではと線を引いてみたのですが、さすがにこれには無理がありそうな。さてコースは上街道から奈良阪を経て嵐山八幡木津自転車道を走り、嵐山から六丁峠を越えて保津峡、水尾、越畑、日吉ダム、綾部から宮津へと走る200キロ近い道のり、なお日吉ダムから先はほぼ未踏区間です。

 帰途輪行の予定ですので、荷物は輪行袋と着替え一式、マウンテンスミスの小さい方のランバ―バッグ(ヒップバッグ)に、これ位の荷物ならオプションのショルダーベルトも不要でしょう、元来背中には背負わない主義ですが、夏場は肩当ても鬱陶しいものです。後サドルバッグをトピークからモンベル(本来はフロントバッグとして販売されているもの)と交換してゴリラポッドを押し込みます「自撮り」をしている余裕はないのですが、記念撮影位と思い持って行ったのですが、結局一度も使う機会はありませんでした。
 自転車道へは明るくなってから入る様に逆算して桜井を2時過ぎに出発します。流れ橋までは一昨年40往復した勝手知ったる道ですが、真っ暗な自転車道は危険この上ないのです、路肩が不明瞭だったり、車止めポールの蓋とか、ライトや反射材を持たずに走っているジョガーや犬の散歩とかトラップだらけです。上街道は西名阪下の信号で捕まっただけで足着き1回、京都府に入って木津川市梅美台のファミマで明るくなるまで小休止。
 自転車道に入るとついつい加速してしまうのですが、最近100キロ前後を走るペース配分やリズムに馴れてしまっているので、今日は先が長いのでセーブしながら走る心掛けを、流れ橋で2度目の休憩を。
 丁度7時に嵐山到着、休日の朝とあってか嵐山に近づくに従ってジョガーの多い事。ただ一大観光地の嵐山はまだまだ観光客の姿はまばらです。3度目の休憩の後、コンビニでおにぎりを1個と凍らせた飲料を補給、この先コース上にはコンビニの類いは綾部市街までないかと。
 府道50号京都日吉美山線、嵯峨野から六丁峠へ、登りきれるかと思ったのですが、対向車が2台続けて下ってきてアウト!
 一旦保津峡へ下りますが再び標高差400m程の登りが始まります。ところで今日はローディのグループの多い事、明日の美山の前乗り組なんでしょうかの、調子に乗って着いて行ったりすると後が持ちませんので、大人しく見送ります。追い越す時に声を掛けるのは勿論だとしても、グループと思って何台?と尋ねると速答できないのは何故、質問が突拍子もないのか、一緒に走っている人数を把握できていないのか。8時半には水尾に到着、自販機休憩。
 神明峠、ゲートのある亀岡方面へ下る林道へは峠になるのですが、府道はまだ標高差で100m程続く、サイクリストには悪名高い峠。緩やかなアップダウンが暫く続いてようやく下りに入ります。

