和歌山市駅に到着すると外は土砂降り、とてもフェリー乗り場まで走って行ける様な状況ではありません。 携帯からCWWの雨雲レーダーを見ると此処和歌山市だけが降っている様で、1時間もしない内に治まる予報なので、慌てずとにかく待つ事に。
和歌山港0240発には余裕の時間で雨が止んだので極力水を被らないように歩道を走って行きます、再びKHSを輪行支度して船内へ、2時間余りの船旅です、夜行便とあって車でない乗客は遍路姿の方を私の2人だけでした。 徳島0450着、少し明るくなってから出発します。
徳島県庁前のヨットハーバー、30年近く前に「徳島レース(阿波踊りレース)」に参加した時に停泊して以来です、淡路島の’サントピアマリ?ナ’を文字って県庁前なので’ケンチョピア’と呼んでいました。
o氏と落ち合うJR高徳線板野駅までの間で、5ヶ所程道路元標を建てたとされる場所を探索したのですが、1基も見つける事はできませんでした、徳島県では’大正道路元標’は今だ1基も見つかっていない様です、根こそぎ撤去されてしまったのでしょうか? らしき場所には松坂村役場跡碑が…

o氏と落ち合い大坂峠を目指します、峠おやじN氏のHPでも詳しく説明されていますが、地形図では徳島県板野町と鳴門市の境界が峠のピークになっていて大坂越、鳴門市と香川県東かがわ市の境界を大坂峠としています。 県道1号線ですが板野町側の途中までは採石場があるかしてダンプが多いですが、そこを過ぎれば車は非常に少ないです、適度な斜度でチネリのロードで来たo氏は軽々と登って行きます、 大坂越。
大坂峠で香川県に入ると眼下に海とこれから下る道筋のパノラマが拡がります。 標高こそ300mに満たない峠ですが、サイクリストなら一度は越えるだけの価値のある処です。
なお大坂峠の三叉路を少し入ると展望台があって淡路島も小豆島も望む事ができます。
o氏とJR引田駅でお別れしてから引田町道路元標を探索、四国らしくへんろ道とこんぴら道を示す道標鵜の建つ旧道の辻に見つける事ができました。 予定では長尾寺まで走る予定でしたが、駅に戻り造田駅まで輪行する事にしました。
造田駅から長尾村道路元標まで南下し再び北上して牟礼村道路元標と屋島村道路元標を目指しますが、それぞれ87番長尾寺、85番八栗寺、84番屋島寺ですからまるでお遍路さんです(^_^;)
← <146>八栗牟礼線が山上まで続いていますが、自転車を除く一般車は登れない様です。
標高200m余りまで自転車を押し上げるのは遠慮して往復\900也のケーブルカーのお世話にになる事に(^_^;)、
牟礼村道路元標は境内を西に抜けて展望の開ける、階段の下、本来の参道を登りきった処にありますから、ケーブルカーで登ると非常に判りにくい場所です。
← 県道指定されているとは云えとんでもない処に道路元標はあります、見晴らしは最高ですが。
屋島村道路元標も牟礼村と同様に山上にある様で、ロープウェイは廃止、ドライブウェイを山上まで行くバスに頼るしかないのですが、そのバスは屋島駅を0930?1730の間1時間おきに出ているのを勘違いして琴電八栗駅から輪行して高松築港駅へ行ってしまい、今日は時間的に屋島山上へ行けなくなってしまいました。
本日の走行 80.5キロ
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道路元標蒐集サイク
今日の予定は名古屋鉄道瀬戸線の尾張瀬戸駅まで輪行し、愛知県東春日井郡瀬戸町、岐阜県土岐郡駄知町、同可児郡池田町、愛知県に戻って丹羽郡楽田村から県下を幾つかと企んでいたのですが…
名鉄尾張瀬戸駅に着いた頃は雨も止みかけていて、少しは快方に向かう予報で、どうにか走れそうな状態だったのですが…

瀬戸町道路元標をGETした後R248?R363と岐阜県に向かって走ります。 17度の温度表示が出ている岐阜県境を過ぎてもまだ登りは続きます、地形図には峠の名は書かれていませんが標高は500mを越えもう立派な峠道です。
PS:帰って峠おやじN氏のHPで探すと、’美晴峠’と云う峠だそうです、峠1件GET!!

