奈良県吉野郡東吉野村谷尻(たんじり)にて
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第22回新春サイクルミーティング動画公開
1月3日に愛知県豊田市の「昭和の森」で行われた、恒例の「新春サイクルミーティング」。 今回もおつねさんが撮って下さった動画が、編集公開されました。
初詣サイクリングの顛末
今日は木津川CC、大和川CC、NCA合同の「初詣サイクリング」に参加してきました。
サイクリングと云っても集合場所の木津川グランドから井手町の高神社まで、まっすぐ行けば11キロ程、集合時刻は13時半と到ってのんびりとした話、ただ大塚親分率いる大和川CCは大阪からがっつりと走ってくると云う話です。 続きを読む 初詣サイクリングの顛末
日本一周中の荒滝君をご案内
第22回新春サイクルミーティング
2016年走り納めカレー納め

暫くサイドバッグを使う予定はないのでキャリアは外し、タイヤも28Cに換装して出掛けます。
上街道から奈良阪を越えて木津川沿いの自転車道へ、いつものコースなんですが、実は昨年は40回も行った「流れ橋」、今年はこれが2回目なんです。 写真左は明治の「五大監獄」のうち唯一現存する奈良少年刑務所、ジャズピアニストの山下洋輔の祖父が設計した事で知られますが、近々廃止されます。



本日の走行110.2キロ、12月は728.2キロ、2016年は10,531.9キロで終えました。
今年も年末恒例「石川ポタ」
「石川ポタ」は2002年頃から大和川の支流石川沿いのサイクリングロードで行なわれている年忘れポタリングイベントです。 元はだいすけさんが主宰していた「ランドナー補完計画」の行事だったのですが、現在はRRCB(Restoring and Riding Classic Bicycles)の行事として受け継がれていて、概ね12月の最終日曜日に柏原市役所前に集合し、通称「OHCHOの森」までの往復20キロ余りをのんびり走ります。
私は体調を崩した2013年を除いて今回で14回目の参加となります。 集合場所の柏原市役所までは片道30キロ程の距離で、輪行した時もありましたが、ここ3年はasuka号のキャンピング支度で往復自走しています。 さて昨夜のうちに荷物の準備は済ませてあったのですが、5時45分にアラームをセットしていたものの、二度寝をしてしまって気が付いたのが7時、計算はできる時間なのですが、急ぎサイドバッグを取り付けて朝食抜きで7時40分にスタートします。 初瀬街道(横大路)を西へ、できるだけR165を走らないように旧道や脇道を縫って田尻峠を越えて大阪府柏原市へ。
集合時刻は10時ですが、予定の9時30分を少し回った頃に市役所駐車場に到着、慌ただしい年末の行事ですので、何かと大変でしょうが、お馴染みの顔、久しぶりの顔が次々と集まってきます。 元々「ランドナー補完計画」の集まりですので、マッドガードの付いた自転車が多くを占めていますが、車種不問とあって、ミニベロやリカンベント、今風のロードの参加もあって、色々と賑やかです。
今回も20数台の自転車が集いましたが、その中の一部。 キャンピングからミニベロまで、エルス、モールトン、東叡からサンノーの実用車に至るまで様々です。
大和川を渡りサイクリングロードに入ります。 ぶっ飛ばしにやってきたローディの皆さんスミマセンねぇ、ゾロゾロと。 舌打ちしながら追い越して行くローディがいれば、私たちが通過するまで待っていてくれた自転車も、まぁ色々あります。

ポタリングとは云え走っている時は結構な走りなんですが、なんと云っても休憩時間が長いのが、一度停まって自転車談義が始まるとなかなか動き出しません。 しかし今日は「石川ポタ」の15年の歴史の中でも最高のお天気です、季節柄雨風雪の中でも走ったのが、今では笑い話です。
一時間余りを掛けて「OHCHOの森」に到着。 「石川ポタ」のメインはここでのアウトドアクッキングです。 私はD女史とコラボで「チビ太のおでん」、って私は食材と鍋を運んだだけですが。 しかしショコラシェフの粕汁は絶品、ダイバーてっちゃんのたこ焼きはプロの味。
ランチの後は、ビンゴゲームでのプレゼント交換です。 やはり今年の私はハズレの年やったんやなぁ、最後の最後まで。
陽の短い季節でもありますし14時には「OHCHOの森」を撤収です。
とは云え、帰りの道中も休憩と云う名の自転車談義は欠かしません。
陽の傾き始めたサイクリングロードを行きます。
そろそろ年忘れポタリングも終盤。
柏原市役所へ戻ってきました。
名残惜しいですが、桜井まで30キロを余り走って帰らなければなりませんので、再会をお約束して帰途に就きます。 亀の瀬から王寺町とR25を走る大和川河畔の道をとり、日没後17時半には無事帰投しました。 本日の走行78.4キロ。
集合写真を含む写真をうちのHPにアップしています。 [BYCYCLE]→[ツーリングの記録]→[2016]と辿って下さい、大きなサイズの画像もダウンロードできます、参加者の方は再利用して頂いて結構です。 なお認証が必要です、パスワードをご存知でないとご覧になれませんのであしからずご了承下さい。 ログイン名は’pal’、パスワードはうちのFAX番号下4桁です、2016年以前の「CanCan謹製カレンダー」の奥付等でご確認下さい。 また2017年用パスワードも使用できます、ログイン名は’2017’、パスワードは2017年版「CanCan謹製卓上カレンダー」の奥付右下に記載されている4桁の数字です。
今年も残り僅か、なんですが…