 樒原(しきみがはら)へ、ここにはバスの車庫があってここまで山陰本線八木駅から1日3往復の京阪京都交通のバスがやってきます。京都市右京区には違いないのですが、園部市の経済圏になっています。こんな処に京阪の塗装のバスがいて怪訝に思いましたが、2004年に破綻した京都交通の路線を京阪グループが引き継いだとか。そんな訳でここから先は道は随分と良くなります。愛宕山の陰になるので宕陰(とういん)と呼ばれる樒原、越畑と過ぎ南丹市へ、神吉には北桑田郡の神吉村道路元標が残っています。
 天若(あまわか)湖と呼ばれる日吉ダム湖畔を行きます。峠を越えダム湖の上流側から下り基調の道を走っていると、このまま日本海側へ下って行ける様な錯覚を起こしますが、日吉ダムは桂川、日本海どころかまだ淀川の上流にいるのです。日吉駅から山陰本線沿いに走り胡麻駅へ、駅に隣接して食事のできる「胡麻屋」と云う店が、時間も11時になり走行距離が100キロを超えて疲れもでてきたので、ここでお昼と云う事に。
 カツ丼とかけうどんのセットにてんぷらを足して820円也、お味もボリュームにも満足してのんびりしていると「みずかぜ」が来るとの声。JR西日本、話題の豪華列車がやってきたではありませんか、上り普通列車との交換の為の運転停車です、なんとラッキーな。
 ところで胡麻と云う変わった駅名ですが、昭和30年まで胡麻郷村と呼ばれた土地、ただ胡麻の産地かと云うとそうではなく「駒」が転訛したものらしく。近年京都市内の胡麻屋さんが地名に馴染んで工場をここに建てたとか、ごま油とか胡麻由来の商品が並んでいます、胡麻そのものの原産地は海外が多く、国産ものはお高い様な。
 胡麻郷と云う処は高原状になっていて日本海側との分水界になっていて山陰本線はここを越えているのですが、嵐山から辿ってきた府道50号は美山に向かって行き止まりになり、何故か国道府道は一本もここを越えていません、今回は南側の農免道路の様な雰囲気の道を走り、R27下山バイパスをくぐり深い谷へ下って旧R27だった府道80号へ合流します。地形的に谷中分水界なのかなと思って、帰宅後調べてみると話はそう簡単ではない様な。和知駅へ立ち寄った後由良川右岸の府道59号を、交通量が少なくなかなか快適なコースです、その後R27となり綾部市街へ入ります、舞鶴若狭道のお陰か交通量は意外に少なかったかと。ただ胡麻から下り基調ながらルートを確認しながら走ったので結構時間がかかったと云うか長かったです。
 綾部に自転車で立ち寄るのは三度目、2008年10月と2009年8月、何れも道路元標蒐集の途上でした。駅前の通りではなく旧街道と思しき道を行きます、綾部駅近くまで来たのは既に14時近くになってしまいました。
 綾部から由良川に沿うと福知山を経由して遠回りになりますので、京都府道9号綾部大江宮津線にてショートカット、小さな無名の峠を越えますが「従是北丹後国加佐郷」と「従是東丹波国何鹿郡」と記された石標があります。宮津街道に係わるルートとして由緒がありそうな道です。
 由良川河畔に出た後、計画ではそのまま府道9号で宮津へ向う事を考えていたのですが、流石に標高400m超の普甲(ふこう)峠を越える余力は無く由良川沿いに丹後由良を目指す事に。ただ交通量の多い対岸(左岸)のR175には渡らず右岸の県道を継いで最下流の八雲橋まで北上します。最下流と云っても河口まで5キロ以上あるのですが、これより下流には道路橋はなく京都丹後鉄道宮津線の由良川橋梁しかありません。
 暫くR178を走るとその由良川橋梁を渡る列車が見えてきました、列車と云っても1両ですが、観光列車の「あかまつ」号の様で、徐行運転をしながら鉄橋を渡っていますので、撮影するチャンスに恵まれました。初めて宮津線を訪れたのは1970年代、当時は国鉄宮津線でしたが奈具海岸のほうへ行ったので由良川橋梁を真横から眺める事はありませんでした。しかし全長552m25連のガーター橋は壮観ですね。
  丹後由良の海岸に出てみます、夏休みの週末とあって海水浴場はかなり騒がしいのかと思っていたのですが、人出も左程でもなく意外に静かでした。丹後由良と云えば近畿でも知られた海水浴場だったのですが、今はそうでもないのでしょうか。この先R178を天橋立まで走る事も考えたのですが極力「18きっぷ」で帰る事を考えると1732発がタイムリミットの様です。京都や大阪鶴橋から近鉄を利用すればまだまだ頑張れるのですが、それでは金額的に「18きっぷ」のメリットを生かせませんし、わざわざこの時期に走ってきた意味もありません、とか何とか理由をつけて丹後由良で本日は打ち止めと云う事に。日帰り温泉とか海水浴場のシャワーとかもあるのですが、静かな無人駅のベンチで輪行支度を整え、ボディシートで身体を拭いて着替えを済ませて、車上の人となりました。しかし由良の海岸から見た丹後半島の遠い事、かすかに見える半島は伊根の辺りですからね、経ヶ岬は更にその向こう、少々曇りがちなお天気に助けられてここまで来れた様なものです。本日の走行185.8キロ、「18きっぷ」3,020円分乗車。さて残るは南の海は潮岬です。

 

丹後半島ツーリング(2日目)

七竜峠からの展望
 
 いつもの事ですが、4時半には起き出しゆっくりと準備を始めます、こちらは台風も過ぎ去りホッして、気楽に今日のツーリングを愉しみにしているのですが、テレビをつけると台風の影響で東北関東には相当の被害が起こっている様で、お見舞い申し上げます。
 

 さて今日は基本的に丹後半島を巡るR178を宮津まで走るのですが、R178より更に海寄りを通る府道665号浜詰網野線と623号本庄浜本庄宇治線を迂回して行きます。
 6時に宿を出発、まずは近くのコンビニで補給です、今日のルートは宮津に至るまで、いわゆるコンビニの類は皆無です(網野町小浜にヤマザキストアがありますが)。 木津温泉街を抜け小さな峠を越えると日本海をバックに塩江集落が、集落を抜け再び登って行くと峠に公園の様なものが整備されています、「七竜峠」(しちりゅうとうげ)、峠一つゲット、どうやら盟友峠おやじナワールド氏の足跡のない峠の様です。 ベンチからは昨日通った小天橋と久美浜湾を望む事ができます。
 

