「自転車」カテゴリーアーカイブ

恒例「東吉野サイク」(前半)


吉野町吉野町窪垣内 入野峠にて

 月曜祝日と云う事で定番コースで東吉野へ走り「よしの庵」でお蕎麦を頂こうと休みにしてあったのですが、某女史に振られたので他に同行者を募ったら「ゆるるゆるCC」から6名も釣れてしまいました、コースは決して「ゆるゆる」ではないのですが…
 車載組みのデポ地「国営飛鳥 歴史公園甘樫丘地区」の駐車場へ寄ってみると自転車工房「Delft」の皆さんとばったり「Delft」さんも月曜定休ですもんね。偶然「ゆるゆるCC」のMikaさんと仕様違いのARAYA Federalでの女性参加者が。(写真右 : Mikaさん)
 集合場所の亀石前のセブイレに移動、大阪から輪行のタックさんを待ちます。今日はすみれちゃんではなく久しぶりにダイスケさんの登場です。
 いつものコースで栢森(かやのもり)へ。ここから芋ヶ峠(497m)への本格的な登りになります。

 「ゆるゆる」の皆さん、昨日に続いての連投ご苦労様です。
 行者辻で一息入れます。
 やはりもりやすさんとつっちーさんが速いですね。(写真左 : もりやすさん)
 芋ヶ峠を下り 1025 には吉野町千股(ちまた)の水辺公園へ。この先吉野川べりのR169まで下るかどうしようかと考えていたのです、結構良いペースで走ってきたので津風呂湖畔を走る事にします。
 みかえり橋で津風呂湖北岸へ渡ります、動画を撮るつもりだったのですがTZ85G3との操作方法を勘違いしていて失敗。まあこんな感じです。

 みかえり橋を渡った処にある「木の子広場」と対岸に見える津風呂ダム堰堤。
 対岸を県道256号入野河原屋線が走っているのですが、こちらは入り組んだ湖岸をなぞって走るので結構遠回りになります。幅員がないので入ってくる車は少ないのですが、落石や道路から釣りをしている人がいたりしますの注意が必要です。

 概ね湖岸を巡る平坦なコースなのですが、1ヶ所激坂の峠?があります。(写真左 : タックさん)
 峠を越えると再び湖岸を行きます。

 木の子広場から湖岸を7~8キロ走ると津風呂湖上流の入野(しおの)集落へ。
 入野には桜並木があるのですが、例年ですと来月上旬頃で、定番のお花見スポットだったのですが、老木で以前の勢いはない様です。
 写真は2013年3月30日の様子。

 R370に取り付き入野トンネル(385m)を抜けると吉野のビューポイントに到着、蛇行する吉野川と紙漉きの里を望む事ができます。(後半につづく)

 

 

腐っても切れないはずが…

 自転車用サドルバッグの定番中の定番と云われる英国キャラダイス社のサドルバッグに付いている皮のベルトと云えばどんなにボロボロになっても千切れる事はないと思っていたのですが…
 現在は黒のペンドル(11リッター)、ネルソンロングフラップ(15~18リッター)、緑のバーレイ(9リッター)、ネルソン(15リッター)、ジップサドルロールと5つ持っているのですが。
 そのうち昨年10月メルカリで8,800円で手に入れたバーレイの中古品、中古と云っても写真の様に状態の良いものなんですが。

 そのバーレイ、今月になってなんと立て続けにベルトが2本千切れてしまいました。
 写真は昨年6月に10年以上使ってきてボロボロになったペンドルを自分で補修した時のものですが、本体に破れがでてきてもベルトそのものは一度も切れた事はなかったのです。
 美錠(尾錠)の付いたベルトはAMAZONとかでも入手可能ですが、フラップに取り付けられたベルトは自分で加工して縫い付けなくてはなりません。ところが穴の位置と数が違うんです、現状は写真の様に左右で長さの違う状態です。後から先端を切っても良いですし、長さ的に使い勝手が良ければ左側も交換しても良いかと。しかし加工してみて材質がサクいんですよね、10年以上酷使した黒のペンドルの白いベルトの様な粘りがありません。ジルベルソーのサイドバッグにしても酷使される自転車用バッグの皮ベルトが破損するのは仕方がないのですが、造りは雑ですが質実剛健が売りのキャラダイスがねぇ。そのまま使えるベルトは交換すれば良いのですが、カットして縫いつける必要のある部分は、質の良い同色の皮を探して作った方が良いかも知れませんね。
 なお素人細工で裏地を剥がす訳にも行きませんので、そのまま縫い付けてしまいました、まぁ外からは見えませんしね。
 なおキャラダイスのベルトですがヤフオク等で価格の安い出品で釣って法外な送料を要求している出品者がいますので御注意を。

