今日は月曜日のリベンジで和歌山県文書館へ行く事に。
和歌山方面への定番コースの明日香村から重阪峠経由で国道24号へ、現五條市域の宇智村と野原村の道路元標をゲットしてから<55>橋本五條線へ、途中に阪合部村道路元標跡を示す木標があるらしいので寄ってみたが、いつのまにか撤去されてしまったのか見つける事ができなかった。
橋本橋を渡り再び右岸へ、紀陽銀行橋本支店前に保存されている橋本町道路元標をゲットしてから今日は大和街道を辿りながら和歌山へ向かうことに...
←大和街道は歴史街道の標柱が整備されていて詳しい地図がなくても結構トレースできます、しかし旧街道と云っても往時の姿をとどめている様な処はあまりありませんがネ。
道路元標は旧街道沿いに建っている事が多いので、大谷村、名手村、狩宿村、笠田村と云った未知の処を探索しますが、そうそう見つける事はできません。
JR和歌山線高野口駅前にある木造3階建の旅館「葛城館」、高野口町も今は橋本市になってしまいましたが、かっては高野山への玄関口として賑わったのでしょうネ。
和歌山県文書(もんじょ)館は県立図書館の2階にあって、今日の目的はこれ、大正9年4月1日の和歌山県報号外和歌山県告示112号、和歌山県の道路元標を設置した場所が記載されています、と云っても大正9年の地名地番ですから話は簡単ではありません(^_^;)
文書館の後はマリーナシティへ、ちょっと南海のリゾート地の様な写真を(^o^)
海南駅から輪行して帰途に就きました、本日の走行112.4キロ、道路元標×3、和歌山県道ヘキサ×3。
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頼んでおいた本が届いた、表題の通りの兵庫県下の道路元標を著者が10年の歳月をかけて探索した資料である。 道路元標が設置されたであろう400余りの行政区を巡り217基の現存を確認し写真に収めている。 奈良版とも云える「道路元標を尋ねて -奈良県ふるさとめぐり-」(上田倖弘著 弘道社)に比べると読ませる部分や周辺の写真や地図がなく、単に情報の羅列と云う感じもなくはないが、元標の存否を知る事ができるだけでも貴重な資料である。 A5版160頁、頒価\2,200_
今年で数えて9回目、恒例の「あすか鍋サイク」は前後の日程からして12/17しか考えられないので、今年は12/17(日)で段取りしたいと思います。
なおコースは去年積雪でコース変更になってしまった元のプランで行きたいと思います。
「めんどや」?<37>?芋峠?吉野町千股?津風呂ダム(昼食)?<256>?入野?(370)?色生?小名?<28><219>?大宇陀?(370)?野依?篠楽?<199>?笠間辻?(166)?下尾口?倉橋?阿部?南浦?「めんどや」(約50数キロ)
添付図では「めんどや」を起点に反時計回り。
明日は「胃袋破壊ツアーうなぎの新玉亭オフ」だけど、帰ってから少し摘まめる様に練りモンを少し仕込んでおこうかな...
dendenさん処に負けずにウチも「おでん」するべ? まずはスジから。
去年は10月30日だった(^_^)
しかし今朝は寒かったですね、奈良の最低気温は3℃をきっていたとか...
午後、香芝市まで所用があったので、天気も良い事だしついでに道路元標と県道ヘキサ探索に行ってきました。
行方知れずだった下田村道路元標、たまたま市役所の人がいたので訊ねたら公民館に移設したとの事\(^_^)/
その後王寺町から斑鳩町と北上し大和郡山市小泉町で片桐村道路元標をゲット、このまま富雄川沿いに北上すれば富雄村道路元標があるはずなのですが、明るいうちに桜井へ戻れなくなりそうなので、今日はここいらで引き返す事に。
未拾の奈良県道ヘキサを6個ゲット、残念ながら<156>王寺停車場線は設置されていないのか見つかりませんでした。
奈良西の京自転車道にて、ランドナーが1台走ってました。
なおここは自転車道が県道166号になっている様なのですが通った範囲ではヘキサはありませんでした、では車道部分は?
こちら方面にはあまり来る事がないので奈良県ながら少し新鮮な道筋でした。
走行58.2キロ。
下田村は昭和31年に近隣3村と合併して香芝町となり、平成3年香芝市となった。
元標は長らく旧街道沿いの中川酒店前にあったが、最近JR香芝駅(旧下田駅)そばの下田地区公民館前に移され保存されている。
残念な事に「元標」の文字が埋まってしまっている、ただ中川酒店前にあった時は「路」も埋っていた様なので既に下の部分は失われてしまっていたのだろうか...
また折角の説明が「明治のはじめごろ...云々」と書かれている、もちろん道路元標は早くても大正9年以降のものである。