 七竜峠を下ると荒々しい日本海の風景が広がりますが、そんな中でも小さな棚田の風景が、秋の訪れが早い土地柄なのでしょうか、既に稲刈りが始まっています。 日本海に落ち込む様な斜面の集落、京丹後市網野町磯、かの静御前所縁の地だそうで、ここで生まれ晩年をここで過ごしたとあります。
 

 磯集落を過ぎ次のピークを越える処に「子午線公園最北子午線塔」と云う案内があります、日本標準子午線すなわち東経135度、その子午線の最北の地だと云う事です。 車道からは歩いてすぐの処ですが、その途中から府道を見下ろす事ができます。 なかなかの「自撮り」ポイントなのですが、お天気が今一つなのと結構な距離があるので時刻合わせをしながら長いタイマー撮影をしなくてはなりませんし、それに雄大な風景に対して自転車はあまりに小さ過ぎます。

 府道665号を走り抜けR178に入ります、時刻も8時を回り明るい陽射しは入る様になってきましたが、相変わらず風が強いです。 間人(たいざ)近くまで来て、行く手の道路の上を舞う白いものが、「波の華」です。 能登半島の曾々木海岸などが良く知られていますが、本来北国の海岸の真冬の現象です、強風のせいなのでしょうが9月に見られるとは。
 

 間人の城島(写真上)、ここで缶コーヒーで菓子パンをかじりながら小休止とします、間人の海岸と立岩(写真右下)、道路は結構波を被って濡れていますので、潮風どころか立ち止まっておちおち写真も撮ってられません。 途中「自撮り」をしたりしていたので考えていたより遅くなりましたが、10時前に道の駅「てんきてんき丹後」に到着、ここから先は昨年走っているのである程度時間が読めます、その時と比べると2時間程遅れで走っていますが、宮津にあまりに早く着きすぎたので、「自撮り」をしながらでもこれ位が丁度良いペースでしょう。
 
 京丹後市丹後町筆石にて、写真はR178のすぐ脇なのですが、屏風岩の方へ下りて行く道です。 後ろに見えているのは犬ヶ岬。
 
 袖志にて、日本海に面した漁村の風景も素晴らしいですが、ここには「日本の棚田百選」にも選ばれた棚田があるので、集落の上の方へ登ってみました。 案内板にある棚田と漁村を俯瞰した写真はかなり上からの様ですが、上への道路は厳重に封鎖されていました、どうやら自衛隊か米軍関連施設かなんかがある様です。
 
 昨年は端折ってしまったのですが、経ヶ岬灯台へ今回は行ってみました。 R178からの分岐(写真中右)から約1キロ、一旦下って登り返し、駐車場に自転車を置いて10分ばかりほぼ階段の山道を行きます、草生した敷地に灯台があるだけでベンチもありません。 駐車場へに戻ってきたら丁度お昼時、四阿もある事ですしコンビニ弁当でお昼にします。 灯台も駐車場も今は無人ですが、駐車場にはトイレと自販機があります。
 
 R178に戻り、白南風(しらばえ)隧道を抜けると伊根町域に入ります、ここから蒲入(かまにゅう)展望所までの間が丹後半島を巡るR178のハイライトでしょうね、お天気も最高です。 蒲入集落からR178は峠を越えて内陸側へと入り海を見る事なく舟屋で有名な伊根へ繋がるのですが、今回は本庄宇治で海寄りの府道623号へ入ります。
 
 野室、津母、新井と海沿いの集落を継いで府道623号を行きます。
 
 15時40分伊根に到着、ここで写真を撮るのは午前中が良さそうですね。 残り宮津駅までは20数キロ、実は明日も天気が良いと云う予報なので、このまま舞鶴まで走って一泊し、走れる処まで走って帰ろうなんて画策していたのです、舞鶴から桜井まで最短コースなら150キロ充分走れる距離ですが、ただR9を走るのは気がすすみません、そうなるとどうしても遠回りになってしまいます。 とにかく舞鶴での宿を当たってみる事に、しかし適当な処が見つかりませんでした。
 