「let’s ポタリング宇陀」2日目

  「let’s ポタリング宇陀」2日目は室生口大野の「宇陀市室生振興センター」に集合し「室生龍穴神社」を経て下田口の「ふるさと元気村」まで県道28号吉野室生寺針線を往復する約20キロのコースです。
 2日続けて交通量の多い西峠を登って行くのもなんですので、少し早めに出て初瀬ダムから旧都祁村を経て「都祁山の道」を東へ走り大野へ下るコースをとる事にします。R165を走って行くのと比べて12キロ程遠回りな上に標高480mまで登らなくてはなりませんが、車の少ない快適なコースです。
 都祁村は2005年に奈良市と合併していますが、桜井から室生に行くのに奈良市域経由とは、まぁ十津川から新宮に行くのに田辺市を経由する様なもので。ずいぶん暖かくなったとは朝の大和高原はさすがに寒いです。

 「都祁山の道」と呼ばれる県道781号都祁名張線は東大寺二月堂修二会のいわゆる「お水取り」の松明を赤目から運ぶ由緒ある古道で、現在は広域農道が並行しているので車が少なく自転車には快適なコースです。
 宇陀市域に入り室生多田の満寿寺薬師堂に立ち寄ります。夏の盛りには百日紅が出迎えてくれますが、毎年付ける花が少なくなっている様に思えるので、ちょうどお堂の掃除に来られたおばさんに尋ねると、ちゃんと剪定をしていないからとの事でした。向渕から標高差200m快走ダウンヒルで大野へ、約束の時間直前に「宇陀市室生振興センター」に到着。

 さて前置きが長くなりましたがここからが今日の本題、2日目の参加者は私を含めて5名、昨日に続いてのIさんと高齢(私より)の男性とご夫婦、ミニベロでの参加です。出発後すぐに大野寺の前で昨日の座学で教えて貰った水港(みずみなと)があったとされる河原と磨崖仏を見学、後1ヶ月もすると大野寺の桜が満開なんですが。すみません、この前後の写真がありません。

 県道28号線を南へ、緩やかな登りが続きます。予定には入ってませんが、せっかくですので室生寺門前で記念撮影を。個人的には室生寺って見学の間安心して駐輪しておける場所を知らないので、この機会にゆっくり見学したかったのですが。

 最近はパワースポットと知られる様になった「龍穴神社」へ、昨日同様にボランティアガイドの方の解説付き「流血神社ではない」と云うのがここのガイドの掴みの様でして。今日は私たちの為にいつもは閉ざされている神殿の扉を開けてくれていて、ガイドさんもびっくりのVIP待遇とか。40分近く案内をして頂いて「龍穴神社」を後に、再び県道を南下します。
  下田口の「宇陀市文化芸術活動体験交流施設」ふるさと元気村へ、元の田口小学校の跡を利用した施設で、絵画 木工 陶芸 きりえ 藍・草木染 七宝焼 サンドブラスト
着物リフォーム 手紡ぎ 手織り フェルト雑貨と云った体験教室が随時開かれ、作品の販売も行われています。「モバイルグランフォンドin奈良・吉野」のチェックポイントにもなっていたので昨年7月15日にも訪れていて、その日は休館日でしたので校門が閉ざされていて見学はできませんでしたが、今日は案内付きで各機教室を拝見させて頂きます。
 「龍穴神社」と「室生ふるさと村」の見学時間が長くなってしまったので「振興センター」へ戻る時間が押してしまってしまいました。

