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18きっぷ輪行の旅(2016夏 2日目)

JR飯田線 天竜峡駅にて 

 

 昨夜はぐっすり休む事ができた様で、まだ暗いうちですが自然に目が覚めました、明るくなった頃6時には出発するつもりで準備を整えます。今日は概ね三州街道(R153)に沿って6基の道路元標を巡りながら愛知県豊田市の猿投(さなげ)駅までの120キロ余りを走り抜ける予定です。獲得標高は1,200m近く、ゴールの猿投駅から桜井へ名鉄~近鉄経由で帰るタイムリミットは1945(近鉄特急利用なら2015)、輪行支度を考えると19時には着かなくてはなりません。まぁ明るい内を走ってられると云う事になるのですが、コースと私の脚力を考えると結構厳しいものです。
 
 表は曇り空、天気予報からして朝の内だけかなと思っていると、走っている内に少しパラパラとやってきます。 伊賀良村道路元標、山本村道路元標と行き過ぎたりとかでちょっと手こずります、些か勘が鈍ったかな。この先峠に入ってしまうと、コンビニとかはないので携行食の補給にコンビニヘ、イートインコーナーがあったのでちょっとコーヒーブレイク。
 
 下伊那郡3つ目の会地(おうち)村道路元標にて、現在の阿智(あち)村の中心部にあたります。これから冶部坂峠に向って標高差700m程の登りとなりますが、やはり空模様は思わしくありません、念のために雨雲レーダーを検索してみると。 
 
 これはいけません、このまま行くと冶部坂峠の区間で降られる事は眼に見えています。もちろん雨具の準備はありますし、雨雲は東に流れて行く予測ですから、これさえかわせれば後は大丈夫そうなのですが、途中で雨宿りしている時間的余裕はありません。それに冶部坂峠は前後に寒原峠と赤坂峠と云う峠があって、冶部坂峠との標高差にプラスαがある訳です、多少旧道はあるもののトラックの多いR153、飛沫をかけられながら走るのは覚悟の上としても、見通しの悪くなった山中の国道を走るのは如何なものか、それに昨夕どうやらグローブを失くした様です。 撤退するとすれば飯田線沿線から輪行で帰途に就くしかありませんが、調べてみると天竜峡駅1250発豊橋行きがタイムリミットとなります、ここで進んでしまうと後は愛知県側へ走る抜けるしか方法はありません。この先予定している3基の道路元標を取りこぼすのは惜しいですが、そこは転んでもタダでは起きられないと云う事で、今回は予定に入れられなかった天竜川左岸の龍江村道路元標を回ってから天竜峡駅へ向っても良いかと、それに帰途に名鉄~近鉄ではなく「18きっぷ」を使う事になりますが、今の予報では次に「18きっぷ」を使う予定の30日は天気が思わしくないので帳尻は合いそうです。と云う訳で今回は大人の決断でここで撤収する事にしました。考えてみれば昨日「きしめん」を食べたいだけの理由で南木曽へ廻り、大平街道と云う充実したツーリングが出来た事ですし、今回はこれで良しとしましょう。しかし昨日先に天竜峡に行っていたら最低の1泊2日になっていた訳でした。
 
 飯田線沿線に戻るのがアップダウンの多いルートになり閉口させられます、一度天竜峡駅に戻って姑射橋で天竜川を渡るのが最短になるのですが、そちらからでは激坂があるので、少し遠回りにはなりますが時又の天竜橋で天竜川を渡り対岸へ。伊那谷は全体的には穏やかな地形に見えますが、天竜川の河岸段丘に流れ込む多くの支流が侵食した田切地形を成していて細かな起伏が多いのです。地図で飯田線の線形を見ていただけると納得できるかと。さて最近になって現存が確認された龍江村道路元標は龍江小学校の前の元は役場があったという場所の一角にありました。
 

 

 
 龍江村を終え天竜峡駅へ向いますが一旦おさまっていた雨が、再び降りだしてきます。一度天竜峡駅に行きますが、1250にはまだまだ時間があります、付近は天竜峡の温泉街、着替えもある事ですし日帰り温泉にでも入って帰りたい処なんですが、午前中にやっている処はなさそうですので「りんご足湯」と云う足湯へ行きます。成る程ゆず湯ならぬりんごが浮いています。 足湯ではありますが、協力金として100円を箱に入れる様になっています。天竜川を挟んで駅に停まっている飯田線の車両が見えるロケーションです。
 
 時間の余裕もある事ですし、ゆっくりとしっかりと輪行支度を整えます、キャラダイスの横長のサドルバッグが邪魔をして、本来のヘッド抜き輪行の様にスマートには収まりませんが、充分に顰蹙を買わないサイズに収まります、重たいのは仕方がないですが。天竜峡駅1250発の豊橋行きに乗車、桜井までほぼ9時間の旅程ですが乗車時間の半分はこの飯田線で、偉大なるローカル線の鉄旅を辟易する程堪能します。既に飯田線は完乗していますが、全線を通しで乗った事はさすがにありません。豊橋駅1616着、大垣行き特別快速に乗り換えて名古屋へ、帰りも再びホームできしめんを頂いてから関西本線へ、その後は亀山、加茂、奈良と乗り継いで2149桜井に無事帰投しました。
 本来はタイトルは「道路元標蒐集サイク」となるはずだったのですが、走っている時間より輪行している時間の方が長かった様な、したがって「18きっぷ輪行の旅」と、しかし2日目はともかくとして記憶に残るツーリングとなりました、取りこぼした分は近い内にリベンジを。 本日の走行33.1キロ、どうやら今月1,000キロ超は難しそうです。
 
