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能登半島ツーリング(2日目)

千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ

 5時半には宿を出発、今日は皆月の青少年旅行村キャンプ場を目指します、寄り道せずに走ったとして約70キロの距離、少し金沢側に戻る格好になりますが、車やバスでも走れる砂浜として有名な「千里浜なぎさドライブウェイ」へ寄って行く事にしました。2001年に並行する能登海浜自転車道を走っているのですが、自転車はちょっと無理だろうと思っていたのですが、ロードバイクでも走っている写真があるので、4サイドで挑戦を。なお「せんりはま」ではなくて「ちりはま」です。
  ペダルが重いものの結構走れるものです、タイヤが多少太い分ロードより有利かも。幾ら締まっているからと云ってスタンドの類は役に立ちません、一般道との接続部分で吹き溜まりになっている箇所が多いので要注意。
 自動車専用道の「のと里山海道」昔の能登有料道路に沿って能登海浜自転車道を北上、相変わらず路面状態はよくありません、暫く行くと昨日少し走った羽咋健民自転車道に合流します。

 羽咋健民自転車道となります、集落を縫ってローカル私鉄廃線跡ならではの面影が、ここに踏切があったのでしょうね。
 これだけ海岸に近い廃線跡も珍しいですよね、準備はしてきていますので「自撮り」にも挑戦。ただ重いカメラと三脚を積んできていながら「自撮り」に挑戦したのはこの日の朝だけ、連日の猛暑にせっかくのポイントがあっても戦意喪失。
 能登半島の西海岸、羽咋から門前を経て輪島へはR249(写真は赤神付近)が通じているのですが、ルートは険しい海岸寄りを避けて3ヶ所ばかり山側に入ります。その海よりの区間を県道36号志賀富来線と県道47号深谷中浜線が継いでいます。遠回りですが交通量が少なく志賀原発付近を除けば鄙びた道が続きます、且つ旧道や廃線跡の自転車道を加えて今回もそのルートを選びます。

 道路元標やスタンプラリーのチェックポイントを織り込みながら走っているのですが、猛暑の中10時を過ぎると走れたものではありません、道の駅で大休憩は勿論、自販機や木蔭のある度に休憩しているものですから前に進みません。旧門前町域の道の駅「赤神」に着いた頃には15時を回っていました。
 門前町のコンビニで最後の補給をして皆月に向います。ところでサイドバッグに小型のクーラーボックスを仕込んであります、最近はコンビニとかで凍らせたペット飲料が売られていますので、保冷材がわりにすれば夏の夕刻の数時間なら結構使えます、お陰で何もないキャンプ場とかでも設営後グビっと1本行けます。
 両側を断崖に挟まれた皆月湾へは山越えして行くしかありません、2本の県道が通じているのですが、一昨年「おさよトンネル」(706m)と云うルートが開通してずいぶん楽になっています、2001年は娑婆捨峠経由のルートを越えましたから標高300m近くまで登りましたが、このトンネルなら半分の150mで超える事ができました。
 18時過ぎに皆月に到着、キャンプ場は漁港の外れの30m程の高台にあります、1張テントが見えるのですが人影が見えません、7月の週末だと云うのにほぼ貸切状態、最果て感のあるロケーションは最高、なだらかな草地のサイトです、ちなみに料金は1人1張りで920円でした。
 走行98.7キロ、12時間もかかっていますが実際走っていた時間は6時間20分程、しかし疲れました。

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能登半島ツーリング(1日目)

