「自転車」カテゴリーアーカイブ
R166旧道脇道裏道ツーリング
R166高見越で松阪や伊勢方面へ走り抜けるプランは桜井に住む私にとって定番みたいなもの、ここ10?15年でずいぶん道も良くなりましたが、あいかわらず昔のルートや折々に見つけた裏道を縫って走っています。 正直云って毎回走るコースが違います(^_^;) 榛原から芳野川沿いの<31>榛原菟田野御杖線で菟田野へ、松井橋のローソンでお昼を仕入れて佐倉峠、鷲家へ一旦下り木津(こつ)峠へ、
↑新木津トンネルを抜けると高見山が正面に見えます。

‘高見登山口バス停’まで来ながら?氏のKHSのスポークが破断、無理に走れなくもない様なのですが、ら?氏はこのコースを4月にご一緒していて、まだまだ高見峠を越え70キロ近く走る長丁場が判っていて、無念のリタイヤを決断。
実はこの軽量なA-Classの完組ホイール、私も狙っていたのですが…

11時45分には高見峠に到着、しんがりの9さんの事など忘れて皆さん早速弁当に食いつきます(^_^;)

珍布峠にて
大きな画像(1024×768)
この後<745>片野飯高線を走り櫛田川に架かる沈下橋でヤラセ写真を撮りたかったのですが、この季節この時間では日陰になってしまい断念しました。

← 立梅用水沿いの裏道にて、交通量も増えてきて路肩も狭くて走りづらい柿野あたりのR166をパスする事ができます。
この後、小片野から辻原までは仕方なくR166を走り<757>辻原西町線へ入り松阪「一升瓶」めざして爆走します。
写真だけですがいつもの様に、うちのHPの「自転車の頁」→「ツーリングの記録」にUPしています。 参加の方は画像をご自由に再利用して頂いて結構です。
天五さんのBlogには随時動画レポートが逐次Upされています。
WindyさんのBlogでGPSログへのリンクがあります。

