「道路元標」カテゴリーアーカイブ

宇治村道路元標(京都府宇治郡)

宇治郡宇治村は昭和17年に笠取村と合併し東宇治村となり、昭和26年に宇治町他3村と合併し宇治市となった。 なお同じ名前の’町’と’村’が同時期に隣接して存在する事は珍しくなかった。 岸和田町と岸和田村や、明治22年の町村制以前だが相楽郡木津村から木津町が派生した例もある。


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道路元標漁りも楽じゃない(^_^;)

道路元標漁りは色々と下調べが必要なので大変です、資料をまとめていったらファイルが2冊目になってしまった。 調べものに図書館へも行かなきゃならないし...
 しかし自転車ってのは道路元標探索には最も相応しい足だと思いますネ、地域によっては街中で小回りが効いて輪行のしやすいミニベロが1台欲しいのだけどネ。
 現在、63本?、年内には100本を達成したいのだけど。


當麻村道路元標(奈良県北葛城郡)

當麻村は昭和31年に磐城村を編入、昭和41年に町制、平成16年に新庄町と合併し葛城市となった。
 

 



元標は名刹當麻寺の門前という恵まれた環境に建てられたのだが、車にぶつけられたのだろうか破損し今では「路元標」しか読めない。


道路元標探索サイク(その2 続き)

日野商人街道と呼ばれる旧街道を旧西大路村域を探索しながら東へ、車も少なく自転車には走りやすい道なので国道477号線を平子峠へ向かうにはお勧めのルートです。 音羽から県道<182>西明寺水口線で鎌掛(かいがけ)峠を越えて旧鎌掛村域へ、ここでも公民館で訊ねたりしみましたが、新たな道路元標は見つける事はできませんでした。

↑裏側に昭和12年と記された新しい道標が...


鎌掛から県道<41>土山蒲生近江八幡線を南へ、笹尾峠の西側を越える無名の峠ですが、古い溜池の傍を通ったりして雰囲気の良い道で、私の好きな道のひとつです。
←鎌掛から峠に向かって

 土山から大原ダム経由で油日へ出る計画でしたが雲行きも怪しいし時間も押しているので県道<24>甲賀土山線と県道<4>草津伊賀線で柘植へ向かう事に、未収の倉歴(くらぶ)越をゲットする為に旧道へ入ろうとしますが、現在の県道が高架でJR草津線を越えているのに対して旧道は線路で分断されていててこずってしまいます。 とにかく倉歴越まで少し登り返す事に。


加太越え大和街道沿いに復元された里程標とともに建つ東柘植村道路元標をゲットして、旧街道を西へ...

←西柘植村道路元標が建っていただろう場所はこうなっていますが、元標は見当たりません。


府中村道路元標が建つ佐那具に着いた頃にはすっかり真っ暗に。


伊賀上野?御斉峠「牛タンとろろ」ツーリングの最後の休憩ポイントでお馴染みの佐那具駅に立ち寄った処で雨が本降りに、上野市街へ走って後数キロウロウロすればセンチュリーランになる距離なのが残念ですが、雨の中暗い道を走るのもとここから輪行で帰途に就く事に。
 しかし未知の道路元標を見つけ出す事は今回もできませんでした。

本日の実績、道路元標×6、峠×3、丸ポスト×6、走行距離151.1キロ。


瓶原村道路元標(京都府相楽郡)

相楽郡瓶原(みかのはら)村は昭和26年に当野村とともに加茂町に編入された、瓶原の地名はそのままでは残っていない様である、ただ幼稚園が美加ノ原と字を当てて名付けられている、確かに幼稚園に難読地名をそのまま付けるのもなんですしネ。 なおゴルフ場の「美加ノ原カンツリークラブ」は木津川をはさんだ対岸の現在の木津町と加茂町に跨った場所にある。


道路元標は恭仁(くに)小学校正門?を入ってすぐの左側に道路に面して建っているので、正面側を撮影するだけなら柵越しに見えるので困る事はない。 たまたまこの日は加茂町の行事で構内のトイレとかが開放される様なので、早朝でなければ裏面を確認する事ができたかも知れない。


湯船村道路元標(京都府相楽郡)

相楽郡湯船村は昭和31年に和束町に編入された。


元標は県道<5>木津信楽線に面した元の小学校跡と思われる場所に建っている。


事の経緯は判らないが、何故か裏面に「木津町道路元標」とある、但し相楽郡木津町には今も木津町道路元標は存在している。


日野町道路元標(滋賀県蒲生郡)

日野町は明治22年の町村制施行時から町であったが、昭和30年に周辺6村と合併し現在の形となった。


元標は旧街道から県道<41>土山蒲生近江八幡線が土山方面へ分岐する三叉路、興仙寺門前にあるが、塔頂の形状が角錐状になっていて、同じ滋賀県に現存する大津市、木之本町の省令に従った形状とは異なる。


裏面には加工された穴が... 塔頂の形状からも大正時代に建てられた道路元標そのものではなく模して再現されたものかも知れない。 滋賀県にこの形状の元標が他にあるかどうかが興味深い。


ところで旧信楽町と旧水口町で見つけた「県道路?」と記された石標、道路元標より一回りは小さいが塔頂は角錐状である。


東柘植村道路元標(三重県阿山郡)

東柘植(つげ)村は昭和17年に柘植町となり、昭和34年に春日村と合併し伊賀町となった。 平成16年には上野市、他の阿山郡の町、名賀郡青山町と合併し伊賀市となり、阿山郡と名賀郡は消滅した。


元標は伊賀越え大和街道の三叉路に明治の里程標を模して再現した木製の標柱と並んで建っている。


道路元標は何処に...

最近サイクリングのツマと云うかマイブームになっている「道路元標」蒐集。 「道路元標」とは地方自治体毎の道路の基点として大正9年の道路法施行で設置を定められた石標で、施行当時には全国に12000余りの市町村がありその数の道路元標が建てられているのである。 今では「道路元標」設置の法的な根拠や標柱としての必要性がないために、廃棄されたり埋ってしまったりと逸失しているものも多い、中には町指定文化財として保存されているものもあるのだが... 
 ところで奈良県と兵庫県は本格的に調査しまとめたものが出版されれていて両県でほぼ半数が現存している様で、と云う事は日本中の道端に6000程は残っていてもおかしくない勘定になるのだが... ちなみにネット上にも好事家がいて個人で700とか500と云った数を蒐集している強者がいる。

←はネット上にある「道路元標」関連の情報から近畿2府5県で、ほぼ位置まで特定できる「道路元標」の位置をプロットしてみた。 (緑は履修済のもの) ご覧の様に著しく偏っているのだが、ネット上を幾ら探してみても近畿ではこれ以上の情報は見当たらない滋賀県、三重県では2,3箇所あるのだが大阪府、和歌山県は皆無に等しいのである、はてさて紀伊半島がフィールドの私にとって道は険しい様である。


※ 図の様に沼島の様な小さな島であっても大正の道路法施行後に独立した町村であれば「道路元標」は存在し、兵庫県の家島や沼島には現存している様です、すると琵琶湖に浮かぶ竹生島は昭和31年まで竹生村でしたから当然設置されているはずなのですが。