 桜井駅0543発の奈良行き始発に乗車。列車時刻の検索はもっぱらスマホアプリの「乗換案内NEXT」を利用しているのですが、桜井→能登二宮間の始発(「青春18きっぷ」利用)で検索すると第一候補は桜井0552→0625王寺0629→0742京都0818→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮となるのですが、能登二宮1448到着の条件で検索すると桜井0607→0640奈良0646→0742京都0818→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮が第一候補となります、始発の場合は鵜呑みする余計に早く出発させられる事がありますので注意。ただ私の場合は確実に座れると云うか輪行袋の置き場所を確保できるとか、乗換の余裕とか階段の少ない経路とか優先させて考えますので、実際は次の様な時間で移動しています、桜井0543→0616奈良0622→0724京都0754→0820堅田0842→0950敦賀0953→1048福井1113→1242金沢1329→1448能登二宮、京都駅始発の近江舞子行きに乗り堅田で後から来る敦賀行きに乗り込んでいます、舞子まで行くとホームが変わってしまう場合あり。
 敦賀で北陸本線へ、北陸新幹線の金沢開業で3セク区間を含めてすっかり521系に置き換わっています。輪行袋を担いでいるとデッキが狭くて乗り降りが大変だった寝台電車の名残り「食パン電車419系」も今となっては懐かしいです。
 福井駅25分待ち、金沢駅47分待ちでようやく七尾行きへ乗車、金沢から七尾線の分岐する津幡まで3セクのIRいしかわ鉄道となったのですが「青春18きっぷ」でそのまま乗車可能です、但し東金沢、森本で途中下車をすると別料金を取られます。七尾線では411系451系の末裔が健在、半自動ドアなので不自由この上ないのです、昔の交直流急行色なら許してあげるんだけど。しかし2022年には北陸新幹線敦賀延伸ですかぁ「18きっぷ」で北陸へ向えるのも残り僅か。
 今日の予定は鹿島郡で未収の2つの道路元標他を巡ってから羽咋市街へ向います。徳田駅で降りるか良川駅で降りるかここ能登二宮駅降りるか悩んだのですが、一応無人駅ですが広いスペースに自販機、清潔なトイレと大正解だった様です、お陰で手間のかかるヘッド抜き輪行作業もスムーズに。ただ線路の北側へ出るには地下通路を推さなくてならなかっただけが。
 最初はリアのサイド枠を付けたまま輪行するつもりだったのですが、やはり大きくなるので外して括りつけてきました、ならば最初から別送しておくべきだったと。
 なお本来のヘッド抜き輪行の場合はもっとフレームの中央近くにホイールがこなけらばならないのですが、今回はエンドどパニア台の後ろと両輪で支える様にしています、それとうちasuka号はサブブレーキ(エイドレバー)が付いているために抜いたハンドルが思うようにならないので、この様な形になっています、それでも最近のロードやクロスの人達のなんちゃって輪行よりはかなりコンパクトになっています、但し重さだけはどうにもなりません。
 ところで私が到着してから一向に列車がこないので怪訝に思っていたのですが、どうもIRいしかわ鉄道で架線故障とかで停まってしまっている様です、1本後ならエラい目に遭っていた処です。しかし15時を回ったと云うのに何という暑さ。
 県道18号を北へ7キロ程走って高階小学校裏に残る鹿島郡高階村道路元標、ここで1,060基目となるのですが、2014年8月に淡路島で1,000基を超えたもののその後はなかなか捗りません、今回のツーリングでは20基を予定しているのですが。
 今回のツーリングのもう一つのテーマ「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、今年は4月から始まっていたそうなのですが、いまから11月までに68基をクリアするのは難しいのですが、オールクリア賞以外のプレゼント抽選資格位は押さえ様かと。68基の中には一般には馴染みの薄い様な施設もあるので心配していたのですが、道路に面した箇所に大きな案内看板が設置してあって、ポイントを見つけるのは難しくなさそうです。「ツールド紀伊」や「なるくる」のスタンプラリーの時はスマホのGPSでの座標を利用していたのですが、「いしかわ~」では看板に貼り付けられているQRコードを読み込ませる様になっています。結局この日は「ふるさと創修館」「道の駅織姫の里なかのと」「コスモアイル羽咋」と3ヶ所回る事に。
 羽咋市街へ向う途中で鹿島郡久江村道路元標へ。ところで道路元標は大正11年の内務省令で様式が定められているのですが、都道府県や地域によって内務省令と異なるものがあります、石川県のものは天頂部の4辺が丸く、正面?に「道路元標」、側面に「○○村」と陰刻されているのが特長ですが、個人的にはあまり好きな様式ではありません。
 1802羽咋駅の裏側(東側)まで戻ってきました。別送の荷物をヤマト運輸の石川羽咋宅急便センターまで引き取りに行かないといけないのですが、近くまで羽咋健民自転車道が続いているので、信号もない事ですので利用する事に、この自転車道は昭和47年に廃止された北陸鉄道能登線の廃線跡なのです。
 荷物を受け取りサイドバッグを取り付けます、これが結構な作業、当初の予定で19日に来ていれば、早くても羽咋駅着が1807、それから輪行支度を解いてスタートですから少々大変だったかも。輪行袋は帰りまで余計な荷物ですので、運賃が勿体無いと云えば勿体無いですが、帰りに利用する珠洲市のクロネコヤマトに送っておく事にします。
 楽天トラベルで予約しておいた市内の安ビジホへ、3,900円也。ただ羽咋市は駅前や中心部にコンビニやファーストフードの店がないのが不便。本日の走行39.0キロ、さて明日からが本番です。

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能登半島ツーリング(プロローグ)