【番外】 大宝村大字綣村元標 (滋賀県栗太郡)
滋賀県栗東市綣(へそ)、中仙道に沿った大宝神社境内に建つ「大宝村大字綣村元標」、いわゆる里程標であるが、ここに現在建っているのはレプリカである。
隣に立派な案内板が建っているが、ここに限った事ではないがやはり’明治里程標’と’大正道路元標’の混同がある様である。
なお大宝村は1889年(明治22年)4月1日に綣(へそ)村他9村が合併して成立しており、道路元標の根拠法は大正8年の旧道路法施行令である。 なお’里程標’については「桜村の元標(三重県四日市市桜町と智積町に在った元標についての一考察)」に妥当と思われる詳しい記述があり、大阪府及び各県県庁所在地に設置された’里程元標’と補助的な’里程標’があるとしている。
【以下引用、原文のまま】
大宝村大字綣村元標について
元標(げんぴょう)は道路元標ともいい、道路路線の起点や終点など表示する標識であります。 各市町村一つづつ置かれるもので、石材その他の耐久性材料を用いて、里程や市町村名が記載されているものです。
この元標は「大宝村大字綣村元標」と刻まれることから、道路元標と云えますが、同時に大津市元標や栗太郡役所などからの里程をも示しており、里程標を兼ねたものだといえます。 官公庁としては大正15年(1926)に廃止された栗太郡役所、及び昭和29年(1954)に移転した草津警察署からの里程を示すのはもちろん、京都伏見の第十六師団司令部や、大津駐屯の歩兵第九連隊(大正14=1925年に伏見へ移転)といった陸軍官庁からの里程も明らかにしており、建立時の時代背景をよく示しています。
<読み方と意味>
(正面)
大津市 大津市元標と距てること、四里十八町三十■間五尺。 (約17.730m)
栗太郡役所と距てること、二十四町三十一間4尺。 (約2.700m)
草津警察著と距てること、二十九町二十五間。 (約3.200m)
(向って右側面)
第十六師団司令部最迫より、九里八丁(町)十二間五尺(36.200m)
大津第九連隊最迫より、四里三十■町十三間五尺(約19.000m)
(向って左側面)
東は大宝村大字野尻より、十一町六間三尺 (約1.200m)
南は大宝村大字苅原より、八町四十間一尺 (約950m)
西は大宝村大字北中小路より、五町二十一間三尺 (約590m)
北は物部村大字二町より、四町五十八間三尺 (約540m)
(裏面)
大正六年二月十五日建設、寄付・西田哲太郎
元標の復元
旧元標は設置されて80年余りの年月を経ているため、風化がひどく文字の判読が困難な状況であることと、交通事故により中程から半分に折れるなど破損が著しいので、平成12年(2,000年)に創意と工夫の郷づくり事業により復元したものです。
尚、旧元標は栗東歴史民族博物館に保存されています。
綣行政区
久しぶりのセンチュリーラン
今日は滋賀県下に残している2基の道路元標を目指して走り出す事に… 6時半過ぎに出発しましたが、朝は結構寒くても日中は日なたを走ると汗ばむので、この季節ウェアには気を使います。 半袖ジャージにアームウォーマ、ウィンドブレーカー、レーバンにパットなしの薄手のタイツと云う柔軟性の高いいでたちです、結局は信楽からの峠道でアームウォーマを外しただけですが。 上街道から奈良阪、大仏線から恭仁大橋を渡り<5>木津信楽線、8時半頃に和束ローソン、休日で天気も良いとあってローディが一杯来ます。 信楽駅には10時着、私としてはなかなか快調なペ?スです。 丁度出発する列車があるので踏切まで先回りして(^_^) 思った以上の加速と2両編成に慌てましたが。
今日の最初の目標は石部町、新旧小野峠やアセボ峠ではなく距離的には最短となる未踏の林道をとるべく宮町から畜産団地への登りへ入ります。 畜産団地の入口まで来て’通行止’のゲート、どうやら石部町側にかなり下った処で崩れている様ですが、林道は途中で分岐して少し東に下るルートもあり、休日の上に工事をやっている気配は全くありません)。 とにかくピークまでは標高差で60m余りなのでとにかく突っ込む事に。
林道ピークです、路面そのものはそんなに痛んでいませんが、落ち葉や細かい砂利に流水、両側から草木が覆いかぶさってきていて、夏場やロードで踏み込む様な処ではありません。 ピークを越えて下るとすぐに三叉路、雰囲気的に平松へ下るルートを選択する事にしましたが、アセボ峠同様意外な程に展望はありませんでした。
林道は突然新しい住宅造成地の裏にヒョコッと出て終わってしまいます。 旧東海道へ出て、石部町道路元標をGETして栗東市の大宝神社へ、事前の情報では’大正道路元標’ではなく恐らく’里程標’なのですが、亀山町や東柘植村の様に併立している例もありますので念のために。 案の定「大宝村大字綣村元標」とやらは里程標でしたが、’里程標’と’道路元標’の混同について参考になりました。
大宝村大字綣村元標’から旧中仙道を走り’草津町道路元標’、ここから再び旧東海道を辿り瀬田の唐橋へ。 この後、南郷洗堰、鹿跳橋、宵待橋と宇治川沿いのコースをひた走り宇治へ、M氏が見つけてくれた京都市伏見区に残る道路元標までまわるには陽も短くなってしまったので、嵐山八幡木津自転車道へ入り帰途へ就くことにしました。
本日の走行 181.8キロ、 本日の収穫 【359】 滋賀県 甲賀郡 石部町 (現 湖南市) 【360】 滋賀県 栗太郡 草津町 (現 草津市)
道路元標蒐集サイク