天竜峡1250→1616豊橋1621→1712名古屋1740→1856亀山1926→2045加茂2049→2106奈良2119→2149桜井 5,940円分乗車
 
【1047】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 伊賀良村(現 飯田市)
【1048】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 山本村(現 飯田市)
【1049】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 会地村(現 阿智村)
【1050】 2016/8/27 長野県 下伊那郡 龍江村(現 飯田市)
 

 

道路元標蒐集サイク(2016夏)

播但線新井(にい)駅にて
 駒ヶ根~猿投ツーリングとかの計画で買った「18きっぷ」他、なんやかやで使えず仕舞い、近鉄の株主優待券は良しとしても、期限は9/10までです。 何となく本調子でもないのですが、「延陽伯」号を担いで、幾つか取りこぼしのある兵庫県の道路元標蒐集に出掛ける事にしました。
 
 例によって未明にJR奈良駅まで自走です。 桜井を3時25分に出て奈良駅4時28分着。 ここまで20.65km 19.8km/h 37.9km/h 1h02m38s って停まったのは天理市丹波市のR25の信号だけだったりして。 余裕で奈良0522発の京都行きに乗車します。 京都、福知山と乗り継いで山陰本線の八鹿駅0946着。 奈良まで未明に20キロ余りを自走するのは大変ですが、たとえ大阪鶴橋まで近鉄を利用したところで八鹿着は11時を回ってしまいます。京都駅での奈良線ホームから山陰本線ホームへの乗換えは大変なのですが、休日の朝6時台と云う事で比較的スムーズに動けました。山陰本線の園部以遠行きは後ろより何両かが園部で切り離しとなりますので、要注意です。
 
 山陰本線八鹿駅、「延陽伯」号はヘッド抜きと分割式マッドガードでコンパクトに輪行できるのは良いのですが、しかし夏の輪行は大変、走るよりこの作業で汗だくになってしまいます。 
 
 さて出発準備ができた処で十数キロ先の建屋村道路元標を目指しますが、まずは道の駅「但馬楽座」で補給です、ここの道の駅内にローソンがありイートインコーナーもありました。道の駅からは川沿いを行きます、川面を渡ってくる風が心地良いのですが、とにかく陽射しが暑い、そして夏の雲。
 
 
 建屋からは県道70号で八代峠を朝来市へ越えます。 旧道も残っている様ですが八代坂トンネルが開通しています。 トンネルの中は最高に涼しいのですが。
 
 下る途中に天然記念物「八代の大ケヤキ」と云うのがありましたので立ち寄ってみます。案内によりますと、高さ30m、幹廻り9.8m、樹齢千数百年とあります。
 
 
 播但線で見かけた「天空の城 竹田城跡」のラッピング車両。
 
 
 
 
 
 播但線新井駅から姫路市の京口駅まで輪行する事にします。 何度も輪行支度するのは大変ですが、さすがにこの炎天下、生野峠を越えて姫路まで走って行く様なマネはできません。
 
 京口駅1555着、そそくさと輪行支度を解き、市川を渡って花田村道路元標へ。藤原勝永著「兵庫県の道路元標」で不明となっていて、最近所在が確認されたものです。住宅街の中の小さな公園の植え込みに再建されています。花田村は昭和32年10月に姫路市に編入、かつてここに一つの村があったとは思えない静かな住宅地の一角になっています。
 
 姫路モノレールの大将軍駅跡の高尾アパートが年内にも解体されると云う事で、最後に見ておこうかとも思ったのですが、この後加古川まで移動したかったので諦める事に。加古川までは勘だけを頼りに旧街道をたどって行きます。
 
 加古川へ来たかったのは、今なお「シルク号」の看板を掲げているレトロな自転車屋さん。もう事実上は営業できてない様な感じなんですが、店の前の国道2号線に「延陽伯」号を置いて記念写真を。
 
 加古川駅前にて、晩御飯を食べ珍しくビールなんぞを頂いて、ここから輪行で帰途に就きました。走行距離は奈良駅への自走を含めても70キロばかり、コース的に大した坂があった訳でもありませんが結構疲れました、実は三脚も積んで「自撮り」の準備もしてきているのですが、出番はありませんでした。遠くへ出掛けるのは「18きっぷ」のシーズンだけですが、夏のシーズンは走るのも輪行するのもちょっと大変ですね、さて後4回分どうしよう。
 
奈良→京都→福知山→八鹿 3,670円
新井→京口 970円
加古川→大阪→王寺→桜井 2,270円 計6,910円分乗車
 
【1045】 2016/8/21 兵庫県 養父郡 建屋村(現 養父市)
【1046】 2016/8/21 兵庫県 飾磨郡 花田村(現 姫路市)

