亀山町は昭和29年に周辺4村(井田川、昼生、川崎、野登)と合併して市制を施行、翌30年には2村(神辺、白川)の一部を編入、平成17年に関町と合併し鈴鹿郡は消滅し現在の姿になった。
道路元標はかって国道だった交差点に面した江ヶ室交番裏の駐車場奥に’明治里程標'(木製復元?)とともに建っている。
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「地域別」カテゴリーアーカイブ
淡路島道路元標蒐集サイク
今月一杯で廃止される泉佐野と津名を結ぶ「南海淡路ライン」を利用して淡路島の’道路元標’蒐集に行ってきました。 「南海淡路ライン」が廃止されると淡路島へ渡るフェリーは明石からの「たこフェリー」だけになってしまい、四国側からも鳴門橋は自転車は渡れないのでサイクリストにとって淡路島南部は非常にアクセスしずらい地域になってしまうのです。
もちろん航送料金\700を払えば自転車もそのまま載せられるのですが、折角のPacficですから輪行状態にして乗り込みます。 それにこの時期車と一緒に外で乗船まで並ばされるのもたまりませんしねぇ(^_^;) 終夜で10便(平日)が運行されていて、泉佐野0820発の下り3便に乗りましたが車なしでの乗船は私一人でした、船内でNHK朝の連ドラ「芋だこなんきん」も見たし1時間半の船旅ものんびりして良いものです。
津名から<469>上内膳津名線で山間部へ入り’道路元標’を辿りながらR28旧道で福良まで南下、海沿いの<25>南淡西淡線を走らず、山越えルートで西淡町へ入ったので折角ここまで来て鳴門橋も見ず仕舞です。
←旧西淡町(現南あわじ市)にて、冬晴れの暖かい日ですがさすがに海沿いは風が...
再び内陸部に入り<66>津名五色三原線へ向かいます、田園風景の中の場違いに立派なを道路をおはあちゃんの運転する白菜を満載した運搬車???が2サイクルのエンジン音を響かせながらが...のどかなもんです(^_^)
藤原勝永著「兵庫県の道路元標」によると淡路島の津名郡、三原郡には15基の’大正道路元標’の現存が確認されていましたが、賀集村道路元標が撤去されていて行方知れずになっていたものの今日は8基をGETできましたが、南岸の内灘村と離島の沼島村が残ってしまったのが...車に乗らない身にはいよいよ日帰りでは行けなくなります。
【105】小山田村道路元標(三重県三重郡)
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【104】水沢村道路元標(三重県三重郡)
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【103】石薬師村道路元標(三重県鈴鹿郡)
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【102】神戸町道路元標(三重県河芸郡)
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市町村の変遷 「愛知県」
今年の正月は開発案件も残ってなかったし、天気が良くても自転車で走りにでられなかったので、暇にまかせて市町村の変遷 「愛知県」版の作成に手を出したのですが、元にしているネット上の資料がまとまっていないので、なかなか進まず頓挫寸前です(^_^;) 町村制施行後の明治期の合併が錯綜していて結構ややこしいのですよ。
なお既にできている兵庫県、京都府、福井県、石川県、大阪府、奈良県、滋賀県、岐阜県、和歌山県、三重県の内、福井、石川、岐阜、大阪市部以外は’読み仮名’を併記しました。
【97】四郷村道路元標(三重県度会郡)
四郷村は昭和30年に伊勢市の前身の宇治山田市に近隣3村とともに編入され、同日宇治山田市は伊勢市と改称しほぼ現在の姿となった。
元標は三重県道<37>松阪鳥羽線沿いの伊勢市立四郷小学校前に建っている。
【98】小俣町道路元標(三重県度会郡)
小俣町は昭和3年に町制、平成17年に二見町、御薗村とともに伊勢市と合併しました。
元標は旧参宮街道沿いの小俣小学校西側に建っています。
兵庫県の道路元標
頼んでおいた本が届いた、表題の通りの兵庫県下の道路元標を著者が10年の歳月をかけて探索した資料である。 道路元標が設置されたであろう400余りの行政区を巡り217基の現存を確認し写真に収めている。 奈良版とも云える「道路元標を尋ねて -奈良県ふるさとめぐり-」(上田倖弘著 弘道社)に比べると読ませる部分や周辺の写真や地図がなく、単に情報の羅列と云う感じもなくはないが、元標の存否を知る事ができるだけでも貴重な資料である。 A5版160頁、頒価\2,200_