 宮津駅からの最終は1935ですので、格段急ぐ事もないのですが、宮津までは湾沿いの平坦路、天橋立まで向かい風の中、アウタートップでがっつり走ってみます。 天橋立の中は未舗装ですがれっきとした府道607号天の橋立線です。 市内でコンビニに立ち寄って1740宮津駅着、本日の走行94.0キロ。
 今日はもう「18きっぷ」ではありませんので、1858発「はしだて10号」で帰途に就く事にしました、京都までの乗車券と自由席特急券で3.810円、加えて京都から桜井まで近鉄利用で940円掛かりますが、「18きっぷ」でも福知山か東舞鶴までは第3セクターの京都丹後鉄道(北近畿タンゴ鉄道)ですので、「18きっぷ」の利用できる区間が短いのであまりメリットはないのですよね。 おかげで22時半には帰宅できてしまいました、天気予報に一喜一憂した今回の「丹後半島」でしたが、無事に満足できるサイクリングを終える事ができました。
 
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丹後半島ツーリング(1日目)

京丹後市久美浜町 小天橋にて
 
 桜井駅0543発に乗車、奈良、京都、福知山経由で城崎温泉駅に向かいます。 1本後の0607発でも京都駅0805発に乗り継ぐ事はできるのですが、京都駅の奈良線と山陰本線のホームは両端の位置にあり、まして平日の通勤時間帯に掛かりますから、輪行袋を担いでの移動はかなり大変、ましてこのスジは8両編成の前寄り4両が福知山行き、早く行っておく事に間違いはありません、乗り替え41分は長い様ですが、30分もしないうちに折り返しの列車がホームに入ってきます。
 お天気は概ね晴れ、暫くは青空が見えていたのですが、綾部から福知山にかけては雨、兵庫県に入るとまた晴れていると、せわしないお天気です。
 昨年は初めての丹後半島周回、海岸沿いのアップダウンに恐れをなして、福知山まで輪行し、与謝峠を越え丹後大宮まで57キロ走り1泊、翌朝に間人(たいざ)の手前からR178に入ると云うコースをとったのですが、何の事はないお昼には舟屋で風名な伊根に着いてしまいました。 今回はR178により海沿いの府道も含めて西の端から丹後半島を巡る予定です。
 
 1133城崎温泉駅着、早速支度を始めます。 なにしろ取り外しの多いヘッド抜き輪行ですから、部品一つで走れなくなってしまうリスクが、ロード以上に少なくありません。 asuka号はエイドブレーキを付けている関係でブレーキレバー側からブレーキワイヤーを外す事ができませんので、完全にハンドルを分離する事ができずにトップチュープに引っ掛けておくと云う変則的な方法になってしまっています、リアのブレーキワイヤーの処理に一考が必要です。 カンチブレーキの調整に不十分な処があって時間を取られましたが、それでも30分位で無事に出発準備完了です。
 
 今日は府県境界を越えて京丹後市の木津温泉で宿を取るつもりです、と云っても最短ルートですと20キロ程の距離しかありません。 時間は充分あります、と云っても温泉巡りをする程の余裕はないのですが、城崎の温泉街を少しポタりながらどこか適当な処で昼食にでもしようかと思っていたのですが。 お天気の方が写真から判る様に晴れたり曇ったり、と云うより晴れたり降ったり、時折夕立の様な雨が降ってきます、雨雲レーダーには全く影が無いのですが。 足湯とかで雨宿りする場所は幾らでもあるのですが、濡れない処に自転車を置いておける食事のできる店が全くと云って良い程に見つかりません。 とにかく問題なく走れそうなので「じゃらん」で木津温泉の宿を取る事にしました、温泉街の方ではありませんが、駅近くのR178沿いでは貴重なコンビニも近い「金平楼」と云う処、入湯税込、「じゃらん」のポイント割引で都合素泊まり4,900円、まぁ温泉ですから良いでしょう。
 
 食事はできないままですがお昼の分位の食料は持っていますし、お天気も落ち着いてきたので、14時前に城崎温泉を離れ円山川左岸の県道3号を北上します、距離的には城崎大橋を渡り飯谷峠を越えるのが短いのですが、一応最も外側を走るのが今回のテーマなもので、円山川最下流に架かる港大橋で対岸に渡り府県道11号に入ります(写真左)。 京都府との境の三原峠(写真右)、ここで久美浜湾の北側に出る道が別れていますので、左の小天橋(しょうてんきょう)方面へ。
 
 峠を下り久美浜湾を右に見ながら走っていると瀟洒なレストランが、湾の見えるロケーションも良いので、中途半端な時間になってしまいましたが、別に豪華な夕食が待っている訳でもありませんので、ここで遅いお昼を頂く事にします。 席からも抜群のロケーション、スムースジャズとボサノバが流れて、3匹の黒猫のいる空間です。 「ほうれん草とベーコンのパスタ」とパン、スープ、サラダのセットにコーヒーを頂いて1,706円、14時までだと何やらお安い様ですね。 それからロッジ「SEG」の名が示す様にどうやら素泊まりもできる様です。
 
