
丸ポストは利用できません(^_^)

中へ入ると思わず息をのんでしまいます。 私の微かな記憶の現役時代と違い、ポスターや今風のものが無いのでもっと昔へタイムスリップしてしまったようです。 ホーム側改札口の開口部が塞がれているのが残念です。

ホーム側、まるで横溝映画のセットみたいです。

このレールは何処にも繋がっていませんが、駅舎だけでなく駅構内全体がD51 774とともに保存されています。 出雲大社前からバス停で4つ程JR出雲市駅寄りですが、一見の価値はあります。






朝から山口県立図書館へ、山口県下の道路元標の所在情報の載った山口県報の存在は知られていましたから、見つけ出してコピーをお願いするだけです。 ついでに現存情報のある周防大島へ向かうべくゼンリン住宅地図で地番を探しだします、その間30分、図書館近くのバス停から防府行きのJRバスに、さすがにJRと云っても’青春18きっぷ’は使えずバス代\790は高いですが、大幅に予定を繰り上げる事が。

大畠駅から防長バスに乗り大島大橋を渡り周防大島へ、島と云っても今や陸続きでセプンイレブンもコメリもパチンコ屋もあります。
折り返しのバスの時刻まで約30分しかありませんが、住宅地図で確認していたのが幸いしてすぐに発見。 久賀町道路元標は地番どおりと思われる場所にしっかり立っていました、しかしバス代往復\1,300は高い。

山口で時間が短縮できたので欲をかいて広島へ、しかし時間は2時間半程しかありませんし、広島県報に道路元標に関する記載があると云う情報はありません。 とにかく一番便利な市役所前の広島市立文書館へ、しかしここにある県報は昭和21年以降だけ、広島県立文書館を教えて貰いますが、念のために問い合わせて貰うと県報があるのは広島県立図書館の方だとか、歩いて20分程掛かるそうなので、結局今回は諦めて帰途に就く事にしました。
↑広島に来ると退屈しません、元とは云え鉄ちゃんにはひろでんはたまりませんわ。

今回の収穫
【382】 島根県 八束郡 玉湯村 (現 松江市)
【383】 島根県 簸川郡 大社町 (現 出雲市)
【384】 島根県 邇摩郡 温泉津町 (現 太田市)
【385】 山口県 大島郡 久賀町 (現 周防大島町)
いずれもネット上に先人により現存情報が掲がっているものをなぞっただけですし、島根県下の道路元標に関する情報をぜひとも見つけ出したかったのですが、残念。

松江市内で一泊、暗いうちから一畑電鉄の始発で出雲へ移動します。 一畑電鉄は京王のお古が使われているものだと思っていたのですが、松江しんじ湖温泉駅から乗った始発電車はなんと元の南海高野線の21000系ではありませんか(写真右)、しかし思い出しましたよこの車両、窓枠からのすきま風が酷いのに、ねぇ9さん(^_^)

レトロな一畑電鉄出雲大社前駅です。
なお一畑電鉄には有料(\300)ですが、曜日時間帯により自転車持ち込み可能になっています。

出雲大社、この反対側に大社町道路元標が。

出雲ってぜんざい発祥の地なんですかぁ...

で、’おみやげ’は...

国鉄民営化後の1990年に廃止された大社線の終点だった大社駅、線路跡は道路になってしまいましたが、かつて夜行急行「だいせん」等の長距離列車が発着した駅舎と構内は保存され、今では重要文化財に指定されています、無人、無料です。

出雲市駅へは一畑バスで移動し、山陰本線を西へ、因美線と同じく39年ぶりですが、かつて「まつかぜ」「やくも」等の長編成のディーゼル特急が走っていたものですが、今では「スーパーまつかぜ」と’スーパー’とは名ばかり2両編成で走っています。
← これは普通列車、1両か2両のワンマン運転です。

出雲市を出て暫くすると海岸沿いを走る区間が多くなります、朝の内は少し雨模様でしたが、西に向かうにつれて冬の山陰とは思えない良い天気になってきました。 国道9号線もこの辺りまで来ると交通量もそれ程でもありません、是非自転車で来てみたいものです。
温泉津駅で途中下車し次の列車までの33分間に大急ぎで温泉津町道路元標を探しに行きました、無事GET!!