 前回に続いて7/21~22に参加を予定していた「第2回しまなみキャンプライド」、むらまさ君を始め今治「シクロの家」の皆さんと久しぶりにお逢いできる事も愉しみにしていたのですが。先日の西日本豪雨により「しまなみ海道」の道路状況やキャンプ地となる弓削島の断水と、相当の影響がでていて、20日にはどうにか目処がつくと云う事で、予定通り開催はされる事にはなったのですが、帰りに予定していた「とびしま海道」と呉線の不通に加えて、四国側も予讃線の一部が不通になって特急が運休、同じく参加を予定していたskuram氏一行も22日中に帰る目処がたたないと云う事に。私も不通区間のバス代行では輪行には不自由な状況に、まずは別送する荷物が確実に届くかも不安があり、今回は残念ながらキャンセルする事にしました。ただ折角確保した休みと「青春18きっぷ」、さてどうしようかと考えた末、矛先を変えて北陸石川県は能登半島へ宿利用も含めて5泊6日のキャンプツーリングに向かう事にしたのです。
 ところで七尾辺りまでは2008年と2011年に行っているのですが、いわゆる奥能登へは2001年6月以来の17年ぶり、その時はデビューしたばかりのasuka号を駆って金沢スタート、宿利用の2泊3日、時計回りに406キロ(155.5キロ~輪島(泊)~103.0キロ~宇出津(泊)~147.5キロ~金沢駅)を走ったのでした。写真は2001年当時、能登島大橋をバックに黄色塗装時代のasuka号、リア2サイド支度ですが全く野営は想定していない荷物でした。
 今回は4サイドキャンプ装備で宿利用も含め5泊6日の予定、前回同様海岸沿いに時計回り、立ち寄りたいポイントは皆月と木浦、テーマは18基の未踏の道路元標、なにしろ2001年当時はまだ道路元標フリークではなかったので珠洲郡と鳳至郡(現在の鳳珠郡)は全く手付かずなのです。加えて昨年から始まったらしい「いしかわ里山里海サイクリングルート」のモバイルスタンプラリー、県下に68ヶ所のポイントが設定されています、ただ今年の開催期間中にクリアするのはとても無理なので、予定コース最寄りのポイントを幾つか回る程度のつもりで、日程は…
7/19(木)移動日 ~七尾線羽咋駅まで「18きっぷ」輪行して、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/20(金) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/21(土) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/22(日) 道路元標の加減で禄剛崎はパスするかも知れませんが、内浦海岸側へ、夜はゲリキャンかも。
7/23/(月)能登島を経て和倉温泉へ、サイドバッグ等の荷物はゆうパックか宅急便にして、宿泊。(2日約で113キロ)
7/24(火) 和倉温泉または七尾から「18きっぷ」輪行で帰途に就く予定です。
 キャンプ機材他を押し込んだサイドバッグ4つを宅急便で別送するのですが、ヤマト運輸の営業所などで販売している段ボール箱(クロネコボックス14)にうちのサイドバッグ4つがすっぽりと収まるのです、実際のところは詰めたサイドバッグ3つに1つを畳んで「自撮り」用の三脚やリア用のサイド枠を詰め込んでいます。なおリアのサイド枠は付けたままにしておけば、エンド保護にもなるのですが、やはり輪行はコンパクトにする事が肝要です。羽咋の営業所止めで17日には発送を済ませ、asuka号を輪行袋に入れ準備は完了、19日朝の出発を待つばかりだったのですが… 

 前夜になって、明日は19日、よくよく考えると「18きっぷ」夏のシーズンの利用期間は7/20から9/10、当初の「しまなみ」案では往路は東予港へのフェリーだったの大阪南港19日夜出航、そのつもりで休みを段取りしていたのが災いに、気が付かなかったら今朝駅で大恥をさらす事だったのです。
 6,000円近く払って普通のきっぷで行く手もありますが、だったらもう少し走り易い季節に行きますよね。ただ20日出発なら始発からのスタートで現地には明るい内に到着が可能、ならば鹿島郡の未収の道路元標2基を回る時間もあります、ただ24日の夜には予定がありますのでる4泊5日への短縮は致し方ないかと。

7/20(金)移動日 ~七尾線能登二宮駅まで「18きっぷ」輪行、鹿島郡久江村道路元標他を回り、別送の荷物を受け取って羽咋市内のビジホ泊。
7/21(土) 西海岸を北上し外浦海岸の皆月のキャンプ場。(約70キロ)
7/22(日) 輪島、白米千枚田を経て木浦野営場。(約66キロ)
7/23(月) 禄剛崎はパスして内浦海岸側へ、珠洲市のヤマト運輸営業所でサイドバッグ分の荷物を宅急便にし身軽になって七尾へ、七尾泊。
7/24(火) 七尾駅始発で「18きっぷ」輪行で帰途に。

 しかし心配なのは連日の猛暑、標高の低い海岸線ルート、アップダウンも結構ある、以前は苦労した記憶はないが、6月上旬の梅雨入り前、ざっと300キロ、果たして走れるのだろうか…

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Panaracer CLOSER PLUS 700×25c


 後タイヤにダメージが見つかったので、既に走行距離が4,000キロを超えている事だし、躊躇なく交換と云う事に。長らくパナのツアラー26Cを使っていたのですが、たまたまかAMAZONに在庫がなくて他をさがして見たら送料を含めて割高な計算に、この際少しでも安いのをと探したらパナのクローザープラス25が2,500円少々/本、先々週伊賀上野へ往復した時にプラスになる前の黄色をT御大が履いていた、エルバ号に合わせて青色もあるみたいたが、そちらはAMAZONで3,000円を超えるので、無難に黒を。新品なので少々入れ難いかったが、数キロ走って可もなく不可もなくと云うところか。