 室生寺門前にて、時間が押してますがここの「よもぎ入り回転焼」を外す訳にはいきませんよね、案の定おばさんの声が掛かります。
 遅刻しましたが無事「振興センター」へ。当初大野から県道を往復するだけのコースが少々気に入らなかったのですが、立ち寄るポイントも充実していて、復路を緩やかなダウンヒルで快走できるのも良いかなと思った次第。

 お昼を近くの「うだ夢創の里」で準備して頂いてますので移動しますが、ここが本日最大の激坂でした。写真は初瀬街道(阿保越伊勢街道)にて。

 室生大野「うだ夢創の里」にて。
 午後は「振興センター」で講話があるのですが、夕方に所用と勤務と予定が詰まっているので、申し訳ないのですが13時半には「夢創の里」で参加の皆さんとスタッフの方々とお別れし、室生ダムから榛原、笠間辻経由で帰途に就きました。
 2日間、宇陀市の「おためし研修支援事業」の「let’s ポタリング宇陀」に声を掛けて頂き、日頃通り過ぎる事があってもなかなか立ち寄るきっかけのない処を満喫する事ができました。今回は定員に対して参加者がかなり少なかったのですが、市の「研修支援事業」と云う事から具体的なイメージが思い浮かばず、加えて「コロナ禍」のな渦中とあって、私も声を掛ける範囲が限られてしまって、あまりお力になれなかったのが残念です。
 本日の走行78.3キロ、内「振興センター」~「ふるさと元気村」の往復は約20キロ。

「let’s ポタリング宇陀」1日目 2日目

※ 一部の写真を主催側の方から頂きました。


「let’s ポタリング宇陀」1日目

宇陀市大宇陀 松山街道にて

 今日は明日との2日間宇陀市で行われた「let’s ポタリング宇陀」に参加してきました。「ポタリング&スポーツ栄養講座&歴史講座」と云う事で両日宇陀市域の20キロ前後のコースをポタリングしちょっとした座学を行うと云う企画です。
 1日目の集合場所はお馴染み菟田野の「カエデの郷ひらら」、「ゆるゆるCC」のメンバーのまめじさんと7時半頃に榛原駅前で合流し、芳野(ほうの)川沿いの道を菟田野へ向かいます。

 「コロナ禍」と云う時節柄、もちろん検温や消毒とできる限りの対策はされていたものの、参加者が少ないのが、お天気には恵まれました。なお今日明日と私がコースリーダーを仰せつかります。
 今日のコースは「ひらら」をスタートし反時計周りに芳野川~宇陀川べりを走りR166で戻ります。一昨年の「奈良県初のタンデムラン」のコースのほぼ逆回りですね、まずは榛原高塚の「八咫烏神社」へ。神武東征所縁の神社ですが「やたがらす」つながりで2002年のFIFAワールドカップ開催を記念して作られたモニュメントがあります。(写真 : まめじさん)
 川沿いに榛原までは回らずに県道217号高塚野依線でショートカットし「アニマル・パーク」の南側を経て大宇陀へ、松山街道の街並みで恒例のやらせ写真を、やはりランドナーとか旅自転車が一番似合う風景なのですが。
 「松山城跡西門」へ。先の「八咫烏神社」、次の「宇太水分神社」とそれぞれ地元のボランティアガイドの方が案内をして頂けます。道路元標フリークの私には神戸村道路元標が橋の反対側にあるので馴染みのあるポイントなのですが、ガイドの方はちゃんと道路元標の存在をご存知でした、良かった。

 ポタリングの最後は菟田野へ、大宇陀から菟田野へは交通量もあってアップダウンのあるR166を走らなければならないのですが、最近笹峠の部分が拡幅されて安全に走れる様になりました。菟田野古市場の「宇太水分神社」ここには春日造りの国宝の本殿があります。

 一旦「ひらら」に戻り、お昼の食事へ。参加人数も少ない事もあってスタッフの皆さんと最近地蔵の辻近くにできた古民家カフェ「な・な・な」へ、ランチはご覧のボリューム、さすがの私もごはんのお替りは遠慮しました。菟田野地区は食事のできる処がありませんでしたからね、場所は地蔵の辻の信号のすぐ東側、新道と旧街道の挟まれた位置にあり、サイクルスタンドこそありませんが駐輪スペースは充分にあります。