無事に峠を越えたものの、柿野温泉を過ぎたあたりから再び雨が降り始め、岐阜県道69号線に入る頃には降りも強くなってきます、と云ってもなかなか雨宿りできる処もないまま、濡れ鼠で駄知町道路元標の残る処まで来てしまいました。 結局小降りになる事はあっても止むには至らず、後数キロの多治見市に残る池田町を残して中央本線の土岐市駅でリタイヤする事になりました。

本日の収穫
【342】 愛知県 東春日井郡 瀬戸町 (現 瀬戸市)
【343】 岐阜県 土岐郡 駄知町 (現 土岐市)
走行37.6キロ、折角の遠征は昨日に続いて2基、まあ位置的に行きづらい駄知町道路元標をGETできたので良しとしましょう。

【339】 藤田村道路元標 (和歌山県日高郡)
県報に拠ると’藤井2077番地先’なっており、現在地は和歌山県御坊市藤田町藤井2077の専念寺の南東角、高さや向きは建て直されたもののほぼ位置は変わってない様です。
この交差点を北に行くと「安珍清姫」で有名な道成寺に突き当たります。
和歌山県では9基目になりますが、形状が内務省令と異なる頂部が扁平なものは始めてです。
道路元標蒐集サイク
兵庫県氷上郡をメインに道路元標を求めて走ってきました、予定は10ヶ所「兵庫県の道路元標」に掲載されているものの何れも場所が特定できていません。
通勤時間帯の鶴橋?大阪での乗換えを避けて、木津経由で学研都市線から福知山線直通の快速篠山口行きで古市駅まで輪行し、まずは多紀郡の今田村道路元標をめざします。

梅木峠、三田市と篠山市、それに道路が西脇市との境界になっている様な5万図にも掲載されている峠、手持ちの地形図では点線道でしたが現在では舗装されています。 そのせいか峠おやじN氏の絨毯爆撃を逃れて珍しくN氏の足跡のない峠です。 実は今田村から鴨川村へ向かう途中に行きすぎてしまい、予定外で越える事になってしまったのです(^_^;)

加東郡の鴨川村道路元標のある下鴨川、実はこの三叉路を左へショートカットしかけて、右に入った方が良かったかなと振り返った時、視線の先に道路元標が、進行方向では全く死角になっていました。