25年ぶりの武木小川林道

武木小川林道白屋越
 
 ブログにも書きましたが、一昨日アルバムを整理していて見つけた古い写真、25年前になる1991年8月に東吉野村と川上村の間にある武木小川林道へ行った時のものです。 いわゆる足ノ郷越で、グランフォンド吉野のスーパーロングコースに設定されているので、走られた方も少なくないと思いますが、当時は知る人ぞ知るダート林道。前日に名阪小倉界隈で行なわれたマウンテンバイクのレースを覗いた後、室生から染谷峠を越えて東吉野でキャンプをして翌朝から越えたのです。以来何度も近くを通っているのですが、25年もの間踏み込む事はありませんでした。
 ところで長らく所在不明になっていた川上村道路元標が川上村役場前に保存されている事を先日知ったのですが、最近少々熱が醒めている事もありますが、大滝ダム横の坂とトンネルを越えて往復するのも、いずれ熊野方面に向う時に立ち寄ろうかと思っていた処、武木小川林道で大滝ダムの向こう側へ越えれば、R169は下るだけで帰って来れます。タイミング良く今日の予定が一日繰り延べになった事だし、お天気も良いので、早速「四半世紀の時」を超えて飛び出す事にしたのです。 ちなみに下の地図は当時使っていた1/2.5万図、吉野大峯林道も五番関トンネルもありません。せっかくですので、当時の写真とこの地形図も持って行く事にしました。
 明日香村から芋峠を越えて、河原屋のローソンでお昼を仕入れて、いつもの吉野川~高見川遡上ルートで東吉野村へ向います。 余談ですが相変わらず「ならクルT-1大和青垣ルート」の標識は距離が間違ったままです。 
 月一でやってくる東吉野村ですが、今月は「月うさぎキャンプ」があった事で3回目になります。四季折々の魅力がありますが、新緑が眩しく川面にカジカガエルの声が響くこの季節が一番好きですね。 
 いつもの様に「ニホンオオカミ像」の前で一息入れて、小川から小(おむら)までは左岸を行き、今日は丹生川上神社中社に立ち寄ります。ちなみに川上村にあるのが上社、下市町にあるのが下社です、下市町と云っても広橋峠の南側ですから、殆ど黒滝村なんですが。高原洞川林道が通れたら三社巡りなんて周回コースが組めて愉しそうなんですが、かなり健脚向きではありますが。 
 10時半過ぎに林道へ取り付きます。 R169に入る武光(ぶこう)橋まで約15キロ、ピークまで標高差700m程あります。 取り付きからインナーロー、「天然わらび園」への分岐を過ぎた辺りまで、停まってしまうと再び走り出せなくなる様な坂が続きますので、ひたすら漕ぎ上げるだけです。 
 25年も経っていると記憶は殆どありません、それに植生の成長で風景も変わっています。適当な処で2,3度休憩しながら1時間程でようやく稜線に取り付きます、以前はここから西側の展望が開けていたと思うのですが。 
 丁度12時に白屋越に到着、武木小川林道は稜線に沿って走っているので、途中で東の川(うのかわ)越、白屋越と云った古道の峠と交差しています。白屋越は天誅義士所縁の地でもある様です。 
 白屋越から足ノ郷越にかけて、25年前との比較です。
 
 12時半過ぎにようやく標高980mの足ノ郷越に到着。「足ノ郷峠 川上街道」と由緒を紹介した立派な案内板が建っています、もちろん25年前にはありませんでした、街道として紹介されていますが、ここまで出遭ったのは野生の鹿と山仕事の軽トラ2台だけです。 
 峠を越えると武光橋まで延々と下りが続きます。 新旧比較、断崖が木々に覆われていますが。雰囲気はあまり変わらないです。斜度は東吉野側よりこちらの方が遊びがなくキツい様な、今年のグランフォンドは逆周りでこちら側から登るとか、ご苦労な事です。 
 この場所で「自撮り」をしようかと準備をしてきたのですが、見つけられなかったと云うか、それらしき場所はあったのですが、谷側の木が成長していて風景が一変していた様な。 山岳林道らしい風景が良かったのですが、残念。 

 武木の集落を抜けて1時過ぎに武光橋まで下りてきました。 武光橋はダム建設で架け替えられていて、昔の武光橋(写真右)を黄色い丸で示した位置から撮ったものです。ところで湖面を回廊の様に巡っているのはダム湖に沈んだ旧R169なのです。 現在の武光橋から見下ろすとこんな感じです、R169を走る事はあっても新しい武光橋や対岸から見る事がなかったので、今まで気が付かなかったのですが、走れるものなら走ってみたいロケーションですね、当然「自撮り」も。しかし前後で冠水していますし、今では進入路もない様です。既に道路としては破棄されている訳ですから、年数を考えると仮に下に降りる事ができても、かなり危険な状態になっているでしょうね、しかし残念。
 少しR169を走って道の駅「吉野路杉の湯川上」へ、武木小川林道では何やら虫が多くて、落ち着ける場所がなかったので、用意してきたお昼をやっと頂く事が、既に2時を回っているのですが、今日の本来の目的だった川上村道路元標、所在の見当ほぼついているので慌てる必要もないのです。ここの道路元標の経緯については、9年前の2007年6月25日付けのブログ「川上村道路元標は何処へ」に記してあるのですが、丹生川上神社上社にないと云う事は、移設されないまま湖底に沈んでしまったのか、神社以外の移転場所を考えれば村役場か資料館の類となるので、気を付けてはいたのですが。元標の周りの土が新しい事から、どうやら最近になって再建された様です。無事に現存を確認し1,044基目の道路元標となりました。
 本日の予定をこなし、R169から<39>五條吉野線と走り、いつもなら椿橋から壷阪峠で帰るのですが、時間もありますし少々マンネリ気味ですので、千石橋を渡り近鉄下市口駅の裏を通って車坂峠から吉野口駅経由で帰途に就きました。 本日の走行117.5キロ。