今日は兵庫県揖保郡から赤穂郡にかけてを回ります、道路元標以外にも見どころの多いコースなので、気候が良くなった頃にD女史をお誘いしたかったのですが、最近少々体調の方がすぐれない様なので遠慮して、いつも通りの一人旅です。 山陽電鉄の網干駅までスルットKANSAI2Dayチケットを利用しR250を西へ向かいます。 ←山陽電車網干駅にて
御津村道路元標は御津町岩見にあります、最近たつの市になりました。
←岩見港を見下ろす辺り、ここから室津にかけて’七曲り’とよばれる風光明媚な海岸沿いのコースです、家島がまじかに望めます、交通量は国道だけにそれなりですがアップダウンは思っていた程ではありませんでした(^_^;)
室津は北前船の拠点として栄えた港町で、古い街並みが整備されています。
← 室津海駅館、廻船業で富をなした 豪商「嶋屋」が資料館となっています、室津村道路元標はこの前にあります。 近くの’室津民俗館’との共通券で入館料\300、実はトイレ休憩のつもりで入ったのですが二階から見下ろす街並みを撮っただけでも見学した価値がありました。
再びR250を西へ、相生市との境界の小さな峠を越えます。 相生湾は奥行きが5キロ程もある深い湾で、海岸づたいに赤穂方面へ行こうとするとかなりの大回りになります、以前は渡し船があった様でしたが。
相生市中心部には赤穂街道沿いの那波村道路元標と、古い港町の魚屋の前に相生町道路元標があります。 相生町は藤原勝永著「兵庫県の道路元標」では不明とされており、これは最近復元されたものの様ですが、省令型とは異なり近辺に多い形状を採っています、旧道が交差する角地に猫の額程の公園が整備されていて、ちゃんと日向猫も鎮座していました(^_^)
相生で一旦海岸線から離れて北上し矢野村道路元標へ、ここは古い山陽道に沿った集落で、ここには小河(おうご)観音と云う立派なお堂があります。 椿峠を越えて千種川沿いに赤穂に向かって南下します。
← 有年(うね)から<525>周世有年原線を、ここは赤穂鉄道の廃線跡ですが、交通量も少なく千種川沿いに南下するならお勧めのルートです。
赤穂の坂越(さこし)も室津と同様に北前船の拠点や「赤穂の塩」の積み出し港として栄えた港町。 坂越村道路元標は小字名と番地からして移転している様で少々てこずりましたが、旧坂越浦会所前に建っていました。
尾崎村道路元標を回り赤穂市街に入ります、’赤穂町道路元標’が建っていた場所には’加里屋道路元標跡’と書かれたものが建っており、元の元標は赤穂市民俗資料館の中庭に保存されているとの情報。 なんと民族資料館は火曜日休館、通用口からどうにか覗く事ができました。 拡大するとかろうじて”赤穂町道路元標’と読みとれますので何れ再訪するとしても一応数のうちに(^_^)
JR播州赤穂駅まで戻り、予定では少しJRで輪行して龍田村道路元標まで回るつもりでしたが、今日は少々のんびりと回りすぎたかして、龍田村に行き着く頃には日没となってしまいそうなので、姫路まで輪行し山陽電車に乗り換えて帰途に就く事としました。
← 播州赤穂駅前、モニュメントと云う程の立派なものでもありませんが、四十七士が揃っている様なので探してみました。 でも判っている人にしか読めない様で(^_^)
本日の走行 67.1キロ、
本日の収穫
【351】 兵庫県 揖保郡 御津村 (現 たつの市)
【352】 兵庫県 揖保郡 室津村 (現 たつの市)
【353】 兵庫県 赤穂郡 相生町 (現 相生市)
【354】 兵庫県 赤穂郡 那波村 (現 相生市)
【355】 兵庫県 赤穂郡 矢野村 (現 相生市)
【356】 兵庫県 赤穂郡 坂越村 (現 赤穂市)
【357】 兵庫県 赤穂郡 尾崎村 (現 赤穂市)
【358】 兵庫県 赤穂郡 赤穂町 (現 赤穂市)
今日のお買い物
所用で大阪へ、お昼はS翁とキタで食事。
そろそろ指抜きのグローブでは朝夕は冷たくなってきたし、HHのものはまだまだゴツいので、GAREのFoxFireで \2,970、私はウェア類とかは自転車用品ブランドにはあまりこだわらないのです。
三ヶ嶋の折りたたみペダル、もちろんKHSにですが、折りたたんでもそれなりに飛び出ます。 三ヶ嶋ではワンタッチで脱着できるEzyシリーズも魅力的なのですが。
日本橋の某店で「cancanさん」と呼ぶ声、JTさんでした。 一緒にDOS/Vパーツのショップを回ってお茶したり、結局は夕食まで付き合って頂きました。
少し企みがあって物色していたビデオカード、JTさんのアドバイスを受けながら、ようやく買ったのは玄人志向のGF6200A-A128C 3,960円
道路元標蒐集サイク (3日目)
よくよく考えると新見へ来るのは40年位ぶりでした、何しろこんな写真を撮っていた頃ですからネェ(^_^)
早朝0522発の芸備線備後落合行きに乗車、新見発備後落合行きは1日3本だけです。
芸備線の道後山前後では今にも崩れてきそうな断崖を走るので、処々で制限速度15キロなんて区間を徐行しながら備後落合に0640着、接続の三次行きと折り返し新見行きが出ていくと、3時間近くこの駅は静寂に包まれます、と云いたい処ですが近くをR183/314が走っているので、結構うるさいです。 この駅は15年程前に通った事がありますが下車するのはやはり40年ぶり位です、当時は駅員はもちろんホームで蕎麦を売っていました、その立ち食い蕎麦はおでんの載ったボリュームたっぷりのユニークなものだったと記憶しているのですが…
備後落合駅から木次線に沿ってR314を北上、JR西日本で一番高い処にある三井野原駅で下り列車を撮影してから県境を越え島根県へ、念願の「おろちループ」を下りますが巨大すぎて全容が見えません。