 

野迫川キャンプツーリング(2日目)

野迫川村今井にて

 暗くなってから降りだした小雨は未明まで降っていた様な、3時半頃には雲海ハントのカメラマン組がバタバタと出掛けて行き、「昭和食堂」オーナーのかあこさんが雲海が出そうなら乗せてってあげるよとの事で4時過ぎに外へでたのですが、どうも今朝は出そうにないとの事なので、再びテントにもぐり込んで二度寝を。結局起きたのは7時を回っていた様な、朝食のモーニングを頂いて、「山岳グランフォンドin吉野」の一行を待ちます、すぐ近くに公認のエイドがあるのです。
 3つのコースの内、ロング(157.2キロ)とスーパーロング(210.6キロ)が野迫川村を経由するのですが、スタートの吉野神宮を出て50キロ余り、五條市火打からの登りの長い事、富貴から筒香まで一息入れられるものの、野迫川村へ昨日私が越えた紀和トンネルへの激坂が待ってます。
0808 先頭はグループかなと思いきや1人であがってきました、2時間余りで、しかも余裕の笑顔。
 「昭和食堂」は非公認ですが、近くの野川弁財天にちなんだ応援が光ってます。ランドナーを駆る強者も、今年はスーパーロングを完走されたとか。



 他にも見知った顔ぶれが何人も走っています。
 いつもなら野迫川村からの帰途には紀和トンネルを越えて富貴経由で五條市街へ下るのですが、今日は旧大塔~天川~黒滝~吉野町経由で帰途に就く事にします。既に野迫川のエイドでリタイアした何人かが引き返してきていますので、頃合いを見計らって帰途に就いたのですが、どうもロングに参加している人達に挟まれてしまった様です、何を勘違いしてか声を掛けてくれた御仁もおられたのですが、それはないでしょ、メットなしの4サイドが「山岳グランフォンド」に参加しているなんてね。天川川合に向かって県道53号は天の川に沿って比較的なだらかなコースが続きます、回りのペースに引っ張られて、天川川合の案内所まで休みなしで走りきってしまいました。

 阪本からはロングの一行に挟まれる様な格好で、ノンストップで天川川合まで帰ってきました、約30キロ、1時間35分也。天川村唯一の信号を左折してR309へ、休憩に観光案内所へ入りますが、何故か自販機が無くなっています。暫く道路を眺めていると、ここでもリタイア組が何台も黒滝方面へ登って行きます、リタイアと云っても二山越えないと吉野山へ戻れないのですから過酷です、それもこの先新川合(2751m)と新笠木(1693m)の長大トンネルを抜けて行くのでしょうね。
 私は長大トンネルを避けて旧道の川合隧道と笠木隧道へ、すこし余計に登らなくてはなりませんが今では殆ど車の入ってこないルートです。
 黒滝村の道の駅「吉野路黒滝」へ、川合隧道からだと450m程のダウンヒル、昔は天川村へ行くとなれば、これを登っていたのだと思うと感慨深いものがあります、道の駅は休日とあってなかなかの賑わいです。
 黒滝村から地蔵トンネルを抜けて下市町へ、才谷から県道257号で吉野山へ、途中通行止区間があるのですが、自転車なら問題なし。結果的にグランフォンドのスタートゴールの吉野神宮へ上から降りてきたのですが、吉野神宮駅からゴールまでの県道167号、全コース最後に標高差100m程を登らされる訳です。推している人もちらほら、朝「昭和食堂」で見送った榛原のS氏が元気で上がってきました、まさかこの時間で上がってくるとは、無事に余裕を持ってスーパーロング完走ですね、もう下り始めていたので写真が撮れずに残念。
 椿橋で吉野川を渡り壺阪峠を越えて帰途に、なお壺阪峠の通行止区間では重機が入っていましたので、工事が始まると暫く自転車も通れないかも知れません。本日の走行89.5キロ。


 今回は1泊2日のキャンプツーリングで160キロばかり走っているのですが、このコースの内の特に九度山~吉野山間は車も少ない魅力的なコースです、大阪からですと南海高野線で輪行して九度山、吉野山では県道を吉野神宮駅には下らず、下千本の七曲りを近鉄吉野線の終点の吉野駅に下り帰途に就けば良いかと。九度山駅~吉野駅間で約95キロ、厳しいのは紀和トンネルへの登り位で後は川沿いの穏かなルートです、「昭和食堂」のある野迫川村野川で九度山から約35キロ、天川川合で約65キロ、道の駅「吉野路黒滝」で約75キロの位置になります。

野迫川キャンプツーリング(1日目)