 

平福宿から「片鉄ロマン街道」へ

杉坂峠にて

 「18きっぷ」消化サイクの最後は「片鉄ロマン街道」に行く事にしました、云わずと知れた片上鉄道廃線跡を利用した自転車道なのですが、いままで訪れる機会に恵まれなかったのです。山陽本線の和気からスタートすると片道30キロ程の行程で、それだけでは面白くないので、姫新線の播磨徳久まで行って、未収の佐用郡中安村道路元標と因幡(智頭)街道の平福宿に寄ってから「ロマン街道」は片道だけ走って帰って来ようと考えてみました。

 さて播磨徳久駅まではJR桜井駅から始発で輪行すると接続が悪く、所要時間4時間59分で1051着となってしまい、ぐずぐずしているとスタートがお昼になってしまいます。そこで未明にJR奈良駅までの20キロ余りを自走して0450発に乗車し播磨徳久を目指す事にしました、それなら所要時間は4時間24分、0914には到着できます。大阪鶴橋まで近鉄を利用してもこの時間には辿り着けません。 

 写真左は大阪駅、写真右は姫路駅、姫新線に乗るのは随分久しぶりですが、キハ127と云う見慣れぬ新型車両、ディーゼル車なのですが最近は電車みたいなディーゼル車車が増えましたね。
 
 播磨徳久駅、早速輪行支度を解いて出発準備OKなのですが… 
 
 
 
 
 うちのHPに「懐かしの鉄道写真集」と云うコンテンツがあるのですが、その中の姫新線の一枚の写真(左)、三日月駅としてあるのですが、どうも違う様なのです、どちらかと云うとここ播磨徳久駅の佐用側の様な気もするのです(右)。
 
 さて中安村道路元標ですが、播磨徳久駅の南側の山の上、元々公民館だった場所にある様なのですが、藤原勝永著「兵庫県の道路元標」と国道901号さんの「道路元標が行く」には記載はあるものの、その他の情報がありません。公民館は現在では社会福祉法人「はなさきむら」と云う授産施設となっていて、駐車場まで行ってちょっと見渡した処では見つかりません、とにかく施設の構内なので了解を貰おうと建物への坂を登って行くとありましたネェ、らしきものが斜面の途中の段になった処に草に埋もれて、もう見つけられたのは長年の勘と云うか臭覚と云うか。幸いうつ伏せにはなってはいなかったので間違いなく「中安村道路元標」だと確認できました、でないと足元の悪いこの場所で道路元標を転がすのは至難の業です。これで1,043基目となりました。
 
 駅近くまで戻ると次の下り列車のやって来る時間です、せっかくですので狙ってみる事に、そこは自転車の機動力、到着するのと出発するのを違うポイントが狙えました。
 
 現在では同じ佐用町ですが佐用坂と云う小さな峠を越えて平福へ、ここにも平福村道路元標があるのですが、前に訪れた2007年には平福郷土館の中庭に保存されていて、休館のために塀越しに写真を撮ったのですが、今回は開いているだろうと訪れてみると、開館はしていたものの前の場所にありません、尋ねてみると元あった現在の郵便局の前に移設したと教えて頂きました。 さっそく郵便局に向かうと無事に鎮座したました。
 
 平福の街を少し散策します、なかなか見どころの多い処なんですが、なんと「自撮り」用の外部タイマーを忘れてきたのです、それがなければ長時間のタイマー撮影ができません。
 
 せっかくですので標準のセルフタイマーを使ってピンポンダッシュするしかありません、まぁ昔はそれで「自撮り」していたのですからね。Uターンして戻ってくるシーンは無理ですが、近距離の後ろ姿なら数テイク撮れば、どうにかなります。
 
 平福で長居をしてしまいようやく13時過ぎに出発、佐用駅近くまで南下し中国自動車道に沿って走る県道153号へ、自動車道があるのと、南側のR179がメインルートになるのでこの県道は比較的空いていてなかなか走り良いです。写真は佐用町幕山、大河内の一本桜と案内が立っています。茅葺の立派な家が、まるで絵に描いた様な日本の風景です。
 
 県道は自動車道のトンネルの上の峠を越えます、出雲街道杉坂峠です。峠の桜が時折吹く風に花びらを散らせます。 ここから「片鉄ロマン街道」の終点吉ヶ原駅までまだ20数キロ走らなくてはならず時間も押していますが、このシチエーションを見過ごす訳には。しかし散る桜を絵にするのはなかなか難しいものです、後から動画で撮れば良かったかなと、G1と違ってG2は動画が使えるのですが、実は今まで一度も使った事がないのです。
 
 途中からR179へ入り、林野の手前から旧道に入ってR374に入る事なく県道を継いで吉野川右岸から吉井川左岸へと入れたので、初めて辿るコースでしたが、車と信号の少ない快適な道を走り、16時過ぎに片上鉄道の旧吉ヶ原駅に着く事ができました。
 
 平福に続いて吉ヶ原でものんびりし過ぎて、もう「片鉄ロマン街道」は和気まで走る抜けるのが精一杯の時間になってしまい、その上「片鉄ロマン街道」に関しては自転車道だから行けば判るだろうと何の下調べもしていなかったので、途中で道を間違える始末。一応は桜の花びらが敷き詰められた苦木駅で写真を撮りはしたものの、下り基調の道を突っ走って真っ暗になる直前に和気駅に辿り着くことができました。
 