スイッチバックで有名な出雲坂根駅、しかし駅前の道も良くなって休憩所や売店なんかもあったりして観光で訪れる車も多く昔の面影は… 今や亀嵩駅同様に観光スポットです。
←スイッチバックを下ってきた上り列車。
下り基調のR314を突っ走り先回りして…
松本清張の「砂の器」で有名になった 亀嵩駅、現在は蕎麦屋になっていますが、民間委託駅が食堂を営業をするはしりでした。 実はここまで走ってくる途中で臨時のトロッコ列車を撮影するつもりでしたが山越え区間ですれ違う事になってしまい間に合いませんでした、残念。
休日とあって結構繁盛しています。
亀嵩駅にて、実はこの上り列車を撮影するのは3度目です。
ここまで鉄ちゃんモードでしたが、ここからちゃんと亀嵩村道路元標、久比須峠、母里村道路元標とこなして安来駅へ。
←伯太川沿いにて
安来駅前にて、ご存じ’どじょうすくい’の安来節で有名な処です。 駅舎の改築中ですが、立派なトイレには多目的トイレというのがあって着替えをするに丁度良かったです。
ところで今日は「鉄道の日記念西日本一日乗り放題きっぷ」\3,000を利用しているのですが、安来駅1555発に乗車しても普通列車を乗り継ぐ限りは桜井には帰り着く事ができません、新見?備中高梁間だけ\1,300払って特急券と乗車券を買って特急「やくも」に乗車、8時間12分がかりの輪行で007に桜井に帰り着きました。
本日の走行89.8キロ、3日間で208.1キロ。
3日間の収穫
【344】 香川県 大川郡 引田町 (現 東かがわ市)
【345】 香川県 大川郡 長尾町 (現 さぬき市)
【346】 香川県 木田郡 牟礼村 (現 高松市)
【347】 香川県 木田郡 屋島村 (現 高松市)
【348】 香川県 小豆郡 土庄町
【349】 島根県 仁多郡 亀嵩村 (現 奥出雲町)
【350】 島根県 能義郡 母里村 (現 安来市)
道路元標蒐集サイク (2日目)
今日はお昼には岡山市内へ行きたいので、屋島山上行きのバスを待つ訳にも行きません、屋島村道路元標は標高300m近い屋島寺仁王門にあるそうなのですが、とりあえず朝5時過ぎから屋島を目指します。
← 八栗山と同様にここも本来の参道は県道<14>屋島公園線です、それよりも21%の標識が…(^_^;)
早朝の参道は遍路と云うより地元の人のお参りを兼ねたウォーキングコースになっているのです、その皆さんの元気な事と云ったら(*_*; とにかく石段の始まる処まで押し上げ、後は徒歩で…
とにかく屋島村道路元標をGETし、次はフェリーで小豆島へ渡り土庄村道路元標、再びフェリーで岡山へ渡ります。
今回の「道路元標蒐集サイク」のきっかけになったのは岡山県立記録資料館で開かれている企画展「近代のみち?岡山県の道路交通網整備?」と記念講演「岡山県の陸上交通網の整備と近代化」、さすがにそれだけでは勿体ないので、香川県の道路元標の残り5基蒐集を兼ねる事にしたのですが、道路元標に関して目新しい情報はありませんでした。
新見で宿をとり輪行で移動、本日の走行 37.8キロ
道路元標蒐集サイク (1日目)
和歌山市駅に到着すると外は土砂降り、とてもフェリー乗り場まで走って行ける様な状況ではありません。 携帯からCWWの雨雲レーダーを見ると此処和歌山市だけが降っている様で、1時間もしない内に治まる予報なので、慌てずとにかく待つ事に。
和歌山港0240発には余裕の時間で雨が止んだので極力水を被らないように歩道を走って行きます、再びKHSを輪行支度して船内へ、2時間余りの船旅です、夜行便とあって車でない乗客は遍路姿の方を私の2人だけでした。 徳島0450着、少し明るくなってから出発します。
徳島県庁前のヨットハーバー、30年近く前に「徳島レース(阿波踊りレース)」に参加した時に停泊して以来です、淡路島の’サントピアマリ?ナ’を文字って県庁前なので’ケンチョピア’と呼んでいました。
o氏と落ち合うJR高徳線板野駅までの間で、5ヶ所程道路元標を建てたとされる場所を探索したのですが、1基も見つける事はできませんでした、徳島県では’大正道路元標’は今だ1基も見つかっていない様です、根こそぎ撤去されてしまったのでしょうか? らしき場所には松坂村役場跡碑が…
o氏と落ち合い大坂峠を目指します、峠おやじN氏のHPでも詳しく説明されていますが、地形図では徳島県板野町と鳴門市の境界が峠のピークになっていて大坂越、鳴門市と香川県東かがわ市の境界を大坂峠としています。 県道1号線ですが板野町側の途中までは採石場があるかしてダンプが多いですが、そこを過ぎれば車は非常に少ないです、適度な斜度でチネリのロードで来たo氏は軽々と登って行きます、 大坂越。
大坂峠で香川県に入ると眼下に海とこれから下る道筋のパノラマが拡がります。 標高こそ300mに満たない峠ですが、サイクリストなら一度は越えるだけの価値のある処です。
なお大坂峠の三叉路を少し入ると展望台があって淡路島も小豆島も望む事ができます。
o氏とJR引田駅でお別れしてから引田町道路元標を探索、四国らしくへんろ道とこんぴら道を示す道標鵜の建つ旧道の辻に見つける事ができました。 予定では長尾寺まで走る予定でしたが、駅に戻り造田駅まで輪行する事にしました。
造田駅から長尾村道路元標まで南下し再び北上して牟礼村道路元標と屋島村道路元標を目指しますが、それぞれ87番長尾寺、85番八栗寺、84番屋島寺ですからまるでお遍路さんです(^_^;)
← <146>八栗牟礼線が山上まで続いていますが、自転車を除く一般車は登れない様です。