  午後からは「ひらら」に戻り、木造校舎跡の教室で宇陀市観光ボランティアガイドの会々長さんによる、宇陀の地勢と菟田野の歴史、特に丹生(水銀鉱石)に関する話が興味深いです。※「ひらら」での写真はまめじさんにお借りしました。
 16時には1日目の予定が終了し解散、今夜「ひらら」に泊まられる’みお’さんとお別れして、まめじさんと帰途に就きます。まめじさんはMTBなので芳野川べりのちょっとデンジャラスなルートを往きます、整備されると柵が付いてしまうでしょうね。榛原でまめじさんとお別れして笠間辻経由で桜井へ戻りました。
 本日の走行59.7キロ、往復自走していますのでイベントで走った距離は半分にもならないのですが。

「let’s ポタリング宇陀」1日目 2日目

※ 一部の写真を主催側の方から頂きました。


11年前の3月11日と…

2011年3月11日14時48分 尾張サイクリングロードにて

 毎年この時期になる思い起こさされる東日本大震災、被災された方には申し訳ないのですが、阪神淡路も東日本も全くと云って良い程に暮らしに影響がなかったのです、奈良県ってほんとに災害がないのですよね「国のまほろば」たる所以なのでしょうか。11年前の3月11日はT御大のBSモールトンをお借りして愛知県下の道路元標を巡っていました。地震のあった14時46分は西春日井郡の庄内村道路元標から中島郡の朝日村道路元標に向かって尾張サイクリングロード、この区間は名古屋上水の上にあるそうなのですが、地震には全く気が付きませんでした。地震が気がついたのは立ち寄ったコンビニでなにか回りの様子が変だなと思ってやっと、そのうち携帯も繋がらなくなり、どうにかメールでの連絡ができ、T御大と合流して奈良へと帰る事はできたのですが。
 被害の大きかった福島県と宮城県にはそれぞれ震災前の2009年1月と2010年4月に行っています、自転車ではなく「青春18きっぷ」を利用した道路元標蒐集の旅だったのですが。その頃は結構数日の休みが取れたんですよね。
 2009年1月15日から18日にかけて「道路元標蒐集の旅(北関東篇)」として千葉県、茨城県、宮城県、福島県、栃木県、埼玉県、 東京都、長野県の24基を巡っていて、その中には今も制限区域となっている福島県の旧双葉郡の新山町と双葉郡の道路元標も含まれています。写真は定期運用末期の「ムーンライトながら」373系。

 双葉郡新山町道路元標(現 双葉町)とその街並み、関西人には馴染みが無いのですが帝国自転車ってあったんですね。

 同じく双葉郡で岩城相馬街道沿いのの木戸村道路元標(現 楢葉町)とその街並み。時期は判りませんがGoogleMapで何れも震災後も道路元標そのものは残っている事が判ります。旧双葉郡には19の町村があって6基の道路元標が現存が確認されていたのですが。
 翌2010年4月2日から6日には「道路元標の旅(東北編)」として福島県、宮城県、秋田県、青森県、山形県、栃木県 、茨城県、千葉県の30基の元標を。写真は豊橋駅にて189系時代の「ムーンライトながら」。1日目はほぼ移動だけで終わり古川(大崎市)泊、2日目に三セクも乗車できるJR東日本の「東北ローカル線パス」を利用し古川→小牛田→気仙沼→盛釜石→宮古→岩泉→茂市→盛岡をほぼ乗り鉄の旅で、道路元標は気仙沼町の1基のみ。

 震災で線路が流され大部分が廃止となった気仙沼線の大谷海岸駅付近(写真左)と当時の気仙沼駅。
 今も気仙沼町道路元標は残っている様です。(写真は2010年当時)
 港町の昔の賑わいを感じさせるレトロな建物が多く残っていた気仙沼ですが、今はどうなってしまったのでしょうかね、道路元標の向かいに建っていた建物(写真左上)は蔦に覆われながらも残っている様です。つくづく失われたものも多いの中、残されたものもあるのだと感じました。関西からだとなかなか東北は遠くて自転車では会津界隈を走った位なので、機会があれば次こそ走ってみたいと思ってはいるのですが…

 