 さて帰りの電車の時刻を調べると、既に「18きっぷ」のままJRで桜井まで辿り着ける時間は過ぎています。 播州赤穂あたりと同じ感覚でいたのですが、乗換時間や運行本数の違いでかなり違ってくる様です、とは云っても鶴橋から近鉄利用や高田から10キロ程自走するなら十分に余裕のある時間です。いずれにせよ帰宅は遅くなるのでコンビニで補給後、輪行支度を済ませ1947発に乗車、無事に帰途に就く事ができました。「片鉄ロマン街道」は走り抜けるだけになってしまいましたが、幾つか「自撮り」ポイントの目星を付けておきましたし、次の機会への愉しみとしておきます。
奈良までの自走を含めて本日の走行113.5キロ。 「18きっぷ」5,940円分乗車。
 

 

奥三河サイク (2日目)

愛知県新城市 四谷の千枚田にて
 
豊橋駅0600発の飯田線始発天竜峡行きに乗車、昨日と同じく本長篠駅からのスタートです。  
 
 
 本長篠駅0655着、そそくさと輪行支度を解き、まずは昨日と同じ内金トンネルへ急ぎます、今日は土曜日ですので見物客が来ないうちが勝負、また昨日は午後でしたが反対の朝の陽射しを狙ってみる事に。少し風があるので時折満開の河津桜を散らせます。 桜散る風景はskuram氏~santaさんコンビの名作がありますね、なかなか静止画では難しいシチエーションです。 
 やはり8時前には見物客が、エンジン音を轟かせてやってきたのは何とロータスヨーロッパ、40年ものですよね、うちの「延陽伯」号より10年は古い、昔友人が乗ってましたがトラブルが多くて、そんな車を今も走らせてるって凄いと云うか。そろそろ「自撮り」も難しくなってきましたし、それに今日は「自撮り」「廃線跡」「道路元標」と課題が多くてゆっくりもしてられません。 
 園村道路元標まで視野に入れるとあまり余裕もないのですが、せっかくですから廃線跡もチェック。写真右は玖老勢駅跡だとか、廃線跡に関してはこちらのサイトが詳しいです、豊橋鉄道田口線の概要に関してはウィキのパクリ臭いですが、現地調査は参考になります。
 近くに鳳来寺村道路元標が移転保存されています、2010年3月26日に履修済ですが表敬訪問を。
 
 
 
 副川作り道と云う処で廃線跡は県道と別れて対岸へ、市道として供用されています。 断崖に掘られたトンネルと対岸の風景が一幅の絵の様です。ここで「自撮り」とも考えたのですが、明暗差が大きすぎるのと、断崖が高すぎて収まらないのと、普通の高さではガードレールに対岸の風景が遮られてしまうのです、この写真は手を伸ばして精一杯の高さから縦方向のパノラマ撮影をしています。 
 ちょっと良さげな「自撮り」ポイントを見つけたので停止、最近は上から見下ろせて、ガードレールも猪垣もない場所って貴重なんですよ、奈良県に比べると獣害は少ないのでしょうかね。 
 県道32号長篠東栄線と別れて県道389号富栄設楽線となり稲目トンネルへ、立派な2車線のトンネルですが、廃線のトンネルを拡げたとか。 ここで本長篠から豊川の支流海老川を遡ってきた田口線は豊川沿いに入り国道257号となります。 
 廃線跡は清崎で現在の設楽町の中心部である田口へ登って行く国道と別れ豊川沿いの谷間いを遡って行きまする、こちらも町道として供用されているのですが、これより上流には現在設楽ダムの建設が決まっていて、この廃線跡も湖底に沈んでしまう様です、地質調査が行なわれていて、この廃線跡の町道を辿る事ができなくなるのも時間の問題でしょう。 写真右下が田口鉄道の終点三河田口駅跡、何も無い山合いの広場です、旧田口町の中心部との標高差が100m以上もあった事と、鉄道建設の目的であった木材搬出のためにこちらのルートになった様でですが、それが旅客輸送にはマイナスとなって、結果的に廃線に結びついたと云う事らしいのです。 と云う訳でここまでは大した坂もないルートを辿ってきた訳なのですが、お陰でここから一気に九十九折れの道で高度を稼がされる事に。 
 1042基目となる北設楽郡田口町道路元標を履修後、真新しい岩子谷トンネルをくぐります、このトンネルでかつての峠道は片峠となってしまった様です。 設楽町神田(かだ)、時刻は12時半。 ここで園村道路元標に向うか本長篠へ戻るか思案のしどころです。 単純に標高差は200mなのですが、事前にプロファイリングをして来ていないので所要時間が全く読めません、飯田線東栄駅まで下って輪行するとしても、そうなると東栄駅1549発が18きっぷで帰るタイムリミットとなります。 コンビニおにぎりをかじりながら暫し作戦タイム。 園村は田口町とセットで考えていただけにここまで来て取りこぼすのは痛いのですが、どうにも計算ができないのと、ここから峠を越えてFaceBookのお友達がお奨めの四谷の千枚田や梅の里「川売(かおれ)」とやらにも寄ってみたいしと… 
 設楽町田代にて、路傍の石仏と白梅。 
 