 小天橋は日本海と久美浜湾を隔てる砂嘴です。 小さな天橋立と云う事で名付けられたのでしょうね。 一帯は海水浴場になっていますが、もうその人影はありません、台風の波を狙ったサーファーがやってきている様です。 いまだすっきりしないお天気ですが、例によって「自撮り」に挑戦、結構な風なのでストーンバッグが活躍します、陽射しが入るのを暫く待ってみたのですが、なかなかそうは旨くは行きません。
 
かれこれ小一時間程頑張ってみたのですが、時間が押してきたので出発し、久美浜湾をぐるっとまわり神野村道路元標へ、ここを訪れたのは2007年3月、その時に印象深かったのは丹後神野駅前から真っ直ぐ伸びる道の先にある桟橋、再び訪れる事にしました。
 木津温泉までは後1駅、R178を避けて海寄りの道を急ぎます。 宿は思っていたより大きな旅館でしたが、シーズンオフの平日とあって静か、自転車は広い玄関に入れさせて貰い、早速温泉に浸かる事にしました、本日の走行33.5キロ、明日は天気に恵まれそうです。
 
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パンク大魔王降臨

今日は京都府城陽市の客先までロードで往復する事に。 さて出ようとすると後輪のエアーが、昨夜は問題なかったのに、どうやらスローパンクしている様です、先日のチューブ交換は屋外で行ったので、異物が入ってないかと確認してチューブ交換、再スタートと飛び出したのですが、寒い!! 慌てて引き返してレッグカバーとウィンドベストを着込んで6時過ぎに再々スタート。 順調に上街道を北上し奈良阪を越え、木津川の自転車道の入り口へ。 玉水橋の手前で後輪のエアーが少ない感覚、停まってエアーを足していたらバースト、いつもより慎重に路上でタイヤ交換して走り出しますが、いくらも走らないうちに再びエアーの抜ける音と共に再びパンク、朝からスペアチュープを使いきってもうありません。 もちろんリペアキットは持ってきています、少し歩けば飯岡の船公園ですので颯爽と駆け抜けて行くローディーを横目にトボトボ押して行く事に。 スペアチューブ1本にパッチを当て、パンクの原因がはっきりしていませんのでタイヤを完全にリムから外して点検、リムテープが古いのも気になります、それにスポークが1本緩んでいてニップルが突いたのかも、なんて考えたりもしますが、これと云う原因が掴めません。 とにかく此処ではこれ以上どうしようもありませんので、チューブを入れ替えてエアーを入れようとすると左手の指先に違和感が、ななんとサイドが5mm程切れてチューブが顔を覗かせているではありませんか、原因はこれか!! 再びチューブを取り出し、手持ちのゴム板をタイヤの裂けている処とチューブの間に挟みこみます、幸い裂け目は5mm程エアーを入れても問題はなさそう、膨らみは僅かでブレーキの調整もせずに走れそうです、エアーはキンキンにまでは入れず、さりとてこの期に及んでリム打ちパンクなどしては笑うに笑えませんので、そこは適当に。 さて走り出してもゴロゴロ感はなく客先までの後10キロ余りは走って行けそうです。 遅くはなりましたが無事に到着、帰りはどうするか悩むところなのですが、とにかくお昼休みにスペアチューブのパッチ当てを(^_^;) 車で迎えに来て頂戴なんて甘えるあてのない私は、自転車は預けて帰って改めて来週にでも輪行袋を持って迎えに来る手しかありませんが、決してゴミ袋輪行なんて考えは微塵もありません。 しかし10キロ余りを問題なく走ってきたのですから帰りの50キロも走れるだろうと云う甘い考えで、15時40分城陽市を後にします。 自転車道を後輪にストレスの無いようにのんびり走り、奈良阪を越え日暮れ時に猿沢池まで帰ってきました、ここまで来れば後はJR桜井線沿いの上街道を走りますから気分的にも楽です、タイヤには後20キロ頑張って貰うだけです。 19時前に桜井に無事帰投、走行距離は97.5キロ、裂けた箇所にゴム板を当てて60キロ程走り抜けました。 写真ではビート脇で5mm程裂けていますが、装着しているとちょっと判りません。 ちなみにタイヤはPanaracerのTourer 700x26cです、走行距離は調べると900キロ程、ただ交換したのは2007年8月ですから、これはいけません(^_^;) 暫くほったらかしにしていたロード、先週30キロ程走って問題がなかったので安心していたのですが、吉野の山奥でなかっただけでも幸いかと。 活躍したのはこの3点、裏に布打ちしたゴム板、なにかの修理キットに付いてました、布テープの切れ端でも役にたつでしょう。 軍手はタイヤの裏面のチェックする時に重宝します、片手だけでもあれば、乾電池は何にするのかって、パッチ当てですよ、ベンチの上でゴロゴロします、家では単一ですが、もちろんヘッドライト用のものを取り出して使ってます。

