狙っているアングルは同じ様な処でいずれも五十歩百歩です、しかしデジタル一眼が増えましたね...
「葛城山麓秋ポタ」へ向かう途中、桜井市と橿原市の境界辺り初瀬街道沿いにある三輪社の境内です。

葛城山麓

葛城山麓 大きな画像(1024×768)




【左上】やはり毎年こう云った組ものやストーリー性のあるものが目立ちますネ(^_^) 大きな画像(1024×768) / 【右上】「夢」=「宝くじ」ですネ 大きな画像(1024×768) / 【左下】狸のパーカッション、カブトムシのベース、猫のキーボードで演奏するトリオです。 大きな画像(1024×768) / 【右下】なかなか表情豊かです、右側のガキなんぞは目茶悪そ?っ 大きな画像(1024×768)

【左上】田舎交通「棚田」停留所 大きな画像(1024×768)
【右上】「夢」何なんでしょう
【左下】「夢うつつ」と云うより単なる酒飲みだったり
【右下】やはり案山子の手はこうでなくては

【左】 オーソドックスな案山子ですが、裾の汚れかたなんぞがリアルです。
【右】 自転車ネタにはついつい。

【左】 もう朝風峠の手前です一番最後はなかなか秀作です。
【右】 これも良くできた作品です。

【左上】写真には写っていませんが雲の上に乗っているのです / 【右上】「いなちゃんの稲バウワー」だそうです(^O^) / 【左下】出品している訳ではありません / 【右下】久しぶりに落ち着いて写真を撮っていたひとときでした(^_^) もう少し右側からボケ味を殺して撮るべきだったかな(-.-) 大きな画像(1024×768)
※ なお拡大画像は自宅サーバー停止時は参照できません。

畝傍町は昭和3年に白橿村が町制をひいて名称が変更されたものである。 従って大正の「道路法」が生きていた頃だから「畝傍町道路元標」が建てられたのだろうが、「白橿村道路元標」は現存しないのは当然なのかも知れない。 「道路元標を尋ねて」の著者上田倖弘氏の活動で現在の橿原神宮駅前に「畝傍町道路元標」が再び建つ事になったのだが...
現在は植え込みにすっぽりと覆い隠されてしまっている、元標は北側を向いているとの事であるが、西側から存在を確認できるだけで他の面は全く読めない。
戦前の橿原神宮造営で畝傍町周辺は大きく変化している、鉄道マニアには知られた話だが大規模に駅の移転や線路の付け替えも行われ、集落の集団移転などもあった。 地元のT御大には今では神域と思われている畝傍山周辺はここでは書けない様な話を聞かして貰った。
橿原神宮前の植え込みの中に放置されている謎の「橿原道路元標」、「橿原市」ではなくただの「橿原」である。 なお橿原市は昭和31年に2町4村が合併して成立している(その後2村が編入)