 
 
 
 
 結局は安全策を採って仏坂トンネルを越えて新城市側へ戻る事にしました。奥三河の山深い園村へは次回の愉しみと云う事に。 
 仏坂トンネルを抜けると明るい林の中を下る快適なコースです、逆から来るとかなり登り堪えがありそうです。  
 
 
 四谷の千枚田にやってきました、なかなかのロケーションです。 かなり遠いですが「自撮り」にトライ、カメラをセットして3分のタイマーをかけて下ります。 結構な激坂なので自転車は置いてカメラを取りに戻る事にします、一発勝負ですから時間合わせとコース取りは念入りに。
 
 棚田の中を下って行く途中でもう一発、そんなこんなでそろそろ時間も押してきました。
 
 
  
 下の県道から見上げた「四谷の千枚田」です。 棚田全体の標高差は丸山千枚田以上かも知れませんね。
 
 
 
 もうひとつの川売と云う処は見つけられずに下ってしまい帰途に、朝通ったばかりの道なのに、浜松と云う標識に惑わされて本長篠駅へ戻るつもりが大海駅へ、結果的にはこちらの方が楽だった様なのですが、大海1628発で無事に帰途に就く事ができました。
 今回はヘッドパーツを忘れると云うアクシデントのお陰で期せずして1泊2日となりましが、非常に収穫のあった2日目を過ごす事ができました。しかし1月の「せとうちツーリング」では網棚にヒップバッグを忘れるはと、危ないお年頃でしょうか。
 
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「自撮り」ポタへ

 「山の辺の道」にて
 
 今日は11時近くなってから、昨日目を付けておいた「自撮り」ポイントへ向う事にしました。 「山の辺の道」はルートによっては担がなければならない処があるので、重いasuka号ではなく延陽伯号で出掛ける事にしたのですが、サドルバッグを交換するのが邪魔臭かったので、今日はNorthTAKEのキャメルバッグ用と思われるバッグに三脚を入れて担いで行く事にしました。
 
 昨日は落日の写真を撮っていて遅くなって上街道で帰ってきたので、今日は大神神社から狭井神社への山道を走ってから茅原へ下る事に、昔マウンテンバイクで良く行ったり来たりした道です。 「山の辺の道」のメインルートから離れますが、大神神社の鳥居や畝傍山、耳成山が見える良く知られたポイントです。
 
 茅原の吉野川分水沿いの梅が綺麗だったので寄り道。
 
 天理市域へ入り、ようやく目的のポイントへやってきました。 少しずつ場所を変えながら数テイクを撮っていて、気が付いたら2時を回っていました。
 
 お昼の用意もなにもせずに出てきたので、国道沿いのサークルKまで下って買出しをして再び戻ってきました。 景行天皇陵を見下ろす高台、見晴らしは良いのですが、陽射しこそ暖かいのものの、風が強くて冷たいのでじっとしていると結構冷えてきます。
 
 距離にすると幾らも走っていないのですが、これ以上は北上せず帰途に就く事に。
 
 帰りは桧原神社を回って帰ってきましたが、本日の走行距離19.2キロ、24×1の「延陽伯」では無理もできないので、山道や石畳は押していたので平均時速はなんと10.3キロ、真性ポタの一日でした。
 
 
 

道路元標蒐集サイクへ(静岡~愛知編2日目)

 国道301号線から新城市街を望む。

 

 今日は三河安城をスタートし愛知県額田郡岩津村、東加茂郡松平村、下山村、南設楽郡作手村と4基の道路元標を巡る85キロ程のルートを走る事にします。道路元標蒐集の旅では昔から東横インを良く使っているのですが、最近は特に安いとも思えないのですが、メンバーになっていると割引とか10泊で1泊無料とかの特典もありますし、昔からLANとかランドリーとかサービスが均質で整っているので重宝しています。無料の朝食サービスは早駈けの私には時間が勿体無いので、あまり利用しないのですが、三河安城は6時半からになっていて、今の時期明るくなるのは7時頃なので、珍しく頂く事にしました。ここは企業それも工場関係が多く、観光客も少ない土地なので客層に応じた計らいなのでしょうね。朝からちょっと食べ過ぎたかな。
 
 三河安城から最初の目的地の岩津村まではコースが悩ましいところだったのですが、豊橋市在住のFBの友達Sさんから自転車道がある事を教えて貰い、途中まで利用する事にしました。自転車道は明治用水に沿って走り、途中には三連水車と云うのがあり公園が整備されています。お天気は最高、三連水車が朝日に輝いています。 ところでそのSさんから途中で迎撃下さるとの事、いずれにせよ矢作川を渡るには天神橋しかなさそうですので、その辺りになるでしょうが、FBのメッセージで現在位置を知らせながら自転車道を行きます。
 
 案の定Sさんは天神橋西詰で待ってくれはりましたが、5時に豊橋を出られたそうです、有難うございます。寄寓にも今日の愛車はKHS F-20R、うちのF-20Sは最近出番がありませんが。雑談をしながら岩津村道路元標へ、右の写真はSさんから頂きました。
 