多可郡の比延庄村道路元標の後、「日本のへそ」緯度経度交差点へ行ってきました、これは古い方です。

加古川沿いに北上し加古川と篠山川が合流する処にある元の「道の駅」で小休止、ここから以前の氷上郡です。 相変わらず日差しはキツいですが川を渡る風が心地よいです。

道路元標蒐集18切符の旅(岡山香川編)
今回は自転車抜きで岡山へ、桜井0528-(近鉄)→鶴橋0629→大阪0652→姫路0758→岡山0923、案の定姫路駅での乗換えは最悪です、’18切符’を利用して山陽路へ向かうには最適なスジなのですが、姫路駅改良が済むまでの事とは思うものの殆ど’18切符’いじめです、これさえ無ければ輪行するのですが…
↑JR吉備線、岡山から伯備線総社を結んでる非電化線、記憶が全く無いので始めて乗る路線だと思います、キハ40系が1~3両で運用されている様です。
吉備線に乗って3つ目の駅、岡山市郊外、吉備津神社のある一宮にきています。 ここに御津郡は‘一宮村道路元標’があります。
岡山市市街に戻り岡山県下の道路元標所在に関する資料を求めて岡山県立図書館へ向かいます、最寄りは路面電車の県庁通り駅の様です、市電では無く岡山電気鉄道と云う私鉄であの南海貴志川線を買収した会社です。
岡山県立図書館は岡山県庁向かいの新しい建物、お目当ての県公報は大正10年以後のものしかなく、大正9年以前のものは記録資料館と云う処へ移管されてしまった様です(^_^;)
岡山市道路元標の建つ京橋西詰へ立ち寄ってから記録資料館へ、タクシー代\880也。
岡山県立記録資料館、大正8年11月から昭和5年頃の県公報を2時間余り探したのですが、お目当ての’道路元標ノ位置ヲ定メル告示’は見つけだす事はできませんでした。 司書の方は全県的な道路元標の存在に懐疑的な口ぶりでしたが、ここでは来月興味深い行事があります、’18切符’があれば行くのですが… でも講師の方がN大の先生とはネ。
道路元標蒐集18切符の旅(岡山香川編 その2)
岡山市を後に児島へ、倉敷行きの下津井バスに乗換え倉敷市呼松へ、水島コンビナートで埋め立てられるまでここは瀬戸内海に面した港でした、ここに福田村道路元標が残っています。 折り返しのバスが来るまでに20分程しかありませんが、無事に発見(^o^) くらしき百景にも指定されてりうレトロな郵便局もある古い街並、でも道路元標に関わらなければ訪れる事は無かったでしょうネ。
岡山1445→1507児島1515-(バス)→1539呼松1557-(バス)→1627児島
岡山県下で現存が知られている道路元標を3ヶ所回る事ができましたが、時刻表を繰ると帰りにはもう少し時間があるので瀬戸大橋線で四国へ入り、坂出で下車し王越村道路元標、高松で高松市道路元標を拾いに向かいます。
児島1638→1653坂出1724→1739高松
高松から’18切符’で戻るには鶴橋から近鉄利用でも1913が最終になりますが、山陽本線が沿線火災の影響で遅れがでているとか、1本早めの1813のスジに乗車する事にして高松での持ち時間は34分、でも場所は特定できていますし距離も片道1キロもありませんので楽勝です。
↑JR高松駅、駅ビルは新しいですが、かつて宇高連絡船で渡った四国の玄関口の雰囲気は残っています。
台風の影響で新幹線は大荒れだった様ですが、在来線は大きな遅れも無く桜井へ帰り着きました、香川県には小豆島も含めてまだ5基の現存が確認されていますが、今回は自転車抜きなものの3月に取りこぼした王越村がGETできたので大満足です。
高松1813→岡山1917→網干2046→大阪2207→鶴橋2227-(近鉄)→桜井2306
‘青春18切符’で乗った金額は計9,390円也
本日の収穫
【320】 岡山県 御津郡 一宮村 (現 岡山市)
【321】 岡山県 岡山市
【322】 岡山県 児島郡 福田村 (現 倉敷市)
【323】 香川県 綾歌郡 王越村 (現 坂出市)
【324】 香川県 高松市
岡山県の3基の様式は内務省令と異なり、正面に道路元標、向かって右側面に市郡名、左側面に町村名となっています。 ただ同じ岡山県下でも遠く離れた山中の大原町道路元標は省令に従った様式です。
冷や奴ツーリング
昨年に続いて8月の最後の週末は洞川(どろがわ)へ名水豆腐の付いた「冷奴定食」を食べに行く事に。 集合場所は道の駅「吉野路黒滝」、桜井を6時に出発し芋峠?吉野山?地蔵トンネルと40キロ余りを自走で向かいます、9時半には回送役を引き受けて下さった怪我でリハビリ中のU兄さんを含め15名が集合。 U兄さんのお見送りを受けて14名で走り出します。
↑ 遠回りですが一旦丹生川沿いの<138>赤滝五条線を城戸へ向かって走ります、自転車のとっては最高に快適な道です。

先々週の「真夏のとんでもツーリング」で走った<49>勢井宗川野線を走り、新笠木トンネルと新川合トンネルの間に出ますが、往路も昨年と同じでは芸がないので、新川合トンネルの上のR309旧道まで登りますが、10年ぶりの旧道は堪えました(^_^;) で虻峠はトンネルをくぐって洞川へ。
← 今年も「みやぞい」には入れませんでしたが、去年と同じく「喜楽」へ入り「冷や奴定食」を注文。

お腹が一杯でしんどかったですが、近畿では数少ない1000m越えの「五番関」へようやく」到着。

高原洞川林道

吉野大峯林道を走り自走組と別れた輪行組を送って近鉄吉野駅へ、この後9さんと椿橋までご一緒するつもりでしたが、パンク魔に祟られた9さんを見捨てて、壷阪峠越えの帰途に就かせて頂きました。 桜井帰着は19時半、朝の6時から目一杯走っていた一日でした。
往復の自走を含めて本日の走行138.6キロ。