ゆるゆる「賀名生梅林ポタ」をお見送り

 今日は乾さん率いる「ゆるゆるCC」の「賀名生(あのう)梅林ポタ」なのですが、夕方から勤務ですのでフル参加はできませんが、集合場所の五條市まで走り旧い町並の残る五條新町と五新線跡のさわりまでご一緒する事にしました。


 7時前に桜井を出発、いつもの吉野口駅前~重阪(へいさか)峠経由で 0845 集合場所の五條中央公園に到着しますと、既に20名程の参加者が。(写真右下 : タックさん)

 まずは五條新町へ向かいます。


 街道の名残りを残す街並みを抜けて五新線跡へ、ところで先月「餅商一ツ橋」imageの跡にオープンしたチョコレート店ですがまだ開いていませんので通過、帰りに立ち寄った様です。

 五新線の遺構跡で記念撮影、この時点で参加者は私を含めて22名。(写真右 : タックさん)

 R168に戻り、大川橋を渡って一行は「吉野ストア」でお昼の買出し。きんなん君は今日が新車(EXTAR PROTON)imageのデビューランランなんです。(写真右)
 皆さんが買出しをしている間に先回りして待ち構えます。

 ゆるゆると走ってくれていますが、後を追いかけるのも大変。タックさんが橋の上で構えている私を撮ってくれた凄い写真image、柵がハレーションで飛んでしまっています。

 八幡川橋梁で一行を追い越し西側の一般道に入ります。(写真右 : 乾さん) 

  五條市霊安寺町、田園風景の中を行きます、見通しは良いのですが、バックの映り込みを考慮する余裕はありませんので、お墓が写っていたり。


 1010 ここで一行とお別れして帰途に就く事に。(写真 : 乾さん)
 この後一行は賀名生梅林~フルーツロード(五條吉野広域農道)~柿博物館~一の木ダムと走っていた様ですが、とても「ゆるゆる」とは云えないコースです。ところが肝心の梅の開花状況ですが、五新線跡沿いはともかく賀名生梅林の方は些か早かった様ですね。
 栄山寺橋から吉野川河畔を遡り椿橋を渡り壺阪峠を越えて13時には桜井へと帰ってきましたが、桜井市域に入った途端に雨に降られてしまいました、通り雨でしたが一行は大丈夫だったのかな。本日の走行77.1キロ。

   

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ゆるゆるCCとデモンタ迎撃のダブルヘッダー

吉野町津風呂湖畔にて

 今日はゆるゆるCCの「芋ヶ峠~壷阪峠サイク」に参加する予定なのですが、昨夜ショコラさんとSさんが大津から柳生経由で桜井まで走るとの知らせが、Sさんとは随分ごぶさた(2018年5月以来?)していますので、時間的に間に合うなら両方に顔を出したい処。
 ゆるゆるCCの方は橿原運動公園9時集合なのですが、昨日サドルバッグのベルトが切れたのとフロントキャリアの固定のガタを直し忘れていて朝から慌てる事に、それに昨日と打って変わって風が強くて運動公園まで往復するのも難儀なので、明日香村亀石前のセブイレで合流させて貰う事にします。
 桜井を0911に出発し明日香村へと急ぎます、一行がなかなか来ないと思っていたら運動公園を出て直ぐにつっちーさんのサンジェがパンクimageしたとか。とにかく0940頃には落ち合う事ができました、ここで1名が離脱して私が加わり9名で走る事に。今回は女性の参加者がいなかったはずなんですが、なんとすみれちゃんが…
  どうにか10時過ぎに出発する事ができ、まずは芋ヶ峠(486m)を目指します。写真は橘から祝戸へ「飛鳥葛城自転車道」の最後の区間です。「マラ石」にてスミレちゃんimage