 Sさんとお別れした後、2つ目の目的地松平村へ向いますが、どうも場所が特定できません、怪訝に思って穴蔵さんと国道901号さんのサイトを確認しますが、風景がまるで変わっています、隣にあった公衆電話ボックスは勿論、建っていた酒屋さんもありません。近くにおられたご近所と思しき方に尋ねてみると道路拡幅のために酒屋さんは移転されたとの由、しかし道路元標についてはご存知ではなかった様です、先が長いので深追いせずに次の目的地に向う事にしたのですが。
 
 岩津村から松平村と走ってきた県道39号岡崎足助線を何の疑いもなくそのまま走り足助の街中へ入ってしまいます、次の目的地は下山村道路元標なのですが、足助のど真ん中なのになぜ下山村なのかと怪訝に思いながら、GPSマップに登録されている場所にたどり着くとそこにあったのは下山村ではなく足助町道路元標だったのですが、写真を撮りながらそれでも気が付きません。
 
 後は作手村だけ、逆算すろと距離的にも時間的にも余裕があるので、足助の街並みを歩き。お参りすると一生食いっぱぐれしないと云われる「お釜稲荷」を覗いたり、適当な店があればここでお昼にしようかと考えていて、ふと先の道路元標が下山村ではない事にやっと気が就きます。松平村でGPS上の未収の赤いマーカーだけを見ていて、東の下山村に向わずに10キロ以上も北へ行った足助町に来てしまったのです。足助町も未収には違いないのですが、いつか飯田から三州街道を走り抜けてその折に立ち寄ろうと考えていて、今回は予定に入れてなかったのです。もとより「延陽伯」号で標高500mまで上がる85キロ程のコースを9時間で走らなければならないので無理はあります、そこに10数キロは遠回りをしてしまった訳です、開き直ってレトロなカフェで白玉ぜんざいを戴きながら、さて善後策は…
 
 結局はR420から県道362号大沼足助線を取り下山村へ向う事にしました、長年の感で自転車にとっては一番良いルートに思えたからです。巴川に沿って穏やかに登って行く道筋で、県道に入ってから出遭った車は数台、ツーリング車向きの鄙びた道を満喫する事ができました、松平から下山へ真っ直ぐR301を走る事を思うと交通量、斜度を考えると、時間的な事を除けば川沿いに遡上するこのルートはまんざらでもなかった様です。下山村道路元標を経て本来のルートのR301に入って最後の作手村道路元標へ着いたのが1420、18きっぷのまま桜井へ帰ろうとすると飯田線の新城駅が1707発、となると16時過ぎには新城市街へ越えなければなりません。距離は18キロですがピークの本宮山スカイラインの入り口までどれ程登らなければならないのか情報不足なのが。
 
 結局は大した登りもなくアウターのままで15時にはスカイライン入り口に着いてしまったのです。さすがに「自撮り」の余裕こそありませんが、写真を撮ったりしながら標高差400mの激坂を下って15時半には新城駅に着いてしまいました。
 

 結局は1707発までは余裕たっぷり、さすがに1542発、1612発はともかく、1本早い1639発で帰途に就く事にしました。 新城駅にはおあつらえ向きのスペースがありましたので、のんびりとしっかり輪行支度を整えます。

 新城1707発のスジでは名古屋7分、亀山2分、いずれも階段がと輪行袋を担いでではかなりタイトな乗換えだったのですが、亀山で追い付かれるので桜井への到着は同じになりますが、全線ゆっくり座って帰ってくる事ができました。写真は亀山駅構内と関西本線キハ120車内。昨日今日とアクシデント続きの1泊2日、行方知れずの松平村道路元標は残念ですが、足助町道路元標と飯田街道の街並みも巡る事ができて満足の一日でした。 本日の走行96.6キロ、今月も無事11ヶ月連続となる1,000キロを超えました。18きっぷで4,430円分乗車。
 

【1038】 2015/12/29 愛知県 額田郡 岩津村(現 豊田市)
【1039】 2015/12/29 愛知県 東加茂郡 足助町(現 豊田市)
【1040】 2015/12/29 愛知県 東加茂郡 下山村(現 豊田市)
【1041】 2015/12/29 愛知県 南設楽郡 作手村(現 新城市)

道路元標蒐集サイクへ(静岡~愛知編1日目)

大井川鉄道にて元南海21000系 

 

 金曜に続いての道路元標蒐集の旅です。 今シーズンは18きっぷを買ってしまったので、1月10日まで使い切ってしまわないといけないので、どうしてもこの期間に集中してしまうのです。 新春に終わりの2回分使う予定をしているので、今回は1泊2日で静岡~愛知方面に向う事にしました。 静岡県は道路元標の現存が殆ど確認されていない都道府県なのですが、大正14年の県の告示があったのかなかったのか、県報への記載が見つかっていない以上は偶然の発見に頼らざる得ないのです。 榛原郡の下川根村道路元標は大井川鉄道の家山駅から徒歩圏内に残っているので、わざわざ自転車を持って行くまでもないのですが、大井川鉄道で往復するにしても、18きっぷで奈良桜井から日帰りは不可能、さすがに1基だけに1泊するのは勿体無いので、JR金谷駅から往復走って、翌日は愛知県東部に取り残している幾つかの道路元標を回ってみようとプランを練ってみました。
 桜井駅出発でも12時過ぎには金屋駅に到着するのですが、陽の短い時期ですしあわ良くば大井川鉄道の写真も撮ってみたいなと思い、未明に奈良駅まで20キロ余りを自走し奈良0503発の関西本線始発に乗車し亀山経由で向う事にしました。 これなら1049に金屋に着く事ができます。
 
