「道路元標」タグアーカイブ

久しぶりのセンチュリーラン

今日は滋賀県下に残している2基の道路元標を目指して走り出す事に… 6時半過ぎに出発しましたが、朝は結構寒くても日中は日なたを走ると汗ばむので、この季節ウェアには気を使います。 半袖ジャージにアームウォーマ、ウィンドブレーカー、レーバンにパットなしの薄手のタイツと云う柔軟性の高いいでたちです、結局は信楽からの峠道でアームウォーマを外しただけですが。 上街道から奈良阪、大仏線から恭仁大橋を渡り<5>木津信楽線、8時半頃に和束ローソン、休日で天気も良いとあってローディが一杯来ます。 信楽駅には10時着、私としてはなかなか快調なペ?スです。 丁度出発する列車があるので踏切まで先回りして(^_^) 思った以上の加速と2両編成に慌てましたが。 今日の最初の目標は石部町、新旧小野峠やアセボ峠ではなく距離的には最短となる未踏の林道をとるべく宮町から畜産団地への登りへ入ります。 畜産団地の入口まで来て’通行止’のゲート、どうやら石部町側にかなり下った処で崩れている様ですが、林道は途中で分岐して少し東に下るルートもあり、休日の上に工事をやっている気配は全くありません)。 とにかくピークまでは標高差で60m余りなのでとにかく突っ込む事に。 林道ピークです、路面そのものはそんなに痛んでいませんが、落ち葉や細かい砂利に流水、両側から草木が覆いかぶさってきていて、夏場やロードで踏み込む様な処ではありません。 ピークを越えて下るとすぐに三叉路、雰囲気的に平松へ下るルートを選択する事にしましたが、アセボ峠同様意外な程に展望はありませんでした。 林道は突然新しい住宅造成地の裏にヒョコッと出て終わってしまいます。 旧東海道へ出て、石部町道路元標をGETして栗東市の大宝神社へ、事前の情報では’大正道路元標’ではなく恐らく’里程標’なのですが、亀山町東柘植村の様に併立している例もありますので念のために。 案の定「大宝村大字綣村元標」とやらは里程標でしたが、’里程標’と’道路元標’の混同について参考になりました。 大宝村大字綣村元標’から旧中仙道を走り’草津町道路元標’、ここから再び旧東海道を辿り瀬田の唐橋へ。 この後、南郷洗堰、鹿跳橋、宵待橋と宇治川沿いのコースをひた走り宇治へ、M氏が見つけてくれた京都市伏見区に残る道路元標までまわるには陽も短くなってしまったので、嵐山八幡木津自転車道へ入り帰途へ就くことにしました。 本日の走行 181.8キロ、 本日の収穫 【359】 滋賀県 甲賀郡 石部町 (現 湖南市) 【360】 滋賀県 栗太郡 草津町 (現 草津市)

道路元標蒐集18切符の旅(岡山香川編 その2)

岡山市を後に児島へ、倉敷行きの下津井バスに乗換え倉敷市呼松へ、水島コンビナートで埋め立てられるまでここは瀬戸内海に面した港でした、ここに福田村道路元標が残っています。 折り返しのバスが来るまでに20分程しかありませんが、無事に発見(^o^) くらしき百景にも指定されてりうレトロな郵便局もある古い街並、でも道路元標に関わらなければ訪れる事は無かったでしょうネ。

岡山1445→1507児島1515-(バス)→1539呼松1557-(バス)→1627児島

岡山県下で現存が知られている道路元標を3ヶ所回る事ができましたが、時刻表を繰ると帰りにはもう少し時間があるので瀬戸大橋線で四国へ入り、坂出で下車し王越村道路元標、高松で高松市道路元標を拾いに向かいます。

児島1638→1653坂出1724→1739高松


高松から’18切符’で戻るには鶴橋から近鉄利用でも1913が最終になりますが、山陽本線が沿線火災の影響で遅れがでているとか、1本早めの1813のスジに乗車する事にして高松での持ち時間は34分、でも場所は特定できていますし距離も片道1キロもありませんので楽勝です。

↑JR高松駅、駅ビルは新しいですが、かつて宇高連絡船で渡った四国の玄関口の雰囲気は残っています。

 