 栢森にて。しかし「ゆるゆる」にしては今日はハイペースです。
 何ヶ所かの激坂部分をこなして古道と交差する行者辻へ。

 芋ヶ峠にて。写真を撮るために先に来させて貰いましたが、最初に上がってきたのはもりやすさん、続いてつっちーさん。
 芋ヶ峠にて集合写真を、一行は吉野川河畔まで下りますが、皆さんとお昼をご一緒していると遅くなりそうですので、残念ですがここでお別れする事にします。(大きな画像は後日アルバムで公開します)
 吉野町千股まで下り佐々羅へ越えます。宇陀方面へは県道28号で小島峠を越えれば早いのですが、あまりに面白くないので津風呂湖畔へ、さすがに北岸は遠回りですので南岸の県道256号入野河原屋線へ向かいます。
 1220 入野でR370に取り付きます、そろそろお腹も空いてきたのですがこの先は関戸峠(402m)を越えて大宇陀までコンビニの類はありません、ただ休日ですので三茶屋で地元産品を売っていて柿の葉寿司を買って戴きます。いつもなら三茶屋から小名経由の車の来ないルートをとるのですが、あまり時間の余裕もないのでそのままR370で峠を目指しますが、だらだら登りに向かい風が堪えます。
 どうにか 13時過ぎには 関戸峠を越えますが、メッセージを見ると大津からのお二人は当初柳生でお昼との話でしたが、既に針テラスまで来ているとの事。13時半すぎには出発するとか、少々急がなくてはなりません。

 大宇陀の松山街道の街並みを抜けて宇陀川右岸を走ります。
 1436 西峠(353m)へ、長谷寺門前で落ち合う事にして下りますが。桜井浄水場まで下った処で、まだ時間に余裕があるので口ノ倉トンネル(440m)経由で初瀬ダムの上に出る事にします。
 久しぶりに口ノ倉トンネルを通りますが、車は少ないものの浄水場前から標高差125mと結構登らされます。長谷寺門前へは参道の道が狭くバイパス路だったのですが、今では名阪国道からの県道が良くなりましたからね。

 1411 初瀬ダム(まほろば湖)沿いの県道38号へ下り、お二人を待ちますがどんぴしゃのタイミングで下ってきました。お二人は案の定デモンタで、大津を8時に出たそうですが昼食休憩を含め6時間余りとは早すぎです。

 長谷寺門前にて、「コロナ禍」も終息にはまだまだと思いますが参道には賑わいが戻ってきています。
 可能な限り旧街道を縫って 1447 桜井駅南口へ。桜井駅は近鉄が北側、JRが南側にありますが、輪行支度に丁度良いスペースが南側にあります。

 ショコラさんのTOEIデモンタ(写真左)、Sさんのナショナルユニパック(写真右)はうちのより年式は新しいそうですが、なんとオリジナルのシールが。輪行支度を済ませばお二人は1545発の奈良行で帰途に就かれました。本日の走行66.1キロ、今日はハイペースだったのと風で些か疲れました。

   


遠回り通勤ポタ 京都府をかじってきました

平城宮址 朱雀門にて

 例に拠って勤務明けからの出撃、先日からホームページの改修に手を付けていてリダイレクトとかが変になっているので、さっさと帰って直したいのですが、このお天気に走らないと絶対に後悔するとばかりに…
 先日23日に続いて下ッ道(中街道)を北へ、写真は大和八木駅の東側で近鉄大阪線を跨ぐ踏切。

  橿原市から田原本町に入ったあたりから寺川左岸を行きます、毎年住宅の庭先の紅白の梅が出迎えてくれます。
 下ッ道が田原本町から天理市に入った辺り、庵冶町地蔵尊。
 天神橋で大和川を渡ります、向こうに見えているのは京奈和道(写真左)。二階堂の旧い街並みを抜けて京奈和道をくぐります(写真右)。

 西名阪道をくぐる手前の「八条北遺跡」が発掘された場所で歴史公園が整備中でした。

 大和郡山市稗田町の稗田環濠集落へ、県下には天理市竹之内の他幾つかの環濠集落が残っていますが、ここ稗田のものが規模も大きく良く整備されています。下ッ道は北上し朱雀大路となりますが、跡を辿る事はできません。
 県道144号大和郡山上三橋線を少し西へ走り郡界橋東詰で京奈和自転車道へ入ります。打合橋で自転車道と別れ佐保川右岸を更に北上し朱雀高校の裏に出て「みやと通り」に入ります。