 野迫川村野川で一年でも限られた日だけオープンする「昭和食堂」(チェーンの昭和食堂とは関係ありません)、食堂と云うよりガレージを利用したカフェ?、最近では「のせがわ村雲海の里の宿」と云うゲストハウスもやっておられますが、6月30日の夜に「蛍鑑賞会とナイトパーティー&BBQ、Bar」を開催するとの知らせが、オープンする日が他のイベントと重なる事が多くて、なかなかお伺いできない「昭和食堂」なのですが(ちなみに2016年4月30日以来になります)、今回はキャンプ場ではないのですが空き地を利用してテント泊も可能との事、梅雨時とあってなかなか厳しいものがありますが「蛍鑑賞会」とあればそれも致し方ない事、それに翌日の7月1日は奈良県サイクリング協会主催の「山岳グランフォンド吉野」の当日、今年は「昭和食堂」の前がスーパーロングとロングのコースに入ってますので、知った顔が何人か参加するので応援も兼ねて、天気が酷くならない事を願って準備を進めておく事にします。
 今回はキャンプと云っても食事は「昭和食堂」が準備してくれるのとテントサイトで火を使わないと云う事ですので正味寝るだけの準備があれば良いので無理をすれば2サイドで行けなくもないのですが、飲料類は各自持ち込みと云う事ですし、テントをサイドバッグに押し込み、雨具一式を準備すると重さはともかく結局4サイド支度になってしまいました。
 野迫川村野川へ向う時に一番悩ましいのがコース、桜井からだと最短は下市町から県道20号で樺の木峠を越えてR168天辻峠で旧大塔村へ下り中原橋を渡り県道53号で野迫川村へ入る約57キロのコース、ただ芦原トンネルを経由する前提の距離ですし、中原橋を渡ってからの登りがなかなか辛いのです。あと吉野川沿いに下って五條市火打口から県道732号で高野町富貴を経て筒香から紀和トンネルで野迫川村へ、距離は約58キロ、ただ火打口から延々と続く登りが。そこで昨年夏の野迫川キャンプでは九度山まで下り、R370を9キロ程走り南海高野線の紀伊細川駅と極楽橋駅近くを抜けて北側から高野山へ入るルート、九度山まで南下する訳ですから距離は70キロを越えてしまいます、それに同じ野迫川村でも川原樋川沿いのキャンプ場へ向う訳でもないので標高1,000m超の天狗木峠と高野辻をわざわざ経由するのは無駄が多い様な、ただ高野山内を経由するので補給が最後にできると云うメリットは。
 今回は仕事の都合で0853に橿原市スタートになります、飛鳥駅前から県道120号で重阪(へいさか)峠を越えて五條市に向う定番コース、R24に合流するまでは車も少なく自転車にはベストなルートです。

 途中吉野口駅前の「柳屋」に立ち寄ってお昼用にと柿の葉寿司を仕入れて行きます。田舎のローカル駅で今なおここ「柳屋」の駅弁が売られているのですが、実は大阪の百貨店や駅でも売られてる銘店なのです、
 10時過ぎには重阪(へいさか)の集落(写真)を抜け峠を越えてR24を下ります。五條市今井で業務スーパーへ立ち寄ったのですが、お目当ての黒ビールはなく、PETボトル入りの安物ワイン他を調達。

 R24を走っているとリアサイドにリュックを背負ったサイクリストが。ロードバイクにサンダル履き、荷物の量からして長期のツーリングの様です。このスタイルで走る若さが羨ましいと云えば羨ましいですが、ロードバイクを選択する今の時代が残念です。ところでサイドバッグ左右まちまちなのですが、なんと片方は私が4つ使っているオーストリッチのS-5なんです。追い越し様に「頑張って」と声を掛けると、突然で驚いた様ですが、後ろから「有難うございます」の声、片手を揚げてこの先の無事を願いました。
 1112には県境を越えて和歌山県へ、橋本橋南詰を経て紀ノ川沿いのサイクリングロードに入ります。途中四阿やトイレが整備された一画がありますので、ここでお昼にする事にします。サイドバッグにクーラーボックスを押し込んできていますので、飲み物を冷たいまま運べるのが有り難いです。
 九度山のローソンで小休止、高野山へ向わないのならここが最後のコンビニになります。氷結PET飲料を2本調達、お陰で「昭和食堂」到着後に自前で冷たいビールを飲む事ができました。
 赤瀬橋に到着、ここままR370を高野山方面に向うか、このまま丹生川に沿って進むか。




 悩んだ挙句に丹生川沿いに和歌山県道102号へ進む事に、最後に紀和トンネルへの激坂が待っているのですが、木蔭が多く玉川峡と呼ばれる渓谷沿いの涼やかなルートは最高、週末ですが川遊びの行楽客の車もまだまだ少ない様ですし。
 彦谷で橋本から狼頭峠を越えてきたR371と合流します。この先河合橋から先高野山方面へは通行止になっている様です。