標高200m余りまで自転車を押し上げるのは遠慮して往復\900也のケーブルカーのお世話にになる事に(^_^;)、
牟礼村道路元標は境内を西に抜けて展望の開ける、階段の下、本来の参道を登りきった処にありますから、ケーブルカーで登ると非常に判りにくい場所です。
← 県道指定されているとは云えとんでもない処に道路元標はあります、見晴らしは最高ですが。
屋島村道路元標も牟礼村と同様に山上にある様で、ロープウェイは廃止、ドライブウェイを山上まで行くバスに頼るしかないのですが、そのバスは屋島駅を0930?1730の間1時間おきに出ているのを勘違いして琴電八栗駅から輪行して高松築港駅へ行ってしまい、今日は時間的に屋島山上へ行けなくなってしまいました。
本日の走行 80.5キロ
天五さんとツーリングに行くと3度おいしい
お昼休み動画劇場 「『ミカンとキララ』ツーリング その1」
お昼休み動画劇場 「『ミカンとキララ』ツーリング その2」
お昼休み動画劇場 「『ミカンとキララ』ツーリング その3」
お昼休み動画劇場 「『ミカンとキララ』ツーリング その4」
【近日公開】
まぁ自分の走っている姿を見るのは変な気分ですが、コースなんかに関しては色々と再発見したり再認識したりとなかなか参考になります。
ようやく少しは秋めいてきた様で…
道路元標蒐集サイク
今日の予定は名古屋鉄道瀬戸線の尾張瀬戸駅まで輪行し、愛知県東春日井郡瀬戸町、岐阜県土岐郡駄知町、同可児郡池田町、愛知県に戻って丹羽郡楽田村から県下を幾つかと企んでいたのですが…
名鉄尾張瀬戸駅に着いた頃は雨も止みかけていて、少しは快方に向かう予報で、どうにか走れそうな状態だったのですが…
瀬戸町道路元標をGETした後R248?R363と岐阜県に向かって走ります。 17度の温度表示が出ている岐阜県境を過ぎてもまだ登りは続きます、地形図には峠の名は書かれていませんが標高は500mを越えもう立派な峠道です。
PS:帰って峠おやじN氏のHPで探すと、’美晴峠’と云う峠だそうです、峠1件GET!!
無事に峠を越えたものの、柿野温泉を過ぎたあたりから再び雨が降り始め、岐阜県道69号線に入る頃には降りも強くなってきます、と云ってもなかなか雨宿りできる処もないまま、濡れ鼠で駄知町道路元標の残る処まで来てしまいました。 結局小降りになる事はあっても止むには至らず、後数キロの多治見市に残る池田町を残して中央本線の土岐市駅でリタイヤする事になりました。
本日の収穫
【342】 愛知県 東春日井郡 瀬戸町 (現 瀬戸市)
【343】 岐阜県 土岐郡 駄知町 (現 土岐市)
走行37.6キロ、折角の遠征は昨日に続いて2基、まあ位置的に行きづらい駄知町道路元標をGETできたので良しとしましょう。
道路元標蒐集サイク
草津まできたものの雨は降り続いていて一向に止む気配はありません、草津近辺は諦めて輪行状態のまま草津線で貴生川まで移動、近江鉄道に乗り換え。 自転車の持ち込みは900?1600の間なので、9時を回ってから車内で組み立ててから八日市で途中下車、幸い雨は殆ど止んでいます。
↑八日市駅にて、なお近江八幡への支線は自転車の持ち込みはできません。
米原まで移動、米原宿を散策、元標の残っていそうな気配がプンプンとしているのですがネェ…
木之本まで走る予定でしたが、1駅分走っただけで雨が酷くなり北陸線坂田駅で再び輪行する事に。
結局、木之本で道路元標までの僅かな距離を組み立てて走ったものの、再び輪行状態で木之本?米原?大垣?名古屋と移動しただけでした。
←大垣駅にて、養老線は近畿日本鉄道としては今日が最後で、10月から新会社の養老鉄道が運営する事になります。 なおサイクルトレインは新会社でも継続されるそうです。
本日の収穫
【340】 滋賀県 神崎郡 八日市町 (現 東近江市)
【341】 滋賀県 伊香郡 木之本村 (現 木之本町)
「ミカンとキララ」ツーリング
御坊泊にしてしまったので集合場所の広川ビーチ駅まで3駅20キロ程は戻らなくてはなりません、それも1つか2つ峠越えがあります。 でも輪行するのも邪魔くさいのでとりあえず走り出す事にしました。
由良までは今日走るコースの切貫峠由良洞隧道を逆に越え、由良から未踏の衣奈隧道を越える事にしました。
← 登ってきた甲斐あって、湯浅から広にかけての湾を見下ろす事ができました。
集合場所の広川ビーチ駅、Mさんのドタ参で参加者は10人になりました。
御坊まで<177>南金屋由良線の水越峠と<23>御坊湯浅線の切貫峠の2つの峠を越えるルートを南下、切貫峠には明治22年竣工の由良洞隧道が健在、北側はモルタルで補修されていますが、南側は煉瓦のボータルが残っています。
美浜町の煙樹ヶ浜海岸で海をみながらお昼弁当にして、午後は海岸沿いに<24>御坊由良線?<23>御坊湯浅線、通称「キララときめきロード」を北上します。
広川ビーチ駅へ戻る直前から少し降られましたが、全員無事に走り終えました、走行約75キロ。
いつもの様にうちのHPの「輪」→「ツーリングの記録」に写真をUPしました。
参加者の方は写真をご自由に再利用して頂いて結構です。
道路元標蒐集サイク
広川ビーチ駅を出て、明日のコースの<177>南金屋由良線へのアプローチをなぞってから<21>広川川辺線から<176>井関御坊線を経て旧鹿ヶ瀬隧道を目指しますが、昨年は通れたのものの、新トンネルが供用された今では無用になってしまいフェンスで塞がれてしまいました。
←原坂峠鹿ヶ瀬隧道、明治39年頃に完成し、国道昇格後昭和40年までR42として利用されていました。

