「鉄」カテゴリーアーカイブ

18切符の旅 (3日目)

今月限りで島原外港以南が廃止となる島原鉄道に乗車、もちろん道路元標も、長崎県南高来郡の深江村道路元標(左下) 後ろは雲仙普賢岳?

 

島原鉄道加津佐駅、Mさんの好きなキハ20系ですが、南線廃線とともに引退とか。

 

島原外港、ヲだらけの島原鉄道を後にしフェリーで熊本に向かいます。

 

肥薩線矢岳越え、真幸駅
38年ぶりの大畑ループとスィッチバックてす。

 

今日は都城まで。

肥薩線吉松駅、ここで吉都線へ乗り換えますが、吉松は鹿児島県ですので九州6県を回る事になります。

18切符の旅 (2日目)

早朝から道路元標求めて次の肥前浜駅まで歩きます、長崎街道肥前浜宿。

 

肥前浜駅

 

肥前山口駅で佐世保線に乗り換え武雄温泉駅に向かうつもりが列車を乗り違えて戻ってしまうと云う、元鉄にしてはお恥ずかしいチョンボをしてしまいました。 肥前鹿島からバスで武雄温泉へ向かう手もありましたが、結局は肥前山口へ戻り先に佐留志村道路元標を探索する事に、幸い思っていたより早く見つけ出す事ができて武雄温泉へ。

 

杵島郡の武雄町道路元標は武雄温泉楼門脇にあります、この楼門は重文です。

 

佐賀県県下の道路元標5基をGRTして佐賀県立図書館へ向かいますが、大正期の県報は多くが逸失していて揃っていません、県庁南別館にある「歴史的文書閲覧室」を紹介して貰い、そちらには大正9年他の県報がありましたが、目的の「道路元標ノ件」は見つかりませんでした。

18切符の旅 (1日目)

青春18切符を利用して九州へ向かいます、もちろん道路元標もありですが、自転車抜きです。 まずは一日がかりで佐賀県鹿島市に向かいます、
桜井0528→鶴橋0622(近鉄)、鶴橋0629→0645大阪0652→0754姫路0800→0916東岡山0922→1101糸崎1144→1650下関1709→1722小倉1736→1917鳥栖1931→2024肥前鹿島

 

このスジは18切符の期間ともあってずっと満員状態、今月のダイヤ改正で姫路駅の乗換には僅かにゆとりができましたが、やはり輪行するのは顰蹙ものです。 倉敷を過ぎてようやくすいてきました。 このスジを乗り継ぐと、長崎、熊本、大分まで行く事が可能ですが、相応の忍耐力と云うか好きでないと… まぁかって大阪から札幌まで33時間も乗り続けた事を思えば。

糸崎で下関行きに乗り継ぎ、すぐに乗り継いでもこの先岩国で後続に追い付かれるのでちょっと途中下車して食料調達。 昔ながら何もない駅前ですが、少し行くと地元スーパーがあります。

 

1650下関着、今日は肥前鹿島まで行くのでまだ3時間半乗ります。

 

鳥栖からの長崎本線では817系でした、木材と一部に本革を利用したデザインには(@_@) 座り心地は長時間向ではありませんが。

桜井を出発してから14時間弱、肥前鹿島2024着、JRだけで\10,080分乗車。

古いネガから(1970年2月23日)

最近まで天王寺駅から南紀方面への夜行が出ていたのですが、当時は紀勢本線経由名古屋行きと云うとんでもない列車でした、当然普通の人は通して乗らないです、かく云う私は亀山まで乗った記憶はありますが。 その後新宮行き、紀伊田辺行きと短縮されついに先年廃止されました。 この頃は南紀への釣り客も多く結構混雑していました。 和歌山までは電化されている阪和線を経由するので鳳区のED60が牽引していましたが、SG(蒸気発生装置)をもたない機関車なので天王寺?和歌山間は暖房車と呼ぶ客車にスチームを供給する車両を繋いでいました。


那智勝浦駅、記憶にはないのですがここまで乗っていたのでしょうね。


紀勢本線の和歌山側はSLがまだまだ活躍していたのですが、南へ行く程亀山区のDF50が結構入ってきていました。


江住駅、今は何処もかも無人駅になってしまいました。


古いネガから(1971年2月15日)

この日は岡山へ向かいました、当時既に「布原の三重連」が人気となっていましたが、天の邪鬼な性格は今に始まった事ではありません、伯備線備中川面駅にて。


伯備線備中川面駅?方谷駅間


伯備線方谷駅、駅舎や停まっている乗用車もさる事ながら、舗装もされていない駅前が時代を感じさせます。


古いネガから(1971年2月11日)