 宿(やどり)温泉で小休止の後、河合橋で筒香へ向う町道へ入ります、渓谷沿いの道から里山風景へと。
 少々雲行きが怪しくなってきたので雨雲レーダーを確認すると夕立の雨雲ですね、幸い少しパラパラっと来たもののかすめた様で中筒香の三叉路に到着、この先は雨宿りできる処がありませんので、暫く様子を見て1552に紀和トンネルへ向います、ここから4キロで300m登らなくてはなりません、北側からアタックするのは何と30年ぶりかと、以来北行き専用コースになってます。
 一度停まると発進できないので頑張ったのですが、幅員はないし路面は悪いはと蛇行も思うにまかせず約1.5キロでついに足付き、緩斜面になるコーナーまで推すハメに。最後の右コーナー(写真右)を回るとトンネルまでは随分楽になります。
 1648に標高780mの紀和トンネルに到着、どうにか17時過ぎには「昭和食堂」に到着できそうです。後年阪本経由になるまで奈良交通の野迫川村行きバスはここを越えていたのです。

 予定通り17時過ぎには「昭和食堂」に到着、参加者は16名との事。怪しげな天候に自転車組が二の足を踏んでしまった事もありますが、オーナーの泉本さん以外は面識のない人ばかりなんです。まずはテントを設営、県道脇ですが綺麗に草が刈ってくれてあって立派なテントサイトです、県道と云っても夜には通る車もありません。
 料理をしなくて良いと云うのも少し寂しい気もしましたが、美味しくボリューム満点の料理を頂けるのが有り難いです。そして「スウェディッシュトーチ」、話には聞いていたのですが実物は初体験、なかなか良いものですね。少々雨も降ってきたのですがもちろん「蛍観賞」も、回りが少し明るくて見えにくかったのですが、しかし蛍を見るのは何年ぶりかな。
 本日の走行71.3キロ、2018年上半期を5,224キロで折り返しました。

「ヴィンテージレーサー鑑賞会」

 今回で4回目となるRRCBの恒例行事「ヴィンテージレーサー鑑賞会」、例によって三重県伊賀市の「サンピア伊賀」で行なわれます、関西と中京の中間で名阪のインターからも近くて集まりやすく、会場を借りるのもリーズナブルとか。第1回のイタ車に始まり、日本、フランスと来て、今回のテーマはイギリスだったのですが、流石に盛り上がりに欠けるとか玉が揃わないとか、結局はテーマ不問と云う事になった様です。さて私と云えばヴィンテージとかには格段の造詣や見識がある訳もなく、専ら集合写真係として顔を出させて貰う様な次第。ただ今回はT御大と一緒に走って行こうと云う話に。
 仕事の都合で出発は9時半と云う事に、ぐずついていたお天気もどうにか出発する頃には回復してきました。
 伊賀上野へは名阪国道の針テラス付近まで登った後、上津ダムを経由するか県道781号と782号を継いで行くルートを取る事が多いのですが、山添村のあちこちで通行止め箇所があって、岩屋の手前までは781号と782号を走り263号で旧R25へ入って五月橋へ下ります。
 12時過ぎに五月橋に到着、先日も島ヶ原の帰りに通ったのですが、耐震上の問題があるとかで架け替え工事が始まっておりこの五月橋は2,3年後には撤去されるとか。小休止の後やらせ写真をば(写真左 ; 辰巳御大)。「サンピア伊賀」は名阪国道より南側に位置するので旧R25をそのまま走らず三重県道687~686~687~688号を継いで猪田道へ出る事に。

 R422を跨いでから少し道を迷いましたが、13時過ぎには「サンピア伊賀」に到着、そのまま自転車を推して2階の会場へ。(写真  : まえださん)
 会場風景。
 忍者の街とあって、何とまいちゃんがくの一のコスプレを。




 参加車両たち、私は解説できませんので乾さんやまえだサンノブログでよろしく。
 最後に皆さん揃って記念写真を、私はこの任務の為だけに走ってきた様な…
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 まともにお昼を取っていないので帰途R422沿いのコンビニで虫養いを、陽が暮れる前に帰るにはぎりぎりの時間ですが、猪田道駅の踏み切りを渡る処でT御大がパンク、典型的なリム打ちパンクでした。
 伊賀盆地の田園風景の中を伊賀神戸まで南下して近鉄大阪線に沿って初瀬街道をひたすら西へ、1815に西峠を越え1840には無事桜井に帰投しました。本日の走行120.9キロ。