台風の影響で新幹線は大荒れだった様ですが、在来線は大きな遅れも無く桜井へ帰り着きました、香川県には小豆島も含めてまだ5基の現存が確認されていますが、今回は自転車抜きなものの3月に取りこぼした王越村がGETできたので大満足です。
高松1813→岡山1917→網干2046→大阪2207→鶴橋2227-(近鉄)→桜井2306
‘青春18切符’で乗った金額は計9,390円也
本日の収穫
【320】 岡山県 御津郡 一宮村 (現 岡山市)
【321】 岡山県 岡山市
【322】 岡山県 児島郡 福田村 (現 倉敷市)
【323】 香川県 綾歌郡 王越村 (現 坂出市)
【324】 香川県 高松市
 岡山県の3基の様式は内務省令と異なり、正面に道路元標、向かって右側面に市郡名、左側面に町村名となっています。 ただ同じ岡山県下でも遠く離れた山中の大原町道路元標は省令に従った様式です。

道路元標蒐集サイク

梅雨入り前に距離を稼いでおこうと今日は京都府向日市に残っているらしい’向日町道路元標’を蒐集に走る事にしました。 朝6時過ぎにに上街道を北上、コンビニに立ち寄るあめに猿沢池から東向商店街を北上し、’ら’氏の勤め先の前を通り過ぎ般若寺の坂を登っていたら、突然’さし歯’が抜けていまいました(>_<) 週末に出なければない席があるので困ったものです、行きつけの歯医者に電話をして予約次第で引き返す事します。 嵐山八幡木津自転車道を走り流れ橋へ、丁度9時なので歯医者の予約を、今日明日は混んでいる様ですが無理を云って今日16時半に割り込ませて貰いました。 予定の向日町まで走ってどうにか桜井までは適当な時間には戻れそうな時間です、まさかこの自転車に乗ったままこの格好で行く訳にも行きませんが。 向日町は先日行ったばかりの’新神足村道路元標’のやや北に位置します、快適な自転車道は離れて市街地を走るのは鬱陶しいです。 ‘向日町道路元標’は<67>西京高槻線沿い競輪場の少し南の三叉路にありました、かなり危なっかしい位置なので、しっかりガードされていました。 向日町をGETしてすぐに折り返し再び自転車道を南下し流れ橋へは11時過ぎに戻ってきました。 ※ 嵐山八幡木津自転車道は御幸橋の北側で通行止になっていて、少し府道へ迂回しなければなりません。 警備員の話では今年一杯とか、なお奈良大阪側から来ると案内がやや不適切の様です。 京田辺市に入り先日M氏がらしきものを見つけてくれた普賢寺小学校へ向かいます。 裏面かして文字は読めませんが外から覗く限りでも明らかに道路元標に違いありません。 許可を貰って校内に入れて貰います、「普賢寺村道」以下が埋まっていますが対応してくれた先生が興味を持ってスコップで掘り起こしてくれました、感謝。 未履修を含め京都府63基目となります。 普賢寺村でかなり南西に寄ってしまったので、このまま<65><72><7>と打田?高山?富雄?郡山と走り15時半に桜井に帰り就きました、まだ少し余裕があったので時間があれば久しぶりのセンチュリーランが出来たのに残念。 走行140.9キロ、AVS19.7キロ。 ← ここって峠の名前はないのでしょうかね…