道路元標蒐集サイク(京都編)

今日は京都市右京区梅ヶ畑に残る葛野郡梅ヶ畑村道路元標を目指します。 それと4年ぶりのセンチュリーランを果たす予定です。 念のためにお守りと重しに輪行袋を押し込んで行きます。 5時15分桜井を出発、いつもの上街道を北上します。 上街道は桜井から天理を経て奈良まで、現在の国道169号線に平行して南北に走る20キロ程の旧街道です。 古い集落の中を縫って走りますのでスピードは出せませんが、なにより信号が殆どないのが有難いです。 猿沢池から興福寺境内を抜け、奈良から京都への県境となる奈良阪を越えます。 写真は奈良少年刑務所、このレトロな建物はジャズピアニスト山下洋輔の祖父の設計になるものです。 見学はできませんが毎年秋に行われる矯正展の時には中に入れます。 (今年はもう終わりましたが) 井関川沿いに下って木津川沿いの自転車道、嵐山八幡木津自転車道に入ります。 約45キロの良く整備された関西有数の自転車道です。 8月に増水で流された木津川流れ橋は相変わらず流されたまま手付かずの状態です、修復には今回も5~6千万円かかるとか。   松尾神社前のコンビニで補給した後、自転車道の起点嵐山へ、以前の起点から少し遡ったところまで延長された様です。 ここで折り返すと楽勝なんですが、桜井から往復150キロでは、センチュリーランには届きません。 久しぶりの嵐山です、さすがに京都の観光拠点、平日の午前中ですが観光客が絶えません、暫し休憩の後出発。 嵯峨野の中を府道50号京都日吉美山線を辿って化野(あだしの)へ。 この三叉路を左へ行くと六丁峠を越えて保津峡へのコース、今日は初めて右の試(こころみ)峠への道を行きます。   試峠のトンネルまでどうって事はありません、元は戦争中に廃止された愛宕山鉄道の廃線跡ですから。問題は旧道の峠道、相当の激坂です、幸いと云うか自転車も含めて南行き一方通行に規制されていて入れません、従って交互通行のトンネルへ、なにやら心霊スポットと云う事らしいのですが、私は一向にそういうのは気になりません、交互通行でなければ中で写真を撮っておきたかった位、トンネルの長さは500m程、それも清滝に向かって下り基調なので、慌ててダッシュする必要もありません、ただライトは必携です。 清滝を過ぎて暫く車道が続いていますが、高雄へはいわゆる点線道の東海自然歩道を行かなくてはなりません。 事前に自転車仲間のM氏から情報を得ていたのですが「いつも通っているよ」なんて軽く云われるので、押しだけで突破できるものだとタカをくくっていたのですが… 最初はこんな調子で河原へ下って行きます、乗って行けなくもないのですが、一人ですし無理はしません。しかしあの小匠ダムを彷彿とさせる道筋は最高、まして紅葉の季節なら素晴らしい眺めでしょうね、でもその頃はハイカーで一杯でしょうから、自転車で来るのは顰蹙ものです。 河原に下ると道は相当険しくなります、間違ってもSPDシューズでは。写真を撮っている余裕もなくなり、写真のあるのはマシなところだけです、担ぎでの登り下りが何度も繰り返されます。 これが高雄まで3キロも続くのかと嫌になり始めます。 結局2つ目の橋を渡り再び左岸に出た頃から道も良くなり、28Cなら十分乗って行ける様になります。 平日の午前中とあってすれ違った人は8人だけ、なぜか7人は外人さんのグループ、さすが京都。 無事、高雄に出てきました、ダート区間の所要時間は約45分でした。 周山街道に出て御経坂峠を越え今日の本来の目的、梅ヶ畑村道路元標へ、道路元標は高雄小学校の門の内側に保存されていました。 1013基目達成です。   嵐山へは戻らず国道162号線を五条天神川まで南下し、そのまま天神川に沿って走って行くといつのまにか自転車道へ入ってしまいます。 途中、宇治市の友人の店に寄り道した後、城陽市から木津川右岸を走り山城大橋の手前で少し休憩した後、再び自転車道へ、朝来た道を黙々と走り、17時半無事に桜井に帰投しました。 本日の走行168.8キロ也、押し担ぎ付きのセンチュリーランを終えました。