 乾さんのブログ「伊賀上野ビンテージロードの合戦」
 まえださんのブログ「自転車趣味+α2」

再び大河原から島ヶ原へ

京都府相楽郡南山城村 恋路橋にて

 先週3日に行ったばかりなのですが大河原へ向う事に、今回は「自撮り」の準備を整えて大和高原経由で向う事にしたのですが、昨夜無駄に夜更かしをしてしまって出発したのはすっかり明るくなった6時前、その上前回同様夕方から予定があって午後には帰途に就かなくてはなりません。
 ところできっかけが判らないのですが、右足の足首あたりが少し痛みます、普通にペダルを踏むには支障はないのですが、ビンディングを外すのが少し辛いので、右側はあまり使わない様に心掛けます、ちなみに片面のPD-M324です。なんやかと挫ける材料を並べながらもR165から県道38号に入り天神社笛吹奥宮の水場まで足付きなしのノンストップで。
 布目ダム方面に向う時には基本的に県道38号で針まで行くのですが、最近良く使っているルートが山辺高校の先、つまりミモザガーデンとの間を並松池を右に見ながら左折、工務店の角を曲がって春日台カントリークラブの間に入ると、そこは天理市山田町即ち布目川の最上流部なんです、後は布目川の流れに沿って下れば良いのです。
 山田町では以前から気になっていた「奈良安全索道跡」へ立ち寄ってみます、「奈良安全索道」とは現在のJR桜井線の京終(きょうばて)駅から田原~山田~針を経て小倉を結んでいた延長16.9キロの貨物用のロープウェイで、大正11年に全通し大和高原からの物資輸送に供されていたのですが、道路網の整備等で自動車輸送へのシフトが進み、昭和27年には廃止されています。ただ「跡」と云っても何かが残っている訳でもなく、少し歩いた高塚明神に鉄塔が建っていたとか、「跡地」以外のなにものでもありません。しかし「安全索道」と云うネーミング、安全でない索道も多かったと云う事なのでしょうか。冗談はさておきその「安全索道」の名前ですが、「安全索道商会」が大正4年に大阪で創業し、現在では滋賀県に本社を置く「安全索道株式会社」となり、国内に多くのロープウェイやゴンドラ、リフトを建設しています。なおこの「奈良安全索道」の後には昭和2年に紀伊自動車の発注により、紀勢本線全通以前の矢の川峠に2人乗りゴンドラによる旅客用の「矢の川索道」を建設しています。
 「奈良安全索道跡」を後にして布目川沿いの田園風景の中を走り県道25号月瀬針線を北上します。先に立ち寄った藺生町の紫陽花はまだまだでしたが、的野界隈では見事に咲いていました。

 山添村峯寺から布目ダム右岸の道へ入りますが、堰堤までの区間の崩落箇所の通行止は相変わらず手付かずの状態です、自転車を推してならどうにか山側を迂回する事ができますが、左岸の県道があるのですから、わざわざ踏み込む必要もないと云えばないのですが。
 布目ダムを下り、少し判り難いですが大和高原CCの入り口を過ぎて直ぐの三叉路を右に入ります、RRCBの恒例「大和高原クラシックレーサー走行会」のお昼にレイクフォレストリゾートを使っていた頃の定番ルートだったのですが、お昼のバイキングが割高になってからはご無沙汰です、当然内容は良くなっているでしょうが4,000円(税別)ではね。途中集落と茶畑の中に結構激坂があるのですが、レイクフォレストリゾートへ真正面から行くよりはマシかと。
 入り口の前を真っ直ぐ通り過ぎ、暫くリゾートを右に見ながら走り、大河原へと激下りが、正直云ってこれだけキツいと愉しくも何もありません、なお東海自然歩道のルートも重なっています。

  しかし9時頃には晴れるとの予報だったのですが、一向に良くならないどころが、時折雨粒が、雨雲レーダーに不気味な雨雲が行く手に見えます、ただこれ以上は悪くはならない様です。

 ようやく木津川べりまで下ってきましたが、この時点で10時を回っています、所要時間はあまり変わらないのですが、先週は7時半には恋路橋には着いていたので先が思いやられます。距離は短いものの、未明から早掛けしてきたのと寄り道しながらとではね。ただ大型車の多いR163を通らずに大河原まで来れたのが。
 今日第一の目的地「恋路橋」の名前の由来となった恋志谷神社は天満宮の奥にあります。
 恋路橋、あまり時間の余裕もないのですが、「自撮り」の為に重いカメラと三脚を積んできたのですから、両岸から数テイクを。平日とあって釣り人の姿もありませんが、下流にある笠置の潜没橋と違って結構車が通るのですよ。
 少しR163を走らなけらばなりませんが先週同様に島ヶ原へ向います。前回は旧R163と思しき道を行ったのですが、今回は並行して南側にある旧大和街道を行く事にします、稜線に沿って民家の並ぶ旧道は、廃道寸前の殺伐とした道に比べると街道の趣があります、但し斜度はそれなりに。こちらには「二本杭」(写真左)と呼ばれる「従是西山城国」「従是東伊賀国」2本の石標が建っています。ただ「従是東伊賀国」の方は明治時代に先の道へ移設され、レプリカが平成15年になってここに再建されました。「二本杭」で三重県に入ったものの500m程更に登った「藤堂藩関所跡」(写真右)で旧大和街道は峠を越えます。
 島ヶ原に下る頃には12時を回っれしまいました、もう帰途に就かなければならない時刻ですので、最短コースと思える県道305号島ヶ原停車場観菩提寺線と県道686号上野島ヶ原線を継いでR25五月橋へ向います。
 旧R25五月橋へ、前後のボニートラスを従え立派な親柱を持つトラス橋なのですが、何やら下流側で工事をやっている様で覗いてみると「架け替え工事」と云う事です、ネットで調べてみると現在の五月橋は耐震上の問題があるとの事で架け替えられるそうです。道路用はトンネルに比べると鉄橋はどんどん姿を消して行きますね、土木遺産に認定されていないのが残念です。
 ところで橋の上を走る自転車の撮るのもやっかいなもので、今日の恋路橋の様な欄干のない沈下橋や上から見下ろすようなロケーションでないとなかなか難しいものです、五月橋があるうちに狙っておきたいとは思うのですが、写真は2016年5月29日、真夜中の大和高原を越えて鈴鹿に向う途中、濃霧の中の五月橋です。
 五月橋から旧R25を針まで辿る訳ですが、西行きに使った事は過去殆どないのですが、私とした事が勝原で道を間違えてしまいます、このまま岩屋まで走って県道782号上笠間八幡名張線で帰るルートも考えてみたのですが、登り返しが結構あって旧R25を登ってきた甲斐がありません、少し引き返して県道263号岩屋三ケ谷線に抜ける道を取ります。三ヶ谷で旧R25に戻ったのが1417、15時過ぎに帰宅のつもりにしていたのですが。
 名阪国道に沿って神野口、小倉と急ぎ針へ戻ったのが1451、後は初瀬まで下るだけですが、R165に入って以降、信号や踏切にことごとく引っ掛かり、1550どうにか帰宅する事ができました。ここまで走行約119キロ。