道路元標蒐集サイク

今回も’するっとKANSAI3Dayチケット’を利用して神戸電鉄の市場駅(小野市)まで輪行して加古川流域の’道路元標’を蒐集する算段なのですが、加古川流域と云うのは非常に広くて旧町村もその多くの支流毎に存在していて、’道路元標’も何処からどう云う順序で手を付けて良いのかと思う位に点在しているのです。 ↑ 神戸電鉄をこの辺りまで乗るのは初めてです。 ‘道路元標’と’3Dayチケット’でもない限りわざわざ乗る事もないですが、小さな車体断面の車両に急勾配急カーブ、時々単線になるので元てっちゃんには面白いです。 加東郡市場村から手を付けますが見つけられず、来住村はすぐに見つかったものの、河合村は見つからずと、出足が悪いとモチベーションもあがりません。 ← 北条鉄道北条線(元の国鉄北条線)に沿って次の目的地に向かいます。 加東郡と加西郡で9ヶ所回り6基をGETし多可郡に入ります、ここまで来ると多少は車も少なくなってようやくサイクリング気分、ついでに糀屋ダム翠明湖へ登り周回路を巡り中町へ向かう事に。 中町は現在は多可町、かつての多可郡の中心地ですが今では多くが下流の西脇町と合併し西脇市となっています。 多可町役場の前にはかつての多可郡役場の立派な跡碑があり、その向かいに’中町道路元標’がぽつりと建っています。 ← 土台は2町7村の名を記した九角形、裏面は日時計になっています。 加古川の支流杉原川の谷を’松井庄村道路元標’まで走り、鍛冶屋まで戻りかつてのJR鍛冶屋線跡の自転車道に入ります。 鍛冶屋線は加古川線野村駅(現 西脇市駅)から分岐し中町を経てここ鍛冶屋まで来ていましたが、先に第3セクターとなった北条線と三木線の経営状態が思わしくなく、鍛冶屋線は民営化される事なく廃線と皮肉な結果となってしまいました。 ↑ 鍛冶屋駅は記念館となりキハ30が保存されています。 なお鍛冶屋線13.2キロが全て自転車道になっている訳では無く、また西脇寄りの区間の路面はロードタイヤでは走り辛いです。 この後’日野村’、’西脇町’と回り西脇市駅まで走り走行100.2キロ。 ‘市場村’、’河合村’、’富田村’を見つけられなかったものの道路元標を11基GET。 しかし鉄な1日でした(^_^;)
本日の収穫
【212】 兵庫県 加東郡 来住村 (現 小野市)
【213】 兵庫県 加西郡 下里村 (北条町→現 加西市)
【214】 兵庫県 加西郡 在田村 (泉町→現 加西市)
【215】 兵庫県 加西郡 西在田村 (泉町→現 加西市)
【216】 兵庫県 加西郡 多加野村 (泉町→現 加西市)
【217】 兵庫県 加西郡 芳田村 (現 西脇市)
【218】 兵庫県 多可郡 野間谷村 (八千代村→八千代町→現 多可町) 【219】 兵庫県 多可郡 中町 (現 多可町)
【220】 兵庫県 多可郡 松井庄村 (加美町→現 多可町)
【221】 兵庫県 多可郡 日野村 (現 西脇市)
【222】 兵庫県 多可郡 西脇町 (現 西脇市)

I’s BICYCLEまで…

今日はタイヤを買いに京都のI’s BICYCLEまで往復、帰りにいつもの客先へ寄って少し仕事をば…(^_^;) もちろん道路元標も… あと1基予定していたのですが、大原野村の後’洛西ニュータウウン’付近で道を誤ってすっかり遅くなってしまい今回は端折る事に。 本日の収穫 【196】 京都府 乙訓郡 新神足村 (現 長岡京市) 【197】 京都府 乙訓郡 大原野村 (現 京都市西京区) 【198】 京都府 葛野郡 花園村 (現京都市右京区) I’s BICYCLEにて、実はお店に伺うのは初めてです。 時間がないので目的のタイヤだけ買ってさっさと引き返してきました、第一目に毒なものが一杯あるので長居は危険です。 で、お目当てのお買い物… ‘グランボア シブレ 700×30C’ (^_^) 太秦を経て木津川八幡嵐山自転車道に戻った頃から雲行きが怪しくなり、雷鳴とともに雨が… 宮前橋の下に走り込んでで雨宿りをしたりしながら、ガード付きのお陰でお尻を濡らす事もありませんが’流れ橋’に辿り着いたのは午後2時。 結局は仕事も遅くなり輪行袋も持ってこなかったので、自転車を客先に預けて帰ってきました。 走行117.6キロ

淡路島道路元標蒐集サイク

今月一杯で廃止される泉佐野と津名を結ぶ「南海淡路ライン」を利用して淡路島の’道路元標’蒐集に行ってきました。 「南海淡路ライン」が廃止されると淡路島へ渡るフェリーは明石からの「たこフェリー」だけになってしまい、四国側からも鳴門橋は自転車は渡れないのでサイクリストにとって淡路島南部は非常にアクセスしずらい地域になってしまうのです。
もちろん航送料金\700を払えば自転車もそのまま載せられるのですが、折角のPacficですから輪行状態にして乗り込みます。 それにこの時期車と一緒に外で乗船まで並ばされるのもたまりませんしねぇ(^_^;) 終夜で10便(平日)が運行されていて、泉佐野0820発の下り3便に乗りましたが車なしでの乗船は私一人でした、船内でNHK朝の連ドラ「芋だこなんきん」も見たし1時間半の船旅ものんびりして良いものです。

津名から<469>上内膳津名線で山間部へ入り’道路元標’を辿りながらR28旧道で福良まで南下、海沿いの<25>南淡西淡線を走らず、山越えルートで西淡町へ入ったので折角ここまで来て鳴門橋も見ず仕舞です。
←旧西淡町(現南あわじ市)にて、冬晴れの暖かい日ですがさすがに海沿いは風が...