車窓からの風景、三保三隅駅付近。 実は1970年にSLの写真を撮りに訪れた場所です。 でも海岸線は大陸からの漂着ゴミで汚い処も見られます。

益田駅で山口線に乗り換えて津和野へ、もしや未知の道路元標が残っていないかと散策しますが、そう易々とは...
太鼓谷稲荷から見下ろす津和野、山口線を見下ろせますから「SL山口号」が走る日はマニアだらけでしょうね。
3日目に続く

別に観光旅行だけでもなく、道路元標探索の旅だけでもないのですが、たまたまそちら方面に少し出かけなければならない所用ができて、それだけならば日帰りでも済む話なのですが、この機会にと’青春18きっぷ’の残り3日分をYahooで落札して2泊3日の旅をしてきました、自転車抜きで(^_^;)
まず1日目は山陰は松江まで、’青春18きっぷ’で普通列車を乗り継いで行くと夕方になってしまいますので、以前から乗りたかった智頭急行経由の「スーパーはくと」を姫路?鳥取間だけ利用します、もちろん’青春18きっぷ’は使えないので別に\3,930を支払う事になりますが、上郡から智頭までの区間の智頭急行そのものが’青春18きっぷ’では乗車できません。 先頭車はご覧の様に展望が、なぜか喫煙自由席の車両です。 智頭急行は国鉄智頭線として計画建設され、1994年に第三セクター鉄道として開業した、高架やトンネルを多用した新しいの路線のため現状では関西から鳥取へ一番速く行ける公共交通手段である、三セク鉄道では唯一黒字とか。
大原までは時々日差しの入る天気だったのですが志戸坂トンネルを越えると途端に雪混じりの雨模様、さすが冬の山陰です。 智頭からJR因美線に入りますが、39年ぶりと通りました。

「スーパーはくと」は三朝温泉のある倉吉まで行くのですが、鳥取で下車し再び’青春18きっぷ’のお世話になり山陰本線で米子へ、米子からは伯備線乗り入れのために電化されていますが、ちなみに出雲市行きのワンマン電車の運転士は女性でした。
とにかく玉造温泉駅まで行き玉湯村道路元標をGETして松江市内へ引き返します。

島根県立図書館、お目当ては道路元標の設置場所情報の記載されている島根県報なのですが...

まずは大正9年から始め、閉館まで2時間かけて大正8年から昭和2年の県報に目を通しますが、ついに見つける事はできませんでした。 今の処では島根県下には6基の現存情報がありますが、これがあるのとないのでは大違いです。
← 秋鹿村役場とありますが、かつての秋鹿村役場が所蔵していたものでしょう。
2日目に続く






早速’青春18きっぷ’を使って道路元標蒐集に行ってきました(^o^)
和歌山県西牟婁郡にあった有田村(有田郡の有田ではありません)の道路元標が現存していると云う情報があるので少なくとも1つはGETできるだろうと、すさみ町から串本町にかけての海岸沿いにあって幾つかの村を巡ります。 桜井055発に乗り和歌山線経由で和歌山へ、近鉄で大阪へ出た方が一本早い紀勢線の列車で紀伊田辺まで行けるのですが’青春18きっぷ’の意味がないのと紀伊田辺以南は本数が少なく普通列車を使う限り結果的には同じ時間になってしまいます。
高田、五条、和歌山、御坊、紀伊田辺と5回の乗り換えと5時間半余りをかけて周参見駅に1130に到着、昨年9月に田辺泊して来ていますが、とても日帰りサイクで来れる場所ではありません。
すさみ町役場で県報記載の地番を聞き現地へ、役場で教えて貰った薬局のご隠居を訪ねます。 確かに’周参見村道路元標’は此処にあったそうですが、道路整備の折にか土台部分を残して撤去されてしまった様です。
すさみ町へ来ても<38>すさみ古座線で山間部へ入る事が多かったので海岸沿いのR42を走るのは随分久しぶりです。
周参見村’の後、’江住村’、’和深村’、’田並村’と訪れますが場所を特定する事もできませんでした、道路元標が設置された大正時代はこの辺りは陸の孤島と云ってもおかしくない地域でその後数次にわたり道路、河川、港湾等の改修が行われていて’周参見村’の様に海岸線から奥まった場所でもない限り、元標が元の場所に残っている事は難しいと思われます。 ↑里野海岸、もう少し走ると本州最南端潮岬が見えてきます。
串本町域に入り元の役場があった有田公民館に保存されている’有田村道路元標’を発見し、どうにか1基だけはGETする事はできました。 ‘富二橋村’があった二色や串本町中心部まで足を延ばすのも時間的に厳しくなってきたので、9月と同じく紀伊有田駅から帰途に就く事に、1648発で紀伊田辺、御坊、和歌山、新今宮、奈良と5度の乗り換えで7時間近くかけて2320桜井に帰投しました。
’18きっぷ’でないとこんなプランは考えもしないですが乗車区間から算出すると\8,510になりますから1日で元を取った勘定です。
自転車の走行距離は38.8キロですが久しぶりに風光明媚な海沿いを快適に走れたので満足しています、でもコース的にはBD-1で走る処とはちゃいます(^_^;)