道路元標を探して御坊市内をまわりますが、見つける事ができたのは藤田村道路元標ただ一つ、しかし今まで全く現存情報の無かった和歌山県日高郡で見つけられた事は意義があります。
←日高川沿いに進み元の川中村まで探索してから<25>御坊中津線に入り、佛の串峠を越えて西へ

←柿の木峠、JR紀勢線の和佐?稲原間の柿木トンネルの上を越えている一車線路の峠、一旦印南町に入ってR425で海岸沿いに出て塩屋村を探索しますが不発。

日高川を渡り再び御坊市へ、今夜は御坊市内のビジホをとりましたが、紀州鉄道の真横で部屋からも見えるのですが、写真を撮るにはもう暗くなってしまいました。
本日の収穫
【339】 和歌山県 日高郡 藤田村 (現 御坊市)
未収だった和歌山県道<196>たかの金屋線のヘキサ
走行103.02キロ

道路元標蒐集サイク
兵庫県氷上郡をメインに道路元標を求めて走ってきました、予定は10ヶ所「兵庫県の道路元標」に掲載されているものの何れも場所が特定できていません。
通勤時間帯の鶴橋?大阪での乗換えを避けて、木津経由で学研都市線から福知山線直通の快速篠山口行きで古市駅まで輪行し、まずは多紀郡の今田村道路元標をめざします。
梅木峠、三田市と篠山市、それに道路が西脇市との境界になっている様な5万図にも掲載されている峠、手持ちの地形図では点線道でしたが現在では舗装されています。 そのせいか峠おやじN氏の絨毯爆撃を逃れて珍しくN氏の足跡のない峠です。 実は今田村から鴨川村へ向かう途中に行きすぎてしまい、予定外で越える事になってしまったのです(^_^;)
加東郡の鴨川村道路元標のある下鴨川、実はこの三叉路を左へショートカットしかけて、右に入った方が良かったかなと振り返った時、視線の先に道路元標が、進行方向では全く死角になっていました。
多可郡の比延庄村道路元標の後、「日本のへそ」緯度経度交差点へ行ってきました、これは古い方です。
加古川沿いに北上し加古川と篠山川が合流する処にある元の「道の駅」で小休止、ここから以前の氷上郡です。 相変わらず日差しはキツいですが川を渡る風が心地よいです。
道路元標蒐集サイク(つづき)
なお柏原町道路元標は歴史民族資料館前に保存されていました。

小学校内にある葛野村道路元標と成松町道路元標には少してこずりましたが、日暮れまでには予定の10基を見つける事ができました。 日本一低い分水界が有名ですが、傍にナショナルタイヤの工場がある福知山線石生(いそう)駅まで戻り帰途に就きました、本日の走行91.4キロ。

本日の収穫
【329】 兵庫県 多紀郡 今田村 (現 篠山市)
【330】 兵庫県 加東郡 鴨川村 (現 加東市)
【331】 兵庫県 多可郡 比延庄村 (現 西脇市)
【332】 兵庫県 氷上郡 小川村 (現 丹波市)
【333】 兵庫県 氷上郡 和田村 (現 丹波市)
【334】 兵庫県 氷上郡 沼貫村 (現 丹波市)
【335】 兵庫県 氷上郡 新井村 (現 丹波市)
【336】 兵庫県 氷上郡 柏原町 (現 丹波市)
【337】 兵庫県 氷上郡 葛野村 (現 丹波市)
【338】 兵庫県 氷上郡 成松町 (現 丹波市)