再び内陸部に入り<66>津名五色三原線へ向かいます、田園風景の中の場違いに立派なを道路をおはあちゃんの運転する白菜を満載した運搬車???が2サイクルのエンジン音を響かせながらが...のどかなもんです(^_^)

藤原勝永著「兵庫県の道路元標」によると淡路島の津名郡、三原郡には15基の’大正道路元標’の現存が確認されていましたが、賀集村道路元標が撤去されていて行方知れずになっていたものの今日は8基をGETできましたが、南岸の内灘村と離島の沼島村が残ってしまったのが...車に乗らない身にはいよいよ日帰りでは行けなくなります。

ちょっとお出かけ(^_^)

しかし今朝は寒かったですね、奈良の最低気温は3℃をきっていたとか... 午後、香芝市まで所用があったので、天気も良い事だしついでに道路元標と県道ヘキサ探索に行ってきました。 行方知れずだった下田村道路元標、たまたま市役所の人がいたので訊ねたら公民館に移設したとの事\(^_^)/ その後王寺町から斑鳩町と北上し大和郡山市小泉町で片桐村道路元標をゲット、このまま富雄川沿いに北上すれば富雄村道路元標があるはずなのですが、明るいうちに桜井へ戻れなくなりそうなので、今日はここいらで引き返す事に。 未拾の奈良県道ヘキサを6個ゲット、残念ながら<156>王寺停車場線は設置されていないのか見つかりませんでした。 奈良西の京自転車道にて、ランドナーが1台走ってました。 なおここは自転車道が県道166号になっている様なのですが通った範囲ではヘキサはありませんでした、では車道部分は? こちら方面にはあまり来る事がないので奈良県ながら少し新鮮な道筋でした。 走行58.2キロ。

道路元標探索サイク(その3)

今日は絶好のサイクリング日和、天五さんやMikeさんやらと色々と企画がある様なのですが、仕事の都合で奈良市近辺から離れられないので、京都府南部から奈良県北部にかけてに未収の’道路元標’と’県道ヘキサ’を漁りに行く事に... 上街道を北上、天理から筒井まで西進してから奈良から木津へ、木津川自転車道や旧街道をぬって宇治から淀、八幡と走り、本日の収穫14基(^o^)/ これで計77基になりましたが、往路自走でたどり着けそうな処だけでは100基達成には届かない様です。 京都府南部では旧国道24号線、現在の府道70号上狛城陽線沿いに未知の道路元標を探索しますが今回も見つける事はできませんでした。 ←山城町域では上狛村、高麗村、棚倉村の役場跡であった事を示す標柱がありました。 これらは昭和50年頃に山城町によって建てられたものの様です。 未収の奈良県道ヘキサは4基、実は京都府道も幾つか撮っているのですが京都、滋賀とやりだすとキリがないので...(^_^;) 八幡村道路元標をGETした後、木津川自転車道へ入り流れ橋を渡り城陽市で用事を済ませてから木津川右岸を南下、8月には工事中だった区間も通れる様になっていて山城大橋まで南下し再び左岸へ渡り玉水橋へ... これから所用で’あやめ池’近辺まで行かなくてはならないので玉水橋を渡った処で地図を確認していたら、信楽?上野ツーリングから帰りの天五さんとばったり遭遇します、これから御幸橋をまわって大阪まで帰るそうで170キロ越えにはなる様で、しかしタフですわ(^o^) 木津川自転車道を離れ祝園?山田川?登美丘と走りあやめ池へ、用事を済ませ’ちゃんこ鍋’を頂いてから帰途に、輪行袋も携行していたのですが月も明るい事ですし夜道を走って桜井へ帰り着いたのは23時前でした(^_^;) 本日の走行152.1キロ。