道路元標蒐集サイク(丹後半島編2日目)

与謝郡は伊根村道路元標(現 伊根町)にて

 昨夜、突然の訃報が入ってきました。 著書「大人の自転車ツーリング」やご自身のHP「自転車ツーリング再生計画」で知られる著名なサイクリスト門岡淳さんが9月7日に亡くなられたとの事です。 遠方だった事もありあまりご一緒する機会はありませんでしたが、「自転車ツーリング再生計画15周年オフ in 奈良」の幹事役をさせて貰いました。 今日は彼も走った丹後半島を弔いツーリングとしたいと思います。
 朝6時に丹後大宮の宿を出発、R312に出てコンビニで携行食を補給した後、北上します。 この先竹野郡には多くの道路元標があったであろう旧村があります、コースからあまりそれない範囲で探索をしてみようと考えていたのですが、どうも雲行きが思わしくありません。 旧弥栄町域に入ったあたりからポツポツと降り始めてきます、道路沿いの工場の軒先で雨雲レーダーのサイトを確認すると、結構降っているところもある様ですが、とにかく日本海まで出れば大丈夫の様です、ポンチョを着込んで出発する事にしたのですが… 雨はだんだん強くなるばかり、あまけに雷まで鳴る始末、前方には稲光まで、そう云う時に限ってまわりは田んぼばかりで、逃げ込む場所がありません。 ドボドボになった頃にようやく精米スタンドを発見、軒に潜りこみます、そう云えば以前にもこんなシチュエーションがあったっけ。 すっかり足元を濡らしてしまい、もう未知の道路元標どころではありません。 殆ど降り止んだところ再びスタート、道の駅「てんきてんき丹後」へ到着する頃にはちらりと青空まで、どこが「てんきてんき」やねん。 ともかくここから丹後半島を巡るR178に入ります。

日本海です。 7月に島根で見ているのですが、自転車だと格別です。
犬ヶ崎トンネルで一山越え、既知の下宇川村道路元標へ立ち寄ります。 写真は袖志、京丹後市の一番端っこの漁村です。 ところで日本棚田百選に選ばれた「袖志の棚田」と云うのがあるそうなんですが、気が付きませんでした、しまったなぁ。
なんと9時前には経ヶ岬灯台への分岐までやってきてしまいました。 どうやら灯台まではふたつのルートがあって一つは遊歩道を一度海岸まで下りて激坂を登るルート(ショコラさんのブログ)、もう一つは駐車場まで行って、そこから山道を行くルート。 目の前の風景を見ていると激坂もぬかるんでいるであろう山道もパスです、根性なし。
白南風(しらばえ)隧道をくぐれば素晴らしい風景が待っています。

ビューポイントの連続でなかなか前に進みません。

時計廻りだと下り基調なのでうっかりしていると通りすぎてしまいますが、経ヶ岬灯台がかすかに見えます。

何度かアップダウンを繰り返しながらも10時半には舟屋の風景で有名な伊根漁港に着いてしまいました。 今の脚力では押しが入るかと覚悟していたのですが、ちょっと拍子抜けです。 網野からではなく峰山からショートカットして日本海に出た事もありますし、まあ涼しかった事もあります。  しかし素晴らしい日本の風景です、見所は蒲入漁港以西と伊根漁港、健脚なら豊岡から久美浜を経て走るのも良いかも知れません。 情報がありませんが本庄漁港以南の海岸沿いルートなんて穴場かも。
伊根からは宮津湾を望む快走ルートです。
その後日置村道路元標へ立ち寄り、天の橋立でショートカット。 未舗装ですがれっきとした府道607号天の橋立線です、日本の道百選に選ばれているとか。 さすが日本三景、行くにつれて観光客が増えてきます。
13時過ぎに北近畿タンゴ鉄道宮津駅に到着、予定より3時間も早いです。 これは私が速いと云う事ではなく計画がまずかったと云う事で。 走行距離も80キロ程ですから、ちょっと走り足らないかな、舞鶴まで走るとか、普甲峠を越えて福知山まで走るとか考えられなくもないのですが、一旦スイッチが切れてしまうともう駄目です、輪行支度も難渋しそうですし。
宮津駅1416発の宮福線に乗車、福知山から山陰本線園部行き普通に乗り継ぐ予定でしたが、先に入ってきた京都行き特急「はしだて6号」、車内を覗くと自由席の端っこ、輪行袋も置ける席が空いているので飛び乗る事に、今日はもう18切符ではありませんから乗車券も無駄になりません、京都へは1706に着いてしまいます、特急券970円価値あるわぁ。 と云う訳で19時前には桜井に帰ってきました。