恒例「葛城ポタ」
←お馴染み「カントリーロード」に集合、いつのまにか参加者は9名になってしまいました。 6週間もドイツへ行っていたら?さんとも久しぶりです。
笛吹神社を経て一旦「ラッテたかまつ」まで登り、アイスクリ?ムやソフトクリームを頂いてから再び下ります、怪しげな天気予報だったのですが実際は…
「番水の時計」から「九品寺」、「一言主神社」と「葛城古道」を走りますが、今年は遅れているのか彼岸花は皆目と云って良い程まだまだでした。
← 九品寺にて
「むすひ」でのお昼までご一緒したのですが、今月は全くと云って良い程に走っていないのが効いたのか、体が重くて(実際に重いが)体調が今一つ、「高天」へ登ると云う皆さんを見送って帰途に就きました。 走行52.4キロ、のんびりと走っていたのですが、何か100キロ以上は走った様な疲れ方です、風呂に入って野球を観ていたら寝てしまいました(^_^;)
「冷や奴」の写真UPしました
さて遅くなりましたが「冷や奴ツーリング」の写真をUPしました。
いつもの様にうちのHPの「輪」→「ツーリングの記録」です。
参加者の方は写真をご自由に再利用して頂いて結構です。
冷や奴ツーリング
昨年に続いて8月の最後の週末は洞川(どろがわ)へ名水豆腐の付いた「冷奴定食」を食べに行く事に。 集合場所は道の駅「吉野路黒滝」、桜井を6時に出発し芋峠?吉野山?地蔵トンネルと40キロ余りを自走で向かいます、9時半には回送役を引き受けて下さった怪我でリハビリ中のU兄さんを含め15名が集合。 U兄さんのお見送りを受けて14名で走り出します。
↑ 遠回りですが一旦丹生川沿いの<138>赤滝五条線を城戸へ向かって走ります、自転車のとっては最高に快適な道です。
先々週の「真夏のとんでもツーリング」で走った<49>勢井宗川野線を走り、新笠木トンネルと新川合トンネルの間に出ますが、往路も昨年と同じでは芸がないので、新川合トンネルの上のR309旧道まで登りますが、10年ぶりの旧道は堪えました(^_^;) で虻峠はトンネルをくぐって洞川へ。
← 今年も「みやぞい」には入れませんでしたが、去年と同じく「喜楽」へ入り「冷や奴定食」を注文。
お腹が一杯でしんどかったですが、近畿では数少ない1000m越えの「五番関」へようやく」到着。
高原洞川林道
吉野大峯林道を走り自走組と別れた輪行組を送って近鉄吉野駅へ、この後9さんと椿橋までご一緒するつもりでしたが、パンク魔に祟られた9さんを見捨てて、壷阪峠越えの帰途に就かせて頂きました。 桜井帰着は19時半、朝の6時から目一杯走っていた一日でした。
往復の自走を含めて本日の走行138.6キロ。
道路元標蒐集サイク
名古屋7時25分発の中央線中津川行きに乗車できましたが、如何せん中津川以遠は本線と云えどもローカル路線、なかなか思い通りの時間の列車がなく、中津川駅から走り出す事にしましたが、自転車で中津川は初めてで土地勘もありません、とにかくR19を走るのは嫌なので木曾川右岸の県道に見当を付けて走りだす事にしました。

木曾川を渡る玉蔵大橋、下流に3連と1連のガーター橋を従えたダブルワーレントラス橋が見えます、小ぶりですが鉄道橋の様でもう使われていない様子です、こんな処に廃線があったっけ...
後で調べると1978年に廃止された北恵那鉄道の遺物の様で、電化されていた地方私鉄にはあまり興味がなかったので記憶に無かった様です。

岐阜県道<6>中津川山口線jは木曾川の見える区間は少しですが、ほぼ木曾川右岸に沿って北上し、現在のルートでは対岸の元山口村は通らずに南木曽町まで行きます。 アップダウンはそれなりにありますが交通量が少なくR19を走る事を思えば自転車天国で、時間的には中津川で次の列車を待って南木曽から反対に走り出すのと変わらなくなりましたが、さすが’栗きんとん’の中津川だけあって、大きな実の付き始めた栗林の中、のんびりと’つくつぼうし’と’みんみんぜみ’の混声合唱の響くこの道を走った価値はありました。

<6>中津川山口線を離れ激坂の乙姫大橋を渡ると元の長野県木曽郡山口村、平成17年に越県合併として話題になりましたが岐阜県中津川市となりました。
’山口村道路元標‘の後、岐阜県恵那郡の’坂下町道路元標‘を巡って再び<6>中津川山口線を走ります。
※ 長野県西筑摩郡は昭和43年に木曾郡と改称されています。

道路元標蒐集サイク(つづき)
’吾妻村道路元標‘の後、大急ぎで’読書村道路元標‘を廻り南木曽駅1207発に乗車し木曽平沢駅に向かいます、途中の宮越駅近くには’日義村道路元標’が現存する様ですが、今回は鳥居峠の向こうの’楢川村道路元標‘と’宗賀村道路元標‘を巡る事にします。