 ヘッド抜き輪行と分割式マッドガードの「延陽伯」号、かなりコンパクトにはなるのですが、KHSと違ってそれなりに時間が掛かりますので、余裕を見て3時過ぎに飛び出します、しかし強烈に寒いです。
 ところが2キロ程走った三輪を過ぎた処でヘッドスパナとペダルレンチがセットになったレンチを忘れた事に気が付きます。 ペダルはアーレンキーで代用できますが、「延陽伯」号のヘッドはスパナでないと回りません、これは仕方なく取りに戻るしかありません。 さて15分余り遅れて再スタート、ところが天理辺りまで来て後輪の挙動がおかしいのです、実は10月の「しまなみ~とびしま」の折にもあったのですが、後輪のスポークが緩んできているのです、以来500キロ近く走っていて心配はしていなかったのですが、やはり金曜の四国の様にそれなりの距離を結構なペースで走ると駄目な様です。 ニップル回しは携行してますが、真っ暗な夜道でそうは上手く振れ取りもできないので適当に締めて後ろのカンチを開放にして奈良駅まで残り10キロ程走ります。 そうなると0503発には厳しい時間になってしまいますが、まぁ1本遅れた処でと落ち着いて作業すると間に合うものです、無事に加茂行きに乗り込む事ができました。
 

 加茂で亀山行に乗り継ぎますが、関西線の車中の寒かった事。 名古屋では浜松行きに乗り換えますが、先行の列車が小動物との接触事故があったとかで遅れ始め蒲郡辺りでは25分遅れ、浜松では乗り継ぐ予定の興津行きはなく金谷の2つ手前の掛川行きが、2つ手前と云ってもこの間は牧の原の峠越えなんですよね、間違っても手前から走って行こうなんて。 次の興津行きを待って金谷到着は50分遅れ、それから輪行支度を解いて振れ取りをやりなおしますから、結局スタートできたのは12時を回ってしまいました。
 
 時間は押してますが折角ですから大井川鉄道の新金谷駅に立ち寄ってみます。 1983年頃と思われる「延陽伯」号と旧客がマッチしますね。 レトロな駅舎の前では、なにやら職員の方がバイクラックが組み立てていました、自転車で来られる方も多いのでしょうね。
 
 静岡在住のFBのお友達のAさんから往路は左岸路、復路は右岸路が楽そうとのアドバイスを受けていたのですが、あわよくば大井川鉄道の列車を撮れればと思い線路に沿って右岸を走る事にしました。 その時に撮った写真が最初の踏切での「自撮り」、やってきたのは10~20代を堺で暮らした私には馴染みの深かった元南海高野線の21000系でした。
 
 川沿いとは云うもののそこそこ登り下りのある国道を走って下川根道路元標の保存されている島田市役所支所前へ、目の前はもう家山駅構内です。 頭部が削られたり割れたりかなり埋まっていた様子が伺えますが、静岡県では貴重な道路元標です。
 さて本日の予定はこれで終了と云う事なのですが既に15時、今夜は三河安城駅前の東横インを予約してあるのですが、最近は賑やかになっていたのですが、三河安城駅前は以前には回りに何も無くれ不便なので、FBのお友達で安城市で洋食「国亭」をなさっているUさんのお店へ夕食に伺おうと画策していたのですが。 家山駅発は通常ダイヤでは1515と1731、1515には輪行支度が間に合いませんし、さすがに1731ではお店の営業時間内に間に合いません。 ところが今日はSL列車が運転されていて、その時刻が1542と輪行支度にもぴったりの時間です。 出札口で尋ねてみると輪行袋を担いでいても乗車可能との事、冬休みとは云え歳も押し詰まった平日ですので空いている様です。 但し自転車は有料、SL急行券と併せて1,880円はお安くないです。
 
 火の入っているSLそのものは最近では磐越西線や高崎線で見ていますが、SL列車で輪行なんで何十年ぶりでしょうね、幅が狭くてステップのある旧型客車のデッキは大変です、最後は紀勢本線でしたね牽いているのはDF50でしたが。 260円払った手回り品切符も懐かしいですし、旧客の窓越しに見える近鉄特急は往年の吉野口駅を彷彿とさせます。 乗務員のなっぱ服もSLらしくて。
 
 ところで「国亭」最寄の西岡崎まで3時間弱の輪行をするのですが、今回は後輪を外さない変則的な形に初めてトライしてみました、ヘッド抜きはしていますし24吋ですのでコンパクトで普通のロード用輪行袋に楽々収まってしまいますが、縦に自立はできませんので座れない事が前提になりますね、そのかわり作業はスピーディです。
 
 東海道本線からは安城がやや近いそうですが、夜でも道が判り易そうな西岡崎が向う事にしました、予定の19時半ぴったりに到着。 「国亭」の売りはこのオムライス、上にオムレツが載った状態で出てきます、それをナイフで表面だけ切り裂くと拡がってかぶさり、そこにデミグラスソースがかけます。 なお写真は大盛りです、私の夕食にはオムライスだけでは足らなさそうですので、野菜たっぷりスープを併せてお願いしました。
 
本日の走行奈良までの25.4キロ+34.4キロの都合58.8キロ、18きっぷで5,080円分乗車。
 

【1037】 2015/12/28 静岡県 榛原郡 下川根村(現 島田市)