走れるうちに… 伊賀上野の手前まで

道の駅「宇陀路室生」

 相変わらずなかなか走る時間の取れない日が続いていますが、今週にも梅雨入りとか。キャンプ装備を解いて身軽になったasuka号、今日は早駆けで距離を稼ごうと朝4時過ぎに桜井を出発し上街道を北へ、5時半には奈良市街へ。

 少年刑務所跡の前を通って奈良阪を越え京都府へ、大仏線跡に沿って鹿背山を越えて加茂へ。しかし清々しい空気の気持ちの良い朝です。



 恭仁(くに)大橋で木津川を渡ります。最初は昨年春の「NLC4’season 春のサイクリング+」の時の様に信楽まで走り御斉(おとぎ)峠で伊賀上野へ下ろうかとも考えていたのですが、今一つ乗らないと云うか調子が出ないので、日曜だから大型車も少ないだろうとR163を東へ向う事に。大型車は少ないのですが、行楽地に向うだろう車が結構飛ばすのですよね。
 先週も来たのですが笠置へ、対岸に見えるキャンプ場、賑わってますね。
 木津川に架かる2つの沈下橋、笠置町有市と飛鳥路の間に架かるその名も「潜没橋」(写真左)、南山城村南大河原の「恋路橋」(写真右)、対岸に恋志谷神社があるのが名前の由来とか。「恋志橋」前後は自転車通行不可のバイパスが供用されていて車が少なく快適です。「潜没橋」の方は以前に「自撮り」もしているのですが、「恋路橋」は鮎つりや川遊びの人がいない草も伸びていない季節に狙ってみようかと。
 R163と離れ関西本線月ヶ瀬口駅の下をくぐります。今は奈良市となった山辺郡月ヶ瀬村ですが、ここは京都府相楽郡南山城村になります。数キロ離れた隣県の名前を取ったのも、月ヶ瀬梅林の知名度なんでしょうかね。
 関西本線と並行するR163の旧道と思しき道を行きます。ここには「従是東伊賀国」と記されて石柱があります、たださらに南側に並行して本来の大和街道があり、この石標はそちらから移設されたもので、現在そちらには「従是西山城国」の石標と並んで「従是東伊賀国」のレプリカが建っています。この道を訪れたのは何年ぶりでしょうか、かなり舗装が痛んでいて県境から東は車両通行止となっています。
 島ヶ原駅、関西鉄道時代のレトロな駅舎が残っています。付近は正月堂とか見処も幾つかあります、案内所でスタンプ帳を買って巡ってみるのも良いかも。
 伊賀盆地に入り上野城の見える処までやってきました。まだ9時半なのですが、夕方から予定があり午後には帰りたいので、市街には入らずに木津川左岸を南へ向います。対岸をR422が走っているのですが、こちらは車のいない田園風景の中で快適です。
 伊賀神戸から名張市街へ、赤目から名張川に沿って。
 12時丁度には道の駅「宇陀路室生」へ、モニュメントの前で写真を撮ったり。
 室生ダム湖畔で濡れ地蔵に寄り道。湛水期には沈んでしまう磨崖仏を今の時期は拝む事ができます。
 榛原からはお馴染みの笠間辻を通る県道を、後は女寄峠を下れば桜井ですが、ちょっと確かめたい事があって旧道の女寄峠へ。奈良交通の路線バスは今もこの旧道を往きます。
 信楽を端折ったので一府三県となりませんでしたが、奈良~京都~三重と巡って本日の走行135.9キロ。