 平城宮跡朱雀門へ、いつも平城宮跡を通る時は先を急いでいるのですが、今日は時間もあるので朱雀門に立ち寄ってみます。写真右は第一次大極殿院南門と復原工事用の素屋根。

 「みやと通り」を北上します歌姫街道(府県道751号木津平城線)となり添御縣坐神社(そうのみあがたにますじんじゃ)、通称歌姫神社、橿原市の「おふさ観音」からここまで大まかなもののほぼ直線なんですね。さて歌姫峠を下ると京都府です、奈良県から京都府へ2番目に楽チンなコースです、ただ狭い道に車が多く車通しの離合に挟まれて難儀します。とにかく今年初めて京都府下にタッチダウン。

 京都八幡木津自転車道線へ合流します。今日は風もないし時間があれば流れ橋や「さくらであい館」位まで往復しても良いのですが、お昼を回ったのでここで引き返す事にします。
 帰りは京奈和自転車道のルートを辿ります。京都府から奈良県へ、カントリーサインも何もありませんが、自転車道を示すラインが変わって「ならくる」のポールが現れると奈良県です。

 京奈和自転車道は奈良バイパスをくぐって平城宮跡へ向かいますが(写真左)、奈良自転車道(奈良西の京斑鳩自転車道線)を辿って奈良市街へ向かいます、竹林の中の緩い山越えルートです。ロートフィールド奈良(鴻ノ池陸上競技場)を経て奈良阪の南側へ、県庁西交差点を渡って奈良公園へ、週末とあって観光客の多い事、鹿達もせんべいにありつける様になってほっと一息ですね。上ッ道を南下します。

 途中、JR桜井線(万葉まほろば線)の櫟本駅へ、最近は歩道橋の様な跨線橋が多くなりましたが、昔ながらのは貴重になりました。丹波市まで南下し布留川南流の自転車道imageを経て中ッ道の跡をたどり大和川河畔へでます。桜井に戻って本日の走行66.9キロ、マイルールでポタは50キロ未満、平均速度15km/h未満が「ポタ」なんですが、まぁ行き当たりばったりで走っていたので、良いでしょう。

 


遠回り通勤ポタ「結崎面塚」

磯城郡川西町結崎 寺川河畔「面塚」にて

 今朝の奈良の最低気温は-2.2℃とかなり寒かったのですが、9時前から国中の川べりの道を大和川御幸橋まで巡る事にします。飛鳥川沿いに出ておふさ観音近くから下ッ道(中街道)へ、横大路と交差する八木札の辻にて。
 近鉄橿原線を跨いで飛鳥川沿いの大和中央自転車道へ、向い風が強いですが、徐々に陽射しが暖かくなってくるのが救いです。

 河合町で曽我川沿いの飛鳥葛城自転車道へ移って大和川に架かる御幸橋で右岸へ渡ります。淀にある御幸橋は「ごかうばし」ですが此処のは「みゆきばし」、休日とあって結構ローディが行き交ってます。
 大和川右岸の堤防上の道を遡ります。対岸で大和川に曽我川が合流しています。青い橋は太子橋、大和川の蛇行が改修される前はなかった橋で、渡った辺りだけは今も安堵町域です。
 その太子橋は今月末まで補修工事で日中通行止だそうなのですが、祝日のせいか工事とかやっていませんでした。
 この付近で筋違(太子)道が大和川を渡っていたのが橋名の由来なんでしょうね。
 大和川左岸を行きますが、この先で寺川が合流してきていますので自然と寺川左岸に。桜井へはほぼ大和川左岸を走って行けるのですが、近鉄橿原線を跨ぐ踏切の前後imageで3月10日まで舗装工事で通行止になっている様で、適当な迂回路がないので、今日は寺川沿いから天理市庵治(おうじ)町へ抜けるルートを辿ってみる事にします。

 寺川左岸の道が県道197号結崎田原本線と交差する宮前橋の先に「面塚」と云う史跡があるのですが、観世能楽発祥の地だと事で「結崎面塚公園」と云うのが整備されていて、何度か来ているのですが、桜の季節に来なくては。
 川べりの快適な道が続きますが、残念ながら寺川べりの道は近鉄橿原線と京奈和自動車道で行く手を遮られてしまいます。先の宮前橋から数えて3つ目の橋で右岸に渡ります。