さて話しはマッドガードに戻って、間違えると取り返しが付かないだけに神経を使うのは、高価なマッドガードの加工。 私はアクリル板でこの様な型紙?を作っていて、先のオートポンチが活躍するのですが。 加工中にこんなのがあれば便利なのになぁと思っていたのですが…
世の中には本来の目的ではないカラフルなマスキングテープがある事は知っていたので、もしやと思って、探してみると、あるんですね、それも何種類も、速攻ポチりました。

今年最後の最後の東吉野サイク
奈良県吉野郡東吉野村木津(こつ)にて


東吉野村へ向う時、いつもは真っ直ぐに吉野川河畔まで下るのですが今日は津風呂湖畔へ、右岸を走るとかなりの遠回りとなってしまうので、ダムの天端道路を走って左岸の県道(写真左)を行きますが、やはり入野(しおの)の手前で吊橋を渡って右岸(写真右)に入ります。

せっかく「自撮り」の準備もしてきている事ですし、お気に入りのポイントへ移動して準備を始めます。 ところで今までで一番青空と高見山の冠雪に恵まれたのは右の写真、スレート葺きの屋根と相まって、とても奈良県とは思えない光景。 一昨年の12月8日なのですが、この時は「自撮り」の準備はしていなかったのです。
路面への積雪は殆ど残っていませんし、先週は谷尻(たんじり)から一谷峠を越えたので、今日は染谷峠を越える事にします。 水の流れている箇所は凍結していた形跡がありますので、朝走るのはちょっとヤバそうですが、問題なく染谷峠(713m)に到着。 ここで1440、陽の短いこの季節ですから室生ダム経由で帰るのはちょっと厳しそうです。 時間的に陽が沈んだ直後、交通量の多い17時台にに女寄か西峠を下る計算になります、それでなくとも気ぜわしい師走ですのであまり気が進みませんので、好きな道でもありませんが、R369を榛原へ真っ直ぐ下る事にしたのですが。
大内峠の旧道を下りR369に入って1キロも走らない内に、ズブズブと後輪の空気が抜ける気配、すわパンクか! どうやら路肩のガラス片か金属片でも踏んだのでしょうか。 まだまだ標高500m以上、日陰はかなり冷えますので、陽射しがあって広そうな路肩まで少し押しします。 実は昨夜28Cから32Cに換装したばかりで、いつもなら2本持ってきているスペアチューブが、今日は1本だけだった事に気が付いて悪い予感がしたのですが、次がないのでパンク箇所を慎重にチェックした後、順調にチューブ交換こそ出来たもののエアーが入りません、チューブを外して調べてみると、バルブの根元が裂けています、なんと先日バルブの根元が裂けてFaceBookネタにしていたそのチューブ、さっさと捨てれば良いものを、間違って持って来ていたのです。 もうこうなるとここでパッチ当てをするしかありません。 幸いパッチもゴム糊にも不都合はなく、路肩の標識にライトから取り出した電池でゴリゴリやって圧着させます、温度のせいかゴム糊の馴染みが多少悪い様な気がしますが、うまくタイヤに入れてやれば空気圧でしっかり着いてくれるでしょう。 作業時間約15分、ここから榛原の街まで9キロあります、少なくともその辺りまで無事に下れれば。
asuka号無事復帰
先月からフリーがフリーになったり、先日の「津風呂湖ツーリング」ではマッドガードをぶっ壊したりと満身創痍のasuka号ですが、無事に復帰しました。 後ろだけ新しくなったリムだけが輝いています。
最初、同じリアハブFH-6500の手持ちがあったので、フリー部分だけの交換を企んだのですが、組んだ状態のホイールでないとハブからフリー部分を外すのは難しいと知り、あらたにリムとスポークを調達してホイールを組むことにしました。 従来通りリムはARAYAのPX-645 36H、イタリア組み6本組です、実は以前は過去の経緯からなんと15番だったのですが、今回は14番としました。 実はシクロサロンあすかの親爺は基本的にロードやトライアスロンしかやってなかったので、ホイール組みは15番しかやってなかったのではと思うのです、結果的には細いから切れやすいと感じた事はなかったのですが。
以前のホイールは半年程しか使っていないので、バラして歪みがなければ、8本組みで組み直して見ようかておもっているのですが、あと手持ちのFH-6500はハブボディが破断した32Hと、フリーがフリーになった36Hなので、やはりフリー部分を入れ換える算段をしなくてはなりません。
マッドガードですが、ナニ銀さんで「なんでそんなに壊れまんねん」と笑われる位にしょっちゅう壊してます、輪行する事が多い事もありますが、まぁ元来なにかと荒っぽい事に他ならないのですが、本所の高級軽量マッドガードは私にはデリケート過ぎます。 それも壊すのは後ろばっかり、お陰で前用が余ってくるのですが、そこは良くしたもので、高価な分割式マッドガードの後ろ半分を前用から作り出しているのです(「分割式マッドガードの加工」)。 さて今回はブリッジに固定するネジ穴部分の内側にアクリル板で作った補強板を入れ、多少体裁は悪いですが引き抜きリベットで固定しています。 この部分はどうしても亀裂が入ってきやすいので、皆さん色々と金属製の補強板を入れたり、革製や樹脂製のワッシャを咬ませたりしているようなのですが、結構な距離を走るasuka号にはそれ位では役に立たない様でして。

17年間で50,000キロ以上走ってきたasuka号、脳天逆落としを食らっても壊れないと云われたデオーレXTのリアディレーラーですが、プーリーこそ替えはしましたが、相当ヤバくなってきていた処、ヤフオクで新品が適価で出ていましたのでゲット、スプロケットと共に交換。 スプロケットの方は、現役と年金需給の狭間のビンボー人ですので、些かグレードダウン。 後はフロント回りですが、既にギア板のみのスモールパーツは完売、クランクセットとなるとヤフオクでも結構なお値段になっている様でして。
さて、そんなこんなで無事にasuka号は戦線復帰です。