道路元標蒐集サイク (北陸篇)
石川県まで遠征してきました、実は近畿2府5県ではネタが尽きつつあり残りを全部回っても400基に届かないのです。 石川県下では68基の現存が知られていますが、様式が変わっていて正面に「道路元標」、右側面に「○○村」となっていて、塔頂も省令形とは異なり奈良県国中に多い形に似ています、隣接する福井県と富山県には大正道路元標は今だ1基の存在も確認されていないのですがその形状が興味深いです。
もちろん「青春18きっぷ」を利用しましたが、未明に桜井からJR奈良駅まで20.1キロ自走し奈良線?湖西線?北陸線と4本を乗り継いで芦原温泉駅へ1040着。 輪行派サイクリスト、道路元標コレクター以前に乗ってるだけで愉しめる元鉄ちゃんでないと耐えられない行程ですわ(^_^;)
吉崎御坊にて、別にお寺さんに興味がある訳でもないのですが、此処へ来るのは3度目です、国道8号線を避けて海よりのルートをとるとどうしても通ってしまうのですよね、今回は近くに’瀬越村道路元標’があるので休憩がてら立ち寄ったのですが、3組のサイクリストに出会いました、やはり北潟湖とか少しは風光明媚な処を走りたいですからね。
尼御前岬にて、ここは2度目です。 山中温泉から涼しげな山間部へ入るか、日陰が少なく暑いものの収穫の多い海側に向かうか悩んだのですが、やはり暑いです、此処へ来て海から時折涼しい風が吹くのが心地よいです。
本日の収穫
【202】 石川県 江沼郡 瀬越村 (現 加賀市)
【203】 石川県 江沼郡 橋立村 (現 加賀市)
【204】 石川県 江沼郡 篠原村 (現 加賀市)
【205】 石川県 江沼郡 作見村 (現 加賀市)
【206】 石川県 江沼郡 動橋村 (現 加賀市)
【207】 石川県 江沼郡 月津村 (現 小松市)
【208】 石川県 能美郡 御幸村 (現 小松市)
【209】 石川県 江沼郡 那谷村 (現 小松市)
【210】 石川県 江沼郡 山代町 (現 加賀市)
【211】 石川県 江沼郡 南郷村 (現 加賀市)
【287】 阿保町道路元標 (三重県名賀郡)
阿保(あお)は初瀬街道(阿保越伊勢街道)の宿場町として知られ、大正9年に町制、昭和30年に種生、矢持、上津と合併し青山町となった。 平成16年に上野市他と合併し伊賀市となり、名賀郡は消滅した。 道路元標は大正9年4月1日三重県告示第151号によると阿保橋南詰とあり、現在も阿保橋南詰に建っているが、現存していると云う情報は少なくともネット上には今までなかった。
興味深いのは正面に’道路元標’ではなく「阿保町元標」とあり書体も道路元標としてはユニークである、隣町だった阿山郡上野町の書体と同じで、同様に向かって左側面に「三重県名賀郡阿保町」、右側面に「三重県」と彫られている。 だだ塔頂の形状が省令に沿った形でどちらかと云うと度会郡の小俣町や四郷村に近い。
追撃!! ‘曽爾高原ヒルクライム’御一行様
今日はW氏がコースリーダーの’曽爾高原ヒルクライム’を追撃しようと、T御大、ら氏と大和高原から笠間峠を越え赤目へ下り、椿井峠を越える一行を追撃しようと企ててみたのですが。
笠間峠は東大寺お水取りに奉納する松明を運ぶルートとしても知られる古道の峠ですが。 一応<781>都祁名張線として県道が越えているのですが、赤目側はなかなかの悪路です、車こそやってきませんが深いカーブが続き下りなのにエラく時間が掛かってしまいました。
タイムテーブルでは一応近鉄赤目駅0945、約15分遅れで到着。 人数が増えて名張での集合と移動もすんなりと行かないかも知れないので、はたして前にいるのか後ろにいるのか判りません。 とにかく<784>赤目掛線に入り椿井峠を目指します。
← 実は県道ピークの’椿井峠’より手前の’鬼ヤ坂’の方がキツいのです。

何とか’鬼ヤ坂’を越えますが、赤目四十八滝上流の出合茶屋では追いつけず、聞くところではやはり15分程前を走っている様です。
← 椿井峠にて ‘曽爾高原ヒルクライム’御一行様は13名の大所帯に、T御大は峠までに追いついたそうです。

お昼は曽爾村掛の休憩所にて。 ここで曽爾高原へ向かう一行とは別れR369を走り帰途に就きましたが、今日は標高差もあったしハイペ?スだったので効きましたわ(^_^;) 走行95.5キロ。
久しぶりの爆速UP、写真だけですがうちのHPの「輪」→「ツーリングの記録」にUPしました。