塩尻の一つ手前の中央線洗馬駅、ここから帰途に就く予定でしたが、’洗馬村道路元標‘も回って塩尻の向こうの広丘駅から帰途に就く事に。
既に時間的には’青春18きっぷ’を利用してJRのままで桜井に帰り着く事は無理で、広丘1600→中津川1750/1808→名古屋1921/2006→亀山2108/2113→伊賀上野2156までJRで行き近鉄伊賀線と大阪線で帰るとんでもないルートを選んだのです。 名古屋でのんびりと立ち食いの’きしめん’を食らっていたまでは良かったのですが、新幹線の遅れが新宮行き特急「南紀」の発車を遅らせてしまった辺りから雲行きが怪しくなってきました、車内放送では四日市花火大会の影響とか云って、亀山へは10分以上の遅れで加茂行きに接続しますが上り列車との交換を待って出発するので遅れは吸収できず、伊賀上野で近鉄に接続できなければ、加茂から奈良行きに乗り継いで奈良から20キロを自走して走って行く覚悟を決めていた頃、伊賀上野駅で近鉄が待ってくれるとの事、近鉄にさえ乗れれば上野市での16分待ちで遅れは吸収されて、伊賀神戸からの最終五位堂行きに乗車できます。
とにかく桜井に定刻2339に帰着、「青春18きっぷ」でしっかり7,020円分乗車してきました、走行58.5キロ。

本日の収穫
【212】 長野県 西筑摩郡 山口村 (現 岐阜県中津川市)
【213】 岐阜県 恵那郡 坂下町 (現 中津川市)
【214】 長野県 西筑摩郡 吾妻村 (現 木曾郡南木曾町)
【215】 長野県 西筑摩郡 読書村 (現 木曾郡南木曾町)
【216】 長野県 西筑摩郡 楢川村 (現 塩尻市)
【217】 長野県 東筑摩郡 宗賀村 (現 塩尻市)
【218】 長野県 東筑摩郡 洗馬村 (現 塩尻市)

道路元標蒐集サイク (北陸篇)
石川県まで遠征してきました、実は近畿2府5県ではネタが尽きつつあり残りを全部回っても400基に届かないのです。 石川県下では68基の現存が知られていますが、様式が変わっていて正面に「道路元標」、右側面に「○○村」となっていて、塔頂も省令形とは異なり奈良県国中に多い形に似ています、隣接する福井県と富山県には大正道路元標は今だ1基の存在も確認されていないのですがその形状が興味深いです。
もちろん「青春18きっぷ」を利用しましたが、未明に桜井からJR奈良駅まで20.1キロ自走し奈良線?湖西線?北陸線と4本を乗り継いで芦原温泉駅へ1040着。 輪行派サイクリスト、道路元標コレクター以前に乗ってるだけで愉しめる元鉄ちゃんでないと耐えられない行程ですわ(^_^;)
吉崎御坊にて、別にお寺さんに興味がある訳でもないのですが、此処へ来るのは3度目です、国道8号線を避けて海よりのルートをとるとどうしても通ってしまうのですよね、今回は近くに’瀬越村道路元標’があるので休憩がてら立ち寄ったのですが、3組のサイクリストに出会いました、やはり北潟湖とか少しは風光明媚な処を走りたいですからね。
尼御前岬にて、ここは2度目です。 山中温泉から涼しげな山間部へ入るか、日陰が少なく暑いものの収穫の多い海側に向かうか悩んだのですが、やはり暑いです、此処へ来て海から時折涼しい風が吹くのが心地よいです。
本日の収穫
【202】 石川県 江沼郡 瀬越村 (現 加賀市)
【203】 石川県 江沼郡 橋立村 (現 加賀市)
【204】 石川県 江沼郡 篠原村 (現 加賀市)
【205】 石川県 江沼郡 作見村 (現 加賀市)
【206】 石川県 江沼郡 動橋村 (現 加賀市)
【207】 石川県 江沼郡 月津村 (現 小松市)
【208】 石川県 能美郡 御幸村 (現 小松市)
【209】 石川県 江沼郡 那谷村 (現 小松市)
【210】 石川県 江沼郡 山代町 (現 加賀市)
【211】 石川県 江沼郡 南郷村 (現 加賀市)
お馴染み東吉野サイク
集合場所の石舞台へは、少し遠回りですがいつも耳成山の南側から大官寺跡と田圃の中を走って行きます。 今日も暑くなりそうな日差しと空です。
石舞台にはT御大にmさん、dさん、案の定Kさんも登場、お店をほったらかしてやって来そうな話だったM氏は現れません、7時20分まで待って5人で出発する事に。
PS:実はM氏は寝過ごしたそうです(^_^) 残念でしたネ。
芋峠?津風呂湖畔?入野トンネルと快調に走り2時間半程で東吉野村小川へ到着、お目当ての’みたらし団子’へ、お盆とあって注文殺到で大忙し、順番を飛ばして’アツアツ’を戴いてきました。
丹生川上神社から高見川沿いの県道221号を走ります、今日のコースは川沿いの木陰の多い快適コースをぬって走ります。