宮津1416→1510福知山1543→1706京都→大和八木→桜井 北近畿タンゴ鉄道~JR→近鉄 計4,100円也

本日の走行 81.3キロ

 

【1010】 京都府 竹野郡 下宇川村 (現 京丹後市) 
【1011】 京都府 与謝郡 伊根村 (現 伊根町) 
【1012】 京都府 与謝郡 日置村 (現 宮津市)

 

道路元標蒐集サイク(丹後半島編1日目)

今日が有効期限最終日の青春18きっぷの最後の1回、桜井駅を0543発奈良行きに乗車、木津からは学研都市線(片町線)~東西線~福知山線経由の新三田行きに、大阪市内を通勤時間帯の混雑の中での乗換を避けてワープできるのですが、新三田で反対の上りホームに入ってしまうので、階段の昇り降りをさせられるのが難点。 先月の豪雨禍からの復旧工事とかで徐行運転でダイヤの乱れていた区間も解消し、福知山1024定刻着、忘れ物もなく11時には無事、出発準備完了。 コンビニ補給の後、R9を避けて一旦由良川対岸へ出て北上しR175からR176へ入ります。 京都府下の道路元標は京都府公報第783号(大正9年3月30日発行)として設置当時の住所地番が記録されていますので、未発見の道路元標を求めて金山村、雲原村と探索してみましたが不発。 まあそんなものよと与謝峠への旧道をのんびりと登って行きます。 標高320m程の与謝トンネルの入り口まできました、斜度そのものはずっと下の坂浦トンネルの手前の方がキツかった様な。 旧道峠は標高差で40m程、たとえ通れなくて引き返してもたかが知れていますので、時間もありますし突っ込む事に。 例によって国道の旧道峠とは思えない狭さに、大量の水と泥が出ていますが、ツーリング車の強み、なんなく突破、しかし与謝野町側は相当の急坂の連続です。 以前、与謝野町側からKHSで登ろうとした事が、天気が悪くなりそうでやめたのは大正解でした。 与謝村道路元標があっただろう場所を通過して加悦SL広場へ、今は無き加悦鉄道の車両をメインに直接関係はありませんが国鉄のSLや京都市電が保存されています、2度目ですが元鉄としてはここは外せません、入場料400円を払って入ります。 あいにく水曜でパン屋とカフェは休業日ですが、食事はできますので遅めのお昼にうどんを頂きます。 このレトロな建物は旧加悦町役場、平成14年まで使用されていました。 現在は観光案内所とかになっています。 信号をはさんで向かい側には加悦町道路元標も現存しています、かなり埋ってしまっているのが残念ですが。 観光案内所で貰ったパンフレットをもとに古い街並みを少しポタってみます、「ちりめん街道」として売り出している様ですが、こじんまりしたものです、ただあちこちから今も機織の機械の音が聞こえてきます。 おっさんには縁がなさそうですが、ちょっとした小物を扱っているお店もある様です。 加悦鉄道の廃線跡は岩滝加悦自転車道として整備されていて、北近畿タンゴ鉄道の野田川駅近くを通り岩滝まで行ってますが、そちらの方は判りにくかった様な。 また路面が良くないのと、交差する道路が多いのでロードにはわずらわしいかも。 北近畿タンゴ鉄道野田川駅、元の国鉄宮津線丹後山田駅ですが、ここも鉄な人には外せません。 駅舎内には丹後山田駅資料室と云うのがあります。 加悦鉄道が接続していた時代のジオラマは必見です。   R312に入り今夜の宿のある京丹後市大宮町を目指します。 水戸谷峠と云う小さな峠がありますが、標高も100mに届きませんし、横を北近畿タンゴ鉄道がトンネルなしで越えている位ですから大した事はありません。 17時丁度に一度も降られる様な事もなく、丹後大宮駅前の旅館「なかむらや」に到着。 日頃はビジネスホテルを利用する事が多いですし、次の峰山まで行くと2軒程ビジホがあるのですが、ネットで探すと素泊まり4,100円とリーズナブルなここを見つけたので、加悦SL広場まで来た処で電話を入れました。 部屋こそ広くはないですが、大きな湯船にゆったり浸かれて、洋室だけの生活をしているので久しぶりの畳にゆっくりできました、自転車は鍵のかかるガレージに入れさせて貰えました。 冷房がコイン式なので夏はちょっとネ。 お風呂で気持ち良くなって缶ビール解禁、11ヶ月ぶりのアルコールです。 桜井0543→0616奈良0622→0630木津0640~0849新三田0854~1024福知山 青春18きっぷ3,350円分乗車。 本日の走行 56.8キロ