 寺川右岸の堤防上はダートですので住宅街の川よりの道を辿ると近鉄橿原線をどうにかくぐる事ができます。

 真っ直ぐと云う訳には行きませんが京奈和自動車道をくぐる事もでき、そのまま東へ。

 天理市庵冶町で下ッ道(中街道)に唐突に出てしまいます、角には大神宮の常夜灯があり、八王子社もあった様です。道標には年号と●●村木之本と読め、確かに山辺郡二階堂村以前の庵治村には木の本と云う字があった様です。下ッ道はともかくこの東西の道も歴史のある道の様です。庵治町でいつものルートに戻りますが、距離は殆どと云って変わらないのですが(図青線)車が少ないので重宝しそうです。R24を跨ぎ再び大和川べりに、そのまま桜井に戻っても良いのですが、海上橋を渡り東へ上ッ道(上街道)まで出る事にします。

 JR桜井線を跨いだ処でレトロな柳本駅へ。いつのまにか駅中食堂が「ビクトン」と云う妙な名前なのですが、三角縁神獣鏡の出土で知られた黒塚古墳の最寄り駅で、休日をあって結構賑わってます。店頭で売られていたロースとんかつがあまりに美味そうなんで(450円也)が1つ買う事に。
 上ッ道に戻って巻向から三輪とお昼過ぎには桜井へ、買い物を済ませて帰宅、本日の走行36.2キロ。今日まで出今月は358.9キロ、後1週間で幾ら走る事ができるでしょうかね。
 そうそうロースとんかつはお昼にカツカレーとなりました、盛り付けが雑なのはご容赦を…

 


雪の天辻峠を越えて(後半)


 道の駅「吉野路大塔」で本日のミッションは果たしたものの既に13時、新天辻トンネルを抜けるにしても来た道を戻るのは面白くありません、12時まででしたら阪本へ下り天川経由も考えていたのですが、新川合~新笠木の2つの長大トンネルは通りたくないので、笠木峠旧道の積雪具合を考慮すると些か時間的に厳しそう、このままR168を阪本側に2/3程下って県道732号阪本五條線で出屋敷峠(660m)へ登り返すのが一番賢いかな。

 県道732号に入り再び調子よく登り出したのですが、暫く行くと脚が攣り始めます、幸い今日は「芍薬甘草湯」を持っていたので助かりました。今まで持っていない時に限って攣ったんですよね、効果覿面無事に 1333 出屋敷峠へ。
 以前シクロツーリスト 旅と自転車 特集「日本の峠200選」imageで奈良の峠として芋ヶ峠と染谷峠を紹介させて貰っているのですが、私自身は此処とで奈良の三名峠だと思っていたのですが、処分場かのフェンスができて興ざめなのは残念です、あとは小南峠か石切峠でしょうか。
 県道732号は起点と終点が奈良県域なのですが出屋敷峠から高野町富貴を過ぎるまでが和歌山県域です、出屋敷峠の北側は緩やかな1.5車線が道が続き出屋敷辻で県道733号川津高野線と合流します。
 富貴集落を抜け再び奈良県域へ、東の川(うのかわ)の深い谷の東斜面を豪快に下って行きます、日当たりが良い事もあって路面は乾いていて安心して下る事ができます。1458 火打口で県道55号橋本五條線へ。五條市街を避けて辯天宗宗祖御廟の横を通って県道137号平原五條線で栄山寺橋へ。栄山寺トンネルimageの供用はまだの様ですが、供用されると京奈和自転車道のルートになっている県道137号の交通量が増えるでしょうね。
 栄山寺橋を渡り一旦県道39号五條吉野線へ入りますが吉野川左岸に渡る手前でそのまま右岸を走る市道へ、水溜りとかもある悪路ですが、ランドナーにはぴったりのコースです。途中にカルディア第2キャンプ場がありますが殆ど車が入ってきません。阿太橋西詰で県道259号吉野川公園線に入り西阿太でR370を跨いで阿太高原へ、東寄りに京奈和自転車道のコースが設定されているのですが、こちらの方が楽だと思うのですがね。この後福神駅前から今朝立ち寄った吉野口駅前へは1642には戻ってきたのですが、所用でVIVVAさんちと勤務先に寄って20時過ぎに無事帰投しました。本日の走行121.5キロ、今年初めての100キロ超となりました。