信楽と水口の間、国道307号線は現在のルートとは異なり小野峠を越えていました、当時は未舗装で積雪凍結ともなるとご覧の様に。


水口行きの国鉄バスも


現在のR307はこの踏切を渡らず線路の向こう側を平行して走っています。


1日1往復も貨物列車は亀山区のC58が受け持っていました。 信楽駅には転車台なぞ無いので上りは逆向で牽引します、信楽線には33‰勾配が続くせいでしょうか名松線の様にC11を投入する事はできなかったのでしょうね。


現在は橋上駅になってしまいましたが、草津線貴生川駅です。


古いネガから(1971年2月7日)

1971年当時の国鉄信楽線信楽駅、右に写っているバスは関西線加茂駅と結んでいた国鉄バスではないかと。


当時ももちろん’陶器の町’なのですが、今の様に観光化はされてはおらず、山間の小さな終着駅でした。


 信楽駅構内


 もちろん民営化前ですが、草津駅行き直通が走っていました。 あの忌まわしい列車衝突事故はJRの臨時列車が乗り入れていたもので、以来直通運転は無い。


キハ53 4、信楽線には33‰と云う急勾配があるせいでしょうか、2エンジンの当時新鋭のキハ53が投入されていました。


道路元標蒐集の旅(愛知編)

昨日からT御大の名古屋の事務所の引っ越しを手伝いに行ったついでに、今日は愛知県三河地方の道路元標を蒐集してきました。 自転車ではなく名古屋鉄道の「まる乗り1DAYフリーきっぷ」\3,000を利用したのですが...
名古屋→藤川 \770
藤川→本宿 \220
本宿→名電長沢 \180
名電長沢→名電赤坂 \160
名電赤坂→豊橋 \340
蒲郡→形原 \220
西浦→西尾 \440
西尾→名古屋 \770
 と普通運賃だけでは\3,100分しか乗れませんでした(^_^;) 確かに岐阜?豊橋が片道\1,780ですが、でないと元を取るのはなかなか大変です。 なお「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」と云うのがあってこちらは\3,800ですが、連続した2日になり特別車不可です。

名古屋鉄道に乗る事など滅多にないので、現役のうちに一度乗っておきたかったのですが...


「まる乗り1DAYフリーきっぷ」では特急の特別車に乗れる(但し10?16時で座席指定なし)ので、折角ですので国分?豊橋の間だけ乗ってきました。


豊橋市道路元標の帰りに豊橋市内を走る路面電車(豊橋鉄道 東田本線)には初めて乗りました、停留所に路線や運賃の案内がないので先払い運賃に戸惑いましたが、均一\150也。


本日の収穫
【386】 愛知県 額田郡 藤川村 (現 岡崎市)
【387】 愛知県 額田郡 本宿村 (現 岡崎市)
【388】 愛知県 宝飯郡 長沢村 (現 豊川市)
【389】 愛知県 宝飯郡 赤坂町 (現 豊川市)
【390】 愛知県 豊橋市
【391】 愛知県 宝飯郡 御津町 (現 豊川市)
【392】 愛知県 宝飯郡 三谷町 (現 豊川市)
【393】 愛知県 宝飯郡 蒲郡町 (現 蒲郡市)
【394】 愛知県 宝飯郡 塩津村 (現 蒲郡市)
【395】 愛知県 宝飯郡 形原村 (現 蒲郡市)
【396】 愛知県 宝飯郡 西浦村 (現 蒲郡市)
【397】 愛知県 幡豆郡 西尾町 (現 西尾市)



古いネガから(1971年1月30日)

この頃、信楽線(現在の信楽高原鉄道)の1日1往復のSLを撮りに足繁く通っていたものです。 その行きすがら京都駅で撮ったスナップ。 現在の31番ホームでしょうか、朝の通勤時間帯に次々と山陰線の列車が到着し機関車を付け替えて引き上げて行きます。


DD54は当時、山陰線や福知山線等に投入されていた、ドイツのメーカーのエンジンと液体変速機をライセンス生産し積んだ新鋭機、40両が生産されたが、脱線転覆事故や保守コストの高さから悲運にも僅か10年余りで姿を消した。


山陰線ホームから東海道線上りホームを見ていたのでしょうか、良し悪しはともかくとしてのどかですね、当時莫大な赤字を抱えていた国鉄、でも100人を超す死者を出す事故は起こしていませんでした。


出雲市行きのサボをさげた寝台車スハネ30をはさんだ夜行列車、ブルトレ格上げ前の急行「出雲」でしょうか。


草津駅構内を通過するEH10の牽く貨物列車、草津駅って今も印象は変わっていませんね。